自然は純粋
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『力』の概念
『力』という概念は物理学理論でも、その根本を成す重要なものであろう。
『力』には、遠隔作用力と近接作用力の二つがあることになっている。
近接作用力。
その例には、人や機械が仕事で『力』を発揮するような場合が挙げられよう。物を持ち上げる。最近は自動車が運ぶから、重量物を人が運ぶことも少ないが。暴風の風圧に飛ばされる。川の合流点での水流間の加圧力。摩擦力。津波の水圧。ロケットの打ち上げ推力。電気洗濯機の攪拌力。蒸気発電所のタービン駆動力等限りなくある。『力』を発生する原因と、『力』を受ける対象が明確だ。一般的に日常生活に関係深く認識可能なものが多い。この『力』は科学技術力としての具体的研究対象として重要な意味を持っているようだ。この近接作用力は学校理科教育での対象として、余り取り上げない。飛行機の揚力。これは理科教育でも重要な近接作用力として取り上げられる。
遠隔作用力。
物理学理論での対象となり、学校理科教育の学習対象となる様だ。重力運動。クーロン力。万有引力。
運動方程式で、質量m[kg]が加速度α[m/s²]を受ければ、その質量に『力』 f=mα [N] が掛かることになる。質量は速度が変化しないように慣性を以って抵抗する機能を持っている。だから、質量のない物理概念体には『力』は掛からない。
〈クーロンの法則〉はその意味で、『電荷』間には『力』は生じない。それがクーロンの法則の矛盾点だ。質量のない物理概念体に、もし『力』が掛かれば、速度の変化を妨げる慣性が無いから、直ちに加速度概念のない、論理矛盾のままに無限速度となってしまう非現実世界の物理学理論となる。
〈万有引力〉はニュートンがリンゴの落下と関係付けて発見したとのお話で語られてもいる。それは余りにも有名な『力』の概念の物理法則である。〈万有引力〉の法則は、『力』の原因が、力による速度の変化に抵抗する慣性体の質量同士間だという意味だ。『力』による速度の変化を妨げる慣性の機能体である質量が、逆に遠隔作用の引力の発生源であると言う誠に奇妙な力学理論である。質量と言う慣性体間に『力』が発生すると言う、そんな事があり得るのかと疑問に思う。確かに、日常感覚として地球上で落下運動の加速度現象を解釈するには〈万有引力則〉は感覚的に納得し易く、深く考えないならば、現象の解釈論として分かり易い。しかしその解釈に、力学理論としての論理性があるかとの疑問を打ち消すだけの論拠が観えない。
『磁力』。
『力』という概念で、身近に経験する『磁力』を取り挙げなければならない。その『磁力』にはとても深い『力』についての自然現象の意味が含まれているのだ。
この『磁力』は近接作用力か、あるいは遠隔作用力かと考えてみる。さてどの作用力と解釈しますか?
『磁力』は誰もが実際の生活上実感できる筈だ。しかし、その『力』の物理的原理、あるいは解釈法をどの様になさいますか?『磁力』はマグネットに現れる力であるから誰でも知っていよう。しかし、その物理的空間の状況をどの様に解釈しているだろうか。先ず、『磁界』とは何か?更にその空間に現れる『磁束』の物理的意味をどの様に解釈するか。そんな基本的な事から考えなければならない筈だ。初めに結論を述べれば、元々電流と言う電磁気概念さえ自然世界にある訳ではなかったのだ。それは電気現象を人が利用するに便利だからという捉え方で、定義した科学技術用概念でしかなかったのだ。だから、『磁束』も自然世界に、この空間に存在する物ではないのだ。然し人類の自然利用解釈の知恵で、優れた解釈法として編み出した叡智の賜物でもある。だからと言って。『磁束』が実在する自然界の物理量では決してない事を理解すべきなのだ。その上で、科学技術概念として如何なるものかを知らなければならない。
磁界ベクトル Hとは何か?
磁界と言う物理的空間の状況をどの様に説明するか。磁界の単位・次元は物理学では [A/m] とする。[A]は電流の単位で、その電流の流れる導体の中心から垂直の離隔距離の空間点に発生すると解釈する空間の状況を磁界 H [A/m] (= I[r/r]/(2πr²)と定義する。磁界に対して、その点で磁束が空間に生じるとする。その磁束密度をB =μoH[Wb/m²]とする。ただしμo[H/m] はその空間の透磁率として定義する。
以上の磁界の概念を理解した上で、『磁力』の物理的現象をどの様に解釈するか?という事になる。
『磁力』の強さとその状況。
マグネットを向き合わせれば、強い『力』が働く。N極と S極の二つの磁極で、同極同士を向き合わせれば、強く反発して突合せられない。異なる磁極同士を向き合わせて近付ければ、その距離が小さい程強烈に引き付けられる。
マグネット間の『磁力』の状況を『磁束』で説明できるだろうか。マグネットを近付ければ、『磁力』が急激に強くなる。その物理的原理は何だろうか?『磁束』で説明が付くだろうか。マグネットを近付けた時『磁束』がどの様に変化して『磁力』が変化すると解釈できるか❓その『何故か?』という疑問に真剣の向き合う事が物理学の在るべき姿勢だ。
『磁力』は軸性回転エネルギー流がその本源である。
- コンパスは何故北を向くか。
- ハリケーン、台風は何故回転するか。
- 太陽系は何故軸性回転流か。
- 渦潮の物理現象。
- 地磁気は地球表面のエネルギー流が原因だ。
- 独楽は軸性エネルギー流の姿だ。
『力』は近接作用力に在る。
鳥海山の山頂岩石を見て
今日テレビで、鳥海山の山頂が映されていた。
改めて、検索した。
鳥海山 新山山頂の岩-木めぐり像めぐり。の記事の写真。
岩石に罅(ヒビ)が入り、独特の姿を現している。その解釈に溶岩という意味が記されている。しかしそれは間違いだ。庭に一つの石がある。その石にいつの間にか罅が入り、独特の割れ目を呈してきた。
その割れ目。
(1)
石ころの全体像。花壇の仕切り石にした最初の、硬い石の面影は既にない。数十年の時で、崩壊し始めた。見える自然の姿は儚いのかも知れない。
何時頃かから、石ころに割れ筋が入り、徐々に全体に罅割れが広がった。
先端部の割れ目の拡大。
岩石の罅割れ。岩石が溶岩によって出来たという専門家の解釈が信じられない。
山の山頂の岩肌には、その姿が火山噴火による溶岩に依った過去の姿を背負っているとは考えられない。山は巨樹の化石化した姿と、その岩石の形から捉えたい例が多くみられる。
川、大河には、その川独特の石が多い筈だ。信濃川には浅葱色(葱の葉色)の硬い石が多い。川によって、そこに在る小石も独特の特徴をもっている。代表的な例は新潟県の糸魚川に流れる姫川であろう。翡翠という石も、過去に地球の歴史を秘めた物として今ある筈だ。決して火山噴火の溶岩からとは観えない。
棲む近くの山を御覧なさい。高い山も、低い丘も、その山はどの様にできたのか。長い地球の歴史を背負って、今そこに在る筈だ。決して初めから有った訳ではない。太陽光線によって成長する生命体は植物しかない。植物、巨木が岩石となり、その石、岩石が徐々に崩壊して土となり、今そこに山となって有ると観る。植物によって成長する動物も多い。その過去の長い歴史を秘めた化石が無数に、人が知らないままに在る。宝石も当然その歴史の産物だ。
庭に在った石を花壇の仕切り石に使っていた。いつの間にか気が付けば、罅割れて、間もなく石の形を保てない程に崩れて行くであろう。そんな変化を見せてくれた。
鳥海山の岩肌を見て、庭の石の変り方からの観察観の披露とする。
呼吸の意味を問う
呼吸の機能は基本的に肺が担う。肺はその体積の大きさと命の中心にドーンと在る存在感が凄い。
呼吸は『酸素』を取り込み、不要な『炭酸ガス』を排出することだ。生物と無生物に分けられよう。多くの生物の特徴が呼吸をする事のようだ。生物は32度から38度の体温のものが多いらしい。哺乳類は恒温動物で、爬虫類は変温動物と解説にある。樹木や野菜も生物に類するのだろう。それらも自己増殖能力、エネルギー変換能力を持っているから。自然の世界はとても広く、その全体像を捉えるのも難しいようだ。その中で、呼吸の意味を考える事は、自然世界を理解するに重要な視点になっていると思う。専門的と言うより自然世界の総合的認識科学論を求めて。大木や野菜のキュウリ、ナスあるいはカボチャもやはり温度で植物体内の環境を??残念ながらそれは想像もできない。
『酸素』を必要とする訳は❓
しかし、その『酸素』がどの様に、何処で使われるかが分からない。情報を検索しても、納得できる解説が無い。何故このような生命現象の基本的自然科学の基礎が解明されないで、過されているのか。解説が無いという事は、分かって居ないからと断言して良かろう。科学技術は途轍もない内容にまで理解が進んでいる。DNAの何処を切断するか迄簡単に可能らしい。最先端の研究競争対象は、その専門家の研究分野として解明される。しかし自然現象でも、真にその根源となる真理を解き明かすべき〈疑問〉が意識されない為か、科学理論として極めていびつな状況を来している。『酸素』と同時に『炭素』との関係が呼吸では切り離せないものである。『酸素』と『炭酸ガス』の関係が呼吸の意味だ。『炭酸ガス』の炭素は何処の細胞から、どの様な生理現象として『酸素』によって生じたものかが示されなければならない筈だ。それが無ければ、ヘモグロビンの解説には納得させるだけの論理的意義が無い。地球上で『炭素』は有機物として植物の神秘が創り出した物と解釈した。その根源は太陽光線の『エネルギー』の筈だ。有機と無機 (2022/03/16) 。
ヘモグロビンの機能は?
赤血球の機能は?
そして肺の機能は?
『酸素』が必要な訳は、生命を維持するに欠かせないものだとは感じられるが、具体的な意味が観えない。『酸素』が持つ燃焼機能の物理的機能を一体どのように捉えれば良いか。『酸素』が隣の『窒素』と何故違う機能、燃焼機能を持つのかその物理的意味を理解したい。それが物理学の研究対象でないか?『酸素』が燃焼機能を持つ、と言うだけでは物理学ではない!とそんな意味で総合科学論を捉えたい。
生命維持の基本条件は細胞の機能が正常に働くように整える事だろう。それは『体温』調節機能の筈だ。
『体温』がどの様な意味を持っているか。それは何が司るかである。36度5分と言う体温の温度レベルの必要性は何を意味するか。何故その体温でなければならないか?若い頃、よくインフルエンザに罹って、高熱を出した。40度近い熱でウイルスを駆除する為と聞いた。
その体温維持にこそ『酸素』が必要な意味が有る筈だ。体温とは細胞の保有熱エネルギーのレベルを評価した値だ。物理学理論には意識されていない空間を支配する『エネルギー』の分布密度だ。それは細胞内に内蔵される『エネルギー』の密度である。その『エネルギー』分布は神経伝達信号の基にもなる。脳の情報統制機能の基ともなる基本的情報源でもある。電気回路の電源電圧の意味に近い。
肺は赤血球の中にあるヘモグロビンと直接『酸素』と『炭酸ガス』の交換をどの様な仕組みでするのか?肺の細胞と赤血球が直接接触はするが、ヘモグロビンとは接触しないと思う。赤血球内からヘモグロビンが外に出なければ『酸素』と結合はできないと思う。そのような機能をヘモグロビンが持つと解釈するには無理がある。呼吸に関して多くの疑問に支配されてしまう。血液は何故赤い (2022/05/31) から今年も始まった。ヘモグロビンの元素『鉄』の関りも『酸素』、『炭酸ガス』との関りで専門的な解説の意味が、総合的な意味で理解できない自己無力感を抱く。
赤血球が謎運ぶ (2022/06/02) にヘモグロビンと赤血球の間の意味が理解できずに、疑問を印した。赤血球もヘモグロビンも恐らく生命現象を司る最も基本的機能に関わるものであろう。それらは病気を治療する、あるいはウイルスから守る為の医学の学術的知見に比べても、余りにも基礎的過ぎて、余り研究対象として取り組む機会が無いと言う訳なのだろうか。筆者にすればこれ程生命現象の根幹に関わる機能でありながら、何かとても大切な事を忘れてきたのではないかと思う。それが『電荷』など自然世界に存在もしない物を、物理学理論の根幹に据えた奇妙奇天烈な科学理論が科学者の世界を支配している状況と繋がるようで悲しくもなる。
『肺』の機能。
今回は、コロナウイルスで肺機能が失われて、命を落とすことを知った。肺は酸素を取り込む意味で、生命の維持の基礎機能の臓器だ。ヘモグロビンが酸素を運ぶとも検索情報にある。しかしそれは赤血球の中にあると言う。肺で酸素を取り込むのは赤血球となる筈だ。
赤血球の機能。
赤血球の機能は、血液として全身に回り、(途中が切れた)全身の生態環境の維持・調節をする事であろう。全身の細胞の機能を保持する、それが『体温』保持であろう。丁度電力送電・配電線路網と同じく、全体の『エネルギー』レベルを保持する機能と解釈する。それが赤血球の『酸素』によるブドウ糖酸化による『エネルギー』放射機能である筈だ。
肺には、心臓から肺動脈を通って既に役目を終えた血液がやってくる。肺で新鮮な、活性化された血液に成って肺静脈を通って心臓に送り返される。
心臓の左心房に入り、左心室から大動脈を通して体の全身に、新鮮な血液が送られる。血液の赤血球が内部にブドウ糖を取り込み、全身を巡りながら必要なところで、『酸素』を使いブドウ糖を分解して、『エネルギー』を供給する。赤血球が何処でブドウ糖を取り込むかは全く不明だ。しかし、赤血球が全身を回りながら、全身の器官の『エネルギー』分布を監視、調整している以外ないと考える。その『エネルギー』の分布は全身の外部環境の監視信号の信号源となり、脳の監視・統制信号の基になっている筈だ。電気系統網の電圧の『エネルギー』レベルと同じ意味で。以上は生化学に門外漢の解釈でした。
〈関連記事〉
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- 体温と呼吸 (2022/03/26) 。
熱電子と熱エネルギー
歩んだ道は・・」教育に生かせない道だったか?
- (2022/10/07)。このブログ記事で公開することが、御迷惑になるのかとの心配で公開を止めていた。
- 現代の情報化社会の原点は、その科学理論としての『電子論』に在るのだろう。現在の半導体による電子工学、電子回路の基は真空管回路にあったと思う。その意味が『エジソン効果』と言う実験の解釈に有ったことを知った。エジソンの白熱電球の現象であった。白熱電球の放射熱エネルギーを『熱電子』と解釈したと言う事だった。白熱電球の放射現象を『熱電子』の放射などと考えるだろうか。真空管は基本的には、白熱電球のフィルメントが陰極と成った真空ガラス管と同じであると気付いた。
真空管、それは白熱電球にその起源があった。
『エジソン効果』
1884年にエジソンが白熱電球についてとても面白い実験をしていたことを知った。それが上の②図である。どの様な意図で白熱電球の中に、別にフィラメントを覆うような電極を付けたのか、その発想の尋常でない事に驚く。その意味が真空管の誕生に繋がっていたようだ。その20年後に2極真空管が発明された。末尾に参考年表。
『電子』、『自由電子』が白熱電球からの歴史に関わっている事を知った。『電子』が負の『電荷』と言う現代物理学理論の歴史の発端に白熱電球があったと理解した。
とても心苦しい事ではあるが、この自然世界に『電荷』は存在しないと言わなければならない。その事を物理学理論の根源に置かなければ、子供達への未来の教育とはならない事を伝えたい。その意味で、もう一度『電子』の物理的意味、概念を白熱電球のフィラメントの『熱エネルギー』との関係で考察して置きたい。決して『熱電子』などと言う負の『電荷』量子が空間電荷効果の基になっていた訳ではない。
筆者が論じる内容は、とても学術論文になるような内容には見えない筈だ。実験室の中からでなく、日常接する自然の風景に感応しながらの感覚的思いからの日常生活論とでも成ろうものである。
しかし、ただ一つの科学理論への革命的実験結果がある。それは、ロゴウスキー電極空間に3万ボルトの直流の高電圧を掛け、その中のコンパスの指し示す方向を探ると、印加する電圧の値に依ってコンパスが指し示す方向が変るのだ。その意味は、電気磁気学理論の『電気(電界)』と『磁気(磁界)』は異なると言う解釈の間違いを示しているのだ。『電界』も『磁界』も空間に在る『エネルギー』を解釈する人の解釈論に因る事で、自然世界の純粋さは『エネルギー』一つの世界であることを示しているのだ。その実験結果が、全ての科学理論の『電荷』概念に基づく解釈の見直しを迫る筈だ。
その意味を説く例として、『エジソン効果』を取り上げる。
LEDに白熱電燈が取って代わられる。何時の日か、白熱電球とは何ですか?と時代遅れを笑われそうな思いにある。高輝度のLEDランプの自動車前照灯に目が眩む怖ろしさも、安全運転に注意しようと‥。
エジソンが追加して実験した電極が、2極真空管の陽極Pであったのだ。白熱電球のエネルギー変換の物理現象は、身近で誰もが目で観察できる日常生活科学論の代表的観察例題である。量子力学を学ぶ前に、自然の姿を直接感覚に落とし込む、光と熱の『エネルギー』の意味を身に感じて欲しい。光や輻射熱は、最近は禁じられるが焚火の炎の『熱』も『光』も傍で体に感じれば、温かく仄かな灯りに、揺らめく灯に心も静かに穏やかに揺らめく筈だ。その焚火の放射の物理実体も、白熱電球から放射される輻射物理実体も何も違いのないものだ。光に違いはない。熱に違いはない。その光や熱が空間を伝播してくるものを、人が受け止めるのだ。その空間を伝播するものを、どの様な物理的実体と理解するかが大切なんだ。それが空間を伝播する『エネルギー』なのだ。その『エネルギー』と言う最も大切な自然世界の物理的実体を、どれだけ科学理論の中に認識しているかが、とても曖昧に思えるのだ。電球から放射される『エネルギー』を認識しているだろうか?
白熱電球から放射される『エネルギー』を真空管では『熱電子』と言ったのだ。決して『電荷』など持たない熱を『熱電子』として、真空管の『空間電荷効果』と言う理論で、電子工学の基礎理論となって来たのだ。筆者も初めて、工業高等学校で(身分は?)授業担当が『電子工学』の真空管のお話から始まった。勿論空間電荷効果は『熱電子』の理論に因って理解し、解釈し、教えさせてもらった。学習させて頂いた参考書が右の本だ。「電子工学の基礎 ⅠおよびⅡ 」 W.G.ダウ 著、森田清 他訳 共立全書。である。 豊富な図解でとても詳しく、勉強できた。もう一冊は「無線工学Ⅰ 伝送編 新版 宇田新太郎著 丸善」である。分布定数回路の学習で、とても良く解説されていて、参考になった。
その当時(1964年)の電子工学は真空管回路がまだ基本になっていた。しかし、その年の秋10月10日は、日本でのオリンピック開会日であった。テレビジョン放送もカラー放送であったと記憶している。だから、TVも既にトランジスタ回路だったかもしれない。
その後、『発変電』、『送配電』そして『電気機器』その他『電力設備』等の電力系が主な担当科目となった。ただ「電気理論」は工業高等専門学校での全くの未経験科目として『電気磁気学』の担当経験をさせて貰った。結果として、その『電気磁気学』の授業担当の経験が『電荷』の物理的概念への疑念の始まりとなった。
そんな過去の担当教科科目を経験した事から、今、理論物理学という科学理論の基礎科目である現状を考えた時、決して『電荷』や『電子』が基礎概念とされている現状は、未来の教育内容として、その概念の矛盾が耐え難く、科学理論もその点で学問の自由という意味がどの様な事であるかを考える視点ともなるかと思う。特別専門的知識が無くても理解できるような内容でと易しい言葉で述べた心算だ。その意味で、誰にも参考になる形式の科学論であると思う。このブログ記事は、その意味で十分役立てると思う。
ただ、『電荷』や『電子』の否定と成れば、基本的な視点が現代科学理論の、解釈の基礎概念、教科書の解説と異なる事が多くなる。それは社会的な意味で問題ではあろう。
真空管の制御電圧 vg (グリッド電圧)が真空管内の内部空間の『熱エネルギー』の分布状況を制御するのであった。その『エネルギー』の分布を『空間電荷効果』と解釈して、『熱電子』の制御と解釈したのである。その『熱電子』の意味がトランジスタ理論での『電子』制御論に引き継がれたのだ。
電子工学の始まりが真空管であった。その解釈が半導体に引き継がれた。『電子』概念が生まれた意味がそこにあった。白熱電球の『熱エネルギー』を『熱電子』と解釈した。
クーロンの法則の眞相
大変だ。クーロンの法則と言えば無意識に『電荷』に関する法則と思う。それは、『電荷』の単位が「クーロン[C]」であり、フランス人のクーロン (Charles Augustine De Coulomb 1736-1806)の業績を讃えて採用した『電荷』の単位と思い、その関係からの意識によって。
実は、『電圧』の概念がどの様に構築されたか気になって、『電圧概念の起源』として検索して確認した。ボルタの電池の発明の頃の関係としてどの様に測定と概念が採られたか?を調べた。その検索結果の中に、電気の歴史年表と言う記事に出会った。
その記事に、「クーロンは磁石には2つの異なった極があり、同じ極は反発しあい、異なる極は引合う。力は距離の2乗に反比例する。」があった。
その当時は未だ『電荷』の意味がそれ程はっきりと意識されていなかったのではないかと思った。『電荷』に対して『磁気』なら磁石で感覚的にも分かり易い経験的意味で意識できたと思った。
おそらく、20世紀に入ってから、『電荷』の単位「クーロン [C] 」から、誤って磁気に関する法則を『電荷』に関するものと物理学教科書などで解説した事が始まりであった結果ではないかと思った。
クーロンの法則を斬る (2013/01/06)の旧い記事であるが、その中で・・斬る 等と記したが、それはあくまでも『電荷』に対する意味に対してであった。
『電荷』など決して、自然世界に実在する物理量ではない。改めてあらゆる自然世界観を基礎から作り直さなければならない所に立って居る筈だ。物理学理論の根幹から作り直す時代に居るのだ。原子構造の認識も『電荷』では矛盾論のままだから。
滝と水源
(2022/02/05) まさに驚嘆。南米ギアナ高地の滝。
エンジェルフォール。979m の滝で、水源を持たない滝として有名らしい。
100以上のテーブルマウンテン。それは地球の人類の生れる以前の古代を残したい姿だ。そこには地球が巨木に覆われていた姿を空想してしまう。多くの山にその巨木・巨樹の化石を空想する。『柱状節理』の化石だ。古生代の巨樹がどの様な樹種かは知らない。シダ植物の巨樹であったかと、他の化石マウンテンテーブルに思う。
木賊(トクサ)と水 (2018/12/22) から想像する。針葉樹は『道管』、広葉樹は『仮道管』が水の揚水の機能を受け持っていたとある。地球の生い立ちを問う (2013/08/17)
エンジェル・フォール、ベネズエラ、エリアル8K動画 。の動画を見させて頂いて驚きだ。
滝ノ水は流れ続ける。地球は地下洞窟には水が流れている。『道管』通して揚水している。巨樹の化石なら海底の下まで通じている筈だ。想像を絶する地球の命の繁茂した歴史を重ねて現在の地球の姿になったと。
古代インカ都市の遺跡。マチュピチュは2400mの標高の地だ。豊富な水がある。マチュピチュは古代の巨樹の化石の山に思える。山全体が揚水道管で水を得ている。
リアクトル負荷の電気回路現象
送配電線路は電気エネルギーを必要とする需要家に、その『エネルギー』を供給する電気設備だ。需要家は高炉、製造工場、高速鉄道(リニア新幹線が未来の悔恨とならないか気掛かりだ。技術開発に懸命なご努力をなさる方々には済まないのですが。需要電力が原子力発電一機分に近いため、温暖化と生活環境破壊の原因となる虞がある。トンネル風圧がリニアの利点を消し去るから。新技術開発の社会的合意の問題が取り残されていないだろうか。)あるいは高層ビルの照明・電熱など多岐にわたる負荷が対象になる。
負荷の形態はその『エネルギー』の受給によって、電線路の回路現象にその影響が現れる。半導体回路などが増え、そのスイッチング特性によっても様々な悪影響が現れる。
電動機などもその『エネルギー』の消費にリアクトルの特性、『エネルギー』の貯蔵・放出が関わり、電気回路特性に僅かな影響を及ぼしている。それは実際にはベクトル解析手法の中での電気理論として分かってはいる。
電気回路現象の特性を理解するには、『電圧』『電流』による解釈ではその物理現象としての真相を理解することはできない。それらの概念は電線路をほぼ光速度で伝送する『エネルギー』を電気技術評価量として評価した概念であるから。電気現象の物理現象としての理解はその『エネルギー』がどの様に電気回路内で振舞うかを捉えなければ不可能である。負荷にリアクトルの誘導性が含まれる場合が、その電気回路内の物理現象を理解するにとても良い例題となる。それはリアクトルの『エネルギー』貯蔵が電源電圧の位相との関係で、回路内への『エネルギー』供給源としての働きが丁度電源と似た機能を発揮するからである。その意味を理解すれば、『電子』が回路を流れる等と言う間違った物理学理論は消し去られる筈だ。『電子』が負荷にどのように『エネルギー』を供給するかの論理的解釈が示されれば、考え様も有るかも知れないが、それは無理である。要するに物理学理論の欠陥は『エネルギー』の空間像で認識できていない点である。
誘導性負荷時の電圧。初めに電源と電線路電圧の物理的現象を述べておこう。
負荷が誘導性の場合は、その負荷には幾分かの電線路側に戻す『エネルギー』の原因となる e(ωt) [J]を保有している。電源はその端子電圧 vs(ωt)[V]のみしか制御できない。電線路内全体の電圧など全く監視・制御できない。ただその『エネルギー』供給端の電圧を制御するだけで、自動的にその端子の回路定数 C[F/m] が電線路に必要な『エネルギー』の分布量を電源側に放出させるのである。電線路全体で、電源の制御電圧値に対して欠損あるいは余剰が生じれば、自動的にその差分を補うべく、電源から『エネルギー』が供給されて、電線路全体が規定の電圧に保持されるように修正されるのである。更に負荷が誘導性の場合は、負荷も電源と同じような『エネルギー』の電線路内への放出機能を持つ。
『エネルギー』の光速度伝播現象。電線路はその構造によって回路定数が決まる。しかし、『エネルギー』伝播空間媒体が空気であれば、その伝送速度は光速度 co=(μoεo)^-1/2^[m/s]になる。絶縁媒体なら速度は落ちる。『エネルギー』は電線路導体内など流れないから。この『エネルギー』の伝送速度が電源電圧制御指令に従いながら、電線路内の電圧分布を基本的に支配する。
線路内電圧vx(ωt)が電源からの距離xとすれば、同一時刻tであっても、その位置の『エネルギー』分布は電圧波形の遅れとして、厳密には電源より⊿t = x/co [s] だけ位相が遅れる。しかし、光速度はその遅れを考慮する必要が無い程の瞬時伝播の速さである。それでも『エネルギー』の伝播が現象の基本になっている。さらに、そこにリアクトル負荷の『エネルギー』の回生現象が加われば、複雑な位相の状況を呈する。以上の現象を基本的に認識しながら、電気回路現象を電気理論の電圧、電流で解釈する場合も、常に『エネルギー』の意味を意識する事が大事だ。
vx(ωt) = √(δx/C) [V]
のように表される、電線路の『エネルギー』分布密度が電圧値の電気技術概念なのだ。
純リアクトル負荷の回路現象。
厳密には、電圧値は負荷まで同じ電圧値ではない。電源より必ず位相が遅れる。その訳は光速度による『エネルギー』分布の伝播遅れが必然的に起こるから。
(2021/12/19)。ここまで来て、何故電力が『エネルギー』の流れ δi[J/m]でなく電圧分δv[J/m]との積に因るかに疑念が沸いた。それが 電力 その禅問答 (2021/12/14)になった。
右図はリアクトルのエネルギー e(ωt)[J]が端子電圧の時間積分で決まることを示す。本来、電線路空間を通して、伝送される『エネルギー』は電圧の規模・大きさの2乗の意味で、その物理量が認識される筈だ。それを自然の本源と技術概念で指摘した。その事を理解すると右図に示す電力 p(ωt)=de(ωt)/dt で解釈すれば、電圧値 vr(ωt)の2乗δv(ωt)/C [V]によるとの解釈が可能かもしれない。そこに電線路電圧規模が『エネルギー』伝送機能の意味に因るとの合理的な解決の糸口が有るかも知れない。
自然の真相と科学技術の間にかける橋の美しくあって欲しい。電線路伝送の『エネルギー』の捉え方の未だ結論に到達して居ないが、ここでひとまず休憩とする。
科学実験の世界
表紙の写真はマイケルソンとモーリーの光の相対速度検出実験に関するものであろう。
実験で光の相対速度が検出されなかったという結果をアインシュタインが『特殊相対性理論』の根拠にしたと理解している。
しかしそれは、レーマーが木星の衛星観測から『光の速度』の相対性を実験的に証明している筈だから、光の速度は何処で観測しても、観測者に対して「一定だ」と言うのはアインシュタインが間違っていると思う。
アインシュタインの「特殊相対性理論」が物理学理論に大きな影響を与えた。そのころから量子力学など理解困難な理論が華やかに唱えられてきたようだ。
マイケルソンとモーリーの実験は光の相対速度検出実験が成功しなかったが、その実験結果への試みが間違っていた訳ではない。光は『エネルギー』の縦波伝播であるから、観測者との間には必ず『相対速度』がある。ドップラー効果と言う現象が存在する事は、それが光の観測者に対する相対性の証拠である。
『静電界は磁界を伴う』は『電荷』概念否定の実験結果でもある。一つの新しい科学論への認識を喚起すると思う。ロゴウスキー電極空間の磁界 (2020/06/18)。
自然の本源と技術概念
こんなに科学理論に疑念を持って一体どこに行くつもりなんだ。
自分にそう問いたい。
今朝、突然の『はてな?』がやって来た。次の図に表現した。いま、リアクトルの電気現象を纏めながらに『はてな?』が。
纏めてみて、とても気に入った。
自然は余りにも純粋過ぎる。人間が自然を理解するにはその純粋さに心が対応できないんだ。だから複雑な概念を創造して、それが自然世界の物理概念だと勘違いするのだ。
『電圧』と『電流』が自然科学理論、物理学理論の自然現象を取り入れた電気回路の現象を理解する基礎概念だ。自然を応用して、利用するには誠に優れた解釈概念である。しかし、それはあくまでも人間が科学技術利用世界の構築に便利な共通理解の基盤概念でしかない。自然現象の本質を理解しようと、長い歴史的格闘によって獲得してきた文化理論でもある事には間違いない。『電圧』、『電流』は『オームの法則』として電気技術理論の根幹概念であり、それなくして現代科学技術文明も成り立たないのだ。ただそこから、余りにも科学理論が抽象的な頭脳ゲーム論の構築に溺れた結果が現代的物理学理論の矛盾を生み出した原因と見做せよう。自然界に存在しない『電荷』や『電子』が自然科学を理解するに欠かせない実在概念・物理量であるが如くに教育され、その結果不可解な世界を作り上げたのだ。
自然世界は、この広い『空間』とそこに繰り広げられる、『エネルギー』の綾なす舞台なんだ。上の図は、その『空間』と『エネルギー』の間に最低の科学的解釈を取り入れようとした結果、『エネルギー』が収まる空間の容量 C[F/m] と、『エネルギー』の流れる誘導L[H/m]の空間概念だけは取り入れた。『エネルギー』の伝播方向に対して、単位長さ当たりの解釈法で統一した。LCの共振現象で『エネルギー』は空間を伝播する。それが『エネルギー』の象徴たる『光』の縦波伝送現象の姿だ。
複雑を嫌う『禪』的な自然に溶け込む思いが先の図になったのかも知れない。
数学の『√ 記号』が魔法の衣に思えた。『エネルギー』は実在の物理量だ。しかし、それを平方(√)に開いたら、どう考えても自然世界に存在する物理量と思うには余りにも違和感で、その概念を心が受け付けない。『電圧』、『電流』が科学技術概念と捉えて利用する限りにおいては何の違和感もない。有り難い優れた概念である。しかし『電荷』で『電圧』を解釈する物理学理論はハッキリ言って自然界に存在しない、誤った間違い論である。教育で教えるべき概念ではない。
この事を科学者それぞれが考えて、意見を表明しない限り、未来の子供達への道標を示せない筈だ。『教育』の荒廃が続き、『学問の自由』が業界圧力によって踏み躙られてしまう。それは、みんなの生活の自由の根源ともなる事柄である。