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磁場とは何か?-物理学の命題ー

物理学の命題 命題と言えば哲学あるいは倫理学の論議に成る様でもある。しかし自然科学分野の物理学の命題である。電気磁気学では、電場と磁場がその論理の根幹を成している。その中で、磁場を取上げてその本質を考えてみたい。どうも自然科学の基礎概念には、論理的な検証に耐えないものが殆どのように思う。何方か磁場とは何かを明確に定義できる方が居られたら、勝手ながらお教え頂ければ有り難い。改まってこんな事を書くにはそれなりの理由がある。先日ニュースに、千葉県での地球の磁場の逆転層の存在の話題が紹介されていた。確かに磁場はコンパスで極性を簡単に判定できる。電場の場合はそんなに簡単に極性判定をすることは出来ない。磁石は日常生活にありふれているものだ。だから磁場が無いなどと言っても信じてはもらえない。しかし、磁場とは何かと自問してみても、磁束がある訳ではないから磁石の周りの磁力を生む原因を物理学理論の中から答を得ようとしてもそれは無理である事だけは解る。そこで物理学の命題と言うことに成る。千葉の地球磁場の逆転層の意味を理解するには、磁場の物理学的明快な理解が市民レベルで出来なければ、その科学的論拠を共有できないと言う誠に困った(自分だけかも知れない?)事態に成るのではないかと思う。科学認識は市民との共有が前提でなければならない。

磁場の原因 磁場を作り出す磁極があるかと尋ねれば、磁極は存在しない事に成っている。磁場を構成する磁束とは何かと尋ねれば、答えられないのである。磁束を作り出す素が無いのである。基があれば、その発生原因を確定できる筈だ。地球磁場が存在すると言う解釈は誰もが疑わない。磁束が地球の北極に入り込んで、中心を通って(?)南極から磁束が出ていると説明されている。と言ってよかろう?はっきり断っておきたいが、磁束などは無いのである。検索しても磁束がどんなものかを明確に説明した記事が見当たらない。地磁気は地球の周りを地球の速度以上の速度で回転しているエネルギー流なのである(2018・11・06追記)。最近は衛星が地球のエネルギー環境に影響を及ぼしていないかと気掛かりだ。地磁気の原因である地球表面のエネルギー流に影響して、地磁気が弱まっているかも知れない。

鋏の磁場 鋏も鉄系の材料で出来ていよう。今回の千葉の話題で思い出した。以前砂鉄模様の記事を書いた時、手元の鋏の磁場が不可解な様子を示した事を思い出した。

鋏の磁場模様鋏の磁気模様 鋏に砂鉄を振りかけた。その砂鉄の模様は鋏の各部の磁気状態を示しているのだ。鋏の先端部は上も下も全体が磁極のS極に成っている。支点部も同様にS極だ。その間の腹の部分だけがN極に成っている。何故このような一本の鉄金属がSNSと不思議な磁石となったか。

S極先端先端S極 地磁気の方向を紙片で示した。コンパスのN極が指すから鋏の先端はS極である。

N極腹部腹部N極

S極握り部握り部S極 何故SNSの3極に成るか?

鋏の磁場模様 この磁場模様に向き合って、我々はどのような物理学理論で心に受け入れれば良いか。この鋏が製品として、出来上がった時点でこのような磁場模様に成っていただろうか。その疑問に答えるには、コンパスと砂鉄の心での磁場模様についての解釈が必要と考える。『エネルギー』の独立した物理量の概念が物理学理論には無い。磁場の砂鉄模様を作り出す原因がコンパスの周りの空間に流れる『エネルギー』による現象であると言う物理的認識を要請している。物理学理論に無い物理的認識を。そこからの解釈は、鋏の切れ味の鋭さの下、その二つのすれ合う歯の摩擦と滑らかさに因って生まれる『熱エネルギー』の仕業と観る。エネルギーは熱も電磁気も光も自然界の現れ方の多様な姿でしかないのだ。磁場も電場も『エネルギー』の人の解釈の姿でしかないのだ。鋏を他にも調べると、3極も2極もある。

科学研究と費用 最近の基礎研究はとても大きな設備投資が要求される。費用でその研究の価値・社会的影響力が推し量られるような時代に成った。砂鉄模様から考えるなど、科学研究等と言えるものではない。日常生活上の感性に因る自然評価法でしかない。しかしその中にこそ自然の真髄があると思う。

波と量子力学

光はなぜ進むか光と世界 光は不思議の世界を演出する。光のエネルギーはなぜ光速度で伝播するのか。自然を理解するとは楽しくて、難しい。

次の時代を担う子供達の為に何が必要か。競争によって勝ち取らなければ、幸せな人生につながらない様な社会が理想なのか。己と戦うのは自己の社会的貢献に役立ちたい願いの実現に成る。等しく学習する権利と環境は経済的な格差の無い状態で、すべての子供達に与えられる事が社会的制度の基本だ。学習環境の一つに教科内容があり、そのあるべき姿はどうであるか。最近「波」について、その教育内容を考えてしまうことが増えた。教育内容が大学への専門的知識の詰め込みに成ってはいけないと考える。全ての人がある程度科学技術について理解できなければいけない時代に成った。現在の科学技術は新たな革新的成果を実現する程余裕のない段階に達してしまったのである。技術的開発の飽和状態に成ったしまった事を認識すべきである。自動車を生み出す、冷蔵庫を考えだす、トランジスタラジオを作り出すなどの社会生活の革新的変革はもう望めないところに来たのだ。科学技術革新の飽和の時代なのだ。その事を知って欲しい人が、経済、政治、金融、法律などの社会制度の構築を仕事とする方々なのである。その事を知らずに未来の社会制度を考えては、実に危険な事に成るのだ。人手が足りないから、人件費が経済利益の業績に負担だから、チャップリン(街の哲学者)が指摘したロボット化社会の人の道具化視点社会が許されるのか。危険な科学技術に、無人運転機械(自動車、ドローン)の街中への導入は代表的な科学技術社会の未来の危険を目指す物になる。エレベータがどんな技術、電力(動力)で運転されているか。津波の原因は何か。クレーン運転の安全はどう保たれているか。海水温の上昇がどんな気象災害に結びつくか。先日のフィジーでの強風災害の秒速90メートルが何故発生するか。みんな日常生活に結びついた事柄である。

波はエネルギーの縦波 光は自然世界の波の代表である。光のエネルギーはプランク定数 h[Js] によって解釈される。電子の描像を捉えるのに粒子と波動の二つの見方で理解されているのが現代物理学理論の実情である。その理論的基礎を成すのが量子力学である。ド・ブロイの波長、シュレーディンガー波動方程式などがその量子力学理論の基礎として構築されている。その発端になったのが、1900年に発表された、マックス・プランクの放射理論で、光解釈の不思議な概念の基本定数・プランク定数hである。波動と言えばシュレーディンガーとなるが、そこには運動エネルギーとポテンシャルエネルギーしかなく、オイラーの公式の虚数概念に基づく解釈法が採られている。そんな虚数が自然世界の実像を描写できる訳がないのに、数学的抽象化の虚像科学論の専門科学になっている。電子の描像を波動性と粒子性のジレンマから抜け出せない原因も虚数に象徴されている。

写真198プランク定数 10の-34乗と言う途轍もない小さな数値である。量子力学理論の根幹を成す定数だ。この定数について長い事疑問のままで来た。科学理論の世界を支配している定数と言えよう。しかし私は、その論理性、正しさを未だに認識できないのだ。

プランク輻射式の解剖プランク輻射式の解剖 (1)式が論文に示された式である。単位[J/m^4^]は書かれていない。この式から導出されたプランク定数hが長い科学理論の歴史を彩り、現在の科学界を支配していると言ってよかろう。その式の持つ意味を一応簡略に書き換えたのが(4)式である。さてこの定数の何を疑っているかである。密閉した金属の壺、黒体の内部空間から放出される光の温度変数に対する放射スペクトラム曲線を示していると言うが、その測定が可能かに疑義を呈するのである。どんな測定法で、E[J/m^4^]の物理量を測定できると言うのか。まさかE[N/m^3^]でもないだろう。何方がこの測定結果を検証したのだろうか。光の波長を分離して、各波長ごとに正確に測定できると考えるのでしょうか。光の強度は光束量の単位ルーメン[lm]で計るが、人の目で感じる感覚も比視感度によるフィルタにより、受光する光のエネルギー量の強度には比例しない。光エネルギーを正確に測定する全波長に亘って、波長分離して計測できる方法など存在するのだろうか。しかも単位が単位であるから。また、黒体の内部空間構造が球形であるか、立方体であるかによって、放射光のスペクトル分布曲線も異なると考えられる。空間内部反射によってその分布も異なるだろうと考える。先ずその黒体放射分布を確認したいものだ。誰も検証しないで認めていたとしたら、科学理論の実験的検証論拠は如何なることになるのか。上のプランク輻射式の解剖は熱輻射理論に関する考察で述べ、プランク定数を解剖するでも論じた。この熱輻射理論については、文献「熱輻射と量子 物理学古典論文叢書1 物理学史研究刊行会編 東海大学出版会」の論文翻訳によって学習させて頂いた。また光の空間エネルギー描像はプランク定数の概念に基づいて考察した。光の一波長分でも、各光はそれぞれの波長ごとにエネルギーの基本単位を持っている。その光量子描像を光とは何か?-光量子像ーに示し、そこでプランク定数の概念についても解釈を示した。しかしそれで全てが解決し、納得できた訳ではない。その疑義がプランク輻射式の単位、次元の問題である。(2016/05/03)追記。プランク定数の物理的概念、それは次元から上の記事に描いた解釈以外は無かろう。それは波長λ[m]の光一粒のエネルギーをε[J]とすれば

h=τ×(H/e)×λ^3^ [Js]

=ε×τ [Js]

ただしτは一波長の周期[s] 、H/e は光波頭エネルギー密度の平均値[Jm^-3^] およびλ^3^は光一粒の占有体積[m^3^] である。なお、プランク輻射式の次元の問題は実験的に確認しなければならない問題として残る事になる。

光はなぜ進むか 光は光速度で進むから、それだけで十分で何も考える必要はない。それ以上の問答は「哲学」の領域だと言われるかもしれない。じゃあ哲学者が論じられるか?やはり自然科学者の領分であろう。光が進む物理的原理があろう。その自然現象の本質を認識出来るか出来ないかを子供たちに伝える事が大切な「理科教育」である。生物学で、生命を支配する遺伝情報のDNAが何故4つであるのかもこの上ない不思議の世界である。解ったふりをするより分からない事を伝える事がより大切なのである。それが「考える」教育なのである。しかし波がエネルギーの縦波である事位は理解し、教育に組み込むべきである。光が何故進むかの疑問に答えるには、電気回路のエネルギーの振る舞いに着目することがその一つの道標となろう。電線路間の空間にエネルギーがどのように、何に縛られて伝送されるかを理解しなければならない筈だ。真空空間を電波が何故損失無く伝送されるか。自然空間の科学技術論の解釈概念である「誘電率と透磁率」の物理的意味を認識することと、電気回路の『共振現象』におけるエネルギーの振る舞いとの関係を総合的に認識すべきである。そこに自ずから答えが見えて来る筈だ。数学的抽象化だけに頼らず、自然を見詰める心が大切である。

波 「理科基礎(仮称)」の題材として

「理科基礎(仮称)」が科学教育の中に望ましいと日本学術会議のある部会の提言として公表された。高等学校の理科の科目の中には、地学、生物、物理および化学の4科目がある。その中身は相当内容がかけ離れたものから構成されているようだ。さて、それらの4科目を統合して、一つの科目「理科基礎」を確定しようとしたとき、誰がどのように取りまとめる事が出来るだろうか。提言が出た以上は、日本学術会議の提言であるから、日本の科学者・教育者の力量が問われることになろう。高等学校の教科書が出来ないなどとは言えない。何年も先では済まない筈だ。教育行政を担う、文部科学省の緊急の対応が問われる筈だ。理科の各科目の中から、基礎として何を選ぶかという考え方では、先ず纏まる可能性は低かろう。文科省の『学習指導要領』がある限りは、その内容からはみ出すことは出来ない硬直化した教育体制であるから。もし一科目としてまとまったとしたとき、その中身は全くつまらない役にも立たない内容の羅列に成らざるを得なかろうから。先ず解決する可能性は、『学習指導要領』の枠を取り外すことに尽きる。しかし、提言の3 高校理科教育に求められるもの の中で、(C)現在までの学習指導要領の変遷の経験を重視 という項目が前提条件として楔を打っている。この(C)がある限りは日本学術会議の折角の提言も絵に描いた御飾り餅にしかならない。以上の思いを踏まえた上での無駄な記事とは思うが、一つ「波」を取上げて論じて見よう。全く過去の理科の基礎とは異なる面から考えてみたい。

葛飾北斎「富嶽三十六景」の一つ「神奈川沖浪裏」に波の象徴的な姿が描かれている。絵画として誇張されて描かれてはいるものの、海岸における波しぶきは如何にも心に響く迫力を持っている。決して正弦波ではないその波形は、ある瞬間を切り取って、写した空間の具象図である。そこには心の美的感性を揺り動かすが、頭を悩ます難しさは微塵もない。さて、波の科学論はと考えると途端に難しくなる。その原因は何であろうかと考えて見た。それは目で観たり、感覚で捉える自然現象を日常生活に馴染み難い抽象的表現で共通理解を計ろうとする手法が科学理論の本質を成しているからであると思う。例えば太鼓の響きは耳だけでなく、腹にも響き気持ちを高揚させもする。その事も太鼓の持つ特性であり、自然現象と人の心身の関係性が造る世界の姿である。その事を科学理論で表現し、説明しなさいと言われても、「チョット待ってください」と言わざるを得ない。こんな事を考えるようじゃ、学校で教える理科教育などの話が出来る訳がないとも思う。

「波」をどう教えるか 子供達が興味を持って授業を受けるかどうかが大事な視点である。それは受ける側の子供の立場に立って考える事が出来るかどうかの行政側の問題である。教える内容やその取り扱いが適切かどうかは行政側の問題だ。子ども・保護者側の意見をくみ取る方策があるだろうか。教える側の論理だけで、教科書内容が過去の手法を伝承するだけの形式に陥っていないだろうか。葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」の絵図の物理的解釈が題材になったら良かろうと思う。そこには水の持つ「エネルギー」を意識しなければ解決できない基本概念が含まれている。サーフィンの力学エネルギーなら子供達も面白かろうと思う。海底の地形が海水面の波形に影響することが理解できるにはエネルギーの意味を理解しなければ無理であるから。

サーフィンサーフィンと波  この波は波頭が競り上がった波形だ。水が何故先頭で重力に逆らって、上昇するのだろうか。それを考え、理解するのが自然現象を対象とした教科「理科」が学校教育で取り上げられる存在理由である。考える事を、覚えるだけではいけないと解りかけている筈だが、生徒に求めるだけで、教育環境を整備する側の機関・文部科学省が考える事を怠り、過去に拘る現状は誠に見苦しい。何故、水が波頭部で上昇するのか位は子供達が理解できるような教育でなければ価値がない。水の波が横波の解釈では、『学習指導要領』の廃止を考える事からしかまともな理科教育への解決方法は無かろう。

波はすべて縦波 『学習指導要領』は水面波を横波の代表例として指導することに決めている。それは残念ながら間違っている。そこにはエネルギーの意味が全く考慮されていない。波を生み、伝播する原因はエネルギーである。波の本質を理解しない波動論は間違いである。波はすべて「エネルギー」の縦波である。それが波を教える眼目でなければならない。

音声 「オーイ」と呼び声が聞こえる。その声を波形に描いてください!と言われてもそれは無理であろう。日常生活での空間伝播の波の自然現象ではあるが正弦波などで描く訳にはいかない。音声については「学習指導要領」も縦波として教えてはいる。音声の本質は何であろうか。話し声は空気や水の『何か』を伝える媒体(気体、液体)が必要です。真空中を音声は絶対に伝わらない。ラジオやTVなどを通した音声は伝達経路が真空であっても伝わってくる。それは電波と言う波だからだ。同じ波でありながら、電波と音声には本質的に異なる何か、理解できない事が隠されているのだろうか。電波も音声波もどちらもエネルギーの縦波である。理科の教科書では電波を縦波とは教えていない。横波として説明している。それは世界の物理学で、おそらく横波として取り扱っているからでもあろう。それは間違っている。その訳は、エネルギーの縦波と理解しないからであり、エネルギーの存在を認識しないからでありましょう。電波の場合は『電界エネルギー』と『磁界エネルギー』がエネルギーとして同じものとの認識が出来ないからであろう。別の異なる空間のエネルギーなど存在できない筈なのに、別々のエネルギーとして分析しているからである。その原因は空間に、質量の関わりのないエネルギーが存在すると認識しないからであろう。その意味が象徴的に表れるのが『光』である。『光』の半波長でもエネルギーを持っている。振動数、周波数を持ちださなくても光のエネルギーである。

縦波 水の波も音の波も弦の波も電磁波も、みんな波と言う波はすべてエネルギーの縦波である。エネルギーの空間(媒体も含む)の縦の伝播現象である。水面波も水にエネルギーを与えなければ決して波を発生しない。波と言う波はすべてエネルギーが造り出しているのである。過去の波に関する記事を拾い上げておこう。三味線と縦波 糸電話ー力学的解剖ー 津波(tsunami)を解剖する 専門用語『振動数』の解剖 など。

『エネルギーに論及してこそ物理』光の屈折もエネルギーの縦波としての解釈が必要。

柱状節理とは何か

ここに記す記事は所謂学説に疑問を持っての反論でもある。その基になる記事がある。石の囁き聞こえますか に記した偶然の発見から巨木の化石論に傾倒し、その観点からの観察を繰り返した、その積み重ねがあった。(2018/10/28)追記。奥穂高の山岳は柱状節理ではないか。富士の霊峰を仰ぐ にジャンダルムの壁として引用した。

何も分からず、何にでも疑問を抱く。これは電気現象に懐いた矛盾を研究の場で生かす道が無いため、頭が暇だからなのかもしれない。狭い日本の海岸線などに、多くの柱状節理の場所がある。世界中にその姿を見る事が出来る。学説では、地球のマグマが冷やされて出来たとなっている。その学説を信じるだけの理由が見当たらない。それを信じるには心が受け付けない。余りにも学説が専門業界論に終わり、説得するだけの論理性が見えない。地球の来し方全てに視点を配り、全体像で捉えなければ柱状節理一つの解釈も出来ない筈だ。今回柱状節理についてまた書こうと思った訳は、大分県の耶馬渓から、兵庫県豊岡市の玄武洞・青龍洞、香川県の絹島、北海道の層雲峡・天人峡温泉など多くの柱状節理の姿を見てどうしてもマグマが冷やされたなどと言う学説は信じられない思いからである。特に次の東尋坊の材木岩(グミ島)を見れば、巨木の化石としか考えられない。地球の歴史を考えるには、「水」、「塩」さらに『海』また「植物」その『アミノ酸』がどのように生まれて来たかまで捉えなければ成らない訳であり、それは無理であろう。巨木の化石についても、石炭、その成分の硫黄分が何故多いかなど疑問の山の中での話だから、何も論理の証拠はない。冒頭の庭石の姿(石の囁き・・)からの繋がりでしかないが。

福井市自然史博ー第66回特別展柱状節理の野外博物館 福井県の東尋坊岬は有名な柱状節理の断崖・海岸線である。その中で、越前松島の材木岩(グミ島)とも言われる特徴的な島がある。 『ひとり旅[587]地質上極めて貴重な美しい柱状節理>福井県坂井市 恐竜の化石ともつながり、その柱状節理に圧倒される。(2018/10/28)追記。上の材木岩(グミ島)をはじめ福井県は柱状節理の天然記念物の特別の地域である。学説は巨木説は採っていないようだ。それを確かめるには海底のどこまでその柱状節理で構成されているかも一つの検証になるかと考える。巨木ならその根の張り具合も海底の地底深くまで繋がっている筈だ。掘削による困難を伴う検証には成るだろうが。

 

コンパスと砂鉄の心

天然・自然。人は言葉で語る。思うこと、伝えたい事を言葉によって表現する。天然の言葉は宇宙共通用語だ。どこに行っても同じ事を姿、形にしている。人はそれを見て、その心を読み解く。

指針マグネットコンパスと砂鉄 コンパスに砂鉄を振りかけた模様だ。今までのコンパスの解釈を少し訂正しなければならない。コンパスの磁界コンパス コンパスの磁極の意味をエネルギーの回転流で単純に捉えて来た。しかしその砂鉄模様はもっと複雑である。単純にNS磁極を磁束で表現できない砂鉄模様である。コンパスと砂鉄の模様から、その心をどのように読むかは人の心で読むしかない。

天然の心模様磁気模様 砂鉄模様を書き写してみた。この砂鉄模様に示したコンパスの言葉をどのように翻訳するかはそれぞれの人の心に任される。磁束と言う用語を使えば、上のような模様に描けるかと思う。砂鉄模様を見る限り、磁束がコンパスのNS磁極の方向を向いているとは見えない。殆ど横向きのようだ。こんな磁束では、コンパスが何故北極、南極の磁極を指すのか理解しかねる。科学理論は数学的表現で共通の解釈を求める。特に理論物理学がそのようである。こんなコンパスの磁気現象を科学理論で解釈しようと思っても、数式による表現は難しい。このような日常生活に見られる電気磁気学の一端でもある磁界も理論物理学の回答が求められる問題である。さて磁束でどう解釈するか?磁束概念を捨てなければ、コンパスの心は読めないと思い、エネルギー流で翻訳する。

磁気とエネルギー磁気とエネルギー コンパスのN極側の空間磁場のエネルギー流を第三角法による展開図で示す。コンパスの上下面、正面および前面から見たエネルギーの流れを示した。その様子を別の表現で示す。

コンパスのエネルギー流コンパスのエネルギー流 コンパスの磁界に反応する機能はNSの磁極の先端部によって方向指示をすると解釈した。コンパスの側面は方向指示に対しては、互いに打ち消し合い、方向性には寄与しない。コンパスの支持点Oに対して回転トルクとして機能するのがNS極の先端である。訂正したコンパスを示す。コンパス訂正コンパス 機能は先端部だけのエネルギー流となる。

新世界への扉ーコンデンサの磁界ー コンパスのエネルギー流解釈がコンデンサの静電界のエネルギー流の解釈を導く。新世界ー科学の要ーに繋がった。

地磁気とコンパス この解釈に繋がる。

砂鉄

砂鉄ひと粒

詩心 乗せて観世の 帆掛船」で前書き代わりに詩を綴った。久しぶりに作った。鉄はどこから生まれてか。

砂鉄はマグネットと仲良しだ。円マグネット砂鉄のリング 円マグネットの縁に直径より少し小さめなリング模様を描く。小さな砂鉄が繋がって筋状の列の集合模様だ。砂鉄の寸法は0.3mm~0.1mm程度だろうか。砂鉄にも様々なものがあるようだ。マグネットと仲良しの基は磁鉄鉱と言う種類の特性があるかららしい。地球星の歴史の中で、どんな世界を辿って来たかと思えば、一粒にも不思議な世界が思われる。マグネットは見ても何も姿を見せない。砂鉄を振りかければ、たちどころにその姿容を見せてくれる。それは天然の心の表現だ。その読み取りは人間の翻訳の感性に委ねられる。

冶金の曙 砂鉄に砂鉄に関する解説あり。

八海山岩峰の起源?

先日NHK新潟放送局で放映した八海山の岩峰の姿に感動した。その山は不思議な巨峰に見えた。山の起源が問い掛けて来た。八海山は南魚沼に在る。生れ故郷の家の前に立つと、山峰を越えた奥に、ひと際目立つ雪に照り映える巨峰が見えた。それが八海山であった事を思い出した。八つの岩峰からなる。その峰の名称も、地蔵岳、五大岳、不動岳、剣岳、釈迦岳、摩利支岳、大日岳および入道岳と何か如何にも修行の峰らしい霊峰の感を受ける。
その岩峰はどのように出来上がったのか?どうも火山ではないようだ。その岩肌のごつごつした感触がその由来・起源を語っている筈だが、岩に不案内な自分にはその起源を語る術がない。岩石や宝石すべてがその起源を持っている。石の囁き聞こえますか がその不思議に目覚めさせてくれた。八海山の岩峰もその意味を問う不思議に数えたい。八海山のブログ記事今日という日を忘れずに

地球温暖化と海水温

地球環境は何によって支配されるか。地球表面はほぼ球形で、寒冷の極地から熱帯の赤道地方と温度分布も複雑だ。簡単に地球の温度環境について論じる事は難しい。近年特に地球の気象環境が急激に変化し、人の生存に破壊的状況を作り出しているようだ。世界の環境問題を考える国連の会議もあるが、主に二酸化炭素削減が主要議題で、その事だけでも各国の利害が絡み巧く合意も出来ない状況に有る。そこに地球温暖化、地球環境悪化の原因が本当に何であるかについての専門家の解釈が明確でないように思う。特に経済成長に伴う『エネルギー多消費問題』に対して少しも懸念が表明されていない。地球温暖化の問題解決法が二酸化炭素削減で済むような話になっているように見える。しかし、二酸化炭素が温暖化の主原因であるとはどのような理論的根拠から唱えられているかが理解できない。化石燃料を消費すれば、確かに二酸化炭素の排出量は増える。確かにそれが『エネルギー多消費問題』の一因である事には間違いない。しかし、その視点でCO2を排出しない原子力発電が地球温暖化に対してのエネルギー対策として有効であるかの誤解を生んでいる。石油・石炭火力発電も原子力発電と同じ蒸気タービン方式である。蒸気サイクルの発電効率は決して50%に届かない。熱効率40%程度である。発電エネルギー量と同じエネルギー分は復水器を通して殆ど海水に放出しなければ発電できないのである。その海水放出熱量の増加が地球温暖化を加速しているのだ。海が地球の熱を吸収し、その保有熱量が地球環境の気象状況を急激に変化させている原因である。そこで、空気と水の保有熱量を考える根拠をまとめようと思った。海の熱容量?熱容量

上の表は水と空気の体積比熱を示した。CO2や海水の比熱(CO2の比熱は700[J/kg K]程度か?)を確認できなかったので、おおよそ事は水と空気だけの比較で出来ると考えた。この表は 原子力発電の熱の行方 に記したものをまとめた。

熱の行方 地球の熱エネルギーとその循環を考えて見る。地球に降り注ぐエネルギーは大半が太陽からの光である。さらに地球自身が中心核に熱源を持っている。熱は必ずエネルギーの低いところに流れる。核からのエネルギーは表面に流れ出る。人間が火を使わなければ、太陽光線と地球核の熱で地球の生命は循環しながら地球の姿は変化する。それが自然の循環だ。宇宙空間を循環運動しながら、地球も熱エネルギーを宇宙に放射する。地球核の熱エネルギー源は地球自身が地殻運動で、表面に蓄えられた太陽からの照射エネルギーの質量増加分を吸収して熱に変換する。地球の総エネルギーが太陽系全体の一つの仕組みの中で変化する。ここに人の地球資源利用の経済活動で、エネルギー消費が加算されて、地球の自然環境に熱負荷をかける温暖化問題が起きている。物理的視点の基本に『光』『熱』『質量』が自然界の根源要素『エネルギー』で見た時すべて同じで、等価であることを理解しなければならない。この観点から地球温暖化問題を考えたとき、二酸化炭素CO2が温暖化にどのような影響を与えるというのかが私は理解できない。大気中にCO2 が与える熱効果は特に比熱が際立つ事でもないから、どんな理由から専門科学者が温暖化の原因として理論付けているかを知りたい。地球表面は地殻の大地と海と大気で構成されている。そのどこにどのように熱エネルギーが保有されて、地球の熱平衡が整うのかが問題だ。その事は、上の表で空気に対して、単位体積当たりの熱エネルギー保有比率が水は3600倍と解釈した。水と海水では比熱に違いがあろうが、大よそ同じと考えても良かろう。地球上の空気と海水などの体積比率が(公財)日本海事広報協会 (検索から消えた?)に示されている。その算定方法の詳細は示されていないがそれを利用させて頂いて図に表現した。日本大百科全書(ニッポニカ)大洋等参考。

熱エネルギー吸収体熱吸収体

空気と海水の空間体積を比較してみた。CO2が大気中にあっても、熱エネルギーの保有にどのような物理的影響を与えるのだろうか。海水の温度1度上昇する、その熱吸収効果に対して、CO2が与える大気中の温度上昇の意味が理解できない。

地球温暖化問題は『海』の温度上昇による環境、気象災害にある。経済活動に基づく総エネルギー消費量の削減問題なのである。経済活動競争の中での国際間の協調が可能かどうかが問われている。

新世界-科学の要ー

少し遅すぎた。新世界への扉ーコンデンサの磁界ーに対する解答である。『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質ーを昭和62年電気学会全国大会で発表してから、電磁界の本質に辿り着くまでの年月は長かった。今年の桃の節句に、ようやく本質を捉えた。余りにも単純すぎる結論である。その結論を示そう。(2017/11/02)修正追記。下の図のエネルギーフローにはやはり電気的『極性』が無い点が欠点である。電極の負極性側のエネルギー流の電極面にそう流れは図の通りで良かろう。正極性側は少し修正したい。2017/11/07 訂正した。

静電界静電界のエネルギー流のエネルギー流

次のように修正する。

写真590コンデンサ内のエネルギー貯蔵機能を考えた時、極板間に二つのエネルギー流があるとは考え難い。静電界と言う空間にはエネルギーが貯蔵された状態である。コイル内の磁気エネルギーもコンデンサ内の誘電体エネルギーもエネルギーに違いは無い。『電荷』での解釈には矛盾で論理的に成り立たなかろう。そのコンデンサに相当するロゴウスキー電極間の高電圧の空間にはコンパスで検出される磁界が存在する。そのコンパスと静電界と言う空間の間には『エネルギー』一つで統合した解釈が出来るのだ。そのコンパスのエネルギー流と平板コンデンサ間のエネルギー流との間の相互協調力(エネルギーの流れが同一方向に合わさることで力が強まる意味)で、コンパスの指示方向が決まると解釈する。平板電極でも上部電極と下部電極の周辺で、それぞれの磁気方向が反対になる。その訳を修正前の図では、下部電極(正極の電極)でも表面からエネルギーが流入すると解釈して、そのコンパスの指示方向が決まると考えた。そこに早とちりがあったと反省して、修正した。しかし、この解釈も実験的に明確にその原因・理由を示せる訳ではないので、あくまでもロゴウスキー電極に因る実験データをどう解釈するかの筆者の感覚に因るところが基本になっていることを申し添える。以上追記(2017/11/07)した。

その発表当時の認識は、只電磁界理論の論理的矛盾を確信していたから、発表内容については些かも不安を抱いたことはなかったが、エネルギー流の実相を捉えるところまではいっていなかった。『静電界は磁界を伴う』の解説に矛盾の意味を記してある。しかし、上に記した結論に至るには磁場のエネルギー流を捉える必要があった。2008年に日本物理学会で、磁力密度 f=rot(S/v) を発表するまで、待たなければならなかった。その結論が磁界・磁気概念の本質である。地磁気とコンパス にエネルギー流とコンパスの指示方向の意味を解説した。その磁石とエネルギー流の力の関係から、静電界の磁針の指示方向の変化する訳が明らかになる。以下#・・#の部分は早合点の間違いとして削除する。#留意頂きたい点は電界の極性には無関係である。プラスとかマイナスとかの電界方向には全く関係ない。金属電極の表面に沿って、外部から中心方向へ『エネルギー』が流れ込むのだ。従って、電極ギャップの中間平面から外部に『エネルギー』が流れ出ると解釈しなければならない。その『エネルギー』の流れる閉ループは、電極外部空間での様子を捉えなければならないが、そこまでは分からない。また電極中心軸には『エネルギー』の流れは無いと解釈する#この結論を持って、長く追究して来た『電荷』概念否定の長旅は終わって良かろう。クーロンの法則を斬るの説明でもある。

ここに示した静電界のエネルギー流の解釈が、すべての電磁界の本質を理解する要である。エネルギー流の速度は光速度に近いだろうが、電極によって拘束されている点から、どの程度の速度かは分からない。

『電荷』による科学理論、原子構造論、あるいは分子結合論や分子立体構造の解釈にも認識の変革が要請されるだろう。少なくとも、学校教育での『電荷』の取り扱い方は緊急を要する問題である。理科教育全般の問題でもある。『電荷』概念による教育は無駄なのであり、間違っている。

コンパスの回転現象 電極の周り、東西南北で、エネルギー流の方向は変化する。例えば西側で考えれば、上部電極付近では地磁気の方向と電極エネルギー流による磁気方向は逆向きになる。その結果、磁針に働く力も二つの逆向きの力が作用することになる。その為、コンパスが交互に不安定な力関係で回転する現象を来たす。それは当時の実験中に経験した現象であった。東側でも下部電極付近で同じように回転現象が見られるだろう。

『電界』も『磁界』も『エネルギー流』である。電界も磁界も自然の物理としては同じ、ただ『エネルギー』の観方でしかない。この解釈が『物理学』の基礎概念と成らなければ、真の科学技術の重要性を理解できない。大学は日常生活の最先端科学技術を的確に理解する為の基本を教育する機関でなければならない。高尚な学理など何の役にも立たない。実学の指導に徹するべきだ。実学ほどその根底は深い。原子核燃料のウラン235の原子構造を説明できますか?外殻に電子が92個回る原子構造が論理的に成り立つ訳が無い。空想の論理で大学が遊んでいる。

『以下余白』の不覚  30年の科学基礎理論の研究もその原点で不毛と成るか。外務省、法務省、総務省等日本政府の戦争処理に掛かっていよう。住所履歴に京都府舞鶴市溝尻海軍住宅が無ければ?私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府 。

四季早回り

2015年1月21日は大寒の中である。朝の気温がマイナス5度程度まで低下した。気象予報は、1月になって寒波が来るたび大雪警報を出して注意していた。しかしほとんど雪は降らなかった。通常の季候なら、雪が降って当然である。しかし季節が完全に1っか月早回りに入っている。昨日の朝は、2月下旬の季候である。生れ故郷・魚沼地方では、雪原が凍り付き【凍み渡り(シミワタリ)】の風景を演出する。前日が晴天や雨などで雪原の表面が溶けて、当日放射冷却の晴天を迎えると、雪面が凍り付き、朝の登校も自由に雪の原を何処までも歩いて行けることになる。子供にとっては春手前の喜びの寒気となる。足橇(アシゾリ)(この橇を何と呼んでいたか、方言用語を忘れてしまった)を持って雪原を滑りながら、学校に行く。凍み渡りは朝の内しかできない、時間制限の子供の天国であり、雪原のスケート場になる。
地球温暖化は季節の巡りを1っか月早めた。去年の夏8月は、秋の長雨の季節の様相で、しかも豪雨災害があった。9月に入ると寒椿・炉開きが咲いた。12月に大雪が降った。1月に降る雪が12月に降ったのだ。寒の季節が12月だった。1月の大寒の暦が2月下旬の凍み渡りになった。2月に入ると、3月の桃の季節を迎えるだろう。

足橇足橇(凍み渡りの魚沼)