カテゴリー別アーカイブ: 自然科学

pn接合の機能(電圧とエネルギー)

(2023/02/18).

 半導体とは誠に不思議な機能特性を持っている。しかしその機能の意味を、解釈する電気理論、物理学理論は何だろうか?半導体と言う電気特性材料が第二次世界大戦後に発見、開発された。その特徴はp型半導体、n型半導体および真性半導体と三つの分類で分けられる特性を示す。その半導体の特性を解釈する理論が『バンド理論』であろう。しかし、その半導体特性をその理論で理解しようとしてもなかなか理解し切れずに来た。今は、自然世界に『電荷』の存在すると言う標準的な物理学理論の基本的解釈論拠を完全に信じられなくなってしまった。『電荷』が実在しないと言う自然観に立てば、『電子』やクーロンの法則の意味が無意味になった。そのような観点に立つ根拠として、物理学理論の基礎物理量に、『エネルギー』の実在性が全く認識されていない、その余りにも『考えない』不可解さに、科学理論の本質的矛盾の支配した姿の基が潜んでいると理解したからである。

 その一つの具体例を半導体と言う、特性材料に掛けて、『電荷』、『電子』の論理的矛盾を取り挙げたい。その pn接合 に、電気技術概念の『電圧』と『エネルギー』の意味を理解して初めて、自然科学理論の本質に『電荷』を据えるべきでないと分かる筈だ。

 太陽電池の原理-ダイオード逆流の不可解- 
 
 その前の、太陽光発電の原理 (2021/01/06) の記事で取り上げた回路を、初めてある解説記事で知った。そのような具体的回路例の解説は何処にも無かった。太陽光発電の半導体機能要素のpn 接合で、技術概念『電流』の流れる方向が、ダイオードのonの導通方向と逆であることを知った。その訳が『バンド理論』でどう解釈するのか、『電子』と『正孔』では筆者には、その動作を理解できない。その意味を、ダイオードとしてみた時、どう解釈すれば良いかを考えた。

 上の図の意味を考えるには、先ず『電圧』と言う技術概念量の物理的意味、物理量をどの様に捉えるかが基本認識として必要だ。
 
 ダイオードの n型が電圧降下の陰極側である。『電圧』の陰極側はその領域に『エネルギー』が高密度で分布した状態である。対して、p型は『エネルギー』のない極性側である。pn領域間には『エネルギー』の分布ギャップがある状態を『電圧』と言う技術概念で評価しているのだ。『電圧』がある空間は、その二点間の空間に『エネルギー』の分布密度差が有ると言う物理状態なのだ。

 ② エネルギー変換機能 はダイオードの極性としては『オフ』の極性である。だからそのダイオードは『オフ』の筈である。しかし、太陽光発電では光の『エネルギー』を n型側で余分に吸収して、『エネルギー』量の、pn 接合状態より、多い物理的特性状態になる。その光の『エネルギー』吸収分だけ余分な状態となり、外部に放出する電源としての機能を発揮すると解釈する。その為、負荷抵抗には電源電圧に加算した、太陽光の『エネルギー』分が加わると解釈したい。
 (2023/02/20) 追記。この回路が動作するには、ある条件が必要だろう。電池などの電源は、その『エネルギー』供給能力が十分大きい。電池の保有『エネルギー』を放出し切るまで電気回路の『電圧値』を規定値に保つだけの能力を持っている。pn接合素子も十分なその素子の電圧値に対しての供給『エネルギー』の能力が必要であろう。その電池電圧に対する比率で、ある程度の整合した『エネルギー』供給能力が必要であろう。実験・研究室があれば‥。pn素子の並列数と照射光の紫外線強度スペクトラム・・。

 この解釈は、自然世界に対する感覚的観照に基づく。『電荷』と言う物理概念を否定し、その論理的矛盾から、全て『エネルギー』一つでの解釈を基礎に置かざるを得なくなる。これらすべては、電気回路電線導体内に『電子』が流れる筈が無いと言う物理的原理に基いた原則に立っての認識による。

電荷と哲学対話

 (2023/02/13).

 長く科学理論の根幹を支えて来た歴史的物理概念『電荷』が、現代物理学理論の基礎に置いての論理矛盾の元凶であるとの認識にある。これ程の科学論の世界でちぐはぐな思いに至ってしまった事をどう繕えばよいか?

 前に、電流と哲学対話 (2017/06/18) がある。
 
 更に、電荷と電圧の哲学 (2019/10/23) がある。

 上の記事にもある、大学と基礎研究 なる記事でも述べた。決して企業研究活動として『電荷』とは何か?等と言う研究はしないだろう。それこそ、生活保障された大学の研究者が取りくむべき問題だ。今はそのような研究が許され難いかも知れない。期間限定の不安定な身分では、先の到達目標が明確でない真の基礎研究は競争的研究の審査を通過する関門で排除される。『学問の自由』という意味が、抽象的な謳い文句化してしまったのかも知れない。

 科学技術とその解釈理論は隆盛を極めている。それは夫々が、狭い専門分野の最先端研究で競争を競って進められているからだ。しかし、プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』がクーロンの法則で唱えられるように、『何故、引合うのかその訳は何か?』と言う疑問を抱かないのか、抱いても考えずに無視するのか。そこに自然科学の、何処か論理的な不整合が放置される今の時代性に原因があるのかも知れない。科学技術理論はどんどん広がって行く。しかし『電圧』とはどの様な自然現象を評価した概念かと、その意味を尋ねても、明快な解説を子供達に示せない、科學技術論と基礎自然科学理論の間の断裂、その不思議さ❓

 決して自然世界に存在しない『電荷』や『電子(負電荷)』の概念で解説しようとしても、『電圧』の物理的意味の理解、あるいは解説は無理なのだ。

 電子の論理矛盾の具体的問題。
理論物理学あるいは電気磁気学の専門家である皆さんにお尋ねしたい。特に大学などで教育に携わっておられる先生方に。

 ① 電圧、電界の物理的概念。 1.5 V の乾電池に電線を繋いだ。途中にコンデンサの平板電極も繋いだ。乾電池のプラス極に繋がる電線などの金属導体はすべて同一電位にある。同様にマイナス極側の金属導体も電池の負極電位にある。金属導体内には『電界』は無い。従って、プラスとマイナスの電線の間の『電圧』はどの導体間でも1.5Vである。
 〈問〉さて、そこで図のⓐ点(プラス側電線近傍空間点)とⓑ点(コンデンサ内の空間点)の『電界』は如何程か(勿論数値は分からない)。この場合の『電界』を決める要因は、どの様な物理的概念、物理量によって決まるか?

 ② 電子の論理矛盾。 1.5Vの乾電池を4個直列に繋いだ。その電源の電圧は6.0V となる。負荷抵抗に1kΩを繋いだ。負荷電流は I=6 mA と成ろう。
 さて、この回路電圧は 6.0V で、電線路間の空間の『電界』はどの様な分布となるであろうか。マイナス側から『電子』が流れ出しても、線路電圧 6.0V の発生原因とはならない。勿論、電池のプラス側からプラスの『電荷』に対応する『何か?』が流れ出すとの解釈論理も見当たらない。
 〈問〉 端子電圧を決める物理的原因は何か? それを決めるものは、電線路内の空間の物理的現象である。それが空間の『電界』と言う技術解釈概念である。と言う処で、技術解釈概念『電界』とはどの様な物理的現象を捉えた意味なのかを極めなければ、自然世界の真相を理解する事にはならないのだ。そこが、物理学理論としての学術の目指すべき道・目標であろう。

 〈問〉電源電池内の『電子』はどの様に流れるか。 電池電圧 1.5V の発生原因がどの様な物理的現象として決まるかが分かって居ますか?
 そんな極めて基礎的な日常生活の中の科学的論理性さえ曖昧な科学論の中で過ごしているのだ。標題に、『電荷』と哲学・・とした、「哲学」とは決して難しい事を対象にしている訳ではない。高校生でも十分に考えられる基礎的で、日常的な〈疑問〉を解き明かそうと思う事でしかないのだ。科学理論で、『電荷』が最初から絶対的な自然界の真理として『ある』と高圧的に、権威的に押し付けられているのが現状なのだ。自然は極めて純粋で、単純なのだ。人間が複雑な解釈概念を創り出して、創造して構築したのが現状の現代物理学理論なのだ。自然世界に『電荷』など実在しないのだ。原子構造理論も、その『電荷』概念によって構築された理論である。質量も『エネルギー』と言う物理学的測定法で測定不可能な空間の物理量によって局所化された結果の姿でしかないのだ。 E=mc² [J] と言う物理的意味も、空間の『エネルギー』E[J] が質量 m[kg] に局所化したからでしかないと解釈する。薪を燃焼すれば、『熱』と『光』の『エネルギー』に質量(炭素と酸素の一部)が変換される自然現象である。『炭酸ガス』になるだけではないのだ。

 電気回路現象は光のような空間の分布量を測定できない『エネルギー』の空間現象なのだ。物理量『エネルギー』を意識しない限りは、『電子』論の曖昧な解釈論に留まらざるを得ないのだ。『電子』論では、『電圧』の意味も解らないのだ。

太陽電池の原理―ダイオード逆流の不可解―

(2023/02/12). 『技術』と『理論』の統合失調症❓ー筆者だけが理解できないのか。

太陽光発電。

 ダイオードの pn 接合の素子の面に太陽光線を当てると、電気エネルギーを発生し、そのエネルギーを利用できる。その原理を利用した発電技術が『太陽光発電技術』である。

 しかし、その発電原理が理解できないのだ。ある国立の研究機関の解説『太陽電池の原理』を読ませて頂いた。そこには、『電子』が光からエネルギーを受け取る。エネルギーを吸収した電子を外に押し出す。外の電気回路で仕事をする(エネルギーを放出)。と当たり障りのない解説で、具体的な回路現象の解説はされていない。

 〈疑問〉 太陽光発電素子はpn半導体の接合面での電気現象(光電効果?)を利用した科学技術製品だ。しかし、その基本素子はダイオードと同じだ。〈疑問〉とはそのダイオードの電流の流れる方向が逆流なのだ。何故ダイオードの逆流現象によって発電が出来るのか? について全く解説されていないのが極めて不可解なのだ。

 回路構成。

下図の回路図の負荷側に逆流素子のダイオードを追加、訂正した。

 太陽光線を受ける半導体素子と回路の構成が①だ。そのB端子が電源のプラス端子、Aがマイナス端子の太陽光発電池の電源である。それが②の等価回路である。その電圧 Vg が直列に3個で電源電圧となる。前に、太陽光発電の原理 (2022/01/06) で参照させて頂いた図である。

 その電圧 Vg の回路構成を書き表せば、次の③図となる。

 この図を見れば、6個の発電素子のダイオードが直列で、電圧 Vg の発電電源と成っている。その電源から『電流』 I が流れだす訳だから、ダイオード内を逆流することとなる。ダイオードのオンできないオフの向きに『電流』が流れる回路構成だ。
 ④図はそのダイオードの素子の導通方向を示したものである。基礎理論の解釈と逆である。半導体の動作原理として、バンド理論が在る。初めに参考にさせて頂いた研究機関の解説と比べると、この半導体のpn結合面での『電子』の流れる方向性についての論理的解釈が示されていない点が極めて、不可解なのだ。

 根本的疑問。
 『電子』がどの様に光の『エネルギー』を受け取るのか。『電子』の運動エネルギーとして受け取るのか?位置エネルギーではないだろうと思う。『電子』の保有する『エネルギー』の論理的な解釈が無ければ、負荷に『エネルギー』を供給すると言う物理現象の原理とはならない。電池における電子の役割を問う (2018/05/24) の記事となった。
 

回路要素『抵抗』と超電導現象

(2023/02/09).

 超電導現象と呼ばれる電気回路の特別な状態が確認されている。それは、回路環境条件が極低温度状態で起こる現象である。

 何を以って、超電導と定義したのか? それでは普通の電気回路の電導とは『何』が『何処』を導通すると考えての事か?

 何故、電気回路の導線内を『電荷』や『電子』が導通できる訳が無いと認識できないのか。

 そんな意味も理解できないで、超電導現象などと特別の自然現象であるかのような、理屈の通らない科学理論が唱えられるのだろうか?論理性のない科学理論が横行する科学技術論の学術世界は、教育と言う子供達に対して行う大人、科学者の社会的責任をどの様に執る心算か。

 超電導現象は電線路で『エネルギー』損失が無い、その訳を超電導研究者などの専門家は金属導体内を『電子』が伝導する物理学理論に論拠を置いている筈だ。しかし、その専門家は『電子』がどの様に電気回路負荷に『エネルギー』を伝送するかの物理現象を解説できない筈だ。電線路のジュール損失即ち『抵抗損』と言う『エネルギー』損失が無いと言う電磁気現象の画期的な利点を、科学技術に役立てる事の可能性をその研究の眼目としている筈だ。その『抵抗損』がどの様な物理現象かを明確に理解して初めて唱えられる科学論になる筈だ。だから、懐中電灯の『負荷』は純抵抗負荷である。調理用の電熱器もその負荷特性は純抵抗負荷である。その抵抗は抵抗損を利用する製品だ。その『抵抗』と言う電気回路要素は電気回路で供給する『電気エネルギー』を『熱エネルギー』に変換する回路要素の機能である。そこで、『電気抵抗』はどの様な物理現象によって電線路で供給される『電気エネルギー』を『熱エネルギー』に変換する物理的原理に因るかを解説できなければならない筈だ。抵抗値と電流の二乗の積で抵抗損失電力のワット [W= J/s ] 
が消費されるなどと言う、数式で表現しても、それは『抵抗損』の自然現象としての物理的理論解析には成っていないのだ。そもそも、『電流』と言う電気技術概念さえ、その物理的意味を超電導研究者が理解しているとは考えられないのだ。『電子』が電線導体内を通る等と言う、自然現象として有り得ない解釈をする頓珍漢な専門家解釈が、科学理論の未来への混迷を増幅させているのだ。何故『電子』が電線内を通過すると、負荷抵抗に『電気エネルギー』を電源から届けて、負荷抵抗内でどのような物理現象を原因として『熱エネルギー』に変換できると言うのかを明確に解説できなければ、それは科学理論とは言えないのだ。

電池における電子の役割を問う (2018/05/24) がある。誠に申し訳ないが、科学論、現代物理学理論が何処かお笑い話に思えてしまうのだ。『電子』に魔術的機能を担わせて、科学者が考える基本を忘れてしまったようだ。

 要するに何を訴えたいかと言えば、電気回路現象で、負荷で消費する物理量は『エネルギー』である。直流であろうと交流であろうと、その電源は電気配線を通して、『エネルギー』と言う物理量を供給するのである。物理学理論で、その物理量『エネルギー』を意識しない、その『エネルギー』を『電子』でどの様に伝送するかと言う基本的な『考える』理学の基本、疑問を大切にする意識を忘れてきたのだ。そんな科学論が今まで科学常識として通用してきたのだ。これだけ科学技術の研究成果による恩恵を受けながら、みんなが何故『考える』と言う基本を無視してきたのか。高度な訳の分からない数学式に因った科学論に支配された状況から脱出して、市民が日常用語で解釈できる科学論の未来社会を構築すべきと思う。『エネルギー』と言う物理量が皆の目の前にある事を意識して欲しい。

電気エネルギーの伝送空間特性

(2023/02/09).

 新しい電気回路理論の確立に向けて。

 それには新しい物理学理論の革新が欠かせない。

 電気回路理論には決して『電子』や『電荷』は無用の過去の遺物概念である事を認識する事から始めなければならない。

「超電導現象」の物理的特性の本質を理解するには、電気回路要素の『抵抗体』の物理的空間特性を理解することが欠かせない。

 オームの法則により、抵抗に電流が流れれば、電熱器としての機能を発揮する技術製品に活用できる。それが科学技術理論である。しかしそれは、自然現象の原理を理解した『物理学理論』とは言えないものだ。確かに、科学技術による経済競争を制するという意味では、「これこれの現象が有る」だけを知っていれば事足りるかも知れないが。あくまでも科学技術理論なのだ。自然の世界を理解するという事は、これこれの現象を発見しただけでは事足りないのだ。その現象の奥に隠された、真理を理解しない限りは科学基礎理論の確立とはならないのだ。現在の科学理論の殆どは、それぞれの狭い専門分野の研究からの集大成として捉えられた総体を漠然と自然科学論と認識している状態だ。その結果、教育として子供達に伝えるべき、教えるべき『教育内容』には、自然科学論として極めて矛盾の混乱した内容になっているのだ。

 新電気回路理論の確立に向けて思う。残念ながら、研究室が無い者の30数年に掛けた漸くの結論が見つかったかと、「超電導現象」を考えながら思う。

超電導 その滑稽論理❓

(023/02/07).

 また御免なさい。世界の科学論に批判をする御迷惑を。しかし、こんな曖昧な、論理的に考えない科学理論の横行に我慢できないのだ。

 20aYE-14 超電導現象の誤解 日本物理学会講演概要集 第63巻ー2号-4分冊. p.691. (2008.9.20). 
  そこには、[電流と言う物理量は無い⁽¹⁾]  から始まる。

 誰も、恐らく『電流』と言う物理量が無いとは言わなかろう。しかし、その『電流』と言う意味をよく考えれば、そんな物理量がこの世界にある訳は無いのだ。科学技術量としての『電流』は有ると言える。そんな概念量『電流』を計測する測定器を開発した、その科学技術力は驚嘆に値する。

 然し乍ら、『電流』と言う『電荷』の時間微分で解釈するその論理性を、とことん追究すれば、極めて曖昧な概念である事に気付く筈だ。『電荷』とは何か?、その『電荷』が導体内の何処をどの様に流れている状態で、その時間微分とはどの様な意味かと具体的で、詳細な意味を確認すれば、そこには明確な理屈が成り立たない曖昧さ以外の何物でもない事を確認できる筈だ。要するに、誰も『電荷』の空間を占めるその像を描けないのだ。どんな物理的空間像かを考えないのだ。

 『電荷』に対する物理学理論の定義は。 『電荷』にはプラスとマイナスの二種類が在ることになっている。クーロンの法則で、+と-の『電荷』は引合うと言う。+と-と言う違いはどのような空間的違いを持つのか?その違いによって引合う力の発生理由が示されるなら、そこにその論理的な理屈が示される筈だ。しかしその点が根本的に欠落しているから、+と-の『電荷』が引合うと言う論理性等全く示し得ないのだ。そのような『電荷』の内で、『電子』が特別な意味を持っているが如く、あらゆる科学理論の根源的物理学的素粒子のように論拠として扱われる。具体的な論拠となる理屈も示し得ないままで。その『電荷』あるいは『電子』が金属導体中を自由に流れると、理屈もなしに唱えられる。『電子』と磁気の関係が理屈もなしに、論じられる。

 『電荷』が導体金属内を流れると、何故どの様な理屈で、電線導体から離れた空間にその電線導体内の『電荷』が『磁束』と言う意味不明な線束を発生すると言えるのか。その訳は何か?

 『電荷』の空間像も明確に示し得ないで、遠隔の離れた空間に何故、『磁束』と言う磁気的物理量概念(?)を発生できると言えるのか。何処にも、理屈など無いのだ。だから空間に『電荷』と同じく『磁束』等がある訳など無いのだ。

 物理学理論に、一体どこに論理性があると言うのか。『電荷』とはどの様な空間像かを示し得ない限り、そこには専門家としての社会的責任を果たしてはいないと言わざるを得ない。

 『マイスナー効果』。 『磁気』とは『磁束』が空間に張り出している空間像で捉える事など出来る物理量・物理概念ではないのだ。何処に『磁束』等が在るか?『磁気』とは『エネルギー』の軸性回転流でしかないのだ。

 

熱と光の『エネルギー像』

(2023/02/02).
前の記事が 熱と光の科学論 であった。

 図は焚火の様子を描いたものだ。焚火に当たると心まで温かくなる。その炎の揺らめきには、心を落ち着かせる何か不思議な作用が有る。古いいにしえからの人間の精神の歴史に触れるからかとも思う。
 焚火は木材、枯れ木の燃える物理現象だ。化学反応式は炭素と酸素の化合式となる。

   C + O₂ = CO₂ + (エネルギー)
 
 この化学反応式に最近はとても違和感を抱く。等号の左右の炭素Cと酸素Oの原子記号は何を表現したものか。ここに、科学論の表現法式の典型的な姿が現れている。その原子記号がすべて同じ原子を意味するとしたら、燃焼で人が利用する熱や光はどの様な物理現象によって得られたものと解釈するのか?この式のように、無条件で熱エネルギーが得られるとしたら、それはマジックの世界の話と成る。何故、無から『エネルギー』が得られるような表現式が化学式として、自然現象の解釈が許されるのか。『何故か?』と疑問に思わないで済むのだろうか。そこには理解できない人間の解釈論理が根底になった、自然と科学論の関係が出来上がっているように思える。
 

炎の中に、科学論を描けばどのようになるか。等と考えるのは、自然に対する人間の浅はかさかも知れない。

 それでも少し考えてみたくなる。熱と光は切り離せない密接な自然現象の関係性にある。白熱電球を見れば、そのフィラメントは赤く熱の塊に見える。焚火の炎も白熱電球も、その熱と光の関係の自然現象には基本的に差が無いように思う。こんな解釈論は、決して科学理論としての観方はされないかも知れない。随筆、文学論に近いか。しかしこの方が自然現象の解釈としては、誰でも日常生活での自然との接し方での想いとつながる、専門的な科学論の前に学習しても子供たちに、無味乾燥な記憶術に縛られる学習より、不思議だと思う感動に、興味を抱くのではなかろうか。

 さて、焚火を見てその赤く燃える炎の物理的意味をどの様に解釈すれば良いか。勿論炎が見えるという事は、見えない光が人の目、視神経に届くから、そこに炎がある事を認識できるのだ。炎が目に入る訳ではない。また、『熱エネルギー』も炎から放射されて、『輻射熱』として認識する。輻射熱がどの様な速度であるか、目に見えない赤外線なのかどうかも残念ながら知らない。温度の4乗に比例する放射則に従うと言う知識は教育によって教えられて知っているが、自分で確認した事は無い。輻射熱として放射される『エネルギー』も、その空間像を人は見ることはできない。その輻射熱として空間を伝播する『エネルギー』の姿、空間像を皆さんがどの様に認識しているかは分からない。決してその『エネルギー』には質量は含まれていない筈だ。炎の姿を人に知らせる物理量は、それは目に見えない光以外には無い筈だ。熱さを肌で認識してもその輻射熱の姿を知ることにはならない。見えないから観測対象の姿を人に見せてくれる機能を持つ「光」なのだ。光の姿が観えたら、身の周りの景色など人には見えなくなる筈だ。それは光に邪魔されてしまうからという意味だ。光が見えない物理量だから、人は周りの姿を、その光によって確実に見ることが出来るのだ。『光』は、『エネルギー』はその空間像を、科学的計測法でも、人の目でも知ることが出来ない。だから科学的な観測概念としての『振動数』が何かを意味するかを知ることはとても大切な事なんだろう。

 『熱』と『光』の関係をどの様に理解するかは大切な物理的解釈論の筈だが、その関係を未だ理解できないでいる。そこには決して『電子』などでは納得できる解釈論には辿り着けない。空間の『エネルギー』に対して、『電子』など何の解釈の助けになれないモノ(?)だから。『熱』から『光』への物理的変換現象の解釈論の『謎』を解きたい。

技術用語『電圧』および『電界』の物理概念は❓

(2023/01/31).

昔、筆者には研究室が無かった。それでも、解決すべき研究課題があった。止むなく非常識な、一つの働き方改革と言いたい方法で、研究を重ねて来た。無学文盲とも言える、学術論には疎く、英語も使えない者が科学研究など烏滸(オコ)がましい事だ。しかし、その研究内容が余りにも科学理論から懸け離れた、常識外れの内容であったこともあって、殆ど先行きの予測も出来ない、ただ感覚的な自然観での無っ鉄砲の船出だった。しかし、そうしなかったら、社会常識に疎い理解不能から、恐らく生きてはいなかったかとも。もちろん舞鶴鎮守府など気付かなかっただろう。共済組合無加入(健康保険証は身分証明書か)なども知る余地もなく。

2000年の新潟大学の大会が『プランクの記念大会』であった機会から、光の粒子性と波動性の統合的解釈に自分なりの解釈法を見つけた。翌年の、 28a YW 9  プランク定数の次元と実在概念 になった。この事が一つの、エネルギー論への道標ともなった。その前に、1998年の 2p-D-11 物理的概念とその次元 で、 JHFM 自然単位系の次元解析法を報告した。それは次元の根幹に、『エネルギー』の次元[J (ジュール) ] を据えた手法(平成2年完成)を提案した。

すべて空間に実在する『エネルギー』の形象として捉える解釈法を追究してきた。その中で、やはり『電荷』や『電子』を物理学理論での論拠とした解釈法に大きな矛盾があるとの確信に至った。それらは全て電気回路の基礎理論を考える過程で、誰もが学習した経験を持つような基礎的で、科学常識と成っている解釈の意味を、改めてその論理性を確認する事によって、大きな矛盾が潜んでいたことを知る。端的な表現として、電気回路の導線内には『電荷』や『電子』など流れ得ない事を『電流は流れず』と言う簡便な表現によって唱えても来た。

その後、ブログを書く自己確認の中で、『変圧器の奇想天外診断』 の実験的検証を得た。この実験結果は、電気回路の物理的現象は金属導体によって囲まれた空間内の材質が『エネルギー』の伝送を担う事を示した。電線被覆の絶縁材料の『誘電体』がその意味を示した。その記事にある『テスター』紛失事件や多くの『住所録』や過去の履歴類(医療関係も含む)の紛失(?捜査機関?)等の中で、耐えてきた。

大学教育に求められる「電気磁気学」 を唱えた。この記事の末尾に関連記事として、エネルギー その見えざる正体(2018/11/06)、瞬時電磁気学と概念 (2018/10/23) およびエネルギーで観る線路電圧 (2015/04/19) の三記事がある。然しその記事の解釈は、現在とは少し異なる。

『電気磁気学』で知って欲しいこと、それは電線路空間の『電圧』や『電界』と言う電気技術用語がどの様な空間の物理的意味を表現した概念かという事である。その物理的意味が分かり難かったから、誰もが『電荷』と言う仮想概念での解釈に甘んじて居たのだ。エネルギー その見えざる正体 と言う通り、『エネルギー』の空間に存在する空間像を認識できなかったのがその原因だ。

『電圧』とは、空間の二点間に存在する『エネルギー』の量(平方根)の、その分布ギャップを表現した技術概念である。

『電界』とは、その空間の『エネルギー』の分布密度(平方根)の勾配に関係した技術概念である。だから、『電界』を認識する空間には必ず『エネルギー』が存在するという意味を含んでいる。従って、空間に『点電荷』が一つあっても、その周りに『電界』が存在すると解釈するのは、二重の矛盾論である。

空間の『エネルギー』の存在を、その解釈法として、『電界』と『磁界』と言う二つの解釈概念で捉えたのがマックスウエルの電磁場方程式になる。その『エネルギー』に着目したのが『静電界は磁界を伴う』と言う意味である。

熱と光の科学論

(2022/12/29)。長く書きだしのままにあった。熱と光の科学論 とは何かと思うだろう。それは物理学理論で、それぞれ『熱』も『光』も別の専門分野の論述内容になるのだろうから。この様な標題にした訳は、特別何も目新しい事を述べようとした訳でない。いつも乍ら、学校教育で取り上げる電気回路の負荷が『白熱電球』の時、どんな教え方をすべきかの基礎理論の話である。

 白熱電球の発光原理。

 最近は科学技術が高度な物理現象を使えるため、LEDなるとても難しい発光原理の電灯が使われる。その電灯は熱エネルギーを極力抑え、エネルギー効率の高い発光原理に成っている。そんな電球の物理現象では、自然の仕組みの理解から益々程遠くなった理科教育に成ってしまう。科学技術だけが進展し、経済的競争の世界状況が現在の気象災害や海の魚介資源の消失など、人類の食糧危機などの生存限界に向かう恐れが高くなる。技術が進展しても、物理学理論の根幹の矛盾を気付きもしないでここまで来た、それは哲学の欠落と言う人類の社会問題でもある。

 熱と光の物理現象の理解には、白熱電球が教育上とても良い教材である。と言っても未だに、エジソンが発明した白熱電球の発光原理の解説が満足に教育で成されていないのだ。それは電気回路の『オームの法則』で、全ての解釈が可能になったとの科学常識が世界の認識に成っている。しかし、少し考えれば、『電圧』と『電流』と言う用語とその物理的意味を殆どの人が理解していないのだ。

 『電圧』、『電流』とはどんな物理量ですか❓
 こんな〈問〉にどの様に解説しますか。決して『電荷』や『電子』では解答できない事を考えれば分かる筈なのに、何世紀もその矛盾に気付かないで来たのだ。便利な『電圧』も『電流』も、それは極めて有用な科学技術概念であり乍ら、物理概念としては極めて曖昧な、論理的に矛盾の概念なのである。

 その矛盾を認識するには、白熱電球の発光原理を理解することが有効なのだ。そんな日常生活の中の日用品の物理現象が世界の物理学理論の矛盾を認識するに大切なのだ。

 白熱電球が発光する原理を、世界の物理学理論の根源概念『電子』でどのように解説できるかの問題なのだ。

 『熱』と『光』の物理量をどの様に理解しているかの単純な問題でしかないのだ。

 その解決は、空間に実在する『エネルギー』をどの様に認識するかの基本問題なのだ。『熱』も『光』も同じ『エネルギー』の姿なのだ。

結局、教育問題なのだ。空間を流れる『エネルギー』を取り上げない限りは物理学理論の矛盾解消、教育矛盾の解消の解決にはならない。

エネルギー と その道

(2023/01/24). 『エネルギー』にはその流れる 空間の道 がある。

 『エネルギー』と言う物理量がある。それはこの目の前の空間に溢れ返って、実在している。その物理量を認識できないとすれば、何も自然を知らないと同じ事にさえ思える。

 その『エネルギー』は実在しているにも拘らず、見ることが出来ない。見えないから、人は認識できないのかも知れない。その『エネルギー』の存在を、人が認識出来ないという事を、筆者はとても大きな社会問題と考える。それは教育上の重大問題と思う。

 取引用単位系がある。 MKSA である。M は空間の長さの単位メートル [m]である。K は質量の単位の重量キログラム [Kg] の [K] である。S は時間の単位秒の [s] である。更にA は不思議な事に電流の単位アンペアの [A]である。この [A] は取引用単位としては、たいへん問題のある単位である。電荷量の単位クーロン [C] の時間微分で 電流[A]=[C/s] と言うような意味である。自然世界に実在もしていない『電荷』を物理量基本概念とした誤りに論拠を置いたから。電流値の量[A]を取引量とは使用していない筈だ。
 
 『エネルギー』その物理量 [J (ジュール)] の取引量認識❓
 
 現代社会で、生活する限り『電気エネルギー』を使わずには済まない。気象災害、暴風雪によって停電にも見舞われる。ここまで、生活のライフラインとなった『電気エネルギー』を意識せずには済まなくなった。しかし、皆様はその『電気エネルギー』をどの様な物と理解しているのだろうか。
 最近は世界情勢がとても危険な様相の中で、エネルギー源の燃料が高騰して、身近な生活に関わる状況に現れている。『電気エネルギー』に対しては電気料金を毎月電力会社に支払っているから。その『エネルギー』と言う意味をどの様に認識しているのかがとても重要な社会的問題に思える。人の物理量認識の現代的社会問題として、子供たちの教育上の基本的課題として根底に関わる認識問題である筈だ。余りにも人が『エネルギー』と言う物理量に無意識過ぎると言わなければならない。
 1[KWH]=1000[J/s]×3600[s]=36×10⁵ [J]に対する倍数に対して電気料金を支払って経済活動の仕組みに組み込まれている。電気量の支払伝票をご覧いただければ、○○[円/KWH] でお支払されている筈だ。
 
 使用電力P[kW]を何時間 [H] 使ったかで『エネルギー量』何 [J]使ったかとなる。その『エネルギー』は何処を伝送された物理量かという事になる。その物理量『エネルギー』は様々な空間を伝送する。光や電波の『エネルギー』は広い空間をその指向性によってある方向に伝播する。津波災害の『エネルギー』は海洋の水面から海底までの断面積を陸に向かって伝送する。電気量の『エネルギー』は電線路導線で囲まれた空間を伝送する。

 その『エネルギー』の流れる物理現象を物理学理論できちんと教育に取り入れなければならないのだ。

 その事を問うたのが前の記事 エネルギー認識の物理学である。

 
発電技術とエネルギー伝送空間 (2022/05/01) の図である。

上の発電所から送電線路までの「電気エネルギー」、『エネルギー』はどの空間を伝送されるかをお答え頂きたいと思って、エネルギー認識の物理学の記事になった。
 上の図で、特にタービンと発電機を繋ぐ『軸接手』の の部分は金属体の軸の空間しか『エネルギー』の伝送する空間は無いのだ。
 それが 機械的軸動力 p=ωΤ[J/s] と言う断面積を通過する時間当たりの『エネルギー』になる。ただし回転角速度 ω[rad/s] 、負荷力に逆らって回転させるトルク T[Nm] である。
 その意味を理解するように、専門的学術理論を学ぶ前に、自然現象として教育すべきである。

 発電所の最初は、ボイラーで燃料の燃焼によって発生する『エネルギー』は『熱エネルギー [J]』である。その『熱エネルギー』を水の過熱で、『水蒸気の気体エネルギー』に変える。その水蒸気の体積と圧力の積の『気体エネルギー』をタービン羽に衝突させて、タービンの機械的『回転動力エネルギー』を通して、『軸動力』の『エネルギー』に変える。発電機では、磁極の回転子と電機子巻線の固定子のギャップ空間を通して、『電気エネルギー』の伝送変換を生む。その『電気エネルギー』は発電機から三相電線路の導体で囲まれて空間内を『エネルギー』が伝送されるのだ。その『電気エネルギー』は光と同じ『エネルギー』が電線で決められた道の空間を、ほぼ光速度で伝送されるのである。

 『熱エネルギー』も『機械エネルギー』も『電気エネルギー』も、みんな空間を進行方向に『縦に』流れる、本質として同じ『エネルギー』と言う物理量 [J] である。
その『エネルギー』を伝送する機能は、『電子』には決して有り得ないのだ。

 光の空間像認識 (2022/04/17) には『電気エネルギー』の物理量を考える意味が有る筈だ。そこには、光には空間像として『振動数』とは何かを考える根拠がある筈だ。少し考えるべき問題があるように思う。それは「一粒の光量子」と言う表現について、如何にも粒子状の物体と言う感覚的捉え方をされる可能性がある点が問題かと。