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津波とそのエネルギー

はじめに(3月20日) 

津波の恐ろしさは海岸に到達した波が陸の奥まで、すべてを押し流して襲い掛かることにある。東日本大震災(2011年3月11日)から9年が過ぎた。その巨大な津波が日常生活を破壊し、多くの命を奪い、忘れ得ぬ悲しみを残した。今回改めて、今まで津波現象の伝播エネルギーの計算をしてきたが、修正しなければ成らないことに気付いた。その点を含めて、過去の記事を確認しながら、改めて計算根拠を含めて提起する。

津波の原因

先日、9年前の津波災害の検証の放送がNHKスペシャルであった。今でも、その東日本大震災における津波の仕組みについての専門家の解釈は変わっていない。当時ツイッターで頻りに、海溝に陥没あるいは亀裂が出来ていないか調査してほしいつぶやいた。予測通り、海洋開発機構の『しんかい6500』が観測結果を提供された。2011/08/16に震源域の深海底に亀裂 『有人潜水調査船 しんかい6500』 でYouTube に調査結果が示されている。その亀裂は2006年の調査時には無かった海底亀裂が新しく出来たものだと言う話である。予測が的中した調査結果である。地震・津波発生の原因 (2014/06/15) にその亀裂を載せさせて頂いた。当時から、地震・津波の専門家の解説は歪解放の陸側の地殻の跳ね上がり現象が原因との話だ。

専門家の津波原因説 専門家の津波の原因としての解釈を図に描いた。全く理解できない疑問を3点挙げた。残念ながら、専門家による組織、政府機関である気象庁のホームページ記事の解説記事は間違っている。それが筆者だけの捉え方なら止むを得ない。

3点目に挙げた事。太平洋側に跳ね上がる事で、何故陸側に津波が到来することになるのか。太平洋側にしか伝播しないように思える。津波の波長は数㎞から数百㎞にも成るらしい。そんな長さの波を跳ね起こし、しかも跳ねた方向と逆向きに巨大津波を発生させるという力の運動力学的論理が全く見えないのだ。数百㎞の津波波長を大陸側の岩盤が跳ねると解釈する論理性が見えないのだ。それほどの長時間跳ね続ける等無理であると思うが、もしそのような事が起きると考えるなら、その論理的な説得力のある理屈を示すべきと思う。

専門家の津波解釈が理解できない根拠

津波前の急激な引き波―専門家に問う― (2019/06/26) がその根拠である。この引き波についても、気象庁の解説は、その事実を間違いとして否定している。2004年12月26日スマトラ沖での津波災害も、遠い海岸での海岸線の津波前引き波で、遠浅の海底が干上がり、魚が跳ねていた。その後に巨大津波が押し寄せたテレビ映像を見た。その津波前の引き波現象を専門家はどのように解釈するのか?その引き波現象について今まで、専門家が説明している事を知らない。

専門家は津波伝播エネルギー量の計算とその根拠を示して欲しい。

筆者の解釈 津波伝播エネルギーとは?

津波の現象について独自に考えた結果を提唱する。津波エネルギーの本質は何か。津波は海水面の上に高い階段状の衝撃波頭を持った長い波尾長の減衰波形で観測される。波尾長の長さが数百㎞に及ぶものもあるという。その津波が沿岸部に到達し、災害の津波として上陸する伝播エネルギーを如何なる現象と捉え、その『エネルギー』をどの様な力学的現象による量と認識するか。どのような理論的根拠を捉え、計算するのか。そのエネルギー量を計算するには、基本的には普通の水面波の波動現象をどの様なエネルギー量で捉えるかに掛かっている。水面波を物理学でエネルギー波と捉えていないところに最大の教育上の問題がある。『エネルギー』なしに波は発生せず、伝播もしない。すべて波は『エネルギー』の縦波であるから。波を観たら、それは『エネルギー』の伝播現象と先ず感覚的に理解しなければならない。その『エネルギー』を認識できるかに掛かっている。その『エネルギー』の水中分布を捉えられるか。津波が海岸部に襲来すると、津波伝播速度が遅くなる。その理由を海水の深さが浅くなるからと解説されている。その訳を式で説明されているが、何故そのような式で解釈できるかの理由が示されていない。その解釈には『エネルギー』の意味が全く考慮されていないから、その式が本質的な自然現象としての認識を伝える意味をなしているとは理解できない。津波の速度が結果的に深さに関係すると見える訳は、海洋伝播時の水の移動しない圧力エネルギー波(ほぼ200[m/s])が、水の流れる運動エネルギー波および水を持ち上げる位置エネルギー波に変わり、地形に従った止むを得ない『エネルギー保存則』によって起きる、エネルギー変換による速度変化の結果なのである。質量の流れない圧力エネルギーが水の質量の流れとしての運動エネルギーおよび位置エネルギーへの『エネルギー保存則』に基づく変換をするから速度が変化するのである。基本的に、津波の速度は深さには関係しない。その『エネルギー』の空間像を認識して、はじめて波の物理的意味が分かる筈だ。その上でその津波の『エネルギー』を数式でどのように表現するかであろう。残念ながら、津波エネルギーの計算根拠が示されていないように思う。

図1.Water pressure

海洋を伝播する津波波形は図のように描けよう。海面には大気圧poが掛かっているが、それをここでは考慮する必要はない。津波波形は波頭で急激に立ち上がり、階段波の長い波尾を引いたものとなろう。津波は図の h(m) の波の高い部分がその物理現象の原因となる。津波の意味を知るには、この部分の水圧が平常の海の水圧に付加されることによって、どの様な『エネルギー』の作用が生じるかを知ることが必要である。また大事な事は、津波は図のような波の水は即ち水の質量は少しも流れないという事である。津波の海洋を伝播する時の『エネルギー』は水の『運動エネルギー』ではないという事を知らなければならない。水圧の『圧力エネルギー』であるという事が普通の水力学での現象と異なることを津波現象の本質と知らなければならない。必ず津波はその波頭部の直前の海水面が低くなる。その意味はその直前の海水を只高く引き上げて、津波の波高値を保つのである。その水は流れないで、高く押し上げられ徐々に波高に従って高さが下がるだけである。この意味は普通の水面に現れる波が流れないで、只水面の上下する現象と同じことで津波を理解すればよい。津波の水も津波の進行方向には流れず、只上下するだけである。海岸で海水が流れ込み、陸に上陸したとき災害になる。それは海洋を伝播する津波の『圧力エネルギー』が海底の深さが浅くなると津波の『圧力エネルギー』を保存できなくなるから、水の『運動エネルギー』と水位の上昇での『位置エネルギー』に変換する現象によって、普通の水力学の状況になるのである。この『エネルギー保存則』の物理学理論を理解していれば、津波が「これ程高い所に来るとは理解できない」などと訝しく思う筈はないのだ。普通の『エネルギー保存則』の物理的変換現象なのである。

図2.伝播エネルギー

この伝播エネルギーの計算法で今までの解釈を修正しなければならない。津波によって生じる圧力エネルギーの災害を生じる『伝播エネルギー』は当然平常時に保有する海底までの圧力エネルギーとは異なる。津波の波高 h[m] の単位面積当たりの水中の圧力エネルギーは上の図の(5) 式となる。その津波波形の圧力は p[N/㎡] (図1.の(1)式)および『エネルギー』は(1/2)ρgh^2^ [J]  (5)式となる。津波に依る水圧増加分 p が海底まで掛かって影響する。結局全水圧の『エネルギー』から津波の無い平常時の圧力『エネルギー』を引いた分が津波の災害を引き起こす『伝播エネルギー』となる。その(6)式の『伝播エネルギー』 Et [J/㎡] が沿岸部に到達して上陸する災害の基となる『エネルギー』量である。単位面積当たりの量であるから、それの波全体に広がった『エネルギー』が伝播する。

図3.津波波動関数

地震震源地点の海底に津波の発生原因がある。その津波を引き起こす地殻のどの様な現象が津波の原因となるかの捉え方が問題である。それは次の問題として、津波が発生した波動を関数式に表現してみた。発生点を座標の原点 O とする。津波の波頭がO点から伝播し、その後の時間 t[s] 経過後の位置 x[m] 点の津波波高値 y=h(t,x) は(9)式で表す。津波の規模はその波頭の高さと波尾長で決まると観てもよかろう。波頭値を H[m] とした。津波速度は海洋では V=200[m/s] の一定値と解釈して良かろう。基本的には津波も水中の圧力波の縦波伝播現象である。関連して、水中の音の伝播速度は1500[m/s]のようだ。空気中の音の伝播速度もほぼ 331[m/s] 程度と言う。音の伝播現象も水中であれ、空気中であれ、それらはすべて圧力密度波『エネルギー』の縦波伝播現象である。ただ津波の圧力伝播速度が音の伝播速度に比して7分の1ほどの速度となる。その訳・理由は分からないが、『謎』として意識しておきたい。津波の伝播速度は一定値Vとして表現した。波長を L[m] とし、波尾長が一定の勾配 α=H/Lで減衰すると仮定した。(10)式は位置座標 x の範囲を示す。津波の規模は海底の発生源の広さ、亀裂の長さとその規模に依ろうが、またその結果が現れる波頭値 H と波尾長 L によって決まろう。

関数式と『伝播エネルギー』。

波頭の最大波高値 H から波尾の各波高値 h(t,x) に対して、図2.の(6)式から海底の深度 D との関係で『伝播エネルギー』は求まる。しかし、この値は実際には少し異なる。『伝播エネルギー』は本当は震源地点の海底深度で『エネルギー』の量は決まる。その『エネルギー』が伝播する途中で、海底深度が変化すれば、その『伝播エネルギー』は『エネルギー保存則』によって位置あるいは速度の『エネルギー』に変換される分が生じる。浅い川で水の流れを見ても、石等の上を流れるとき水面が上下したり早くなる様子が見える筈。飛行機の揚力と空気の流れと似た現象だ。流体は基本的に、圧力と速度の『エネルギー』変換現象の基にある筈だ。大事な事は水や空気の空間に在る『エネルギー』の諸現象をどの様に認識するかに掛かっていよう。物理現象で最も大切な事は空間の『エネルギー』の諸相をどう認識するかではなかろうか。このような解釈は、電気回路現象の中の『エネルギー』の意味の解釈から感覚的に捉える見方であるかも知れない。電気コイルの中の空間にインダクタンスと言う前に、『エネルギー』が存在していると認識することからの解釈であろう。『電流』や『電荷』あるいは『電子』の電気技術概念の前に『エネルギー』が有るのだ。

津波と波源 津波は波源から離れた海岸部に襲い掛かる水の自然現象の一つである。津波は地震に伴って起きる海底の地殻の陥没や亀裂を原因として、深海に掛かる水圧と突発的真空空間出現との関係に伴う水力学的自然現象である。地球の自然的活動の一つの姿でしかない。特に複雑な地殻の狭間にある日本列島は常にその脅威に晒されている運命にある。歪解消の地殻の跳ね上がりで、数百kmの波長の津波が発生するとは考えられない。海底亀裂や陥没による空間の出現とその高水圧との水力学による海水の引き込み現象と、その引き波の周辺海域への波動伝播が広範囲からの海水引き込みを呼び起こし、巨大な海水流入が起きる。それが津波前の引き波現象の原因である。この海水流入が長ければ当然波尾長は幾らでも長くなる。道草問答(5)-津波と真空破壊力-にもその時間との関係を述べた。これらの解釈に至る過程は、すべては水の中に潜って水の慣性や水圧などの感覚的認識が基になっているかも知れない。

東日本大震災時の『しんかい6500』の海底亀裂観測結果について。

しんかい6500によって海底亀裂が報告された。特に亀裂が北の方で、深さ5331mと言えば巨大な水圧であり、地震の震度が5程度であっても此の水圧からすれば、巨大津波になった理由として不思議ではない。NHKのスペシャルを見ての感想。

また、海溝が日本列島に平行に走っているから、亀裂がその海溝に沿って発生すれば津波は太平洋沿岸に平行な波頭の津波として襲い掛かると考えられる。その津波の威力は衰えずに沿岸部まで到達することになる。海底亀裂の恐ろしさである。しかしその亀裂に関する観測結果が津波との関係で捉えられていない点で、とても不思議である。

津波と速度。津波の速度には水が流れる速度と水が流れない『伝播エネルギー』の速度と様々なものがある。津波とその速度 (2020/3/27) にまとめてみた。海洋伝播する『伝播エネルギー』の速度は200[m/s] の高速度で、深さにはほとんど無関係と見做す。

海岸に上陸し、直接災害をもたらす津波の速度は一概に幾らとは決まらない。海洋を伝播してきた『エネルギー』の総量と到達海岸の地形によって『速度』も「到達高さ」も決まるものである。

まとめ

災害を及ぼす津波波動は陸に上陸した海水の流れる波である。その津波の高さと災害の脅威は海洋を伝播する津波波形のただ高さだけでは理解できない。防潮堤の高さがどのような意味を持つかを理解するには海洋の津波の『伝播エネルギー』を理解する必要が有る。海岸部に到来する津波の速度などの計算式は別に考えたい。

関連記事。エネルギーで見る世界―津波― (2011/3/27) 。 大津波の発生原因を探る (2011/4/18)。 津波を(tsunami)解剖する(2012/2/13)。 道草問答(5)津波と真空破壊力 (2012/12/20) 。 道草問答(7)水圧と水頭 (2013/5/6)。津波と圧力水頭 (2018/5/1)。 津波前の急激な引き波―専門家に問う―(2019/6/25)。

津波とその速度

はじめに(2020/3/27)。津波の伝播エネルギーを計算した。その記事を書きながら、「津波の速度」の意味が曖昧に思える。元々津波の物理現象の捉え方が曖昧だからと思う。基本的に津波も、普通の水の水面波と同じく水の移動はない。水は流れず、津波の圧力波が海洋を伝播する現象である。津波は陸に上陸したとき水が流れ込む。その陸上を襲い掛かる津波の速度と海洋を伝播する津波の速度さらに津波波源の状況の速度と、津波の速度という速さにはいろいろある。その意味でまとめておきたい。
巨大津波の原因。
海底亀裂による真空空間の発生。津波(tsunami)を解剖する (2012/2/13)。で指摘した。その絵図を載せる。

 

海底亀裂の図。大陸側の地殻の跳ね上がりが津波の原因と言うのが専門家の解釈である。しかし「しんかい6500」の2011年8月の海底調査結果は海底に亀裂が新たに発生したことを示している。

 

 

海底亀裂による津波発生のメカニズム。

突然海底の高水圧の処に空間が出来る。それがどのような物理的意味を持つかはだれでも想像できよう。地球の寝返り程度の日常の活動であっても、その空間は人が作り出せる空間ではない。ほぼ真空状態とも思える空間が高圧『エネルギー』の欠損空間として出現するのだ。強烈な海水の吸い込み現象が起きる。水は一体的な慣性体と見做せよう。その吸引力は波動として、その津波源から周辺海域に伝播する。どこまでも海水を引き寄せる波動が伝わる。それが海岸線に現れる、津波前の引き波現象である。津波の波源に寄せる海水が高く競り上がり、その海水が周辺に広がり津波の本体となる。巨大津波の発生原因はあくまでも海水が広い水域から寄せる海水の量で決まると解釈する。その原因が海底亀裂である。【不可解】この絵図は2012年に「メディア」に保存したはずであるが、消えてなくなっていた。何故この図が消えたのか不可解である。ブログに問題があったのか? 津波(tsunami)を解剖する (2012/2/13) の図。この図の津波の速度 V=200[m/s]は海洋の深さには余り関わりなく、ほぼ一定の伝播速度と解釈する。その訳はチリ地震による津波伝播速度を基に解釈した。チリ地震。1960年(昭和35年5月23日午前4時過ぎ‐日本時間‐)M 9.5 の津波が日本の東海岸に時速750km(秒速208.3m)で到達し、犠牲者142名を出した。その伝播速度は海洋津波伝播速度と解釈して良かろうと考えた。なお2010年2月27日にもチリ中部地震、M8.8が起きた。ペルー・チリ海溝の深さはおよそ8000mにもなる様だ。その海底の単位㎥当たりの『圧力エネルギー』は水圧と単位体積の積で、ボイルの法則により E= ρgD = 78.4 ×10^3^[J]となる。亀裂の体積とその発生時間微分が津波の規模を決めると解釈する。

津波の速度模擬実験。

津波は上陸した災害をもたらす恐ろしい水の流れで意識する。それは確かに水が流れて災害を起こす。だから津波は水の流れる現象と理解する。しかし、津波の本質は海洋を伝播する『圧力エネルギー』が持っている。その海洋を伝播する物理的実体は何か。物理学で、普段の水面波をどのように教えているか?その伝播する物理的実体を何だと解釈しているかである。教科書を開いても、そこには『エネルギー』という意味はどこにも見えない。その波の教育で、津波を理解できる訳がない。津波が恐ろしいのはその伝播して陸に上陸する海洋の『エネルギー』の規模なのである。普通に目にする水面波は水は流れずに、水面が上下するだけの波動で伝播する。その波動の物理的実体は何か?を知らなければ津波の意味は分からない。津波の意味を理解するための実験を思いついた。その試してみたい実験が図の装置によるものである。ダムの水位Hとして、水路の深さをその何(n)倍にすれば良いかは不明だ。

普通の水力学の実験とは全く違う。今までの水力学の実験で行われる水路の水の現象では解明できない津波の現象である。物理学は空間の『エネルギー』の物理的実体を認識しておらず、力学の対象にしていない。津波は深い海水の表面に現れた波の階段波である。深くて長い水路(A)に水の貯水ダム(B)を準備する。突然(B) の扉を跳ね上げる。水路(A)に水が流れ込む。水の上の水はどのような流れとなるか。初めは水路の水の中に流れ込む。水は区別がつかない同じ水になる。しかしその流れ込んだ『エネルギー』は消えない。ダム(B)内の水は水路(A)の水より位置が高いだけ、多い位置の『エネルギー』を保有している。その『エネルギー』は水路に流れ込んでも『エネルギーの保存則』の原理の基に残される。その流れる水の中に保存された『エネルギー』が、どれ程の距離Rを進んで津波の波動となるかは分からない。実験的に確認しなければ分からない。しかし必ず津波の波動となり、水の流れない『圧力エネルギー』の伝播現象となる。水が実際に流れない波は水の質量の『運動エネルギー』とは認識できない。この水の質量の流れを伴わない波を物理学では『エネルギー』の流れと認識しないようだ。水力発電所の『位置エネルギー』の利用と言う概念も、実際に水が流れる事で利用できるものであるから、質量の運動として認識できるものである。しかし、津波の伝播する『エネルギー』は質量に相当する水の流れが無く、物理学の『エネルギー』の概念には馴染まないものであろう。この津波の水の流れない伝播速度 V がここで問題にする『速度』である。

津波の速度。

大まか四つの速度に分けられよう。津波の波源に流れ込む海水流の速度。これは実際に水が流れ込む普通の速度である。それは水の質量が流れ込む。二つ目は、津波源から流入海水が流れだす現象の速度。三つめは所謂津波の速度Vである。この速度Vが海洋を伝播する速度である。ここでの解釈の主眼の速度である。四つ目は海岸に到達し、災害となる、上陸する水の流れる速度である。この速度は『エネルギー』が運動速度の『エネルギー』に変換されて上陸する。その『エネルギー』が流れを塞き止められれば、高く位置の『エネルギー』に変換されて想像以上の恐ろしい高さまで駆け上る津波の水となる。津波の高さという意味は、海洋を伝播する階段波の高さとは全く関係が無いと言ってもよい。災害として防潮堤を乗り越える津波の高さは防潮堤で遮る事が出来ない意味を持った高さだという事を知らなければならない。それは海洋を伝播する『圧力エネルギー』の総『エネルギー』量に掛かっているのだ。津波の波尾長の長さも『エネルギー』量になる。その総量が災害の上陸津波の恐ろしさを持っている。

津波(tsunami)を解剖する (2012/2/13)。エネルギーで見る世界―津波― (2011/3/27)。

質量とMassの間に

はじめに(2019/12/22)
文字は心の表現文化だ。世界を知り、その意味を読み解き、その捉えた象形・認識を広く共通理解するための表現手段が文字になる。科学の世界を語ろうとすれば、そこにはその専門用語が揃っている。電気工学から電気磁気学の『エネルギー』概念に思いが移り、その中に見え隠れする自然の神髄に辿り着こうとしても、『エネルギー』からの隔たりに長く戸惑いを覚えてきた。電気と言えば、『エネルギー』より大昔から『電荷』がその中心に居座っていたように思うが、最近はその『電荷』での科学論が虚しくさえ思える。伝統的科学理論を支えて来た基礎概念と用語が余りにも狭い専門領域内でしかその役割を果たせなくなっていると思うようになった。質量も科学論・物理学はじめすべての分野の基礎概念と理解されている。しかしその質量と言う用語で捉える物も、原子、分子あるいは電子から構成されていると言われまたそこから光が放射される現象を考えれば、質量から光のエネルギーが何故放射されるかと考えてしまう。天空にきらめく星の光は何故放たれるのか。質量から放射されるのかと?そんなとりとめもない不思議から質量とMassに思いが移った。

自然と科学概念

自然はそこに表現する姿象が余りにも豊穣で、科学論で語り掛けて近付こうとしても、なかなか寄せ付けてくれない。数式でその意味を表現しようと試みても、きっと巨像の尻尾程度しか理解できないのだろう。

質量(Situryou)とMass 質量と言う日本語訳の原語はMassであろう。日本語と言っても、それは中国文明の恩恵を受けたものである。Massを質量と翻訳した明治時代(?)の先人の叡智には感嘆せざるを得ない。この点について筆者は、この訳語『質量』が元々中国で翻訳されていたのか、あるいは中国では他の訳語が使われているのかどうかも知らない。さて、科学技術文明は基本的には西洋思想の叡智が育んだものであると言えよう。あらゆる科学技術用語もその思想の中から生まれたものである。その西洋世界の文明の姿の基本はやはりその表現用語の文字に在ろう。アルファベットと言う26文字の組み合わせから表現され、構築された概念である。古代中国の生み出した漢字文化とは大きく異なったものである。グローバル化の時代に取り残された筆者には、過去の宝探しに現を抜かせば『質量とMass』の関係性の不思議に思い当たる。やはり漢字の『質量』にその意味を尋ねてみたくなる。そこには東洋思想の匂いがする。物には言葉が付きそう。言葉は人の心を表す。心は人の日常意識の在処である。文字は心の表現手段。中国文明の流れる東洋思想には物の空間における具象認識がその根底に在ると観る。象形で理解する。それは具象性を求める。それに対してMass には具象性に変わって抽象性の心が見える。26文字での表現には、科学技術文明を生み育てた抽象概念構築の途轍もない叡智が感じられる。『エネルギー』の流れる現象を『電圧・電流』と言うとても高度な抽象概念に依って捉える手法を生み出したのだから。

漢字の意味に遊び心を重ねてみよう。古代の隷書体には漢字に込めた中国の哲人の思いが観える。物・世界を見る人の認識の象が表れている。

『質』の字:貝に鉞(マサカリ)が二つ。この隷書体と遊び心を繋げれば、貝塚までもなく、巨大な貝を食料としていた遥か彼方の人類の営みが想像されて来る。とても固くて巨大な貝との格闘が見えてくる。切り開く困難に鉞の字が当てはめられた心が読み取れる。

『量』の字:計る道具の現代のバネ秤の構造に似ている。量るという意味が良く表されている。

『質量』に翻訳した心。『質』と『量』の二文字を組み合わせた『Mass』の訳語をどのように決めたかを考えれば、その先人の文明開化への情熱の高まりまでも読み取れる気がする。道端の石ころ一つにも、その石は初めから石ではなかった。地上の石は遥か昔の太陽の光が創り上げた遺跡ともみられる。どんな変遷を経て石になったか知ることも出来ない。質量と言う用語の如何にも固い形の物の概念を言い表しているかを思えば、そこに有っただろう具象性が心に響く。

鉞。この漢字は鉄金属で出来た比較的新しい(紀元前の話であるが)マサカリ。右の旁(ツクリ)がマサカリの意味だ。「新」の字の偏(ヘン)は多分巨木の梢に立って新たな道を切り開く程度の意味で、その時には必ず「マサカリ」で邪魔な物を切り捨てる必要があり、それが旁の「マサカリ」であるのだろう。そして初めて漢字に込めた「新」の新しい意味となると考えて観たい。「断」の字も複雑に繋がる糸の偏の字を何かやはり「マサカリ」で絶つような意味なのかと考えたい。このように『質量』の用語を考えても、そこに込められた先人の思い、世界に対する心構えを思い描けるような気がする。その思想にはやはり世界観の特徴として「具象性」の際立ちが観える。それに対して『Mass』には「具象性」は見えない。

言語と東西文化。

日本語と西洋言語では同じ対象を表現するとき、当然その意識の根底には幾らかの対象への異なる心象が有るのだろう。西洋思想と文明に際立っていると思えることは、やはり26文字によって世界を理解する言語感覚にあり、その表現能力に抽象的な認識において卓越性が有ると言えよう。そこに観えるものは対象に具体的な漢字一文字を当てて認識する具象的な東洋との違いであろう。具象性より抽象性において優れた象形認識力が強いと考えたい。そこに科学技術による世界の自然開拓・開発の論理構築力が発揮されたのかと思えば、世界認識手法における文字の意味さえ不思議な対象となる。自然科学理論が自然を利用する活用技術の統一的構築に西洋思想の意識の基でこそ初めて成されたのかという思いがする。それに対して、無限の漢字数によって自然世界を具象的に認識する思想の中に『無』とか『道』あるいは『空』の概念で捉える統一的自然認識との意識の融合が東洋思想の特徴かもしれない。自然との一体感に「老子」の自然哲学が大きく影響してきたとも思える。

質量とエネルギー

質量が如何にも固い物に思えても、質量が世界構成の根源でないことはみんな知っていよう。また質量が原子・分子から構成されているという意味も理解し、みんな納得しているだろう。その原子は周期律表にまとめられているように、とても多くの特徴を持ったものに分類されている。原子には核と言う中心領域がその周辺とは異なる存在になっているようでもある。周りが電子で取り囲まれているように言われている。原子の特性は核分裂以外はその周辺の電子が担っているような原子構造論で常識化されているような印象を受けている。そこで、『質量』や『電子』あるいは『電荷』と日本語によって認識する科学基礎概念は西洋思想によって構築された概念であることを再確認したとき、その概念に対峙する対象の捉え方が同じものなのだろうかと考えさせられるものがある。そう思うのは筆者だけなのだろうか。今まで科学概念は世界共通の理解にあった。『電子』や『電荷』の物理概念や物理量が何故具象性によって認識する東洋思想の中にすんなりと受け入れられてきたのか不思議である。それ等の空間像をどのように描くのか。空間に存在するものならば、その空間の占有像が描かれなければ存在するとは認識できないのが東洋的具象意識ではなかったのか。其処に欠けていたのが『エネルギー』だったのではないか。熱も光も『質量』もみんな『エネルギー』の具象像ではないか。『エネルギー』を構成する、それ以上の根源量はない。物理学理論における『エネルギー』が的確に認識されていると思えないところに現代的科学論の課題が有ると思う。水の波を『エネルギー』で理解することが日常生活に根差した理科教育の要である。

 

霰の中に咲くサツキ

今年も師走に入って間もなく暮れる。霰が降る中にサツキが咲く。

このサツキは今咲いてほしくない。狂い咲きだから。植物は地球環境の生命存続の可否を示すバロメーターだから。日本の季節感の四季もなくなり、里山の棚田の日本の風景も消え去る予感が重なってくる。科学技術の経済競争が人をして都市型の過酷な労働環境と生活苦に押しやる。今年の夏に、紅葉の葉が太陽光線で焼け焦げて、枯葉となって哀れな姿をさらしていた。しかし来年の春にはまたその枝先にも新芽の葉が生い茂ることだろう。

振り返れば、今年の夏は猛暑であった。水害被害で生活の危機を認識した。今年は日中も耐えられずにクーラーを使った。去年までは田畑からの風を頼りに、何とか我慢して夕食時ぐらいに使って済ませた。今年は田の稲も酷暑(フェーン現象:水蒸気の水分だけ除いた高温度の熱エネルギーの山越えの風)で実りが悪かったようだ。クーラーは科学技術の賜物と酷暑を避ける電気製品の代表格である。クーラーに関わる『エネルギー』論はほとんど科学者からは発せられない。巨大なビルの中で酷暑の夏を過ごすにはもうクーラーが欠かせない。気温が高まれば、気中の水蒸気量はどんどん増加する。室内から外に水分と熱エネルギーを吐き出し、外気温度を高める。人も熱中症状で危機にさらされる。どんなに貧しくてもクーラーを使わないで過ごす人の生活環境を取り戻すべく、その役割が政治の基本目標でなければならない。雷が水蒸気の保有熱量(それが『エネルギー』だ)によって起きる現象だという科学認識が無ければならない。水蒸気が太陽光線に対して「レンズ効果」を果す。地球環境は命の水が支配している。原子力発電は生存の危機をもたらす人の制御能力を超えた巨大科学技術システムだ。避難訓練を人に強要する科学技術はそれだけで制御不可能を証明している。そんな化け物が生活の場に有ってはならない。そんな科学技術は地震・津波の自然現象とは次元の異なる話だ。

原子力発電の熱の行方 (2011/04/17) 、雷は熱爆発 (2014/05/23) 、フェーン現象の解剖 (2018/06/17)。

燃料はエネルギーに非ず

科学者に『エネルギー』の定義を問う。
『エネルギー』を検索すると、化石燃料や原子力発電所あるいは再生エネルギーなど様々な内容が挙がる。
『エネルギー』の定義を述べてください。
何故燃料がエネルギーなのか?石油も石炭も決して『エネルギー』ではない。それは『エネルギー』を作り出す原料でしかない。

(2020/01/08)追記。『エネルギー』とは物理的に単位はジュール[J]であろう。燃料の単位はキログラム[kg]や体積ガロン[gal]で計量するものであれば、それは『エネルギー』ではない筈だ。あくまでも『エネルギー』を生み出す化石燃料である。ウラン鉱石も同じである。化石燃料を消費して、熱エネルギーを発生させ、その熱エネルギー量で過熱水蒸気の保有エネルギー量に変換して、次に発電機の回転動力源として蒸気タービンの回転エネルギーに変換する。その蒸気タービンで断熱膨張をして仕事をした残りの水蒸気はまだとても多くの熱エネルギーを保有したまま蒸気タービンから放出される。その蒸気タービンを効率よく回すには、タービン出口の水蒸気圧力を低気圧状態にする必要が有る。そのためタービン出口に水蒸気体積を急激に圧縮するための冷却装置が必要である。その冷却装置を『復水器』と呼ぶ。その『復水器』は海水を冷却材として水蒸気の熱エネルギーを吸収しなければならない。その冷却装置の『復水器』が吸収する熱エネルギー量がボイラーで燃料を燃焼して得た熱エネルギー量の半分以上となる。それは結局海を加熱するために無駄に放出しなければならない発電の熱エネルギーサイクルの宿命なのである。結局発電熱効率は40数%にしかならないのである。核ウランや重油、石炭を燃焼して得た熱エネルギー量ジュール[J]の40数%しか有効に利用できないのである。燃焼熱エネルギー量の50%以上は海の加熱エネルギー量となっているのである。水蒸気の熱サイクルの技術的発電機能は電力エネルギーを消費する我々が知っていなければならない基本知識なのである。水蒸気機関による発電システムの宿命なのである。燃料の保有する熱エネルギー量の40数%しか有効な電力エネルギーを作れないことが科学リテラシーとしての現代社会に生きる人の基本的認識に無ければならないことである。地球温暖化に果たす悪い基本的原因が海水温の上昇であることを知らなければ地球温暖化の論議ができない筈である。『エネルギー』の何たるかを知らなければならない。地球温暖化の原因が海を加熱する発電システムにあることを知らなければならない。『エネルギー』は物理的単位がジュール[J]の意味である。またよくエネルギー研究所などと使われているから、それも誤解の原因かもしれない。エネルギー源材料とか資源とかの意味に『エネルギー』と言う用語が使われているのは物理的『エネルギー』の意味が曖昧になっている原因かもしれない。そんなことでエネルギー像(物理学基礎論)も参考にしていただければ。更に追記。丁度発電所蒸気機関の『復水器』の働きは、気象の上空の寒気が地上の水蒸気の熱エネルギーを冷却して、水蒸気体積を減縮させ急激な地上低気圧を発生させ、竜巻や台風を起こす機構と同じ意味で解釈すればよかろう。

(2020/01/23)追記。地球温暖化原因が海水温度にあると考える。関連記事、地球温暖化と海水温 (2015/05/21) および、地球温暖化原因・CO2説は嘘だ (2014/07/29) 。

『エネルギー』の物理的概念がないから世界の認識が曖昧なのだ。
地球温暖化を論議するに、『エネルギー』の物理的定義が無くて、そこにどのような有意義な未来構想を構築することが可能だと言えるのか。
0.04%の二酸化炭素が何故この異常気象の温暖化の原因だなどと言っておられるのか?海水温度の上昇の地球規模の熱エネルギー量・ジュール量を計算してほしい。太陽熱が云々などという非科学的業界論に支配されてはいけない。

『エネルギー』の物理学的定義を明確にすることから始めてください。決して燃料は『エネルギー』ではありません。『エネルギー』の発生源材料でしかありません。

「高電圧」のエネルギ-像

(2019/11/08)追記。ボードに「高電圧にするのは何故だろう」とお尋ねがある。それは電線路の送電電力規模、伝送エネルギーレベルが電圧の2乗に比例して拡大するからだ。今も、何故高電圧にするのかと疑問が表示される。多分この記事に関係していると思う。電圧は金属導体の間の空間に存在する『エネルギー』の密度の規模を評価する科学技術計測量である。空間に光速度で流れる『エネルギー』量しか自然現象には無い。電圧とは、金属導体(電線や金属平板)で囲まれた空間の静電容量C[F/m]とエネルギー線路分布密度量E[J/m]との間の関係を電圧v = (E/C)^1/2^ [V] と技術評価量で捉えたものである。高電圧にするわけは、そのエネルギー流の検出法としてマグネットによる手法がある。マグネットもその周辺は『エネルギー』の回転流でその自然の本質を示している。電界とか磁界と言う科学技術概念も、『エネルギー流』一つの実在物理量の評価手法でしかないのだ。空間の『エネルギー』をマグネットで検出するには地磁気との関係で考えなければならないから、高電圧でないと地磁気の影響で検出ができないからである。またこの時のマグネットは、油入りなどマグネット自体がもので囲まれた状態ではうまくない。『静電界は磁界を伴う』の実験の解釈に関わることであるので、少し追記した(2019/11/12)。

電気技術概念「電圧」の物理的描像をどのように認識するか。それは電気工学でも理論物理学でも、普通に脳裏に浮かぶ像は多分「電荷」との関係であろう。超高圧送電系統によってエネルギー供給網が張り巡らされている。大電力送電には高電圧は欠かせない。それらの送電線路の高電圧は変圧器によって構成される。変圧器の電圧発生原理を「電荷」で解釈する意味で関連付けることには無理があろう。変圧器の巻き線で電荷を分離するなど考えないだろう。それではその伝線路の高電圧は何によってその電圧値が決まるのか。変圧器の電圧はファラディーの法則で理論づけられる。変圧器から離れた遠い線路の電線間に生じる電圧は『電荷』が原因でないとしたら何が造るものか。もう電子の流れなどでは電圧の物理的意味を説明できないと思う。電線導体の間の空間に何かが存在するからと解釈しなければならない筈だ。その何かがエネルギーだ。

高電圧工学とエネルギー

高電圧工学の研究対象は電力送電系統の保守管理がその大きな主題になっていたと思う。その一つは雷からの保護対策であった。送電線路の鉄塔の天頂には雷撃から守るため、アース線が張られている。高電圧試験は衝撃電圧発生装置によって絶縁碍子の絶縁性能の向上などが図られる。その雷の原因はやはり『電荷』によって発生するとの理論的解釈が専門的科学常識となっている。高電圧による火花放電は雷の稲妻のように激しい閃光を伴う。その火花は『電荷』のプラスとマイナスの間の現象で発生すると解釈される。しかしプラスとマイナスの電荷が衝突すると、何が光に変換するのかの物理的明快な認識はない筈だ。電荷は消え去るのか、何処かに隠れるのかも分からないはずだ。『電荷』の物理的像が誰も示せないのではないか。物理的実在性が示せないで、なぜその現象に論理性があるといえるのだろうか。高電圧工学では、平板電極と針電極がその試験に使われる。火花放電やコロナ特性が調べられる。その電極間の電界が『電荷』によって決まると認識されているが、それは空間のエネルギー流によるのだと解釈するべき現象なのだ。その様子を図で示したい。

電極間とエネルギー流 この様子はすでに前に図に示してあった。極性とエネルギ―流。ハミルトンの風車からエネルギーを観る (2017/11/09) の記事での図である。負極性のハミルトンの風車は正極性のものより力強く回転する。先端から強いエネルギ―が放射されるからである。その意味を高電圧工学では、『電荷』による高電界での空気絶縁破壊現象として、それをコロナという。コロナは余り流れるという感覚では捉えないだろう。しかしエネルギーの流れとなれば、見方を変えなければならない。高電圧工学の実験で、針電極対平板電極あるいは平板電極対平板電極などの空間構造でその場の電界と放電の関係などを試験する。その空間に磁界が存在するとは全く考えていなかった。『静電界は磁界を伴う』という実験報告で示したように、電磁場はエネルギーの流れであったのだ。上の図に示したように、負極性の針電極や平板電極近傍空間はエネルギーの流れがあり、その流れにコンパスを近づけると、そのエネルギー流に対してコンパス自身も空間エネルギー流に包まれているから、その間のエネルギー流同士の近接作用力でコンパスの指示方向に影響を受ける。決して『電荷』概念では理解できない現象を呈する。また『エネルギー』の物理学的定義に、仕事をする能力という意味がある。その意味のエネルギーとは質量が持つ運動エネルギーか位置エネルギーかを想定している定義であろう。光のように空間に占めるエネルギーに対しては無意味な定義に思える。光や電気エネルギーのエネルギーという概念が十分認識されていないように思う。質量に無関係の、空間に実在する『エネルギー』の認識が欠けている。

高圧送電線路の空間エネルギー

電線路導体近傍空間にエネルギ-が分布している。決して電子や電荷が電線導体の中に存在する訳ではない。そのエネルギーがどのように分布しているかを測定することは不可能であろう。空間に流れるエネルギーを計測する計測器はなかろうから。しかし、その存在を確認できるかもしれない。2本の平行に張った導線に直流の高電圧をかける。その時導線間の空間にはエネルギーが分布している。一つの推定で、そのエネルギー模様を表現したのが右の図である。このエネルギー分布の存在を確かめることができるかも知れない。コンパスによる磁気の検出法である。コンパスは裸のものでなければならない。もともとコンパスは地磁気の方向を向く。平行導線を北と南の方向に揃える。その時マイナス側の導線近傍に図のようなエネルギー流が存在すると考えた。プラス側の導線近傍にはほとんどエネルギー分布は無かろう。マイナス側のエネルギー流には軸性エネルギー流の磁気性がある。東側は地磁気と逆で、西側が地磁気を強める方向にあろう。東と西でコンパスの指示方向に差が出るかどうか。『電荷』否定の結論が導く意味がここに在ろう。線間距離10㎝程度に3万ボルトの印加電圧でどのようになるか。こっそり実験をしてみたい。送電線路は交流電圧で交互にエネルギー分布が光速度で変化する。そのエネルギー分布流は無負荷であっても電線路間で複雑な流れとなろう。(2019/07/17)以下に少し追記。しかし、三相交流回路は不思議にも単相回路に1本の導線を加えるだけで、エネルギー変動のない安定回路となる。無負荷時の系統はコンデンサ回路となり、三相交流回路の負荷と無効電力に示したように、線間エネルギー分布はその位置で相間を循環するだけとなる。系統のエネルギー流はとても安定したものである。このような物理的電気現象を科学技術として確立した電圧、電流の計測法がいかに優れているかに驚嘆せざるを得ない。

結び 『電荷』と光の間の論理性を問う。光が雷によって発生する。もし雷がプラスとマイナスの『電荷』の間の引力によって引き起こされる現象だと言うなら、その結果の光エネルギーは『エネルギー保存則』から考えて、何が変換されてエネルギーになったのかを明確に説明しなければならない筈だ。その時電荷はどこに行くのか。電荷が光に変換されるのか。そこが物理学の要であろう。光の振動数とは何がどのように振動しているのか。光も電気もその根底には『エネルギー』でつながっている筈だ。

津波前の急激な引き波-専門家に問う-

2019/06/18 新潟・山形地震が起きた。夜の地震に緊張した。津波警報が出されたが、津波被害は無く安堵した。

専門家に問う 津波前の引き波が何故起こるか。その原因を何と解釈するか。津波前の引き波が大きければ、確実に巨大津波が襲ってくる。その訳は何が原因と解釈するか。

「津波から守りたい」多くの漁船が沖へ の見出しで、新潟日報(6月22日)の記事が有る。記事の中には、「山北支所によると、1983年の日本海中部地震や93年の北海道南西沖地震の際、津波で港内の海水が急激に引き、船が転覆しかけたケースがあったと言う。・・」とある。93年の北海道南西沖地震は自分も地震に伴う津波現象の物理的意味を意識して考えた最初の事件であった。奥尻島への津波襲来で多くの犠牲者が出た。その時地震の専門家の話で、『何故こんなに高くまで津波が押し寄せるのか?』と話すのをテレビで聞いた。その話を聞いて思った。一体専門家とは水の特性を知っているのかなと不思議であった。それが切っ掛けで、津波現象の原因を自分なりに整理して、納得した。巨大津波の原因は断層付近における海底陥没に因る海水の流れ込みであると。その流れは水の特性としての波動現象として遠い海域の範囲におよび、地震震源地まで次から次と海水が流れ込むことが起きる。その膨大な海水の流れ込みが巨大津波となって、海岸に襲いかかる現象である。

その後の津波現象の原因に関する地震専門家の学説を聞くと、みんな海洋プレートの重なり地点で長い期間に亘る『ひずみ』が蓄積し、その解放で上部の地殻が跳ねあがる現象だと解説されている。そんな馬鹿な現象であの巨大な津波現象が起きる訳など無い。2011年3月11日の東日本大震災の津波で、大陸が跳ねあがるとすれば、太平洋側に向けて跳ね上がる筈だ。波は太平洋に向かって進む津波となり、日本の太平洋側に等あれ程大きな被害を起こす訳がない。大陸の跳ね上がり現象が津波の原因と言う学説は決定的な専門家の誤解である。小学生のころから、夏は信濃川の川底の深さが解らに程の深い崖で飛び込みや泳ぎで水の慣性を肌身に感覚的に染み込ませてきた。そんな感覚から津波の原因が海水の急激な地震地点への流れ込みだと捉えた。しかも津波のエネルギーは決して海水の運動エネルギーではないのだ。沖では海水の移動する速度など持っていないのだ。圧力エネルギーが海水に乗って流れる現象であり、海水は移動しない。津波は海岸に到達して初めて海水の流れの運動エネルギーにエネルギー変換する現象なのだ。政府が東南海地震の津波の映像として示すピコピコと跳ね上がる波形は津波の姿ではない。

今回の新潟日報の記事に在る、過去の「津波前の海岸海水の急激な引き波」現象の証言は実際の津波現象の原因を如実に物語っている。漁師さんが船を沖に避難させるのは、必死の思いでの行動であろう。しかし海岸での地震は津波の危険から逃れる為には、素早く高台に逃げなければならない。船は沖に逃げれば、被害を免れる。新聞記事にも 専門家「柔軟に基準を」とあり、専門家もある程度意味を理解してきているのかとも思う。国や県「生命を優先して」は漁師さんに対しては少し違う意味があるのではないか。一般住民への意味としてはその通りであろう。漁師さんには、引き波に因る被害を避けられれば、船は沖で津波に真向かいに向かっていれば安全にやり過ごせることは確かである。時間と危険のきわどい賭けではあるが。

エネルギーで見る世界-津波- (2011/03/27) 東日本大震災の直後に記した記事である。何故かこの記事も標準的な表示と異なっている?

エネルギーとは何か

科学論としては『エネルギー論』が核となっている。ようやくその意味の全体像が捉えられるような心境に在る。そこで、改めて『エネルギーとは何か』と検索してみた。とても有益なエネルギー論考に出会った。少し古い(2009年)が、とても論理的で、よく考えられた記事の小人さんの妄想である。今まで、エネルギー(ENERUGY)とは? (2011/09/07) などをはじめとして電磁気現象の自然世界を『エネルギー』一つによって捉える論理的世界を捉えたかと思いたい心境に在る。それでも、『エネルギーとは何か』に答える助けになれればと論考を重ねる。(2019/06/15追記)また、EMANの物理学・力学・エネルギーとは何かと言う記事が有る。136万件の検索のトップに在る。この記事は所謂物理学教科書の解説に成っている標準的内容であろう。「エネルギーとは仕事をする能力」と言う定義に因って、「力×移動距離=仕事(エネルギー)」の解説に成っている。しかし、ここで考える内容はその解釈では通らないものに成っている。重力場(加速度g[m/s^2])での持ち上げる力も必ずしもf=mg[N] とは限らない。

小人さんの妄想の論考に応えたい。位置エネルギーを主題にして、重力加速度g[m/s^2]と力の関係を論じている。そこで論じられていることはその通りである。考える拠り所として、図に表した。m[kg]の質量が有る。基準からh[m]の高い位置に有れば、その物は位置エネルギー E=mgh[J] を保有していると解釈する。小人さんが論じていることは、物体を持ち上げる時重力 f1 と 持ち上げる力f2 の間に力が釣り合っていて、物体に掛る力は常にゼロではないか。それなら位置エネルギーは増加しないだろうと言うことの論理的矛盾を問うものと理解する。しかしそこのところは少し違うだろう。物 m[kg] に掛る力 f [N] はその物に生じる加速度によって捉えることが力学論の定義であろう。もし加速度  α[m/s^2^] で運動するなら、それが力の意味になる。その時は力 f [N] はゼロではない。だからと言って、小人さんが指摘した力の関係の問題に納得出来る訳ではなかろう。そこで更に問題となることが図の(※)の場合だろう。上昇速度が一定なら加速度はゼロである。従って、加速度ゼロなら力の定義からやはり力はゼロとなる。エレベーターを一定速度で上昇させた時、加速度ゼロだから力学論の定義によれば、エレベーターに掛る力はゼロとなる。力と距離の積で解釈するエネルギー即ち位置エネルギーはゼロと言うことになる。幾らなんでも、それは理屈に合わない。エレベーターを上昇させれば運転動力を使いエネルギーを消費する。エレベーターが高く上がれば、それだけエレベータは位置エネルギーを増加して保有することになる。少し付け加えて置くが、エレベーターの場合は平衡重りが掛けれれているので、重力あるいは位置エネルギー量には注意しなければならないことが有る。 それにしても加速度ゼロでの運転では、位置エネルギーの問題は小人さんの仰る通り、運動力学の理屈に合わないことは事実である。それを『力と位置エネルギーのパラドックス〈理屈と実際の間の矛盾〉問題』としておこう。

力と位置エネルギーのパラドックス問題。この問題の解釈の仕方について筆者の考え方を述べよう。地上から高くなれば、そこに在る物体は地上に落ちる時そのエネルギーを利用できることは間違いない。その物理現象は十分エネルギーの意味を説明するに役立ち、正しい。それが力学理論の『エネルギー』とは仕事をする能力として定義したことに対応した正にその意味でもある。しかし、重力に基づく位置エネルギーの増加の意味の力の概念は一般的力学理論による解釈に因る理屈で素直に受け入れられない矛盾が残る。(2019/12/31)追記。我々はただ地上に居るだけで重力加速度の支配下にある。加速度運動は勿論のこと、全く運動して居なくても「加速度」運動しているかの力を受けているとなる。一般の力学理論の「加速度」の意味とは全く異なる運動方程式の解釈を強要されているような感覚に陥る。偉大な権威付けされた物理学理論に従うべき科学論社会のパラハラを受けている様だ。運動していないのに何故加速度運動となるのか?地球の回転運動エネルギーの視点で解釈する必要が有るのではなかろうか。そこに位置エネルギーの意味も重なって明らかになって来るのだろう。地球上の座標で運動を論じるに、地球自身の運動エネルギーが関わらない訳が無かろう。

追加されるパラドックス。人が重い荷物をじっと持ち上げて居るとする。荷物を動かさないで、静止状態とする。それは仕事をしていることに成るのか?運動力学の問題になるか。力学が人の日常生活に結びついた、生きた学問となるにはどうしても『エネルギー』に視点を置いて納得できるものでなければならない筈だ。子供を負んぶしているだけで、人はエネルギーを消費し、仕事をしていることに成る。力と移動距離の積が零でもエネルギーのジュール[J]の消費に成る。この場合の力は、速度ゼロであるが、正しく重力に等しい値だ。エレベーターで、モーターに電源を繋いで回転停止の途中階で静止した状態の運転に等しかろう。モーターをロックしていないから重力に平衡した上向きの力で、運転エネルギーは消費している。法則は解釈の手法としては便利である。科学的な一律の解釈法が実際の世界の真理を示しているとは限らないことも有ると言う事を意識の片隅に認識しておくべきであろう。

結論と解答。 以上、小人さんの妄想の論考に応えたい で考えを述べた。しかし何も答えに成っていない。如何にも尤もらしい解釈をしたが、加速度と力の関係で間違いが有った。多分気付かれた方も多いと思う。何が間違っていたかの問題としてそのまま残しておく。図で再び訂正する。それは『加速度とは何か』の問題であった。重力場で、上昇力ベクトル fo  の加速度ベクトル αo [m/s^2] とする。今、質量m[kg]が地表面に対する加速度α [m/s^2] で上昇しているとする。その場の重力加速度 g [m/s^2] が高さに関係なく一定と仮定すれば、上昇力 fo [N] の加速度 αoα と更に重力加速度 g の合成加速度となる。静止した質量mを支えるだけで、重力加速度に対抗した力を掛けることに成る。その時位置エネルギーは増加しないが、力を掛けるだけでエネルギーは消費する可能性がある。mを荷台に乗せたとする、その時は荷台がエネルギーを消費するとは考えない。エレベータのモーターを機械的にロックしておけばエネルギーは消費しない。さて、速度が如何なる値でも、加速度α=0 ならfo=mg[N]で上昇するから、その力 fo と上昇距離との積の分だけ位置エネルギーは増加することに成る。従って、位置エネルギーは E= mgh [J] となる解釈に矛盾はなかった。しかし、α≠0 の時にE=mgh が成り立つかは分からない。そこには、位置エネルギーと言う概念が規準面からの高さh [m] だけで決まり、過程の状況には無関係に決まると言う意味にみえる。一つ簡単な例で確認してみよう。質量 1 [kg] の物体を1秒間だけ加速度α=0.2{m/s^2] で上昇したとする。その時の力の加速度はαo=10[m/s^2] となるから、力はfo=10[N]となる。この1秒間の上昇距離⊿hは0.1[m] だから、力との積は10[N]×0.1[m]=1[J] となる。しかし、位置エネルギーの算定は E=mg⊿h=0.98[J]となる。これは 1≠0.98[J] で等しくないから、力と距離の積に因るエネルギー量[J]の関係は成立しないことが検証される。そこに、位置エネルギーの高さ h[m] とは何か?と言う意味が持ち上がる。暗中模索式導水路。暗中模索さんに水力発電所の導水路の設計をお願いした。誠に穿った設計をなさった。途中の水流速度が複雑に変化する。速度v1の位置は水流が加速度の有る状態で、速度v2の位置では低速度の定常流に成る。ベルヌーイの定理で解釈するが、位置エネルギーはすべて規準面からの高さ h[m] だけで捉える。水の加速度や速度が如何なるかには関わりなく、ただ高さのみで位置エネルギーだけは決まることに成っている。速度エネルギーや圧力エネルギーのような相互間の変換は考慮されていない。位置エネルギーと言う物理概念も、考えればその論理性で単なる科学技術概念でしかないのかも知れないと。規準面を何処の位置とすればよいかは論理的に厳密ではない筈だ。地上5mの高さに10kgの重りのハンマーを設置し、地表から100mの深い穴に楔を打ち込むハンマーに利用する。利用するエネルギーは幾らか?しかしそのハンマーを地表面に戻すにはエネルギーがいる。差引科学技術利用エネルギーはやはり地表面を基準とした解釈に成る。さて、自然現象としての位置エネルギーを物理学理論として定義付けるには、本質的な意味で納得出来るかと言う疑問が残る。地表面に居るだけで、我々は地球の自転・公転の運動エネルギーの支配する自然環境に居ることに違いはない。折角回転運動エネルギーの意味を物理学で学んでいながら、地上高さがその回転運動エネルギーとは関わりのないものだとは解釈出来なかろう。位置エネルギーの『位置』と言う意味は、エネルギー利用技術からの量と看做したい。結論としては、地表面での重力加速度概念の場での位置エネルギーは、上昇力や消費エネルギーがどの様であろうと、過程には関わりなく、ただ高さ h[m] に在る質量 m[kg] の地表面で利用できるエネルギーは E=mgh [J] であると言う科学技術概念でしかないのだ。

 

光速度一定とは

はじめに
光とその伝播現象について、過去1世紀に亘って『特殊相対性理論』がその社会現象とも見做せるほど華やかな話題の中心を成してきた。世界は『電荷』と『質量』を持った素粒子から構成されているという基本認識にある。その中の『電子』も電気回路での役割を突き詰めれば、それは『エネルギー』の流れでしかない。エネルギーの塊を粒子と看做せば、それはあたかも質量を持った粒子とも見做せる特性を示すであろう。電磁波もエネルギー粗密分布の縦波であるから、光速度一定と言うことが示す意味を明確にするには、その速度の主体である電磁波と言う光を空間像として認識する必要がある。物理学理論で光の実相を空間認識として示すべき問題が残されている筈だ。光の粒子性と波動性と言う二つの解釈の間の曖昧さを統一して、その訳を明らかにしてこそ物理学の筈である。どんなに数式で論じても、光の実相を説明したことにはならない。『光速度一定』と言う事の中には、とても多くの問題を統一して論じなければならない意味が含まれている。一世紀前の電気磁気学論では対応できない筈だ。光が伝播するという空間をどのように定義するかも問われている。

光と電磁波とエネルギー
光とは何か?光の振動数とは何か?光の粒子性とは何か?その答えは空間のエネルギー分布として認識出来るかに掛っている。光は電磁波だと解説される。それなら電磁波とはどのようなものと捉えているのか。電磁波のエネルギーをどのように理解しているのか。放送局などの電波送信は大電力の放射設備である(東京のNHK放送電波の送信電力は300kWの大電力のようだ)。それはエネルギーの送信なのである。電磁波をどのようなエネルギー空間像で捉えているのか。まさか振動数でエネルギーを計算出来る訳がなかろう。放送電波の一つの波の半波長でもエネルギー空間分布波なのである。電界・磁界の方程式で評価するだけで、その波が電界・磁界から算定される空間に実在するエネルギーの分布波だと何故捉えないのかが人の思考の科学論の不思議な事である。放送電波も横波でなく、エネルギーの縦波の電波である。その認識が有って初めて光の意味が分かるはずだ。光の振動数ν[Hz]とプランク定数h[Js]から、光あるいは光量子のエネルギーをε=hν[J]と解釈するが、1秒間の振動数がどのような意味で光のエネルギーを評価出来ると考えるのか。そのエネルギーとはどんなエネルギーを評価したものか。その光量子の式の持つエネルギー量はただその周波数スペクトラムの構成基本粒子・光量子の一つの波の単位エネルギー量の意味を表現したものである。その作用性を評価する同一周波数の光の群の一粒のエネルギー量なのである。電気回路で解釈すれば、1サイクルは二つのエネルギーの山から成る。電気回路の電力の場合は、周波数が決まっているからスペクトルは単一周波数だけである。そこでは基本エネルギー量を規定はできない。電線路一回線に一つのエネルギー流波しかないから。また、電力に負の解釈が有っても、エネルギーに負は無い。1秒間ではエネルギー総量はその山の2倍周波数を掛けた分になる。周波数f[Hz]の電力p[W]であれば、エネルギーの単位となる一山分はp/(2f)[J]のエネルギー量である。例えばf=50[Hz]の電力線なら、一山のエネルギーは3000[km]の長さに分布したエネルギー波となる。そんな長い送電線はなかろう。だから一般の電線路のエネルギー分布は、その線路全体に亘って殆ど直流分布と看做せるエネルギー空間分布が時間的に変動しているようなものとなる。電線路のエネルギーはそのように空間的に捉えられる。そこには電線導体内の電子流などと言う解釈は意味を成さない。さて、そこで光のエネルギーはどのように捉えるかとなる。光が電磁波だと言うなら、電磁波は空間を電線路無しに伝播する訳だから、電線路伝送エネルギーと同じく空間に分布したエネルギー伝播現象である。電磁波と同じと言う光も当然空間を伝播するエネルギー波の筈である。 ε=hν[J]  この式にどんなエネルギーが見えますか?空間エネルギー像が描けますか。光の空間エネルギー像をプランク定数と振動数でどのように認識できるかの物理の問題である。この式による光量子のエネルギーと言う意味はその振動数の光の量子的効果を認識できる点にある。その波長の光は物質に作用する時、他の波長の光と異なることを認識できるという点で有効な捉え方が出来る式である。その理由、訳を知るには何故振動数がどのようなエネルギーの意味を生み出すかを説明しなければならない筈だが、それは困難であろう。何故その振動数が重要な意味を持つかを理解するには、光の作用性としての空間的特徴を知らなければ分からない筈だ。その意味で、前の記事光量子空間像(D線)が参考になれば良いと思う。末尾にマックスウエルの電波伝播方程式に関係して、電磁波の伝播現象の図を載せた。一般には電界と磁界とに因った、基本的な結ぶ付きで論じられるが、電界は必要がないとした。その訳は、今までの長い電磁気現象の総合的な考察によって、空間エネルギーの形態は二つに分けられると解釈する。空間伝播の直線的流れのエネルギーと磁気的と解釈する軸性エネルギー回転流の二つに大別出来よう。空間を光速度で伝播するエネルギー流が、光を含めて電線路エネルギー流などにも見られる、その基本的姿である。それに対して直線的に伝送しないエネルギー流即ちある空間に留まったエネルギーの形態がある。それがマグネットのような軸性回転エネルギー流になる。地磁気のようなものも地球表面上に沿って回転している軸性エネルギー流と看做せる。少し解釈を広げれば、そのエネルギー流が基本的には地球の回転の原因となっているエネルギー流と解釈したい。そのような磁気と看做す局所的(地球表面と言う広さではあるがやはり局所的である)軸性エネルギー流を基礎に置けば、その直交方向を電界と解釈しているに過ぎないのだ。『電荷』がない以上電界が存在する根拠も無くなる。「少し述べて置きたい。無負荷電線路のエネルギー分布は電圧と言う概念に対応した電線路コンデンサの空間貯蔵エネルギーの様相で認識するが、電源電圧の時間的変動に対応してエネルギーの流れはあるから、単なるコンデンサ回路とは異なる。しかし無負荷で有れば、長い電線路コンデンサ負荷とも見做せる。その場合、コンデンサ充電の伝送エネルギー流と電線路空間の一点に生じるエネルギー流は電線路導体に直交した軸性エネルギー流の形態を取るかとも思われる。もし電源が一定直流電圧なら、その電圧・電界の様相は軸性エネルギー流となろう。」空間の磁界をマグネットのコンパスでその存在を検出できるが、電界を検出する器具は無い。電磁現象を示す『エネルギー』に静止状態は無く、光速度流にあると観て良かろう。『エネルギー』の静止とは原子内のマグネットの軸性エネルギー流となる、質量化された状態と看做せよう。

光の伝播空間と速度
光は観測者の為に伝播する訳ではない。光は空間に放射された瞬間からその空間の特性に従って伝播する。水の中、空気の密度、ガラスの中あるいは障壁の存在などその伝播媒体の特性や空間構造に従った速度、方向で伝播する。光速度の基準は理想的な真空空間と考える。観測者が光の伝播にどのような相対速度で観測しようと、それには一切無関係に光は伝播空間の特性で決まる速度で伝播する。その基準空間座標を「光規定空間」と定義する。所謂『絶対空間』である。『特殊相対性理論』とは全く違う。観測者が『光規定空間』に対してどのような速度にであるかによって、光との関係はすべて普通の『相対速度』として観測される。何も特殊な関係は無い。例えば仮の話であるが、絶対空間に対して光速度のロケットから光を放射したとする。光は光源から離れた瞬間に、放射方向に一定の光速度で伝播する。ロケットの速度には全く関係しない。ロケットの進行方向の前方に放射すれば、ロケットの観測者から見れば光の速度即ち相対速度はゼロとなる。エネルギーの塊と一緒に進むことになり、どんどん高密度エネルギーの中に進むことになり、高熱に焼かれるだろう。決して特殊な現象は起きない。光は空間エネルギー分布の縦波であるから。半波長でもエネルギー密度分布波であるから。振動数がエネルギーとなる訳ではないから。その絶対空間がどのような座標と看做せばよいかは分からない。太陽がその絶対空間に対してどのような運航をしているかも分からない。光が真空の空間で『光速度一定』で伝播する空間を『光規定空間』と定義するだけである。何者にも支配されないで光が伝播する空間、それが『光規定空間』である。その空間を人は認識できないかもしれない。当然地球表面では空気の影響も受け、地球の自転・公転によって天空からの光はすべて相対的なものとなる。

『光速度一定』と相対速度

光と言う物理的評価対象はエネルギーの自由空間での光速度伝播現象として認識出来る。その空間での伝播速度が『一定光速度』だと解釈する。宇宙からの到達光を速度を持って運動している地球上から観測すれば、光の一定速度での伝播に対して必ず観測は相対速度になる。しかも空気が有れば、真空とは異なり或る意味空気も誘電体と看做せる。それは観測に掛らない程の真空との差であるかも知れないが。しかし『特殊相対性理論』での『光速度一定』と言う意味は、光が主体的ではなく、人間の解釈が主体的になる捉え方になっている。人から見て光は一定と解釈してよいという意味である。日常生活で、朝日が山の端に顔を出す時、その太陽光は金色に輝く。日が沈む夕日になれば、赤方偏移で赤い夕焼けになる。同じ太陽光線が地球の回転との関係で観測は必ず相対速度で観測されるからの現象である。ドップラー効果と言いながら、光の空間エネルギー密度波の解釈がない為に、いろいろ解釈が混乱しているようだ。日常の感覚的認識が高度の数式解釈の物理学理論より自然を理解するには重要である。相対速度は光を観測するその光のエネルギー分布の波頭値が観測波長の短縮・伸長により変化することに表れる。それがドップラー効果と言う現象である。朝日と夕日の意味も波頭値の変化が原因である。光の空間エネルギー分布の認識が基本に無ければ、『光速度一定』の意味も理解できない筈だ。

(参考) 電磁波の伝播現象の図

アンテナから放射される直前は電気回路のエネルギーである。そこでは閉じた軸性エネルギー流の状態と解釈した。断面は閉じた円環のNS極となっている。図のようなエネルギー流が電波として放射された時点で、光速度のエネルギーの縦波となり、ただ空間エネルギー分布密度波となると解釈した。障害やアンテナによって電波が光速度伝播を止められた時点で、軸性エネルギー流になると解釈する。エネルギーの静止と言う状態は、『静電界は磁界を伴う』の実験でのロゴウスキー電極間の環状軸性エネルギー流の磁場としての流れになると考える。要するに電界と言うのは軸性エネルギー流に対して直交した方向を評価した概念でしかない。それが『電荷』を必要としない解釈である。

 

地学ガイド 新潟の自然に感応して

この素晴らしい写真資料に触れて

地学ガイドとして残して下さったことに感謝する。それぞれに解釈は異なっても良い。そこに写された写真資料はすべて地球の生きた歴史と証を物語っている。それぞれにその地球の姿を自分の心に写し取って解釈すれば良いと思う。そんな意味から自由に勝手に解釈する楽しみを試みたい。
地球の謎(岩石、原油、土、水、塩)
山と岩石と土と水と塩の歴史の謎を心に留めながら地球の来し方を描きたい。今年最初のNHKの番組で、チコちゃんが地球の自転を話題にしていた。太陽系の全ての星が偶然で同じ方向の自転と公転をする筈はないと思うのだが。偶然という理屈では、何故すべての惑星が同じ方向に公転するのかの理由は何か?と問わなければならない。それも偶然として説明出来るのだろうか。専門家の解説を理解する能力が無くて悩む。それはそれとして、海底が深さ1万m以上になった訳は何だろうか。山岳の峰の高さより、海底の深さの方がより地球の活動の意味を秘めているように感じる。もし海底が深くなかったら海はどんな姿であったか。土は何から出来たのだろうか。石油はどのような動物の化石なんだろうか。何故地下に動物の化石資源が在るのだろうか。地球の直径はどのような変遷を経て来たのだろうか。そんな謎がすべて絡み合って解明されなければ本当の事など分かり様がない。地学の解釈理論に巨樹の化石の解釈が見えない。石や岩石は何から出来たと解釈するのだろうか。塩を創り出す海に動物でも居たのだろうか。岩塩も海水が蒸発した結果と考えたい。魚介類が動物の起源であるならば、海水の塩分濃度が生存環境の必須条件の筈だから。母体の羊水も生命誕生、生育、保全環境としての役割を持っている。塩の創造主が何かは最大の謎の一つとして挙げて良かろう。エネルギー地下資源の原油の生成過程も地球の歴史を理解するに欠かせない視点であろう。何故地下深くに存在するか。湖の湖底に何故泉が出来るか、その水はどこから来るか。雪解け水や雨水だけでは理解しかねる。地下で海と繋がっているのではないかと空想となる。それも巨樹の関わりとして。

島は巨樹の化石

佐渡島の尖閣湾や二ツ亀、小佐渡の小城町、白木の神小岩を見れば、巨樹の姿に見える(p.66~71,p.88)。勿論地球核からの噴火現象との関わりで形成された姿を留めている筈ではある。それは富士山にも言える筈だ。巻町越後七浦海岸(p.72)。岩船郡山北町の笹川流れの島と海岸(p.85)。さらに粟島浦村全体も巨樹の化石と観る(p.87)。県外では、福岡県の世界遺産に登録された沖の島も巨樹の化石で、人々が集い祭る神の島として相応しいのだろう。石の囁き 聞こえますかから、地球と巨樹の関係が益々濃密になって来る。

下田村の八木鼻(p.203) 説明には、“角閃石を含む石英安山岩でできていて、五十嵐川の浸食によりけずられ、切り立った岩壁になった。”とある。しかしこれも柱状節理に似た縦筋の岩壁で、川の流れで削られたとは思えない。巨木の化石と解釈した方が納得し易い。

海と魚介類の化石

小千谷市に塩殿という地名の場所がある。塩殿と言う名がどのような意味から付いたかと、その地名を知った時からとても気掛かりになっていた。小千谷市と十日町市(中魚沼郡)との道筋にある。今の信濃川の水面からはとても高い位置にある。「塩」は海の産物であるから、その地が岩塩でも産しない限り、近くの海から運んだとしか考えられなかった。その塩を取り仕切る地主が居てその者を殿と言ったかと解釈していた。しかし、このガイドブックを見て驚いた。p.138以降に、4 丘陵に産する化石と題して、多くの化石が示されている。長岡市滝谷に産した化石群、中でも中里村産のヒシナイイワシの化石(p.141)は謎の深さを膨らませてくれる。岩手県立博物館だより2015.9 No.146 にもヒシナイイワシの化石の話が載っている。新潟県中里村は清津峡、長野県境に近い信濃川上流である。そこが海のイワシの生息地であったとは、地球全体の海の状況が想像をはるかに超えた高度に広がっていたとしか考えられない。エベレスト山脈の麓のアンモナイトの化石や世界の岩塩あるは小千谷市の地名塩殿の意味とが海の姿の認識を変えるものであるかと想像を膨らませてしまう。

関連記事をまとめておく。岩石や地層は学問領域としては地学になるものであろう。新潟県六日町の巨木館を訪れてから、木の放つ何かに圧倒された。その後、石の囁き ・・の記事にある庭石の化石化した木に遭遇した。今地球の歴史に巨樹と石の関係を無視して考えることは学術的に無理だとの思いになってしまった。植物がなければ、海のプランクトンもなく、魚介類も存在しない。巨樹、巨木が如何に地球の成長と変成に欠かせない生命であったかを考える。生物学、物理学、地学あるいは化学がそれぞれ別の学問分野として独立した研究対象では未来を語れないように思う。電気工学の分野から、顰蹙を買いそうな日本雨蛙や光量子の空間概念、更に岩石にまで興味の赴くままに我儘に死んで来た。 紹介に書いたように何の結果も示されず、得られず誠に皆さんには申し訳ない。ただ、『静電界は磁界を伴う』の物理学の根本概念『電荷』の存在否定への説明責任だけは自己満足ながら貫いた。電力工学の学術分野での論説は困難であった『電荷』否定は間違いでなかった。

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