カテゴリー別アーカイブ: 花鳥風月

月に立つは夢か

1年は12カ月
月が1年に12回満月に輝くから。昔の電気も無かった、太陽と夜の月明かりに人はどんな思いで暮らしていただろうか。今と違う地球上の営みであった。
科学技術と月
大空には人工衛星が数限りなく浮かんでいる。地球上の様子を空から眺めて暮らす時代だ。きっと何時かは月に立つ日が来るだろう。それを夢と思う。今は宇宙船に人が暮らす。様々な科学実験が成されている。しかし、月に立つにはどんな準備が必要だろうか。月の重力加速度は幾らだろうか。気体はあるのだろうか。月に着陸するには宇宙船はどんな飛行体が可能だろうか。着陸する滑走路はどのように整備すれば良いだろうか。月から飛び立つにはどのように発射台を建設すれば良いだろうか。建設作業に必要な人員はどう確保すればよいだろうか。ロケットか飛行船は乗組員だけで無事発射できるだろうか。燃料の補給はどのようにすればよいか。そんな幼稚な愚問が頭をかすめた。

花鳥風月 やっぱり空気の中で、春の花を見、桜に驚き、海の魚を食し、秋の虫の声を聞きながら過ごしたい。やっぱりそんなありふれた平和が好いかも。

負の科学技術と未来

負の科学技術 人の歴史を振り返れば、分からない事ばかりであるようだ。人の歴史と言っても、人が猿から枝分かれしたと学説にはある。そんな学説も信じられない。進化することは確かである。では猿が人より劣っているとどのように説明するのか。何処で進化した人と進化しない猿が枝分かれしたのか。その訳は何だと説明するのか。蝶や雨蛙が何故人より劣っていると言えるのか。猿は猿で人は人でそれぞれ異なった進化を遂げて来た筈だ。強いものが優れているとは限らない。海から地上に上がった時の人の姿はどのような形であったと考えるのか。何億、何十億年の地球の生命の歴史など簡単に分かる訳が無い。地球は人の為にあるのではない。すべての生命の生きる地球なのだ。地球も人の生命に関わりなく地球中心核の燃焼の為に地殻をひっくり返して生物に災害をもたらす。地震や地殻変動は地球の生きた活動だ。飛びぬけて地球の自然に逆らってきたのが人である。特に産業革命と言う時節から、科学技術の魅力に人が夢中になって、その恩恵を享受してきた。自然に手を加える術のパンドラの箱を開けてしまった。元素・原子と言う世界を操る途轍もない方法を手に入れた。それが科学技術だ。今最大の困難に人自身が翻弄されている。自分で辿って来た革新と言う世界の未来を夢見て。人が人を権力で殺害する為の兵器、原子爆弾の製造競争から抜け出せない惨めな人間性に翻弄されている。プラスチック塵の処理に悩みながらも、決してその商売の利益競争の戦いからプラスチックスを手放せないジレンマに未来に向けた人間性が問われている。地球温暖化を食い止める手立ての基本は、エネルギー消費量の抑制以外は無いのだ。しかし経済競争の人の欲望には逆らえない性に翻弄される未来が見える。

DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン) 敗戦後の日本の至る所で展開された「シラミ退治」の風景を思い出す。体中にDDTを噴霧してシラミを退治する。古く1873年頃に開発された殺虫剤らしい。現在日本では使用されていない。

PCB(ポリ塩化ビフェニル) 変圧器やコンデンサ等の電気設備機器に大量に使われた。冷却効果と絶縁性に優れた化学物質である。大気汚染、温暖化に影響があり、使用が中止されていると思う。

アスベスト(石綿) 天然の石綿がその繊維は建築材料として優れている為、建築の壁材として多く利用された。しかし現在は人の呼吸で吸い込み、中皮腫等の人体への危険材料として使用中止となっている。廃材の処理に困難もある。

有機水銀(水俣病) 化学処理工場からの排水に有機水銀が含まれていた。魚貝類に広がり、魚を食べて人が神経麻痺を来たし多くの被害者が出た。水銀は体温計などにも多く使われた液体と言う特別な特性の金属元素である。蛍光灯にも発光効率を高める水銀蒸気として使われている。現在徐々に水銀は使用が制限されてはいる。

プラスチック 2018年6月G7 シャルルボワ・サミットで「海洋プラスチック憲章」が採択され、英・仏・独・伊・加・EUが署名した。しかし、残念なことに日本と米国は署名を拒否したと新聞にあった。今日の国会開会に際して、首相演説で海洋プラスチックのごみ対策に取り組むと述べた。また今年の6月日本でG20がある。しきりに海洋プラスチックごみ対策を議題にすると総理大臣は述べている。しかし、何故シャルル・サミットでの憲章に署名しなかったのかとても不思議な事だ。科学の『電荷』の不思議と同じ。

核爆弾 これは一体どのような意味で捉えれば良いか最大の人類の謎である。決しれ世界平和にも世界の進歩にも何の貢献もしない。人類の地球汚染と人間性否定そして疑心暗鬼の恐怖の科学技術である。それが大手を振って世界に君臨している。人殺しの最悪兵器だ。それを推進する国家指導者を選ぶ世界が未来の希望を消している。

原子力発電 地球は制御不能な科学技術設備の巨大システムが原子力制御であることを知っている。人の意識の制御可能な領域を超えたところにあることを既に何度も警告して来た筈だ。それでも欲望には勝てない人の思惑に流されて政治権力が蠢く。

悪口雑言お許し願います。

木賊(トクサ)と水

羊歯(シダ) 特異な植物の部類になろうシダやコケ類。シダは図鑑に依れば、琉球列島には8mを超すものも有るとあり、八丈島には茎丈4mの物があると。羊歯やコケは温暖で湿原地帯がその生育に適しているのだろう。何か地球の原始の姿がそれらの植物と連想して頭に浮かんでしまう。巨樹の化石が地球の原始世界を作って来たと考える。この水の星・地球は太陽と植物が創造したと考えて良かろう。山の木霊に関連した話。植物はどのような物理現象として水を揚水するか。ポンプがある訳でないのに、100メートルの高い木にも先端まで水を運ぶ。木賊は特別に水を多く体内に蓄えている。節がその水貯蔵に大きな機能を成していると考える。

木賊 庭に木賊が生えている。

木賊 土筆やスギナに似た節が特徴の植物だ。植物の図鑑では羊歯の類に分類されているようだ。少しシダ類とは違うかもしれない。シダ植物の茎の断面と異なるようだから。よく活け花の素材になるのかもしれない。

トクサ断面

 

トクサ寸法と特徴 シダと違って断面は中空である。周りが20個の細管で構成支持された植物だ。生えた茎を切断すると、中には水が充満している。表面の細管も水が満ちているようだ。緑色の茎は結構堅いざらざらした感触であり、支えるに十分な強さを兼ねている。この木賊もシダ植物も地球の古生代、原始の頃に繁茂した植物群のように思える。水の星地球、水を生みだした創造主は植物でなければならなかった筈だ。

トクサ磨き トクサでの汚れ磨きのことで、表面はサンドペーパーのようにザラザラしている。魚焼き器の網皿の油汚れを擦って見た。十分の強さでトクサは破れることもなく、よく磨けた。トクサの水については、切り取って1日放置すると節の間の水はすべて消えてしまう。表面から蒸散してしまうのだろう。実に興味深い特性の植物だ。節の間には大量の水が蓄えられている。あくまでも予想ではあるが、その水は地中から吸い上げた水ではなくて、トクサが生み出した水であろうと思う。この地球星にははじめから水があった訳ではないのだ。古代から地球表面から宇宙に放射される水も含めて、すべてこの星の活動の結果として水が蓄えられたのだ。それは植物しか他には考えられない。古代の巨樹がこの地球上に繁茂していた頃には、相当の温暖で湿度の高い環境と考えたい。3000mを超える高さまでも羊歯やコケの植物群の支配域であったと。トクサと水に思いを掛けてみた。山の木霊から連想してしまう。

エネルギーの象形

エネルギーが世界 自然世界はすべてエネルギーから構成されている。そこにはエネルギーの姿容が表象されている。エネルギーは見えないが、その表れる象形は自然世界として眼前に広がる。

エネルギー像 

実在

不可視の物理量

それが エネルギー

質量

それはエネルギーの

艶姿

エネルギーはどんなものも見えない。しかし世界はその実在によってこそ存在し得る。質量はエネルギーが現れた姿である。エネルギーと質量の等価則が意味することがそのことである。質量はエネルギーになって見えなくもなるし、エネルギーが局所化して質量として眼の前に表れもする。光は光である限りそのエネルギーを見ることはできない。しかし吸収されればその空間で変換されて姿容を現し、見える質量になる。

 

秋空の下に

久しぶりの秋の青空。

スナップ写真を。

紫蘇の葉に居た。まだ2,3年の娘雨蛙。カメラを10cm程に近付けてもじっと動かないで我慢している。雨蛙のメスはその動かない姿勢が悟りの境地に観える。近くでオスが鳴いている。殆どオスは姿を見せない。見付けても、すぐに藪に逃げて隠れる。オスは体型が細いから見分けられる。

住人の蜥蜴。

秋の花、花虎の尾。

数日前の蟷螂(カマキリ)も。鎌を伸ばした威嚇の姿勢。ピンぼけ写真で失礼。

 

いらっしゃい!文月の訪問者

時どき尋ねて来る。文月(フヅキ)の来訪。

羽黒トンボ 近所の水辺にすんでいる。番いを成しているようだ。一定のサイクルで翅を羽ばたかせる。黒と言う色はどんな光の業かと?身近なブラックホールだ。光を吸収して放射しなければ、黒色となる。消し壺と言う台所道具が昔あった。残り火の炭を消す壺。炭は光を取り込んで放射しない。光はエネルギーだ。ハグロトンボは一定の間隔で羽を広げる。光を吸収すれば、それは熱に成る。熱放射の団扇動作かと想像した。胴体は緑色だ。黒色で際立つ生命に拍手。

静の姿。

誰も尋ねて来る人も居ない。慰めに来たのかと写真に収める。

夏の景色と光

暑い陽射しの中に。

佛相華(ハイビスカス)、富貴草(フッキソウ)、紫蘇。強い日差しの中に咲く。この鮮やかな彩りに感嘆。光に色がある訳ではない。この緑色と赤。同じ陽射しの光を受けて、その輝く色が違う不思議。緑は葉緑素の色素の色と簡単に解説される。光の波長は変化する筈だ。こんな景色にも解き明かせない自然の姿がいっぱいだ。地球の生命よ永遠に有って欲しい。

色素とColor cell 物には色彩がある。光には色彩は無い。すべての光がエネルギーの空間分布である。その分布波長が様々なだけである。色彩は光を受けた人がその光の波長の組み合わせを識別して、色彩を独自の人の神経機関の創りだす結果として評価しているだけである。同じ光を受け取っても、人と動物あるいは虫の認識する色彩が同じ訳ではないだろう。人の比視感度曲線を考えても分かろう。色彩豊かな揚羽蝶の翅の色は光と色彩の関係を考える例になろう。翅に当たった光は翅の織りなす空間構造内で波長変換して再び放射されるのである。その波長変換する空間を Color cell と名付けた。絵を描く絵具がある。絵の具には独特の色合いがある。その色を色素と解釈するのだろう。光に色がある訳ではないのに、絵具の色を反映する光はどのような意味を持っていると考えれば良いだろうか。色素とか物の色とかは光の物理現象としてどう理解すれば良いだろうか。光とその共振する空間構造との関係で色彩が決まると解釈する。絵の具の分子構造が光の波長変換により色を演出する。

水辺の散策

水は風を生む 地球と言う生命の星。そこに繰り広げられる自然の営み。科学と言う解釈で読み解こうとしてもなかなか得心に至らない。科学には科学特有な法則という基準になる解釈法がある。気体分子運動論も現代物理学における解釈基準の一つであろう。分子質量が基礎概念となっている。『熱エネルギー』という実在物理量は存在しないと解釈するのだろうか。分子の運動エネルギーに因って温度や熱を解釈する手法が科学常識になっているように思える。地球の生命を支える水がある。水は常温で水の液体にも水蒸気の気体にもなる。産業革命の原動力となった蒸気機関がある。蒸気機関車という鉄の塊を動かす動力は水蒸気の力だ。この地上で、水蒸気に変わる動力を生み出す気体があるだろうか。他に水蒸気のような働きをする気体分子があるだろうか。水という気体分子が水蒸気である。光が特別な存在であるに匹敵する特別な存在が水・水蒸気である。

水は風を生む 水は地球を力で支配している。熱というエネルギーを力の基に変えてしまう。水蒸気という気体分子は特別の任務を天から授かった存在なのであろう。地球は海の水で支えられている。風にその本性が隠されている。

水を思って来た その過去記事を拾ってみた。

水に思いを  伝統的科学論には程遠い、巷の井戸端会議で話題にして楽しむような話かもしれない。『電荷』の存在に疑問を持ち、『温度』とは何かと不図思い付くに任せている内に、『光』は振動等している物理量でないと確信するに至ってしまった。こんな伝統的科学論や概念を理解できないで、勝手に反科学論のような道に彷徨いこんでしまった。実験室で取り扱わなくても、日頃の身の回りに繰り広げられる自然現象の中で「水」に思いを寄り添わせて観るだけで、抱え切れない不思議が詰まっている事を知った。水の妖精七変化(エネルギー) (2017/11/03) に纏めても見た。

ひとり思案の中の風

学術研究の能力も無く、科学常識、世間からかけ離れてしまった水辺に吹く風の匂い。

世界は不思議

地球と言う生命の星。科学的思考で理解しようと考えても無理な事がある。人間と結ぶ絆の世界がある。これは『詩心 乗せて観世の・・』第百五号 嬉しい「スズメの恩返し」2001年8月の記事が基になっている。おそらく多くの人はこの記事の話を信じられないだろう。ある本をある理由で、嬉しくて読んでいると、上の記事のスズメとの不思議な思い出が突然頭に浮かんできた。何故そんな過去の話が思い出されたかも、その連想の訳も分からない。この連想という事実も不思議であるが、それ以上に雀との稲穂の事件が不思議でならない。味の落ちて食べられない古米が2キロほどあった。それを毎日庭に撒いて、雀に与えた。近所迷惑な、悪い事をしたと今は恥入っている。3月頃から7月まで長い間の餌やりであった。雀は、何家族も集団で仲良くえさを食べる。一番いの親が年に2回以上子育てをするようだ。時たま、ヒヨドリも来て雀との間の事件もある。雀が人になついて人の手から餌を取るという事がある事も、テレビで知ったが、自分にはそれは出来なかった。7月になると、雀はピタッとある日から来なくなる。それからしばらくした秋の晴れた日、開け放してあった小屋の床に籾殻が落ちていた。ただそれだけの話でしかない。しかし、もみ殻を誰も持ち込まない。そこに持ち込まれた籾殻を風が運んだとも考えられない。謎は謎のままである。『雀の恩返し』と捉えたら、自然世界の科学的認識には組み入れられない話になる。以上夢のお話でした。