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気象災害と海水面温度

地球温暖化の問題は人の生活環境を維持できない危険な状況に進んでいる。カーボンニュートラルという事で、二酸化炭素排出量の抑え込みがその温暖化抑制の切り札と解釈されているようだ。経済的成長のジレンマが解決困難な世界的政治課題ではあるが‥、その悩ましさを考えると🙇。

温暖化による災害。食料枯渇の問題。空気乾燥の山火事。また水蒸気含有量による暴風災害と水害。地球上の生活環境破壊である。

最近の気象災害を身近に経験しているにもかかわらず、その異常な状況を感じ取れていないのかと不安が募る。二酸化炭素が空気中に増加することにより、空気の貯蔵エネルギー量が増加するという解釈が基本的認識となっているからであろう。それ程二酸化炭素が地球表面の薄い空気層で気温上昇の原因となるという解釈はどのような意味からか理解できない。

海水表面温度と上空の冷気との間には『エネルギーギャップ』が生じる。丁度電池の電圧供給の『エネルギーギャップ』と同じ意味が海水熱エネルギーによって、地上にもたらされる現象が気象災害の原因となっている。強烈な暴風災害は、海からの水蒸気が海水熱エネルギーの放出現象として蒸発し、空気が保有したその水蒸気分に依る質量増加として強烈な風圧を生むと解釈する。木造家屋など一溜まりもなく吹き飛ばされる。過去の生活様式が通用しない災害になっている。みんな海の温度上昇が原因である。

地球温暖化の問題は、むしろその二酸化炭素ガスより、『エネルギー消費量』の増加が問題なのである。『エネルギー』は地球表面から宇宙に放射されない限り、その消費量が地球内に蓄積されるのである。それは殆ど「熱エネルギー」として地球に蓄えられる。現在の生活環境に大きな災害として襲い掛かる現象は風水害であろう。水による災害はその源は海にある。消費エネルギーの地球内での貯蔵場所は空気層ではなく、海の海水なのだ。温暖化の問題は、海水の温度上昇が北極、南極の氷河を溶かし、地球の健全な気象環境、その保全に貢献してきた極地環境を破壊して過去の極地冷気環境資源を消費している事に大きな原因がある。冬の暖房は今でも石油ストーブに頼っている。冷房はエアコンにしか頼れないが、暖房は発電エネルギーに頼らないでいる。発電エネルギーは蒸気タービンによる分は2倍以上の熱エネルギーで地球に負荷を掛けているのだ。灯油ストーブとエアコンとの総合的熱効率をどう評価するかも一つの課題ではあろう。

海水温度の上昇が地球上のエネルギー消費による温度上昇抑制の隠れた、受け皿となっている事に何故気付かないのか。

原子力発電プラントが二酸化炭素の排出抑制に効果があるなどという、余りにも科学技術を知らない科学リテラシーの政治問題意識に危機感を抱かずにはいられない。海に原子力発電はその技術の根幹を委ねている事を知らない科学パラダイムに恐れ入ります。

原子力発電、石油燃料および石炭燃料による汽力発電はすべて同じ蒸気サイクルを利用した発電方式である。その電気エネルギーの発電には、燃料の燃焼熱エネルギーの半分以上を海水の温度上昇によって処理しなければ発電できない方式なのだ。熱エネルギー量の60%近いエネルギーを海水に吸収させて初めて、電気エネルギーに漸く30数%が利用できるのである。海水加熱発電方式なのである。

現在の生活環境が辛うじて保たれているのは極地における氷河の御蔭であろう。その氷の溶解による海水の熱エネルギー吸収で何とか保たれているとしか思えない。科学技術開発競争がエネルギー消費を前提に進められる現状は未来への希望が展望できない。間もなく、異常気象災害に人の住環境は耐えられなくなろう。気温が40度を超えた時、・・。

暴風とエネルギーギャップ (2021/02/16) 。原子力発電の熱の行方 (2011/04/17) 。

自然と言う世界

(2021/03/28) 追記。下記の記事で、光と視界認識の機能について述べた。眼球構造とその機能は生活環境、即ち水中か地上かによって多少は異なるだろう。しかし人だけでなく他の動物、馬や牛あるいは鯨や蛸など目の機能はほとんど同じ筈だ。全ての生体の殆どの眼球の構造は同じで、黄斑円孔が視神経となって、何処かで繋がっている筈と思う。牛や馬の眼球の解剖により、その視覚機能が分かれば、人も同じ機能と構造と解釈して良かろう。こんなところに科学理論の少しでも専門的な研究対象を広げた、より自然に寄り添う哲学的広がりによって、真の自然感に因る科学論が展開できるのではと思う。

(2021/03/22)。こんな素晴らしい不可解。それは光の世界。

上の眼球の図はーカラーでみせるやさしい解剖(南江堂)ーの絵図を写させてもらった。眼球の光ファイバーと色覚 (2010/11/28) のブログのはじめの頃の記事に関わる。その記事は改めて科学理論の常識に大きな衝撃を受けて書いたものだ。筆者のような医学の素人が、眼科学会の専門家の科学論に反論するなど正気の人間のすることではない。改めて、現在の『電子』否定の確信からの、科学理論全体への疑念をどう伝えればと悩みの中に在る。専門家はそれぞれの科学業界理論の中で、論議はするが、筆者のような素人の論は無視されて、反論もされない。眼球構造で、網膜に視界の像が結ばれるとの解説が眼科のお医者さんのお部屋には掲示されていると思う。上の図で、網膜は硝子体膜と脈絡膜の間の厚い部分であると示されている。水晶体のレンズなどで、光が屈折して網膜に像を結ぶと本当に解釈しているのかと思えば、原子力発電所の危険な科学技術程ではないとしても、みんなに考えて欲しい科学理論の現実として提起せずにはいられない。網膜全面に亘ってどのような光検知の細胞が、しかも色覚の基となる光の空間エネルギー分布波迄検知できる細胞機能が備わっているなど理解できない。光の物理的空間像が物理学理論で認識されていないことが全ての科学理論の曖昧さに関係している原点である。プランクの定数の次元が [Js] である意味をどの様な物理的概念として理解しているかが問題と思う。今日もある新聞ニュースレターの記事に、『老害』と言う言葉が使われて‥とあり、筆者の様なものも『老害』には成りたくないが、しかし・・。自然の中に現れる千変万化の不思議は、科学論で示そうとすれば、その純粋な自然の心に沿う思いが基に無ければ、観えないように思う。光が網膜に視界の像を結ぶという科学常識は間違っている。硝子体管は光ファイバーである。

心 ホウズキに遊ぶ (2021/03/14)。で、「木瓜(ボケ)の真赤な花が咲く こんな素晴らしい不可解 風景の意味でも極めんと」と訳の分からないことを綴った。

念頭に光の不思議を思い描いての事である。

真赤な花弁は木瓜だけではない。

なぜ花弁が赤いか?と己に問うてもその訳を説明できない。決して花弁が赤いという色の光がある訳ではない。光に色はない。光の本性を考えれば、それは空間に分布した『エネルギー』の縦波でしかない。だから色など光には無いのだ。光の空間構造が赤い色を本質的に備えている訳ではない。その意味を分かって頂けると思うが、如何でしょう。光を振動数で捉える習慣の理論物理学の専門家には異論があるかも知れない。しかし光の『振動数』と言う概念は誠に意味の分からない概念に思える。何かが振動している状態と解釈するとすれば、それは何が横向きに振動するものかの何かを示さなければならない。電界とか磁界とかが横に振動する訳がない。マックスウエル電磁場方程式の信奉パラダイムにおられる専門家には承服しがたいことと推測する。しかし、光に色彩の差を示す性質はない。それは自然が人との間の心のつながりを演出した結果と思えばよい事であろう。それ以外特別な物理的本質などない。同じ光が花弁に当たれば、その花弁の表面の空間構造(あるいはその内部に侵入して)、に対して屈折して波長(エネルギー分布の空間構造)に変化を生む。そのエネルギー分布の縦波の構造にその花弁の特徴が現れるからと解釈する。光は何も振動などしていない。光は単にエネルギーの空間分布波形の縦波でしかない。その単純性が光の基本特性だ。だから光は無限の変化で人に計り知れない複雑な世界の印象を与え得るのだ。

物が見え、風景が見える。

それはすべて光と目の関りに因っている。先ず、光が空間に展開される訳だから、その本質は光の空間像を認識することから始めなければならない筈だ。光の振動数とはどの様な意味かを理解しなければ『振動数』と言う物理概念が余りにも曖昧なまま使われてしまう。それは科学理論の基本である論理性を無視した科学論に成ってしまう。自然の基本は極めて単純なのである。風景や物を見て認識できる訳は光が決して曲がらない。その意味は極めて日常生活の中の単純な事にある。真っすぐ光は進むから風景が見える。光が曲がったら風景や物の像など見えない。そんな単純な意味を感覚的に意識する事しか、自然の世界と分かり合える道は無いと。

眼球の機能で全く分からない事の一つ。視神経と黄斑の繫がりがある筈だ。その解剖的構造が知りたい。

科学技術概念の世界

(2020/10/20)電気概念図表。不可解な編集機能?ブロックで編集すると編集記事が勝手に消去されてしまう。旧エディターでないと正常に投稿できない。何故か?電界、磁界の距離微分の解説の内容が消去される。

科学理論は基礎概念から、多くの特殊用語の概念迄幅広く構築されたもので論じられる。中でも電気技術用語はその根幹をなしてもいよう。自然世界を科学論の世界に映せば、電気磁気学論の『電荷』と『磁気』がその基礎概念となっているようだ。

自然世界に『電荷』や『磁荷』がある訳ではない。しかし科学論では、それが理論の根幹を成すことになる。それらの科学技術概念の世界を図表に表現した。電気回路を論じるには電圧 V[V] と電流 I[A]が基本概念となる。その関連概念を『電荷』と『磁束』で纏めた。ここでは、『エネルギー』を基本に捉えた[JHFM]の単位系での解釈も含めた。図表の中心部に、L[H] C[F] の空間評価概念とt[s] x[m]に展開する『エネルギー』の自然世界像を表現した。

図表上の電荷Q[C] と磁束φ[Wb] の間の対称性。ここで論じようとすることは、『電荷』概念の論理的存在の矛盾についてである。

図表での関係を眺めると、 どちらも線束で捉えて良いように思える。しかし実際は磁束だけが線束で、電荷には点電荷と言うように、線束と言う捉え方はない。図表上からその対称性でありながら、異なる空間像になる訳の妥当性が有るか無いかを考えてみよう。先ず磁界である。その次元からも電流の距離微分[A/m]である。電流も流れる空間的方向性で捉えている。それはベクトルの筈だ。その電流のベクトルに対して、微分する空間距離x[m]も空間的方向性で認識するから、当然ベクトルである。磁界のその距離ベクトルは電流ベクトルに対してどの方向性かがはっきりしている。電流に対して直交ベクトルである。磁界と電界の空間ベクトル像から磁束、電束を求める。

磁界と磁束。

磁界は電流によって発生するとなっている。電線導体内を流れる電流など無いのだが、そのような電流を電気理論の基礎概念として決めた。その電流はベクトルとして、方向が決まる。単位ベクトルを ni とする。磁界H(x) は電流ベクトルの距離ベクトル微分で、アンペア―の法則の係数を採れば、次式となる。

   H(x)= (1/2π)d( Ini)/d =(I/2πx)[ni×(r/r)]        (1)

ただし単位ベクトル(r/r) とのベクトル積で磁界ベクトルが決まる。ベクトルのベクトルでの除算規則に因る(*1)。ベクトル x 近傍の磁束φは透磁率μoと面積Sから決まる。磁界により空間には磁束と言う線束が生じると解釈される。

磁束と電界および電束。

磁束は電磁誘導の変圧器の原理につながる。厳密には磁束も自然界にある訳ではないが、電気技術概念として一つの解釈概念として重宝である。それがファラディーの法則である。コイルnターンの巻き線に磁束が鎖交すると、右図の様に電圧V=n(dφ/dt)が端子に発生する。あくまでも技術概念の意味である。自然現象としてこの電磁誘導を解釈しようとすれば、『何故磁束がコイルの中で変化すれば、電圧が発生するのか?』と疑問に思わないか。その答えは、電気理論の範疇では得られない。空間の磁束の像を捉え切れているだろうか。その問答は別にしよう。ここでの主題は電界 E[V/m]の意味である。電圧が在れば、そこには電界が定義できよう。電界の発生原因は何か?という事である。静電界なら『電荷』によって解釈できる。変圧器の巻き線によって電線路に発生する電界をどう解釈するか?巻き線で正負の『電荷』を発生出来ないだろう。さて、電界が在れば、電束密度あるいは電束が決まる筈である。図に示したように、電束密度 D[C/㎡]が空間誘電率εoから決まる。そこに面積を考慮すれば、電束量が電荷の単位[C]で得られる。電界の場には電束と言う線束が伴うようになる。その単位がクーロン[C]であれば、点電荷と言う『電荷』の空間像は観えない。電荷の論理性 (2020/10/26) 。電磁誘導現象の真相 (2020/10/25) 。

記事の冒頭の図表に『電子』は入らない。電気理論の概念をまとめたが、量子力学はじめ、半導体など殆どの基礎理論は『電子』が無ければ物理学理論が成り立たないようだ。それなのに図表には『電子』の入る余地が無い。それは電気回路現象には『質量』と『負の電荷』を持つ『電子』の果たす役割が無いからである。

— ここの記事が消えてしまった? –そこには、『電子』による理論構築が全ての根底をなす関係から、粒子的な捉え方が必要であったからであろう。しかし、上の図表には『電子』は入る余地がない。その訳は、『電子』の概念には『質量』が無ければ粒子的解釈が出来ない。電磁気学には無い『質量』を組み込めないためである。 電磁気現象や電気回路には『質量』は必要がない筈だ。そこには『質量』とは何か?の哲学的考察が生まれる。同時に『電荷』と『質量』を空間に含む『電子』の自然世界での役割は何か?となる。

(*1) :日本物理学会講演概要集。61-2-2. p.196. (2006.9.24).

電荷の論理性

長い間科学論、特に電気理論でその基本概念に『電荷』がなっていた。原子理論も雷もみんな専門家の解説はそのプラスとマイナスの『電荷』が基礎に成っている。クーロンの法則で、電荷間の『力』が科学論の拠り所として長い伝統を支えている。

電荷に論理性が有るか?

余りにも素人らしい疑問であるが、プラスの『電荷』+Q[C] と マイナスの『電荷』-Q[C] が結合したら、そこには『何』が生まれるのか?

算数で、    (+1)+(-1)= X

の X は幾らか?と尋ねられた。

答えは     X = 0

となる。

『電荷』の場合はどのような論理性で解釈すれば良いか。理科教育の未来の希望を尋ねる問題としたい。子供達も学校の先生も考えて欲しい。

 

熱の正体と不明

投稿したら不快な気分を味わった。「フォローマーク」が表示され自分の投稿でないかの意味になる?

 

はじめに(2020/07/28) 。熱の正体は?と検索してみた。熱は原子、分子の運動エネルギーと解説されている。気体分子運動論が現代物理学理論の一つの基礎論となっているから当然だろう。それが現代科学の『パラダイム』でもある。しかし、その理論が分からないと30年も頭を掻きながら不可解と過ごした。結局、熱も『エネルギー』の一つの姿でしかないと確信に至った。記事『熱電変換現象に思う』を書き始めたが、ここにまとめる事にした。強力な理論体系となってきた「量子力学」がある。それは半導体理論の基礎をなす。トランジスタのnpn型のコレクタ側の吸熱現象を量子力学論ではどのような解釈をするのかを筆者は知らない。独自解釈でそれも『熱電変換現象』の一つであると考える。そのトランジスタのコレクタ側も熱を『エネルギー』に変換する一つの発電器である。その現象は太陽光発電が光を『エネルギー』に変換する発電現象である事と変わりない同じ原理である。科学理論となれば、現代物理学理論の基礎概念に基づいた『パラダイム』の基での解釈でなければ、科学論としての評価が得られ難い。『エネルギー保存則』一つを考えても、その『エネルギー』とはどのように定義したものかを明確に共通理解しているだろうか。『パラダイム』違反の論理であろうが、自然はとても純粋で単純な基本原理の基にあると考える。だから、トランジスーのタコレクタ吸熱現象も『エネルギー保存則』から考えれば、その『エネルギー』は何処かに利用されている筈だ。だから自然世界の『熱』も『光』も『エネルギー』のそれぞれの自然の姿でしかないと考えざるを得ないのだ。

それは空間の『エネルギー』である。
何故科学理論は複雑で分かり難いのか?深く考えると分からない事ばかりだ。その原因は自然界に存在しない『電荷』や『電子』などで理論を構築したところにすべての原因がある。この事が導く究極の科学理論批判が原子構造論になる。決して電子が核の周りを周回する電子殻構造論が論理的に成り立つ訳はないという批判に向かう。具体的な例を今後の課題として取り上げたい。

『エネルギー』は自然界のすべての根源である。
電気も光も熱もみんな『エネルギー』の姿なのだ。太陽系も一つの空間に浮かんだ『独楽』みたいなものだ。重さも解らないし、その『エネルギー』も解らない。『エネルギー』でも正体不明な事も多い。熱が『エネルギー』だと言っても、金属棒の一端を加熱したとき、他端にその熱が伝導する。その熱の『エネルギー』の伝播速度は相当遅い。電気『エネルギー』は金属内を伝播しないが、熱はその中を伝播する。その速度は幾らか?その伝導の仕組みを分子運動とは捉えたくない。その解釈は『パラダイム』違反という事になる様だが。金属棒の組成の中を熱はどのように移動するのだろうか。熱電変換特性のゼーベック効果やペルチエ効果などのキャリア解釈を否定すればそれも『パラダイム』違反の論となろう。

この記事をトランジスタの吸熱現象と熱電変換現象を統一して論じたいと思い立ったが、やはり個々の問題として論じることにしたい。『熱』について纏められなかったが、上に述べた目標、原子構造論と電子論の矛盾を明らかにすることを目指して。

 

エネルギー伝播現象

新しい観方をまとめるに戸惑いもする。次々と新しい姿が現れてくるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

エネルギー伝播と空間特性。図の電線路の回路定数は導体によって構成される空間の構造が決め手となる。その係数を空間構造係数 k とする。

この空間構造係数 k は分布定数回路空間の世界 (2019/10/14) で定義した。平行導線の間の空間の構造係数である。

長く電気現象を理解しようと、その電気回路の中における物理的特性の解釈での疑問と格闘してきた。教科書の理論解説では満足できず、何時も『解らない?』と自己問答に陥る。今確信に在る思いは、余りにも単純でありながら、その姿は科学理論とは懸け離れてしまった。そこには『エネルギー』一つの姿しか見えない。自然の中に少しは科学論らしい姿を表現しようとすれば、哲学的課題との関係で空間構造の解釈になる。電気現象の哲学的課題 (2020/06/21) からの続きでもある。ITの検索には、小学生から中学生の学習のための記事に、電流と電子の解説が多くある。新聞の科学記事でも、科学常識の解説で啓蒙される。そこには『エネルギー』の大切な話は全く見えない。『電子』など決して電線金属の中に流れる訳がないのに、教科書はじめ専門家が『電子』が流れると解説している。筆者が投稿する記事は殆どが教科書の科学理論の矛盾を説くものである。『電子』が流れると解説されれば、それは『嘘』だと言わなければならないから。しかし誰も、物理学の専門家もこの記事に反論を寄せない。科学は専門の科学雑誌に投稿して初めて科学者の資格が得られると見做すのだろう。教職の資格も、所属もない者は無視される?

電気回路はその空間を『エネルギー』が流れる技術装置なのだ。『電流』や『電子』など何処にも流れてはいない。空間のインダクタンスと静電容量と言う二つの科学的評価基準で解釈する人間的な認識なのである。上の図は、光は自由空間を光速度で伝播する。電気は電線で囲まれた空間をやはり光速度(電線が裸線の場合)で伝播する。ここで解説する論の最大の欠点は、空間を伝播する『エネルギー』を科学技術的実験で観測し、検証できない事である。

エネルギーの伝播像。その『エネルギー』は伝播定数γ=√(LC) =√(μoεo) [s/m] の速さで伝播する。

先に結論を図で示す。この図に示した黒い点々の影が空間を伝播する『エネルギー』だと言っても、それは物理学理論には無い概念であるから、理解できないかも知れない。『エネルギー』とは何か?を理解するには、物理学理論の多くの用語の意味を自己流に噛み砕いて、日常用語で表現してみて確認する以外には分からないかも知れない。この『エネルギー』は運動エネルギーでも位置エネルギーでもない。交流電気回路のエネルギーは図のように電線路電圧の負側の電線近傍の空間を光速度で伝播する。電流も『電子』も全く関りが無い。金属電線の中など何も流れて等いないのだ。それは光の『エネルギー』が何も無い空間を『振動数』など何も関わりなく伝播することと同じ現象と見做せる。なお、光エネルギー像に描いた像は軸性光量子像 (2019/11/11) に示した解釈である。ここに示した電線路の場合は、この平行導線間の空間を伝播する『エネルギー』は裸電線で、電源が交流電圧の場合を想定している。電線路電圧v[V] とは次元[(J/F)^1/2^]の電線路間の『エネルギー』分布量の評価技術概念である。電圧の負側の電線導体近傍空間を伝播するから、半サイクルごとに図のように分布が反転する。『エネルギー』の分布量は電圧が v[V] の瞬時値なら、回路定数 C[F/m] によって、Cv^2^[J/m] である。このエネルギー分布像は電線路の物理現象としての意味であり、実際には電線路上に図のようなエネルギー分布がある訳ではない。電線路長は長くても送電線路で数百km であるから殆ど電線路の送電端と受電端との電圧位相差は問題にしない。(例えば)50Hz波では、

波長λは右の様に実際にはありえない線路長となる。

理科教育と『電子』。The electron did not exist in the world. (2020/05/15)

電線路導体に『電子』など決して流れていないので、子供達への教育で「嘘」を教えてはならないことを伝えたいのだ。教科書を書かれる方々によく知って頂きたいのです。電線路の『エネルギー』は光速度で伝播する事は間違いない。決して『電子』がそのような電気エネルギーを運べる訳が無いのです。『電荷』はこの世界には存在しないのです。反論やご意見をお聞かせください。

電気技術は 女神の・

電気技術  (2020/4/8)

今日、4月8日はめでたい「花祭り」。お釈迦様の誕生日。花飾りの中のお釈迦様の像に甘茶をかけて、お祝いの気持ちを捧げる。甘茶をいただく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電気技術は

女神演ずる

舞台芸術

今日は一つの飛躍があった。久しぶりに筆墨にした。『エネルギー』の世界は恰も「女神さま」が演ずる舞台を見るが如し。

津波とその速度

はじめに(2020/3/27)。津波の伝播エネルギーを計算した。その記事を書きながら、「津波の速度」の意味が曖昧に思える。元々津波の物理現象の捉え方が曖昧だからと思う。基本的に津波も、普通の水の水面波と同じく水の移動はない。水は流れず、津波の圧力波が海洋を伝播する現象である。津波は陸に上陸したとき水が流れ込む。その陸上を襲い掛かる津波の速度と海洋を伝播する津波の速度さらに津波波源の状況の速度と、津波の速度という速さにはいろいろある。その意味でまとめておきたい。
巨大津波の原因。
海底亀裂による真空空間の発生。津波(tsunami)を解剖する (2012/2/13)。で指摘した。その絵図を載せる。

 

海底亀裂の図。大陸側の地殻の跳ね上がりが津波の原因と言うのが専門家の解釈である。しかし「しんかい6500」の2011年8月の海底調査結果は海底に亀裂が新たに発生したことを示している。

 

 

海底亀裂による津波発生のメカニズム。

突然海底の高水圧の処に空間が出来る。それがどのような物理的意味を持つかはだれでも想像できよう。地球の寝返り程度の日常の活動であっても、その空間は人が作り出せる空間ではない。ほぼ真空状態とも思える空間が高圧『エネルギー』の欠損空間として出現するのだ。強烈な海水の吸い込み現象が起きる。水は一体的な慣性体と見做せよう。その吸引力は波動として、その津波源から周辺海域に伝播する。どこまでも海水を引き寄せる波動が伝わる。それが海岸線に現れる、津波前の引き波現象である。津波の波源に寄せる海水が高く競り上がり、その海水が周辺に広がり津波の本体となる。巨大津波の発生原因はあくまでも海水が広い水域から寄せる海水の量で決まると解釈する。その原因が海底亀裂である。【不可解】この絵図は2012年に「メディア」に保存したはずであるが、消えてなくなっていた。何故この図が消えたのか不可解である。ブログに問題があったのか? 津波(tsunami)を解剖する (2012/2/13) の図。この図の津波の速度 V=200[m/s]は海洋の深さには余り関わりなく、ほぼ一定の伝播速度と解釈する。その訳はチリ地震による津波伝播速度を基に解釈した。チリ地震。1960年(昭和35年5月23日午前4時過ぎ‐日本時間‐)M 9.5 の津波が日本の東海岸に時速750km(秒速208.3m)で到達し、犠牲者142名を出した。その伝播速度は海洋津波伝播速度と解釈して良かろうと考えた。なお2010年2月27日にもチリ中部地震、M8.8が起きた。ペルー・チリ海溝の深さはおよそ8000mにもなる様だ。その海底の単位㎥当たりの『圧力エネルギー』は水圧と単位体積の積で、ボイルの法則により E= ρgD = 78.4 ×10^3^[J]となる。亀裂の体積とその発生時間微分が津波の規模を決めると解釈する。

津波の速度模擬実験。

津波は上陸した災害をもたらす恐ろしい水の流れで意識する。それは確かに水が流れて災害を起こす。だから津波は水の流れる現象と理解する。しかし、津波の本質は海洋を伝播する『圧力エネルギー』が持っている。その海洋を伝播する物理的実体は何か。物理学で、普段の水面波をどのように教えているか?その伝播する物理的実体を何だと解釈しているかである。教科書を開いても、そこには『エネルギー』という意味はどこにも見えない。その波の教育で、津波を理解できる訳がない。津波が恐ろしいのはその伝播して陸に上陸する海洋の『エネルギー』の規模なのである。普通に目にする水面波は水は流れずに、水面が上下するだけの波動で伝播する。その波動の物理的実体は何か?を知らなければ津波の意味は分からない。津波の意味を理解するための実験を思いついた。その試してみたい実験が図の装置によるものである。ダムの水位Hとして、水路の深さをその何(n)倍にすれば良いかは不明だ。

普通の水力学の実験とは全く違う。今までの水力学の実験で行われる水路の水の現象では解明できない津波の現象である。物理学は空間の『エネルギー』の物理的実体を認識しておらず、力学の対象にしていない。津波は深い海水の表面に現れた波の階段波である。深くて長い水路(A)に水の貯水ダム(B)を準備する。突然(B) の扉を跳ね上げる。水路(A)に水が流れ込む。水の上の水はどのような流れとなるか。初めは水路の水の中に流れ込む。水は区別がつかない同じ水になる。しかしその流れ込んだ『エネルギー』は消えない。ダム(B)内の水は水路(A)の水より位置が高いだけ、多い位置の『エネルギー』を保有している。その『エネルギー』は水路に流れ込んでも『エネルギーの保存則』の原理の基に残される。その流れる水の中に保存された『エネルギー』が、どれ程の距離Rを進んで津波の波動となるかは分からない。実験的に確認しなければ分からない。しかし必ず津波の波動となり、水の流れない『圧力エネルギー』の伝播現象となる。水が実際に流れない波は水の質量の『運動エネルギー』とは認識できない。この水の質量の流れを伴わない波を物理学では『エネルギー』の流れと認識しないようだ。水力発電所の『位置エネルギー』の利用と言う概念も、実際に水が流れる事で利用できるものであるから、質量の運動として認識できるものである。しかし、津波の伝播する『エネルギー』は質量に相当する水の流れが無く、物理学の『エネルギー』の概念には馴染まないものであろう。この津波の水の流れない伝播速度 V がここで問題にする『速度』である。

津波の速度。

大まか四つの速度に分けられよう。津波の波源に流れ込む海水流の速度。これは実際に水が流れ込む普通の速度である。それは水の質量が流れ込む。二つ目は、津波源から流入海水が流れだす現象の速度。三つめは所謂津波の速度Vである。この速度Vが海洋を伝播する速度である。ここでの解釈の主眼の速度である。四つ目は海岸に到達し、災害となる、上陸する水の流れる速度である。この速度は『エネルギー』が運動速度の『エネルギー』に変換されて上陸する。その『エネルギー』が流れを塞き止められれば、高く位置の『エネルギー』に変換されて想像以上の恐ろしい高さまで駆け上る津波の水となる。津波の高さという意味は、海洋を伝播する階段波の高さとは全く関係が無いと言ってもよい。災害として防潮堤を乗り越える津波の高さは防潮堤で遮る事が出来ない意味を持った高さだという事を知らなければならない。それは海洋を伝播する『圧力エネルギー』の総『エネルギー』量に掛かっているのだ。津波の波尾長の長さも『エネルギー』量になる。その総量が災害の上陸津波の恐ろしさを持っている。

津波(tsunami)を解剖する (2012/2/13)。エネルギーで見る世界―津波― (2011/3/27)。

鋏の磁気?

はじめに

急に気付いた、今まで珍しい現象が有るものだ位にしか思わないでいたことを。見ても気付かない事が有るという、その意味は自分の意識の有り様を理解し、考えるに充分な価値のあることだ。過去の電気工学論で、絶対的実在量と確信していた電流(電線金属内を負電荷の電子が逆向きに流れるという科学論の電流。そんな電荷が導体内など流れる訳がなく、電線路空間内をエネルギーが流れる現象を電気技術論として捉える概念として構築したものが電流計で計測する電流技術概念なのだ。)が自然世界に存在する物理量でなかったと気付いたことから見ても、何も不思議な事でなく日常的に有り触れた人間の意識の姿であったかも知れないと気付いた。物理学理論の根源的「原子像」も原子核の周りを電子が周回しているという科学的、社会的常識の標準理論で世界が支配されている。誰もその「原子構造」を疑いもしない。それを理解できない原子像と否定するのは筆者が常識外れの素人か、偽科学論者として排除されるかも知れないが。『電荷』を否定した筆者には、原子構造論を疑う事は至極当たり前の自然科学論の心算で在る。そうであっても、何年先、何十年先になって皆さんが気付くかと考えれば、それも気付きの人の意識の問題として不思議な事でないのかも知れない。今回は高が鋏の磁気現象でしかないが、とても大事な意味が含まれている。

それが右の砂鉄模様である。コンパスで確認した結果が写真に示した磁極N Sである。今回改めて気付いたことは鋏中央部が何故磁極 N になるのかという事である。磁気はマグネットのように、磁性材料の両端に在るものだ。金属の真ん中に磁極がある等と言う磁界はあり得ない。直ぐにそんな訳が無いと気付いて当然だ。しかしそのことに気付かないで過ごしてきた。今回の気付きの、その切っ掛けとなった事に、『ハルバッハ配列』の磁気現象の存在を知った事があるかも知れない。この鋏の磁極 N はどのようなエネルギー流によって生まれるのかという疑問に気付いた。磁極を磁束描像で認識することには論理的な説得力に成らない基本認識からの疑問である。この写真に示した砂鉄模様は、今までの物理学理論への認識を新たな捉え方に切り替えなければならない実験的証明の意味を示している。鋏が何故磁気を帯びるのか?ほとんどの鋏をコンパスで調べれば、何等かの磁気を帯びた結果を示すはずだ。そこに隠された意味が有る。その意味を解き明かしたい。

磁場とは何か?-物理学の命題– (2016/03/29) で鋏に磁気の極性が生まれる事を取り上げた。何故鋏に磁極 S-N-S の配列が生まれるのか?磁極は『軸性エネルギー回転流』に依る物理的現象である。磁束も自然界には存在しないもので、科学技術理論・電気磁気学理論の構築に有効な概念として仮想的に創作した物理概念である。ファラディーの法則として電磁気現象を解釈する極めて有効な概念が磁束量である。磁石のように離れた物同士の間に働く力を、解釈するにはその空間に変化をもたらす何かが存在すると考えざるを得ない。その創作概念が磁束である。しかし、もし磁束があるとしたら、その磁束の何が『力』の基として空間で機能すると考えるのか。磁束が空間で太くなるとか、本数が増えるとか、力が強くなるにはその磁束にどのような空間の状況の変化を生むのかを説明しなければならない筈だ。しかもどんな磁束の式で表現されるのかを。磁気のクーロン力には磁束がない。それは距離の長さが変数である。磁界の原則を説明したdiv B = 0 は空間に磁束を発生する基の磁荷 m[Wb] は存在しないことを説明した式である。理解して欲しいことは、空間に『エネルギー』が実在するという事である。『磁束』と『エネルギー』との関係である。光は『エネルギー』である。光を観ようとしてもその姿は見えない。空間には『エネルギー』が、その代表として「光」があるが、それを見る事はできない。物の姿は「光」によって見る事はできるが、「光」を見る事はできない。電気コイルは『エネルギー』をその空間に貯蔵、保持すると解釈するが、その『エネルギー』があるとは解釈しないで、『磁束』で代用して解釈しているという事ではないのか。空間の電磁場を電界や磁界で解釈するとき、その空間の『エネルギー』を意識しているのだろうか。結局磁界や『磁束』もその空間の『エネルギー』の代用概念として使っているのじゃないか。電池は電気の『エネルギー』の貯蔵器だ。電池が何を貯えるものと考えるのか。『電子』を貯えるものではない。電子など『エネルギー』じゃない。電子が負荷を流れたからと言って、負荷がどのように『エネルギー』を使うと言えるのか。電子は『エネルギー』を背負って移動する訳ではなかろう。電池の『エネルギー』をどうして意識して解釈しないのか。電線で囲まれた空間を流れる電気の『エネルギー』を何故考えないのか。電磁気現象の本質はすべて空間の『エネルギー』の現象なのだ。目に見えない『エネルギー』や『光エネルギー』の空間場なのだ。

解析結果

磁極とエネルギー流 鋏の腹に当たる中心部が磁極Nである。鋏の鉄金属の中心がN極になる訳を磁束では説明不可能であろう。図解のように、丁度二つの磁石が N 極で向き合った磁気結合の構造をなしている。結局その結合がN極周りの図解のような、鋏のどの方向から調べても全ての面で軸性エネルギー回転流の磁極 N の指向性を示す。腹部のN極の鋏のどの方向でもコンパスを近付けると、そのエネルギー流がコンパスのS極のエネルギー流と同じ流れとなる。そのエネルギー流の合成分布が磁極の向きを揃える力を生む。鋏のN極のエネルギー流とコンパスの磁極 S のエネルギー回転流(その密度流ベクトル S [J/㎡s])に直交した方向に、二つの磁極の間での近接作用力

f = rot (S/v) [N/㎥]

が発生する。磁極周辺空間内を通して金属同士(コンパスと鋏)の間に作用力が生じることになる。

むすび

何故鋏が磁気を帯びるか?鋏の使いの機能、即ち2枚の刃を擦り合わせる事によって摩擦のエネルギーが原因かと考えた。しかし、その点の確認はできなかった。感覚的には、製造加工時の加圧ネルギーが原因かとも思える。今のところ不確かではある。

他の鋏でもその磁気分布を調べた。鋏によって、その模様も異なる。左上はその例だ。磁極が端に在る訳でもないことを示す。

 

 

 

視界と光の科学

はじめに(2020/02/28)
視界の一事を理解することがとても難しいと知った。人も動物も水平二眼によって視界を認識する。視界の対象である万物から届く光によってその存在する世界を知る。すべて光の本性が司る世界像である。光の何たるかを知って初めて視界の意味が理解できるのであろう。また、人の視界認識の仕組み即ち二眼によって取得した光の情報を脳でどのように処理・判断するかの脳機能を理解して初めて視界の意味が分かったとなるのだろう。脳機能まで理解するなど無理である。大よその処で自分なりに納得できれば良しとしたい。

今思い出す印象的な記憶が有る。それも光の不思議としての子供の頃の思い出である。

図1.障子戸の針穴写像。朝早く、まだ板の雨戸を閉めたままの薄暗い部屋で、晴れた日の障子戸に映る鮮明な影絵が目に入る。板戸と障子戸の間は10㎝程の隙間が有る。雨戸の杉板の節の割れ目の針穴から光が差し込み、家の前の杉林の影が障子戸に映る。所謂「針穴写真機」の原理である。広い風景から、小さな針の穴を通して、その風景の各点からそれぞれの一筋の光が真っすぐに障子戸の紙に幾何学の直線を引くように届く。決して光は干渉等すること無く独立の一筋を描いて空間を伝播する。

視界構成に果たす光の基本特性。

光路独占の原理。視界を認識することができるのは光の特性にすべてが掛かっている。遠景も近景もその瞬時の同時性で認識できる。それは光の超高速度の『光速度』に依るからだ。もう一つは光の直進性に依るからだ。光は決して曲がらない。伝播空間の媒体の特性に従った速度で伝播する。それが「蜃気楼」のような現象になるのでは視界を認識できなくなる。伝播空間の媒体の空間特性の変化が生じるとそのように視界認識できなくなる。「逃げ水」もその例だ。そんな状況が普段は起きないから、当たり前のごとくに視界における光の特性など考えもしない。媒体空間に意識的に変化を起こさせるのが「レンズ」などの技術である。その視界における光の特性を【光路独占の原理】と仰々しく名付けたい。

図2.一点の放射光 視界の中に観る対象の一点から光は四方八方に放射される。この一点から全方位に放射される光が有る中で、ただ一筋の光だけが視界の構成に役立つ。その光は決して他の光の伝送路の邪魔をしない。その光の通り道はその光だけの独占光路である。宇宙論で、水星の近日光(?)と光が重力の影響を受ける話が有るが、光は伝播光路に障害が有れば、その近傍で回折する筈と、その現象の意味を考える。一言付け加えておく。視界の対象の一点からの放射光が眼の角膜を通して入射する。角膜の表面全体には対象の一点からの光が無数に入射し、それが水晶体を通して一点(水晶体の内側の面が硝子体管の入射面になる)に集光する。その点の光は対象の一点からの四方への放射光が角膜の表面の各点を通して、それぞれの一筋の光路を独占して入射する。

テレビ画面とその視界。PCやテレビの映像が現代社会の生活基盤を支えている。テレビ画面はどの方向から見ても、映像は乱れなく観察できる。何も不思議のことではない。当たり前の常識である。しかしよく考えると、テレビ画面から放射される光が、各画素の一点から半平面の立体空間(立体角 2π [st(ステラジアン)])に放射されている訳でありながら、その光は決して隣の画素の光の光路を邪魔するようなことはない。その事の中には、光が如何に自然界の厳格な仕来りを司る役割を担っているかという深い意味を持っていると考える。光路独占の原理と言いたい。自然界の王者光に乾杯!素粒子をも構成する素原として。

視界は天然色である。目に入る視界の万物は天然色である。視野・視界に入る対象はすべてその固有の色彩の光を放射している。木炭の炭は真っ黒い色で、それは光を放射していないからである。すべて光を炭の構造体の中に吸収してしまうからであろう。炭素抵抗体が電気エネルギーを吸収して熱に変換するように。さて、図2.の一点の色が決まるのは何故だろうか。何故その色の光を放射するのだろうか。視界に入る風景はすべて色彩豊かな景色である。その光はほとんどが対象からの反射光である。反射光という事はその反射光となる前のその対象に入射する基の光が有った筈である。それ等の対象を取り巻く空間に満ちている光が基の光である。全天空光とも言うかもしれない。青空の光と言うかもしれない。視界に入るすべての対象の色彩はその対象の入・反射の光波長変換特性によって起きると解釈する。その点を、光源の輝度とは? (2020/03/07) にまとめた。

水平二眼の視界。
図3.二眼の視界 目の前に蜜柑をかざす。片目をつぶって、それぞれその蜜柑を見る。蜜柑の位置が左右に動いて見える。右目で見れば、右側が見え、左目で見れば蜜柑の左側の側面が多く見える。それぞれ異った見え方で、左右にズレて見える。しかし両眼で見れば、一つの蜜柑として左右の混乱なく認識できる。水平二眼による視界の特徴は遠近とその機能による奥行きを無意識に捉え

ることにあると考える。水平二眼がどの様な光と視界の意味を持っているかを二眼珍カメラで考えれば分かるかも知れない。どんなに焦点をそろえても決して鮮明な写真は撮れないはずだ。二眼のそれぞれの像が写るから。

反射鏡の視界。

平面鏡。図4.鏡と写像。普通の鏡に映してみる。ガラスの透明な保護面を通して金属面での反射像を視界とする。鏡の反射視界像の特徴は、実際の視界と左右が必ず反転していることだ。前にNHKのある放送番組で取り上げられた問題で、初めて意識した。上下はそのままだが、左右だけが何故反転して映るかと言う疑問の提起であった。考えてみた。自分の顔が左右反転している。何故か?と問われても特段説明が付かない。鏡の反射像は目の上下、左右からの反射現象だから、鏡を通せばその反射光線の光路から、当然のことである。水平二眼の仕組みも、片目で鏡の写像を見ても、左右の位置が相当逆方向に移動した視界となる。異なる反射像を見ている筈なのに、一つの視界として認識する脳機能の方がとても不思議に思える。結局考えれば、反射鏡での光の反射現象としての理屈は当たり前のこととしての結論にしか導かない。

図5.放物面鏡と視界。反射鏡で有名なのが放物面鏡である。巨大な天体望遠鏡としても利用される。マイクロ波の通信アンテナ設備も、衛星放送のアンテナも放物面鏡の一つだ。天体望遠鏡は星の光を反射させる。衛星放送アンテナは放送電波を反射させて、焦点の受信端子で電波の縦波のエネルギー分布波を受信する。光も電波もエネルギーの縦波であるから同じものとしての機能が働く。図5.は焦点に二眼で見る意味である。厳密には二眼に入る一つの星からの光は僅かに異なる光路となるのだろう。それで遠近をと思うが、実際はどうか?天体観測は焦点の鏡の反射視界を望遠鏡で観測するのだろう。この視界も上下はそのままだが、左右は反転した視界となる。だから天体観測写真は左右逆転像の筈だ。見る方向で、横にして見ればその軸の左右が逆転像の視界となる。天体の上下左右は意味が分からなくなる?これも鏡の宿命的反射視界の現象だ。

逆さ富士の視界。湖が静かな時に、そこに富士山が逆さに映る。そのような湖面の反射像は上下が反転し、左右はそのまま映る。これも鏡の反射現象に基づく視界の一つと言えよう。

ネガの反転写真。カメラのネガの逆さの向きでの焼き付け写真。ネガの向きを逆に焼き付ければ、丁度平面鏡の視界の写真となる。以上幾つかの反転視界を拾ってみた。

視界認識―水平段層視界―
図6.視界認識。水平二眼による視界認識機能。視界を認識するには一眼でも可能である。あらゆる動物も一つ目小僧はいないようだ。カメラでの写真を見れば、普段我々が認識している視界の姿がその写真に見える。だから、一眼カメラの視界が我々の認識視界と同じと思っても致し方ないかも知れない。しかし、図3.の二眼視界のように二つの目で別々の視界を捉えている。それを脳の機能で一つの視界と奥行きのある三次元視界を見ていると解釈したい。その三次元は水平の視界認識においてである。だから、視界が水平二眼で認識されるという事は無意識に、水平の段層視界の積み重ねとして認識しているのではないかと考える。図6.はその意味を写真を使って水平視界の分解像として表現した。

むすび。
視界と光の科学(屈折) (2020/02/16) に続いた視界論。