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科学技術社会のエネルギーと運動力学(理科基礎)

毎日が酷暑の日本列島である。エネルギー大量消費構造の社会になっている。昔に比べて特別に気温に敏感な人間になった訳ではないだろう。熱中症で救急搬送される人が増えている。熱中症対策で、適切に冷房をするように言われる。冷房機の運転は熱エネルギーの放射現象を利用する科学技術である。部屋の掃除に掃除機を利用する。掃除機の放出空気の温度は相当なものである。科学技術の利用はそれだけでエネルギー消費に基づいて、地球温度上昇を進める。そんな意味を考えて図に纏めてみた。

科学技術とエネルギー科学技術とエネルギー 科学技術を支えるのに電気エネルギーが欠かせない。地球の地下深くに埋蔵された化石燃料の利用法を開発し、あらゆる科学技術の利用のエネルギー源として発電技術が重要な基盤となっている。考えてみれば不思議な事である。化石燃料の石炭、原油あるいはウラン核燃料がエネルギー源の大半を成している。不思議と思うのは、その資源は何が造り出したかという事である。地球が自分自身で作り出せはしない。みんな太陽が地球に産み出した資源である。太陽はこの渦状天体系のあらゆる根源を成している。この系で現在活発な生命現象を繰り広げているのは地球だけである。この太陽系の全体の物理現象を考えても、地球自身を含めて、何にも分からないことばかりである。地球上に展開される生命の不思議な仕組みは、その根源で太陽が仕組んだ自然の営みである。これはその存在する姿そのものが自然の女神の仕掛けと思える。それは神の仕業である。100年程の間に、人が創り上げた地球上の生活環境は当然人のための幸福を目指して来た筈なんだろうが?その目指して来た目的の大半に到達したと言わなければならない状況になった。太陽が創り上げた地球の生命の楽園を、人の欲望という極めて人間的な特性によって過酷な競争の世界に変えつつある哀しさを否定できない。『エネルギー』の過剰な利用は地球の生命を人が抹殺しようとする仕組みにしている。絶滅危惧種などと言って、『エネルギー』の大量消費の弊害には目をつむって、生命の多様性を破壊し続ける科学技術社会には正当性があるだろうか。もう科学技術は完全に飽和状態に達してしまったのだ。革新など殆どその余地はない。家庭電化製品はじめ、自動車などほんのわずかな改良の過当競争に神経を擦り減らすだけの『幸福感より不満足感?』しか残念ながら残っていない。科学技術の未来を思った時、地球環境の安全性への不安がよぎる。

目標と制御目標と制御 科学技術の制御系は適正な安全性をフィードバックによって叶えている。しかし、地球環境の未来の安全性は危機迫る状態だ。人間だけの為の生物多様性を無視する現状は人間の生存をも脅かす。

人の体温の意味 体温、気温は生命の活動を決める『生命維持基準』である。人の体温が2度上昇したらどうなるでしょうか。海水温が2度上昇したら、海洋生物の生存・活動領域はどうなるでしょうか。マグロ養殖の為にサバの乱獲が放置されて、サバを食べることが出来なくなっている。小さいサバだけしか売り場にはありません。資本主義競争の際限ない人の欲望に任されている現状は、誰が未来の安全性を守らなければならないのでしょうか。政治指導者の責任でしょう。科学者も哲学者であって欲しい。

『エネルギー』と『エネルギー保存則』の意味について 人間の未来を考えるに『エネルギー』の意味を理解せずには不可能である。『エネルギー』は運動エネルギーと位置エネルギーなどという教育では酷過ぎないか。『エネルギー』は理科教育の眼目である。気体分子運動論が地球温暖化の解決への基礎教育に役立つだろうか。『エネルギー』とは何かと考えてもはっきり定義するだけの能力はない。エネルギーと空間と質量で少し分類を試みた。しかし満足出来ないので、未だ山の途中に居る心境だ。先日歩きながら考えた。電気エネルギーと熱エネルギーと光エネルギーについて違いは何かと。『エネルギー』が存在する場・空間は大きく分けて、『真空』と『物質内』の二つである。電線路内も含めてコイル、コンデンサ更に炭素抵抗、誘電体、磁性体その他あらゆる原子・分子結合のあらゆる結合格子空間が『物質内』と看做せよう。その物質内から解放された自由空間の極限が『真空』となろう。特に電気エネルギーは特別に閉鎖された空間内に囲まれている訳でもないのに、電線路の空間に纏わり付いて存在すると看做すと、『エネルギー』の塊としての慣性的な重い特性を持っていると同時に光速度流の素早さを兼ね備えている不思議な『エネルギー』に思える。極限状態の『エネルギー』は「光」であり、その光エネルギーは『真空』の場においてその本領を発揮する点で特別である。炭素抵抗内に入る電気エネルギーは再び電気エネルギーに戻ることはない熱エネルギー・光エネルギーとして放射される。そんな『エネルギー』の状況を絵で表現してみた。

エネルギーと壁エネルギーと壁 結晶格子・分子結合格子等の囲まれた空間内の『エネルギー』が存在する状況を表現した。

壁の開放壁の解放 光源、蛍光物質等から光の『エネルギー』が放射される。量子力学では原子外殻電子の運動エネルギー論で解釈されている。『エネルギー』が格子空間の壁から解放されるにはその壁の構造が変化して『エネルギー』解放をすると考えたい。エネルギー貯蔵物体の形状だけでなく、電気回路のコンデンサなどはそのコンデンサ外部空間のエネルギー分布状況での変化が『エネルギー』解放の引き金にもなると考えたい。

エネルギー保存則の意味は地球環境の問題としても考えるべきである。消費するエネルギーはどこに行くかを理解するには『エネルギー』とは何かを理科教育として適切に対処する必要がある。『エネルギー』は光と熱と質量の間で変換するのである。運動エネルギーと位置エネルギーで理解できる筈はない。

『運動力学』 昔の砲術理論じゃあるまいし、放物線では力学の日常性が見えない。超高層エレベーターなど日常生活の科学技術に視点を向けた理科教育でなければ意味がない。エレベータは地球の重力加速度との関係と深いかかわりを持ち、しかも人の運動感覚とも繋がる市民の日常的生活において、とても現代的運動力学の問題であろう。ここにエレベータの力学問題を取り上げようと考えた。しかし、問題が複雑で考え直さなければならない疑問にぶつかってしまい、別の記事として取り上げることにした。ニュートン力学の f=mα[N] の加速度の意味が分からなくなったからである。エレベータが静止していれば、人には重力加速度の力が掛る事になっていよう。それなら、人が加速度α’=1[m/s^2] で上昇する時、人に掛かる力は重力加速度g[m/s^2]と加速度α’=1[m/s^2]との合成加速度になるのじゃなかろうか。従って、f=(1+g)m[N]の力になる。運動力学論(f=mα)とどう整合性をとれば良いかが分からなくなってしまった。御免なさい。エレベータの話は無しにして、回転動力の力学の話とする。なお、ニュートン力学 f=mα[N]の式の意味は、どんな場においても重力加速度g[m/s^2]の影響下で考えなければならない。αの中には常にgを含めて考えなければならない。だから空間的な距離の加速度とは意味が違うのだ。従って、実際には単純に加速度と質量で力とはならない。無重力空間の場で初めて、加速度と力の関係f=mαが成り立つのだろう。

%e8%bb%b8%e3%83%88%e3%83%ab%e3%82%af%e3%81%a8%e5%8b%95%e5%8a%9b軸トルクと動力。現代生活の基を支える運動機能は回転運動である。船のスクリュウも飛行機のジェットエンジンもクーラーの空気圧縮器のモータもみんな回転運動だ。上下運動のエレベータも巻上げ駆動モータの回転運動に頼っている。なかでも回転運動の限界に挑戦しているのが汽力発電所(水蒸気タービン発電所)であろう。(図の軸回転数で、原子力発電機・タービンでは大容量であるため1800rpm、1500rpmの4極発電機に成っている事を追記する。2017/12/06)

軸は一つの鉄鋼の塊(記録の鉄鋼の塊は600ton程?)から切り出して造るのだろう。その製造技術には計り知れない技術者の血と汗が隠されている。軸の直径d[m]がどれ程かを知らないが、人の身長ほどあるのだろうか。ロータの破裂失敗事例〉長崎のタービン 等に示されるように、科学技術への多くの挑戦が隠されている事も知っておきたい。鉄鋼の塊として、発電機回転子の磁極を埋め込む部分まで一体構造なのであろう。そんな巨大な回転体が高速回転して電気エネルギーを発電しているのだ。力の作用反作用と同じく、トルクも発電機側の負荷トルクτlに対して僅かに蒸気タービンの駆動トルクτが強いから規定の高速回転が保持され、エネルギーが発電機側に供給できるのである。そのエネルギー伝達の機能を担うのが軸である。丁度雑巾をしぼる時に回転ねじのような捩れが起きる。軸にねじれの応力が掛りその応力に耐える強度が軸には要求される。目に見えないエネルギーの流れが軸を通して伝達されているのだ。軸の鉄鋼にその性能が要求されている。そんな意味を回転運動の動力 p=ωτ[W] (実際は[MW]である)の式は持っている。

地球と運動力学 運動力学は自然科学の古典的学問分野であろう。しかし地球の運動を考えるとその真髄に辿りつけない自分が居る。多くの疑問がのしかかる。そんな疑問を解けないかと考える空間図を描いた。

%e5%9c%b0%e7%90%83%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%83%8d%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc%e3%80%80地球とエネルギー 地球の運動エネルギーは幾らなんだろう。地球中心のエネルギーはどのように捉えるのだろうか。地下の圧力エネルギーはどう解釈するのだろうか。位置エネルギーとは何か。そんな妄想の虜になる切なさ。

汽力発電所(原子力、重油火力等の水蒸気タービン発電方式) 世界が電力を利用する未来は海の海水温度の上昇と人の生活環境(食料・住居)を破壊する危機を覚悟しなければならない。『復水器』で海水を加熱する科学技術であるから。

パワーフローパワーフロー 古いファイルではあるが参考に載せる。

雷と不立文字

また雷の事を書きたくなった。去年11月に「雷と指数関数」の標題で書いた。微分方程式の解法の矛盾点を含めて論じた。今回は『不立文字(フリュウモンジ)』という東洋哲学用語との関係で論じて見ようと思う。雷様と昔から畏敬の念を持って接して来た自然現象でもある。科学的にも中々捉えきれない不思議さを秘めている。不立文字という用語の意味は、或る事象を説明しようとしても、言葉で解説して理解して頂く事が出来ない、という程度の意味と解釈している。ここで雷と不立文字の関係は雷を言葉で説明できないと言う事に結びつく話に成るであろう。書けない事を書くと言う事がそもそも矛盾である。それでも自分なりに「自然科学論」を書く心算でいるのだ。厳密に自然現象を論じようとすると、数式では説明できないだろうと言う事である。しかも『専門用語』の意味を厳密に認識しようとすると、結局矛盾に突き当たり、その専門用語さえ使えなくなると言う意味である。数式も専門用語も使えなくなれば、科学論が成り立たない事になる。落雷は夏に多い天空の自然現象であり、恐ろしい現象でもある。電力工学では、「高電圧工学」の分野として、長年研究されて来た。しかし未だに、すっきりと分かったと言えない状況にあろう。その原因の根本は『電荷』を実在物理量と決めて、解釈しているからに過ぎない。電荷概念を捨てることにより、始めて「雷」の物理的真実に迫れる筈である。 『電荷』という虚像で、少し電荷概念の矛盾について述べた。落雷現象を、自分の能力の無さを棚上げにして、電荷概念なしに解釈してみたい。右にその落雷の考察ポイントを①から④までの番号を付けた所の現象を基に考えてみたい。落雷現象は、先ず初めに「前駆放電」という現象が雷雲と地上の間の空間に起きる。「放電」という言葉そのものが概念では電荷の現象という意味であるから、使えないのであるが光を空間が放射する事の意味に限った解釈で「放電」の用語を捉える事にする。丁度、電磁界の解釈で、電界と磁界という用語を使わなければならなかったと同じ説明上の『不立文字』の問題でもある。電荷概念は、日常生活で遭遇する現象の説明に誠に巧く出来ているから、誰もが信じて疑わないのである。しかし、論理的に追究すると、矛盾だらけの姿を曝すのである。なんとなく「摩擦現象」を電荷で最初に解釈した遠い過去の時点の科学認識も社会状況にも遡って考えてみる必要があろうと思う。『雷雲』が電荷を貯蔵すると言う物理的根本の解釈の基は何か?高電圧工学では、入道雲の発生時に、上昇気流に伴って、水滴や氷粒の摩擦が起きる。その摩擦を基に電荷の分離が起き、雲の中にプラスの電荷部分とマイナスの電荷部分が分かれて生じるような解釈が取られている。何で同じ者同士が摩擦をすると、プラスとマイナスの電荷に分かれなければならないのだろうか。例え分かれたとしても、プラスとマイナスは常に引き合う基本的性質を持つと定義しているのだから、ワザワザなんで分離する力が生じると言うのだろうか。このようなしつこい理屈を述べると、科学論に反すると言われるのである。科学論は数学的論理方程式によって、科学的論理解釈に脳が訓練された特有の思考方式による科学者の集団的論理場領域なのである。①の雷の発生起点となる雲の状況をどう認識するかが一つの要点になろう。クーロンの法則を基にしなければ、電磁気学が成り立たないと解釈する点に大問題がある。電荷を否定すれば、クーロンの法則は即座に破棄しなければならない。雷の現象には、雲の中での放電と雲と地上との間の落雷とがある。落雷は高速度撮影の観測写真等で、前駆放電現象が見られる。番号①を起点に複雑な軌跡の光の筋が②のように天空に広がり、如何にも何処に放電すれば良いかと、触手を伸ばして相手を探しているような姿の光の筋である。その一筋の③から④へと伸びた筋が目的地に到達したが如くに、その筋が「主放電」の落雷現象の道筋に成る。この主放電の光の軌跡がエネルギーの放射源である。落雷現象が如何にも雲と地上の間に貯まった『電荷』の中和現象と解釈すれば、科学論として辻褄が合うように思える。しかしそんなに簡単に落雷現象を『電荷の中和現象』と解釈して納得したと言えるかという事である。触手を何本も空間に伸ばした複雑な前駆放電の光の筋をどのように解釈したら良いかという『問答』になろう。

落雷のエネルギー解放現象 空間の放射エネルギーには様々な種類がある。今問題になっている『放射性物質』からの核分裂放射エネルギーもその一つである。核分裂放射エネルギーは目に見えない。しかし、空間に展開される落雷の放射エネルギーは強烈な放射光を放って、空間の貯蔵エネルギーを解放するのである。「量子力学」で、原子、分子の光の放射現象を取り扱う。蛍光灯の「蛍光物質」の放射光もその理論で解釈されている。しかし、電子の運動エネルギーが何とかこうとかと解釈されるが、そんな原理は当てに成らない。その理論の矛盾を挙げておきます。蛍光灯の発光現象は水銀蒸気の発する紫外線が蛍光物質を刺激する光の波長の可視光線への変換現象と解釈されている。紫外線に比べられないような、150MHz の波長空間(定在波)で 40cm の直管蛍光灯が高輝度で発光する。これは余り理論解釈と違い過ぎましょう。空間への放射エネルギーの形態はさまざまである。あの夜空を引き裂く落雷の主放電の光放射現象を、その光の放射エネルギー量を積算計算したら、途轍もないエネルギー量になろう。要するに空間に貯蔵された空間エネルギーの放射現象が雷現象の正体である。高密度エネルギーに直撃されたら、人の生命は耐えきれない。結局雷現象を科学論として取りまとめられたかと言えば、エネルギーの空間実在量として認識できるかどうかにかかる問題であると言えよう。光をそのエネルギー量として捉えられるかどうかであろう。

質量とエネルギーの等価性 ここで取り上げるにはと躊躇する。しかし、先日NHKの番組で、「宇宙の渚」とかがあった。古い資料の中に見つけた物がある。宇宙と繋がる様な図案である。質量・エネルギーの等価性実は、事情があって、発表出来なかった資料である。日本物理学会第64回年次大会。エネルギーが質量の基 第64巻1号第1分冊 p.20.(2009)  の発表のために準備した資料である。丁度宇宙の渚での「スプライト」の雷放電模様に関係した絵図に連想できると思う。ヒッグス粒子などの素粒子論に対抗した異なる質量概念の解釈絵図である。序でだから、その時のもう一つの資料も示そう。素粒子衝突の模型を描いたものである。丁度粒子加速器での粒子衝突の様子にもなろう。必ず衝突すれば、エネルギーが、質量が光に変換されて、放射される。陽子などの粒子を加速すると言うが、電気磁気学理論では、陽子の電荷加速なら、電界以外の加速力は無い筈である。しかるに、セルン加速器は「磁界」で加速している。陽子の加速に磁界加速は原理的に『嘘の不可能な加速法』である。それは余談として、粒子衝突で放射される光は質量の運動エネルギーが光に変換すると言うより、質量が加速されたエネルギー分まで等価的に「増分質量」と解釈すべきものであり、その分も含めた物の中の一部が『光放射エネルギー』に変換されたと解釈すべきである。その光はエネルギーの大きさに差はあろうが、蝋燭の光と本質的には変わりが無いのである。これらの光はすべて消滅する訳ではないのだ。光はそのままエネルギーなのである。光が放射されて、必ず何かの障害に突き当たる。そこで屈折、反射および吸収の様々な障害という媒体との相互干渉で、状態変換を起こす。遂には吸収されて熱エネルギーなどになる。その熱エネルギーも完全に原子・分子の内部に吸収されれば、それは『質量』になる。それが『質量・エネルギー等価則』という事だ。『エネルギー保存則』は自然界・宇宙の基本法則である。光のエネルギー保存則をどのように解釈するかが素粒子論の問答に成る。