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帆掛船(2019年報告)

新しい子年を迎えて、今年が平和で、幸せな1年であったと次の年に渡れることを願います(2020/01/09)。

昨年も多くの自己問答を繰り返して、科学論の基礎概念として最後に残るものが『エネルギー』であるとの確信をさらに強くした。新たな不思議の発見のためにも、己を見つめるためにも昨年の記事をまとめておかなければならない。記事の標題の前に投稿の(月 /日 )を付けた。(2020/01/06) エネルギー像(物理学基礎論)と(2019/12/02) 燃料はエネルギーに非ず が参考になるかも知れません。

1.物理学的・化学的エネルギー

(1/5) 独楽の心 (2/7) 熱の物理 (4/22) 物理学理論と磁束 (4/29)  mc^2^から物理学を問う (5/21) 力の概念と電気物理 (6/14) エネルギーとは何か (6/29) エネルギー変換物語(炭火とエジソン電球) (9/14) 空間定数とエネルギー伝播現象 (11/13) 電池(エネルギー)の不思議 (11/17) 電気抵抗と物理特性 (11/19) 電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (11/19) 電池と電圧(エネルギーの実験) (11/25) イオン化傾向とは? (12/20) 水の電気分解

2.電子・電荷とエネルギー

(5/26) 不可解な電荷 (6/6) 電子は流れず (7/6) 電子とエネルギーと質量 (7/28) 科学論と電荷 (10/23) 電荷と電圧の哲学 (11/20) サヨウナラ『電荷』 (11/27) 電荷方程式

3.光とエネルギー

(5/3) 光量子空間像(D線) (5/8) 光速度一定とは (11/2) 光と空間 (11/11) 軸性光量子像

4.電気回路とエネルギー

(3/3) 電気磁気学の要-Axial Energy Flow-  (3/17) 電気物理(コイル電圧) (3/21) 電気抵抗体の物理 (3/26) 電気物理(電圧時間積分とエネルギー) (4/3) 誘導エネルギーに観る技術と物理 (4/12) 変圧器の技術と物理 (7/16) 「高電圧」のエネルギー像 (8/11) 電圧・電流とエネルギーと時空 (8/23) 光エネルギーと速度と時空 (8/29) 分布定数回路と実験 (9/16) 電力p[J/s]の意味と解析法(1)意味 (10/1) これが電気回路の実相だ  (10/2) 電気回路のエネルギー問答 (10/6) 特性インピーダンスとエネルギー伝送特性 (10/31) 大学と基礎教育

5.電気工学と技術

(4/14) 励磁電流とは? (5/29) リサジュ―図形と技術 (9/22) 電流1[A]の物理的空間(インダクタンス算定式) (9/26) 静電容量算定式と理論 (10/14) 分布定数回路空間の世界

6.詩と科学と社会と文化

(4/19) 月に立つは夢か (5/18) 自然と科学理論の架け橋はいずこに (6/25) 津波前の急激な引き波―専門家に問う― (7/20) (8/2) 不思議とは (9/5) 『エネルギー』それが世界の根源 (9/7) 電流1[A]の論理性-考える理科教育への科学者の社会的責任- (10/28) Find more information here (11/24) 共謀罪は法の押しつけ (12/2) 燃料はエネルギーに非ず (12/25) 質量とMassの間に 

7.自然・日本の風景

(1/16) 地学ガイド 新潟の自然に感応して (4/25) 2019年の春 (5/10) 初夏の花 (6/21) ダンゴ虫が何を? (7/4) 雨粒と波紋 (7/6) 生きる雨蛙 (8/3) 深山クワガタ (10/20) 桔梗 季節に戻る (11/15) 秋の色

質量とMassの間に

はじめに(2019/12/22)
文字は心の表現文化だ。世界を知り、その意味を読み解き、その捉えた象形・認識を広く共通理解するための表現手段が文字になる。科学の世界を語ろうとすれば、そこにはその専門用語が揃っている。電気工学から電気磁気学の『エネルギー』概念に思いが移り、その中に見え隠れする自然の神髄に辿り着こうとしても、『エネルギー』からの隔たりに長く戸惑いを覚えてきた。電気と言えば、『エネルギー』より大昔から『電荷』がその中心に居座っていたように思うが、最近はその『電荷』での科学論が虚しくさえ思える。伝統的科学理論を支えて来た基礎概念と用語が余りにも狭い専門領域内でしかその役割を果たせなくなっていると思うようになった。質量も科学論・物理学はじめすべての分野の基礎概念と理解されている。しかしその質量と言う用語で捉える物も、原子、分子あるいは電子から構成されていると言われまたそこから光が放射される現象を考えれば、質量から光のエネルギーが何故放射されるかと考えてしまう。天空にきらめく星の光は何故放たれるのか。質量から放射されるのかと?そんなとりとめもない不思議から質量とMassに思いが移った。

自然と科学概念

自然はそこに表現する姿象が余りにも豊穣で、科学論で語り掛けて近付こうとしても、なかなか寄せ付けてくれない。数式でその意味を表現しようと試みても、きっと巨像の尻尾程度しか理解できないのだろう。

質量とMass 質量と言う日本語訳の原語はMassであろう。日本語と言っても、それは中国文明の恩恵を受けたものである。Massを質量と翻訳した明治時代(?)の先人の叡智には感嘆せざるを得ない。この点について筆者は、この訳語『質量』が元々中国で翻訳されていたのか、あるいは中国では他の訳語が使われているのかどうかも知らない。さて、科学技術文明は基本的には西洋思想の叡智が育んだものであると言えよう。あらゆる科学技術用語もその思想の中から生まれたものである。その西洋世界の文明の姿の基本はやはりその表現用語の文字に在ろう。アルファベットと言う26文字の組み合わせから表現され、構築された概念である。古代中国の生み出した漢字文化とは大きく異なったものである。グローバル化の時代に取り残された筆者には、過去の宝探しに現を抜かせば『質量とMass』の関係性の不思議に思い当たる。やはり漢字の『質量』にその意味を尋ねてみたくなる。そこには東洋思想の匂いがする。物には言葉が付きそう。言葉は人の心を表す。心は人の日常意識の在処である。文字は心の表現手段。中国文明の流れる東洋思想には物の空間における具象認識がその根底に在ると観る。象形で理解する。それは具象性を求める。それに対してMass には具象性に変わって抽象性の心が見える。26文字での表現には、科学技術文明を生み育てた抽象概念構築の途轍もない叡智が感じられる。『エネルギー』の流れる現象を『電圧・電流』と言うとても高度な抽象概念に依って捉える手法を生み出したのだから。

漢字の意味に遊び心を重ねてみよう。古代の隷書体には漢字に込めた中国の哲人の思いが観える。物・世界を見る人の認識の象が表れている。

『質』の字:貝に鉞(マサカリ)が二つ。この隷書体と遊び心を繋げれば、貝塚までもなく、巨大な貝を食料としていた遥か彼方の人類の営みが想像されて来る。とても固くて巨大な貝との格闘が見えてくる。切り開く困難に鉞の字が当てはめられた心が読み取れる。

『量』の字:計る道具の現代のバネ秤の構造に似ている。量るという意味が良く表されている。

『質量』に翻訳した心。『質』と『量』の二文字を組み合わせた『Mass』の訳語をどのように決めたかを考えれば、その先人の文明開化への情熱の高まりまでも読み取れる気がする。道端の石ころ一つにも、その石は初めから石ではなかった。地上の石は遥か昔の太陽の光が創り上げた遺跡ともみられる。どんな変遷を経て石になったか知ることも出来ない。質量と言う用語の如何にも固い形の物の概念を言い表しているかを思えば、そこに有っただろう具象性が心に響く。

鉞。この漢字は鉄金属で出来た比較的新しい(紀元前の話であるが)マサカリ。右の旁(ツクリ)がマサカリの意味だ。「新」の字の偏(ヘン)は多分巨木の梢に立って新たな道を切り開く程度の意味で、その時には必ず「マサカリ」で邪魔な物を切り捨てる必要があり、それが旁の「マサカリ」であるのだろう。そして初めて漢字に込めた「新」の新しい意味となると考えて観たい。「断」の字も複雑に繋がる糸の偏の字を何かやはり「マサカリ」で絶つような意味なのかと考えたい。このように『質量』の用語を考えても、そこに込められた先人の思い、世界に対する心構えを思い描けるような気がする。その思想にはやはり世界観の特徴として「具象性」の際立ちが観える。それに対して『Mass』には「具象性」は見えない。

言語と東西文化。

日本語と西洋言語では同じ対象を表現するとき、当然その意識の根底には幾らかの対象への異なる心象が有るのだろう。西洋思想と文明に際立っていると思えることは、やはり26文字によって世界を理解する言語感覚にあり、その表現能力に抽象的な認識において卓越性が有ると言えよう。そこに観えるものは対象に具体的な漢字一文字を当てて認識する具象的な東洋との違いであろう。具象性より抽象性において優れた象形認識力が強いと考えたい。そこに科学技術による世界の自然開拓・開発の論理構築力が発揮されたのかと思えば、世界認識手法における文字の意味さえ不思議な対象となる。自然科学理論が自然を利用する活用技術の統一的構築に西洋思想の意識の基でこそ初めて成されたのかという思いがする。それに対して、無限の漢字数によって自然世界を具象的に認識する思想の中に『無』とか『道』あるいは『空』の概念で捉える統一的自然認識との意識の融合が東洋思想の特徴かもしれない。自然との一体感に「老子」の自然哲学が大きく影響してきたとも思える。

質量とエネルギー

質量が如何にも固い物に思えても、質量が世界構成の根源でないことはみんな知っていよう。また質量が原子・分子から構成されているという意味も理解し、みんな納得しているだろう。その原子は周期律表にまとめられているように、とても多くの特徴を持ったものに分類されている。原子には核と言う中心領域がその周辺とは異なる存在になっているようでもある。周りが電子で取り囲まれているように言われている。原子の特性は核分裂以外はその周辺の電子が担っているような原子構造論で常識化されているような印象を受けている。そこで、『質量』や『電子』あるいは『電荷』と日本語によって認識する科学基礎概念は西洋思想によって構築された概念であることを再確認したとき、その概念に対峙する対象の捉え方が同じものなのだろうかと考えさせられるものがある。そう思うのは筆者だけなのだろうか。今まで科学概念は世界共通の理解にあった。『電子』や『電荷』の物理概念や物理量が何故具象性によって認識する東洋思想の中にすんなりと受け入れられてきたのか不思議である。それ等の空間像をどのように描くのか。空間に存在するものならば、その空間の占有像が描かれなければ存在するとは認識できないのが東洋的具象意識ではなかったのか。其処に欠けていたのが『エネルギー』だったのではないか。熱も光も『質量』もみんな『エネルギー』の具象像ではないか。『エネルギー』を構成する、それ以上の根源量はない。物理学理論における『エネルギー』が的確に認識されていると思えないところに現代的科学論の課題が有ると思う。水の波を『エネルギー』で理解することが日常生活に根差した理科教育の要である。

 

水の電気分解

はじめに(2019/11/19)

有名な本「ロウソクの科学」を読んだ(まだ最初の何章かであるが)。なかなか理解するのに基礎知識がなく、困難である。年代は1860年ごろの出版書である。現代科学論と比べれば相当昔の話の内容である。しかし乍ら、有名なファラディーの公開実験講座の講演記録で、とても内容は高度なものに思える。実験器具や化学薬品など基礎的なものでありながら、深い内容として筆者には有意義な著書になる。その中に水の電気分解の実験記事がある。J.J.トムソンの陰極線より前の話である。『電子』概念がない頃の実験である。それでも直流電源は立派に働いていた。その本を読んで、水の電気分解がよく理解できない筆者自身を自覚させて頂いた意味でも貴重な内容の本である。電気分解は化学の話になるかと思うが、電気との関係で『電子』の意味を考える話としてとても重要な物理的内容を含んでいると思う。今取り上げている、電池とイオン化傾向そして『エネルギー』との関係の物理現象が物理学基礎理論として大変意味が有ると考える。そんな筆者の理解できない内容を自己問答として取り上げてみる。その取り上げる内容が科学知識としては本当に基礎的な知識であるから、専門家がどのように評価されるかにも関心がある。読者にも参考になろうから、ご指導をコメント頂ければ有り難い。理科教育の科学常識に関わる意味であり、特に『電子』概念の論理性の問題でもある。なお時代として「ロウソクの科学」ではまだ電子論は採られていない。

水の電気分解

現象と意味。 水の電気分解の現象を考えると、とても難しいことに思える。幾つかの場合に分けて、分からない意味をハッキリさせてみたい。自分の分からない事を明らかにするには、その分からないという意味の内容を明確に認識し、自覚することが先ず大事である。そこから研究の第一歩が始まり、より深い理解に辿り着く可能性が見えてくるかもしれない。と考える。

水とは何か?

検索すれば簡単に解説がされているが、筆者にはとても理解できない事ばかりである。水の分子一つを取り上げても、何故酸素と水素が結合して命の水に形態変化をするのか。朝露を観れば、踏み付ける草の命に愛おしさを覚える。目立たない草が水を作っているように見えるから。コンクリートの中に居ては決して見えない世界であるかも知れない。天然の精水 (2012/06/14) 。化学結合論として H2O を学習しても、何故そのように結合するかの原理は原子物理学の解明するべき内容である。自然界に存在しない電子で結合論を論じても、一般の市民が真に納得するだけの解説にならないだろうと思う(?)。クーロンの法則を電荷論の基礎に据えながら、負の電荷同士の電子が手を繋ぎあう共有結合等と言う結合力を認める合理的解釈が生まれる訳などどこにもない。そんな基本的矛盾を抱えたまま、科学コミュニケーションなど採れる訳がないと思うが如何でしょうか。

実験回路

回路①。 基本的な実験回路は①の場合である。まず図の直流電源の電池をエネルギー源としてみた時、エネルギーは電池の負極から電線近傍を伝播して、負荷対象に届く。この場合の負荷対象は水で、 H2O という分子の集合空間である。今の教科書の解釈は電子で説明されている。筆者は、その『電子』が実在するなどとは考えられない。「ロウソクの科学」でも未だ電子での解釈はない。電気のプラスとマイナスという説明もなされてはいないで、電気の力という言い方である。水に電圧を掛けると、酸素と水素に電気分解されるという実験的事実である。その実験的水の電気分解はさて、この①の場合で、筆者はここでも電池から『エネルギー』E[J]が水分子一つ H2O に供給されると解釈する。その時水の空間が負荷インピーダンスとなる。水分子に『エネルギー』がどのように印加されるかという問答になる。水中に?マークを印した。しかし、その水の空間にどのように電圧が印加されると考えればよいか良く分からない。分子式で書き表せば、次のようになろう。電源からの供給エネルギーをE[J]とする。なお、水の電気分解と水素燃料電池は丁度逆の化学反応になっている。ついでに、燃料電池の場合も併せて示す。

電気分解    H2O + E[J](電気エネルギー) =(1/2) O2 + H2

燃料電池   (1/2)O2 + H2 = H2O + E[J](発電エネルギー)

電気分解は水(実際は純水ではなく、不純物が含まれている)に電気エネルギーを供給して、金属電極と水分子の間に掛かる電圧(エネルギーギャップ)に因って分子分解をすると考えたい。電子、電荷を物理量から排除すれば、残るはエネルギーによって解釈する以外ない。その『エネルギー』と言う概念が物理学理論で明確に捉えられていないと、残念ながら考えざるを得ない。それは『電荷』や『電子』が水の電気分解はじめ、電気現象の基本的論拠となっているのが現実であるから。『電子』での解釈は原子構造論からの『イオン』と『電子』の関係で如何にも分かり易いように思えて、科学常識として受け入れられてきたものであろうが、そこには『エネルギー』の意識が抜けた、大きな矛盾を抱えたものとなっている。電源からの供給エネルギーと言う解釈が無い。『電子』では『エネルギー』の役割を担えない。そこに物理学理論の基本的欠陥が隠されている。

針状電極

『電荷』を否定すれば、イオンと言う解釈が採れない。しかし電極には確かにプラス、マイナスという違いがある。(プラス、マイナス)という表現自体が『電荷』を否定したら使えないのであるが、エネルギー供給側(マイナス側)とその対称極側(プラス)などと区別しても、もっと分かり難くなるから,やむなくプラス、マイナスで表現する。さてそのプラス側とマイナス側の電極と水の接触点で、どの様な電気的ストレスが発生するのか?一つ電極が針状の尖ったものの場合を考えてみたい。電極が尖った場合は、空気中では明らかに火花、グローコロナの形状が異なる。負極側では勢いよくコロナビームが放射するように発生するが、プラス極側では先端に固まった小さなコロナとなる違いがある。それは水の中でもおそらく同じ傾向の現象に成ると考えて良かろう。電極が針状の場合は分解効率が良くなるのではないかと考えたい。

印加電圧の極性が両電極で異なる。水と電極金属の間の極性(エネルギーギャップの電圧極性)が逆になる。電源のエネルギー供給は負極側からなされる。負電極と水の間のエネルギーギャップは電極金属側がエネルギー密度の高い状態を呈する。それに対して、陽極側の電極と水の間のエネルギーギャップは水が高エネルギー密度分布となると考えられる。陽極電極にはエネルギーはない。

プラスとマイナスの電極間にエネルギーギャップが掛かる。水分子と電極金属面間に大きな電圧(エネルギーギャップ)が分担されて印加される。学術的解釈論は水分子のイオン化が基本になっている。『電荷』が存在しないから、残念ながらイオン化論以外の解釈で理解したい。解釈の基準に、エネルギーと結合 (2018/10/10) および水の妖精七変化 (2017/11/02) さらに結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) を参照したい。水素分子と酸素分子が2対1の体積比に水が分離される。この実験的事実は科学論の基本として、紛れもなく自然の本質を表している。この科学的常識が『電荷』に因る、あるいは『電子』に因るイオンの解釈になると途端に論理性が欠落してしまう。

回路②。

①の集気は酸素と水素が別々の試験官に採取される。だから酸素と水素が別々にプラス電極とマイナス電極で分解分離されると分かる。「ロウソクの科学」でも、この②のように一つの試験管内にプラスとマイナスの電極によって、酸素と水素を電気分解しながら混合気体として採集している。その混合気体がやはり酸素と水素から成り立っていることを実験的に証明して見せているところが素晴らしいと感じた。その混合気体を燃焼させれば元の水になることを実験で示している。ファラディーのその実験では「電荷」も『電子』も説明には出ていない。ファラディーは“電気の力”や“エネルギー”と言う用語で解説している。そこには違和感はない。ー強力なヴォルタの電池、その二つの電極ーなどと表現しているが。20世紀初頭からの数理的理論偏重の構築された物理学によって、生活科学からの乖離が始まったのが原因ではないかと危惧する。そこに分かり難い曖昧さが忍び込んできた。

回路③。

この回路は①の回路の水(?)の部分を分離したらどうなるかと不図疑問に思ったものである。実験してみないと分からない。回路①の水(?)で繋がった部分の、所謂イオン(?)の移動ができない場合に水が電気分解されるだろうかと試したくなった。この回路はただそれだけの意味を示した。

水素爆発現象が有る。福島原子力発電所崩壊での実際の様子にもあった。大気圧の7倍の高圧破壊になるという。太陽の原理は水素の連続定常核融合現象と専門家は指摘している。水素核融合は水素がヘリウムに変換する現象で、その時エネルギーを放射する核融合反応と言う。ウラン原子の核分裂と逆の核反応現象であると。素人の感覚からすると、太陽の水素原子核融合反応が継続的にほぼ定常の水素原子消費で起きるという状況が信じられない理解力の無さを抱え込んでいる。クーロンの法則との関係で、原子共有結合原理の理解ができない悩みと同じく。「ロウソクの科学」で水素の燃焼実験を公開している。筆者は残念ながらそのような水素燃焼実験を見たことが無い。高圧水素ボンベでの燃料電池の発電方式は水の電気分解と丁度逆の化学反応だ。水とエネルギーの間の有り触れた不思議が考える一コマを運ぶ。

 

 

 

イオン化傾向とは?

はじめに

イオン化傾向と言う用語は高等学校の化学で学んだと思う。化学が不得意でなかなか理解できない。化学知識は今でも高校生のレベルが遥か遠くに思える状況だ。しかし電気回路と電磁気現象については特別に深く理解していると思う。『電荷』や『電子』が如何に曖昧な概念であるかを解説できるから。そこに当然のこととして、『イオン』と言う用語の概念が関係してくる。イオン化傾向という化学の用語の意味が理解できないことに悩む。原子の周りを周回する「電子」の存在が科学理論の根幹をなす常識であろう。それを否定すれば、科学の世界では所謂「話にならない門外漢」と無視される。それでもイオン化傾向の物理的意味を理解したい。

周期律表とイオン化傾向

周期律表の中にどのような配置で順番が決まっているかを描いてみた。赤い番号がイオン化傾向の順番だ。昔と少し違うのは、リチュウムはなかったと思う。カリウムの次がナトリュウムだったと記憶している。中に水H2Oと酸素Oも書き込ませていただいた。化学反応で水は重要な意味を持っていると考えるから。

水の電気分解

水の電気分解が何故可能かが理解できない。基礎の基礎が分からないので、水の電気分解について別に改めて考えたい。エネルギーと結合 (2018/10/10)。

電池とイオン化傾向

電池は化学物質の分解と結合の反応によって、エネルギーが生まれたり(発電)、加えられたり(充電)の機能製品である。そこにはアルカリ金属元素のイオン化傾向などでの『イオン』が重要な原理として関わってくる。『イオン』と『電子』は同等な役割を担って解釈されている。電解質内の移動などは『イオン』が主体である。それは『電荷』概念に依るクーロンの法則が支配する科学認識世界である。本当に科学者はそのクーロン則で、論理的科学理論が成り立つとお考えなのだろうか。電解質の場は真空の空間とは違う。化学物質の誘電特性などで『イオン』の移動力学方程式がどのように影響されるか等ほとんど論理的な考察もなく、伝統的な曖昧な論理で結論を付けているだけではないのか?原子構造が電子の周回軌道論で本当に成り立つと考えているのだろうか。『イオン』に如何なる力が働くというのか?決して自然界に存在しない『電荷』などで論理的な解釈ができる訳が無いのだ。そこに「イオン化傾向」という言葉で特徴付けられる厳然たる元素間の化学結合活性化力の差があることの意味が何に依るのかという、真の自然の原理を解き明かさなければならない課題が突き付けられている。それは少しも経済的利益を生むとは限らない本当の「基礎科学研究」の筈である。それは科学者の教育に関わる社会的責任でもあろう。ナトリュウムNaとカルシュウムCaの間に生じる活性化力の違いは何が原因で生じるのだろうか。その差の発生する訳は何だろうか。それは原子物理学の課題かもしれない。周期律表に関係して、周期律表と抵抗率 (2016/06/09) 。

むすび

『電荷』あるいは『電子』がどのような物理的実体を定義しているかを、科学技術の広い分野に亘ってその論理性の確認をすべき時代にあると考える。全体に矛盾の無い統合された論理性を。次代を担う子供たちへの教育の責務として、あらゆる疑問に答えるべき基礎の確立が望まれる。

電気抵抗の物理特性

オームの法則は電圧と電流の関係を関連付ける役割が抵抗と言う係数の数値だ。電池(エネルギー)の不思議 (2019/11/13) でLampのエネルギー変換機能について取り上げたので、その意味に以下で挑戦してみた。しかし解答には至らなかった。

電圧=R×電流

R = 電圧÷電流

抵抗の物理特性を電圧と電流で解釈しようとしても、何も納得できることにはならない。

抵抗の特性

抵抗は電気回路からエネルギーを吸収して、そのエネルギーを熱・光に変換し空間に放射する。何故抵抗はそのようなエネルギー変換作用ができるのだろうか。その物理的原理は如何なる事か。電気抵抗とエネルギーの間に繰り広げられる現象を論ぜよ。等と自分に問答を投げ掛ける。

抵抗の内部構造とエネルギー変換機能

到来エネルギーに対する3つの仕分け。①受け入れずに反射する。②一旦受け入れて後一部を反射して戻す。残りは貯蔵して熱化する。③受け入れて吸収し、熱化貯蔵すると共に、貯蔵密度が限界を超えれば光放射する。一応この3つに分けて考えよう。

①の受け入れずに反射する場合があるだろうか?これは抵抗と言う機能から無いとしてよかろう。高周波伝送の分布定数回路で、負荷終端短絡や無負荷開放ではすべて到来エネルギーは反射される。それは抵抗零と無限大に相当する。エネルギー波長に対して比較できる数千キロメートルの電線路なら、商用周波でも負荷短絡が意味を持つ現象を呈するかもしれない。この①の場合は考慮から外す。

次の②が悩ましい場合である。抵抗内部に入射するには受け入れに内部静電容量の機能が必要と考える。その受け入れたエネルギー量を貯蔵するにはインダクタンス機能が必要と解釈する。そこに抵抗内部構造のエネルギー貯蔵・熱化機能が無ければならない筈だ。一部を反射するには、静電容量で受け入れたエネルギーをインダクタンスが受け入れなければ当然元に反射することになる。

ここに③の抵抗体の基本機能だけで捉えてよいかの疑問が残る。即ち受け入れたエネルギーすべてが貯蔵・熱化変換されて線路に戻されない。その時に、基本的なエネルギー反射現象が起きる。線路特性インピーダンスとの関係で定格系統電圧保持への電源制御がなされる筈だ。抵抗体に到来した線路伝播エネルギーの内、抵抗体入射エネルギー分は線路特性インピーダンスとの関係で抵抗体の静電容量構造値に依って決まり、残りが線路側への反射エネルギーとなると考えたい。抵抗体への入射エネルギーはすべて電線路へは反射されず、熱化と光放射へのエネルギー変換機能としての抵抗体の物理現象を呈する。

まとめ

抵抗体のエネルギー変換機能としての物理現象を考察したが、未だ明確な論理的解釈には辿り着けなかった。抵抗体の種類、構造などの特性に対する実験による考察が必要となる。少し高周波での定在波などの特性観察が必要だろう。エネルギーの動静を感覚的に捉えるにはやはり実験的取り組みが必要のようだ。何方かの挑戦に期待する。あくまでも「電荷」や「電子」での概念に縛られていては無理であることだけ注意しておく。

過去にも同じような事を述べていた。重複しますが。https://hokakebune.blog/2019/03/21/電気抵抗の物理/ やhttps://hokakebune.blog/2016/06/15/電気抵抗のエネルギー論/

 

軸性光量子像

軸性光量子像(2019/11/04)

 

光とは何か?-光量子像‐ (2012/01/15) で平面波状の光量子像を光の空間エネルギー分布密度波として提唱してきた。ただその波形には一つの光の偏光性に対する解釈上の不備があった。即ち、光は二つの直交成分から成り立つとみられる現象が有る。それが「偏光特性」である。思い付きは、夜の眠気に浮かんだ「クラゲ型描像」である。

光の偏光

光のエネルギー密度分布が光速度方向に対して、軸対象であれば直交した二つの成分の構成波と解釈できる。偏光板の分子構造特性によって、光の軸対称性を考えれば、偏光性の物理現象の説明が容易に付く。

軸性光量子の数式表現は全く未解決である。しかし、光速度で伝播するエネルギー空間分布密度波が光の本質である。どのようなエネルギー波頭密度 H[J/㎥] で、しかも軸性空間分布関数で表現できるかは未知数である。平面分布と違い、相当複雑な3次元分布関数表現になると思われる。筆者の数学的能力では困難のようだ。指数関数形の周期関数も欲しいところだ。しかし、実際の物理的光量子の概念は波長λによって基本エネルギー単位 ε(λ) は

ε(λ)= ch/λ [J]

で表され、それは空間エネルギー分布の体積積分であることには変わりがない。プランク定数が一定の値であることの意味も

h=ε(λ)×(λ/c)= ε(λ)×τ [Js]

である。ただし、τは一つの光量子エネルギー分布波が通過する時間である。プランク定数の概念 (2018/07/17) に意味を示した。

光と空間

晴れた朝は陽が眩しい。太陽が遥か遠くから光を届けてくれるからだ。この世界の元締めとして、すべての命を司っている。

寒い冷気の中でも、お日様の陽を浴びれば心まで温かくなる。

陽を受けると何故暖かくなるのだろうか。8分も前に太陽から旅立って、冷たい真空の空間を旅してきたのに、それでも暖かい。世界・宇宙のすべてを司る根源の光の実体を。光は一種の電磁波だなどと迷解答で逃げないでほしい。それでは電磁波は何故暖かいのですか。光の振動数が温かさの原因になるからですか?何が振動しているのですか。電界と磁界ですか?電界とは何ですか?磁界とは何ですか?例えば植物の光合成に電磁波の意味が必要ですか。光合成には、ただ光のエネルギーだけで何も電磁波などでなくて良いのではないですか。本当に自分の心で納得しているのですか?お日様に当たると暖かい訳を説明してほしい。光が衣服に当たるとその速度はどうなるのですか。その時光は何になるのですか。どのような物理現象を起こすのですか。振動数が熱に変化するのですか。科学理論は広く自然現象をより少ない基本から総合的に解釈できるものでなければならない筈でしょう。細分化された現代科学研究を統一した自然の本源から見る易しい科学論の提示が欠かせないと考える。なんといっても自然は易しく、純粋であるからこそ、多様性に富み不思議と謎の姿を現す。

光の結節点

電気回路現象と光の伝播現象が同じ物理現象に観えてきた。空間定数とエネルギー伝播現象で取り上げた図である。分布定数回路の定在波や伝送線路の負荷端でのエネルギー反射現象など、すべてエネルギーの伝播空間での伝播媒体の境界での現象が重要な基本的意味を持っていると考えるに至った。光の様々な現象もその媒体の空間特性がその物理的本質を担っていると考えざるを得ない。その境界点・面を光の結節点とした。

特別高価な実験装置もなく、精々レンズ程度で他に観測装置もなく、自分の眼球と周りの景色から感じ取る感覚だけから光の世界を覗いて、そこに描ける姿を表現しよう。

横道にずれるが、実は昨日、眼球の光ファイバーと色覚 (2010/11/28) に追記した。ご専門の皆さんは、人の眼球機能をカメラと同じ原理でご理解なさっておられるようです。網膜に視界を捉える機能の細胞が有ると。眼球構造の網膜は球面をなしています。カメラで球面構造に焦点を結ぶ光学的光路が物理的に可能とは理解できないのです。人は水中に潜ると、ゴーグルなどで目の角膜と空気層の境界を作らないと視界は見えない。光の所謂結節点の問題です。眼球内の水晶体と硝子体液の媒体間の光の屈折現象の光学問題として考えた時、どう考えても凹球面網膜に焦点を結ぶとは考えられない。それと、黄斑の点々が眼底検査で何故観測されるかの説明が無ければならない筈と思う。硝子体管のファイバー断面と考えた最初の理由がそれである。眼球型カメラを取り上げて考えた。

光の結節点の具体例は屈折現象であろう。

光の伝播現象は光エネルギー密度波の縦波が伝播する空間媒体の物理的空間特性に掛かっていると考える。空間をどのような物理特性として解釈するかがまず明確でなければならない。微細の空間構造物質の原子・分子特性を論じる前に、巨視的な捉え方で解釈したい。電気回路に関係付けた空間定数に誘電率εoと透磁率μoがある。真空空間が単位長さ当たり、インダクタンスと静電容量の空間定数を持っていると解釈する手法である。空間にコイルやコンデンサがある訳ではないのに、何故そのように空間特性を解釈すると電気回路現象と光の空間伝播現象が統一的に捉えられるかが不思議であるが、実際の技術的解釈に都合よく合致している。

屈折現象 

屈折はエネルギーの減速 空気中でガラス板を通した光の屈折現象を考えてみる。屈折の解釈にはホイヘンスの原理がある。ガラスの空間定数をμ[H/m]とε[[F/]とする。プリズムでは、光が分光する。その訳は何だろう。虹ができる。その訳は何だろう。光の波長とは何の長さの事か。光の空間像を現代物理学理論ではどのように捉えているのか。振動数や波長を空間的な像で捉えているのだろうか。振動数がエネルギーを表すとはどの様な意味で解釈するのだろうか。物に電界と磁界のバイブレーションで作用するというのだろうか。実際は誰も理解できないと疑問を抱かずに、みんな納得出来ている事がとても不思議だ。振動数で温かくなる訳をどのように理解しているのでしょうか。誰も質問しない訳は何だろうか。現代物理学理論様にお尋ねいたします。プリズムの分光は何が原因か。波長によって速度が違うからである。光の波長とはエネルギー空間密度の縦波の波長である。垂直に入射した場合は、分光が起きているとは見えないだろう。しかし入射が垂直から傾くと、波長の短いエネルギー密度が高い程媒体内での速度が減速する。伝播定数γ= √(με) [s/m] がエネルギーの波頭値密度が大きい程、μがその流れに抵抗する作用が強く効くからと考えたい。なお、誘電率εが高くなるからエネルギー吸収で減速に強く効く(推論)。 

レンズの屈折

レンズと光路 レンズも光エネルギーの伝播空間の空間特性を透磁率と誘電率で評価する。空気との境界での結節点で起きる屈折現象はその空間特性の差による。レンズは誘電率が大きいが透磁率は空気と同じ程度とみられよう。

むすび

電気回路の現象が電気工学の技術理論ではとても便利に分かり易い理論に完成されている。電圧と電流と言う技術概念によって初歩の回路解析理論が習得しやすく完成している。しかし、その理論も厳密に解釈しようとすれば、自然現象の本源からは離れた技術理論になっている。自然には『電荷』や『電子』などと言うものが実在する訳ではない。それらは人が自然現象を理解しやすく簡便に作り上げた解釈概念でしかない。結局電線路もその導線の間の空間を光と同じエネルギーの密度波が光速度で流れているだけなのである。そんな途轍もない光の速度で流れるエネルギーを感覚的には捉え難いであろう。しかし、科学技術理論と自然現象の関係を知ることがこれまた極めて大切なことである。間違った理論に染まらないためにも、より単純な自然の姿の本質を理解した上で、高度な解釈技術論を学習することが大切なのであろう。まだまだ自然の本質など、余りにもその純粋さが故に不思議の世界としか見えない。せめて、光のエネルギーとはどの様な空間像か、振動数とはどの様な意味かを理解してほしい。また、決してそのエネルギーの姿を科学的手法で観測は出来ない科学技術の限界も知ってほしい。光量子空間像(D線) (2019/05/03)。

これが電気回路の実相だ

はじめに 電気技術概念、その代表が電圧と電流だ。その本当の意味はすべてエネルギーの姿を利用しやすい観測量として評価するものであった。エネルギーが電線導体の中を流れることはない。すべて電線で囲まれた空間を流れるのだ。基本的にはほとんど光と同じ光速度、毎秒30万キロメートルの考えられない速度で伝送されている。電気回路理論では電線路をエネルギーが流れるという解釈は一般的に採られない。それはエネルギーが空間内に実在している物理量という意識がないからであろう。エネルギーその物を計ることもできないし、目で見ることもできないから意識化が困難な事にその原因があるのだろう。太陽の光を浴びて、暑くてもそのエネルギー量を計れない。光を見ても、そのエネルギーが流れていることを感覚的に捉えにくい。決して光は振動などしていないことを実験的に検証できない。光の科学測定は振動数の姿でしか測定値として捉えられないから。光の空間を伝播するエネルギー分布波など測定・観測できないから。電気回路を伝送するエネルギーも光と同じ空間分布波である。

特性インピーダンスと伝播定数。 電気回路は電線と回路要素のインダクタンス、コンデンサそして抵抗の3つでほとんど構成されているとみてよかろう。モーターもそれらの要素に等価的に分解して解釈できる。それらの要素がエネルギー(このエネルギーという意味を空間分布波として認識しなければ意味が通じない)に対して、それぞれ異なる機能を発揮するから、電気回路現象を理解するには技術的学習が必要になる。その技術習得に欠かせないのが、電圧や電流あるいは電力の概念である。しかし、電気回路の実相はもっと単純なのである。電気回路のインピーダンスや虚数軸のベクトル手法などによる専門的知識によって、単純な電気現象の実相が見えなくなるようでもある。ベクトル解析などと抽象的な解釈法を専門的共通理解の手段として学習すると、とても便利に理解しやすくなり、専門家集団内の共通コミュニケーションに欠かせないものとなる。そこには物理学理論としての電圧・電流概念が確固たる強固な物理的基盤として支えてもいる背景もあるから。しかし、電気現象も光や電波と同じエネルギーの空間伝播(デンパ)現象でしかないという本質を先ず捉えることが必要なのだ。そこに大事な電気回路現象の理解の要として、特性インピーダンスと伝播定数がある。街には配電線が電柱で支えられて配線されている。電気エネルギーを供給するためである。高電圧6600ボルトのピン碍子配線、変圧器を介した低電圧200・100ボルトの絶縁ケーブル配線がある。それは空間を伝送されるスマホの信号エネルギーと同じ電線導体の間の空間を伝送される電気エネルギーの伝送設備なのである。専門的技術理論が分からなくても、単に電線路空間を構成して、その空間を通してエネルギーを光速度で送っているだけなのである。その基本の単純な自然現象の利用技術が電気工学や電力技術として熟練を要する専門的な理論となっているのである。誰しもが基本となる自然現象の単純な意味を先ず理解してほしい。電線導体の中を電子が流れている等という、如何にも専門家らしい言説に惑わされないでほしい。決して電線導体の中を電子など通れないのだ。この世界に、負の電荷を持った電子など存在しないのだ。教科書が真実などと言うことではないことも知らなければならないのだ。自然は深くて単純なのだと。

電線路の実相

電気回路の真実を知りたい方のために少し解説したい。技術と自然の架け橋の要点を。

空間の電気特性 目の前の空間が持つ科学技術的解釈に誘電率と透磁率という概念がある。空間がインダクタンスとコンデンサから成り立っているという解釈である。携帯電話を使えば、電線が無くても通信ができる。空間が電波信号(これがエネルギーの空間分布波なのだ)の伝送路だからだ。図に透磁率μo[H/m]と誘電率εo[F/m]の値と空間の持つ特性インピーダンスZo[Ω]および電気信号の伝送速度の逆数で伝播(デンパ)定数γ[s/m]を示した。光速度coもその定数から決まる。透磁率が4πという立体空間角度に関係した値で定義されて、うまく統合されている訳は誠に不思議に思える。余りにも良くできているから不思議だ。それは空間の長さ1メートルあたりにインダクタンス[H/m]がある。同じくコンデンサのキャパシタンス[F/m]がある。空間にコイルやコンデンサがある訳はないのに、そのように解釈して初めてエネルギー伝播(デンパ)現象の姿を納得して理解できる。その捉え方の妙味が、とても便利であるから不思議なのである。何か禅問答のようだ。

右に裸電線を張った電気回路の意味と特性を示した。数式には自然対数のln(2D/d)を使って示した。常用対数log(2D/d)に変換するには係数2.3026を掛ける。一般的には絶縁電線が使われるが、基本的な特性は裸電線の空間構造によって決まると考える。絶縁電線は電気エネルギーの流れる伝播(デンパ)空間が電線表面の絶縁体部を流れるため、エネルギーの流れる速度が比誘電率の値で遅くなる。1メートルの長さをエネルギーが伝播(デンパ)する時間が伝播(デンパ)特性で、比誘電率εsのため√εs倍だけ長くなる。裸電線の場合は、空間の光の速度と同じことになる。線路の特性インピーダンスの機能はその値が同じであれば、エネルギーの流れが電源電圧のエネルギー分布に従って反射などの阻害要因がなく伝送されることを示す。その現象は特に超高周波回路に現れる。分布定数回路と実験に例がある。

むすび

空間の光エネルギーの伝播現象を科学技術概念、空間定数(透磁率、誘電率)と結びつけて、その捉え方を電気回路の伝播現象と統一的にまとめた。30数年前に、拠り所の電流概念を棄却して闇の世界の中をさまよいながら、プランク定数の次元と実在概念 日本物理学会講演概要集 第56巻第1分冊2号、p.338. (2001) の光エネルギー分布波の捉え方から、空間エネルギー分布の解釈にたどり着いた。光とは何か?-光量子像‐にまとめた。今50数年前の、分布定数実習に対する一考察 (新潟県工業教育紀要第3号、1962)の分布定数回路の実験結果が貴重な資料となり、この記事の基にもなった。新潟県教育委員会に正式採用もされていなかった中で、アルバイトのような身分の分際で研究するなど誠に御迷惑をお掛けしたと恥じている。と卑下してみても、新潟県はこの研究報告を生かす責任があろう。 

 

静電容量算定式と理論

はじめに
電気回路の要素に静電容量がある。それは電気回路の中に含まれるエネルギーの貯蔵要素の一つである。回路素子としてはコンデンサになる。静電容量という用語から、静電エネルギーと繋がりそれは「電荷」によって解釈される。しかし実際の電気回路の中の導線路の静電容量を求めるのは簡単ではない。

静電容量の算定式とその理論的根拠

静電容量の算定 Fig.1.のように、直径d[m] の導線2本が間隔D[m]で平行に張られた電線路の単位長さ当たりの静電容量C[F/m]を算定したい。さて、どのように算定式を求めるか。静電容量の定義は二枚の電極に挟まれた空間の形状で決まるとなっている。極版の面積Aとその間のギャップDと空間の誘電率ε[F/m]で算定される。しかし張られた導線路の導線の面積は計算できない。だから静電容量の定義に基づく理論的計算は本来できないのである。結局電荷分布を想定して、電圧と静電容量の関係から算定することになっている。その手法は参考文献 5.4 静電容量 p.103. 以降にその手法が述べられている。

算定とその論拠 図のFig.2. のように、半径r の導体a、 bが間隔Dで張られている。この電線路の単位長さ1[m]当たりの静電容量C[F/m]を算定する論拠は何か。文献には線路中点Oを電位零点と仮定して、導体aの中点Oに対する静電容量Ca[F/m]が算定されている。さて、この算定論拠はどのような意味か。導体aに電荷q[C/m]、同じくbにーq[C/m]の電荷を仮定。そこで、P点に生じる電界を算出。aによる電界Ea [V/m] 、bによる電界 Eb [V/m]とする。

Ea=q/(2πεoxa×1)=2q×9×10^-9^(1/xa)  [V/m=(J/F)^1/2^/m]

となる。単位長さ1[m]の円筒状の表面積 2πxa×1[㎡] における電界強度として求まる。その電界は当然ベクトル量である。導体a 、bのそれぞれの電界ベクトルは図のようになる。電界ベクトルはその向きに電位が下がることを意味している。今導体aの導体中心に電荷を仮想する。もちろん本質的には「電荷」など実在しないのであるが、教科書の伝統理論に従って考える。しかし電荷に論拠を置いてもFig.2.の静電容量Caの算定式の論理性が見えない。この式は、導体aの表面rから導体bに向かって

電界ベクトル Ea=q/(2πεox)をrからDまで積分して得られる式

va=∫Eadx =2q×9×10^-9^ ln(D/r)

に等しい。故に、va=q/Ca より静電容量は

Ca=q/va=1/{2×9×10^9^ln(D/r)}

=0.02413×10^-9^/log(2D/d) [F/m]

となる。ただし、ln(2D/d)=2.306log(2D/d) 、d=2r である。

また導体bについてもその電荷 -q によってa、b間の電界Ebの積分によって、

Cb=0.0241310^-9^/log(2D/d) [F/m]

と同じ算定式となる。

この結果は、基本的なコンデンサの電極を導体aとbとした時の両電極の正、負電荷分布による電圧と静電容量の関係を表現している。しかし、参考文献の結果は導体間の中点Oに対する静電容量と算定されている。しかもその電線単導体当たりの中性点(アース)Oに対する値としての値が、実際の三相送電線路においてはその結果が適切な値となっているところが誠に不思議なことである。平行2線式電線路の場合も、図のFig.1.に示した通り線路静電容量Cは 算定式の値の半分で、C=Ca/2[F/m] とコンデンサの直列接続の値となって、実際の電線路の特性に合致するのである。

コンデンサと電荷。 電線路の静電容量もコンデンサもエネルギーの貯蔵機能要素である。その機能の理論的解釈になると、電荷が拠り所となり、電荷による電界強度が基になる。そこで改めて、コンデンサと電荷の関係を貯蔵エネルギーWc[J]によって Fig.3.に表した。コンデンサは電極版間の空間構造とその誘電体材料でその静電容量が決まる。電荷によって理論的解釈がなされるが、電極版間の寸法D[m]と電荷量q[C]と電界E[V/m]との関係で決まる。内部空間の電界はこの場合一様と考える。電界や電荷は貯蔵エネルギー量Wc[J]で解釈できる。電荷q= √(2CWc) [(FJ)^1/2^]を意味した概念と言える。このコンデンサの静電容量C[F]の算出に、電線路の静電容量算定手法のような中性点などは考えない。電線路の静電容量の算定手法はとても難しく、理解困難である意味をこの平板コンデンサを例に考えた。しかし、電線路の算定静電容量は電線路の1本当たりの値として実用的に優れた算定式であることも確かなことである。

むすび

この静電容量の算定に関わる理論で、導体周辺のエネルギー分布については全く考慮されない。電線路電圧がv[V]であれば、その分布エネルギーはw=Cv^2^[J/m]となる。その値は電線路周辺空間内の電界分布とは繋がらない。科学技術の応用においてはその概念は極めて有用・有効であるが、理論的に追及すると曖昧なことも多い。自然現象としての理学の問題と科学技術の手法との間には解明されなければならない基礎の問題が取り残されている。そこには『電荷』とは何か?『磁束』とは何か?『電流』とは何か?など科学技術用語の基礎概念の意義を問う哲学的論考が求められるはずだ。

参考文献:電気学会大学講座 送電工学(改訂版)第2編 送電 第5章 線路定数。

電流 1[A] の論理性 -考える理科教育への科学者の社会的責任‐

花1匁の心の重さ。有るような無いような重さを計ってどうする心算かと自分に問うても詮無い乍ら、やっぱり問わずにいられない。自分が納得できない。電流1[A]の社会的意味もそれに近いかも知れない。現実は実用単位としてMKSAの[A]が世界を繋いでいる。科学理論もその1[A] によってすべてが組み立てられている。糠に釘を打つ様なことはしたくないが。

電流 1[A] の意味。1秒間に1クーロンの電荷が通過する。電線を流れる電流1アンペアの意味はそのように理解してきた。今各種電線路(三相回路、単相回路及び同軸ケーブル)の特性インピーダンスの算定法の論理を考察している。教科書では「電荷」と「電流」によって算定される。しかしその論理はエネルギーとの関係で整合性が取れていなければならない筈だ。電界、磁界あるいは電荷、磁束が決まればそれはエネルギーの空間分布に換算できるはずだ。その課題が解決できない矛盾に困惑している。そこにどうしても電流と電荷の物理的概念の論理性が壁になる。

1[A]の電流の電線の電荷分布は如何にあるか? 1[A] の電流が流れている電線には 1[m] 当たり何[C] の電荷が分布しているか?その問いに答えられないからと言って、他の人に責任を擦り付ける訳ではないが、電荷の流れる速度が決まらないと答えようがないのだ。信号やエネルギーは光速度で伝播するのに、電荷はおっちら、こっちらと超低速では論理のギャップが大きすぎて決まりが付かない。科学の論理性からも世界の科学者の社会的責任として、子供達に分かる説明がなければならない筈だ。

1[A] の電流によるインダクタンス算定とその時の電荷による静電容量算定及びそのエネルギー分布とが、その論理性でうまく合致できればと願いながら。

既に、電流は電子の逆流か?ということを電子とエネルギーと質量に述べてあった。そこに載せた図で、電線路に電子が満ちて

電流は電子の逆流か?流れるとすれば電圧は、負の電荷だけで線路電圧となる理屈が見えない。電荷論での、電流が電子流だとの解説は電圧の発生源の正の電荷をどう説明するのか。前の記事を振り返って改めて追記した。