タグ別アーカイブ: 光の正体

時と歩んだ世界

(2021/06/02)。10年以上ブログを投稿させて頂いている。感謝です。2010年2月に初めてpcと言うものに触れた。ワープロ代わりに購入した。しかし、ITに接続して新しい世界を知った。相手が見えない世界に、思いを表明してどの様な事が起きるか、その未知の世界に期待もあった。

ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/0130) が初めの頃の一つの記事だ。この記事にだけ突然千件を超えるアクセスが起きた。

その中に、『インバータと磁束φ ④』が記事中にある。トランジスタでの電力制御を初めて知った驚きの技術として忘れることの出来ない記念のものである。電気理論と電気技術との乖離を認識するに欠かせない回路として挙げる。変圧器に直流電圧を印加すると言う考えられない驚きの回路だ。1969年秋の内地研修で経験した驚嘆の回路であった。この事は、目から鱗‥ (2021/06/05) の記事に述べた。

ここに「アンペアの法則」の矛盾が示されている。変圧器の磁束が励磁電流によって生じる訳ではない。電流概念を問う基点となった。

電流が導体内を流れる。しかし、その「プラスの電荷が流れる」と言う論理は無理であると分かったのだろう。だから負の電荷の『電子』が逆向きに導体内を流れると専門的解説が成される。その解説も、その論理的な責任ある理屈が示されているとは言えない。そこには専門家としての良心が見えない。筆者はただ電気回路の中に起きる自然現象としての『エネルギー』の振る舞いを感覚的な捉え方で、そこに寄り添いながら考察を進めてきた。それは余り学術的形式の論文としての表現には程遠いものでしかないだろう。その訳を考えると、学術的標準用語を使う程専門的な習熟もなく、理解が無いことが基にあるからだろう。だから勝手に自由に解釈する習慣が、余りにも学術理論の常識から離れてしまった感覚のままになってしまったのかも知れない。殆どの基礎的科学概念、物理学的概念を否定する処に立ってしまった。空間に実在する『エネルギー』の実相を、その象徴的具体例に『光』の空間像を描いて捉えている事に在ると思う。

光の相対速度と空間 (2020/06/08) 。プランク定数の概念 (2018/07/17) 。今はその光の意味を電気磁気現象を理解する基礎として認識して欲しい思いにある。それが時の成果と言えるかもしれない。

『静電界は磁界を伴う』。科学理論の世界が異なって見えた原点がこの発表に在る。とんでもない自然の認識に挑戦する賭けに挑まざるを得ない仕儀になった。幼稚な社会性の乏しい筆者には無理な科学論の道であった。何か最初から社会的な存在としての、憲法、行政法上の仕組みの中に組み込まれていなかったような思いに在る。集団体制にとっては邪魔者で、はみ出し者のようだった。古い事件のうろ覚えがある。貝野村役場が火事になった。貝野中学校が火事で焼失した。意味が分からない?信濃川で隔てられた小さな集落の貝野村が、更に二つに分かれた分村事件。我が家の土地がいつの間にか新潟県道に化けて、今でも踏み躙られている。

エネルギー考にまとめた。『エネルギー』一つに科学論の基礎概念を頼りに何とか辿り着いた。理科教育の未来の一つの方向性を示した。陰で応援が有ったから曲がりにもできた。感謝。

目から鱗(1969年ひと冬の経験)

(2021/06/04)。50年以上も前の事。今分かって思えば、長くボーっと過ごしてきたとお恥かしい限りだ。分かって書けば、躊躇もするが、それも人生と記して置きたい。昭和44年の2月、間借りの家に帰り着くと、月刊誌の「電気計算」が配達されていた。ペラペラとページをめくる。そこに「パワーエレクトロニクス」と言う電力制御の特集記事が載っていた。見た途端に、これが求める研修内容だと即断。30歳過ぎで、内地研修に行ける制度があると聞いていた。春4月に、ある先生にお願いして、東工大との繋がりをお世話して頂き、研修の準備をした。しかしそれっきりで、10月まで何の手続きもしていなかった。勿論新潟県教育委員会に研修願いもせず、学校長にも許可も得なかった。本当に申し訳の無いことと、当時の御迷惑を掛けた皆さんに謝らなければならない。そのまま10月から半年間、東京工業大学の電気工学科の宮入・片岡研究室で研修をさせて頂いた。住処も東工大の方にお世話いただき、大学の大岡山駅の近くに確保して頂いた。全く人任せで生きてきたようで感謝と🙇。勿論住所変更届の手続きもして居ない。長岡の住所のままか?それも行政上は問題ではないようだ。??給料も無い扱いだから??それは全くの独り善がりの、無責任な無断研修であったと今は分かった。その間「給与」の支給も無かった。だから何処の労働者の分類にも入らない事に成るか?1970年4月再び何の意識も無く、新潟県立新津工業高等学校に戻っていた。この事に対して、新潟県教育委員会からは何の御咎めも無かった。後で知ったが、校長は勇退という事で辞められたか?新潟県教育委員会の管理課から新しい校長が赴任してきた。筆者に処分辞令が無いという事は、新潟県教育委員会で採用した訳でもなく、日本国憲法に基づく行政法上の管理下の教員では無かったのかと考えざるを得ない。振り返れば、やはりそれは人生の暗い『ひと冬の経験』という事になるか。所謂存在が否定された『幽霊教員』のようだ。筆者の責任なのか日本政府の責任に帰するのか分からない(当時の内閣。第3次佐藤栄作内閣。第4次佐藤栄作内閣であった)。

電気回路技術と理論。

そのひと冬の経験であっても、電気技術については『目から鱗が落ちる』経験をした。それが現在までの長い電気回路現象の解析を推し進める原動力となった。その内容は、『トランジスターインバーター』の動作原理である。

電気理論と言えば、電源電圧は直流か正弦波しか知らなかった。教科書が学校の教育内容の基本的指針である。教科書編集者は教科書編集の過去からの伝統を守る、その事に対する専門家である。電気現象の原理を研究するような人は教科書を殆ど執筆などしないのかと。伝統的電気理論を学習してその意味を伝承する専門家が教科書を書く。だから新しい現象など殆ど知らない。その例が半導体による電力制御技術と言えよう。その中身は従来の電気理論では解釈できない現象がその技術の基礎となっている。今も不思議に思う事。それはその電力技術の専門家も決して『アンペアの法則』に疑問を唱える事などしない事実である。筆者が最初に感じたことは、これは電気理論が嘘という事か?であった。目から鱗と言う事件だった。今でもマクスウエル電磁場方程式を御教示成される大学物理学の専門家は、このトランジスタ制御の回路技術を学習することが必要ではないか。技術を知らない理論家は間違いを教育していることを自覚する必要があろう。僭越ながら申し上げる。それがトランジスタなどで自由に電圧波形を制御できるなど、正しく『目から鱗が落ちる』驚嘆の制御技術であった。その制御回路の一つがこのインバーター回路である。「**」 この回路動作には     ファラディーの法則 と アンペアの法則の理論の意味を吟味するべき基本的問題が含まれている。注目すべき問題は、変圧器に直流電圧を印加する点である。そこに励磁電流と磁束の関係が問題として浮かび上がる。

「**」印で改行するとここに飛んでしまう。何故か訳が分からない??

止む無くここから続ける。上の回路図はブログの初めの頃の記事のものだ。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/01/30)。この矛盾を抱えて、遭遇したのが長岡高専電気科での電磁気学の講義であった。電気磁気学など教えた経験もない。学生には誠に指導力のない講義であったと謝らなければならない。その1年間で益々疑問が膨らみ、それが結局『静電界は磁界を伴う』(1987年春)の実験結果の発表に繋がった。過去の不可解を背負って、其の後の訳も分からぬ道を歩み、今漸く初期の果たすべき役割を電気回路現象の『エネルギー』での統一的姿を捉えたかと思う処に居る。この10年間は障子戸に向かって、ブログ記事を通しての疑問との格闘であったようだ。正常でない、異常な毎日、家族の者には精神病の気違いと今でも罵られる始末。意味が分からない者にはそう取られて当然だ。何とか娑婆で少しは電気現象の話を取り上げて話したい。『電荷』否定の論拠を話したい。『電子』概念の間違いを話したい。そんな社会常識を覆すような話を取り上げて貰えるか?

特記事項。一体どのような職業人として、次のような研究をしたことになるのか?意味が分からなければ社会的な活動の場にどう関われば良いか、動きようがない。二年ほど前に大学に出向いてお尋ねしたら、退職していると言われた。本人は何も長岡技術科学大学での事務手続き等していない筈だが、どう解釈すれば良いか思案投げ首のまま?本当の原因が何かが分からない。矢張り新潟県教育委員会との関りか?

トランジスタインバーターによる単相誘導電動機の速度制御 昭和47年産業高等学校教員の産業教育に関する特別研究成果、第8集(当時は別冊)。財団法人 産業振興中央会。この研究が電気理論に疑問を抱いた決定的な事件となった。この報告を当時の学校長が読んで、私に校長室で尋ねた事があった。校長も電気が専門だったから、磁束が励磁電流でなく、電圧時間積分と言う科学技術理論に疑問を持って尋ねたのだろう。不思議に思っての確認だったようだ。それは当然で、電気理論で解釈できない事だから。

しかし今でも電気理論の教科書は変圧器動作は励磁電流による磁束がその基礎となっているだろう。今日、ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾の記事を見たら、二つのファイルが見れなくなっている。間違っているからかと確認したが正しかった。教科書の解釈を間違いと指摘したことがファイル削除の訳かも知れない。

 

の2図である。確かに教育現場としては大変な事件となろう。しかし自然現象として、『磁束』等『電荷』と同じく存在しないのである。電気技術として『磁束』を解釈手段に利用するのは一つの方便として有効である。しかし、自然界の原理を扱う「理科教育」ではそれは良くない教育法だ。そこの兼ね合いをどうするかが教育現場の課題なのだ。磁束概念は磁石などのマグネットの指向性でその存在を捉えたいのだろうが、『磁界』そのものの概念が電磁エネルギー流に対する直交の方向を解釈し易い方便として定義した仮の解釈概念でしかないのだ。マグネットや地磁気の方向性は電磁エネルギー流の空間現象を捉えた便利な解釈でしかないのだ。磁束が空間に存在すると物理的にその実在性を証明することが出来ますか。『磁束』を見れますか?それは『エネルギー』の空間の姿を見れないのと同じことではあるが、より多くの電磁気現象を総合的に評価することにおいて、それこそ俯瞰的に、より統合性が採れているかの判断が必要と考える。筆者もその電磁気現象の解説をしたかったが、職場が無ければ30年以上も役割を果たせなかった。ブログを通してようやく自信をもって述べることが出来る、所期の目的に到達できたが、教育にその意味を生かす手立てが不明だ。

 

 

 

色それは天然

金の色、銀の色その輝きは人を惹きつける。コガネムシの羽根が輝く。

「色それは天然の詩心 平等と自由の掟の下で」

色は自由な空に載せて運ぶ『エネルギー』の手紙なんだ。それを人は光と呼ぶ。
そこには競うことも無く、心を表現するだけでよかろう。

その色の訳に疑問の心が沸く。そんな日常を科学の心と言いたい。

光の正体 (2018/01/25)。

光の相対速度と空間

Light never makes its way for the observer.It’s just a matter of nature. (2020/06/04)

光とは世界の不思議を背負っている。道端に咲く花をみれば、その鮮やかな色彩も光の姿だ。不思議が故に、その科学論も不可解な世界を生み出す。1675年の昔、レーマーが光の速度の測定をして、毎秒22万kmの有限な速度であることを発見した。それは観測者と光の関係が相対性であることをも示している。素敵な感性に基づく実験による業績だ。しかし1905年、アインシュタインが「特殊相対性理論」を発表した。アインシュタインは光の速度測定の実験はしていない筈だ。光速度はほぼ30万km毎秒と今は理解している。空間定数とエネルギー伝播現象 (2019/09/14) 光はその伝播する空間媒体によってその速度が決まる。金属導体があればそれは障害となり、回析現象も起きる。光は空間エネルギー分布波であるから。電磁波とアンテナ導体との関係と同じ性質を示す。その上で、『光速度一定』とはどの様な空間座標に対しての意味かをハッキリさせなければならない。

光はいつも『相対速度』で観測される。光は厳正な世界創造の役割を担っているから、決して観測者に対して光速度一定にはならない。空間と時間を司っているから。光は基本的に一定の光速度で空間を伝播するエネルギーの縦波である。その基準空間は光の光速度によって規定される世界の標準であるから。一定の光速度で伝播する光、その光の観測者が、その基準空間座標に対して静止していない限りは光を相対速度で観測することになる。天体からの光となれば、観測者との相対運動によって、それは『相対速度』になる。しかも地球上での観測となれば、地球の運動体の速度の影響がない筈はない。光は魔術師ではないから、規定の光速度であれば必ず相対性の基に在る。朝日と夕日の太陽光線は、その山の端に掛かる光は何故違うか。当たり前の現象を素直に観測して考えてほしい。光も空間に分布したエネルギーの周期波でしかないのだから。何も振動する物理量など無いのだから。観測上直交成分で観測できたとしても、観測技術の問題でしかないのだ。電気回路のエネルギー伝播現象と基本は同じものだから。電気回路のエネルギー流を電圧と電流で解釈する技術概念と同じものでしかないのだ。古い投稿記事に、光の速度と空間特性 (2011/5/22) がある。その記事は分かり難い。改めて、大切な内容なので、ここに再度書き直す。電気現象の解釈で、光エネルギーの伝播現象の理解なくしては困難であるから、『電荷』否定と同じく統一的な基本に光の解釈が重要であるから。

光規定空間

光が空間と時間を司る。その意味で、光の速度と言う解釈の基本に、その空間の定義が明確でなければならない。図は地球での観測になっているから、回転体の空気層に包まれた観測環境は理想的ではない。光の伝播に障害となる地球であることは間違いない。しかし、天体からの光がどのような空間で光速度一定という意味を認識できるかを考える意味で取り上げる。星から光が放射されたとする。その速度はどの様な空間に対して時間と空間長さを規定して伝播するのだろうか。決して地球上の観測者の運動に合わせて速度を決める訳ではない。光が伝播する直線状の伝播距離と時間は決まった光の速度によって規定される筈である。その軌跡によって光の速度を規定する空間座標を想定することが出来よう。その光が障害のない空間に付けた道が直線で規定する空間座標が定まる空間を『光規定空間』と定義する。その空間に於いて光は『光速度一定』と言える。

光相対速度のベクトル図

光の伝播を空間ベクトルで解釈する。光規定空間を直交座標 Xi, Yj and Zk で規定する。この座標上で、光の軌跡は直線となり、速度は光速度の一定値となる。光源S(t) が座標原点O(時刻t=0 )で、単位ベクトル nc の方向に光パルスを放射した。光源 S(t) は単位ベクトル ns の方向に速度 V で運動している。

時間 t で光と光源の位置ベクトルは(1)式で示される。

光と光源の空間軌跡の間には単位ベクトルのスカラー積によって、 θ=cos^-1^(nc・ns) の角度がある。さて、光源からの光パルスは光速度で時刻tでは P(t) 点に到達している。さて光源に観測者が居て、その放射パルスの位置 P(t) 点をどのように認識するか。その空間距離は r となる。

その距離は(2)式となる。その距離 r は光源から見た光の時間 t で進んだ距離と見做される。時間で割ればそれは光の相対速度となり。

(3)式となる。この式の意味は、光源から光が放射された瞬間から光源の運動や、観測者の運動には一切関わりなく光規定空間で光速度一定の速度で伝播することを示す。その光と時間と距離の関係は全く普通の相対関係にあることを意味したものであり、決して特殊な関係は無いという意味である。

そこには運動体上の観測者と光の速度の認識の基本問題が存在する。もし角度が、θ=π とすれば、観測者と光のパルス間の距離は相対的に光速度と観測者の速度との加算となる。

光の相対速度 cr

相対速度 cr (3)式。光が相対速度に関して、特殊な意味など持っていない。

むすび

光はすべてのものに平等である事をその基準としている筈だ。科学理論においても特権階級の席は作らない。

(2021/01/27)追記。光の速度と空間特性 (2011/05/22)の記事のファイルを書き換えたものである。この光の相対速度の解釈に至る道のりは、『静電界は磁界を伴う』の実験結果に対する確信を得るに越えなければならなかった余りにの大きな「特殊相対性理論」の壁があった。この光の相対性の解釈は、1991年1月から2月に掛けて纏めたものである。

光と空間

晴れた朝は陽が眩しい。太陽が遥か遠くから光を届けてくれるからだ。この世界の元締めとして、すべての命を司っている。

寒い冷気の中でも、お日様の陽を浴びれば心まで温かくなる。

陽を受けると何故暖かくなるのだろうか。8分も前に太陽から旅立って、冷たい真空の空間を旅してきたのに、それでも暖かい。世界・宇宙のすべてを司る根源の光の実体を。光は一種の電磁波だなどと迷解答で逃げないでほしい。それでは電磁波は何故暖かいのですか。光の振動数が温かさの原因になるからですか?何が振動しているのですか。電界と磁界ですか?電界とは何ですか?磁界とは何ですか?例えば植物の光合成に電磁波の意味が必要ですか。光合成には、ただ光のエネルギーだけで何も電磁波などでなくて良いのではないですか。本当に自分の心で納得しているのですか?お日様に当たると暖かい訳を説明してほしい。光が衣服に当たるとその速度はどうなるのですか。その時光は何になるのですか。どのような物理現象を起こすのですか。振動数が熱に変化するのですか。科学理論は広く自然現象をより少ない基本から総合的に解釈できるものでなければならない筈でしょう。細分化された現代科学研究を統一した自然の本源から見る易しい科学論の提示が欠かせないと考える。なんといっても自然は易しく、純粋であるからこそ、多様性に富み不思議と謎の姿を現す。

光の結節点

電気回路現象と光の伝播現象が同じ物理現象に観えてきた。空間定数とエネルギー伝播現象で取り上げた図である。分布定数回路の定在波や伝送線路の負荷端でのエネルギー反射現象など、すべてエネルギーの伝播空間での伝播媒体の境界での現象が重要な基本的意味を持っていると考えるに至った。光の様々な現象もその媒体の空間特性がその物理的本質を担っていると考えざるを得ない。その境界点・面を光の結節点とした。

特別高価な実験装置もなく、精々レンズ程度で他に観測装置もなく、自分の眼球と周りの景色から感じ取る感覚だけから光の世界を覗いて、そこに描ける姿を表現しよう。

横道にずれるが、実は昨日、眼球の光ファイバーと色覚 (2010/11/28) に追記した。ご専門の皆さんは、人の眼球機能をカメラと同じ原理でご理解なさっておられるようです。網膜に視界を捉える機能の細胞が有ると。眼球構造の網膜は球面をなしています。カメラで球面構造に焦点を結ぶ光学的光路が物理的に可能とは理解できないのです。人は水中に潜ると、ゴーグルなどで目の角膜と空気層の境界を作らないと視界は見えない。光の所謂結節点の問題です。眼球内の水晶体と硝子体液の媒体間の光の屈折現象の光学問題として考えた時、どう考えても凹球面網膜に焦点を結ぶとは考えられない。それと、黄斑の点々が眼底検査で何故観測されるかの説明が無ければならない筈と思う。硝子体管のファイバー断面と考えた最初の理由がそれである。眼球型カメラを取り上げて考えた。

光の結節点の具体例は屈折現象であろう。

光の伝播現象は光エネルギー密度波の縦波が伝播する空間媒体の物理的空間特性に掛かっていると考える。空間をどのような物理特性として解釈するかがまず明確でなければならない。微細の空間構造物質の原子・分子特性を論じる前に、巨視的な捉え方で解釈したい。電気回路に関係付けた空間定数に誘電率εoと透磁率μoがある。真空空間が単位長さ当たり、インダクタンスと静電容量の空間定数を持っていると解釈する手法である。空間にコイルやコンデンサがある訳ではないのに、何故そのように空間特性を解釈すると電気回路現象と光の空間伝播現象が統一的に捉えられるかが不思議であるが、実際の技術的解釈に都合よく合致している。

屈折現象 

屈折はエネルギーの減速 空気中でガラス板を通した光の屈折現象を考えてみる。屈折の解釈にはホイヘンスの原理がある。ガラスの空間定数をμ[H/m]とε[[F/]とする。プリズムでは、光が分光する。その訳は何だろう。虹ができる。その訳は何だろう。光の波長とは何の長さの事か。光の空間像を現代物理学理論ではどのように捉えているのか。振動数や波長を空間的な像で捉えているのだろうか。振動数がエネルギーを表すとはどの様な意味で解釈するのだろうか。物に電界と磁界のバイブレーションで作用するというのだろうか。実際は誰も理解できないと疑問を抱かずに、みんな納得出来ている事がとても不思議だ。振動数で温かくなる訳をどのように理解しているのでしょうか。誰も質問しない訳は何だろうか。現代物理学理論様にお尋ねいたします。プリズムの分光は何が原因か。波長によって速度が違うからである。光の波長とはエネルギー空間密度の縦波の波長である。垂直に入射した場合は、分光が起きているとは見えないだろう。しかし入射が垂直から傾くと、波長の短いエネルギー密度が高い程媒体内での速度が減速する。伝播定数γ= √(με) [s/m] がエネルギーの波頭値密度が大きい程、μがその流れに抵抗する作用が強く効くからと考えたい。なお、誘電率εが高くなるからエネルギー吸収で減速に強く効く(推論)。 

レンズの屈折

レンズと光路 レンズも光エネルギーの伝播空間の空間特性を透磁率と誘電率で評価する。空気との境界での結節点で起きる屈折現象はその空間特性の差による。レンズは誘電率が大きいが透磁率は空気と同じ程度とみられよう。

むすび

電気回路の現象が電気工学の技術理論ではとても便利に分かり易い理論に完成されている。電圧と電流と言う技術概念によって初歩の回路解析理論が習得しやすく完成している。しかし、その理論も厳密に解釈しようとすれば、自然現象の本源からは離れた技術理論になっている。自然には『電荷』や『電子』などと言うものが実在する訳ではない。それらは人が自然現象を理解しやすく簡便に作り上げた解釈概念でしかない。結局電線路もその導線の間の空間を光と同じエネルギーの密度波が光速度で流れているだけなのである。そんな途轍もない光の速度で流れるエネルギーを感覚的には捉え難いであろう。しかし、科学技術理論と自然現象の関係を知ることがこれまた極めて大切なことである。間違った理論に染まらないためにも、より単純な自然の姿の本質を理解した上で、高度な解釈技術論を学習することが大切なのであろう。まだまだ自然の本質など、余りにもその純粋さが故に不思議の世界としか見えない。せめて、光のエネルギーとはどの様な空間像か、振動数とはどの様な意味かを理解してほしい。また、決してそのエネルギーの姿を科学的手法で観測は出来ない科学技術の限界も知ってほしい。光量子空間像(D線) (2019/05/03)。

プランク定数の概念

光とは何か 

光の物理的意味をどのように理解するか。光を振動数や電磁波の横波で論じていてはその本質を理解できない筈だ。光は粒子であり、波動であると言われる。確かに粒子のような性質で解釈できる現象を示し、また波動であると解釈できる現象をも示すであろう。その粒子性と波動性の両方を備えた光の空間像を空間エネルギー分布像 光とは何か?-光量子像-として提唱した。また、光の物理的特性はプランクの定数h[Js]によって決定的に特徴づけられる意味が分かっている。すべての光がプランク定数hによってそのエネルギーの評価が出来るという画期的発見に支えられて、光の特性を理解できると考えてよい。(2020/07/16)追記。ここに述べたエネルギーの評価ができるという意味について少し書き加えておく。このエネルギーの評価とは、光のエネルギーが計量できるという意味ではない。ある波長の光の単位量子の物性に作用する力の意味を評価するに極めて有効な捉え方であるという意味である。しかしエネルギー量を評価できるものではない。その波長の光の作用性としての概念で特段の意義がある。

光とプランク定数

光を述べる教科書には必ずプランク定数が登場する。プランク定数がどれ程重要であるかは、教科書をみれば良く分かる。ところが、物理学での光は振動数で解釈されている。光に振動する物理的実体など全く無いと考える筆者には、その振動数という意味が理解できない。改めて、振動数とは何を意味しているかをエネルギーの縦波との関係で解釈したい。合わせてプランク定数の物理的意味を光エネルギーの空間像との関係でもう一度示しておきたい。

光の空間エネルギー像

光は空間エネルギー分布波の縦波の連続波である。その事は実験で証明できない空間エネルギー密度波での解釈であれば、科学論として受け入れられないかもしれない。しかし、最初から光を振動数で解釈する物理学理論に疑問を持っていた。『エネルギー』に対する電気技術感覚からの違和感であった#脚注(1)。

光の物理的最小単位

光は空間を光速度で伝播する物理的実体である。空間内にある体積を占有する物理量実体である。その実体をどのように認識するかが問われていると考える。光を振動数で解釈するのであれば、光の何が振動しているかを明確に示さなければならない筈だ。筆者は光の実体として、振動数に変えて空間エネルギー分布の最小単位εの連続の縦波で解釈する考え方を提唱したい。

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物理的最小単位

表現式ε=hνには空間的な意味が観えない。しかし波長λで表現すれば、空間寸法内のエネルギー量と観ることが出来よう。波長λに因るその光の最小エネルギー量を物理的最小単位εと解釈する。その光の最小単位が占める空間寸法をどのように解釈するかの問題は残るが、波長λに関係付けた体積と考えて良いだろう。このエネルギー量の ε[J]が波長λの空間長さ内に一塊りとしてある分布形を成す物理的実体と看做す。全く質量の無い空間エネルギーの実在体。このエネルギー感覚が物理学理論・概念には無いように思う。その認識が理解されるかの問題と思う。

波長について(2018/09/04)追記

今まで、光の波長λ[m]について無意識にエネルギー分布波の繰り返しの波長として取り扱って来た。その波長は標準的な正弦波の波長とは異なる。一般には正弦波の一サイクルを1波長と定義している。正弦波の一サイクルはエネルギー波で見れば二つのエネルギー波から成り、エネルギー波の2波長分となる。例えば正弦波50[Hz]の電圧波ではエネルギーの波100[Hz]となる。従って電磁波の周波数および波長に対して、エネルギー分布波の周波数は2倍、波長は二分の一の長さとなる。光の物理的実験の経験が無いから実際の光の波長観測の意味は分からない。この事から、振動数νと波長λについての意味もエネルギー波で全て評価して来たので、一般的な定義と異なることを指摘させて頂きたい。

光量子空間像と概念

光の正体で示した図である。(2018/09/03)追記。この光量子空間像の表現には波長とエネルギー分布波形で、波頭値の意味が分かり難い。波長との関係を次の図で示す。

波長とエネルギー分布模様

大よその波長比較として、4つの波長のエネルギー分布を取上げてその模様を描いた。その光の先頭値である波頭値の比較を(波頭値比較)として図の左側に描いた。光の波長で、その作用の強さが異なる訳は周波数の高い程エネルギー分布の波頭値密度が高いからだと解釈する。その波形分布式を次に示す。

光の空間像 

光のエネルギー分布波形を時間を止めた瞬間でのエネルギー分布波形の一つの表現式である。この波頭値Hλ[J/㎥]が波長の4乗に反比例する場合の式である。この表現式はエネルギー分布が進行方向に均等分布平面波との一つの条件での式であり、条件で変わる筈である。光のエネルギー分布の軸性(光の偏光に関係すると考える)は考慮していない波形である。

  プランク定数の物理的概念

光の最小エネルギー単位εの空間寸法λは空間を通過する時間の周期τで置き換えられる。すべての光はその最小エネルギー単位εとその空間通過時間の周期τとの積が一定であるというプランク定数の物理的意味を持っている。特別目新しい内容は無いが、プランク定数の物理的意味は光の空間エネルギー分布形態で解釈する処にあると言えよう。

 

#脚注(1)

  • 金澤:物理学が問われていること 日本物理学会講演概要集 第55巻2号2分冊310頁(2000)
  • 金澤:プランク定数の次元と実在概念 同上 56-1-2、p.310. (2001)

白熱電球のエネルギー変換原理は?

(2020/06/11) 追記。Friction heat and Compass (2020/03/22) で熱と磁気の話題および『静電界は磁界を伴う』の意味を載せた。

(2020/5/14)追記。先日抵抗体の『エネルギー』の処理機能について、一つの結論を示した。電気回路要素の『エネルギー』処理機能 (2020/4/12) で『エネルギー』の吸収と空間放射の機能を内部空間構造特性(LとCの空間構造)からの認識で示した。さらに、『エネルギーギャップ』と電圧の物理的解釈についても、電気回路分布定数との統一論として論じる予定だ。決して『電子』では電磁気現象の『エネルギー』に関する物理的解釈の矛盾は取り除けない。

電気物理とはどのような内容を指すかと考えた。電気磁気学は電気技術論であり、電気現象と言う自然現象の本質を捉えた内容ではない。エジソンの発明として有名な白熱電球の発光現象はどのような物理現象と捉えるべきか?それは電気物理になろう。電気抵抗の単位『Ω』とはどのような概念なのかを知らなければならない。白熱電球の原理はタングステン(W)フィラメントの二重コイルにある。

フィラメントの物理概念。 白熱電球はタングステンのコイルを真空の中にガラスで囲み電気エネルギーを供給して、光源とする最も初期の電気技術製品である。灯りが油を足さないでも出来る画期的な発明であった。そんな白熱電球の技術を物理現象としてどのように捉えれば良いかは教育的にはとても大切な意味を持っている。

二重コイルと熱エネルギー。 何も量子力学を持ちださなくても白熱電球の原理くらいは解釈できなければならないだろう。木炭に電気を通せば光を発する。電気式木炭暖房。同じ様に焚火と蝋燭 (2013/02/03) がある。フィラメントも空気中だと燃焼するから、真空のガラス容器に封じ込めた。それでも寿命がある。幸いタングステンと言うとても熱に強い材料があった為に白熱電球が長く照明の役割を果たしてきた。フィラメントは二重コイル構造で出来ている。効率良く発光させるための技術である。原理は電熱器と同じである。抵抗体に電気エネルギーを供給するのであり、その貯蔵エネルギー量が大きくなると高温度になり遂には光変換・放射現象に進む。電線をコイル状に巻けば、電気エネルギーを貯蔵する機能のインダクタンスになる。フィラメントと巻数、形状を同じように二重コイルにして電源に繋いだらどんな現象が起きるかこっそり隠れて試してみたい。タングステンで巻けば抵抗で、導線で巻けばインダクタンスとは言えないのじゃないか。抵抗回路要素にはオームの法則と言う立派な技術法則があり、電気現象はその法則で良く解析し、理解できる。抵抗の単位が[Ω]である。その意味を考えた記事『オームの法則』-物理学解剖論ーがある。白熱電球と言う立派な電気製品の物理現象を確認したいのである。抵抗は電気エネルギーを熱に変換する機能を持っている。白熱電球のフィラメントも抵抗で、電気エネルギーを熱エネルギーに変換するのが基本原理である。更にその熱エネルギーに変換すると同時に光に変換する現象を備えているのである。さてここで、熱エネルギーと光エネルギーの違いを現代物理学理論ではどのように捉えているのかを明確に確認して置かなければならない。この場合も質量は全く必要としない筈である。『電気エネルギー』→『熱エネルギー』→『光エネルギー』の変換の過程を物理学理論でどのように解釈するかを知りたい。このエネルギーの間に違いが有るか、無いか。 (2018/03/26)追記、質量は全く必要としないと言うのは間違いである。『光エネルギー』も光になる前は『熱エネルギー』であったとも言える。その『熱エネルギー』は物体の質量体に捉えられた自由を束縛された状態の「エネルギー」と観るべきかもしれない。更に『電気エネルギー』も電気回路要素の構造体や電線路導体に因って束縛された空間内での光速度伝送特性の『エネルギー』であると言える。だから質量を必要としないと言う表現は正しくは無い。ただし、『運動エネルギー』や『位置エネルギー』のような『質量』に付随したと言う意味での質量と言う意味ではない事を指摘しておきたかったのである。その上で、これら三つの『エネルギー』の間に違いがあるだろうかと尋ねているのである。出来たら実在しない『電荷』等は理論に使わないで示して欲しい。

二十世紀の科学理論と二十一世紀の教育の未来。 過去100年間の科学技術の進展と、唱えられた科学理論が互いに合理的で整合性のとれた関係にあったかが問われていると思う。確かに自然世界の華やかな多様性を見れば、その複雑な原則を説き明かそうと細分化した視点での科学研究が時代の流れとなる背景・要請にあるのも事実である。しかし、教育の場ではもっと根源的で、広く応用の解釈に広がる根本的な自然現象の根底にある眞髄を考えさせるべきではなかろうか。そこには『エネルギー』の実在性を如何に理解させるかが要となろう。『熱』の正体 (2014/5/15)にも述べた熱エネルギーが質量運動や電荷との関係なしに、実在する物理量であると。

光の正体

光とは何か? 光ほど日常に関わる物理量は無かろう。しかしその正体は何かと問わずにいられない程理解困難なものも無いかも知れない。検索で、光とは何かと尋ねると多くの記事がある。光を見ているのに、その正体を見ることはできないからであろう。光は眼の前の空間に満ち溢れている。しかし光は直進するから、眼に入る光は眼と対象の各点とを結ぶ直線の一筋の光路の光のみである。対象の各点からは四方へ光が放射されている。しかし各点からの一筋の光のみを受け入れるから、景色の全風景を見る事が出来る。光の基本の特性は直進性である。ただし光の進行を妨げる様な障害物が無い限りにおいて。衝立の端に掛れば光の分布エネルギーに作用して、光の直進性が影響を受け回折する。

光の空間概念 簡略な表現で表せば、エネルギーの衝撃波と看做せる。雷の衝撃波が指数関数形状として捉えられている。自然は基本的に単純な統一性で捉えられよう。雷は空間の貯蔵エネルギーの爆発現象と観る。光の放射もエネルギーの放射現象に因る。初めに光の基本概念を提示し、以下で論じたい。

光の基本的特徴 1.粒子性と波動性 2.光の色調の意味 3.光の振動数と空間像 4.偏光性 5. 空間定数と相対光速度 の五つを話題にしたい。

  1. 粒子性と波動性 光の特徴はその正体を確認するに、粒子としての性質と波としての性質の二つが現れる。しかし、それはどこかで解釈の仕方あるいは観測の手法に因る観方に表面的な捉え方で満足しているからと思わなければならない。二つの異なる性質で解釈しなければならないのは、解釈する側の考え方に不十分な点があるからであろう。同じ光を粒子か波動かで観方を変えなければならないのは、その観方の解釈の根本に深い考察の不十分な点があるからではなかろうか。即ち粒子性とか波動性とかの一方の特性で捉える観方に解釈上の混乱があるのではなかろうか。光は常に両方の特性を持っているとしたらどのような物と考えるべきかの問題ではなかろうか。粒子とは質量の特徴的な運動エネルギーを持つ性質が見られるからとなろうか。波動とは電磁波の横波と看做す解釈に似た特徴的な現象・作用を持っているからであろう。電磁現象の波動を物理学では縦波としては見ないようだ。その粒子性と波動性の両方の特性を兼ね備えた光とはどのような物理量か、どのような観方が出来るかと考えることが必要ではなかろうか。以上がこの問題点であろう。
  2. 光の色調の意味 光は周波数でその特性を比較する解釈法が常識であろう。光に本来色がある訳ではないが、風景や物には異なった色があるように観察される。それは観測する主体と観測される対象との間の世界の仕組みに因るからだと簡単には考えて置いて良かろう。光には基本的に決まった色など無いと考えるべきだ。一つの光もそのまま変わらない訳でなく、どのようにも変化するのである。光はその周波数が変化する本性を備えている。光の周波数は放射源とその環境条件で変化するのだ。光と対象との相互干渉で周波数は決まる。一つの具体例を挙げておこう。白熱電球を考えてみよう。タングステンフィラメントで50,60ヘルツの商用電気から可視光線の光の周波数領域に変換をして利用しているではありませんか。これがこの問題点である。
  3. 光の振動数と空間像 プランクの定数が光の物理的評価・解釈に欠かせない。それは光の振動数・周波数によって評価する手法の基本になっている。先ずプランクの定数の意味をどのように理解するかであろう。その次元がエネルギー量と時間の積であると言う意味をどのような物理概念として捉えるかではなかろうか。h[Js]である。このエネルギー量のジュール[J]とは何を指すと考えるか。更に時間[s]はどんな時間を含意していると考えるか。そのエネルギーと時間の積が定数であるとはどんな意味と解釈するか。その辺が重要な物理的意味合いを知る手掛かりとなろう。
  4. 偏光性 光を薄膜に通すと入射光と透過光の間に特徴的な変化が見られる。場合によっては入射光が透過できない光遮断現象も起こる。それらの現象は偏光と言われる。何故光に偏光が起こるかは光の正体を解釈する大事な性質と看做せよう。光の空間像の捉え方に影響する意味と看做す。
  5. 空間定数と相対光速度 光の伝播特性の認識の問題がある。光が伝播するのは空間である。光の速度は世界の最高速度で、光速度一定で理解している。その光速度一定とはどの空間に対して定義するのかが明確でなければならない。その光が一定で伝播する空間が規定・定義されれば、その空間に対して運動する光の観測者にとっては、必ず光との間に相対性が存在する。『特殊相対性理論』はその光と観測者の間の相対性を否定する理論である。その問題の考察が必要であろう。光速度一定であるが故に相対光速度に成る。

光の正体 上に挙げた五つの観点から光の正体を解剖しよう。見ているが見えない物の代表が光のエネルギーである。ものの姿容は光を通して認識出来る。世界を理解する事は必ずその世界の中からエネルギーを取り込むことで初めて可能になる。青空に一つの白い雲が浮かんでいる。白い雲から光が放射されている。その光は雲の各点から無限の光エネルギーが放射されている。その内の各点からの一筋の光路のエネルギーの波の総体像が眼に入る。その眼への入射光のエネルギーを取り込むから雲の姿容が認識出来る。電気回路に電圧計を繋いでその電圧値を知る事は電気回路から電圧計に線路のエネルギーの一部を取り込む事によってはじめて電圧を計る事が出来る。見る雲の色が白いと分かるのは、その色を白い色と学習して色彩の評価の常識に従って理解しているからでしかない。それは何も考える必要の無い、自然と人の感覚に因る世界認識の「生命の機能」である。光を自然科学的解釈で捉えるかあるいは日常生活感覚で捉えるかで観方も変わって来るのではなかろうか。自然科学論的理解が優れていると一概に言えるかどうかも分からない。それでもその訳を知りたいと思えば、それは無理だと青空に笑われる。青と白から一先ず青空と白い雲に退散する(青空の色は太陽光線の紫外線、γ線など遠紫外線が原因と観る)。さて、光とは何かと尋ねても余りにも日常的な生活そのものにまつわるものであるから捉えようがない。光の正体を突き止めようとすれば、光の呈する色の違いの訳は何かと考える事から始めるしかないのかも知れない。光はすべて太陽が有っての事から始まる。発電で電気エネルギーを得るにも太陽のエネルギーが地球に蓄えられたから使えるのだ。石油資源や核燃料としてすべて太陽によって育てられた地球の辿り尋ねるも困難な古い昔の生命・動植物が元に成っている。光が世界の全ての基であると言う意味で。光の基本的特徴を五つの観点からまとめようと思うが、過去の記事の整理とかねて追記として順次論じたい(2018/01/26 公開)。

粒子性と波動性 光の基本認識で、粒子性と波動性と言う二つの観方でなく、一つの捉え方でなければならない。満足する光の基本特性は空間エネルギー密度分布波の縦波以外なかろう。しかし、物理学理論に「空間エネルギー」と言う物理量や概念があるかと言う誠に困った問題がある。考えてみると粒子と言うが、粒子性と言う意味はどのような光の性質を捉えた用語なのかわ分からない。コンプトン散乱現象がその論拠には挙がっている。誠に特殊な物理学実験室での特殊性に注目した実験結果をその論拠にしているように思える。デジタルカメラの撮像理論に応用されていると解説がある。カメラ技術はそんな理論などには無関係に技術開発されている筈だ。光電子が飛び出して云々と言う解釈も、それはそれで一つの理論と言えば理論に成るが、光電子がどのような物かは誰も証明も観察できない。光電子の質量と電荷がどのような物理量として認識するかは意味不明で、曖昧な筈である。光電子などでなくて、エネルギー即ち空間エネルギーであっても何ら困らない筈だ。光電子でなくて光エネルギーの散乱現象で少しも困らない筈だ。光が当たって光が放射される現象でしかない筈だ。この世界に電荷は無くてもエネルギーは実在する。太陽光線はエネルギーである。そこに電荷など必要が無い。光が空間エネルギーの縦波の波動であることは間違いないが、粒子である必要は全く無いのだ。この光の話に『電荷』概念を持ち込む事は論点を曖昧にするから止そう。しかし、空間エネルギーの存在を認識しないでは話が進まない。質量に無関係なエネルギー即ち空間エネルギーを物理学では認識しているかと言う根本的問題がある。

光の色調の意味 色の鮮やかさは動物・植物に際立っているように思う。雉、孔雀の羽根や玉虫、黄金虫更に揚羽蝶などに見る色合いはとても微妙な光を放っているようだ。日本の伝統工芸で、玉虫の厨子や螺鈿細工がある。玉虫の羽は厨子の細工模様に使われてもその輝きを失うことなく不思議な輝きを保っている。夜光貝や阿古屋貝の微妙な輝きは螺鈿細工にそのまま残っている。薄暗い中でも微かな光で輝くのだ。その輝く光はどんな波形の光の合成から作り出されるのだろうか。すべてその輝く対象からの放射光が奏でる色合いである。光の波長範囲でも可視光線は1000分の0.38mmから0.76mmの範囲である。1万分の数ミリと言う長さの光の空間寸法で光を捉える。その空間寸法と言う概念は空間エネルギーの寸法と言う解釈から来るものである。1万分の4ミリの波長の光は紫色であろう。1万分の7ミリの波長の光は赤色を呈するだろう。その光の長さと言う空間寸法は振動数と言う概念だけでは捉え切らない筈だ。光がエネルギーの空間分布波と言う捉え方をしなければならない。その一波長分でも光はエネルギーの塊である。その光に質量は必要がない。さて光の呈する色合いは、上の螺鈿細工に見る姿がどのような訳で演色されるかの解釈に負う事が出来よう。それは単純な波長では捉え切れないものであろう。複雑な波形が周期性を持って繰り返されることで創りだされているのだろう。合成波形の演色効果とでも言えよう。それは観測対象の物質の分子構造に因る空間格子模様が、その空間構造内でのエネルギー共振を生じ、そのエネルギー放射現象として造り出される光の合成波と言う感じがする。エネルギーの共振現象は電子レンジマグネトロンの空洞共振現象に似たものと言えよう。光エネルギーの共振空間をColor Cell と呼ぶ。過去の記事色の世界を尋ねてを整理せずに挙げたい。いつか書き換えたいが。

光の振動数と空間像 先ず光の振動数と言う用語の概念をどのように認識するかの問題があろう。何が振動すると言う意味なのか?エネルギーの縦波と捉えれば何も振動する実体は無い筈だ。光の特徴を振動数で捉える考え方が科学常識である。紫外線などのように、光の振動数が高くなれば作用力が強まる。その訳をどのように理解しているのだろうか。振動数が高いとは光のどのような働きとして作用すると考えるか。何か実体が分からないが、質量的な物が振動して対象物体に強く働くような想定で解釈しているように思える。しかも実験的には計測可能な振動数しか評価法がないから、光の振動数と言う概念が科学的論証には欠かせない訳である。そこにプランクの定数が光の量子性を表現するに極めて有効な概念を提示している訳である。その定数h[Js]と振動数ν[1/s]の積と言う極めて簡便な表現式 hν[J] が光の作用性の強いか弱いかを判断する実験的証明を果たしているからなのだろう。この式の意味をどのように解釈するか。振動数が何故光の作用性に効くのか。振動数νの逆数1/ν[s]は光の一波の波長分の時間である。光が対象に作用する時間t[s]はその作用性に対してどのような意味で捉えれば良いのか。時間の長さは作用性に影響するのか。長い時間光を照射してもその作用性には影響がないはずだ。エネルギーの照射量ではないと言うのが基本的特性であろう。おそらく光の一波長の分でも作用力が発揮される場合もあろう。振動数で評価する光の特性は1秒間の振動回数が意味を持っている訳ではなく、光の一波長分のエネルギー空間密度分布波形がその作用性の鍵を握っている。光量子とプランク定数の意味を図に表すと次のようになろう。

光量子空間像と概念(プランク定数の物理的意味) 光の作用性を振動数(1秒間に何個の光量子列の放射をするかの意味を振動数と言う用語で表現している)で評価する意味を図に示した。光量子1つが空間エネルギーの塊である。それが光量子のエネルギーε[J]である。その波長λ[m]の長さの空間に衝撃性のエネルギー密度分布を持っている。プランク定数h[Js]がどんな光に対しても定数の意味を持つと言う事は光量子一つのエネルギーεとその周期τ[s]の積が一定であると言う意味である。図の振動数が高い光量子ε2が空間領域の狭い範囲で高エネルギー密度の粒子性を持っていると言うことである。丁度弾丸のように破壊力・作用性が高いと解釈する。しかしこの解釈を実験的に証明する事は難しかろう。科学論と言うより哲学的と非難されるかもしれない。この光量子のエネルギーεの算出法は大よその意味を光とは何か?ー光量子像ー に示した。エネルギー波の波頭値H[J/m^3^]がその光量子の作用性に影響する。

(2021/04/26)追記。プランク定数の概念 (2018/07/17) 。光量子空間像(D線) (2019/05/03) 。

偏光性 この偏光性も光の空間エネルギー分布波形に関係している。偏光板が伸展される薄膜の方向性に関係しているようでもある。光が透過する薄膜の分子の格子構造と光エネルギーの極性の関係が直交するか平行かで左右されるのではないかと思う。後日図で示したい。

空間定数と相対光速度 現代物理学が抱えた重い課題がある。『光速度一定』と言う意味は明確であるか?光速度と言うが、それはどのような伝播空間座標に対して定義したものであるか。光の観測者と光の伝播速度を定義する空間との間には常に相対関係が存在する。観測者が光の伝播空間と定義する空間座標に対して運動していない場合以外は、光の観測は必ず相対関係にある。その立場はレーマーの光速度算定実験の解釈を正しいとして理解する立場である。アインシュタインの『特殊相対性理論』の立場に立つか、レーマーの立場に立つかのどちらかで、光の光速度一定と言う認識がまるで違ってくる。まず、光の伝播する空間の媒体特性が光の速度を決めると観て良かろう。真空、水中、空気中あるいはガラスとその伝播媒体の特性で光の速度は決まる。電気回路でも同軸ケーブルなどではその充填される絶縁体で電気エネルギーの伝播速度は殆ど決まろう。さらに光でもその周波数で光速度一定ではない。プリズムの原理はそのガラスの特性が光の周波数に対して異なる事が基になっている。光速度が周波数で異なるのだ。地球の表面での光伝播特性は地表や上空の電離層の影響を受けやすいだろう。それでもある基準の周波数を決めて、その伝播速度・光速度を光の速度を定義できる基準空間でどうであるかを論議する事は出来よう。地球の運動と光の光速度の関係をマイケルソン・モリーの着眼点に立って論議する必要がある。『光速度一定』と言う意味は、その定義する空間が明確でなければ論議できない筈だ。光は放射源から放射された場合に、その放射源の運動の影響を受けると考えるか否かも明確にしておかなければならない。放射源の運動速度の影響は全く受けない事を前提にしなければ、議論は不可能だ。『光速度一定』と『光速度不変』の意味から明確にしなければならない。光の速度は一般的には変化するものと解釈しなければならない。決して速度不変ではない。それは光速度一定と言う事にも同じことである。伝播媒体の空間定数に従って光は伝播する掟にある。厳密に論議するには真空空間しか論議する場は無い。(a)『光速度一定』、『光速度不変』の定義空間。(b)光のドップラー効果。(c)光の伝達時間。(d)空間・時間概念。に分けて考えてみようか。

(a)『光速度一定』、『光速度不変』の定義空間 一般に速度と言えば必ずその基準が明確である。100m競争の記録が9秒幾らと注目される。その時は地球がどの方向に回転していようが全く無関係に競技のトラックが基準である。しかし光の速度と言えば、そう簡単には行かない。どのような空間基準に対して光速度が秒速30万キロメートルと言うかが明確でなければならない。光の速度はその伝播空間の掟に従う筈だ。すべての物には速度が幾らと言う意味が付いている。地球は太陽に対して相対的な回転速度を持っている。星空の観測をする時、そこには少なくとも3つの速度が関係している。観測対象の星の速度、光の速度そして観測者の速度である。『光速度一定』と定義基準空間 星空を見上げれば、有名な星座はその形に時が経っても変わりは無いようだ。億年単位でも変わりないとは信じられないのだが。図に描いた星からの光を観測する。今観測する光はどのような空間を辿って来たのかその一筋の光路が描く筋道を認識できるかの問題がある。見ている星は既にその位置には無い筈だ。光が直進すると言う意味をどう解釈するか。その光の辿った一筋の直線を描く空間が実在する。その空間は光がどのような方向に伝播しようと直線が描かれる。そのように定義する空間が存在すると考えるかどうかの問題であろう。その空間に対して、星やその観測者は速度を持つ。その空間ベクトルをVsVe とした。その速度を定義する空間の存在を認識するかどうかに掛ってこよう。その空間が認識出来れば、その空間こそ光の伝播する定義基準空間となる。星から放射されて観測者に届くまでの時間の長さは、その定義空間で過去の星の位置と今観測している観測点間の直線距離の長さを光速度で除した長さの時間となる。この空間と時間の関係には空間歪みも無ければ、時間の短縮も無い。空間に対する光の速度が極めて高速であると言うだけのことで、普通の運動力学のままで『特殊相対性』など全く無いのである。ただ問題は観測者自身が如何なる速度であるかを知り得ないというジレンマにある。我々は太陽に対しての相対的回転、自転の運動速度である。しかし太陽の速度が光規定空間に対して如何なるかを知り得ないから結局自分の速度を明確には知り得ない。更にもう一つ指摘して置かなければならない事がある。それは観測する光の周波数・波長は一般的に変化する事である。観測者が定義基準空間に対して速度を持って居れば、必ず光の速度との間で相対速度の観測になるからである。(b)光のドップラー効果および(c) (d)については過去の記事 光の速度と空間特性 (2011/05/22) を光の相対速度と空間 (2020/06/08) に書き換えて、例題も挙げて述べてあるので、ここで一先ず区切りとする。

ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾

(2021/06/07)。今日「地磁気逆転」と言う地球科学の説がある事を知った。「地球全史」の p.172 に地球磁場は数十万年ごとに1回の頻度で南北逆転を繰り返している。地磁気はまさにこの記事のファラディー電磁誘導則とアンペア周回積分則の電磁気現象の物理学理論によって捉えられる解釈と思う。『地球磁気』の物理学的発生原因の原理は磁気の問題と思う。地磁気逆転が起きるとすれば、少なくともそれは地球の自転が逆回転をしたことを意味する事に成る。そんな恐ろしい事が起こる訳はない。

自然世界は不思議に満ちている。それ以上に人間世界は不可思議に満ちている。今、現代社会は情報通信を始め、科学技術に支配された世界を人は生きている。その科学技術を支えている基本原理を『物理学』と言う学問として学び、その真髄に迫ろうと皆努めてきた。にも拘らず、その学問『物理学』に疑問を抱き、その矛盾を指摘してきた。私は世界の姿の奥底にはとても信じられない『矛盾・虚偽』が隠されている事を確信せざるを得ない状況に至ってしまった。『電気磁気学』は『物理学』の1つの分野であるが、その一握りの事柄が「現代物理学」の根幹を揺るがす事にまでなるとは信じられない。原子理論はじめ全ての基の『電子電荷』を考えた事が始まりであった。『電子が動くと何故磁界が発生するか?』が始まりであった。今まで、『電流計は何を計るか』『磁界・磁気概念の本質』に述べてきたことである。それを物理学の教育と言う面から、「教科書」の中身を考えてみたい。

『ファラディの電磁誘導則』も『アンペアの周回積分則』も共に技術法則としてはこの上なく有用な法則である。慣れ親しむ程捨てにくくなる。しかし物理学的にはその論理性から見れば、欠陥に満ちている。磁束概念そのものの矛盾と、更に電流による磁束発生論理の矛盾を指摘したい。挿入ファイル6枚によって説明したい。先ず①で、教科書の説明を取り上げて、その矛盾を示す。コイルの傍で磁石を動かせばコイルに電圧が誘導される。その解釈に磁束鎖交で説明する事が論理的に間違っている。これは変圧器の解釈でも同じことである。

磁場空間における、規定条件     div B = 0  に従えば、磁束表現が矛盾なのである。

 

 

 

 

 

上の二つの図が見れない。何方の権限で、筆者の投稿記事内容を削除するのか?多分間違っているとの解釈で、消したものと思う。

やはり再度載せて説明した方が良かろう。

正しく教科書の解説と同じだろう。その磁束概念を矛盾と決めつけては、容認できないのだろう。ファラディー電磁誘導則は磁束での解釈を唱えたところにその価値が在るのだ。しかし、その磁束とは何かと物理学理論で明快にその空間像を示しているかと問わなければならない。磁束と言う線束は太さを空間的に持つか?磁石から延びる磁束の先端はその空間にどのような意味を示すのか?磁束の先端とはどの様な意味か?その先端の先が無く途切れているのか?途切れた矢のような先端が何故生じるかの訳を説明できなければ、矢印で表現できる磁束は論理的に描けない筈だ。磁束に先端が無ければコイルに鎖交する磁束が増加する論理は成り立たない筈だ。『div B=0 』と言う磁束の意味は磁束は矢印で表現できない事を述べた数学的論理式だ。磁束が存在すると仮定すればその磁束は発生源も終端も無い。即ち矢のような先頭と尻尾の表現はできない、リングの意味だ。マジックではリングをリングに嚙合わせる術が有るが。科学理論でそのマジックは使えない筈だ。

この図も、①図と同じく磁束概念はリング状の閉じたもので、矢の先端や尾を認識できない意味から、同じ物理的矛盾を抱えた解釈である。技術的簡便な表現と自然世界の実在物理概念との認識は異なるものであるとの論理性を大切にすべきだ。あくまでも磁束の矢印表現は出来ないのだ。

なお変圧器も二つの巻き線間で伝送するものは、その巻き線空間内の『エネルギー』の空間伝送がその原理なのだ。空間の光と同じ巻き線空間の『エネルギー』の流れなのだ。

(2021/06/06)以上追記。

その点は後で説明する事にして、変圧器の技術的解釈で、磁束が電流によって発生すると言うことは間違いである。図版②の1次コイルに印加する電圧e1および2次コイルの起電力e2における式がそれぞれファラディの誘導起電力の法則を表現したものである。その式は磁束φと電圧eの関係を表しているが、電流は含まれていない。その起電力の式を書き換えれば、図版③に示す通り、磁束は『電圧時間積分』として決まることを表している。この事はコイルのインダクタンスに対する電流の解釈も改めなければならない。直流電流に対しても、コイルに印加された初期過渡電圧の時間積分値として磁束量が決定されると解釈しなければならない。この『電圧時間積分』と言う解釈は電力技術の分野では当たり前のことであるが、電気理論の教科書では目新しい事であろうと思う。そこで、家庭電器の中に普通に取り入れられている「インバーター」を取り上げて、『電圧時間積分』を説明しておきたい。トランジスターとダイオードで一つのスイッチを構成し、4つのスイッチA,B,CおよびDの切り替えで直流電圧 E ボルトの方形波交流電圧を作る。その負荷の変圧器の磁束波形は一定直流電圧の時間積分として、一定勾配の直線状に増加する磁束波形φとなる。その磁束を発生すると解釈している「励磁電流 io」と言うものはほとんど変化せず、磁束の発生源とは言えないことを明確に示している。家庭用太陽光発電設備なども、このインバーター動作が基本技術として応用されている事を考えて、そのスイッチの動作モードも波形の下に示しておきます。インバータの電圧eが正の区間①は、スイッチAとDが「on」となる。次にスイッチの切り替えで、BとCが「on」する前に、AとDを「off」しなければならない。その時余分なサージエネルギーを逃がす必要がある。それが②区間のダイオードを通して直流電源にエネルギーを回生する。ダイオードの重要な役目である。その後③の区間に移行する。以上が「インバータ」の基本動作である。さて、今まで「磁束φ」そのものが矛盾概念であるという点を説明せずに来た。divB=0と言う磁場規定と磁束による電磁誘導の説明は論理的に整合性が成り立たない。その点について、図版⑤として纏めた。ファラディの電磁誘導則という電気磁気学の

基礎理論の根幹を成す「磁束」を論理性が無いと否定することは技術者として耐えられない思いでいる。しかし、そこを認めない限りは新しい『真理』に到達する未来を拓く事は出来ない。

自然科学と言う大きな学問の全ての基礎に成る物理概念は非の撃ちようの無い真の姿で捉えたい。無駄や間違いによる混乱を避ける近道になる。最後の図版⑥として、アンペアの周回積分則の矛盾を取り上げる。電流と磁場の関係は、国際度量衡会議の「電流原器」にも採用されていると思う。しかし、私にはその『フレミングの左手の法則』の測定値が正しいとは信じられない。そのことを図版⑥で示す。コイルに電流計を繋ぎ、その指示値が I アンペアとする。コイルの近傍で3箇所の磁気状態を考えてみよう。(イ)は直線状の導線部。(ロ)はコイルの内部。(ハ)はコイル側面の外部。それら各部の磁場状態がアンペアの法則通りであるかどうかを考えてみる。(イ)の電線周りの磁束は、元々無い訳なので測定出来ない。当然コイル内の磁束も測定できない。しかし、(イ)も(ロ)も、共にその近傍には『エネルギー』の流れが実在する。そのエネルギーを検出する時に、『電流計』もその測定器の一つである。磁石で検知する事もエネルギーの存在を或る一面で捉えているのである。さて、アンペアの周回積分則が『真』であるならば、コイル外側部(ハ)の磁場はどのようであろうか。コイルに流れる電流が磁場を作ると言うなら、(ハ)にも磁場が出来て当然である。しかし、そこには磁気、磁束は出来ないのである。コイル電線の傍で磁気が無いのは何故かと『問答』をしなければならない。結論は、電線の中に『電流』など流れていないのである。しかも電流の基が『電子』となれば、そんな電子が電線の中を流れたからと言って、電線の外に磁気を作りだす訳がありません。電子には磁性保有の特質は定義されていません。負の電荷と質量のみで定義されているのです。電子が電線内を直線状に運動したとしたら、金属の電線の外に、どのような訳で、磁場を作り出すと言うのでしょうか。空間で電子が加速されると、負の電荷に入る電気力線(電界)がどんな磁界を発生するのでしょうか。その解釈に疑問を抱いたのが『静電界は磁界を伴う』の実験的検証を実行した原点である。

アンペアの周回積分則 とは導線に流れる電流 I [A] とすると、その導線の周りの磁界を電線周りで一周積分を取ると、電線の電流値 I[A] に等しいと言う法則である。そんな電線周りの磁界を積分する実験的検証方法が有る訳で無い。しかし、昔の法則はどんなに新しい発見が有っても、古い法則は新しく正されることなく、教育の題材として大事に守られる。上のコイル外側部の場合で、その電線周りの積分を取ったら、どのように周回積分則が成り立つと言えるのだろうか。電流が流れ得ないのに、電線内を『電子』の『負の電荷』が流れて、導線外部に磁場を生じると言う極めて非論理的な解釈が、物理学世界を構築しているのである。『電荷』が導線内部に在って、その金属遮蔽に対して遮蔽の意味を無視した論理で、外部に磁界を創りだすという発想そのものが人間の論理と言う不思議な実情を示していると言わなければならない。科学論理の人間的奇妙な不思議さ、この法則を解剖してみると見えて来る。