カテゴリー別アーカイブ: エネルギー論

電荷棄却の原子模型

昨日(7月21日)2回目の『コロナワクチン』を接種して頂いた。

少し頭が気怠い感じがするが、今のところ特に苦痛と言う程の症状はない。有り難い。

『発見と創造 科学のすすめ』 (W.I.B.ビヴァリッジ 著)培風館。を繙いて見た。56ページに付箋が残っていた。

その章 3  時の試練 の扉に

時が真理を明らかにする。セネカ

とある。

日付が2009/10/06.となっている。(孤立した者には 発見の格が大きければ大きい程 その将来には 極端に大きな 困難が立ちはだかる)?

その年の秋、日本物理学会(甲南大学)での発表が、「電荷棄却の電子スピン像と原子模型」の標題であった。

その発表後に、思いを書き記したものだろう。炭素原子の結合を原子表面のマグネット4面結合で解釈するものだ。決して『電荷』概念が論理的に成り立つ訳がないと確信していた。しかしそんな電子を否定する科学論が受け入れられる訳は無いかも知れないとの思いが強かったのだろう。科学論から電子を排除するなど正気の沙汰でない事は分かっていたのだろう。自分を勇気付けたかったのだと思う。

その本の p.58 に「35年間も無視されたグレゴール・メンデルの遺伝学研究はその古典的な例である。」と書かれている。当時は、まだ電圧の物理的意味が『エネルギーギャップ』の認識にまで辿り着くとは思っていなかった。

コロナ放電の空間エネルギー

見えるもの 見えないもの (2015/03/12) 。にコロナ放電と電荷の関係が載っていた。今、電気回路の電圧の物理的意味が空間のエネルギーギャップだとの認識に到達した。『電荷』など自然界には存在しないとはっきりと理解できた。

不図上の記事を見ながら、疑問が浮かんだ。何で、コロナ放電はマイナス電極側が大きく成長するのか?と。以前は未だ分からなかったが、『エネルギーギャップ』の電圧概念が認識できていたから、直ぐに気付いた。これが、観照という意味なのかと思う。

電線の先端部には高電圧を掛けると『コロナ放電』が起きる。その放電の様子は、マイナス電極側が大きなコロナの伸びを呈する。プラス側も小さな放電の玉状の放電を示す。電気回路で、プラス側の電線路にはエネルギーは分布していないと解釈する。しかしコロナ放電がプラス側でもわずかに起きる。それはその電極近傍空間にエネルギーが分布するからだ。しかしコロナの発生は、電線などに突起状の極端な状況が無ければ起きない筈だ。

極性による放電現象の差は電極空間に生じる空間のエネルギー分布現象が原因であったと分かった。

これも昭和62年春の電気学会での発表『静電界は磁界を伴う』からの一つの結果でもある。その時拾った火中の栗の意味か?

結論。また一つの電気現象の解釈を通して、自然現象には『電荷』など全く無関係である事の証明となったと言える。

電圧・電流の物理的概念

「電気回路から物理学理論と教育を考える(?職歴不明?)」で漸く結論に至った。しかし、過去のすべてに不可解のまま、科学論の土俵への道も知らずに来た。職歴不明の如何ともし難き今、ただ教育現場が如何に在るべきかと思う。

2年程前、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/08/11)、それに続いたこれが電気回路の実相だ (2019/10/01) および電気回路のエネルギー問答 (2019/10/02) 等に、その当時は未だ『エネルギー伝播現象』の実相を捉えてはいなかった様子が観える。その後の2年間で漸く到達した。振り返れば実に不思議な感慨を覚える。疑問を抱き続ける事に。

電圧・電流はエネルギーの伝送特性量

電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/08/11)。そこに示された波形だ。

物理的概念と表題にした。その意味は物理学理論の物理ではない。自然現象としての電気エネルギーが伝播する現象を物理的に解釈するという意味、即ち自然の屈という意味である。

現代物理学理論は既に自然現象を理解するには役に立たない過去の遺物論となっている。自然界に存在もしない『電荷』や『電子』で解釈するあらゆる学術論は、自然現象を理解するに色眼鏡の度がきつ過ぎて、人の解釈を迷わせる存在に観える。

光のエネルギー量。hν[J]で評価する光。その解釈では、光の空間エネルギーの分布を理解できない。光のエネルギーを振動数のみで解釈する理論では、決してエネルギー量のジュール[J]を認識することが出来ない。単一周波数の光が幾ら高密度であっても、その振動数での解釈では決してエネルギー量を評価できないから。空間を伝播する光のエネルギー量が自然現象に影響することを評価できないから。それは電気回路現象の理解が出来ない。電圧、電流の自然現象としての意味が認識できない。その意味で将来に向けた理科教育として相応しくない。そこで上の波形の意味が問題となる。

さて、物の理屈として上の電気現象波形の意味を考えてみよう。電流波形や電圧波形の意味が分かれば物の理屈の例となる。これぞ物理学となる。

図の横軸は角度表記である。それは同時に時間軸と見做せる。ωtのt[s]軸と同じ。オームの法則は実に優れた科学技術法則だ。自然の奥底の現象を技術料に置き換えて評価している解釈法が素晴らしいのだ。その概念『電圧』と『電流』が含む自然現象の真理は決して自然界に存在しない『電荷』などで解釈する事は出来ないのだ。誠に有り難い事は西洋哲学が自然現象を活用する意味において、特段の意義を発揮している点である。その御蔭で現在の科学技術の恩恵に浸れるのである。科学技術競争社会はその思想の延長線上にある。しかし、東洋哲学の方向性は少し異なるように思う。自然の中に深く入り込み、自然と思いを同化する方向性のように思う。自然を守る方向性と。

ー苦言。エネルギーの大量消費で発電エネルギーと同じ分を海の加熱で賄っている事を全ての電気エネルギー利用者の科学リテラシーとして認識しなければならない。豪雨災害の原因や高温異常のフーン現象はすべて海の加熱エネルギーの自然的放射現象をその根源にしている事を。ー

東洋思想は科学技術的進展を目的とする方向性とは考え方が異なる。自然現象の本質を求めるには、科学技術概念の自然的真相を理解する為に、その概念の中身に『削ぎ落し』の思考を重ねて、理解に到達するように思う。自然はすべて空間の『エネルギー』一つの千変万化の具象像でしかないと漸く考えられる。それは光一つが空間の『エネルギー』の密度分布の縦波現象でしかないのだ。電界や磁界の概念はその『エネルギー』の空間状態を科学技術的解釈法に合理的な手法を編み出した、自然界に実在する物理量ではない仮想的概念なのである。その様な意味を踏まえて、電圧、電流波形の意味を単なる技術概念という意味でのみ解釈すべきでない。光のエネルギーの空間伝播現象との関係付けで認識すべきである。

波形図の横軸は角度量である。それは又、ωtの関係から、時間軸 t[s] とも見做せる。この図の波形の意味は、電線路のある位置で観測した時、その位置での、その電圧と電流の値が時間的に変化する様子を表現したものである。波形の値はその位置の値で、離れた位置の波形は違う値なのである。その事をこの波形で表現した深い意味の数量であると理解しなければならない。波形一つも漠然とした意味ではないのだ。この波形の同じ意味を横軸に距離を採って表現すれば、右に波の進む位置の方向を採った場合、左右が逆転した波形になる。空間図形の表現内容も注意してみるべき意味を含んでいる。

電圧 v(ωt) の波形、電流 i(ωt) の波形が正、負に変化する正弦波形である。この電圧と電流と言う物理的概念が何を定義したものかを理解するのはなかなか難しい。科学論では、『電荷』が存在するとの仮想的認識に基づいて理解しようとする。そこに、根本的な不明確にならざるを得ない原因がある。その『電荷』概念に基づく解釈では、子供たちが満足できる明快な説明が出来ないのである。理屈で非の打ちようがない論理性は期待できない。説明者自身が、おそらく分からないからなのであろう。『電荷』に因る解釈である限り、教科書の正当性が保障されていないのである。『電荷』は自然世界には存在しない、科学論用の仮想概念でしかないから。

(1)電圧について。1[V] と言う電圧値は何でしょうか。

電線路間に掛かる電圧の意味が、先ず物理的に明確でなければならない。電圧が正の波形の場合の電線路に生じる原因が何か?『電荷』で説明できますか。電圧波は光速度で電線路を伝播する。電源から正の電荷(陽子?イオン?その具体像?)と負の電荷(電子像?)が電線路に流れ出て、その電荷が光速度で進むのですか。ここで既に「電荷」論には無理があると分かる筈であろう。電子の流れでは電圧の解釈は無理であろう。電気回路は、その回路特有の回路空間に静電容量と言う定数値を持っている。その定数を εo[F/m]とすれば、電線路の空間に分布するエネルギー密度は

εo V^2^[J/m]

と、電圧の2乗で表されるのだ。電源のエネルギー供給能力と回路空間定数に関係した技術概念が電圧の意味なのだ。

(2)電流について。1[A]、その物理的な意味は何かを明確に示さなければならない。

電圧の電源に電線2本で電気配線空間を張る。電線路終端に負荷抵抗を繋ぐ。電線導体に電子が流れて電流となると解説される。そんな理屈が厳密な物理論として通るだろうか。電圧と同じく、電線路空間にはエネルギーの流れる速度を決める回路特有の定数がある。誘導定数をμo[H/m]とすれば、そのエネルギーの流れる伝送密度は

μo i^2^ [J/m]

となるのだ。電流値の2乗に因るのだ。電流と言う概念の意味もそのエネルギーの流れに関係したものとして在るのだ。

記事の冒頭に掲げた波形の V^2^ [J/H]およびi^2^[J/F]はそのような意味を表現した意味を持っている。空間の『エネルギー』分布に関係した概念を持っているのだ。

ここ迄述べれば、誰でも『電荷の科学論』は教育現場での緊急課題だと気付くと思う。

交流回路現象は、直流と違って、負荷でのエネルギー反射現象が電圧エネルギーギャップに対して、時間位相が少し複雑になる。賢明なる研究者の皆様なら、既にお分かりと思う。

蠟燭と灯り

有名な書籍「ロウソクの科学」がある。電磁誘導現象の発見として有名な、イギリスの科学者マイケル・ファラディー(1791-1867)の公開実験と講演(1860年から翌年までの6回のクリスマス講演)の内容と訳者の解説に在る。身近な化学反応に関する内容のようだ。

その本が手元に在り、公開実験で市民に当時の最新の科学の、今で言えばサイエンスコミュ二ケーションに相当する意義を認識しての講演であったと言えよう。その本の記事に触発されて、同じ蝋燭の物理的現象を考えてみたくなった。当時のファラディーの科学知識に比べても、何も分からない者が考える内容だから大したものではない。しかし、今でも物理学理論から蝋燭の燃焼・発光現象を解釈したらどうなるか?少し、電気回路から物理学理論と教育を考えるから離れて。

化学方程式は炭素と酸素が結合して炭酸ガスになる。炭素(黒鉛)の燃焼熱あるいは二酸化炭素の生成熱として、

E = 349 [kJ/ 1 モル]

と検索結果に出る。この数値はどのような科学的根拠から算定されたのか?ただ根拠なしに、唐突に示されると、それは科学論としては訝しい思いになる。電子の電荷と質量が10桁も示される科学理論と同じく論理性の無さで社会的な欺瞞科学論に思える。この数値、349[kJ]も空間に現れる『エネルギー』の測定量の筈だ。物理学での数値ではなく、化学における数値のようだ。「基礎理科」への統合理科への道筋としても両方の科目で、相互に理解し合えるものであって欲しい。その科目統合の基準として『エネルギー』に視点を置かなければならない。

蝋燭の蝋が熱でガス化しないと燃え難かろう。燃え芯が旨く蝋を熱で溶かし吸い上げるから、少しぐらいの風にも消えずに灯りを灯し続ける。『エネルギー』は空間で物質が変換して初めて発生するものである。ロウソクは、蝋と酸素の化学的結合の燃焼現象の結果として、熱と光への変換が起きている訳だ。結合前の炭素と酸素から炭酸ガスが生じる。その時、『エネルギー』が発生するには炭素と酸素の質量が変化せずに『エネルギー』が生まれる訳はないのである。『エネルギー保存則』という意味が科学論の根底に捉えられていない。

自然現象で『エネルギー』に関わりないものは無い。何時もその『エネルギー』の実像、空間像を探してきた。エネルギー(energy)とは? (2011/09/07)。糸電話―力学的解剖ー (2014/03/06)。等から、『電子』の科学理論の基礎概念としての矛盾が確信となった。電子論は論理性で矛盾に耐えない。

蝋燭の灯りは空間に放射される光の空間エネルギーである。物理学では、その光の空間に流れる『エネルギー』の縦波現象だとの認識が無ければ、未来への理科の役割を果たせない。349[kJ]の論理的算定根拠が化学論に欲しい。それが質量のエネルギー変換現象だとの物理学での認識が欠かせない。

過去に同じような記事が有った。すみません、少しボケかな?焚火の科学 (2018/05/26)。焚火と蝋燭 (2013/02/03)。

電子とエネルギー(バンド理論は魔界?)

時は今、エレクトロニクスの時代。エレクトロンとは何者だ❕

電子の実像を探し求めて、長き彷徨いの中を過ごした。電子は質量と電荷の二刀流の使い手だ。その変幻自在のあり様は正に魔境に誘い込まれたが如くに、その意味不明に惑わされる感覚になる。

何の知識も、学術研究の取り立てて自慢できるものは何もない。『バンド理論』が量子力学の主戦場の英雄となって、君臨している。

物理現象の本質はすべて、空間での『エネルギー』の振る舞いにしか見えなくなってきた。長く『バンド理論』のその周辺の意味を理解しようと考えを確かめてきた。過去の記事がある。

謎(pn接合は何故エネルギーギャップ空間か) (2017/05/07)。

『エネルギーギャップ』と電圧に関係した記事に、

電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (2019/11/19)。電池と電圧(エネルギーの実験) (2019/11/19)。ダイオード電圧 (2020/08/26)  等がある。

バンド理論の『バンドギャップ』とは何か?その代表的な解説がある。半導体の部屋にその図が示されているので参考にさせて頂く。

半導体の伝導現象は『バンドギャップ』と電子及びホールがその解釈の基本的対象概念である。そこで、電子がエネルギーレベルで高い状態になるか、ならないかで伝導体に上がるか、価電子帯に留まるかが決まる。

さて理解できない事。それは次のような解説である。

『半導体は、電子が運動エネルギーで価電子帯より増加して、伝導体に励起され、若干の電気伝導を示す。また、価電子帯から励起した電子の抜け殻にホール(正孔)が発生し、正の価電子の様に振る舞って電気伝導に寄与する。』

その解説内容は、電子が若干、そしてホールが正の荷電体の様に伝導の役割として働く意味と理解する。さて、半導体は電気回路の銅線あるいはIC導線の金線から銅線に繋がって外部負荷につながる。そこで、電子は運動エネルギーが増加して、更にホールのエネルギーも高レベルの値で外部回路での伝導に寄与するとの意味での解説と理解する。

ここで、気掛かりの事がある。バンド理論の解説はそれで分かったとしても、繋がる電気回路がその電気エネルギーの伝導現象に重要な意味である。電気回路で、電子(運動エネルギー?)あるいはホールが『エネルギー』をどの様に負荷に届けるかが、その技術の粋としての半導体の真骨頂である機能を発揮する役割の筈だ。それは、一般の電気回路の解説では電流が流れるという意味を、それと反対向きに電子が流れて電流の意味の機能を発揮するとなっている事との関係から。

科学理論はあくまでも総合的に、広い場面との整合性が取れた解釈が出来ないと誠に不明確な分かり難いものになってしまう。どうも現代科学論は、とても専門性が重視され、その狭い専門的科学論によって総合的な整合性と言う面で、とても曖昧な理論となっていようだ。どの様に電子あるいはホールが負荷に如何なる理屈で『エネルギー』を届けるかが示されなければとても科学理論としての解説としては納得できない。誰もが何も疑問を呈しないところもまた不思議の極みに思う。

専門家とは、一般の市民が理解できるように易しく、詳しく(「電荷」の空間像等)解説するところにその真価が発揮されるべきと思う。筆者には、『電荷』像さえ理解できない為か、なかなか『バンド理論』の意味が理解できない。新潟県教育委員会での採用事務手続きも無かった16年間の教職員歴(?)はじめ、職歴不明(?)で悩む筆者の電気回路現象解釈論からの疑問に対して、専門家のご意見をお聞かせ頂ければ望外の喜びとの思いを込めて。

 

ヤッパリ『電荷』だ❓

(2021/07/03)。『電荷』否定への道 (2014/06/03)に思う。

今、矢張り勘違いでなかったと。科学論の根源概念を否定するなど正気の沙汰ではなかった。

しかし、『電荷』が何時どのように科学理論の岩盤となったかを考えると精々100年少しの期間であったように思う。

いま改めて、30年程の無駄と思える孤軍奮闘を振り返って感謝したい思いだ。

多くの物理学の歴史で、ラザフォードの原子論やアインシュタインの特殊相対性理論などについて、改めて物理学理論の意味を考える具体的な考察対象になるような気がする。何か素人の物理学論と笑われそうだが。『電荷』だけは自然世界には存在しないと確信した。新潟県立十日町高等学校の化学の授業で「共有結合」の意味が理解できずに、化学の学習を諦めた事を思い出す。

雷と電荷の物理

(2021/06/22)。とても興味ある記事が手元に在る。

雷の正体(2012/11/13) 「(注)この記事も一つの図が勝手に見えなくなっている。今日その訳は?新潟県議会 の記事で「日本国憲法との関係を述べた」その事例だ。??」

は筆者の記事だ。それに対して次の記事は所謂専門家の記事だ。『電荷』が自然界に存在するか、しないかで別れる観方だ。

「雷の物理とその観測技術」が日本物理学会誌 Vol.71, No.4, 2016 。話題として解説されている。ところどころ色鉛筆で下線を引いて注目した跡も残した解説である。

長く電気回路現象の物理的理屈を考えてきた。結論は電気回路に『電荷』は無意味な概念で、そんな物理量が自然世界に存在する訳はないと確信するに至った。

だから専門家が解説する「雷」の物理現象解釈は全く間違っているとしか言えない。『電荷』など存在しないから、他の解釈に因らなければ意味が無い説だ。

雷の特徴は何か?

『ピッカ』と光の放射を伴う。先ずその光は何が光になったのかを解説しなければ、物理学とは言えない。その光が『エネルギー』と理解しているのか?『エネルギー保存則』と言う物理現象の根本原理をどの様に専門家は意識しているか?『エネルギー』の意識無しの物理論は全く信用できない。それは自然を観ようと意識しておらず、物理学論を論じているだけでしかない。それも専門的解釈論で。

その専門家の論理は、勿論電気回路での『電荷』や『エネルギー』の役割など考えたことも無い中での解説論であると思う。

見えるもの 見えないもの (2015/03/12)。雷は見えるがその本質は見えないようだ。本質は『熱エネルギー』だ。

 

科学論と検証

(2021/06/16) 。科学論は客観的な検証が要求される。

科学論に限界は無いのか?どのように検証すればよいか。

ロゴウスキー電極とエネルギー流

科学的な計測が出来ない現象。ロゴウスキー電極間の静電界と言う科学概念は『電荷』によって発生すると解釈されていた。しかし、電荷を否定する科学論はその検証法があるだろうか。電極間のエネルギーの流れを唱えても、そのエネルギーを測定する実験的方法が分からない。それは丁度、光のエネルギー流を実験的に測定することと同じように思う。

ロゴウスキー電極間空間のエネルギー流がどの様であるかは分からない。その科学的論証方法はあるだろうか。特に電極中心部のエネルギーの流れが如何に在るか?

新世界への扉‐コンデンサの磁界‐ (2011/02/17) 。

 

時と歩んだ世界

(2021/06/02)。10年以上ブログを投稿させて頂いている。感謝です。2010年2月に初めてpcと言うものに触れた。ワープロ代わりに購入した。しかし、ITに接続して新しい世界を知った。相手が見えない世界に、思いを表明してどの様な事が起きるか、その未知の世界に期待もあった。

ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/0130) が初めの頃の一つの記事だ。この記事にだけ突然千件を超えるアクセスが起きた。

その中に、『インバータと磁束φ ④』が記事中にある。トランジスタでの電力制御を初めて知った驚きの技術として忘れることの出来ない記念のものである。電気理論と電気技術との乖離を認識するに欠かせない回路として挙げる。変圧器に直流電圧を印加すると言う考えられない驚きの回路だ。1969年秋の内地研修で経験した驚嘆の回路であった。この事は、目から鱗‥ (2021/06/05) の記事に述べた。

ここに「アンペアの法則」の矛盾が示されている。変圧器の磁束が励磁電流によって生じる訳ではない。電流概念を問う基点となった。

電流が導体内を流れる。しかし、その「プラスの電荷が流れる」と言う論理は無理であると分かったのだろう。だから負の電荷の『電子』が逆向きに導体内を流れると専門的解説が成される。その解説も、その論理的な責任ある理屈が示されているとは言えない。そこには専門家としての良心が見えない。筆者はただ電気回路の中に起きる自然現象としての『エネルギー』の振る舞いを感覚的な捉え方で、そこに寄り添いながら考察を進めてきた。それは余り学術的形式の論文としての表現には程遠いものでしかないだろう。その訳を考えると、学術的標準用語を使う程専門的な習熟もなく、理解が無いことが基にあるからだろう。だから勝手に自由に解釈する習慣が、余りにも学術理論の常識から離れてしまった感覚のままになってしまったのかも知れない。殆どの基礎的科学概念、物理学的概念を否定する処に立ってしまった。空間に実在する『エネルギー』の実相を、その象徴的具体例に『光』の空間像を描いて捉えている事に在ると思う。

光の相対速度と空間 (2020/06/08) 。プランク定数の概念 (2018/07/17) 。今はその光の意味を電気磁気現象を理解する基礎として認識して欲しい思いにある。それが時の成果と言えるかもしれない。

『静電界は磁界を伴う』。科学理論の世界が異なって見えた原点がこの発表に在る。とんでもない自然の認識に挑戦する賭けに挑まざるを得ない仕儀になった。幼稚な社会性の乏しい筆者には無理な科学論の道であった。何か最初から社会的な存在としての、憲法、行政法上の仕組みの中に組み込まれていなかったような思いに在る。集団体制にとっては邪魔者で、はみ出し者のようだった。古い事件のうろ覚えがある。貝野村役場が火事になった。貝野中学校が火事で焼失した。意味が分からない?信濃川で隔てられた小さな集落の貝野村が、更に二つに分かれた分村事件。我が家の土地がいつの間にか新潟県道に化けて、今でも踏み躙られている。

エネルギー考にまとめた。『エネルギー』一つに科学論の基礎概念を頼りに何とか辿り着いた。理科教育の未来の一つの方向性を示した。陰で応援が有ったから曲がりにもできた。感謝。

フェーン現象の事例報告を解釈

(2021/06/08)。今朝の新潟日報新聞記事を読ませて頂いた。

フェーン現象についての観測事例の報告だ。従来の解釈と異なる事例が多くあるとの報告である。フェーン現象の解剖 (2018/06/17)で述べた。そこで指摘したかったことは、どうも物理学理論で『エネルギー』の意味を認識していない事を指摘したかったのだ。「気体分子運動論」が温度の現象の解釈を支配しているようだ。丁度「フェーン現象」の報告をその時も見て、『水蒸気』の熱エネルギーについて解釈するに好適例と思って記事にした。

フェーン現象のメカニズム

今回の研究報告。その報告もとても有意義である。確かに従来の解釈では山での降雨が無い事例という点で異なるように思える。しかし基本的には気象現象としては同じものと解釈する。

『熱エネルギー』の物理学的解釈が教育で成されてはいるが、どうもその視点が間違っているように思う。空間に『エネルギー』が在ると言う認識がないところにその大きな原因がある。気象についても筆者は全くの素人と言える、しかし『エネルギー』については少し独自な解釈をしている。気体分子運動論を否定する解釈の立場に居る。「雷」も熱エネルギーの熱爆発現象である。この「雷現象」と「フェーン現象」が気象現象と言う空気中の物理現象としてみれば基本的には同じ意味を持っていると観る。共に気中の熱エネルギーの現象なのである。「雷」と「フェーン現象」の違いは水蒸気の保有する熱エネルギーが冷気で、空気気体の体積の収縮により水となり雨となる。その雨が降る事で、気中に『熱エネルギー』が残る。その気中の『熱エネルギー』が風などで吹き飛ばされず、即ち空気の流れが弱ければ、その空間に留まり、『熱エネルギー』の飽和状態となり、『熱爆発』に至る。それが『雷』の現象である。

今回の報告の「フェーン現象」が雨降りを伴なう、山越えの現象と異なるという意味での報告と解釈する。しかし水蒸気が海の上空で雨となり既にその空間に残った『熱エネルギー』が空気の強い流れに乗って吹き降ろせば、やはり同じ「フェーン現象」と見做して良かろう。低気圧と高気圧は、単純ではないだろうが、幾つかがほぼ対になって地表上に存在する筈だ。その気流の流れによる空間の『熱エネルギー』の移動現象として、「雷」と異なるやはり熱エネルギー現象である。

低気圧と高気圧とはどの様な物理現象か。そこには必ず水蒸気が関係している筈だ。海水面からの蒸発水蒸気である。低気圧は特に海水面温度が高く、上空に低温度の空気流が流れて来た時に起きやすい筈だ。台風や暴風雨などは上空の冷気流の到来と海水面の高温度との関係で起きやすい筈だ。その訳は何か?それは『物理学理論』の解説すべき専門分野である筈だ。決して気体分子運動論では説明が付かないだろう。水蒸気の特性がその訳を握っている。水蒸気は気体であり乍ら、アボガドロ定数の解釈論には支配されない、特別の気体状態と解釈する。水分子は熱エネルギーを保有すると幾らでも体積が膨張する。そこが全く気体分子運動論や、通常の気体とは異なる特質を持っていると捉えるべきだ。それが『蒸気機関』のタービンやピストンの動力源としての威力を発揮する源である。『電荷』否定の『エネルギー』での統一科学論の一つの例となろう。炊事で、湯沸かしの水の蒸発を見ながら思う日常生活科学論かも知れない。