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自然と科学理論の懸け橋はいずこに

(2019/08/02)追記。懸け橋に思う。

懸け橋とはどんなものかと考えてみた。自然科学論は人が自然世界や生命を認識するとき、普通は決まった法則や原理という眼鏡を通して理解する。その法則や原理は過去の自然世界の観測手法によって確立された解釈法に基づいたものである。中には、クーロンの法則のように、決して電荷量が測れないという意味で実験的に検証できないにも拘らず、科学常識となっているものもある。自然世界の認識には、科学論はその観測技術があって初めて成り立つのだろう。哲学は実験的な検証を飛び越えて感覚的な捉え方で認識するものかも知れない。例えば、光の空間エネルギーの縦波伝播現象の認識は空間エネルギー分布を観測する技術は無かろうから、科学論として確立するのが困難かも知れない。自然世界の人の認識には懸け橋としての実験的か哲学的かの関わり方の問題が重要な意味を持っているように思う。もう一つ懸け橋として考えなければならない点を指摘したい。科学論の根幹をなす「論理性」の問題である。理論的矛盾の存在を気づいたとき、その対策が科学論の未来への道しるべとなろう。

自然は悠久の大河

その懸け橋はいずこか

自然と科学理論の間に

その溝の深さよ

懸け橋の掛け方を知らず

深さを探れば

更に隔たりて途方に暮れる

ひとり孤の道

澄む月の寂しさ

独創と共和の溝深し

初夏の花

さわやかな季節の花。花の姿は易しくても、名前を漢字で書けば厳めしい。漢字にはその意味が現れていて、大切にしたい。

躑躅(ツツジ)・アザレア 

赤みがかった花がアザレア。

 

 

 

 

宝鐸草(ホウチャクソウ)

釣鐘に因んだ名か?普通は「たく」と読む。

 

 

 

 

 

海老根(エビネ) 

海老に形が似ていると解説があるが、そうかな?確かに土の中の根を見たら、白い根元が太くて曲がっている。独特の根で、球根のようだ。

 

 

 

 

苧環(オダマキ) 

この漢字の意味は分からない。何か平安朝時代の高貴な女性が被る傘の姿を連想する。

 

 

 

名前を忘れてしまった。

雑草に近く繁殖力がある。紫色が好きだ。

2019年の春

(2019/05/11)追記。不図気になった。2月は何故28日なのか。4、6、9および11月は30日だ。1月と3月から1日ずつ2月に入れれば、2月も30日となる。それなのに何故2月だけ28日に成っているのか。世界中が太陽暦で、その暦歴に成っている訳は?

『仲春令月、時和気清』 後漢の2世紀に活躍した張衡と言う人(科学者?)の「帰田賦」にある言葉らしいが、令月は2月の目出度い春立つ月と言う意味らしい。1年が春で始まる2月という意味が含まれて、特別に28日に成ったのだろうか?

春はどこから来るかしら。
太陽と地球の回転する相対関係で地表の寒暖が変わる。季節の四季が地球の表情を変えている。人は気温に合わせて衣替えをする。しかし特別変化は見えない。動物は四季に合わせて、生活行動が変わる。春に子供を生み、同じサイクルを繰り返す。そのサイクルの基になるのは植物である。

植物の生命は地球の生命 太陽と植物が地球を作って来た。植物が生命の基にある。

沈丁花の新芽 切り捨てた枝を室内で、花瓶に生けて置いた。花が枯れ、小さく縮れて落ちた。その先に新芽が伸びどんどん成長する。花瓶には水道水だけだ。殆ど電灯(LED)の光と空気と水だけだ。この新芽の、その質量の基は光化学反応だけであるのか。炭酸ガスと室内灯の光と水分子だけから作られるとは、その植物の生命力を何と理解すれば良いのか。正しく自然の神の仕業だ。

 

 

ベニカナメ 新芽が真っ赤に輝いている。これは葉緑素とは違うのだろうか。これも光化学反応の生命の輝きか。自然の多様性に拍手。

 

 

 

岩八つ手

鉢から庭に下ろしたら花が咲かずに葉が茂る。

 

 

 

 

 

 

 

トキワ碇草 花の姿は可憐にしてあでやかだ。一瞬に葉が覆い尽くして、花が隠れれしまう。葉は大きく開き、晩秋まで茂る。その葉も冬には枯れてしまう。

 

 

 

 

 

月に立つは夢か

1年は12カ月
月が1年に12回満月に輝くから。昔の電気も無かった、太陽と夜の月明かりに人はどんな思いで暮らしていただろうか。今と違う地球上の営みであった。
科学技術と月
大空には人工衛星が数限りなく浮かんでいる。地球上の様子を空から眺めて暮らす時代だ。きっと何時かは月に立つ日が来るだろう。それを夢と思う。今は宇宙船に人が暮らす。様々な科学実験が成されている。しかし、月に立つにはどんな準備が必要だろうか。月の重力加速度は幾らだろうか。気体はあるのだろうか。月に着陸するには宇宙船はどんな飛行体が可能だろうか。着陸する滑走路はどのように整備すれば良いだろうか。月から飛び立つにはどのように発射台を建設すれば良いだろうか。建設作業に必要な人員はどう確保すればよいだろうか。ロケットか飛行船は乗組員だけで無事発射できるだろうか。燃料の補給はどのようにすればよいか。そんな幼稚な愚問が頭をかすめた。

花鳥風月 やっぱり空気の中で、春の花を見、桜に驚き、海の魚を食し、秋の虫の声を聞きながら過ごしたい。やっぱりそんなありふれた平和が好いかも。

恩義に応えたくても・・

體に松亨の壽有り

小柳様 (雅号:無我)

こんなに我が身を思って頂いたのに、お恥ずかしい限りだ。ロイヤーインバータの研究と言うほどでもないが、昭和46年春誘導電動機の運転をしてみようと、公益法人産業教育振興中央会の研究申請で、研究費を頂いた。しかし、体調が悪く急性肝炎で4月末に病院に入院した。眼が黄色くなり黄疸で絶対安静となった。その同室に入院されていた方が小柳様であった。細野先生の特別のお計らいで、3カ月ほど入院させて頂き生命を救って頂いた。小柳様が退院されて後、何も仰らずに掛け軸の書を下さった。その時も詳しくお聞きしないで、其れっきりとなり何も知らずに過ごしてしまった。ただ、三条市下田村、あの有名な漢学者、諸橋徹次博士の生家の村であるとは聞いていたように思った。当時は、書道にも筆にも縁が無く、殆ど忘れて過ごした。今から十何年か前に、何軒かその村でお尋ねしたが、分からず仕舞いできた。今その書を見れば、その恩義に答える術もないかと思うだけだ。ただ御蔭さまで、少しは健康で新しい科学論を展開できることを感謝したいと思う。小柳様の消息を知ることが出来ればと念じていたい。

後になった振り返っては後悔ばかりだ。当時の新津工業高校の源川 誠校長(後県教育委員会、管理課長に転出)や、電気科の実習の割り振りで先生方にもご迷惑を掛けた。本当に大変だったと思うと申し訳なかった。しかしそのことも全く意識していなかったことを恥じ入るばかりだ。また初代の校長田中 敏夫は学事課長に転出。

何かロイヤーインバータが現在の科学論の原点になっているようで、不思議な思いがする。

電気物理(電圧時間積分とエネルギー)

はじめに
物理学の中で電気現象を取り扱う科目は電気磁気学になろう。その電気磁気学の中味を確認すると、電気工学の内容と殆ど変りはない。電圧と電流がその電気回路現象の解釈の基本概念となっている。微視的な現象を論じる量子力学などは原子・分子構造やバンド理論の抽象的な理論が主体となって、少し電気磁気学と言う分野からはかけ離れてもいる。しかし、電界・磁界と言う電磁場とその中の電子の振る舞いと言う意味で見れば、電気科学技術の基本理論がそのまま基礎概念として電気物理の基本になっているように思える。専門用語には、簡単に理解できないものが多くある。π電子等と言われると、電子の『電荷』の実像さえ理解できない処に、πとは何じゃ?と狐に抓まれた気分になる。磁界と言えば『磁束』で解釈される。磁場空間に磁束が通っていると言う科学の常識概念も、教育の場ではアンペアの法則に因る電流概念との関係で理論構築されている。電流原器の定義からもアンペアの法則が電気現象の物理的真理であるかの如く威厳をもって説かれる。一方ファラディーの法則も電磁誘導現象の解釈の基本を成している。電圧と磁束と時間の関係で電気現象の理解に欠かせない法則となっている。一般に電線路周辺空間にも磁場があり、その空間にも磁束が関係していると看做すであろう。磁束はアンペアの法則の電流によって発生すると解釈すべきか、あるいはファラディーの法則に因る『電圧時間積分』で発生すると解釈するべきなのか悩ましい意味を含んでいる。『磁束』と言う空間に実在するとは理解仕兼ねる概念が、科学技術の解釈に有用なものとして長く理科教育によって基礎共通科学常識となっている。『電荷』と同じく『磁束』と言う物理概念が如何なる空間的実在性を持っているかを明確に示す事が電気物理の命題であると考える。具体像として認識できない抽象性ではこれからの科学の社会的理解が得られないと危惧せざるを得ない。電気物理はそれらの基礎概念を明確にする事から取り組まなければならない筈だ。今回は拙い電気回路現象の知り得る範囲から、電圧時間積分と言う電気工学の考え方で、『磁束』と言う意味を取上げて電気コイル周りのエネルギーを考えてみたい。電気技術ではリアクトルと言い、理論ではコイルと言う電気エネルギーの空間貯蔵回路要素の話になる。電圧時間積分と言う技術用語を初めて知ったのが、ロイヤーインバーターの不思議な電気回路現象であった。それ以降磁束はアンペアと言う電流では捉えるべきでないと確信してしまった。もう50年も前のことである。現在はその延長として『電流は流れず』と言うところに居る。とても金属導体中を流れる『負の電荷』の逆流等と言う物理概念が電流だなどと言ってすまし込んでいる訳にはいかないのだ。この記事を書く意味は、理学と言う理論に偏り過ぎた意味を科学技術と言う現実的な応用の中に隠れた真実を見直す事によって理解して欲しいとの願いからであった。教育の中に間違った真理らしき内容が多く含まれている現実を修正しなければならないと思った。ロイヤーインバーターで洗濯機用の単相誘導電動機を運転した頃の『電圧時間積分』の意味を磁束との関係で取上げようと準備しながら、その前にコイルの基本的意味を別に解説したいと考えてのことである。理学と技術の意味を考える例題として有用と思ったから。

コイルと電圧時間積分

 電気回路にコイルが含まれると、そのコイルはエネルギーを貯蔵する働きでその機能を特徴付けて解釈される。このような電気現象のエネルギーに因る捉え方が電気物理として特に考慮して欲しい点だ。コイルの中の空間にエネルギーが実在すると言う感覚的認識が必要なのだ。二分の一にインダクタンスと電流の2乗の積の式で覚える数学的な電気知識でなく、コイルの電気導体で囲まれた空間内にある『エネルギー』の空間物理量を認識して欲しい。コイルに掛る電圧とは何か?その電圧がエネルギーとどのような関係にあるかをこの記事を書きながら、考えてみたい。ただ電圧と電流で回路を解析するだけでは、それは電気技術論でしかなく、電気物理と言う自然現象の奥深さを知る自然観には程遠いと言う意味を理解して欲しい。電圧も電流も電気技術解釈用の技術概念でしかないと言うことを。然し、その電圧、電流と言う科学技術概念が如何に実用性で優れたものであるかを知る為にも、電気回路現象の真の姿を理解して初めて可能になることを知らなければならない。電線路で囲まれた空間に磁界とか、電界とか理論付をする意味を考えれば、その空間に何かがあるからそのように捉えるのだと言う意味位は察知出来よう。電線路導体で囲まれた空間に『エネルギー』が存在し、また流れているからなのである。その『エネルギー』は光速度と言う途轍もない速度で空間のエネルギー分布の欠損が生じれば補う。実験的にそのエネルギーの流れを計測など出来る筈もない。その『エネルギー』を科学技術概念の電圧と電流と言う計測量で捉えて、実用的理論に構築した意味が如何に偉大であるかを知らなければならない。しかし電線の金属導体内を電子や電荷が流れている訳ではない事は自然現象の真理として理解することと科学技術概念の意味とは異なることも知らなければならない。電圧時間積分についてコイルの端子電圧vとした時、積分 ∫vdt [Wb] は磁束の意味になる。ファラディーの法則の積分形である。このコイルに印加される電圧の時間の長さが何故磁束になるのか。コイルに掛る電圧とはどんな物理的意味を持っているのか。それらの疑問を解くには、すべてエネルギーとの関係で明らかにしなければならない問題だ。しかし、磁束もその次元は[(HJ)^1/2^](単位換算表を下に示す。)、電圧の次元も[(J/F)^1/2^]とエネルギーの単位ジュール[J]とは異なる。電気技術単位もエネルギーのある観方の解釈概念で有れば、最終的にはエネルギーとの関係を明らかにして、理解する必要があろう。その事をコイルのエネルギー貯蔵機能と言う点に的を絞って考えたい。ここで、別に電気物理(コイルの電圧)として先に纏めて置くことにした。追記。前に記した記事:LとCと空間エネルギー (2017/08/02) も参考になろう。

考察回路2例 電源は直流電圧とする。抵抗とインダクタンスの並列回路、回路(1)と直列回路、回路(2)の二つの回路例を取上げて、そのコイルLの動作機能を考えてみよう。電源電圧を直流としたのは交流電圧よりも電圧値が一定であることから、電気現象の意味を理解し易いだろうとの事で選んだ。コイルに直流電圧を掛けることは一般的には考えられない事例であろう。回路例(1)ではもろにコイルに直流電圧を掛けることになるから結果的には危険な電源短絡事故となる。一応保護ヒューズを電源に入れて配慮した。

空間の電気量 物理学では時空論と言う言葉が使われる。物理現象は空間の中に展開される電磁現象とも言えよう。光は空間世界の王者でもある。それは空間に描く時間とエネルギーの営みでもある。そんな意味で、光が描く空間長と時間の関係は『エネルギー』と言う実在物理量に因って理解できる筈だ。1990年(平成2年)の秋頃に、完成した自然単位系がある。措置と言う強制牢獄への穴に落ちる少し前のこと。自然現象を理解するに科学技術概念だけではなかなか複雑過ぎて難しい。空間とエネルギーだけで電気用語の意味をまとめた表を載せる。すべての電気量がエネルギーのジュール[J]との関係で算定できる。電気量の次元を換算するに使うに便利である。余り物理学では、空間の意味にファラッド[F]やヘンリー[H]を意識していないようであるが、時間の次元も[s=(HF)^1/2^]で関係付られる。光の速度を決めるのもこの空間の物理的関係に因る。この空間の誘電率、透磁率の物理的意味合いを明確にする課題がまだ残されている。それはどうしても哲学の領域にもなるかと思う。科学と哲学の課題でもある。空間で『エネルギー』がどのように共振現象で伝播するかの解答が。何方かの挑戦を期待したい。

回路(1)の電気現象 スイッチによって二つの場合を考える。

(a) S1:on 、S2:off の抵抗負荷。電源スイッチ S をオンする。回路解釈は直ちに一定電流i=E/R[A]になると理解する。技術論としてはそれで十分である。然し物理現象としては、負荷抵抗に供給されるエネルギーは電線内を通って供給される訳ではなく、電線路で囲まれた空間を通して供給されることを知らなければならない。厳密には突然スイッチの周りのエネルギーギャップの空間が閉じられるのだから、複雑な空間の動揺を伴った後オームの法則通りの平常状態に落ち着くのだ。電気技術で負荷電力P=E^2^/R [W]と計算される。ワット[W]=[J/s]である。電圧の単位は[V]で抵抗の単位は[Ω]である。[V]と[Ω]で、どのように単位換算されて電力が[J/s=W]となるのか。その物理的意味をどのように解釈するのか。このことに関連して、やはり別に電気抵抗体の物理として考えをまとめた。

(b)S1:off 、S2:onでSオンする。実際はスイッチSオンすると同時に、電源短絡事故となろう。コイルのインダクタンスがL[H]であれば、電流はi= E/L∫dt [A]で直線的に増加する筈だが、そこには空間的な別の意味が関わっている筈だ。コイル空間が真空であったとすれば、エネルギーの空間貯蔵に空気中と異なる意味が含まれるかも知れないと言う疑問はある。コイル内の空間にエネルギーが貯蔵されると言う意味は、その空間のエネルギー貯蔵限界があると言う点を知らなければならない。ただ空気中の磁束量の限界と言う空間破壊の解釈は聞かない。電界の空間破壊は高電界30kV/cmと良く聞くが。それも磁場と電場と言う違いはあるが、空間のエネルギー貯蔵限界に因る物理現象の意味である。コイル電流i[A]に因って、コイル内に磁束[Wb]が生じると言うのがアンペアの法則に基づく解釈である。次元を考えれば、電流[A=C/s]からどのような物理現象として、磁束[Wb]が発生すると言うのだろうか。電荷には磁束を発生する物理量的な次元の意味が在るのかを問わなければならない。電気技術論として1800年頃に発見された知見が現在の物理学概念として本当に有用なのか。電荷と磁束の間の空間に起きる次元変換の物理的見解が必要と思う。そこには『電荷』の物理的空間像が示されなければ、答は得られないと思う。なお、電圧時間積分は電流i=(∫Edt)/L の中に含まれている。磁束φ=Li と同じ式ではある。

回路(2)の電気現象 R-Lの直列回路で、やはりLの機能を考えてみよう。既に、電気物理(コイルの電圧)としてまとめたので大よその意味は分かろう。コイルのスイッチS’:off で電圧を掛ければ、指数関数的に電流i がE/Rの値まで増加し、コイル電圧はエネルギー貯蔵した状態で零となる。

『問』 その状態でスイッチ S’ をオンとしてコイル端子を閉じるとする。その後の電流はオンしたスイッチ部を通るか、コイルL内を通るか。

『答』 尋ねたいのは、コイル端子を閉じたときコイルの貯蔵エネルギーは電流 i に因るのか、それとは別にコイル内の空間に貯蔵されたものと考えるのか、どちらで理解するかを答えて欲しいのだ。電流 i が電源に繋がった導線部 S’ を流れずに、わざわざコイル内を流れるとは考え難かろう。然しコイル内にはエネルギーが貯蔵されていると解釈しなければならない。そのコイルのエネルギーは電流に因るのか、コイル内の空間に貯蔵されたものと考えるのかを問うのである。ただ時間と共にそのコイルエネルギーも空間に放射あるいは抵抗で熱化されて無くなる。

回路の電流 回路(1)と回路(2)の電流値の様子を考えてみよう。

電流値 電圧が 100V 、抵抗値10Ω、 インダクタンス10[mH]として図に示した。回路(1)の(b)の場合で、コイルに電圧を印加した時、電源投入後何[ms]で電源短絡となるかは分からない。? 記号で示した。その状態をコイル内の磁束が飽和した為と技術的には考える。物理的には、コイル内の貯蔵エネルギーの受け入れが出来ない限度を超えたからである。また、回路(2)では、スイッチS’ を投入した瞬時にコイル端子は回路から切り離された状態になり、抵抗のみの回路となる。その時コイルのエネルギーはそのまま分離されてコイル内に留まり、時間と共に消えることになる。

むすび 記事の内容を見ると、電気物理と言いながら数式が全く無いことに気付いた。電気現象はその技術概念電圧と電流が解析の要となっている。然し、その電圧とは?電流とは?と殆ど疑問に思われてはいないようであった。30年前に『電荷』概念の空間像を描けないと疑問に思って、何か世間の囃したての中に揉まれながら、人生意気に感じて頑張っている内に、とうとう浦島退屈論の仕儀となってしまった。やっと御蔭さまで、電圧と電流の物理的空間像が描ける境地に辿り着いたようだ。電圧の2乗が次元[J/F]、 電流の2乗が次元[J/H]でその空間の空間エネルギーを捉えたものであると。電気回路の空間構造のコンデンサ機能の[F] とコイル機能の[H]とでその空間のエネルギー貯蔵量を捉えることが出来ると安堵の境地。やっと技術概念の物理的意味が理解できた。電圧-その意味と正体ー (2016/05/15)ではまだ疑問との格闘にあったようだ。然しその記事の文末に導体近傍のエネルギー分布を確信した記事が記してある。その実験的検証が在ったことで、ここまで来れたと感謝する。

負の科学技術と未来

負の科学技術 人の歴史を振り返れば、分からない事ばかりであるようだ。人の歴史と言っても、人が猿から枝分かれしたと学説にはある。そんな学説も信じられない。進化することは確かである。では猿が人より劣っているとどのように説明するのか。何処で進化した人と進化しない猿が枝分かれしたのか。その訳は何だと説明するのか。蝶や雨蛙が何故人より劣っていると言えるのか。猿は猿で人は人でそれぞれ異なった進化を遂げて来た筈だ。強いものが優れているとは限らない。海から地上に上がった時の人の姿はどのような形であったと考えるのか。何億、何十億年の地球の生命の歴史など簡単に分かる訳が無い。地球は人の為にあるのではない。すべての生命の生きる地球なのだ。地球も人の生命に関わりなく地球中心核の燃焼の為に地殻をひっくり返して生物に災害をもたらす。地震や地殻変動は地球の生きた活動だ。飛びぬけて地球の自然に逆らってきたのが人である。特に産業革命と言う時節から、科学技術の魅力に人が夢中になって、その恩恵を享受してきた。自然に手を加える術のパンドラの箱を開けてしまった。元素・原子と言う世界を操る途轍もない方法を手に入れた。それが科学技術だ。今最大の困難に人自身が翻弄されている。自分で辿って来た革新と言う世界の未来を夢見て。人が人を権力で殺害する為の兵器、原子爆弾の製造競争から抜け出せない惨めな人間性に翻弄されている。プラスチック塵の処理に悩みながらも、決してその商売の利益競争の戦いからプラスチックスを手放せないジレンマに未来に向けた人間性が問われている。地球温暖化を食い止める手立ての基本は、エネルギー消費量の抑制以外は無いのだ。しかし経済競争の人の欲望には逆らえない性に翻弄される未来が見える。

DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン) 敗戦後の日本の至る所で展開された「シラミ退治」の風景を思い出す。体中にDDTを噴霧してシラミを退治する。古く1873年頃に開発された殺虫剤らしい。現在日本では使用されていない。

PCB(ポリ塩化ビフェニル) 変圧器やコンデンサ等の電気設備機器に大量に使われた。冷却効果と絶縁性に優れた化学物質である。大気汚染、温暖化に影響があり、使用が中止されていると思う。

アスベスト(石綿) 天然の石綿がその繊維は建築材料として優れている為、建築の壁材として多く利用された。しかし現在は人の呼吸で吸い込み、中皮腫等の人体への危険材料として使用中止となっている。廃材の処理に困難もある。

有機水銀(水俣病) 化学処理工場からの排水に有機水銀が含まれていた。魚貝類に広がり、魚を食べて人が神経麻痺を来たし多くの被害者が出た。水銀は体温計などにも多く使われた液体と言う特別な特性の金属元素である。蛍光灯にも発光効率を高める水銀蒸気として使われている。現在徐々に水銀は使用が制限されてはいる。

プラスチック 2018年6月G7 シャルルボワ・サミットで「海洋プラスチック憲章」が採択され、英・仏・独・伊・加・EUが署名した。しかし、残念なことに日本と米国は署名を拒否したと新聞にあった。今日の国会開会に際して、首相演説で海洋プラスチックのごみ対策に取り組むと述べた。また今年の6月日本でG20がある。しきりに海洋プラスチックごみ対策を議題にすると総理大臣は述べている。しかし、何故シャルル・サミットでの憲章に署名しなかったのかとても不思議な事だ。科学の『電荷』の不思議と同じ。

核爆弾 これは一体どのような意味で捉えれば良いか最大の人類の謎である。決しれ世界平和にも世界の進歩にも何の貢献もしない。人類の地球汚染と人間性否定そして疑心暗鬼の恐怖の科学技術である。それが大手を振って世界に君臨している。人殺しの最悪兵器だ。それを推進する国家指導者を選ぶ世界が未来の希望を消している。

原子力発電 地球は制御不能な科学技術設備の巨大システムが原子力制御であることを知っている。人の意識の制御可能な領域を超えたところにあることを既に何度も警告して来た筈だ。それでも欲望には勝てない人の思惑に流されて政治権力が蠢く。

悪口雑言お許し願います。

和の趣き(2018年報告)

不立文字と言う東洋哲学の用語がある。筆者はその言葉の意味を、自然世界の事象を極めんとして深く学べば、常識的な言葉で表現出来なくなるという意味で捉えている。新しい科学的発見と言う意味で世界に新しい認識を広げる事と真逆の方向性、即ち今までの常識的解釈で認識していた世界の意味を深く突き詰める事によって矛盾が観えて来て、今までの常識的認識は真理から離れた上辺の捉え方で在ったと気付くことを表現した言葉のように思う。だから常識的な科学的専門用語が使えなくなってしまい、常識的な科学論が出来なくなる窮地に陥ることを指している言葉のようだ。電気磁気学を解釈するに「電荷」の必要が無くなってしまった。自然科学を論説するに科学常識となっている原子とその構造は誰もが納得し信頼する基礎概念であった筈であるが、電荷を否定したら、何を基礎として自然現象を解釈すれば良いか分からない窮地に陥ることとなる。当然電界も磁界も使えなくなる。それが自然世界を深く理解する結果の到達点で、いわゆる不立文字が表現する状態の意味になる。インドに生まれた東洋思想・東洋哲学の眞髄は解釈の矛盾を突き詰めて、削ぎ落しによる中心にある真理を悟ることにあるのだろうと考える。残るものは『エネルギー』一つになる。それは光であり、熱であり、結局質量である。すべては「色即是空」の見えるもの又見えないものと変幻自在に変化する認識量が『色』であり、見えたと思えば見えなくなる『空』でもあるという意味ではないか。そんな解釈論は自然科学の実証・検証による論理性が成り立たない話となってしまう。それが不立文字と言う事であろう。2018年の投稿記事をまとめてみれば、『エネルギー』の意味を尋ね歩いただけのようである。それでも自然科学論の心算である。『エネルギー』の空間分布構造を実験的検証で示すのが理想の科学的手法であることを突きつけられれば、記した記事の内容は空間エネルギー分布を測定していないから科学論でなく哲学となるかもしれない。(2019/02/01)追記。少し気が引ける思いである。標題の『和の趣き』で、ある出版社の本やお酒の名前に使われていることを知った。御免ね。(2019/02/02)追記。『不立文字』は昭和62年9月1日に始まったのかもしれない。電流は流れず の決断を自分に課したのがその年の8月であった。標題の『和』は総和で無く、東洋的という意味合いだ。Google翻訳では、「和の趣き」はTaste of Japanese で「和の趣」はWorth of Japanese Wisdom となる。とても翻訳は意味が深いと思った。

4月2日 哲学と科学 ここには『正の電荷』を誰が発見し、どのような場面でその存在が観測・証明できるのか。を問う事を記した。電子と言う負の電荷は陰極線として観察されている。しかし、正の電荷はどんな場面で観測されるのか。

生物とエネルギー 1月4日 体温とエネルギー 1月5日 生命と酸素 12月16日 生命活動とエネルギー 

原始・電子・エネルギー 原子・分子結合力と周回軌道電子論の矛盾(1月9日) 半導体とバンド理論を尋ねて(5月14日) エネルギーから電子殻を問う(5月21日) 電池における電子の役割を問う(5月24日) エネルギーと結合(10月10日) 結合エネルギー:不思議の砦(12月2日) エネルギーの象形(12月5日)

電気現象と技術・エネルギー 白熱電球のエネルギー変換原理は?(2月12日) 電気回路要素『抵抗』の物理的意味(2月24日) 『瞬時電力』の物理的意味 (3月15日)技術概念『電流』とその測定(9月24日) 瞬時電磁界と概念(10月23日) エネルギー その見えざる正体(11月6日)

地球の景色 青空と白い雲(1月18日) 太陽系はどのような力学によってその位置に存在するのか?(3月28日) 津波と圧力水頭(5月1日) フェーン現象(6月17日) 波の心を観る(11月14日) 山の木霊(12月20日)

哲学・光・エネルギー 光の正体(1月25日) エネルギーの速度(4月2日) 非力学的エネルギー(4月10日) 世界は不思議(5月6日) 焚火の科学(5月26日) 水辺の散策(6月16日) 水蒸気と蒸気線図(6月16日) プランク定数の概念(7月17日) 世界の実在物理量エネルギー(7月26日) 運動エネルギーの概念(9月15日)

地学ガイド 新潟の自然に感応して

この素晴らしい写真資料に触れて

地学ガイドとして残して下さったことに感謝する。それぞれに解釈は異なっても良い。そこに写された写真資料はすべて地球の生きた歴史と証を物語っている。それぞれにその地球の姿を自分の心に写し取って解釈すれば良いと思う。そんな意味から自由に勝手に解釈する楽しみを試みたい。
地球の謎(岩石、原油、土、水、塩)
山と岩石と土と水と塩の歴史の謎を心に留めながら地球の来し方を描きたい。今年最初のNHKの番組で、チコちゃんが地球の自転を話題にしていた。太陽系の全ての星が偶然で同じ方向の自転と公転をする筈はないと思うのだが。偶然という理屈では、何故すべての惑星が同じ方向に公転するのかの理由は何か?と問わなければならない。それも偶然として説明出来るのだろうか。専門家の解説を理解する能力が無くて悩む。それはそれとして、海底が深さ1万m以上になった訳は何だろうか。山岳の峰の高さより、海底の深さの方がより地球の活動の意味を秘めているように感じる。もし海底が深くなかったら海はどんな姿であったか。土は何から出来たのだろうか。石油はどのような動物の化石なんだろうか。何故地下に動物の化石資源が在るのだろうか。地球の直径はどのような変遷を経て来たのだろうか。そんな謎がすべて絡み合って解明されなければ本当の事など分かり様がない。地学の解釈理論に巨樹の化石の解釈が見えない。石や岩石は何から出来たと解釈するのだろうか。塩を創り出す海に動物でも居たのだろうか。岩塩も海水が蒸発した結果と考えたい。魚介類が動物の起源であるならば、海水の塩分濃度が生存環境の必須条件の筈だから。母体の羊水も生命誕生、生育、保全環境としての役割を持っている。塩の創造主が何かは最大の謎の一つとして挙げて良かろう。エネルギー地下資源の原油の生成過程も地球の歴史を理解するに欠かせない視点であろう。何故地下深くに存在するか。湖の湖底に何故泉が出来るか、その水はどこから来るか。雪解け水や雨水だけでは理解しかねる。地下で海と繋がっているのではないかと空想となる。それも巨樹の関わりとして。

島は巨樹の化石

佐渡島の尖閣湾や二ツ亀、小佐渡の小城町、白木の神小岩を見れば、巨樹の姿に見える(p.66~71,p.88)。勿論地球核からの噴火現象との関わりで形成された姿を留めている筈ではある。それは富士山にも言える筈だ。巻町越後七浦海岸(p.72)。岩船郡山北町の笹川流れの島と海岸(p.85)。さらに粟島浦村全体も巨樹の化石と観る(p.87)。県外では、福岡県の世界遺産に登録された沖の島も巨樹の化石で、人々が集い祭る神の島として相応しいのだろう。石の囁き 聞こえますかから、地球と巨樹の関係が益々濃密になって来る。

下田村の八木鼻(p.203) 説明には、“角閃石を含む石英安山岩でできていて、五十嵐川の浸食によりけずられ、切り立った岩壁になった。”とある。しかしこれも柱状節理に似た縦筋の岩壁で、川の流れで削られたとは思えない。巨木の化石と解釈した方が納得し易い。

海と魚介類の化石

小千谷市に塩殿という地名の場所がある。塩殿と言う名がどのような意味から付いたかと、その地名を知った時からとても気掛かりになっていた。小千谷市と十日町市(中魚沼郡)との道筋にある。今の信濃川の水面からはとても高い位置にある。「塩」は海の産物であるから、その地が岩塩でも産しない限り、近くの海から運んだとしか考えられなかった。その塩を取り仕切る地主が居てその者を殿と言ったかと解釈していた。しかし、このガイドブックを見て驚いた。p.138以降に、4 丘陵に産する化石と題して、多くの化石が示されている。長岡市滝谷に産した化石群、中でも中里村産のヒシナイイワシの化石(p.141)は謎の深さを膨らませてくれる。岩手県立博物館だより2015.9 No.146 にもヒシナイイワシの化石の話が載っている。新潟県中里村は清津峡、長野県境に近い信濃川上流である。そこが海のイワシの生息地であったとは、地球全体の海の状況が想像をはるかに超えた高度に広がっていたとしか考えられない。エベレスト山脈の麓のアンモナイトの化石や世界の岩塩あるは小千谷市の地名塩殿の意味とが海の姿の認識を変えるものであるかと想像を膨らませてしまう。

関連記事をまとめておく。岩石や地層は学問領域としては地学になるものであろう。新潟県六日町の巨木館を訪れてから、木の放つ何かに圧倒された。その後、石の囁き ・・の記事にある庭石の化石化した木に遭遇した。今地球の歴史に巨樹と石の関係を無視して考えることは学術的に無理だとの思いになってしまった。植物がなければ、海のプランクトンもなく、魚介類も存在しない。巨樹、巨木が如何に地球の成長と変成に欠かせない生命であったかを考える。生物学、物理学、地学あるいは化学がそれぞれ別の学問分野として独立した研究対象では未来を語れないように思う。電気工学の分野から、顰蹙を買いそうな日本雨蛙や光量子の空間概念、更に岩石にまで興味の赴くままに我儘に死んで来た。 紹介に書いたように何の結果も示されず、得られず誠に皆さんには申し訳ない。ただ、『静電界は磁界を伴う』の物理学の根本概念『電荷』の存在否定への説明責任だけは自己満足ながら貫いた。電力工学の学術分野での論説は困難であった『電荷』否定は間違いでなかった。

石の囁き 聞こえますか(2011/07/23) 化石と硯(2011/09/30) 石に宿る古代神の面影(2014/11/17) 佐渡赤玉石に連想(2014/11/20) 庭に石器か?(2014/12/10) 笠堀ダムと土器(2014/12/16) 八海山岩峰の起源?(2015/09/07 なお、八海と言う意味の由来を地元の役場に尋ねた記録がこの地学ガイドに紙片で残っていた) 柱状節理とは何か(2015/12/23) 富士の霊峰を仰ぐ(2017/11/14) 山の木霊(2018/12/20)

 

 

 

 

独楽の心

(2019/01/23)追記。ジャイロスコープの実験。

ジャイロ独楽 約32g弱の独楽。ひょっとしたら、エネルギー分の質量増加になっているかも知れない。

   デジタル計測 それでもどれ程の精密なら可能かと問うのも不可能だろう。記事末に述べた結論の『謎ときの予想 軽くなる』は確認できなかった。出来る訳がない程の微細な値であろう。最初にこの実験を思い付いたのは『エネルギー・質量等価則』から質量に回転エネルギーが加算されるのではないかとの思いからであった。重くなるの結論にも至らない。(2019/02/08)追記。計りに掛る重量変化は花一匁の心の重さに等しく、計測できない事ぐらいははじめから分かっているが、自然の心を読む科学意識の問題として取り上げた。回転エネルギーを光速度の2乗で割った値を計測できない事ぐらいは誰もが知っていよう。

独楽の秘め心 その立ち居振る舞いに世界の謎が見える。謎を秘めて立っている。解らない疑問が世界の謎である。疑問が自然科学の理解への第一歩。解らないこと、不思議と思うこと、そこに心を寄せることが科学の基礎研究の姿と。

独楽は一筋 独楽は 一心に生きる 心は 不動の一筋。独楽は何故回り続けるか。独楽の全てを支えるのは不動の一筋の心だ。その心は回転もしない不動の無である。その心に対して決して重量が対称ではあり得ない。非対称性が大きければ不動の心にはならない。僅かの非対称性は殆ど影響なしに独楽は廻る。独楽の特性を科学的に論考してみようと考えた。しかしそこには謎が多過ぎる。解き明かせずに、独楽の心が重く圧し掛かる。

独楽の心を推し量る

 独楽の重量                                                                  独楽は物理的特性で際立つ評価係数に、慣性モーメントをもっている。その次元は[kg]のIまたはJで表される。慣性モーメントはその剛体の或る回転軸に対して、どのような回転角速度による回転エネルギーの貯蔵特性を持つかを示す回転体の特性を表した係数値であると言えよう。ジャイロコンパスや独楽はその代表的なものと言えよう。また、地球や太陽系銀河もそのような一つの形態と看做されるかもしれない。

独楽の謎 独楽の重量を計りたい。全く経済効果のないという観点から、役にも立たない無駄な研究と言われそうだ。しかし役に立ちそうもないが故に、それが基礎研究と言うものと思う。結果が予測出来ない、何時完成するか予測が出来ないから、隠れて愚かさと笑いを噛みしめながら、コッソリするような研究になろう。独楽を計りに乗せてその重量は計れる。難しいのは、独楽を回して回転ゴマの重量を計ったらどのような結果になるか。と言う奇想天外な計測実験である。『エネルギーと質量の等価性』と言う世界の科学認識がある。独楽の回転体は質量の他に回転エネルギーをも内蔵した物体である。さて、その合計の重量はどのような値と解釈すれば良かろうか。と言う一つの命題が生まれる。見えないエネルギーの意味をどのように観るかの世界認識の謎に思える。それは太陽系の重量が有るのか無いのかにも繋がる謎でもあろう。独楽の回転エネルギーEは慣性能率をI[m^2^kg]とすれば、

E=(1/2)Iω^2^ [J]

と言う値で科学的に認識される。この意味は運動力学の常識的質量に関わるエネルギー量である。さて、そのエネルギーと言う物理量はどのような実在量なのか。誰もがエネルギーと言う用語は良く知っていよう。化石燃料や灯油、炭など火の発熱体更に太陽光や水力等の発電用自然現象を思うだろう。しかし、エネルギーの姿を空間像で認識しているのでしょうか。エネルギーが実在するという意味は、それは必ず空間の体積を占めている筈で、エネルギーの空間像を描けなければ本当に分かるとは言えないのではないか。炭火を起こせば、発熱して熱エネルギーを放射する。その熱エネルギーは炭から空間に放射されるエネルギーと言う用語で表現される、質量に無関係の光のエネルギーなのである。しかし、元は炭と言う質量体と気体の酸素の化学反応として生まれた質量・エネルギー変換現象なのである。酸素原子と炭素原子とが燃焼により熱エネルギーに変換された前後でその質量の減少と言う変化がなければ、質量とエネルギーの等価則は成り立たない筈だ。物理と化学の理科教育に於いてエネルギーとは何かを認識すべき要として捉えるべきである。その意味での独楽の回転エネルギーはどのような実在量と認識すべきかの命題と言うことになろう。独楽の回転速度とその独楽の重量の関係はどう理解すべきか。重くなるか軽くなるかの答えが欲しい。

謎解きの予想 軽くなる。独楽の質量に回転エネルギーが付加されるから、質量・エネルギー変換等価則から解釈すれば、当然等価質量は増加すると考えるべきだろう。従って回転ゴマの重量も重い計測結果になると考えたいのが普通であろう。結果が軽くなるとすれば、回転と言う現象の持つ意味が改めて謎になる。機械的エネルギー貯蔵用のフライホイールの軸荷重の問題で、既に答は得られているかも知れない。また、北半球か南半球かでの荷重に回転方向の右向き左向きが影響するのかどうかに判断の難しい面が残る。

“軽くなる”その心は。独楽の質量に乗った、独楽空間の回転エネルギー流の単位面積密度ベクトルw[J/m^2^ s]の微分計算 rot(w/v)[N/m^3^] の軸性浮揚力(単位体積当たりの上向き力)に託して。回転角速度ベクトルω[rad/s]を回転軸ベクトルとする。 v= |v| =| [ω×r]| [m/s] は独楽の空間座標点ベクトルrの質点回転速度ベクトルvのスカラー量を意味する。竜巻の上昇気流の定常力(時間微分の過渡状態は含まない)に同じ。新しい年を迎えて思えば、ボーと生きる以外に方策のないまま時が過ぎた

(2019/01/09)追記。回転瞬時速度ベクトルv [m/s]とはどのような意味か?考えたら「ボー」としていたようで、どう確定するか分からない。1秒間じゃベクトル方向の意味を成さないから。1[μs]でも長すぎる。自動運転車が道路上に猫が倒れていたらどうするか?道路に少し陥没が有ったらどう速度調節して運転するか?「ボー」と速度を考えて記事にしていたようで誠に難しいと知った。