カテゴリー別アーカイブ: 自然科学

自然科学にもたらす数学の功罪

自然界に『負』の物は実在しない(2020/08/03)。

『負数』について考えた。数についての学問が数学であろう。数には正数に対して負数と言う概念が加わり、数の計算が拡張された。しかし、実際の生活に『負数』が存在するのだろうか。例えば、経済で利益を正数としたとき損失を負数として対応させれば、加減算したとき誠に分かり易いと言えよう。しかし損失も『正』の損失額という意味であり、決して負数という事ではない筈だ。純粋な意味で損失が負数であると決まったものではない筈だ。計算の便宜上で負数としただけでしかなかろう。そのような意味で考えた時、日常生活上で自然現象を観察した場合に『負数』で対応しなければならない事物が存在するだろうか。

数学は論理性の象徴的学問分野であるかのような絶対的な捉え方で解釈されている傾向があるように思われる。それが常識的であるように見える。

数学に規則では、

(-1)×(-1)=+1    (1)

(+1)+(-1)=0       (2)

等と決められている。

このような規則、条件がどのような意味であるかを考えてみたい。具体的に自然世界の現象として、この規則を取り入れるとき、それがどの様の意味を持つかという事を明らかにする必要が有ろう。(1)式、(2)式には自然世界に実在しない概念の導入によって成立するという条件の仮定が根底に在る。

ここで考えてみる。どんな自然現象で(負数)×(負数)と言うような計算をしなければならないものが存在するだろうか。あるいは(+1)+(-1)=0と言うような事象があるだろうか。(負数)に対応する自然界の物理量が実在するだろうか。

そこに唯一思いつく物理量があろう。それが(・・)であろう。皆さんは何を考えるでしょうか。

数学の特徴で抽象性を挙げる事が出来よう。それに対して自然はすべて具象の世界である。その自然からある面を抉り出して抽象性を表現してみても、それはあくまでも自然ではなく人の恣意的な自然にない解釈が組み込まれた可能性のものだ。そういう意味で、数学的な解釈が如何にも絶対的であるかのごとき捉え方は正しくなかろう。

数学の解析の具体例。幾つか拾い出して考えてみたい。確かに数学的解析手法が無ければ、現代生活は成り立たないと言ってもよい程、その恩恵は計り知れない。それが数学の功績である事に間違いはない。その上で考えてみたい。特にその威力を感じるのは、様々な現象のシミュレーションにあると思う。時々刻々と変化する状況を的確に予測する計算手法である。そんな人の能力を超えた計算処理が計算機(動かないものは器で動くものが機と理解していたが違うようだ。)で可能になったのも数学の規則があるからだ。

1.気象予報。

気象の予測の精度が格段に向上している。そこには気象観測衛星の技術があっての事ではあろう。ただ一つそこに気掛かりがある。それは雷発生注意報が発せられているが、余り雷の発生は起きていないのではないかと思う。最近残念ながら「雷」の稲妻も見ない。気象条件で、雷の発生が予測されるのだろうが、予測が外れて起きていないのではないか。そこには人の科学理論の誤った認識が入るからではないか。雷は決して『電荷』などの自然現象ではなく、『熱エネルギー』を原因とした現象なのである。雨によって空気中の塵芥が洗い去られて、気中に水蒸気の熱が貯えられるチリが無いから、雷現象が起きないのだ。雷は気中の熱爆発現象だから。『熱』の正体 (2014/05/15)-この記事も年間リポートで大花火を頂いた- および雷は熱爆発 (2014/05/23) がある。

2.津波伝播現象。

海洋を伝播する津波波形をどのようにシュミレーションで解析するか。地上の津波波形は運動エネルギーの波であるから、普通の物理学理論の運動方程式による解析で可能だ。しかし海洋伝播する津波波形は海水が流れない現象だから、運動エネルギーではないのだ。海底沈没現象がその巨大津波の発生原因である。高速度計算能力が可能の時代になった。海底陥没でどのような現象が起きるだろうか。突然の真空空間を作る実験は不可能である。しかし計算機なら可能かどうかと期待を膨らませたい。古い記事、地震とは何か(2011/10/20) および地震・津波発生の原因 (2014/06/15) -この記事は年間リポートで大花火を頂いた- がある。

3.電気回路現象。

電気回路現象は微分方程式を解く過渡現象として詳しくシミュレーションによって解析できる。それは電気回路の『電流』と『電圧』を基礎概念として解くことができるという条件の成り立つ場合に限る手法である。それは電気回路内における送電端と受電端間での光速度による遅れを考慮しなくてよい場合に限るという条件がある場合だ。『オームの法則』と光速度伝播現象の関係を考える必要が有るのだ。回路電流は電源と負荷の値が等しい条件で『オームの法則』が成り立つのである。分布定数回路の電線路長と電気信号波長の関係で、電線路長が波長の何倍となれば電磁エネルギーの光速度伝播現象を考慮しなければ解析は困難である。定在波分布現象を考えれて初めて電流という物理概念が電線導体内を流れるとは考えられないと気付くのかも知れない。そこには電線路空間内の『エネルギー』光速度伝播現象しかあり得ない筈であるから。分布定数回路空間の世界 (2019/10/14) がある。

まとめ。

数学と言う学問はとても広い内容を包含している。数の加減乗除算はその基礎になる。それでも(負数)×(負数)=(正数)が至極当たり前の学習の基礎として身に付けなければならないと学習指導要領で決められる。この計算の意味はとても深い哲学的な思考を伴わなければ理解できない高度な内容と思う。それをいとも簡単に「是はこうだ!」と覚えさせる教育の態度では、そこに創造性など生れない。其処に数学の抽象性の教育上の大きな問題があると考える。知識として積み重ねても、その深い意味を理解するには、そこに疑問を抱いて後に初めて分かるというところに到達するものであろう。教育の意味はそこにこそあると思う。

『電荷』は科学理論構築の根本的基礎概念である。数には(正数)と(負数)がある。それが数学の基礎である。自然界の現象を心に納得できる対象として感じた時、そこには(正数)や(負数)の対象となる実在物理量が無いのだ。負の電荷の『電子』が自然世界に存在するなど感じ取れないのだ。そこには数学の(負数)の基礎概念が大きく影響を無言の圧力として人の意識に及ぼした結果ではないかと考える。数学の罪として。規則の式(2)を考えてみる。(+Q)+(-Q)=0 と『電荷』に適用したとき、数学はその内容に責任をもって答えられるだろうか。物理学では如何であろうか。正の『電荷』と負の『電荷』が結合したら『零』になるのか。光とは何かにつながる哲学的意味を含んでいるようだ。

こんな記事を過去に書いていた。数学と自然科学 (2016/11/19) 。

Electrons for the battery.(不可解?)

(2020/08/05)不可解なり。ダッシュボードで記事を更新した。記事を確認すると側面に『フォローマーク』が表示される。筆者が投稿したと見做されていない。幽霊記事か?この記事は何故、「カテゴリー」と「タグ」が無いのか?

下の図は電池における電子の役割を問う (2018/05/24) の図を書き換えた。

 

電池とエネルギー

電池は『エネルギー』を貯え、便利にその『エネルギー』を使うための科学技術の貴重な成果の製品だ。決して存在しない『電子』などを貯えるものではない。『エネルギー』とはどの様な特性を持った物理的実体か?と考える。見えなくて測れないものだから、その『エネルギー』の動特性を探ることも出来ない。どうすれば、『エネルギー』の空間特性を理解できるかが電池の物理的現象を知る要点であろう。

電池とエネルギーの関係。

電池の内部で『エネルギー』がどの様に貯蔵され、それがどのような条件で電池内部から解放されて電気回路空間に放出されるか。その現象を『電子』なしに『エネルギー』の物理的特性として解釈する必要が有る。電池から送出された『エネルギー』は決して電源に戻る必要はない。負荷に供給されて、それで電池の役割は完了する。『電子』のような概念では、再び電源に戻る無意味な解釈が繰り広げられる。無意味とは何故に負荷を『電子』が通過する必要が有るのか。負荷に『エネルギー』を『電子』がどの様な物理現象として届けることになるのか。何故に『電子』が保有した『エネルギー』を負荷に届けて、その『エネルギー』分だけ欠乏した状態の、異なる『電子』が電源に戻る必要が有るのか。『エネルギー保存則』の意味を忘れないで欲しい。『電子』が負荷を通過しただけで、負荷で『エネルギー』を発生できる訳はない筈だ。無から『エネルギー』は生まれないのだ。電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で矛盾の解説に使ったのが下図である。

Fig.1. の図の意味。普通の電池記号と異なる図で表現した。単純に電池の意味を表現すれば、陰極の電極金属で『エネルギー』源のエネルギー貯蔵物質を包み込み、そこから『エネルギー』の無い陰極側に放出され、負側電線路を通して負荷に供給される絵図で捉える。電池の陽極電極および充填物質は所謂電位としては同一にある。充填剤に貯蔵された『エネルギー』はその内部では『エネルギー』として存在している訳ではない。しかし陰極金属体との間には『エネルギーギャップ』が存在する。陰極のエネルギーレベルが充填剤より低い。その接触ギャップで、自動的に充填剤の内部から空間構造変換として『エネルギー』が陰極側に放出される。それは同時に電線路が繋がれているば、その回路空間に対してもそのギャップを埋めるために『エネルギー』が放出される。だから電池内部に見える形で『エネルギー』が貯まっている訳ではない。充填剤の分子的な構造変化として含まれているだけで、結局は質量開放として『エネルギー』の放射になるだけである。

電池の物理現象と科学論。電池の『エネルギー』を観測することも計測することも出来ない。ましてや『電子』の数量を計ることなどもっと困難である。仮想概念で、実在しない物は計れないから。それでは、電池内の『エネルギー』は在るかと言われればそれも無いと言わざるを得ない。『エネルギー』は忍者じゃないが、分子構造の中の質量となって貯えられているとなれば、それは空間分布の『エネルギー』として存在する物にはならないから無いとなる。質量と『エネルギー』に変換し合う物理量は科学論で測り様が無い物だ。自然世界は余りにも純粋過ぎて、物質論の理論の計測手法に馴染まない物かも知れない。分子構造から解放される『エネルギー』が科学論で解明されることを祈る。

関連記事。独楽の心 (2019/01/05) 。熱の物理 (2019/02/07) 。

Is Coulomb force between charges logical?

What is the principle of the force that the same charge collects? How much charge can be collected? Is it possible with Coulomb force ? What other principle of collective force is there? (訳)同じ電荷が集合する力の原理は何か?どれ程の電荷集合量迄可能か?クーロン力で可能か?他にどんな集合力の原理があるか?

Coulomb force is the basic of charge theory. The mystery in the theory of charge is “whether there is no contradiction in why they are discussed on the assumption that the same charge are collected.” (訳)電荷論の基本にはクーロン力が在る。その電荷の理論での不思議は『何故同一電荷が集合することを前提に論議されるのかに矛盾はないのか』という事である。

There is no “concept of force” for no object that cannot assume acceleration. “Charge” cannot define acceleration. Therefore, there is no logic in charge theory to discuss “force” in dynamics. (訳)加速度を伴わない物に『力の概念』は有り得ない。『電荷』には加速度を定義できない。だから、電荷論には力学上の『力』を論じる論理性がない。

Coulomb’s law does not include the underlying mass of the concept force. So it cannot be a formula that expresses the “force” in dynamics.  (訳)クーロンの法則は力の概念の基となる質量を含まない。だから“力”を表明する式とは成り得ない。

 

What is energy?

Energy exists  in space and its visualization is mass.

エネルギーが空間に実在する。そのように表現する『エネルギー』は運動エネルギーや位置エネルギーとは異なる『エネルギー』である。光も空間に実在し、その半波長も、4分の一波長も空間の体積を占める。言い換えれば、光の何分の1波長の長さの空間でも、空間を占めて実在する『エネルギーの空間占有体』である。だから振動数は光の『エネルギー』を定義できない。振動数での評価エネルギー e=hν [J] は決してエネルギー量を定義できない。光子が何万個あっても同じ評価数量の概念であり、エネルギー量のジュール[J]を定量できない。それは科学論の手法の限界でもある。1波長の光のエネルギー量を計測しようとしても、振動数は測れても、決してその光の『エネルギー』量を計ることはできない。太陽光線の到来する単位面積当たりでも、その『エネルギー』量が何ジュール [J] かを計れない。空間を流れてくる光の『エネルギー』ジュール [J] を計れない。電気コイルの中の空間に流れている『エネルギー』[J] を計ることが出来ないことと同じ意味だ。

『エネルギー』は観えないし、測れない物理的実在量だ。だから『エネルギー』とは何かを明らかにする事が自然世界の哲学論になる。

『質量』は『エネルギー』と等価である。

この意味をどのように理解しているか?『質量』が『エネルギー』に変換されたとき、『質量』は無くなり、空間の観えない『エネルギー』にすべて変わると理解しているか。それは『熱』でも見えない空間に実在する『エネルギー』だ。物体の中の構造空間内に貯蔵された『エネルギー』で、それが熱だ。電気抵抗体が熱の『エネルギー』を貯蔵して、高温になるのがその例だ。決して熱の『エネルギー』を見る事はできない。そこに在るのに見えないのだ。しかし存在している事は輻射によって理解できる。

物理学理論で認識していない、捉えきれない空間の『エネルギー』が実在している。代わりに『電子』や『電荷』を仮想して理論を構築している。気体分子運動論的な『エネルギー』による理論構築が物理学理論となっている。其れでは『エネルギー』の空間像を理解できない。

『質量』は光の空間『エネルギー』が質量化した姿でもあると理解すべきだ。だから『質量』が光に変化されれば、質量は消え、光だけにもなる。薪が燃えれば熱が出る。酸素と結合しただけで、何の質量も減少しないで、熱『エネルギー』が発生する訳がない。その質量の意味が化学方程式には認識されて示されていない。『エネルギー保存則』とは、どの様な意味か?電線路空間を流れる『エネルギー』も同じ自然の姿だ。『電荷』の矛盾を理解すべきだ。

What determines the battery voltage?

基礎研究とは何か? (2020/07/11)。

『何が電池電圧を決めるか?』と検索してみた。電池は『エネルギー』を貯蔵する電気用品で、あらゆる可搬型電気器具の『エネルギー』源として欠かせない技術用品だ。古くから使われている乾電池は電圧 1.5[V] だ。鉛蓄電池は電圧 2.0[V] の単位cellである。ボタン電池は 3.0[V] 等である。それぞれの電池は特有の一定電圧である。そのような一定電圧になる訳を説明できるでしょうか?これだけ情報化社会でも、こんな身近な電気用品の「電池電圧」が何故一定値になるのかの解説がどこにも無い。検索すれば、『電子』が解説の主役として論説されるが、そこに『エネルギー』がどのように負荷に供給されるかの意味が示されていない。科学理論は「論理性」がその根本をなしていると思われている。しかしそこで解かれる解説には、論理的で説得力のあるものが見えない。科学論を述べる解説者が、一般の市民の疑問を受け付けない『専門性』の閉鎖障壁となる『門』で塞がれているように思える。『学問』と言う疑問を大切にする、問う事で学ぶ『問』から離れてしまったようだ。

大学で成されるべき基礎研究とはどんなものか。技術開発だけではない筈だ。例えば、『電荷』とはどの様なものかを問う『学問』の府でもなければならない筈だ。それが多様性を重んじる豊かな基礎学問の府となる筈だ。それは科学技術の競争とは異なって、「経済的利益」を求める事に役に立つものではない。税金を使ったら利益を生めという事では『学問』は消えてしまう。生きるに日金を稼がなければならない労働(労働の平等を破壊する派遣労働制)を虜にする社会構造では、未来の理想社会の姿を考えるゆとりが奪われ、政治批判能力が育たず、選挙権を行使する民主主義の基盤が崩れ去る。独裁政治が生まれる。

科研費を稼ぐために競争的資金獲得に汲々とするところには本当の基礎研究はない。多寡が乾電池の電圧の事であるが、何故『エネルギー』を使っても一定値を保つのか?に答えて欲しいだけなのだが、それに答えられないのでは問題ではないか。安心して取り組める環境でない任期制の研究者体制で、どこに基礎研究体制が採れるというのか?研究費獲得のために、汲々とするところに乾電池の端子電圧の意味を考える基礎研究は決して為されない。

乾電池の電圧が何故 1.5[V] かを説明できる訳を求めるような、本当に日常感覚で疑問に思うような問題が基礎研究の基になるのではないのか?教科書の理屈では、誰でも答えられない問題なのだ。

過去の思考記事。電池の原理を問う (2014/11/27) 。電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08) 。謎(pn接合は何故エネルギー空間か) (2017/05/18) 。電池における電子の役割を問う (2018/05/24)。

電圧とエネルギー

観えなくて測れない物理的実在量、それが空間の『エネルギー』。しかし、それは物理学理論の概念にはない。その空間像の象徴が『光』だ。光は見えてもその『エネルギー』は観えない。

『エネルギー』とは不思議だ。誰もが言葉にするが、その姿を見る事が出来ない。物理学理論で『エネルギー』と言えば、運動エネルギーと位置エネルギーがその意味になる。その物理学理論の『エネルギー』は何となく見えるような気がするかも知れない。ボールが飛んで行けば、その速度で運動エネルギーを感覚的に理解できたように思う。しかし、その飛ぶボールを見ても、ボールが見えるだけで『エネルギー』などどこにも見えないし測れない。速度と質量から計算式で算定することはできるが。蓄電池は電気エネルギーを蓄えた電気製品だ。しかしその貯えたエネルギーを認識できない。どんな像であるかを理解できない。代わりに『電子』で代用して理論を作り上げる。しかしそこでも『エネルギー』を説明出来ない。

貯蔵電気エネルギー。電気回路で『エネルギー』を貯蔵できる要素はコイルとコンデンサである。しかしその『エネルギー』を、その像を見る事はできない。また、抵抗も『エネルギー』を貯えない訳ではない。抵抗もその構造体の中に『エネルギー』を貯えるから、時間積分で温度が上昇する。だから『エネルギー』を貯えたことには間違いがない。しかし、電気回路にその『エネルギー』を再び戻す働きを持っていないのが抵抗体の不思議な機能である。

『エネルギー』

エネルギー W[J] を青色で描いた。それが電気要素の空間に存在する『エネルギー』である。描いて示したと言っても、それは科学的な検証に耐える証明が出来ない。だから物理学理論の概念には成り得なかったのかも知れない。見ることの出来ない『エネルギー』を、その空間像だと言って描いても、物理学理論の概念として受け入れられる論理性もないし、実測できる保証がないから、絵に描いた「餅」と言われても当然のことである。その意味ではこの空間の『エネルギー』の概念認識が無い物理学理論を非難できないかも知れない。それでもこの空間の『エネルギー』を認識することが自然現象を理解するには欠かせない。何か「電荷」の実在を頭ごなしに押し付けるのと、空間の『エネルギー』を押し付けるのと何処か似ているかも知れない。それは電気回路の現象を多くの観点から、各人が確認しながら納得する以外ないのかも知れない。磁石の周りの空間の『エネルギー』の流れと同じことなんだろう。見えないものを在るとは強制的に押し付けるべきではないから。

電気理論による数式で表せば、

コイルのエネルギー     W =(1/2)L×i^2^ [J]           (1)

コンデンサのエネルギー  W = (1/2)C×v^2^ [J]         (2)

となる。このような数学的表現で纏められる意味はとても大きな科学技術の業績である。いくらコイルの中に『エネルギー』があると力説してみても、その量を計れないことを知れば、(1)式が如何に優れた技術的表式であるかを理解できよう。『電流』と言う技術概念とその測定技術が如何に優れたものであるかを。しかし電線導体の中を『電流』や『電子』などは流れていないことも知らなければならない。そこに科学技術と自然現象の真理との差を知る必要が有るのだ。『電子』での解説者は、そこに『エネルギー』の認識を解説する義務がある事もまた分かってほしい。

電気技術論によってこの数式で算定はできるが、決してコイルやコンデンサの中に蓄えられた『エネルギー』は観えないし、測れない。コイルの空間に『エネルギー』があると理解するためには、電気回路技術の多くの計算を通して、感覚的に認識することが大事だ。学んで、そこから深く理解するには、疑問を抱き分からない不思議に直面して、そこを乗り越えて感覚的に納得できるのだろう。『電流』が流れていないことを理解する迄には、長い難しい道を辿る必要があるかも知れない。

電圧は『エネルギー』の評価技術量。見えない『エネルギー』と電圧の関係を考えてみよう。不平衡の空間の『エネルギーギャップ』を電圧として解釈している。コイルとコンデンサの貯蔵エネルギーに対する、その端子電圧には特徴的な差がある。コイルの中の『エネルギー』量を外から推し量ることはできない。一定値の安定した『エネルギー』の貯蔵状態では、端子電圧は零になり、『エネルギー』の量を推し量れない。一方コンデンサの場合は、その貯蔵の『エネルギー』量は端子電圧に直接現れる。コイルもコンデンサも貯蔵する『エネルギー』に違いがある訳ではない。同じ『エネルギー』を貯蔵するのである。同じ『エネルギー』を貯蔵する、その金属導体によって作られる空間構造が違うだけだ。貯蔵するのは『電荷』でもなければ『磁束』でもない。それは見えない『エネルギー』なのである。

電圧 [V] の次元は [(J/F)^1/2^] 。

電気物理(電圧時間積分とエネルギー) (2019/03/26) との関係での記事となる。

線路定数L[H/m]、 C[F/m]の『エネルギー』と端子電圧の関係を考える。線路容量Cに関わる『エネルギー』分布密度をw[J/m]とする。負荷のコイルとコンデンサの貯蔵エネルギーをW_L[J] W_C[J]とすれば、次の式で表される。

貯蔵『エネルギー』量はそれぞれの要素の端子電圧との関係で決まる。

wL は端子電圧が掛かる限り、その時間積分で増減する。コンデンサのwc は端子電圧そのものが貯蔵エネルギーを表す。この式から、端子電圧は次の図のような意味と解釈できる。

(1) コイルの端子電圧の意味。電線路に繋がれた負荷のインダクタンスLl[H] とする。コイル端子の電圧もその次元は [(J/F)^1/2^] である。コイルが繋がれた電線路は回路定数 C[F/m]の『エネルギー』分布空間である。コイル端子が繋がれた外部条件によってコイルへの『エネルギー』の入出力が決まる。電線路の『エネルギー』がコイル端子の電圧を表している訳である。電圧がコイルに掛かれば、コイルの『エネルギー』は変化し、その微分がまた端子電圧でもある。

(2) コンデンサの端子電圧の意味。容量 Cl[F] のコンデンサ負荷が線路に繋がれている。コンデンサの場合は、線路『エネルギー』分布により、コンデンサとの『エネルギー』は線路定数 L[H/m] を通して行われる。そのコンデンサの端子電圧はコンデンサ自身の保有『エネルギー』量によって直接決まる。コンデンサ内の空間ギャップでの『エネルギー』の空間分布構造が如何なる形態であるかを判断しなければならない。誘電体の分子構造内に貯蔵される訳であろうから、『電荷』否定の上での捉え方としては分子内での軸流以外予想できない。電極の負極側の高密度分布が予想されるが、未だにその誘電体分子構造内の空間エネルギー分布流は不明だ。結局は、磁性体内と誘電体内で同じような軸性エネルギー流になるかも知れない。前にコイルとコンデンサの磁気ループ (2016/07/13) に考え方を示したが、誘電体での微視的分子構造までは考えていなかった。電極間の『エネルギー』不均衡分布が電圧だという解釈との整合性をどう認識するかの課題かもしれない。

何が電池電圧を決めるか?

電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08) で考察したが、『電子』ではその訳を説明できない筈だ。電池は『エネルギー』の貯蔵器で、『エネルギー』を使っても端子に現れる電圧は常に一定値である。その電圧を決める意味には『電圧』とは何か?の「問」が示されている。『エネルギー』と電圧の関係が問われている筈だ。ここにまとめの意味を含めたい。

『電圧』という意味

電気理論の基礎概念は『電圧』と『電流』である。

電気の話をするには『電圧』が基になっている。電圧計で測れば針が電圧値何ボルトと表示する。電気回路に示される自然界の真理は電圧計に示されている。と誰もが分かり、疑問を抱かない。

交流電圧。

交流電圧は正弦波も一つの標準であり、それは図のように示される。このような波形を見て、その意味をどのように解釈するだろうか。

物理的実在量『エネルギー』の空間分布量を評価する技術概念量が『電圧』である。

電圧波形は時間で正弦波状に変化することを示している。その電圧値は何処の値と理解するでしょう。電気常識に依れば、電源端子の電圧が電線と負荷の電圧の総和に等しいと解釈する。しかしその解釈には、電線路空間内の『エネルギー』など何処にも意識する事はない。この常識的解釈法には負荷に『エネルギー』を供給する伝播現象の意味が見えない。

電線に電圧を掛ける事は、水路に水圧を掛けると同じ意味で、水の流れと同じく『電流』が流れる必要の論理展開にならざるを得ないことになる。そこで『エネルギー』が電源からどのように負荷に伝送されるかと尋ねれば、物理概念に空間に独立した『エネルギー』が存在するという認識が無いから、答えが出来ない。結局『電子』が『電流』と逆向きに流れると解説するだけで、『エネルギー』の伝播現象を解説しない。

電線路の『電圧』とは電源から負荷まで、すべて電圧位相が異なるのだ。電源から負荷まで電線路『電圧』の値は同じくないのだ。電線路空間を光速度で流れる『エネルギー』の分布量を評価する技術概念であるから。要するに、空間の『エネルギー』を意識しない限り、電気回路現象の本当の姿は理解できないのだ。

易しいと思う事の中にも、とても難しい事が隠されていると思う。分かるという事は、分からないと疑問に思う事から初めて辿り着ける事のように思う。

『電圧』と『エネルギー』の関係を記す前に。

分かるという事

何にも知らないで過ごしてきた。

自分のことが最大の謎になった。

知らないという事に気付かないで過ごした。

ただ電気現象だけに意識が向いていた。

分からないと気付いた多くは電気現象であった。

分からないことに気付いて初めて分かるのか。

『電荷』が存在しないと分かるとは、

それは余りにも大き過ぎる分かるという事だった。

分からないとは気付かない事だったんだ。

気付かないことが最大の恐怖になった。

エネルギー伝播現象

新しい観方をまとめるに戸惑いもする。次々と新しい姿が現れてくるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

エネルギー伝播と空間特性。図の電線路の回路定数は導体によって構成される空間の構造が決め手となる。その係数を空間構造係数 k とする。

この空間構造係数 k は分布定数回路空間の世界 (2019/10/14) で定義した。平行導線の間の空間の構造係数である。

長く電気現象を理解しようと、その電気回路の中における物理的特性の解釈での疑問と格闘してきた。教科書の理論解説では満足できず、何時も『解らない?』と自己問答に陥る。今確信に在る思いは、余りにも単純でありながら、その姿は科学理論とは懸け離れてしまった。そこには『エネルギー』一つの姿しか見えない。自然の中に少しは科学論らしい姿を表現しようとすれば、哲学的課題との関係で空間構造の解釈になる。電気現象の哲学的課題 (2020/06/21) からの続きでもある。ITの検索には、小学生から中学生の学習のための記事に、電流と電子の解説が多くある。新聞の科学記事でも、科学常識の解説で啓蒙される。そこには『エネルギー』の大切な話は全く見えない。『電子』など決して電線金属の中に流れる訳がないのに、教科書はじめ専門家が『電子』が流れると解説している。筆者が投稿する記事は殆どが教科書の科学理論の矛盾を説くものである。『電子』が流れると解説されれば、それは『嘘』だと言わなければならないから。しかし誰も、物理学の専門家もこの記事に反論を寄せない。科学は専門の科学雑誌に投稿して初めて科学者の資格が得られると見做すのだろう。教職の資格も、所属もない者は無視される?

電気回路はその空間を『エネルギー』が流れる技術装置なのだ。『電流』や『電子』など何処にも流れてはいない。空間のインダクタンスと静電容量と言う二つの科学的評価基準で解釈する人間的な認識なのである。上の図は、光は自由空間を光速度で伝播する。電気は電線で囲まれた空間をやはり光速度(電線が裸線の場合)で伝播する。ここで解説する論の最大の欠点は、空間を伝播する『エネルギー』を科学技術的実験で観測し、検証できない事である。

エネルギーの伝播像。その『エネルギー』は伝播定数γ=√(LC) =√(μoεo) [s/m] の速さで伝播する。

先に結論を図で示す。この図に示した黒い点々の影が空間を伝播する『エネルギー』だと言っても、それは物理学理論には無い概念であるから、理解できないかも知れない。『エネルギー』とは何か?を理解するには、物理学理論の多くの用語の意味を自己流に噛み砕いて、日常用語で表現してみて確認する以外には分からないかも知れない。この『エネルギー』は運動エネルギーでも位置エネルギーでもない。交流電気回路のエネルギーは図のように電線路電圧の負側の電線近傍の空間を光速度で伝播する。電流も『電子』も全く関りが無い。金属電線の中など何も流れて等いないのだ。それは光の『エネルギー』が何も無い空間を『振動数』など何も関わりなく伝播することと同じ現象と見做せる。なお、光エネルギー像に描いた像は軸性光量子像 (2019/11/11) に示した解釈である。ここに示した電線路の場合は、この平行導線間の空間を伝播する『エネルギー』は裸電線で、電源が交流電圧の場合を想定している。電線路電圧v[V] とは次元[(J/F)^1/2^]の電線路間の『エネルギー』分布量の評価技術概念である。電圧の負側の電線導体近傍空間を伝播するから、半サイクルごとに図のように分布が反転する。『エネルギー』の分布量は電圧が v[V] の瞬時値なら、回路定数 C[F/m] によって、Cv^2^[J/m] である。このエネルギー分布像は電線路の物理現象としての意味であり、実際には電線路上に図のようなエネルギー分布がある訳ではない。電線路長は長くても送電線路で数百km であるから殆ど電線路の送電端と受電端との電圧位相差は問題にしない。(例えば)50Hz波では、

波長λは右の様に実際にはありえない線路長となる。

理科教育と『電子』。The electron did not exist in the world. (2020/05/15)

電線路導体に『電子』など決して流れていないので、子供達への教育で「嘘」を教えてはならないことを伝えたいのだ。教科書を書かれる方々によく知って頂きたいのです。電線路の『エネルギー』は光速度で伝播する事は間違いない。決して『電子』がそのような電気エネルギーを運べる訳が無いのです。『電荷』はこの世界には存在しないのです。反論やご意見をお聞かせください。