カテゴリー別アーカイブ: 理科教育

オーロラとエネルギー

(2023/05/29).

 はじめに。 オーロラの現象は、おそらく極地の寒気で寒いときに発生するだろう。原因の一つ。それは地球表面を地球の回転方向へ流れる『エネルギー』がある。それが地磁気の物理的原因である。コンパスが北を向く原因は地表面のエネルギー流とコンパスの軸性エネルギー流との近接作用力が原因である。又地表面には水蒸気も流れている。極地が冷気に包まれると、空気中の水蒸気が凍り、軸性エネルギー流の磁気と気体中に残された熱エネルギーが飽和し、光放射現象を起こす。要するに光放射は『エネルギー』の貯蔵限界を越えた結果の発光現象である。〈雷〉が水蒸気の空間放射熱エネルギーの飽和限界での発光現象によって引き起こされる熱(エネルギー)の飽和爆発である。オーロラもそれに似た空間飽和熱エネルギーによって起きる連続的な光放射現象と見做す。オーロラも雷に似た熱エネルギーの光エネルギー変換現象と見做す。初めにオーロラの物理的現象の解釈を示した。

 オーロラと電磁界 を昨日投稿した。オーロラそのものが、自然現象の一つの代表的な神秘に思える不思議である。この様な不思議は、物理学理論の解釈理論の研究対象に成る。天空に繰り広げられる素敵な天然色の饗宴であるから。

この図は次の記事で載せたものだ。また不可解な事に、この図がブログのメディアから消え去っている事である。改めて原図を探し出して載せた。

前に、オーロラの正体は? (2013/04/13)  にも記事を投稿していた。

 遠くの宇宙の天体現象とは少し異なるかもしれない。地球極地の天空に繰り広げられる現象である。しかし、土星や木星にも起こるもののようだ。その現象をどの様な物理現象として解釈するかはとても大切な問題と思う。その意味は、科学技術での研究は具体的な実状として、その実用上の結果が明確に表れるから、評価は明らかである。しかし、物理学理論においては、様々な解釈理論が提唱されるが、その真偽は極めて曖昧である。

 物理学理論と自然現象の解釈理論で、多くの場合で、その理論が曖昧な論理性の上に構築された場合がとても多くあるように思える。それは自然世界に、決して存在しない『電荷』が物理学理論の根幹概念として、現代の科学論の科学常識となった事に原因の多くがあるように思う。その『電荷』が科学研究者によって創造された結果、社会的混乱として未来の不安を醸し出してしまった。それはまた、その根源が空間に実在する『エネルギー』と言う物理量を認識できない科学理論の世界を構築してしまった点である。

 『エネルギー』とは何か? その意味を考えずに今日に至った不可解が厳然と目の前の障壁となっている。

 このオーロラと言う現象は、その『エネルギー』と言う物理量を考えるに好適な自然現象と思った。
 
 バートランド・ラッセル卿が指摘した。世界の物理量は『エネルギー』に集約されるだろう。と指摘された事を#末尾文献#で知った。それは、筆者が考えることと同じである。このブログで、科学理論の意味を考えた初めで、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07)の記事 がある。

 オーロラの魅力はその天空で繰り広げられる、カーテン状の光輝く様子である。極地上空に、どの様な理屈でレース状の地球回転軸を取り巻くような光放射膜を発生させるかの訳が示されなければならない。太陽風が原因で、地球回転軸に対称な帯状の光気膜が出来るだろうか。

 先ず、光の発生原因が何か?その前に、光とはどの様な物理現象の結果として発生するのか。光とは、その空間像がどの様な物理実体なのか。光には振動する物理的実体など何もないのだ。『振動数』は光の検出法上の科学的計測法に伴って捉えられる、その機械的な評価法の数値でしかないのだ。決して横波で振動する実体など何もないのだ。空間に分布した、『エネルギー』の密度波の光速度の進行方向への流れでしかないのだ。

 『エネルギー』は空間を伝播する。理論物理学が専門の研究者に、せめて電気回路の現象を考えて欲しいのだ。そこでは『電子』などは全く不要の概念なのだ。少し古い記事、電線路は『エネルギー』が主役のLC舞台だ (2017/01/07) および昨年の、新電気回路理論 (2022/09/01) をその意味で挙げておく。

Wikipedia には、『エネルギー』とは物体が仕事をする能力の事である。等と解釈が示されている。また、温度とはエネルギーが自然に移動していく方向を示す指標である。等との解説が示されている。気体分子運動論などで解釈する温度ではない筈だ。温度も『エネルギー』が空間構造の内部に貯蔵された『エネルギー』の光と異なった形態の『熱エネルギー』の量的評価概念である。残念ながら、Wikipedia のような解釈では空間に実在する『エネルギー』の物理量を認識できる筈はない。それは電気回路現象から『エネルギー』の意味が解る筈だ。

 #文献#:質量の概念 マックス・ヤンマー 著。大槻義彦ほか訳。講談社。

オーロラと電磁界

(2023/05/28).

 オーロラは極地の上空に展開される、気体の発光現象である。地球極地研究所などで研究され、その解説がなされている。

 その中では、太陽風と言う解釈がその主要な発生原因となっているようだ。

 その太陽風は、太陽からの電子とプラスの電荷粒子がその主要な構成粒子と捉えられているようだ。

 そのような、『電荷』が基礎概念となった物理量に基づく電磁気学の教科書の解釈法が基本となっている。

 科学者のほぼすべての皆さんが、現代物理学理論の基本認識の下で科学研究を成されておられる。

 その解釈では必ず『電荷』が、論拠概念の基本となっている。『電界』は『電荷』によって空間に発生する電磁界の発生概念で、『磁界』は『電流(それは『電子』の流れ)』が流れることによって発生する空間の発生概念であると成っている。残念ながら、その現行教科書的な解釈である限り、電磁界の真相を科学的な論理性での理解が出来ていないと、残念ながら言わなければならない。

 ロゴウスキー電極空間の磁界(戻し) (2021/04/16)。更に、新世界への扉ーコンデンサの磁界ー (2011/02/20)。が電磁界の真相を示す実験結果である。 

 少なくとも、物理学理論に関わる科学研究をなさる研究者は、『静電界と解釈する空間には、必ず磁界が存在する』という意味の実験結果を学習し直す必要がある筈だ。その上で、プラズマとは何か?原子イオンとは何か?太陽風とは何か?等、『電荷』概念との関係に明確な解釈をお示し頂きたい。

 オーロラの形状は、とても不思議な天空の女神がお召しなさる、色鮮やかなレースに見える。地球上には、その表面に『エネルギー流』が在るのだ。地磁気とは、コンパスに流れる軸性エネルギー流との間の空間での近接作用力としての結果として検出される電磁気現象なのだ。『磁気』とは全く電流は無関係なのだ。マグネットのN極もS極も、ただ一つのエネルギーの流れる軸性の現象を、両端から見たエネルギー回転流の向きが逆になった状況を解釈した概念でしかないのだ。磁性材料の両端に、その極の周辺を流れる『軸性エネルギー流』なのだ。地球の地磁気も、同じく地球表面のエネルギー流の真相を解釈した状況なのだ。

素流姿

(2023/05/29).

  素流姿
 
 素粒子の意味が分からず 
 渾沌の深みに嵌り空を見る
 映るは白い流れ雲   
 計れもできず素流姿と
 紙に落とせば     
 顰蹙を
 欲しくもないのに
 買う覚悟

『電子』が自然界に存在しない事実を確信した。科学的基礎理論の根幹概念を否定すれば、素粒子と言う物理学理論の分野の意味が消えてしまった。空間エネルギーの構成要素の素粒子が存在すれば、素流姿は消え去るが。

専門家からの罵倒が聞こえるようだ。消え入るように草叢にでも隠れて居よう。

❓不可解❓

(2023/05/29).

不可解の文字を書いてみた。特徴のある、魅力的な字形だ。不可解と言う言葉の意味も、自分と重ねて考え込んでしまう。何故こんな大事な事にも気付かないで、人生を棒に振るようなことになってしまったのかと。
 
 気付けば、長い人生の間選挙の投票の権利が無かった。 新潟県中魚沼郡貝野村で生れた。成人になったのは予備校で悪い頭を鍛えさせて頂いた時、1959年(東京都練馬区江古田に下宿時)だ。翌1960(昭和35)年に新潟大学に入学(?)させて頂いた時から年1987(昭和62)年まで新潟県新潟市と長岡市に住まわせてもらった。その間、選挙の投票入場券を頂いていなかった。

 もう間もなく人生も終りの近い時だ。「私は偽者か」の記事を前に書いた。Find more information here (2019/10/18) 。

 考えれば考える程、人生の意味を書けないのか?職歴も書けない身分だったと確信できる。住民登録されていないから、憲法の人権の意味を保障される『選挙投票権が無かった』と言う事実は❓

 歌でも笑われる『あの鐘を鳴らすのは誰だ』と町内会の小型消防車が朝、鐘を鳴らし乍ら前を通る。

 最近で、今月の27日土曜日の朝、10時30分頃にまた轟音を浴びせる様なヘリコプター。何処かで暗黙の合図の意味だ。今日はまた、朝の花火の打ち上げ音が始まった。

 それにしても現代物理学理論の矛盾が置き去りにされ続ける現状は、そして自然界に存在もしない『電子』の矛盾が子供達に教育され続ける現状を放置して良いものか❓

 偽者扱いのままに過行く、その続きの、人権侵害状態だ。研究室もなく、文部省の共済組合にも加入資格が無かった筈だ。住民登録が無いままだから。

 健康保険証は身分証明書か (2017/02/15)。

 戦後75年間の不可解? (2020/06/23)。

 憲法と身分(新潟大学生の身分と選挙権) (2023/04/19)。

 憲法第十条:日本国民たる要件と労働基準法 (2023/04/24)。

 憲法と自分の社会的役割❓ (2023/05/03)。
 
 教育の政治的中立性と中曽根臨教審 (2023/05/19)。

血液とエネルギー流

(2023/05/20).

 疑問と格闘。自分が不図気になる事柄、それが疑問だ。理解しようと検索して調べる。しかし、素人の自分には、その解説が理解できない。理解出来ないということは、自分の能力が無いからだと覚悟すれば、その検索内容の解説を学習すれば済むことだ。

 しかし、どうも素直に解説を信じられない事が多い。だから、疑問と格闘となる。取り留めもなく迷い道に分け入ることになる。

 そんな時、https://hokakebune.blog/2022/06/02/赤血球が謎運ぶ/ と素人の疑問の記事投稿となる。そこには、医学生理学分野の門外漢ではあるが、電気回路現象からの共通な自然科学の基礎的な感覚的認識からの解釈に基づいた、大切な意見も含まれる筈だ。自然現象の全体像が、あらゆる科学論には共通な根底に在るだろうと言う認識からのものだ。

 例えば、Wikipedia の赤血球の解説には、1日に2000億個生まれ、120日間に20~30万回体を循環して、酸素を運ぶとある。それは約10分間に1回血液が循環するような計算になるということか?別の記事には、血液循環速度は?と検索すると、25秒から50秒で1回循環すると言う解説もあるようだ。それは血液が心臓から出て、心臓に戻るまでの時間のことかも知れないが本当か?と思う。余り、経済的な競争を伴わない研究分野は研究対象から取り残されているようだ。赤血球がどの様な生理学的機能を持っているかは、病気の治療等にも余り関わりないから研究対象に成らないのか?と。それはまた別の問題であろう・・。

 血液とエネルギー流」の標題にした。電気回路現象は電線路空間を流れるエネルギーの伝送現象がその本質的物理現象である。しかし生理学の身体活動では、血液が生命保持の最も基本的な、しかも平易な意味での重要な機能を担っていると考える。細胞への栄養素供給、酸素供給、白血球など免疫系の機能など、多くの生命保持機能がその担う基本であろう。しかし、物理学で認識されていない懸念が、『エネルギー』と言う空間の物理量にある。そのエネルギーと言う物理量が空間に満ちている、その物理的認識が欠けているのが、現代科学論の矛盾論の基本にある。身体の全体に満ち溢れているのが、やはりエネルギーなのだ。こんな論は科学理論の対象に成らない傾向がある。それは科学的実験による証明が示せない点である。光は本質的に無色だ。等と言う論も科学論としては余り意味を成さないだろうから。光が無色の空間エネルギー分布波の縦波だと言う論も、科学的手法には成って居ないから科学論として取り上げられないかも知れないから。

 しかし、『体温』がどの様な物理的現象の結果に因るか?と尋ねても殆ど、的確な回答が得られないように思う。学説はある様だが、それは余り理屈、論理性のないものに思え、信じるに価値が無いと思う。

 すべての生物は、その命の保全が基本的機能と成って居よう。外界の危険から保護するには、その外界情報を先ず確実に認識する事であろう。それはどの様な仕組みか?電気回路の信号は電線路の空間を流れるエネルギーである。決して『電子』などは矛盾の物理学概念である。身体の神経伝達経路は決して電線路のような二本の導体で挟まれた空間は無いから、何処を何が神経情報として伝送されるか?である。

 決して、伝送信号として分子体などを考えるとしたら、それは信号伝達速度が遅く、瞬時の危険信号の伝送には不可能である。残るものは、眼球の硝子体管の光伝送現象と同じく、神経細胞のファイバー状の索が光ファイバー伝送空間と同じ機能を担った空間構造体と成っている筈だ。その神経信号は当然電気信号と同じ、エネルギー空間密度分布波である筈だ。その信号源が、体温の全身に分布した『エネルギー』の筈だ。そこに、赤血球の重要な機能が有ると考える。体温と言うエネルギー分布に対して。

 こんな医学生理学に関する知識のない素人の生理学的解釈が、市民的科学論ではないかと思う。専門家は狭い分野に特化した対象がその研究主題となる。それは、広く子供達への教育に迄、科学的基礎理論の統合した意味の研究はされない傾向となる。

 教育において、『参照基準』などの伝統的解釈理論に縛られた弊害を専門家が創り出す危険もある。

光の物理学―市民のための理科ー(初等・中等公教育の主眼にすべきもの)

(2023/05/09).

 昔の教え方、教科書を教えた事を反省しながら思う。 

 光とはどんなものか?
光と言う物理量(物理的実体)を理解する事が全ての自然科学、物理学の基礎である。それは科学の研究者のためでなく、全ての市民の自然科学の基礎として大切なものである。

 皐月の空の下で、周りを見渡せば天然と言う景色である。何一つ『色』のないものは無い。それは光と言う物理量によって認識できる世界である。衣服の絵柄模様も様々な色彩の様相である。

 この事の意味は先ず『何だろうか?』と疑問を抱いてくれるかどうかが教育する意味付の基本であろう。不思議とも思わない子供には、教える切っ掛けとして効果がそれ程その時点では期待できないかも知れない。知りたいと思わない事を強制的に憶えさせようとする教育は、やはり子供にとって苦痛であり、その押し付けになるかも知れない。
 
 光の物理という事で子供達に最初に伝えて欲しいこと。それは、光の本質には何も色など無い、ということである。携帯電話から放射される電波も、その本質は光と同じものである。だから電波には色は無いのだ。電波は光より波長が特別に長い波でしかないのだ。

 では、なぜ自然界は天然色の世界なのか。光に色が無いのに、その光で見る風景が何故色彩豊かな風景なのか。と、この事に疑問を持ってくれたら、半分は既に教育の目的が達成されたと思ってもよいかも知れない。

 色と言う世界。

 色鉛筆、絵の具、七色の虹、赤い薔薇の花弁、雨蛙の緑色。草の緑色、石の様々な色合、宝石の輝き、アンモナイトの化石がオパールだ。みんな豊かな色彩の世界だ。みんな光が届けてくれる自然現象の結果だ。

 色鉛筆や絵の具は科学技術と言う人の創り出した、工業製品の世界の色だ。その色も光によって人が認識する物理現象の結果の世界なのだ。

 その意味を不思議だと思ってくれるかどうかで、教育する理科の授業の価値が決まると考えたい。

 光の学習など一生の問題として良い程その意味は深いと思う。

 色を持たない本性の光が、その光の物理現象として人に色の深い意味の世界を届けてくれること。色彩に感動を覚える世界を受け取れる。その光の物理現象が人の感激する喜びを創る。何も色のない光が人に届ける贈り物なんだろう。

 少し、高等教育になると、物理学の研究になると、波長とか振動数という科学的専門用語が使われる。その波長とか振動数と言う用語がどの様な物理的意味を唱える為の用語なのか。そこには、その用語の意味を、その実像をその光の存在する空間における空間像として表現できなければならない筈だ。専門家はその用語の意味を具体的に、如何に解釈しているかがとても大切な事と思う。

 光の振動数とは、何が振動している意味か? に答えなければならない筈だ。

 光の具体的考察例。

 光は何を語るか (2021/10/18) の歌の CD 盤の分光例だ。

 これは蛍光灯の光を反射させたものだ。決して CD 盤の溝に色、色素がある訳ではない。同じく野に咲く花の花弁の色も結局光の演出の結果である。花弁に特別の色素がある訳ではないのだ。光は本来何も色を持っている訳ではない。無色のエネルギーの光速度伝播現象体でしかない。エネルギーに色彩は無いのだ。上の CD 盤の色模様も、勿論 CD 盤の溝に色がある訳ではない。それなのに何故このような色模様に見えるかということである。それは溝の空間構造によって、入射光のエネルギーの空間分布波長の違いで、反射方向が変った結果でしかないのだ。ただ色鮮やかな色彩に分かれている。それは虹の七色の分光現象と同じ意味である。要するに、色のない光と言うエネルギー分布波長構造の物理的実体が空間を光速度で伝播しているのが光なのだ。光の空間エネルギー分布構造で、ある何かの空間構造体に入射すると、その空間構造体内でのエネルギーの共振(反射と入射現象)によって、その寸法に見合ったエネルギー密度分布波がある共振的な方向に反射して出てくる現象の結果なのである。

 さてそれではなぜ色が異なるかという意味である。それは人の光エネルギー分布波の波長を視覚検出機能によって区別し、それを脳神経部で評価する生理学的機能に因ると解釈する。独断と偏見と言われても、やむを得ないが筆者の自然的感覚による物理現象評価法でしかないから。それぞれ異なる解釈があっても良いが、異なることに批判をすれば、より正しい評価に落ち着く可能性があるだろう。そこに正しい自然科学的認識理論が生まれる筈だ。空間の『エネルギー分布波』の伝播現象が光の空間像である。

乾電池 1.5[V] の哲学

乾電池の電圧が 1.5[V] の理由を問う。

おそらく現代物理学理論では答えられない筈だ。だから哲学になるかと。

そんな事がある筈はないと誰もが思うだろう。この科学技術に支配されている現代社会で、その基礎理論と成っている理論物理学で解釈を示せないが筈はないと!

以前大学の教育の水準を保つ為に、『電気・電子工学』の基礎としての『参照基準』として『物理学』が欠かせない学習内容だと。それなら、乾電池の電圧 1.5 [V] の物理的意味位は答えられて当然の筈だ。しかし理論物理学は余り科学技術の具体的な内容に関心が無い精か、抽象理論に偏り、具体的で統合的な面で欠けているようだ。

その精か、現代理論物理学では解答できないのだ。

可笑しいと思いませんか。

その訳は簡単です。自然世界に存在もしない『電荷』や『電子』を科学理論の基礎概念として創造して、それに依存した理論を構築してきたからである。

自然界に実在しない物理概念『電子』や『正孔』等で抽象的な理論を構築してきたからである。理由・訳は極めて単純なのだ。

自然世界を支配している空間の『エネルギー』を認識していない欠陥理論だからだ。光や電磁波が『エネルギー』の縦波との理解が出来ていないからだ。ただ進行方向に光速度で伝播するだけの空間に分布した『エネルギー』の密度波だと理解していないからだ。

乾電池も交流発電機も、配線を通してその空間を伝送する『エネルギー』の供給源でしかないのだ。空間分布の『エネルギー』を認識する事が乾電池の、電圧 1.5[V] の意味を解釈できる基礎になる。それが大学の教育に欠かせないものとしての『エネルギー』が参照基準の筈だ。

電気回路空間とエネルギー伝送特性

(2022/02/14)。今日のダッシュボードに記事、特性インピーダンスから見る空間の電気特性 (2013/11/29) が一つだけ挙がっていた。丁度述べようとする内容に関係するものだ。

電気回路が、漸くどの様に『エネルギー』を伝送するかの物理的特性が掴めてきた。もう曖昧で不明確な科学技術概念に因る電気回路現象を無理して、自然界に実在しない『電荷』などで取り繕った解釈法を採らなくて良いところに到達した。ただ、『電子』によって電気回路の『エネルギー』の伝送現象が論理的に解説できれば、『電子』の価値もあるのだが決してそれは不可能の筈だから。運動エネルギーや位置エネルギーあるいは熱エネルギーを『電子』に背負わせての伝送などお伽噺にも成らないし。物理学理論で『エネルギー』を忘れてはそれは自然世界から目を離した科学技術理論だ。

前の記事、エネルギーと電流(2022/02/13)で述べた内容をもう一度まとめる。

前の記事より、回路のスイッチSでの短絡位置を変えた。意識的に、回路空間が『エネルギー』伝送特性を決めるという意味を強調したかった。電線路抵抗でそこを流れる『電流』によって決まると言う『オームの法則』では、電気現象の物理的特性を本当の意味で理解できないのだ。その違いを示したかったから再び取り上げた。電線導体内など『電流』は流れていない。勿論『電子』などこの自然世界に存在しない。電気回路現象はその電線で囲まれた空間を流れ、伝送される『エネルギー』によると言う眞實が理解されなければならない。電線路空間の特性は、その線路定数C[F/m] L[H/m]によって決まってしまう。特性インピーダンスZo がその伝送特性の基本を決める。それに対して負荷が幾らかで伝送電力が決まる。負荷抵抗Rを

R= αZo    α=R/Zo

と捉える。αは単なる係数である。

要するに、二本の電気配線で構成される空間がどの様なものかで、伝送特性が決まるのだ。電源電圧と言う技術概念量はとても優れた特性解釈概念量である。それが何を表現したかが分からなければならない。検索情報などには、丁度水の水圧のような意味だ等と出ている。そんな頓珍漢な意味を述べる程厳密に納得しようとすれば曖昧模糊とした解釈論が飛び出す事に成った。『電流』は回路を回り流れて、閉じた還流概念であるから、水圧で元に戻る意味など表現しようが無いにも拘らず、そんな解説まで飛び出す。恐ろしい、全く論理性等微塵もない珍科学論だ。バンド理論の『正孔』も同じようなものかも知れない。新たな目新しい構築概念で、人の意識に混乱を積み重ね、結局総合的に矛盾の重層構造を創り上げてしまった。そんな科学理論全体を統合して論理性を論考するなど、全く経済的利益にも成らない事は誰もしない。専門業界に嫌われるだけだ。だから科学理論は矛盾の病に侵されてしまった。1987年4月(今から35年前)に『静電界は磁界を伴う』と言う電気磁気学理論の根本的矛盾を問う実験結果を発表した。誰もが実験してみれば現在の物理学理論で理解できない事実に気付く筈だ。しかし矛盾が理論の社会的仕組みを破壊するようなことは許したくない意識が科学者の最優先事項となる。アンペアの法則の矛盾など気付きもしない。

それらの意味を考えて、上の図は電線路空間がスイッチの位置で変わり、回路特性も変わるという意味を単純な電気回路を通して、理論の具体的思考問題例として示したものだ。

伝送特性を一応式にまとめた。

 

コイルの貯蔵エネルギーE[J]は『電流』によって発生するものでなく、電線路空間を通してコイル導体間の隙間から『エネルギー』が流れ込むのだ。その『エネルギー』はコイルに印加される電圧Vl「V]の時間積分に関係したものとして流れ込む。

E=(∫Vl dt)²/L [J]

電圧の時間積分の2乗が漸く『エネルギー』の次元[JH]に繋がる。次元で、『エネルギー』の単位[J]が現れなければ、それは自然現象を利用した技術用の解釈概念だと見做して間違いない。自然空間に実在し、展開する現象は必ず『エネルギー』をその本質として保持して現れる。どの様に科学技術が進展しても、その『エネルギー』の空間像を捉えることは不可能であろう。光の空間像(『エネルギー』の分布空間像)を見る事は出来ないから。コイルの内部空間に貯蔵された『エネルギー』を科学技術計測法で測定する事は不可能である。その技術的に計測する手法として技術概念、『電圧』や『電流』を創り出した事に人の優れた智慧が生かされたのである。

この回路でのコイルに印加される電圧は抵抗との関係で、指数関数での表式となる。その時間積分で算定される。計算をお願いしたい。

電気回路現象で、観測不可能な自然の実在物理量『エネルギー』は電線で構成された空間の形状によってその伝播状況は変化する。その自然現象を数学的に厳密に捉えて、理解しようとしてもそれは無理であろう。指数関数式(ε^-αt^)でも、過渡現象は無限時間でも収束(零にならない)しない矛盾が残る。

平行二線式回路の定数について

電気回路現象の解釈理論は電圧と電流による『オームの法則』が基本となって完成している。

しかし、電圧と電流と言う概念はとても優れた解釈概念であるが、それはあくまでも科学技術用の創造概念であり、それに自然界での真相を求めようとすると矛盾の壁に突き当たる。

それは電圧、電流の本質を問えば、『電荷』と言う物理量の実在性に依存せざるを得なくなる。プラスとマイナスの二種類の『電荷』が欠かせない論理的根拠となる。マイナスの『電荷』は『電子』であるが、プラスの『電荷』が何かは極めて曖昧である。その論理的矛盾は『電荷』を切り捨て、『エネルギー』の流れとして理解する事で解決できる。

電気回路現象を『エネルギー』の流れとして捉えれば、導線導体内を流れる『電子』などの必要はなくなり、電線路内の空間の電気定数の解釈の問題となる。この関係は電線路の回路特性 (2021/08/11)にまとめた。それでも未だ残った問題があった。

電気回路例。

電池からの『エネルギー』が電線路空間を流れるとなれば、その特性は回路分布定数L[H/m] とC[F/m]で解釈すれば良い。電線路の特性インピーダンスZo[Ω]は

Zo=(L/C)^1/2^[Ω]

となり、空間の構造で電気現象の特性が決まる。負荷ランプの特性値R[Ω]とZoとの関係で、電気回路の『エネルギー』伝送特性が決まる。

以上の意味を基本認識として、二本の電線で構成される電線路のインダクタンスLと静電容量Cの意味をもう少し考えておこう。

二本の電線だから、具体的にその電線路の特性値を考えれば、右図の様になっていると考えてよかろう。

 

 

 

等価回路。回路特性値 L[H/m] および C[F/m]は右図のように算定される。その訳を考えた。

 

 

 

 

電線路空間を『エネルギー』が伝送するとき、その流れは電線にどのような関係になるか。

L=2La[H/m] およびC=Ca/2[F/m]と回路特性値を解釈する。その訳が右図の様なCaとLaの間での遣り取りとして伝送する『エネルギー』という意味で解釈する。

この解釈は回路に電流計を接続する。その電流計の計測値に及ぼす回路特性を理解するに欠かせない事から取り上げた。

こんな回路論は余りにも、当たり前の基礎論で、学校教育の教科書の問題の指摘でしかなく、科学論としての学術論文になるような内容ではない。然し乍ら、現在の科学理論の根源概念、『電荷』を否定するところから生まれる新しい解釈である。現在の学校教育での物理学理論からは生まれない解釈ではある。

自然界に存在もしない『電荷』概念に論拠を置いた学校での理科教育は、その矛盾の伝統の引継ぎ業界の体制保持の意味しかないのだ。その事は未来を背負う子供たちに対しての教育行政の責任を問う事でもある。また大学教育の物理学基礎理論の根幹が問われる事でもある。例え困難があろうと子供達の未来への考える教育への転換が望まれる。

空間構造とエネルギー

やはり空間の『エネルギー』だ。

それにしても物理学理論や地球物理学は何処か矛盾の闇の世界に観える。残念ながら、その根本的な原因が、専門家の表明する文章・お話での専門学術用語の検証不可能性とその真偽が日常生活に経済的損害を与えない空想物語である事にある。雷論は、雲の上昇氷の摩擦で、何原子が基になってプラスとマイナスの『電荷』に電離するか?氷分子のイオン化なのか極めて曖昧でも、自由に大量の『電荷』と言う便利学術用語が駆使可能で、何方も経済的損害を受けないから異論を挟まず御自由にお唱え可能だ。『電荷』と言う魔術的学術用語は誰も批判できない、原子の内部構造を決して誰も確認できない安全圏の御説だから。山の頂上でも、柱状節理がメリケン粉の振動説でも批判もされないから御自由にお唱え可能だ。磁束が自然界にある訳でもないのに、磁気の本質が何かの深い物理学理論での解釈が曖昧だから、地球が逆転したような「何とかニヤン」が地球的お話になる。電荷間の力の矛盾論 (2021/05/11) にも、どう考えても物理学理論が自然世界を真剣に見つめようとする心からの解釈論には見えない事を述べた。ただ過去の解釈論を無意識的に継承しているに過ぎない。それぞれの物理学理論などは、大学などの高等学術機関の研究室で、その専門的高等特殊理論の伝統を引き継ぎ、将来に亘ってその分野での専門家としての権威を継承する道が整えられる。生活が保障される。その学術理論に異を唱えれば、即刻その専門家としての社会的役割は終了する。科学理論とは極めて非論理的で、保守的な学術の専門性をその背景に秘めているのだ。科学理論の自然世界に広く適応可能な統合的完全性を求めるなら、少なくとも二つ以上の異なる分野の研究の経験が望ましい。一つは科学技術の分野の具体的経験と感覚。空間的『エネルギー』の実在性を認識する経験。

現代物理学理論には、運動エネルギーや位置エネルギーは良く教科書でも取り上げられて、誰でも理解している。しかし空間に実在する『エネルギー』と言う物理量の認識が無いようだ。それは空間の構造を余り意識していないからと思う。

その根底には、抽象的解釈論(理数学的)と具象的解釈論(空間像認識)の違いが在る。

真空透磁率  μo[H/m] と真空誘電率 εo[F/m] 。現代物理学、自然科学あるいは自然哲学、それらのとても専門的な高度のお話に「時空論」があるように思う。それらは遠い宇宙から、過去未来の時間を超えた壮大なお話になる。それに対して、μo[H/m]、 εo[F/m]等の手元の電気回路論などの身近な空間の意味など、余り意識されていないようだ。しかし、光の『エネルギー』の伝播する空間を、科学的な意味で解釈しようとすれば、何かその空間の解釈概念が必要になる。最低でも、その透磁率と誘電率位は空間構造の解釈の基礎に据えたい。

電力工学では、空間が保有し得る『エネルギー』には限界が在ると認識している。と思っているのは自分だけなのか?その空間の意味は電界で定義し、1cm当たり30kVを一つの目安にする。それ以上の電気的ストレスを空間に掛けると、火花放電やコロナ放電を起こし、空間が絶縁機能を失う。この空間は空気の事で、空気その物の中の物理的状態の問題なのだ。『電荷』説では、その空気の『電荷』を論じている訳ではない。『電荷』そのものが火花を散らす論説ではない筈だ。『電荷』は専門的雷の御説の解釈依存概念としてお借りする間接的学術用語でしかない。火花に成るのは空間の空気なのだ。専門家は火花の話で、『電荷』などその後にどうなろうとその意味など意識に無いのだ。『電荷』が光になる訳を説明など決してしない。存在しない『電荷』が『光』に化ける、化学変化の物理学的論拠も無いから説明など出来る訳がないのだ。それでも科学学術雑誌に載れば、とても専門的風格の誰もが異論を唱えようが無い雷論となる。火花放電現象は空気の絶縁破壊現象だ。完全な真空空間なら火花放電は起き難い。具体的なプラスの『電荷』がどの様なものか、『陽子』か『水蒸気イオン』あるいは『酸素イオン』か等は全く分らなくても、何でも良いのだ。『電荷』が『雷光』に変換される原理の為の量子力学も無いようだから。

その事の意味を、『電荷』や『電子』で考えるべきか、あるいは『エネルギー』で解釈すべきかを問うのである。その為の空間構造の例を提起して考えよう。

空間構造例。

何も難しいものではないが、余り意識しない空間構造の電気現象解釈かも知れない。直流電圧を2枚の円盤間の空間と2本の円環リング間の空間に掛けるだけでしかない。

(1)円盤。これは誰でもコンデンサと理解できよう。

(2)リング。何の役にも立たないだろうが、一応電圧を掛ければ電気回路である。この回路(?)を取り上げた意味はインダクタンスL[H]の巻き線コイルの空間『エネルギー』と1ターン電圧の関係を意識して欲しくて取り上げた。ちょっと電気技術者らしからぬ変なオジサンの思考で。

どちらも、スイッチを入れて電圧を徐々に上げて行けば、何時かは火花放電になり事故状態となる。電源にはヒューズが必要だが忘れてしまった。🙇。

ここで考えることは。空間の空気絶縁破壊と言う現象の物理的意味である。『電荷』と『エネルギー』の自然科学論の認識の問題である。それは考える人の夫々が今まで経験してきた科学的解釈の手法、習慣によってある程度感覚的なものに依るかも知れない。

問題は空間に『エネルギー』が在ると意識するかどうかである。

(1)のコンデンサの円盤内の空間をどの様な電気的空間と意識するか。

電荷の論理性(2020/10/26) で取り上げた問題がある。それが右である。この問題を 電荷Q[C]とは何だ❕ (2021/05/19) で論じた。また、大学入試問題例(エネルギー問題) (2021/05/25)。ヤッパリ「電荷」だ❓ (2021/07/03) 等で、『電荷』否定の解釈理由を論じた。内容は如何にも高尚な学術論文には程遠く、幼稚な、言ってみれば下界の囲炉端話に近い素人論に観えよう。しかし、このような科学論理の矛盾を科学者、物理学者は無視して過ごしてきた事に気付かなければならない筈だ。

(1)の円盤電極に『電荷』が、プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』が原子から分かれて、あるいは電源の電池などから分離して、集電すると本当に考えるのですか。それで物理学理論として矛盾を感じないのですか?

それが、電中研の『雷』論にも成って子供達への解説となっている。雷と科学論

この(1)の場合の具体的計算をしてみよう。

円盤の面積A=100 [cm²]、D=1[cm] とする。その静電容量 C=8.9[pF]程度となる。V=30[kV] で放電に至るとすれば。

その時の貯蔵容量は E=CV² = 7.9 [mJ] 程度となる。

次に(2)のリングの場合。

コイルに電圧を掛ければ、コイルの巻き線の間に『エネルギー』が分布する。その巻き線間にも空間的には幾ら僅かであっても静電容量と言う空間的電気的要素機能が存在する。そのコイル1ターン当たりの電圧を1ターン電圧 vu[V] と解釈する。巻き線全体では巻き数 n 倍すればコイル端子電圧となる。そのようなコイルリングの意味を図(2)で考える。いくら小さくてもリングの間には『エネルギー』が存在する空間が有る。その空間の空気にもコンデンサと同じ『エネルギー』の貯蔵限界が在る。限界を超えれば、火花放電の絶縁破壊現象に至る。その破壊電圧を V [V]。コイル静電容量 C [F/cm]が分かれば、

エネルギー 分布密度

δ= C V² [J/cm]

(1)の円盤電極の場合と同じリング半径 r=35[cm] として、線路静電容量 Cr[F/cm]を算定してみよう。平行電線路の場合の算定法を適用してみる。電線径d=1.6[mm] で、D=1[cm]とする。

構造係数 k=(2.3029/π)log(2D/d)=0.710 を利用してみる。

しかし、C=9.6[pF/cm] と大き過ぎる算定結果となる。

ここでは、以上の結果で、残念ながら検証は取りやめる。

以前に、 L とC と空間エネルギー (2017/08/02) で、同じような事を述べていた。今回の検証回路の結論も、数値的な結果が出ず、未熟さを反省します。

結論。科学論で、特にあらゆる科学論の基礎と考えられてきた、現代物理学理論の基礎概念および専門学術用語が極めて不明確で、曖昧なものである事を指摘した。水の水面に広がる波さえ、その原因に『エネルギー』を捉えていないようでは、何時か理論がその基礎から瓦解することを危惧する。理科教育にその責任があるのではなかろうか。