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雷と不立文字

また雷の事を書きたくなった。去年11月に「雷と指数関数」の標題で書いた。微分方程式の解法の矛盾点を含めて論じた。今回は『不立文字(フリュウモンジ)』という東洋哲学用語との関係で論じて見ようと思う。雷様と昔から畏敬の念を持って接して来た自然現象でもある。科学的にも中々捉えきれない不思議さを秘めている。不立文字という用語の意味は、或る事象を説明しようとしても、言葉で解説して理解して頂く事が出来ない、という程度の意味と解釈している。ここで雷と不立文字の関係は雷を言葉で説明できないと言う事に結びつく話に成るであろう。書けない事を書くと言う事がそもそも矛盾である。それでも自分なりに「自然科学論」を書く心算でいるのだ。厳密に自然現象を論じようとすると、数式では説明できないだろうと言う事である。しかも『専門用語』の意味を厳密に認識しようとすると、結局矛盾に突き当たり、その専門用語さえ使えなくなると言う意味である。数式も専門用語も使えなくなれば、科学論が成り立たない事になる。落雷は夏に多い天空の自然現象であり、恐ろしい現象でもある。電力工学では、「高電圧工学」の分野として、長年研究されて来た。しかし未だに、すっきりと分かったと言えない状況にあろう。その原因の根本は『電荷』を実在物理量と決めて、解釈しているからに過ぎない。電荷概念を捨てることにより、始めて「雷」の物理的真実に迫れる筈である。 『電荷』という虚像で、少し電荷概念の矛盾について述べた。落雷現象を、自分の能力の無さを棚上げにして、電荷概念なしに解釈してみたい。右にその落雷の考察ポイントを①から④までの番号を付けた所の現象を基に考えてみたい。落雷現象は、先ず初めに「前駆放電」という現象が雷雲と地上の間の空間に起きる。「放電」という言葉そのものが概念では電荷の現象という意味であるから、使えないのであるが光を空間が放射する事の意味に限った解釈で「放電」の用語を捉える事にする。丁度、電磁界の解釈で、電界と磁界という用語を使わなければならなかったと同じ説明上の『不立文字』の問題でもある。電荷概念は、日常生活で遭遇する現象の説明に誠に巧く出来ているから、誰もが信じて疑わないのである。しかし、論理的に追究すると、矛盾だらけの姿を曝すのである。なんとなく「摩擦現象」を電荷で最初に解釈した遠い過去の時点の科学認識も社会状況にも遡って考えてみる必要があろうと思う。『雷雲』が電荷を貯蔵すると言う物理的根本の解釈の基は何か?高電圧工学では、入道雲の発生時に、上昇気流に伴って、水滴や氷粒の摩擦が起きる。その摩擦を基に電荷の分離が起き、雲の中にプラスの電荷部分とマイナスの電荷部分が分かれて生じるような解釈が取られている。何で同じ者同士が摩擦をすると、プラスとマイナスの電荷に分かれなければならないのだろうか。例え分かれたとしても、プラスとマイナスは常に引き合う基本的性質を持つと定義しているのだから、ワザワザなんで分離する力が生じると言うのだろうか。このようなしつこい理屈を述べると、科学論に反すると言われるのである。科学論は数学的論理方程式によって、科学的論理解釈に脳が訓練された特有の思考方式による科学者の集団的論理場領域なのである。①の雷の発生起点となる雲の状況をどう認識するかが一つの要点になろう。クーロンの法則を基にしなければ、電磁気学が成り立たないと解釈する点に大問題がある。電荷を否定すれば、クーロンの法則は即座に破棄しなければならない。雷の現象には、雲の中での放電と雲と地上との間の落雷とがある。落雷は高速度撮影の観測写真等で、前駆放電現象が見られる。番号①を起点に複雑な軌跡の光の筋が②のように天空に広がり、如何にも何処に放電すれば良いかと、触手を伸ばして相手を探しているような姿の光の筋である。その一筋の③から④へと伸びた筋が目的地に到達したが如くに、その筋が「主放電」の落雷現象の道筋に成る。この主放電の光の軌跡がエネルギーの放射源である。落雷現象が如何にも雲と地上の間に貯まった『電荷』の中和現象と解釈すれば、科学論として辻褄が合うように思える。しかしそんなに簡単に落雷現象を『電荷の中和現象』と解釈して納得したと言えるかという事である。触手を何本も空間に伸ばした複雑な前駆放電の光の筋をどのように解釈したら良いかという『問答』になろう。

落雷のエネルギー解放現象 空間の放射エネルギーには様々な種類がある。今問題になっている『放射性物質』からの核分裂放射エネルギーもその一つである。核分裂放射エネルギーは目に見えない。しかし、空間に展開される落雷の放射エネルギーは強烈な放射光を放って、空間の貯蔵エネルギーを解放するのである。「量子力学」で、原子、分子の光の放射現象を取り扱う。蛍光灯の「蛍光物質」の放射光もその理論で解釈されている。しかし、電子の運動エネルギーが何とかこうとかと解釈されるが、そんな原理は当てに成らない。その理論の矛盾を挙げておきます。蛍光灯の発光現象は水銀蒸気の発する紫外線が蛍光物質を刺激する光の波長の可視光線への変換現象と解釈されている。紫外線に比べられないような、150MHz の波長空間(定在波)で 40cm の直管蛍光灯が高輝度で発光する。これは余り理論解釈と違い過ぎましょう。空間への放射エネルギーの形態はさまざまである。あの夜空を引き裂く落雷の主放電の光放射現象を、その光の放射エネルギー量を積算計算したら、途轍もないエネルギー量になろう。要するに空間に貯蔵された空間エネルギーの放射現象が雷現象の正体である。高密度エネルギーに直撃されたら、人の生命は耐えきれない。結局雷現象を科学論として取りまとめられたかと言えば、エネルギーの空間実在量として認識できるかどうかにかかる問題であると言えよう。光をそのエネルギー量として捉えられるかどうかであろう。

質量とエネルギーの等価性 ここで取り上げるにはと躊躇する。しかし、先日NHKの番組で、「宇宙の渚」とかがあった。古い資料の中に見つけた物がある。宇宙と繋がる様な図案である。質量・エネルギーの等価性実は、事情があって、発表出来なかった資料である。日本物理学会第64回年次大会。エネルギーが質量の基 第64巻1号第1分冊 p.20.(2009)  の発表のために準備した資料である。丁度宇宙の渚での「スプライト」の雷放電模様に関係した絵図に連想できると思う。ヒッグス粒子などの素粒子論に対抗した異なる質量概念の解釈絵図である。序でだから、その時のもう一つの資料も示そう。素粒子衝突の模型を描いたものである。丁度粒子加速器での粒子衝突の様子にもなろう。必ず衝突すれば、エネルギーが、質量が光に変換されて、放射される。陽子などの粒子を加速すると言うが、電気磁気学理論では、陽子の電荷加速なら、電界以外の加速力は無い筈である。しかるに、セルン加速器は「磁界」で加速している。陽子の加速に磁界加速は原理的に『嘘の不可能な加速法』である。それは余談として、粒子衝突で放射される光は質量の運動エネルギーが光に変換すると言うより、質量が加速されたエネルギー分まで等価的に「増分質量」と解釈すべきものであり、その分も含めた物の中の一部が『光放射エネルギー』に変換されたと解釈すべきである。その光はエネルギーの大きさに差はあろうが、蝋燭の光と本質的には変わりが無いのである。これらの光はすべて消滅する訳ではないのだ。光はそのままエネルギーなのである。光が放射されて、必ず何かの障害に突き当たる。そこで屈折、反射および吸収の様々な障害という媒体との相互干渉で、状態変換を起こす。遂には吸収されて熱エネルギーなどになる。その熱エネルギーも完全に原子・分子の内部に吸収されれば、それは『質量』になる。それが『質量・エネルギー等価則』という事だ。『エネルギー保存則』は自然界・宇宙の基本法則である。光のエネルギー保存則をどのように解釈するかが素粒子論の問答に成る。

禪と科学

禪とは中々難しいものだ。理解困難なものほどその魅力に惹かれもする。その難しさを表したものに『般若心経』が有る。色即是空 空即是色に集約されていよう。禪と科学等と大層な題材を選んだものと我ながら呆れている。普通に、世間的には『禅』と『科学』は相対立するものと看做されよう。ここに、恥ずかしい達磨の図を挙げた。自分の精神的葛藤と将来への不安を表現したものと今になって理解出来る。達磨は孤高の存在である。二つ達磨は無かろう。(記す文章もどのように弾け飛ぶかは定かでないので、自分のリスクであるが、未熟のままで書き足す過程をそのまま公開しながら進む事にしたい)上の達磨図絵は、見た人も多かろう。昭和62年2月頃、長岡工業高等専門学校の電気科5年生の卒業文集にと学生に頼まれて書いたものである。その後名刺の裏図絵として利用した。食べ物、飲み物を鍵掛の神経をすり減らしながら、殺害の危機から生命を守る極秘の秘儀を尽くして、一日も欠かさずの諸行で、何食わぬ顔で半年間過ごした。常在戦場の意味かと後に知る。そんな中で、一寸先も見えない暗闇に立つ自分の怒りは、向ける相手が見えない「四面楚歌」と言う全体が相手である。電気科の教官、校長および中曽根臨教審の審議会等教室の授業内容盗聴を含めた犯罪に対しても、対処の術が無かった。ただ黙って生命を守るだけであった。そんな中で卒業生に送る言葉も書けなかった。それがめめしい二つ達磨(繋がりの無い孤高を憂える弱さ?)の禪精神の異端の図となった。 魑魅魍魎の世界を覗けば 二つ達磨は「生命を守る」異常事態の中の出来事である。長岡工業高等専門学校が殺人学校に見えた。歴代校長。初代校長:山崎貫三。二代目、田健一(文部省保健体育課)。三代目、大戸啓二郎(昭53年4月~昭55年4月29日病死)。事務取扱、高橋旦。4代目、池田作次(昭55年6月11日~昭59年2月12日病死)5代目、高橋旦。昭和60年4月~私が転入、幽霊所属。昭和61年5月初頭、健康診断結果で、胃カメラ検診を受ける事を指示される。何の異常も感じないのに「変だ?」と思った。論文が忙しく、予定日を後日に変更。検査で『細胞検査』も同時にすると言われた。その後、再び、庶務課長の指示文書で、「胃カメラの再検査指示」通知があった。2度までの検査を何故しなければと、「殺人の臭い」で無視した。不思議にその後に何の指示「再検査指示」の連絡は無かった。その8月、9月が「殺害の危険」を実感した。それ以降の半年が「生命を守る」秘密対策と魑魅魍魎との戦いであった。二人の前任校長の病死が一つの予備知識であった。やはり「二つ達磨」の補足記事に記した。 我が科学革命の原点『静電界は磁界を伴う』(昭和62年電気学会全国大会)で、物理学の根幹を否定する問題提起をした。『電気磁気学』指導担当者としての務めでもあり、決死の覚悟の発表でもあった。電子概念、電荷概念の否定と言う科学界に打った楔であると今に思う。『電流』と言う電気技術者としての根本的拠り所を、自己否定と言う事になる挑戦であった。当時は電気学会の会員であった。昭和63年のびわ湖湖畔での『電磁界理論研究会』以降、会費滞納で除籍処分となる(2019/01/27)追記、電気学会会費については初めから納めていなかったことに最近気付いた、だから会費滞納が原因ではなかった、自分の存在の意味が全く理解できない。昭和62年春の全国大会での発表内容は、 『瞬時電磁界理論』とは に取り上げた。それは電界、磁界と言う概念の矛盾を指摘した原点となるものである。電荷概念についての当時の解釈には、私なりの曖昧さも有りその点でも今考えると、世界の基礎理論に立ち向かう気力と現在までの思考の変化を見るようで面白味が有る。そのすぐ前に、 禅と自然科学  に、似た記事が有った。(2015/02/20)追記。長岡技術科学大学で、昭和63年10月8日、私に対する免職処分?の基礎理由として、教授会で私を呼んで学生電気実習の指導を拒否している事を謝罪させたが、再び実習の指導を放棄したと成っている。不思議にも、その日は大学に内緒で、出張届もせず、自費でこっそりびわ湖湖畔での電磁界研究会で大事な発表をしていた。教授会に呼ばれたことも無い。『瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義』電気学会、電磁界理論研究会資料、EMT-88-145.(昭和63年10月)。長岡工業高等専門学校で、昭和61年秋に撮り貯めておいた実験データの資料の発表であった。 昨日書棚から、鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化』を取り出して、読んでみた。昭和15年出版の内容で、太平洋戦争前年の時代性も感じられはするが、第1章 禅の予備知識 辺りの内容にはとても感心させられる。第1章にはおおよその禅の意味を知るに役立つ事がまとめられている。決まり切った方式や、常識あるいは知識から解き放たれた自由の境地に精神を浮遊させている姿を望むものかと感じる。心を無にする。だから理屈を望まず、決まりに従わず。そんな風にもとれる。そこに“禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)と・・”や“科学は系統化を意味し、禅はまさにその反対である。”等とある。また知識に三種ある。第一は読み聞きによる知識。第二は科学などの観察と実験・分析と推理の結果による知識。強固な基礎を持つ、それはある程度体験的、経験的であるから。“第三の種類の知識は直覚的な理解の方法によって達せられるものである。”と記されている、それが禅の知識に相当するものと解釈する。“直覚的理解”なるものは確かに科学の理解とは異なるであろう。数式も、論理性も無視するように見える。だから、系統的に確立された物、方式あるいは国家なる概念に対しても従わない、精神の自由を禅の本質とするもののように思える。禅は破壊の思想と言われる所以がそこにあろう。『般若心経』というお経も仏教の形式も禅の求めるものから見れば、囚われてはいけない事なのである。もともと『般若心経』は仏や、お葬式の為の御経ではないのだ。インドに生まれた生きる人の自然観と生き方の悟りを纏めたものであり、人生哲学である。昔は知識人の最高の指導者が宗教人であったから、その流れを踏襲して現在に至っているだけである。精神が囚われない生き方は現在の複雑で、金銭的な物量に縛られた社会制度では、禅は生きるに困難である。 第3,4章に、禅と武士、禅と剣道で書かれている。禅は精神的呪縛から解き放たれている事を最高の位に置くのじゃないかと思う。武士道精神が自由より義理と人情に縛られる支配層の思惑に陥る危険性が有る。その典型が太平洋戦争の『特攻隊』と日本軍隊であった。禅と武士道が日本の精神性を表象するように思はれる原因の一つが「武士の大小二刀の帯刀」にあったのかと初めて知った。確かに西洋の騎士や戦いの武人は武器を持つが、日本の武士のように「小刀」を携えることは無いようだ。宮本武蔵の二刀流は別として、「小刀」には戦う為の刀と言うより、自分自身を律する為の脇差であったのかと。それは殆ど『切腹』と言う自分の生命を自身で絶つ為に使う刀である。それは如何にも古来の日本的精神性の優越性として日本人によって崇められる特質の表れと思える。『切腹』と言う所業(好ましくない行いーと言う意味で使った訳ではないー)が武士道の精神性を担保する拠り所としての日本人社会の一規範と成っていた事の奥底に潜む意味を考えることが重要に思える。それは『禪』と結びつくのだろうか。確かに「雲水」が旅の中で出来事に遭遇して、その諍い(イサカイ)・争いを収める為に自らの生命を「生き仏」として捧げる所業は各地に「生き塚」として残っていると考えている。禅僧は何時如何なる処で生命を捨てるか覚悟が出来ていたのであろう。その禅僧の精神性が武士道に反映されて来たところに日本的特質が隠れているのかもしれない。支配階級に巧く利用されたのが『特攻隊』である。許されない権力犯罪である。卑怯にも、社会的集団性を持って、そこに組み込む体制を作り上げたのである。『特攻隊員』自身の潔さと湛えながらの、権力体制の悪い所業の無責任性を作る卑劣さがその根底に隠されているのである。「生死一如(ショウジイチニョ)」「潔く死ぬ」等の言葉が禅の思想に結びついているようだ。この辺の日本人に特有な意識が集団体制や利権団体あるいは国家的全体主義への道に繋がり易い危険性を帯びていると思う。『原発災害』も原子力村の集団体制が正当な異議を踏み潰してきた当然の結果でしかないのだろう。『和』の日本に『禪』は馴染むか。と言う感じもする。禅は孤高の思想だ。その点で、武士の孤独な、太刀一筋に生命を掛ける生き様に共通するのであろう。当然であろうが、世間と合わなければ排除される。それが日本人の精神的特性を支えている根底にあるものに見える。 空即 無限なる有なり 初めの図絵に記した。この中にはいろいろな意味を含ませていたように思う。当然、禅思想と人生を強く意識していた。禪とは何かも長い間の思う対象であった。しかし、一番大きい意味は「電気磁気学」のエネルギーの諸相が「空間」で表す意味に「無限性」を感じていたからであるように思う。当時は「電荷概念」をどのように捉えれば良いか、思考の始まりであったから、暗中模索の中に居た。「生命」を守る日々の行為と、「物理学」の根底に抱いた疑念との精神的葛藤に身を置いた。その思いが自然にその絵図になったのであろう。渡された名刺を見て、人はどのように思ったかは、今になれば日本社会での村意識構造の中での事であるから、想像に難くない。アハハハ!今でも、文科省の教育行政は当時感じていた下らなさの思いは、日本の未来に禍根を残し続ける危険を禁じ得ない。長岡工業高等専門学校の助教授の辞令(松永光文部大臣)が出せる筈が無かったのだ。文部省への審査書類が有る。その中身は「新潟県立新津工業高等学校での研究業績として、「静止電力変換装置」で確信した「変圧器の励磁電流の噓」が教科書に在る事を批判した。『電圧時間積分』が鉄心磁束量の解釈に欠かせない概念である事を指摘した。新潟県で採用辞令も出ていない幽霊教員の過去をどう繕っても、文部大臣(中曽根内閣、松永光文部大臣 1985/07/01付け)が辞令を出せる訳が無い。その後の事は押し並べて計るに難くない。まさか「軍歴表」が絡んでいるなど知る由もない。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府