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電池と電圧(エネルギーの実験)

大人のおもちゃのような実験をしてみた(2019/11/13)。専門家の決して考えない実験かも知れない。乾電池の乾電池による充電実験。変圧器の奇想天外診断 (2015/06/03) に似た思い付きの実験だ。

実験の目的と結果

乾電池のエネルギーの意味を電流や電荷概念に依らずに、空間伝送の意味でランプへのエネルギー供給を確認したかったのが本当の目的であった。乾電池はエネルギーの充電ができないだろうという思惑があった。残念ながら思惑外れで乾電池も充電されることが分かって、一寸がっかり。

実験の概要

先ず、電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (2019/11/14)で電気回路エネルギーと電圧との関係を具体例で解説しようと考えた。その過程で不図乾電池は充電できるのかと心配になった。早速実験で確かめることにした。初めに書いた通り充電可能であった結果で、思惑外れの失敗である。電荷概念否定あるいは電流否定の実験的検証にはならなかった。

実験回路と思惑

図1.に示した回路は電気回路の実験としては全く意味の分からないものであろう。同じ乾電池4個を3個と1個に分けて、差の電圧を豆電球にかける回路である。この回路を取り上げた訳は乾電池に充電作用が有るかどうかに疑問を抱いたからである。この回路構成で、一つの電池V1が充電せずにランプが点灯することを期待したのである。エネルギーが直接空間を伝送して、電池充電なしにランプだけ点灯となれば回路電流の解釈を否定できるかと思った。

 

図2.実験装置

図1.の回路構成を単3乾電池4個入りの電池ホルダーで作った。アルカリ乾電池4個と3V用豆電球(購入経費の費用891円也)で実験装置とした。

 

実験結果と考察

アルカリ乾電池はみんな同じかと思うが、どうも特性が同じくないように思った。V1用として使う電池で充電特性が異なるようだ。比較的早く電圧が高くなるものと、遅いものがある。充電の特性が異なる。

最初の実験。装置組み立て後すぐに回路でランプを点灯した。V1の電圧を計ったら、2.2[V]まで上がっていた。真逆(マサカ)とは思うが、破裂するかもしれないと少し危険を感じて中止した。数日後にまた同じ実験で電圧を計り、確認した。もうV1 の電圧が2.2[V]になるようなことはなかった。せいぜい1.7[V] 程度にしか充電しなかった。少しずつV1電池が充電され、電圧が上がっている様子は見られる。

スイッチSのon off による回路状態の違いの解釈。

スイッチoff

乾電池の負極側はエネルギーレベルが高い。スイッチと電池にそれぞれエネルギーギャップがある。負荷ランプにはそれが無く、電圧ゼロである。

スイッチ on

スイッチオンでランプにもエネルギーギャップが生じる。それが負荷端子電圧である。ここで、乾電池に充電はないかと予想したが、間違いであった。乾電池から乾電池にも充電でエネルギーが入射することが分かった。電池電圧V2のある割合でランプと電池V1 にエネルギーギャップが印加され、消費と充電が進行する。

考察

各電圧値はテスターで測定した。測定中にゆっくりと電圧値が変って行く。エネルギーの消費と同時に電池 V1 への充電が進む。総体的にはエネルギーが減少する。アルカリ乾電池の充電機能は電池の放電機能と同じく負電極亜鉛と電解質の間のエネルギーギャップの化学物質的エネルギーレベルの解釈に掛かっている。

構造と電池の原理

アルカリ乾電池

アルカリ乾電池の内部構造はマンガン乾電池とは相当違うようだ。しかし基本的には陰極の亜鉛Zn粉末が水酸化カリウムKOH電解質の中でエネルギーギャップを構成していると解釈できる。陽極は二酸化マンガンで構成されている。両極間は一応セパレータ(耐アルカリ性ビニロン)で分けられている。電解質は透過するとある。

アルカリ乾電池の原理

Wikipediaに示されている化学反応式

(負極) Zn(s)   +  2OH⁻(aq) → ZnO(s) + H2O(s) + H2O(l) + 2e⁻

(正極) 2ZnO2(s) + H2O(l) + 2e⁻ → Mn2O3(s) + 2OH⁻ (aq)

この化学式が示す原理は『電子』が負極から外部回路を通って正極に戻り、電荷の収支が整って電池の役割が成り立つという意味である。電子が『エネルギー』を負荷に供給する論理的な解説が全く示されていない。だから化学方程式は電池の『エネルギー』供給の説明には成っていない。物理学にも、化学にも『エネルギー』の概念が定義されていないところに大きな科学論の矛盾がある。『電荷』や『電子』の『エネルギー』との関係性が示されなければ科学理論の矛盾は解消しない。

エネルギーギャップによる原理解釈。

亜鉛Znと水酸化カリウムKOH の化学物質の間における接触エネルギーギャップEg[V]が電池エネルギー供給原理をなしているはずだ。上の化学方程式には水酸化カリウムの役割が示されていない。アルカリ電池であるから、カリウムK がエネルギー源としての主役をなしているはずだ。亜鉛 Zn とカリウム K の間のイオン化傾向の特性差が基本的意味を持っていると解釈する。

まとめ

電池がアルカリ電池であった。アルカリ電池は充電機能も少しは持っているようだ。まだ、マンガン乾電池での確認をしていない。マンガン乾電池も充電するか?

電池と電圧(エネルギーの基礎研究)

自然の本質(2019/11/13)。科学の世界はとても大きい。しかし、その本質は極めて単純にして純粋である。『エネルギー』一つの世界が自然の本質である。水素原子もその根源はただ一つの『エネルギー』の集合体でしかない。それなら『エネルギー』とは何かと問答になる。今日はハヤブサ2がリュウグウの岩石を採取して地球への帰還の途に就いたと報じられた。目出度い事です。地球の岩石の分析と合わせて研究が進むことお祈りします。

電池はエネルギーの供給源

電池のエネルギーとはどんなものか?その『エネルギー』をどのように認識するか。そんな意味を考えて、明確な解釈ができるような考究も科学基礎研究になる筈だ。決して経済競争に資する話ではない。科研費を要求するような研究でもないが。その訳は、次のような意味でも大切であろう。科学的手法でその『エネルギー』を測定する方法がない。『エネルギー』は秤にかからない。ジュール量を測定できない。『エネルギー』の極限は一粒の光の空間分布エネルギーだ。決してそれを見たり感じたりはできない。しかしその『エネルギー』は目の前に無限に存在している。木も草も花も石も光の賜物である。光が無ければ地球も存在しない。そんな不思議な『エネルギー』を電池の中に関連付けて思い描いてみたい。

図1.電圧実験回路 電圧vsの電池がある。容量 C[F] のコンデンサがダイオードを通して図のように電池に繋がった回路を想定する。我々は『エネルギー量』を測定できないから、その量を電圧値によって解釈するしかない。電気回路の解釈において、電気技術では電圧値が重要な量となる。電線路には必ず静電容量がある。その容量C[F]が電線路の空間に在る『エネルギー量』を認識する大切な回路要素である。電圧値ではエネルギー量は分からない。静電容量の値で、同じ電圧値でもそのエネルギー量は変わる。図1.のような回路で電池の電圧という意味をコンデンサの静電容量を変化させて、考えてみたい。

可変コンデンサ。ラジオ放送電波の受信には周波数検波用にバリコンが使われる。

図2.可変コンデンサC(ωt)  たとえば図のような二組の円盤で、1つが周期ω[rad/s]で回転するとする。コンデンサ容量は周期関数で変化する筈である。

図3.容量 C=εkA[F] 回転電極がO-Poの軸からの角度θの位置で重なり面積Aが決まり、コンデンサ静電容量もほぼその位置の関数と考える。なお回転速度は一定でなく、任意でよい。ε[F/m] は極版間の誘電率で、kはギャップなどの構造による定数である。

電圧値v[V]は?電圧はどのように変化するか。コンデンサ電圧は電池電圧より下がらない筈。回路のスイッチがオフの場合を先ず考えよう。回転盤の重なり面積がAoの最大の時に、コンデンサには最大のエネルギーが貯蔵される。面積がそこから減少すると、コンデンサ端子電圧vは上昇する。貯蔵エネルギーの最大値をEm[J]とする。電圧はコンデンサ容量C[F]によって、

v=(Em/C)^1/2^ [V]        (1)

と変化する。重なり面積がゼロとなれば、相当高い電圧値になろう。電極版の回転によって、周期電圧波形となろう。この意味が電線路電圧の意味を理解するに基本となる。この『エネルギー』による解釈に対して、『電荷』論を主張するでしょう。もし『電荷』Qm[C]で解釈するなら、電圧は

v=Qm/C [V]                          (2)

と静電容量に反比例する筈だ。平方根で変化するか、反比例で変化するかで、答えは得られるはずだ。『電荷』概念矛盾の結果になる筈だ。

図1.でスイッチがオンの場合。今度はコンデンサの電圧vと電池電圧vsとの関係で電池にエネルギーが回収される。電池の種類により、電池充電の特性が異なるから、様々な結果になろう。

図4.コンデンサ容量とエネルギー(係数1/2はその意味が確認できないので省く) コンデンサ容量Cは図のように変化する。図の打点部分が静電容量ゼロに向かって変化するときの、コンデンサエネルギー放電(電池エネルギー回収)特性による電圧変化の様子を想像で記した。もしスイッチオフの場合なら、ωt=2πで静電容量ゼロ近くで電圧は最大値に跳ね上がる筈だ。

インダクタンスの場合の例。

ついでにインダクタンスのエネルギー量と電圧の関係を考えてみた。

図1-2.電圧実験(2)

L-r 負荷のスイッチSオフによってLのエネルギー処理の問題が起きる。Lの貯蔵エネルギーは必ず放出しなければ済まない。この場合も余分エネルギーの放出による電池充電動作に入る。Lの電圧とエネルギー量El[J]との関係は図のようになる。電池がマンガン電池の場合、どの様な現象になるか不明だ。アルカリ乾電池では電池でエネルギー回収が起きるようだ。それは 電池と電圧(エネルギーの実験) (2019/11/20)(未公開) で確認した。

まとめ

(エネルギーの基礎研究)というには内容が乏しい結果だ。しかし、電池についてその電気現象を理解するにはとても多くの基礎概念の関係を解きほぐさなければ成らない。次々と理解困難な問答に突き当たり、際限のなさに戸惑う。やはり、『エネルギー』という物理的実在量の意識化が是まで為されてこなかったところに大きな欠陥があるからと思える。電圧とはこの『エネルギー』の技術的評価量であることを認識してほしくて、静電容量との関係でこの記事にした。

電池電圧と『エネルギーギャップ』

科学リテラシーと言う用語がある。みんなが科学に理解ある社会に成ろうということなんだろう。しかしそれには余りにも多過ぎる分野と内容を覚え、記憶する必要が高い絶壁となって道にそびえる。日常生活での不図思い付く科学的疑問に答が得られないのは何故だろうか?『乾電池の電圧』は何故1.5ボルトなのか?『鉛蓄電池の電圧』は何故2ボルトなのか?答は突然難しい化学反応方程式で説明されて、『電子』が解説の主役の舞台の演舞場となる。化学方程式を覚えないと『電池電圧』の値の訳が理解できないのかと、必死に科学の学習に努める。しかし、その内に『電池電圧』を尋ねる事も忘れてゆく。どこにも『電池電圧』の訳を解説するものが無い。化学方程式から、『電子』をとりだして鉛蓄電池のセルの電圧が2ボルトに成る事を説明できなければ、『電子』による科学論の科学リテラシーなどと言えなかろう。電池の原理を問うで鉛蓄電池について述べたが、昨年からの電気回路の線路電圧のエネルギー分布の解釈が纏まった事から、電池電圧の意味を改めて考え直してみた。
何が電池電圧を決めるか

電池電圧の命題電池電圧の命題 電池には多くの種類がある。乾電池、鉛蓄電池、太陽電池更に燃料電池とその動作原理が異なるように見え、しかもそれぞれに決まった電池電圧の値を発生する。その電圧値に成る訳を説明できないようである。科学理論は数学の解析式で解釈するのが高度の科学論と誤解されているようだが、電池電圧値の訳さえも数式では決して示せない。『電子』や『電荷』では決してその電池電圧値を論理的に説明できないのだ。
エネルギーギャップ 『電子』で電圧の発生原因を説明できないとなれば、他に何かその自然現象としての本質的な原因がある筈である。

鉛蓄電池の原理鉛蓄電池の原理 鉛蓄電池の基本単位はセルと言われ、その端子電圧が2[V]に決まっている。それを6個つなげると12[V]の電源となる。化学魔の還元ー電池電解編 には標準的な解説が成されている。電圧の発生原因を陰極電極の金属元素の鉛Pdと電解液の希硫酸H2SO4間の接触面で『エネルギーギャップ』が生じる事と観る。すべての電圧発生原因は陰極に掛かっていて、陽極は殆ど影響なしと解釈したい。更に鉛蓄電池の放電現象の説明を見ると、陰極面の鉛が硫酸との化学反応で表面が白く覆われると有るから、勝手に亜硫酸鉛PdSO3 が出来たからでないかと考えた。その意味は、陽極PdO2がエネルギー的に硫酸と平衡していると考え水発生の意味をエネルギー放出の原因と捉えたからである。燃料電池のエネルギー放出の直接的原因は水素と酸素の反応の水発生である。水は生命の基であるだけその世界は限りない謎を含んでいる。水のお伽の世界 に描いた絵図のように水の生成・分解は『エネルギー』そのものの根本原因を成している。鉛蓄電池も水の生成として陰極面の『エネルギーギャップ』を電池電圧の空間エネルギー分布として負荷へのエネルギー供給に資するものと考えた。

物質間のエネルギーギャップ 物にはその物に特有の特質がある。特に純度の高い金属、気体あるいは分子、原子となるとそれぞれ特質が際立つ。硫酸は物を溶かす化学的性質が強い。その製造方法では、硫黄から酸化硫黄更に水と反応させて、硫酸となる。その製造過程では、すべての過程で発熱現象を伴うように説明されている。普通は分子結合で発熱を伴えば、基の物質の方がエネルギーを多く保有していて、分子結合によって熱エネルギーを放射すれば、そのエネルギー分だけ結合分子のエネルギーは減少すると考えたいが、最終段階で出来上がった硫酸はその化学的反応作用の強さを考えれば、むしろエネルギーの保有状態が高まっているとしか考えられない。その訳が理解できない大きな疑問として残る。物理現象、化学現象を考える時、先ずその現象の前後に置いて、『エネルギー保存則』は成り立っているかを思う。鉛蓄電池の電解液と言う硫酸の化学的反応力は何故そのように強いのかをエネルギーの保有の対象物質への影響力に成るからだと考えたい。硫酸の持つ特有な性質が何故生まれるのかを『問答』として取り上げるかどうかが「考える理科」の課題であると思う。蓄電池は放電すると電解液の比重が低下する。硫酸が分解して、水分子に成る変化と考えたい。その『水』の分離のエネルギー放出を蓄電池のエネルギー源と考えたい。金属鉛と硫酸との二つの物質間の保有エネルギーレベルの境界面での処理現象が『鉛蓄電池』のエネルギー源としての原理と観たい。物質とエネルギーレベルあるいはエネルギーギャップの問題は熱エネルギーと金属の接合問題として、トムソン効果、ペルチエ効果、ゼーベック効果などに観ることのできる現象である。

電池の原理を問う

電気の不思議に魅せられて、自然の意味を説き明かす科学技術の大きな足跡として、ボルタの電池を挙げて良かろう。電池について、電池・電気分解に良く解説されている。しかし、残念ながらその解説では私は満足できない。理解できないのである。電圧ー物理学解剖論ー に乾電池の電圧は何故1.5ボルトなのかと疑問を呈した。マンガン乾電池は塩化アンモニュームや酸化マンガンを澱粉で練り合せて、炭素棒(+極)と亜鉛(-極)の電極材で構成されている。そんなうまい組み合わせを見つけた技術に感服する。1.5ボルトと言う標準電圧に決めた過程も中々興味あることだ。設計者・発明者はその電池構成が1.5ボルトになる事を理論的に認識していた訳ではなかろう。今、何故1.5ボルトになるかを問うても明確に答えられないのじゃないかと思う。乾電池の練り物が1.5ボルトと成る意味が分からない。これは日常生活の中の極めて科学技術の本質を問う『問答』のように思う。難しい一般相対性理論等の学問に対して、より市民科学のあるべき姿を問う問題であろう。一つの解決の道のりとして、乾電池の使用済みの電解質練り物の状態が初期状態と何がどのように変わっているかを調べる事かも知れない。しかし、決して利益を生まないかもしれない事には、現在の科学研究体制は許さない窮屈さに縛ららている。しかし、理科教室の場合はできるかもしれない。乾電池1.5ボルトの意味を探る実験。学校の理科教育・科学教育の在り方を問うのである。化学式で解説されるが、少し疑問に思うと、本当の事が分からなくなる。教える先生方は、その内容を深く理解しているなら、当然応えられる筈だ。電子が流れて化学式のように巧く説明され、実に世界の真理のような印象を与えるに十分な説得力を持っている。はじめて学習する子供達に対しては。その子供たちが学習すべき世界標準の教育内容が整っている訳である。その事がとても多くの学習すべき、記憶すべき負担を強いているとは考えないのだろうか。むしろ疑問を提起することで、より印象強く記憶に残るとも言えよう。

金属のイオン化傾向 これは化学の学習内容になるのだったか。金属元素にはイオンになり易いものとなり難い物があると言う。しかし『電荷』を否定する立場からすれば、原子のイオン化と言う意味さえ理解できないのだ。しかし、実際に原子の間にはイオン化と言う或る特性において、決まった序列が発生している訳である。その意味をどのように解釈するかの『問答』である。『熱エネルギー』で解釈したい。金属が溶液内で変化する溶融と析出の現象をどのように解釈するかである。物理学、化学では電子のやりとりで解説される。電子と言う意味を何で捉えるかと言うと決して『質量』では考えず、『電荷』だけで理解するだろう。全く『質量』のやりとりの意味を説明できないから。それなら電子等と言わずに、『電荷』と言えばそれで良かろう。物理学では、『質量』が無いと論理を展開できないジレンマを抱えているのだ。『電荷』だけが独立の世界の実在とは言えないのだ。

硫酸銅に亜鉛板を入れた時の現象 イオン化傾向と言う金属特性の解釈法。原子量の小さい原子程、一般的にイオン化傾向は強い。亜鉛Znと銅Cuでは、亜鉛がイオン化の力が強い。だから亜鉛が融け、硫酸銅の銅が固体金属として析出すると言う風にイオン化傾向で解釈される。何故金属にイオン化傾向と言う差が生じるかは問わない。イオン化傾向と言う順序を覚える事を要求される。イオン化傾向と言う金属元素間の物理現象の意味は、熱エネルギーのやりとりの問題なのである。亜鉛が融解し、銅が析出するのは銅から『熱量』が亜鉛に移動する現象である。電解液の温度の環境下で、銅と亜鉛の保有エネルギーの余剰と不足の関係から起こる金属元素間の物理現象と観る。固体の状態がその元素の保有エネルギーレベルのより低い状態に在ると観る。融解するには熱などのエネルギーを吸収する必要がある。分子より原子の方がエネルギーレベルは高い。燃料電池は水素(高圧エネルギー)と酸素のエネルギーレベルの高い元素が結合する事により、水分子のエネルギーレベルの低い状態になるから、余剰熱エネルギーを放出し、動力源として利用できるのである。金属だけではない。水の沸騰も気体になるには蒸発熱を吸収する現象である。元素には特有の熱エネルギーに対する特性差が潜んでいると解釈したい。原子と分子の妙 を書きかけのまま結論がまとまらない。物理・化学の基本問題に素人が意見を書く失礼をご容赦ください。燃料電池は水素が燃料だ。エネルギー問題で、自動車の排気ガスはなくなり、水だけを排出するから空気汚染は解決される。しかし水素製造には電気エネルギーを使わなければならない。その社会システム構築に費やすエネルギー消費問題は、経済成長と言う美名の基に隠されてしまう。地球温暖化の問題が燃料電池自動車で解決される訳でない事を科学技術社会の基本問題として捉えた置かなければならない。水素を創るエネルギー消費と燃料電池の社会的エネルギー消費問題。

鉛蓄電池 1859年、フランス人プランテの発明とある。鉛蓄電池は今も使い続けられている優れた発明だ。150年以上使われ続ける科学技術製品だ。驚くべき歴史を踏襲した製品だ。そんな意味も意識したい。鉛蓄電池も『熱エネルギー』で原理を解釈したい。

鉛蓄電池の解釈鉛蓄電池と陰極

『電荷』否定の新しい蓄電池の解釈を図に示す。鉛蓄電池の電極は陰極の鉛と陽極の酸化鉛で構成される。硫酸が電解液で、陰極の鉛が溶融して、硫酸鉛となると、蓄電エネルギーが消費され減少する。陽極の酸化鉛(二酸化鉛PbO2で上の図に誤りあり)は教科書的解釈では、水素による阻害を抑える減極剤としての働きを兼ねていると。もし陽極も鉛Pbなら電池にならない。鉛蓄電池の原理は陰極と硫酸との境界面に全てが組み込まれていると観る。イオン化傾向で、PbとHは隣接する。硫酸に亜鉛を使えば、激しく反応して、やはり電池にならない。穏やかに蓄電エネルギーを放出できるのは、隣同士のエネルギー保有差が小さいからと考える。鉛が融解して硫酸鉛PbSO4になる時、保有熱エネルギーを放出する。この保有熱エネルギーと言う意味も分かりにくいかもしれない。それは、原子構造が電子概念を否定したうえでの解釈でなければ分かりにくいと言う事になろう。上に挙げた『原子と分子の妙』のエネルギー流の磁気模様で捉える必要がある。磁気エネルギー流は、その量的増減は自由に変化しうると考えれば良かろう。その環境自身がエネルギーの空間だから、エネルギー吸収・放射も変化しうる自由にある。鉛の外界へのエネルギー流の影響と希硫酸の電解液のエネルギー環境との間の何らかの干渉がエネルギー不均衡の修正として関係づけられると解釈する。それが鉛の融解現象の意味との理解である。更に水素も酸素と反応して(燃料電池)更にエネルギーを放出する。その合成分が陰極から負荷に供給される電気エネルギー(熱エネルギー)である。この解釈では、陽極は殆どエネルギー放出に関わらない。その為、鉛蓄電池の『電圧』は陰極と電解液の接触面に、その全ての原因を秘めていると観る。図②にその意味を示した。熱と電気の関係は雷は熱爆発に於けるものに同じである。

電圧ー物理学解剖論ー

(2017/04/21)追記。乾電池の定格電圧は1.5Vである。はじめは1.6V以上あるが使うと電圧が低下してゆく。『エネルギー』が消費されて規定電圧以下になって乾電池としての機能を失う。以下の記事は乾電池について述べてあるが、この何故1.5Vかという問題は自然科学技術と科学理論との関係を問う大変重要な問題と観なければならない。『電荷』では説明ができないのだ。ではどのよな論理性で説明できるかといえば科学技術を支える理論で説明できない論理矛盾を抱えた問題なのである。この1.5Vに成る解釈を、化学あるいは物理学で示せれば大きな功績となる。その意味は電圧の単位ボルト[V]の意味が科学理論で説明できないからである。『エネルギー』で解釈できなければ、永久に無理なままである。

電気回路を考える時、電圧と電流が基本に成る。電流についてはその概念を否定する論を展開して来た。しかし『電圧』については余り論じて来なかったと思う。そこで、電圧の意味も考えて見ようかと思った。先ず身近な生活に関係する乾電池を取り上げて見よう。乾電池の電圧は 1.5 V である。そこで、その電圧値 1.5 V はどんな原因で、その値に成るのかと考えたが、まったく理解できない事に気付いた。確かに測定器、電圧計かテスターを使えば、メーターの指示値は 1.5 V 付近の値を指示する。乾電池の電圧は直流だから、その測定器の型は「可動コイル型」が普通である。その内部構造は電流計に直列に高抵抗が繋がれた形で、言わば『電流計』としての働きをしていると見る事が出来る。私も電気の専門家の部類に属して、少しは知っている心算で居たが、乾電池の電圧の値が決まる理由が解らない事に気付かされた。乾電池の中味は、塩化アンモニウム、塩化亜鉛およびデンプンを練った物、さらに複極剤である同じような練り固めた物が内側にあり、プラス電極の炭素棒とマイナス電極の亜鉛で構成されるとある。乾電池の電圧が何故決まるかを検索しても何も回答が無い。電子が何個出るからとかの解説があるが、そんな解説は何の理解の足しにも成らない。電荷がプラスとマイナスの電極の間に発生するからと言われても、どれだけの電荷が分布するのか等、誰も説明できないのである。単一、単二、単4と形状も寸法も異なるのに、どれも同じ電圧 1.5 V である。単4用の電子と単1用の電子も同じ電子であろうから、寸法が異なれば、静電容量と言うコンデンサの容量は異なる筈である。電子の電荷で説明するなら、形状が異なる事による静電容量が違えば、電圧が異なるのが、電気理論の基本的論理である。

電荷と電圧 電荷で電圧を解釈するなら、電圧の単位を考えておかなければならない。電荷の量をQクーロンと仮定して、その電荷がコンデンサの静電容量Cファラッドの幾何学的形状・寸法から決まる電気要素に貯められたとする。その時の電圧Vボルトは、V=Q÷Cで決まるのが電気理論の基礎である。だから、『電荷』による説明は、解説としては、学習しようとする真剣な学習者に対して、いい加減で曖昧な解説を押し付けるものであると言えよう。乾電池の電圧を決める要因は、その長い技術の積み上げによる『化学物質等と電極材料との組み合わせ』で決まると、単純に解釈すべきであり、電荷がどうのこうのの解釈で決まるのではない筈である。(2017/04/21)追記、以下の・・部分の論述は論理的でないようだ。『電荷』概念の曖昧さから来る自分自身の未消化な解釈を展開している。電荷なら寸法で、電圧が異なるのが電気理論からの結論である。寸法が違っても同じ電圧となるのは、『電荷』論は間違いである事を示している。もう少し静電容量と電荷の関係を述べておく。コンデンサは並列に接続すればどんどん容量は増加する。電池の持つコンデンサ容量を基本として解釈しないと、電荷による電圧概念の説明は付かない。今、電池のプラス、マイナスの極に大きな容量のコンデンサをつないだとする。当然全体とすれば、電池の静電容量が増加した事と同じ意味で解釈できよう。だから電池の外形・寸法による静電容量と電荷の量との兼ね合いとして、電圧を解釈する事は無理であると考える。」要するに乾電池の電圧値は『電荷』と言う物理概念では説明できないのである。電池内部の化学物質の詰め物の「物理・化学的解釈」が論理的に説明できていないのである。技術と科学理論の間に横たわる問題・課題である。一応乾電池の話はひとまず置く事にする。

交流回路を含めて、電圧の意味を 考えて見ようと思う。 100 V 50 Hz の交流電源で考えて見よう。電圧計は交流用の「可動鉄片型」に成る。(2014/11/18)追記。失念していた事がある。交流用の測定器で、「可動鉄片型」は高級な計器である。普通は直流用の「可動コイル型」にダイオードを組み合わせて、交流用『整流器型』として利用している場合がほとんどだ。思い出したので、少しご注意頂きたく追記した。この測定の電圧形も乾電池の話で示した電圧計と同じく、計るものは電圧計に流れる電流値を高抵抗で微弱量に制限して、その電流の電磁石の力で鉄片が吸い込まれる回転トルク力の角度量を指示値として示しているだけなのである。先ず電圧として測定指示している数値が何であるかをきちんと捉えておく必要がある。技術と理論の概念との関係を正確に理解することが、科学理論の実情を捉えるに大切な事と考えて、こんな些細とも思える話を記すのである。結局、電圧値として表示する値は、メーターの中に流れ込む『電流』に基づく「磁場エネルギー」の力を利用しているだけである。測定器は『磁気』の空間エネルギーを利用している物がほとんどであろう。電荷によるクーロン力等教室授業の為だけの無駄な概念であると言いたい。(原子理論も電子電荷の軌道論で構築されているが、悪いけれども、そんな理論は捨てるべきである、内緒話)

電圧の次元 ここで電圧の意味を纏めておきたい。

エネルギー[J(ジュール)] とJHFM単位系』および電流と電圧の正体をご参照ください。