カテゴリー別アーカイブ: 教育問題

エネルギーと質量

(2023/05/31).

 自然世界は見えるものと見えないものから成り立っている。決して人間が見ることの出来ないもの、それがエネルギーだ。その中でも、最も根源的な、自然世界を構築している物理量が光のエネルギーだ。光は見えるが、光のエネルギーを見ることはできない。

 一方、見えるものの代表が質量になるかも知れない。しかし、質量とは物質の重さ、重量と言う評価量の[kg]等を意味するものだ。だから、見えるものは質量ではなく、物体あるいは物の姿を指すものと考えた方が良かろう。見えると言う事は、視覚でそこに在る物の形状として認識できる対象の事である。雲を照らす太陽光線の光も、その反射現象の結果として人が目で認識できる訳であり、それも見えるものの範疇に入るかも知れない。しかし、それは見えても質量と言う形状を示す訳ではないから、見えるものの内容には含めたくない点で、見える、見えないという意味も、少し曖昧な意味になるかも知れない。

 自然科学論と言う考察対象として、エネルギーと対極にある物理的実体で見えるものの代表的な自然の対象物を何と認識するかである。見えないものはエネルギーで良かろう。

 E = mc² [J]

 上の式は有名な、質量とエネルギーの等価性を表現した式だ。
この式の質量 m[kg] は何となく見えるものに思える。しかし良く考えるとそうでもなかったかも知れない。原子は見えないから。原子は、物理学理論で解釈される自然の基本認識として、その大よその概念を誰もが知っている。しかし、意識できても見えない対象だ。それでもその意味を捉える時、質量と言う概念で認識するように思う。それが上の式の質量 m[kg] だ。

 その質量が何から構成されていると解釈するか?

 E[J] が『エネルギー』だ。そのエネルギーの意味を質量との関係で、どの様に認識しているのだろうか。質量とエネルギーが等価である。という意味を上の式で表現したのだ。質量が、原子核分裂現象で、『熱』や『光』の『エネルギー』に変換される現象であることは誰もが理解出来ている筈だ。その核分裂現象は、質量が『エネルギー』によって構成された事実によってこその核分裂現象である。

 余りにも、単純で、基礎的な解釈論ではあるが、『質量』が『エネルギー』によって構成されたものである。という意味だけは市民が『エネルギー』の意味を理解する基本として理解して欲しい。

 これから、『エネルギー』が自然世界の根源的構成原であることを、いろいろの現象や対象との関係で論考を重ねる記事として、この 「エネルギーと質量」 を第一報とした。

素流姿

(2023/05/29).

  素流姿
 
 素粒子の意味が分からず 
 渾沌の深みに嵌り空を見る
 映るは白い流れ雲   
 計れもできず素流姿と
 紙に落とせば     
 顰蹙を
 欲しくもないのに
 買う覚悟

『電子』が自然界に存在しない事実を確信した。科学的基礎理論の根幹概念を否定すれば、素粒子と言う物理学理論の分野の意味が消えてしまった。空間エネルギーの構成要素の素粒子が存在すれば、素流姿は消え去るが。

専門家からの罵倒が聞こえるようだ。消え入るように草叢にでも隠れて居よう。

❓不可解❓

(2023/05/29).

不可解の文字を書いてみた。特徴のある、魅力的な字形だ。不可解と言う言葉の意味も、自分と重ねて考え込んでしまう。何故こんな大事な事にも気付かないで、人生を棒に振るようなことになってしまったのかと。
 
 気付けば、長い人生の間選挙の投票の権利が無かった。 新潟県中魚沼郡貝野村で生れた。成人になったのは予備校で悪い頭を鍛えさせて頂いた時、1959年(東京都練馬区江古田に下宿時)だ。翌1960(昭和35)年に新潟大学に入学(?)させて頂いた時から年1987(昭和62)年まで新潟県新潟市と長岡市に住まわせてもらった。その間、選挙の投票入場券を頂いていなかった。

 もう間もなく人生も終りの近い時だ。「私は偽者か」の記事を前に書いた。Find more information here (2019/10/18) 。

 考えれば考える程、人生の意味を書けないのか?職歴も書けない身分だったと確信できる。住民登録されていないから、憲法の人権の意味を保障される『選挙投票権が無かった』と言う事実は❓

 歌でも笑われる『あの鐘を鳴らすのは誰だ』と町内会の小型消防車が朝、鐘を鳴らし乍ら前を通る。

 最近で、今月の27日土曜日の朝、10時30分頃にまた轟音を浴びせる様なヘリコプター。何処かで暗黙の合図の意味だ。今日はまた、朝の花火の打ち上げ音が始まった。

 それにしても現代物理学理論の矛盾が置き去りにされ続ける現状は、そして自然界に存在もしない『電子』の矛盾が子供達に教育され続ける現状を放置して良いものか❓

 偽者扱いのままに過行く、その続きの、人権侵害状態だ。研究室もなく、文部省の共済組合にも加入資格が無かった筈だ。住民登録が無いままだから。

 健康保険証は身分証明書か (2017/02/15)。

 戦後75年間の不可解? (2020/06/23)。

 憲法と身分(新潟大学生の身分と選挙権) (2023/04/19)。

 憲法第十条:日本国民たる要件と労働基準法 (2023/04/24)。

 憲法と自分の社会的役割❓ (2023/05/03)。
 
 教育の政治的中立性と中曽根臨教審 (2023/05/19)。

血液とエネルギー流

(2023/05/20).

 疑問と格闘。自分が不図気になる事柄、それが疑問だ。理解しようと検索して調べる。しかし、素人の自分には、その解説が理解できない。理解出来ないということは、自分の能力が無いからだと覚悟すれば、その検索内容の解説を学習すれば済むことだ。

 しかし、どうも素直に解説を信じられない事が多い。だから、疑問と格闘となる。取り留めもなく迷い道に分け入ることになる。

 そんな時、https://hokakebune.blog/2022/06/02/赤血球が謎運ぶ/ と素人の疑問の記事投稿となる。そこには、医学生理学分野の門外漢ではあるが、電気回路現象からの共通な自然科学の基礎的な感覚的認識からの解釈に基づいた、大切な意見も含まれる筈だ。自然現象の全体像が、あらゆる科学論には共通な根底に在るだろうと言う認識からのものだ。

 例えば、Wikipedia の赤血球の解説には、1日に2000億個生まれ、120日間に20~30万回体を循環して、酸素を運ぶとある。それは約10分間に1回血液が循環するような計算になるということか?別の記事には、血液循環速度は?と検索すると、25秒から50秒で1回循環すると言う解説もあるようだ。それは血液が心臓から出て、心臓に戻るまでの時間のことかも知れないが本当か?と思う。余り、経済的な競争を伴わない研究分野は研究対象から取り残されているようだ。赤血球がどの様な生理学的機能を持っているかは、病気の治療等にも余り関わりないから研究対象に成らないのか?と。それはまた別の問題であろう・・。

 血液とエネルギー流」の標題にした。電気回路現象は電線路空間を流れるエネルギーの伝送現象がその本質的物理現象である。しかし生理学の身体活動では、血液が生命保持の最も基本的な、しかも平易な意味での重要な機能を担っていると考える。細胞への栄養素供給、酸素供給、白血球など免疫系の機能など、多くの生命保持機能がその担う基本であろう。しかし、物理学で認識されていない懸念が、『エネルギー』と言う空間の物理量にある。そのエネルギーと言う物理量が空間に満ちている、その物理的認識が欠けているのが、現代科学論の矛盾論の基本にある。身体の全体に満ち溢れているのが、やはりエネルギーなのだ。こんな論は科学理論の対象に成らない傾向がある。それは科学的実験による証明が示せない点である。光は本質的に無色だ。等と言う論も科学論としては余り意味を成さないだろうから。光が無色の空間エネルギー分布波の縦波だと言う論も、科学的手法には成って居ないから科学論として取り上げられないかも知れないから。

 しかし、『体温』がどの様な物理的現象の結果に因るか?と尋ねても殆ど、的確な回答が得られないように思う。学説はある様だが、それは余り理屈、論理性のないものに思え、信じるに価値が無いと思う。

 すべての生物は、その命の保全が基本的機能と成って居よう。外界の危険から保護するには、その外界情報を先ず確実に認識する事であろう。それはどの様な仕組みか?電気回路の信号は電線路の空間を流れるエネルギーである。決して『電子』などは矛盾の物理学概念である。身体の神経伝達経路は決して電線路のような二本の導体で挟まれた空間は無いから、何処を何が神経情報として伝送されるか?である。

 決して、伝送信号として分子体などを考えるとしたら、それは信号伝達速度が遅く、瞬時の危険信号の伝送には不可能である。残るものは、眼球の硝子体管の光伝送現象と同じく、神経細胞のファイバー状の索が光ファイバー伝送空間と同じ機能を担った空間構造体と成っている筈だ。その神経信号は当然電気信号と同じ、エネルギー空間密度分布波である筈だ。その信号源が、体温の全身に分布した『エネルギー』の筈だ。そこに、赤血球の重要な機能が有ると考える。体温と言うエネルギー分布に対して。

 こんな医学生理学に関する知識のない素人の生理学的解釈が、市民的科学論ではないかと思う。専門家は狭い分野に特化した対象がその研究主題となる。それは、広く子供達への教育に迄、科学的基礎理論の統合した意味の研究はされない傾向となる。

 教育において、『参照基準』などの伝統的解釈理論に縛られた弊害を専門家が創り出す危険もある。

学問の自由と教育と公共の福祉

(2023/05/16),

学問の自由という意味はとても深い内容を含んでいる。教育との関係では、更に複雑になる様だ。

どうか皆様にもお考え頂きたい。自然科学理論を市民の理解できる易しいものに取り戻したくて。

公的機関で、教育をする場合、その指導内容は厳しく制限されているようだ。日本では「学習指導要領」と言う基準で、教育する内容が決められている。その指導内容を決めるのは、やはり専門家の解釈理論が基になって決まるのだろう。そこには自然科学論として正しいかどうかでなく、社会的科学常識として多くが認める内容に集約されたものになるように思える。専門家と言う社会的専門集団の解釈が支配する。

科学理論と専門家の統合的理論体系の構築への貢献性。学識経験者・有識者が社会的仕組みや科学論理を決めることになる。そこには自然科学の真理が保障されている訳ではない。専門家集団の論理が支配するのだ。今、科学理論で、物理学者が解釈するとき、決して『電荷』を否定するような自然世界の真理を唱える事は起きないだろう。

自然世界の真理は。社会の混乱を引き起こす可能性がある。『静電界には、磁界は存在しない』が現在の自然科学の世界的常識である。公共の福祉とはどの様な意味だろうか。公共とはどの様な意味だろうか。

そもそも、教育とは誰のために在るものだろうか。それは飽くまでも、教育を受ける子供達の為のものの筈だ。さて、教師が子供達を前にして、教える時、教科書の内容が間違っていると確信できた時にどのように教えれば良いか。教科書通りに間違いでも教えなければならないのか。それはどの様な過程を経て決まるべきか。少なくとも、電気回路で『電子』が導線内を流れる等と言う解釈は間違っているのだ。その間違いはどの様に、誰が社会の一般市民に伝えるのか。教育では、子供達にどのようにこの間違いを修正して、正しい意味を教えることになるのだろうか。

公共の福祉と学問の自由の問題だ。

日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務 (第十条 ~ 第四十条)。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

が簡潔に掲げられている。
しかし、この学問の自由と言う事は、いろいろの面でなかなか難しい問題を含んでいる。科学理論は長い過程を経て、科学者の研究の積み重ねによって、その総合的解釈の合意の基に共通した、間違いないとの認識の下で唱えられてきた。それが現在の物理学理論であり、科学理論全体の総合的解釈論と成っている。

誰も自然世界に、『電荷』が存在しない等とは唱えてこなかった。原子構造もプラス電荷の『陽子』とマイナス電荷の『電子』がその理論的構成原理となって、一般常識に成っている。プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』が引合うと言う暗黙の解釈と成っている。そこには理屈が無い。結合の現象を『電荷』によると解釈しているだけである。何故【+】と【-】の間に引力が働くかの理屈は示せない。『電荷』の空間像が示せないからだ。

この問題は、科学理論の意義として、極めて重大な社会問題の筈だ。『電荷』否定を教育の世界に取り込むには、トンデモナイ社会革命の様な問題となる。そこには、公共の福祉などと言う憲法の意味との関係で、社会的混乱をどう収めるかの時代の課題となる筈だ。

30数年前の『静電界は磁界を伴う』のコンデンサの電荷解釈否定が、現今の教育上の課題となっていると考える。物理学の専門家は如何にその事に解決法をお示し頂けるか。無学の筆者が考える疑問です。小学校に何処に入学したかが、自分が知り得ない不可解なるままであるが・・。

新世界への扉 コンデンサの磁界https://wp.me/p19wiU-4w

理科教育過去からの思い

一度公開して、下書きにしたままに成って居たので戻す。

/二年ほど前の記事を見て思う。

https://hokakebune.blog/2021/02/10/電荷と科学リテラシー 

https://hokakebune.blog/2021/02/24/『エネルギー』一筋の道/

https://hokakebune.blog/2021/02/27/科学教育の未来を問う

https://hokakebune.blog/2021/03/03/エネルギー流と定在波

https://hokakebune.blog/2021/03/11/摩擦とエネルギーギャップ

https://hokakebune.blog/2021/03/14/心 鬼灯に遊ぶ

https://hokakebune.blog/2021/03/16/科学と哲学

<a href="https://hokakebune.blog/2021/03/19/科学理論に危機感を❕

https://hokakebune.blog/2021/03/23/自然と言う世界

過去の記事ながら、この頃にほぼ纏まった内容と成っている。

光をはじめ空間のエネルギーを自然界の物理的実在量と捉えずに、未来の物理学理論の基になる自然観とは成り得ない。それが学術理論を学ぶ以前の、市民の科学リテラシーとしての自然観であるべきと。

如何に教育、教科書に反映するか喫緊の課題と思う。『電荷』では理学理論の基礎概念とはなり難いから。/

https://hokakebune.blog/2021/04/09/物理学理論は役立つのか

小中学生不登校の原因は❓

11月7日の新聞記事(新潟日報)で知った。

[小中生不登校 最多24万人超]

「不登校特例校」の記事と一緒に、次のような問題も示されていた。

〈この空欄には何の数字が入りますか〉

この問題を見て驚いた。空欄のAとBに入る正しい数字を答えさせる問題である。二次方程式と因数分解の意味を知っていなければならない。その上で、 A =10。B =5。と答えさせる問題だ。

(X+5)² = X²  + 2×5x+25

の式の意味を理解しているかを問う問題だ。

筆者が二次方程式を習ったのは高等学校に入ってからの数学であった。

当時の中学生の数学の問題で、指数の意味を学習したことは覚えている。精々次のような

2³×2² = 2⁵

等の問題であった。

時代が進んで、科学技術万能のような競争社会になったからと言って、なぜ二次方程式を中学生が学習しなければならないのか。

確かに語学は、会話位は日常用語として外国語を学習する必要な時代になった。しかし、数学や理科など高度の学習内容を低学年に、早く取り入れる必要などどこにも無い。

先日も、中学生の理科教育内容に、体温の話が恒温動物と変温動物の内容に及んでいると知って驚いた。恒温、変温などの言葉も初めて知った筆者には驚き桃の木である。

結論。

これは教育体制の社会問題である。

考えない人による、学習内容の決定・選定の行政が招いた、不登校最多発生問題と観る。

子供達が教育の仕組みに依った『いじめ対象』となっている。興味のない子供には、こんな訳も解らない理数教育を強制される時間は、教室内での苦痛と吐き気の時間以外の何物でもないだろう。御免なさいね!

といっても自分も、工業高等学校で自分が理解も出来ない電気工学の授業をしていた。🙇。「アンペア―の法則」の意味さえやっと間違いだったと理解できた。

上の問題は、教室での教育内容に興味が無く苦痛に耐えている子供の、不登校生に対しての『不登校特例校』における問題である。再び詰め込み教育の弊害を忘れた、後戻り教育だ。

教育機関の解決すべき社会問題だ。

小春日和に日向に出て、太陽光に当る『日向ぼっこ』授業。何故暖かいを「考えてみてね!」位の処で答えを求めない授業が良い。現代物理学理論で、「気体分子運動論」等が大学で成されている現状が「嘘教育」の始まりだからだ。