カテゴリー別アーカイブ: 政治・行政

負の科学技術と未来

負の科学技術 人の歴史を振り返れば、分からない事ばかりであるようだ。人の歴史と言っても、人が猿から枝分かれしたと学説にはある。そんな学説も信じられない。進化することは確かである。では猿が人より劣っているとどのように説明するのか。何処で進化した人と進化しない猿が枝分かれしたのか。その訳は何だと説明するのか。蝶や雨蛙が何故人より劣っていると言えるのか。猿は猿で人は人でそれぞれ異なった進化を遂げて来た筈だ。強いものが優れているとは限らない。海から地上に上がった時の人の姿はどのような形であったと考えるのか。何億、何十億年の地球の生命の歴史など簡単に分かる訳が無い。地球は人の為にあるのではない。すべての生命の生きる地球なのだ。地球も人の生命に関わりなく地球中心核の燃焼の為に地殻をひっくり返して生物に災害をもたらす。地震や地殻変動は地球の生きた活動だ。飛びぬけて地球の自然に逆らってきたのが人である。特に産業革命と言う時節から、科学技術の魅力に人が夢中になって、その恩恵を享受してきた。自然に手を加える術のパンドラの箱を開けてしまった。元素・原子と言う世界を操る途轍もない方法を手に入れた。それが科学技術だ。今最大の困難に人自身が翻弄されている。自分で辿って来た革新と言う世界の未来を夢見て。人が人を権力で殺害する為の兵器、原子爆弾の製造競争から抜け出せない惨めな人間性に翻弄されている。プラスチック塵の処理に悩みながらも、決してその商売の利益競争の戦いからプラスチックスを手放せないジレンマに未来に向けた人間性が問われている。地球温暖化を食い止める手立ての基本は、エネルギー消費量の抑制以外は無いのだ。しかし経済競争の人の欲望には逆らえない性に翻弄される未来が見える。

DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン) 敗戦後の日本の至る所で展開された「シラミ退治」の風景を思い出す。体中にDDTを噴霧してシラミを退治する。古く1873年頃に開発された殺虫剤らしい。現在日本では使用されていない。

PCB(ポリ塩化ビフェニル) 変圧器やコンデンサ等の電気設備機器に大量に使われた。冷却効果と絶縁性に優れた化学物質である。大気汚染、温暖化に影響があり、使用が中止されていると思う。

アスベスト(石綿) 天然の石綿がその繊維は建築材料として優れている為、建築の壁材として多く利用された。しかし現在は人の呼吸で吸い込み、中皮腫等の人体への危険材料として使用中止となっている。廃材の処理に困難もある。

有機水銀(水俣病) 化学処理工場からの排水に有機水銀が含まれていた。魚貝類に広がり、魚を食べて人が神経麻痺を来たし多くの被害者が出た。水銀は体温計などにも多く使われた液体と言う特別な特性の金属元素である。蛍光灯にも発光効率を高める水銀蒸気として使われている。現在徐々に水銀は使用が制限されてはいる。

プラスチック 2018年6月G7 シャルルボワ・サミットで「海洋プラスチック憲章」が採択され、英・仏・独・伊・加・EUが署名した。しかし、残念なことに日本と米国は署名を拒否したと新聞にあった。今日の国会開会に際して、首相演説で海洋プラスチックのごみ対策に取り組むと述べた。また今年の6月日本でG20がある。しきりに海洋プラスチックごみ対策を議題にすると総理大臣は述べている。しかし、何故シャルル・サミットでの憲章に署名しなかったのかとても不思議な事だ。科学の『電荷』の不思議と同じ。

核爆弾 これは一体どのような意味で捉えれば良いか最大の人類の謎である。決しれ世界平和にも世界の進歩にも何の貢献もしない。人類の地球汚染と人間性否定そして疑心暗鬼の恐怖の科学技術である。それが大手を振って世界に君臨している。人殺しの最悪兵器だ。それを推進する国家指導者を選ぶ世界が未来の希望を消している。

原子力発電 地球は制御不能な科学技術設備の巨大システムが原子力制御であることを知っている。人の意識の制御可能な領域を超えたところにあることを既に何度も警告して来た筈だ。それでも欲望には勝てない人の思惑に流されて政治権力が蠢く。

悪口雑言お許し願います。

巡光舟の詩

丙子(ヒノエネ)元旦の書き初めまで 戊辰(ツチノエタツ)1988(昭和63年)秋に行方定まらぬ放浪の旅。庚午(カノエウマ)1990(平成2年)年末処置入院で閉鎖病棟に幽閉される。抵抗の意思のための断食に徹し意識朦朧、転倒怪我、対処出来ずでの転院になる?“病窓に 満月迎え 除夜の鐘” 人生も終わりかと初めての句。辛未(カノトヒツジ)1991(平成3年)ただ飯を食うだけでは暇だ。正月中東での戦争の砲撃の映像を見る。光の相対性の解析を始める。ほぼ半月で完成する。ハロマンスを打たれ、思考困難になる。4月中頃病院上空を轟音を浴びせながら、飛行隊が過ぎて行った。後で丁度その日が電気学会除籍になった日のようだったこと知った。タダ1年半も薬も飲まず、飯を食うだけの病院生活から出所。壬申(ミズノエサル)1992(平成4年)7月。家も消え行方見えない道続く。

巡光船の詩 書き直した。光の不思議に思いを込めた詩のようだ。丙子元旦で飾ってある。その年の夏は長野で野宿の旅1週間ほど。東京電力、佐久間周波数変換所を見学させて頂いた。御迷惑を掛けた事申し訳ない。

秋の語らい

意味の怪しさ額にして 庭にあった泰山木の葉の切り絵。巡光船の詩と共に。

日本物理学会入会と発表

この前年丁丑(ヒノトウシ)1997(平成9年)秋、日本物理学会に入会させて頂く。入会にお助けいただいた先生には、それっきりで御無沙汰のまま本当に申し訳のないままで来てしまった。人との繋がりをきってしまったまま何の状況も知らず今になった。戊寅(ツチノエトラ)1998(平成10)年 4月 2日 物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻1-1,p.13. を初めて発表させて頂く。JHFM単位系として、エネルギー一つを自然現象の根幹に据えるべきとの思いを伝えたかった。

 

電子レンジと水分子

はじめに 1945年(太平洋戦争の敗戦の年。広島・長崎の原爆被災の忘れ得ぬ年である。)、アメリカのレイセオン社が電子レンジを発明したとある。火や熱を加えないで食品を温められる家庭用器具の傑作である。マグネトロンは100年程前の1920年にゼネラル・エレクトリック社のAlbert Hullにより発明される。東北帝国大学の岡部金治郎も1927年に業績を残す。マグネトロンはマイクロ波(レーダーや通信用電磁波)の発生用空洞共振器であり、電子レンジの心臓部に当たる。周波数2450MHzが電子レンジでは使われている。今日は76年前の12月8日、無謀な太平洋戦争に突入した日である。科学技術もその根底にある真理や本質を見極めることが禍根を残さないために大切である。それにしても我が身を鑑みれば、土俵の無い一人相撲はお笑い草かもしれない。少しも科学的実験データも無しの我儘解釈論の展開で、失礼の段御勘弁願います。

マグネトロンの原理 昔真空管がラジオに使われていた。熱陰極と陽極から成る二極真空管である。ダイオードと同じ整流作用も持つ。その二極真空管の熱陰極から放射される電子(電荷と質量を持つ素粒子と定義されているが?)と言う熱エネルギーがある。その真空管内に磁場を掛ける。フェライトの磁石で陰極と陽極の間の空間に磁界を掛ける。磁石はその周りの空間にエネルギーが回転した状態を作り出す機能を持っている。N極、S極の棒磁石を左向きにエネルギーが回転しているのだ。地球は南極がN極であるから丁度偏西風の向きに地球表面をエネルギーが地球自転速度より相当の高速度(どれ程かは全く分からない―太陽系及び地球自転公転の回転渦巻を支配する原因と解釈する―)で流れているのである。そのエネルギーの流れと方位磁石の周りのエネルギー流とが重なり合ってコンパスの方向を地球の北極側を向くようなエネルギー間の近接作用力が働く。磁気とはそのようなエネルギーの回転流としてエネルギーを貯蔵した機能の表出現象である。さて電子と言う素粒子はどのような空間構造を持った粒子と考えるか。よく電子スピンと言う表現で説明される。電子と言えば、一粒づつの粒子と言う空間認識で捉えるだろう。専門的な解釈では波動だとも言う。電子を波だとも言う。しかしその実体が粒なのか波なのかを観測できない。電子顕微鏡では波になる。物に当たれば力が働いたように粒子性の現象を示す。電子一つを観測できないから粒子と波動と二つの観方で解釈しているだけである。熱陰極はフィラメントで陰極材を高温に加熱しているのである。要するに熱エネルギーで金属材料を加熱しているのである。白熱電球はフィラメントコイル内にエネルギーを貯蔵して高温に加熱した空間を作り、その温度に応じたエネルギーの貯蔵限界を超えた分が光となって放射されるのである。熱陰極も加熱によるエネルギーが陰極材料から放出するのである。その熱エネルギー・光エネルギーが陰極、陽極間の空間内に充満するのである。電子スピンとは放射エネルギーの空間像がどのような大きさの塊に分解されているかは分からないが、ある程度の空間的寸法を持って粒子的作用性を働くのであろう。そのエネルギーの粒子的空間の存在形態はやはりエネルギーの回転流として存在するものであろうと解釈する。そのようなエネルギー粒子を電子と解釈しているとすれば、電子スピンと言う空間的構造も同様に理解できよう。磁界の空間エネルギー流と電子と言うエネルギー回転粒子とがエネルギー間の近接作用力で互いに影響し合うと考えることができよう。電気回路のエネルギーや光エネルギーに対する考えから、納得する感覚的整合性から、基本的なマグネトロンの動作原理を考えた解釈である。電子寸法は原子寸法1Åに比し、とても小さいと解釈している。その電子がマグネトロンの空洞共振器内で磁場の影響を受けるとすると、余りにも寸法差が大き過ぎて磁場のエネルギー回転流との関係を電磁波発生の原理と考えるには、その空間的作用力を理解できない。マイクロ波のエネルギー波長は6cm程度であろうが、電子がどのような磁界に因る加速でその寸法のエネルギー波を作り出す事になるかを理解できない。マイクロ波の波長との関係を下のマイクロ波と食品加熱の項に述べる。熱陰極から直接熱エネルギーが放出され、その空間の空洞共振器寸法によって規定される寸法のエネルギー流の塊になるだけと考えたい。おそらく空洞共振器の空間寸法が発生電磁波の波長を決める主要因になっているだろう。

水分子と熱エネルギー エネルギーには電気エネルギーも光エネルギーも圧力エネルギーも運動エネルギーも熱エネルギーもある。これら様々な呼び方のエネルギーは『溶けて流れりゃ皆同じ』と言う様に、同じエネルギーなのである。エネルギーの空間分布差で風も起きる。体温をも保持する。質量にもなる。熱エネルギーの特別に際立つ現象が水に対してであるように思える。水とマイクロ波の電磁エネルギーの間に繰り広げられる熱現象を利用する製品が電子レンジである。しかし、一般的な解説を見ると水分子の振動によって食品が加熱されると成っている。温度を質量の持つ振動による運動エネルギーと解釈しているからと察しられる。理解できない気体分子運動論と同じ解釈である。

マイクロ波と食品加熱 マイクロ波と言う電磁波の空間的エネルギーをどのように捉えるのだろうか。一波長のエネルギー分布を考えて欲しい。電磁波はエネルギーの縦波である。光と同じだ。科学技術は生活空間を電磁エネルギーの空間にしている。50,60ヘルツの商用電力エネルギーから、携帯端末の電波エネルギー、衛星からのTV電波、探査電波等の照射エネルギーなど人の感覚で認識できない電磁波のエネルギーが充満している。照明の光も空間のエネルギーだ。太陽光線の照射エネルギーは地球を大きくして来た。秋の落ち葉を集めればそれも太陽から届けられた光熱のエネルギーが質量化した姿だ。電子レンジのマイクロ波は波長12cm(エネルギーの波長は半分の6cmである)程だ。電波としては相当短い波長で、エネルギー流粒子としてマグネトロンの空間寸法に整合しているか。さて食品の加熱現象の原理は如何なるか?電子レンジで加熱するには対象物に水分が無ければ効果は無いようだ。先日黒砂糖を加熱したら、火傷に気を付けなければならない程にマイクロ波を吸収してドロドロに熱く融けた。水分は無い。マイクロ波と言うエネルギー粒子は空洞共振器空間から出力端子を通して食品に照射される。水分子は熱エネルギーに対して際立った特性を発揮する。海の水は最近高温に人間によって(原子力発電の30%程を電力として利用するため、70%近い熱エネルギーを海の水で冷却しなければならない―政治・行政の関係者に知って欲しい科学技術の意味-)加熱され、豪雨災害の原因となっているように、水は熱吸収能力が極めて高い。このマイクロ波熱エネルギーが水分子を振動させてその周りの食物成分を熱く加熱すると言う解説が検索にある。水分子が腰振り運動のような振動をすると周りの食物繊維・細胞が熱くなる訳はどのように考えれば良いか筆者には理解が困難である。水は湯沸かしのように熱エネルギーで沸騰する。分子が振動などする訳ではなかろう。体積の膨張として圧力と温度のボイル・シャルルの法則で変化する現象である。水が吸収する熱エネルギーがそのまま食品の加熱になるだけである。振動など無関係に熱エネルギー(マイクロ波の電磁エネルギー)が物質の空間に貯蔵され、そのエネルギー吸収時間積分で高温になる。

美空ひばりと臨教審の以下余白

異常な日本の30年を過ごして。

『愛燦々』 テレビの歌謡番組を観るようになったのは昭和が終わり、平成になってからであった様に思う。後から振り返って、あの歌が自分と関係が有りそうだと気付く。特に美空ひばりが歌った歌を何十年もたってから、その歌詞に込められた意味に気付く。始まりは、『愛燦々』昭和61年(1986)秋のようだ。長岡工業高等専門学校で、殺害から逃れる秘策(観世の文言札)で生命を守りながら、『静電界は磁界を伴う』の実験に挑戦していた頃かもしれない。その年の春、久しぶりに電気学会春の全国大会で、561  瞬時ベクトル空間モデルと空間瞬時アドミタンス を発表した。しかし発表者名は自分一人だった。共同研究者名を書くようなゆとりも、長岡技科大との行き来もなく当然他に居なかったと解釈していた。しかも内容が電気磁気学の偏微分式での変梃りんな内容であった事もあり、他に賛同は得れれないだろうと。ただ、その具体的なかたちでまとめたのが文献(1)である。その研究会資料は相当なストレスと緊張の中でまとめたものでありながら、良く出来たと満足できる。電力系統の瞬時監視機能として有用な手法と思った。この資料も一つの評価を得て、ひばりの『愛燦々』の意味となったかと勝手に解釈している。またその昭和61年(1986)4月、電気学会論文誌Bに文献(2)が掲載された。半導体電力変換器の基本動作解析を論じた。その解析手法には自分らしい特徴があったと思う。少し世間が騒がしくなり始めたのがその頃であったのかと、相当年数がたって歌謡番組を観ながら感じ始めた。

『みだれ髪』 この詩は昭和62年(1987)秋の頃を歌ったものと思う。昭和62年春殺害の危険から逃れて、やっと約束の長岡科学技術大学に戻った。しかしそれも独り善がりの世間常識から外れた仕儀であった事を愚かにも何十年も経って初めて気付いた。その『みだれ髪』の意味は今でも分からない。昭和62年春には良かったが、秋にはどうにも成らない結末となってしまった。春3月高専の校長に4月からの転勤について確認した。大学から『割愛』の話が有る。『割愛』の意味も昭和54年(1979)秋と二度目の事だから、結果がどう出るか自分が決める事ではないと予定通りの行動しか取れないと覚悟していた。だから高専の校長の言う事を聞く意思もなかった。3月31日『保険証』を会計課に返して二度と戻らないと翌日の東北大学での電気学会の発表に向けて高専を去った。『保険証』が身分証明書などと言う事も聞いたことがなかったから知らない無知であった。発表内容は『静電界は磁界を伴う』と言う『電荷』否定の発表であるから、そんなトンデモナイ内容が世間で通用する筈はなかった。科学理論の根幹を否定する内容だから。前の年の電力技術解析理論の話とまるで180度方向転換した内容であれば、世間も相当戸惑っただろうとは推測できる。とんでもない仕儀となり御免なさいでした。一体春丁度良かった帯の長さも秋には余ると。春どう行動すれば良かったのか今でも理解できない。4月自宅に高専の校長から手紙で教官会議に出席するようにと言う要請が有った。それは『転勤』していないと言う意味であったかどうかも分からない。筆者には意味の分からないいろいろの仕掛けが無知の自分に仕掛けられたが、常識知らずには対応しようがなかった。相談する者も一人も居ない。ましてや家族が知る訳もないから相談もできない。自分の立場を説明するべき意味を筆者自身が知らない訳だから。能力なしの『助手』と見られているから。今日現在も、パソコンに向かえば、それを見て何と無駄な人生をと非難されるが、そう思われるのも当たり前と自分で思う。家族に説明できる何の実績も示せずに今日が在るから。昭和62年春に長岡技術科学大学の学長選挙が有った。新聞でも取り上げられた社会的教育問題に成ったようだが、自分に関係しているとは全く理解できなかった。薄々感じたのは、8月に成って、電気学会の秋の『電磁界研究会』への論文を書いている時、なかなか捗らずに提出が遅くなり、9月1日以降の受け付けに成ってしまって、何か急ぐような雰囲気を感じた頃からとても気になりだした。斎藤 進六 学長に迷惑を掛けてしまったのだろうと遣る瀬無さと申し訳なさが残る。電力工学と電磁界理論では研究の畑が違う。転勤もしていなくて、研究分野も変われば、世間でも対応できなかった訳であろうと今は分かる。それが全て『みだれ髪』の意味なのかと。義理のじいちゃんが大学近くの病院へ入院していたので、家族に頼まれ毎日洗濯ものを交換に行く。筆者も家族も無知の中世間の常識に対応出来る術は無かった。病院近くで大学事務局の人がいつも周りについて監視していたようだった。みんなみだれ髪の基だったかもしれない。御免なさい。

『川の流れのように』作詞 秋元康 作曲 見岳章 唄 美空ひばり 1989年(昭和64年、平成元年)1月に歌われた。美空ひばり最晩年の歌だ。既に大学には居場所も無く、己の人生の意味を考える手立てもない中で、謳われた彷徨う自分に向けた歌であったかとも思う。『故郷』にどんな意味が有るかも知らず、二葉百合子さんの『岸壁の母』と繋がる故郷には『舞鶴鎮守府』の父の軍歴が有った。“知らず知らず 歩いて来た 細く長いこの道 振り返れば 遥か遠く 故郷が見える でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた 人生 ああ 川の流れのように ・・” 正にこの歌詞の通り、何も知らずに歩いて来た自分の人生のように聞こえた。今は電気磁気学と電力系統の電気現象を『光』によって統一的に解釈する感覚的な納得を得た。それは過去の電磁界理論とその概念を全く新しい姿で解釈し直さなければならないところに来てしまった事でもある。ただ、電気工学は技術用語で理解できるが、物理学での『電流』や『電荷』が自然界の真理と言うのは頂けない。その辺の混乱を如何に解決するか。

本人は何も知らない 情報化社会と人心操縦の社会問題。世間の動きを筆者は知らない。後から何かあったのかと何となく気付くだけである。本人には知らせず世間が知っているこの不可解な気味悪さが『人権侵害』である。何十年も続く不気味さの中を過ごして来た。近所の小さな消防車が朝の8時前に鐘を鳴らして通り過ぎる日があった。その鐘が鳴る日は悪い日らしい。やっと最近は鳴らなくなった。意味が分からないがどこの誰の指示で鳴らしていたのか、不可解な不気味さであった。昭和63年(1988)以降、初めて経験した事件がある。長岡技術科学大学から、所属身分の無い身を悟り、精神的な過負荷に耐えられず離れた。居場所も無く、長岡市内の釜風呂温泉方面の道の自動販売機で飲み物を飲もうと100円を投入した。途端に自動販売機が電源遮断された。その事件から情報操作が始ったように思う。同じ事がもう一回あった。長野県に新潟県津南町を通って夜辿り着いた。道理脇の自動販売機で、100円硬貨を投入した。途端にそれまで点灯していた街燈も消え町中が停電になった。行き先の無いまま自動車を運転すると、「廻って 廻って 廻れ~・・」と言うラジオの歌で操作される。きっと社会的に処理に困る人間に取る情報社会の手段が存在するのか。現在にも残っている事は飛行機の爆音や飛行機雲の『×印』やヘリコプターの轟音がある。変な『花火』も有る。すべて誰が指示しているかも不明で、執られる不快な人権侵害の所業だ。

中曽根臨教審と人事事件 昭和62年(1987)年末、長岡高専で人事の事件が有ったか?具体的には知らない。昭和63年(1988)正月、春の学会発表の論文を書いている時、突然鼻から異様な鼻汁が出る。早速病院で診察を受け、(鼻空上顎洞炎と歯科で診断され、治療して頂いた)回復。病院で待っている時、周りに高専の先生らしき者が数人いて話しかけて来た。自分に関係する事が事件に成っているらしい事を後から感じ取れるが、それが何かも知り得ず、本人が無視されたまま『何か』が決められていたようだ。本人が知らずにいるその意味を世間は知っていて、いろいろ仕掛け話をして来たのだろう。大学の保険証を使っていた。1月中頃に自宅に高専から『保険証』が送付されて来た。高専では大学に転勤したと言われ、高専から自宅に『保険証』が送付される不可解。昭和60年7月1日履歴が『以下余白』となっている事も2015年(平成27年)1月に初めて知った。高専の事務局に行って尋ねた。後で調べて連絡すると言われたが、後日電話で「少し待って・・(?)」と言われたきりで何もない。何も本人が知らないで、世間が騒ぐ人権侵害。昭和14年(1939)12月1日舞鶴鎮守府への戸籍転籍が存在を無視した諸行無常の30年に亘る人権侵害の意味か。

以下余白の不可解 昭和60年(1985)4月1日 長岡工業高等専門学校 電気工学科講師(校長)。昭和60年(1985)7月1日 同助教授(松永 光 文部大臣)。同日付 以下余白(高橋校長)。昭和60年7月1日から履歴が無しと読める。翌61年(1986)4月の辞令もなく、以降は履歴が消えている。だから4月以降の殺人専門学校の意味が読み取れる。生きていては困る訳だ。様々な工作があり、昭和61年(1986)の電気工学科の雰囲気が異様な空気になった。学科事務室が殆ど使われない幽霊室に思えた。昭和63年(1988)8月1日長岡技術科学大学の身分喪失の意味か、銀行通帳口座が無効になる。昭和39年(1964)4月1日新潟県教育委員会での辞令交付もなかった。

文献

(1) 空間瞬時ベクトル解析と交直変換器への適用 電気学会電力技術研究会資料 PE-86-39  (1986)

(2) 電圧型PWM変換器を用いた瞬時無効電力補償装置の動作解析と設計法 電学論B.106,p.323 (昭61-4)

アッツ桜

アリュウシャン列島のアッツ島も今アッツ桜が咲いているのだろうか。

アッツ桜 1943年(昭和18年)5月19日アッツ島の戦いで日本軍が玉砕した。丁度今頃の季節だった。御冥福を祈る。父も昭和17年5月2日第三特別陸戦隊附同年7月1日第五警備隊、北潜?隊進駐援護作戦に従軍。キスカ島での1年以上に亘る作戦後、昭和18年7月29日キスカ島撤退作戦で帰還した。帰還と言っても父は帰れなかったようだ。シュムシュ(占守島)島に深い因縁があったかもしれない。同年7月29日鳴神島発ー8月1日占守(シュムシュ)島着とあるが、8月5日第51警備隊附天寧派遣の命令により8月17日占守島発(日帝丸)19日天寧着。9月17日天寧発(和光丸)19日室蘭着。20日同発22日舞鶴海兵団入団。この時は既に衰弱し、立つ事も出来ずに実家の父(信策爺さん)に背負われて帰る。父からはキスカ島での戦闘の話や、ネズミを食べて過ごしたなど。また撤退時の雲に隠れての幸運の話等を聞いた。軍歴票は墨で塗られて不明の部分がキスカに関係している。敗戦後の9月2日ミズリー号の後も、その年は暮まで帰られない仕事があったようだ。何時帰ったかも覚えていない。

舞鶴での思い出がある。舞鶴東港は平成5年に訪れた時、兵舎があるようだった。敗戦前にはそこに本館があり、入口の広間には大きな鯉の滝登りの額が掲げられていた。館の正面には飛行機があった。父と偉そうな軍人が居て、その飛行機に乗ることを許されて乗った。席は一つか二つしかなかった。父は帰還後、新兵教育の教班長をしていたようだ。終戦後、舞鶴国民学校から、おそらく貝野小学校に転校の手続きは成されていなかったのではと?すべては昭和24年4月の貝野村役場での中央からの行政官が来られての処理行政に因ってどうなったか?

戸籍転籍の不可解 昭和14年12月1日(1939/12/01)舞鶴鎮守府所管(所管という意味が不可解である。権力による強制的な仕打ちか?その日付で第一国民兵役編入とあるが、戸籍転籍は法律に因らない不法行政?)へ轉籍 父は召集されるのを危惧して、10月1日に日本発送電株式会社へ就職した。それを内務省が計って轉籍にしたと思う。戸籍附票の筆頭者頭の「亡」の字の意味。しかし軍には昭和16年9月2日に、『充員召集ヲ令セラレ』で舞鶴鎮守府から発令されているから、それまでの2年間は日本発送電株式会社の社員として送電線路保守業務にも務めていた筈だ。昭和36年交通事故で亡くなり、東京電力社長 木川田 隆一 氏の弔辞には、昭和14年から一貫して21年間送電線路保守員として働いた云々・・と有り軍歴は無いことになっている。舞鶴鎮守府の前は、大正15年12月13日横須賀海兵団 舞鶴練習部入団。軍艦 『加古』その後『多摩』乗り組み。軍艦多摩乗組員代表で昭和天皇の御大礼に参列。菊の紋入りの大きな勲章が家に在った。軍歴の記載の不可解。第一国民兵役満期 昭和21年9月5日。帰休 26年3月31日。とは?

我が存在 私は偽者か

水泳の検定結果をpcに入力すると、「不合格」と打ち出されて、認定証の作成が出来ない。と作成関係者から説明された。名前が認識されないと言う事は存在が否定されていると同じ意味に思える。昭和14年12月1日以降にどのように舞鶴鎮守府から戸籍が回復したか?(2019/02/12)追記。氏名は漢字をGoogleで翻訳すると必ず[Yoshihira]でなく[Kihei]と翻訳される。

健康保険証は身分証明書か

(2018/10/27)追記。共済組の加入歴が無いようだ。厚労省の役人が造った。公立学校共済組合も文部省(古い機関名)へも加入していないようだ。

自分自身が分からない。残っている健康保険証の番号。

公立新潟 644139 新潟県

文部省? 61-01007766 長岡技術科学大学

文部省? 58-280    長岡工業高等専門学校

文部省? 61-01007766 長岡技術科学大学

すべてが信じられない番号だ。特に、58-280?

銀行通帳の変

どうしてこうも不可解が身に纏わり付いているのか。科学理論や自然現象の常識的解釈に多くの疑問が湧く。矛盾を感じることが多い。

銀行通帳の不可解 自分が知らない内に銀行通帳を作ったことになっていた。その日時は確かに精神的な混乱に、ストレスが追い打ちを賭けていた頃である。昭和63年8月1日 が銀行通帳を新規に作った日となっている。その通帳開設者の署名と印鑑の字体を見たが、確かに似ているがはっきりとは確認できなかった。通帳を作る必要など無かった。既に給料(?)の受け取り用の通帳があり、それを破棄して新しく作り変えるような事をする訳がない。当時は、「瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義」電気学会電磁界理論研究会(同研究会資料 資料番号EMT-88-145.  昭和63年10月)への投稿論文執筆に忙しく、他の事に関わるような暇はなかった。この論文の内容は、昭和61年秋に長岡工業高等専門学校電気科の高電圧実験設備で撮り留めておいた静電界中の磁界検出実験の写真データが殆どを成すものである。長岡技術科学大学には、高電圧実験設備がなく、実験を続ける事は出来なかった。また、一つ思い当ることがある。その年の7月に大学の図書館で調べ物をしようと、カードを差し込んだら、入館を拒否された。電気系長にその事を話したら、『そんな事をするからだよ』と意味も分からない言葉で笑われた。そのカード事件が身分失効の電算機処理に掛かったのかもしれない。それにしても、新しく銀行通帳を作りかえる必要は何もなかった訳で不可解にして薄気味悪い事件。

初めての銀行との関係 昭和35年夏の事、新潟大学六花寮でアルバイト募集に応募し、大学研究者のお手伝いをした。山下地区の平地広場で、アイソトープに因る地盤調査の研究のようであった。アルバイト代の支給場所が新潟市大畑町に在る日銀新潟支店で、そこで頂いた畏れ多い事があった。日銀のアルバイト代の支給など有り得るのかと?

給与振り込み用銀行通帳 新潟県立新津工業高等学校に16年間いた。しかし銀行通帳への給与(?)振り込みはなかった?だから通帳は持っていなかった。初めて銀行通帳を作ったのは、住宅取得のため、昭和50年頃の年末であった。その通帳への振り込みは長岡技術科学大学、昭和55年であった。その通帳がどこかで切り替えの昭和63年の事件通帳になる。

人権事件だ。

太陽光発電の強風対策

化石燃料(原子力、重油火力など)発電に対して、自然エネルギー利用発電が環境保全の観点から注目されている。その中でも日本の場合は、太陽光発電が特に有望とみられているようでもある。大規模な太陽光発電が経済的な仕組みに組み込まれつつあるようだ。家庭用の発電設備もあるが、プラントとしての発電設備が建設されている。その設備を垣間見た時、少し心配な気分を味わった。古い書きかけのものを見つけたので、家庭用の太陽光発電の構成設備の参考に載せたい。

%e5%86%99%e7%9c%9f359太陽光発電装置

家庭用の発電設備であるが、大よその回路構成はこんなものであろう。問題は太陽発電パネルが広大な土地に大規模設備として建設される場合である。その平板パネルが並んでいる様子を見て現在の気象災害に遭う危険を考えると、技術的な強度不足が心配だ。発電設備として電力系統に接続し電力需要の一翼を担おうと言う事であろうから、規模が大きくなればなるほど、強風対策については十分な安全率を課されなければならない。設備が故障することは系統全体に電力擾乱を引き起し、とても発電プラントとしての機能が期待できないことになる。強風などの気象災害には万全な設備であることが要求される。

科学技術社会のエネルギーと運動力学(理科基礎)

毎日が酷暑の日本列島である。エネルギー大量消費構造の社会になっている。昔に比べて特別に気温に敏感な人間になった訳ではないだろう。熱中症で救急搬送される人が増えている。熱中症対策で、適切に冷房をするように言われる。冷房機の運転は熱エネルギーの放射現象を利用する科学技術である。部屋の掃除に掃除機を利用する。掃除機の放出空気の温度は相当なものである。科学技術の利用はそれだけでエネルギー消費に基づいて、地球温度上昇を進める。そんな意味を考えて図に纏めてみた。

科学技術とエネルギー科学技術とエネルギー 科学技術を支えるのに電気エネルギーが欠かせない。地球の地下深くに埋蔵された化石燃料の利用法を開発し、あらゆる科学技術の利用のエネルギー源として発電技術が重要な基盤となっている。考えてみれば不思議な事である。化石燃料の石炭、原油あるいはウラン核燃料がエネルギー源の大半を成している。不思議と思うのは、その資源は何が造り出したかという事である。地球が自分自身で作り出せはしない。みんな太陽が地球に産み出した資源である。太陽はこの渦状天体系のあらゆる根源を成している。この系で現在活発な生命現象を繰り広げているのは地球だけである。この太陽系の全体の物理現象を考えても、地球自身を含めて、何にも分からないことばかりである。地球上に展開される生命の不思議な仕組みは、その根源で太陽が仕組んだ自然の営みである。これはその存在する姿そのものが自然の女神の仕掛けと思える。それは神の仕業である。100年程の間に、人が創り上げた地球上の生活環境は当然人のための幸福を目指して来た筈なんだろうが?その目指して来た目的の大半に到達したと言わなければならない状況になった。太陽が創り上げた地球の生命の楽園を、人の欲望という極めて人間的な特性によって過酷な競争の世界に変えつつある哀しさを否定できない。『エネルギー』の過剰な利用は地球の生命を人が抹殺しようとする仕組みにしている。絶滅危惧種などと言って、『エネルギー』の大量消費の弊害には目をつむって、生命の多様性を破壊し続ける科学技術社会には正当性があるだろうか。もう科学技術は完全に飽和状態に達してしまったのだ。革新など殆どその余地はない。家庭電化製品はじめ、自動車などほんのわずかな改良の過当競争に神経を擦り減らすだけの『幸福感より不満足感?』しか残念ながら残っていない。科学技術の未来を思った時、地球環境の安全性への不安がよぎる。

目標と制御目標と制御 科学技術の制御系は適正な安全性をフィードバックによって叶えている。しかし、地球環境の未来の安全性は危機迫る状態だ。人間だけの為の生物多様性を無視する現状は人間の生存をも脅かす。

人の体温の意味 体温、気温は生命の活動を決める『生命維持基準』である。人の体温が2度上昇したらどうなるでしょうか。海水温が2度上昇したら、海洋生物の生存・活動領域はどうなるでしょうか。マグロ養殖の為にサバの乱獲が放置されて、サバを食べることが出来なくなっている。小さいサバだけしか売り場にはありません。資本主義競争の際限ない人の欲望に任されている現状は、誰が未来の安全性を守らなければならないのでしょうか。政治指導者の責任でしょう。科学者も哲学者であって欲しい。

『エネルギー』と『エネルギー保存則』の意味について 人間の未来を考えるに『エネルギー』の意味を理解せずには不可能である。『エネルギー』は運動エネルギーと位置エネルギーなどという教育では酷過ぎないか。『エネルギー』は理科教育の眼目である。気体分子運動論が地球温暖化の解決への基礎教育に役立つだろうか。『エネルギー』とは何かと考えてもはっきり定義するだけの能力はない。エネルギーと空間と質量で少し分類を試みた。しかし満足出来ないので、未だ山の途中に居る心境だ。先日歩きながら考えた。電気エネルギーと熱エネルギーと光エネルギーについて違いは何かと。『エネルギー』が存在する場・空間は大きく分けて、『真空』と『物質内』の二つである。電線路内も含めてコイル、コンデンサ更に炭素抵抗、誘電体、磁性体その他あらゆる原子・分子結合のあらゆる結合格子空間が『物質内』と看做せよう。その物質内から解放された自由空間の極限が『真空』となろう。特に電気エネルギーは特別に閉鎖された空間内に囲まれている訳でもないのに、電線路の空間に纏わり付いて存在すると看做すと、『エネルギー』の塊としての慣性的な重い特性を持っていると同時に光速度流の素早さを兼ね備えている不思議な『エネルギー』に思える。極限状態の『エネルギー』は「光」であり、その光エネルギーは『真空』の場においてその本領を発揮する点で特別である。炭素抵抗内に入る電気エネルギーは再び電気エネルギーに戻ることはない熱エネルギー・光エネルギーとして放射される。そんな『エネルギー』の状況を絵で表現してみた。

エネルギーと壁エネルギーと壁 結晶格子・分子結合格子等の囲まれた空間内の『エネルギー』が存在する状況を表現した。

壁の開放壁の解放 光源、蛍光物質等から光の『エネルギー』が放射される。量子力学では原子外殻電子の運動エネルギー論で解釈されている。『エネルギー』が格子空間の壁から解放されるにはその壁の構造が変化して『エネルギー』解放をすると考えたい。エネルギー貯蔵物体の形状だけでなく、電気回路のコンデンサなどはそのコンデンサ外部空間のエネルギー分布状況での変化が『エネルギー』解放の引き金にもなると考えたい。

エネルギー保存則の意味は地球環境の問題としても考えるべきである。消費するエネルギーはどこに行くかを理解するには『エネルギー』とは何かを理科教育として適切に対処する必要がある。『エネルギー』は光と熱と質量の間で変換するのである。運動エネルギーと位置エネルギーで理解できる筈はない。

『運動力学』 昔の砲術理論じゃあるまいし、放物線では力学の日常性が見えない。超高層エレベーターなど日常生活の科学技術に視点を向けた理科教育でなければ意味がない。エレベータは地球の重力加速度との関係と深いかかわりを持ち、しかも人の運動感覚とも繋がる市民の日常的生活において、とても現代的運動力学の問題であろう。ここにエレベータの力学問題を取り上げようと考えた。しかし、問題が複雑で考え直さなければならない疑問にぶつかってしまい、別の記事として取り上げることにした。ニュートン力学の f=mα[N] の加速度の意味が分からなくなったからである。エレベータが静止していれば、人には重力加速度の力が掛る事になっていよう。それなら、人が加速度α’=1[m/s^2] で上昇する時、人に掛かる力は重力加速度g[m/s^2]と加速度α’=1[m/s^2]との合成加速度になるのじゃなかろうか。従って、f=(1+g)m[N]の力になる。運動力学論(f=mα)とどう整合性をとれば良いかが分からなくなってしまった。御免なさい。エレベータの話は無しにして、回転動力の力学の話とする。なお、ニュートン力学 f=mα[N]の式の意味は、どんな場においても重力加速度g[m/s^2]の影響下で考えなければならない。αの中には常にgを含めて考えなければならない。だから空間的な距離の加速度とは意味が違うのだ。従って、実際には単純に加速度と質量で力とはならない。無重力空間の場で初めて、加速度と力の関係f=mαが成り立つのだろう。

%e8%bb%b8%e3%83%88%e3%83%ab%e3%82%af%e3%81%a8%e5%8b%95%e5%8a%9b軸トルクと動力。現代生活の基を支える運動機能は回転運動である。船のスクリュウも飛行機のジェットエンジンもクーラーの空気圧縮器のモータもみんな回転運動だ。上下運動のエレベータも巻上げ駆動モータの回転運動に頼っている。なかでも回転運動の限界に挑戦しているのが汽力発電所(水蒸気タービン発電所)であろう。(図の軸回転数で、原子力発電機・タービンでは大容量であるため1800rpm、1500rpmの4極発電機に成っている事を追記する。2017/12/06)

軸は一つの鉄鋼の塊(記録の鉄鋼の塊は600ton程?)から切り出して造るのだろう。その製造技術には計り知れない技術者の血と汗が隠されている。軸の直径d[m]がどれ程かを知らないが、人の身長ほどあるのだろうか。ロータの破裂失敗事例〉長崎のタービン 等に示されるように、科学技術への多くの挑戦が隠されている事も知っておきたい。鉄鋼の塊として、発電機回転子の磁極を埋め込む部分まで一体構造なのであろう。そんな巨大な回転体が高速回転して電気エネルギーを発電しているのだ。力の作用反作用と同じく、トルクも発電機側の負荷トルクτlに対して僅かに蒸気タービンの駆動トルクτが強いから規定の高速回転が保持され、エネルギーが発電機側に供給できるのである。そのエネルギー伝達の機能を担うのが軸である。丁度雑巾をしぼる時に回転ねじのような捩れが起きる。軸にねじれの応力が掛りその応力に耐える強度が軸には要求される。目に見えないエネルギーの流れが軸を通して伝達されているのだ。軸の鉄鋼にその性能が要求されている。そんな意味を回転運動の動力 p=ωτ[W] (実際は[MW]である)の式は持っている。

地球と運動力学 運動力学は自然科学の古典的学問分野であろう。しかし地球の運動を考えるとその真髄に辿りつけない自分が居る。多くの疑問がのしかかる。そんな疑問を解けないかと考える空間図を描いた。

%e5%9c%b0%e7%90%83%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%83%8d%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc%e3%80%80地球とエネルギー 地球の運動エネルギーは幾らなんだろう。地球中心のエネルギーはどのように捉えるのだろうか。地下の圧力エネルギーはどう解釈するのだろうか。位置エネルギーとは何か。そんな妄想の虜になる切なさ。

汽力発電所(原子力、重油火力等の水蒸気タービン発電方式) 世界が電力を利用する未来は海の海水温度の上昇と人の生活環境(食料・住居)を破壊する危機を覚悟しなければならない。『復水器』で海水を加熱する科学技術であるから。

パワーフローパワーフロー 古いファイルではあるが参考に載せる。