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不快メール

内閣府の緊急情報(2017/08/30?)
一昨年の8月末に内閣府から災害情報として携帯電話メールが届いた。と同じ時間でもう一つ、意味不明な携帯電話メールが届いた。文面はうろ覚えだが「お疲れ様。」と言うような物であった。全く覚えが無いので、「人違いではないですか?」と返信した。

その後同じような意味不明の不快メ-ルが月に2,3回定期的に届き、2年目に入った。

2019/01/28 また来た行政機関の不快メール?。

アドレス:sakura.a0717reference@mopera.net    題:お久しぶりね

文:メールアドレスを変更した―/週末どこ行く?-END- (漏洩元はNTTとなるか?NTTからの連絡メールしか来ないから)

今年も1月5日と9日に来た。

2019/01/05 アドレス:shirori.y1031comduct@mopera.net で表題:久しぶり~。文面:アドレス変更した―!今度飲みに行きませんか?-END-

2019/01/09 アドレス:makana.m1202compiant@mopera.net で標題:メアド変更したー!文面:あけおめ!来年もよろしく!-END-

実は携帯メールは10年程使っていないのに、突然内閣府のメールと同時に意味不明のメールが届いた。それ以降、同じ不快なメールが届く。警察か内閣府かに関係したものとしか考えられない。

先日、とても気掛かりな記事が新潟日報新聞に載った。検察当局が『捜査関係事項紹介』での情報取得手法について。

捜査機関・警察などが問い合わせれば、情報が不法に渡される。この記事から不快メールの基も、そこに関連していると、繋がって見える。

晩秋の色

地球が回れば自然も移ろい行く。

 

出猩々

出猩々の暮れ

春までのイワヤツデ、じっと待つ。

野紺菊秋の色を放つ。

秋アカネ(雌) 懐かしい日本の秋を彩る秋アカネの大群が見られなくなった。10月10日前後が空一面を焦がす程の大群がアルプスの山から里に戻って来る。今は僅かに見かけるだけになってしまった。それでもきっと田んぼに子孫を残した後の姿。
シャコバサボテン

夏の景色と光

暑い陽射しの中に。

佛相華(ハイビスカス)、富貴草(フッキソウ)、紫蘇。強い日差しの中に咲く。この鮮やかな彩りに感嘆。光に色がある訳ではない。この緑色と赤。同じ陽射しの光を受けて、その輝く色が違う不思議。緑は葉緑素の色素の色と簡単に解説される。光の波長は変化する筈だ。こんな景色にも解き明かせない自然の姿がいっぱいだ。地球の生命よ永遠に有って欲しい。

色素とColor cell 物には色彩がある。光には色彩は無い。すべての光がエネルギーの空間分布である。その分布波長が様々なだけである。色彩は光を受けた人がその光の波長の組み合わせを識別して、色彩を独自の人の神経機関の創りだす結果として評価しているだけである。同じ光を受け取っても、人と動物あるいは虫の認識する色彩が同じ訳ではないだろう。人の比視感度曲線を考えても分かろう。色彩豊かな揚羽蝶の翅の色は光と色彩の関係を考える例になろう。翅に当たった光は翅の織りなす空間構造内で波長変換して再び放射されるのである。その波長変換する空間を Color cell と名付けた。絵を描く絵具がある。絵の具には独特の色合いがある。その色を色素と解釈するのだろう。光に色がある訳ではないのに、絵具の色を反映する光はどのような意味を持っていると考えれば良いだろうか。色素とか物の色とかは光の物理現象としてどう理解すれば良いだろうか。光とその共振する空間構造との関係で色彩が決まると解釈する。絵の具の分子構造が光の波長変換により色を演出する。

記事『気圧と圧力単位』の削除について

筆者に二つの誤りと誤解があった  誠に申し訳なく、記事を削除させて頂いた。その理由を述べたい。

記事

削除の訳となった記事の部分。定義式の2点について間違った解釈をしていた。

 

誤りと誤解について

第二の間違い

以上の二つの点の誤りに気付いて、混乱しながら記事を削除させて頂きました。御迷惑すみませんでした。記事は復元し訂正させて頂きます。

太陽系はどのような力学に因ってその位置に存在するのか?

取り止めもない愚かな疑問が不図浮かぶ。宇宙理論を支配しているのが重力のようだ。太陽系を系の外から見ればどんな星座に見えるのだろう。恒星は太陽だけだから一つの星に見えるのだろうか。太陽系自身は一つの星座形を成しているがその運動方程式はどのように描けるのだろうか。何故回転軸を持っているのだろうか。万有引力則で解釈できるのだろうか。とても不思議に思える。太陽系全体の回転エネルギー流分布が決めているのだろうか?

衛星放送の電磁波方程式を解剖する

1864年マックスウエル電磁場方程式が世に現れた。ファラディの電磁誘導の発見から30年程経った。1887年、ヘルツの実験(感応コイル間での火花放電信号の空間伝播)で証明されたのが、ヘルツは無線通信の可能性を否定していたという#文献#。イタリアのマルコーニが1896年3kmのモールス信号による無線送受信に成功。無線通信は海軍の軍事利用や、1912年タイタニック号沈没事件で、無線通信の義務化などの話が#参考文献に面白い#。

1930年半ば過ぎには、アメリカ全土にラジオ商業放送が行き渡ったと。テレビ放送から、衛星放送更には携帯通信器、IT通信と現代生活に電波通信は必須の科学技術となっている。その通信技術の理論的原理はマックスウエル電磁場方程式をその根拠にしている。学校教育ではその方程式が電波信号伝播の欠かせない知識として教えられている。結構難しい偏微分の数学的素養を要求されることになる。本当にその方程式しか電磁波の伝播現象を理解する方法が無いのだろうか。

マックスウエル電磁場方程式の意義 今まで、長い科学技術の理論的根幹として、歴史の中で学校教育を通して世界の模範であった。しかし、もうそんな難しい微分式を使わなくても、光の縦波の伝播現象と同じ見方で理解できる筈である。星の姿を捉えるのに、電界や磁界など全く関係ないのである。星の光は、何も星が放射信号を制御して放射している訳ではない。ただ光の量を歪みなく反射望遠鏡(パラボラ球面鏡か放物面鏡かは知らない)で多く取り入れるだけで鮮明な星の姿が見えるのだ。それは光がただエネルギーの縦波でしかないからである。光と電磁波は同じエネルギーの縦波でしかないのだ。

衛星放送電磁波衛星放送電波 衛星放送を例に、その電波送受信機能を電磁場伝播方程式の電気的概念でどのように理解できるかを考えて見よう。衛星放送の特徴はその電波送受信方式の基本にパラボラアンテナを使う事である。パラボラアンテナは反射望遠鏡の反射面と同じ放物線の曲線から成り立つ球面に成っている。その様子を図で上に描いてみた。衛星も電磁波の送受信にはパラボラアンテナが使われる。勿論衛星放送の受信にはみんなパラボラアンテナが必要である。

放射電磁波 衛星からの放射電磁波はパラボラアンテナの中心軸に対称な球面波として放出される。その電磁波の有る立体角の波面を受信パラボラアンテナで捉える。その僅かな球面波の部分で、もしマックスウエル電磁場方程式を考察対象として取り上げるとすれば、その面で変位電流、電界および磁界の空間ベクトルを決めなければならない。元々衛星からの電磁波の電界、磁界のベクトルを決めなければ、受信面の電磁波の電磁界ベクトルを決める訳にはいかない。衛星からの放射電磁波は先に言ったように、軸対称の球面波である。放射源からの立体角内ならどこからも同じ電磁波を受信できる。従って、電界、磁界および変位電流のベクトルが軸対称に描けなければならない筈だ。衛星のパラボラアンテナから放射された電磁波の球面に、その電磁波の変位電流、電界および磁界を描けるだろうか。中心軸上の電磁波が一番強い筈だ。中心は軸に対称に電磁界は分布している。その最も強い中心軸の変位電流が描ければ、マックスウエルの方程式の有用性も理解できる。電界、磁界の模様が空間に描けないと私は理解できないのである。難しい数式よりも、目の前に空間を仮想して、そこに電磁界などの様子を描く事から始めて、それを数式に表現する手順を踏むのが日頃の思考方法である。だから抽象的な数式表現は能力不足で、不可能なのである。

電磁波の形 放射された電磁波は要するに縦波のエネルギー密度波でしかないのだ。そのエネルギー密度は軸対称の電球の配光曲線の球面の分布面と同じでしかない。ただデジタル信号波によるエネルギー波の縦波である。だからどこで受信しようとそのエネルギーを捉えれば同じ放送が見られる。何も電界,磁界など理論は要らないのだ。エネルギーの強さだけである。放送技術はその中に想像もできない技術革新の積み重ねによって可能になっている事は忘れてはいけない。その恩恵を受ける事に依って、現在の生活が成り立っているのだ。技術への感謝と、マックスウエル電磁場方程式の意義は全く違うのである。光のエネルギーの縦波伝播を理解すればそれで十分である。空間エネルギー波は数式に表現できないから、理論式化としては難しいかも知れない。空間分布波形は厳密には、正弦波形とは異なるだろうから。

#文献#電気の技術史 オーム社(山崎俊雄、木本忠昭共著)。

空理空論の法則を斬る

自然科学の根源的概念『電荷』によって全ての理論が構築されて来た。フランスの物理学者クーロン (Charles de Coulomb (1736-1806)) の功績をたたえて、その電荷の単位「クーロン」を[C]と頭文字で表記した。世界には二種類のプラスとマイナスの『電荷』があり、その二つの関係で、全ての自然現象が理解できると考えて来た。そのクーロンが唱えたと解釈するクーロンの法則がある。クーロンが活躍した時代は18世紀であろう。その唱えた法則がクーロンの法則であり、電荷間の距離の逆2乗に比例して、二つの間の力が決まると言う考えの法則である。距離の逆2乗則という。この距離の逆2乗則という自然解釈法は、ニュートンが最初に唱えたのかと理解している。余りにも有名なイギリスの物理学者で数学者の(Sir Isaac Newton (1642-1727))が地球上の落下現象を見て、全ての物の間には「万有引力」という力が働くと解釈した。その力が国際単位でニュートン[N]と決められ、二つの物体間の中心距離の逆2乗に比例した力[N]が生じると唱えた。クーロンはその法則が電荷間にも適用できると見做したのであろう。『電荷』否定から、電気的な意味はクーロンの法則を斬るで論じた。
『重力波』 現代物理学の研究対象として世界の物理学者の多くが取り組んでいる研究課題に『重力波』の観測がある。ニュートンの重力理論が宇宙にまで及んで、その星の生成・消滅時に『重力波』としての現象を検出しようと言う研究であろう。そんな衝撃波は何も『重力波』などではなく、普通の爆発の衝撃波でしかない。前に、NHKの朝のニュースで、トランポリンの振動に関係付けての『重力波』の解釈説明があったが、余りにも幼稚過ぎて話しに成らない『仮想話』と思った。そんな研究の原点もニュートンの万有引力則があるからである。

逆2乗則の変数『距離』の意味 何故『距離』が力の大きさを決める物理的原理と成るのか。そんなに『距離』は力の変化に影響を及ぼす意味を持つのか。筆者は『否』と主張する。皆何故かを考えていない。林檎が下から上空に向かって勝手に飛び上がる様な自然現象は決して無い。上から落ちるだけである。水力発電所の水の力も、水圧管を通して上下の落差で、はじめて有効なエネルギー源として利用可能である。決して逆な上下の力学的関係は起きない。だからニュートンが唱えた「万有引力の法則」が極めて理解し易い現象説明の法則に成っている。しかし、決して「万有引力則」も『クーロン則』も実験的に確認出来る訳ではない。実験的な検証はできないのだ。地球の質量など分かりっこない。『電荷』の量など検証できない。

クーロンの法則ー空論之法則ー 少し皮肉気味であるが、『電荷』など存在しない事を物理の基本に据えることが教育上避けられない。そんな緊急な教育上の意味も載せて皮肉交じりの絵図にした。

空論の法則斬り

標題『空理空論』の文字の意味 筆者も電気技術者の心算で電気工学に関係して来た。それが『電流』も『電荷』も自然世界の真理を理解するにはすべて邪魔物であると覚悟して来た。今考えれば、何と世界の自然科学が虚偽に満ちているかを認めなければならない事態に付き当たってしまったと面喰っている。自己否定から始まったような科学漫遊の旅もそろそろ終着駅に着く頃かも知れない。高度な数学式で表記される現代物理学の内容が、理論と成るとすべて怪しく観えてしまう。数学の現代科学技術社会を支えている実用性は極めて有意義であり、無くてはならないものになっている。しかし理論物理学に対しては、とても信用できるものとは納得できないで、自身でも困っている。日常生活者の視点で自然現象を観る姿勢が大変重要と感じる。

科学漫遊の旅 一介の中魚沼郡から出た田舎者。3年もの浪人生活でやっと大学入学を果たし、工学部、電気工学科卒である。今では学歴社会で、学卒等学術世界では価値が無いとみられる。しかし、今思うに世界の物理学の根本は私の科学的感性がひと際重要であると考える始末に成ってしまったことをどう取り繕えば良いかと収拾できない処で、結末を付けなければならない。自然科学という学問分野は裾野が広く、なかなか全体を見通すことは無理なようにも思えるが、世界に『実在』する『エネルギー』という物理量を感覚的に感じられれば、自然世界を思うがままに俯瞰する十分な基礎を会得したと考えて良かろう。『エネルギー』を認識するには、結局『電荷』を否定する事でしかない。『電荷』で科学理論を取り繕って来たことに科学の権威化を産み、市民から乖離してしまったと観る。筆者の辿った道はただ一つ『電荷』否定への道 (2014/06/03)であった。様々な分野を尋ね歩いたその様子を帆掛船ー面舵取舵梶の跡ーに纏めた。

放射性原子核物質

(2014/08/19)昨日は火事でもないのに、前の道路に梯子車の大型消防車と救急車が留まっていた。総務省の関係か?今日も大型消防車が前の道路に留まっていた。胸糞悪い鐘と同じか。

福島原子力発電所が崩壊した歴史的事実をどう捉えるかは科学技術社会の生き方を考えると同じ程大切な事である。『原子力平和利用』という国際的用語がある。平和と付けば、良い事のように思い易い。その現実的世界の姿は『原子力発電所』である。しかし、『原子』とその「放射線」の物理的意味さえ科学的な認識が正しく確信的であるかと言えば、『否』と言わなければならない。放射線が粒子か波かも曖昧なのである。『エネルギー』の意味さえ捉えきれていない物理学理論であれば止むを得ない。人体への放射性原子核物質の影響を的確に捉える事も出来ていないのである。年間許容の放射線量という言い方も、極めて曖昧な科学認識に基づいているのである。筆者のような学術機関に属せずにきた、いわゆる素人がそんな大それたことを言っても何の影響も無かろう。しかし、放射線医学の専門家の方々が、統計的に過去の放射線量の医学的資料を把握しているから、それに基づいた標準的判断と評価は認めなければならない。問題はそのデータが原子核理論の不確定な部分に依存していることからくる、評価基準のあいまいさは逃れられない。時にいい加減な専門家群が政治的な関係から曖昧さを更に悪用することが起こり得ると言う危険性を、専門家村は持っている。『電荷』の否定が原子核理論の根幹を揺るがしているから、曖昧さの科学理論と言う事になるのであり、それがまた残念なことでもある。

書き出し(8/14)のまま下書き保存もうまくないので公開する。今朝(2014/08/17)の朝日新聞に政府広報「放射線についての正しい知識を。」が載っている。「放射線の線量」ミリシーベルトの単位の意味が気になって書き出した記事であるので、政府広報を参考にして少し考えてから、まとめたい。

政府広報を参考にして 読ませて頂いたが、やっぱり殆ど理解できない。政府広報の標題が「放射線についての正しい知識を。」である。科学用語を使うには、その用語の科学的意味が明確でなければ何の説明にもならない。専門家群の為の共通理解用の専門用語では本当の専門家ではない。その用語の意味が市民が理解できるような解説でなければ意味がない。その市民の為の科学者であり、その処遇で保障されている訳だ。誰もが理解すると言う事は、日常用語で翻訳して誰もが分かる理屈の通る解説でなければならない。評価基準は何何ミリシーベルト[mSv]という単位で解説される。100mSv以下であれば安全だ。というとき、それは(100[mSv])どんな意味を含んでいるのか。物理学では、単位1[Sv]=1[J/kg]の換算である。シーベルトとは日常使うMKS単位系では全く使わない。そこで、熱エネルギーの単位ジュール[J]なら、何とか理解につながる可能性がある。そこで、1[kg]当たりのジュール[J]量がシーベルト[Sv]という事になるが、その1[kg]当たりという1[kg]は何を指しているのか。計測量を普通の野外計測器で測るとき、何[kg]当たりという、計測対象の質量[kg]を計っているのか。そんな幼稚な基本的評価に関する量的基準値が理解できない。専門家とは、そのような専門的評価量を噛み砕いて、一般の市民が分かるように解説して初めて専門家と言える。今回は、東京大学医学部付属病院 放射線科準教授 中川恵一氏が解説されている。更に国際原子力機関(IAEA)保険部長《当時?》 レティ・キース・チェム氏である。筆者のような素人は、何[kg]という「何」を計測対象の人の体重かとも勘違いしそうである。何のキログラムかさえ説明がない。政府広報としては、一般の市民を対象にした広報であるから、市民が理解できない数量を解説しても税金の無駄使いである。その事を良く心掛けて欲しい。

100[mSv]とは? どうも話によれば、年間被ばく量が100[mSv]以下であるかどうかの話のようだ。放射線とは、普通はその強さは単位時間にどれ程の放射線を人体に照射されるかが問題であると思う。例えば、ある放射線放射元素の物体が塊に成ってそこにあるとする。その放射線量を計測する時、その塊の質量を計り、その値を基準として、放射線計測器で全四方に放射する線量を計れば一応何[Sv]という意味に通じる。それにはその塊を計測器内に取り込み、放射線量全部を量[J]で計らなければ、何々シーベルトという意味にはならない。さて、その塊が藪の中に有ったとする、そこを人が通るとき、被曝量をどのように評価するかである。その塊の傍に何時間も居続ける必要がある時と、瞬間的の通り過ぎる時とをどのように評価するのか。時間的な物理概念が全く入っていない計量値である。時間が長くても、短くても被曝量の評価をどう解釈するのか全く分からない。

内部被曝 庭や道路、公園あるいは山林の放射線を計る。相当の高レベルの放射線が計測された。空から地表に降り注いだのだ。人が生活し、住んでいた場所である。空気中を放射性原子核物質が降り注いだ。人は呼吸をする。空気中の放射性核物質も一緒に体内に取り込んだのだ。文科省はそのデータが出るのを隠して、隠蔽している。政府の責任で生じる放射線障害を隠して、責任逃れの為である。屋内退避など何の役にも立たない防災対策である。

(続く)