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ボイル・シャルルの法則と水蒸気

気体の体積膨張と収縮はボイル・シャルルの法則として纏められている。温度と圧力と体積の関係が分かり易い数式で表現されている。筆者にも感覚的に理解し易く、受け入れやすい式である。しかし少し詳しい説明になると、気体定数やアボガドロ定数との関係で解説されるが、その高等理論(特に気体分子運動論)を理解するには能力的に困難が伴う。地球気温の異常さを感じ、豪雨水害の悲惨な生活破壊の多さを見るにつけ、空気と言う気体の中味をどう解釈すれば市民的科学テラシーの常識を持つと言えるのだろうか。酸素O2と水素H2と窒素N2と水H2O(水蒸気)の温度特性に違いが有るからじゃないかと考えるが、それらの個別の気体分析は検索に出て来ない。みんなアボガドロ定数の御蔭で教育されているからか、何処にも違いは見えない。空気中の水蒸気含有率(質量)の温度依存特性でも調べられて居れば分かるのだが、こんな時代だからデーターが有ればと思う。空気中の水蒸気含有率は素人解釈ながら、地球表面に於ける太陽光線の『レンズ収束効果』による気温上昇への拍車をかけないかと気掛かりなことでもある。地球上が水蒸気でその温度特性に翻弄されているような気分だ。産業革命の元になった蒸気機関は水分子の特性を際立てた主役である。現代の原子力発電等の汽力発電所は水分子H2Oの独壇場だ。その力強さは湯灌で水を沸かすと、底から沸騰と言う自然現象で水分子が膨張する様子に見られるが、それも他の気体分子と同じ現象で理解すべき事だろうか?酸素と水素原子が結合した分子H2Oと言うが、とても不思議なことと感じる。ペットボトルの空気(水蒸気)収縮 お茶の飲み残しのボトルを冷蔵庫に入れた置いたら冷やされて細くくびれていた。改めて30数度のお湯をボトルに入れ、冷凍庫に入れて見た。冷やされて氷が出来て、写真のように体積収縮で括(クビ)れてしまった。上空に寒気が張りだし、空気の水蒸気が体積収縮を起こし、上空の低気圧に因る地上の水蒸気を含む空気が急上昇し、竜巻になったり、冷やされた水蒸気が雹になる現象の意味が良く理解できると思った。酸素分子も同じような現象を起こすのだろうかとアボガドロ定数に関する気体論とボイル・シャルルの法則を考えた。気体分子運動論が現代物理学の標準理論になっているようだ。その理論には質量がエネルギー解釈の基本条件になっているから、その理論による水分子H2Oの質量の運動エネルギーで解釈すると成ると、ボイル・シャルルの法則以上に理解不能の筆者だ。以前『温度とは何か』が問うもの でも考えた。

沸騰を読むー原子と寸法ー

夕飯のおかずはロールキャベツだ。合挽き肉からキャベツの葉に巻き込むのも結構難しい。落としブタで煮込みをしていると、蓋の周りから沸騰の蒸気が噴き出す。眺めていて不図思う。この水蒸気は水分子がボイルシャルルの法則に従って、体積膨張をしたものだと解釈しながら眺めている。物理学理論によれば、水分子の体積膨張とは解釈せずに、気体分子運動によって解釈するのだろう。ボイルシャルルの法則は、気体分子運動論から見ると、どこに行くのだろうか。まさか水の沸騰現象だけは「ボイル・シャルルの法則」で解釈するのじゃなかろう。ナベ底の水分子が、加熱されてそれ以上の熱エネルギーを吸収し切れなくなったために、水分子が極端に体積膨張して、供給される熱エネルギーを沸騰として外部に放出するのだ。水の分子は水素二つと酸素一つの化合分子だ。一気圧で、体積膨張する訳だから、膨張時の分子の空間寸法はとんでもなく大きい。その時の酸素も水素もその原子そのものが空間的に体積膨張すると考えなければならない。原子が空間寸法で拡大するという原子の解釈は無いようだ。原子論では、外殻電子の周回軌道半径が拡大するという解釈だ。その半径は水の沸騰時の体積膨張などとは考えていない。そもそも外殻電子の周回モデルなどの原子構造は考えられないから、全く別の原子像を考えなければならない。水の沸騰現象を見て、改めて原子寸法を全く違う認識で捉えなければならないと感じた。

水の沸騰を読めば、原子構造・寸法を考え直す。酸素原子も水素原子も沸騰で爆発的に体積膨張する。気体分子運動論は間違いだ。原子もエネルギーの局所化による質量的観測形態でしかない。熱エネルギーも原子質量と本質的に別物ではなく、ただその観測者側の概念的常識論が問題なだけである。

水素爆発の意味が理解できない。水素が空気中に7%になると爆発するという。酸素との結合と思うが、燃料電池の意味にもなるが、何故水分子になるとエネルギー放射するのかが理解できないのだ。水のお伽の世界 。

昨日の明けた今朝、やかんで湯を湯を沸かしながら沸騰の様子を見た。少しも水蒸気の体積膨張の様子が見えない。ただ水面がぼこぼこと波立っているだけで、水蒸気が膨らんでいるとは見えない。昨夜は、ロールキャベツが立派な味に仕上がっていた。美味かった。ロールキャベツの煮方は、内蓋に皿を使って煮ていた。表面は肉の煮汁で、水面と言うより油面となっていた。だから水蒸気が体積膨張した球状の塊のまま鍋の煮汁表面の縁から噴き出して来たのだ。それを見て、気体の体積膨張を読み取ったのである。水の沸騰現象は、表面に油があると良く観測できる。勿論、ロールキャベツのアク・油は途中で、表面からよく取り除いて食べた。日常生活の中に、自然は素顔を見せてくれる。自然に心を寄せてこそ、自然科学と言えよう。少しも研究費が掛らない真の科学論。今回、材料で『干瓢』を買えなかった。もう伝統的な食材も手間がかかり、職人が消えて行く悲しい思いを味わった。経済成長は、伝統的職人が消えて行く事なんだ。

隕石突入の衝撃波

隕石の衝撃波

2月15日ロシアに隕石が落ちた。自然現象としての驚きの衝撃を受けた。どこに落ちるか分からない、予測不能の宇宙の事件だ。なかでもその衝撃波のすごさに驚いた。自分なりに解釈しておきたくなった。強烈な摩擦熱の発光現象だ。熱の高温度発光・爆発現象だ。閃光を伴い、後に物凄い空気圧の衝撃波に襲われたようだ。建物が破壊される程の爆発力だ。

衝撃波 その本質をどう解釈するかだ。図にまとめてみた。空気が熱膨張して、その圧力波が衝撃波の基である。その強さは波頭のエネルギー密度の大きさ H[J m^-3^]で決まろう。しかも空気伝播のエネルギーの縦波の単一衝撃波である。空気を媒質とした熱膨張エネルギーの伝播であるから、音速の伝播速度なのであろう。熱による空気膨張だから、「ボイル・シャルルの法則」に従う現象である。ただ、圧力膨張エネルギーは空気を移動させる訳ではない。水の津波エネルギーと同じく、空気にそのエネルギーを乗せて、伝播放射させるのである。衝撃の強さは空気に乗ったエネルギーの波頭が障壁に衝突した時その破壊力を現わす。その破壊力を今回の隕石衝突映像で何度も見せて頂いた。建物に到達したとき、ガラスが微塵に砕け散る様子が見えた。その衝撃波に耐える障壁なら、その波は反射して、逆の方向にその障壁が新たな波動源として広がるであろう。硝子のような瞬間の圧力に弱い障壁は硝子の表面積に到来する圧力の積分で衝撃波頭密度が急激に上昇するから、一溜まりもなく粉砕されてしまう。その圧力上昇は空気の圧縮として襲う訳である。この現象を思うと、光が硝子に入射するときの『屈折現象』の事に思いが繋がる。波とは不思議なものである。一度方向が決まると、どこまでもその最初の方向性を保ちつづけて、エネルギー伝播を成し遂げる。ぶつかるまで方向性を変更しない縦波である。光と同じエネルギーの縦波と観る。衝撃波は基本的に単一波である。光で、『光子』あるいは『光量子』と言うが、その本質も単一波と解釈できる。光も横に振動する実体など何もない。光一粒と言う事も横波の振動概念を捨てなければ、その解釈の曖昧さは消えない。光とは何か?-光量子ーで一粒の光の姿を空間像に示した。波動の数式による解釈の科学的常識はシュレーディンガー波動方程式による解法のようである。それは波動が振動すると言う基本認識に立っている。だから、周波数や振動数の変数の導入が欠かせない。衝撃波のような単一波はその解析のルールには当てはまらない。コンピュータ波動分析で、周期性の無い衝撃波はどのように解析するかが興味ある疑問である。空間エネルギー分布像の認識が基本的に重要となる。エネルギーそのものの空間伝播現象の認識である。質量に付帯するエネルギーでない、エネルギーそのものの実在性の認識である。運動エネルギーや位置エネルギーでない概念である。質量に依存するエネルギーは質量と共に移動伝播する現象になってしまい、隕石突入の場合で、衝撃波のような質量(空気)の移動しない波動現象は運動方程式で解けないのではないか。理科教育で、『エネルギー』の実相を認識した改革が必要であろう。

『温度とは何か』が問うもの

温度とは何か この標題で今年(平成23年春)の物理学会で発表する予定であった。温度は物理学のあらゆる研究の条件となる重要な環境指標である。しかし『温度』と言う物理学的概念は中々捉えようのない不確かな概念でもあると思う。そこで私なりの解釈を学会の場で問題提起をしようと投稿した(日本物理学会講演概要集第66巻第1号第2分冊、p.443)。ところが今年は、日本物理学会第66年次大会(新潟大学キャンパス)が東日本大震災の影響下で中止となった。一応発表に使う資料を準備した。そこでその内容の一部をここに報告する事にする。『温度とは何か』は熱現象に関わり、その本質は的確に捉えられていないと思う。物理学理論、教科書的理論はとても納得できるものでないと言わなければならない。熱に関わる事に踏み込むと、収拾が付かなくなる程、言はば魔の領域でもあると聞いていた。温度は熱エネルギーと密接にかかわり、古くは産業革命の原動力となった蒸気機関の発明からの『熱理論』の研究対象となってきた。工業製品の自動車エンジン、クーラーの熱交換機、原子力発電所の原子炉と蒸気タービン等あらゆる現代科学技術の隅々に主動力源として応用されている。ならばその理論は完ぺきであると解釈するのが当たり前と思われよう。例えば水の蒸気機関では『蒸気線図と熱サイクル』として完璧な技術理論が完成されている。蒸気の圧力p[kg/㎠]と比体積v[㎥/kg]および温度T[℃]並びにエンタルピーi[kcal/kg]やエントロピーs[kcal/kg K]の関係で、その水蒸気の詳細な状態量を評価している(しかし、これらの概念量の単位はMKSに統一されていない上に、温度も摂氏温度[℃]と絶対温度[K]が混合している点は注意)。理論は兎も角として、この熱力学応用技術は完全に確立されていると見て良かろう。それでも『温度とは何か』と問わなければならない事がある。私が指摘したい事は『物理学理論』として大学などの教育現場で行われている『熱理論』の授業内容が無用に思える。今回の学会講演概要集にも計らずも(?)私と同じ標題の論文が載っているが、その内容は解釈・理屈が私のものと正反対である。

温度は何が決めるか 特に気体の温度は何が決めるかと言う『問答』である。それを右の図面で考えてみようと思う。先ず温度とは物理量かの問いである。教科書的熱力学は温度が基にあって、その時の気体分子をどのように解釈すれば良いかの論議に成っている。その逆で、『温度を決めるのは何か?』が重要な視点であろう。図には3つの温度が示されている。室温と言う気体の温度T[K]、温度計の指示値T_th_[K]および白熱電球のフィラメント温度T_f_[K]の3つである。温度計を電球の放射光から遮蔽すれば、室内の気体の定常温度Tを指示する筈である。室温は電球の放射光と気象条件などの外部条件の基に平衡温度に落ち着く。しかし電球の光が温度計に照射されれば、その温度計の指示値は室温より上昇する。その時の温度計の指示値は決して気体分子の運動エネルギーにより決まるものではない筈だ。直接電灯からの放射光のエネルギーが温度計の液体に入射してそのエネルギーに基づく膨張が指示値となった筈である。逆に、温度計の指示値から気体分子運動エネルギーを計算することは出来ない筈である。気体(空気)の温度は温度計の指示値から読み取る訳であるが、その指示値は何が決めるのか。まさか、空気分子が振動して温度計のガラスに衝突し、その運動エネルギーの一部をガラスの振動エネルギーに変換し、更にガラスの振動がアルコールの液体の運動エネルギーに伝達し、アルコールの液体の運動エネルギーの増加で、アルコールが膨張すると説明する訳ではないと思う。分子の運動エネルギーが増加すると、分子の衝突の影響が強くなり、互いの分子間の反発力の増加で、分子間の離隔距離が広くなり、膨張したような広がりを生むと看做す解釈になっている。「分子運動論」の基本的認識はそのような解釈に基づいているのだろう。しかしその解釈は本末転倒した論理である。温度が与えられると、その温度によって、分子運動が決まると言う解釈が間違いである。即ち温度が気体の運動を決めるのではなく、気体分子に与えられるエネルギーの量により分子の状態が決まるのである。どのような状態を呈するかと言えば、気体、液体あるいは固体の運動では無く、ただ体積の膨張・収縮と言う状態の変化で現れるだけである。図で示した意味は、電灯からのエネルギーが直接温度計のアルコールに入射し、アルコールの体積膨張を来たす現象として説明したかったのである。ボルツマン定数k と絶対温度T から、気体のエネルギーを kT [J] とするがT は必ずしも気体の温度を示している訳で無いと解釈する。結局『温度とは何か』である。それは、気体であれば、気体分子が保有するエネルギー量が周辺の近接する気体分子、媒体の保有エネルギー量との関係に基づき、近接する物同士の間で、互いにエネルギー放射と吸収の平衡状態に落ち着くようにエネルギーが流れる自然現象である。『エネルギー』そのものが実在している事の認識ができるかどうかの問題でもある。光が訳の分からない何かが振動しているような曖昧な解釈が罷り通っている状態では理解が出来ないと思う。光も振動する物など何も無く、ただエネルギーが縦に、縦波として伝播しているのである。物理学熱理論では、気体の温度を「気体分子の運動エネルギー、振動エネルギーあるいは並進運動エネルギー」等の『運動の衝突・反発力』による膨張との解釈と観る。それは気体分子などの質量に付帯したエネルギーと言う意味では、『質量』が物理的拠り所となっている点が私の解釈と異なる。それなら、その運動エネルギーが如何程であれば、逆に気体の温度を幾らと規定するのかと、温度と気体分子運動との相互依存関係の有無について、回答を要求せざるを得ない。『温度とは何か』が問うものは「何が温度を決めるのか?」であり、『温度』その物の意味を問う事でもある。温度の値を決める原因は何かを明らかにすることが物理学理論の進むべき本筋である。蛇足かも知れないが、もう一度言う。決して、気体分子の運動エネルギー論が気体の温度を説き明かす解釈にはつながらない。温度の基は『エネルギー』そのものである。光、光量子等と言はれるもの、太陽光線はその代表的なもので、エネルギーそのものである。そのエネルギーが気体分子、温度計のアルコール液体、部屋の壁面、床面に吸収されて、それぞれに貯蔵されたその吸収エネルギーが平衡を保つように逆にエネルギー放射されるのである。気体分子や『モノ』に入射した『エネルギー』そのものにより、『モノ』が膨張するのであり、運動などしていない。近接体同士の間でのエネルギー量の平衡が保たれるようにエネルギーの流れが起きる。気体分子や『モノ』のエネルギー吸収・放射特性が同じ訳ではないから、エネルギー量とその膨張量は違う。それぞれの物質間で、エネルギーの吸収・放射を繰り返しながら、膨張が決まり、結果的にその平衡バランスで温度計の指示値が決まるのである。その指示値を室温と解釈しているのである。さて上の図には電球のフィラメント温度T_f_[K]が基に成って、光エネルギーが放射されるが、その放射量を決める法則が『ステファン(・ボルツマン)則』で、絶対温度の4乗に比例すると言う。この法則が正しいかどうかと言う疑問がある。ここで光・熱の放射法則に触れておこう。熱放射則としては先ずプランクの式を挙げなければならない。プランク則は特殊な黒体の放射則であるが、温度と放射光の基本関係を解釈する基に成っている。この二つの式だ、その単位をご覧いただきたい。式も複雑であるが、その単位が問題である。そんな空間を伝播する光のエネルギーを測定できる訳が無いのである。エネルギーの単位ジュール[J]のメートルmの4乗当たり等の空間概念が測定できる訳が無い。じゃステファン則の単位秒当たり、単位面積当たりの空間エネルギー流(電気ではポインティングベクトルと言う)を測定できるかと言う疑念である。この点については、『プランク定数』を疑うと言う標題で別に論じたい(まだ未投稿のままである)のでここでは踏み込まない。(2013/02/12)以下#までを 追記。熱輻射理論に関する考察および花が光か 光が花か で熱輻射理論への疑問を記した#。ステファン則等あらゆる熱力学理論の基本定数として欠かせないボルツマン定数k[J/K]が有る。それは1分子当たりの保有エネルギーと絶対温度の関係が物質に関わりなく一定であると言う意味を表したものである。その古い意味を含んだ法則に『ボイル・シャルルの法則』が有る。ボイル・シャルルの法則そのものの法則としての意味は重要と思う。しかしボルツマン定数との関係付が怪しいと見る。こんな定数が正しいと言えるのかと言う疑問である。気体定数R、アボガドロ定数Nと言うとても古くて偉大な定数が物理学・化学の科学論の大原則として、頑迷に蔓延っている。例えば、アボガドロ定数は1811年に提唱された仮説である。どんなガス分子も同一の体積には同一の分子数であると言う解釈である。ならば、ベンゼン核を含む芳香分子ガスも水素ガス分子も本当にそんな法則が成り立つと言えるだろうか。教科書的原理の殆どは誤った古典的解釈論の伝達法に成っていると思う。科学技術社会を構築して来たのは科学理論ではなく、経済成長と言う人の欲望が進めてきたと思う。結論として、「気体分子運動論」は不要で無意味な論である。最後に、発表一枚目の準備シート。