カテゴリー別アーカイブ: エネルギー論

津波前の急激な引き波-専門家に問う-

2019/06/18 新潟・山形地震が起きた。夜の地震に緊張した。津波警報が出されたが、津波被害は無く安堵した。

専門家に問う 津波前の引き波が何故起こるか。その原因を何と解釈するか。津波前の引き波が大きければ、確実に巨大津波が襲ってくる。その訳は何が原因と解釈するか。

「津波から守りたい」多くの漁船が沖へ の見出しで、新潟日報(6月22日)の記事が有る。記事の中には、「山北支所によると、1983年の日本海中部地震や93年の北海道南西沖地震の際、津波で港内の海水が急激に引き、船が転覆しかけたケースがあったと言う。・・」とある。93年の北海道南西沖地震は自分も地震に伴う津波現象の物理的意味を意識して考えた最初の事件であった。奥尻島への津波襲来で多くの犠牲者が出た。その時地震の専門家の話で、『何故こんなに高くまで津波が押し寄せるのか?』と話すのをテレビで聞いた。その話を聞いて思った。一体専門家とは水の特性を知っているのかなと不思議であった。それが切っ掛けで、津波現象の原因を自分なりに整理して、納得した。巨大津波の原因は断層付近における海底陥没に因る海水の流れ込みであると。その流れは水の特性としての波動現象として遠い海域の範囲におよび、地震震源地まで次から次と海水が流れ込むことが起きる。その膨大な海水の流れ込みが巨大津波となって、海岸に襲いかかる現象である。

その後の津波現象の原因に関する地震専門家の学説を聞くと、みんな海洋プレートの重なり地点で長い期間に亘る『ひずみ』が蓄積し、その解放で上部の地殻が跳ねあがる現象だと解説されている。そんな馬鹿な現象であの巨大な津波現象が起きる訳など無い。2011年3月11日の東日本大震災の津波で、大陸が跳ねあがるとすれば、太平洋側に向けて跳ね上がる筈だ。波は太平洋に向かって進む津波となり、日本の太平洋側に等あれ程大きな被害を起こす訳がない。大陸の跳ね上がり現象が津波の原因と言う学説は決定的な専門家の誤解である。小学生のころから、夏は信濃川の川底の深さが解らに程の深い崖で飛び込みや泳ぎで水の慣性を肌身に感覚的に染み込ませてきた。そんな感覚から津波の原因が海水の急激な地震地点への流れ込みだと捉えた。しかも津波のエネルギーは決して海水の運動エネルギーではないのだ。沖では海水の移動する速度など持っていないのだ。圧力エネルギーが海水に乗って流れる現象であり、海水は移動しない。津波は海岸に到達して初めて海水の流れの運動エネルギーにエネルギー変換する現象なのだ。政府が東南海地震の津波の映像として示すピコピコと跳ね上がる波形は津波の姿ではない。

今回の新潟日報の記事に在る、過去の「津波前の海岸海水の急激な引き波」現象の証言は実際の津波現象の原因を如実に物語っている。漁師さんが船を沖に避難させるのは、必死の思いでの行動であろう。しかし海岸での地震は津波の危険から逃れる為には、素早く高台に逃げなければならない。船は沖に逃げれば、被害を免れる。新聞記事にも 専門家「柔軟に基準を」とあり、専門家もある程度意味を理解してきているのかとも思う。国や県「生命を優先して」は漁師さんに対しては少し違う意味があるのではないか。一般住民への意味としてはその通りであろう。漁師さんには、引き波に因る被害を避けられれば、船は沖で津波に真向かいに向かっていれば安全にやり過ごせることは確かである。時間と危険のきわどい賭けではあるが。

エネルギーとは何か

科学論としては『エネルギー論』が核となっている。ようやくその意味の全体像が捉えられるような心境に在る。そこで、改めて『エネルギーとは何か』と検索してみた。とても有益なエネルギー論考に出会った。少し古い(2009年)が、とても論理的で、よく考えられた記事の小人さんの妄想である。今まで、エネルギー(ENERUGY)とは? (2011/09/07) などをはじめとして電磁気現象の自然世界を『エネルギー』一つによって捉える論理的世界を捉えたかと思いたい心境に在る。それでも、『エネルギーとは何か』に答える助けになれればと論考を重ねる。(2019/06/15追記)また、EMANの物理学・力学・エネルギーとは何かと言う記事が有る。136万件の検索のトップに在る。この記事は所謂物理学教科書の解説に成っている標準的内容であろう。「エネルギーとは仕事をする能力」と言う定義に因って、「力×移動距離=仕事(エネルギー)」の解説に成っている。しかし、ここで考える内容はその解釈では通らないものに成っている。重力場(加速度g[m/s^2])での持ち上げる力も必ずしもf=mg[N] とは限らない。

小人さんの妄想の論考に応えたい。位置エネルギーを主題にして、重力加速度g[m/s^2]と力の関係を論じている。そこで論じられていることはその通りである。考える拠り所として、図に表した。m[kg]の質量が有る。基準からh[m]の高い位置に有れば、その物は位置エネルギー E=mgh[J] を保有していると解釈する。小人さんが論じていることは、物体を持ち上げる時重力 f1 と 持ち上げる力f2 の間に力が釣り合っていて、物体に掛る力は常にゼロではないか。それなら位置エネルギーは増加しないだろうと言うことの論理的矛盾を問うものと理解する。しかしそこのところは少し違うだろう。物 m[kg] に掛る力 f [N] はその物に生じる加速度によって捉えることが力学論の定義であろう。もし加速度  α[m/s^2^] で運動するなら、それが力の意味になる。その時は力 f [N] はゼロではない。だからと言って、小人さんが指摘した力の関係の問題に納得出来る訳ではなかろう。そこで更に問題となることが図の(※)の場合だろう。上昇速度が一定なら加速度はゼロである。従って、加速度ゼロなら力の定義からやはり力はゼロとなる。エレベーターを一定速度で上昇させた時、加速度ゼロだから力学論の定義によれば、エレベーターに掛る力はゼロとなる。力と距離の積で解釈するエネルギー即ち位置エネルギーはゼロと言うことになる。幾らなんでも、それは理屈に合わない。エレベーターを上昇させれば運転動力を使いエネルギーを消費する。エレベーターが高く上がれば、それだけエレベータは位置エネルギーを増加して保有することになる。少し付け加えて置くが、エレベーターの場合は平衡重りが掛けれれているので、重力あるいは位置エネルギー量には注意しなければならないことが有る。 それにしても加速度ゼロでの運転では、位置エネルギーの問題は小人さんの仰る通り、運動力学の理屈に合わないことは事実である。それを『力と位置エネルギーのパラドックス〈理屈と実際の間の矛盾〉問題』としておこう。

力と位置エネルギーのパラドックス問題。この問題の解釈の仕方について筆者の考え方を述べよう。地上から高くなれば、そこに在る物体は地上に落ちる時そのエネルギーを利用できることは間違いない。その物理現象は十分エネルギーの意味を説明するに役立ち、正しい。それが力学理論の『エネルギー』とは仕事をする能力として定義したことに対応した正にその意味でもある。しかし、重力に基づく位置エネルギーの増加の意味の力の概念は一般的力学理論による解釈に因る理屈で素直に受け入れられない矛盾が残る。

追加されるパラドックス。人が重い荷物をじっと持ち上げて居るとする。荷物を動かさないで、静止状態とする。それは仕事をしていることに成るのか?運動力学の問題になるか。力学が人の日常生活に結びついた、生きた学問となるにはどうしても『エネルギー』に視点を置いて納得できるものでなければならない筈だ。子供を負んぶしているだけで、人はエネルギーを消費し、仕事をしていることに成る。力と移動距離の積が零でもエネルギーのジュール[J]の消費に成る。この場合の力は、速度ゼロであるが、正しく重力に等しい値だ。エレベーターで、モーターに電源を繋いで回転停止の途中階で静止した状態の運転に等しかろう。モーターをロックしていないから重力に平衡した上向きの力で、運転エネルギーは消費している。法則は解釈の手法としては便利である。科学的な一律の解釈法が実際の世界の真理を示しているとは限らないことも有ると言う事を意識の片隅に認識しておくべきであろう。

結論と解答。 以上、小人さんの妄想の論考に応えたい で考えを述べた。しかし何も答えに成っていない。如何にも尤もらしい解釈をしたが、加速度と力の関係で間違いが有った。多分気付かれた方も多いと思う。何が間違っていたかの問題としてそのまま残しておく。図で再び訂正する。それは『加速度とは何か』の問題であった。重力場で、上昇力ベクトル fo  の加速度ベクトル αo [m/s^2] とする。今、質量m[kg]が地表面に対する加速度α [m/s^2] で上昇しているとする。その場の重力加速度 g [m/s^2] が高さに関係なく一定と仮定すれば、上昇力 fo [N] の加速度 αoα と更に重力加速度 g の合成加速度となる。静止した質量mを支えるだけで、重力加速度に対抗した力を掛けることに成る。その時位置エネルギーは増加しないが、力を掛けるだけでエネルギーは消費する可能性がある。mを荷台に乗せたとする、その時は荷台がエネルギーを消費するとは考えない。エレベータのモーターを機械的にロックしておけばエネルギーは消費しない。さて、速度が如何なる値でも、加速度α=0 ならfo=mg[N]で上昇するから、その力 fo と上昇距離との積の分だけ位置エネルギーは増加することに成る。従って、位置エネルギーは E= mgh [J] となる解釈に矛盾はなかった。しかし、α≠0 の時にE=mgh が成り立つかは分からない。そこには、位置エネルギーと言う概念が規準面からの高さh [m] だけで決まり、過程の状況には無関係に決まると言う意味にみえる。一つ簡単な例で確認してみよう。質量 1 [kg] の物体を1秒間だけ加速度α=0.2{m/s^2] で上昇したとする。その時の力の加速度はαo=10[m/s^2] となるから、力はfo=10[N]となる。この1秒間の上昇距離⊿hは0.1[m] だから、力との積は10[N]×0.1[m]=1[J] となる。しかし、位置エネルギーの算定は E=mg⊿h=0.98[J]となる。これは 1≠0.98[J] で等しくないから、力と距離の積に因るエネルギー量[J]の関係は成立しないことが検証される。そこに、位置エネルギーの高さ h[m] とは何か?と言う意味が持ち上がる。暗中模索式導水路。暗中模索さんに水力発電所の導水路の設計をお願いした。誠に穿った設計をなさった。途中の水流速度が複雑に変化する。速度v1の位置は水流が加速度の有る状態で、速度v2の位置では低速度の定常流に成る。ベルヌーイの定理で解釈するが、位置エネルギーはすべて規準面からの高さ h[m] だけで捉える。水の加速度や速度が如何なるかには関わりなく、ただ高さのみで位置エネルギーだけは決まることに成っている。速度エネルギーや圧力エネルギーのような相互間の変換は考慮されていない。位置エネルギーと言う物理概念も、考えればその論理性で単なる科学技術概念でしかないのかも知れないと。規準面を何処の位置とすればよいかは論理的に厳密ではない筈だ。地上5mの高さに10kgの重りのハンマーを設置し、地表から100mの深い穴に楔を打ち込むハンマーに利用する。利用するエネルギーは幾らか?しかしそのハンマーを地表面に戻すにはエネルギーがいる。差引科学技術利用エネルギーはやはり地表面を基準とした解釈に成る。さて、自然現象としての位置エネルギーを物理学理論として定義付けるには、本質的な意味で納得出来るかと言う疑問が残る。地表面に居るだけで、我々は地球の自転・公転の運動エネルギーの支配する自然環境に居ることに違いはない。折角回転運動エネルギーの意味を物理学で学んでいながら、地上高さがその回転運動エネルギーとは関わりのないものだとは解釈出来なかろう。位置エネルギーの『位置』と言う意味は、エネルギー利用技術からの量と看做したい。結論としては、地表面での重力加速度概念の場での位置エネルギーは、上昇力や消費エネルギーがどの様であろうと、過程には関わりなく、ただ高さ h[m] に在る質量 m[kg] の地表面で利用できるエネルギーは E=mgh [J] であると言う科学技術概念でしかないのだ。

 

電子とエネルギーと質量

『エネルギー』を窮めよう。エネルギーと繋がりのない世界は無いから。全宇宙、この世界で『エネルギー』の構成要素となる素粒子は決して存在しないから。

mc^2^から物理学を問う (2019/04/25) で述べたかった質量の意味。独楽の心 (2019/01/05) や熱の物理 (2019/02/07) にも繋がる。

時代はエレクトロニクス全盛期。
電子(Electron)と光子(Photon)が科学理論の根幹を担っている。物質の元素は原子である。原子理論は電子あっての基に成り立つ。そんな時代のど真ん中で、独り妄想にふける。端無くも電流は流れず (2010/12/25) にはじまる多くの顰蹙の種なるお騒がせを招き申し訳なく思いつつも已む無き事情に流されながらここまで遣って参りました。古くを辿って、再び電池の回路(電池のエネルギー)に戻る。電池は何を貯めているのかと不図の病が頭を支配する。己の愚かさを嘆きつつ『この電話は今は使われて居りません』と拒否されながらも、心の吐露をせずには進めぬ道に在るかと。電池の重さの意味に耐えきれず、その質量を計らんと無理を承知で心の感性に乗せて観んと思い付く。不図の病、それは電池からエネルギーが負荷ランプに供給され、エネルギーが光と熱に変換されて消費される。電池は少しも熱くはないが、電池の何が負荷で熱に変わるのか。ここの『エネルギー』と言う意味・物理量が現代物理学理論で捉えられ、説明されているのか。それは決して高等数学の式では説明できない自然の易しさの中に隠されている真理と言うもので御座います。電池の中味がどのような化学物質ででき、構成されているかは分からなくても、自然の心を捉えるには特別難しいものではない筈なんだ。『エネルギー』が何たるものであるかを感じ取れれば宜しいのだ。それは電池の中に確実に溜って実在しているものなんだ。重量が計れなくても、化学物質の質量増加分として蓄えられているものなんだ。『質量』とは何かとまた顰蹙(ヒンシュク)の《問答》にもなる話だから、誠に御迷惑かも知れない。化学物質を顕微鏡で覗いても見えるものでも、質量増分を計れるものでもないから科学論証も出来ない話であるので、ご迷惑か混乱の基となるかも知れないが。筆者は原子質量が『エネルギー』の局所集合体としての、電子も陽子も無視した「Axial energy flow」結合構造と看做す物としての科学常識離れの認識に在る。マグネット近傍空間のEnergy flow は全く熱に関わりのない『エネルギー』であることも心に乗せて。それが電池の『エネルギー』と『質量』の等価性の原理の基である。E=mc^2^[J] の物理的意味である。ここから電池が電子を導線の中に流し出して、回路を還流したら、どのように電池に蓄えた『エネルギー』を負荷ランプに供給することになるかの《問答》が始るのだ。特別数式など無くても日常用語で説明できる筈だ。それが『電子』の意味を問うことになろう。

電子の実相を尋ねて。
最近の電子論、エネルギーから電子殻を問う (2018/05/21) や電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で論じてきた。電気回路の問題では、必ず電流が含まれる。その電流概念で、正の電荷が流れるとは言えない為、電子が電流の流れと逆向きに流れていると解説される。この解説が検索情報の標準的なものとなっている。誰もその解説に疑念を表明することも無い。だからそれは世間の科学常識として子供達に教えられることになる。多分学習塾でも同じ説明がなされているのだろう。ここで再び、電流は電子の逆流か?と言う事を考えて置きたい。考えるにはその電子の逆流と言う回路状況を具体的に図に表現して見るのが良い。まず電子が電線路にどのように分布している状況かを示さなければならない。大事なことは、解説する人が先ず自分がどのように考えているかを空間的に図に表現することが必要だ。筆者もその意味で、皆さんが電子の逆流だと解釈する意味を、電気回路の電線に書き表してみた。電子が電流の方向と逆向きと言うことは、電線路全体に均一に分布していることと考えてよかろう。その分布電子が同一の速度で均等分布の流れとなっていると考える。それが図のようになる。この図の表現内容が間違っていると言うなら、それの間違いを指摘して欲しい。どのような電子の密度で分布するか。それは電子の速度が何によって決まるかにも因る訳で、その訳が明確に示されなければ分布も決まらないと思う。 『電子電荷』の速度を決める力学原理は何だっけ?電気回路の現象も特別難しい訳ではない筈なのである。解説する原理や論理性が明確であれば、それは日常用語で十分説明できる筈なのである。クーロンの法則に従うのか従わないのかを解説者自身が立ち位置を明確にして述べれば分かる筈である。上の図を見て、教科書を執筆されている専門の方々が、怪しいと思うか思わないか。そこに抱く意識に問題の解決の糸口が有る筈だ。ネット上の解説が正しいか間違っているかを。まず電子が電線路導体を流れると言うことは、図のように『負』の電荷だけの分布で良いのか?『正』の電荷の分布は無いのか?電池とは電子の回路循環機能だけなのか。電池の『エネルギー』はどのように負荷に供給されるのか?解説の中には、電子が移動すると、逆に電子の抜けた殻の穴が『正』の電荷の意味を担って、電流の方向に流れると考えれば良い。等の解説をする方も居られる。その方も自分の思う電気回路図を描いて、その全体の図で御説明されればよいと思う。兎に角、上の図では電気回路は『負』の電子だけで『正』の電荷の出る幕がないことになる。今までの説明には数式は使わないできた。どこか数式がないと説明にならない処が有っただろうか。科学の心を伝えるには数式など無くても良いのだ。政府の津波対策の防災情報で、海岸線の津波波形の図が余りにも滑稽過ぎて、誰があんな波を津波と考えるかも水の心が理解できていない科学論が招く怪しさなんだ。科学とは自然の心を心で受け止めて、心で伝えることだろう。解説者が自分の心に偽りのない意味を伝えてこそ科学論になる筈だ。偽善科学はやめましょう。

 

電子は流れず

電流は流れず と述べてきた。しかし少し表現を変えた方が分かり易いと思う。電流は科学技術理論の要として重要な計測量である。電流計で計れると言うことが如何に優れた科学技術文化であるかを認識することが重要である。ただ、その電流と言う計測量が電気回路の導線内を流れている訳でもないことも確かなことである。さらに、その意味を解説する時、導線内を『電子』が逆向きに流れていることが電流の物理的現象の意味だと説明されるのはもっと科学理論の怪奇さを深めることになる。電気回路の自然現象は『エネルギー』が導線の近傍空間を流れるものである。導線の中など何も流れてはいないのである。電流だけでなく電子も流れてなどいないのである。

中学2年生の理科勉強法として、向きが逆なのは何で!?電流とは何かを・・が検索569万件のトップに在る。何故中学生にこんな意味の分からない内容を教育に取り入れているのか。結局このような内容を覚えさせることが、理科の国家教育統制で、考える力を失わせる原因になっているのだ。若い考え方の柔軟性を失わせているのだ。電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で取上げた電子の責務と珍道中の図を載せておくので電子の役割を考えて欲しい。

リサジュー図形と技術

リサジュー図形は技術評価の観測手段として有用である。オッシロスコープで3次元(時間と平面)図形として観測できる技術手法である。先日、記事整流回路とリサジュー図形が見られていた。そこに図5.スイッチングとリサジュー図形(e.i)がある。電流ベクトルiの描くリサジュー図形は6角形の頂点の6点を示す断続のリサジュー波形となる。その直流側の負荷は平滑リアクトルLが在るため、直流電流は一定値となる。三相交流電流波形は方形波である。その為電流のリサジュー図形が6点のみになり、6角形の辺は見えない筈だ。瞬時に6点にジャンプ移動する筈だから。今回リサジュー図形の意味を理解するのに参考になるかと少し追加して置きたい。この三相全波整流回路で、負荷がリアクトルL=0で、抵抗のみの場合は電源側の電流も波を打つ

変動波形となる。この場合の瞬時空間ベクトルのリサジュー図形で、電流ベクトルi に変化が現れる。その時のリサジュー図形を示す。a、bおよびc相の電流瞬時値ia、ibおよびicの値から図のように6角形の頂点に臍のような軌跡が現れる。

 

 

 

 

 

 

この電流ベクトルリサジュー図形に似た波形が在る。pq理論のリサジュー波形を見つけて (2014/11/21)の写真②に似た波形が在る。この写真波形は、後に空間瞬時ベクトル解析法と交直変換器への適用 (2011/10/30)と言う研究会資料になった基である。この研究会資料のp.77~p.79 の3次元軌跡図はリサジュー図形である。電力系統監視システムとして有効な手法と考えた。電力系統の状態を瞬時監視手法として生かされる筈だ。系統の瞬時アドミッタンス値と言う捉え方は余りなかった手法と思う。しかし、諸般の事情によりもっと大事な『静電界は磁界を伴う』の物理学基礎概念への方向転換になり、大学の講座性も工業高校と同じような気分で意識なく、研究能力の欠落かと、人権侵害の中に居るとは知らず、非常識の立ち位置から居場所も無く頓挫した。昭和62年、63年に電磁界理論研究会で、 電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察(EMT-87-106) と 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 (EMT-88-145) を発表した。それはパワーエレクトロニクスの電力部門の講座に所属する内容ではなかった事を後で理解したが、無我夢中の夢の中のこと。 考えてみれば、昭和39年から、新潟県教育委員会はじめ、採用説明会と事務の取り扱いを一度も受けた経験が無かった。共済組合の加入手続きも書類に記載し印鑑の捺印など、一切した事も無かった。しかしそんな中で30年、50年以上の思考で、不可解な電荷の物理学の本質に辿りついた。研究者の端くれとしての責任と社会への貢献の一部は果たせたかと。

電気工学とリサジュー図形としてはピタゴラスの定理とオイラーの公式そして電気ベクトル (2017/01/15) 、ソーヤータワー回路の謎 (2016/07/19) さらに励磁電流とは? (2019/04/14) および変圧器-物理学解剖論- (2011/09/13)などを過去の記事から拾っておく。

pq理論と瞬時空間ベクトル。そのリサジュー図形を理解するには少し専門的な意味を理解する必要があろう。三相交流瞬時空間ベクトル (2017/04/07)  および単相瞬時空間ベクトルと瞬時値 (2017/03/04) が参考になるか。三相交流に瞬時虚電力qのベクトルを導入したことで、電気ベクトル空間座標が時間と合わせて4次元座標となった。

不可解な電荷

電気理論は易しいようで難しい。その訳の一つは数式で解釈する処に在るのだろう。数式で表現されると、数学的な内容を理解しようとして、電気的な現象の中味を理解する事に注ぐ余裕が無くなることも原因に成っていよう。後で不図不思議だとか、何故かと疑問が浮かんでも、考え直す時間的余裕がない為、後々までももやもやが残るのかと。ITなどに、質問で『電荷』とは何かと疑問が多いようだ。数学・数式は『電荷』が実在するかしないかを論証はできない。人が設定した条件・仮定の上での解釈しか論証できない。科学理論の根源的概念に、『電荷』、『質量』更に『光』あるいは『エネルギー』などを挙げて良かろう。それらの中で際立って不可解な物理量・概念が『電荷』である。多くの皆さんが自然界に実在すると考えているかと思うその『電荷』を否定する為に長い30年以上の道程を辿って来た。学術論の「雷」などもその『電荷』概念に基づいて論じられている。その『電荷』を考えることは、自然科学理論の何たるかを考えることにも通じることである。
《電荷問答》
初学者が後々疑問に思うだろうことを問答形式で取り上げたい。この辺の内容を授業をなさる先生方に良く汲み取って解説をして頂きたいと思ってもいる。授業の展開方法に、論理的矛盾は無いか?本質的に見過ごしている視点は無いか?本当に深く突き詰めて納得して教えているか?失礼を顧みず少し気掛かりな視点を取上げて論じてみたい。『電荷』とは実に不可解な概念であり、とても自然界に実在するとは信じられないから。

①クーロン力。クーロン力はこの世界には『正電荷』と『負電荷』の2種類の『電荷』が実在することを絶対的な科学理論の条件に据えて、その電荷間に働く力を数学的な式で表現した自然世界の法則である。と言うことが現在の電気理論の世界の科学常識となっている。その法則が論理的に矛盾だらけで、これが科学理論と言うものの実体を示しているのだ。ここでは高校生があるいは大学生が教室で学習する教科書の内容の意味を自分で解釈する手掛かりに成ればとの意味を込めた解説の心算でもある。本当のところは、電気工学や物理学を学んだ、その後の大学院生あるいは現役の先生方に考えて欲しい内容でもある。

《問答第1》 そこで、最初の『問答』となるのはその電荷の『正』と『負』の違いはどのようなことなのか?形が違うのか?大きさが違うのか?色が違うと言うことは無いだろう。何が『正』と『負』の違いを生む原因となっているのか?

《問答第2》 同じ電荷同士、『正』と『正』などは反発し合う。異種電荷同士、『正』と『負』の間では引き合う。それがクーロンの法則の基本的内容である。そのような力の掛り方が違う訳は、原因はどのような意味から起きる事か?科学論は理屈が大切であるから、因果律を大切にしたい。何か『電荷』の間で異なる現象を生む理由が有って言えることであろう。

《問答第3》 図のように、+Q[C] や-q[C]で同じ『電荷』同士が集合する状態を説明に使うが、その集合する訳は何ですか。クーロンの法則に逆らって同符号の『電荷』が集合する理由は何ですか?それは雷の発生原因として学術論で論じられている手法の訳にもなることであろう。摩擦電気で『電荷』が『正』と『負』に分離し、同符号同士の『電荷』が集合すると言う論理にも関わることである。その原因となる力は何ですか?

②コンデンサの充電・放電現象。コンデンサはエネルギーを貯蔵する回路機能素子である。しかし余り『エネルギー』を貯蔵すると言う解釈が示されていないようである。『エネルギー』より『電荷』の貯蔵機能素子と見られているようだ。『電荷』で解釈することが本当に『エネルギー』貯蔵機能として捉えられると言うのか?それは電気技術感覚から考えても無理に思える。本当に理解してもらいたい事は、感覚的にコンデンサの貯蔵という意味を、『エネルギー』の空間像として捉えて欲しいのである。『電荷』には『エネルギー』が見えないから。

《問答第4》 コンデンサの充電はどのようになされるか?直流電源のバッテリーB.にコンデンサ(容量C[F])を繋ぐ。たちどころに電極板の正と負側に『電荷』が『正』と『負』に分かれて集合すると解釈される。《問答第1》での『電荷』の2種類の話であるが、『正電荷』は基本的には陽子の電荷で、『負電荷』は電子の電荷となっている。しかし、陽子が自由に電子のようには移動するとは考えていないようだから、原子の電子が抜けた『ホール』と言う原子イオンを『正電荷』と看做して論理を組み立てているようだ。電極板の原子は移動できないから、その正電極板の金属原子の中の電子が負側の電極板まで速やかに移動しなければならないことになる。と言うことは直流電源のエネルギー供給の役割は正側電極板から電子を引き出し、負側の電極板まで運ぶことに費やされると考えるのだろうか?さて、コンデンサはエネルギーの貯蔵がその機能である。確かに電子を引き剥がして負側まで運ぶとなれば、仕事をすることになるとは言える。それでは何処でエネルギーが費やされるか?となる。コンデンサは電源のエネルギーのある分を受け持って貯蔵する役目であり、『エネルギー』は消費しない筈だ。エネルギーが費やされてしまうのはコンデンサの機能としては意味が違う。正電極板の原子から電子を引き剥がすにはエネルギーが要る。それはコンデンサの面目を潰すことに成り、許されない。原子から電子を剥ぎ取る力を電源がどのように働くのか?原子に対して電源の電圧は働きようがない筈だ。例えクーロン力(電荷間の)を仮定したとしても、直流電源の一方の端子だけでは何の電源電圧の役目も果たし得ない訳だから。勿論電源とコンデンサを繋ぐ導線内には電界は生じ得ない。この事は物理学会の専門家・学会発表の座長さえ電界が在るとの認識で有ったのは今でも驚きの一語に尽きるが。どのような意味で電界が有ると成るのかその辺から討論をしなければ話が噛み合わないのも確かなことである。導体内に、現在の物理学理論で解釈すれば、電界が在って初めて、電子が移動する可能性は生まれると解釈されている。電界で電荷に力が働くと言う理論そのものが自然の真理ではないのだが。しかしそれでもその科学常識の理論に従うとしても、そんな電界が電源電圧に因って、どのように導線内に生じると考えるのだろうか。結局、直流電圧で電極板に正と負の『電荷』を分離する理屈は成り立たない。当然直流電源が正と負の『電荷』を電源内部から供給する機能も同様に成り立たない。そこで初めて、電源の供給する『エネルギー』のコンデンサへの貯蔵がどのようになされるかの問題意識が生まれる筈だ。『電荷』でなく『エネルギー』の実在性を意識することが物理学の極める視点でなければならない。直流電源の負側の導線の近傍空間を通してコンデンサ内の空間に『エネルギー』が貯蔵されるのがこの場合の電磁現象の真相である。 

《問答第5》 電源が電池でなくて変圧器の場合も取上げた。はじめに、電池の場合は電池の『電荷』がコンデンサに供給されると解釈されるかと考えたが、上の《問答第4》でそれは無いことが分かったと思うから、変圧器を取上げる意味も無かったかもしれない。しかし、この変圧器電源ではコンデンサの『電荷』貯蔵機能は直流の場合よりさらに交流の為、極性まで交互に代わるだけ複雑になろう。『電子』は両極板の原子から剥ぎ取る機能の論理性を問うことになる。『電子』はそんなに光速度の速度対応は出来ない筈だ。それ程の論理的な困難が在っても、『電荷』『電子』で理論を構築するのかが問われる筈だ。それに対して『エネルギー』は光エネルギーのように、電線路空間を通してコンデンサ貯蔵機能に光速度の素早さで対応可能である。

むすび

『電子』論の矛盾を力学論から拾い上げて、アンペアの法則の論理的矛盾を解説する前にもう一度、『電荷』の持つ科学概念をサイエンスコミュニケーションの題材として取り上げた。ここでも数式に頼らないで、前の記事力の概念と電気物理に関係した意味で取上げた。

光速度一定とは

はじめに
光とその伝播現象について、過去1世紀に亘って『特殊相対性理論』がその社会現象とも見做せるほど華やかな話題の中心を成してきた。世界は『電荷』と『質量』を持った素粒子から構成されているという基本認識にある。その中の『電子』も電気回路での役割を突き詰めれば、それは『エネルギー』の流れでしかない。エネルギーの塊を粒子と看做せば、それはあたかも質量を持った粒子とも見做せる特性を示すであろう。電磁波もエネルギー粗密分布の縦波であるから、光速度一定と言うことが示す意味を明確にするには、その速度の主体である電磁波と言う光を空間像として認識する必要がある。物理学理論で光の実相を空間認識として示すべき問題が残されている筈だ。光の粒子性と波動性と言う二つの解釈の間の曖昧さを統一して、その訳を明らかにしてこそ物理学の筈である。どんなに数式で論じても、光の実相を説明したことにはならない。『光速度一定』と言う事の中には、とても多くの問題を統一して論じなければならない意味が含まれている。一世紀前の電気磁気学論では対応できない筈だ。光が伝播するという空間をどのように定義するかも問われている。

光と電磁波とエネルギー
光とは何か?光の振動数とは何か?光の粒子性とは何か?その答えは空間のエネルギー分布として認識出来るかに掛っている。光は電磁波だと解説される。それなら電磁波とはどのようなものと捉えているのか。電磁波のエネルギーをどのように理解しているのか。放送局などの電波送信は大電力の放射設備である。エネルギーの送信なのである。電磁波をどのようなエネルギー空間像で捉えているのか。まさか振動数でエネルギーを計算出来る訳がなかろう。放送電波の半波長もエネルギー空間分布波なのである。電界・磁界の方程式で評価するだけで、その波が電界・磁界から算定される空間に実在するエネルギーの分布波だと何故捉えないのかが人の思考の科学論の不思議なのである。放送電波も横波でなく、エネルギーの縦波の電波である。その認識が有って初めて光の意味が分かるはずだ。光の振動数ν[Hz]とプランク定数h[Js]から、光あるいは光量子のエネルギーをε=hν[J]と解釈する。1秒間の振動数がどのような意味で光のエネルギーを評価出来ると考えるのか。そのエネルギーとはどんなエネルギーを評価したものか。その式の持つエネルギー量はただその周波数スペクトラムの構成基本粒子・光量子の一つの波の単位エネルギー量の意味を表現したものである。その作用性を評価する同一周波数の光の群の一粒のエネルギー量なのである。電気回路で解釈すれば、1サイクルは二つのエネルギーの山から成る。電力の場合は、周波数が決まっているからスペクトルは単一周波数だけである。そこでは基本エネルギー量を規定はできない。電線路一回線に一つのエネルギー流波しかないから。また、電力に負の解釈が有っても、エネルギーに負は無い。1秒間ではエネルギー総量はその山の2倍周波数を掛けた分になる。周波数f[Hz]の電力p[W]であれば、エネルギーの単位となる一山分はp/(2f)[J]のエネルギー量である。例えばf=50[Hz]の電力線なら、一山のエネルギーは3000[km]の長さに分布したエネルギー波となる。そんな長い送電線はなかろう。だから一般の電線路のエネルギー分布は、その線路全体に亘って殆ど直流分布と看做せるエネルギー空間分布が時間的に変動しているようなものとなる。電線路のエネルギーはそのように空間的に捉えられる。そこには電線導体内の電子流などと言う解釈は意味を成さない。さて、そこで光のエネルギーはどのように捉えるかとなる。光が電磁波だと言うなら、電磁波は空間を電線路無しに伝播する訳だから、電線路伝送エネルギーと同じく空間に分布したエネルギー伝播現象である。電磁波と同じと言う光も当然空間を伝播するエネルギー波の筈である。 ε=hν[J]  この式にどんなエネルギーが見えますか?空間エネルギー像が描けますか。光の空間エネルギー像をプランク定数と振動数でどのように認識できるかの物理の問題である。この式による光量子のエネルギーと言う意味はその振動数の光の量子的効果を認識できる点にある。その波長の光は物質に作用する時、他の波長の光と異なることを認識できるという点で有効な捉え方が出来る式である。その理由、訳を知るには何故振動数がどのようなエネルギーの意味を生み出すかを説明しなければならない筈だが、それは困難であろう。何故その振動数が重要な意味を持つかを理解するには、光の作用性としての空間的特徴を知らなければ分からない筈だ。その意味で、前の記事光量子空間像(D線)が参考になれば良いと思う。末尾にマックスウエルの電波伝播方程式に関係して、電磁波の伝播現象の図を載せた。一般には電界と磁界とに因った、基本的な結ぶ付きで論じられるが、電界は必要がないとした。その訳は、今までの長い電磁気現象の総合的な考察によって、空間エネルギーの形態は二つに分けられると解釈する。空間伝播の直線的流れのエネルギーと磁気的と解釈する軸性エネルギー回転流の二つに大別出来よう。空間を光速度で伝播するエネルギー流が、光を含めて電線路エネルギー流などにも見られる、その基本的姿である。それに対して直線的に伝送しないエネルギー流即ちある空間に留まったエネルギーの形態がある。それがマグネットのような軸性回転エネルギー流になる。地磁気のようなものも地球表面上に沿って回転している軸性エネルギー流と看做せる。少し解釈を広げれば、そのエネルギー流が基本的には地球の回転の原因となっているエネルギー流と解釈したい。そのような磁気と看做す局所的(地球表面と言う広さではあるがやはり局所的である)軸性エネルギー流を基礎に置けば、その直交方向を電界と解釈しているに過ぎないのだ。『電荷』がない以上電界が存在する根拠も無くなる。「少し述べて置きたい。無負荷電線路のエネルギー分布は電圧と言う概念に対応した電線路コンデンサの空間貯蔵エネルギーの様相で認識するが、電源電圧の時間的変動に対応してエネルギーの流れはあるから、単なるコンデンサ回路とは異なる。しかし無負荷で有れば、長い電線路コンデンサ負荷とも見做せる。その場合、コンデンサ充電の伝送エネルギー流と電線路空間の一点に生じるエネルギー流は電線路導体に直交した軸性エネルギー流の形態を取るかとも思われる。もし電源が一定直流電圧なら、その電圧・電界の様相は軸性エネルギー流となろう。」空間の磁界をマグネットのコンパスでその存在を検出できるが、電界を検出する器具は無い。電磁現象を示す『エネルギー』に静止状態は無く、光速度流にあると観て良かろう。『エネルギー』の静止とは原子内のマグネットの軸性エネルギー流となる、質量化された状態と看做せよう。

光の伝播空間と速度
光は観測者の為に伝播する訳ではない。光は空間に放射された瞬間からその空間の特性に従って伝播する。水の中、空気の密度、ガラスの中あるいは障壁の存在などその伝播媒体の特性や空間構造に従った速度、方向で伝播する。光速度の基準は理想的な真空空間と考える。観測者が光の伝播にどのような相対速度で観測しようと、それには一切無関係に光は伝播空間の特性で決まる速度で伝播する。その基準空間座標を「光規定空間」と定義する。所謂『絶対空間』である。『特殊相対性理論』とは全く違う。観測者が『光規定空間』に対してどのような速度にであるかによって、光との関係はすべて普通の『相対速度』として観測される。何も特殊な関係は無い。例えば仮の話であるが、絶対空間に対して光速度のロケットから光を放射したとする。光は光源から離れた瞬間に、放射方向に一定の光速度で伝播する。ロケットの速度には全く関係しない。ロケットの進行方向の前方に放射すれば、ロケットの観測者から見れば光の速度即ち相対速度はゼロとなる。エネルギーの塊と一緒に進むことになり、どんどん高密度エネルギーの中に進むことになり、高熱に焼かれるだろう。決して特殊な現象は起きない。光は空間エネルギー分布の縦波であるから。半波長でもエネルギー密度分布波であるから。振動数がエネルギーとなる訳ではないから。その絶対空間がどのような座標と看做せばよいかは分からない。太陽がその絶対空間に対してどのような運航をしているかも分からない。光が真空の空間で『光速度一定』で伝播する空間を『光規定空間』と定義するだけである。何者にも支配されないで光が伝播する空間、それが『光規定空間』である。その空間を人は認識できないかもしれない。当然地球表面では空気の影響も受け、地球の自転・公転によって天空からの光はすべて相対的なものとなる。

『光速度一定』と相対速度

光と言う物理的評価対象はエネルギーの自由空間での光速度伝播現象として認識出来る。その空間での伝播速度が『一定光速度』だと解釈する。宇宙からの到達光を速度を持って運動している地球上から観測すれば、光の一定速度での伝播に対して必ず観測は相対速度になる。しかも空気が有れば、真空とは異なり或る意味空気も誘電体と看做せる。それは観測に掛らない程の真空との差であるかも知れないが。しかし『特殊相対性理論』での『光速度一定』と言う意味は、光が主体的ではなく、人間の解釈が主体的になる捉え方になっている。人から見て光は一定と解釈してよいという意味である。日住生活で、朝日が山の端に顔を出す時、その太陽光は金色に輝く。日が沈む夕日になれば、赤方偏移で赤い夕焼けになる。同じ太陽光線が地球の回転との関係で観測は必ず相対速度で観測されるからの現象である。ドップラー効果と言いながら、光の空間エネルギー密度波の解釈がない為に、いろいろ解釈が混乱しているようだ。日常の感覚的認識が高度の数式解釈の物理学理論より自然を理解するには重要である。相対速度は光を観測するその光のエネルギー分布の波頭値が観測波長の短縮・伸長により変化することに表れる。それがドップラー効果と言う現象である。朝日と夕日の意味も波頭値の変化が原因である。光の空間エネルギー分布の認識が基本に無ければ、『光速度一定』の意味も理解できない筈だ。

(参考) 電磁波の伝播現象の図

アンテナから放射される直前は電気回路のエネルギーである。そこでは閉じた軸性エネルギー流の状態と解釈した。断面は閉じた円環のNS極となっている。図のようなエネルギー流が電波として放射された時点で、光速度のエネルギーの縦波となり、ただ空間エネルギー分布密度波となると解釈した。障害やアンテナによって電波が光速度伝播を止められた時点で、軸性エネルギー流になると解釈する。エネルギーの静止と言う状態は、『静電界は磁界を伴う』の実験でのロゴウスキー電極間の環状軸性エネルギー流の磁場としての流れになると考える。要するに電界と言うのは軸性エネルギー流に対して直交した方向を評価した概念でしかない。それが『電荷』を必要としない解釈である。

 

光量子空間像(D線)

光量子と波の概念
現代物理学理論における光量子、光子はその基礎認識で、必ず振動数あるいは周波数に基づいている。物質から光が放射される時、そのエネルギーは連続的な周期性を持って放出される。単発で放射されることはなかろう。だから光量子の検出には周波数、振動数を伴うことになる。振動数を一粒の光が持ち得る訳は無いのだ。振動する一粒の光量子など無い。エネルギー放出時における一群の光がそれぞれの周期的な時間差で起こるだけである。どんな波も横に振れる波動性は本質的に持たないのである。水の水面波も、進行方向への縦のエネルギー流でしかないのである。表面の水面を見れば、確かに横の上下に波打つのが観察される。しかしそれを「横波」と解釈するのが誤りなのである。波は表面だけではなく、水中深く底まで伝達するのである。水底に向かう波をどのように解釈しようとも横に振れるものなどない筈である。みんな『エネルギー』の縦波なのである。シュレーディンガーの有名な波動方程式も横波が基本になっている。それは筆者には受け入れ難い方程式である。

式の意味
光量子の空間像を「空間エネルギー密度流」として次式で表した。

このエネルギーの縦波と言う空間像の意味を少し考えてみる。この光量子の一粒は1辺が光の波長λの立方体として捉えている。そのエネルギーの内部分布が波頭値H[J/㎥]の衝撃波状の指数関数形である。(1)式のHζの積のζは丁度1波長で値がゼロの繰り返しとなる為のものである。0≦ζ≦1である。しかしこの波形は正弦波でない為、周期関数形としての取り扱いが困難である。周期波形でありながら、数式での周期関数表現が出来ない。数学の関数がない。この光量子の式の表現する事の意味で、重要な1点は光に質量がなく、エネルギーそのものが光速度で伝播するということである。光と言うエネルギーは空間での極限の現れである。

式の具体的例題
実際に空間像の意味を捉えるには、具体例で考えるのが良かろう。ここで、ナトリュウムの演色反応で有名な色のD線を取上げて、(1)式のエネルギー空間像を計算してみよう。波長スペクトラムの5889.97 Åと5895.93Åがそれらしい。そこで、波長λ=5890[Å]を具体例に選ぶ。その光量子一粒のエネルギー量εDは

 

 

 

 

となる。このD線の波頭値は

 

となる。しかし、この値ではその大きさの意味が分からない。光量子の寸法で考えてみる。下にその寸法を図示した。進行する波頭で、厚み1Åの微小体積dvの波頭エネルギー密度を算定してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(4)式の体積dv内でのエネルギー密度波頭値Hは(5)式のように計算され、数値的にも納得できよう。そこで、この波頭値Hから、このD線の光量子エネルギーを求めれば、(6)式として算定される。その値は(2)式の結果と同じのは当然である。波頭値Hと自然対数の底e=2.718との比がエネルギー分布の平均値に等価であることになる。その平均値(H/e)の光量子体積倍が丁度光量子1粒のエネルギー量になる。

結び 光速度一定とはの記事を書きながら、光量子空間像を認識しなければ、光速度の意味が分からないだろうと、その参考にと古い記事光とは何か?-光量子像-の中の一部のファイルを取上げって載せた。なお(1)式の意味についてはその記事に示してある。

光量子一粒の形状を1辺が波長λの立方体として解釈している。この体積の取り方が妥当であるかどうかは断定できない。他の形状がより実際に合うかも知れず、その場合はそのように取ればよかろう。一つの空間エネルギー像としての描像を具体例で提示したものである。兎に角、ε=hνではその空間像を認識できないだろうから、これなら誰でも理解し易かろうという空間像を図に表現したものである。勿論自分が納得することを求めて導きだした解釈である。今までこのような具体像は無かったと思い、これが一つの物理学の求める易しさの道ではないかと思って。

 

 

mc^2^ から物理学を問う

はじめに
E=mc^2^ [J] この式の意味を『質量-エネルギー等価則』として理解している。余りにも有名な表式である。これ程簡潔にして、自然世界を表現した数式は他にはなかろう。この式の意味を問うことは物理学理論の現在の姿を問うことになる。アインシュタインとその影響が現代物理学に大きく関わっていることは誰でも知っているだろう。それは物理学という科学論が20世紀の大きな社会現象としても捉えなければならない程時代を支配して来た。この表式の意味には自然の根源的「美意識」さえ込められていると思える。それはそれ程に素晴らしい表式だと思う。しかしそれに対して『特殊相対性理論』に関係した論が社会に与えた意味がとても気掛かりに思える。どうも理論が社会の中で勝手に弄ばれて、誤っていたのではないかと。様々な解釈が、様々な表現用語と共に明確な定義なしに論じられ、不可解な世界論を作り上げているように思える。そう思うことは個人の細やかな思いでしかなかろうが、電気技術論からの率直な違和感でもある。自然世界の認識で『電荷』否定が論点の基になる。

物理学理論と電磁現象
19世紀という100年は科学技術の台頭期とでも思える。中でも電気技術とその基礎理論が確立した時代であったと思う。1864年、早々とマックスウエルの電磁場方程式によって電磁現象の統一的理論が出現した。今でもその理論と方程式は偏微分形式で、高度な専門性を持って理解されている。このマックスウエル電磁場方程式が表現する内容がここで議論するアインシュタインの『特殊相対性理論』の基礎となっていると考えたい。『運動している物体の電気力学について』という1905年の論文が所謂『特殊相対性理論』という内容なのである。しかし、その論文の電気力学という内容が具体的に何を指すかが分からない。マックスウエルの電気力学がアインシュタインの理論の構築の基になっている。今になれば、当時の電気現象の解釈はまだ暗中模索の中にあった筈だ。『静電界は磁界を伴う』などという解釈から程遠かった。然しながら電気現象だけでなく、もっと謎の多い世界が科学の対象となり、19世紀の終わりにはレントゲン線や放射線という目に見えない自然世界の謎解きが始った。自然世界の解釈が見えない物理現象の解明に向き、自然科学のある意味混迷期にも在った。そこにアインシュタインの自然感覚と異なる異次元の理論が唱えられ、その新しい解釈、それが物理学理論として時代の学術の牽引役を担ったと思う。今改めて、アインシュタインの論文の翻訳文を読み、更に理論の軌道修正が迫られていると思った。別に改めて論じたい。

物理学理論でのmc^2^の意味
20世紀は物理学理論が世界の科学の話題の中心となって来た。特にアインシュタインの『特殊相対性理論』が科学論の原典のように華やかな世相を成してきた。アインシュタインが唱えた、mc^2^も自然世界解釈論の原点として科学常識となって現在に至っている。先日検索してmc^2^の、その意味を尋ねた。

驚いたことに殆どの解説が右の式の意味についてである。所謂アインシュタインの『特殊相対性理論』の光の伝播特性の解釈の√(1- β^2^) を質量とエネルギーの関係の関係にまで広げた論説である。よく見かける黒板に書き記しているアインシュタインの写真には、分母の式はない。E=mc^2^ の式だけである。論文標題  E=Mc^2^ :the most urgent problem of our time  (E=Mc^2^-現代の重要問題) Science illustrated,  vol. 1, no. 1  (1946), pp. 16~17 として、昭和21年にアインシュタインが「質量とエネルギーの等価性の法則を理解するには、特殊相対性理論以前の・・」との書きだして論じている。この論文を書いた時点では、アインシュタインは少し過去の主張に疑いを持っていたかとも思う。質量もエネルギーに統合されると解釈していたと読み取れる部分が有る。それはバートランドラッセル卿の主張に近いと。

E=mc^2^ [J] の式と異なり、分母の√(1- β^2^)が有る。光速度c[m/s]に対して質量m[kg]の物体の速度がv[m/s]の時のエネルギーを表した式のようだ。特殊相対性理論の § 10.  ゆるやかな加速度を受けた電子の力学 で電子の質量に関する論から、勝手に創り出された式であろう。アインシュタインの論文には無い式だ。

検索記事よ!  何故か? この式にそれ程の特別な意義あると言うのか?何も無い筈だ。

E=mc^2^[J]の式の意味を理解していない解説だ。やはり物理学理論等の教育内容で『エネルギー』の意味をすべて質量の持つものとして考えている処に根源的誤りがある。原子核分裂で、分裂生成原子の運動エネルギーの他に熱(輻射)、光そのもののエネルギーがその中にあることをどう捉えているかが気掛かりである。空間に『エネルギー』が体積を持って実在していることを認識していない。光が半波長の長さの空間にも『エネルギー』として実在している意味を理解していないからだ。振動がエネルギーに成る訳は無いのだから。光の振動数がどのような物理的意味を持つと考えているのか。みんな『エネルギー』の解釈の問題なんだ。

むすび mc^2^ の解釈は、質量m[kg]がすべてエネルギーに変換されれば、その結果には質量は消え、すべてが熱と光(電気も含む)のエネルギーに等価に変換されるという意味である。それを述べようとして検索したら特殊相対論の√(1- β^2^) に戸惑った。それは間違った世界の解釈論と思う。光を振動数で解釈している限りは、自然世界の正しい認識には到達できない。『質量-エネルギー等価則』のE=Mc^2^[J]の意味を認識して欲しい。

(参考記事):光の速度と空間特性 (1911/05/22) 。光とは何か?-光量子像- (1912/01/15)

物理学理論と磁束

はじめに 物理学あるいは物理学理論は、自然の深い仕組みを解き明かす特別の論理的思考能力を持った専門家集団が唱える真理と考えるだろう。それは科学技術の更にその奥に隠れている深遠な自然世界を解き明かし、科学技術の理論的拠り所としての学問分野が物理学と思うだろう。その自然世界の基本の描像は電子の周回する原子構造論と電子の流れる電線路電流、更にその電流によって定義される磁束などが電磁界の論拠としての物理学構成概念である。それが世界の物理学であろう。しかしそんなに多様な基本構成物理量が世界の根源であるとは理解できないし、信じられない。最近、磁気概念や磁束の物理的意味を解剖してみた。それは物理学でなく、電気技術の知見をひも解くことによって様々な科学技術用語の本質が明らかに成って来た。物理学が科学技術の技術概念を深く追究してこそ本当の自然世界が明らかになることを認識すべきという結論になる。電荷や磁束の空間像を示す事が、それらが自然世界に実在するかどうかを判断するに欠かせない筈だ。その空間像が物理学に問われている。世界は抽象ではなく具象世界だ。磁束について、アメリカのNASA宇宙技術開発の成果の一つと聞いているロイヤーインバータ回路の原理から具体的な例で、電圧が一義的なその発生起因であることを示し、アンペアの法則による電子流で磁束が発生するという誤解を解いて欲しい。
磁束の物理概念
マグネットは何処にでもある日常生活に密接な磁気製品でもある。物理学を教える先生方は教科書の中味である物理量などすべて明確に捉え切っている筈だと考えたい。しかし現実は、変圧器の磁束について励磁電流が発生原因であると殆どの方が考えているように思う。それは間違っている。変圧器や電磁コイルの物理現象を解きほぐせば、少なくとも励磁電流がなければ磁束が生じないということは無いのであり、磁束はそのコイル端子に印加する電圧によって一義的に決まってしまうのである。その意味を物理学では馴染みがないであろうが、インバータ回路を使って具体的に示して解説したい。それはファラディーの法則の科学技術論の理解の為でもある。磁束という物理量が、実際に実在するという解説ではないから。自然世界の本質は磁束さえ、エネルギー流に纏まるのであるから。しかし少なくとも、まず一段階としての誤解を解いて欲しいのだ。

磁束と電圧 右の具体的回路例を基に説明したい。AとBの二組のトランジスタスイッチを直流電源と組み合わせて、変圧器に繋ぐ。AのスイッチとBのスイッチを交互に半周期ごとに断続的にオンする。その時磁束は図のように階段状に変化する。その磁束は励磁電流が流れようと流れまいと関係なく、電圧値と時間だけ(即ち電圧時間積分)で決まる。この解釈は変圧器だけでなく、一般のコイルにも当てはまるのである。コイル端子に印加される電圧値と時間で磁束は決まると考えるべきである。理論の統一という事の大切さは、広く基礎概念によって無駄な思考を省き、分かり易くするということにある。図のようなスイッチングモードでは、半サイクル(T/2)の内4/7の間電圧Eが印加されることになる。その間に磁束は最大磁束の2倍 2Φm の増加をすると考えられる。ファラディーの法則は E=n(dφ/dt) および φ=∫(E/n)dt と表される。その法則から、電圧Eが時間T/2(8/14)=2T/7の間印加されて、磁束が 2Φm だけ増加するとなれば、次式が成り立つ。

2Φm=E/n×(2T/7)

従って、  E=7n(1/T)Φm [V=(J/F)^1/2^]

が得られる。このように、印加電圧とその印加時間だけで磁束は決まると考えるべきだ。その磁束発生原因として、励磁電流などの複雑な解釈概念を介入させるべきではない。この磁束は、すべてのコイルや電気回路全般に言えることである。その意味は電線内の電子流という『電流』概念の物理的解釈の論理性が問われているということである。『磁束』という物理量も『電流』と同じく、その物理量の実在性が物理学理論として検証されなければならない筈だ。その具体的な空間像が。

むすび

電流と磁気の概念矛盾について述べなければならない。それは自然世界を理解するに欠かせない思考作務である。電気論では電線内を電子が流れるという。何故電子(電荷と質量)が金属導体内を通ると、金属導体の外に磁束が発生するのか。電子は磁気を持つと定義されているのか。電子のスピンでは磁束の発生の解説にはならない筈だ。その電子と磁束の関係の疑問に答えるのが物理学である。電流という科学技術概念の正体を明らかにしてこそ物理学である。物理学は科学技術現象を詳細に検証すべき学問分野の筈だから。それは子供達に教えるという責任が有ることに通じると思う。数式で説明する事では済まない基本が有る筈だ。身に背負い切れない重力を感じながらも。