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津波前の急激な引き波-専門家に問う-

2019/06/18 新潟・山形地震が起きた。夜の地震に緊張した。津波警報が出されたが、津波被害は無く安堵した。

専門家に問う 津波前の引き波が何故起こるか。その原因を何と解釈するか。津波前の引き波が大きければ、確実に巨大津波が襲ってくる。その訳は何が原因と解釈するか。

「津波から守りたい」多くの漁船が沖へ の見出しで、新潟日報(6月22日)の記事が有る。記事の中には、「山北支所によると、1983年の日本海中部地震や93年の北海道南西沖地震の際、津波で港内の海水が急激に引き、船が転覆しかけたケースがあったと言う。・・」とある。93年の北海道南西沖地震は自分も地震に伴う津波現象の物理的意味を意識して考えた最初の事件であった。奥尻島への津波襲来で多くの犠牲者が出た。その時地震の専門家の話で、『何故こんなに高くまで津波が押し寄せるのか?』と話すのをテレビで聞いた。その話を聞いて思った。一体専門家とは水の特性を知っているのかなと不思議であった。それが切っ掛けで、津波現象の原因を自分なりに整理して、納得した。巨大津波の原因は断層付近における海底陥没に因る海水の流れ込みであると。その流れは水の特性としての波動現象として遠い海域の範囲におよび、地震震源地まで次から次と海水が流れ込むことが起きる。その膨大な海水の流れ込みが巨大津波となって、海岸に襲いかかる現象である。

その後の津波現象の原因に関する地震専門家の学説を聞くと、みんな海洋プレートの重なり地点で長い期間に亘る『ひずみ』が蓄積し、その解放で上部の地殻が跳ねあがる現象だと解説されている。そんな馬鹿な現象であの巨大な津波現象が起きる訳など無い。2011年3月11日の東日本大震災の津波で、大陸が跳ねあがるとすれば、太平洋側に向けて跳ね上がる筈だ。波は太平洋に向かって進む津波となり、日本の太平洋側に等あれ程大きな被害を起こす訳がない。大陸の跳ね上がり現象が津波の原因と言う学説は決定的な専門家の誤解である。小学生のころから、夏は信濃川の川底の深さが解らに程の深い崖で飛び込みや泳ぎで水の慣性を肌身に感覚的に染み込ませてきた。そんな感覚から津波の原因が海水の急激な地震地点への流れ込みだと捉えた。しかも津波のエネルギーは決して海水の運動エネルギーではないのだ。沖では海水の移動する速度など持っていないのだ。圧力エネルギーが海水に乗って流れる現象であり、海水は移動しない。津波は海岸に到達して初めて海水の流れの運動エネルギーにエネルギー変換する現象なのだ。政府が東南海地震の津波の映像として示すピコピコと跳ね上がる波形は津波の姿ではない。

今回の新潟日報の記事に在る、過去の「津波前の海岸海水の急激な引き波」現象の証言は実際の津波現象の原因を如実に物語っている。漁師さんが船を沖に避難させるのは、必死の思いでの行動であろう。しかし海岸での地震は津波の危険から逃れる為には、素早く高台に逃げなければならない。船は沖に逃げれば、被害を免れる。新聞記事にも 専門家「柔軟に基準を」とあり、専門家もある程度意味を理解してきているのかとも思う。国や県「生命を優先して」は漁師さんに対しては少し違う意味があるのではないか。一般住民への意味としてはその通りであろう。漁師さんには、引き波に因る被害を避けられれば、船は沖で津波に真向かいに向かっていれば安全にやり過ごせることは確かである。時間と危険のきわどい賭けではあるが。

エネルギーとは何か

科学論としては『エネルギー論』が核となっている。ようやくその意味の全体像が捉えられるような心境に在る。そこで、改めて『エネルギーとは何か』と検索してみた。とても有益なエネルギー論考に出会った。少し古い(2009年)が、とても論理的で、よく考えられた記事の小人さんの妄想である。今まで、エネルギー(ENERUGY)とは? (2011/09/07) などをはじめとして電磁気現象の自然世界を『エネルギー』一つによって捉える論理的世界を捉えたかと思いたい心境に在る。それでも、『エネルギーとは何か』に答える助けになれればと論考を重ねる。(2019/06/15追記)また、EMANの物理学・力学・エネルギーとは何かと言う記事が有る。136万件の検索のトップに在る。この記事は所謂物理学教科書の解説に成っている標準的内容であろう。「エネルギーとは仕事をする能力」と言う定義に因って、「力×移動距離=仕事(エネルギー)」の解説に成っている。しかし、ここで考える内容はその解釈では通らないものに成っている。重力場(加速度g[m/s^2])での持ち上げる力も必ずしもf=mg[N] とは限らない。

小人さんの妄想の論考に応えたい。位置エネルギーを主題にして、重力加速度g[m/s^2]と力の関係を論じている。そこで論じられていることはその通りである。考える拠り所として、図に表した。m[kg]の質量が有る。基準からh[m]の高い位置に有れば、その物は位置エネルギー E=mgh[J] を保有していると解釈する。小人さんが論じていることは、物体を持ち上げる時重力 f1 と 持ち上げる力f2 の間に力が釣り合っていて、物体に掛る力は常にゼロではないか。それなら位置エネルギーは増加しないだろうと言うことの論理的矛盾を問うものと理解する。しかしそこのところは少し違うだろう。物 m[kg] に掛る力 f [N] はその物に生じる加速度によって捉えることが力学論の定義であろう。もし加速度  α[m/s^2^] で運動するなら、それが力の意味になる。その時は力 f [N] はゼロではない。だからと言って、小人さんが指摘した力の関係の問題に納得出来る訳ではなかろう。そこで更に問題となることが図の(※)の場合だろう。上昇速度が一定なら加速度はゼロである。従って、加速度ゼロなら力の定義からやはり力はゼロとなる。エレベーターを一定速度で上昇させた時、加速度ゼロだから力学論の定義によれば、エレベーターに掛る力はゼロとなる。力と距離の積で解釈するエネルギー即ち位置エネルギーはゼロと言うことになる。幾らなんでも、それは理屈に合わない。エレベーターを上昇させれば運転動力を使いエネルギーを消費する。エレベーターが高く上がれば、それだけエレベータは位置エネルギーを増加して保有することになる。少し付け加えて置くが、エレベーターの場合は平衡重りが掛けれれているので、重力あるいは位置エネルギー量には注意しなければならないことが有る。 それにしても加速度ゼロでの運転では、位置エネルギーの問題は小人さんの仰る通り、運動力学の理屈に合わないことは事実である。それを『力と位置エネルギーのパラドックス〈理屈と実際の間の矛盾〉問題』としておこう。

力と位置エネルギーのパラドックス問題。この問題の解釈の仕方について筆者の考え方を述べよう。地上から高くなれば、そこに在る物体は地上に落ちる時そのエネルギーを利用できることは間違いない。その物理現象は十分エネルギーの意味を説明するに役立ち、正しい。それが力学理論の『エネルギー』とは仕事をする能力として定義したことに対応した正にその意味でもある。しかし、重力に基づく位置エネルギーの増加の意味の力の概念は一般的力学理論による解釈に因る理屈で素直に受け入れられない矛盾が残る。

追加されるパラドックス。人が重い荷物をじっと持ち上げて居るとする。荷物を動かさないで、静止状態とする。それは仕事をしていることに成るのか?運動力学の問題になるか。力学が人の日常生活に結びついた、生きた学問となるにはどうしても『エネルギー』に視点を置いて納得できるものでなければならない筈だ。子供を負んぶしているだけで、人はエネルギーを消費し、仕事をしていることに成る。力と移動距離の積が零でもエネルギーのジュール[J]の消費に成る。この場合の力は、速度ゼロであるが、正しく重力に等しい値だ。エレベーターで、モーターに電源を繋いで回転停止の途中階で静止した状態の運転に等しかろう。モーターをロックしていないから重力に平衡した上向きの力で、運転エネルギーは消費している。法則は解釈の手法としては便利である。科学的な一律の解釈法が実際の世界の真理を示しているとは限らないことも有ると言う事を意識の片隅に認識しておくべきであろう。

結論と解答。 以上、小人さんの妄想の論考に応えたい で考えを述べた。しかし何も答えに成っていない。如何にも尤もらしい解釈をしたが、加速度と力の関係で間違いが有った。多分気付かれた方も多いと思う。何が間違っていたかの問題としてそのまま残しておく。図で再び訂正する。それは『加速度とは何か』の問題であった。重力場で、上昇力ベクトル fo  の加速度ベクトル αo [m/s^2] とする。今、質量m[kg]が地表面に対する加速度α [m/s^2] で上昇しているとする。その場の重力加速度 g [m/s^2] が高さに関係なく一定と仮定すれば、上昇力 fo [N] の加速度 αoα と更に重力加速度 g の合成加速度となる。静止した質量mを支えるだけで、重力加速度に対抗した力を掛けることに成る。その時位置エネルギーは増加しないが、力を掛けるだけでエネルギーは消費する可能性がある。mを荷台に乗せたとする、その時は荷台がエネルギーを消費するとは考えない。エレベータのモーターを機械的にロックしておけばエネルギーは消費しない。さて、速度が如何なる値でも、加速度α=0 ならfo=mg[N]で上昇するから、その力 fo と上昇距離との積の分だけ位置エネルギーは増加することに成る。従って、位置エネルギーは E= mgh [J] となる解釈に矛盾はなかった。しかし、α≠0 の時にE=mgh が成り立つかは分からない。そこには、位置エネルギーと言う概念が規準面からの高さh [m] だけで決まり、過程の状況には無関係に決まると言う意味にみえる。一つ簡単な例で確認してみよう。質量 1 [kg] の物体を1秒間だけ加速度α=0.2{m/s^2] で上昇したとする。その時の力の加速度はαo=10[m/s^2] となるから、力はfo=10[N]となる。この1秒間の上昇距離⊿hは0.1[m] だから、力との積は10[N]×0.1[m]=1[J] となる。しかし、位置エネルギーの算定は E=mg⊿h=0.98[J]となる。これは 1≠0.98[J] で等しくないから、力と距離の積に因るエネルギー量[J]の関係は成立しないことが検証される。そこに、位置エネルギーの高さ h[m] とは何か?と言う意味が持ち上がる。暗中模索式導水路。暗中模索さんに水力発電所の導水路の設計をお願いした。誠に穿った設計をなさった。途中の水流速度が複雑に変化する。速度v1の位置は水流が加速度の有る状態で、速度v2の位置では低速度の定常流に成る。ベルヌーイの定理で解釈するが、位置エネルギーはすべて規準面からの高さ h[m] だけで捉える。水の加速度や速度が如何なるかには関わりなく、ただ高さのみで位置エネルギーだけは決まることに成っている。速度エネルギーや圧力エネルギーのような相互間の変換は考慮されていない。位置エネルギーと言う物理概念も、考えればその論理性で単なる科学技術概念でしかないのかも知れないと。規準面を何処の位置とすればよいかは論理的に厳密ではない筈だ。地上5mの高さに10kgの重りのハンマーを設置し、地表から100mの深い穴に楔を打ち込むハンマーに利用する。利用するエネルギーは幾らか?しかしそのハンマーを地表面に戻すにはエネルギーがいる。差引科学技術利用エネルギーはやはり地表面を基準とした解釈に成る。さて、自然現象としての位置エネルギーを物理学理論として定義付けるには、本質的な意味で納得出来るかと言う疑問が残る。地表面に居るだけで、我々は地球の自転・公転の運動エネルギーの支配する自然環境に居ることに違いはない。折角回転運動エネルギーの意味を物理学で学んでいながら、地上高さがその回転運動エネルギーとは関わりのないものだとは解釈出来なかろう。位置エネルギーの『位置』と言う意味は、エネルギー利用技術からの量と看做したい。結論としては、地表面での重力加速度概念の場での位置エネルギーは、上昇力や消費エネルギーがどの様であろうと、過程には関わりなく、ただ高さ h[m] に在る質量 m[kg] の地表面で利用できるエネルギーは E=mgh [J] であると言う科学技術概念でしかないのだ。

 

光速度一定とは

はじめに
光とその伝播現象について、過去1世紀に亘って『特殊相対性理論』がその社会現象とも見做せるほど華やかな話題の中心を成してきた。世界は『電荷』と『質量』を持った素粒子から構成されているという基本認識にある。その中の『電子』も電気回路での役割を突き詰めれば、それは『エネルギー』の流れでしかない。エネルギーの塊を粒子と看做せば、それはあたかも質量を持った粒子とも見做せる特性を示すであろう。電磁波もエネルギー粗密分布の縦波であるから、光速度一定と言うことが示す意味を明確にするには、その速度の主体である電磁波と言う光を空間像として認識する必要がある。物理学理論で光の実相を空間認識として示すべき問題が残されている筈だ。光の粒子性と波動性と言う二つの解釈の間の曖昧さを統一して、その訳を明らかにしてこそ物理学の筈である。どんなに数式で論じても、光の実相を説明したことにはならない。『光速度一定』と言う事の中には、とても多くの問題を統一して論じなければならない意味が含まれている。一世紀前の電気磁気学論では対応できない筈だ。光が伝播するという空間をどのように定義するかも問われている。

光と電磁波とエネルギー
光とは何か?光の振動数とは何か?光の粒子性とは何か?その答えは空間のエネルギー分布として認識出来るかに掛っている。光は電磁波だと解説される。それなら電磁波とはどのようなものと捉えているのか。電磁波のエネルギーをどのように理解しているのか。放送局などの電波送信は大電力の放射設備である。エネルギーの送信なのである。電磁波をどのようなエネルギー空間像で捉えているのか。まさか振動数でエネルギーを計算出来る訳がなかろう。放送電波の半波長もエネルギー空間分布波なのである。電界・磁界の方程式で評価するだけで、その波が電界・磁界から算定される空間に実在するエネルギーの分布波だと何故捉えないのかが人の思考の科学論の不思議なのである。放送電波も横波でなく、エネルギーの縦波の電波である。その認識が有って初めて光の意味が分かるはずだ。光の振動数ν[Hz]とプランク定数h[Js]から、光あるいは光量子のエネルギーをε=hν[J]と解釈する。1秒間の振動数がどのような意味で光のエネルギーを評価出来ると考えるのか。そのエネルギーとはどんなエネルギーを評価したものか。その式の持つエネルギー量はただその周波数スペクトラムの構成基本粒子・光量子の一つの波の単位エネルギー量の意味を表現したものである。その作用性を評価する同一周波数の光の群の一粒のエネルギー量なのである。電気回路で解釈すれば、1サイクルは二つのエネルギーの山から成る。電力の場合は、周波数が決まっているからスペクトルは単一周波数だけである。そこでは基本エネルギー量を規定はできない。電線路一回線に一つのエネルギー流波しかないから。また、電力に負の解釈が有っても、エネルギーに負は無い。1秒間ではエネルギー総量はその山の2倍周波数を掛けた分になる。周波数f[Hz]の電力p[W]であれば、エネルギーの単位となる一山分はp/(2f)[J]のエネルギー量である。例えばf=50[Hz]の電力線なら、一山のエネルギーは3000[km]の長さに分布したエネルギー波となる。そんな長い送電線はなかろう。だから一般の電線路のエネルギー分布は、その線路全体に亘って殆ど直流分布と看做せるエネルギー空間分布が時間的に変動しているようなものとなる。電線路のエネルギーはそのように空間的に捉えられる。そこには電線導体内の電子流などと言う解釈は意味を成さない。さて、そこで光のエネルギーはどのように捉えるかとなる。光が電磁波だと言うなら、電磁波は空間を電線路無しに伝播する訳だから、電線路伝送エネルギーと同じく空間に分布したエネルギー伝播現象である。電磁波と同じと言う光も当然空間を伝播するエネルギー波の筈である。 ε=hν[J]  この式にどんなエネルギーが見えますか?空間エネルギー像が描けますか。光の空間エネルギー像をプランク定数と振動数でどのように認識できるかの物理の問題である。この式による光量子のエネルギーと言う意味はその振動数の光の量子的効果を認識できる点にある。その波長の光は物質に作用する時、他の波長の光と異なることを認識できるという点で有効な捉え方が出来る式である。その理由、訳を知るには何故振動数がどのようなエネルギーの意味を生み出すかを説明しなければならない筈だが、それは困難であろう。何故その振動数が重要な意味を持つかを理解するには、光の作用性としての空間的特徴を知らなければ分からない筈だ。その意味で、前の記事光量子空間像(D線)が参考になれば良いと思う。末尾にマックスウエルの電波伝播方程式に関係して、電磁波の伝播現象の図を載せた。一般には電界と磁界とに因った、基本的な結ぶ付きで論じられるが、電界は必要がないとした。その訳は、今までの長い電磁気現象の総合的な考察によって、空間エネルギーの形態は二つに分けられると解釈する。空間伝播の直線的流れのエネルギーと磁気的と解釈する軸性エネルギー回転流の二つに大別出来よう。空間を光速度で伝播するエネルギー流が、光を含めて電線路エネルギー流などにも見られる、その基本的姿である。それに対して直線的に伝送しないエネルギー流即ちある空間に留まったエネルギーの形態がある。それがマグネットのような軸性回転エネルギー流になる。地磁気のようなものも地球表面上に沿って回転している軸性エネルギー流と看做せる。少し解釈を広げれば、そのエネルギー流が基本的には地球の回転の原因となっているエネルギー流と解釈したい。そのような磁気と看做す局所的(地球表面と言う広さではあるがやはり局所的である)軸性エネルギー流を基礎に置けば、その直交方向を電界と解釈しているに過ぎないのだ。『電荷』がない以上電界が存在する根拠も無くなる。「少し述べて置きたい。無負荷電線路のエネルギー分布は電圧と言う概念に対応した電線路コンデンサの空間貯蔵エネルギーの様相で認識するが、電源電圧の時間的変動に対応してエネルギーの流れはあるから、単なるコンデンサ回路とは異なる。しかし無負荷で有れば、長い電線路コンデンサ負荷とも見做せる。その場合、コンデンサ充電の伝送エネルギー流と電線路空間の一点に生じるエネルギー流は電線路導体に直交した軸性エネルギー流の形態を取るかとも思われる。もし電源が一定直流電圧なら、その電圧・電界の様相は軸性エネルギー流となろう。」空間の磁界をマグネットのコンパスでその存在を検出できるが、電界を検出する器具は無い。電磁現象を示す『エネルギー』に静止状態は無く、光速度流にあると観て良かろう。『エネルギー』の静止とは原子内のマグネットの軸性エネルギー流となる、質量化された状態と看做せよう。

光の伝播空間と速度
光は観測者の為に伝播する訳ではない。光は空間に放射された瞬間からその空間の特性に従って伝播する。水の中、空気の密度、ガラスの中あるいは障壁の存在などその伝播媒体の特性や空間構造に従った速度、方向で伝播する。光速度の基準は理想的な真空空間と考える。観測者が光の伝播にどのような相対速度で観測しようと、それには一切無関係に光は伝播空間の特性で決まる速度で伝播する。その基準空間座標を「光規定空間」と定義する。所謂『絶対空間』である。『特殊相対性理論』とは全く違う。観測者が『光規定空間』に対してどのような速度にであるかによって、光との関係はすべて普通の『相対速度』として観測される。何も特殊な関係は無い。例えば仮の話であるが、絶対空間に対して光速度のロケットから光を放射したとする。光は光源から離れた瞬間に、放射方向に一定の光速度で伝播する。ロケットの速度には全く関係しない。ロケットの進行方向の前方に放射すれば、ロケットの観測者から見れば光の速度即ち相対速度はゼロとなる。エネルギーの塊と一緒に進むことになり、どんどん高密度エネルギーの中に進むことになり、高熱に焼かれるだろう。決して特殊な現象は起きない。光は空間エネルギー分布の縦波であるから。半波長でもエネルギー密度分布波であるから。振動数がエネルギーとなる訳ではないから。その絶対空間がどのような座標と看做せばよいかは分からない。太陽がその絶対空間に対してどのような運航をしているかも分からない。光が真空の空間で『光速度一定』で伝播する空間を『光規定空間』と定義するだけである。何者にも支配されないで光が伝播する空間、それが『光規定空間』である。その空間を人は認識できないかもしれない。当然地球表面では空気の影響も受け、地球の自転・公転によって天空からの光はすべて相対的なものとなる。

『光速度一定』と相対速度

光と言う物理的評価対象はエネルギーの自由空間での光速度伝播現象として認識出来る。その空間での伝播速度が『一定光速度』だと解釈する。宇宙からの到達光を速度を持って運動している地球上から観測すれば、光の一定速度での伝播に対して必ず観測は相対速度になる。しかも空気が有れば、真空とは異なり或る意味空気も誘電体と看做せる。それは観測に掛らない程の真空との差であるかも知れないが。しかし『特殊相対性理論』での『光速度一定』と言う意味は、光が主体的ではなく、人間の解釈が主体的になる捉え方になっている。人から見て光は一定と解釈してよいという意味である。日住生活で、朝日が山の端に顔を出す時、その太陽光は金色に輝く。日が沈む夕日になれば、赤方偏移で赤い夕焼けになる。同じ太陽光線が地球の回転との関係で観測は必ず相対速度で観測されるからの現象である。ドップラー効果と言いながら、光の空間エネルギー密度波の解釈がない為に、いろいろ解釈が混乱しているようだ。日常の感覚的認識が高度の数式解釈の物理学理論より自然を理解するには重要である。相対速度は光を観測するその光のエネルギー分布の波頭値が観測波長の短縮・伸長により変化することに表れる。それがドップラー効果と言う現象である。朝日と夕日の意味も波頭値の変化が原因である。光の空間エネルギー分布の認識が基本に無ければ、『光速度一定』の意味も理解できない筈だ。

(参考) 電磁波の伝播現象の図

アンテナから放射される直前は電気回路のエネルギーである。そこでは閉じた軸性エネルギー流の状態と解釈した。断面は閉じた円環のNS極となっている。図のようなエネルギー流が電波として放射された時点で、光速度のエネルギーの縦波となり、ただ空間エネルギー分布密度波となると解釈した。障害やアンテナによって電波が光速度伝播を止められた時点で、軸性エネルギー流になると解釈する。エネルギーの静止と言う状態は、『静電界は磁界を伴う』の実験でのロゴウスキー電極間の環状軸性エネルギー流の磁場としての流れになると考える。要するに電界と言うのは軸性エネルギー流に対して直交した方向を評価した概念でしかない。それが『電荷』を必要としない解釈である。

 

地学ガイド 新潟の自然に感応して

この素晴らしい写真資料に触れて

地学ガイドとして残して下さったことに感謝する。それぞれに解釈は異なっても良い。そこに写された写真資料はすべて地球の生きた歴史と証を物語っている。それぞれにその地球の姿を自分の心に写し取って解釈すれば良いと思う。そんな意味から自由に勝手に解釈する楽しみを試みたい。
地球の謎(岩石、原油、土、水、塩)
山と岩石と土と水と塩の歴史の謎を心に留めながら地球の来し方を描きたい。今年最初のNHKの番組で、チコちゃんが地球の自転を話題にしていた。太陽系の全ての星が偶然で同じ方向の自転と公転をする筈はないと思うのだが。偶然という理屈では、何故すべての惑星が同じ方向に公転するのかの理由は何か?と問わなければならない。それも偶然として説明出来るのだろうか。専門家の解説を理解する能力が無くて悩む。それはそれとして、海底が深さ1万m以上になった訳は何だろうか。山岳の峰の高さより、海底の深さの方がより地球の活動の意味を秘めているように感じる。もし海底が深くなかったら海はどんな姿であったか。土は何から出来たのだろうか。石油はどのような動物の化石なんだろうか。何故地下に動物の化石資源が在るのだろうか。地球の直径はどのような変遷を経て来たのだろうか。そんな謎がすべて絡み合って解明されなければ本当の事など分かり様がない。地学の解釈理論に巨樹の化石の解釈が見えない。石や岩石は何から出来たと解釈するのだろうか。塩を創り出す海に動物でも居たのだろうか。岩塩も海水が蒸発した結果と考えたい。魚介類が動物の起源であるならば、海水の塩分濃度が生存環境の必須条件の筈だから。母体の羊水も生命誕生、生育、保全環境としての役割を持っている。塩の創造主が何かは最大の謎の一つとして挙げて良かろう。エネルギー地下資源の原油の生成過程も地球の歴史を理解するに欠かせない視点であろう。何故地下深くに存在するか。湖の湖底に何故泉が出来るか、その水はどこから来るか。雪解け水や雨水だけでは理解しかねる。地下で海と繋がっているのではないかと空想となる。それも巨樹の関わりとして。

島は巨樹の化石

佐渡島の尖閣湾や二ツ亀、小佐渡の小城町、白木の神小岩を見れば、巨樹の姿に見える(p.66~71,p.88)。勿論地球核からの噴火現象との関わりで形成された姿を留めている筈ではある。それは富士山にも言える筈だ。巻町越後七浦海岸(p.72)。岩船郡山北町の笹川流れの島と海岸(p.85)。さらに粟島浦村全体も巨樹の化石と観る(p.87)。県外では、福岡県の世界遺産に登録された沖の島も巨樹の化石で、人々が集い祭る神の島として相応しいのだろう。石の囁き 聞こえますかから、地球と巨樹の関係が益々濃密になって来る。

下田村の八木鼻(p.203) 説明には、“角閃石を含む石英安山岩でできていて、五十嵐川の浸食によりけずられ、切り立った岩壁になった。”とある。しかしこれも柱状節理に似た縦筋の岩壁で、川の流れで削られたとは思えない。巨木の化石と解釈した方が納得し易い。

海と魚介類の化石

小千谷市に塩殿という地名の場所がある。塩殿と言う名がどのような意味から付いたかと、その地名を知った時からとても気掛かりになっていた。小千谷市と十日町市(中魚沼郡)との道筋にある。今の信濃川の水面からはとても高い位置にある。「塩」は海の産物であるから、その地が岩塩でも産しない限り、近くの海から運んだとしか考えられなかった。その塩を取り仕切る地主が居てその者を殿と言ったかと解釈していた。しかし、このガイドブックを見て驚いた。p.138以降に、4 丘陵に産する化石と題して、多くの化石が示されている。長岡市滝谷に産した化石群、中でも中里村産のヒシナイイワシの化石(p.141)は謎の深さを膨らませてくれる。岩手県立博物館だより2015.9 No.146 にもヒシナイイワシの化石の話が載っている。新潟県中里村は清津峡、長野県境に近い信濃川上流である。そこが海のイワシの生息地であったとは、地球全体の海の状況が想像をはるかに超えた高度に広がっていたとしか考えられない。エベレスト山脈の麓のアンモナイトの化石や世界の岩塩あるは小千谷市の地名塩殿の意味とが海の姿の認識を変えるものであるかと想像を膨らませてしまう。

関連記事をまとめておく。岩石や地層は学問領域としては地学になるものであろう。新潟県六日町の巨木館を訪れてから、木の放つ何かに圧倒された。その後、石の囁き ・・の記事にある庭石の化石化した木に遭遇した。今地球の歴史に巨樹と石の関係を無視して考えることは学術的に無理だとの思いになってしまった。植物がなければ、海のプランクトンもなく、魚介類も存在しない。巨樹、巨木が如何に地球の成長と変成に欠かせない生命であったかを考える。生物学、物理学、地学あるいは化学がそれぞれ別の学問分野として独立した研究対象では未来を語れないように思う。電気工学の分野から、顰蹙を買いそうな日本雨蛙や光量子の空間概念、更に岩石にまで興味の赴くままに我儘に死んで来た。 紹介に書いたように何の結果も示されず、得られず誠に皆さんには申し訳ない。ただ、『静電界は磁界を伴う』の物理学の根本概念『電荷』の存在否定への説明責任だけは自己満足ながら貫いた。電力工学の学術分野での論説は困難であった『電荷』否定は間違いでなかった。

石の囁き 聞こえますか(2011/07/23) 化石と硯(2011/09/30) 石に宿る古代神の面影(2014/11/17) 佐渡赤玉石に連想(2014/11/20) 庭に石器か?(2014/12/10) 笠堀ダムと土器(2014/12/16) 八海山岩峰の起源?(2015/09/07 なお、八海と言う意味の由来を地元の役場に尋ねた記録がこの地学ガイドに紙片で残っていた) 柱状節理とは何か(2015/12/23) 富士の霊峰を仰ぐ(2017/11/14) 山の木霊(2018/12/20)

 

 

 

 

独楽の心

(2019/01/23)追記。ジャイロスコープの実験。

ジャイロ独楽 約32g弱の独楽。ひょっとしたら、エネルギー分の質量増加になっているかも知れない。

デジタル計測 0.1g刻みなら良いのだが、研究環境が無い哀しさ。記事末に述べた結論の『謎ときの予想 軽くなる』は確認できなかった。最初にこの実験を思い付いたのは『エネルギー・質量等価則』から質量に回転エネルギーが加算されるのではないかとの思いからであった。重くなるの結論にも至らない。(2019/02/08)追記。計りに掛る重量変化は花一匁の心の重さに等しく、計測できない事ぐらいははじめから分かっているが、自然の心を読む科学意識の問題として取り上げた。回転エネルギーを光速度の2乗で割った値を計測できない事ぐらいは誰もが知っていよう。

独楽の秘め心 その立ち居振る舞いに世界の謎が見える。謎を秘めて立っている。解らない疑問が世界の謎である。疑問が自然科学の理解への第一歩。解らないこと、不思議と思うこと、そこに心を寄せることが科学の基礎研究の姿と。

独楽は一筋 独楽は 一心に生きる 心は 不動の一筋。独楽は何故回り続けるか。独楽の全てを支えるのは不動の一筋の心だ。その心は回転もしない不動の無である。その心に対して決して重量が対称ではあり得ない。非対称性が大きければ不動の心にはならない。僅かの非対称性は殆ど影響なしに独楽は廻る。独楽の特性を科学的に論考してみようと考えた。しかしそこには謎が多過ぎる。解き明かせずに、独楽の心が重く圧し掛かる。

独楽の心を推し量る

 独楽の重量                                                                  独楽は物理的特性で際立つ評価係数に、慣性モーメントをもっている。その次元は[kg]のIまたはJで表される。慣性モーメントはその剛体の或る回転軸に対して、どのような回転角速度による回転エネルギーの貯蔵特性を持つかを示す回転体の特性を表した係数値であると言えよう。ジャイロコンパスや独楽はその代表的なものと言えよう。また、地球や太陽系銀河もそのような一つの形態と看做されるかもしれない。

独楽の謎 独楽の重量を計りたい。全く経済効果のないという観点から、役にも立たない無駄な研究と言われそうだ。しかし役に立ちそうもないが故に、それが基礎研究と言うものと思う。結果が予測出来ない、何時完成するか予測が出来ないから、隠れて愚かさと笑いを噛みしめながら、コッソリするような研究になろう。独楽を計りに乗せてその重量は計れる。難しいのは、独楽を回して回転ゴマの重量を計ったらどのような結果になるか。と言う奇想天外な計測実験である。『エネルギーと質量の等価性』と言う世界の科学認識がある。独楽の回転体は質量の他に回転エネルギーをも内蔵した物体である。さて、その合計の重量はどのような値と解釈すれば良かろうか。と言う一つの命題が生まれる。見えないエネルギーの意味をどのように観るかの世界認識の謎に思える。それは太陽系の重量が有るのか無いのかにも繋がる謎でもあろう。独楽の回転エネルギーEは慣性能率をI[m^2^kg]とすれば、

E=(1/2)Iω^2^ [J]

と言う値で科学的に認識される。この意味は運動力学の常識的質量に関わるエネルギー量である。さて、そのエネルギーと言う物理量はどのような実在量なのか。誰もがエネルギーと言う用語は良く知っていよう。化石燃料や灯油、炭など火の発熱体更に太陽光や水力等の発電用自然現象を思うだろう。しかし、エネルギーの姿を空間像で認識しているのでしょうか。エネルギーが実在するという意味は、それは必ず空間の体積を占めている筈で、エネルギーの空間像を描けなければ本当に分かるとは言えないのではないか。炭火を起こせば、発熱して熱エネルギーを放射する。その熱エネルギーは炭から空間に放射されるエネルギーと言う用語で表現される、質量に無関係の光のエネルギーなのである。しかし、元は炭と言う質量体と気体の酸素の化学反応として生まれた質量・エネルギー変換現象なのである。酸素原子と炭素原子とが燃焼により熱エネルギーに変換された前後でその質量の減少と言う変化がなければ、質量とエネルギーの等価則は成り立たない筈だ。物理と化学の理科教育に於いてエネルギーとは何かを認識すべき要として捉えるべきである。その意味での独楽の回転エネルギーはどのような実在量と認識すべきかの命題と言うことになろう。独楽の回転速度とその独楽の重量の関係はどう理解すべきか。重くなるか軽くなるかの答えが欲しい。

謎解きの予想 軽くなる。独楽の質量に回転エネルギーが付加されるから、質量・エネルギー変換等価則から解釈すれば、当然等価質量は増加すると考えるべきだろう。従って回転ゴマの重量も重い計測結果になると考えたいのが普通であろう。結果が軽くなるとすれば、回転と言う現象の持つ意味が改めて謎になる。機械的エネルギー貯蔵用のフライホイールの軸荷重の問題で、既に答は得られているかも知れない。また、北半球か南半球かでの荷重に回転方向の右向き左向きが影響するのかどうかに判断の難しい面が残る。

“軽くなる”その心は。独楽の質量に乗った、独楽空間の回転エネルギー流の単位面積密度ベクトルw[J/m^2^ s]の微分計算 rot(w/v)[N/m^3^] の軸性浮揚力(単位体積当たりの上向き力)に託して。回転角速度ベクトルω[rad/s]を回転軸ベクトルとする。 v= |v| =| [ω×r]| [m/s] は独楽の空間座標点ベクトルrの質点回転速度ベクトルvのスカラー量を意味する。竜巻の上昇気流の定常力(時間微分の過渡状態は含まない)に同じ。新しい年を迎えて思えば、ボーと生きる以外に方策のないまま時が過ぎた

(2019/01/09)追記。回転瞬時速度ベクトルv [m/s]とはどのような意味か?考えたら「ボー」としていたようで、どう確定するか分からない。1秒間じゃベクトル方向の意味を成さないから。1[μs]でも長すぎる。自動運転車が道路上に猫が倒れていたらどうするか?道路に少し陥没が有ったらどう速度調節して運転するか?「ボー」と速度を考えて記事にしていたようで誠に難しいと知った。

木賊(トクサ)と水

羊歯(シダ) 特異な植物の部類になろうシダやコケ類。シダは図鑑に依れば、琉球列島には8mを超すものも有るとあり、八丈島には茎丈4mの物があると。羊歯やコケは温暖で湿原地帯がその生育に適しているのだろう。何か地球の原始の姿がそれらの植物と連想して頭に浮かんでしまう。巨樹の化石が地球の原始世界を作って来たと考える。この水の星・地球は太陽と植物が創造したと考えて良かろう。山の木霊に関連した話。植物はどのような物理現象として水を揚水するか。ポンプがある訳でないのに、100メートルの高い木にも先端まで水を運ぶ。木賊は特別に水を多く体内に蓄えている。節がその水貯蔵に大きな機能を成していると考える。

木賊 庭に木賊が生えている。

木賊 土筆やスギナに似た節が特徴の植物だ。植物の図鑑では羊歯の類に分類されているようだ。少しシダ類とは違うかもしれない。シダ植物の茎の断面と異なるようだから。よく活け花の素材になるのかもしれない。

トクサ断面

 

トクサ寸法と特徴 シダと違って断面は中空である。周りが20個の細管で構成支持された植物だ。生えた茎を切断すると、中には水が充満している。表面の細管も水が満ちているようだ。緑色の茎は結構堅いざらざらした感触であり、支えるに十分な強さを兼ねている。この木賊もシダ植物も地球の古生代、原始の頃に繁茂した植物群のように思える。水の星地球、水を生みだした創造主は植物でなければならなかった筈だ。

トクサ磨き トクサでの汚れ磨きのことで、表面はサンドペーパーのようにザラザラしている。魚焼き器の網皿の油汚れを擦って見た。十分の強さでトクサは破れることもなく、よく磨けた。トクサの水については、切り取って1日放置すると節の間の水はすべて消えてしまう。表面から蒸散してしまうのだろう。実に興味深い特性の植物だ。節の間には大量の水が蓄えられている。あくまでも予想ではあるが、その水は地中から吸い上げた水ではなくて、トクサが生み出した水であろうと思う。この地球星にははじめから水があった訳ではないのだ。古代から地球表面から宇宙に放射される水も含めて、すべてこの星の活動の結果として水が蓄えられたのだ。それは植物しか他には考えられない。古代の巨樹がこの地球上に繁茂していた頃には、相当の温暖で湿度の高い環境と考えたい。3000mを超える高さまでも羊歯やコケの植物群の支配域であったと。トクサと水に思いを掛けてみた。山の木霊から連想してしまう。

山の木霊

木霊
山は何故そこに在るか。周りを見渡せば必ず山が見える。地球の歴史を秘めてそこに在る。昔懐かしい映画「シェーン」を思い出した。その主題歌は遥かなる山の呼び声であった。人が地上に生まれる前から山はあった。大型動物恐竜の世界もあった。その環境は恐竜が生息するに対応する巨樹の世界であった筈だ。その遥か昔の山の呼び声が今も人を呼んでいるのかもしれない。人はその山の意味を知らないだけのように思える。山には木霊(コダマ)が生きている。樹木の霊それが木霊だ。そんな思いが強くなる。やまびこ=山彦=山の神も同じ意味の言葉か。世界遺産の中に山が多くある。みんな人の心を引き付ける魅力を奏でている。

山よ

その威厳

遥かなる営み

伝えてよ

その遠き思いを

広く世界に

山の成り立ち

山はどのように出来たか。それは海底はどのように出来たかと同じ疑問でもあろうか。海の水がなければ、山の意味も全体像で確認できるかもしれない。きっと地球の誕生の昔の歴史を秘めた地球核暗黒の灼熱(光放射空間がなければ暗黒である)が語っているかも知れない。物理学の知見で熱(エネルギー)は温度の高いところから低い処に流れるということを知っている。地球の営みの根源は太陽と地球核のエネルギーが握っている。太陽系の全体の回転エネルギー流もその役割を担っていよう。山には火山もあれば火山でないものもある。火山は中心核からの燃焼物の排出現象と観る。地殻変動は新たな核への熱源燃料の供給の地球の営みであろう。火山でない山が何故在るか。その岩・岩石の姿が何を物語るか。やはり最大の謎、それはエベレストの最高峰であろう。学説は地殻変動・大陸の衝突で盛り上がったとの説が有力になっているようだ。その麓にはアンモナイトの化石が埋もれてもいる。それは海が盛り上がった結果としか考えられない。しかし、ヒマラヤ山脈にあるエベレスト山の岩石が地殻移動で盛り上がった結果の山とは信じられない。そのネパール側のサマルガータ国立公園はユネスコの世界遺産。チベット語でチョモランマとも。

世界遺産の山 世界遺産に登録されている多くの山が有る。火山でないものが多い。その山は何故出来たかみんな不思議だ。

(2019/01/18)追記。今日テレビの録画、NHKの“絶景 巨大石柱林~中国 張家界を鳥瞰す”を見た。それこそ巨樹の化石の姿ではないか。マチュピチュの水の不思議の謎とも繋がる。勝手な科学的根拠も無い感覚からの解釈ではあるが他に解釈のしようがない。

モン・サン・ミシェルとその湾(フランス、文化遺産):岩山の上に築かれた修道院・城。その基礎の岩山が何故出来たかの由来が不思議だ。

ドロミテの灯台(北イタリヤ世界遺産):ドロミテ渓谷にある3168mの山。アベラーウとモンテ・ペルモ。

モニュメント・バレー(アメリカ、ユタ州~アリゾナ州):先住民ナバオ族の聖地で、ジョン・ウエイン主演西部劇の舞台でも有名。巨木の化石でなくて他にどんな説明が出来るか。

マチュ・ピチュ村(ペルー共和国の複合遺産):標高2430mのインカ帝国の遺跡。村全体の風景を観察すれば、丁度それは巨木の中腹に創られた村に見える。その周辺の山も含めて全体が山脈を成しているようだ。その山群は火山性の山とは見えない。山肌を見れば如何にも柱状節理に見える。不思議の謎に水源が挙げられている。その謎ときの一つに巨樹の導水管が挙げられよう。何も導水路を作る訳ではない。今日その村の風景を写真で観察させてもらった。山の起源を巨樹の化石と解釈していたから、巨樹なら水を吸い上げる「導管」が有ると樹木の揚水機構にあることに繋がっただけではあるが。水には表面張力が有り。細い空間では自動的に上昇する揚水機構が有る。水に布を付ければ、水は重力に逆らって、少しは浸透して上昇するでしょう。何も導水路を工夫する訳でなくても。その水上昇現象の面全体での現象と看做せよう。山の水源はすべてその辺の現象に繋がっていると考えれば一つの安堵になる。水源は自然の神秘として置きたい。水源・導水路を確かめたくて、科学的調査で地下を掘ったら木霊の怒りに触れて、水は消えて二度と出なくなってしまう危険もあろう。大気圧がかかれば水を押し下げるだろうから。もう一点気付いた。この村の山には特徴が見える。日本の福井県にあるグミ島の形状に良く似ている。その大型の岩山に見える。

カナディアン・ロッキー山脈(カナダ自然公園群): 最高峰はロブソン山3954mである。どの山を見ても柱状節理の筋が見える。一体火山でないとしたらどのようにしてできた山であろうか。

グランド・キャニオン国立公園(アメリカ合衆国自然遺産): 余りにも壮大な自然景観に言葉を失う。巨木説を持って向かえば、如何にも地層の堆積層の証拠を突きつけられて後退りする。衆目の学説に異議は唱えられない。しかし、気掛かりだ。この壮大な堆積層の土はどこから運ばれてきたのか。地球が大きくなったのは太陽からの光線が基である。太陽光線が地球の質量を作って来たことに間違いはない。光を質量に変換するのは植物以外なかろう。この自然の中にも、何か巨木の化石と看做されるような風景も見える。地球の土も岩石も基本的には太陽光線が基で成長した巨木の化石以外考えられない。

スイス・アルプス、ユングフラウ‐アレッチュ(スイス自然遺産):

グレート・バリア・リーフ(オーストラリア連邦、自然遺産):

イエローストーン国立公園(アメリカ合衆国自然遺産):

ヨセミテ国立公園(アメリカ合衆国自然遺産):

巨木の化石と得心(2018/12/21) 昨夜の睡眠の途中で気付いたことがある。それはシダ植物。その思いを以下に記す。

今巨大な植物を想像しても、地下の石炭層からイメージを描くにも困難である。地球の寸法で、石炭層がその表面の大きさを推察する一つのヒントにはなるかも知れないが、その植物を想像することは無理である。しかも、巨木の化石として多く紹介されるものは不思議にも切株のように平坦な台地の形状である。巨人が切りだした訳でもないのに不思議な姿だ。今想像する植物群とは全く異なるものであった。それは節のあるシダ植物群しかなかろう。今見るその痕跡は土筆であり、スギナである。あるいは巨大なサボテンもあるかも知れない。早春を彩る道端の主役は小さなスギナである。早朝にその先端は滴り落ちそうな水の玉を湛えて迎えてくれる。水の創造主・巨大シダ植物が太陽光線から水を創り出してくれたとなるか?地球の秘密・謎がまた一つ増えた。永久に解けそうもない謎・疑問の宝物。柱状節理の形状には理解できなかった断層の節がある。シダ植物となればそれは解消して得心となった。新潟県秋山郷の断層の節がずっと考える脳の外界事象になっていた。石の囁きが木霊になって知らせてくれたかと。

残りの世界遺産の山についての記事は順次確認しながら気付きを記したい。関連記事石の囁き 聞こえますかが基になっている。

波の心を観る

波の象形

波の心

波に心がある訳じゃない。しかし、波の象を理解するには自分の思いを波に乗せて考えなければ、その象の意味を知ることはできないように思う。水力学の方程式に書き表すには、その水に働く自然の心を自分の心と合わせて、水の流れに乗って初めてできるように感じる。波の心と言ったが、もっと深い意味では水の心と言うべきかもしれない。水には二つの象があるようだ。海洋の流れは日本付近で黒潮や親潮などがある。この潮の流れは波とは違う。地球という器に入れた水の動きである。地球の自転が赤道付近の海洋との相対性によって生み出す現象と考える。世界の海洋の流れを見れば、大よそ見当がつくであろう。この潮流は自転する地球上に立って見れば、赤道付近の海洋の流れが地球の回転に付いて行けずに遅れる現象と観るべきだろう。地球の自転は海洋だけでなく貿易風や偏西風の気流にも同じ流れを作ると分かった(この貿易風は検索で今日意味を理解した)。その海洋の現象は波とは異なると解釈したい。ただ、この海洋の流れが海全体に様々な流れない波をも作りだしていると考えるべきだ。また、風が波を作り出すという解釈が多く見られる。それも一つの観方であろう。しかし地球という自転する天体から見れば、風という地上との相対運動の差も貿易風などの地球の自転との相対性で起きているとも見られよう。水の流れる潮流水の流れを伴わない波との二つの類型に区別したい。流れない水の波の代表例が津波の海洋伝播現象である。ここで取上げる海岸線での波も水が流れる波ではない。水が流れないで、上下運動をする波動が海岸に打ち寄せるのである。自然現象を理解するには、学校教育が重要な役割を成している。波についてどのように教えられたか。そんな意味も探ってみたい。

サーフィンと水力学

海岸で海底と陸の繋ぎの地形が急勾配だったり、緩やかであったりする。その形状はさまざまである。やってくる波が水深の変化の大きい勾配の或る程度急な場所ではその波の流れがせき止められる。そんな岸辺の水中の角度αに依って波が立ち上がりやすい海岸線がある。そこでは夏の風物にサーフィンが彩りを添える。その大波は独特の象形を描く。サーフボードを引き上げる水の力が働く。何故水が高く巻き上がるか?何故波の尖端が先に飛び出し、飛沫を作るか?こんな運動力学の物理の良い問題はなかなか無いのじゃなかろうか。物理学には水面波の力学が無いように思う。その訳は、物理学で水面の上下運動の解説にエネルギーの話が出て来ないからである。何故水面が上下運動をするかの力学的解釈が見えないのだ。その波の本源であるエネルギーを観ようとする心を失っているからとしか思えない。エネルギーは、決して運動エネルギーと位置エネルギーだけではないのだ。自然は見え難いエネルギーという自然の心を持っているとも言えよう。理科教育で、水面波がどのような原理で伝わるかを解説できていないようだ。「造波器」という器具を解説で使っている高校理科教育講座を見た事がある。何を教え、伝えようとしているのか滑稽に思えた。水面波の速度はどの程度か。何が伝わる速度なのか?速度の方向は縦波の速度方向である。造波器授業では到底波の心は分からない。葛飾北斎の神奈川沖浪裏の波こそサーフィンの力学を考える具体例と思う。

エネルギーの伝播

水中のエネルギー伝播を認識しなければ津波(海洋では水は流れず、上下運動をしているだけの現象の階段波伝播)の意味など分かる筈がない。造波器にはエネルギーは見えない。海水面に波が立てば、その波の本質は水中の深い所まで及んでいる。何が水中に隠されているかである。最近は大きな災害を暴風や竜巻によって受けることが多い。生活圏の気圧のエネルギーが基本に在る。海水面の標準大気圧1気圧1013[hPa]であれば、その1[㎡]に掛る圧力は101.3[kN]であり、その空間は101.3[kJ/㎥]のエネルギー密度空間である。台風は上空に巨大な吸引機を配置した時の状況と同じような気象現象である。空気の水蒸気密度、気流の速度、風向と地形そして近傍海水温度、気温、気圧等様々な条件で決まるエネルギーの流れが災害の規模を決める。水面の波の現象もエネルギーがその基本を決める。空間媒体中のエネルギーの流れが全ての波の基である。海底10000[m]に缶詰めを沈めたらどうなるだろうか。物理学のエネルギーの定義の意味で、缶詰を潰す仕事の圧力エネルギーという定義の適用例になろう。空間はエネルギー密度空間なのである。それも眼に見えないから分かり難いだけである。水が在ればその水中はエネルギー保存空間なのである。波はその水中エネルギーの縦波伝播現象なのである。波の形状もその断面は正確には正弦波とは異なる筈だ。伝播エネルギーが正弦波でなければならないという論理性が見えないから。津波については、エネルギーで見る世界-津波-(2011/03/27)や大津波の発生原因を探る(2011/04/11)、津波(tsunami)を解剖する(2012/02/12)等がある。

波の解剖実験

水による災害が生活に直接影響を及ぼすから、水力学の研究対象が水の流れる強さに向けられているのだろう。水流の研究は水路を流れる水が対象になっている。しかし自然現象としての波を考えれば、それは水が流れない水の上下運動の現象である。特にここで考える波は、水の流れを伴わない波の現象とその意味である。流れるもの即ち伝播するものはその水という媒体の空間に在るエネルギーなのである。海を眺めて波を見ても水が流れて来る訳ではない。岸辺の地形で、波が高く立ち上がる場所が在る。その現象を物理学で説明できなければならない筈だ。海岸の地形は水の底に在る勾配によって決まる。勾配の角度α[°]がどのように影響するかか解析の要であろう。波の解剖実験をするには水の流れない状態の波を発生する波源をどのように作るかが肝心なことになる。広さと長さと深さが必要になる。岸辺の勾配設定すると成れば尚更難しいことか。そんな事から、波を理解するには身体で感触を得るのが手っ取り早いかもしれない。水泳の種目にクロールがある。水を掻く手先を水の底深くに向けて掻く意識が水圧の高いエネルギー高密度で有利なのかとか。巨大津波の原因が海底の亀裂真空帯発生に在るなどは感覚的な自然現象の認識に負う事でもある。缶詰の潰れ現象からの想像でもある。岸辺の波の尖端の水飛沫が何故出来るか。岸に到達した水中のエネルギー密度が水深が浅くなるため、水中で保持できなくなるから、物理学のエネルギー概念の位置エネルギーとして高さで賄うため高く立ち上がるのである。さらに先端が水飛沫に飛び散るのは高さの位置エネルギーから運動エネルギーに一部の水がエネルギー変換して賄う結果の現象と看做す。すべてはエネルギー一つの水に描がく水の心模様である。数式表現はその得意な皆さんに願います。

波の解剖視点 水の流れない波を水力学として捉える視点を挙げてみた。

波の解剖視点 波は何故水面が上下振動をするか。ただ、それが波というものだ。では力学としては意味を成さないだろう。波源で水の上下振動が起こる。例えば物を投げ込んだ時。視点①その上下振動の周期を何が決めるか?視点②その振動の波の伝播速度を決める要因は何か?更に水面にはとても大きな圧力、大気圧101.3[kN/]が掛っている。視点③その圧力に抗して水を持ち上げる力の要因は何か?視点④水中の圧力分布模様はどのようか?などが不思議な波を理解する要点と観る。結局この圧力分布が水中のエネルギー分布になる。この水中の圧力のエネルギー分布がサーフィンの運動力学の要である。海岸の海底勾配が、到来する圧力エネルギーに対してどのように保存則に作用するかを考えれば、波の立ち上がりが見える筈だ。捉え難いもの、それはエネルギーが見えないものである事かも知れない。

 

フェーン現象の解剖

フェーン現象 日本列島の日本海側に太平洋側から山脈を越えて熱風が吹き下ろす現象などを言う。2017/09/18に台風18号が富山県から日本海に抜け南寄りの強い風が吹いた。その時、新潟県魚沼市小出で真夜中に気温の急上昇が起きたとある。午前0:40に24.8°cだったのが1時間後の午前1:46に33.1°cの猛烈な暑さになった。しかもその熱風は乾燥した空気の流れである。そんな時の恐ろしいのは失火に因る大火災である。

起こる原因 

フェーン現象  海から蒸発する水蒸気とそれを含んだ空気を運ぶ山越えの風が原因である。風上の山越えの空気は上空の冷気で水蒸気が雨となる。水蒸気が含んだ熱エネルギーは空気の中に取り残される。空気を運ぶ風が無ければ、熱エネルギーは空気中で飽和し熱爆発で雷となる。しかし風が空気を運ぶから、熱エネルギーを多量に含んだ空気は山を越えて風下の反対側に下り降りる。

熱エネルギー 熱エネルギー(熱素とも言った)は運動エネルギーとは無関係に独立した実在の物理量である。熱エネルギーは摩擦でも仕事量・摩擦熱として物を温度上昇させるエネルギー変換現象として現れる。乾布摩擦で体が温まる。温まった原因は皮膚が振動している訳ではなく、摩擦による熱エネルギーが皮膚を通して体に溜ったからである。熱エネルギーが身体の組織・細胞の質量体に溜ったからである。決して身体の質量が運動エネルギーを持った訳ではない。水蒸気は水分子が振動等の運動エネルギーとしてエネルギーを持った結果ではない。圧力(大気圧)と体積と温度(大気温度)の関係を持った、水分子の体積膨張として熱エネルギーを保有したからである。ただ水蒸気は他の気体分子とは異なり、アボガドロ定数の関係は当てはまらない特別な気体状態と看做されよう。理論での気体定数が当てはまらない、ボイル・シャルルの法則と湿度と水変態(気体から液体への急体積収縮)の複雑極まりない特性を水蒸気が持っていると観るべきだろう。水蒸気と気象現象の間に横たわる熱エネルギーの解釈が現代物理学の教育内容には適正に取り扱われていない。検索に表れるフェーン現象の解説には『熱エネルギー』の意味が認識されていない。

津波と圧力水頭

はじめに 自然現象を理解するに、『エネルギー』の意味を理解する事がとても大切だと思う。理科教育で、物理学で日常生活に関わる大切なエネルギーが津波と言う生命の危険を察知すべき自然現象の根底にある事を教えて欲しい、学んで欲しいと思う。エネルギー論の一つとして取り上げたい。『エネルギー』の意味を『物が仕事をする能力』と言う解釈で良いのか。

津波 日本語の津波がそのまま tsunami と世界で言われる程日本列島にはその災害が多く発生する。複雑な地殻・プレートの重なり合いの上にある列島である事が地震と巨大津波に遭遇する理由と成っている。その津波について、特に巨大津波の発生現象やその仕組みについて明確に認識されているであろうか。地震によってプレートの重なる海底領域で特別な現象が発生する事が原因であることに間違いはなかろう。その海底の状況がどのように成ると巨大津波の発生源となるかを認識することが必要である。津波と言うと、その姿は陸の生活圏に突入して来る水の階段衝撃波として見て、その恐ろしさを理解している。災害をもたらす津波像はその通りであるが、その姿は津波の本質を示してはいない。津波の到来高さをもたらす原因は水力学の物理学の理論に因る筈であるが圧力水頭の縦波伝播現象として物理学では捉えているだろうか。津波の本質は発生源の海底の地殻変動現象とそれに因って発生する衝撃パワー(エネルギーの時間微分強度とエネルギー量)の海洋伝播現象にある。それは地球の活動の一つである地殻変動の結果の地震が基で起こる現象である。

地震はどのような地球活動現象か 地球の生命は中心核に隠されていよう。核は暗黒の灼熱地獄であろうと思う。そこではすべてが、どんな岩石も溶融した熱源と成っていよう。熱力学はそのエネルギーが高温部から低温部(地球表面)へ流れる事を教えている。エネルギー保存則から地球熱源核の熱量は新たな補給が必要であろう。地球が生きている限りは地殻変動で中心核への熱源の供給活動が必要であろう。中心核のエネルギーは、その核が超高圧力(ボイル・シャルルの法則)に因ってもたらされているのだろうと思うが、万有引力説でも説明できないから、全くの素人感覚での解釈でしかない。地球表面に起こる地殻変動現象は専門家によって、断層の分布が詳しく解説され、地震発生メカニズムの説明がなされている。地球は人間にも容赦なくその活動が災害として襲いかかって来るが、そこに生きる者の宿命であろう。地球の構造について検索すると、マグマやマントルそして中心核の事がそれぞれ別に解説されている。決して中心核とマグマや火山との関係では捉えられていないようだ。何故同じ地球の中で核が活動の中心にあると考えないのだろうか。何故核がマグマと繋がっていると考えないのだろうか。何故地球核の熱源と火山活動が関係していると考えないのだろうか。それは科学が実験的証拠によって初めて科学的論理と認知されるという検証基準があるからであろう。地震がなぜ起きるかを考えたとき、何故地震と核が関係付けられて論じられないか不思議であった。地震は地球の生きる活動の実相であり、その心臓部が核である。地球活動のすべては核が握っている。決して証明できない解釈ではあるから、無責任な素人論かもしれない。『正電荷』の実在証明が出来ないと同じ程度かとも考える。

津波の記憶と記録

  1. 1993年7月12日北海道南西沖地震(マグニチュード7.8)での奥尻島への津波31mの高さまで達したとある。この津波映像をテレビで見たのが地震と津波への関心を抱いた切っ掛けになった。専門家が津波の到達した高さに「何故こんな所まで?」と訝しげに解説していた。しかし、筆者には特別不思議に思う事もなく、水の特性として当然に思えた。しかし、その訳をハッキリと認識しては居なかったと。
  2. 2004年12月26日スマトラ島沖地震(マグニチュード9.1) 新潟県中越地震の歳の暮れに起きた巨大津波である。この地震に関するテレビ映像で特に驚きとやっぱりだったと印象に残ったのは、震源から遠く離れた海岸の引き波であった。海岸が海水が引いて魚が跳ねている映像だった。その後津波が遅れて到達し街に襲いかかる様子があった。この津波映像が巨大津波の発生原因についてある確信を得るに至った。更に、翌年の2005年3月の朝日新聞記事の海底亀裂写真がその意味を裏付けたと考えた。
  3. 1960年 チリ地震(マグニチュード8.6)の記録 丁度地球の反対側のチリ海岸で起きた地震。22~23時間後に大津波が日本に到来し大きな被害をもたらした。日本の東海岸でも津波到達前に引き波があったとある。
  4. 1896年(明治29年)6月15日明治三陸沖地震津波の記録 38.2mの津波の高さとある。日本列島の何処でどのような津波の高さに襲われるかはすべて予測できないと覚悟しなければならなかろう。30mを超える可能性がある事だけは認識しておくべきだ。防潮堤で防げるものではなかろう。

圧力水頭 圧力水頭と言う言葉は水力学の用語である。特に水力発電技術の用語として馴染んで来た。津波現象を理解するにはこの圧力水頭の意味を知っておくことが大事であろう。その意味は海底の深い地点での水圧が強いことがその海水の空間がエネルギーを保有していることと関係しているからである。海底の深さは技術用語の圧力水頭の意味に通じている。水深の深さがその海底空間のエネルギー量を表すと看做せよう。空間の持つエネルギーはボイルの法則の体積V[]と圧力p[N/]の積でエネルギーE=pV[J]となる意味から分かろう。発電技術ではダムと発電機水車の関係で捉えるようだ。フランシス水車の水力学を例にその圧力水頭の解説をしておこう。

フランシス水車と水頭 水車にはカプラン水車、ぺルトン水車などがあるがフランシス水車が水圧、圧力水頭の理解には適していよう。高い位置のダムと低い場所の間の水圧差を利用して、そのエネルギーを電気エネルギーに変換するのが水力発電所である。ダム水位と放水面はともに大気圧である。だからそのダム水位の高さ(それが総水頭)がそのまま発電エネルギーに利用できる。導水路管の図のq点の水の持つエネルギーはどのように表されるか。その単位体積当たりの水の質量は密度ρ[kg/㎥]で表される。

その位置エネルギーは水が流れていても、ある瞬間のその位置の水のそれは

ρgh[J/㎥]

である。

水の流速度v[m/s]とすれば、速度エネルギーは

(1/2)ρv^2^ [J/㎥]

である。

圧力エネルギーは、その点の水圧p[N/㎡]とすれば 1[㎥]の体積との積で

p[J]となる。それは単位体積当たりのエネルギーであるから

p[J/㎥]

となろう。

総エネルギーE[J/㎥]は損失のエネルギーElを加味して、

E= ρgh + (1/2)ρv^2^ +p +El       [J/㎥]

である。

上の各エネルギー成分を水柱の長さ[m]で評価するのが水頭になる。Eを水頭に変換するには、ρg[(kg/㎥)(m/s^2^)=(N/㎥)]で割ればよい。

H= h + (1/2)(v^2^/g) + p/(ρg) + El/ρg  =  h + hv + hp +hl [m]

と表される。

 圧力水頭 hp [m]は流水量の調節によって変化する。もし水車の回転を止めたとする。その時、水車の入水面の羽根に掛る水圧pは総水頭H[m]分の水柱の圧力と等しくなる。p= ρgh [J/㎥ =N/㎡]となる。その点の水の単位体積当たりの空間エネルギーがp[J]である。そのエネルギーを水柱の長さで捉える手法が水力学の「水頭」の意味である。フランシス水車のタービン羽根の入射面と出口面の圧力差は圧力水頭H[m]に近い。出口面の部分的水圧が大気圧以下になれば、キャビテーションと言う状態が発生し、効率が落ちる。フランシス水車は圧力水頭を利用する水車とも言えよう。さて、この水頭と言う意味を海の海底を例に考えてみよう。海底1万メートルの水頭の海水の単位体積当たりの保有する空間エネルギーは幾らであろうか。海水が静止状態で保有する空間の圧力エネルギー量(熱など他エネルギーは考えない)である。海水密度と水深1万mから、10万[kJ/㎥]程になろうか。地上の大気圧の空間エネルギー密度が100[kJ/㎥]に対して。しかしこれらのエネルギーは仕事をする能力は持ち合わせていない。利用できないから物理学の対象に取り上げられないと言うことであろう。利用できなければ、存在しても「見えない」ものになる。自然の真理を説き明かすより、利用する現実が物理学の対象となっているのかもしれない。しかし、津波の問題となると、完全な地球の自然現象の現れである。地球は人の為の自然活動ではないから、そこに自然の真理を認識する必要性が、津波現象解釈に持ち上がる。津波を圧力水頭の関係から考えてみよう。

水深圧力水頭 大気圧の海面空間のエネルギー密度は大よそ100[kJ/㎥]である。この空間の持つエネルギーと言う概念は物理学理論では余り認識されていないようだ。そこに更に加算して、海底の空間が持つエネルギーも同様に存在する訳である。大気圧を除いて、水深だけの圧力水頭を水深圧力水頭として図に示した。海水の密度ρ[kg/㎥]は水深D[km]によって多少は変化するだろう。日本海溝の水深5000m当たりに成ると、ρ=1[t/㎥]一定と仮定して、その海底の空間の持つエネルギー密度Edは49[MJ/㎥]程になる。この空間の持つエネルギーが地震時の巨大津波を引き起す原因であると解釈する。

津波の海洋伝播波形 遠い地点で発生した津波が海洋を伝播して到達する。その波形はどのような特徴を持っているか。その波形の形状は丁度雷の衝撃波形と似たものである。波の先頭部、波頭が急に競り上がりその後はなだらかに波高値が低下する減衰波形の長い波尾長で続く。津波の特徴はその波形の解釈に隠されている。しかも、その伝播する波は海水の質量が流れる訳ではない。海洋の津波には運動方程式の速度を担う『質量』に当たるものがないエネルギー伝播現象である。研究所で津波の水流の強さが実験されているが、それは地上に上陸した後の津波の水の質量の持つ運動エネルギーを実験的に検証していることでしかない。それは特に津波には無関係の普通の水力学の実験でしかない。津波の本質は海洋を伝播するエネルギーをどう認識するかに掛っている。先ず第一の問題は何故そのような長い波尾長の波形になるかの原因を明らかにする事である。それは特に巨大津波の問題として重要である。その波尾長がどのような意味を持っているかを理解する事は巨大津波の到来エネルギー量の意味を理解するための要である。普通の短い周期の波動なら、高い波高が海岸部に到達しても大量の水の上陸とは成らない。堤防で阻止出来よう。しかし巨大津波の特徴は長い波尾長の連続した到達エネルギーが水の質量のいわゆる運動力学に因る水流として上陸する点にある。階段波のエネルギーの長さが巨大津波の特徴である。津波発生源で、そのような長周期波尾長となる波動がどのような状況で生まれるかを考えることが大切であろう。専門家の解説では、プレートの重なり領域で『ずれ』と言う結果が地震により生じるとされている。その『ずれ』にもいろいろの現れ方があるようだ。

『ずれ』と海底亀裂・海底陥没 ずれにも水平ずれや垂直ずれなどがあるらしい。地震時には、陸上でも活断層に大きなずれが起きる。そのずれには大きく口を開けたような裂目もできる。断層帯では跳ね上がりより陥没、崩落が多いように思える。その事が海底における断層帯のプレートの重なり領域となれば、陸上の活断層とは比較にならない大きなずれが起きるものと考える。水平ずれや垂直ずれとその地震時のずれの様相も様々と解説されている。水平ずれと垂直ずれの意味も、その現象の違いを的確に理解できている訳ではないが、自己流に捉えている。垂直ずれの場合はプレートの重なりの断層で、プレートが下方に陥没するものであろう。地震後の地殻の変化は、兎に角地球中心方向へのエネルギー源の供給が成される筈と解釈する。そのエネルギー源の核での燃焼結果の噴出現象が火山活動としての溶岩流や噴火活動となっている筈と解釈する。殆どの地震活動で、震源が海底であれば、海底陥没か海底亀裂を引き起す結果に至る事が多かろう。海底が深ければ、その海底の空間保有エネルギーも大きい。その高エネルギー密度空間で、突然亀裂や陥没が起きれば、その瞬間は急激な真空空間が生まれると同じ状況になる。その空間の時間微分が発生のパワーになる。地球にはその途轍もないパワーでも寝返りを打つ程度の日常的なことでしかない筈だ。

海底亀裂・海底陥没と引き波(津波前の)と津波波動波尾長 巨大津波が襲来する場合に、必ずしも引き波があるとは限らないが、引き波があったら巨大津波が襲ってくると考えなければならない。巨大津波はその海洋伝播波動の波頭値だけでなく、その波尾長の長さがエネルギー量の大きさを持っているのである。波尾長が長いと言う事は、海岸に到達した場合に、押し寄せるエネルギー密度が長い時間に亘って途切れなく押し寄せ続ける訳であるから、どこまでもそのエネルギー量を陸に向かって流し続けることになる。止めようがないのである。水の保有エネルギーは全体が慣性体として働くようにとても避けられるものではない。海底亀裂・海底陥没が大きければ、その衝撃波の影響は海の全体に及ぶ。それが震源地に海水を引き寄せる引き波として海面のあらゆる方向へ伝播される。その引き波現象として引き寄せられる水の周期が津波波動の波尾長の長さや波頭値に現れるのである。

海洋の津波波形 津波源から海洋を伝播する津波波形は図のようであろう。この伝播現象の特徴は波頭の海面の立ち上がりとその波尾のなだらかに減衰する波形にある。その海水面より高いhoの海水は進行方向に流れる訳ではない。順次水面が上昇しなだらかに下降する、上下運動の海水の波である。海水は基本的に運動エネルギーを持たないエネルギー波の伝播媒体である。海水面の高さだけ平常面の海水の圧力エネルギーが海底まで増加した、圧力エネルギーの進行方向への縦波伝播現象と看做せる。しかしこの圧力エネルギーが海岸の浅瀬に到達すると、圧力エネルギーでエネルギーを保持できなくなるから、水の質量mの進行方向への運動エネルギーにエネルギー変換されることになる。それが津波の上陸の波動になる。この海洋の津波波形を産む原因が地震震源域の海底陥没や海底亀裂に因る突然のエネルギー欠損空間の出現であると考える。その欠損空間エネルギーを目がけて海水の突入現象が起き、海洋に引き波が伝播する事になる。海水全体が一体的な慣性流体のつながりの運動として引き波となる。その引き波の物理現象をどのように解釈するかの問題であろう。

引き波の物理現象 この引き波の物理現象をどのように解釈すべきかは未だ思案の中で、捉え切れていないが取上げる。巨大津波の発生原因となる引き波の物理現象を認識する事が大事だ。単発のプレートの運動に因る海水の跳ね上げで巨大津波が発生するとは感覚的に理解できない。水の力学は水泳などで感覚的に感じ取れる。信濃川の遊びで、アユや鮠(ハヤ)のあの俊敏な泳ぐ速度を見るにつけ、水の慣性体としての不思議を思わずにはいられない。こんな水に対する感覚が津波現象への筆者の解釈の基になっているようだ。海底陥没に因る高密度エネルギー空間の欠損空間出現(真空状態)が津波発生の源となり、そこへの海水突入が海洋波動伝播現象としてに広がる。その波動到達海岸で引き波が観測されることになる。海岸では水が海洋に流れゆくように、海底が現れる。しかしその水が津波源まで流れて行くと解釈するべきかどうかは、未だ納得しかねている。水のエネルギー欠損を補うように移動するだけであるかとも思う。津波波動の波尾長を決める水流は津波源の周辺からの流入量でほぼ決まろう。海洋周辺から津波発生原(地震震源地)への、その流入量を決めるのは震源地の海底陥没あるいは海底亀裂の体積とその時間的体積微分値のパワーである。それが基本的津波の大きさを決める要因である。引き波(津波発生原因としての)の物理的伝播現象は残された課題でもある。津波上陸後の引き波は普通の水力学の話であるが、その意味とは異なる。

東日本大震災(2011/03/11)の津波 海洋研究開発機構(JAMSTEC)が2017年に日本海溝の調査結果を発表している。それは海底のずれが65メートルであると報告されている。そのずれの意味を陸側のプレートが海洋側へ水平にずれたという意味と解釈する。その報告のずれがどのような訳で、あの巨大な津波を引き起した原因となったかを考えた。日本海溝は太平洋プレートが日本列島のプレートの下に入り込んでいる。何故陸側のプレートが太平洋側にずれを生じたかに、その地震の持つ意味を理解する重要な鍵が隠されているように思う。プレート境界が地震の震源となる場合に、巨大津波が発生する可能性が多いのではないか。今回の陸側が太平洋側に65メートルずれたとしたら、それは地震震源の太平洋プレートが大きな領域で地殻陥没が起きたからであろうと解釈する。地球の内部がどのように成っているかは分からないが、相当大きな空洞が出来ているものと考える。地殻が陥没するのは空洞があるから当然と考える。その結果が地震であり、海底地殻陥没が巨大エネルギー空間の欠損を産み、そこへの海水流入が巨大津波を産む原因であると考える。65メートルの地殻のずれと地震震源域での海底亀裂も報告されている。海底亀裂がどの地点に生じたかは知らないが、ずれた陸側プレートの上であるのかとも考えられる(?)。