カテゴリー別アーカイブ: 自然科学

電圧・電流 その意味不明

光の『振動数』 その意味不明。と記事にした。

突然300件のアクセスがあった。

自然現象としての光の意味が、専門的な解釈では一般の科学リテラシーとしてとてもあやふやなものに思える。

それは自然世界に『電荷』など実在しないにも拘らず、原子理論の『電荷』構造論はじめ、全てで基礎科学論の根本概念となっている。

『電圧』や『電流』の物理学理論ではなく、自然現象論としての認識が、論理的な解説が不明のままである。

科学者の、教育上の社会的責任問題である。高校生が理解できるように『電圧』とはどの様な物理的意味か、また『電流』とはどの様な物理的意味かを御解説いただきたい。

驚嘆 樹木の化石に

自然に驚嘆した。

地球への不思議が、心を揺さぶった。それは或る日の庭石置き場での事だった。長岡市の新産地区で、庭石に惹かれて観察させてもらった時の事である。

そこに在った。地球の過去に引き摺りこまれた。

木の化石。

左側にたばこ「ピース」の箱を据えた。

この庭石は、少し大きな庭のある家で、よく見掛けるものである。しかし、その石の一部の色が茶色である。それはどう見ても、枯れ木の肌の色だ。

その拡大図。

当時、六日町で、『巨木館』を尋ねていた。入口にデンと据えられた巨木に圧倒された記憶があった。その驚きもあってか、上の巨木の化石としての姿に、心が震えた。

この事が、地球への過去の歴史を思う事件の発端となった。

石の囁き 聞こえますか (2011/07/23) の記事に繋がった。

自然は科学理論での解説では論じきれない深い不思議な本質を秘めているのだ。

光の振動数 その意味不明

光の振動数とは何か?

この記事が不思議にも、下書きにも残っていない。コピー (2022/09/20)だけが残っているので、記事とする。

『光の振動数』とは、何がどの様に振動する物理現象を表現する物理用語でしょうか?

一体物理学理論とは、その理論に如何なる論理性があるのか。その論述する理論には多くの専門的用語が使われる。その用語の中でも、『光の振動数』は何処でも頻繁に使われる。それは電気回路の『電圧』や『電流』と同じ程、光の物理学理論で使われない事は無いであろう。

光の何が『振動』すると言うのか、それに的確に答えられない物理学は、自然科学論の基礎理論としての価値が疑われても止むを得ない筈だ。それ程、光の学術論で使われる基本中の基本用語が『振動数』だ。

専門用語は、異常なほど抽象的な意味で、しかもその曖昧さに全く疑問も感じないらしく、長年の学術論で使われている。

物理学理論はその広い分野で、その基礎となる筈と思うが、『素粒子論』、『宇宙論』、『原子物理学論』、『量子論』等々多くの分野がある。それらの全てに『光』の『エネルギー』が関わっている筈だ。だから光の『振動数』と言えば、それがどの様な空間的物理的実体の現象を表現しているかを明確に解説できなければならない筈だ。

物理学理論の専門の科学者が多い筈だから、そのような基礎的用語の意味が、誰にでも、高校生程度の学習者に分かるように解説できて当たり前と思う。

さて如何でしょうか? 科学者の教育における社会的責任としても、光の『振動数』とは何かをご解説頂きたい。

摩擦電気❓

摩擦電気という科学論で唱えられる不可解な用語。それは一体どんな物を指すのか?

文房具の下敷きを何かと摩擦すると、2種類の電気に分かれると解説される。

2種類の電気に分かれると解釈する訳は、理由は何か。

2種類の電気とは、『正』と『負』の『電荷』を指すように物理学理論での定説となっている。

下敷きを摩擦すると、簡単に摩擦電気が発生すると言う。物質を構成する基礎の要素が『原子』で、その構成力が2種類の『電荷』で成り立つ理論になっている。そんな原理的な自然世界の構成力の基である『電荷』がいとも簡単に摩擦で離れるような解釈が、それもまた物理学の原理となっている。

ガラス棒と木綿を摩擦すると、ガラス棒がプラスに、木綿がマイナスに帯電すると言う。

この現象をどの様な物理的な意味で解釈するのか。

ガラス棒の何原子から電子が木綿に移るか、木綿の何原子かがイオン化してガラスに移るかの、そのどちらかである。しかし、木綿の原子が何かは分からない、しかも原子が移動するとは考え難い。従って、ガラス棒の高分子から『電子』が剥ぎ取られ、木綿に移動したとなるか?もしそうだとすれば、そんなに簡単に硝子分子結合から『電子』が分離されるのか?と疑問が沸く。

摩擦で『電荷』が移動するとすれば、その現象は『電子』が分子結合体を構成する何れかの原子から、摩擦によって分離したと解釈するのだろうか。そんなに結合分子体は簡単に、『電子』を摩擦という広大な面積の接触摩擦で、特定の微細な面の原子の周回軌道「電子」に作用を及ぼすとなる論理的な解説が必要だ。

摩擦現象で、物が何かを引き寄せる現象は、ギリシャ時代から観測された現象のようだ。それが決して、「電気」、『電荷』による現象だと解釈する論理性は無い。そこには論理の飛躍があるが、論理性を唱えるだけの説得力は微塵もない。『こんな理由ナンじゃないか』程度の思い付きでしかない。

そんな思い付きで生れた創造概念『電荷』が現在の科学理論の無意味な、矛盾を創り上げて来たのだ。

何故、どの様な訳で、『正の電荷』と『負の電荷』が引合うと言う現象の原理に成るのか?互いに他をどの様な認識機能でその相手の情報を捉えると言うのか、そこには離れた空間の間にある、相手の『電荷』を認識し分けるのかを論理的に説明できなければならない筈だ。『電荷』から存在もしない「電気力線」が無限の遠方まで空間に張り出すと言う理屈は何か?『力』は近接作用以外生じない。『質量』間に『力』(万有引力と言う便宜的解釈論ではあるが)など生れない。『遠隔作用力』と言う概念自体が間違いである。

摩擦電気と言う奇妙の科学論理が、科学論の論理性を台無しにしている。

ありがとう 故郷の大河

故郷の家の前には大河 信濃川が流れて居た。

遠くには八海山が望めた。

終戦後、京都府舞鶴市溝尻海軍住宅から故郷に帰ってきた。信濃川がその風景の主題のように流れていた。

その川で、洗濯もした。いのちの溢れた川の流れだった。子供ながら、川に手を入れて探ると魚が手の中に入った。⦅砂っぽり⦆と 呼んでいた魚だ。砂に潜る魚で、カジカのような口の大きな魚だ。また、『蜂魚』と呼んでいたが、背に蜂のような針があり刺されると痛い、赤茶色の鱗のない小さな魚を覚えている。その魚は、川が濁り水の時よく釣って食べた。いのちが溢れていた。

そんなその信濃川で、とても不思議な、忘れられない経験をした。

それは、大きな『鯉』が自分を待っていた。

大学受験に失敗した年、浪人生活の夏の事。

信濃川で毎日の昼過ぎのひと時、只一人で『古淵』と呼んでいた場所が、日課の場所だった。張り出した大きな石から底の深さも測り知れない深みに飛び込む毎日を過ごしていた。

故郷信濃川と鯉

ある日のこと、いつもと同じく、同じ場所で泳ぐ心算でそこに足を進めた。とその飛込をする少し湾型の水面に、異様にも大きな鯉がじっと動かないで浮いている。岩伝いにその場所まで歩く自分の足音を聞かない訳はない。その鯉の傍に立った。しかし鯉はじっと動かない。その鯉の姿を見て、理解できない衝撃を受けた。その経験は、自然の世界に理解し得ない、不可思議のあることに初めて遭遇した事となった。その鯉の傍で、足元の岩岸を、トンと踏み込んだ。その鯉は、ゆっくりと向きを変えて、深い水の底に沈んでいった。今でも、もしその鯉に手を差し伸べて愛撫をしたら、どう応えたかと思うと残念であったと思う。鯉は自分が毎日その同じ場所で泳いだり、飛び込んだりしていた事を知っていた筈だ。だからその日に、待っていたのだと。

家には広い池があり、そこには多くの鯉を飼っていた。鯉は、『俎板の上の鯉』というように、鯉を調理するとき、目を布巾などで被うと、じっと動かなくなる。何度も鯉をさばいて、調理をした。

少し話が飛ぶが、他にもお正月は、飼っていたウサギや鶏を処理して、その命を頂いた。処理法は今でも出来るだろう。『血を抜くこと』が。

信濃川の鯉との思い出。それは、自然には理解し切れない不可思議があることを知る、最初の一つでしかなかった。『揚羽蝶』との愛撫、『雀』の稲穂の恩返し?、日本雨蛙、助けたカラスの尾行など、理解し得ない事の多くに遭遇する始まりの一つととして「鯉」の思い出ではあるが、大き過ぎて、今も強烈な経験となっている。

人間も自然の中の、一つの命の仲間でしかないのではと?

人類が万物の霊長類などとは思えないのだ。余りにも、欲望の強い権化では・・。初めから人を殺す、征服して自我を満足する為の権力欲に溺れる・・。環境破壊で、他の生物を消し、己の生存環境を、食料を失う意味も気付かない。

余りにも偉大な自然を前にして、途方に暮れる。

雷と電気回路の相似性

雷。それは、雷の自然現象として現れる物理的現象の意味と自然世界を人が解釈するための科学技術理論との間の関係を考えるに良い考察対象である。

雷の正体を示せば、それは水蒸気の『熱エネルギー』である。しかし、ベンジャミン・フランクリンは〈雷は電気である〉と言った。

筆者は雷の正体が何物かを、その物理現象の本質を示せば、丁度電気回路と相似な現象と見做せると解釈する。

雷と電気回路の相似性

雷の解釈を、その火花放電現象の、大きなエネルギーの放射から、その現象を空間に発生する大きな『電圧』で捉える点では、ベンジャミン・フランクリンが言う意味に共通している。ただ、現在の電気理論では『電圧』の物理的意味を『電荷』で解釈している。しかし自然世界には『電荷』などは存在しないと言う点で、解釈の基本が大きく異なる。筆者は『電圧』という概念が空間の『エネルギー』の偏りの分布による『エネルギーギャップ』を評価した科学技術概念であると捉えている。

その『エネルギーギャップ』という意味は、電気回路で言えば、電源電圧の負極側の電線付近の空間が正極側電線付近に対して、より高密度の『エネルギー』の分布の偏りの状態になっているという意味である。

さて、雷に対しては、決して『電荷』等の現象でないことは電気回路と同じく、空間に生じる『エネルギーギャップ』が空気絶縁の限界に達した時、その空間の『エネルギー』が発光放射に至る現象なのだ。その『エネルギー』は何処から来るかと言えば、海からの水蒸気が持ち込む『熱エネルギー』なのだ。地上の上空に張る寒気で、水蒸気の体積収縮が起き、上空に水蒸気の水分が上昇気流となって積乱雲を発生する。地上と積乱雲との間の空間に丁度電気回路の静電容量の空間が出来る。水蒸気の『熱エネルギー』が地上に残り、空間に『エネルギー』の貯蔵されたコンデンサ状の空間が発生した状況となる。『エネルギー』の貯蔵量が限界に達すれば、丁度高電圧の火花放電現象と同じ状況が起きる。それが『雷』の正体の物理現象である。それは丁度熱爆発現象と見做せる。雷と電荷の物理 (2021/06/22) でも述べた。

雷は海から蒸発した水蒸気の『熱エネルギー』の限界爆発現象である。

『熱』の正体 (2014/05/15) 。沸騰を読む―原子と寸法― (2014/05/21)。古い『熱』についての記事だ。

『熱』は光や電気というものと本質は同じ『エネルギー』で、その間に差はない。人には、見えるもの 見えないもの (2015/03/04) がある。『熱』も『エネルギー』もその空間の姿を科学的に測定できない。検証できない存在は科学論の認識になり難いのだろう。

 

 

エネルギーの姿・象

物理学理論で認識されていない概念が『エネルギー』である。

その代わり、自然世界に存在しない概念、『電荷』や『電子』が科学論の基礎概念となって理論が構築された。

『エネルギー』を意識しない科学論。科学論文はその専門分野に特化した特殊な『専門用語』で論理が展開される。専門家はその専門分野での高度な先端研究を対象にするから、それは止むを得ない事だ。しかし、その科学論はその専門用語が狭い専門家の為の世界観での解釈となるため、抽象的な表現に思えて、具体的生活空間から乖離したものとも見えて、解釈理論が理解困難となる弊害にもなる。基礎概念が曖昧なまま、教育現場に下ろされ、理解できない未消化な科学知識の市民科学リテラシーとなる。その最大の問題が『電荷』である。検索情報にも、『電荷』とは何か?という当然とも思える質問が提起されている。しかしそれに対して、回答者は、余りにも根本的で・・と答えることが出来ずに、逃げている。

エネルギーの形象。

光・熱。電気。圧力。

エネルギーの諸相

 

このブログでも、『電荷』という虚像 (2011/04/08) 、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07)  などから始まった。

自然に対する観方は、自然科学理論では科学技術のための特殊な概念に因ったものになる。そこに『電荷』や『電子』という自然世界に存在しない概念が創造された。

自然界は極めて純粋である。それは『エネルギー』一つで構築された世界である。湯川秀樹が『混沌』と言ったものでもある。世界はエネルギー一つに集約されると、バートランド・ラッセル博士が述べた事でもある。

現在の物理学理論を唱える時、空間に実在する『エネルギー』の存在を意識できていないと言う、大きな理論の矛盾を抱えたものになっている。

上の図、エネルギーの諸相に、科学技術や自然現象が『エネルギー』によって生まれた世界であることに纏めてみた。質量も『エネルギー』の集約された象である。だから、 mc²[J] と『エネルギー』に変換される意味なのだ。

少し関連記事を挙げておく。

光・熱・電気。 雷の正体 (2012/11/13) 。焚火の科学 (2018/05/26)。白熱電球のエネルギー変換技術は? (2018/02/12)。新電気回路理論 (2022/09/01)。

回転動力。 発電技術とエネルギー空間 (2022/05/28) 各部ごとの詳論が未だ未完だ。

膜・弦振動。三味線と縦波 (2012/02/07)。糸電話―力学的解剖― (2014/03/06)

 

 

電荷の定義?

『電荷』が自然科学論の根幹で矛盾の権化となっている。これが科学論の論理性とは驚き桃の木だ。科学論には論理性等無縁と思える。

『電子』や『陽子』などが原子論構成素子として解釈の基礎となっている。原子は科学論を論じるに、意識するか無意識かに関わらず、自然世界の根源的概念となっている。その原子の中でも『電子』は普通の電気回路での『電流』と言えば、その『電子』の逆流等と、多くの検索記事で論説されている。学校でも『電荷』はとても大事な必須概念として教えられる。そこから科学理論の、教育によって考えずに、記憶する集団科学論の抜け出せない『地獄門』に入ることになるのだ。

それは教育の放棄にも等しい事だ。考える事から逃げているように思える。

しかし、『電子』はどの様なものかと問えば、10桁の数列の驚くべき精度?の数値で示される。ただ桁数で権威付けした、定義と言うだけの、説得性の何もない意味不明の提示がされている。

ところが、『電荷』とは何かと問うても、その『電荷』についての定義はない。

電気回路でコンデンサに蓄えられるものは『正』と『負』の『電荷』で解釈される。その『電荷』とはどの様なものかは一切不明のままである。『電子』でもなく、『陽子』でもなくまた、『原子イオン』あるいは『正孔』でもない。兎に角『電荷』で解説される。電気回路の解説で、『電荷』が論理の中に使われるとき、その『電荷』が『電子』でもなく、『陽子』でもなく、ただ『正』と『負』の『電荷』なのだ。『電子』でもなく『陽子』でもない、別の独立した『電荷』という物理量が論者の思い通りに、自由に、お呼び寄せられる極めてご都合の良い自然世界の「物理量」と成っている。科学者はとても有能だから、只思えば、『電荷』が『正』と『負』で天から降臨するようだ。それは、〈雷〉の科学論文にも、ただ『電荷』だけで論理が成り立つとの思し召しの論になっている。コンデンサの両電極に〈クーロンの法則〉を無視して自由に同一極性の『正』あるいは『負』の『電荷』が反発力を考慮もせずに御集合なさるとなっている。誠に自由な、科学的権威が取り仕切る概念の世界が、自然世界と別に存在するようだ。

だから『電荷』と言う物の空間像も、その物理的概念の『定義』も提示できないのだ。

『電荷』の概念?

電荷の論理性❓

自然世界の風景や日常生活あるいは科学理論の基礎の解釈において、本当に『電荷』がこの世界に在ると感覚的に実感しているのだろうか。『電荷』と『電子』や原子核の『陽子』は勿論同じものではないと考えるだろう。『電子』や『陽子』は『電荷』がその質量と言う物理的実体に、別な物理概念としてその質量に付加している訳だ。その意味での『電荷』はどの様な空間の実在体として、『電子』や『陽子』に特別な『正』とか『負』という機能を発揮する意味が有るのだろうか。『正』と『負』という自然世界に存在する物理的意味が、どの様な物であるかが明らかに説かれなければ、その『電荷』という物理的概念は意味が無いのだ。曖昧なままで、実在すると言うだけの権威に掛けた主張に従ってはいけないのだ。そこには科学的と言う論理性が無いから。

さて、上の(2)式で、『正』と『負』の『電荷』が結合すると何になるか?数学の論理に従えば、『0』になる筈だが、決してそうはならない。雷の研究者、専門家の論説では、『正』と『負』の『電荷』が折角離れたのに、何故か再結合して、稲妻の光放射に変化する。その光になる現象の厳密な物理的論理の解説はどこにも無い。『正』と『負』の結合が何故光の『エネルギー』の放射になるか、その物理的原理の解説は無い。白熱電球の放射する光の『エネルギー』がどの様な物理的現象によって発生するかさえ解説できない。『エネルギー』の流れの論理的解釈もできない。決して『電子』では解説できないのだ。それも全て『電荷』という自然界に存在しない物理量が、恰も自然世界の真理の如く考えたところに誤りの原因が有ったのだ。電気回路現象に『電子』は決して、その概念の意義は存在しないのだ。雷の光の発生原因をどの様な物理現象かを解説できなければならない筈だ。

上の(2)式の❓が如何なる意味かを『電荷』で論説できるだろうか。

原子構造論 その虚像

今、科学理論は混迷の中に在る。科学基礎理論の未来が問われている。『電子』の概念の矛盾とその不要論。

表題のような、全ての科学理論の根源的拠りどころとなる『原子』の論理を否定するような内容を述べなければならないことに、複雑な思いにいる。

拙い知識を基に述べる解釈など、世界に届くは難しいかも知れない。それにしても、何故これ程理屈のない科学論・科学概念が世界を支配することになったのか。子供達への教育を思えば、現状を放置できない。

だから、平易な日常用語で科学理論の矛盾を取り上げ、理論の非論理性を明らかにする事が、科学技術用語の曖昧さをなくする意味で大切な筈である。電気理論で、正の『電荷』と負の『電荷』が有ると言う。その『正』と『負』という意味の違いはどの様な空間的違いを持つ概念なのか?その意味をハッキリ説明できない限り、その概念には論理性は無いと言わなければならない。

例えば、『電荷』の意味を考えれば、その論理性を問わずには居られない。

数式で、  (+1)  +  (-1)  =  0               (1)

となる。では、

『電荷』では  (+Q)  +  (-Q)    =    0        (2)

となるだろうか。もし、数式の論理で(2)式が成り立てば、

物理学概念の『電荷』という、物理量の意味が消えてしまう。

そんな曖昧な物理概念が、科学論の根幹と成っている現実を放置できるのか。

ここで述べる批判の対象の科学理論という意味は、科学技術としての最先端の研究現場の技術理論ではなく、高等学校の生徒を対象とした教育用教科書に載るような基礎理論、物理学、化学など、理科の基礎の内容である。その中でも標題に示す、原子とその原子構造に関する物理学的解釈が主になる。特に『電子』の物理学的概念の解剖論。

その科学理論、その概念の曖昧さや矛盾を取り除いて、自然世界の真相を易しく解き明かし、未来の子供達に残して置きたい。専門家が解説する科学理論、狭い分野を対象にした専門家の解説する学術理論が如何に多くの矛盾を含んでいるか、いやそれ以上に間違っているか。その事を明らかにして、市民が分かると納得できる理論体系として示したい。その為に、身近な問題を具体的な課題として考究し、自然の真相を市民が理解できるような形で示し、自然の眞相を感得する為の懸け橋と成りたい。こんな筆者の教科書批判が間違って居れば、専門的科学者から徹底的に批判されてよい筈で、筆者の論など消え去るべきであろうが❓❓

昨年、内閣府共通 意見等登録システム へ   (日本学術会議)

『電子は科学理論に必要か』(2021/07/20)。『再度、電子は科学理論に必要か』 (2021/08/23)。と二度ほど質問兼意見を述べさせて頂いた。そこで、電気回路では『電子』は何の役にも立たない存在だ。と教育上の問題を指摘させて頂いた。残念ながら反論、ご返答は頂けなかった。無視されたのだと諦めた。

原子構造は原子核とその周回『電子』で構成された構造論に在る。

原子構造と光放射現象 (2021/04/07) で取り上げた、拙い構造図だ。

科学理論の最も基礎となる論が、原子構造論だと思う。『原子』はギリシャ時代からの科学論の対象でもあった筈だ。近代科学論は、『電子』の発見とその解釈が基礎となって来た筈だ。

その『電子』が原子構造論の基礎理論を形付けて来た。陰極線の発光現象、気体発光現象など、全ての科学理論で、『電子』の関わらない解釈、現象論はない。

原子周回電子が軌道を変ることで、光を放射すると言う。そんな魔術的な発光現象が何故起きると言う理論になるのか。その論理性は何処に在るのか。『電子』の原子周回運動エネルギーがどの様な物理的原理によって、光の『エネルギー』の放射現象になると言うのか。

陰極線の物理的実体 (2022/09/14)。陰極線とは何だ?(2022/02/25) 。

少し取り留めのない話で終わり、🙇。

磁極とは何か?

科学理論とは何と不可解なことか。

科学理論と言えば、世界の最も高度な論理的な叡智の結晶とも思えよう。しかしよく考えるととても不可解なんだ。

誰もが一度は手に取って、その不思議を実感しているだろう。それはマグネットだ。

マグネットには不思議にも、二つの相反する『磁極』が有ることになっている。

自然現象は人が理解できないほど不思議に満ちている。

しかし、それは自然が複雑だからではないのだ。人が自然の姿を複雑な観方で捉えているからなのだ。

何故、人がそのように複雑な観方をするかと言えば、人が複雑な意識に有るからだ。とても『欲』が深いからだ。思うように行かなければ、自分勝手に権力を使って、人殺しや破壊を平気でする、戦争を自分流に正当化する。それは人間の卑しい特性である。権力の集中を許さないように、一人一人が注意して生きる以外無いだろう。

何故、『磁極』が二つある、それがN極と S極だと解釈するのも人間の思いからだ。

それは『電荷』が二つあり+極と-極と同じような意味だ。

『電荷』も『磁荷』も本当は、二つのものなど無いのだ。人間が昔から科学論として二つで解釈する方法を取り入れただけでしかないのだ。そんなに自然が複雑な訳など無いのだ。自然とは、人が考え得ない程『純粋』なのだ。人は複雑な意識の中で生きている。己自身が精神的に複雑さを抱えているのだ。

だから自然の『純粋』さには就いて行けないのだ。

専門家が科学理論を複雑にしてきたのだ。総合的に自然世界を己の感覚の中で、違和感なく納得できる捉え方を、その努力を怠って、自分の世界の集団的、社会的勢力を強くしたい欲望がより勝って来るから止むを得ないのだ。その専門家の論理、理論が不可解で、特殊な複雑さで、素人の踏み込めない複雑な城壁を築いてきたのだ。

『磁極』も『電荷』も、そんな物は自然は持ち合わせて居ないのだ。残念ながら、人間が創り上げた妄想論なのだ。

「気象庁 地磁気観測所」の記事を見て思った。御免なさいね!