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結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

 

エネルギー その見えざる正体

見えないもの 世界を光によって見ることが出来る。しかし、その光を見ることは出来ない。光がどんな形をしているかは分からない。その光の形を科学的に検証して確かめることも出来ない。しかし光は世界の実在的物理量で、空間に実在する。光は空間エネルギー分布波であると言っても、そのエネルギー波を検出をする測定法は無いだろう。何しろ1秒間に30万キロメートルの速度で通過する空間エネルギーの密度波であるから。そのエネルギーの分布状態を計る測定法が見つかれば夢の世界が広がるのだが。 見えるもの 見えないもの  にも見えないものについて述べた。その科学的に測定・検証できない電磁波の空間エネルギーについて述べようと思う。エネルギー程自然世界の根源を成しながら、その姿を見ることが出来ない不思議なものもないと思うから。大学教育に求められる「電気磁気学」 はその眼に見えない空間エネルギー波が光の本質であることを理解することを求めたものである。その見えざる正体を電磁波の中に観ることを論じたい。 眼で見えない物を心で観る夢としたい。 

電磁波はエネルギー波

図1.電磁波とエネルギー分布 正弦波の電磁波はマックスウエル電磁場方程式の解釈により、電界E と磁界Hの直交したベクトルの波動として表現される。その電界と磁界の偏微分形式で方程式に表現されている。しかし、電界や磁界が空間にあると考えるなら、その空間にはエネルギーがあると解釈される筈であるが、エネルギー分布についての解釈は電気磁気学の電波伝搬現象には見えないようだ。エネルギー波という解釈の記述について見た記憶がない。何故なんだろうか。電波伝播現象ではない静止電磁場については電界エネルギー「(1/2)εE^2^[J]」とか磁界エネルギー「(1/2)μH^2^[J]」とかの解釈がされているにも拘らずである。光速度伝播での電磁界については空間エネルギーという概念が消えてしまう人間の不思議な科学的習性を観なければならないのかと。そこで、今回はその光速度伝播の電磁界についても空間エネルギーが実在するのだということを伝える為に、その正弦電磁波のエネルギー分布を描いてエネルギーの実在性を解説しようと考えた。電磁波の本質は電界や磁界ではなく、エネルギー波なのである。それが光が空間エネルギーの縦波だという解釈に通じる事の要になるのである。図のように、正弦波の波長λとすれば、その半波長 λ/2 の繰り返し正弦波分布波となる。実はこのエネルギー密度分布波δ[J/㎥]の空間伝播現象を解説しようと考えたとき、このエネルギー波の表現法に困惑してしまった。そのことで、前の記事、瞬時電磁界と概念になった。エネルギー波が電気磁気学で取り上げられない訳の一つに、その空間表現が困難であるからかも知れないと考えるに至った。それが見えないものを観る困難かとも思う。しかし、エネルギー単位量子という捉え方で電磁波のエネルギー縦波伝播現象の解釈が欠かせないと考え、その意味を解説したい。

エネルギー単位量子

図2.エネルギー単位量子 ε=(λ/2)(δの平均値)[J]  見ることのできない空間エネルギー分布密度波を、空間に図形表現してみたのが図2.である。石や花のように眼で見ることが出来るものは空間に描ける。平面表現であっても絵にして伝えられる。しかし、空間に実在すると言っても眼に見えない、形の表現のしようがないものを示す事は困難である。質量に付加される運動エネルギーは質量体とその速度を併記すれば、理解できよう。しかし、質量のないエネルギーは目に見えないから形に示せない。これは『禪問答』の部類かもしれない。そこを何とかご容赦頂いて論じさせて頂く。空間を伝播する電磁波は正弦波波長の半分の長さの空間エネルギー密度波の繰り返し波形である。今仮に単位面積あたりを通過するエネルギー波を考えれば、単位面積1[㎡]で長さλ/2[m]の体積のエネルギーε[J]の光速度の縦波伝送として捉えられる。それをエネルギー単位量子と定義する。

見えざる正体

見えない空間エネルギーは光の視界を遮ることもないから、そこに在るとは見えないのだ。電気コイルの中や磁石の周りにエネルギーが在ってもそれは目に見えないのだ。地磁気のエネルギー流が在ってもそれは目に見えないのだ。見えざる正体それが空間に実在するエネルギーなのだ。世界を構成する基であるエネルギー・素原の光がその代表なのだ。その見えざる正体のエネルギーが理科教育に求められる本源だ。サーフィンが夏の海に運動力学の絵を描く。津波とサーフィンは同じ水力学の形を見せている。波のエネルギーとは何かと尋ねれば、振動数が何とやらの解説が検索に出て来る。エネルギーの実在性が見えない理科の解説は間違いである。

『課題』が残る。光の波長はこの「λ/2」を捉えて今まで論じてきた。正弦波波長と光の波長との関係を明確にしなければならない。

過去から今まで

32  『静電界は磁界を伴う』 -この実験事実に基づく電磁界の本質ー

1.まえがき 現代物理学の基本概念に電磁界概念がある。しかし、マックスウエル電磁場方程式には時間的に変動しない電磁界いわゆる静電磁界に対してエネルギー伝播の概念は含まれていない。この解釈から「電荷も電流も時間的に不変である限り電気と磁気とは別々の現象である。」(1)という当然ともいえる結論が得られる。しかし、マックスウエル電磁場方程式をエネルギー伝播という観点から考察したとき、筆者は「電界あるいは磁界のみが単独に存在するような場は有り得ない。」という結論に到達せざるを得ない。・・・

と書き出した、1987年(昭和62年)4月の解釈から少しも進歩していない同じ事を論じ続けているようだ。

瞬時電磁界と概念

瞬時値とは 

電磁気現象を解釈するにも、そこには多くの条件が必要に思える。ある瞬間の電気現象を捉えようとすると、時間が止まった状態を考えなければならない。電圧や電流の瞬時値は幾らという表現をする。少し考えるとその表現には矛盾があるように思う。

電磁気量の概念

電磁気概念と時間 電気磁気学では、電界と磁界が空間場の電磁気現象を論じる時には欠かせない用語である。筆者は電磁場解釈で、瞬時電磁界という捉え方をする。誘電率εo[F/m]、透磁率μo[H/m]の空間に、電磁エネルギーの密度δ[J/㎥]があるとする。そのエネルギーを電気技術概念では電界E[v/m]あるいは磁界H[A/m]という概念で捉える。しかしこの空間に存在する『エネルギー』は質量には全く無関係の物理量であるが、物理学あるいは電気磁気学ではどのように認識しているのかが分からない。物理学での解釈では、エネルギーは仕事をする能力とされている。電磁波が光速度で伝播するのもエネルギーの空間密度波の光と同じ現象の筈である。電磁波は光の電磁気的捉え方として、横波の電界と磁界の波動伝播現象で説明される。しかしその解説には不思議にもエネルギーの意味が無いのだ。そのエネルギーの存在を忘れた解釈の欠陥を説明しようと考えたら、電界や磁界の物理的概念そのものを瞬時値という観方で問い直しておかなければならないと気付いた。そこで標題の『瞬時電磁界』という記事になった。そもそも電界とか磁界という用語がエネルギーの解釈上の科学技術的解釈でしかないのであるから、その意味についてまず考えておかなければならない。携帯端末で送信するのも電池に充電したエネルギーの放射なのである。そのエネルギーの波を波形で描こうとした時、矩形波や正弦波形などでの、その瞬時値という意味でハタと描き切れない困難に直面した。今までもエネルギー密度波を点点の密度表現で済ませていた。エネルギーが空間に実在することには間違いないのだが、その表現法に戸惑う。その辺の表現の困難さもあって、物理学概念での空間エネルギー分布概念の理解の困難さがあるのかも知れない。図に示したように、エネルギー評価するための技術的概念の電界や磁界の瞬時値の意味から確認し直しておこうと思った。電界は電圧が空間に掛るという意味であろう。真空空間に電圧が掛るるという電界の概念自体も不思議な意味である。空間の単位長さに表れる電流という磁界も同じことである。電圧[V]は誘導起電力で[Wb/s]、電荷概念から [C/F]の単位で定義されている。磁界に関係する電流[A]は[C/s]の単位である。電圧も電流も電気回路解釈で、瞬時波形として正弦波などの波形表現するのが科学常識になっている。さてその瞬時値とはどのようなものと考えるか。瞬時とは時間が止まった、時間経過の無い意味でなければならない筈だ。時間で微分する意味の極限概念として「飛ぶ矢は飛ばず」という説明を高校の数学で習った。(2018/10/26 追記訂正)この「飛ぶ矢は飛ばず」の矢は静止状態であるから、空間エネルギーが静止している状態として観れば、正しくその状態が瞬時値の意味に合致している。しかし時間で微分する単位・次元を考えると、極限値という意味は瞬時値とは違うと思う。だから時間に無関係に存在するものは何だろうかと考えると、そこに残る実在はやはり『エネルギー』ということになろう。エネルギー流をポインティングベクトルS で解釈するが、単位面積を単位時間に通過するエネルギー量の意味である。時間の経過1[s]間にという意味も瞬時値とは言えない。30数年前から『瞬時電磁界』などという表現を使ってきた。電界、磁界の用語も使えない“不立文字”の世界に迷い込むような『静電界は磁界を伴う』から辿りついたら、やっぱり『エネルギー』が世界の素原の道であったと確信するに至った。方位コンパスの周りのエネルギー流を見ることはできない。砂鉄模様を眺めてもエネルギー流は見えない。それは科学的検証の出来ない世界かも知れないが、磁気の本質がそこにある。そこに科学の未来を観たい。エネルギーの瞬時空間像をどう描くかを求めて。電荷も次元解析すれば[(FJ)^1/2^] となる。空間のエネルギーとの結びつきは、やはり技術概念のファラッド[F]とヘンリー[H]の哲学的解釈に委ねられているようだ。時間までもが[s]=[(HF)^1/2^]となるから。

嘲りの中で 30数年前も本人が知らない周りのざわつきの中で過ごした。今も出かけるも帰るも知らず、本人が知らない勝手な周りのざわつきの中に居る。買い物しては悪かったのか、鋸を引けばへリコプターに轟音を浴びせられるような脅しの本人の知らない周りのざわつきの中に、知的創造・思考の自由の万引き・天引き悪魔と情報に翻弄されるだけの日々が過ぎている。何が目的か本人無視の犯罪丸抱えの日本人権侵害の世界。健康保険証は身分証明書か に関わる事件が基に在るのか?(2018/12/19)何か変わった事が在るのだろうか?また過去の空洞化人生の一つに気付いた。TEL 0258-36-6899 。30年前の電話番号だ他の人に使って欲しくない。

技術概念『電流』とその測定

はじめに

電気技術は現代社会の基盤を成している。電気理論や回路技術さらにIT情報網は完成された必須の科学技術となっている。しかし《電流とは何か?》と検索してみると、そこに表れる解説は全く訳の分からない説明となっている。殆ど電子の逆流を言うとある。この科学技術社会で、学校教育はじめ科学常識と看做されている内容がどこからこのように決まった解釈手法に迷い込んでしまったのだろうか。『電流』は科学技術概念であり、実に素晴らしい電気計測量なのである。電流は電流計で計る計測量である。それでは電流とは何かを理解するためには、電流計で計るものが何であるかを知らなければならない。今まで『電流は流れず』などと言ってきた責任もあるから、もう一度その意味を解説したい。

可動コイル型電流計

電気回路は電源が電池のような直流が分かりやすいであろう。その回路に流れる電流のアンペア[A]の値を計る測定器の代表が可動コイル型電流計である。それは何を計っているか。

図1.可動コイル型電流計 計器を①可動コイル部構造と②内部回路で表した。回路に流れる電流I[A]をどのように計っているかが計器の動作原理となろう。電流と言うのは電流計で計ったアンペア[A]の値である。電流計は電子の流れ(逆流)など計れる訳が無いのである。電流I[A]と言うものは物理量(自然界の実在量)ではなく、あくまでも電気技術の計測手法として確立した科学技術量なのである。単位アンペア[A]も電荷クーロン[C]の時間微分あるいは単位時間の通過電荷量で定義され[A=C/s]となっている。この電荷の時間微分値等も電流計では測れない。そこで電流計が何を計っているかを知る必要があろう。

電流計は電圧計でエネルギー計測器

基本的には電流を検出するのは抵抗の電圧降下である。②の計器内部のシャント抵抗rs(回路に影響しない精密な低抵抗)に流れる電流Isの電圧降下rs Is [v] を検出しているのである。その電圧をコイルLとそれを囲んだ磁石NSの部分で、電流I'[A]という電流の大きさをコイルの回転角として読み取っているのである。電流計の心臓部とも言える部分が①可動コイル部構造である。磁石とコイルの位置関係がコイル電流I'[A]の値で変わる。磁石とコイル電流の間に働く力の関係はフレミングの法則として説明される。それが教科書の説明であり、それで電気技術者として知識は十分であろう。しかし、物理現象として踏み込んで理解しようとすればそれでは不十分ではなかろうか。直流回路のコイルの意味である。コイルの電気特性はインダクタンスL[H]で捉える。直流回路の場合、コイルが回路内に繋がっていても、電気的に変動が無ければコイルは無いと同じことである。電気的変動が無ければ、コイルの存在は無いのである。それは何故か?コイルとはどのような特性の機能要素かといえば、エネルギーの貯蔵機能がその特徴である。一度コイルにエネルギーが貯蔵されてしまえば、電気回路に変動が無い限り、電気現象はコイルの無い等価回路で書き表される。コイル(エネルギー貯蔵タンク)を短絡して、コイルに負荷電流(コイル電流が内部で還流していると考えても良い)が流れないとしても回路現象としては問題が無い。ただし、コイルの損失が無い理想的な場合ではある。この(磁場と電流間に因る力と異なる)解釈はフレミングの法則の表現する意味とは異なる。磁界を磁束で解釈する科学常識と異なるから。そこで電流計の指針を回転させている力は何かとなる。コイルの周りには、エネルギーが貯蔵されているのであるが、電流が貯蔵されている訳ではない。コイルのエネルギーは電気理論では W=(1/2)LI’^2^[J] とコイル電流で解釈する。それではそのエネルギーとはどのようなものと考えるのか。コイル内の空間にエネルギーが在ると考えるか、そう考えないのか。その解釈が極めて重要なのである。どうも物理学理論では、空間にエネルギーが存在すると解釈していないのではないかと思う。質量に関係しないエネルギーの実在というエネルギー概念が欠落しているように思える。光のエネルギー空間分布と同じ意味の電気現象の解釈が無いようだ。コイルに働く力はエネルギーにあり、その二つのエネルギー流間に因る力でコイルは回転するのである。

①可動コイル部の空間エネルギー

NSの磁石とその中のコイルの磁気について、電気理論では磁束で解釈する。磁束という概念も磁気現象解釈の為の技術概念でしかないのだ。それも空間のエネルギー流の技術的解釈法でしかないのだ。実際は磁極もコイルもその周りにエネルギーが流れているのだ。コイルのエネルギー流が磁石のエネルギー流との間で力を受け、回転するのである。この解釈はフレミングの法則で解釈される現象をエネルギー流間の近接作用力として捉える考え方である。科学論は実験的検証がその論説に欠かせない。だから空間のエネルギー流を観測する方法が無い限り、科学的とは認められないかも知れないが。見えないものを観ることは出来ない意味に成るか。ただ科学的根拠は30年前の『静電界は磁界を伴う』の実験結果のみである。

エネルギー近接作用力

図2.エネルギー近接作用力 コイル電流というものに対して、コイル貯蔵エネルギーは電流と逆向きにコイル内近傍を還流しているのである。回路状態が変化しなければコイル貯蔵エネルギー流は一定のまま流れ続ける訳である。従って、コイルに電流が流れ込む理由は無く、コイルは理論的には回路から切り離されたと考えて良い。元々電線内を電流が流れる訳ではないのである。電線近傍をエネルギーが流れているだけなのであるから。磁石の磁界も図のように磁極表面をエネルギーが還流している磁気現象なのである。今までコンパスの磁気の意味をエネルギー流で解説して来た。磁気はその結合力で特別の強さの意味を持っている。その力の源を磁束という直線的な捉え方では意味が理解できない。力は回転現象に秘められていると解釈する。原子結合力も磁気的エネルギー流にあると思う。参考: 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊、p.18. (2009) にも論じた。

負荷電力と計測

1820年頃、ようやく電気現象の謎が解き明かされるようになった。エルステッドが電流の磁気現象を発見、アンペアが法則を唱えた。と説明される。その当時『電流』などの意味が分かってはいなかった筈だ。言葉で電流の磁気現象と言われると、如何にも電流が分かっていたように錯覚する。電流を計る方法はどのようになされたのか。電流計が完成したのは相当後の1889年頃で、ウエストン型電流計などであろう。それまでにエジソンが1879年に白熱電球を発明し、まず電灯の文明開化が始った。電気エネルギーの供給が産業・商売に成る機運が生まれた。電球の製造・販売や電力供給が産業に成った。さてどう負荷供給電力を、商売の対価を得るために、計るかとなる。測定技術・測定法および測定器が必要になる。何をどう計るかが研究対象に成った筈だ。1881年パリ電気会議で、電気単位 V (ボルト)、A(アンペア)、 Ω(オーム)、 C(クーロン)および F(ファラッド)が決まった。その基準の電気量がどのように決まったかは知らないが、この頃から電流の単位アンペア[A]の計量が研究されたのであろう。

図3.負荷のエネルギー測定技術 直流回路の負荷の消費電力を計るとなれば電圧計と電流計で計る。電気回路の初歩の理論だ。しかし、19世紀中頃を思えば、この測定法を編み出すにどれ程の智慧を絞ったか。ここに西洋技術革新の先進的な努力が隠されていると思う。負荷電力はP[W]で、1秒間の消費エネルギージュール[J]の値を意味している。そんな物理量をどう測定すれば良いか?ストップウオッチで計る訳ではない。電流と電圧で計れるのだ。その測定法を不思議と思わないですか。科学技術の智慧の結晶なのだ。電気を販売するとすれば、エネルギー量となろう。供給したエネルギーの算定はどのようにすればよいか。エネルギーを直接測る方法は難しいだろう。エネルギーが計れないのに、電圧と電流を計って負荷電力p[J/s]を計る方法を完成した。現在は電力量計(ワットアワーメータ)E[kWh]で各家庭への電気エネルギー量ジュール[J]を計っている。

電流計・電圧形で計るもの

電流・電圧の意味 電流も電圧も負荷の電力と抵抗値を計算した値なのである。誠に不思議なり。だから電圧と電流の積が電力p[W]になる。図3.②等価回路とエネルギー流で、電圧・電流計の計測部のコイルは直流回路では変動が無ければ、電源からのエネルギー流には切り離された状態にある。そのコイルに貯蔵されたエネルギー量はコイルの直列抵抗をrとすれば、

電流計ではW=(1/2)L(rs/(rs+r))^2^P/R [J]

電圧計ではW=(1/2)L(1/r)^2^PR [J]

となる。計器内の回路定数と負荷特性の関係を表示している訳である。

むすび

以上身近な言葉である電流について述べた。ITなどを検索すると、電流の意味について、中学生向けの解説記事にも電荷、電子が電線内を流れているとある。それが科学常識となっている。専門家が論説する科学リテラシーの問題になる科学的理解とは何を目標にすべきか。自然科学の内容が自然を観察し、その観察する機会に因って子供達のそれぞれの感性に任せるべきものが本筋ではないか。科学技術の為の競争を目的にした教育は理科教育と一線を画した科学技術教育なのだ。理科教育という余りにも偏った、決まり切った授業展開法に縛られ過ぎている処に重大な欠陥が在るように思う。電気現象一つを取上げても、本当に電線内を電子(電荷と質量混合体)が流れていると誰が観測できるのか。何故エネルギー流でないと証明できるのか。

大学教育に求められる「電気磁気学」

光は電磁波である。

光とは何かとの問いにそう答えるようだ。

その訳は、光も電磁波も同じ『エネルギーの縦波』であるからだ。

その意味を理解しなければ、電気磁気学の眞髄を教えることは出来ない。

電界や磁界の科学的仮想概念を幾ら論じても求められる大学教育には成らない。

『エネルギー』と電界、磁界の関係をどのように理解しているかが大学教育者に求められていることである。

『電荷』とは何か?と考えることを忘れた大学は歌を忘れたカナリヤと同じだ。

『電荷』無しで、空間を伝播する『エネルギーの波』で電磁波を描いて欲しい。

そうすれば光の意味が観える筈だ。

 

金澤:波はエネルギー流 日本物理学会講演概要集 第66巻2号2分冊、p.310.

金澤:瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会、電磁界理論研究会資料 EMT-88-145 (1988-10) 『電荷』の物理概念を問う実験写真データ。

エネルギーから電子殻を問う

はじめに 電子殻(ダッシュボードに掲示された)という用語を初めて知った。その電子殻についてどう考えるかと問われているのかと思った。『電荷』概念の意味が分からず、30年以上にも亘って教科書の科学理論に疑問を感じてきた。むかし(1982)『静電界は磁界を伴う』という電気磁気学理論の科学常識に反する内容を電気学会全国大会で発表した。今となれば、それが技術屋の感覚的挑戦であったが,間違いなく的を獲ていたと驚くばかりだ。静電界という電場がむしろ磁場とも看做すべきエネルギーの流れであったという発見だから。たった一つのその実験結果の意味が如何なるものであるかを科学理論の根幹に照らし合わせながら考察を積み重ねてきた。物理学の根本である電子殻に因る原子像さえ否定しなければならない羽目に陥ってしまった。もう一度、先人が創り上げた科学理論ではあるが、その根幹を成す電子の概念および機能をエネルギーとの関係で、考えを整理して置かなければならないと思った。結果的に図らずも伝統的科学理論を否定するような仕儀になってしまった事誠に申し訳のないと思ってもいる。『電荷』の自然世界での実在を否定するという事がどれ程大きな社会的混乱を教育に与えるかは想像に難くないから。手元にあった 科学革命の構造 トーマス・クーン 中山 茂訳 みすず書房 (1987 第19刷) を開いて読めば、余りにも溝が深すぎると・・。電子とは『エネルギー』の一つの姿でないかと思いながら。

原子構造 原子の周りを電子が何故回転していると分かるのだろうか。最近も新しい113番目の原子の発見が話題になっていた。それ程厳密な科学研究の証拠が示されている中で、電子が原子核の周りをまわっている意味が理解できないと言ってみても意に介されないとは思うが、エネルギー感覚から述べておかなければならないと思う。

電子の責務 電子に対してどのような科学的責務が課せられているか。電子が獲得したものでなく、人間が付与した役割である。自然界が『電荷』と質量を持った電子に取り囲まれた原子核の原子構造体から成り立っていると理解されていると思う。その原子にもいろいろの特性がある。シリコン、酸素、窒素、炭素あるいはネオン等とそれぞれ際立った特徴を持っている。それらがすべて電子殻の電子によって構成されている。みんな同じ電子殻構造の話で統一されるものと思う。筆者の拙い高校生程度の知識に因る電子像を先ずまとめてみたい。

電子統一情報 ウイキペディアから拾った。とても理解できない専門的な電子像の規定であると思う。空間に占める大きさまで分かっているようだ。この9ケタ、10ケタの数値が堂々とまかり通る電子像に近寄りがたい科学理論の畏れ多さを感じる。

電子に付与された任務・責務(期待される電子像) 昔教育の審議会で期待される人間像という考え方が論議されたことがあった。電子像を的確に捉えようとしても期待される任務・責務が超人的な機能でなければならないかの如くに思われ、科学理論の世界が巨大な構造体で入り口から怖気づいてしまう。電子も観方によって哀れとさえも思える。過重労働の期待で瀕死の状態にならなければ良いがと陰ながら心配である。筆者のお粗末な電子像の認識をまとめてみた。

さて、上に挙げた電子像が普段頭に描く姿に思える。原子同士が隣り合わせれば、先ず原子の外周を取り囲んでいる電子同士が相手との情報交換の遣り取りを任され、相手原子を認識する責務が課されている。手を繋いで良いと判断するのも電子で、原子同士を繋ぐ役目も電子の仕事だ。化学結合とか共有結合とかイオン結合とか、とても判別し難いような複雑さの判断も電子自身に任されている。「オラ―そんなのやだ―」などと言って、「東京さ逃げる―」てな訳にはいかないのだ。それが電子の科学的宿命だ。何しろ過大な期待が掛けられているのだから。期待を掛けるお偉方はどこに居るのか姿も見えないが。兎に角電子は大変な重責に怯え続けているようで、何とか少しでも開放してやれないものかと思う。

4番目の任務 原子エネルギーの収支取締役という、日々雑兵の激務に追われる中で、特段のお役目を頂戴してしまった。原子に降り注ぐ『光』がある時、先ず外堀の電子にすべての的確な対応が義務付けられている。電子はどのようにその光との関係を処理すれば良いか、与えられた責務を忠実に執り行おうと考えた。決して外堀から母屋の御主人・核主(お昼寝中かもしれない)様に影響が及ばないように処理しなければならないのだ。最初に挙げた1番目の任務との関係では、足を踏み入れてはいけない禁制帯とかがあり、そこは飛び越えなければならない事になっている。現代物理学の大きな学問領域を成す量子力学では、光と電子の責務との関係がとても詳細に分かっていて、その関係が自然科学を理解する根本原理になっているようだ。しかし、その材料などの量的評価に因って科学技術が進歩したかといえば、それは理論と実際は余り関係ないようだ。光エネルギーをどのように電子が苦労をして責任を果たそうとしているかを拙い科学認識で掘り起こして考察してみたい。すべての電子はどれも同じ電子統一情報に因って細密に規定されているようだ。光エネルギーを処理するに当って、もしうまく禁制帯を飛び越えて伝導帯の位に跳躍出来たとする。その時光エネルギーをどのように、統一電子情報との関係を厳守したままで、処理出来るのかに悩んでしまった。エネルギーというものは電子の情報という質量、電荷および空間寸法には全く影響を与えないで済むものなのか。高等数学式で考える能力が無いので、日常言葉でしか解釈できずにいる。さて、もしもの仮定での話ではあるが、電子が雲のような掴みどころのない波動(その実体が何を指すかを理解できないのだが)であるとしたら、それも質量と電荷を波動の中に備えているのだろうか。その波動もやはり原子核の周りを周回運動していると考えるべきなのだろうか。そこでその波動が光を外部から受けたときは光エネルギーをどのように電子波動の中に取り込むことになるのだろうか。兎に角、陰に隠れた主の核主様に影響が及ばないようにしなければならないとなれば、電子雲の全てが総がかりで対応しなければならないように思える。連射砲のように降り注ぐ光を禁制帯を飛び越えながら処理する技は如何なる理論で可能なのかが理解し難いのだが、その理論まで電子に負わせるのは期待する電子像の範囲を超えてしまうだろうと気掛かりだ。

電子とエネルギー 電子がエネルギーを保有するという意味はどのような物理的現象で捉えるのか。電子にはいろいろな状況があるように思われる。自由電子と電子殻内の電子とでは必ず違う筈と思うが、その訳・状況がハッキリと認識されているのか、説明できるのかそこが良く理解できない。電子には速度の違う状態があると理論では唱えられているように思える。教科書によれば、導線内を流れる電子を自由電子と唱えているように思う。その自由電子でもそれぞれにはエネルギーに違いがあるのか、無いのか。その伝導帯の自由電子には速度の違いがあるのだろうか。酸素の電子が電子殻から解放されて自由電子に成る議論は無いから、原子核の束縛から解放されて自由電子に成る場合は、金属導体や半導体原子だけに当てはまる電子とエネルギーの関係なのだろう。電気回路の導線には電子が充満して流れるように解説されている。超伝導等のように、極低温のエネルギー環境の低い場合は、電子殻の電子は特別の能力を賦与されて、自由に原子核の束縛から解放される自由電子となる資格(特殊任務)がある電子なのだろうか。その自由電子のエネルギー状態はどのようなエネルギーレベルと捉えるのだろうか。原子の環境がエネルギーが高い場合が自由電子の生まれる条件かと思えば、極低温での超伝導の自由電子とはエネルギーが多いのかあるいは『無』なのか良く意味が理解できない。

原子の司令官は誰か 周期律表という科学分析の宝がある。原子の個性と特徴で分類されている。原子の特性を発揮する司令官は誰か。原子の本基は原子核が握っている筈だ。司令官という機能の物理学的基幹は如何に在るか。外堀を守る電子じゃ役不足であろう。

原子構造体と役割分担? 原子構造が原子核と電子殻から構成されているとの解釈に因る意味とその電子機能について考えてきた。殆どの教科書の解説は原子外殻の電子が担っているように説明されている。原子の質量は殆ど中心の核が占めている。一体核は原子の特性に因る外部事象との関係機能としてどんな役割を担っていると考えれば良いのか。核は分裂の時だけ意味を持つような、日頃は原子の中心に隠れた存在であるように見受けられる。電子殻の電子だけが仕事をするような原子で周期律表の顔が立つのだろうか。

電子殻電子が原子の特性を表せるか 元素にはそれぞれ異なる特性がある。その中で幾つかの原子を取上げて、原子の特性がその電子殻の電子でどのように解釈すればその電子殻を論理的に適正に評価出来るのかに思いを寄せてみた。

炭素C この原子の結合の代表例がダイヤモンドの宝石であろう。ダイヤモンドの結合空間構造は炭素原子の表面を4等分した立体角π毎に結合面を持つものであろう。決して平面結合ではない。もし電子殻で4価の電子で炭素原子を解釈するなら、その電子にはエネルギー差はなく、同一の電子殻内に存在する筈だ。そこで、その電子が隣の炭素と結合する時、電子は原子表面を周回運動していると考えるのだろうか。結合する時には運動は停止するのだろうか。電気磁気学理論によれば、クーロンの法則で同一電荷は反発することに成っている。今でも電気の教科書がクーロンの法則を基本理論に据えているなら、どのような論理性で負の電子同士が結合の責務を担い得ると解釈できるのか。しかもダイヤモンドという特別に結合の強い状態を電子が担うという科学論理は余りにも矛盾と欺瞞で構築されているとしか思えない。共有結合とは一体どんな電子の魔術結合力を利用しているのか。電子が周回運動しながらとなれば、とても電子に因る結合論に論理性があるとは見えない。科学は平易な基本に分かり易い忠実な解釈がなされなければならない筈だ。

炭素C (2) 炭素といえば、電気回路では抵抗体のカーボン被膜抵抗などがある。さて、炭素の特性で電気エネルギーの熱変換機能が日常の電気技術の基本に成っている。こんな考察は誰もしないだろう。何も得るものがなく、反発を買うだけであるから。しかし電気技術に携わった事がある者として、少し専門家としての解釈を示しておこうと思う。ここでの話は矛盾の中の教科書の解釈理論からの内容であり、『電流は流れず』という筆者の論理の視点とは異なる。事実は、電線路導体内を電子が流れている訳ではない。しかし教科書に依れば、電子が流れていることに成っているので、その電子が抵抗負荷内を通過する時どのような電子の機能で炭素原子の外殻周回電子にエネルギー的働きをすることが出来るのかという疑問を提起しようということである。炭素抵抗は負荷としては熱を発散している。触れてみれば熱いから分かる。その電気エネルギーを熱に変換する機能は炭素原子の電子殻電子のどのような与えられた責務として働いた結果の現象なのだろうか。こんな基本の基の字のような初歩的な愚問が現代科学理論に欠かせない入門の課題なのである。高度科学理論が取上げられても、足元の理論の根拠が矛盾なく説かれなければ、砂上の楼閣にも見えてしまう。

酸素原子O 酸素は生命の維持に欠かせない。呼吸の問題。 等とまた愚問を取上げれば科学には相応しくないと常識の世界では非難される。常識という科学理論がおかしいとの思いに掛けての科学論であれば止むを得なかろう。酸素が燃焼を司る元素であることは間違いない真理である。酸素を燃焼機能原子として知ることは自然科学の基礎知識として重要であろう。そのことと酸素原子の電子殻電子の科学論理との関係はまた別の基礎科学論である。自然の真理を説き明かすに欠かせない科学的思索・考察でもあろう。原子構造論の基本が電子殻の電子概念に委ねられていることだあれば、その論理性を質しておかなければならなかろう。酸素原子の外殻電子殻の電子数は6個であろう。その電子が何故燃焼の機能を発揮すると考えるのか。電荷と質量を持った電子が周回運動をしていると考えているようだ。燃焼に電子の何が機能するのだろうか。電荷か質量か運動か?電荷も質量も速度にも燃焼エネルギーを発生する機能が観えない。酸素原子の特性は熱エネルギーを放射する自然現象を司る機能である。無から熱エネルギーは生じない。何かを熱エネルギーに変換するのである。それが何であるかは分からない。原子構造そのものの解釈の問題に通じている課題であるから。

ネオン原子Ne 不活性ガスとして捉えられているようだ。外殻電子殻が8個の電子で充満され、化学反応機能が無く安定した元素と看做されているようだ。気体分子結合(Ne2)もしないとの解説がある。同時にネオンサインとして、夜の街の広告照明灯に活躍している。酸素と違って、熱でなく発光現象である。このネオン原子も8個の電子が同等のエネルギーを持って、電子殻内を周回運動していると解釈しているのだろう。どんな軌道で平衡を保ちながら運動できるのか空間的描像を描き難く、理解の域を超えてるが答える能力も無いので我慢も止むをえない。さてネオンサインの発光現象では不活性原子の電子が電気エネルギー(高電圧のエネルギー供給空間)に反応して、どのような光エネルギー放射変換機能を発揮すると解釈するのだろうか。本当のところは電子が存在して関わる現象ではないのであるが、電子殻で理論が構築される限りは、その発光現象の訳が示されなければならないと思う。ネオンサインに量子力学は場違いな話で笑われそうだが、ネオン原子の電子が高電界中を飛んでくる電気の電子と衝突し、禁制帯を飛び越えて高エネルギー電子に成り、再び原子に戻るから発光機能を発揮できのだろうか。電子殻電子の原子構造論から判断すれば、そんな特殊任務付与解釈にしか辿りつけない。内心は無理なこじ付けと思いながら。

リチュウム原子Li とても興味を覚える記事「リチュウムは躁病と欝病を治すだけでなく、それにかかりやすい人を病気から守る働きもする。さらに、リチュウムはほかのさまざまな精神病や情緒不安定、とくに鬱病に効果のあることが知られてきている。」(発見と創造 科学のすすめ W.I.B.ビヴァリッジ著/松永俊男・鞠子英雄 共訳 培風館 p.60.  昭和58年初版)を見た。最近は携帯電話の電池にも使われ、核反応の三重水素とも関係が深いとある。3価で、反応性の高い原子のようだ。電子殻の電子の機能と考えるには理解に戸惑ってしまう。原子とは不思議だ。

むすび どんなに原子とその特性を電子殻構造論から理解しようと思っても、納得できない現実に突き当たる。『電荷』あるいは電子概念に基づく電磁気現象解釈は一見理に適っているように思えても、細かく考えてみると全体としての統合性で辻褄の合わない点や矛盾が見つかる。結局『電荷』に基づく基礎的論拠は物理学理論にそぐわないとしか思えない。『エネルギー』の千変万化する自然の現象に思いを寄せれば、『電子』もその一つの姿に思える。

『瞬時電力』の物理的意味

はじめに 電気技術概念に『瞬時電力』がある。電気エネルギーが現代生活を支える基盤となっている。しかしエネルギー消費量が増加すれば、海水温度の上昇を来たし、地球温暖化による自然災害の増加と言うリスクも伴う状況を来たして居る。先日も新潟地方を襲った暴風雨によって電柱4本がなぎ倒され、突然の停電の被害が発生した。海水温度の上昇が空気中の水蒸気含有率を挙げ、寒気とのせめぎ合いによる上層部の急激な水蒸気体積収縮により低気圧を作り出す。日本の木造住宅の安全性が脅かされる事態を迎えている。竜巻と低気圧暴風雨が伝統的な生活様式の安全性を脅かす事態になっている。食糧生産のハウスも対応できない事態を来たしている。『エネルギー』の物理的意味が正しく認識されていないようで気掛かりである。3月5日西日本では雷の異常発生が観測された。雷の原因は水蒸気の熱エネルギーである。『電荷』などでは決してない。#末尾注#に雷について関連記事。初期の記事、電流は流れず (2010/12/22) にも論じた事である。水と温度の関係は『エネルギー』の何たるかを問う問題でもある。電気技術には『瞬時電力』の他新しい『瞬時虚電力』などと言う用語もある。電気技術の『瞬時電力』の意味を少し深めて置きたいと思った。

瞬時電力とは? 電気現象を論じるに『瞬時電力』と言う用語が使われる。一般にはあまり馴染みがないであろう。電気製品の消費電力も余り気にはしないだろうから。600Wとか500Wと言う数値はその電気製品の1秒間の消費エネルギーが600J(ジュール)、500J(ジュール)であることを示している。その消費したエネルギー量に対して電気料金を払っている。少し電気回路を考える技術者なら電圧と電流の実効値の積との関係で平均の消費電力量で十分理解できる事である。今更改めて、『瞬時電力』でもなかろうと思うかもしれない。しかし無効電力などとの関係を考える時になると、時間的なある瞬時の値がどんな意味を持つのかが分かっているのかと自分に問うてみた。簡単な回路で考えた。

図1.瞬時電力とは何か? 100V、50Hzの電源に10Ωの負荷抵抗。難しい理論は分からないが、基礎的なオームの法則の範囲なら深くも考えられる。電圧v(t)、電流i(t)および瞬時電力p(t)はグラフに描いてその瞬時値を認識出来る。不図気になったのは瞬時電力p(t)の座標の[kW]である。この負荷の電力は電流実効値10AであるからP=1[kW]である。この1000[W]と言う電力は1[s]間の間に負荷に供給されるエネルギーが1000[J]であると言う意味である。瞬時と言う時には時間の長さは含まれていない筈だ。ある時刻の意味である。1[μs]でも瞬時と言う時刻ではない。ワット[W]と言う単位はエネルギーの時間微分の意味である。50Hzの交流電源電圧は1[s]間に100回の回数で負荷にエネルギーを供給しているのだ。その1回分が10[ms]の間に供給される丁度10[J]である。その100回分が1[s]間の1[kJ]になる訳である。

図2.p(t)=dwp(t)/dt  瞬時電力p(t)とは、ある時刻における供給エネルギー値wp(t)の時間微分値を表すものと見られよう。瞬時電力と言う供給エネルギーの電気技術概念もその表現内容を確認しようとすると、なかなか複雑である。それは電圧でも電流でもやはり時間微分の概念が含まれているのだろうから、同じく物理的には微妙な意味を含んでいるようだ。電気回路の基本認識として、『エネルギー』の供給設備であると言う事を理解して欲しい。燃料の『熱エネルギー』を発電設備で「電気エネルギー」に変換し、送配電線路を通して需要家に『エネルギー』を供給しているのである。電気エネルギーを動力に使ったり、熱源として利用したり電灯の光として利用するのである。その『エネルギー』とは何かを認識することが重要である。何処にも『質量』を必要とはしていない。質量でエネルギーを論じる必要は無いのである。確かにモーターの負荷は回転の慣性に動力を働かせるから、質量との関係で論じられる。しかし電気エネルギーには質量は含まれていないのである。電気回路の電流概念には『電荷』と『質量』を含んだ『電子』が主役を演じて論じられる。電気回路で、電源の『エネルギー』を『電子』がどのように負荷まで運ぶと考え得るのだろうか。『エネルギー』の実在性を認識する事が科学論の基本であるべきだ。瞬時電力p(t)は正弦波電源電圧で有れば、数式では電圧と電流の瞬時値から、その積として三角関数の式で表現できる。その電圧と電流の瞬時値は変圧器(Tr.)と変流器(CT)で検出し、その積をオペアンプなどで算定して瞬時電力p(t)の瞬時波形を描くことが出来る。その得られた波形の瞬時電力の単位と数値で、2[kW]のピーク値とは一体どのような意味を持っているのかと考えると、その表現する概念の内容が良く分からないのである。技術概念とは?と誠に不思議な感覚に陥るのである。完璧と思われる技術概念と理論が電気技術者としての長年の常識的世界観が故の物であったのかと、自分の認識に戸惑いさえ感じてしまうのである。

易しいことに含まれる深い意味 電気理論は長い伝統に育まれて、完璧な電気技術論として定着している。それは、電圧と電流の技術概念で十分電気回路現象が理解できるものになっている。極めて易しいオームの法則として完成されている。しかし、その完璧と思える理論でさえも、自然世界の眞相と看做すにはどこか不自然な違和感を感じざるを得ない。そんな感覚的理論の不整合性を突き詰めて来た。物理学理論の『電荷』と『質量』そして『エネルギー』の間に横たわる膨大な絡み合いを解きほぐす作業であったのかも知れない。世界を描くはそんな思いの結論であったのかもしれない。

図3.瞬時電力p(t)とエネルギー伝送 導線内を電子が流れ、電気エネルギーを負荷に供給すると言う解説が普通の電気回路解釈である。今でも教科書はそのように解説されている。電気技術概念の『電流』と『電圧』は誠に素敵な概念である。そんな便利な概念を創り上げてきた電気技術を称賛しなければならない。その御蔭で現在まで電気が社会生活の重要な『エネルギー』供給源として利用出来ている訳である。太陽からは電線路も無しに地球上に『エネルギー』が供給されて、地球の生命が育まれている。お日様が照れば暖かい。太陽の『エネルギー』を受け取っているのである。電線路の銅線の中を『電子』が流れて、電気エネルギーを供給している等と言う解釈では矛盾に耐えないと思うのだが皆さんは如何に考えるかと問いたい。最近は配電線路も絶縁電線を撚って配線しているので、相当配電線路静電容量も大きいかもしれない。その配電線路単位長さ当たりの静電容量をC[F/m]として、電圧分のエネルギー分布量wv(t)[J/m]を表現してみた。電線路には電圧が印加されただけで、線路空間に電気エネルギーが溜まると解釈する。そのエネルギー量を評価する電気技術概念が『電圧』である。電気の眞相(1)-電気エネルギーとは何か― (2014/10/13) に関連している事でもあろう。過去に電気の眞相(2)および(3)で―電圧とは何か―、-電圧と負荷―(2015年)を論じた#末尾注#。電線路電圧の2乗に比例してエネルギー量が溜まる。どのような空間分布になるかは分からない。絶縁材料部でエネルギー密度は高くなるだろう。深い意味でのエネルギー流について。図3で、ポインティングベクトルS(r,t) を使って線路空間のエネルギー流の解釈を描いた。しかしそれも考えてみれば、時間的には瞬時の表現には成っていない。電力の単位ワット[W=J/s]は時間的な瞬時と言う意味での物理概念を表現しては居ないのである。今までの考察では、線路電圧がその線路空間のエネルギー貯蔵量を評価する技術概念であると言う結論に達した。しかしそのエネルギー貯蔵量に対して、負荷に供給される伝送エネルギー量がその内のどの程度の比率であると考えれば良いかまでは示されていない。その負荷供給のエネルギー量を評価する技術概念が『電流』瞬時値i(t)になる筈である。i(t) とp(t) およびwv(t)の間の関係で捉える必要があろう。その辺の関係は次の記事、瞬時電流の物理的意味で別に述べたい。(2018/11/25)追記。瞬時電流や瞬時電力と言う物理的意味が今まで筆者の理解し切れないでいた事さえ改めて考え込んでしまう。その意味を、技術概念『電流』とその測定および瞬時電磁界と概念に纏めることが出来たかと思う。導体中を流れる電子と言う解釈が虚構の科学概念であったと言わなければならない事態をとても残念な結果と思う。物理学の根幹から立て直さなければならないから。

光の正体が電気現象の基礎事項 電気現象は線路空間のエネルギーの挙動として理解する必要があろう。電子が『エネルギー』を背負って負荷まで運ぶ理屈は成り立たない筈だ。どうしても物理的な自然現象として捉えるには、光のエネルギー伝送の意味を基礎に考えなければならない。電子では、エネルギーの光速度伝送を説明できなかろう。『電荷』概念では物理現象としての電気回路解説は無理である。『現代物理学理論』の高度な数学理論での解釈は何も理解できないが、身近な電気回路の『オームの法則』の自然現象としての物理的意味を掘り下げて解釈することの大切さは理解できる。目指すは市民が理解できる科学論であるかも知れない。

#末尾注#

雷の正体 (2012/11/13) ドアノブの火花-熱電変換- (2014/02/09) 雷は熱爆発 (2014/05/03)

電気の眞相(2)-電圧とは何か― 電気の眞相(3)-電圧と負荷―

電気回路理論と電磁気学の関係

標題のような関係を問われているようだ。言われてみれば、なかなか悩ましい問題かもしれない。電気回路理論は物理学の分野と言うより電気工学の科学技術応用理論になると考えた方が良かろう。回路理論は電流や電圧と言う科学技術概念で論じる分野になるから。しかし電気磁気学(現在の教科書の内容は電流、電荷概念によって解釈しているから、それは科学技術の範疇になり、真の自然の真理とは異なる。2018/02/13)はあくまでも自然現象として電気現象の真理を探る学問分野になろうから、電気工学と異なる物理学の範疇の分野になろう。物理学は応用でなく自然の真理を説き明かす学問分野と考える。だから物理学は例えば『電荷』の実在性を説き明かす事を目的とするような学問分野であろう。科学技術概念とその用語は応用分野が広がるにつれ、次々と新しい概念・用語が造りだされる傾向にある。超伝導現象等も古い電気磁気学には無かった、気付かなかった現象である。その新しい応用技術用語・概念が如何なる自然現象なのか、その本質を究めることが物理学である筈だ。そこには電流を自然の真理と解釈するようではとても物理学とは言えない。広く自然哲学としての見極めをする学問が物理学であろう。応用と真理は常に対立する学問分野であるべきだろう。電流概念(電荷と質量の混合素粒子である電子の流れと言う概念。しかし電流はA[C/s]で、その単位には質量は入らないと言う不思議な電流概念論の矛盾)を否定すれば、初めて電気回路内の現象の意味が分かって来る筈だ。電流が流れていない事が分かれば、導体としての銅線の資源量は節約され、設備は軽量化されるのだ。それが自然現象の本質を究める学問・物理学であろう。物理学の電気磁気学は根本から作り直さなければならない処に立っているのだ。電気工学と電気磁気学は全く異なる分野である。科学技術の社会に生きる現代人がその科学技術の本質を理解し、賢く生きる未来を見据えるに欠かせないのがその科学技術に隠された真理を認識しながら、技術との関わりを考えることであろう。技術を理解するには、電気工学で有ればオームの法則やファラディの法則と言う便利な技術法則を使う術を身につける必要がある。ファラディの法則一つをとっても、磁束と言う概念を使うが、科学技術法則として《磁束=コイル印加電圧の時間積分》と言う概念で捉えることが必要である。しかし、その法則さえ物理学として自然世界の真理を求める分野では磁束など存在しない事を理解する必要がある。磁束もただ一つの『エネルギー』の回転流を評価する科学技術概念でしかない事を。

今電子レンジと水について考えている。水分子が衝突し合って加熱されると解説されているのを本当か?なと。マグネトロンと同じく、MRIもなかなか不思議な理論で、すべて磁界と磁束の科学技術概念がその基本理論を構成している。みんな『エネルギー』の様相に観えるから、筆者の迷惑論かと御免なさい。

ハミルトンの風車からエネルギーを観る

はじめに (またの文末の自分の恥さらしで御免なさい。憲法と市民権など全くの無知であった。権力と市民権の関係の教育を受けた記憶も無い)。ハミルトンの風車はブログの最初の科学の記事で、放電現象と電荷・電流概念(2010/08/02)にある。何故ハミルトンの風車を取上げるかには理由がある。新世界ー科学の要ーで示した静電界のエネルギー流についての解釈を早合点したようだ。訂正しなければならないと思ったからである(2017/11/07追記・修正した)。それはコイルとコンデンサの磁気ループについても訂正になる。

ハミルトンの風車

極性とエネルギー流 ハミルトンの風車を検索すると、その回転現象の解説にはイオン風と言う電荷が原因となった説明が成されている。マイナスの3万ボルト程で大きな卍型の針金が相当の速度で勢いよく回転する。しかもプラス側の電極が無いのに、マイナスを印加するだけで良く回転する。昭和40年頃の高等学校での公開実験での強い印象が残っている。1.6mmΦの屋内配線用銅線で構成した直径30,40cm風車実験結果が思い掛けずも成功したのも不思議であった。何も傍にプラス電極が無い、空間に置かれたマイナス電極の風車である。針金の先端からジーと音を立てて噴射しながら回転する。ただし、印加電圧が正極性の時はそれ程強い回転力は得られない。明らかに極性によって異なる電気現象であることははっきりしている。放電管内の流れがマイナス電極側からしか流れない事も良く分かっている事だ。その流れを陰極線と名付けたのだ。その流れる実体を『電子』と呼んで解釈するのが現代物理学理論の根幹である。『電荷と質量』を備えた素粒子が『電子』である。その電荷と質量の空間的描像も明らかに説明できないにも拘らず、『電子』と言う素粒子(レプトン)が実在し得るとの前提で構築された電磁界理論である。その電子と言う『電荷』概念への疑問を抱いたのが電磁界の新世界に踏み込む事になった原点である。ハミルトンの風車の回転現象を電子とイオンで解説されているのが常識論である。結局、電子もイオンも『電荷』と言う実在しない物理量概念で、見えないが故に、簡便な解釈で伝統的に積み重ねてきた理論体系の基礎概念となって、社会的な常識論の根幹となって来たという事であろう。今唱えたい事は電子やイオンに替わって、それに対応する『エネルギー』一つで統一的に解釈すべき基礎理論が求められていると言う結論になる。

針電極 針電極のような金属の先端を尖らせて、負の高電圧を掛けるとコロナを噴射する。それは導線に沿ってエネルギーが針先端から空間に噴射されるからと解釈する。導線周辺にコンパスを近付ければ導線を周回する向きに磁気ループが存在するだろう。それは電流で解釈すれば、それが先端部から流れ込む向きと同じ方向ではある。このエネルギー流の解釈は、電子・電流の解釈との明確な違いを説明するだけの根拠を示せないのが残念ではある。残念であるというより、目に見えないものを科学技術で自然現象を利用するように概念化して来た多くの先人の業績を讃えるべきであろう。然しながら、自然の真底に横たわる眞髄は科学技術概念の奥に隠れているのだ。それはを認識するのは各人の自然科学的感性に委ねられていると言えよう。

平板コンデンサ内のエネルギー流 そのエネルギー流での解釈は、平板コンデンサ内へのエネルギー貯蔵をどう捉えるかに、その有意性があろう。『電荷』貯蔵に因る解釈よりも矛盾は少ないだろうから。コンデンサ内でのエネルギー消費は殆ど無かろう。従って、エネルギー流は平板コンデンサ内で何らかの回転流として貯蔵されるだろうと考える。二枚の電極板に対して、エネルギー流がどのようであるか、上下二つの流れであるか、一つの流れであるかは見えないものを解釈する訳で、そこに悩ましい決断が求められる。新世界ー科学の要ーで示した解釈は二つのエネルギー流で決断した。それは下部電極表面での磁界の方向が決まるエネルギー流を上部と同じ電極表面に沿って流れ込むと解釈したからであるが、その点が少し早合点であったと反省している。それは新世界への扉ーコンデンサの磁界ーで示したように、下部電極表面でのコンパスの指示方向が電極表面に流れるエネルギー流との合成流に因ると解釈したことに因った。コンパスの磁気の意味をそのエネルギー流が原因と解釈する捉え方そのものが新しい科学的世界観でもあり、その事との関係で迷いがあったと反省している。今回上に示した図の平板間の一つのエネルギー流で解釈する方がコンデンサ内でのエネルギー貯蔵の姿としては共感し易いと言う感覚的な意味合いをも含んで決めた。誠に科学実験による検証方法という手法が採れずの感覚論で誠に不甲斐なさも抱かざるを得ないと同時に、混乱を与えたらと申し訳ないと思う。コンデンサ内のエネルギー貯蔵で、二つの流れは不自然であろうと感じるからである。以上の考えから、結論を図のようなエネルギー流で捉えた。この平板電極内の空間とその外部との関係は明確な描像を描くことはできない。コンデンサ貯蔵エネルギーが完全に電源との繋がりがなく、独立したエネルギー流になるかと考えれば、それは無いだろうと思う。その曖昧なまま表現した図である。負極性の場合で示したが、エネルギー流は電源の負側からの供給が主流になるとの解釈をハミルトンの風車から類推したことで、正極の電極板に対して少し反発する流れになるかと考えざるを得ない。それがその電極近傍でのコンパスの指示方向の原因となる貯蔵エネルギー流とコンパスのエネルギー流との兼ね合いの問題であるから。基本的にはそのエネルギー流がコンパスの指示方向・磁気ループの解釈の拠り所と考えざるを得ない点にある。

アーク・火花放電 高電圧工学と言う分野がある。それは電力系統の保全対策として、送電線路への落雷に対する対策や、支持絶縁碍子の性能向上に欠かせない研究分野である。その電気的特性は高電圧試験によって基礎研究が成される。平板電極間でのアーク放電現象はその基本観測である。電界強度の空気限界は大よそ30kV/cm位と考えられている。それ以上の電界で火花放電し、絶縁は破壊される。その火花放電現象の原因は電極間に塵などが入り込めば、その局部的エネルギー密度が高くなり、局部のコロナが全体としての放電に移行してしまうだろうと考えられる。その辺の現象を電極板の『電荷』で解釈しようとしてもなかなか難しいと思う。丁度、雷が空間の状況と水蒸気の熱エネルギーの供給・放出との兼ね合いで決まる事から思えば、電気現象も『電荷』では捉え切れない謎が多いだろうと思う。

『電荷概念の否定』の観点 伝統的科学理論が常識として世界に受け入れられてきた。正と負の対称な二つの『電荷』が世界の根源を支えていて、その『電荷』無しには科学理論を論じられない事になっている。伝統的科学の世界観で共通理解に在る社会的安定性の観点から観れば、『電荷』否定の反社会的科学論は誠に迷惑な事ではあろうと理解はしている。2000年にワープロ代わりにパソコンを購入した。雨蛙や日本カナヘビ、揚羽蝶など身近なものを眺めて、生活の術もなくただ漫然と流されて来た。科学研究の機関に所属する事も不可能な人生の状況に追い込まれた。今過去を知って見れば、職歴も書けない現実が身に染みている。退職の手続き一つした覚えが無い現実。翻弄され続けている身には日本国憲法(特に、第98条1項 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。とあるが、その条項は何の為のものか理解できない。)が欲しい。まさか昭和14年12月1日や昭和39年4月1日に戻る訳にもいかないし、どうしたら良かろうか?平成7年7月(11月の間違い?)には、国会で事務局職員にわざわざ筆者の正面写真までお撮りいただいたので、不審者リストにでも御登録されているかも知れない。身分が不明のまま捨て置かれているかと疑いたくもなる。昭和63年2月にも国会で物議の基になったかもしれないが。当の本人筆者は何も知り得ないまま今日に至る(*1)人定証人喚問。しかし正規でなくても幾らかの現場での経験から、身に付いた電気工学の技術感覚から物理学基礎概念の意味が腑に落ちず、光の伝播現象と物理学基礎概念の実相を我儘勝手な解釈で追い求めてきた。今思う、『電荷』概念否定の感覚に間違いは無かったとそれだけは安堵した。種々雑多な内容をITの世界に恥ずかしげもなく、恐ろしさも知らず綴って来た。パソコンでの情報発信で、学会での正規の学術研究には成らないかもしれないが、専門的学術に無関係の方々にも科学の基礎とは何かと考える意味は伝えられたと感じる。どれも特別科学研究となる様な新しい事でもなく、日常生活で感じる科学感覚が基での考えを発表して来た。しかし、『電荷』否定一つが、科学理論と自然科学の解釈論に未来への課題として無視できない処に在ることだけは示せたように思う。未来に向けた、子供たちへの教育の問題として。

(*1) 人定証人喚問:昭和63年1月中頃、自宅に何処からか『長岡工業高等専門学校の健康保険証』が送付されて来た。長岡技術科学大学の電気系事務室で電気系長にこんなものが送られて来たと見せた。そんなものを持って居てはいけないと取り上げられた。その後、その保険証がどのように処理されたかを確認していない。その数日後、長岡工業高等専門学校の事務職員がやはり自宅に「未だお返し頂いてない保険証をお返しください」と封書が届けられた。身に余る不可解に対処し切れずに、無知を曝して今日まで彷徨って来た。今も不届きなへリコプターが飛んでいる。畏れ多くも国会で不届き者と人定喚問でもして、我が身の悪行の所業を解明して頂かないと死に行く人生に辻褄が付きそうもないと考えている処でございます。(2018/10/12)追記。誠にお恥ずかしい次第であります。『静電界は磁界を伴う』電気学会全国大会(1982)の発表から、脱藩したと観られる 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界研究会資料 EMT-88-145 (1988) の発表まで、すべてロゴスキー電極間の静電界中の磁界模様の実験写真である。電場が磁場であることの証明写真である。電気磁気学の電荷概念を否定しなければ、この写真は嘘になる。世界の構成根源要素は『エネルギー』一つに集約される筈と、ハミルトンの風車の実験(1965年頃実施)に結びついた。

電磁力の本質

電気磁気学は電気と磁気の学問である。本当は電気と磁気に分けることに意味は無いのだが、電気工学の伝統的理論で別物として考えるのが常識となっている。今回はその磁気の意味を探ってみよう。(2017/11/15)追記。ここに書いた磁気に対する筆者の考え方とは異なるのが科学学会の常識になっているようだ。地球磁場が逆転すると考えられているようだ。地球の磁極が過去に逆転していると。とすると地磁気の発生原因をやはり地球内部のダイナモ理論が支配しているように思う。物理学の根本概念に関わる問題である。地磁気とコンパスに少し解釈を述べた。筆者は地球の回転が何故偏西風より遅いのか。地球は何故回転するのか。太陽系の惑星は何故同一方向の回転をするのか。など天体運動の根本で論理的に説明のつかない謎で筆者だけなのかも知れないが、捉え切れずに、頭が空回りの状態にある。電気磁気学の電界・磁界の解釈では『エネルギー』の流れとして統一的に捉えたつもりでいるが、地球内部のダイナモ論は受け入れ難い。磁鉄鉱が磁気を持つとはどのような仕組みかを考えれば、地球の回転が逆転しない限りは地磁気が逆転する訳は無いとしか言えない。一言気掛かりで追記した。昨日(11月15日)に続いて追記。地球は偏西風以上の速度での回転力(この回転力とは、地球を回転させている原因としての太陽系全体を回転統一体系として支配している回転エネルギー原理―具体的に示せないが―と観たい)で回転させられているから表面エネルギー流に因る磁気特性が存在する。不図気付いたが、月は地球軸の周りを廻るが、回転しているとは言えない。地球に同じ面を向けている。だからその面の反対側は地球軸に対して弱い回転をしているとも見られる。その地球に面していない月の面は少しはエネルギー流の影響を受けているかも知れない。そのエネルギー流を検知できれば磁気的状態を観測できるかもしれない。地球もエネルギー流の回転の支配下にあるが故に、そのエネルギー流とコンパスの関係で地磁気として観測していると解釈する。ダイナモで磁気が発生している訳ではない。

磁気とは何か? 誠に掴みようのないものに見える。磁石(マグネット)がその意味を単純に示している。必ずN極とS極が対になって磁石の両端に現れる。しかし、N極とS極と言う磁気が有る訳ではない。ましてや磁荷+m[Wb]、-m[Wb]等と言うものが有る訳では決してない。我々が磁気の物理的性質を解釈するために考えた出した解釈手法でしかない。コイルに電流が流れると、そのコイルの両端にも磁石と同じようにN極とS極のような磁気が現れる。コイルの中を見てもそんな磁気が有る訳ではない事は誰もが分かろう。コイルの中味と同じことが磁石の中味である。何も無いのである。何も無いと言うのは間違っていて、何かが在ることには違いない。何か(電気磁気学では磁束)が基で極めて強烈な特性を示すのが磁気の“磁気”と呼ぶ物の本性である。その何も無い(電気磁気学では磁束が有ると解釈している)としか思えない現象・自然の隠された処にこそ力が在る。磁束では説明できない力が在る。直線的な引力・排力で認識する意識意外に、今まで気付かなかった重要な『力』の本源が有りそうな予感に、長い歳月(渦巻銀河の不思議の昭和62年以来)に亘って引き摺られて来た。

磁極NSの意味 地球にも北極(S)と南極(N)がある。地球が磁石になっているとは何と言う事か。磁石の基は何なんじゃ?地球の中心に電流が流れて磁気が出来ると昔は説明されても居た。電流が円形状に流れれば、磁気は電流より外には出来ないことはコイルの電流から分かる筈だ。磁気は電流が作る訳ではなく、磁気と言う物も人が解釈した自然の解釈概念でしかないのだ。

磁極NSの意味NSの意味 電流の流れるコイルとマグネットでは磁極NSの空間的関係が似ている。電流とは電流と反対向きに電線に沿って、エネルギーが流れている現象である。電気エネルギーとも言えば良かろう。あるいは電線に沿った光とも言えるかもしれない。光も見えない電気エネルギーと同じものだ。図のように、磁石(マグネット)とはその周りをエネルギーが流れているもので、磁極の本質はそのエネルギー流の向きを見る観方で決まる極性である。コイルとマグネットの間で少し異なるのは、コイルの磁場はコイルの内側であるが、マグネットの磁場は磁石の外側にエネルギー流が在る。エネルギーの廻る方向に対して、左ねじの進む向きが極性N極方向を指す。科学論の求める実験的検証を示せれば良いのだが、光の流れを測定する方法が見当たらないので困難である。

一つのもの コイルの中に出来る磁気のNSを説明するにはエネルギー流一つしかない。コイルに蓄えられた電磁エネルギーの示す自然現象を磁気と伝統的に解釈して来た。また勝手な我が儘解釈と顰蹙(ヒンシュク)を買いそうなことと知りながらも、電磁現象の本質を秘めた光・電気エネルギー(質量に無関係)の意味を御理解いただきたくて。

磁束φ[Wb]と電磁力の関係 磁気あるいは磁場と言えば、それは磁束φ[Wb]の存在する空間の自然現象の解釈上の捉え方にもなろう。磁束と言う実在量が在る訳ではないにも拘らず、磁気を論じるに磁束にお出まし頂かなければならない自己矛盾の中での展開論を謝らなければならない。しかし磁束では磁界と言う場の本当の意味は説明できない。磁界の意味はどのようにその存在を認識出来るか。それは電磁力(磁力)と言う力が働く場であるかどうかで判断できる。電磁力・磁力は磁気のクーロンの法則と言う数式表現で解説される。教科書の磁力の説明である。ここでも磁気のクーロンの法則を否定して、エネルギー流に因る力を説明しようと言う非常識を説こうと考えるのである。二つのマグネットを向かい合わせてその距離を近付けると、向き合うN極とS極の間の引力が急激に強くなる。ただそんな日常の生活で経験する単純な力の意味をマグネットの空間磁場の中でどう解釈すれば自分が納得できるかを考えるだけのことである。何も難しい理論を考えている訳ではない。電磁現象に深く馴染んだ職人的感覚で統合した解釈でしかない。磁束φ[Wb]と言う概念が表現する物理量が存在するとは考えられない事から到達した結論はエネルギーの回転流である。その関係をまとめたのが砂鉄による磁界分析である。とても残念であるが、磁束量は電気工学の科学技術概念としては誠に便利であり、大切なものでありながら、物理学の概念としては論理的に矛盾に耐える物理量ではないと考える。それ以上に問題と思うのは磁気のクーロンの法則である。磁荷と言う物など存在しないのであるから。それでは磁石の強力な電磁力の原因は何なんだろうか。直線的な距離を変数とする表現式で力が決まると解釈することは無理であろう。磁気の存在する空間に起きる現象はその空間にエネルギーが実在することで起きる。質量の無い空間のエネルギーの存在を認識する必要がある。磁性体、鉄等は磁気に反応し易い。磁気に反応と言うより空間のエネルギーに反応し易いと言った方が良かろう。原子周期律表の中で、鉄などが何故空間エネルギーに反応し易いのかに謎を説く鍵があろう。それは眼で見る訳にはゆかないので、こんなものかと想像するより他に無い。鉄はそれ自身磁気的特徴のエネルギー円環流の空間構造的軸性を備えている元素と観たい。エネルギーの回転流に対する軸性である。その軸性が特に強い元素ではなかろうか。磁気と言う概念も磁束で評価しているが、磁束と言う矢印で表現する意味はエネルギー流と言う謂わば『独楽(エネルギー円環流)』の心棒に当たる中心軸の方向を表現していると考えた方が良かろう。こんな科学論としての普通に求められる実験的検証が出来ないままの想像の話で誠に申し訳ないが、元々質量は光が熱にもなるし、それは質量にも変化するとの譲れない質量観からの解釈であれば、その点お許し願いたい。鉄も変転流転の原子変換途中の一状態でしかないのだから。鉄が初めから鉄で、変化しない等とは考えていないだろう。水素も何処までも水素のままだなどとは考えないとは思うから。光が光のエネルギーのままで変化せずに、行き場もなく消える訳ではなかろうから。光と質量は何も本質に違いが在る訳ではなく、全く等価である。と顰蹙とお叱りをかう後で、電磁力の本質は何かと考える。エネルギー流の空間微分がチラチラと頭に浮かぶ。エネルギー流に直交する力の発生原因を表現する方法にどんなものが有るか?と考える。その電磁力は原子や分子の結合にも働いている筈だ。空間エネルギー流の密度に関係した量の偏微分rotationの計算で捉えるべきであろう。

理科教育と磁気 学習指導要領で、理科教育の内容が決められている。少なくとも磁荷に因るクーロンの法則での磁力解釈は子供達の未来への科学認識に誤った意識を残すだろう。教育内容は主権者である子供達の為の、子供達が何を望むかで決めるべきだろう。

電磁力を取上げた訳 整流回路のリサジュー図形を空間ベクトルでの解釈の仕方を説明しようと思ったら、どうしても発電所の「同期発電機」の構造と力に因るエネルギー伝達の意味を考えなければならないと思った。それには電磁力の本質を捉えなければならなくなった。そこで考えをまとめようと思ったからである。