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リアクトル負荷の電気回路現象

送配電線路は電気エネルギーを必要とする需要家に、その『エネルギー』を供給する電気設備だ。需要家は高炉、製造工場、高速鉄道(リニア新幹線が未来の悔恨とならないか気掛かりだ。技術開発に懸命なご努力をなさる方々には済まないのですが。需要電力が原子力発電一機分に近いため、温暖化と生活環境破壊の原因となる虞がある。トンネル風圧がリニアの利点を消し去るから。新技術開発の社会的合意の問題が取り残されていないだろうか。)あるいは高層ビルの照明・電熱など多岐にわたる負荷が対象になる。

負荷の形態はその『エネルギー』の受給によって、電線路の回路現象にその影響が現れる。半導体回路などが増え、そのスイッチング特性によっても様々な悪影響が現れる。

電動機などもその『エネルギー』の消費にリアクトルの特性、『エネルギー』の貯蔵・放出が関わり、電気回路特性に僅かな影響を及ぼしている。それは実際にはベクトル解析手法の中での電気理論として分かってはいる。

電気回路現象の特性を理解するには、『電圧』『電流』による解釈ではその物理現象としての真相を理解することはできない。それらの概念は電線路をほぼ光速度で伝送する『エネルギー』を電気技術評価量として評価した概念であるから。電気現象の物理現象としての理解はその『エネルギー』がどの様に電気回路内で振舞うかを捉えなければ不可能である。負荷にリアクトルの誘導性が含まれる場合が、その電気回路内の物理現象を理解するにとても良い例題となる。それはリアクトルの『エネルギー』貯蔵が電源電圧の位相との関係で、回路内への『エネルギー』供給源としての働きが丁度電源と似た機能を発揮するからである。その意味を理解すれば、『電子』が回路を流れる等と言う間違った物理学理論は消し去られる筈だ。『電子』が負荷にどのように『エネルギー』を供給するかの論理的解釈が示されれば、考え様も有るかも知れないが、それは無理である。要するに物理学理論の欠陥は『エネルギー』の空間像で認識できていない点である。

誘導性負荷時の電圧。初めに電源と電線路電圧の物理的現象を述べておこう。

負荷が誘導性の場合は、その負荷には幾分かの電線路側に戻す『エネルギー』の原因となる e(ωt) [J]を保有している。電源はその端子電圧 vs(ωt)[V]のみしか制御できない。電線路内全体の電圧など全く監視・制御できない。ただその『エネルギー』供給端の電圧を制御するだけで、自動的にその端子の回路定数 C[F/m] が電線路に必要な『エネルギー』の分布量を電源側に放出させるのである。電線路全体で、電源の制御電圧値に対して欠損あるいは余剰が生じれば、自動的にその差分を補うべく、電源から『エネルギー』が供給されて、電線路全体が規定の電圧に保持されるように修正されるのである。更に負荷が誘導性の場合は、負荷も電源と同じような『エネルギー』の電線路内への放出機能を持つ。

『エネルギー』の光速度伝播現象。電線路はその構造によって回路定数が決まる。しかし、『エネルギー』伝播空間媒体が空気であれば、その伝送速度は光速度 co=(μoεo)^-1/2^[m/s]になる。絶縁媒体なら速度は落ちる。『エネルギー』は電線路導体内など流れないから。この『エネルギー』の伝送速度が電源電圧制御指令に従いながら、電線路内の電圧分布を基本的に支配する。

線路内電圧vx(ωt)が電源からの距離xとすれば、同一時刻tであっても、その位置の『エネルギー』分布は電圧波形の遅れとして、厳密には電源より⊿t = x/co [s] だけ位相が遅れる。しかし、光速度はその遅れを考慮する必要が無い程の瞬時伝播の速さである。それでも『エネルギー』の伝播が現象の基本になっている。さらに、そこにリアクトル負荷の『エネルギー』の回生現象が加われば、複雑な位相の状況を呈する。以上の現象を基本的に認識しながら、電気回路現象を電気理論の電圧、電流で解釈する場合も、常に『エネルギー』の意味を意識する事が大事だ。

vx(ωt) = √(δx/C) [V]

のように表される、電線路の『エネルギー』分布密度が電圧値の電気技術概念なのだ。

純リアクトル負荷の回路現象。

厳密には、電圧値は負荷まで同じ電圧値ではない。電源より必ず位相が遅れる。その訳は光速度による『エネルギー』分布の伝播遅れが必然的に起こるから。

(2021/12/19)。ここまで来て、何故電力が『エネルギー』の流れ δi[J/m]でなく電圧分δv[J/m]との積に因るかに疑念が沸いた。それが  電力 その禅問答 (2021/12/14)になった。

その疑念の前に、考察の回路があった。

右図はリアクトルのエネルギー e(ωt)[J]が端子電圧の時間積分で決まることを示す。本来、電線路空間を通して、伝送される『エネルギー』は電圧の規模・大きさの2乗の意味で、その物理量が認識される筈だ。それを自然の本源と技術概念で指摘した。その事を理解すると右図に示す電力 p(ωt)=de(ωt)/dt で解釈すれば、電圧値 vr(ωt)の2乗δv(ωt)/C [V]によるとの解釈が可能かもしれない。そこに電線路電圧規模が『エネルギー』伝送機能の意味に因るとの合理的な解決の糸口が有るかも知れない。

自然の真相と科学技術の間にかける橋の美しくあって欲しい。電線路伝送の『エネルギー』の捉え方の未だ結論に到達して居ないが、ここでひとまず休憩とする。

自然の本源と技術概念

こんなに科学理論に疑念を持って一体どこに行くつもりなんだ。

自分にそう問いたい。

今朝、突然の『はてな?』がやって来た。次の図に表現した。いま、リアクトルの電気現象を纏めながらに『はてな?』が。

纏めてみて、とても気に入った。

自然は余りにも純粋過ぎる。人間が自然を理解するにはその純粋さに心が対応できないんだ。だから複雑な概念を創造して、それが自然世界の物理概念だと勘違いするのだ。

『電圧』と『電流』が自然科学理論、物理学理論の自然現象を取り入れた電気回路の現象を理解する基礎概念だ。自然を応用して、利用するには誠に優れた解釈概念である。しかし、それはあくまでも人間が科学技術利用世界の構築に便利な共通理解の基盤概念でしかない。自然現象の本質を理解しようと、長い歴史的格闘によって獲得してきた文化理論でもある事には間違いない。『電圧』、『電流』は『オームの法則』として電気技術理論の根幹概念であり、それなくして現代科学技術文明も成り立たないのだ。ただそこから、余りにも科学理論が抽象的な頭脳ゲーム論の構築に溺れた結果が現代的物理学理論の矛盾を生み出した原因と見做せよう。自然界に存在しない『電荷』や『電子』が自然科学を理解するに欠かせない実在概念・物理量であるが如くに教育され、その結果不可解な世界を作り上げたのだ。

自然世界は、この広い『空間』とそこに繰り広げられる、『エネルギー』の綾なす舞台なんだ。上の図は、その『空間』と『エネルギー』の間に最低の科学的解釈を取り入れようとした結果、『エネルギー』が収まる空間の容量 C[F/m] と、『エネルギー』の流れる誘導L[H/m]の空間概念だけは取り入れた。『エネルギー』の伝播方向に対して、単位長さ当たりの解釈法で統一した。LCの共振現象で『エネルギー』は空間を伝播する。それが『エネルギー』の象徴たる『光』の縦波伝送現象の姿だ。

複雑を嫌う『禪』的な自然に溶け込む思いが先の図になったのかも知れない。

数学の『√ 記号』が魔法の衣に思えた。『エネルギー』は実在の物理量だ。しかし、それを平方(√)に開いたら、どう考えても自然世界に存在する物理量と思うには余りにも違和感で、その概念を心が受け付けない。『電圧』、『電流』が科学技術概念と捉えて利用する限りにおいては何の違和感もない。有り難い優れた概念である。しかし『電荷』で『電圧』を解釈する物理学理論はハッキリ言って自然界に存在しない、誤った間違い論である。教育で教えるべき概念ではない。

この事を科学者それぞれが考えて、意見を表明しない限り、未来の子供達への道標を示せない筈だ。『教育』の荒廃が続き、『学問の自由』が業界圧力によって踏み躙られてしまう。それは、みんなの生活の自由の根源ともなる事柄である。

分かった!より はてな?

人も生まれた時は何も知らない。

生きるために、空気に触れて産声と呼吸。口から母乳で消化器官が機能し始める。

命のプログラムが自動的にスイッチオンする。何も考えずとも、生きてそして死を迎えるまで、不思議な生命制御の仕組みが始まる。どの様な仕組み、遺伝情報、生活環境など複雑な人生行路で、個性が際立つ一人の人になるのだろうか。行く先の見えない歩みが始まる。

 

振り返れば、“はてな”と思う事ばかりが増える。

何も知らずに過ごしてきた。

“はてな”に会って、科学理論のすべてに疑問が膨らんで、とうとう『電荷』の否定への確信となった。決して科学論の世界では受け入れられない暴論として、排斥されるだろう。原子構造論まで否定する事に成るから。それでも自然世界に『電荷』は存在しない、人間が仮想した間違った物理概念だった。科学理論とは何か、その社会的意義を人に問う命題となった。

辞典で調べた。

分かる・解る・判る。それは、①区別が明らかになる。②理非が明らかになる。事実がはっきりする。知れる。「とかく理非がわからぬ(狂言・羯鼓炮碌(カッコホウロク))」

はてな。怪しむ時、考える時などに発する声。“はて”の意を強めた言い方。「はて、こちらへは帰りませぬが(狂言・貰婿)」

等とあった。

科学理論は、自然世界の真相を明らかにする事より、人の生活に便利で、有意義な結果をもたらす解釈論を、理論としての価値が有意義と見做す基準から計られる。そんな思いに自分を“はてな”が連れてきた。

『電荷』への科学的信任の如何は、今やすべての皆さんに関わる教育的問答のように思う。

『我』とは何か❓

突然のTwitterの変乱に驚いて。

私は私でないのか?

驚いて、振り返った。

『エネルギー』が自然界を支配している物理量だ。質量や分子は顕微鏡などによってその実像を観測できるようだ。しかし『エネルギー』は目の前の自然界の空間に実在しても、その像が見えない為に物理学の概念量として認識されない。光が在る事は分かっても、その光の『エネルギー』の実像を認識できないが故の驚くべき、認識矛盾の現代物理学理論だ。止む無く自然界に存在もしない『電荷』や『電子』が仮想的な理論的論拠概念として代用される事になった原因だ。

生命現象を司る生体の情報統合はその『エネルギー』による以外困難である。分子の流れる伝達速度は遅く、神経情報の伝達には間に合わない筈だ。心・精神と言う人が生きる根幹を支配する、その『エネルギー』への思いを記事にしてきたように思う。生理現象や医学には全くの無知ではあるが、自身の『我』という存在を心の働きの視点から内省しながら、思いを綴ってきた。電気回路の電磁伝播現象も身体の分子生物・医学的分野以外の生理現象も、情報伝達現象としては『エネルギー』から統一的なものと見做せるだろう。

はじめは2010年の

1.基礎科学とは何だろう から始まり、

2014年に自身の生物学への無知を改めて意識し、少し基礎を考えた。その年は特別に多くの関連記事を投稿していた。

2.脳と生体制御の謎 (2014/03/21)

3.生命の本質 (C.H.ウォディントン著)を読んで (2014/04/06)

4.細胞分裂の意味を問う (1014/04/18)

5.染色体と遺伝の仕組み (2014/05/08)

6.生命の始まりと脳 (2014/05/11)

7.脳の機能と個性 (2014/09/05)

8.アミノ酸(amino acid)を追って (2014/11/06)

9.ニューロン(Neuron)を尋ねて (2014/11/13)

10.細胞とその機能 (2014/11/18)

11.人の色覚と三原色 (2014/12/11)

12.意識とは何か (2015)。

13.生体電流と生体制御 (2017)。

14.生命活動とエネルギー (2018)

15.ヘモグロビンは何処へ行く (2021)

どういう訳か、考える基点とその方向が科学的常識と違うようだ。生きるための、憲法で保障された、文化的でと言う条件も最初(1939年12月1日:舞鶴鎮守府への戸籍転籍【内務省?】をされ、戻った記録の痕跡が無い)から無かったのかと煩悶しながら、科学基礎概念の『電荷否定』と『エネルギー一筋』の道を追い求めて、今は確信に至った。その反科学常識の自分の生理的思考の軌跡をまとめておきたかった。

禪に導かれて

 1985年7月1日付辞令

(松永 光 文部大臣):長岡工業高等専門学校助教授は直ちにその日に履歴書で『以下余白』と消えた。高橋校長名で!本人が知らずに何十年も過ぎて気付く人事問題は、法治行政(憲法上)としてどの様な論拠が在るのか、その訳が不可解❓1979年7月の文部省主催の『工業教員指導者講習会』への、公立学校共済組合非加入者のアルバイト教員の参加の有意性の意味と合わせて考えれば、ますます不可解だ❓1980年3月31日と1980年4月1日の職歴はどう理解すれば良いか?

 禪と科学 (2011/06/20) の冒頭に載せた達磨図だ。『空』は世界のすべてがそこから始まる。そんな思いを表現した。

家の宗派が『曹洞宗』の関係もあってか、禪を身近に感じていた。然し、その説く思想は理解しかねる不可思議な魅力を秘めていた。その事は禅と日本文化 を読みながら考えた (2013/09/08)-Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture. (1938) の訳本-にも述べた。

今日再びその本を開いて、偉大な 鈴木 大拙禅師の思想に触れたくなった。第一章 禅の予備知識 だけでも理解困難である。2013年頃より、今は少し、電気回路現象で自然の深い姿に触れられたかと思う心境にある。その道標は、長く禪の御蔭に負っているように感じる。基本的に、禪は生きる上での、異変、緊急事態にその真価が現れるように思う。異変に気付いた最初が、昭和61年春4月、ずっと後から気付けば、そこに歌があった。『愛燦燦』、『暴れ太鼓』、「みだれ髪」そして「川の流れの様に」と。まさか舞鶴鎮守府が待っていたとは知らなかった。

ここには七つの文章にまとめられている。

『精神』と言う言葉がある。その意味はこの禅的思想の中でどのような具体的な事を指すのか。

と自問してから考えた。『精神』の対極語は何か。何時も使う言葉でありながら、その意味を即座に述べられない事に戸惑った。対極語は「物」として見えるものになるかと思う。そこで初めて『精神』が目には見えない事に気付いた。言い換えれば「心」とも言うかもしれない。「心」も見えないから。『精神』とは何かは、これぞ禅の問答かも知れない。人は見えるものに意識が向く。科学理論も、物理学理論もその科学的検証が求められる。それは見えるもので無いと検証できない事であるとも気付かされる。だから科学と禪は両極に対する事に成りそうだ。

科学は⦅見えるもの⦆が対象で、禅は⦅見えないもの⦆が対象となる。と言い切っても良さそうだ。

⦅見えないもの⦆の代表が『精神』だ。その『精神』が司る対象、その結果に起こる事象、それも目に見えない『エネルギー』だ。意識、心も『エネルギー』の及ぼし合う現象世界と言えるようだ。

ニューロン。情報伝達信号も『エネルギー』が担う。決して物では困難だ。『精神』と言う言葉の意味を今までほとんど考えてこなかった。会話も、人同士の間の、その精神活動なのだ。そこには何も⦅見えるもの⦆など無い。それは人や生物が生きるに、基礎代謝と言う『エネルギー』を消費して体温を賄う生体の物理現象と同じく、基本的には見えない『エネルギー』に因って司られている自然現象の真理なのだ。過去に素人ながら、この生理的意味を考えた事があった。ここで少し振り返ってみよう。

脳の機能と個性 (2014/11/02)に

載せたのが右図だ。当時は無意識であったが、今思えば、『エネルギー』と言う目に見えない自然界を支配している空間に実在する物理量を意識して描いたものと分かった。

その他、脳の生体制御の謎 (2014/03/21) や悟りとは?₋色即是空の世界観‐ (2014/o3/25) (とても僭越な物言いでお恥かしい内容だ)。最初が、『基礎科学』とは何だろう (2010/11/02) であった。これらはみんな、素人の感覚的解釈論と言われても良いものだ。何も科学論と言うべき、所謂科学的データによる裏付けが何も無いから。電気回路と同様、生体情報伝達機能を担うものは電流でもなければ、『電子』でもない。それは『エネルギー』の波形とその光速度伝達現象である。『物質』では高速度反応に応えられず、生体の総合的制御機能を統合できないと考える。生体の『エネルギー』に負う意味を考えるべきだ。物理学は「物」の理学だから、「物」でない『エネルギー』の科学論には成れないのかも知れない。精神・心が物で測れない訳だから。

考えてみれば、電気回路現象の『エネルギー』伝播の解釈も基本的には、殆ど実験データによる裏付けが有った訳でもない。ただ、直覚的な思いを元に世間の常識を無視して、勝手な解釈を展開していると見做されるかも知れない。しかし、どう考えても自然界に『電荷』など有り様がない。そこだけは科学の常識が間違っている。常識で「在る」と言う『電子』などを「無い」と言う論拠を示すことが如何に困難かを知った。『静電界は磁界を伴う』の実験的データを発表してから。科学理論と不立文字の関り論だったかもしれない。

日本国憲法 第53条 日本語の意味

今朝の新聞(新潟日報)記事。

国会召集放置は「違憲」 元最高裁判事、異例の意見書。

と言う記事を見た。

問題の憲法の条文は次のようだ。

第四章 国会

(第四章 国会 に関して、第四十一条 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。から、第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判・・。の24か条からなる。)

第53条 内閣は国会の臨時会の招集を決定することが出来る。いづれの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

その内の、その条文の太字の部分に関する解釈の問題である。

今日の新聞記事に驚いた。

憲法は、その日本語としての文章はとても易しい表現で、誰もが理解し易いものだ。

今回の事件は、三権分立のとても具体的な、間違いようの無い筈の解釈が、実際の政治の問題として、内閣の読解力に疑問を抱かざるを得ない事案となっている。

問題は、臨時会を要求したのに、結果的に内閣は臨時会を招集しない事に成った。その事に対して、加藤勝信官房長官は今月一日の記者会見で、「内閣に委ねられている」と述べた。

と言うのだ。更に過去の、安倍内閣時代(17年6月)の同じ臨時会の要求に対する、訴訟に対する東京、岡山、那覇の3地裁の問題も指摘された事の内容の記事。

易しい日本語の読解力の問題でしかない筈だ。

「・・の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と言う文章の何処に、「内閣に委ねられている」という意味が有るのか。

ここ迄「日本国憲法」の読解力が曖昧では、政府、内閣の政治的機能を信用できない。己の日本語の読み方、読解力も小学校の入学(舞鶴❓ーどこに入学したかの日本に記録が無い)からやり直さなければならないかと不安と不可解に悩む

 

1945年9月2日の不可解

1945年9月2日は忘れてはいけない、日本の第2次世界大戦・太平洋戦争の意味を考える特別の日だ。

とても不可解に思う事がある。

その時期は立春から数えて210日前後に当たる。その日は昔から台風が押し寄せる災害の特別の日として注目されていた。(最近の豪雨災害など自然災害の時期は全く時期的には違ってしまったのが事実ですが。)

今でも特別な意味で、テレビの映像で目に焼き付いている光景がある。未だ昭和30年前後と思うが、家にはテレビがあったように思う(?)。多分その頃見たものと思うが、時期はもっと相当後(1970年頃)であったかも知れない。横須賀沖に、アメリカ海軍の『ミズーリ号』が停泊し、その艦上での無条件降伏の調印式の様子の写真が教科書にも載っていた。その日、1945年9月2日のテレビ映像が印象的に脳裏に焼き付いている。

ミズーリ号艦船の側壁で、波打つ海上に浮かぶ比較的大きな『ゴムボート』があった。その海上の『ゴムボート』から縄梯子を昇る日本代表団の姿があった。日本代表団は重光外相以下数名であったと学習して、記憶している。この事を或る日外務省にお尋ねした。驚いたことに、アメリカの『ラウスダンカン号』が日本から『ミズーリ号』までの送迎をしたとの回答であった。そんな話は嘘としか信じられない。

今検索すると、全く『ゴムボート』の話はどこにも無く搔き消されている。『無条件降伏』の調印式に連合国の代表たるアメリカが、敗戦国統治をこれからしようとする日本の代表団の送迎のお手伝いをするなど、外交の手続きであり得る訳が無い。まだ何も始まっていない戦後処理の最初の調印式前に。

過去の歴史の真実を捻じ曲げたり、隠したりしては、その未来は大変危うい事を知らなければならない。それでなくても、戦争を知らない世代が殆どに成った今だから。政治を司る政府、政治家もほとんどが戦争を知らない。それでなくても、過去の汚点は隠したいのが人の思いだろうから。

歴史の真実は、横須賀沖に停泊した艦船『ミズーリ号』に、台風の時期の波に揺れる『ゴムボート』で船壁に辿り着き、縄梯子を昇って代表団が『無条件降伏調印式』に臨んだのだ。そのテレビ映像が何処かに隠されている筈だ。

8月28日、厚木基地にマッカーサー元帥が初めて日本に降り立った。その5日後の事だ。

ヴァイツゼッカ―元ドイツ大統領に思う (2015/02/15)。とても感銘を受けた方の話でもあった。

雷と科学論

雷様と呼ぶ。様付の自然現象・天空の光と音の饗宴。

誰もが知っている。ベンジャミン・フランクリンの名前も雷とのつながりで知っている。

恐ろしくて、恐怖も不思議な、知りたい科学論。しかし世界は存在もしない『電荷』で覆い尽くされているこの怪奇な科学理論の世界?そんな如何わしい科学理論の世界が許せない思いで再び取り上げる。

雷と電荷の物理 (2021/06/22) でも取り上げた。いつまでも未練を残して、専門家の科学論に抵抗する。電荷と科学リテラシー (2021/02/10)。

先日も「雷の正体」とgoogle で検索した。そこには子供たち向けの多くの解説記事が昇る。殆どが、上空の雲の中で、水蒸気から出来た氷が上昇時に、摩擦で電気が発生するとある。古くから研究所などの専門家がそのように話し、そのような解説をテレビで取り上げて放送している。筆者も雷の正体として記事を投稿している。7ページ目に検索に現れた。

日本の電力中央研究所の解説記事もそうだ。

何処でも、誰でも、特に科学者と言う研究者が『電荷』が自然界の基本物理量として唱え、主張して社会的専門家として敬われ、尊敬されている現実の世界の科学常識だ。

そんな中で、おそらくただ一人筆者は『電荷』など自然世界には存在しないと30年以上前から唱えてきた。

『雷』は自然科学理論の真相を解剖するに最適な論題である。

希望がある。

市民討論会で、論壇で有名な科学者と討論して、市民が視聴して判断する機会が在ればと。何処で、誰が、どの様な訳で、『電荷』が物理学理論の根幹を支える基礎概念となったのか。その真相を明らかにすることが科学教育、市民科学リテラシーの為に今こそ考える課題だ。子供たちに「嘘」の教育が為されてはいけないから。科学者の社会的責任の為にも。考えない科学理論は良くないよ!専門家と言う狭量科学理論からの開放の為に。

科学の市民による民主主義の論壇となれば。民主主義の科学論の土俵が欲しい。

電磁気学の論理性❓

物理学の基礎分野に電気磁気学がある。

最近科学論に疑念が膨らんで遣り切れない。

みんな自分の心に生じるものだから、自己責任という事かも知れない。

一つの代表例として「電気磁気学」を取り上げる。

それは『電気』と『磁気』がその基礎概念となっている。

大学の授業で取り上げる内容の代表例が「マックスウエル電磁場方程式」であろう。『電界』と『磁界』がその専門的学理の理解の基礎概念となっている。

『電界』は『電荷』が定義されて初めてその空間概念が確定して、理解できる。『電荷』同士の間に様々な空間的関りが生じる現象の解釈論である。『電荷』には二種類がある。『正』の電荷と『負』の電荷である。しかしその『正』と『負』の空間的違いが如何なるものかについて解説した理論・論理を知らない。昔から先生が仰ったことや書物に書いてある事から、間違いのない真実と信じて疑わずに来たのが『電荷』の実状である。

その科学理論の根本を疑い、『電荷』の実像を理解しようと孤軍奮闘してきた。多くの電気磁気学の法則を考え併せて、その最も基本である『電荷』の概念とその真相を探る発表が『静電界は磁界を伴う』であった。

今改めて、問わなければならない。

大学で電気磁気学を講義されておられる先生方に。『電荷』の空間像をどの様に認識なさって居られるかと。ただ意味も無く『正の電荷』と『負の電荷』が引合うのだと述べるだけで、そこに学術論としての論理性が在るのですかと。

一定の変動しない高電圧を掛けた電極版の間は静電界と言う場の筈です。電気磁気学では『正の電荷』と『負の電荷』が両電極版に集合して、その向き合う空間が静電界と言う場になる。電気磁気学では、その空間場には決して『磁界』は存在しない筈です。

さてそこで、もしその空間が『磁界』で、コンパスが決まった規則による方向性を指すとしたら、その現象を電気磁気学でどのようにご説明為されますか。

その解釈には、『正の電荷』と『負の電荷』の間に何故引合う力が生まれると解釈するかの論理的説明が必要でしょう。『正』と『負』の間にどの様な力の概念が生まれると考えるかの論理性の問題でしかない。『電荷』には、運動力学の基本である『力』を生む対象の慣性は定義されていない筈です。物理学理論の『力』の定義に関わる基本問題の筈です。ニュートンの力学理論を御理解なさって居られれば、力と慣性は表裏一体の基本概念である筈です。『電荷』には慣性は定義されない筈です。なのに何故『力』が発生すると解釈できるのですか。

『磁気』に関しても同じ論理性の問題がある。N極とS極と言う定義概念の、その本質は何ですか。磁束が空間に伸びている像で捉えるようだ。『磁束』は力の原因となるのですか?『磁束』には力学理論の論理的対象としての『慣性』はやはり無い筈です。何故『慣性』の定義されないクーロンの法則が『力』の法則として成り立つと解釈されるのですか。『力』は慣性で抵抗があるからこそ生じる概念ではないのですか。慣性が無ければ、瞬時に無限速度で力の対象が消えてしまう筈です。それが科学の論理性ではありませんか。

電気磁気学と言う余りにも、現代物理学理論の根本理論であり乍ら、極めて曖昧な矛盾論が科学常識として大学で講義されている現状を如何に認識されているのでしょうか。

30数年前の『静電界は磁界を伴う』の実験的検証の意味を問うのです。

SDGsと温室効果ガス

IPCCから世界気温の見通しが発表された。

残念ながら筆者にはSDGsに関わる「温室効果ガス」という意味が理解できない。多分、主に二酸化炭素CO2の事ではなかろうかと思う。さらに、驚いた事に牛の吐き出すゲップが温暖化に関わるようなテレビニュースの話があった。

『気温』で平均値とはどの様な測定法に依る値(定義値)かを知らない。地球温暖化は今年の連日の35度を超える状況は既に異常である。

科学者の発する論理に大きな疑問がある。日々の豪雨災害や森林火災を目にして、気温だけの判断で未来の環境を予測できると考えているのだろうか?

地球環境における『エネルギー』の消費総量を評価せずには、未来への的確な評価は出来ないと考える。

地球の熱エネルギーは、人間の経済活動による消費エネルギーがその主体を成している。『クーラー』も地球への熱発生源としての『エネルギー』消費設備である。地球上での、その熱エネルギーの年間の総発生量が幾らで、その発生源が何か、更にその発生の技術的分野別比較の総合的評価が欠かせない。科学技術の総体的認識眼が無ければ、SDGsの目標を確定することは困難である。

熱エネルギーの評価で、地球環境を評価するに、北極・南極の永久凍土の年間減少総量の算定が不可欠である。発生熱量をその氷が身を削って地球環境の過熱化を少しでも補っているのである。消費燃料の総量、核燃料の消費による発生熱エネルギー量など総合的評価が科学者全体の総力で成されなければ、一部の科学的知見など全く信用できないのだ。気温の影響がどれ程かを理解できる科学的知見には成っていない。

海の温度がどれ程大きな地球環境に影響を及ぼしているかが分かっていない。海の温度が、水蒸気の発生量に影響しており、豪雨災害の主原因になっているのだ。その水蒸気が地上で雨となり、水蒸気の保有していた「熱エネルギー」が地球の気中の高温化となり、フェーン現象の基になっているのだ。フェーン現象の熱が山火事の発生源であるかも知れない。原子力発電が温暖化の『温室効果ガス』発生の抑制になるなどの妄言が発せられている。業界ごとの科学的業界解釈が地球環境を破滅に導いている事を知って欲しい。

物理学理論に、空間の『エネルギー』の実在認識が無い科学理論を市民が理解しなければならないのだ。市民の科学認識が問われている。水素発電や燃料電池自動車も二酸化炭素は発生しないが、大量になれば水蒸気の発生源として環境に影響を及ぼす。さらに電気自動車も同じくその発電エネルギーは発電所の熱効率の問題を考慮しなければ科学的総合知見としての評価は難しい。それらがすべて、未来への姿を予見するに足る科学的知見でなければならない。