カテゴリー別アーカイブ: 政治・行政

舞鶴草

(2021/06/13) 。この日の誕生日の花が舞鶴草だ。

『給料の支払いが無い』という意味を考えた。目から鱗・をぶり返すようで心苦しい。昭和46(1971)年4月末に、A型急性肝炎で3か月間入院した。その3か月間も手渡し給料方式だから、給料は配達もされなく、受け取っていない。昭和44年10月から翌45年3月までの住所は何処で、職業身分は?と合わせて❓給料の受取が無い。長岡市行政当局として、住民税はどのような取扱いになっていたのか?新潟県民税はどのようになっていたのか?財務省(大蔵省)の所得税はどのようになったいたのか。日本政府への疑問だらけは??ーみんな舞鶴鎮守府への戸籍転籍(家族3人)昭和14年12月1日 (1939/12/01):新潟県中魚沼郡貝野村、南雲村長。および昭和16(1941)年12月19日:香取丸(巡洋艦)へ戸籍(家族4人)移動、舞鶴鎮守府発令。昭和19年2月7日:香取丸被弾沈没。昭和19年3月31日:香取丸船籍除籍。新潟県中魚沼郡貝野村への帰還記録なしーが原因か?

時と歩んだ世界 の末尾記事:貝野村事件の元か?

時と歩んだ世界

(2021/06/02)。10年以上ブログを投稿させて頂いている。感謝です。2010年2月に初めてpcと言うものに触れた。ワープロ代わりに購入した。しかし、ITに接続して新しい世界を知った。相手が見えない世界に、思いを表明してどの様な事が起きるか、その未知の世界に期待もあった。

ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/0130) が初めの頃の一つの記事だ。この記事にだけ突然千件を超えるアクセスが起きた。

その中に、『インバータと磁束φ ④』が記事中にある。トランジスタでの電力制御を初めて知った驚きの技術として忘れることの出来ない記念のものである。電気理論と電気技術との乖離を認識するに欠かせない回路として挙げる。変圧器に直流電圧を印加すると言う考えられない驚きの回路だ。1969年秋の内地研修で経験した驚嘆の回路であった。この事は、目から鱗‥ (2021/06/05) の記事に述べた。

ここに「アンペアの法則」の矛盾が示されている。変圧器の磁束が励磁電流によって生じる訳ではない。電流概念を問う基点となった。

電流が導体内を流れる。しかし、その「プラスの電荷が流れる」と言う論理は無理であると分かったのだろう。だから負の電荷の『電子』が逆向きに導体内を流れると専門的解説が成される。その解説も、その論理的な責任ある理屈が示されているとは言えない。そこには専門家としての良心が見えない。筆者はただ電気回路の中に起きる自然現象としての『エネルギー』の振る舞いを感覚的な捉え方で、そこに寄り添いながら考察を進めてきた。それは余り学術的形式の論文としての表現には程遠いものでしかないだろう。その訳を考えると、学術的標準用語を使う程専門的な習熟もなく、理解が無いことが基にあるからだろう。だから勝手に自由に解釈する習慣が、余りにも学術理論の常識から離れてしまった感覚のままになってしまったのかも知れない。殆どの基礎的科学概念、物理学的概念を否定する処に立ってしまった。空間に実在する『エネルギー』の実相を、その象徴的具体例に『光』の空間像を描いて捉えている事に在ると思う。

光の相対速度と空間 (2020/06/08) 。プランク定数の概念 (2018/07/17) 。今はその光の意味を電気磁気現象を理解する基礎として認識して欲しい思いにある。それが時の成果と言えるかもしれない。

『静電界は磁界を伴う』。科学理論の世界が異なって見えた原点がこの発表に在る。とんでもない自然の認識に挑戦する賭けに挑まざるを得ない仕儀になった。幼稚な社会性の乏しい筆者には無理な科学論の道であった。何か最初から社会的な存在としての、憲法、行政法上の仕組みの中に組み込まれていなかったような思いに在る。集団体制にとっては邪魔者で、はみ出し者のようだった。古い事件のうろ覚えがある。貝野村役場が火事になった。貝野中学校が火事で焼失した。意味が分からない?信濃川で隔てられた小さな集落の貝野村が、更に二つに分かれた分村事件。我が家の土地がいつの間にか新潟県道に化けて、今でも踏み躙られている。

エネルギー考にまとめた。『エネルギー』一つに科学論の基礎概念を頼りに何とか辿り着いた。理科教育の未来の一つの方向性を示した。陰で応援が有ったから曲がりにもできた。感謝。

目から鱗(1969年ひと冬の経験)

(2021/06/04)。50年以上も前の事。今分かって思えば、長くボーっと過ごしてきたとお恥かしい限りだ。分かって書けば、躊躇もするが、それも人生と記して置きたい。昭和44年の2月、間借りの家に帰り着くと、月刊誌の「電気計算」が配達されていた。ペラペラとページをめくる。そこに「パワーエレクトロニクス」と言う電力制御の特集記事が載っていた。見た途端に、これが求める研修内容だと即断。30歳過ぎで、内地研修に行ける制度があると聞いていた。春4月に、ある先生にお願いして、東工大との繋がりをお世話して頂き、研修の準備をした。しかしそれっきりで、10月まで何の手続きもしていなかった。勿論新潟県教育委員会に研修願いもせず、学校長にも許可も得なかった。本当に申し訳の無いことと、当時の御迷惑を掛けた皆さんに謝らなければならない。そのまま10月から半年間、東京工業大学の電気工学科の宮入・片岡研究室で研修をさせて頂いた。住処も東工大の方にお世話いただき、大学の大岡山駅の近くに確保して頂いた。全く人任せで生きてきたようで感謝と🙇。勿論住所変更届の手続きもして居ない。長岡の住所のままか?それも行政上は問題ではないようだ。??給料も無い扱いだから??それは全くの独り善がりの、無責任な無断研修であったと今は分かった。その間「給与」の支給も無かった。だから何処の労働者の分類にも入らない事に成るか?1970年4月再び何の意識も無く、新潟県立新津工業高等学校に戻っていた。この事に対して、新潟県教育委員会からは何の御咎めも無かった。後で知ったが、校長は勇退という事で辞められたか?新潟県教育委員会の管理課から新しい校長が赴任してきた。筆者に処分辞令が無いという事は、新潟県教育委員会で採用した訳でもなく、日本国憲法に基づく行政法上の管理下の教員では無かったのかと考えざるを得ない。振り返れば、やはりそれは人生の暗い『ひと冬の経験』という事になるか。所謂存在が否定された『幽霊教員』のようだ。筆者の責任なのか日本政府の責任に帰するのか分からない(当時の内閣。第3次佐藤栄作内閣。第4次佐藤栄作内閣であった)。

電気回路技術と理論。

そのひと冬の経験であっても、電気技術については『目から鱗が落ちる』経験をした。それが現在までの長い電気回路現象の解析を推し進める原動力となった。その内容は、『トランジスターインバーター』の動作原理である。

電気理論と言えば、電源電圧は直流か正弦波しか知らなかった。教科書が学校の教育内容の基本的指針である。教科書編集者は教科書編集の過去からの伝統を守る、その事に対する専門家である。電気現象の原理を研究するような人は教科書を殆ど執筆などしないのかと。伝統的電気理論を学習してその意味を伝承する専門家が教科書を書く。だから新しい現象など殆ど知らない。その例が半導体による電力制御技術と言えよう。その中身は従来の電気理論では解釈できない現象がその技術の基礎となっている。今も不思議に思う事。それはその電力技術の専門家も決して『アンペアの法則』に疑問を唱える事などしない事実である。筆者が最初に感じたことは、これは電気理論が嘘という事か?であった。目から鱗と言う事件だった。今でもマクスウエル電磁場方程式を御教示成される大学物理学の専門家は、このトランジスタ制御の回路技術を学習することが必要ではないか。技術を知らない理論家は間違いを教育していることを自覚する必要があろう。僭越ながら申し上げる。それがトランジスタなどで自由に電圧波形を制御できるなど、正しく『目から鱗が落ちる』驚嘆の制御技術であった。その制御回路の一つがこのインバーター回路である。「**」 この回路動作には     ファラディーの法則 と アンペアの法則の理論の意味を吟味するべき基本的問題が含まれている。注目すべき問題は、変圧器に直流電圧を印加する点である。そこに励磁電流と磁束の関係が問題として浮かび上がる。

「**」印で改行するとここに飛んでしまう。何故か訳が分からない??

止む無くここから続ける。上の回路図はブログの初めの頃の記事のものだ。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/01/30)。この矛盾を抱えて、遭遇したのが長岡高専電気科での電磁気学の講義であった。電気磁気学など教えた経験もない。学生には誠に指導力のない講義であったと謝らなければならない。その1年間で益々疑問が膨らみ、それが結局『静電界は磁界を伴う』(1987年春)の実験結果の発表に繋がった。過去の不可解を背負って、其の後の訳も分からぬ道を歩み、今漸く初期の果たすべき役割を電気回路現象の『エネルギー』での統一的姿を捉えたかと思う処に居る。この10年間は障子戸に向かって、ブログ記事を通しての疑問との格闘であったようだ。正常でない、異常な毎日、家族の者には精神病の気違いと今でも罵られる始末。意味が分からない者にはそう取られて当然だ。何とか娑婆で少しは電気現象の話を取り上げて話したい。『電荷』否定の論拠を話したい。『電子』概念の間違いを話したい。そんな社会常識を覆すような話を取り上げて貰えるか?

特記事項。一体どのような職業人として、次のような研究をしたことになるのか?意味が分からなければ社会的な活動の場にどう関われば良いか、動きようがない。二年ほど前に大学に出向いてお尋ねしたら、退職していると言われた。本人は何も長岡技術科学大学での事務手続き等していない筈だが、どう解釈すれば良いか思案投げ首のまま?本当の原因が何かが分からない。矢張り新潟県教育委員会との関りか?

トランジスタインバーターによる単相誘導電動機の速度制御 昭和47年産業高等学校教員の産業教育に関する特別研究成果、第8集(当時は別冊)。財団法人 産業振興中央会。この研究が電気理論に疑問を抱いた決定的な事件となった。この報告を当時の学校長が読んで、私に校長室で尋ねた事があった。校長も電気が専門だったから、磁束が励磁電流でなく、電圧時間積分と言う科学技術理論に疑問を持って尋ねたのだろう。不思議に思っての確認だったようだ。それは当然で、電気理論で解釈できない事だから。

しかし今でも電気理論の教科書は変圧器動作は励磁電流による磁束がその基礎となっているだろう。今日、ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾の記事を見たら、二つのファイルが見れなくなっている。間違っているからかと確認したが正しかった。教科書の解釈を間違いと指摘したことがファイル削除の訳かも知れない。

 

の2図である。確かに教育現場としては大変な事件となろう。しかし自然現象として、『磁束』等『電荷』と同じく存在しないのである。電気技術として『磁束』を解釈手段に利用するのは一つの方便として有効である。しかし、自然界の原理を扱う「理科教育」ではそれは良くない教育法だ。そこの兼ね合いをどうするかが教育現場の課題なのだ。磁束概念は磁石などのマグネットの指向性でその存在を捉えたいのだろうが、『磁界』そのものの概念が電磁エネルギー流に対する直交の方向を解釈し易い方便として定義した仮の解釈概念でしかないのだ。マグネットや地磁気の方向性は電磁エネルギー流の空間現象を捉えた便利な解釈でしかないのだ。磁束が空間に存在すると物理的にその実在性を証明することが出来ますか。『磁束』を見れますか?それは『エネルギー』の空間の姿を見れないのと同じことではあるが、より多くの電磁気現象を総合的に評価することにおいて、それこそ俯瞰的に、より統合性が採れているかの判断が必要と考える。筆者もその電磁気現象の解説をしたかったが、職場が無ければ30年以上も役割を果たせなかった。ブログを通してようやく自信をもって述べることが出来る、所期の目的に到達できたが、教育にその意味を生かす手立てが不明だ。

 

 

 

気象災害と海水面温度

地球温暖化の問題は人の生活環境を維持できない危険な状況に進んでいる。カーボンニュートラルという事で、二酸化炭素排出量の抑え込みがその温暖化抑制の切り札と解釈されているようだ。経済的成長のジレンマが解決困難な世界的政治課題ではあるが‥、その悩ましさを考えると🙇。

温暖化による災害。食料枯渇の問題。空気乾燥の山火事。また水蒸気含有量による暴風災害と水害。地球上の生活環境破壊である。

最近の気象災害を身近に経験しているにもかかわらず、その異常な状況を感じ取れていないのかと不安が募る。二酸化炭素が空気中に増加することにより、空気の貯蔵エネルギー量が増加するという解釈が基本的認識となっているからであろう。それ程二酸化炭素が地球表面の薄い空気層で気温上昇の原因となるという解釈はどのような意味からか理解できない。

海水表面温度と上空の冷気との間には『エネルギーギャップ』が生じる。丁度電池の電圧供給の『エネルギーギャップ』と同じ意味が海水熱エネルギーによって、地上にもたらされる現象が気象災害の原因となっている。強烈な暴風災害は、海からの水蒸気が海水熱エネルギーの放出現象として蒸発し、空気が保有したその水蒸気分に依る質量増加として強烈な風圧を生むと解釈する。木造家屋など一溜まりもなく吹き飛ばされる。過去の生活様式が通用しない災害になっている。みんな海の温度上昇が原因である。

地球温暖化の問題は、むしろその二酸化炭素ガスより、『エネルギー消費量』の増加が問題なのである。『エネルギー』は地球表面から宇宙に放射されない限り、その消費量が地球内に蓄積されるのである。それは殆ど「熱エネルギー」として地球に蓄えられる。現在の生活環境に大きな災害として襲い掛かる現象は風水害であろう。水による災害はその源は海にある。消費エネルギーの地球内での貯蔵場所は空気層ではなく、海の海水なのだ。温暖化の問題は、海水の温度上昇が北極、南極の氷河を溶かし、地球の健全な気象環境、その保全に貢献してきた極地環境を破壊して過去の極地冷気環境資源を消費している事に大きな原因がある。冬の暖房は今でも石油ストーブに頼っている。冷房はエアコンにしか頼れないが、暖房は発電エネルギーに頼らないでいる。発電エネルギーは蒸気タービンによる分は2倍以上の熱エネルギーで地球に負荷を掛けているのだ。灯油ストーブとエアコンとの総合的熱効率をどう評価するかも一つの課題ではあろう。

海水温度の上昇が地球上のエネルギー消費による温度上昇抑制の隠れた、受け皿となっている事に何故気付かないのか。

原子力発電プラントが二酸化炭素の排出抑制に効果があるなどという、余りにも科学技術を知らない科学リテラシーの政治問題意識に危機感を抱かずにはいられない。海に原子力発電はその技術の根幹を委ねている事を知らない科学パラダイムに恐れ入ります。

原子力発電、石油燃料および石炭燃料による汽力発電はすべて同じ蒸気サイクルを利用した発電方式である。その電気エネルギーの発電には、燃料の燃焼熱エネルギーの半分以上を海水の温度上昇によって処理しなければ発電できない方式なのだ。熱エネルギー量の60%近いエネルギーを海水に吸収させて初めて、電気エネルギーに漸く30数%が利用できるのである。海水加熱発電方式なのである。

現在の生活環境が辛うじて保たれているのは極地における氷河の御蔭であろう。その氷の溶解による海水の熱エネルギー吸収で何とか保たれているとしか思えない。科学技術開発競争がエネルギー消費を前提に進められる現状は未来への希望が展望できない。間もなく、異常気象災害に人の住環境は耐えられなくなろう。気温が40度を超えた時、・・。

暴風とエネルギーギャップ (2021/02/16) 。原子力発電の熱の行方 (2011/04/17) 。

原子力発電への技術過信

(2021/03/07)。2011年3月11日のあの忌まわしい原子力発電所崩壊事故から10年を迎える。原子力発電と住民の覚悟 (2021/02/04) にも関係して。

2月の新潟日報の新聞報道で知った。

右がその記事の一部だ。地下2階に高圧代替注水系ポンプが設置されている。地上1階に核燃料の核分裂による原子力発電の心臓部である原子炉が据えられているのかと思う。

この注水系ポンプの配管貫通部の止水工事の未施行の問題のようだ。この注水ポンプは原子炉の重大事故時の注水の非常代替え設備だ。気掛かりは福島第一原発事故では、地下の非常電源設備が津波で水没して機能を発揮できずに、原子炉溶解・メルトダウンで水素爆発での致命的な放射性元素の拡散を起こした。近隣住民の生活を奪い、街とその市民コミュニテーを崩壊させたのだ。その重大な過失への反省があるとは思えない今回の問題だ。床を突き抜ける注水配管が激震に対して安全と言えるのだろうか。それは最後の非常用の設備と思えば、絶対浸水しないという安全志向の気休め設備でなければと思う。

地震と津波災害が起きないという前提での安易な、安全志向から少しも抜けていない東京電力首脳の意識、そして政府の原子力依存の電力政策が相も変わらずの危険感覚の欠如が起こす結果の姿だ。

原子力発電設備は人が非常時に的確に対応できるほど単純な科学技術の機能ではない筈だ。地下に非常設備を据えることは津波による水没など意識しない安全神話をそのまま踏襲しているとしか考えられない。高度な制御機能を備える事はどれ程の制御ケーブル、電源配線等が複雑に張り巡らされるか想像もできない筈だ。地震で配電盤の接続端子と配線ケーブルの間に起きる力学的加速度による断裂応力など想像だに難しい筈だ。重いケーブルの束に加速度でどれ程の応力が掛かるか、地震の揺れの加速度方向によっても全く力の強さは異なり、何処で断裂するかは予想などできなかろう。平常時での安全設計ではなく、非常時での安全率がどれ程かは知らないが、今回の未施工問題がある事から推察して、決して原子力発電の放射性物質放出の危険を回避できる安全設計などできる訳が無いのだ。運良く非常事態にならずに済むことを神頼みとしての運転しか保障などされない複雑怪奇な制御システムの筈だ。経営責任者にそんな危機意識が持てるほど単純な設備ではない筈だ。技術を何も知らない経営責任者でしかなかろう。経営責任者が安全運転に責任持てない知識で、原子力発電設備の運転など放射性物質放出の阻止の責任をどこに求められるか。原子力規制委員会の姿勢も気掛かりになって来た。

福島第1原子力発電所の崩壊の原因。以下の制御棒の問題は筆者の間違いであった。原子炉は制御棒投入で無事停止していた。停止と言う意味は、核燃料の核分裂が停止したという意味ではない。核分裂による熱エネルギーは運転に近い発生であろう。制御系統が正常に機能することが必須の条件だ。運よく呈しなければという危険が拭えない。

以下が間違い「津波襲来以前に既に制御機能を失っていたのではと思える。地震から津波到達までに時間があった筈だ。あれだけの激震があれば、発電所停止に向かって安全処置が執られる筈と思う。制御棒が核分裂停止のために何故投入できなかったが大きな疑問だ。もし大きな震度で自動的に停止動作に入る制御が組まれていなかったとは考えたくないが、何故制御棒が入らなかったのか。激震時の原子炉停止制御が組まれていたとしたら、津波到達前に既に制御信号系が機能不全の状態になっていたかとも思われる。制御ケーブルなどの基本の仕組みが既に激震で破断していたのではと危惧される。

それは本質的に、原子力と言う核分裂制御の科学技術が余りにも複雑な要因に覆われた設備である為、人が対応できない『化け物』なのだという事を突き付けられていると考える。人は技術を過信するべからず。と肝に銘じたい。

貯金通帳の不可解

(2021/02/15)。

銀行通帳についての無知を恥じる。何も知らずに来た、まるで社会常識に自信が持てないから、『電荷』否定の科学論など意味が無いのかとさえ。

過去のデータが分からない。残ったデータが何を意味するかも分からない。何処にも既に給与の振込は見えない。二つの通帳のデータが僅かに残っている。

通帳①。

最初に作った通帳と思う。

昭和55年に、初めて給与の振込用に使った筈だ。古いデータが何も残っていない。平成2年の最後の年の分しかない。

 と印をつけた。何故か22,590円が長岡技大に抜き取られたのか。5月、6月、7月に技大が通帳から引き抜いたとしか思えない。何故か不可解でもあり、不愉快だ。誰にどの様な権限で、本人が知らない内に、勝手に人の銀行口座の中身を扱うことが許されるのか?

6月29日に 431,400円が振り込まれている。何故か不可解。

その7月には免職処分にされた。それらの関係との意味が不可解だ。

平成2年の年末、12月26日。ここで通帳①は解約されている。【ご使用済 今後もよろしく‥】と。

丁度年末で、私は措置入院と言う強制的な処置により、閉鎖病棟に閉じ込められたときだ。絶食による抵抗で、意識不明になった為、他の病院へ転院された頃か?。

この 3,810,002 円の意味は全て原因が分かり、了解。兎に角本人の知り得ない処理での公共料金支払いなどの通帳解約だ。人権は無い事に成るのか?

通帳②。

誰がどの様な訳で新規に作ったか全く不可解。

昭和63(1988)年8月1日。(新規)。ヨキンキから誰が振り込んだのか?最初の振込が、「十日町土木事務所」と言う得体の知れない者が使っている。何かそれらの者が作ったように思える。

新潟県道の用地の新潟県用地買収費用の振込通帳は?

そうこうしている内に、平成2年に入る。

長岡税務署 差し押さえ」として、金 8,010 円が抜き取られている。訳が分からない不可解だ。

平成2年12月27日。*02-12-27BT ナガオカギジュツカガクダイガ 技科大  87,368円 の振込?

平成3年1月31日。*03-01-31BT ナガオカギダイ  387,750円の振込?

の二つの振込機関の間の関係は何だ。長岡技術科学大学で、二つの別の銀行振込口座を使い分ける訳は?

「ナガオカギダイ」()の振込は特別の架空闇振込口座と判断せざるを得ない。昭和55(1980)年の最初から闇金を振り込まれていたと解釈すれば、辻褄も会う。

平成3(1991)年3月5日。 *03-03-05BT コクゼイカンプキン 国税 2,390,100円の振込?すべて私本人の与り知らぬ処で、不可解な処理が成されている。私が分かるように質して頂きたい。何方にお尋ねすればよいかお助けください。社会的に幼稚な私は知らされないで済むのか、不可解だ。

1988(昭和63)年9月下旬、①の通帳で、琵琶湖の電磁界理論研究会に研究発表の為に行くため、大学へ無届だったから、通帳から旅費をカードで引き出そうとしたら、無効の通知で下ろせなかった。窓口で下ろし直した。そんな時期に、新しく通帳を作る訳が無い。新規通帳が何故出来たか?誠に不可解。

授業料等の非納付の訳?

自分はそんなに記憶力が無かったのか?まさか、父の給与(東京電力KK)から天引きされた訳ではなかろう。一切、納付した記憶がない!

新潟県立十日町高等学校。東京の予備校の研数学館。新潟大学(最近年額9000円とある方から教えてもらって知った)すべてに『授業料』を納付した覚えがない。新潟大学1年生時、新潟六花寮で1年間過ごしたが、寮費を収めた記憶がない。全て無しで過ごして、その訳を今も分からずに居る。

「電気学会会員資格?」 長く加入してお世話になったと思っていた「電気学会」の会費納入の痕跡がどこにも無い。自分が無知であったことは確かで誠に申し訳ない。1970年3月(新潟県立新津工業高等学校所属かアルバイトか?)の電気学会全国大会で発表するための予稿は提出した。会費未納で、発表しなかったのかも知れない。その後、長岡技術科学大学でも、入会手続きを改めてした覚えもない。一体どう解釈すれば良いか誠に理解困難。電気学会に、一度お尋ねしたことがあった(平成8年10月)。

入会年月日:昭和44年10月1日。送本:電気学会誌、論文誌A,B,D 平成元年4月、会費など代金未入金により送本停止。平成2年7月(免職処分時)、会費請求書が戻る。 平成3年4月、除籍(入院病棟屋上をヘリコプター(?)が轟音を立てて通過したのはこの関係だったのかも知れない)。

との御回答を頂き、本当にご迷惑を掛け、お許し頂きたい。なお、電気学会誌も昭和55年3月までは送本されていなかった筈。しかし、誰が会費を納入して下さったのか全く理解できない。

銀行通帳の不可解と通じているようで、薄気味悪い。

事件  1956年(昭和31年) 9月30日 新潟県中魚沼郡貝野村 廃止。   村域を二分割し、中魚沼郡水沢村と中魚沼郡中里村に編入され貝野村は消滅。

中里地区。有名な景勝地⦅清津峡⦆の柱状節理どんと迎える。如何にも古代の巨木に思いを馳せるに充分である。

原子力発電と住民の覚悟

2011年3月11日 東日本大災害が発生した。それは地球の自然活動によっておこる人が制御出来ない、避けることの出来ない災害だ。特に海底を源として起きる津波は想像を絶する災害をもたらす。人は地球の命の上に生き、その恩恵の上にしか生きられない。海の幸が人を豊かにし、喜びの糧を与えてもくれる。海と共に生きる、それが生活でもある。

海は恐ろしい牙をむくこともある。避けることの出来ない津波災害が起きる。それでもそれは地球の自然の姿と、覚悟を持って海と共に生きなければならない。

福島第一原子力発電所の崩壊事故に遭遇した。決して有ってはならない人間が起こした悲惨な災害である。想定外と言う責任逃れの人間の起こした災害であり、許されない事件である。人は自然災害に合う事は有りうる。しかし原子力発電所の事故は、人が住む権利を奪う人権の否定を前提とした事件である。

柏崎刈羽原発は世界最大容量の発電だ。『避難訓練』と言う許されない事件を想定した行為が如何にも当然のごとくに執り行われる不可解な集団訓練。そんな避難をしなければならない危険な科学技術が人の権利を奪う町中にある事が許される筈はないのだ。傍の住人は原発事故で、そこの生活を奪われても良いと覚悟をして避難訓練を受け入れるのか。その覚悟を住人は持って原子力発電所の運転を認めているのか。一人一人にその覚悟を聞きたい。

原子力発電所は人が制御して、安全に運転できる保証などどこにも無いことを知るべきだ。本当にちょっとした過ちがとんでもない原発崩壊事故につながる可能性を含んでいる。次の事故が何処に起きるか全くわからず、一瞬の偶然が原子力発電崩壊の原因となるのだ。その事を認めたうえで、原子力発電所の稼働を許容するのか?

福島第一原発事故の事後処理の目途も立たない現実に目をつむって、またその避けられない危険を住民は受け入れるのか。『カーボンニュートラル』と言う政策で、地球温暖化は決して防げない。原子力発電や火力発電での海水加熱による水蒸気冷却システム、その仕組み『復水器』の科学技術の本質を理解することが皆に課せられた事だ。事故による街崩壊への住民の覚悟が問われる。熱効率40%以下の発電システムだ。

 

理解の限界を超え

記事『理解の限界』が削除されて思う。

新潟県教育委員会の管理外に居て。

1980年3月31日「願いにより職を免ずる」新潟県教育委員会「辞令」がある事に成っている。

限界超えの意味。上の給与表の写しは、新潟県立新津工業高等学校のものだ。私は1980年4月何処に所属していたのか。上の表に因れば、名前(カナザワ ヨシヒラ)だけであっても、主任手当てが4月に支給されている事に成っている。長らく気になっていたので昨年、新潟県知事様宛にその意味を尋ねました。しかしその回答は頂けませんでした。新潟県教育委員会の関りで、その給与は支払われたものと推察する。『免職処分』後に何故予算が執行されるのか?その訳は余りにも当然の事であるが、それを御回答頂けないかと今も念じている。私は1964年4月から勤務したのだが、採用事務に関して新潟県教育委員会との関りは一切今までなかった。何故、許可願などの事務手続きもなしに、『県外内地留学』6月間の文部省との関りがあるべき研修が出来たのか。東京工業大学の研究室でご指導を受けさせて頂いた。その経費は何らかのところから研究室に支払われると思う。先生からその事らしい意味で尋ねられたことを覚えている。しかしよくお聞きしないで話の意味を理解せず過ごした。多分何も経費が支払われなかったのだ。と今は理解できた。その研修の実績も新潟県立新津工業高等学校に尋ねたが何も無いと回答された。幽霊人材以外の解釈のしようがない。

採用事務手続きを受けていない者が何故どの様な仕組みによって、新潟県教育委員会の管理教職員に成るのか理解できない。しかも、昭和54年の夏文部省の『工業科教員指導者講習会』に一週間も参加する意味が理解できない。『公立学校共済組合』にも登録されていない私が!!?

下の記事が削除された訳も怪しく不可解。

記事が削除されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争と戦後

人は何故争うか。国家と言う集団組織同士で争えばそれが戦争。人と人との争いは喧嘩で、殺人事件にもなる。

戦争と戦後は未来への人の生き様を示す。75年前に〈第二次世界大戦〉と言う大きな犠牲と悲しみを残して、新たな戦後の歩みを始めた。平和への国際連合の仕組みの下での歩みを始めた。

日本の戦後は、広島・長崎の「原子爆弾」による惨劇を残して始まった。「核廃絶・核禁止条約」への日本の参加を切に望む。今は、戦後に生まれた若い人々がその社会を創り進んでいる。戦後世代がその中心になって未来に進んでいる。戦争とは、街も平和も全て無残に消し去ってしまう結果を承知で起こすのだろうか。誰が戦争を起こすのだろうか。それは未来への希望をみんなが自分の意見を表明しないところから始まると思う。物言わないで我慢する生き方、姿勢が大きな過ちに進む基になると思う。政治は自分が造るものと言う意識を忘れたところに、危険が墓穴を造っている。選挙に行かない人が一人一人政治から離れて、危険な未来を作る道に進むのだと思う。筆者自身の生きた過去を反省にして。

今日、新潟日報の2,3面の記事を読んで、また嫌われることを言わなければと思った。『北方領土の返還問題』が一つ、もう一つは座標軸、世代間格差。である。北方領土返還問題は既に2島返還で進んでいた問題がいつの間にか4島返還の話になっている。素人ながら、そんな4島返還が可能と思う人が日本にいるのだろうか。永遠に不可能な問題を掲げて、残念ながら「ジェスチャー」問題にしているとしか思えない。戦後に、日本は何故『北方領土を失ったか』その原因はどこに在ると考えるのか。日本で、自身で戦後に『戦争の責任』がどこに在ると政府は表明したか?その戦後問題は決着していると考えるのか。同じ惨劇を未来に起こさない為には、そこが肝要ではないか。どうしても未来の平和を守りたいと思えば、戦争の原因をみんながしっかりと認識してこその政治問題と思う。韓国の『戦時労働補償問題』も、政治決着と言うけれども、被害を受けた方々はその政治決着にどのような関りで納得したのか。『北方領土返還問題』と重なって悲しみになる。

政治は民主主義の根幹である。政治は選挙によって未来の世界を選ぶ仕組みだ。選挙を棄権したら、未来に責任を放棄したことになる。そこに民主主義のみんなに責任を持たせた仕組みがあるのだ。選挙が投票率60%以下ではやり直し位の政府の意識が必要だ。学校教育は、政治問題を大いに話せることで、みんなの未来への責任を意識付ける大切な機会の場だ。

新電磁気学の事始め

電気磁気学への希望 (2020/09/14)。それは大きな代償を払わなければ難しい。困難の原因は現在のあらゆる科学理論の拠り所たる『電荷』概念の否定しかないから。

教育。 教育基本法(原)(昭和22年3月31日)の前文。

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。                   われらは個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を徹底しなければならない。

この教育の基本方針によって、真理を希求する人間の育成を期するためにも、過去の科学理論の矛盾を勇気をもって排除する以外に、未来への希望は無いものと覚悟すべきである。

第一の要諦。

決して電荷は自然界に存在しない。従って、「電荷間に生じる力」なる表現は論理的な矛盾を含み、使ってはいけない。「クーロンの法則」は間違った法則であった。それを教科書から排除してこそ未来の教育が始まる。記事の右上の検索で、クーロン力で検索すると過去の幾つかの記事が現れる。不可解な電荷 (2019/5/26) もその一つ。それは『電子』なる概念も否定されることになる。この主張は所謂「不協和音」(9月7日の新潟日報座標軸の記事を見て知った欅坂46の歌詞を見て、弱気になった。)になる。原子構造論の否定にもなるから。恐ろしい結果になる事、即ち教科書の電子論を否定する事が、また高分子結合の水素結合とは何か?の極めにもつながる事だから。すべてが軸性エネルギー流(Axial energy flow)の磁気結合につながる予測を生むから。『エネルギー』一つの基礎概念にまとまるから。

子供達への教育は、子供たちが余裕をもって日常生活が送れるように、少ない内容の広く応用につながる大事な基礎に重点を置くことに勤めなければならない。

『エネルギー』の意味を考えて欲しい。