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視界と光の科学(屈折)

はじめに(2020/02/11)
視界は人が見る光の世界である。すべての生き物はその命の保全を図るに周辺外界の安全を常に注意しなければならない。その感覚器官の中心に視界認識が有ろう。視界の意味を知るには光の物理現象を知る必要が有る。その上で更に、人や動物は水平二眼によって視界を構成認識しているという意味を考える必要が有ろう。そこには、上下と左右の視界構成の機能的意味の違いが有るように解釈する。それが次回の記事(視界論)になろう。その為の予備知識を整理しておきたい。

光の科学(物理特性) 光とは何か?と考えた時、思い浮かぶ現象・知識の基礎は次のようなもの(高校生の学習項目程度)になろう。しかしその解釈は物理学での教科書の内容とは同じくないかも知れない。あくまでも筆者の電気回路技術感覚を基にした『エネルギー』を基準にした解釈になる。光も空間エネルギーの振る舞いとして捉えたいから。科学実験で観測不可能な『エネルギー』であるところにその科学論としての認識の困難さが有ろうが。

①光は毎秒30万キロメートルもの超高速度で直進する。自然現象を理解することが大切である。光の速度を知ることで、さらに何故その速度なのかあるいは直進とはどの様な空間に対する意味なのかなどに疑問を抱くことが物理学の大切な視点と考える。それは哲学にもなろう。

②屈折現象が有る。空気と水、空気とガラス、空気と角膜などの境界面で、垂直でない角度で入射するとその媒体の特性によって屈折が起きる。それはその伝播空間媒体での光の速度が異なるからである。境界面に垂直で入射する光は屈折はしないが、入射媒体内で波長によっても速度は異なる。それが色収差あるいはプリズムの原因と考える。上のような意味が屈折現象の起きる原因の基と考える。

③望遠鏡、顕微鏡あるいはカメラなどはレンズの表面の曲率によって、主に空気との間の屈折現象を利用する光学機械・器具である。

④反射現象。光は鏡、放物面鏡あるいは水面などで反射する。木炭のような完全吸収体以外の物体はすべて反射体である。物が見えることはその対象が反射体であるからだ。確かに太陽光や焚火あるいはホタルの光は反射光ではない。それは質量のエネルギー変換(化学物質反応)光と見做してよかろう。それらの発光源からの光以外の視界に入る風景の万物はそれぞれの色彩と形を持っている。その景色の基になる光は同じ光でありながら、対象はそれぞれの色彩をもって反射光を放っている。

⑤電波と同じ特性である。パラボラアンテナでの反射現象は光と電波で全く同じである。

⑥光はエネルギーである。その現代物理学理論での表現は ε=hν [J]  である。プランク定数 h[Js] と振動数 ν[1/s =(Hz)]で評価した表現式である。しかし、光の実体は空間分布エネルギーの縦波と考える。光には教科書の解説のような振動などする物理的実体は何もないだろう。光のエネルギー量と振動数の概念を具体的に解説することが市民感覚と物理学理論との乖離をなくする大事な現代的課題と考える。

ここに挙げた6個ほどの認識について、そのような現象は何故起こるのだろうか?それらの現象の中で、今回は屈折について、その何故?について考えてみよう。

屈折とは?
屈折現象について物理学での解釈はホイヘンスの原理で成される。何故媒体が異なる境界面で屈折するのか。光の進行方向が曲がるのか?ホイヘンスの原理は良く分かり易い説明である。しかし、光の波長が違うとプリズムのように屈折角が何故違うのだろうか?ホイヘンスの原理で理解できるだろうか。波長が異なる光の違いをホイヘンスの原理でどのように捉えますか。波長とは何ですか?その辺の極めて日常的な生活感覚からの疑問が自然現象を理解するためにはとても大切な事と思う。物理学理論あるいは教科書での解説は、それは学術的な専門家集団の常識的統一解釈を取りまとめた共通認識論法である。決してそれが自然現象の本質を捉えた論理的な科学論であるとは限らないのだ。国家統一論と同じく、全体的な掌握手法としてとても有効ではあろう。自然現象を論理的に矛盾無く捉えようとすると、厳しい事象を乗り越えなければならない現実に突き当たる。屈折現象は光の物理学理論になるが、光の捉え方で、波動性と粒子性の統一し難い困難がその一つの例でもあろう。光が粒子でないことは分かると思うが?また波動性と言っても、どんな波動かと疑問が沸いて当然と思う。その波動性をすんなり現代物理学理論として理解するような能力を筆者は持っていない。学術論が理解できない劣等感は若い頃から抱いてきた。そんなことから今回も、素人的な感覚だけから、一つのレンズを取り上げて、その屈折現象を具体的な実験装置で考えてみたい。

屈折と媒体

こんな実験装置は時間を掛ければ手作りできそうである。特別予算を組むほどではない。透明プラスチック容器にレンズを取り付け、不透明版を張り付ければできそうだ。側面が透明であれば、半透明膜の写像は観測できよう。レンズを通した光はボックス内の焦点距離に像を結ぶ。半透明膜が焦点(写像距離)に在れば、像が写る。カメラはレンズの両面が空気だ。空気とレンズの境界面で「屈折」が起きる。その距離をXとする。次にボックスの中に水を満たして半透明膜を移動して写像距離を調べる。必ず長さXは長くなるはずだ。その距離Xは何で決まるかと言うと、レンズの表面の曲率半径とレンズとその接触媒体の物性(誘電率)によって決まる筈だ。当然レンズの光の入射面では反射も起きている。屈折で色収差(プリズム現象)も基本的にはある。また、水以外の透明なゼラチンなどではさらに距離Xは変わろう。レンズ表面の曲率と伝播媒体の特性差で距離は決まる筈だ。レンズ内部ではそれぞれの入射角によって方向が異なる直進光路を辿る。出口ではその媒体によって屈折角が違うため、Xが変る。Xが違っても鮮明な写像(媒体内でエネルギーが吸収されない限り)が映し出される。眼球内の硝子体のような媒体であれば透明であろう。媒体間の屈折の物理現象について、誰もが水中でゴーグルを外して水中視界を見ようとすれば、理屈抜きに感覚的に理解できよう。同じ目で空気中では見えても、水中では視界など歪ボケして見えないのだ。それでなくても元々人の角膜の曲率半径は小さく、小さな瞳からの僅かな光で視界を認識する。水中では角膜表面での屈折が弱く、水晶体の終端即ち硝子体管の入口に視界の像が結べないからだ。そんな意味も考える屈折の実験装置になればと提案した。

2016年にレンズに関する関連記事。

レンズと焦点距離 (2016/11/03) 。眼球の光路とカメラ機能 (2016/11/09) 。レンズの機能 (2016/11/27) 。

⑥の光はエネルギーである。その意味を 光とは何か?-光量子像- (2012/01/15) に述べた。

無為自然

(2020/01/22)初めて知った。

「無為自然」老子の言葉らしい。紀元前4世紀の中国春秋戦国時代の哲学者と言う。

墨字に描いた。孔子の儒教に対照的な思想に思える。老子の思想は基本的に自由を根本に据えている。其れは禪の思想の原型をなしているように思う。

無為自然の意味は?

中国の歴史で、当時すでに文字が完成していたのだろう。何という高度文明を築いていたのか。文字が無ければ思想の形成は困難ではなかろうかと思う。インド哲学と中国思想の間の関係はとても複雑に融合していたのだろうとは思う。この言葉の意味を検索しても納得する解釈が観えない。自然への敬虔な思いを抱いて日々生活していたことを考えれば、自ずと自然の不思議と美しさ、その多様性更に恐怖が人の思いも及ばない偉大な神のごとくに思われただろうと感じる。ただ自然を前にして、何も余計な解釈を加えず、ただその心を受け止める事こそ大事だと唱えていると考える。現代的に言えば、高度な学説に捉われず、静かに自然に向き合い、己のこころと感じ合うことによって、そこに本当の姿が観えてくるという意味と解釈する。具体例を挙げる。日本雨蛙に関して、決してそれは水の中の「オタマジャクシ」ではない。また『電荷』などは世界に存在しない。

雅号『空道』について 昭和62年(1987/02)『空則無限なる有なり』と『空』の文字の意味を解釈した。自然界の実相は見える『色』と見えない『空』との間の認識ではないか。真空はすべてが生まれる究極の場である。『空』こそその可能性を無限に持っていると考えた。昭和から平成への変わり目(1989)で、老子の「道」を意識した。「色即是空」と「道」から採った。

帆掛船(2019年報告)

新しい子年を迎えて、今年が平和で、幸せな1年であったと次の年に渡れることを願います(2020/01/09)。

昨年も多くの自己問答を繰り返して、科学論の基礎概念として最後に残るものが『エネルギー』であるとの確信をさらに強くした。新たな不思議の発見のためにも、己を見つめるためにも昨年の記事をまとめておかなければならない。記事の標題の前に投稿の(月 /日 )を付けた。(2020/01/06) エネルギー像(物理学基礎論)と(2019/12/02) 燃料はエネルギーに非ず が参考になるかも知れません。

1.物理学的・化学的エネルギー

(1/5) 独楽の心 (2/7) 熱の物理 (4/22) 物理学理論と磁束 (4/29)  mc^2^から物理学を問う (5/21) 力の概念と電気物理 (6/14) エネルギーとは何か (6/29) エネルギー変換物語(炭火とエジソン電球) (9/14) 空間定数とエネルギー伝播現象 (11/13) 電池(エネルギー)の不思議 (11/17) 電気抵抗と物理特性 (11/19) 電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (11/19) 電池と電圧(エネルギーの実験) (11/25) イオン化傾向とは? (12/20) 水の電気分解

2.電子・電荷とエネルギー

(5/26) 不可解な電荷 (6/6) 電子は流れず (7/6) 電子とエネルギーと質量 (7/28) 科学論と電荷 (10/23) 電荷と電圧の哲学 (11/20) サヨウナラ『電荷』 (11/27) 電荷方程式

3.光とエネルギー

(5/3) 光量子空間像(D線) (5/8) 光速度一定とは (11/2) 光と空間 (11/11) 軸性光量子像

4.電気回路とエネルギー

(3/3) 電気磁気学の要-Axial Energy Flow-  (3/17) 電気物理(コイル電圧) (3/21) 電気抵抗体の物理 (3/26) 電気物理(電圧時間積分とエネルギー) (4/3) 誘導エネルギーに観る技術と物理 (4/12) 変圧器の技術と物理 (7/16) 「高電圧」のエネルギー像 (8/11) 電圧・電流とエネルギーと時空 (8/23) 光エネルギーと速度と時空 (8/29) 分布定数回路と実験 (9/16) 電力p[J/s]の意味と解析法(1)意味 (10/1) これが電気回路の実相だ  (10/2) 電気回路のエネルギー問答 (10/6) 特性インピーダンスとエネルギー伝送特性 (10/31) 大学と基礎教育

5.電気工学と技術

(4/14) 励磁電流とは? (5/29) リサジュ―図形と技術 (9/22) 電流1[A]の物理的空間(インダクタンス算定式) (9/26) 静電容量算定式と理論 (10/14) 分布定数回路空間の世界

6.詩と科学と社会と文化

(4/19) 月に立つは夢か (5/18) 自然と科学理論の架け橋はいずこに (6/25) 津波前の急激な引き波―専門家に問う― (7/20) (8/2) 不思議とは (9/5) 『エネルギー』それが世界の根源 (9/7) 電流1[A]の論理性-考える理科教育への科学者の社会的責任- (10/28) Find more information here (11/24) 共謀罪は法の押しつけ (12/2) 燃料はエネルギーに非ず (12/25) 質量とMassの間に 

7.自然・日本の風景

(1/16) 地学ガイド 新潟の自然に感応して (4/25) 2019年の春 (5/10) 初夏の花 (6/21) ダンゴ虫が何を? (7/4) 雨粒と波紋 (7/6) 生きる雨蛙 (8/3) 深山クワガタ (10/20) 桔梗 季節に戻る (11/15) 秋の色

質量とMassの間に

はじめに(2019/12/22)
文字は心の表現文化だ。世界を知り、その意味を読み解き、その捉えた象形・認識を広く共通理解するための表現手段が文字になる。科学の世界を語ろうとすれば、そこにはその専門用語が揃っている。電気工学から電気磁気学の『エネルギー』概念に思いが移り、その中に見え隠れする自然の神髄に辿り着こうとしても、『エネルギー』からの隔たりに長く戸惑いを覚えてきた。電気と言えば、『エネルギー』より大昔から『電荷』がその中心に居座っていたように思うが、最近はその『電荷』での科学論が虚しくさえ思える。伝統的科学理論を支えて来た基礎概念と用語が余りにも狭い専門領域内でしかその役割を果たせなくなっていると思うようになった。質量も科学論・物理学はじめすべての分野の基礎概念と理解されている。しかしその質量と言う用語で捉える物も、原子、分子あるいは電子から構成されていると言われまたそこから光が放射される現象を考えれば、質量から光のエネルギーが何故放射されるかと考えてしまう。天空にきらめく星の光は何故放たれるのか。質量から放射されるのかと?そんなとりとめもない不思議から質量とMassに思いが移った。

自然と科学概念

自然はそこに表現する姿象が余りにも豊穣で、科学論で語り掛けて近付こうとしても、なかなか寄せ付けてくれない。数式でその意味を表現しようと試みても、きっと巨像の尻尾程度しか理解できないのだろう。

質量とMass 質量と言う日本語訳の原語はMassであろう。日本語と言っても、それは中国文明の恩恵を受けたものである。Massを質量と翻訳した明治時代(?)の先人の叡智には感嘆せざるを得ない。この点について筆者は、この訳語『質量』が元々中国で翻訳されていたのか、あるいは中国では他の訳語が使われているのかどうかも知らない。さて、科学技術文明は基本的には西洋思想の叡智が育んだものであると言えよう。あらゆる科学技術用語もその思想の中から生まれたものである。その西洋世界の文明の姿の基本はやはりその表現用語の文字に在ろう。アルファベットと言う26文字の組み合わせから表現され、構築された概念である。古代中国の生み出した漢字文化とは大きく異なったものである。グローバル化の時代に取り残された筆者には、過去の宝探しに現を抜かせば『質量とMass』の関係性の不思議に思い当たる。やはり漢字の『質量』にその意味を尋ねてみたくなる。そこには東洋思想の匂いがする。物には言葉が付きそう。言葉は人の心を表す。心は人の日常意識の在処である。文字は心の表現手段。中国文明の流れる東洋思想には物の空間における具象認識がその根底に在ると観る。象形で理解する。それは具象性を求める。それに対してMass には具象性に変わって抽象性の心が見える。26文字での表現には、科学技術文明を生み育てた抽象概念構築の途轍もない叡智が感じられる。『エネルギー』の流れる現象を『電圧・電流』と言うとても高度な抽象概念に依って捉える手法を生み出したのだから。

漢字の意味に遊び心を重ねてみよう。古代の隷書体には漢字に込めた中国の哲人の思いが観える。物・世界を見る人の認識の象が表れている。

『質』の字:貝に鉞(マサカリ)が二つ。この隷書体と遊び心を繋げれば、貝塚までもなく、巨大な貝を食料としていた遥か彼方の人類の営みが想像されて来る。とても固くて巨大な貝との格闘が見えてくる。切り開く困難に鉞の字が当てはめられた心が読み取れる。

『量』の字:計る道具の現代のバネ秤の構造に似ている。量るという意味が良く表されている。

『質量』に翻訳した心。『質』と『量』の二文字を組み合わせた『Mass』の訳語をどのように決めたかを考えれば、その先人の文明開化への情熱の高まりまでも読み取れる気がする。道端の石ころ一つにも、その石は初めから石ではなかった。地上の石は遥か昔の太陽の光が創り上げた遺跡ともみられる。どんな変遷を経て石になったか知ることも出来ない。質量と言う用語の如何にも固い形の物の概念を言い表しているかを思えば、そこに有っただろう具象性が心に響く。

鉞。この漢字は鉄金属で出来た比較的新しい(紀元前の話であるが)マサカリ。右の旁(ツクリ)がマサカリの意味だ。「新」の字の偏(ヘン)は多分巨木の梢に立って新たな道を切り開く程度の意味で、その時には必ず「マサカリ」で邪魔な物を切り捨てる必要があり、それが旁の「マサカリ」であるのだろう。そして初めて漢字に込めた「新」の新しい意味となると考えて観たい。「断」の字も複雑に繋がる糸の偏の字を何かやはり「マサカリ」で絶つような意味なのかと考えたい。このように『質量』の用語を考えても、そこに込められた先人の思い、世界に対する心構えを思い描けるような気がする。その思想にはやはり世界観の特徴として「具象性」の際立ちが観える。それに対して『Mass』には「具象性」は見えない。

言語と東西文化。

日本語と西洋言語では同じ対象を表現するとき、当然その意識の根底には幾らかの対象への異なる心象が有るのだろう。西洋思想と文明に際立っていると思えることは、やはり26文字によって世界を理解する言語感覚にあり、その表現能力に抽象的な認識において卓越性が有ると言えよう。そこに観えるものは対象に具体的な漢字一文字を当てて認識する具象的な東洋との違いであろう。具象性より抽象性において優れた象形認識力が強いと考えたい。そこに科学技術による世界の自然開拓・開発の論理構築力が発揮されたのかと思えば、世界認識手法における文字の意味さえ不思議な対象となる。自然科学理論が自然を利用する活用技術の統一的構築に西洋思想の意識の基でこそ初めて成されたのかという思いがする。それに対して、無限の漢字数によって自然世界を具象的に認識する思想の中に『無』とか『道』あるいは『空』の概念で捉える統一的自然認識との意識の融合が東洋思想の特徴かもしれない。自然との一体感に「老子」の自然哲学が大きく影響してきたとも思える。

質量とエネルギー

質量が如何にも固い物に思えても、質量が世界構成の根源でないことはみんな知っていよう。また質量が原子・分子から構成されているという意味も理解し、みんな納得しているだろう。その原子は周期律表にまとめられているように、とても多くの特徴を持ったものに分類されている。原子には核と言う中心領域がその周辺とは異なる存在になっているようでもある。周りが電子で取り囲まれているように言われている。原子の特性は核分裂以外はその周辺の電子が担っているような原子構造論で常識化されているような印象を受けている。そこで、『質量』や『電子』あるいは『電荷』と日本語によって認識する科学基礎概念は西洋思想によって構築された概念であることを再確認したとき、その概念に対峙する対象の捉え方が同じものなのだろうかと考えさせられるものがある。そう思うのは筆者だけなのだろうか。今まで科学概念は世界共通の理解にあった。『電子』や『電荷』の物理概念や物理量が何故具象性によって認識する東洋思想の中にすんなりと受け入れられてきたのか不思議である。それ等の空間像をどのように描くのか。空間に存在するものならば、その空間の占有像が描かれなければ存在するとは認識できないのが東洋的具象意識ではなかったのか。其処に欠けていたのが『エネルギー』だったのではないか。熱も光も『質量』もみんな『エネルギー』の具象像ではないか。『エネルギー』を構成する、それ以上の根源量はない。物理学理論における『エネルギー』が的確に認識されていると思えないところに現代的科学論の課題が有ると思う。水の波を『エネルギー』で理解することが日常生活に根差した理科教育の要である。

 

霰の中に咲くサツキ

今年も師走に入って間もなく暮れる。霰が降る中にサツキが咲く。

このサツキは今咲いてほしくない。狂い咲きだから。植物は地球環境の生命存続の可否を示すバロメーターだから。日本の季節感の四季もなくなり、里山の棚田の日本の風景も消え去る予感が重なってくる。科学技術の経済競争が人をして都市型の過酷な労働環境と生活苦に押しやる。今年の夏に、紅葉の葉が太陽光線で焼け焦げて、枯葉となって哀れな姿をさらしていた。しかし来年の春にはまたその枝先にも新芽の葉が生い茂ることだろう。

振り返れば、今年の夏は猛暑であった。水害被害で生活の危機を認識した。今年は日中も耐えられずにクーラーを使った。去年までは田畑からの風を頼りに、何とか我慢して夕食時ぐらいに使って済ませた。今年は田の稲も酷暑(フェーン現象:水蒸気の水分だけ除いた高温度の熱エネルギーの山越えの風)で実りが悪かったようだ。クーラーは科学技術の賜物と酷暑を避ける電気製品の代表格である。クーラーに関わる『エネルギー』論はほとんど科学者からは発せられない。巨大なビルの中で酷暑の夏を過ごすにはもうクーラーが欠かせない。気温が高まれば、気中の水蒸気量はどんどん増加する。室内から外に水分と熱エネルギーを吐き出し、外気温度を高める。人も熱中症状で危機にさらされる。どんなに貧しくてもクーラーを使わないで過ごす人の生活環境を取り戻すべく、その役割が政治の基本目標でなければならない。雷が水蒸気の保有熱量(それが『エネルギー』だ)によって起きる現象だという科学認識が無ければならない。水蒸気が太陽光線に対して「レンズ効果」を果す。地球環境は命の水が支配している。原子力発電は生存の危機をもたらす人の制御能力を超えた巨大科学技術システムだ。避難訓練を人に強要する科学技術はそれだけで制御不可能を証明している。そんな化け物が生活の場に有ってはならない。そんな科学技術は地震・津波の自然現象とは次元の異なる話だ。

原子力発電の熱の行方 (2011/04/17) 、雷は熱爆発 (2014/05/23) 、フェーン現象の解剖 (2018/06/17)。

電荷方程式

電荷方程式とは何か?
初めて聞く言葉であろう。先日突然思いついた方程式であるから。『電荷』とは何か?と聞いても誰も答えられないと思う。その『電荷』の意味を方程式の中でどう解釈するかを問答とする。素粒子論の専門家がどのようにお答え頂くか御聞きしたいものだ。

電荷方程式  電荷 X,YおよびZ の間に次のような関係の電荷方程式が成り立つとする。
X[C]+Y[C]=Z[C]   (1)

[問] 次の場合についてお答えください。
(1)今、X= -3 , Y= +2 とする。 Zは幾らになりなすか。
(2)(1)の場合で、方程式には負の電荷 X と正の電荷 Y がある。正の電荷と負の電荷が統合されると、電荷はどうなるのですか。電荷保存則は成り立つのですか。

正数と負数 数学の方程式では負の数は当たり前の概念である。しかし自然世界に[負]の物は実在しない。[虚数]も存在しない。磁気だけは物理学でも+m[Wb],-m[Wb]などの[正][負]の磁気の物理量は存在するとは考えていない。自然世界で『電荷』だけが特別に[負]のものが存在することになっている。世界の認識で『電荷』以外に[負]の物があるでしょうか?『電荷量』を測定することができない。実験的に測定できなければ哲学になるかも知れない。サヨウナラ『電荷』に関係して。

秋の色

秋の残り香を拾う。

白花頂上華

灌木の細長い枝の先端に1cmほどの小さな花一輪が咲く。正式の名を知らない。

 

 

ピラカンサス

鮮やかないろの実。小鳥への捧げものだが、人の生活の中に多く居た小鳥も極端に減少してしまった。いつまでも食べられずに残る。自然の営みが変貌してしまった。

 

 

 

ハイビスカス 

今年は遅くまで咲き続ける。

 

 

 

吉祥草

何年か前に教えて頂いた名前。

 

 

 

 

 

野紺菊

秋に似合う紫の色。

光と空間

晴れた朝は陽が眩しい。太陽が遥か遠くから光を届けてくれるからだ。この世界の元締めとして、すべての命を司っている。

寒い冷気の中でも、お日様の陽を浴びれば心まで温かくなる。

陽を受けると何故暖かくなるのだろうか。8分も前に太陽から旅立って、冷たい真空の空間を旅してきたのに、それでも暖かい。世界・宇宙のすべてを司る根源の光の実体を。光は一種の電磁波だなどと迷解答で逃げないでほしい。それでは電磁波は何故暖かいのですか。光の振動数が温かさの原因になるからですか?何が振動しているのですか。電界と磁界ですか?電界とは何ですか?磁界とは何ですか?例えば植物の光合成に電磁波の意味が必要ですか。光合成には、ただ光のエネルギーだけで何も電磁波などでなくて良いのではないですか。本当に自分の心で納得しているのですか?お日様に当たると暖かい訳を説明してほしい。光が衣服に当たるとその速度はどうなるのですか。その時光は何になるのですか。どのような物理現象を起こすのですか。振動数が熱に変化するのですか。科学理論は広く自然現象をより少ない基本から総合的に解釈できるものでなければならない筈でしょう。細分化された現代科学研究を統一した自然の本源から見る易しい科学論の提示が欠かせないと考える。なんといっても自然は易しく、純粋であるからこそ、多様性に富み不思議と謎の姿を現す。

光の結節点

電気回路現象と光の伝播現象が同じ物理現象に観えてきた。空間定数とエネルギー伝播現象で取り上げた図である。分布定数回路の定在波や伝送線路の負荷端でのエネルギー反射現象など、すべてエネルギーの伝播空間での伝播媒体の境界での現象が重要な基本的意味を持っていると考えるに至った。光の様々な現象もその媒体の空間特性がその物理的本質を担っていると考えざるを得ない。その境界点・面を光の結節点とした。

特別高価な実験装置もなく、精々レンズ程度で他に観測装置もなく、自分の眼球と周りの景色から感じ取る感覚だけから光の世界を覗いて、そこに描ける姿を表現しよう。

横道にずれるが、実は昨日、眼球の光ファイバーと色覚 (2010/11/28) に追記した。ご専門の皆さんは、人の眼球機能をカメラと同じ原理でご理解なさっておられるようです。網膜に視界を捉える機能の細胞が有ると。眼球構造の網膜は球面をなしています。カメラで球面構造に焦点を結ぶ光学的光路が物理的に可能とは理解できないのです。人は水中に潜ると、ゴーグルなどで目の角膜と空気層の境界を作らないと視界は見えない。光の所謂結節点の問題です。眼球内の水晶体と硝子体液の媒体間の光の屈折現象の光学問題として考えた時、どう考えても凹球面網膜に焦点を結ぶとは考えられない。それと、黄斑の点々が眼底検査で何故観測されるかの説明が無ければならない筈と思う。硝子体管のファイバー断面と考えた最初の理由がそれである。眼球型カメラを取り上げて考えた。

光の結節点の具体例は屈折現象であろう。

光の伝播現象は光エネルギー密度波の縦波が伝播する空間媒体の物理的空間特性に掛かっていると考える。空間をどのような物理特性として解釈するかがまず明確でなければならない。微細の空間構造物質の原子・分子特性を論じる前に、巨視的な捉え方で解釈したい。電気回路に関係付けた空間定数に誘電率εoと透磁率μoがある。真空空間が単位長さ当たり、インダクタンスと静電容量の空間定数を持っていると解釈する手法である。空間にコイルやコンデンサがある訳ではないのに、何故そのように空間特性を解釈すると電気回路現象と光の空間伝播現象が統一的に捉えられるかが不思議であるが、実際の技術的解釈に都合よく合致している。

屈折現象 

屈折はエネルギーの減速 空気中でガラス板を通した光の屈折現象を考えてみる。屈折の解釈にはホイヘンスの原理がある。ガラスの空間定数をμ[H/m]とε[[F/]とする。プリズムでは、光が分光する。その訳は何だろう。虹ができる。その訳は何だろう。光の波長とは何の長さの事か。光の空間像を現代物理学理論ではどのように捉えているのか。振動数や波長を空間的な像で捉えているのだろうか。振動数がエネルギーを表すとはどの様な意味で解釈するのだろうか。物に電界と磁界のバイブレーションで作用するというのだろうか。実際は誰も理解できないと疑問を抱かずに、みんな納得出来ている事がとても不思議だ。振動数で温かくなる訳をどのように理解しているのでしょうか。誰も質問しない訳は何だろうか。現代物理学理論様にお尋ねいたします。プリズムの分光は何が原因か。波長によって速度が違うからである。光の波長とはエネルギー空間密度の縦波の波長である。垂直に入射した場合は、分光が起きているとは見えないだろう。しかし入射が垂直から傾くと、波長の短いエネルギー密度が高い程媒体内での速度が減速する。伝播定数γ= √(με) [s/m] がエネルギーの波頭値密度が大きい程、μがその流れに抵抗する作用が強く効くからと考えたい。なお、誘電率εが高くなるからエネルギー吸収で減速に強く効く(推論)。 

レンズの屈折

レンズと光路 レンズも光エネルギーの伝播空間の空間特性を透磁率と誘電率で評価する。空気との境界での結節点で起きる屈折現象はその空間特性の差による。レンズは誘電率が大きいが透磁率は空気と同じ程度とみられよう。

むすび

電気回路の現象が電気工学の技術理論ではとても便利に分かり易い理論に完成されている。電圧と電流と言う技術概念によって初歩の回路解析理論が習得しやすく完成している。しかし、その理論も厳密に解釈しようとすれば、自然現象の本源からは離れた技術理論になっている。自然には『電荷』や『電子』などと言うものが実在する訳ではない。それらは人が自然現象を理解しやすく簡便に作り上げた解釈概念でしかない。結局電線路もその導線の間の空間を光と同じエネルギーの密度波が光速度で流れているだけなのである。そんな途轍もない光の速度で流れるエネルギーを感覚的には捉え難いであろう。しかし、科学技術理論と自然現象の関係を知ることがこれまた極めて大切なことである。間違った理論に染まらないためにも、より単純な自然の姿の本質を理解した上で、高度な解釈技術論を学習することが大切なのであろう。まだまだ自然の本質など、余りにもその純粋さが故に不思議の世界としか見えない。せめて、光のエネルギーとはどの様な空間像か、振動数とはどの様な意味かを理解してほしい。また、決してそのエネルギーの姿を科学的手法で観測は出来ない科学技術の限界も知ってほしい。光量子空間像(D線) (2019/05/03)。

『エネルギー』それが世界の根源

 

エネルギー

それは目の前の空間に実在する。

それは身の回りを囲んでいる。

しかし、決して見ることはできない。

現代科学技術でも捉えられない。

風もエネルギーの流れだ。光もエネルギーの流れだ。

しかし。そのエネルギーを人は決して観測できない。

原子もエネルギーによって構成されている。

しかしそのエネルギーを捉えることはできない。

電気もエネルギーの流れだ。

そのエネルギーを見ることもできない。

『電荷』否定の旅に出て、今思う。

見えない世界に深入りしたのか。

旅の終わりに観えるもの。

それは、見えないもの それが大事。                  (2019/09/05)

『静電界は磁界を伴う』を基点として、当てもない「電荷」否定の旅に出て、辿り着いた世界に観えるもの。それは物理量でありながら、物理量として観測できない。これぞジレンマと言うのか。