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放射光の発生原因の不可解?

部屋の照明は白熱電球で、最近はLED照明灯具で得られる。

雷の稲妻光は天空の自然現象だ。本当は海水から蒸発した水蒸気の空間への放射熱エネルギーなのだ。『電荷』が何故光になるか、その説明が全くないのだ。科学者の解説が筆者には全くの『嘘』にしか思えないのだ。皆さんが何故『電荷』を信じるか理解できない。プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』がどの様な反応によって『光』に変換されるかの解釈が全く示されていないにも拘らず、専門家の学説をいとも簡単に信じる事の不思議な社会現象が理解できない。殆ど考えない科学者集団の専門的複雑な権威に完敗の社会現象だ。

( +Q[C] ) *( -Q[C])    =    光『エネルギー』

上の式の『等号 :=』の数学的定義解釈の不可解。

何故、電荷が結合すると、どの様な物理的原理で『光』になると言うのですか。

『電荷』論者はどの様な解釈論を展開なさるか。『電荷』否定の私には理解できないのだ。

発光例。

白熱電球 (2013/02/28) の画像だ。エジソンの発明によって、蠟燭や燈油ランプから白熱電球の明るい照明技術の恩恵を受けてきた。こんな電燈の光放射現象についてもどれだけ論理的な物理学理論に因る解釈が示されているだろうか。電球フィラメントが2000度か3000度の高温度になると、光が放射される。『エネルギー』は熱であろうと光であろうと、どちらも同じ物理量のジュール[J]と言う実在空間量なのである。光の『エネルギー』をどの様な空間の量と認識するかが問われている筈だ。光も壁に入射すればそのある分が『熱エネルギー』に変換され光から熱に変わる『エネルギー変換現象』の経過を辿るのだ。『電子』論者は電源からどのように『エネルギー』を負荷に伝送するかを示さなければ成らない筈だ。『電子』には全くその機能を発揮するだけの論理性を担うことが出来ないのだ。

 雷の正体 (2012/11/13)で示した絵だ。送電線の鉄塔電線保持碍子に、碍子保護用具としてアークホーンが取り付けられている。雷の衝撃電圧が電線路に侵入した時、碍子の表面から火花を離す機能を発揮する。その火花をアーク放電と言う。当然発光と熱現象を伴う。

雷から光量子像へ (2021/08/27)の絵図である。雷の正体が何かを知ることは大事な自然現象の認識に欠かせない。この絵図は、その雷が空間に光の『エネルギー』の衝撃波を放射させる現象であり、その発生の瞬間の空間像の認識に役立つかとの思いで表現したものである。自然の世界は、その本質が極めて単純、純粋であるからこそ人が複雑に解釈したくなるほど理解が困難なものと思う。結局『電荷』なる虚構概念を仮想して、自然現象の『雷』を理解しようとした訳である。科学理論は人が自然現象を解釈する手段として創り上げたものである。だから物理学理論も、その原理を詳細に吟味すれば、その解釈論理には、とても曖昧で「こう解釈したら良いのではないか」程度の思惑論が多いのだ。『雷』はその観測に必ず放射光の稲妻が観測される。その光とは何かと本当に理解して『電荷』との論理性を捉えたかと言う問題なのである。

元々、雷撃の衝撃波形を、送電線路での保護対策の電気技術として研究される過程で、その電圧波形が基準波形として決められていた。その衝撃波形は『電圧波形』でオッシロスコープなどで観測され、その2乗に依り空間の『エネルギー波形』の伝播現象と当然の事として見做していた。

光の作用性の強さが『周波数』に依存すると言う科学的知見(プランク定数)で理解されていた。光の粒子性と波動性と言う二つの見方の統一が必要との思いから、雷撃波の空間『エネルギー』分布波との結び付き以外光の空間像は捉えきれないとの認識から、光量子空間像を提起した。その最初が、 28aYW9 プランク定数の次元と実在概念 第56年次大会 日本物理学会講演概要集 p.310. (2001)  である。『雷』が空間の熱エネルギーの飽和現象の爆発であるとの見方で、指数関数形に表現したのである。

結局、海の温度と上空の寒気団との関係から、地表の水蒸気が保有する『熱エネルギー』の水分子の膨張・収縮現象との兼ね合いで空間に『エネルギー』が滞留するのである。その『エネルギー』が保有限界を超えた時、突然の『エネルギー』放射爆発となるのだ。それが『雷』の本質である。決して『電荷』等の創作概念は無関係である。

光は、焚火の光も白熱電球の光も、稲妻の光も全て同じ自然の本質の姿、『エネルギー』の姿なのである。空間を光速度で伝播する『エネルギー』の縦波である。光は『エネルギー』である。熱も『エネルギー』である。電気回路を流れるのも『エネルギー』である。質量も『エネルギー』である。自然の本質は『エネルギー』なのである。

法則は思考停止の‥(オームの法則)

自然現象を解釈する、あるいは科学技術理論を繙くとき、その意味を理解するためのとても有効なものが『何何の法則』と言う形式の解釈論である。

その『‥の法則』と言うだけで、いちいち細かい条件や、状況を言わなくても大よその科学論の内容が伝えられる。

その御蔭で、科学論が論じ易くなっていることも確かだ。『‥法則』と言う解釈論法の有効な点だ。しかし、それはまた、その『‥の法則』と言うだけで、その内容の意味を深く考える習慣を失わせる欠点にも成り易いのも事実である。

『‥の法則』と言えば、それが過去の科学理論を支えてきて、現在まで教科書などの記述の内容を支えていれば、其れだけで科学論の常識と成って、深く考える、疑問を抱く事は無い。

全て思考停止の安穏御殿で安んじて過ごせる。

その意味を有名な『オームの法則』を例に取り上げてみよう。

法則とその回路。

1820年の『アンペア―の法則』。

1826年の『オームの法則』。

1831年の『ファラデーの法則』。

中でも、『オームの法則』は誰でも知っていて、電気回路を考える時に欠かせない、基礎的科学技術理論の『法則』と言えよう。

図は電球の点灯回路だ。『電圧』 V[V]、『電流』I[A]、『抵抗』 R[Ω]そして負荷の『消費電力 』P[W]の4つの電気技術概念量の関係で、電気現象を解釈する『法則』を考える意味を表現した回路である。

この法則の御蔭で、電気回路現象の利用は誰でも可能になって、現在の電力『エネルギー』の生活を支える基盤技術文化を構築できた訳である。

しかし、それでも『電圧』および『電流』の物理的意味をどれだけの人が分かっているだろうか。それは技術法則が、それ以上考える必要もなく完璧で、その自然の真髄を考えても経済的利益にはつながらない宿命に在るからなのかも知れない。

『電流』、『電圧』の物理的意味。その意味は空間を流れる『エネルギー』で電気回路現象を理解する必要があるのだ。

やめて欲しい教科書や巷のIT検索場の解説。特に中学生の、まだ理解できない子供達に対する押し付けの、考えない人の解説が横行している現状が悲しくも怖ろしい。

それは『電流』が『電子』の逆の流れだと言う、自然の世界を理解していない、自然世界に『電荷』など実在しないにも拘らず、『電子』と言う『真赤な嘘』の『創り概念』に因る解説である。

その責任は大学の教育者や物理学研究者の専門家にお考え頂かなければならない社会的課題でもあると思う。社会の仕組みや体制、社会制度を考える一般市民の科学的認識による未来社会への希望が生かされて、未来を構築する道に成るものと思う。その意味で少し、『電荷』による解釈の具体的な問答を提起し、皆さんからも教育に意見を反映して欲しいと思う。

〈問答〉

『電荷』概念による解釈理論。特に『電子』が『電流』の逆に流れると言う解釈理論の意味を考えて、その『電子』が論理的な科学理論となるかを確認して欲しい。

回路条件。

回路条件を右図のように仮定する。電気回路の分布静電容量を、一例としてC=1[pF/m]と仮定した。電球の電力をP=1[W]。勿論『エネルギー』の電気回路内の伝送速度は光速度である。この空間を流れる『エネルギー』の概念が重要と解釈するが、物理学理論ではほとんど意識されていないようではあります。

「問1」 電線路電圧3[V]は何によって決まるでしょうか?その『電圧』の原因が『電荷』ならその分布はどうなるでしょう。またその『電荷』の内、プラス側の『電荷』はどの様な『物(元素、イオンあるいは素粒子)』が担うのでしょうか。

「問2」 電流 I=0.33[A] となる。『電子』が流れるとすれば、その電線内の分布量[C/m]または[個/m]は幾らでしょうか。また『電子』の流速は何によって決まるのでしょうか。ただし、『電子』の電荷は1.602×10⁻¹⁹ [C]とします。

「問3」 特に重要な問題が『電子』はどの様な機能によって、ランプに消費する『エネルギー』を伝送するか。という事である。『電子』の運動エネルギーかそれとも他の機能で負荷に届けるのかの『電子』論に対する『エネルギー』伝送の根本的疑問である。届けた後の帰りの『電子』の保有『エネルギー』はどの様になるか。それが『エネルギー保存則』の意味を考えて、欠かせない基本である。電源から負荷に『エネルギー』を伝送するのが電気回路の役割であるから。過去の記事電子は流れずがある。

「問4」 上の『電子』の分布の場合に、その流れが『電圧』の電荷分布に影響を及ぼすことはないのでしょうか。

以上、物理学理論の根源概念『電荷』が電灯点灯回路に果たすだろう機能を仮想して、その意味を考えてみた。その場合の疑問を『問答』にした。全く専門的学説に疎い者の解釈ですが、基本的な疑問を取り上げました。余りにも幼稚な疑問であるとは思いますが、大学理学部の教育関係者や理論物理学の専門家の視点で解釈を頂ければ有り難いです。

 

 

小部屋の照度とエネルギー

(2022/04/20)。何処かで学生さんや大学の先生方に話がしたい。儚い望みかと噛み締めながら。話の内容は途方もない、科学常識理論から外れた事に成るかも知れないが。

その訳は、余りにも科学論の理論物理学や数学的記述の基礎理論解説論が専門家と言う業界の絵空事理論に成っているようで、何とかできないかと考えてしまう。余り誰もそのような意識を持っていないようだから尚更だ。解決すべき問題はただ一つ『エネルギー』の空間に実在する自然世界の基礎認識を持って欲しいだけなんだ。ここでは、少し変わった視点で、光の明るさの照度という照明の意味に絡めて、『エネルギー』を考えてみたい。日常生活に根差した科学論としての『エネルギー』の話を。

小部屋に電球40Wを点灯した。ワット[W]は電力、仕事率という1秒間当たりの『エネルギー』の消費量を評価する技術概念量だ。電灯線から電気の『エネルギー』を取り込んで、電球で光への『エネルギー』の変換をする科学技術的方法だ。科学技術としての照明学会などの部屋の明るさを評価する独特の技術概念がある。その単位が、照度はルクス[lx]で、光の量・光束はルーメン[lm]が使われる。その量的評価にも、大事な『エネルギー』量の意味は関係付けられていない。というより分からない、あるいは評価できない宿命にある。光の明るさは人が感覚的に認識する生物学的検知機能によって決まるからである。目の視感度曲線によって光の量・『エネルギー』の量に比例した強さでは感じ取れない人の感性に因っているからだ。紫外線が幾ら強くても明るさとしてはほとんど感じず、見えない。同じく「赤外線」も見えない。

この小部屋の照度で何を言いたいかというと、電球が放射する光の『エネルギー』が何処に消えるかを尋ねたいのだ。さて中学生に聞いたらどのように答えるか?大学の物理学教室の先生はどの様にお答えなさるか。電球が放射する『エネルギー』量は時間積分で無限に部屋の中に増加する訳だが、決して明るさが時間と共に明るくなることにはならず、ある一定の値の明るさに落ち着く。照明論では球形光束計という光束測定の技術で決まった定義付けで評価する量の問題ではある。無限反射の級数計算で評価する。その光束量も、光と言う空間に実在する『エネルギー』の流れ・光速度流の意識で理解して欲しいのだ。前に、布団乾しー温度の理科基礎(仮称)ー (2016/04/14) で太陽光線の意味を述べた。光は熱にも質量にも変換されると言う解釈である。小部屋の照度は放射された光の『エネルギー』が消えてなくなる訳をどの様に考えるかという、日常生活感覚論ともいえる問題の筈だ。無限の壁の面での『エネルギー』の縦波の入反射現象の解釈問題でしかない。

科学技術理論と科学基礎概念・理論の間の不協和・断裂問題。それは学校基礎教育問題である。

現在みんなが、科学技術がこのインターネットの情報化を構築し、医学のコロナウイルスの脅威から人を救うなど、その恩恵によって、理解の限界を超えた世界に生きている。しかし、その科学技術と科学基礎理論との間にポッカリと空いた断裂の暗闇が、望ましい「科学リテラシー」の基での市民による未来社会構築を進めるべき道に空恐ろしい断崖絶壁を創り上げてしっまった。何故この様な「嘘」の科学基礎理論が理論物理学者によって、正しく修正されずに来てしまったのか?どこに『電子』や『電荷』の必要があるのか?役にも立たない嘘概念で理論物理学が世界を混乱させている。太陽からの贈り物の『光』が古代の地球の巨樹を繁茂させ、植物の光の同化作用で『ブドウ糖』の『炭素』が創られ、それによって巨大な底知れぬ巨大な動物が繁茂し、燃料と言う地下資源化を引き起こして、現在の地球が有る。太陽からの『エネルギー』が基に成っている筈だ。大きな屋敷のお庭を見れば、そこには巨樹の化石化した庭石の柱状節理の姿も見える。みんな光の『エネルギー』を意識せずには科学理論は何処か大きな矛盾を抱えた怪しさの道に迷い込む筈だ。今がその時にある。

光の空間像認識

(2022/04/16)。自然科学という意味は、自然が示す諸現象をどの様に解釈し、その真相をどう理解するかを考究する学問分野を指すと思う。普通は、共通な科学的手法によって認識する、伝統的解釈法によって得られた結果の体系を指そう。それがその時代の「科学パラダイム」と言うものに成ろう。科学的と言えば、科学的手法での実験結果が誰でも共通に検証可能である内容であってこそ認められる。その意味で「光」という自然世界に満ち溢れる物理量をどの様に科学論として捉えるかは、とても難しい。それは空間を伝播する光の『エネルギー [J] 』の空間像を決して測定できないからだ。その空間を『光速度』で伝播する光の『エネルギー』の分布密度など実験的に測定などできないだろう。だから科学的に光の空間像を理解することも難しいことなのかも知れない。それは夫々の人の自然に対する感覚的な認識に負うより外に無いかも知れない。『津波』現象の物理的認識も、専門家の解釈では『エネルギー [J] 』(水の運動エネルギーではない)の海洋伝播現象という認識が無いようだから、理解に到達できないかも知れない。物理学教育で、『エネルギー』の空間に実在する自然世界の根本的真理を認識し、取り上げていないからだろう。空間の『エネルギー』の実在を認識していない事は大きな教育上の欠陥である。それは光の空間像を認識する事が一つの具体的な解決法に成ろう。この記事の前提として、光の速度を取り上げた。

光の実験的測定法。筆者は光を物理的計測法で測定したことも無い。大学の物理実験で『ニュートンリング』の学生実験リポートに結果を報告した程度だ。だから、このブログの内容も、物理学会で発表した内容も全て、「こうなのではないか?」という感覚的認識に基づいたものでしかない。そんな内容を物理学理論として認知されるには、従来の科学的手法の限界を超えた、別次元の解釈でなければ意味はないのかも知れない。そこには、自然科学にもたらした数学の功罪 (2020/08/04)の記事も一つの視点となるかも知れない。

別次元解釈。それは空間に実在する『エネルギー』を認識するかどうかになる筈だ。物理学理論が『電子』論で解釈する手法である限り、自然の真相を捉える感覚には到達できないだろうと言う確信にある。その具体的論証の対象が「光」であろう。

光はエネルギーの縦波である。

電磁波も『エネルギー』の光速度伝播現象である。それが『静電界は磁界を伴う』の単純な実験結果なのである。『電界』も『磁界』も空間に実在する『エネルギー』の科学的手法での解釈概念でしかないのだ。自然世界を構成する根源要素は全て『エネルギー』なのである。素粒子と言う物もその構成原は『エネルギー』である。だから質量も、E=mc² [J] 、m=E/c² の様に『エネルギー』E[J] が局所的に集合して質量m[kg]となるという意味で解釈する。

光には物理的な性質で、「粒子性」と「波動性」の二つが備わっていると言われている。その意味をどの様に統合して解釈するかが大事な考究の視点である筈だ。その統合解釈には『エネルギー』の空間像以外ない筈だ。電磁波も光と同じ波動である。

一粒の光量子 (2021/08/12)にその空間像を示した。この空間を伝播する『エネルギー』の測定が困難であるから、物理概念、物理量と単位 [J] を取り扱い難いのだろう。単位系で、MKSJ となり難い意味でもあろう。

単位系 MKSA と MKSJ

科学技術の世界では経済活動との関係で商業取引が公正でなければならない。計量が世界で統一された測量基準に則らなければならない。その測量基準の基本量が [MKSA] 等である。そこには電流値のアンペア [A] が組み込まれている。不思議に思っていたが、『エネルギー』という空間を流れる物理量の単位ジュール [J] が入っていない。

何故かと考えた。電流[A]は電気回路現象の解釈の基本概念として、19世紀初めのアンペアの法則で最初に認識された物理学の基本量になったと思う。しかし、その電流の現在の物理学での認識は『電子』の逆流として一般的に解釈されている。その『電子』とは負の『電荷』の粒子という認識にあるようだ。その『電荷』概念が何時頃から物理学の解釈基礎概念として定着したかが良く分からない。計量法の基準がどの様に決まって来たかを少し調べた。

1874年。英国科学振興協会(BAAS) でボルト[V]とオーム[Ω]の二つが実用単位に導入された。

1881年。国際電気会議 で上に加えて、アンペア(A)クーロン(C)、ファラッド(F)、ヘンリー(H)、ワット(W)ジュール(J)も加えられたとある。ここで殆どが取り上げられた事に成る。

1893年。シカゴの国際電気会議。電力のワット(W)と熱量のジュール(J)が

W=AV=10⁷abW  J=VAs=10⁷ abJ

と定義された。abの意味理解できず? cgs単位系での関係かもしれない。

cgs系からMKS系へ。

1901年。MKS単位系で、 W=kg m²/s³  J=kgm²/s² と統合。

1948年。 国際電気会議(CGPM)、

1950年。 国際電気標準会議(IEC)

で MKSA が採択された。

1960年。国際単位系(SI)もそれを引き継いだ。

電流アンペア [A] が選ばれたのは、1948年のCGPMで採用され、簡便だから2019年のSI基本単位の再定義まで使われた。とある。

結局、1881年に『電流』アンペア[A] と『電荷』クーロン[C]が採用されたようだ。当時はキューリー夫妻の元素の放射性現象で漸く原子の謎に研究が向き出したころである。原子構造は勿論、『電子』も不明の頃である。第二次大戦後に、MKSA単位系がさいたくされて、今日まで [A] が電流計で測定可能という事で使われている訳であろう。

エネルギー [J] の世界。

『エネルギー』が物理学理論で、空間に分布した物理量だと認識されていない。東洋哲学の一つの至言「色即是空」がある。この意味を『エネルギー』との関係として自然世界に観照してみる。

自然世界は目の前に溢れる生命の天然模様を見せている。その姿に触れて人は心ときめかす。森羅万象の『色』である。『電流』という概念も電流計で認識できる。しかし、それは自然とは違う。寧ろ電流計で測定できる技術量の『電流』が見えることが、『色』と人が勘違いする原因となる。

mc² =E [J]  (式)

で、質量m[kg]は見える『色』の自然である。しかしその質量は、その根源は質量ではない。光の『エネルギー』が局所化した姿である。例えば、水素のその構成の基も光の『エネルギー』である。

だから原子はすべて、『エネルギー』に究極で分解してしまう。だから質量mと『エネルギー』Eは(式)のように等価となる。

『エネルギー』になった時、それは『色』の有ると思う状態から『空』の何もない状態になる。

「色即是空」はその意味と解釈する。東洋哲学の自然観だ。

空間に実在する『エネルギー』を科学的手法で測定できない。だから物理学理論で、科学的物理量と認識できない事に成っている。

しかし、[MKSJ] の[J]を認識しない度量衡は人の自然観を誤りに導く。それは教育における『学問の自由』の意義に繋がる。

電気回路空間とエネルギー伝送特性

(2022/02/14)。今日のダッシュボードに記事、特性インピーダンスから見る空間の電気特性 (2013/11/29) が一つだけ挙がっていた。丁度述べようとする内容に関係するものだ。

電気回路が、漸くどの様に『エネルギー』を伝送するかの物理的特性が掴めてきた。もう曖昧で不明確な科学技術概念に因る電気回路現象を無理して、自然界に実在しない『電荷』などで取り繕った解釈法を採らなくて良いところに到達した。ただ、『電子』によって電気回路の『エネルギー』の伝送現象が論理的に解説できれば、『電子』の価値もあるのだが決してそれは不可能の筈だから。運動エネルギーや位置エネルギーあるいは熱エネルギーを『電子』に背負わせての伝送などお伽噺にも成らないし。物理学理論で『エネルギー』を忘れてはそれは自然世界から目を離した科学技術理論だ。

前の記事、エネルギーと電流(2022/02/13)で述べた内容をもう一度まとめる。

前の記事より、回路のスイッチSでの短絡位置を変えた。意識的に、回路空間が『エネルギー』伝送特性を決めるという意味を強調したかった。電線路抵抗でそこを流れる『電流』によって決まると言う『オームの法則』では、電気現象の物理的特性を本当の意味で理解できないのだ。その違いを示したかったから再び取り上げた。電線導体内など『電流』は流れていない。勿論『電子』などこの自然世界に存在しない。電気回路現象はその電線で囲まれた空間を流れ、伝送される『エネルギー』によると言う眞實が理解されなければならない。電線路空間の特性は、その線路定数C[F/m] L[H/m]によって決まってしまう。特性インピーダンスZo がその伝送特性の基本を決める。それに対して負荷が幾らかで伝送電力が決まる。負荷抵抗Rを

R= αZo    α=R/Zo

と捉える。αは単なる係数である。

要するに、二本の電気配線で構成される空間がどの様なものかで、伝送特性が決まるのだ。電源電圧と言う技術概念量はとても優れた特性解釈概念量である。それが何を表現したかが分からなければならない。検索情報などには、丁度水の水圧のような意味だ等と出ている。そんな頓珍漢な意味を述べる程厳密に納得しようとすれば曖昧模糊とした解釈論が飛び出す事に成った。『電流』は回路を回り流れて、閉じた還流概念であるから、水圧で元に戻る意味など表現しようが無いにも拘らず、そんな解説まで飛び出す。恐ろしい、全く論理性等微塵もない珍科学論だ。バンド理論の『正孔』も同じようなものかも知れない。新たな目新しい構築概念で、人の意識に混乱を積み重ね、結局総合的に矛盾の重層構造を創り上げてしまった。そんな科学理論全体を統合して論理性を論考するなど、全く経済的利益にも成らない事は誰もしない。専門業界に嫌われるだけだ。だから科学理論は矛盾の病に侵されてしまった。1987年4月(今から35年前)に『静電界は磁界を伴う』と言う電気磁気学理論の根本的矛盾を問う実験結果を発表した。誰もが実験してみれば現在の物理学理論で理解できない事実に気付く筈だ。しかし矛盾が理論の社会的仕組みを破壊するようなことは許したくない意識が科学者の最優先事項となる。アンペアの法則の矛盾など気付きもしない。

それらの意味を考えて、上の図は電線路空間がスイッチの位置で変わり、回路特性も変わるという意味を単純な電気回路を通して、理論の具体的思考問題例として示したものだ。

伝送特性を一応式にまとめた。

コイルの貯蔵エネルギーE[J]は『電流』によって発生するものでなく、電線路空間を通してコイル導体間の隙間から『エネルギー』が流れ込むのだ。その『エネルギー』はコイルに印加される電圧Vl「V]の時間積分に関係したものとして流れ込む。

E=(∫Vl dt)²/L [J]

電圧の時間積分の2乗が漸く『エネルギー』の次元[JH]に繋がる。次元で、『エネルギー』の単位[J]が現れなければ、それは自然現象を利用した技術用の解釈概念だと見做して間違いない。自然空間に実在し、展開する現象は必ず『エネルギー』をその本質として保持して現れる。どの様に科学技術が進展しても、その『エネルギー』の空間像を捉えることは不可能であろう。光の空間像(『エネルギー』の分布空間像)を見る事は出来ないから。コイルの内部空間に貯蔵された『エネルギー』を科学技術計測法で測定する事は不可能である。その技術的に計測する手法として技術概念、『電圧』や『電流』を創り出した事に人の優れた智慧が生かされたのである。

この回路でのコイルに印加される電圧は抵抗との関係で、指数関数での表式となる。その時間積分で算定される。計算をお願いしたい。

電気回路現象で、観測不可能な自然の実在物理量『エネルギー』は電線で構成された空間の形状によってその伝播状況は変化する。その自然現象を数学的に厳密に捉えて、理解しようとしてもそれは無理であろう。指数関数式(ε^-αt^)でも、過渡現象は無限時間でも収束(零にならない)しない矛盾が残る。

科学実験の世界

とても面白く、貴重だ。世界を変えた20の科学実験

表紙の写真はマイケルソンとモーリーの光の相対速度検出実験に関するものであろう。

実験で光の相対速度が検出されなかったという結果をアインシュタインが『特殊相対性理論』の根拠にしたと理解している。

しかしそれは、レーマーが木星の衛星観測から『光の速度』の相対性を実験的に証明している筈だから、光の速度は何処で観測しても、観測者に対して「一定だ」と言うのはアインシュタインが間違っていると思う。

アインシュタインの「特殊相対性理論」が物理学理論に大きな影響を与えた。そのころから量子力学など理解困難な理論が華やかに唱えられてきたようだ。

マイケルソンとモーリーの実験は光の相対速度検出実験が成功しなかったが、その実験結果への試みが間違っていた訳ではない。光は『エネルギー』の縦波伝播であるから、観測者との間には必ず『相対速度』がある。ドップラー効果と言う現象が存在する事は、それが光の観測者に対する相対性の証拠である。

『静電界は磁界を伴う』は『電荷』概念否定の実験結果でもある。一つの新しい科学論への認識を喚起すると思う。ロゴウスキー電極空間の磁界 (2020/06/18)。

 

 

光は何を語るか

光は何も語らない。光子の概念(考えない物理学)?の具体例とした。

自然の実像を世界に示す手段は、その究極は光だ。他に何もない。

人も光によって、世界を観る。

しかし、その光を見ることはできない。光がどの様な姿かを見られない。

その訳は、光が『エネルギー』だからだ。

『エネルギー』は見ることの出来ない世界構成の素原なのだ。心の機能も『エネルギー』が支配している世界だ。『エネルギー』の瞬時波形が観測できれば、心をみることができるかも知れないが。水素を構成する『エネルギー』も見る事はできない。光は一波長の縦波分で、既に基本的『エネルギー』の空間分布量となっている。光の正体 (2018/01/25)。

光変換の秘め事  色の世界を尋ねて (2012/01/30) より。Digital Audio DISC 面の反射光。(2012年盤)。

光と色彩について、最初の記事は、2010年の光束[lm(ルーメン)]と比視感度 (2010/11/25) と眼球の光ファイバーと色覚 (2011/11/28) であった。

上の蛍光灯光源。鏡に映せば、右図の様な蛍光灯が写る。この鏡の代わりに、DISC面に映すと、光変換の秘め事の三原色の分光になる。DISC面がプリズム効果を演出している。しかもその像は一般的な、平面の反射光とは違う。なお、ブルーレイディスク面に反射させると、何も反射光が見えない。

光変換の秘め事。改めて、この反射光が、光と言う物理量『エネルギー』の自然現象を認識するに極めて重要な点を提示していると考える。その意味を考えた。

眼で見る像とカメラの写像とは同じものだ。この光の像は、平面像ではなく茫洋とした通常の視界では経験し得ないものだ。DISC面からの反射光が立体的な奥行きのある体積の空間からの様々の光路の集合光を捉える結果の視界の像となっているからである。しかも左右が反転した反射像である。

別に、歌手のCD盤で確認したのが次である。

分散像1.DISC面での反射光を確認する。すると右の様なものになった。盤の中心部に光源の反射像が在る。分散光の色模様も、青、緑、黄そして赤と、(2012年盤)とは異なる。この像は光源とDISC面との角度が分かり易い。蛍光灯ランプは正反射像だ。分散模様は反射角度が違う。DISC面は平面であるのに、分散光は反射の角度が違う事を示している。その訳が光と色彩の意味を理解する鍵である。光の干渉と言う解説がある。光を波長で解説しているが、何故波長がこのような分散光に成るかの物理的現象の訳には成っていない。それは伝統的解釈手法でしかなく、原理の解説になど成っていない。誰も原理として納得できないと思う。CDの溝内の反射による分光がこの現象の物理的理由である。溝内には溶剤で満たされていよう。その溶剤内での光の屈折により、波長で反射角度に違いが生じる結果としてプリズム効果が表れるのだ。

分散像2.同じCD面の角度を変えて、捉えて見た。何層にも成って、波長の違う反射面が重なって現れた。干渉光の解釈でこの反射像の説明が付くだろうか。CDディスク面の構造を検索で調べると、ポリカーボネートと色素材が反射面のAlの突起を覆っているようだ。その構造では、内部でのColor cell 内の屈折と反射による分散光の解釈も成り立たないように思う。反射面の突起構造がどの様な光の反射に分散模様を生み出すかがこの反射像を見て、分からなくなった。ポリカーボネートと色素材が光の屈折、分散の主原因である事には間違いない。その分光がどの様な面での反射に因るか、反射面の突起構造との関係を考えると、残念ながらその訳を説明できない。日常生活からの単純な疑問でもあるから、物理学教育で光の研究を御専門にされている方に御解説をお願いしたい。

視力とビタミン

2012年に白内障の手術をして頂いた。お陰様で、視力も回復し特に支障なく生活できる。

ブルーベリージャムと視力の関係が気になったので、疑問を述べる。

白内障はレンズが濁る為に視力が落ちるのかと理解している。手術はそのレンズに相当する部分を入れ替えるようだ。レンズと言っても、ガラスと違い、それはタンパク質の様なものと思う。

その手術後、暫くしてから、視力の低下を感じた。ブログ記事(眼球の光ファイバーと色覚)に、有り難いお医者さんからのコメントを頂いた。黄斑にオプシンと言うレセプターを持つ細胞があり、そのビタミンAの形を光が変える。その結果神経細胞に信号が流れ、色覚を脳が認識する。と言うようなご説明と理解した。

その説明を受けて、少しは効果が有るかと、朝食のパンにブルーベリージャムを使うことにした。それまでのイチゴジャムに変えて。

もう5年以上は続けているだろう。前に心配した視力の衰えが感じられなくなった。先生が仰ったビタミンAの効果がブルーベリージャムの御蔭ではないかと感謝している。光ファイバーの終端部の『黄斑』が人の、あるいは生物の視覚の要となっていると強く思うと同時に、色彩の赤、緑、青の波長に感応する細胞の形状変化と言う空間構造の物理的現象と光の正体 (2018/01/25)の関係が納得できた。分子結合と言う空間構造変化と光の関係から、『エネルギー』放射現象との意味で納得でき、色覚の生理現象の原理の一端が垣間見られた感じがする。原子、分子の化学変化には必ず『エネルギー』の放射や吸収が伴う事から、感覚的なものではあるが、納得できる。『結合エネルギー』と言う言い方でもあろう。燃料電池も同じ意味であろう。

光の波長変換現象はその対象の空間構造がその原因である。揚羽蝶やクジャクの極彩色の色模様はすべて、その羽根の空間構造が生み出す現象である。光には本来色は無い。光と色彩の謎をどう解釈するかは光の『エネルギー』をどの様な物理的な認識に在るかに掛かっている。絵具も顔料も、その色はすべてその物質の空間構造が生み出す物理現象である。

雷と科学論

雷様と呼ぶ。様付の自然現象・天空の光と音の饗宴。

誰もが知っている。ベンジャミン・フランクリンの名前も雷とのつながりで知っている。

恐ろしくて、恐怖も不思議な、知りたい科学論。しかし世界は存在もしない『電荷』で覆い尽くされているこの怪奇な科学理論の世界?そんな如何わしい科学理論の世界が許せない思いで再び取り上げる。

雷と電荷の物理 (2021/06/22) でも取り上げた。いつまでも未練を残して、専門家の科学論に抵抗する。電荷と科学リテラシー (2021/02/10)。

先日も「雷の正体」とgoogle で検索した。そこには子供たち向けの多くの解説記事が昇る。殆どが、上空の雲の中で、水蒸気から出来た氷が上昇時に、摩擦で電気が発生するとある。古くから研究所などの専門家がそのように話し、そのような解説をテレビで取り上げて放送している。筆者も雷の正体として記事を投稿している。7ページ目に検索に現れた。

日本の電力中央研究所の解説記事もそうだ。

何処でも、誰でも、特に科学者と言う研究者が『電荷』が自然界の基本物理量として唱え、主張して社会的専門家として敬われ、尊敬されている現実の世界の科学常識だ。

そんな中で、おそらくただ一人筆者は『電荷』など自然世界には存在しないと30年以上前から唱えてきた。

『雷』は自然科学理論の真相を解剖するに最適な論題である。

希望がある。

市民討論会で、論壇で有名な科学者と討論して、市民が視聴して判断する機会が在ればと。何処で、誰が、どの様な訳で、『電荷』が物理学理論の根幹を支える基礎概念となったのか。その真相を明らかにすることが科学教育、市民科学リテラシーの為に今こそ考える課題だ。子供たちに「嘘」の教育が為されてはいけないから。科学者の社会的責任の為にも。考えない科学理論は良くないよ!専門家と言う狭量科学理論からの開放の為に。

科学の市民による民主主義の論壇となれば。民主主義の科学論の土俵が欲しい。