カテゴリー別アーカイブ: 理科教育

分布定数回路空間の世界

はじめに

既に分布定数回路と実験に載せた。その発振器を組み立て、最初の試験をした時の写真。

 

 

その分布定数線路の寸法とその特性インピーダンス算定値500Ωとしていた。しかし、少し値が違っていた。当時は計算尺で算出した。そのための誤差であろう。この記事が初めての実験結果報告であった。算定式の係数276(=120π×(2.3026/π) =276.312)の算定根拠もようやく今回の数か月の問答で、理解できた。その中で、電気回路の真の物理現象を捉えることができた。電気回路はすべて、張られた電線によって構成されたその空間を伝送されるエネルギー流であると。光エネルギーが電線路空間を光速度で伝播する現象であると。その波長が長い交流波形であるかあるいは一定値の直流であるかに関わりなく、すべてエネルギーの空間光速度伝播現象であると分かった。結局電線内を電流などと言う電子が流れているという過去の物理学理論の認識は間違っており、捨て去らなければならないという事である。しかも、その空間を流れるエネルギー流を科学的実験によって測定あるいは観測することは不可能であるという事も真理である。光速度で流れる光エネルギーの空間分布波形を観測できる訳はないから。それは哲学の領域であろう。そのことは科学的手法では自然の神髄を捉えることはできない限界があるという事実を示す意味でもある。どんなに科学技術の精度が高く進歩しても無理な限界がある。それが光速度の世界であろう。伝播光の単位の一粒の光の一波長の中のエネルギー分布密度など観測できないから。科学的手法による観測不可能の対象が科学論の論理に認められるかどうかの問題でもあろう。

回路構造係数と電気回路特性

光が真空自由空間を伝播する時の特性と電気回路の電気エネルギーが伝播する特性と異なる点は、その電線路の構造だけある。構造によって決まる自然対数系の構造係数k=(1/π)ln(2D/d)(無次元)を決めると、その導体によって囲まれた空間の構造だけで、回路定数が決まることが分かる。真空自由空間の透磁率μo=4π×10^-7^[H/m]および誘電率εo=(1/36π)×10^-9^ [F/m]とする。

構造係数    k=(1/π) ln(2D/d) [1]

インダクタンス La= (μo/2)k [H/m]

キャパシタンス Ca=2εo/k [F/m]

が全ての回路の基本分布定数の基本形となる。

線路構造と回路定数。

平行2線式電線路 

所謂分布定数回路の基本構造である。

 

 

同軸ケーブル

通信用や電力用ケーブルで、絶縁体の誘電率の比誘電率εsとした場合の特性である。

 

 

 

三相送電線路

三相送電線系統の特性は線間距離Dを幾何学平均値で捉える。その線路定数は三相の相電圧を基本とするから、中性点に対する値となる。

 

 

 

 

導波管 

マイクロ波伝送回路に方形の空洞伝送路がある。この場合は普通のインダクタンスやキャパシタンスの意味が捉えにくい構造である。しかし電波信号はこの導体で囲まれた空間内を伝播する。如何にも電波エネルギーが自由空間の光エネルギーと同じく制限空間ではあるが、その空間を伝播すると理解しやすい例であろう。ただ特性インピーダンスZは他の場合のように、統一的な規則での評価はできない式だ。新版 無線工学Ⅰ伝送編 p.138. 宇田新太郎著 (丸善)による。波長比 λg/λ は管内速度の遅れを意味すると解釈する。伝播定数γ[s/m] が大きくなる意味と考える。

特性インピーダンスZ[Ω]のエネルギー伝送に対する物理的意味

電線路空間を伝送するエネルギーは基本的には真空自由空間の光エネルギー伝播現象と同じ特性を示す。光は空間をエネルギー共振現象として伝播すると解釈する。同じく電気回路のエネルギー伝送も、回路特性のインダクタンスL[H/m]と静電容量C[F/m]の間の共振現象として伝播すると解釈する。

電線路の空間エネルギー分布を電圧v[V]と電流i[A]と言う科学技術概念で表現すれば、それぞれのエネルギー空間分布はCv^2^[J/m]  Li^2^[J/m] と評価でき、次のようにエネルギー比で解釈する。

Li^2^/Cv^2^=1

(L/C) = (v/i)^2^            ∴ √(L/C) = v/i = Z [Ω]

という特性インピーダンスZ[Ω]の意味で捉える。

むすび

結論をまとめた。右の図のようになろう。電気回路理論と物理現象の関係を統一的にまとめられた。分布定数回路の問答を終わりにする。

 

誠にお粗末なすべてが隠された不採用の人生であったことを知り、今基礎科学と大学の教育を考えた時、不思議な感慨を覚える。昭和33年夏、人生は故郷での河川土木工事の土方仕事の石の畚(モッコ)担ぎから始まった。東京に出て、人の姿を見て、生活の意味を知り再び浪人生活を親に許してもらった。研数学館での楽しい講義を聴きながら、江古田のあるお方のお宅での下宿生活(ご主人に食事を作っていただいた恩義を重く感謝したい)。同宿のお勤めの方に撮っていただいた当時の写真だ。その旅立ちの頃には思いも及ばなかった長い人生を歩んだ。その当時は、ただ学館と宿の往復だけの1年を過ごした。自慢は1時間の欠席もなしに通い徹したことかも。思い出せば、物理の講義が楽しかった。意味が分からなかったが「ダランベールの定理」という言葉が残っている。現代国語の講義も楽しかった。先生がよく問題を投げかけた。自分も挙手して答えていたことも楽しい思い出。お陰様で大学に入学できた。高等学校での化学の授業で、電子同士の共有結合の意味が理解できず、化学への劣等感を持った。折角大学に入学できたのに、何故か学問への喜びを得られず、無為に過ごしてしまったことを後悔している。高等学校で、生徒に教えることになって初めて、電気工学の勉強をした。その初めての実験がこの分布定数回路の組み立てと生徒実習への取入れだった。担当教科が、電子工学、電力設備(電熱・電灯)、電気機器更に発電工学および送配電工学とほとんどの科目を担当し、お陰様で勉強する機会に恵まれた。実験設備も多くの協力をいただいた。旧い柵(シガラミ)のない新設高校であったからと考えれば感謝しなければとも思う。しかし、新潟県立新津工業高校の教員として、新潟県教育委員会では採用されていない不覚の職歴。大学でも文部省共済組合にも加入していなかったことを知れば、それも影のアルバイト人材だったのか。舞鶴鎮守府の戦後処理にその根本原因があると、政府からの回答を待とう。

ある事情(介護)のためこの9年間、自由な行動ができずに来た。学術機関誌での科学論文を発表する訳でもなく、一人壁に向かって、ひたすら己の感覚と向き合いながらの科学問答をしてきたようだ。筆者の場合はお陰様で、このブログ記事を書きながら見えないお方とのつながりを頼りに自己問答をしてきた。身についた技術感覚を基に、物理学的基礎概念への疑念・疑問を自己問答として納得する答えを求めてきた。面壁達磨の苦行とは違うが、全く人との科学論をすることもなく、また学術研究論文もほとんど見ることもない、科学研究者の雰囲気もない異常な生活であった。ただ日本語での思考による結果であった。

『静電界は磁界を伴う』の全く分野の違う物理学理論の根幹への思考研究を始めて、身分の消された中で考えてきた。日本雨蛙石の囁き聞こえますかなど身近な自然世界の深さに触れ、さらに光の空間エネルギー分布の光量子像プランク定数の概念を自然の深さとしてとらえ、それらの自然現象から見る科学技術の基礎概念用語(電圧・電流)の意味も繰り返しの問答によって、常識の科学論と異なる新感覚で、それを理解できる心境になった。その中での核心として『電荷』は自然界には決して存在し得ないと確信できた。常識論とは異なる自然科学的心境でもある。今こそ科学理論はその電荷否定から改めて始めなければならない筈だ。科学と哲学の問題として。自然の単純性と深遠性。『エネルギー』への道のり。そこに新しい教育を通した子供達への夢をも与え得る道が開ける。

特性インピーダンスとエネルギー伝送特性

はじめに(すでに公開した心算でいた。8月末の書き出し記事)
直流回路ではインピーダンスという捉え方をしないのが一般的だ。ほとんどオームの法則で、抵抗回路として取り扱う。しかし考えてみれば、電気回路は直流用と交流用と違う回路を使う訳ではない。電気回路はすべて、分布定数回路なのである。一般に、直流回路解析でインピーダンスは使わない。しかし乍ら電線路の構造は全く同じである。二本の電線を張ればそれは必ずコンデンサとコイルの機能を持った電線路である。電気工学としての直流回路の取り扱いでは、インピーダンスなど必要ないだろう。だが、電磁気現象として考えるとき、電気工学ではなく物理学としての回路現象が大切なはずである。負荷が変化したときのエネルギー伝送特性はどのような意味で理解すべきか。それは必ずエネルギーが分布定数回路の中を伝播する現象となる。何がその伝送特性を決めるかが物理学の問題になる。今、「電気回路のエネルギー問答」の記事を書いている。その中で電力の意味で壁に突き当たっている。時間軸上に描く電力波形p[W] のエネルギー時間微分値という瞬時値とはどの様な物理的意味を持つものかと考えれば、理解に窮してしまう。エネルギーの電線路伝送問題の筈であるからと、電力の意味の思案の途中に居る。その中での一つの問題として、直流も基本的にはエネルギーの伝送問題の筈と思い、直流回路の電線路の分布定数回路としての特性インピーダンス問題を取り上げようと思った。(2019/09/19)この記事は8月末に「直流回路のエネルギー伝送特性」として書き始めた。しかし書き進む内に特性インピーダンスの算定の話に変わってしまった。その特性インピーダンスは空間の電波や光の伝送特性初め、電力送電線路や超高周波伝送路に共通した物理的意味を持っていると考えれば、そのすべてに統一した特性としてとらえるべきと考えるに至った。そこで表題を改めて、特性インピーダンスに絞ろうと考えた。この特性インピーダンスに関する記事に、既に特性インピーダンスから見る空間の電気特性という記事があった。その時点より、統一的に電気現象を捉えた筈である。

エネルギーの電線路空間伝送

電気エネルギーは決して『電荷』によって運ばれる物理量ではない。『電荷』を具備するという電子や陽子が電線路導体内を流れ伝わると言われても、そこには『エネルギー』を運ぶ論理は観えない。『電荷』は回路を往復周回する論理で理解されるから、行きと帰りで『エネルギー』の運び手としての役割を果しえない。『エネルギー』は電線路内の空間を伝送される、即ちそれ自身が実在する物理量として空間を伝送すると解釈しなければ、物理学理論としての論理性は観えない筈だ。『エネルギー』は他の代替物理概念量によって伝送され得るものではない。『エネルギー』自身が空間を光と同じく伝播するものである。そこには光が空間エネルギーの分布波であるという基本認識がなければ理解できない壁となろう。直流電気現象も、電線路の分布定数回路の空間を伝送するエネルギー伝送現象と理解しなければならない。電子などが流れる現象ではない。超高周波のマイクロ波通信だけが分布定数回路の伝送現象ではなく、直流も全く同じく、その伝送は分布定数回路伝送現象なのである。

先に記事光エネルギーと速度と時空で取り上げた右のエネルギー伝播の図がまさしく直流回路のエネルギー伝送の話になっていた。この分布定数回路で、負荷抵抗が特性インピーダンスと同じ値の場合が負荷端でのエネルギー反射現象が起こらない伝送現象になる。古い生徒実験として取り入れた自作分布定数回路の報告記事があった。それが 分布定数回路と実験 である。そこに超高周波であるが、分布定数回路のエネルギー伝送の意味を理解するに参考となる実験データが載っていた。その負荷抵抗が特性インピーダンスの場合(第8図の特性インピーダンスに等しい負荷抵抗が500Ωの場合がそれである。)の定在波測定結果で、ほぼ一定値になっていることにその意味が示されている。それは負荷端でのエネルギーの反射がない伝送形態である。このエネルギーの反射現象で、驚くべき実測結果が有るといわれている。それは送電線路の開閉サージの電圧が定格電圧の7倍まで上昇した異常現象が起きたと。それは線路絶縁対策としては大問題である。送電端と無負荷受電端間のエネルギー往復反射の結果による現象である。電線路とはそのように、如何にも分布定数回路としてのエネルギー伝送に伴う複雑な特性を示す回路だ。単純な電線路ではない筈だ。少し脇道にそれたが、電線路は物理的なエネルギー伝送現象の空間であることを先ず認識して置かなければならない。

電線路と特性インピーダンス 分布定数回路と実験 の記事の線路定数を例に、特性インピーダンス500Ωの場合の分布静電容量C[F/m]と分布インダクタンスL[H/m]の定数値を算定してみよう。上の分布定数回路と実験のページ -123-に

Zo=(276/√εs)log(2D/d)=500[Ω] (2)

なる式がある。この式は、参考書の 新版 無線工学 Ⅰ 伝送編 宇田新太郎著 (丸善)p.95 に(4.6)式として載っている。この式の算出法が理解できないでいる。

そこで、平行往復導線の特性インピーダンスZoの算定法はどうするかを考えてみる。筆者は、電力工学での送配電線路の定数算定法を昔学習した。その教科書を紐解いてみれば、インダクタンスは線路電流による磁束鎖交数からの解釈であり、静電容量は電線路分布電荷がその理論の基をなしている。その理論的解釈で、実際の送電線路の回路定数・分布定数[mH/km,μF/km]が的確に算定されている現実の不思議をどう理解すべきか。

Fケーブル(屋内配線用)の特性インピーダンスの試算

上の算定式(2)式が高周波での特性値として極めて正確に思える。ちょっと寄り道をして、方向違いの商用周波数用屋内配線用として多用されるFケーブルの特性インピーダンスを算定してみよう。1.6mm銅線2本の平行ケーブル。絶縁厚0.8mmでD=3.2mm 、d=1.6mm とする。さらに、ビニル絶縁材の比誘電率εs=4.5とデータから選ぶ。そこで得られた特性インピーダンスはZo=78.3[Ω]程度と算定される。以上は一つの比較算定例とする。

特性インピーダンス算定式の係数、[276]がどのような根拠で得られたか?その訳が一つ解決した。送配電線路の教科書の中から糸口を探せた。そこで、まず特性インピーダンスの算出根拠を論じる前に、その手法の論理の妥当性を考えたい。それは最初にインダクタンスの算定手法について、電流 1[A] の物理的空間として、別に取り上げる必要があろうと考えた。インダクタンス算定式にまとめた。

同じく静電容量算定式についても纏めたい。静電容量算定式と理論にまとめた。

 

 

これが電気回路の実相だ

はじめに 電気技術概念、その代表が電圧と電流だ。その本当の意味はすべてエネルギーの姿を利用しやすい観測量として評価するものであった。エネルギーが電線導体の中を流れることはない。すべて電線で囲まれた空間を流れるのだ。基本的にはほとんど光と同じ光速度、毎秒30万キロメートルの考えられない速度で伝送されている。電気回路理論では電線路をエネルギーが流れるという解釈は一般的に採られない。それはエネルギーが空間内に実在している物理量という意識がないからであろう。エネルギーその物を計ることもできないし、目で見ることもできないから意識化が困難な事にその原因があるのだろう。太陽の光を浴びて、暑くてもそのエネルギー量を計れない。光を見ても、そのエネルギーが流れていること感覚的に捉えにくい。決して光は振動などしていないことを実験的に検証できない。光の科学測定は振動数の姿でしか測定値として捉えられないから。光の空間を伝播するエネルギー分布波など測定・観測できないから。電気回路を伝送するエネルギーも光と同じ空間分布波である。

特性インピーダンスと伝播定数。 電気回路は電線と回路要素のインダクタンス、コンデンサそして抵抗の3つでほとんど構成されているとみてよかろう。モーターもそれらの要素に等価的に分解して解釈できる。それらの要素がエネルギー(このエネルギーという意味を空間分布波として認識しなければ意味が通じない)に対して、それぞれ異なる機能を発揮するから、電気回路現象を理解するには技術的学習が必要になる。その技術習得に欠かせないのが、電圧や電流あるいは電力の概念である。しかし、電気回路の実相はもっと単純なのである。電気回路のインピーダンスや虚数軸のベクトル手法などによる専門的知識によって、単純な電気現象の実相が見えなくなるようでもある。ベクトル解析などと抽象的な解釈法を専門的共通理解の手段として学習すると、とても便利に理解しやすくなり、専門家集団内の共通コミュニケーションに欠かせないものとなる。そこには物理学理論としての電圧・電流概念が確固たる強固な物理的基盤として支えてもいる背景もあるから。しかし、電気現象も光や電波と同じエネルギーの空間伝播現象でしかないという本質を先ず捉えることが必要なのだ。そこに大事な電気回路現象の理解の要として、特性インピーダンスと伝播定数がある。街には配電線が電柱で支えられて配線されている。電気エネルギーを供給するためである。高電圧6600ボルトのピン碍子配線、変圧器を介した低電圧200・100ボルトの絶縁ケーブル配線がある。それは空間を伝送されるスマホの信号エネルギーと同じ電線導体の間の空間を伝送される電気エネルギーの伝送設備なのである。専門的技術理論が分からなくても、単に電線路空間を構成して、その空間を通してエネルギーを光速度で送っているだけなのである。その基本の単純な自然現象の利用技術が電気工学や電力技術として熟練を要する専門的な理論となっているのである。誰しもが基本となる自然現象の単純な意味を先ず理解してほしい。電線導体の中を電子が流れている等という、如何にも専門家らしい言説に惑わされないでほしい。決して電線導体の中を電子など通れないのだ。この世界に、負の電荷を持った電子など存在しないのだ。教科書が真実などと言うことではないことも知らなければならないのだ。自然は深くて単純なのだと。

電線路の実相

電気回路の真実を知りたい方のために少し解説したい。技術と自然の架け橋の要点を。

空間の電気特性 目の前の空間が持つ科学技術的解釈に誘電率と透磁率という概念がある。空間がインダクタンスとコンデンサから成り立っているという解釈である。携帯電話を使えば、電線が無くても通信ができる。空間が電波信号(これがエネルギーの空間分布波なのだ)の伝送路だからだ。図に透磁率μo[H/m]と誘電率εo[F/m]の値と空間の持つ特性インピーダンスZo[Ω]および電気信号の伝送速度の逆数で伝播定数γ[s/m]を示した。光速度coもその定数から決まる。透磁率が4πという立体空間角度に関係した値で定義されて、うまく統合されている訳は誠に不思議に思える。余りにも良くできているから不思議だ。それは空間の長さ1メートルあたりにインダクタンス[H/m]がある。同じくコンデンサのキャパシタンス[F/m]がある。空間にコイルやコンデンサがある訳はないのに、そのように解釈して初めてエネルギー伝播現象の姿を納得して理解できる。その捉え方の妙味が、とても便利であるから不思議なのである。何か禅問答のようだ。

右に裸電線を張った電気回路の意味と特性を示した。数式には自然対数のln(2D/d)を使って示した。常用対数log(2D/d)に変換するには係数2.3026を掛ける。一般的には絶縁電線が使われるが、基本的な特性は裸電線の空間構造によって決まると考える。絶縁電線は電気エネルギーの流れる伝播空間が電線表面の絶縁体部を流れるため、エネルギーの流れる速度が比誘電率の値で遅くなる。1メートルの長さをエネルギーが伝播する時間が伝播特性で、比誘電率εsのため√εs倍だけ長くなる。裸電線の場合は、空間の光の速度と同じことになる。線路の特性インピーダンスの機能はその値が同じであれば、エネルギーの流れが電源電圧のエネルギー分布に従って反射などの阻害要因がなく伝送されることを示す。その現象は特に超高周波回路に現れる。分布定数回路と実験に例がある。

むすび

空間の光エネルギーの伝播現象を科学技術概念、空間定数(透磁率、誘電率)と結びつけて、その捉え方を電気回路の伝播現象と統一的にまとめた。30数年前に、拠り所の電流概念を棄却して闇の世界の中をさまよいながら、プランク定数の次元と実在概念 日本物理学会講演概要集 第56巻第1分冊2号、p.338. (2001) の光エネルギー分布波の捉え方から、空間エネルギー分布の解釈にたどり着いた。光とは何か?-光量子像‐にまとめた。今50数年前の、分布定数実習に対する一考察 (新潟県工業教育紀要第3号、1962)の分布定数回路の実験結果が貴重な資料となり、この記事の基にもなった。新潟県教育委員会に正式採用もされていなかった中で、アルバイトのような身分の分際で研究するなど誠に御迷惑をお掛けしたと恥じている。と卑下してみても、新潟県はこの研究報告を生かす責任があろう。 

 

空間定数とエネルギー伝播現象

空間とエネルギ-伝播現象の関係を図にまとめてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エネルギー伝播特性 光を含めすべてのエネルギーの伝播現象がその空間定数、透磁率μ[H/m]、誘電率ε[F/m]によって決まると考えてまとめた。細かな点では違いもあるかも知れないが,エネルギー流という物理的実体の流れを総合的に捉えれば、その伝播現象の基本的姿は図のようになろう。特に電気回路の具体的現象を考えると、回路が電線路導体で囲まれた空間内を流れるエネルギー流の現象と見えてくる。長距離送電線路の伝送方程式では、回路定数による分布定数回路としての捉え方が基本となっている。その中に特性インピーダンスZ=√(L/C)[Ω]と伝搬定数γ=ω√(LC) [rad/m] がある。この中で、伝搬定数にはω[rad/s] という角周波数が含まれている。それは定数に入れるべきでないと考え、伝播定数としてγ[s/m]の速度の逆数を定数にした。電気回路のエネルギー伝送現象を考えるにはこの伝播定数の方が分かりやすいと思う。それはエネルギー伝送現象について光エネルギーと速度と時空で、電力p[J/s]の意味と解析法の記事で明らかにした。この電気回路定数との関係を述べた。

むすび 科学技術はその広範な分野に分かれて、それぞれ独自な理論を構築しているように思える。そのため各分野を統合して考察する機会が失われているように思う。未来の科学には生活感覚から観る市民の理解できる易しい解釈・解説が求められる。そこに全体を統合した捉え方をするには、ますます科学全体に共通した矛盾の無い少数の基礎概念の提示が求められるはずだ。その市民科学への寄り添いに科学者の努力と責任が求められよう。そんな意味を込めて、真空空間の空間定数による光エネルギー伝播特性を基準にした、すべてに共通した捉え方の一端を提示した。光と電気エネルギーは同じ空間エネルギー分布波の伝播現象だという意味を。スマホの通信も電気回路も同じエネルギーの伝播現象であることを。

 

電圧・電流とエネルギーと時空

今、電気回路のエネルギー問答 を書き始めた。その途中で、一つまとめておきたいと思った。その問答の中の一つの答えでもある。物理学理論では、エネルギーは主役ではなく、何か端役あるいは誘導量という捉え方で理解されているように思う。しかし、電気技術から見た場合、電気回路現象を考えると回路内を伝播するのは光と同じエネルギーしか見えない。それでは電圧とか電流という電気量は何を表現したものかと、そこに戻ってしまう。また物理学理論では、あまり重要視されていない空間概念がある。それが誘電率と透磁率である。世界を支配している物理量の代表が光エネルギーであるとの認識に立った時、その光速度を規定する原因がその伝播する空間特性にあると考えざるを得ない。

光速度=(透磁率×誘電率)^-1/2^ =  1/√(με) [m/s]

ただし、μ[H/m] 、ε[F/m] から、[(HF)^1/2^]=[s] である。

空間の誘電率は空間長1m当たりの静電容量[F]、空間の透磁率は空間長1m当たりの誘導値(インダクタンス)[H] で、その空間を伝播する光エネルギーの空間共鳴現象としての伝播特性を呈すると解釈する。光を世界基準の物理量と見做した時、その伝播する空間の長さと時間を規定する「時空」概念として時間[s]と長さ[m]の時空基準を光エネルギーと速度が決めていると見做せる。この何もない空間が電気回路のインダクタンスやコンデンサの回路定数の単位ヘンリー[H] やファラッド[F] との関係で解釈できることの中には、そこに物理量『エネルギー』という空間伝播実体である光の『エネルギー』が空間分布として存在するからと理解する必要がある。光には振動する実体はないのだ。観測技術としての評価概念が振動数である。

上の解釈で電気量を解釈したとき、

電圧の2乗、電流の2乗と次元

その2乗値の単位はエネルギー[J] との関係で図のように認識できる。

次の問答の記事の答えともなるが、電線路には回路特性として単位長さ当たりの静電容量と誘導インダクタンスを備えている。その電線路単位長当たりの静電容量をε[F/m]とすれば、その電線路には1m当たり εv^2^[J/m] のエネルギーが線路空間に存在するとなる(係数1/2は省いた)。このように考えた元に、例えば電流を取り上げて考えた時、アンペアの単位が[C/s]と言う電荷の時間微分値であるということである。電線路の電荷の時間微分とはどんな意味か分かりますか。電流計で測る点で、その電線内の電荷がどんな意味と捉えるのですか。電流波形で描く時間軸のある時刻の電流値とはその電線の中に電荷が時間的にどのように存在し、変化していると考えたら、その電流の意味を納得して理解できるのか?その辺の電流概念への疑問から、どう考えても電流概念棄却の結論にならざるを得なかった過去がある。1987年8月に決断した研究会資料:電気学会、電磁界理論研究会資料 EMT-87-106 である。その5.むすび に・・・電磁気学の基本概念である電荷や電流までも疑い、棄却さえしなければならなくなってしまった。云々と記した。

次に電流 i^2^[J/H] は線路定数の誘導量インダクタンス[H]との関係で、流れるエネルギー量に関係した捉え方ができないかと考えたが、今のところ答えに到達していない。(2019/08/19)追記。電線路にはその単位長さ当たりのインダクタンスという流れを制限する回路要素がある。μ[H/m]の分布定数があるとすれば、電線路の単位長さ当たりμi^2^[J/m]の流れる伝送エネルギーが分布していると考えることはできる。同じく負荷のインダクタンスL[H]とは当然の関係で、Li^2^[J] の貯蔵エネルギーとなる(1/2は省く)。

負荷抵抗R[Ω]の次元も[(H/F)^1/2^]である。抵抗も空間特性は誘電容量と誘導容量の意味を持っているものと見做せる。この見方をとれば、i^2^Rの単位は[J/H][(H/F)^2]=[J/(HF)^2]=[J/s]=[W]という意味で納得できよう。

JHFM単位系 1990年(平成2年)春にまとめた単位系である。マイケルソン・モーレーの実験とマックスウエル電磁場方程式の関係から得られた。色々あって、1998年4月2日に初めて日本物理学会で発表させて頂いた。物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻、1号、1分冊、p.13.  関係記事 エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。

まとめ 電圧及び電流という電気量はその根底には深い知恵が潜んでいる。その科学技術量を理解するには、自然との間の深いつながりを紐解かなければならないだろう。その辺に考えるということの意味があるのだろう。単に法則や原理ということで、それを鵜呑みにしていては本当の自然の深い意味を知ることはできなかろう。電圧と電流もその2乗に意味があるのであって、その平方を電気量の概念として実用化しているのだった。電圧、電流はその測定器があるということとの関係で、如何に優れた量であるかということになる。しかし負の電荷の電子が電線の中を流れているという解釈は誤っている。

科学論と電荷

はじめに どうしても思考が初めに戻ってしまう。1985年から2年間初めて電気磁気学・電気理論の授業をすることになった。基に既にあった「磁束は電圧時間積分によって決まる」の認識が「アンペアの法則」の電流による磁束発生理論への疑念を抱えての出発であった。振り返れば、命を守る地獄の中で纏めた『静電界は磁界を伴う』の1987年4月2日電気学会全国大会での発表となった。その時の所属はいったいどこにあるのか、今でも理解できない(4月発表の数日後自宅に、既に去った筈の高専校長から職員会議への出席要請の手紙が届いた。さらに次の年1988年の1月中頃どこからか自宅に、長岡工業高等専門学校の健康保険証が送られてきた。その時は既に、電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 春の昭和63年電気学会全国大会 32. p.35-36 の発表予定で投稿していた。しかも全く所属分野の意識もなく、全学共通ぐらいの気分でいたかも。など混乱と理解に苦しむ疑問のまま今日までそのままである)。『静電界は磁界を伴う』の発表内容は結局『電荷概念否定』になる。その原点となった考えの状況を纏めておきたい。なかなか科学論だけの話ではないところが誠に不可思議である。しかも今になれば、その当時の政治的意味合いも含んだ長岡技術科学大学の邪魔者排除対象者として選ばれ、政府・文部省の「中曽根臨時教育審議会」に関係していたことであることが分かる。さすがに常識に疎い無知の筆者にしてみれば、このような意味不明で回りから嘲られたような仕打ちが続いたことは。精神的にも限界を超えていた。みんな政治意識に無頓着だった筆者の無知と相談しようもない孤立無援の中にいたことに関係していることだ。1988年10月、電気学会電磁理論研究会での、「瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義」EMT-88-145.(1988.10.) の発表を機に大学から離れた。この研究会資料は世界の科学常識を問う実験データの写真集でもある。

“ミズリー号甲板上での無条件降伏調印式(1945/09/02)  1945年9月1日(海軍解散最終日)に父は『任海軍上等兵曹 舞鶴鎮守府』辞令。9月2日の調印式のため、日本政府代表団はゴムボートにて艦船への往復をした。父はボートクルーの任務に就く。1939年12月1日家族は舞鶴鎮守府へ戸籍転籍された。戸籍上に帰還の痕跡がない。公務員資格は?筆者存在の可否が根源にあったか?”今戦後74年が経過しようとしている、戦争の悲劇の意識が薄れ、政治意識の希薄さが危険な道につながる選挙にも無関心な世相の日本にある。政治はその選挙への無関心に対して、政治意識の重要性を教育に反映する対策も故意に回避しているように思える。今も所属機関もなく、研究発表もできない事態にある身として、思えば戦後処理にすべてがつながっていると。

「電荷への疑念」 電流は電子の流れとの解釈が科学論の基にあった。電子は電荷と質量の合成素粒子と理解していた。しかしアンペアの法則では質量は無視され電荷のみで論理が成り立つ。電子という時の科学論では質量を意識していないように思う。電流概念は電荷の時間微分でアンペア[A]であろう。その電荷が空間で運動すると何故周りの空間に磁界が発生することになるのか。その疑問が電気磁気学の授業をするに連れ強くなっていった。1986年10月1日ある方に『電荷』は存在しないのでは?と疑問を投げたと記憶している。その方は実験で証明する必要があろう。と仰った。確かにその通りと納得して、すぐに実験に取り掛かった。今でも何故高電界中の磁界検出が『電荷否定』の検証になると考えたか、その意識のつながりを明確に覚えていない。何の躊躇もなく翌日から高電圧内の磁界を検出すればよいと取り掛かった。オリエンテーリング用のコンパスをロゴウスキー電極の中に置き直流電圧を高めていった。しかし見事に失敗であった。火花放電が起き、コンパスの表面が黒く焼けた。これで終わりかと自室(ある人の部屋の間借り)に閉じ籠り、歩き回った。閃いた!!油入りのコンパスは地磁気には反応するが、電界の空間エネルギー流には反応しないのだ。それは空間エネルギー流をホール素子で検出する意味と同じ無意味なことと。それからが電界の空間のエネルギー流の何かをとらえられないかと考えて、マグネットの吊り下げ検出器を作った。クーロン力という解釈の指摘を排除するために、等方性の円平マグネットを使った。10月30日ごろと記憶している。その日の長岡市は、朝から雷が鳴りひどく荒れた天候であった。その時思った。天の神が自然の秘密を暴くのを怒っているのだと。それだけきっと磁界が検出できると予感していた。試作マグネットを電極間に近づけて設定。徐々に電圧を上げた。平板マグネットの矢印の方向が変化した。静電界は電荷による電界の空間と電気磁気学では解釈されている。しかし、その空間に磁気コンパスを動かす力が存在するとすれば、その訳を説明しなければならない筈だ。そもそも『電荷』とは何か、その空間像を認識しているか。アンペアの法則及びその電流、その法則による磁界の発生。ビオ・サバールの法則、フレミングの法則などその根源的物理概念は『電荷』である。それほど万能な『電荷』とは何者か。『電荷』が動くとその周辺空間の物理的状況に何が起こるか?それが『電荷』の空間像を考えた起点である。『電荷』は磁気特性を含有するか?

「電荷像と磁気」 電荷への疑念を膨らませた図がある。

電子の磁界発生原理は? 何も特別のことを考えた訳でもない。電子が電荷の具体的代表例だから、それが運動すると静止の時とどのような変化が生じるか。ただそれだけである。電流が磁界を発生させる原因だと物理学で理論構築されている。電流の基は電子だという。それなら電子が静止しているか、運動しているかで回りにどのような物理現象の差が起きるかという疑問でしかない。何も数式など要らない。『電荷』という物理的概念を探るだけである。まず、電荷は空間にどこまでその物理的存在を主張するのか。理論的にはどこまでも無限に意味を持つような解釈にあるように思われる。電界が電荷の周りに在るなら、それは空間エネルギー(1/2)εE^2[J/m^3]が存在する意味である。そのエネルギーは電荷とは異なる物理的実体ととらえるのか。そこに物理学としての論理性があるのか.あるいは電荷内の空間で完結するのか。そんな如何にも学術的科学論あるいはその手法からかけ離れた思考である。巷の科学論とでもいえよう。専門的学術論からかけ離れた素人的疑問は誠に科学論としてはお粗末で、始末に負えないと顰蹙を買いそうだ。電子の寸法もわからないから、実際は空間像を想像することすら無理なのであるが。

結び 『電荷概念はエネルギー流の認識の妨げになっている。』

『電荷否定』の科学論が伝統的科学論の世界で通用する見込みもないと危惧しながらも、ただその実験結果がだだ事でない科学革命の萌芽を含んでいるとの確信になった。その確信が全ての危険な先行きを無視して突き進む情念になった。社会に対する怒りを生み、遣る瀬無い身を恨んだ。そこに情報・テレビなどの操りの罠に引き込まれても行った。飛行機と花火にも踊らされた。陰で操る闇の日本社会。その中でも、現在ようやく物理学理論として『電荷』の概念が曖昧のままでは済まない意識が生まれつつあるか?と考える。科学論の革命が迫っていると。昭和57年度からの工業高等学校の文部省改定を前にして、もう工業高等学校では研究の余地はなくなると喜んで長岡技術科学大学での生活を想定した。しかし、結局望まれない人材として厄介者となってしまった。今思う。研究しか能のない世間知らずが役立たずで誠に困ったものと。しかしお世話になった川上学長も技術に対して理学への不信を抱いていたのではないかと思う。技術から、物理学理論の矛盾点にメスを入れ自然科学としての未来への進むべき道が見えてきたと筆者は思うようになった。『静電界は磁界を伴う』には相当御心配されたとも思う。また、今でも斎藤 進六 学長の創造性の「創」という文字は大きな傷を伴うという意味だとのお話が印象深く気持ちの上で拠り所となってきた。電気系の皆さんにもお世話になっただけで役に立てなかった。新潟県教育委員会が筆者を正式採用をしていなかった事務手続きはについては、今でも行政機関としての意味を理解できない。そこから「割愛」などできないと思う。

戦後処理問題:舞鶴鎮守府の軍籍問題を知ったのは平成7年頃であった。

「高電圧」のエネルギ-像

電気技術概念「電圧」の物理的描像をどのように認識するか。それは電気工学でも理論物理学でも、普通に脳裏に浮かぶ像は多分「電荷」との関係であろう。超高圧送電系統によってエネルギー供給網が張り巡らされている。大電力送電には高電圧は欠かせない。それらの送電線路の高電圧は変圧器によって構成される。変圧器の電圧発生原理を「電荷」で解釈する意味で関連付けることには無理があろう。変圧器の巻き線で電荷を分離するなど考えないだろう。それではその伝線路の高電圧は何によってその電圧値が決まるのか。変圧器の電圧はファラディーの法則で理論づけられる。変圧器から離れた遠い線路の電線間に生じる電圧は『電荷』が原因でないとしたら何が造るものか。もう電子の流れなどでは電圧の物理的意味を説明できないと思う。電線導体の間の空間に何かが存在するからと解釈しなければならない筈だ。その何かがエネルギーだ。

高電圧工学とエネルギー

高電圧工学の研究対象は電力送電系統の保守管理がその大きな主題になっていたと思う。その一つは雷からの保護対策であった。送電線路の鉄塔の天頂には雷撃から守るため、アース線が張られている。高電圧試験は衝撃電圧発生装置によって絶縁碍子の絶縁性能の向上などが図られる。その雷の原因はやはり『電荷』によって発生するとの理論的解釈が専門的科学常識となっている。高電圧による火花放電は雷の稲妻のように激しい閃光を伴う。その火花は『電荷』のプラスとマイナスの間の現象で発生すると解釈される。しかしプラスとマイナスの電荷が衝突すると、何が光に変換するのかの物理的明快な認識はない筈だ。電荷は消え去るのか、何処かに隠れるのかも分からないはずだ。『電荷』の物理的像が誰も示せないのではないか。物理的実在性が示せないで、なぜその現象に論理性があるといえるのだろうか。高電圧工学では、平板電極と針電極がその試験に使われる。火花放電やコロナ特性が調べられる。その電極間の電界が『電荷』によって決まると認識されているが、それは空間のエネルギー流によるのだと解釈するべき現象なのだ。その様子を図で示したい。

電極間とエネルギー流 この様子はすでに前に図に示してあった。極性とエネルギ―流。ハミルトンの風車からエネルギーを観る (2017/11/09) の記事での図である。負極性のハミルトンの風車は正極性のものより力強く回転する。先端から強いエネルギ―が放射されるからである。その意味を高電圧工学では、『電荷』による高電界での空気絶縁破壊現象として、それをコロナという。コロナは余り流れるという感覚では捉えないだろう。しかしエネルギーの流れとなれば、見方を変えなければならない。高電圧工学の実験で、針電極対平板電極あるいは平板電極対平板電極などの空間構造でその場の電界と放電の関係などを試験する。その空間に磁界が存在するとは全く考えていなかった。『静電界は磁界を伴う』という実験報告で示したように、電磁場はエネルギーの流れであったのだ。上の図に示したように、負極性の針電極や平板電極近傍空間はエネルギーの流れがあり、その流れにコンパスを近づけると、そのエネルギー流に対してコンパス自身も空間エネルギー流に包まれているから、その間のエネルギー流同士の近接作用力でコンパスの指示方向に影響を受ける。決して『電荷』概念では理解できない現象を呈する。また『エネルギー』の物理学的定義に、仕事をする能力という意味がある。その意味のエネルギーとは質量が持つ運動エネルギーか位置エネルギーかを想定している定義であろう。光のように空間に占めるエネルギーに対しては無意味な定義に思える。光や電気エネルギーのエネルギーという概念が十分認識されていないように思う。質量に無関係の、空間に実在する『エネルギー』の認識が欠けている。

高圧送電線路の空間エネルギー

電線路導体近傍空間にエネルギ-が分布している。決して電子や電荷が電線導体の中に存在する訳ではない。そのエネルギーがどのように分布しているかを測定することは不可能であろう。空間に流れるエネルギーを計測する計測器はなかろうから。しかし、その存在を確認できるかもしれない。2本の平行に張った導線に直流の高電圧をかける。その時導線間の空間にはエネルギーが分布している。一つの推定で、そのエネルギー模様を表現したのが右の図である。このエネルギー分布の存在を確かめることができるかも知れない。コンパスによる磁気の検出法である。コンパスは裸のものでなければならない。もともとコンパスは地磁気の方向を向く。平行導線を北と南の方向に揃える。その時マイナス側の導線近傍に図のようなエネルギー流が存在すると考えた。プラス側の導線近傍にはほとんどエネルギー分布は無かろう。マイナス側のエネルギー流には軸性エネルギー流の磁気性がある。東側は地磁気と逆で、西側が地磁気を強める方向にあろう。東と西でコンパスの指示方向に差が出るかどうか。『電荷』否定の結論が導く意味がここに在ろう。線間距離10㎝程度に3万ボルトの印加電圧でどのようになるか。こっそり実験をしてみたい。送電線路は交流電圧で交互にエネルギー分布が光速度で変化する。そのエネルギー分布流は無負荷であっても電線路間で複雑な流れとなろう。(2019/07/17)以下に少し追記。しかし、三相交流回路は不思議にも単相回路に1本の導線を加えるだけで、エネルギー変動のない安定回路となる。無負荷時の系統はコンデンサ回路となり、三相交流回路の負荷と無効電力に示したように、線間エネルギー分布はその位置で相間を循環するだけとなる。系統のエネルギー流はとても安定したものである。このような物理的電気現象を科学技術として確立した電圧、電流の計測法がいかに優れているかに驚嘆せざるを得ない。

結び 『電荷』と光の間の論理性を問う。光が雷によって発生する。もし雷がプラスとマイナスの『電荷』の間の引力によって引き起こされる現象だと言うなら、その結果の光エネルギーは『エネルギー保存則』から考えて、何が変換されてエネルギーになったのかを明確に説明しなければならない筈だ。その時電荷はどこに行くのか。電荷が光に変換されるのか。そこが物理学の要であろう。光の振動数とは何がどのように振動しているのか。光も電気もその根底には『エネルギー』でつながっている筈だ。

雨粒と波紋

雨粒と科学

今は梅雨。日本雨蛙も田んぼの畦の柔らかな土の中(水中のオタマジャクシではなく)から深夜に新生児が多く誕生していることだろう。最近は雨も豪雨災害となり、犠牲者も出ることが多くなった。無事過ぎて欲しい。気象災害が地球規模で起きている。その原因を海水の温度上昇と観る。汽力発電所(水蒸気で蒸気タービンを回す発電方式、原子核分裂方式や石炭、重油燃焼方式)では、水蒸気熱サイクル利用の為熱効率は40%程度である。燃焼、発生熱量の50%以上は海水などに放熱しなければ機能しない発電方式である。結果的に、復水器を通して海水を加熱して初めて発電が出来る方式なのである。我々が1[kWh]の電力量を使えば、それ以上の相当エネルギーで海の海水を加熱していることを科学リテラシーの基礎知識としてみんなが認識していなければならない。それもサイエンスコミュニケーションの現代的科学常識として広く知ってもらわなければならない。雨粒一粒は小さい。しかし時間雨量30mmと言えば、土砂降りの雨となる。海の海水温度が高くなれば、広い海水面からの水蒸気の蒸発は増加する。海水温度の上昇は直接蒸発量の増加を来たし、偏西風などに因る高水蒸気密度の気流の流れ込みを生み出す。

水面に踊る水滴と波紋

先日強い雨が降った。バケツに溜った水の面に雨粒が踊っていた。珍しい現象に出会ったと写真に収めた。運良くバケツには水が満杯に張っていて、雨粒に比して水深が深い状態であった。水面に雨粒が白く光っている。同時にその雨粒の水面落下現象の波紋が広がって見える。水と雨粒は同じ物体と思う。両方化学記号で表現すれば H2O の液体であり、水面に落ちた雨粒は溶けて消えると思う。しかし雨粒のままその姿を保持し続けている。立派に一つの雨粒の象を保持しつつ、独立の物体として水面に波を作っている。如何にも水面の水と異なる物体の如くその存在を躍らせている。

雨粒の衝撃

時には小さな雨粒が多数できて、波紋の中に踊って見せる。雨粒の物理現象として解釈を示さなければならないかも知れない。注意して見ると、水面の右上に深い窪みも見える。きっと雨粒が水面に落ちて質量の落下エネルギーの運動理論に基づく最初の衝撃力を示している様子と観てよかろう。以前日本学術会議の提言「理科基礎(仮称)」を読む-エネルギーと波-で少し考えた。その時は落下物体は堅いものを想定した。しかしここでは、水の雨粒であるから、深く底に沈むことなくその形状のまま水面に跳ね返されて、浮き上がって雨粒の姿を見せている。雨粒は一つの塊としてその表面張力の膜で囲まれたものとなっている。水面に落下衝突した時、水面も表面張力で強い膜となっていると見做される。それにしても、複雑に重なり合った波面の乱れにも拘わらず、雨粒と水面が異なる物体同士の如くに、作用し合う姿はまた不思議な物理現象に思える。こんな雨粒の自然現象が起きていることを物性論や水力学の理論で想定できるのかな。なかなか自然現象は理論で捉え切れない魅力に満ちている世界のように思える。雨粒は、その体積に比して、核に塵が含まれ更に落下運動速度エネルギーを表面張力と言う衣で包み込んだ単一の質量体として頑張っている主役の演技舞台の象かもしれない。

波紋とエネルギーの伝播

波紋は互いに重なり合って、その合成波の形は如何にも山岳地帯の山を見る如くに思える。水面で雨粒が一つトランポリン運動をしたら、どんな波紋に成るか。写真の波面を見れば、決して正弦波ではない。やはり波頭値が衝撃波のように中心から円周方向に広がっている様子が見える。波形の半径が広がるにつれて、だんだん正弦波形に近づいては来るだろう。津波の波形は必ずしも円周方向に円形に広がる波形ではなく、殆ど衝撃波状の形を保って伝播して来る。しかし遠方、南米西海岸からとなれば波頭値も衝撃度は少なくなろう。上の雨粒の波紋も徐々に正弦波に近くなって広がる。その波の波形についての物理的解釈を如何に考えるか。何が原因で、そのような波紋を生むか。波は上下する性質を持っているものだ等と解説するのでは物理学・理科教育にはならない。しかも波は半径方向に進む縦波である。雨粒が水面を叩きつけて落ちる。その雨粒は水面に垂直に圧力として衝撃力を加える。水面は圧力により圧縮する。それは圧力波と言う圧力エネルギーに因る水の体積収縮波となる。それは水面に垂直に掛り、水面の下降で水圧の上昇に因る雨粒を押し上げる力が強くなる。その反動力で雨粒は上昇し、しかも雨粒のまま水面との間の力の作用力で次にはまた落下しはじめ、水面を押し下げる。それは水面から離れないが、丁度雨粒が水面との間でのトランポリン運動をしているようなことになると看做せよう。圧力のエネルギーが波面を広がって行くことに成り、円周の長さが広がるにつれ衝撃波形は正弦波形に変わると考える。こんな解釈で自分の感覚とエネルギーの間の繋がりに納得して終わる。殆ど気分の整合性を求めているようだ。

エネルギー変換物語(炭火とエジソン電球)

はじめに  火は人類の生活基盤を成す。人類の文明の始まりにも関わる生活科学であろう。炭火や囲炉裏火は生活そのものであった昔に思いを馳せる。それはエネルギーと科学論の懸け橋にもなる深い意味を含んでいる。そんな日常生活の古い姿を振り返って、誰もが思い描ける生活の中にとても深い科学の視点が残されていることを拾い上げてみたい。難しい数式も要らない、しかし現代物理学理論が疎かにしてきた『エネルギー変換論』を展開しようと思う。物理学理論が『エネルギー』の意味を認識していない事を考えてみたいと。

炭と光熱 木炭がいつ頃、何処で使われたかははっきりしなかろう。木を燃やし、残り火を灰で覆えば炭が残る。火の扱いは生きる技術として必須の知識であった筈だ。図1.炭と光熱 科学の知識や科学理論を知らなくても、生活の中心に在った囲炉裏の火や火鉢の炭火が人の繋がりに欠かせない居場所を作っていた。ただ燃える火の揺らめきが心にぬくもりを与えてくれた。ゆっくりとした人の生業が穏やかで、効率で監視される現代の心の歪みなど有りようがなかった。寒い雪国には、行火(アンカ)が有った。夜の就寝時に布団の中に入れる個人用移動炬燵である。朝までに炭はすべて灰に成り、熱源としてのエネルギー変換作用を応用した生活道具であった。図2.行火がそれである。

炭火や焚火にはとても不思議な意味が隠されているように思える。今までも、その不思議に誘われて幾つか記して来た。焚き火と蝋燭 (2013/02/01) 、焚火の科学 (2018/05/26) など。しかし、それでもまだ肝心なことに気付かずにいた。それは炭や炭素原子のエネルギー変換作用についてである。それは不図した気付きでしかないがとても大きな意味に思える。最近は年の所為か夜中に目が覚めて、詰まらぬことを思い巡らす。なぜ炭素や抵抗体は熱エネルギーに変換する機能を持っているのかと、不図思い付く。それが記事の基だ。

図3.mc^2とエネルギー変換 図に①電池エネルギーと②燃焼エネルギーの場合を取上げた。①の電池エネルギーで電池のエネルギーとはどのようなエネルギーなのかと不図疑問が浮かんだ。すでに電子は破棄してしまったから、科学論を展開しようとすれば、電池に蓄えられているエネルギーとは何かを明らかにしなければならないことに成った。たとえ電子論を展開するとしても、電池の陰極側の化学物質に電子を負荷に供給するだけの電子が蓄えられていることを前提にしなければならないとなろう。その電子論では電子は負荷を通って電池の正極に戻ることに成っているようだから、電池内から供給したエネルギーはどのようなものと解釈すれば良いのだろうか。電池の質量が減少する理屈にはなっていないようだ。エネルギーと言うものが電池内に蓄えられていて、それが負荷で消費されると考えるのだが、電子論ではそのエネルギーをどのような理屈で消費すると解釈するのか。図①で表現した電池の陰極側からのエネルギーが電線路空間にどのように分布するかの見極めがまだ付いている訳でなく、疑問符?を書き込まなければならない不明は残る。ただ、電線路空間に表れる電圧とは空間のエネルギー分布によって生じる電気技術量・概念であることだけは間違いのないことである。だから如何なるエネルギー分布かを明らかにすることも自然現象の解明の学問として物理学の究める研究対象である筈だ。ランプから放射される光や輻射熱は紛れもないエネルギーである。『エネルギー保存則』とはどのような意味と解釈するのか。電池にエネルギーが有ったからそれがランプを通して高熱のエネルギーに変換されて放射されたと考えなければ、『エネルギー保存則』の意味までも曖昧になってしまうだろう。これはエジソンが工夫した木綿糸のフィラメントにどんな思い入れで取り組んだかにもつながろう。

①エネルギー変換原理は?   エネルギーとは誠に不思議なものである。ランプ・白熱電球は抵抗体の中で元々電池などの冷たいエネルギーを高温度の熱エネルギーに変換する機能が有っての結果に因って利用できる現象である。電線路空間に分布するエネルギーの大きさは電線路電力送電量の規模を規定する電気技術量・電圧の大きさで認識、評価できる。その電線路の負荷端に抵抗体が繋がった時、その負荷端子空間には光と同じ冷たい電気エネルギーが分布しているだけである。光も光速度伝播するエネルギー密度分布波では何も熱くはない。皮膚や吸収体で受け止めたとき熱エネルギーに変換されて熱くなる。光の速度が零に成る現象と看做せる。電気負荷抵抗の物理的機能は光エネルギーを吸収し、抵抗体の構造格子の中にエネルギーを速度ゼロの状態にして、吸収する熱化現象とも見做せよう。その詳細な物理機構は炭素などの結合格子構造に原因が有ると観なければならなかろう。マグネットの磁極近傍空間に在る軸性エネルギー回転流もおそらく電磁現象としての速度流で有り、光速度に近いと見做せれば、そのエネルギーも冷たいエネルギーである。それらの光的エネルギーは熱はないが抵抗体内に吸収された時、エネルギーの熱化現象が起き、新たな光エネルギー化に因る生まれ変わりの輪廻転生の一コマを演じることと見られよう。物理学として極めなければならないことは、抵抗体内で何故冷たいエネルギー・光エネルギーが熱い熱エネルギーに変換するかのその訳を解くことであろう。それには光エネルギーの正体を空間エネルギー分布として捉えない限り困難であろう。なかなか電子の逆流では解けそうもない事だろう。

②化学式の意味は? 炭火の話に成るが、炭素の炭と空気が混ざっても火は起きない。煙草の吸いがらでも、マッチ一本の火でもある条件が整えば、発火・燃焼に成る。化学式では炭素記号Cと酸素分子記号O2が有れば炭酸ガスCO2と熱・光エネルギーに成る様な意味で表現される。先ずこの両辺を結ぶ等号はどのような意味を結び付けているのか。勿論エネルギーのジュールでもないし、質量でもない。化学式に使われる原子、分子に込めた意味は何か?図3.のように炭には炭素だけでなく燃え残る残差物も含まれていて、燃焼後に灰が残る。その燃焼で発生する熱と光エネルギーは『無』からは生じない筈だ。それでは何がその光熱エネルギーに成ったのか。等号はその何がを意識に含んだ意味でなければ自然科学論としては肝心要が抜けているように思う。光熱エネルギーを含むからには、科学論としての等号にはエネルギーの次元で成り立つ意味でなければならないだろう。何が言いたいかと言えば、質量とエネルギーはその本質で等価であると言うことである。両辺の炭素原子記号と酸素原子記号の持つ意味で、質量が同じではない筈だ。炭素原子と酸素原子が結合して炭酸ガスに成ったとすれば、その原子質量が両辺で等しいならば光熱エネルギーなど発生する訳がない。無からエネルギーは発生しない事ぐらいは、高度な科学理論を学ぶまでもなく分かる筈だ。そんな日常生活上で感覚的に感じる科学常識を身につける為の理科教育でなければならないと思う。如何でしょうか?教育専門家の皆さん。塾の教育関係者もどのようにお考えですか。mc^2=E[J]と言う式をどのような意味で捉えていますか。特別素粒子など無くても質量とエネルギーは相互変換を通して等価なのです。

mc^2^から物理学を問う (2019/04/29) でも述べた。その意味を具体例として、独楽の心 (2019/01/05) や 熱の物理 (2019/02/07) でも考えた。

津波前の急激な引き波-専門家に問う-

2019/06/18 新潟・山形地震が起きた。夜の地震に緊張した。津波警報が出されたが、津波被害は無く安堵した。

専門家に問う 津波前の引き波が何故起こるか。その原因を何と解釈するか。津波前の引き波が大きければ、確実に巨大津波が襲ってくる。その訳は何が原因と解釈するか。

「津波から守りたい」多くの漁船が沖へ の見出しで、新潟日報(6月22日)の記事が有る。記事の中には、「山北支所によると、1983年の日本海中部地震や93年の北海道南西沖地震の際、津波で港内の海水が急激に引き、船が転覆しかけたケースがあったと言う。・・」とある。93年の北海道南西沖地震は自分も地震に伴う津波現象の物理的意味を意識して考えた最初の事件であった。奥尻島への津波襲来で多くの犠牲者が出た。その時地震の専門家の話で、『何故こんなに高くまで津波が押し寄せるのか?』と話すのをテレビで聞いた。その話を聞いて思った。一体専門家とは水の特性を知っているのかなと不思議であった。それが切っ掛けで、津波現象の原因を自分なりに整理して、納得した。巨大津波の原因は断層付近における海底陥没に因る海水の流れ込みであると。その流れは水の特性としての波動現象として遠い海域の範囲におよび、地震震源地まで次から次と海水が流れ込むことが起きる。その膨大な海水の流れ込みが巨大津波となって、海岸に襲いかかる現象である。

その後の津波現象の原因に関する地震専門家の学説を聞くと、みんな海洋プレートの重なり地点で長い期間に亘る『ひずみ』が蓄積し、その解放で上部の地殻が跳ねあがる現象だと解説されている。そんな馬鹿な現象であの巨大な津波現象が起きる訳など無い。2011年3月11日の東日本大震災の津波で、大陸が跳ねあがるとすれば、太平洋側に向けて跳ね上がる筈だ。波は太平洋に向かって進む津波となり、日本の太平洋側に等あれ程大きな被害を起こす訳がない。大陸の跳ね上がり現象が津波の原因と言う学説は決定的な専門家の誤解である。小学生のころから、夏は信濃川の川底の深さが解らに程の深い崖で飛び込みや泳ぎで水の慣性を肌身に感覚的に染み込ませてきた。そんな感覚から津波の原因が海水の急激な地震地点への流れ込みだと捉えた。しかも津波のエネルギーは決して海水の運動エネルギーではないのだ。沖では海水の移動する速度など持っていないのだ。圧力エネルギーが海水に乗って流れる現象であり、海水は移動しない。津波は海岸に到達して初めて海水の流れの運動エネルギーにエネルギー変換する現象なのだ。政府が東南海地震の津波の映像として示すピコピコと跳ね上がる波形は津波の姿ではない。

今回の新潟日報の記事に在る、過去の「津波前の海岸海水の急激な引き波」現象の証言は実際の津波現象の原因を如実に物語っている。漁師さんが船を沖に避難させるのは、必死の思いでの行動であろう。しかし海岸での地震は津波の危険から逃れる為には、素早く高台に逃げなければならない。船は沖に逃げれば、被害を免れる。新聞記事にも 専門家「柔軟に基準を」とあり、専門家もある程度意味を理解してきているのかとも思う。国や県「生命を優先して」は漁師さんに対しては少し違う意味があるのではないか。一般住民への意味としてはその通りであろう。漁師さんには、引き波に因る被害を避けられれば、船は沖で津波に真向かいに向かっていれば安全にやり過ごせることは確かである。時間と危険のきわどい賭けではあるが。

エネルギーで見る世界-津波- (2011/03/27) 東日本大震災の直後に記した記事である。何故かこの記事も標準的な表示と異なっている?