カテゴリー別アーカイブ: 自然

自然を親カテゴリーに追加

負の科学技術と未来

負の科学技術 人の歴史を振り返れば、分からない事ばかりであるようだ。人の歴史と言っても、人が猿から枝分かれしたと学説にはある。そんな学説も信じられない。進化することは確かである。では猿が人より劣っているとどのように説明するのか。何処で進化した人と進化しない猿が枝分かれしたのか。その訳は何だと説明するのか。蝶や雨蛙が何故人より劣っていると言えるのか。猿は猿で人は人でそれぞれ異なった進化を遂げて来た筈だ。強いものが優れているとは限らない。海から地上に上がった時の人の姿はどのような形であったと考えるのか。何億、何十億年の地球の生命の歴史など簡単に分かる訳が無い。地球は人の為にあるのではない。すべての生命の生きる地球なのだ。地球も人の生命に関わりなく地球中心核の燃焼の為に地殻をひっくり返して生物に災害をもたらす。地震や地殻変動は地球の生きた活動だ。飛びぬけて地球の自然に逆らってきたのが人である。特に産業革命と言う時節から、科学技術の魅力に人が夢中になって、その恩恵を享受してきた。自然に手を加える術のパンドラの箱を開けてしまった。元素・原子と言う世界を操る途轍もない方法を手に入れた。それが科学技術だ。今最大の困難に人自身が翻弄されている。自分で辿って来た革新と言う世界の未来を夢見て。人が人を権力で殺害する為の兵器、原子爆弾の製造競争から抜け出せない惨めな人間性に翻弄されている。プラスチック塵の処理に悩みながらも、決してその商売の利益競争の戦いからプラスチックスを手放せないジレンマに未来に向けた人間性が問われている。地球温暖化を食い止める手立ての基本は、エネルギー消費量の抑制以外は無いのだ。しかし経済競争の人の欲望には逆らえない性に翻弄される未来が見える。

DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン) 敗戦後の日本の至る所で展開された「シラミ退治」の風景を思い出す。体中にDDTを噴霧してシラミを退治する。古く1873年頃に開発された殺虫剤らしい。現在日本では使用されていない。

PCB(ポリ塩化ビフェニル) 変圧器やコンデンサ等の電気設備機器に大量に使われた。冷却効果と絶縁性に優れた化学物質である。大気汚染、温暖化に影響があり、使用が中止されていると思う。

アスベスト(石綿) 天然の石綿がその繊維は建築材料として優れている為、建築の壁材として多く利用された。しかし現在は人の呼吸で吸い込み、中皮腫等の人体への危険材料として使用中止となっている。廃材の処理に困難もある。

有機水銀(水俣病) 化学処理工場からの排水に有機水銀が含まれていた。魚貝類に広がり、魚を食べて人が神経麻痺を来たし多くの被害者が出た。水銀は体温計などにも多く使われた液体と言う特別な特性の金属元素である。蛍光灯にも発光効率を高める水銀蒸気として使われている。現在徐々に水銀は使用が制限されてはいる。

プラスチック 2018年6月G7 シャルルボワ・サミットで「海洋プラスチック憲章」が採択され、英・仏・独・伊・加・EUが署名した。しかし、残念なことに日本と米国は署名を拒否したと新聞にあった。今日の国会開会に際して、首相演説で海洋プラスチックのごみ対策に取り組むと述べた。また今年の6月日本でG20がある。しきりに海洋プラスチックごみ対策を議題にすると総理大臣は述べている。しかし、何故シャルル・サミットでの憲章に署名しなかったのかとても不思議な事だ。科学の『電荷』の不思議と同じ。

核爆弾 これは一体どのような意味で捉えれば良いか最大の人類の謎である。決しれ世界平和にも世界の進歩にも何の貢献もしない。人類の地球汚染と人間性否定そして疑心暗鬼の恐怖の科学技術である。それが大手を振って世界に君臨している。人殺しの最悪兵器だ。それを推進する国家指導者を選ぶ世界が未来の希望を消している。

原子力発電 地球は制御不能な科学技術設備の巨大システムが原子力制御であることを知っている。人の意識の制御可能な領域を超えたところにあることを既に何度も警告して来た筈だ。それでも欲望には勝てない人の思惑に流されて政治権力が蠢く。

悪口雑言お許し願います。

和の趣き(2018年報告)

不立文字と言う東洋哲学の用語がある。筆者はその言葉の意味を、自然世界の事象を極めんとして深く学べば、常識的な言葉で表現出来なくなるという意味で捉えている。新しい科学的発見と言う意味で世界に新しい認識を広げる事と真逆の方向性、即ち今までの常識的解釈で認識していた世界の意味を深く突き詰める事によって矛盾が観えて来て、今までの常識的認識は真理から離れた上辺の捉え方で在ったと気付くことを表現した言葉のように思う。だから常識的な科学的専門用語が使えなくなってしまい、常識的な科学論が出来なくなる窮地に陥ることを指している言葉のようだ。電気磁気学を解釈するに「電荷」の必要が無くなってしまった。自然科学を論説するに科学常識となっている原子とその構造は誰もが納得し信頼する基礎概念であった筈であるが、電荷を否定したら、何を基礎として自然現象を解釈すれば良いか分からない窮地に陥ることとなる。当然電界も磁界も使えなくなる。それが自然世界を深く理解する結果の到達点で、いわゆる不立文字が表現する状態の意味になる。インドに生まれた東洋思想・東洋哲学の眞髄は解釈の矛盾を突き詰めて、削ぎ落しによる中心にある真理を悟ることにあるのだろうと考える。残るものは『エネルギー』一つになる。それは光であり、熱であり、結局質量である。すべては「色即是空」の見えるもの又見えないものと変幻自在に変化する認識量が『色』であり、見えたと思えば見えなくなる『空』でもあるという意味ではないか。そんな解釈論は自然科学の実証・検証による論理性が成り立たない話となってしまう。それが不立文字と言う事であろう。2018年の投稿記事をまとめてみれば、『エネルギー』の意味を尋ね歩いただけのようである。それでも自然科学論の心算である。『エネルギー』の空間分布構造を実験的検証で示すのが理想の科学的手法であることを突きつけられれば、記した記事の内容は空間エネルギー分布を測定していないから科学論でなく哲学となるかもしれない。(2019/02/01)追記。少し気が引ける思いである。標題の『和の趣き』で、ある出版社の本やお酒の名前に使われていることを知った。御免ね。(2019/02/02)追記。『不立文字』は昭和62年9月1日に始まったのかもしれない。電流は流れず の決断を自分に課したのがその年の8月であった。標題の『和』は総和で無く、東洋的という意味合いだ。

4月2日 哲学と科学 ここには『正の電荷』を誰が発見し、どのような場面でその存在が観測・証明できるのか。を問う事を記した。電子と言う負の電荷は陰極線として観察されている。しかし、正の電荷はどんな場面で観測されるのか。

生物とエネルギー 1月4日 体温とエネルギー 1月5日 生命と酸素 12月16日 生命活動とエネルギー 

原始・電子・エネルギー 原子・分子結合力と周回軌道電子論の矛盾(1月9日) 半導体とバンド理論を尋ねて(5月14日) エネルギーから電子殻を問う(5月21日) 電池における電子の役割を問う(5月24日) エネルギーと結合(10月10日) 結合エネルギー:不思議の砦(12月2日) エネルギーの象形(12月5日)

電気現象と技術・エネルギー 白熱電球のエネルギー変換原理は?(2月12日) 電気回路要素『抵抗』の物理的意味(2月24日) 『瞬時電力』の物理的意味 (3月15日)技術概念『電流』とその測定(9月24日) 瞬時電磁界と概念(10月23日) エネルギー その見えざる正体(11月6日)

地球の景色 青空と白い雲(1月18日) 太陽系はどのような力学によってその位置に存在するのか?(3月28日) 津波と圧力水頭(5月1日) フェーン現象(6月17日) 波の心を観る(11月14日) 山の木霊(12月20日)

哲学・光・エネルギー 光の正体(1月25日) エネルギーの速度(4月2日) 非力学的エネルギー(4月10日) 世界は不思議(5月6日) 焚火の科学(5月26日) 水辺の散策(6月16日) プランク定数の概念(7月17日) 世界の実在物理量エネルギー(7月26日) 運動エネルギーの概念(9月15日)

地学ガイド 新潟の自然に感応して

この素晴らしい写真資料に触れて

地学ガイドとして残して下さったことに感謝する。それぞれに解釈は異なっても良い。そこに写された写真資料はすべて地球の生きた歴史と証を物語っている。それぞれにその地球の姿を自分の心に写し取って解釈すれば良いと思う。そんな意味から自由に勝手に解釈する楽しみを試みたい。
地球の謎(岩石、原油、土、水、塩)
山と岩石と土と水と塩の歴史の謎を心に留めながら地球の来し方を描きたい。今年最初のNHKの番組で、チコちゃんが地球の自転を話題にしていた。太陽系の全ての星が偶然で同じ方向の自転と公転をする筈はないと思うのだが。偶然という理屈では、何故すべての惑星が同じ方向に公転するのかの理由は何か?と問わなければならない。それも偶然として説明出来るのだろうか。専門家の解説を理解する能力が無くて悩む。それはそれとして、海底が深さ1万m以上になった訳は何だろうか。山岳の峰の高さより、海底の深さの方がより地球の活動の意味を秘めているように感じる。もし海底が深くなかったら海はどんな姿であったか。土は何から出来たのだろうか。石油はどのような動物の化石なんだろうか。何故地下に動物の化石資源が在るのだろうか。地球の直径はどのような変遷を経て来たのだろうか。そんな謎がすべて絡み合って解明されなければ本当の事など分かり様がない。地学の解釈理論に巨樹の化石の解釈が見えない。石や岩石は何から出来たと解釈するのだろうか。塩を創り出す海に動物でも居たのだろうか。岩塩も海水が蒸発した結果と考えたい。魚介類が動物の起源であるならば、海水の塩分濃度が生存環境の必須条件の筈だから。母体の羊水も生命誕生、生育、保全環境としての役割を持っている。塩の創造主が何かは最大の謎の一つとして挙げて良かろう。エネルギー地下資源の原油の生成過程も地球の歴史を理解するに欠かせない視点であろう。何故地下深くに存在するか。湖の湖底に何故泉が出来るか、その水はどこから来るか。雪解け水や雨水だけでは理解しかねる。地下で海と繋がっているのではないかと空想となる。それも巨樹の関わりとして。

島は巨樹の化石

佐渡島の尖閣湾や二ツ亀、小佐渡の小城町、白木の神小岩を見れば、巨樹の姿に見える(p.66~71,p.88)。勿論地球核からの噴火現象との関わりで形成された姿を留めている筈ではある。それは富士山にも言える筈だ。巻町越後七浦海岸(p.72)。岩船郡山北町の笹川流れの島と海岸(p.85)。さらに粟島浦村全体も巨樹の化石と観る(p.87)。県外では、福岡県の世界遺産に登録された沖の島も巨樹の化石で、人々が集い祭る神の島として相応しいのだろう。石の囁き 聞こえますかから、地球と巨樹の関係が益々濃密になって来る。

下田村の八木鼻(p.203) 説明には、“角閃石を含む石英安山岩でできていて、五十嵐川の浸食によりけずられ、切り立った岩壁になった。”とある。しかしこれも柱状節理に似た縦筋の岩壁で、川の流れで削られたとは思えない。巨木の化石と解釈した方が納得し易い。

海と魚介類の化石

小千谷市に塩殿という地名の場所がある。塩殿と言う名がどのような意味から付いたかと、その地名を知った時からとても気掛かりになっていた。小千谷市と十日町市(中魚沼郡)との道筋にある。今の信濃川の水面からはとても高い位置にある。「塩」は海の産物であるから、その地が岩塩でも産しない限り、近くの海から運んだとしか考えられなかった。その塩を取り仕切る地主が居てその者を殿と言ったかと解釈していた。しかし、このガイドブックを見て驚いた。p.138以降に、4 丘陵に産する化石と題して、多くの化石が示されている。長岡市滝谷に産した化石群、中でも中里村産のヒシナイイワシの化石(p.141)は謎の深さを膨らませてくれる。岩手県立博物館だより2015.9 No.146 にもヒシナイイワシの化石の話が載っている。新潟県中里村は清津峡、長野県境に近い信濃川上流である。そこが海のイワシの生息地であったとは、地球全体の海の状況が想像をはるかに超えた高度に広がっていたとしか考えられない。エベレスト山脈の麓のアンモナイトの化石や世界の岩塩あるは小千谷市の地名塩殿の意味とが海の姿の認識を変えるものであるかと想像を膨らませてしまう。

関連記事をまとめておく。岩石や地層は学問領域としては地学になるものであろう。新潟県六日町の巨木館を訪れてから、木の放つ何かに圧倒された。その後、石の囁き ・・の記事にある庭石の化石化した木に遭遇した。今地球の歴史に巨樹と石の関係を無視して考えることは学術的に無理だとの思いになってしまった。植物がなければ、海のプランクトンもなく、魚介類も存在しない。巨樹、巨木が如何に地球の成長と変成に欠かせない生命であったかを考える。生物学、物理学、地学あるいは化学がそれぞれ別の学問分野として独立した研究対象では未来を語れないように思う。電気工学の分野から、顰蹙を買いそうな日本雨蛙や光量子の空間概念、更に岩石にまで興味の赴くままに我儘に死んで来た。 紹介に書いたように何の結果も示されず、得られず誠に皆さんには申し訳ない。ただ、『静電界は磁界を伴う』の物理学の根本概念『電荷』の存在否定への説明責任だけは自己満足ながら貫いた。電力工学の学術分野での論説は困難であった『電荷』否定は間違いでなかった。

石の囁き 聞こえますか(2011/07/23) 化石と硯(2011/09/30) 石に宿る古代神の面影(2014/11/17) 佐渡赤玉石に連想(2014/11/20) 庭に石器か?(2014/12/10) 笠堀ダムと土器(2014/12/16) 八海山岩峰の起源?(2015/09/07 なお、八海と言う意味の由来を地元の役場に尋ねた記録がこの地学ガイドに紙片で残っていた) 柱状節理とは何か(2015/12/23) 富士の霊峰を仰ぐ(2017/11/14) 山の木霊(2018/12/20)

 

 

 

 

独楽の心

(2019/01/23)追記。ジャイロスコープの実験。

ジャイロ独楽 約32g弱の独楽。ひょっとしたら、エネルギー分の質量増加になっているかも知れない。

デジタル計測 0.1g刻みなら良いのだが、研究環境が無い哀しさ。記事末に述べた結論の『謎ときの予想 軽くなる』は確認できなかった。最初にこの実験を思い付いたのは『エネルギー・質量等価則』から質量に回転エネルギーが加算されるのではないかとの思いからであった。重くなるの結論にも至らない。(2019/02/08)追記。計りに掛る重量変化は花一匁の心の重さに等しく、計測できない事ぐらいははじめから分かっているが、自然の心を読む科学意識の問題として取り上げた。回転エネルギーを光速度の2乗で割った値を計測できない事ぐらいは誰もが知っていよう。

独楽の秘め心 その立ち居振る舞いに世界の謎が見える。謎を秘めて立っている。解らない疑問が世界の謎である。疑問が自然科学の理解への第一歩。解らないこと、不思議と思うこと、そこに心を寄せることが科学の基礎研究の姿と。

独楽は一筋 独楽は 一心に生きる 心は 不動の一筋。独楽は何故回り続けるか。独楽の全てを支えるのは不動の一筋の心だ。その心は回転もしない不動の無である。その心に対して決して重量が対称ではあり得ない。非対称性が大きければ不動の心にはならない。僅かの非対称性は殆ど影響なしに独楽は廻る。独楽の特性を科学的に論考してみようと考えた。しかしそこには謎が多過ぎる。解き明かせずに、独楽の心が重く圧し掛かる。

独楽の心を推し量る

 独楽の重量                                                                  独楽は物理的特性で際立つ評価係数に、慣性モーメントをもっている。その次元は[kg]のIまたはJで表される。慣性モーメントはその剛体の或る回転軸に対して、どのような回転角速度による回転エネルギーの貯蔵特性を持つかを示す回転体の特性を表した係数値であると言えよう。ジャイロコンパスや独楽はその代表的なものと言えよう。また、地球や太陽系銀河もそのような一つの形態と看做されるかもしれない。

独楽の謎 独楽の重量を計りたい。全く経済効果のないという観点から、役にも立たない無駄な研究と言われそうだ。しかし役に立ちそうもないが故に、それが基礎研究と言うものと思う。結果が予測出来ない、何時完成するか予測が出来ないから、隠れて愚かさと笑いを噛みしめながら、コッソリするような研究になろう。独楽を計りに乗せてその重量は計れる。難しいのは、独楽を回して回転ゴマの重量を計ったらどのような結果になるか。と言う奇想天外な計測実験である。『エネルギーと質量の等価性』と言う世界の科学認識がある。独楽の回転体は質量の他に回転エネルギーをも内蔵した物体である。さて、その合計の重量はどのような値と解釈すれば良かろうか。と言う一つの命題が生まれる。見えないエネルギーの意味をどのように観るかの世界認識の謎に思える。それは太陽系の重量が有るのか無いのかにも繋がる謎でもあろう。独楽の回転エネルギーEは慣性能率をI[m^2^kg]とすれば、

E=(1/2)Iω^2^ [J]

と言う値で科学的に認識される。この意味は運動力学の常識的質量に関わるエネルギー量である。さて、そのエネルギーと言う物理量はどのような実在量なのか。誰もがエネルギーと言う用語は良く知っていよう。化石燃料や灯油、炭など火の発熱体更に太陽光や水力等の発電用自然現象を思うだろう。しかし、エネルギーの姿を空間像で認識しているのでしょうか。エネルギーが実在するという意味は、それは必ず空間の体積を占めている筈で、エネルギーの空間像を描けなければ本当に分かるとは言えないのではないか。炭火を起こせば、発熱して熱エネルギーを放射する。その熱エネルギーは炭から空間に放射されるエネルギーと言う用語で表現される、質量に無関係の光のエネルギーなのである。しかし、元は炭と言う質量体と気体の酸素の化学反応として生まれた質量・エネルギー変換現象なのである。酸素原子と炭素原子とが燃焼により熱エネルギーに変換された前後でその質量の減少と言う変化がなければ、質量とエネルギーの等価則は成り立たない筈だ。物理と化学の理科教育に於いてエネルギーとは何かを認識すべき要として捉えるべきである。その意味での独楽の回転エネルギーはどのような実在量と認識すべきかの命題と言うことになろう。独楽の回転速度とその独楽の重量の関係はどう理解すべきか。重くなるか軽くなるかの答えが欲しい。

謎解きの予想 軽くなる。独楽の質量に回転エネルギーが付加されるから、質量・エネルギー変換等価則から解釈すれば、当然等価質量は増加すると考えるべきだろう。従って回転ゴマの重量も重い計測結果になると考えたいのが普通であろう。結果が軽くなるとすれば、回転と言う現象の持つ意味が改めて謎になる。機械的エネルギー貯蔵用のフライホイールの軸荷重の問題で、既に答は得られているかも知れない。また、北半球か南半球かでの荷重に回転方向の右向き左向きが影響するのかどうかに判断の難しい面が残る。

“軽くなる”その心は。独楽の質量に乗った、独楽空間の回転エネルギー流の単位面積密度ベクトルw[J/m^2^ s]の微分計算 rot(w/v)[N/m^3^] の軸性浮揚力(単位体積当たりの上向き力)に託して。回転角速度ベクトルω[rad/s]を回転軸ベクトルとする。 v= |v| =| [ω×r]| [m/s] は独楽の空間座標点ベクトルrの質点回転速度ベクトルvのスカラー量を意味する。竜巻の上昇気流の定常力(時間微分の過渡状態は含まない)に同じ。新しい年を迎えて思えば、ボーと生きる以外に方策のないまま時が過ぎた

(2019/01/09)追記。回転瞬時速度ベクトルv [m/s]とはどのような意味か?考えたら「ボー」としていたようで、どう確定するか分からない。1秒間じゃベクトル方向の意味を成さないから。1[μs]でも長すぎる。自動運転車が道路上に猫が倒れていたらどうするか?道路に少し陥没が有ったらどう速度調節して運転するか?「ボー」と速度を考えて記事にしていたようで誠に難しいと知った。

木賊(トクサ)と水

羊歯(シダ) 特異な植物の部類になろうシダやコケ類。シダは図鑑に依れば、琉球列島には8mを超すものも有るとあり、八丈島には茎丈4mの物があると。羊歯やコケは温暖で湿原地帯がその生育に適しているのだろう。何か地球の原始の姿がそれらの植物と連想して頭に浮かんでしまう。巨樹の化石が地球の原始世界を作って来たと考える。この水の星・地球は太陽と植物が創造したと考えて良かろう。山の木霊に関連した話。植物はどのような物理現象として水を揚水するか。ポンプがある訳でないのに、100メートルの高い木にも先端まで水を運ぶ。木賊は特別に水を多く体内に蓄えている。節がその水貯蔵に大きな機能を成していると考える。

木賊 庭に木賊が生えている。

木賊 土筆やスギナに似た節が特徴の植物だ。植物の図鑑では羊歯の類に分類されているようだ。少しシダ類とは違うかもしれない。シダ植物の茎の断面と異なるようだから。よく活け花の素材になるのかもしれない。

トクサ断面

 

トクサ寸法と特徴 シダと違って断面は中空である。周りが20個の細管で構成支持された植物だ。生えた茎を切断すると、中には水が充満している。表面の細管も水が満ちているようだ。緑色の茎は結構堅いざらざらした感触であり、支えるに十分な強さを兼ねている。この木賊もシダ植物も地球の古生代、原始の頃に繁茂した植物群のように思える。水の星地球、水を生みだした創造主は植物でなければならなかった筈だ。

トクサ磨き トクサでの汚れ磨きのことで、表面はサンドペーパーのようにザラザラしている。魚焼き器の網皿の油汚れを擦って見た。十分の強さでトクサは破れることもなく、よく磨けた。トクサの水については、切り取って1日放置すると節の間の水はすべて消えてしまう。表面から蒸散してしまうのだろう。実に興味深い特性の植物だ。節の間には大量の水が蓄えられている。あくまでも予想ではあるが、その水は地中から吸い上げた水ではなくて、トクサが生み出した水であろうと思う。この地球星にははじめから水があった訳ではないのだ。古代から地球表面から宇宙に放射される水も含めて、すべてこの星の活動の結果として水が蓄えられたのだ。それは植物しか他には考えられない。古代の巨樹がこの地球上に繁茂していた頃には、相当の温暖で湿度の高い環境と考えたい。3000mを超える高さまでも羊歯やコケの植物群の支配域であったと。トクサと水に思いを掛けてみた。山の木霊から連想してしまう。

山の木霊

木霊
山は何故そこに在るか。周りを見渡せば必ず山が見える。地球の歴史を秘めてそこに在る。昔懐かしい映画「シェーン」を思い出した。その主題歌は遥かなる山の呼び声であった。人が地上に生まれる前から山はあった。大型動物恐竜の世界もあった。その環境は恐竜が生息するに対応する巨樹の世界であった筈だ。その遥か昔の山の呼び声が今も人を呼んでいるのかもしれない。人はその山の意味を知らないだけのように思える。山には木霊(コダマ)が生きている。樹木の霊それが木霊だ。そんな思いが強くなる。やまびこ=山彦=山の神も同じ意味の言葉か。世界遺産の中に山が多くある。みんな人の心を引き付ける魅力を奏でている。

山よ

その威厳

遥かなる営み

伝えてよ

その遠き思いを

広く世界に

山の成り立ち

山はどのように出来たか。それは海底はどのように出来たかと同じ疑問でもあろうか。海の水がなければ、山の意味も全体像で確認できるかもしれない。きっと地球の誕生の昔の歴史を秘めた地球核暗黒の灼熱(光放射空間がなければ暗黒である)が語っているかも知れない。物理学の知見で熱(エネルギー)は温度の高いところから低い処に流れるということを知っている。地球の営みの根源は太陽と地球核のエネルギーが握っている。太陽系の全体の回転エネルギー流もその役割を担っていよう。山には火山もあれば火山でないものもある。火山は中心核からの燃焼物の排出現象と観る。地殻変動は新たな核への熱源燃料の供給の地球の営みであろう。火山でない山が何故在るか。その岩・岩石の姿が何を物語るか。やはり最大の謎、それはエベレストの最高峰であろう。学説は地殻変動・大陸の衝突で盛り上がったとの説が有力になっているようだ。その麓にはアンモナイトの化石が埋もれてもいる。それは海が盛り上がった結果としか考えられない。しかし、ヒマラヤ山脈にあるエベレスト山の岩石が地殻移動で盛り上がった結果の山とは信じられない。そのネパール側のサマルガータ国立公園はユネスコの世界遺産。チベット語でチョモランマとも。

世界遺産の山 世界遺産に登録されている多くの山が有る。火山でないものが多い。その山は何故出来たかみんな不思議だ。

(2019/01/18)追記。今日テレビの録画、NHKの“絶景 巨大石柱林~中国 張家界を鳥瞰す”を見た。それこそ巨樹の化石の姿ではないか。マチュピチュの水の不思議の謎とも繋がる。勝手な科学的根拠も無い感覚からの解釈ではあるが他に解釈のしようがない。

モン・サン・ミシェルとその湾(フランス、文化遺産):岩山の上に築かれた修道院・城。その基礎の岩山が何故出来たかの由来が不思議だ。

ドロミテの灯台(北イタリヤ世界遺産):ドロミテ渓谷にある3168mの山。アベラーウとモンテ・ペルモ。

モニュメント・バレー(アメリカ、ユタ州~アリゾナ州):先住民ナバオ族の聖地で、ジョン・ウエイン主演西部劇の舞台でも有名。巨木の化石でなくて他にどんな説明が出来るか。

マチュ・ピチュ村(ペルー共和国の複合遺産):標高2430mのインカ帝国の遺跡。村全体の風景を観察すれば、丁度それは巨木の中腹に創られた村に見える。その周辺の山も含めて全体が山脈を成しているようだ。その山群は火山性の山とは見えない。山肌を見れば如何にも柱状節理に見える。不思議の謎に水源が挙げられている。その謎ときの一つに巨樹の導水管が挙げられよう。何も導水路を作る訳ではない。今日その村の風景を写真で観察させてもらった。山の起源を巨樹の化石と解釈していたから、巨樹なら水を吸い上げる「導管」が有ると樹木の揚水機構にあることに繋がっただけではあるが。水には表面張力が有り。細い空間では自動的に上昇する揚水機構が有る。水に布を付ければ、水は重力に逆らって、少しは浸透して上昇するでしょう。何も導水路を工夫する訳でなくても。その水上昇現象の面全体での現象と看做せよう。山の水源はすべてその辺の現象に繋がっていると考えれば一つの安堵になる。水源は自然の神秘として置きたい。水源・導水路を確かめたくて、科学的調査で地下を掘ったら木霊の怒りに触れて、水は消えて二度と出なくなってしまう危険もあろう。大気圧がかかれば水を押し下げるだろうから。もう一点気付いた。この村の山には特徴が見える。日本の福井県にあるグミ島の形状に良く似ている。その大型の岩山に見える。

カナディアン・ロッキー山脈(カナダ自然公園群): 最高峰はロブソン山3954mである。どの山を見ても柱状節理の筋が見える。一体火山でないとしたらどのようにしてできた山であろうか。

グランド・キャニオン国立公園(アメリカ合衆国自然遺産): 余りにも壮大な自然景観に言葉を失う。巨木説を持って向かえば、如何にも地層の堆積層の証拠を突きつけられて後退りする。衆目の学説に異議は唱えられない。しかし、気掛かりだ。この壮大な堆積層の土はどこから運ばれてきたのか。地球が大きくなったのは太陽からの光線が基である。太陽光線が地球の質量を作って来たことに間違いはない。光を質量に変換するのは植物以外なかろう。この自然の中にも、何か巨木の化石と看做されるような風景も見える。地球の土も岩石も基本的には太陽光線が基で成長した巨木の化石以外考えられない。

スイス・アルプス、ユングフラウ‐アレッチュ(スイス自然遺産):

グレート・バリア・リーフ(オーストラリア連邦、自然遺産):

イエローストーン国立公園(アメリカ合衆国自然遺産):

ヨセミテ国立公園(アメリカ合衆国自然遺産):

巨木の化石と得心(2018/12/21) 昨夜の睡眠の途中で気付いたことがある。それはシダ植物。その思いを以下に記す。

今巨大な植物を想像しても、地下の石炭層からイメージを描くにも困難である。地球の寸法で、石炭層がその表面の大きさを推察する一つのヒントにはなるかも知れないが、その植物を想像することは無理である。しかも、巨木の化石として多く紹介されるものは不思議にも切株のように平坦な台地の形状である。巨人が切りだした訳でもないのに不思議な姿だ。今想像する植物群とは全く異なるものであった。それは節のあるシダ植物群しかなかろう。今見るその痕跡は土筆であり、スギナである。あるいは巨大なサボテンもあるかも知れない。早春を彩る道端の主役は小さなスギナである。早朝にその先端は滴り落ちそうな水の玉を湛えて迎えてくれる。水の創造主・巨大シダ植物が太陽光線から水を創り出してくれたとなるか?地球の秘密・謎がまた一つ増えた。永久に解けそうもない謎・疑問の宝物。柱状節理の形状には理解できなかった断層の節がある。シダ植物となればそれは解消して得心となった。新潟県秋山郷の断層の節がずっと考える脳の外界事象になっていた。石の囁きが木霊になって知らせてくれたかと。

残りの世界遺産の山についての記事は順次確認しながら気付きを記したい。関連記事石の囁き 聞こえますかが基になっている。

生命活動とエネルギー

(2019/02/05)追記。身体活動でどのように何処でエネルギーが使われるかが知りたい。こんな単純で、初歩的な疑問が日常生活に結びついた大切な科学になると思う。いわゆる学術的でない科学論だ。生化学は理解するにとても多くの基礎を学ばなければならない。8年間ほど全く中断していた水泳を身体機能維持のため少し再開した。1時間ほど泳ぐと、体重が800gほど減少した。汗や尿として何かが使われた筈だ。酸素を呼吸で取り入れ、何かを燃焼させたのであろう。食事を取って養分を肝臓や血液中に、また皮下、内蔵脂肪として蓄えているのだろう。身体活動では体中の筋肉細胞を働かせ、おそらく体脂肪を酸素で燃焼しているのだろう。炭酸ガスや水あるいは尿酸などとして細胞の窒素やカルボキシルキ(?)などを酸素で分解した結果身体体重の減少となったのだろうと考える。そんな科学論は学術研究の対象とするには経済性を伴うものでないから、殆ど見向きもされない事になるのだろう。だから教育の授業内容が学術の為の基礎訓練教育になって、いわゆる自然を説き明かす科学感覚の日常性とかけ離れたものになっているのだろうと考える。身体の筋肉の働きにエネルギーがどのように関わっているかは極めて日常的な科学論の筈である。科学リテラシ-が叫ばれるが、学術的でない日常生活感覚としての理科教育を目指すべきと考える。

合エネルギー 焚火の科学(2018/05/26)を書いた。その後に結合エネルギーの事を知った。高等学校の化学の内容で結合エネルギーの事項が詳しく取り上げられていることを。恥ずかしいことだが筆者の化学の知識には結合エネルギーは無かった。前の記事、結合エネルギー-不思議の砦-(2018/12/02)を先に纏めた。エネルギーの意味、物理学でのその概念が曖昧なことを電気磁気学を通して指摘し、見えないエネルギーの実相を論じてきた。やはり最後にもう一度身体活動のエネルギーについて、生物学ではどのように取上げているかを確認したかった。しかしその意味はATPのアデノシン三リン酸の結合エネルギーとしての解説で論じられ、如何にも曖昧な状態である。その解説を読んでも、どのように身体活動の筋肉細胞でエネルギーが仕事をすることに繋がるかの具体的なイメージが全く湧かない。それでは生物の活動エネルギーの意味が理解できない。生物学に無知の筆者の解釈としては、酸素による細胞内の栄養素分子分解で、炭酸ガスと水に分解されて活動エネルギーが得られると感覚的に感じる。酸素と水と炭酸ガスに繋がらない生物学の化学反応理論では残念ながら感覚的に理解に至らない。確かに分子結合・分子分解の仕組みを結合エネルギーで捉える解釈は大切であろう。ただ電磁気学の空間エネルギーの物理的認識から考えると、エネルギーそのものがどのように生命活動に関わっているかの解説がもっと論じられて良いと思う。脳でのエネルギー発信(電磁信号はエネルギー分布の縦波である)や筋肉の何にどのようにエネルギーが関わって生命活動、身体運動が行われているかの日常生活の基本的意味についての解説が全く見えない。生物学の科学理論で幾ら新しい知見が論じられても、おそらく高校生もATPのエネルギー論の解説では理解するのは無理であろう。NHK高校講座/生物基礎/生命活動を支える代謝に、筋肉収縮とATPの関係が実験で示されている。ATPを使い切るとADPになって筋肉は次に弛緩して伸びるのか。エネルギーとその筋肉との分子結合の仕組みの解説が欲しい。こんな疑問こそ自然科学の基礎理論研究の学生の原動力になるのであろう。 『疑問こそ理解への道標』。分かった事より何が分からないかの授業解説がより分かりやすいのではないか。疑問を沢山拾い集めよう。気付いたら過去にも同じ疑問を綴っていた。本記事の末尾に挙げた。やはり残されたエネルギー論の最後の関門は生物学になるかと思う。そんな思いで以下に蛇足を付け加える。

ATP 生物学のエネルギーはATPで論じられる。そのエネルギーはやはり物理学の命題であろう。エネルギーとは何か?との問いに答えられるのだろうか。朝、歯を磨きながら疑問に思う。歯磨き動作は心(脳機能)と身体活動の調和がとれた行為である。脳の指令と歯磨きの手の状態信号との付き合わせのフィードバック制御系統の調和が整えられていることで可能なことと思う。こんな単純な動作も基本的にはとても深い生命活動の神秘が隠されている筈だ。身体の情報とその伝達はすべて電磁エネルギー波が支配している筈だ。細胞体や骨格更に神経細胞すべてがその信号の伝達経路になっていると素人ながら考える。情報伝達はほぼ光速度で伝達されているだろう。手の動き一つもエネルギーを消費しなければ出来ない。それがエネルギー保存則の原理であろう。物理学のエネルギーが運動エネルギーと位置エネルギーではこの身体活動のエネルギー論には役立たない筈だ。生物学も物理学のエネルギー論に論拠を置いて解釈するから、明確なエネルギーのイメージ・機能が湧かないのではなかろうか。筆者には生命活動のエネルギー論にATPが中心になっている論理が理解できないので、その辺を専門家の方々に御説明いただければ有り難いという思いで疑問を披露している。

ATP 生命活動のエネルギー論はこのアデノシン三リン酸が中心になっている。リン酸の結合と解離でエネルギーの解説が完結しているようだ。図はこのATP周りの生物学の基礎が疑問符に埋もれた筆者の知識レベルを表した。末尾の記事(1)で取上げた図である。

神経細胞の機能 生体には生命活動を司る制御信号が有ろう。それは空間エネルギーの縦波の筈だ。自然は電気回路の電気エネルギー伝播も光伝播現象も基本は同じ原理・現象に基づいている筈だ。その根本はエネルギーが支配している。歯磨きで、どの歯に歯ブラシが当たり、手がどのように動いているかは脳が、その脳でも専門書に依れば特に小脳が、その状態を検知していると思う。その情報検出回路が神経細胞の主たる役割であろう。近光速度伝播速度の信号は神経細胞内を伝播するエネルギー波が担っている筈だ。電気制御回路のフィードバック回路がその神経細胞に当たると思う。

エネルギー論の課題と展望 『静電界は磁界を伴う』から始まった、電荷否定の非常識の科学へ歩む道を辿って来た。もう残念ながら「電荷」を拠り所とした科学論を信用出来ない処に来てしまった。エネルギーの実相を感覚的に感じることが自然を理解するに欠かせないと思う。そんな意味でエネルギーの解釈がそれぞれの学問の中にどのように的確に描写されているかを確認したいと思う。自分の身体活動はやはりエネルギーの仕事をする物理現象の一つであろうから、その学問を構成する基本を科学リテラシ-に照らして学びたいと思う。そこにはエネルギーを消費するという場合の、エネルギーの科学的意味合いが具体的に明確に認識されなければならないと思う。運動エネルギーと位置エネルギーでは全く論理的な解釈は示せないだろう。筋肉にエネルギーがどう働くかを知りたい。

記事(1)体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定して

過去の関連記事。2014年に筆者が生物学の基礎くらいは理解できないかと参考書などで学習した。しかし余りにも理解困難な壁であることを知らされた。筆者が疑問に思った事を綴ったものである。ただし(6)脳の機能と個性は自分ながら気に入ったものである。

(2)脳と生体制御の謎 (2014/03/21) (3)染色体と遺伝の仕組み (05/08)

(4)細胞分裂の意味を問う (04/18)  (5)生命の始まりと脳 (05/11)

(6)脳の機能と個性 (09/05)      (7)アミノさん(amino acid)を追って (11/06)

(8)ニューロン(Neuron)を尋ねて (11/13)

エネルギーの象形

エネルギーが世界 自然世界はすべてエネルギーから構成されている。そこにはエネルギーの姿容が表象されている。エネルギーは見えないが、その表れる象形は自然世界として眼前に広がる。

エネルギー像 

実在

不可視の物理量

それが エネルギー

質量

それはエネルギーの

艶姿

エネルギーはどんなものも見えない。しかし世界はその実在によってこそ存在し得る。質量はエネルギーが現れた姿である。エネルギーと質量の等価則が意味することがそのことである。質量はエネルギーになって見えなくもなるし、エネルギーが局所化して質量として眼の前に表れもする。光は光である限りそのエネルギーを見ることはできない。しかし吸収されればその空間で変換されて姿容を現し、見える質量になる。

 

結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

 

波の心を観る

波の象形

波の心

波に心がある訳じゃない。しかし、波の象を理解するには自分の思いを波に乗せて考えなければ、その象の意味を知ることはできないように思う。水力学の方程式に書き表すには、その水に働く自然の心を自分の心と合わせて、水の流れに乗って初めてできるように感じる。波の心と言ったが、もっと深い意味では水の心と言うべきかもしれない。水には二つの象があるようだ。海洋の流れは日本付近で黒潮や親潮などがある。この潮の流れは波とは違う。地球という器に入れた水の動きである。地球の自転が赤道付近の海洋との相対性によって生み出す現象と考える。世界の海洋の流れを見れば、大よそ見当がつくであろう。この潮流は自転する地球上に立って見れば、赤道付近の海洋の流れが地球の回転に付いて行けずに遅れる現象と観るべきだろう。地球の自転は海洋だけでなく貿易風や偏西風の気流にも同じ流れを作ると分かった(この貿易風は検索で今日意味を理解した)。その海洋の現象は波とは異なると解釈したい。ただ、この海洋の流れが海全体に様々な流れない波をも作りだしていると考えるべきだ。また、風が波を作り出すという解釈が多く見られる。それも一つの観方であろう。しかし地球という自転する天体から見れば、風という地上との相対運動の差も貿易風などの地球の自転との相対性で起きているとも見られよう。水の流れる潮流水の流れを伴わない波との二つの類型に区別したい。流れない水の波の代表例が津波の海洋伝播現象である。ここで取上げる海岸線での波も水が流れる波ではない。水が流れないで、上下運動をする波動が海岸に打ち寄せるのである。自然現象を理解するには、学校教育が重要な役割を成している。波についてどのように教えられたか。そんな意味も探ってみたい。

サーフィンと水力学

海岸で海底と陸の繋ぎの地形が急勾配だったり、緩やかであったりする。その形状はさまざまである。やってくる波が水深の変化の大きい勾配の或る程度急な場所ではその波の流れがせき止められる。そんな岸辺の水中の角度αに依って波が立ち上がりやすい海岸線がある。そこでは夏の風物にサーフィンが彩りを添える。その大波は独特の象形を描く。サーフボードを引き上げる水の力が働く。何故水が高く巻き上がるか?何故波の尖端が先に飛び出し、飛沫を作るか?こんな運動力学の物理の良い問題はなかなか無いのじゃなかろうか。物理学には水面波の力学が無いように思う。その訳は、物理学で水面の上下運動の解説にエネルギーの話が出て来ないからである。何故水面が上下運動をするかの力学的解釈が見えないのだ。その波の本源であるエネルギーを観ようとする心を失っているからとしか思えない。エネルギーは、決して運動エネルギーと位置エネルギーだけではないのだ。自然は見え難いエネルギーという自然の心を持っているとも言えよう。理科教育で、水面波がどのような原理で伝わるかを解説できていないようだ。「造波器」という器具を解説で使っている高校理科教育講座を見た事がある。何を教え、伝えようとしているのか滑稽に思えた。水面波の速度はどの程度か。何が伝わる速度なのか?速度の方向は縦波の速度方向である。造波器授業では到底波の心は分からない。葛飾北斎の神奈川沖浪裏の波こそサーフィンの力学を考える具体例と思う。

エネルギーの伝播

水中のエネルギー伝播を認識しなければ津波(海洋では水は流れず、上下運動をしているだけの現象の階段波伝播)の意味など分かる筈がない。造波器にはエネルギーは見えない。海水面に波が立てば、その波の本質は水中の深い所まで及んでいる。何が水中に隠されているかである。最近は大きな災害を暴風や竜巻によって受けることが多い。生活圏の気圧のエネルギーが基本に在る。海水面の標準大気圧1気圧1013[hPa]であれば、その1[㎡]に掛る圧力は101.3[kN]であり、その空間は101.3[kJ/㎥]のエネルギー密度空間である。台風は上空に巨大な吸引機を配置した時の状況と同じような気象現象である。空気の水蒸気密度、気流の速度、風向と地形そして近傍海水温度、気温、気圧等様々な条件で決まるエネルギーの流れが災害の規模を決める。水面の波の現象もエネルギーがその基本を決める。空間媒体中のエネルギーの流れが全ての波の基である。海底10000[m]に缶詰めを沈めたらどうなるだろうか。物理学のエネルギーの定義の意味で、缶詰を潰す仕事の圧力エネルギーという定義の適用例になろう。空間はエネルギー密度空間なのである。それも眼に見えないから分かり難いだけである。水が在ればその水中はエネルギー保存空間なのである。波はその水中エネルギーの縦波伝播現象なのである。波の形状もその断面は正確には正弦波とは異なる筈だ。伝播エネルギーが正弦波でなければならないという論理性が見えないから。津波については、エネルギーで見る世界-津波-(2011/03/27)や大津波の発生原因を探る(2011/04/11)、津波(tsunami)を解剖する(2012/02/12)等がある。

波の解剖実験

水による災害が生活に直接影響を及ぼすから、水力学の研究対象が水の流れる強さに向けられているのだろう。水流の研究は水路を流れる水が対象になっている。しかし自然現象としての波を考えれば、それは水が流れない水の上下運動の現象である。特にここで考える波は、水の流れを伴わない波の現象とその意味である。流れるもの即ち伝播するものはその水という媒体の空間に在るエネルギーなのである。海を眺めて波を見ても水が流れて来る訳ではない。岸辺の地形で、波が高く立ち上がる場所が在る。その現象を物理学で説明できなければならない筈だ。海岸の地形は水の底に在る勾配によって決まる。勾配の角度α[°]がどのように影響するかか解析の要であろう。波の解剖実験をするには水の流れない状態の波を発生する波源をどのように作るかが肝心なことになる。広さと長さと深さが必要になる。岸辺の勾配設定すると成れば尚更難しいことか。そんな事から、波を理解するには身体で感触を得るのが手っ取り早いかもしれない。水泳の種目にクロールがある。水を掻く手先を水の底深くに向けて掻く意識が水圧の高いエネルギー高密度で有利なのかとか。巨大津波の原因が海底の亀裂真空帯発生に在るなどは感覚的な自然現象の認識に負う事でもある。缶詰の潰れ現象からの想像でもある。岸辺の波の尖端の水飛沫が何故出来るか。岸に到達した水中のエネルギー密度が水深が浅くなるため、水中で保持できなくなるから、物理学のエネルギー概念の位置エネルギーとして高さで賄うため高く立ち上がるのである。さらに先端が水飛沫に飛び散るのは高さの位置エネルギーから運動エネルギーに一部の水がエネルギー変換して賄う結果の現象と看做す。すべてはエネルギー一つの水に描がく水の心模様である。数式表現はその得意な皆さんに願います。

波の解剖視点 水の流れない波を水力学として捉える視点を挙げてみた。

波の解剖視点 波は何故水面が上下振動をするか。ただ、それが波というものだ。では力学としては意味を成さないだろう。波源で水の上下振動が起こる。例えば物を投げ込んだ時。視点①その上下振動の周期を何が決めるか?視点②その振動の波の伝播速度を決める要因は何か?更に水面にはとても大きな圧力、大気圧101.3[kN/]が掛っている。視点③その圧力に抗して水を持ち上げる力の要因は何か?視点④水中の圧力分布模様はどのようか?などが不思議な波を理解する要点と観る。結局この圧力分布が水中のエネルギー分布になる。この水中の圧力のエネルギー分布がサーフィンの運動力学の要である。海岸の海底勾配が、到来する圧力エネルギーに対してどのように保存則に作用するかを考えれば、波の立ち上がりが見える筈だ。捉え難いもの、それはエネルギーが見えないものである事かも知れない。