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アッツ桜

アリュウシャン列島のアッツ島も今アッツ桜が咲いているのだろうか。

アッツ桜 1943年(昭和18年)5月19日アッツ島の戦いで日本軍が玉砕した。丁度今頃の季節だった。御冥福を祈る。父も昭和17年5月2日第三特別陸戦隊附同年7月1日第五警備隊、北潜?隊進駐援護作戦に従軍。キスカ島での1年以上に亘る作戦後、昭和18年7月29日キスカ島撤退作戦で帰還した。帰還と言っても父は帰れなかったようだ。シュムシュ(占守島)島に深い因縁があったかもしれない。同年7月29日鳴神島発ー8月1日占守(シュムシュ)島着とあるが、8月5日第51警備隊附天寧派遣の命令により8月17日占守島発(日帝丸)19日天寧着。9月17日天寧発(和光丸)19日室蘭着。20日同発22日舞鶴海兵団入団。この時は既に衰弱し、立つ事も出来ずに実家の父(信策爺さん)に背負われて帰る。父からはキスカ島での戦闘の話や、ネズミを食べて過ごしたなど。また撤退時の雲に隠れての幸運の話等を聞いた。軍歴票は墨で塗られて不明の部分がキスカに関係している。敗戦後の9月2日ミズリー号の後も、その年は暮まで帰られない仕事があったようだ。何時帰ったかも覚えていない。

舞鶴での思い出がある。舞鶴東港は平成5年に訪れた時、兵舎があるようだった。敗戦前にはそこに本館があり、入口の広間には大きな鯉の滝登りの額が掲げられていた。館の正面には飛行機があった。父と偉そうな軍人が居て、その飛行機に乗ることを許されて乗った。席は一つか二つしかなかった。父は帰還後、新兵教育の教班長をしていたようだ。終戦後、舞鶴国民学校から、おそらく貝野小学校に転校の手続きは成されていなかったのではと?すべては昭和24年4月の貝野村役場での中央からの行政官が来られての処理行政に因ってどうなったか?

戸籍転籍の不可解 昭和14年12月1日(1939/12/01)舞鶴鎮守府所管(所管という意味が不可解である。権力による強制的な仕打ちか?その日付で第一国民兵役編入とあるが、戸籍転籍は法律に因らない不法行政?)へ轉籍 父は召集されるのを危惧して、10月1日に日本発送電株式会社へ就職した。それを内務省が計って轉籍にしたと思う。戸籍附票の筆頭者頭の「亡」の字の意味。しかし軍には昭和16年9月2日に、『充員召集ヲ令セラレ』で舞鶴鎮守府から発令されているから、それまでの2年間は日本発送電株式会社の社員として送電線路保守業務にも務めていた筈だ。昭和36年交通事故で亡くなり、東京電力社長 木川田 隆一 氏の弔辞には、昭和14年から一貫して21年間送電線路保守員として働いた云々・・と有り軍歴は無いことになっている。舞鶴鎮守府の前は、大正15年12月13日横須賀海兵団 舞鶴練習部入団。軍艦 『加古』その後『多摩』乗り組み。軍艦多摩乗組員代表で昭和天皇の御大礼に参列。菊の紋入りの大きな勲章が家に在った。軍歴の記載の不可解。第一国民兵役満期 昭和21年9月5日。帰休 26年3月31日。とは?

我が存在 私は偽者か

水泳の検定結果をpcに入力すると、「不合格」と打ち出されて、認定証の作成が出来ない。と作成関係者から説明された。名前が認識されないと言う事は存在が否定されていると同じ意味に思える。昭和14年12月1日以降にどのように舞鶴鎮守府から戸籍が回復したか?(2019/02/12)追記。氏名は漢字をGoogleで翻訳すると必ず[Yoshihira]でなく[Kihei]と翻訳される。

アッツ桜に思いあり

アリューシャン列島の端に、アッツ島とキスカ島がある。アジア太平洋戦争の日本兵の玉砕した島がアッツ島である。アッツ桜はその島の芝桜であろう。アッツ桜

アッツ桜 きっと北の短い夏を彩る花だろう。花に雌しべが見えない。そんな孤島、アッツ島で戦闘を命じられた兵隊はどんな思いでいたのだろうか。食糧の補給計画も、その余裕も無い初めから無謀な戦いを命じられた兵士の思いを考える。アメリカ軍を相手にどんな戦いをして、何を最終的な目的に描いていたのか。日本人の、日本連合艦隊の軍事参謀の未来予測の立たない滅茶苦茶の計画。ただ腹芸で分析力の無い、幼稚で、無謀な政治政策。今の日本の行政官僚、政治家の外交・内政に対する手法も当時と余り変わりない状況が読み取れて、大変気掛かりである。厚生労働省の行政計画の余りにもお粗末さは、今朝の新聞のアルツハイマー研究の記事にも有る通り、年金問題から、老人介護問題などどれをとっても未来予想に基づいた適正な行政計画など出来ていない。政治家も老人の選挙対策上、財政破綻を見ぬ振りしてやり過ごしている。少しもあの戦争の無謀な姿とどこも変わらない。秘密保護法、集団的自衛権全て的確な未来予測の欠落した政治状況に見える。戦争の日本政府の検証が無いままに来た日本の欠陥がいつでも、日常政治手法に噴き出す。

アッツ島 アッツ桜の花が、日本よ二度と誤りをしないで欲しいと、玉砕した兵士の思いを伝えていると思うのだ。

キスカ島 昭和17年夏、父は舞鶴鎮守府、特務陸戦隊員としてアッツ島の軍隊の苦境を立て直し、救うために「北潜戦隊進駐救援作戦従事(軍歴表の墨塗り部)」。昭和18年7月明神島発、占守島着を経て、命からがら北海道に辿り着いた。食料も、武器も無い中で、戦闘が出来る訳がない。気が狂う者も出たと。蛇やネズミを食べて生命を繋いだ。ネズミなどは高級な食材であったらしい。ドラム缶の中で湯に入っている最中に、攻撃され頭を湯に潜していると、弾丸がその湯の中をプシュと音を立てて行く。撤退する時、天の恵みで雲が上空を覆った為に、敵の戦闘機から逃れて帰れた。故郷の駅に着いた時は、立つ事も出来ず、信策祖父ちゃんに背負われて家に辿り着いた。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府