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電気技術理論と自然現象論

(2023/03/22).

 ここで取り上げる課題は、少し電気現象を学習した事のある方には、とても有り触れた基礎的な問題の筈です。どうぞ専門的学識を以ってお答え頂ければ有り難いです。

 電気技術理論とは電気理論・電気磁気学に当たる。従来からの科学論に相当する内容になろう。

 自然現象論とは現代物理学理論と全く異なる科学論・物理論になるか。要するに、学校教育で扱う理科教育理論と全く異なる思いを込めた自然観察理論になる。

 次は、未来への新しい視点・観点が要求される教育上の、社会的問題提起となるとの思いを込めて。

 『電気エネルギー』と言えば、その意味をどの様に認識なさるかと言う観点から、その意味が電気技術理論になるか自然現象論になるかに分かれよう。

 その意味を解説しよう。それを次の図 (電気エネルギーの変換現象) によって考えよう。

 

 図は有り触れた電気回路である。電源は直流電圧源の蓄電池である。負荷はコンデンサ、少し突飛ではあるが木炭負荷そして白熱電球の三つを対象に選んだ。

 問題〈1〉: 蓄電池は何を貯蔵した電源か。

 問題〈2〉: 電気エネルギーとは何か。

 問題〈3〉: 電気エネルギーはどの様に負荷に伝送されるか。その伝送を担うものは何か。

 問題〈4〉: コンデンサは何を貯蔵する電気要素か。

 問題〈5〉: 木炭あるいは抵抗体ヒーターはどの様な電気物理現象を採るのか。

 問題〈6〉: 白熱電球が放射する光はどの様な物理現象に因るのか。

 問題〈7〉: 電流 I とはどんな物理量が流れる意味か。

 こんな問題は、日常生活上の電気回路現象をどの様に認識しているかを問う問題である。しかし、ここで特に意識した事は物理学理論が『エネルギー』と言う物理量を認識しているかどうかを確認したかった事である。『電子』と言う現代科学理論の根幹を成す素粒子が電気回路でどのような機能を担っていると考えるかを物理学理論に則って解説して欲しいのである。特に電気磁気学理論を担当なさって居られる大学の教育担当者にお願いしたい。

光は何故屈折するか

(2023/03/21).

 光が伝播媒体間の境界面で屈折する事は誰もが知っている。その光の基本的特性を知っている事はとても大切な知識だ。その事実が光の物理学理論として重要である。

 しかしその事実を知るだけで、光の屈折の自然現象としての物理的認識として十分だろうか。『何故』光は屈折するかの理屈が分かって居ると言えるだろうか。

 カメラはそのレンズでの光の屈折現象を十分理解しているから、高精度のカメラが実用技術製品として活躍しているのだ。

 空間定数とエネルギー伝播現象 (2019/09/14) 。

 光は空間媒体でその速度が変る。だから、その為屈折すると解説される。

 それでは、光は何故空間媒体によってその速度が変るのだろうか。

 光のどの様な特性が伝播媒体での速度を変える原因なのだろうか?

 その理由に、光は波動だからとか、波動は電界と磁界で解釈されるものだからと解説される。

 それで、光の速度が変る原因の説明に成っているだろうか。

 結局何が原因なのか、屈折する理屈が示せない。そこに本当の自然現象を深く認識し、理解する『考える』姿勢が欠けているのだ。物理学理論として、自然現象を深くその本質に迫る得度に成って居ないのだ。

 光の特性を知っていれば、その特性を利用する科学技術は完成する。電気回路で、『電圧』と『電流』という素敵な科学技術概念を獲得出来た。その測定器も完成した。その科学技術概念で、電気回路の実用化は完璧になった。光の屈折現象の科学技術的理解によって、カメラは完成した。電圧と電流概念によって電気回路の実用化は完成した。

 科学技術理論は自然現象の利用技術として高度な完成を実現した。生活の利益と言う視点で、自然現象を利用する事だけに目的化した科学理論は、真の自然を理解した安全な、人の生存のための地球環境と言う意識から反れた現実に向かう事に気付かない。

 昨年の秋は、とうとう日本の秋の風景、アキアカネが飛び交う青空が消えてしまった。生きるに、厳しい労働環境に、『アキアカネ』を意識する事さえ忘れた生活。地球温暖化ガスに意識が特化された科学論が蔓延る現実。その為、『原子力発電』等の海水加熱化技術装置の意味さえ無視した、総エネルギーの過大消費生活が海水温度上昇を来している科学技術的認識さえ欠落してしまう。『秋サンマ』も遠い過去の食生活、お正月の年越しの美味しい、豊富な『鮭』の味も味わえない異常な海水温度の環境に支配されてしまった。『温暖化ガス』等と言っている科学論に支配された海水温度上昇に基づくの地球過熱の生活環境破壊を意識しないようにする、いびつな科学論の常識と言う意識環境に支配されてしまう。

 自然現象を理解するには、現在の物理学理論は余りにも経済的利益追求に偏り過ぎた、矛盾に満ちた姿を構築してしまったのだ。

 光が何故屈折するか❓

 そんな基礎的な現象さえ、その訳を解説できないのだ。『何故か❓』という基礎的な考える意識から、『学説』を記憶して知識を増やす学習制度化社会になったようだ。

 空間の『エネルギー』を意識できないのが根本的な問題なのだ。それは科学的測定法で検出できない物理量だから。光の空間像の認識が出来ないからだ。光の振動数等と言って分かったと思っている限り、光の屈折現象を理解することはできない筈だ。

 光とは何か❓ それを問いながら来た。光の正体 (2018/01/25) 。軸性光量子像 (2019/11/11) 。光とは何か?₋光量子像‐ (2012/01/16) 。

 光の空間像を『エネルギー』の空間分布形状として捉えてきた。光が『エネルギー』の流れとすれば、前の記事、エネルギーの分類の『布団乾し』の意味も、熱エネルギーの空間像も光との違いとして理解できる筈だ。

  

 

エネルギーの分類

(2023/03/16).

 エネルギーの分類。  大まかな問題点を掲げて、未熟ながら順次追記して行こう。

 伝統的力学論のエネルギー。
 
 1.運動エネルギー    2.位置エネルギー     3.圧力エネルギー
等が代表的なエネルギーだろう。それらは空間に質量が認識できる対象の持つエネルギーである。

 非力学的エネルギー。

 この分類に入るエネルギーがとても曖昧だ。力学的でないエネルギーとは、質量を必ずしも必要としないエネルギーと成ろう。
 その代表例が光だ。また電磁波だ。あるいは輻射熱エネルギーだ。さらに電気回路の伝送エネルギーだ。  

 身体の基盤となる体温を保持するための赤血球が放射する(赤血球内での栄養素の酸化分解、ブドウ糖の酸化分解など)による全身保全エネルギー放射現象だーこれは全く個人的自然感覚による、科学的検証の裏付けのないー解釈論だ)。 

 また、津波の解釈論としては専門家の歪による跳ねあがり論はとても受け入れ難い。巨大津波は海底陥没を基にした、震源地への海水流入後の海水面上昇に伴う高圧力エネルギーの発生が原因だ。その圧力エネルギーの伝播現象が巨大津波の現象だ。海洋伝播圧力エネルギーの物理的認識を専門家の解釈と異なる原因で解釈する。筆者の個人的、合理的解釈論(これは力学的圧力エネルギーと同じものだが、縦波伝播現象としての物理学的論理を問う問題だ。当然力学論のエネルギーなのだが)だ。

 軸性エネルギー流だ。その代表が磁気のマグネットだ。独楽のエネルギーや太陽系の軸性エネルギー流もこの関係か、質量が基になるが。地磁気も含む。

 光と熱のエネルギーの差をどの様に解釈するか。
この辺の定義を確認する必要がある。光がこの自然世界を取り仕切るあらゆる基本原理を握っていると考える。

 熱と光のエネルギーについて、前に述べた 布団乾しー温度の理科基礎 (2016/04/14) が考察対象として有効だろう。
 日光浴と同じく、日に干した布団は日光を吸収して暖かくなる。恐らく紫外線で布団内部の湿気が消毒される結果か、特有の匂いも発する。明らかに光エネルギーが熱のエネルギーに変換されて起きる変化だ。ここにも、光と熱のエネルギーの違いの意味が現れている。光と熱の間の差がこの布団乾しの中に隠れている。そこにはエネルギーの速度としての差がある。

 電気エネルギーをどの様に解釈するか。
物理学理論で、電界と磁界の空間的エネルギー像の解釈の問題だ。電界、磁界の物理的空間像を大学の専門家がどの様に定義されているかの問題だ。
それは『電荷』や『電子』では解説し切れない問題の筈だ。『電荷』や『電子』はこの自然世界には実在しない人間が仮想的に考え出した概念でしかないから。厳密に考えれば「電荷」概念に因る解釈論は矛盾によって論理的に行き詰まるのだ。

 先ずは手始めに、光と熱の関係を明らかにする事だろう。

 光はエネルギーの縦波伝播現象だ。
その認識ができるかどうかだ。

過去の記事も関連付けたい。
コンデンサと電気抵抗のエネルギー機能差は如何に?抵抗体はエネルギーの吸収機能の物理的特性は如何に?なども思考対象だ。炭素のエネルギー貯蔵特性が解釈の視点だ。 電気式木炭暖房 (2013/1/31)

 

電荷と言う科学的汚点概念

(2023/03/09).

 一体誰がこんな科学論を世界の歴史に残したのか。『力』の理屈(理屈のない現象解釈法でしかない)がどこにも無い。電荷間、質量間そして磁束間にどのような力の理屈があるか。

 原子構造論はじめ、共有結合分子論、そんな現代物理学理論の根拠概念全てが『考えない』科学者の生み出した結果である。全てが矛盾に満ちた、論理性の欠落した論法に彩られてしまった。

 筆者は全く世界の片隅にも、科学論で研究者らしき業績一つも残してはいない。ただ、「人生意気に感じて」と言う言葉を新津工業高等学校の宮部校長先生から聞いた。また、長岡技術科学大学の斎藤学長先生から、「創造とは、深く身に創を負う事で生れる」を聞いた。

 ここ迄、世界の現代科学理論の華やかな過去に否定的な感覚を得るに至った原因には、やはり先行きの見えない不安との異常な生活での自己確認の戦いがあったからとしか考えられない。

 最初の第一歩は、1970年の『アンペアの法則』への疑念であった。『ファラディーの法則』は磁束と電圧の関係を表現している。それらの具体的技術論が『ロイヤーのインバーター』である。そこでは『磁束』は全く『電流』には無関係である。何故誰もその現象に、電気理論との違和感を抱かないのか。

 決して高度な実験によって到達した自然認識ではない。多くの科学論や法則の間の整合性を確認するだけで、
そこに疑念が生まれ、その疑問を解くべき理屈を捜して来ただけのように思う。

 1986年8月、無限長直線電流の空間現象の姿を空想していた。そこにどの様な電荷の流れを描けば己が満足できるか❓電荷の機能を考えていた。結局電荷の納得できる意味が見えなかった。

 その10月から、高電圧発生電源での『静電界内の磁界検出実験』が始まった。

 ただ、当時何故静電界内に磁界が存在すると感覚的に感じたか、その訳を今思いだそうとしてもハッキリと思い出せないのだ。全く疑問も感じないで、『磁界』が在って当たり前のように、『磁界』の検出の実験を始めていた。

 ただ一つ、その訳を捜せば、研ぎ澄まされた感覚にあった。9月1日の『飲み物』への命への危険を感じた事件があった。そこに、高等学校での、すべて鋸、金槌、旋盤そして半田付けの工作での静止電力変換回路実験での『エネルギー』の感覚的実在性認識が基礎に成っていた筈だ。更に初めての電気磁気学の講義で、空間の『エネルギー』の存在感が強くなった。

 ?科学界の妖怪『電荷』? 自然世界に存在しない『電荷』が科学理論の根幹を支えている。『電子』と言う負電荷の支配する科学理論の世界。何故そんな科学論の矛盾した曖昧な世界が科学者の信じる認識となったのか。

 誠に科学的と言えない図です。空間に一つの電荷Q「C] が有るとした。すると、電気磁気学理論では、その周りに電界が生じることになる。電界の単位は[V/m] である。周辺の空間点pに単位長さ当たりに電圧 [V] が生じるという事だ。従って、その空間の電界Eをある長さの積分を採れば、空間の電圧が算定される。一方、電気回路でコンデンサの電圧はその電極板のプラスとマイナスの電極板に等量の『電荷』+Qと-Qの電荷で解釈する。空間の一つの電荷で電圧が定義できるなら、コンデンサも片方の電荷だけで定義できなければならない筈だ。コンデンサと言う電気回路要素は、本当は負極側だけに『エネルギー』が貯蔵された状態なのだ。『電荷』等無関係の現象なのだが。電気磁気学理論は困ったことに、両電極の電荷で解釈する。それは間違いなのだが。本当は、教科書が間違っているだけでしかない。
 次にこれ又全く不可解なる技術概念、『電流』の物理的意味なのだ。電線の中を『電子』が流れている等と言う間違いが教育されている。誠に未来の教育が暗い事だ。電流の定義概念は、『電荷』の時間微分で解釈して良かろう。この電荷 Q[C] の時間微分と言う数学式の表現内容を考えてみよう。実際は電線の中など何も流れていないのだが、電気理論では『電流』と言う概念で『電荷』が流れている事に成っている。やはり、この『電荷』が流れると言う『電流』の概念が極めて矛盾した、理屈にならないものなのだ。もともと貴重な科学技術概念のオームの法則では電線の『電流』は電源から負荷までの間の何処の電線でも同じ値と解釈する。しかし、電気現象は幾ら近くても光速度以上に流れる同時性は許されないのだ。実際は電線で囲まれた電線路間の空間を『エネルギー』が流れる現象なのだ。電線路間の空間を電磁波(『エネルギー』)が伝送される現象なのだ。

 原子構造論。

 この図も誠にお粗末で🙇。原子力発電での核燃料が ウラン235 である。原子番号が92番で、原子核に陽子pが92個、中性子nが143個がある。その核の周りを電子e が92個回っている事に成っているようだ。最外殻の電子は核から相当離れ、他の電子の負電荷に遮られて中々核の正電荷との結び付の力は困難と思う。しかしそれでも人は意に介さずクーロン力で満足しているようだ。本当は自然世界に『電荷』など存在しないのだから、原子構造論から物理学理論は構築し直さなければならないのだ。

 『電荷』間の力。
過去の記事を挙げておく。
電子の知覚機能と科学理論の論理性 (2022/01/20) 。電荷Q[C]とは何だ❕ (2021/05/19) 。不可解な電荷 (2019/5/26) 。等。

地球の歴史に謎拾う

(2023/03/03).

 地球には謎が溢れている。新潟県の海辺に、佐渡ヶ島を遠くにして、平地に二つの山がある。それは弥彦山と角田山だ。越後平野と言う平地に並んだ二つの山だ。

 先日、NHKのテレビ番組、有名な『チコちゃん』の番組を見た。

 「山は何故出来たか」の答えで、専門家の解説があった。『皴(シワ)で出来た』との解説。手の背側に指で皴を作って見せて、専門家の解釈を示していた。エベレストも大陸の移動で盛り上がったとの専門的解釈がなされている。

それは専門家の解釈だから、素人が異を唱える等とんでもなく失礼になる。

しかし、上に挙げた二つの山は越後平野の平地に出来た山だ。

最近特に気掛かりな事がある。『石』や『土』は何から出来たのか?

 少なくとも、専門家は山が土と石から出来ている事の事実について認識するなら、その土や石がどの様な物から変化したものかについて、説明して頂きたい。それは『山』と同じく、余りにも日常生活に溶け込んだ身の周りを構成する地球上での生活の土台だ。『土』が有るから野菜を植えられる。稲を育てて農業が出来る。何処にでも無限に『土』は在り、それは地球の構成の土台だ。その『土』や『石』も初めから有った訳ではなかった筈だ。何かが『土』に成り、『石』になったのだ。
 大陸移動説に比べれば、余りにも小さな話だ。しかし、山も『土』と『石』がその構成材の土台に成っている。

 「マグマ」が山から噴火する。そのマグマは何がマグマになったか、やはり基がある筈だ。それも『土』や『石』だろう。専門家は専門の狭い学理に特化して研究をし、それに反する現象や広い分野を包含して解釈論を採る事は無い。だから素人から見るとその解釈には、とても論理性が見えない突飛なものに思えるのだ。

 富士山の頂上にも、火山噴火によって出来たとは決して思えない岸壁が聳えている。素人解釈で失礼だが、富士山も巨大巨樹の、その中心部の地下深くから、その根元からの噴火から形作られたと思えば、理屈が通る。

 『山』は全て地球の古き過去の巨大樹の化石体である。

 山を論じる専門家は、地下深くの『原油』の過去の基が何であったかも解釈して欲しい。深い、1万メートルの海溝がどの様にできたかは、大陸移動説の『山』の原因説と合わせて総合的な論理性が求まられる。

 庭石として飾られている、その石は特徴のある姿だ。

この庭石が置かれていた、石置き場に遭遇した時が『石』の歴史に驚愕を覚えた瞬間であった。

 富士の霊峰を仰いで (2017/11/14) や 山と遺跡 (2021/06/06) がある。

『熱』と『温度』を考える

(2023/03/01).

 『温度』と『熱』の関係を考える。『温度』とは複雑な自然世界を科学的に捉える尺度を人が創り上げた概念量だ。それに対して『熱』は、自然世界に常に存在する『エネルギー』の一つの形態に対して人が定義した解釈用語だ。

 前に、『温度とは何か』が問うもの (2011/05/07) がある。
 

 考えてみると『温度』と言う数量は本来の自然界に在るものではない。

 それはあくまでも人がある基準として決めた技術評価量でしかないのだ。電気回路の『電圧』や『電流』と同じく、人が電気回路現象を解釈するに便利な手法として決めたように。自然現象は人が利用しやすいために存在する訳ではない。

 さて上の図は、『温度計』が指示する『温度』とはどの様な物理量を表ししたものと言えるか?

 水は地球上に存在する極めて特異な物質である。『熱』を加えると水蒸気と言う気体になって目に見えなくなる。冷却すれば、固まり「氷」と言う物になる。その水が『熱』と言う『エネルギー』によって状態が変化するその状態の切り替わりの様子から、誰もが分かり易いことによって、『温度』と言う評価基準を設定した。「氷」と『水蒸気』に状態変化する過程を100等分したのが摂氏温度の1「度」である。1気圧の環境で、純水の1グラムを1「℃」『温度』を上昇させるに必要な『エネルギー』の量を 1[cal] と決めて、温度評価での捉え方を確立した。簡単に考えれば、以上の解釈の『温度』の意味の捉え方で良かろう。

 『温度』とはどの様な物理現象を解釈したものと認識すれば良いか。『温度』の評価基準1「度」の差とは何か。改めて、更に考えてみる。物は必ず『エネルギー』と切り離せない。その状況をなかなか理解できないが、絶対温度、零度と言う状況は『エネルギー』も零の状態と言う。しかし、その絶対温度「零度」と言う状況は永遠に創れなかろう。そのような状況が創れたとしても、その周りはそこに向けて『エネルギー』を放射し続けることになる筈だから、決して「零」には成らない。『温度』とは『エネルギー』の放射強度を解釈した技術概念でしかない。『比熱』と言う物質特有の持つ特性の差もある。物質の何処かに『エネルギー』が吸収され、同時にその『エネルギー』の放射も伴うから、その物質による形態・特性が『比熱』と言う違いに成るのであろう。

 『物』『物質』は如何なる時も、常に『エネルギー』の放射と吸収のバランスの中に在る筈だ。その物体が放射する『エネルギー』が大きければ、その物体は高温度と捉えることになる。

 ここで何を指摘したいか。それは、『温度』を「気体分子運動論」で解釈する自然世界と隔絶した、物理学理論業界の具体性の欠落論であることを指摘したかったのだ。

 そこに横たわる本質的科学者の意識の構造的問題が在るのだ。『運動エネルギー』と『位置エネルギー』と言う『エネルギー論』の専門家特有の基本概念が強固に意識化されている事に問題が在るのだ。全て『エネルギー』は『質量』が自然世界の基本であり、その『質量感覚』から科学理論が構築されている。『質量』に関わりのない『エネルギー』がこの自然世界に存在するとは先ず考えないのだろう。

 だから電気回路現象、半導体理論なども、『電荷』を創造してみたものの『質量』が無ければ伝統的理論との整合性で、物理学理論にならない矛盾から、『電子』は必ず『質量と電荷』の混合物体として取り扱わなければならなくなる。理論とは誠に都合よく如何にも、確からしさを回りくどい論理の複雑性との嚙み合わせで創り上げられるのだ。

 そこに構築された物理学理論は、無意味な物理学理論特有の自然解釈論の世界を論じる業界論となる。

熱エネルギーと温度
 日頃の誰も食べたいと思わない様な、筆者の鍋料理および解釈論。鍋底に火を当てる。何とか具材も煮上がった。鍋底も炎の気体の空間を通しての加熱だ。炎の『温度』はどれ程かと温度計を近付けてみた。もしこの『温度計』の指示値 t[℃] を気体分子運動論によって解釈したらどのような『温度』と捉えるだろうか。

 気体分子が何故運動あるいは振動しなければならないのか。『温度』がどの様な意味で『運動エネルギー』と関係付けられると言うのか。気体分子が運動しなければならない必要性・理屈等どこにも無い。上の図の鍋底の炎の中で、気体分子が運動したと仮定しても、その運動エネルギーが鍋底に衝突して鍋にその『エネルギー』がどの様な仕組みで『熱』を供給する事になると言うのか。漠然とした抽象論が得意な専門業界解釈論は余りにも説得力・理屈に欠けた漫然論に成っている。

 『温度計』の指示値に影響を及ぼす物理量は何だろうか?温度計の表面に、気体分子が持つ、その運動エネルギーを移す物理的原理はどの様な物と言うのか。その辺の分かり易い解説の具体的意味が全く見えないのが専門業界論である。

 
 

電子と世論調査

(2023/02/20). 科学の世界での、御笑い種の一席と成りそうな。暇【蓖麻(ヒマ)】の島から流れ寄る種子の如く、新潟県中魚沼郡貝野村から戸籍転籍された舞鶴鎮守府から更に巡洋艦「香取丸」に戸籍移動され、遥か昔に京都府舞鶴市溝尻海軍住宅に住んで居た。その玄関脇には、蓖麻子油の基になる『蓖麻の木』が植えられていた。多分、飛行機などの燃料としての貴重な植物であったようだ。暇を持て余して、何十年?気が付けば大それた事にも、『電子』を厄介者と思うこの頃、誠に我が身ながらの・・が如く。

 科学理論と多数決。『Computer』を訳せば『電子計算機』の日本語になる。コンピュータの語源が気に成ったので、調べてみた。ラテン語の『計算する』と言う意味の言葉を語源にしているようだと分かり安心した。『計算機』で良かったのだと。

 と言う事で安心したのは、『電子』の単語が訳語に入っているのは日本だけで、世界的には『電子』が無関係であるか❓と思って安心した。少し日本の特殊性が・・『電子』に・・。わざわざ『電子』を訳語に入れる必要がないと思った。

 物理学理論を日本で取り上げるには、『電子』が金科玉条(意味:「金」と「玉」は大切なもの。「科」と「条」は規則、大切なものとして固く守るべき決りと辞書に有り。)の如き重りを持っているが如し。その『電子』を無下(冷たくあしらう様子?)に否定したら、自分が無下に否定される。

 儚い希望。それは、電子論の専門家と〈電気回路における『電子』の機能は如何に在るか?〉で公開討論が・・。電気現象は1秒間に地球七回り半もする。それは『電子』がどの様な機能を持っていると達成される現象か?そんな日常生活的な素人考えの討論になる筈だ。

 その後で、聴衆の御意見を投票してもらう。先日も、何処かの科学的専門家会議で『多数決』と言う手法が採られたから。それも一般の市民からご意見を頂戴したらと思った。以前『教育基本法』の世論作りか?に改悪?改定?改正?で世論調査が何度もなされた事がある。電気回路の特徴は、必ず二本の電線で囲まれた伝送空間が必要なのだ。『電子』が流れるには、プラス側を戻って初めて『電流』の概念を満足する。行きだけでは『電流』には成らない。『電子』は『何エネルギー(運動エネルギーか位置エネルギーかまたは熱エネルギー)』を担って受信端に到達し、『電気エネルギー』として放出するその機能の物理的原理と役目を明確に解説して欲しい。更に、その後にプラス側を戻るのか?地球七周り半とは電気信号エネルギーが光として空間を伝送する速度なのだ。その『電気信号エネルギー』の伝送を『電子』が担えるかを問うだけの事なんだ。

 最近、パリオリンピックでも採用されると聞いた。「ブレイキン」と言う競技がある。科学の世界も市民が参加できる場が有っても良いかと。

何かお笑い話のバトルに思えると・・お叱りを受けそうだ🙇。