タグ別アーカイブ: 一粒の砂

素心へのお告げ

再び暦の裏書に出会う。『最初に誰がμ0[H/m]、ε0[F/m]を定義し、提唱したか。2009.3.24』と書き出しに在る。その続きに、素心の悟り、素心へのお告げとして、ウイリアム・ブレイクの詩が記してある。

一粒の砂素心へのお告げ 以前エネルギー(energy)とは? で記した。それでも大体の意味は解るが、英語の原文も記されていたので、もう少し具体的に意味を表現したらと意訳してみた。素心へのお告げと題を付けたが、素心深考とか素心蘭等と素心は良く使われている言葉であるようだ。素心の悟りでは少し雰囲気が違うかとも思い、イギリスの西洋的宗教観からお告げとした。しかし、神と言っても自然そのものからの、純真で、天真爛漫な人の心が饗応して感じ取る自然世界の眞相に目覚める啓示であろうかと思った。砂一粒は固い質量の世界の形、一輪の花は儚い生命の輝きを表すと観た。人生の山道を登る傍らに、咲く一輪の花がほほ笑む一瞬を。後半は、物理的時空観。

写真201詩の英文 この詩文の意訳の心算である。

『熱』の正体

ザ・ピーナツが唄った有名な歌がある。恋のバカンス、岩谷時子作詞、宮川泰作曲。ため息の出るような あなたのくちづけ 甘い恋を・・。恋のバカンス 熱い砂

これから暑い夏が来る。そんな季節に似合う『熱』の歌か。歌詞にある「金色に輝く熱い砂の上で」の熱い砂の意味に『熱』の意味を探ってみようかと思った。

気体分子運動論を斬る 『熱』をITで検索すると、その正体を妄想物理学論で解説されている。妄想と言っても、現代物理学理論の世界の常識論として幅を利かせている論説である。皆そんな解説を覚えなければならない科学常識が世界に蔓延している。誠に悲しい事である。実力も無いのに、若さぶって熱い砂の上で、裸で恋でもしたいものだとこの妄想を膨らましてみた。『熱』が気体分子運動論で処理されている現代物理学は正さねばならない。『熱い砂一粒』の中に『熱』の世界を感じ取ろう。科学的自然観を素直に表明すれば、また嫌われる。

砂粒一つ

一粒の砂 砂一粒に『熱』を重ねて見た。ウイリアム・ブレークの詩文の一部を添えた。エネルギー(ENERGY)とは?にある。その言葉も丁度ここで『熱』の本質を見抜くに当てはまるようである。哲学的で、その深い捉え方が気に入っている。裸で砂の上に二人寄り添えばどんなに暑かろうかと妄想が膨らむ。下から砂の『熱』が皮膚に射し込む。そうです『熱』が射し込むのです。決して砂の中の分子運動が恋をやっかんで、振動して皮膚を傷める訳ではないのです。砂・砂の鉱物分子が振動なんかしていません。アチチ、アチチと砂がお日様に焼かれて、射し込んだ光の『熱エネルギー』を恋人同士の皮膚にエネルギー放射をしているだけなのです。皮膚に射し込むのが『熱』と言うエネルギーなのです。夏陽射しの中に立てば、太陽からの光が直接顔や衣服の面に射し込む為に、そのエネルギーが『熱』になるだけなのです。空気の振動が皮膚や衣服を振動させる訳では決してございません。振動されても熱くはなりません。光エネルギーが直接体の中に射し込むから『熱中症』と言うのです?これは冗談ですが、丁度『熱』が身体の『中』に入る事から起きる『症状』と読めば、現代物理学理論より説得力があるだろうと自画自賛したい。一粒の砂が赤外線、可視光線あるいは紫外線等の所謂熱線と言う光エネルギーを放射して、環境に比して余分なエネルギーの不平衡をエントロピーの何とやらで、平衡させる物理現象でしかないのである。高尚な市民の立入れない学識経験者の学理等申し訳ないが信用出来ない。一粒の砂の中に、その自然の心を読み取る事が出来るのである。自然を見ないという有名な物理学者の話も聞いた事がある。数学で世界が見えるように考えておられるようであった。数学などほんの一面しか自然を表現できないだろうと感じている。

 

熱とは内部エネルギー? 内部エネルギーと言う言い方がある。内部エネルギーとは何か。どこにどのようなエネルギーかと質せば、結局何かの振動エネルギーとなる。じゃあその振動エネルギーとは何かと質せば、実に曖昧である。アインシュタインのブラウン運動などが引き合いに出されたりする。目に見える物・ブラウン運動で解釈するなど滑稽である。『熱』を見る事は出来ない。光の正体を見る事が出来ないと同じ事である。景色や風景、物の姿を見る事は出来るが、光を見る事など出来ない。光は透明であり、形も姿も見せない。

 

エネルギーの正体 光を含めて、現代物理学理論は『エネルギー』の正体を認識していないのだ。エネルギーは振動もしていないし、姿も見えない。エネルギーの代表的姿は光と言えば良かろう。光一粒を見る事は出来ない。光速度に対応する観測の術は無い。光エネルギーの空間的像を描いた、光とは何か?-光量子像ー

エネルギー(ENERGY)とは?

一粒の砂』 今日古い紙に書き記した『詩』を見つけた。その詩には、何処か東洋的な匂いがする。カレンダーの裏に書き記してあった。久しぶりにその詩を筆にしてみた。検索で調べると、イギリスの詩人・画家と有る。名前はウイリアム・ブレイクで、有名な詩であった。

一粒の砂に 世界を見 野の花に 宇宙を見る 手のひらに 無限を知り 一瞬に永遠を知る。

何かこの詩には計り知れない謎めいた意味が込められていると感じるらしく、意味を質問する人がいるようだ。私が気に入ったのも、その意味である。この詩文の意味を理解するに参考に成るかもしれない。その私の一夏の経験を記した記事がある。『眼から鱗が落ちる』と言う言葉がある。それはそれまで想像できなかった世界の神秘に触れる時であろう。そんな経験である。自然は愛響ー揚羽蝶ー がその1つである。また、最大の巡り合せは「雨蛙」であろう。そんな事や、物理学理論、特殊相対性理論等の矛盾に遭遇した事等、精神に驚愕を覚える事があるという経験。そんな点で、その詩文は私が思う世界観に極めて近いものを感じたから、書き記して置いたのである。私の感覚では、物理学理論の根源を支える未来像が『エネルギー』に集約されると言う直覚的感覚で捉えたからである。今まで、このブログにも『エネルギーで観る世界ー・・・-』と言う標題で記して来た。最初が、エネルギーで観る世界ー序論ー で始まった。人類発祥の1つはインドを含めた東南アジアの複雑な島の海と陸の関わりと私は見ている。一方西洋文明はギリシャなどの地中海の海と陸も人類発祥にも関わるかと思っている。東洋哲学は物の根源に迫るに『そぎ落とし』の感覚が基にあるように思う。西洋哲学は現代科学理論の示すように、新たな概念による『積み重ね』の感覚が基本に成っていると感じる。しかし私が東洋的な匂いを感じたことは、上のWilliam Blake の詩と同時に、やはりイギリスの哲学者で、数学者のバートランド・ラッセル卿の言葉がある。『世界はエネルギーに集約されるだろう・・』と言うような物理学への捉え方を示していた。私が『静電界は磁界を伴う』と言う電気磁気学理論の世界に疑義を提起したのは、正しく『エネルギー』への世界の統一に踏み込んだ事に成る。やはり西洋にも東洋哲学と同一の思想が根底に流れていると見るべきであろう。『一粒の砂』の詩文はまさに私が感じる『東洋哲学的世界観』を表現したものと言えよう。『電荷』概念に固執する世界観では自然の世界の深い営みや魅力には到達できないだろうと思う。そのような世界の不思議の魅力に取りつかれる一瞬が、人に遣って来る事を表現したものと思う。それには『条件』があろう。自然の問いかけを素直に受け入れられるかどうかは、問掛けられたその人の心・精神状態が自然の世界に同化して、雑念から解放されている必要があろう。私はそれを「素心」の状態と言う。在るがままを見つめて、自然と心を通い合わせる『天真爛漫』な子供のような心根が欲しい。人は欲に支配される。天真爛漫は難しい。そんなところに『悟り』の意味があるのだろうかと?『エネルギー』とは何かを何も述べずに来た。何時か追加しようと思う。

自然はエネルギーの種々相 エネルギーとは何かを述べよう。端的に定義すれば、『エネルギーとはそれ以上分解できない物理量-(2018/07/27追記)。この“それ以上分解できない”という意味は、光を含め空間に存在するエネルギーをそれ以上の構成要素(素粒子など)には分解できないという意味である-であると言える。学問としては自然科学の対象である。哲学では『般若心経』の色即是空の『色』に当たろう。しかし、私が思うエネルギーの実相は、自然世界そのものがエネルギーの種々相として表れているその根源が『エネルギー』であると解釈している。即ち自然はエネルギーの具現像である。エネルギーは空間で本領を発揮する。自然科学の本質を捉える根本に『エネルギーの実在性』を意識して欲しい。物理学理論は膨大な分野から成り立ち、それぞれが専門領域に分かれて、全体を纏めて見渡すことが困難に成っている。それでは、一般市民がその自然科学にコメントする事も、理解する事も出来ない。市民的迫り方の基本は『エネルギー』と言う世界の真の実在量に着目して、それぞれの専門分野を意識することが重要であり、有効である。物理学理論は、小学校から大学まで、『エネルギー』そのものの実在性を認識できない処を漂っているのが実態である。エネルギーは質量が無いと論理に乗せられないのである。量子力学と言う学問領域でも、光放射現象一つをとっても、原子の外殻軌道を回る電子の質量が運動エネルギーの増減で起きる現象などと解釈している。位置エネルギーも質量が無ければどうにも理論が成り立たない。世界は唯一のエネルギーの実相の空間であり、『質量』もエネルギーが局所的に集約された姿である。だから、アインシュタインの知見として有名な『質量はエネルギーである』と言う事なのである。E=mc^2^と言う式で簡潔に表されている。これは光は吸収されて、エネルギー保存則に従い、質量に成るのである。『エネルギーと質量は等価である』今までいろいろな形で表現して来たエネルギーに関するいくつかを纏めて、例示しておく。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系エネルギーで見る世界ー津波ーエネルギーで観る世界ー素粒子ー 。経済成長はエネルギー多消費世界である。エネルギーで観る世界ー地球の生命ー。にその警告を示した。