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特定秘密保護法案に写る日本

経済界の指導的首脳陣から特定秘密保護法案についての発言がほとんど聞こえない。日本の言論の自由に対する危機的法案であるにもかかわらず、経済界は賛成反対の表明がない所に如何にも日本人の集団的気風・意識構造が図らずも写っていると観る。

日中間には今とても大きな問題があると言える。中国の防空識別圏の設定は予測していたのだろうか。現にその事に対する様々な意見表明が成されている。日本には外務省はじめ、政策策定・未来予測の分析が真剣に成されているのかとても疑わしい。

日本の行政機関・組織には全体体制で、有無を言わせない裏工作で人々を締め付ける気風が横溢していると観ていた。法律は『日本国憲法』はじめ国家権力の為の存在との認識が強い。個々人の一人ひとりを意識する事は法的に極めてお粗末な状況にあると観る。『国は』『国側は』と言う言葉がとても多く日本では使われる。最高裁判所でも裁判用語として厳然として法的用語に位置付けられている。人々も裁判では『国は・・を補償しろ』等と『国』と言う用語が使われる。『国』とは何を指すかあるいは誰の事を指すかが全く理解できない。『民主主義国家』とはどのような国家を指すのか、日本の国土の中から一歩も外に出た事もない自分には、日本を見る視点が欠けているのかと言われそうな『井の中の蛙』であるからかも知れないが、全く『国は』と言う用語の意味が理解できない事で困っている。昔、村山総理大臣のとき、沖縄の土地使用期限が切れる問題が起きた。平成7年の事と思う。とても印象的で、忘れられないニュース画面があった。民間と「国側」を識別する表現法として、「国側」には国旗を張り付けて表現していた。民間や日本人個人には国旗は付かない。『日本国憲法』は国家権力側のものと言う意識で国会議員や中央官庁の役人は捉えている事を具体的に認識させられて、とても不愉快な思いと怒りを感じた。それは今でも、よく閣僚でも『国』はと言う言葉を使う方がいらっしゃる。新聞などでも、行政機関が意見広告などでも多く使っている。自分にはその辺から個人は意味不明の『国』の支配下の道具的存在で見られているようで、とても不愉快である。『国は・・』を英語に訳したらどうなるのか。

この度の『特殊秘密保護法案』はそのような極めて不明確な、定義付けの表明もされていない『国』概念に基づく曖昧さのように、日本の元からの分析されない曖昧模糊の政治構造が生んでいる一つの姿である。以前の安倍政権で、「教育基本法」が改悪された。そのときにはNHK の世論調査で、70%が書き換え賛成であったのだ。だから、改悪前のとても立派な「教育基本法」が消えてしまったのである。既にその時の政治の目的が、今の『特定秘密保護法案』になっているのである。「教育基本法」以上に今回は大きな暗愚政治に道を開く法案である。選挙前には全く話にも無かった。それが突然闇雲に出された。その姿勢が戦前に似ているとみえるから恐ろしいのである。

上のような自由な発言が侵害される事があってはならない。自由な発言が人が生きる基本になっている筈である。日本が未来に向かって進む時、過去を検証し思い出して欲しい。隠そうとする限りにおいては、真の世界からの信頼は得られないと、とても心配である。1945年9月2日ミズーリ号での無条件降伏の悲しみを忘れてはならない。横須賀沖の軍艦ミズーリ号まで、ゴムボートで日本代表団の送迎によってなされた事実を隠すようではとても心配である。戦争に突き進んだ愚かな指導者が敗戦の悲しみを日本人、外国人等の多くの人々に与えたのである。最近はそれらを隠して再びその愚かな道に進むのではないかと危惧せざるを得ない状況に見える。平和に貢献するにはどのような外交的努力が必要かの分析が求められる。政策遂行に広い観点からの分析と方針が明確にあるのだろうかが心配である。日本人全てに、経済界も含めて誤った道に進まないだけの責任がある。発言しない日本人が危ない日本を作るのだ。