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恩義に応えたくても・・

體に亨松の壽有り

小柳様 (雅号:無我)

こんなに我が身を思って頂いたのに、お恥ずかしい限りだ。ロイヤーインバータの研究と言うほどでもないが、昭和46年春誘導電動機の運転をしてみようと、産業教育中央審議会の研究申請で、研究費を頂いた。しかし、体調が悪く急性肝炎で4月末に病院に入院した。眼が黄色くなり黄疸で絶対安静となった。その同室に入院されていた方が小柳様であった。細野先生の特別のお計らいで、3カ月ほど入院させて頂き生命を救って頂いた。小柳様が退院されて後、何も仰らずに掛け軸の書を下さった。その時も詳しくお聞きしないで、其れっきりとなり何も知らずに過ごしてしまった。ただ、三条市下田村、あの有名な漢学者、諸橋徹次博士の生家の村であるとは聞いていたように思った。当時は、書道にも筆にも縁が無く、殆ど忘れて過ごした。今から十何年か前に、何軒かその村でお尋ねしたが、分からず仕舞いできた。今その書を見れば、その恩義に答える術もないかと思うだけだ。ただ御蔭さまで、少しは健康で新しい科学論を展開できることを感謝したいと思う。小柳様の消息を知ることが出来ればと念じていたい。

後になった振り返っては後悔ばかりだ。当時の新津工業高校の源川 誠校長先生や、電気科の実習の割り振りで先生方にもご迷惑を掛けた。本当に大変だったと思うと申し訳なかった。しかしそのことも全く意識していなかったことを恥じ入るばかりだ。

何かロイヤーインバータが現在の科学論の原点になっているようで、不思議な思いがする。

電磁気学の要-Axial energy flow-

1.はじめに
電気磁気学は自然科学の基礎知識として、その習得が科学技術・理科教育で求められる。力学と相まって物理的学習内容の基本となっている。その教育に基づく共通理解が社会的科学認識の基となるから極めて重要な分野である。社会的な科学常識は、お互いに科学論を展開するに、その共通理解の重要な基になる。『電荷』や『磁束』はその電気磁気学の要の基礎概念として、誰もが共通に理解していると思っているだろう。しかし、その中で『電荷』はじめ『磁束』さえもその実像は突き詰めると極めて曖昧な概念であると考えなければならなくなった。だからそのような基礎概念に論拠を置いた科学論は本質的に矛盾を含むものに見えて来る。現在の理科教育の教科書の内容では真の自然現象理解に極めて不十分な内容であることを認識しなければならない事態になったと考える。その意味を「磁気とは何か」と言う視点で考察し、その曖昧な意味を掘り下げて、電気磁気学理論の持つ不完全さを解説したい。軸性エネルギー流-Axial energy flow-を理解することが電気磁気学の眞髄に到達する要点であることを示したい。この事の持つ意味は、今までの科学常識に因って成り立ってきた専門家の意識改革を迫る極めて重大な社会的問題でもある。

2.原子構造と周回電子像の持つ意味
原子核の外殻を周回する電子に原子の周期特性で捉える役割を担わせた原子像があらゆる科学論の基盤として社会の科学常識となっている。この根源的科学常識を疑い、批判することに成らざるを得ない『電荷』概念否定の道を通って来た。その道の長い思索を通して辿りついた到達点は、あらゆる自然現象が『エネルギー』の空間に展開する姿として認識する事であったと理解した。その意味で、改めて現在の原子構造論の電子周回論はその中味を深く突き詰めなければならないと成った。

(2-1)原子像への疑念 『電荷』否定の論理の行き着く先に待っていたのが原子像への疑念であった。その疑念の具体的な点を挙げれば、次のようなことになろう。図1.で示した原子像は曖昧なまま、どのような規則で表現すれば論理的かさえ理解できないままの一つの参考にとの表現図で示した。

  • 何故電子が周回運動しなければならないか。
  • その電子の周回運動の軌道(立体角4π球面か平面か)と回転速度の方向性を何が決めるか。
  • 電子は粒子とか波動とか極めて曖昧な空間認識像で捉えられ、論理的明確さが観えないのはなぜか。
  • 実在するという電子像の、その質量と電荷の空間像が何故示されないのか。
  • 原子という空間構造体をまとめる『構成力』は何か。

原子と言う極めて極微な空間構造体が世界の構成元素として実在していることは、そのこと自体が不思議で有っても、疑いはない。その中味を解剖して明らかに示す事はおそらく無理な話であろう。だから曖昧さは残って当然と考える。1911年以降にようやく原子の構造の論議が始まったのだろう。J.J.Thomson の陰極線発見(1898)が電子として認知されたことが原子の周回電子像の基になったのであろう。その後の量子理論が決定的に電子に電磁気現象すべての舞台で、主役の役割を担わせたこととなったと思う。単純な電気回路のオームの法則さえ導体電線の中を電子が流れる解釈が決定的な電気回路常識となって、現在の科学論の基礎となっている。量子力学での電子には必ず質量が付きまとった素粒子となっている。運動エネルギーでの解釈に質量が必要だから。然し量子力学で伝導帯を自由電子として電気エネルギーの伝送の役割を担っても、電気回路になれば電子が金属導体中を流れるが、電荷だけしか必要としないから質量の意味はどこかに消え失せてしまう。電子とは質量と電荷の混合粒子と思うが、電気回路では電子流はアンペアと言う電荷の時間微分しか意味を成さない事になっている。電気回路では電気エネルギーの伝送速度は光速度に近い筈だが、電子では決してその光速度でエネルギーを伝送する役割の責任は果たせない筈だ。それでも質問が有っても難しい量子力学を勉強してから考えなさいと説明逃れがIT等の質問に多く見られる。電気回路の現象が光速度でのエネルギー伝送として説明できない事は、電磁気現象を本当に理解していることにはならないのだ。そんな単純な日常生活に関係した電気回路の意味から考えても、原子構造論の周回電子論はとても信用出来ないのだ。

(2-2)共有結合に論理性はない 高等学校の1、2年生の時に化学を習った。原子結合で共有結合と言う負の電子同士が誠に魔法のような理屈で互いに結合の担い手となることを教えられた。クーロンの法則の同じ電荷間に働く排力が、何故共有結合ではその訳が説明されずに、無視されるのかと言う疑問が消えない。何故負電荷同士の電子が結合の役割を果たし得るのか。まさか電子質量間に働く万有引力でもあるまい。基本的には電気磁気現象が原子構造体を構成する理論であると考えれば、原子間の結合を担う『力』とは何かと言う疑問になる。また、その基となる原子その物を構成する力は何かとなる。核の結合そのものも『力』が必要な筈だ。陽子と中性子の結合論には中間子論があるが、その意味を理解するだけの能力はないし、電磁気現象としての解釈では理解困難な様に思う。原子間、分子間あるいは原子等の構造体を構成するにはどんな『力』が必要なのか。

  力としてpdfで挿入した。初めて試してみたので見難いかもしれない。中に(3)式として『質量力』などと言う力を入れた。何も特別な意味ではなく、万有引力と言う意味を質量間に働く力と言う意味で表現しただけでしかない。丁度二つの電荷が空間に有れば、電場が生じ電界ベクトルと電荷間に働く力と言う空間像と同じ意味で捉えだけである。たとえば地球と言う質量が有れば、その周りには重力場と言うベクトル空間が有ると看做すだけである。ただそれは、自然現象として空間を解釈する万有引力と言う理論が『眞』であるかどうかは別問題であろう。 電荷間の力の解釈と同じ意味で(3)式は万有引力の一つのベクトル表現法でしかない。(2)式の磁荷mは物理学理論でも実在しないと成っている。(1)式の『電荷』q[C]も否定すれば、一体どんな力を世界の結合の力として捉えれば良いかとなる。もちろん(3)式の質量力などは論外であろう。 そこに「磁気とは何か」と言う事を尋ねなければならない問題が浮上する。

3.磁気とは何か それは「磁気の本質」を問うことになる。電気磁気現象の要が『磁気とは何か』に明確な認識を持つことである。2つほど問題を提起したい。

  • コンパスは何故磁界の方向を指すのか。
  • マグネットを向かい合わせると、そのギャップlの長さに因って何故磁気力が変わるのか。その物理的原因は何か。

電気磁気学では、磁束量φ[Wb]が磁界解釈の基礎概念となっている。ファラディーの法則として、電気理論の根幹を成す重要な概念でもある。アンペアーの法則として、電線導体電流との関係でも重要な磁束で、欠かせない基礎概念であるとの意識にある。インターネット検索でも専門的な解説がある。電子スピンなどと関連付けて解説される。然しその解説に因っても少しも理解できないのは筆者だけだろうか。マグネットから空間に磁束Φが放射(?)されている図で表現される。磁荷は存在しないが磁束が存在するとは、その磁束は何が創りだすのかとなる。変圧器のファラディーの法則から、そろそろ磁束が励磁電流によって発生するなどと言う間違った解釈はやめても良い筈だ。磁束はファラディーの法則の式の積分形で『電圧時間積分』で決まることを知らなければならない。然しだからと言って、それで磁束が自然界に実在する物理量だと決めつける訳にはいかない。磁束も電流と同じく、科学技術概念としての人が創りだした便利な解釈用の概念でしかないのだから。それでは本当は磁束とは何をそのように概念化して利用しているのかと言うことになる。そこが重要な点であり電気磁気学の要となるのだ。答えは空間のエネルギー流でしかない。それは軸性エネルギー流-Axial energy flow-である。巷の解説では、電子スピンと言うが電子がマグネットの表面でスピンをしてその電子から空間に磁束が伸びていると言う意味であろうか。その磁束とは空間にどのような実体を成すものと認識しているのか。コンパスが磁界の方向を向くと言う現象も、やはり力が働いたから向きが決まる訳である。この軸性エネルギー流と言う概念は物理学理論ではなかなか受け入れ難いものであろう。それはもともと物理学には空間にエネルギーが実在すると言う認識が無いように見受けられるから。物理学理論では質量が無いとエネルギーが論じられないように思う。電気コイルの磁気エネルギーと言う時、そのエネルギーは空間の何処に存在していると解釈するのだろうか。コンデンサのエネルギーと言う時、そのエネルギーはどこにどのようなものとして存在していると解釈するのだろうか。電荷はエネルギーには成れない筈だ。磁束もエネルギーではない筈だ。マグネット間のギャップ l が小さくなれば、磁石の引き合う力は強くなる。何故強くなるのかの意味を説明しなければならない筈だ。磁束が太くでもなると言うのだろうか。それでも説明には成っていない。物理学理論でも、電気技術論でもマグネットの表面の磁束密度は一様と仮定すると言う条件を設定するのが一般的である。そこが間違いである。マグネットギャップを変化させると、ギャップ内の磁気模様が全く変わってしまうのである。ギャップを狭めて行くと磁場の強い処はマグネット周辺に移動し、中心部分には磁場は無くなるのだ。磁場一様等と言う条件は成り立たない事を知らなければならない。磁場とは磁束などと言う線束が有る場ではないのだ。ハッキリ言えば磁束など無いのだ。ただエネルギーがマグネット軸に対して回転して流れている現象なのだ。それを軸性エネルギー流と名付けた。要するに空間に質量など無関係に、『エネルギー』が実在している認識がなければならないのだ。光の空間エネルギー分布流と同じ意味である。光のエネルギーを振動数で解釈している限りは、電気磁気学の眞髄には到達できない。

4.磁界の空間像 磁界とは『軸性エネルギー流』である。図に表せば次のようになる。図のマグネット棒と磁界の関係。それはマグネット近傍空間には左ねじの尖端をN極として、ネジを回して進む時の回転方向にエネルギーが流れていることを示す。この回転エネルギーが地球の表面にも流れている訳で、地磁気が具体例としての考える論題としてよかろう。地球の磁気は北極がマグネットのS極で、南極がマグネットのN極である。地球表面を自転の向きに即ち東西南北の東向きにエネルギーが流れていることを知らなければならない。地球の自転が何によって起きているかは、そのエネルギー流が何故在るかを理解することが出来れば分かった事になるのだろう。その自転の物理的意味について解釈を下す事は科学論か哲学か悩ましいこと言えよう。兎に角、このマグネット近傍空間のエネルギー回転流が磁場と言う概念が持つ空間の意味である。光が空間を光速度で伝播する空間エネルギー密度分布波と捉えることと繋がる意味でもある。この質量に関係ないエネルギーの実在性を空間に認識することが電気磁気学の要となるのである。

5.ギャップに因る磁気力の変化およびコンパスの指示の訳  (3.磁気とは何かの答)マグネットの引き合う力は不思議だ。検索すれば、その力の原理を知りたいと質問がある。然し、その解答は的確な説明とは言い難い、何か誤魔化しで逃げているようにしか思えない。残念であるが、本当は分かりませんとでも答えて欲しいのだ。解答者も教科書の解説を習得したからと言って電気磁気現象の眞髄を分かっているとは言えないのだから。決して磁束(自然世界に実在する物理量ではない)と言う科学技術概念では、マグネット間の空間にある『エネルギー』の姿は理解できないのだから、ギャップの長さで磁気力が変化する意味は分からないだろう。教科書に無い意味磁界・磁気概念の本質の記事の意味を知らなければならない。次にコンパスが磁界の方向を指す訳は何か?それも同じような原理の力の問題である。磁束がコンパスの中を通って空間の磁場の磁界と繋がるから、その方向を向く。と解釈して良いのだが、磁束が実際に実在する物理量でないと言うことを認識すれば、その解釈ではやはり正しいとは言えないだろう。試験問題でコンパスがどの方向を向くかという問題なら、磁束の考え方で正しい答えは得られる。知識としてはそれだ宜しいのだ。自然現象を理解するという意味には、この例のように答えられればそれでよいという考え方と、もっと自然世界の本質・真髄を知るべきだという考え方と多様な意見がある筈だ。それは一人ひとりの生き方の問題となるのだろう。磁気が軸性エネルギー流の目に見えない現象だと言うことを知ることに因って初めて、広い電気磁気現象の意味が矛盾なく理解でき、心から安心した納得に至れるのだと思う。それが安堵と言うものかも知れない。地磁気とコンパス(2012/09/13) が一つの解答となろう。

6. 磁気原子像と原子結合 『電荷』否定に因る原子像はどんな姿か。今年は原子周期表の記念の年らしい。8の周期性で特性が決まる原子を周期律表でまとめられた意味は驚嘆に値する知見と言えよう。その周期性から原子構造が周回電子像で解釈される結果に現在の原子構造が共通理解の基を成して来たと思う。周期性は他の原子との結合特性から認識出来るものでもあろう。原子が結合するのは原子の表面が互いに他の原子との安定した接合面を持つ事が出来るからであろう。もし周回電子が原子結合の任務を担うとすれば、その電子は立体角4πの原子表面をどのような道筋で回転運動をしながら、となりの原子と安定した接触面を保てると考えるのだろうか。その空間運動状況を原子結合に結びつけるには、原子核が周回電子の運動を可能にする何次元ものスピン運動をするか、魔術師か忍者の雲隠れ抽象空間を想定できるようでなければ、電子の運動と結合面の空間像を頭に描くことは無理じゃなかろうか。こんな論議は決して科学論の場では誰もが取り上げたくない事だろう。それは教科書の指導内容と異なる反社会的のことで、教育体制に混乱を生むから。科学論は現在の教科書の指導内容の枠からはみ出さないようにしなければならないとの意識が無意識的に思考の根幹を支えているのだろう。まさかこんな基礎の科学概念が否定される筈はないと誰もが教科書の指導内容や科学常識を信じているから。

(6-1)ダイヤモンド結合 炭素は結合手が4で、宝石のダイヤモンド共有結合や有機分子のベンゼン核など結合の代表的な論題となる元素であろう。炭素同士の強固な結合が抽象的な原子表面上の軌道周回運動電子によって生まれると言う曖昧な論理を何故信じなければならないのか。また炭素原子表面は空間的に4面体(直方体)か球面を4等分した接合面と看做すべきだろう。従って、有名なベンゼン核の亀の甲羅の平面的な六角形の構造が何故出来るかにも論理性が観えない。原子結合面は空間的な立体面から出来ている筈だから、結合手が2本と1本でのベンゼン核表記法は有り得ない。まずい記事ながら、参考に炭素結合の秘め事を挙げて置く。

(6-2)マグネット原子構造 軸性エネルギー流と言う空間のエネルギー像は『電荷』に代わる電磁結合の統一的理論構築の未来像になると考える。結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) で示したマグネット結合の図を再掲したい。マグネット同士を接合すると、接合部でのエネルギー流は隠れるように思える。砂鉄に因ってある程度は確認出来よう。このマグネット同士のN、S間での結合が原子結合の結合手になるとの解釈論を2009年に発表した。その時の図を示したい。

『電荷』否定は陽子、中性子などの素粒子の電荷概念の否定だから、当然原子核内もエネルギー粒子と捉えなければならなくなる。その核のエネルギー粒子の影響がそのまま原子表面に現れると言う考え方を取る。その結果の原子結合は当然の帰結として、図のようなマグネット結合になる。

7. むすび 2009年日本物理学会秋季大会で、“電荷棄却の電子スピン像と原子模型”の標題で関連の発表をした(日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊 p.18. )。それは丁度10年程前の解釈である。今振り返っても、その内容は現在の認識と殆ど変らないようだ。10年間の思索を通して、よりこのマグネット結合原子構造の解釈に強い確信を得ている。電気回路の電磁エネルギー伝播現象即ち電気磁気学の実像を光速度伝播特性として理解出来たからだ。『電荷』や『磁束』が科学技術解釈概念だと言う意味は、それらは自然世界に実在する物理量ではないと言うことであって、物理学と言う自然世界の真理を探究する学問で使う用語・概念としては適切でない事になる。

論文: 25pWD-13 “磁力密度 f=rot(S/v)” 日本物理学会講演概要集第63巻1号2分冊 p.310.(2008) 。これは磁気がエネルギー回転流であることを論じた論文である。このいわゆる電磁力と言う力については、長岡工業高等専門学校で、既に履歴書が『以下余白』として消されたままの1年8カ月後(?)の昭和62年3月末に、『静電界は磁界を伴う』の電気学会発表の準備中の深夜の睡眠途中で閃いた思い付きであった。その後、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会 電磁界理論研究会資料、EMT-87-106.(1987) に(29)式として記した。それは静電界と言うコンデンサ極板間に電圧に応じて、コンパスの指す磁界方向が変化すると言う電磁界現象が存在する事実の理論的解釈論として示さなければならなかったのである。コンデンサ内も電磁エネルギーの流れによってその現象・状況が決まると言う実験結果に基づく発見事実である。ここに科学基礎概念に対する意識革命の必要性が隠されている。

(付記) 関連記事。電気回路理論と電気磁気学の関係(2017/12/06) 。電磁力の本質(2017/10/17) 。

 

 

独楽の心

(2019/01/23)追記。ジャイロスコープの実験。

ジャイロ独楽 約32g弱の独楽。ひょっとしたら、エネルギー分の質量増加になっているかも知れない。

デジタル計測 0.1g刻みなら良いのだが、研究環境が無い哀しさ。記事末に述べた結論の『謎ときの予想 軽くなる』は確認できなかった。最初にこの実験を思い付いたのは『エネルギー・質量等価則』から質量に回転エネルギーが加算されるのではないかとの思いからであった。重くなるの結論にも至らない。(2019/02/08)追記。計りに掛る重量変化は花一匁の心の重さに等しく、計測できない事ぐらいははじめから分かっているが、自然の心を読む科学意識の問題として取り上げた。回転エネルギーを光速度の2乗で割った値を計測できない事ぐらいは誰もが知っていよう。

独楽の秘め心 その立ち居振る舞いに世界の謎が見える。謎を秘めて立っている。解らない疑問が世界の謎である。疑問が自然科学の理解への第一歩。解らないこと、不思議と思うこと、そこに心を寄せることが科学の基礎研究の姿と。

独楽は一筋 独楽は 一心に生きる 心は 不動の一筋。独楽は何故回り続けるか。独楽の全てを支えるのは不動の一筋の心だ。その心は回転もしない不動の無である。その心に対して決して重量が対称ではあり得ない。非対称性が大きければ不動の心にはならない。僅かの非対称性は殆ど影響なしに独楽は廻る。独楽の特性を科学的に論考してみようと考えた。しかしそこには謎が多過ぎる。解き明かせずに、独楽の心が重く圧し掛かる。

独楽の心を推し量る

 独楽の重量                                                                  独楽は物理的特性で際立つ評価係数に、慣性モーメントをもっている。その次元は[kg]のIまたはJで表される。慣性モーメントはその剛体の或る回転軸に対して、どのような回転角速度による回転エネルギーの貯蔵特性を持つかを示す回転体の特性を表した係数値であると言えよう。ジャイロコンパスや独楽はその代表的なものと言えよう。また、地球や太陽系銀河もそのような一つの形態と看做されるかもしれない。

独楽の謎 独楽の重量を計りたい。全く経済効果のないという観点から、役にも立たない無駄な研究と言われそうだ。しかし役に立ちそうもないが故に、それが基礎研究と言うものと思う。結果が予測出来ない、何時完成するか予測が出来ないから、隠れて愚かさと笑いを噛みしめながら、コッソリするような研究になろう。独楽を計りに乗せてその重量は計れる。難しいのは、独楽を回して回転ゴマの重量を計ったらどのような結果になるか。と言う奇想天外な計測実験である。『エネルギーと質量の等価性』と言う世界の科学認識がある。独楽の回転体は質量の他に回転エネルギーをも内蔵した物体である。さて、その合計の重量はどのような値と解釈すれば良かろうか。と言う一つの命題が生まれる。見えないエネルギーの意味をどのように観るかの世界認識の謎に思える。それは太陽系の重量が有るのか無いのかにも繋がる謎でもあろう。独楽の回転エネルギーEは慣性能率をI[m^2^kg]とすれば、

E=(1/2)Iω^2^ [J]

と言う値で科学的に認識される。この意味は運動力学の常識的質量に関わるエネルギー量である。さて、そのエネルギーと言う物理量はどのような実在量なのか。誰もがエネルギーと言う用語は良く知っていよう。化石燃料や灯油、炭など火の発熱体更に太陽光や水力等の発電用自然現象を思うだろう。しかし、エネルギーの姿を空間像で認識しているのでしょうか。エネルギーが実在するという意味は、それは必ず空間の体積を占めている筈で、エネルギーの空間像を描けなければ本当に分かるとは言えないのではないか。炭火を起こせば、発熱して熱エネルギーを放射する。その熱エネルギーは炭から空間に放射されるエネルギーと言う用語で表現される、質量に無関係の光のエネルギーなのである。しかし、元は炭と言う質量体と気体の酸素の化学反応として生まれた質量・エネルギー変換現象なのである。酸素原子と炭素原子とが燃焼により熱エネルギーに変換された前後でその質量の減少と言う変化がなければ、質量とエネルギーの等価則は成り立たない筈だ。物理と化学の理科教育に於いてエネルギーとは何かを認識すべき要として捉えるべきである。その意味での独楽の回転エネルギーはどのような実在量と認識すべきかの命題と言うことになろう。独楽の回転速度とその独楽の重量の関係はどう理解すべきか。重くなるか軽くなるかの答えが欲しい。

謎解きの予想 軽くなる。独楽の質量に回転エネルギーが付加されるから、質量・エネルギー変換等価則から解釈すれば、当然等価質量は増加すると考えるべきだろう。従って回転ゴマの重量も重い計測結果になると考えたいのが普通であろう。結果が軽くなるとすれば、回転と言う現象の持つ意味が改めて謎になる。機械的エネルギー貯蔵用のフライホイールの軸荷重の問題で、既に答は得られているかも知れない。また、北半球か南半球かでの荷重に回転方向の右向き左向きが影響するのかどうかに判断の難しい面が残る。

“軽くなる”その心は。独楽の質量に乗った、独楽空間の回転エネルギー流の単位面積密度ベクトルw[J/m^2^ s]の微分計算 rot(w/v)[N/m^3^] の軸性浮揚力(単位体積当たりの上向き力)に託して。回転角速度ベクトルω[rad/s]を回転軸ベクトルとする。 v= |v| =| [ω×r]| [m/s] は独楽の空間座標点ベクトルrの質点回転速度ベクトルvのスカラー量を意味する。竜巻の上昇気流の定常力(時間微分の過渡状態は含まない)に同じ。新しい年を迎えて思えば、ボーと生きる以外に方策のないまま時が過ぎた

(2019/01/09)追記。回転瞬時速度ベクトルv [m/s]とはどのような意味か?考えたら「ボー」としていたようで、どう確定するか分からない。1秒間じゃベクトル方向の意味を成さないから。1[μs]でも長すぎる。自動運転車が道路上に猫が倒れていたらどうするか?道路に少し陥没が有ったらどう速度調節して運転するか?「ボー」と速度を考えて記事にしていたようで誠に難しいと知った。

結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

 

巡光舟の詩

丙子(ヒノエネ)元旦の書き初めまで 戊辰(ツチノエタツ)1988(昭和63年)秋に行方定まらぬ放浪の旅。庚午(カノエウマ)1990(平成2年)年末処置入院で閉鎖病棟に幽閉される。抵抗の意思のための断食に徹し意識朦朧、転倒怪我、対処出来ずでの転院になる?“病窓に 満月迎え 除夜の鐘” 人生も終わりかと初めての句。辛未(カノトヒツジ)1991(平成3年)ただ飯を食うだけでは暇だ。正月中東での戦争の砲撃の映像を見る。光の相対性の解析を始める。ほぼ半月で完成する。ハロマンスを打たれ、思考困難になる。4月中頃病院上空を轟音を浴びせながら、飛行隊が過ぎて行った。後で丁度その日が電気学会除籍になった日のようだったこと知った。タダ1年半も薬も飲まず、飯を食うだけの病院生活から出所。壬申(ミズノエサル)1992(平成4年)7月。家も消え行方見えない道続く。

巡光船の詩 書き直した。光の不思議に思いを込めた詩のようだ。丙子元旦で飾ってある。その年の夏は長野で野宿の旅1週間ほど。東京電力、佐久間周波数変換所を見学させて頂いた。御迷惑を掛けた事申し訳ない。

秋の語らい

意味の怪しさ額にして 庭にあった泰山木の葉の切り絵。巡光船の詩と共に。

日本物理学会入会と発表

この前年丁丑(ヒノトウシ)1997(平成9年)秋、日本物理学会に入会させて頂く。入会にお助けいただいた先生には、それっきりで御無沙汰のまま本当に申し訳のないままで来てしまった。人との繋がりをきってしまったまま何の状況も知らず今になった。戊寅(ツチノエトラ)1998(平成10)年 4月 2日 物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻1-1,p.13. を初めて発表させて頂く。JHFM単位系として、エネルギー一つを自然現象の根幹に据えるべきとの思いを伝えたかった。

 

運動エネルギーの概念

運動エネルギーとは 質量が速度を持てばその質量体は運動エネルギーを持つと理解している。その時の速度とはどのような速度の意味であろうか。今手に水1リットル入ったペットボトルを持っている。そのボトルは速度ゼロと理解する。しかしよく考えると地球は運動している。従ってその水1リットルも速度ゼロではない。運動エネルギーについて、自然現象を利用する科学技術として捉えれば、地球の運動などを考えるのは愚かなことに成る。だが、自然現象を理解することと自然を生活に役立てる技術として理解することには、その到達目標が異なる。例えを挙げれば、科学技術の粋とも思える衛星放送がある。その衛星は静止衛星と言っているように地球上で見れば速度ゼロである。相対速度(速度でなく相対距離の間違い)が零なのである。だから衛星の送信周波数と地球上での受信周波数とが同じである(2018/09/24追記 少し考え直す必要が有りそうだ。相対距離と伝播距離が異なるから)。しかし静止衛星と言っても、まさか運動エネルギーゼロとは言わないであろう。我々自身も地球の運動速度の支配下に居るのである。昼より夜のほうが運動エネルギーの多い中で眠っている筈だ。自然を理解するために理科教育は必要なのだろう。必ずしも科学技術の為でない事を認識すべきでなかろうか。

運動エネルギーの算定法 先日ITで検索してみた。加速度一定の特殊な場合についての算定法が示されているのみであった。

運動エネルギー 物体の質量が速度を持つ時、その物体は余分に運動エネルギーを持つ。この「余分に」と言う意味は、質量はそれだけで『エネルギー』なのであるからという意味を込めた。質量がすべて光に変換されれば、膨大なエネルギーなのであるから。それが有名な『質量とエネルギーの等価則 E=mc^2^[J]』の意味なのであるから。その意味には未解決の問題があるので、ここでは論じない。ただ運動エネルギーについては、質量と速度の二乗の積の半分と言う極めて単純な式で表現される。この速度の瞬時値で運動エネルギーは理解できる。しかしその速度の評価基準空間をどのように捉えるかは深い意味を持つであろう。

運動量と運動エネルギー

運動エネルギー算定式 物体の運動は加速度一定とは限らない。速度式v(t)には初速度が必要である。

運動量の意味 物理学の力学で、運動量と言う概念が扱われる。今まで余り重要に思えなかった物理量である。しかし、運動エネルギーの算定で、重要な意味を持っていることを認識した。運動量は運動エネルギーの増分と速度の増分との関係を示す有効な物理量であると認識させられた。運動量が大きいと、僅かな速度変化で大きな運動エネルギーの変化を生む意味である。運動量の積分なら、加速度がどのようでも運動エネルギーは算定できる。次元については、物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻1号1分冊13頁。(1998.4.2) で発表した。

フェーン現象の解剖

フェーン現象 日本列島の日本海側に太平洋側から山脈を越えて熱風が吹き下ろす現象などを言う。2017/09/18に台風18号が富山県から日本海に抜け南寄りの強い風が吹いた。その時、新潟県魚沼市小出で真夜中に気温の急上昇が起きたとある。午前0:40に24.8°cだったのが1時間後の午前1:46に33.1°cの猛烈な暑さになった。しかもその熱風は乾燥した空気の流れである。そんな時の恐ろしいのは失火に因る大火災である。

起こる原因 

フェーン現象  海から蒸発する水蒸気とそれを含んだ空気を運ぶ山越えの風が原因である。風上の山越えの空気は上空の冷気で水蒸気が雨となる。水蒸気が含んだ熱エネルギーは空気の中に取り残される。空気を運ぶ風が無ければ、熱エネルギーは空気中で飽和し熱爆発で雷となる。しかし風が空気を運ぶから、熱エネルギーを多量に含んだ空気は山を越えて風下の反対側に下り降りる。

熱エネルギー 熱エネルギー(熱素とも言った)は運動エネルギーとは無関係に独立した実在の物理量である。熱エネルギーは摩擦でも仕事量・摩擦熱として物を温度上昇させるエネルギー変換現象として現れる。乾布摩擦で体が温まる。温まった原因は皮膚が振動している訳ではなく、摩擦による熱エネルギーが皮膚を通して体に溜ったからである。熱エネルギーが身体の組織・細胞の質量体に溜ったからである。決して身体の質量が運動エネルギーを持った訳ではない。水蒸気は水分子が振動等の運動エネルギーとしてエネルギーを持った結果ではない。圧力(大気圧)と体積と温度(大気温度)の関係を持った、水分子の体積膨張として熱エネルギーを保有したからである。ただ水蒸気は他の気体分子とは異なり、アボガドロ定数の関係は当てはまらない特別な気体状態と看做されよう。理論での気体定数が当てはまらない、ボイル・シャルルの法則と湿度と水変態(気体から液体への急体積収縮)の複雑極まりない特性を水蒸気が持っていると観るべきだろう。水蒸気と気象現象の間に横たわる熱エネルギーの解釈が現代物理学の教育内容には適正に取り扱われていない。検索に表れるフェーン現象の解説には『熱エネルギー』の意味が認識されていない。

生体電流と生体制御

生体電流と言う言葉が有ることを知った。ブログのダッシュボードに質問らしい言葉が載る。そこに「生体電流って何か高校生」とある。その事に触れて、述べよう。電流と言うのだから、電気現象の電流と同じ意味で使っている用語であろう。しかし生体に流れる電流と言うには電流の概念とそぐわないと言う意味で無理がある。電気現象で電流と言うのは必ず2本以上の往復導線が必要である。生体内の神経細胞やニューロンの神経索のようなエネルギーの伝達経路は光ファイバーに近い1本の通路であろう。元々電気現象の『電流』と言う技術概念(『電子』の流れ)が『エネルギー』の電気現象の真理を語れる訳ではないのであるから、生体電流と言う意味に疑問を抱くのは当たり前のことである。『エネルギー』は電荷などの移動現象ではなく、空間を伝播する光と同じ縦波なのである。だから生体電流と言うものも、神経細胞の伝達空間が有れば、そこを流れる縦波の『エネルギー』なのである。近年は義手の開発も進み、脳信号を義手に伝えることも可能になっているが、検出器と脳との間の空間を通して、脳の考える情報の制御エネルギーが自由に伝達可能になっている。それは電流と言う2本の導線の電荷の移動などと言う古い電気現象解釈では理解できない事を示していると思う。少し前に細胞に関する疑問などを書いた。脳の機能と個性脳と生体制御の謎が有る。

電流は流れずと言う電気現象に対する解釈から、生物学は全くの素人ではあるが、生体電流と言う意味の理解に役立つかと思った。『電荷』での科学理論には綻びが多過ぎるように思う。

電気(電圧・電流)の極性と陰極線管

三相交流回路の電気現象を考えている内に、だんだん基の意味が分からなくなる。瞬時空間ベクトルにも全て極性、向きを決めて解釈する。『電荷』を否定したら、極性をどう表現し、どう解釈したら良いかが分からなくなった。フルーイ話に戻ってみようかと陰極線に御出まし願うことにした。みんな世間から消えてしまったような懐かしい顔ぶれだ。

陰極線管 ③のTV用のブラウン管などが活躍した時代は科学技術の革新で市場も消費の活発な経済成長という時代の中に希望を持っていた。シャドウマスクを通してカラーの鮮明な映像を実現したその制御性能の科学技術が消えて行く意味をどのように受け止めれば良いか途方に暮れてしまう。電磁コイルのヨークでそんな制御が何故出来るかを、その技術をどこかに公開しておいてほしい。大衆のみんなが関わる科学技術革新の時代が過ぎたのは確かだ。どのように経済成長という過去の競争世界の目標から、未来目標を構築し直すかが世界に問われる時代になった。意識を変えなければ、険悪な奪い合いの世界に突入してしまう。技術革新が最後の医学生理学分野に特化されるかと思われる時代になって来た。生命現象はとても深い自然の神秘に今でも包まれているようで、理解できない遥かな世界に思える。せめて温故知新で、古い実績のある科学技術の中に意味を探してみようかと思う。そこでは、電気回路を考える時必ずプラスとマイナスという意識で考える。プラスとマイナスは『電荷』が自然科学の根本概念で有ったからこその意味ある用語であった。考えれば、実に済まないと思うけれども、『電荷』も「磁束」も否定しては現象解説の極性を示す矢印を使う意味さえ見えなくなって、自分のみならず皆さんにまで混乱させてしまうかと思い、これが『不立文字』というものかと恐ろしくも有り、お恥ずかしい限りです。電子の基になる陰極線の①クルックス管を検索すると、緑色の陰極線ビームが光っている様子を見ることができる。緑色で見えるから確かに陰極線が-極からプラス極に向かって流れているのは良く分かる。クルックス管に印加されている電圧は電源の電圧降下分がどれ程で、実際のクルックス管への印加電圧が幾らかは良く説明が無いから分からない。緑色に見えると言うことは管は放電管で光を放射している負荷である。陰極線が管内でどのようなガス体に光変換作用をしているかは解説が無いから分からない。陰極線という『エネルギー』は管内をマイナス極からプラス極側に向かって流れていることは確かだ。この流れる方向性は磁極のN極、S極の極性の周辺近傍における『エネルギー』回転流の方向性を決める根拠として考えたものである。電気回路の直流で負側の電線周辺から主として負荷に『エネルギー』が流れると決めたのもこの陰極線流の方向性を元にしたのである。陰極線のクルックス管は教育現場でもよく使われているようだ。電気回路解析では電流が陰極線流の逆向きに決められて来たので、実に取り扱い難い向きではあるが、電流の極性方向は技術概念としてはそのままとするより他に無かろう。悩ましいのは物理学でも同じ向きで論じられるかという問題である。物理学があくまでも『電荷』の実在性を主張するのであれば止むを得ないが。

陰極線のエネルギー 陰極線という電子流とはどんな実体なんだろうか。

クルックス管のエネルギー 陰極線という管内のビームは電子の流れと解釈される。もしその流れを電流計で測れば、マイナス側でもプラス側でも同じ値で検出される。だから電子流が電源を通して還流していると解釈できる。しかし本当に電子がそのように還流しているとしたら、マイナス側から管内で放射エネルギーを消費してプラス側に戻る電子はそのエネルギー分だけ減少した電子が戻ることになる理屈だ。電子が背負い籠にエネルギーを積んで運ぶ姿を理論に加えなければならなくなる。クルックス管の放射エネルギーはそこで放射されて、電子がプラス側から電源に戻ることなど無いと解釈する。要するにエネルギーがマイナス側から供給され続けている様子であると解釈する。

熱陰極と熱電子 真空管もブラウン管もフィラメントによる熱陰極のエネルギー源である。その熱陰極から熱電子が放射され、管内伝播中に空間制御されて科学技術の粋が展開される。真空管はその電子というエネルギーが増幅されたり、機械エネルギーに変換されたりする陰極線管技術の姿である。その熱電子の空間伝播現象は目に見えないが、その極端な似た場合を挙げれば、白熱電球の熱フィラメントから放射される光エネルギーと本質的には何も変わらないものである。

電気(電圧・電流)の極性 高真空の陰極線管などのエネルギーの流れる方向を電気現象の基本の方向付けとして認識し、それを基準にして電圧や電流の技術的解釈上の極性を今まで通り使うことにする。結論としては何も目新しいものはない。

レンズの焦点・焦点距離とは?

(2017/11/21)追記。焦点距離(太陽の焦点距離)と写像距離(フイルム位置)の関係について、筆者の誤解も含めて、レンズと焦点距離に訂正・追記した。焦点距離と言う用語の定義が分からなくなったからである。しかし、焦点距離

(ウイキペヂア)には太陽の焦点距離と同じ平行光線に因る教科書の『焦点』の位置を定義しているようだ。観測対象・被写体の遠近で、焦点距離と言う写像距離は変化する。その使い方がカメラの焦点距離の意味であろう。

(2017/11/13)追記。レンズで気付いたことがある。スマホ等の携帯端末機の写真機能が抜群に良くなっている。あの小さなレンズで近距離撮影を考えれば、焦点についてレンズ軸に平行な光線などを光学的原理説明にする意味が見えない。生活に結びついた理科教育なら、高校生に携帯端末のレンズで解説するのが求められよう。今年のセンター試験の物理レンズ問題についての感想である。

(2017/07/24)追記。この記事の後、『フレネルレンズ』と言うものがあることを知った。やはり素人は知識量が少ない事を自覚した。しかし知識が多いか少ないかでは、レンズの焦点の解釈の誤りについては判断できない。灯台の大きなレンズは光を遠くまで分散させないで、平行光線で届ける機能が要求される。光が分散しては役に立たない。さて、普通のレンズの『焦点』は対象物からの光がレンズ軸に平行であればその光路は必ずレンズ軸の『焦点』の一点を通ると言うその一点が『焦点』と定義した専門的解釈である。それなら普通のレンズの『焦点』に光源を置いたら、その光は必ずレンズを通った後、平行光線になる筈である。そこで『焦点』の概念を否定する素人としての解釈を述べる。決して平行光線には成らないと。それは『フレネルレンズ』の片面は平面になっているから、平面に『焦点』の光源から入射する光の光路は、普通のレンズの球面に入射する光の光路と同じ筋道は決して通らない事だけは間違いない。その事は『フレネルレンズ』の片面が平面であるから平行光線としてレンズから放射されると言うことを示しているのだ。レンズの片面が平面であるか球面であるかによって、その光路が変わる訳がレンズの屈折の原理になっている筈じゃなかったのか?全く実験もせずに、ただのレンズに関する素人の解釈でしかないが、普通のレンズとフレネルレンズ(両方のレンズ直径の同じ物)で実験してみれば結果は明らかである。

昨年末(2016/10~12)にレンズの焦点について常識を否定する記事を書いた。今年の大学入試のセンター試験(物理)にも出題された内容に関わる点で、社会的問題でもある。長く教科書での標準的レンズ問題の解釈法として定着して来た理科教育の常識である。それを否定するなど正気の沙汰ではない筈だ。しかしやはりその解釈、教育指導法は間違っていると考える。

写像面全面が焦点 専門的にはカメラの光学技術で論じられる問題である。専門家の解釈はレンズの焦点という専門的解釈で論じられる。全くの素人である自分の、専門家の論理に違和感を抱いての、反論であることをお断りしておく。

写像面が焦点写像面(フイルム面)が焦点 上の図は所謂レンズ軸に在ると言う『焦点』など必要ないと言う意味を表現したものである。図は観測対象の3点A、BおよびC各点からの光はレンズ全面を通して写像面の各一点a、bおよびcの各一点に集まり、その各点がすべて焦点であると解釈する図面である。観測対象からの光線がレンズ中心軸に平行光線である場合に、その軸上に定義される『焦点』に集まると言う専門的解釈を否定する図面である。特別に定義される『焦点』など考える必要が無いと言う意味である。即ちレンズ面に平行な写像面が焦点距離Fにあれば、その全面が『焦点』の集合した二次平面であると言う解釈である。『焦点距離』という意味もなかなか難しい意味でもある。レンズで太陽光線の焦点を求めた時、それをレンズの『焦点距離』と仮に決めるとする。ではその焦点距離が全ての観測対象の場合に対して写像を鮮明に得る条件に成るかといえば、違うであろう。カメラの焦点を合わせると言う意味はその焦点距離(フイルム面の位置)を観測対象のレンズからの距離によって変えなければならないと言う意味であろう。太陽光線でレンズの焦点を決めるが、それは太陽の無限遠の太陽像を写像面に映している事なのである。太陽熱で焦点は焦げるが、それは太陽の写像なのである。丁度観測対象の距離に適合する焦点距離の場合には、レンズを通して得られる写像面のすべての面の各点には、観測対象のそれぞれ各一点からの光だけが集まる訳で、その写像面全面が『焦点』と解釈すれば良いだけであろう。だから人がその丁度レンズの焦点距離の位置に眼の瞳を置いて対象を観測すれば、何も像は見えないのである。その訳はその瞳の位置に入る光が全て観測対象のただ一点からの光だけであるから、何も像など見える筈が無いのである。瞳の位置をその焦点距離のままの平面上の位置で移動すれば、また観測対象の別の点の光だけの視界となり、像など見えないのである。

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