カテゴリー別アーカイブ: 社会科学

電荷棄却の原子模型

昨日(7月21日)2回目の『コロナワクチン』を接種して頂いた。

少し頭が気怠い感じがするが、今のところ特に苦痛と言う程の症状はない。有り難い。

『発見と創造 科学のすすめ』 (W.I.B.ビヴァリッジ 著)培風館。を繙いて見た。56ページに付箋が残っていた。

その章 3  時の試練 の扉に

時が真理を明らかにする。セネカ

とある。

日付が2009/10/06.となっている。(孤立した者には 発見の格が大きければ大きい程 その将来には 極端に大きな 困難が立ちはだかる)?

その年の秋、日本物理学会(甲南大学)での発表が、「電荷棄却の電子スピン像と原子模型」の標題であった。

その発表後に、思いを書き記したものだろう。炭素原子の結合を原子表面のマグネット4面結合で解釈するものだ。決して『電荷』概念が論理的に成り立つ訳がないと確信していた。しかしそんな電子を否定する科学論が受け入れられる訳は無いかも知れないとの思いが強かったのだろう。科学論から電子を排除するなど正気の沙汰でない事は分かっていたのだろう。自分を勇気付けたかったのだと思う。

その本の p.58 に「35年間も無視されたグレゴール・メンデルの遺伝学研究はその古典的な例である。」と書かれている。当時は、まだ電圧の物理的意味が『エネルギーギャップ』の認識にまで辿り着くとは思っていなかった。

雨蛙と自然

梅雨の終わりには豪雨災害に悩まされる。最近は災害の犠牲が尋常でない。

自然の巡り会わせで、気になるのが雨蛙である。今日は7月4日、ネジバナの咲くころだ。日本雨蛙 (2011/05/16)をはじめ関連記事を書いてきた。英語では Tree frog と言う。木のカエルで、雨と関連した意味が見えない。その意味には水に関連したカエルでなく、木に生息するカエルという意味で解釈したい。日本語では雨との関係で表現する。しかし、雨蛙は余り水が好きではないようだ。何故「雨」の文字を付けて呼ぶかと言えば、梅雨の時期の雨が降った頃に多く発生するからという意味で付けたと解釈したい。丁度今頃の特に梅雨の終わりごろ、ネジバナが咲く頃に雨蛙は多く生まれることに関連して付けたと思う。不図気づけば、小さな雨蛙が幾つか全く水辺の無い庭に生まれていた。

先ず一つ。

 

 

 

 

 

 

2匹目。

 

 

 

3匹目。

 

 

 

 

4匹目。

 

 

 

 

 

5匹目は素早く逃げられた。今年の雨蛙を見て、少し気になることがある。どうも雄系ばかりの様な気がする。雌はもう少しぷっくり太った形の筈だから。それにしても、それ程逃げ足が速くないから、2,3匹目あたりは形態から雌かも知れない。

少し雨が降ったから、土が柔らくなって、土の中から生まれ出たのだ。最近は以前のように3,40匹も生まれることは無くなったが、数匹は生まれ出る。時には9月頃になっても生まれる蛙もいる。

ここは全く水が無い場所だから、土の中から生まれ出るのだ。親雨蛙は春に既に土の中から這い出している。雨蛙がオタマジャクシから成長すると言う、専門家の自然認識は間違いである。雨蛙は、人の目に触れ時には決して尻尾は見せないのが雨蛙の自然の生態だから。学校教育で、水田の中からオタマジャクシを採って、育てる愚かな観察がある。とんでもない間違いだ。

最初から常識的な、頭で決めてかかる自然解釈が間違った論理を広めるようだ。

自然をじっくり観察し、疑問を持ってから自分の感覚と自然との間の関りを見つめ直すことをしてほしい。

専門家と言う使命。専門家は受けた教育を受け継ぎ、広める業界の枠組みの中で社会的役割を担う事に成る。だから、津波の解釈やあらゆる科学論がその先輩の指導の枠の中での社会活動の定めに在る。さもなくば指導に反旗を翻した道しか残されない。 雨蛙―その謎― (2011/08/31) にその意味の一端(2006年7月の事)がある。

雨蛙の「オタマジャクシ説」をその代表例として挙げる。

 

ヤッパリ『電荷』だ❓

(2021/07/03)。『電荷』否定への道 (2014/06/03)に思う。

今、矢張り勘違いでなかったと。科学論の根源概念を否定するなど正気の沙汰ではなかった。

しかし、『電荷』が何時どのように科学理論の岩盤となったかを考えると精々100年少しの期間であったように思う。

いま改めて、30年程の無駄と思える孤軍奮闘を振り返って感謝したい思いだ。

多くの物理学の歴史で、ラザフォードの原子論やアインシュタインの特殊相対性理論などについて、改めて物理学理論の意味を考える具体的な考察対象になるような気がする。何か素人の物理学論と笑われそうだが。『電荷』だけは自然世界には存在しないと確信した。新潟県立十日町高等学校の化学の授業で「共有結合」の意味が理解できずに、化学の学習を諦めた事を思い出す。

その訳は?新潟県議会

今日の新潟日報、新聞記事を見た。

新潟県議会の定例議会の様子の記事だ。その記事の意味が分からない?

新潟日報新聞記事(2021年6月22日)

日本国憲法

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する。

② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

関連して。

第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国または公共団体に、その賠償を求めることが出来る。

第十八条 何人も、如何なる奴隷的拘束も受けない。また、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

筆者のブログ記事が最近本人の知らないところで、勝手に削除される。記事の内容が見えなくなる。インターネット上の表現の自由は国境の意味との関係で、各国の憲法の意義はどのように保証されるのか。記事を削除するものはどのような権利で、削除・改竄の権限が与えられるのか?

憲法第十七条によって、すべて裁判で受けた損害は勝ち取らなければならないのか?

今朝の新聞記事を見て、驚いた。県民の選挙で選ばれた県議会議員が定例の県議会で、正規の議会発言が自由にできない意味が理解できない。「無所属の会」と発言者が発言したら、その発言は『憲法』によって自由に発言することが保障されるような新潟県議会でなければならない筈だ。直ちにその場で、「無所属の会」として発言する権利が行使できる議会運営でなければならない筈だ。県議会規則か何か分からないが『憲法』で保障された自由の権利を遮る機会運営は『日本国憲法』の存在を意識していない対応と思う。いちいち裁判で争わなければならなとは『憲法』で保障された意味をどの様に解釈すれば良いのか?

舞鶴草

(2021/06/13) 。この日の誕生日の花が舞鶴草だ。

『給料の支払いが無い』という意味を考えた。目から鱗・をぶり返すようで心苦しい。昭和46(1971)年4月末に、A型急性肝炎で3か月間入院した。その3か月間も手渡し給料方式だから、給料は配達もされなく、受け取っていない。昭和44年10月から翌45年3月までの住所は何処で、職業身分は?と合わせて❓給料の受取が無い。長岡市行政当局として、住民税はどのような取扱いになっていたのか?新潟県民税はどのようになっていたのか?財務省(大蔵省)の所得税はどのようになったいたのか。日本政府への疑問だらけは??ーみんな舞鶴鎮守府への戸籍転籍(家族3人)昭和14年12月1日 (1939/12/01):新潟県中魚沼郡貝野村、南雲村長。および昭和16(1941)年12月19日:香取丸(巡洋艦)へ戸籍(家族4人)移動、舞鶴鎮守府発令。昭和19年2月7日:香取丸被弾沈没。昭和19年3月31日:香取丸船籍除籍。新潟県中魚沼郡貝野村への帰還記録なしーが原因か?

時と歩んだ世界 の末尾記事:貝野村事件の元か?

時と歩んだ世界

(2021/06/02)。10年以上ブログを投稿させて頂いている。感謝です。2010年2月に初めてpcと言うものに触れた。ワープロ代わりに購入した。しかし、ITに接続して新しい世界を知った。相手が見えない世界に、思いを表明してどの様な事が起きるか、その未知の世界に期待もあった。

ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/0130) が初めの頃の一つの記事だ。この記事にだけ突然千件を超えるアクセスが起きた。

その中に、『インバータと磁束φ ④』が記事中にある。トランジスタでの電力制御を初めて知った驚きの技術として忘れることの出来ない記念のものである。電気理論と電気技術との乖離を認識するに欠かせない回路として挙げる。変圧器に直流電圧を印加すると言う考えられない驚きの回路だ。1969年秋の内地研修で経験した驚嘆の回路であった。この事は、目から鱗‥ (2021/06/05) の記事に述べた。

ここに「アンペアの法則」の矛盾が示されている。変圧器の磁束が励磁電流によって生じる訳ではない。電流概念を問う基点となった。

電流が導体内を流れる。しかし、その「プラスの電荷が流れる」と言う論理は無理であると分かったのだろう。だから負の電荷の『電子』が逆向きに導体内を流れると専門的解説が成される。その解説も、その論理的な責任ある理屈が示されているとは言えない。そこには専門家としての良心が見えない。筆者はただ電気回路の中に起きる自然現象としての『エネルギー』の振る舞いを感覚的な捉え方で、そこに寄り添いながら考察を進めてきた。それは余り学術的形式の論文としての表現には程遠いものでしかないだろう。その訳を考えると、学術的標準用語を使う程専門的な習熟もなく、理解が無いことが基にあるからだろう。だから勝手に自由に解釈する習慣が、余りにも学術理論の常識から離れてしまった感覚のままになってしまったのかも知れない。殆どの基礎的科学概念、物理学的概念を否定する処に立ってしまった。空間に実在する『エネルギー』の実相を、その象徴的具体例に『光』の空間像を描いて捉えている事に在ると思う。

光の相対速度と空間 (2020/06/08) 。プランク定数の概念 (2018/07/17) 。今はその光の意味を電気磁気現象を理解する基礎として認識して欲しい思いにある。それが時の成果と言えるかもしれない。

『静電界は磁界を伴う』。科学理論の世界が異なって見えた原点がこの発表に在る。とんでもない自然の認識に挑戦する賭けに挑まざるを得ない仕儀になった。幼稚な社会性の乏しい筆者には無理な科学論の道であった。何か最初から社会的な存在としての、憲法、行政法上の仕組みの中に組み込まれていなかったような思いに在る。集団体制にとっては邪魔者で、はみ出し者のようだった。古い事件のうろ覚えがある。貝野村役場が火事になった。貝野中学校が火事で焼失した。意味が分からない?信濃川で隔てられた小さな集落の貝野村が、更に二つに分かれた分村事件。我が家の土地がいつの間にか新潟県道に化けて、今でも踏み躙られている。

エネルギー考にまとめた。『エネルギー』一つに科学論の基礎概念を頼りに何とか辿り着いた。理科教育の未来の一つの方向性を示した。陰で応援が有ったから曲がりにもできた。感謝。

目から鱗(1969年ひと冬の経験)

(2021/06/04)。50年以上も前の事。今分かって思えば、長くボーっと過ごしてきたとお恥かしい限りだ。分かって書けば、躊躇もするが、それも人生と記して置きたい。昭和44年の2月、間借りの家に帰り着くと、月刊誌の「電気計算」が配達されていた。ペラペラとページをめくる。そこに「パワーエレクトロニクス」と言う電力制御の特集記事が載っていた。見た途端に、これが求める研修内容だと即断。30歳過ぎで、内地研修に行ける制度があると聞いていた。春4月に、ある先生にお願いして、東工大との繋がりをお世話して頂き、研修の準備をした。しかしそれっきりで、10月まで何の手続きもしていなかった。勿論新潟県教育委員会に研修願いもせず、学校長にも許可も得なかった。本当に申し訳の無いことと、当時の御迷惑を掛けた皆さんに謝らなければならない。そのまま10月から半年間、東京工業大学の電気工学科の宮入・片岡研究室で研修をさせて頂いた。住処も東工大の方にお世話いただき、大学の大岡山駅の近くに確保して頂いた。全く人任せで生きてきたようで感謝と🙇。勿論住所変更届の手続きもして居ない。長岡の住所のままか?それも行政上は問題ではないようだ。??給料も無い扱いだから??それは全くの独り善がりの、無責任な無断研修であったと今は分かった。その間「給与」の支給も無かった。だから何処の労働者の分類にも入らない事に成るか?1970年4月再び何の意識も無く、新潟県立新津工業高等学校に戻っていた。この事に対して、新潟県教育委員会からは何の御咎めも無かった。後で知ったが、校長は勇退という事で辞められたか?新潟県教育委員会の管理課から新しい校長が赴任してきた。筆者に処分辞令が無いという事は、新潟県教育委員会で採用した訳でもなく、日本国憲法に基づく行政法上の管理下の教員では無かったのかと考えざるを得ない。振り返れば、やはりそれは人生の暗い『ひと冬の経験』という事になるか。所謂存在が否定された『幽霊教員』のようだ。筆者の責任なのか日本政府の責任に帰するのか分からない(当時の内閣。第3次佐藤栄作内閣。第4次佐藤栄作内閣であった)。

電気回路技術と理論。

そのひと冬の経験であっても、電気技術については『目から鱗が落ちる』経験をした。それが現在までの長い電気回路現象の解析を推し進める原動力となった。その内容は、『トランジスターインバーター』の動作原理である。

電気理論と言えば、電源電圧は直流か正弦波しか知らなかった。教科書が学校の教育内容の基本的指針である。教科書編集者は教科書編集の過去からの伝統を守る、その事に対する専門家である。電気現象の原理を研究するような人は教科書を殆ど執筆などしないのかと。伝統的電気理論を学習してその意味を伝承する専門家が教科書を書く。だから新しい現象など殆ど知らない。その例が半導体による電力制御技術と言えよう。その中身は従来の電気理論では解釈できない現象がその技術の基礎となっている。今も不思議に思う事。それはその電力技術の専門家も決して『アンペアの法則』に疑問を唱える事などしない事実である。筆者が最初に感じたことは、これは電気理論が嘘という事か?であった。目から鱗と言う事件だった。今でもマクスウエル電磁場方程式を御教示成される大学物理学の専門家は、このトランジスタ制御の回路技術を学習することが必要ではないか。技術を知らない理論家は間違いを教育していることを自覚する必要があろう。僭越ながら申し上げる。それがトランジスタなどで自由に電圧波形を制御できるなど、正しく『目から鱗が落ちる』驚嘆の制御技術であった。その制御回路の一つがこのインバーター回路である。「**」 この回路動作には     ファラディーの法則 と アンペアの法則の理論の意味を吟味するべき基本的問題が含まれている。注目すべき問題は、変圧器に直流電圧を印加する点である。そこに励磁電流と磁束の関係が問題として浮かび上がる。

「**」印で改行するとここに飛んでしまう。何故か訳が分からない??

止む無くここから続ける。上の回路図はブログの初めの頃の記事のものだ。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/01/30)。この矛盾を抱えて、遭遇したのが長岡高専電気科での電磁気学の講義であった。電気磁気学など教えた経験もない。学生には誠に指導力のない講義であったと謝らなければならない。その1年間で益々疑問が膨らみ、それが結局『静電界は磁界を伴う』(1987年春)の実験結果の発表に繋がった。過去の不可解を背負って、其の後の訳も分からぬ道を歩み、今漸く初期の果たすべき役割を電気回路現象の『エネルギー』での統一的姿を捉えたかと思う処に居る。この10年間は障子戸に向かって、ブログ記事を通しての疑問との格闘であったようだ。正常でない、異常な毎日、家族の者には精神病の気違いと今でも罵られる始末。意味が分からない者にはそう取られて当然だ。何とか娑婆で少しは電気現象の話を取り上げて話したい。『電荷』否定の論拠を話したい。『電子』概念の間違いを話したい。そんな社会常識を覆すような話を取り上げて貰えるか?

特記事項。一体どのような職業人として、次のような研究をしたことになるのか?意味が分からなければ社会的な活動の場にどう関われば良いか、動きようがない。二年ほど前に大学に出向いてお尋ねしたら、退職していると言われた。本人は何も長岡技術科学大学での事務手続き等していない筈だが、どう解釈すれば良いか思案投げ首のまま?本当の原因が何かが分からない。矢張り新潟県教育委員会との関りか?

トランジスタインバーターによる単相誘導電動機の速度制御 昭和47年産業高等学校教員の産業教育に関する特別研究成果、第8集(当時は別冊)。財団法人 産業振興中央会。この研究が電気理論に疑問を抱いた決定的な事件となった。この報告を当時の学校長が読んで、私に校長室で尋ねた事があった。校長も電気が専門だったから、磁束が励磁電流でなく、電圧時間積分と言う科学技術理論に疑問を持って尋ねたのだろう。不思議に思っての確認だったようだ。それは当然で、電気理論で解釈できない事だから。

しかし今でも電気理論の教科書は変圧器動作は励磁電流による磁束がその基礎となっているだろう。今日、ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾の記事を見たら、二つのファイルが見れなくなっている。間違っているからかと確認したが正しかった。教科書の解釈を間違いと指摘したことがファイル削除の訳かも知れない。

 

の2図である。確かに教育現場としては大変な事件となろう。しかし自然現象として、『磁束』等『電荷』と同じく存在しないのである。電気技術として『磁束』を解釈手段に利用するのは一つの方便として有効である。しかし、自然界の原理を扱う「理科教育」ではそれは良くない教育法だ。そこの兼ね合いをどうするかが教育現場の課題なのだ。磁束概念は磁石などのマグネットの指向性でその存在を捉えたいのだろうが、『磁界』そのものの概念が電磁エネルギー流に対する直交の方向を解釈し易い方便として定義した仮の解釈概念でしかないのだ。マグネットや地磁気の方向性は電磁エネルギー流の空間現象を捉えた便利な解釈でしかないのだ。磁束が空間に存在すると物理的にその実在性を証明することが出来ますか。『磁束』を見れますか?それは『エネルギー』の空間の姿を見れないのと同じことではあるが、より多くの電磁気現象を総合的に評価することにおいて、それこそ俯瞰的に、より統合性が採れているかの判断が必要と考える。筆者もその電磁気現象の解説をしたかったが、職場が無ければ30年以上も役割を果たせなかった。ブログを通してようやく自信をもって述べることが出来る、所期の目的に到達できたが、教育にその意味を生かす手立てが不明だ。

 

 

 

論理矛盾の業界単位 [eV]

(2021/04/29) 。『電荷』、『電子』の概念矛盾が導く。
記号[e]および[V] から単位[eV]の意味を検証する。

この単位[eV]が物理学理論の『エネルギー』の量を定義する代表的概念となっている。しかし、それも素粒子論での特殊な専門分野の概念単位かも知れない。この単位が自然世界の深い真理を理解するために欠かせない基本概念であるのだろうか。単位は一般市民の誰もが共通に理解する科学的知見の基礎であろう。[eV]と言う単位は『エネルギー』の単位[J(ジュール)]に対して、一般には馴染みにくい単位である。具体的な物理概念、電荷や電子に対する認識を詳しく確認し直すことによって、この単位の意味を検証してみたい。

[eV]の意味は? [eV]は電子が電界中で加速されて得た『エネルギー』の量を表す単位と解釈している。その意味を考える空間の状況を何とか表現してみたいと思うが、電子の空間像をどう表現すればよいかが分からず、誠に奇妙奇天烈な図になってしまった。電子は質量と負の電荷を保有した素粒子と定義されている様だから、電界加速場で定義に相応しい電子像をと思って表現してみた。ただ、電子が電界と言う場の中で、どの様な原理によって加速されるかが良く理解できない。電界の空間は一般には、その空間の誘電率との関係でεoE²[J/㎥](あるいは磁気エネルギーμoH²[J])の空間エネルギーの場と解釈して良かろう。そのエネルギーの空間で、電子がどの様な力を受けるかは中々理解し難い。理論では、電界ベクトルをE[V/m]、電子の電荷を負の-e[C]と扱って力 F を捉えている。

 F= -eE[N]

と解釈しているようだ。単位関係は[C][V/m]=[(FJ)^1/2^][(J/F)^1/2^/m]=[J/m]=[N]と一応、力の単位となる。少し前に、電荷間の力の矛盾論および電荷Q[C]とは何だ 更に大学入試問題例‐(エネルギー問題)-で電荷の意味を考えた。それと同じように電界の場で電子はどのようにその電界と言う物理的実体を認識し、その空間のエネルギーからエネルギーを吸収して受け取る事になるのか考えると解釈に困る。人が勝手に『電子』を仮想して、その気持ちを人間的な感覚で推し量り、誠に上手く辻褄合わせが出来上がっているようだ。何とか電気力線に絡みついて電界エネルギーを吸い取れるかと空想してみた。速度と言うエネルギー増加になるような物理学理論の感覚的理解でお茶を濁して済まそうか。

記号[e]とは何か。
[e] は電子を表す記号だ。その物理学的意味は電子の『電荷』を含意したものであろう。

記号[V]とは何か。
[V] は電圧の単位あるいは空間に定義した電界E[V/m]の空間距離dxでのスカラー積で、電位差 V=∫Edx=El[V]を捉えた単位であろう。電子が移動した空間の電位差の意味の単位である。


【クーロンの法則】の力学矛盾。
考えれば何故今まで誰も指摘しなかったのか?科学理論は広く俯瞰的に解釈することによって、世界的視野の基学問の自由がますますその意味を輝かすようになるのが理想と考えたい。しかし俯瞰的にとなると進むも戻るも出来ない、論理矛盾の限界に突き当たる。結局、原点の基礎の意味を検証せざるを得ないところで、『電荷』概念の自然認識の間違いに到達してしまった。電気要素のコンデンサーに電荷を貯えてもクーロンの法則の同一電荷間の排力は全く考慮しなくてもよく、幾らでも同一電荷が密集できると言う物理学の誠に巧妙な理論体系である。この問題は教育の子供たちに対する姿勢の課題だ。

[eV]のエネルギー概念とは。電荷概念の空間的描像に無関心である事が専門科学者の問題である。

大学入試問題例(エネルギー問題)

基礎ほど難しい。『電荷』と『エネルギー』の間の問題。記事の文末に追記した。電気現象の解釈矛盾の最大問題、それが電池が『エネルギー』の供給源であるとの認識の欠落であると理解した。論理性の欠落が科学論の課題だ。電気回路技術論は貴重な実用における技術科学文化である事には変わりがない。『電子』による科学理論・物理学理論が自然現象の真理を説くものではない事である。『電荷』は決して自然界には存在しないのだ。そこで次の問題である。

大学入学試験で、次のような問題を課したなら。

【問題】上の図の電気回路で、電池をスイッチSでコンデンサにつないだ。次の問いに答えなさい。

(問1)電池は何を供給する機能用品ですか。

(答) (         )

(問2)コンデンサには何が貯まりますか。

(答) (         )

現在の教育課程で子供たちに教えている事に対して、その教育内容をどれだけ修得し、大学での進んだ高等教育を受けるに必要な能力を備えているかを見るのが入学試験の目的であろう。

答えは (エネルギー) でなければならない筈だ。

もし (電荷)と回答したら、おそらく教育内容を修得した効果が出た事に成りそうだ。特に、(問2)のコンデンサに電荷が貯まるとなれば、教育内容に沿うとなろう。

コンデンサの正電極側には電池からどのように『正の電荷』が貯まる事になるか。クーロンの法則に逆らって、どれ程の同じ『正の電荷』が密集できるのだろうか。

(2021/05/27)追記。コンデンサと電荷‥についての記事で、電流は流れないけれども電荷は貯まると❓ この解説記事は余りにも酷過ぎる。こんな内容を学習する羽目にある学習者はどうなるのか。間違いを世界に広げる手先になるのか。通商産業省は、こんな解説の試験問題が出題されるとすれば、受験生に対して誤った知識を要求する事に成る。これが科学技術論か? と言わなければならない事態になった事はとても悲しい。50年前に、筆者も電気主任技術者第二種免許(宮澤喜一通産大臣)の認定を受けた。当時の電気工事士、高圧電気工事士などの免許も取得した。電気回路の解析は得意だ。しかし残念ながら、電気技術理論は極めて重要な技術論ではあるが、それは自然界の真理からは程遠い科学技術用の仮想概念(自然の真理としては、電圧や電流の概念が)でしかないのだ。その理論的現状の混乱の責任は『現代物理学理論』が背負わなければならない問題である。更に子供達への教育の未来について、喫緊の課題として教育機関及び授業担当の教育者・教科書編集者がその責任を負わなければならないのだ。論理的矛盾に目をつむる事は許されない筈だ。科学技術理論と物理学理論の違いを明確にすることが求められている。

電気現象の基礎を深く考えると、だんだん科学理論と言う内容はその論理性が無いことに気付く筈なんだが?結局『電荷』と言う自然界に存在しない物理概念量を仮想して構築したところに問題が有ったのだ。

素敵だね基礎研究

基礎研究とは本当に見えない未来への志。
コロナウイルスのワクチン開発にこんな素敵な研究が有ったんだ。新潟日報の新聞記事で知った。とても難しい生物学の内容であるが、その基礎研究の意味を理解するには今まさに適時記事だ。

基礎研究体制が日本ではすでに消滅しているようだ。成果が求められる短期の研究費獲得競争の制度ではこのような事は期待できない。短期任用研究者の制度は最悪の政策的欠陥だ。未来はウイルスとの戦いの時代と言われている。