色彩に誘われて

(2022/06/09)。

(色彩 それは 鏤めた謎 人との対話を 待っている 光の仕掛)

自然世界は天然色だ。

色彩は、自然が人に安らぎを与える為の心づくしと思う。

色彩の物理的意味を考える等、折角の心づくしにそぐわないかも知れない。

2010年秋から、ブログ投稿を続けた。やはり光に関する物理現象には特別の思い入れがある。光は光速度と言う途轍もない速度で空間を流れる。物理学理論での光の解釈は振動数と言う特性で捉えられる。その振動数と言う物理的空間特性はどの様な意味かを皆さんは理解されている筈だ。しかし、筆者はその『振動数』と言う概念が理解できないのだ。理解出来ないと言うより、そんな空間的に振動するような物理現象を光は持っていないと理解している。その意味で、物理学理論の光の特性の捉え方とは全く異なった解釈をしている。そんな認識から、過去10数年に亘って、光に関する記事が多くなったようだ。光の『色彩』に関するものだけで、拾い出してみたら次のように、14稿ほどある。その中の、4.人の色覚と光の三原色 がダッシュボード に上がっていた。読み返したら、いろいろ気掛かりな文章、訂正すべきかと後悔するような文章が多くあった。

検索で、【色覚理論】色を知覚する『ヤング=ヘルムホルツの三色説』『ヘリンの四原色(反対色)説』そして『段階説』について と言う記事を知った。

そこには、『異化』と『同化』と言う解釈用語が使われている。とても興味を持った。『異化』は→分解とある。『同化』は→合成とある。この意味はとても重要な事に思えた。

光には決して『色』がある訳ではない。色彩はなぜ世界を美しく彩ってみせるのか。自然があらゆる生物との語らいをして、心を癒して欲しいからだと思った。花の色に心が潤う。人間で解釈すれば、人の色覚で世界を何も色の無い光から、色覚の生体機能に因って『色』を感じ取ることが出来る訳だから。その意味を、1.眼球の光ファイバーと色覚 に書いた。光ファイバーは通信技術に使われている。それを生物の視覚・色覚に既に組み込まれていた事を知った驚きの記事だ。しかし、どうも『黄斑』が眼科医学の専門家にはあまり重要視されていないのかとも思って、そこでも専門家の科学論に疑念を持った事案と成った。光のレンズでの屈折の物理現象を考えれば、カメラ式に解釈すれば、網膜の球面に視界の像が結ばれる訳が無い。それが6.眼球の光路とカメラ機能₋?₋の記事に成った。『黄斑』の眼底検査で見える像を、その訳をどの様に専門家は解釈するのかを示す必要があると考える。『黄斑』は『硝子体管』と言う光ファイバーの光伝送路の視神経細胞との結節点の筈だ。網膜は外界が明るいか暗いか程度の判断情報しか感知しない機能しか持っていないと考える。しかしその事が何か無視されているように思う。丁度『電荷』の意味について、専門家・物理学者が論じようとしない事に似ている。『正電荷』と言えば『陽子』かと尋ねても、答えずに無視する。

『黄斑』から視神経に繋がる細胞には「レチノール」と言うビタミンA が関係しているとある方に教えて頂いた。ビタミンAの分子構造の変化が『異化』と『同化』と言う光の波長の保有する空間『エネルギー』の密度波との共振などの『エネルギー』変化が神経信号の波長変化を引き起こす現象と解釈せざるをえなかろう。神経情報は必ず『エネルギー』の分布密度波形の縦波としてしか機能できない筈だから。電気回路現象からの電気信号に対する物理的解釈である。『電子』や『電荷』以外の基礎認識での解釈でなければ真の自然世界の認識には至らない筈だ。空間『エネルギー』の波形の縦波が基礎でなければならない。

  1. 眼球の光ファイバーと色覚
  2. 光束[lm(ルーメン)]と比視感度
  3. 色の世界を尋ねて
  4. 人の色覚と光の三原色
  5. 眼は一筋の光を見る
  6. 眼球の光路とカメラ機能₋?
  7. 世界はなぜ天然色か
  8. 光の屈折と分散
  9. 色が生まれる物理現象
  10. 色それは天然色
  11. 視力とビタミン
  12. 光は何を語るか
  13. 放射光の発生原因の不可解
  14. 天然の色と光

 

アミノ酸と生命

(2022/06/07)。昨日テレビニュースで報じられた。小惑星りゅうぐう探査の砂分析で、有機物のアミノ酸が検出されたと。

新聞記事(右)を読ませて頂いた。その事が、生命誕生の謎を解明する大きな手掛かりとなることが期待される。と言うことらしい。誠に関係者の御期待も大きい事で、慶賀に思います。しかし、筆者にはその意味が全く理解できないのだ。素人の浅学の故かとも思うが、理解しかねる意味を記して置きたく、皆さんのご指導で批判頂ければ、少しは専門家の皆様の仰る意味が分かるかと期待しながら、幾つか述べておきたい。

〈疑問1〉『生命誕生の謎を解明する大きな手掛かり』とはどの様な意味か。今の地球上での生命活動の現状で、そこに必要なアミノ酸が宇宙から届けられたもので賄われているという意味ではなかろう。多分、過去に隕石などに因って地球上の生命活動に必要な『アミノ酸』の原型が届けられ、それを基にして『アミノ酸』の分子が特別の現象によって増加し、有り余る現状の『アミノ酸』を古代に造り貯めたとでも言う意味なのだろうか?その『アミノ酸』は植物や動物で造られるもので無いという意味か?

どうしても、現在この地球上で生命活動が営まれている現状を考えれば、地球外界から『アミノ酸』が送られて来る必要はなく、『必須アミノ酸』も『非必須アミノ酸』も十分自然の営みの中で自給されていると思う。その事が何故過去に地球上での謎と考えるのか、その意味をお教え頂ければ有り難い。地球の大きさも、最初から今程の大きさではなかった。太陽光線で巨大植物が繁茂し、その植物を糧にして、微生物や動物、巨大な恐竜が生きていた姿が想像される。その長い時代を経て、徐々に地球も大きくなった。その地球の成長の過程で、現在の化石燃料として、地下深くに、そこが地球の表面であったかと思える位置に、原油や石炭が貯蔵されたと考えたい。その時代と今の人類が営む生命活動における『アミノ酸』の科学的認識に差がある筈は無いと考える。今地球上で、『アミノ酸』がどの様に作り出されているか?その意味が分かっていない訳では無いと思うが?基本は、植物と太陽光線が基に成っている筈だ。そこに動物性たんぱく質が創られ、人が生命活動出来る自然の仕組みに成っていると感覚的に感じる。地球外界は地球の生命には無関係と思う。それぞれの星、惑星も同じく太陽光線が基に成って、生命活動で大きくなったとしか考えられない。みんな植物のような何かが関わっているのだろうと思いたい。酸素や水の痕跡がどうかはそれこそ『アミノ酸』との関係で謎と成ろう。

〈疑問2〉有機と無機 (2022/03/16) で考えた。炭素原子 [C] が含まれている事で、有機だという意味を学習して驚いた。確かに柱状節理は古代の巨樹の化石と解釈する。植物がその炭素を太陽光を受けて合成する。石炭は有機物であろう。然しダイヤモンドは、専門家によって鉱物と解釈されているようだ。炭素だけが結晶化した高純度の有機体化石と思うが違うのか?オパールもアンモナイトと言う古代生物・有機体の化石だからダイヤモンドとあまり変わらないと思う。化石と硯 (2011/09/30) に載せた硯も古代生物(何虫か分からない?)の化石化だから、有機体化石で無機鉱物ではなかろう。これらの化石を磨り潰して、分析したら『アミノ酸』が検出されるのではないか。

どう考えても、わざわざ地球外から、『アミノ酸』を持ってこなくても良かろう。その辺の土や岩石を成分分析すれば、『アミノ酸』は豊富に満ち溢れていると思う。植物が太陽光線で『アミノ酸』を、また動物がそれを食して、創り出している筈だ。

 

 

 

古代生物の化石体だ。有機化合物だから『アミノ酸』が基に成っているだろう。

昼光の物理

現代文明社会で『光』の意味を忘れている。

全ての人工的光を1分間でも消し去ってみれば分かる。

2011年の東日本大震災の夜、2004年の中越地震の夜が文明の光を失った姿だ。

2004年10月23日、午後6時前に震度6弱の地震に襲われた。外に飛び出した。近くの公園に集まった。暗闇の中で見上げた真夜中の空には、満天の星が輝いていた。不安の中で、煌めく星が命に広大な宇宙の清々しさを届けてくれたように感じた。慌てるのではないよ!と。

そんな宇宙を感じた事は無かった。人工の照明はすべて消えた。暫くして、空にヘリコプターがライトを点滅しながら回っていった。

精々1万年の昔には、昼と夜の中に人々が宇宙の中の小さな己を意識して、自然の営みの中で、祈りに重ねて、そこに生かされている不思議を思っていただろう。

昭和20年の秋。太平洋戦争が終わった秋。その頃には、この四季の正常な季節の循環が繰り広げられていた。そんな季節の回る時季に、2cm角もある『雹』が落ちる事は無かった。強風と言っても屋根瓦が吹き飛ばされるようなことは無かった。その訳を現代物理学理論で、解説できないようでは、その学問的意義をどう理解すれば良いかと不図思ってしまう。気象庁の仕事だ等と言って済まされそうだ。

空から降る、雨や雹は海から熱エネルギーによって蒸発した水が、水蒸気がその基なんだ。海水温度に気付かない振りをしているように思える。政治・経済活動の妨げになる事の不都合を避けたくて、見ぬ振りをする。

科学技術が栄える現代は、学術の専門家と言う、自然世界の現象を心で受け止めようとしない、実験室の中だけから解釈するお仕事が、皆をバラバラな勝手な解釈で、自然世界を観るように仕向けてしまったように思う。

出来たら、1年に1回は人工的光線の全くない、自然の輝く星空に祈りを捧げてみたい。贅沢な望みだろうが。

『昼光』。不図そんな言葉の意味を考えてみた。そんな『昼光』と言う状況を物理学ではどのように解釈するかと。

夜も電燈が煌々と明るいから、『昼光』など意識しなくなる。

昼は何処を見ても明るい。その明るい訳は何故か?

その光源は何処に在るか。

空が光源だ。そう気付いた。地球の周りの空の空気が光源だと。太陽光線が空気に当たって、その紫外線を含む太陽光線の波長の短い成分が波長変換して昼光と成る。地球の周りの空気が空から地球を光で包んでくれているのだと。

それが『青空』だ。空が光源だと。

その夜の空にはほとんど太陽の光が当たらないから、宇宙の星空に成るのだ。そんな日常感覚の物理的解釈をした。

物の色彩の不思議。昼は、何処を見ても、何を見ても、そこには必ず物の形と色彩が見える。色彩の無いものは無い。色彩とは不思議に思いませんか?

それを考えれば立派な物理学に踏み込んだことだと思う。光とは不思議で、素敵な物理量だと。

赤血球が謎運ぶ

(2022/06/01)。誠に恐縮ではありますが、現代物理学理論の本質がとても論理性の欠落した基礎概念に縛られたものに思える。何かとても遠く離れた別世界の高度な理数的、特殊な専門家特有の観測技術に基づく科学的知見によって提示される意味が、日常生活空間で受ける自然現象の印象に基づいて、自分の思う科学論としての市民感覚の理解から程遠すぎて、それは専門家的独断解釈の別世界像でしかないと思ってしまうのだ。筆者は極めて狭い、身近な電気工学の基礎的現象から観たものでしかないが、それでも長い電気回路現象を通して、自然現象の真髄に寄り添う事で、その曖昧さや疑念を掘り下げて、自然の真相を理解しようと努めて来た。その結果、自然世界には決して『電荷』概念の物理量など存在しないとの確信に至ってしまった。『電荷』や『電子』等を基礎に据えた物理学が、今や社会的・文化的混乱を招いていると考えざるを得ない。

この基礎理論の混迷の中、実際の科学技術が現在の市民生活の基盤となり、あらゆる経済的社会制度を支えている。特に医学・生理学の学問分野はウイルス、細胞、医療技術、医薬品開発など、想像もできない高度な知見で社会的基盤と成って市民生活を支えている。この同じ自然科学論と言う学術分野で、理解し難い断裂が存在する意味をどう解釈すれば良いのか。本当の基礎科学論が、経済性に関わりが無い独特の『理論』と言う社会的世界の中で、その矛盾を引き摺ったままで、ただ伝統的法則を鵜吞みにして来た結果の現在であろう。本当の基礎理論など経済的利益に繋がらないが故に、だれも異論を唱えず、高等教育機関で真摯に自然と向き合わずに来た結果ではなかろうか。集団的、合同研究体制にどこに『独創性』等の研究が生まれようか。広く、多くの研究すべき対象があるにも拘らず、同一集団志向の研究体制が支配している。『独創性』の『独』とは決して集団研究体制で出来るものではなかろう。文化的、基礎研究が経済的利益に群がる人間の本質による避けがたい宿命に因っているとは言うものの、残念ながら科学論の現在が危機を含んでいる状況と言わなければならない。教育に待つものだという基本が蔑ろになっている。

そんな危機感を抱きながら、筆者の最も科学的知識の欠落した分野である、医学生理学の基礎と思う内容について、自己の身体に思いを致して思う疑問を問わずに居られない。それが『赤血球』の機能は何か?である。

自分の身体的な生命現象になると、高校生にも劣る知識しか修得していない。ただ感覚的に、自分の考える思考方向や疑問に感じる事などを振り返って解釈し直す時に、学術論とは全くかけ離れたような、誠に不届きと非難されそうな、我儘論が頭の中の疑問に対する答えとして浮かび上がってくる。

『赤血球』の話に入る前段として述べておく。科学理論で、最初の第一歩が50年前、当時はとても信じられない驚きを持って、電気理論の「アンペア―の法則」が正しくない、間違い論の法則だと気付いた事である。その気付きが確信と成った訳は、その法則と『ファラディーの電磁誘導則』の間に論理的矛盾がある事を認識されたからである。何故誰も今でも、その意味を理解できないでいるのかと考えてみれば、電気理論の専門家が科学技術の実際の現場の回路現象に疎く、知識が特有の専門と言う狭い領域での解釈論に縛られているからと思う。それが実情を考えれば当然とも思える事でも在るのだが、分かろうとしない専門家の特殊性で、不思議な現代的社会現象にも思えてしまう。

今は、『電子』の流れで、その電気回路導体の外に『磁束』を創るという論理的矛盾の罷り通る科学論が批判されない事実が『科学基礎論』の全ての状況を明らかに示している思える。『電荷』や『電子』の概念の間違いが、現代物理学理論の根本的偽装論の根幹を成しているとの認識に在る。科学技術の隆盛した現在の実状との違和感としても。

素人的な感覚論ではあるが、『赤血球』にいっぱいの不思議が積み重なってしまった。

赤血球に『謎』の古代文字を載せた。

体温と呼吸 (2022/03/26) でも取り上げた。

『謎』の数々。数日前に、ヘモグロビンが赤血球の中に在ると知った。それまではヘモグロビンがそれぞれ単独で、血液中を流れていると理解していた。こんなお粗末な知識で、本当に恥ずかしいが、疑問だけは増え続ける。初めて『赤血球』から千島学説の意味も少し分かった。筆者が思う疑問はそれ程学術的などではなく、単なる日常感覚科学論である。大学の理学部には、多くの生物学科などに研究者がいると思う。物理学でも、呼吸の意味など同じことで、学科には関係なく疑問に思う機会は多いと??。みんな疑問など無く、学説が理解できるのだろうか。其処が不思議なのだ。研究の自由と『創造性』に思いを致せば。

『赤血球』の機能と疑問。

機能。それは5つあるという。1酸素を運ぶ。2栄養の運搬。3ホルモンの運搬。4老廃物の排泄。5体温維持。と示している検索記事もある。

しかし、そこには具体的な解説はほとんどない。代表的な学術解説がある。とても筆者には頓珍漢で理解できない。初めに違和感を感じた、不可解な学術論―アデノシン三リン酸― (2022/03/20)  を挙げておく。ヘモグロビンは何処へ行く (2021/03/04) も。数日前まで、恥かしくもヘモグロビンが血液中に流れて、赤血球とは別に単独で酸素を運ぶと思っていた。しかし、赤血球の中にあるヘモグロビンと成れば、また多くの疑問が起きる。

疑問1.ヘモグロビンが赤血球中で酸素を運ぶ。しかし、その酸素は何処でどのように何と化学反応を起こすのか、最も基礎的な意味が見えない。酸素は何の為にヘモグロビンが何処に運ぶのか?コロナウイルスで、肺と酸欠の問題が浮上して、呼吸の意味が再認識されたとは思うが。

疑問2. 栄養の運搬とは一体どこで、その栄養を赤血球中に取り込むのか。そんな基礎的な意味さえ示されていない不可解。取り込んだ栄養とはどの様な成分か。それは何処に運び何の役に立つのか。全く大事な意味が示されていない。

疑問3. ホルモンとは何だ?焼き肉店に関係するような勘違いを起こす。

疑問4. 老廃物の排泄。呼吸で酸素に変わって炭酸ガスを肺から排出する。それ位は理解できるが、こんな生命維持にとって基本中のの基本の科学理論であれば、せめて赤血球の中でヘモグロビンの分子結合の酸素と炭酸ガスの切り替わりの物理的現象位は考究する学術であって欲しい。経済的利益度外視の学者魂があって欲しい?

疑問5. 体温維持。珍しく、アデノシン三隣亡のような話でなく、極めて大切な、在るべき視点が指摘されている。

しかし、残念ながら全くどの様な意味で『体温維持』と言う意味を載せたのかの何の機能説明もない。

この『体温維持』と言う機能がどの様な意味かを、恐らく理解していないと思う。そう考える訳は、物理学理論で空間の『エネルギー』を認識した科学論に成っていない現状であれば、光の『エネルギー』と熱の『エネルギー』が同じ空間的物理量であるとの認識になければ、『体温維持』の意味には繋がらない筈だから。『体温』の物理的解釈が無い筈だ。『温度』が気体分子運動論の物理的認識に在る現状では。『電圧』が電線路空間の『エネルギー』分布の意味だとは理解されてはいないだろうから。電気回路の『電圧』と身体の『体温』とがとても似た概念であると理解出来ているとは考えられない。

具体的に『体温』をどの様な意味で捉えているのか。身体の組織全体に細胞の生命機能維持に欠かせない基盤が『体温』と言う『エネルギー』の分布機能に掛かっている筈だ。神経の伝達情報も『エネルギー』の縦波の電気信号と同じものである筈だ。隈なく全身に配分された『エネルギー』があればこそ、全ての外部検知情報が神経伝達回路を通して情報統合機関の『脳』に素早く届くものと理解している。以上『体温維持』と言う機能について、その解説の意味で記した。身体的活動を支えるものも、『体温』と言う全身に在る『エネルギー』がその基に成っている筈だ。

生物学に疎い素人的な感覚的認識であるかも知れないが。光の本質が『エネルギー』空間分布像で捉えるべきとの科学的知見に基づいた解釈である。

『赤血球』が果たす身体の生命活動機能は頗る大きい筈だ。『赤血球』が体温保持の基本機能を司っているのは間違いない。色彩の色は物資の放射する光の波長の組み合わせで現れる現象である。光に本来、本質的な意味で色は無い。光の空間に展開する『エネルギー』の分布密度波の形状が色を人の感覚で認識させるだけである。赤血球が赤いのは何故か?と先に記事-血液は何故赤い-に曖昧論を書いた。血液が赤いのは『赤血球』が赤いからだというのは間違いない。しかしヘモグロビンの鉄が『赤血球』の赤色の原因だという解釈には必ずしも信憑性があるとは思えない。そこには『赤血球』の最も大切な基本的機能が『体温維持』だという解釈に在る。『赤血球』がその内部で酸化作用によるブドウ糖などの栄養素の燃焼現象であるという解釈である。『赤血球』内部で燃焼熱を発生し、その放射『エネルギー』が波長の赤色で有るからだと解釈する。赤色は注意を喚起する危険を示す意味とも取れる。恐らく、酸化現象が活発であれば、生命力の強い血液状態にある筈だ。その時は赤が際立つと解釈する。赤色が見えると言うことは、『赤血球』の表面から放射される光、その『エネルギー』分布形状が人が認識する赤と見えるのだ。体温維持のための酸化現象で放射する『エネルギー』の状態を示しているのだ。パルスオキシメーターもその『赤血球』内部の活性度を計測していると解釈する。当然酸素量に比例した意味が現れると思う。

視床下部が体温中枢の機能を担っているらしい。その意味が生かされるには、そこに到達する赤血球の温度が検知され、その結果が全身の体温制御に赤血球にどう働くかは分からない疑問だ。視床下部と『赤血球』の間に在る謎になるか?結果的には、全身を回りながら、赤血球自身に体温制御の役割が与えられているではとの予測がある。『赤血球』自身でブドウ糖分解等で発熱して、その部分の体温保持をするのであろうと。

全身の細胞創生のための養分供給の機能は何が担うか?赤血球ならどこで受け取り、どの様に届けるか。それはとても基本的で、これだけ科学技術が進んだ現在、分からないで済むほど難しい問題ではないように思うが、今でも明確な解説が無いとはとても不思議に思う。やはり経済的利益と『独創性』の孤立回避意識の集団体制の安全志向が基の問題だろうか。『肝臓』と『肺』と『心臓』の間の血液循環にその『謎』が隠されているようにも思う。常に『赤血球』はブドウ糖などの取り込みと酸素と炭酸ガスの入替えが、血液循環の機能の基本的仕組みに成っているだろうから。

自分の今日、明日の意味さえ不可解のまま。もし出来るなら、過去に辿った『道』が研究者としての『共済組合員』の人並みの人格が認められた歩みとして、明日へ繋がればと。笑はれないで済む共済組合員番号を以って。狂った過去の番号では繋がらない筈だ。舞鶴鎮守府戸籍転籍も妄想によると見做される悲しみ。眞實が知りたい。健康保険証は身分証明書か (2017/02/15) 。

血液は何故赤い

血液には赤血球と白血球、更に血小板などが含まれているという。

赤血球は扁平状の中心が窪んだ球のよう解説されている。しかもそれが赤く示されている。

解説記事を見ると、赤血球には多くのヘモグロビンの分子構造体が含まれているとある。

血液が赤い訳は、そのヘモグロビンの中心部に鉄原子Feが一つあるという。その鉄原子の存在が血液の赤い理由の訳としてどの解説記事にもある。全体の分子構造体の構成原子数に占める『鉄』の数量からして本当か?と疑わざるを得ない。

そんな、如何にも当たり前のように解説されていることが理解できないのだ。ヘモグロビンが酸素を保持し、鉄と結びついて丁度鉄錆が赤くなると同じ現象が起きるからというような、如何にも素人を誤魔化すような解説記事に思えてとても不快だ。

追記。パルスオキシメーターで血中の酸素濃度を計測するとある。酸素濃度で血液の色が変わるから、測定が出来るらしい。その酸素がヘムと言う鉄と結びつくと恐らくヘモグロビンの構造が変化し、その為光の共振波長が赤色に変化するという意味なら理解できる。鉄と酸素が結合するだけで、赤血球全体の色が変わるほど『鉄』原子数が占めていると理解できない。もし赤血球表面をヘモグロビンが覆っている程多いなら、赤血球表面全体の構造変化で、血液の赤色で生命の危険性の信号という意味でなら分かる。

『鉄』と言う原子の物理的意味を考えている。マグネットが何故磁性を失わずに、磁気機能を保持し続けられるのか不思議だ。今、同期発電機の回転磁極と固定子電機子巻線間の空間ギャップを『エネルギー』がどの様に伝送されるかを考えている。その電気技術理論は『ファラディーの電磁誘導則』で誰もが、その発電機の原理・物理的原理が分かったと納得している。しかし筆者にはそんな物理的解釈が罷り通る現代物理学理論が不可解な解釈と言わざるを得ないのだ。

全て『鉄』の不思議に掛かっている。ヘモグロビンの鉄原子がそれほど『赤』の色を創り出すほど空間的にも影響力を及ぼすなど信じられないのだ。鉄系の磁性材料の物理的物性特性が不思議でたまらない魅力に思えるのだ。何の経済効果も生まないが、人を適当に茶化すような物理学理論が許されないのだ。何が原子構造の周回電子で物性特性の解説が出来るというのか?『電子』など自然界に在りもしないのに。

『鉄』の不思議は玉手箱だ。

太古から人は朝を待ち焦がれていたのだろう。

中国大陸に開いた漢字文化には、その人の叡智が凝縮している。

『朝』の古い字は上のような意味らしい。旁は船の文字と見る。

その文字形に表現した意味を絵図にして観た。

暗闇の中で、光の世界となる『朝』がどんなに待ち遠しかったかを思う。そんな心の象形を景色に描けばこんな絵図かと。

『電気エネルギー』の現代社会性に重ねて思った。

発電技術とエネルギー伝送空間

今日の生活を支えているものは『電気エネルギー』である。それがライフラインとして欠かせない基盤をなしている。

火力発電所あるいは汽力発電所。『熱エネルギー』と『水』がその技術の根幹を成している。『水』とは誠に不思議な物質である。その自然世界の物質・水が織り成す世界を物理学理論でも意識して欲しい思いの意味も込めて取り上げたい。

科学技術が生活の豊かさを支えている。その中には、水道水と火力エネルギーが基本と成っている。今は火力と言っても都市ガスもあるが、電気釜や電気こん炉(induction range)の他、熱変換器のクーラー、冷蔵庫、電気温水器がある。更には電話機、PC等の情報機器、テレビそして作業機器の電気洗濯機がある。

日々の生活で当然のごとく無意識で生活しているが、『電灯』が如何なるものかを考えればそれも不思議に思える。蝋燭やランプが近代生活以前の日常の生活であった。朝日をどんな思いで人は待ったかと。火を起こすにも、70年前には、マッチが欠かせなかった。杉の枯葉や硫黄の付け板を使っていた。毎日、竈(カマド)で米を炊き、盥(タライ)と洗濯波板での、固形石鹼を使って洗濯に長い作業時間を使っていた。学生時代には、洗濯で指の皮が傷付く程だった。そんな昔の暮らしぶりを知る人も少なくなった。全ては電線路を通して供給される「電気エネルギー」が無意識の中で生活を支える基盤となった。

その現代生活を支える科学技術の身近な設備が発電所であろう。

汽力発電所。それは熱源(石炭、石油そして原子力)の『エネルギー』を、『水』を介して電気の『エネルギー』に変換する科学技術設備である。蒸気機関が産業革命の象徴であり、蒸気機関車がその雄姿を印象付けていた時代は消えた。

その『エネルギー』は何処でどのように変換され、どの空間を生活者まで届けられるかを意識してみてはどうか。それが考えて欲しい物理学の『エネルギー』の概念である。『エネルギー』はすべて空間の媒体を通して『空間』を流れるという意味を。しかし、その空間を流れていながら、その『エネルギー』の量ジュール[J]を科学的な計測法で測れないという自然世界と科学技術理論との間に横たわる『不思議』という意味が有るのだ。その中で、水蒸気はその流れとして『エネルギー』が観える。機械的動力の伝達となるタービンから発電器への軸回転動力 T= ωτ [J/s]  も軸内の断面積空間を流れる『エネルギー』として捉えられる。しかし、空間を『エネルギー』の伝送と言う物理的意味が理解されないのが電気回路の現象である。

発電機は『同期発電機』で磁界 N S 極を回転させて、固定子側の巻き線に『電気エネルギー』を発生させる機能設備だ。回転子と固定子側の間は空間ギャップで隔てられている。その空間を『エネルギー』が伝送されない限り発電機から『電気エネルギー』を電線路側に伝送する事は出来ないのだ。

この『エネルギー』の空間伝送の現象が電気設備においては、その意味が認識できていないのだ。そこに物理学理論と科学技術理論との間に横たわる論理的な概念の断裂が在るのだ。

電気理論では『電圧』と『電流』という科学技術概念を定義して、電気科学技術用の特有の理論を完成したのだ。しかし、自然世界の中に『電圧』や『電流』という物理量は存在しないのだ。自然世界は『エネルギー』という『光』の姿で見える空間を流れる物理量・ジュール[J] しか存在しないのだ。

極めて巧妙な技術論として、『ファラディーの電磁誘導則』が創造された。それに依って空間を直接『エネルギー』が流れるという物理現象で、自然の中の電気現象を解釈しなくても、巧みに完成した『電圧』の誘導現象で解釈出来る方法に完成したのだ。

それは発電機だけでなく、基に成った変圧器の離れた巻き線間での『エネルギー』の伝送の解釈を可能にしたのだ。

この電気磁気学理論の『電圧』と『磁束』そして『電流』という巧みな解釈概念を構築した事によって、誰もが納得して理解し易い電気理論が完成したのだ。

その電気理論の完成度が抜群であったが故に、その『電圧』や『電流』の物理的真相を、それらの自然世界での実相を考える必要もなく今日まで問題が無かったのだ。しかし、結局『電荷』や『電子』を導入しなければ、厳密な論理性が保障されていないと思わざるを得なくなったのであろう。だからその弊害が、今でも検索情報の中では『電子』の逆流と言う解釈によって『電流』の意味を説明しなければならない状況を生み出しているのだ。やはり論理的矛盾を取り除けないままで、『電子』によって誤魔化しているのが現状である。送電線路の『電気エネルギー』伝送も三相電線路で囲まれた電線路の空間内を流れているのであるが、『電子』では空間の『エネルギー』伝送の解釈は不可能というジレンマにある筈だ。

冒頭に掲げた『汽力発電系統図』に番号①、②・・と付けた各部分の『エネルギー』の空間伝送の物理的意味を具体的に各論としてを考えてみよう。

光を色に変える

この地球上は華やかな彩で変って行く。

花の色は 移りにけりな いたずらに ・・  。 小野小町

と高等学校の古典の教科書を飾るらしい。

春 華やかに咲き誇っていたのに、時が過ぎて 不図気づけば 我が身の上にも もう秋の侘しさが。

花だけでなく、植物は不思議の世界を見せてくれる。

出猩猩と紅要

春の色。

出猩猩。

 

 

 

 

紅要。

 

 

 

 

 

春過ぎて。未だ春の内かと思えども既に初夏の匂いか。

出猩猩は緑に輝く。

 

 

 

紅要も新芽の色から緑色に変わる。

 

 

 

 

何気なく自然は過ぎて行く。その景色の色の移り変わりも不思議と思う。秋の紅葉は良く知っているが、出猩猩や紅要の色の移り変わりも?

空を見ても、太陽が変る訳ではない。同じ光の中で、同じ植物の葉の色が何故変わるのか。葉に当たる光は、季節に変わりなく同じだ。葉の成長が表面の細胞の形状を変えて、その内部空間構造によって反射光の色が変化するのだ。

自然は、光自身の空間構造の意味を教えてくれている。理科教育はそんなところから始めて欲しい。

 

重力には逆らえず

重力と言う不思議な力。

1987年の冬の事、他人の名前(自分の名前の研究室はない)の表札が掛かった研究室から窓の外を見る。其処に映る、降りしきる雪が不思議に寂しさを呼び込む。『静電界は磁界を伴う』の電磁気学から物理学理論の根幹を問う電気学会の年次大会の『予稿』を投稿して。

愚かながら、その2年前の昭和60(1985)年4月。突然「電気磁気学」の講義を仰せ付かって、その授業担当と成った。能力不足の者の授業で、学生には不満であっただろうと申し訳なく思っている。長く電力半導体制御工学の研究しかなかったから、教えた事もない突然の「電気磁気学」の授業担当だった。しかも、初めから「アンペア―の法則」は嘘だと確信していた始末だから、そんな思いは心に秘めて授業をしなければならない。-(トランジスターインバーターの回路動作を電気理論で取り上げて教えれば、磁束は電圧時間積分値で決まると分かるのだが。伝統的教育手法が技術理論のそれを許さないだろう。)ーその思いを抱いた2年間の授業での研究の総括として、論文予稿『静電界は磁界を伴う』の提出に成った。しかし、2年間が過ぎれば、また元の木阿弥に戻る約束であったから、全く先の事など考えもしなかった。そこが世間知らずの、幼稚さだった。

雪は真っすぐに等距離を保って降り落ちる。決してその雪片の間には引力は働かない。その当時は、先の事など全く知る由もなく、只成り行き任せにボート生きていた。

その時から17年後に、 29pWD-1  ニュートンの万有引力則の矛盾 日本物理学会 第59回年次大会。2004年。

この予稿の扱いには不思議なこと(?)がある。この2004年は申年であった。万有引力を思って、年賀状に刷った。秋には、10月23日(土)の夕刻6時前、中越地震に襲われた。12月24日頃と思うが、スマトラ島沖での大津波が発生して、大きな災害が起きた。地球内部の息遣いと、そこに生きる者には逆らえない宿命かも知れない。

 

科学とは 蒟蒻ほどの手応えで 掴み切れない 君によく似て

等と思い乍らの版画にして。

 

こんな版画を刷るから、地球が怒ったのじゃあるまいが?

それにしても申年は恐ろしい。

 

17年も前に思った窓の景色。不図不思議だと思ったことを引き摺って、投稿するなど何の因果か不思議な事があるもんだ。

万有引力則の矛盾と言っても、誰も重力や引力に疑問など抱かない。「万有引力」と言う重力理論が人の感覚を支配していると言った方が良いのかも知れない。それは感覚的に誰でも納得できる自然法則だから。リンゴが落ちる現象から偉大な法則が唱えられたと成っている。この大地に生きて、そこで経験する日常の身体に感じる感覚が引力を疑うなど許さない。

2004年当時の矛盾と言った矛盾の意味と今の想いはまた別の意味に成っている。それは科学理論としての意味を考えた時、確かに現象は引力、重力であるが、何故『質量』の間に『引力』が働くのかと疑問を抱けば、その訳を説明できるだろうか。『電荷』間の『引力』や『排力』の論理性と同じく、自分を納得させるだけの、その訳を説明できないのだ。

『質量』と『質量』との間にどの様な論理的な原理で『引力』が働くと解説できるのか。地球の『質量』を計れる訳でもなし、この『万有引力』が働くという法則の真偽を、重力の発生するその値の訳を実験的に証明が出来る訳ではないだろう。ただこの『重力』の意味の解釈論として「万有引力説」がとても感覚的に納得し易いという点で、皆がその説で解釈することが有効であることは間違いない。

だが、宇宙の『重力』等と言う話になると、そこには『質量』と『質量』の間に『引力』が働くという原理的な意味を説明するに、論理性が必要になると思う。『電荷』間の「クーロン力」と同じ意味での科学的な論理性が必要になる。長く自然科学の根源的『電荷』概念の支配論が、今怪しくなっていると言わなければならない事を思えば。何故『質量』間に引力が働くと言えるのかも考えれば分からなくなる。

最近日本の😋蜜入りリンゴがあまり食べられなくなって寂しい。それは美味しいリンゴは輸出に回る所為で、資本主義の本質的に持つ宿命の仕組みに因るからと諦めてはいるが。

長岡工業高等専門学校電気工学科、助教授。「電圧型PWM変換器を用いた瞬時無効電力補償装置の動作解析と設計法」 が 電気学会 106 巻 4 号 p.323-330. 昭和61(1986)年4月号 (61-B39) に掲載。しかし、その先の見通しは全く見えなかった。文部省共済組合の組合員かどうかなど全く意識にも無かった。

 

熱と光と温度

「物理学とは何だろうか」。この標題は誰でも気になる事を言い表している。本棚に片割れの(下)が残っていたのに気付いた。有名な科学者:朝永振一郎の著書だ。

折角だから、一応興味を持って読んだ。しかし、自分のような学識論に無学の者には理解できない内容と直ぐ分かった。

その一部が3頁にはじまる冒頭にある。

第Ⅲ章 1 近代原子論の成立

・・・、物理学者が原子の世界に足を踏み入れたのは、熱を単にエネルギーの一形態だとする考えではこの不十分さは除去できないと分かったからです。もっと具体的に言えば、熱エネルギーは原子の運動による力学的エネルギーだ、という考えに彼らが取りくみはじめた‥

と読んで直ぐ、感覚的に×を印したくなる。確かに内容は現代物理学理論の意味を解いている。しかし小生にはそれが受け付けられない内容なのだ。小生には、この論理『質量』の運動論的熱理論が受け入れ難い基本点である。

そこで、本棚から気掛かりな読んだこともない本 :カントの『純粋理性批判』篠田英雄訳 岩波文庫 を探し出した。しかしこの本も、(上)巻だけで、(下)巻が無い。昭和38(1963)年6月30日 第三刷とあり、古く紙質が茶色にくすんでいる。

57頁

緒言  Ⅰ 純粋認識と経験的認識との区別について

我々の認識がすべて経験をもって始まるということについては、いささかの疑いも存しない。我々の認知能力が、対象によって喚びさまされて初めてその活動を始めるのでないとしたら、・・

と言う部分を読んで、感覚的に共感した。自分も近い思いの解釈だと。

物理学は自然との心の共感を基に在るべきと思いたい。

もう一冊見つけた。『科学と方法』ポアンカレ著 吉田洋一訳 岩波文庫。

第一遍 學者と科學

第一章 事實の選擇

トルストイから見れば、「科學のための科學」とは不合理な概念であるという。・・・。

溢れる話題を深く、鋭く論じていて読みたいと思うが、さてどうかな・・。

熱と光と温度 の標題を選んだ訳は、熱現象の科学理論がとても複雑で、感覚的に自然現象の解釈としては基本的に方向音痴の理論に思える。『質量』とその運動エネルギーに意識が強く偏った理論に成っている。空間に実在し、しかも『質量』に関わりない『エネルギー』の存在に気付いていない論理は基本的に間違っている。原子や分子の運動エネルギーで解釈する「気体分子運動論」は間違った自然現象解釈論である。その点を意識した標題である。

『熱』とは何か?『温度』とは何か?それらと『エネルギー』との関係をどの様に捉えるか。光の『エネルギー』をどの様な空間認識で捉えるか。

光も熱も、その自然の実体は基本的に同じものであり、それは空間に雲のような物に似た姿で、科学的計測法で捉えられない『エネルギー』の流れなのである。ただ違いは『光』は光速度で流れる『エネルギー』の密度分布波であり、『熱』は質量体、物体の内部空間に留まった『エネルギー』の局所密度分布流である。花の花弁内の分子構造空間内で変換されて放射される前の状態の直線的な流れで無いから、状態としては『熱』に近い『エネルギー』である。花弁の表面から周波数変換されて外部に放射されれば『光』となる。植物の細胞内で『同化作用』という現象を経れば『光』は『質量』となる。その植物の木が枯れて焚火に成れば、また『光』や『熱』と転変万化の自然の仕組みの中に流れる。『質量』の運動エネルギーによる『気体分子運動論』は自然の真相を見ない滑稽な現代物理学理論の認識だ。そこには『温度』の意味も見えない筈だ。

光がどの様な物理的実体かは、目の前の自然の色彩、風景の色あるいは揚羽蝶の羽根の色を見れば、何となく感覚的にその本質が感じ取られるのではないか。図は紫外線が物の表面に入射し、内部空間構造内で共振現象などによって、周波数変換後波長が変換されて、放射される意味を描いてみた。みんな空間の『エネルギー』の密度分布波だから、自由を謳歌する自然の姿と解釈する。

熱力学で『エントロピー』や『エンタルピー』という概念がある。それらの意味はとても不可解である。

例えば、1気圧で、水1[kg]の0[℃]と20[℃] における『エントロピー』、『エンタルピー』の値はそれぞれ幾らでしょうか?

また、『温度計』は何を計るのだろうか。天気の良い日向に『アルコール温度計』を置いた。その指示値は何を計った事に成るのだろうか。『温度』とは何か?

『温度とは何か』が問うもの (2011/05/07) はそんな意味を問う心算であった。

結局、原子構造論が小生には理解できないのだ。『電荷』がどんな理由で『引力』や『排力』の原因となるかの論理性が無いから。

『論理性』をもった、哲学的な考える物理学理論であって欲しい。