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クーロンの法則の眞相

大変だ。クーロンの法則と言えば無意識に『電荷』に関する法則と思う。それは、『電荷』の単位が「クーロン[C]」であり、フランス人のクーロン (Charles Augustine De Coulomb  1736-1806)の業績を讃えて採用した『電荷』の単位と思い、その関係からの意識によって。

実は、『電圧』の概念がどの様に構築されたか気になって、『電圧概念の起源』として検索して確認した。ボルタの電池の発明の頃の関係としてどの様に測定と概念が採られたか?を調べた。その検索結果の中に、電気の歴史年表と言う記事に出会った。

その記事に、「クーロンは磁石には2つの異なった極があり、同じ極は反発しあい、異なる極は引合う。力は距離の2乗に反比例する。」があった。

その当時は未だ『電荷』の意味がそれ程はっきりと意識されていなかったのではないかと思った。『電荷』に対して『磁気』なら磁石で感覚的にも分かり易い経験的意味で意識できたと思った。

おそらく、20世紀に入ってから、『電荷』の単位「クーロン [C] 」から、誤って磁気に関する法則を『電荷』に関するものと物理学教科書などで解説した事が始まりであった結果ではないかと思った。

クーロンの法則を斬る (2013/01/06)の旧い記事であるが、その中で・・斬る 等と記したが、それはあくまでも『電荷』に対する意味に対してであった。

『電荷』など決して、自然世界に実在する物理量ではない。改めてあらゆる自然世界観を基礎から作り直さなければならない所に立って居る筈だ。物理学理論の根幹から作り直す時代に居るのだ。原子構造の認識も『電荷』では矛盾論のままだから。

瞬時電力の具象解剖

(2022/02/01) 電力とは何か?

誰もが生活に欠かせない、ライフラインである事を知っている。それが電力である。これほど日常生活で無意識に利用しながら、その物理的意味ほど理解していない事も無いかも知れない。そのように書く自分も、長く電気回路現象を考えて来たにも拘らず、本当に深く理解してなかった。二月に入り、今年のカレンダーを一枚剝がした。何となく気持ちも穏やかでない中で、瞬時電力とはどの様な物理的意味で捉えれば良いかと考え直した。

概して、学術理論は、物理学理論は抽象的な数学式などの解釈手法で論じられるものが多い。決して電気現象を論じる時、『電荷』とは何か、『電流』とは何か等の本当の基礎的な概念については全く考えることをしない。決まった科学論の常識の上での話になる。その科学的常識に習熟していない一般の市民はその話に採りつくことが出来ない事に成り易い。

抽象論と具象論。誰もが理解し易い話は、目の前にある空間にその具体的像を提示することが求められる筈だ。光の振動数がどんな特性を示すか等との話は全く学術の解釈法に慣れなければ理解できない話になろう。漸く電力の空間での像が示せるかと言う処まで辿り着いた。だから具象解剖論とも言えよう。その意味で電力の解釈を示したい。電気回路現象には『電子』など何の役にも立たない過去に人が創り上げた空想的仮想概念である事をはじめに指摘しておく。

『オームの法則』と電力。

電気技術の基礎理論は⦅オームの法則⦆である。そこには『電圧』と『電流』と言う基礎技術概念で電気回路現象を解釈する基本が示されている。上の図は2005年に描いたものだ。2010年に  電流は流れず で電気回路は『エネルギー』の現象である事を述べた時も使った。この回路をオームの法則では

瞬時電力

の様な回路図で表現し、解釈する。『電圧』V[V] 、『電流』I[A]そして負荷抵抗 R[Ω]の3つの技術概念で回路動作を解釈できる。とても優れた、完全な電気理論と成っている。直流回路であるが、その電力も瞬時電力として、電圧と電流の積で評価できる。これが科学技術の自然現象を利用するための理論体系の重要な基礎を成している。

科学技術概念と自然現象。

電気理論が完璧であるから、『電圧』、『電流』がどの様な物理的意味かを問う事をしない、疑問にも思わない。その科学技術用の理論体系を構築するには、理屈が成り立たなければならない。論理的である為に、『電荷』とか『電子』などの理論の基礎とすべき物理概念を創造し、定義した。それらは物理学理論の分野から特に組み込まれた概念のように思える。電気回路論や電力技術分野で組み込んだものでは無いと思う。しかし、どう考えても自然世界に『電荷』や『電子』が存在するとは信じられない。今、電気回路現象のその真相が分かった時、やはり電源から負荷まで何が伝送され、供給されるのかと言えば、それは他でもない『エネルギー』でしかないのだと分かった。電力の単位ワット[W]は書き換えれば毎秒当たりの『エネルギー』量ジュール[J]を評価する単位である。その『エネルギー』の単位ジュール[J]で計量するものは物理量として意味を成さないと考えるのか?物理学の回路解析に『エネルギー』と言う概念が認識されていないから。電気料金を支払って使っている電気量『ジュール[J]』を電気回路の現象に考慮しないで理論が成り立つ筈は無かろう。長い科学技術の歴史の中で、理論物理学の中でその『エネルギー』と言う自然世界の根幹を成す『実在物理量』が無視されてきた事への驚きを禁じ得ない。

「瞬時電力」という意味。

その物理的意味を考えてみよう。筆者も感覚的に「瞬時」と言う用語はとても厳密性のある概念を表現すると思って、良く使った。『瞬時実電力』や『瞬時虚電力』あるいは瞬時電磁界などと使って来た。しかし、『瞬時電力』と言う用語の使い方は初めから矛盾を含んでいたことに気付いた。電圧と電流も瞬時値がある。その積も当然瞬時値になる筈と思う。しかし電力の単位の意味は1秒間当たりの値である。1秒間は理論的に時間の瞬時ではない。光なら30万キロメートル先まで届く時間だ。電気現象も光の伝送速度に近い変化の回路動作だ。『電流』だって「電荷」概念で解釈すれば、その単位アンペア[A]も『電荷』との関係で、[C/s]の様に1秒間当たりの値だ。それらの積が瞬時値になる訳は論理的に無理だ。然し実用的には「瞬時電力」と言っても電気技術論としては許されよう。然し乍ら、論理性を身上とすべき理論物理学では、そのような意味は使えないだろうと思う。確かに物理学では『電力』など意識しないから『エネルギー』と同様理論には無用の電気量なのかも知れない。

『電力』とは何か?

ここから電気物理学は始めなければならない筈だ。地球温暖化の社会的問題にもなる『エネルギー』を意識しない理論物理学では社会的責任も果たせない。「瞬時電力」は『電圧』と『電流』の積と言う捉え方では、その『エネルギー』の瞬時的状況を理解するのは無理である。せめて空間に流れる『エネルギー』の分布量を理解することで、その実態がわかろう。『電圧』も『電流』もその概念の奥には『エネルギー』を評価する技術概念であったことが隠されていたのだ。その意味は自然単位系の[JHFM]での解釈が必要になる。時空は[H] [F]で、そこには『エネルギー』だけが展開する自然世界がある。その『エネルギー』とは光であり、見える光も見えない電磁波もある。

「瞬時電力」は伝送エネルギー分布として。

オームの法則の回路を『エネルギー』伝送現象として観る。

漸く電気回路現象が『エネルギー』の伝送回路として理解できた。余りにも有り触れた電気回路だから、その現象を科学論文とするには拍子抜けするような気もする。到達した結果は誰もが分かり易いと思う。中学生でも『電圧』とは何ですか?等と質問したくなる科学技術概念の理論はそれなりに難しい意味なのだった。ただ『エネルギー』が流れている事を感覚的に捉えられるかである。特別に難しい数式もいらない。電線路の導体で挟まれた空間を、電圧の負側の電線導体近傍の空間を導線に沿って、ほぼ光速度に近い速度で、『エネルギー』が流れているだけなのだ。その『エネルギー』の分布量が幾らになるかは、電源の所謂「電圧」と言う技術概念がとても良く示しているのだ。

 

『電圧』は電源が持つ『エネルギー』供給能力を捉えた技術概念だ。電線路を張れば、その張り方で電気回路の空間構造が決まる。空間構造は電気解析で、分布定数回路として取り扱われる。電源電圧が直流であろうと交流であろうと、その回路特性はただ空間構造で決まる。科学技術解釈で『静電容量』と言うコンデンサの意味を使っている。それは正しく電線路の空間の、電気の『エネルギー』をどれ程保有できるかの特性値に成っている。電源に電気回路空間を繋げば、自動的にその電源の能力にあった『エネルギー』が電線路空間に流出し光速度の速さで、全体に規定の『エネルギー』分布空間を生むのである。電線路の単位長さ当たり、1m当たりの『エネルギー』分布量をδ[J/m]で捉えれば分かり易かろう。その意味なら「瞬時電力」と言った場合の物理的意味が分かると思う。光速度で流れる『エネルギー』だから、1m当たりの値など数μジュールでも大きな電力量となる筈だ。

無負荷時。『エネルギーギャップ』と『エネルギー』分布密度。

『エネルギー』分布密度δv[J/m]は電線路の空間構造に対して、電源が規定する『電圧』に対応して自動的に決まる。無負荷時なら、静的定常分布密度で電線路空間が『エネルギー』の値となる。この『エネルギー』の分布密度量は、電気技術量『電圧』の意味を表すものとして『エネルギーギャップ』と言う表現を使って来た。半導体接合面や電池の陰極電極表面空間に対してその『エネルギーギャップ』と言う用語を使わせて貰った。『エネルギー』は空間で片側に偏る性質があると認識しての使い方である。ロゴウスキー電極への印加電圧に対して、負電極側に高い密度の『エネルギー』分布を示して流れる。

負荷時。

負荷抵抗値は単位オーム[Ω]で決まる。純抵抗負荷なら『エネルギー』を一方的に消費する機能要素だ。しかしそれも抵抗内部は微細構造体であり、『エネルギー』を線路空間から吸収し、内部空間に貯蔵しそして高エネルギー密度空間と、温度上昇を来し、遂には外部空間に『熱エネルギー』、『光エネルギー』として放射する。負荷が掛かれば、電線路の特性値 C[F/m]から抵抗体内の構造空間に『エネルギー』が自然に流れ込む。抵抗体も内部は空間構造であるから、その機能はR=√(Lr/Cr)[(H/F)^1/2^] の様な次元で捉えられる。だから線路特性、特性インピーダンスZoとの比較値で解釈して良い。R=αZo と置いて良い。α=1.であれば負荷と電線路が整合した状態である。電圧による供給エネルギーがそのまま負荷に流れ込み、δv=δI [J/m]である。一般には、1<αである。その時のα値は

α=R/Zo=√(δv/δI)      (訂正して、√を付けた。)

の関係がある。

新電気回路解析法。

自然世界の実在物理量『エネルギー』を認識した、電気回路解析法の新しい物理学理論への扉でもある。電気回路現象には『電荷』も『電子』も無縁の長物概念である事を認識することから教育は始めるべきだ。

(参考): エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系(2010/12/18)

日本物理学会に参加させて頂き、最初の発表内容でもある、2p-D-11  物理概念とその次元 (1998).

リアクトル負荷の電気回路現象

送配電線路は電気エネルギーを必要とする需要家に、その『エネルギー』を供給する電気設備だ。需要家は高炉、製造工場、高速鉄道(リニア新幹線が未来の悔恨とならないか気掛かりだ。技術開発に懸命なご努力をなさる方々には済まないのですが。需要電力が原子力発電一機分に近いため、温暖化と生活環境破壊の原因となる虞がある。トンネル風圧がリニアの利点を消し去るから。新技術開発の社会的合意の問題が取り残されていないだろうか。)あるいは高層ビルの照明・電熱など多岐にわたる負荷が対象になる。

負荷の形態はその『エネルギー』の受給によって、電線路の回路現象にその影響が現れる。半導体回路などが増え、そのスイッチング特性によっても様々な悪影響が現れる。

電動機などもその『エネルギー』の消費にリアクトルの特性、『エネルギー』の貯蔵・放出が関わり、電気回路特性に僅かな影響を及ぼしている。それは実際にはベクトル解析手法の中での電気理論として分かってはいる。

電気回路現象の特性を理解するには、『電圧』『電流』による解釈ではその物理現象としての真相を理解することはできない。それらの概念は電線路をほぼ光速度で伝送する『エネルギー』を電気技術評価量として評価した概念であるから。電気現象の物理現象としての理解はその『エネルギー』がどの様に電気回路内で振舞うかを捉えなければ不可能である。負荷にリアクトルの誘導性が含まれる場合が、その電気回路内の物理現象を理解するにとても良い例題となる。それはリアクトルの『エネルギー』貯蔵が電源電圧の位相との関係で、回路内への『エネルギー』供給源としての働きが丁度電源と似た機能を発揮するからである。その意味を理解すれば、『電子』が回路を流れる等と言う間違った物理学理論は消し去られる筈だ。『電子』が負荷にどのように『エネルギー』を供給するかの論理的解釈が示されれば、考え様も有るかも知れないが、それは無理である。要するに物理学理論の欠陥は『エネルギー』の空間像で認識できていない点である。

誘導性負荷時の電圧。初めに電源と電線路電圧の物理的現象を述べておこう。

負荷が誘導性の場合は、その負荷には幾分かの電線路側に戻す『エネルギー』の原因となる e(ωt) [J]を保有している。電源はその端子電圧 vs(ωt)[V]のみしか制御できない。電線路内全体の電圧など全く監視・制御できない。ただその『エネルギー』供給端の電圧を制御するだけで、自動的にその端子の回路定数 C[F/m] が電線路に必要な『エネルギー』の分布量を電源側に放出させるのである。電線路全体で、電源の制御電圧値に対して欠損あるいは余剰が生じれば、自動的にその差分を補うべく、電源から『エネルギー』が供給されて、電線路全体が規定の電圧に保持されるように修正されるのである。更に負荷が誘導性の場合は、負荷も電源と同じような『エネルギー』の電線路内への放出機能を持つ。

『エネルギー』の光速度伝播現象。電線路はその構造によって回路定数が決まる。しかし、『エネルギー』伝播空間媒体が空気であれば、その伝送速度は光速度 co=(μoεo)^-1/2^[m/s]になる。絶縁媒体なら速度は落ちる。『エネルギー』は電線路導体内など流れないから。この『エネルギー』の伝送速度が電源電圧制御指令に従いながら、電線路内の電圧分布を基本的に支配する。

線路内電圧vx(ωt)が電源からの距離xとすれば、同一時刻tであっても、その位置の『エネルギー』分布は電圧波形の遅れとして、厳密には電源より⊿t = x/co [s] だけ位相が遅れる。しかし、光速度はその遅れを考慮する必要が無い程の瞬時伝播の速さである。それでも『エネルギー』の伝播が現象の基本になっている。さらに、そこにリアクトル負荷の『エネルギー』の回生現象が加われば、複雑な位相の状況を呈する。以上の現象を基本的に認識しながら、電気回路現象を電気理論の電圧、電流で解釈する場合も、常に『エネルギー』の意味を意識する事が大事だ。

vx(ωt) = √(δx/C) [V]

のように表される、電線路の『エネルギー』分布密度が電圧値の電気技術概念なのだ。

純リアクトル負荷の回路現象。

厳密には、電圧値は負荷まで同じ電圧値ではない。電源より必ず位相が遅れる。その訳は光速度による『エネルギー』分布の伝播遅れが必然的に起こるから。

(2021/12/19)。ここまで来て、何故電力が『エネルギー』の流れ δi[J/m]でなく電圧分δv[J/m]との積に因るかに疑念が沸いた。それが  電力 その禅問答 (2021/12/14)になった。

その疑念の前に、考察の回路があった。

右図はリアクトルのエネルギー e(ωt)[J]が端子電圧の時間積分で決まることを示す。本来、電線路空間を通して、伝送される『エネルギー』は電圧の規模・大きさの2乗の意味で、その物理量が認識される筈だ。それを自然の本源と技術概念で指摘した。その事を理解すると右図に示す電力 p(ωt)=de(ωt)/dt で解釈すれば、電圧値 vr(ωt)の2乗δv(ωt)/C [V]によるとの解釈が可能かもしれない。そこに電線路電圧規模が『エネルギー』伝送機能の意味に因るとの合理的な解決の糸口が有るかも知れない。

自然の真相と科学技術の間にかける橋の美しくあって欲しい。電線路伝送の『エネルギー』の捉え方の未だ結論に到達して居ないが、ここでひとまず休憩とする。

電力 その禪問答

『電力』と言う用語の意味位は分かって当たり前だ。それは電気『エネルギー』を利用して、社会経済活動の根幹を成す仕組みを支える用語であろう。

ところがだ、その意味が理解できないのだ。電気回路現象をその物理的本源から問い直すと、『はてな?』が考えろと促すのだ。不思議な事に、分からない疑問が増えるのだ。

基本回路で考えてみよう。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt) ?

 

我乍ら驚いた。正しく禅問答だ。電圧と電流の積が何故電力になるか?その物理的意味が分からないのだ。

『はてな?』の意味。少しその前提を述べておく。『電圧』は電線路空間の『エネルギー』分布密度で解釈する。

v(ωt)=√(δv/C) [(J/F)^1/2^=V] 。

のように電線路単位長さ当たりの『エネルギー』密度分布δv(ωt)[J/m]がその電圧の技術概念の基になっている。同様に、『電流』も

i(ωt)=√(δi/L) [(J/H)^1/2^=A]

のように、『エネルギー』分布密度δi(ωt)[J/m]の流れとして解釈する。

この意味で電圧、電流を捉えれば、それは如何にもその時刻における瞬時値と解釈できる。電線路の1メートル当たりの分布『エネルギー』密度と言う瞬時値と見做せようから。しかし、電圧と電流の積として、電力 p[W=J/s]を考えるとそれは瞬時値とは言えない。1秒間、1[s]当たりの『エネルギー』量を意味する事に成る。電圧、電流及び電力の波形を描けば、次のように表現する事に成っている。

この波形を見ても今まであまり違和感を持たないでも済んだ。科学技術理論と言う学術論は殆どその専門家の解釈理論で、専門家と言う慣用学術論組織内では立派に通用する。然し乍ら、図の電力p(ωt)の次元は[J/s]の1[s]間の『エネルギー』量を示す瞬時値である。

禅問答という意味。実はもっと不可解な迷路に迷い込むのだ。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt)=√(δv(ωt)δi(ωt)/LC)=co√(δv(ωt)δi(ωt)) [W]

ただし、光速度co=√(1/LC)[m/s] である。

上の式は光速度の30万キロメートル分の『エネルギー』量を積算した意味で捉えれば、何とか辻褄合わせは出来るようだ。電力はやはり1秒間の積分量を評価する意味だと。だから波形の意味は論理的な瞬時値概念を表現しているとは言い難いのだ。 しかし、電力が電圧と電流の積と言う算定値に依って技術評価することの意義は極めて高いのだ。

負荷が電力設備系統に要求するものは『エネルギー』しかないのだ。『電子』や『電荷』など全く必要としていない。だから電線路空間を通して『エネルギー』の流れが物理現象として捉えるべき対象の筈である。そこで、『エネルギー』の流れなら δi(ωt)[J/m]だけで解釈出来るのではないかと思うが、そうでは無いのだ。必ず、電圧との積でなければ『エネルギー』の供給の評価が出来ないのだ。

電力系統は送電電圧値に依って、同じ電流でも送電容量が、そのレベルが違うのだ。『電圧「と『電流』の積でなければ送電『エネルギー』の評価が出来ないのだ。

一体『電圧』の意味は伝送『エネルギー』に対して、どの様な物理的概念を持つと言うのか?それが不可解の『禪問答』たる意味である。自己撞着とはこの事か?

分かろうと藻掻いて、分からなさが増大する。❓❓

分かった!より はてな?

人も生まれた時は何も知らない。

生きるために、空気に触れて産声と呼吸。口から母乳で消化器官が機能し始める。

命のプログラムが自動的にスイッチオンする。何も考えずとも、生きてそして死を迎えるまで、不思議な生命制御の仕組みが始まる。どの様な仕組み、遺伝情報、生活環境など複雑な人生行路で、個性が際立つ一人の人になるのだろうか。行く先の見えない歩みが始まる。

 

振り返れば、“はてな”と思う事ばかりが増える。

何も知らずに過ごしてきた。

“はてな”に会って、科学理論のすべてに疑問が膨らんで、とうとう『電荷』の否定への確信となった。決して科学論の世界では受け入れられない暴論として、排斥されるだろう。原子構造論まで否定する事に成るから。それでも自然世界に『電荷』は存在しない、人間が仮想した間違った物理概念だった。科学理論とは何か、その社会的意義を人に問う命題となった。

辞典で調べた。

分かる・解る・判る。それは、①区別が明らかになる。②理非が明らかになる。事実がはっきりする。知れる。「とかく理非がわからぬ(狂言・羯鼓炮碌(カッコホウロク))」

はてな。怪しむ時、考える時などに発する声。“はて”の意を強めた言い方。「はて、こちらへは帰りませぬが(狂言・貰婿)」

等とあった。

科学理論は、自然世界の真相を明らかにする事より、人の生活に便利で、有意義な結果をもたらす解釈論を、理論としての価値が有意義と見做す基準から計られる。そんな思いに自分を“はてな”が連れてきた。

『電荷』への科学的信任の如何は、今やすべての皆さんに関わる教育的問答のように思う。

視力とビタミン

2012年に白内障の手術をして頂いた。お陰様で、視力も回復し特に支障なく生活できる。

ブルーベリージャムと視力の関係が気になったので、疑問を述べる。

白内障はレンズが濁る為に視力が落ちるのかと理解している。手術はそのレンズに相当する部分を入れ替えるようだ。レンズと言っても、ガラスと違い、それはタンパク質の様なものと思う。

その手術後、暫くしてから、視力の低下を感じた。ブログ記事(眼球の光ファイバーと色覚)に、有り難いお医者さんからのコメントを頂いた。黄斑にオプシンと言うレセプターを持つ細胞があり、そのビタミンAの形を光が変える。その結果神経細胞に信号が流れ、色覚を脳が認識する。と言うようなご説明と理解した。

その説明を受けて、少しは効果が有るかと、朝食のパンにブルーベリージャムを使うことにした。それまでのイチゴジャムに変えて。

もう5年以上は続けているだろう。前に心配した視力の衰えが感じられなくなった。先生が仰ったビタミンAの効果がブルーベリージャムの御蔭ではないかと感謝している。光ファイバーの終端部の『黄斑』が人の、あるいは生物の視覚の要となっていると強く思うと同時に、色彩の赤、緑、青の波長に感応する細胞の形状変化と言う空間構造の物理的現象と光の正体 (2018/01/25)の関係が納得できた。分子結合と言う空間構造変化と光の関係から、『エネルギー』放射現象との意味で納得でき、色覚の生理現象の原理の一端が垣間見られた感じがする。原子、分子の化学変化には必ず『エネルギー』の放射や吸収が伴う事から、感覚的なものではあるが、納得できる。『結合エネルギー』と言う言い方でもあろう。燃料電池も同じ意味であろう。

光の波長変換現象はその対象の空間構造がその原因である。揚羽蝶やクジャクの極彩色の色模様はすべて、その羽根の空間構造が生み出す現象である。光には本来色は無い。光と色彩の謎をどう解釈するかは光の『エネルギー』をどの様な物理的な認識に在るかに掛かっている。絵具も顔料も、その色はすべてその物質の空間構造が生み出す物理現象である。

禪に導かれて

 1985年7月1日付辞令

(松永 光 文部大臣):長岡工業高等専門学校助教授は直ちにその日に履歴書で『以下余白』と消えた。高橋校長名で!本人が知らずに何十年も過ぎて気付く人事問題は、法治行政(憲法上)としてどの様な論拠が在るのか、その訳が不可解❓1979年7月の文部省主催の『工業教員指導者講習会』への、公立学校共済組合非加入者のアルバイト教員の参加の有意性の意味と合わせて考えれば、ますます不可解だ❓1980年3月31日と1980年4月1日の職歴はどう理解すれば良いか?

 禪と科学 (2011/06/20) の冒頭に載せた達磨図だ。『空』は世界のすべてがそこから始まる。そんな思いを表現した。

家の宗派が『曹洞宗』の関係もあってか、禪を身近に感じていた。然し、その説く思想は理解しかねる不可思議な魅力を秘めていた。その事は禅と日本文化 を読みながら考えた (2013/09/08)-Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture. (1938) の訳本-にも述べた。

今日再びその本を開いて、偉大な 鈴木 大拙禅師の思想に触れたくなった。第一章 禅の予備知識 だけでも理解困難である。2013年頃より、今は少し、電気回路現象で自然の深い姿に触れられたかと思う心境にある。その道標は、長く禪の御蔭に負っているように感じる。基本的に、禪は生きる上での、異変、緊急事態にその真価が現れるように思う。異変に気付いた最初が、昭和61年春4月、ずっと後から気付けば、そこに歌があった。『愛燦燦』、『暴れ太鼓』、「みだれ髪」そして「川の流れの様に」と。まさか舞鶴鎮守府が待っていたとは知らなかった。

ここには七つの文章にまとめられている。

『精神』と言う言葉がある。その意味はこの禅的思想の中でどのような具体的な事を指すのか。

と自問してから考えた。『精神』の対極語は何か。何時も使う言葉でありながら、その意味を即座に述べられない事に戸惑った。対極語は「物」として見えるものになるかと思う。そこで初めて『精神』が目には見えない事に気付いた。言い換えれば「心」とも言うかもしれない。「心」も見えないから。『精神』とは何かは、これぞ禅の問答かも知れない。人は見えるものに意識が向く。科学理論も、物理学理論もその科学的検証が求められる。それは見えるもので無いと検証できない事であるとも気付かされる。だから科学と禪は両極に対する事に成りそうだ。

科学は⦅見えるもの⦆が対象で、禅は⦅見えないもの⦆が対象となる。と言い切っても良さそうだ。

⦅見えないもの⦆の代表が『精神』だ。その『精神』が司る対象、その結果に起こる事象、それも目に見えない『エネルギー』だ。意識、心も『エネルギー』の及ぼし合う現象世界と言えるようだ。

ニューロン。情報伝達信号も『エネルギー』が担う。決して物では困難だ。『精神』と言う言葉の意味を今までほとんど考えてこなかった。会話も、人同士の間の、その精神活動なのだ。そこには何も⦅見えるもの⦆など無い。それは人や生物が生きるに、基礎代謝と言う『エネルギー』を消費して体温を賄う生体の物理現象と同じく、基本的には見えない『エネルギー』に因って司られている自然現象の真理なのだ。過去に素人ながら、この生理的意味を考えた事があった。ここで少し振り返ってみよう。

脳の機能と個性 (2014/11/02)に

載せたのが右図だ。当時は無意識であったが、今思えば、『エネルギー』と言う目に見えない自然界を支配している空間に実在する物理量を意識して描いたものと分かった。

その他、脳の生体制御の謎 (2014/03/21) や悟りとは?₋色即是空の世界観‐ (2014/o3/25) (とても僭越な物言いでお恥かしい内容だ)。最初が、『基礎科学』とは何だろう (2010/11/02) であった。これらはみんな、素人の感覚的解釈論と言われても良いものだ。何も科学論と言うべき、所謂科学的データによる裏付けが何も無いから。電気回路と同様、生体情報伝達機能を担うものは電流でもなければ、『電子』でもない。それは『エネルギー』の波形とその光速度伝達現象である。『物質』では高速度反応に応えられず、生体の総合的制御機能を統合できないと考える。生体の『エネルギー』に負う意味を考えるべきだ。物理学は「物」の理学だから、「物」でない『エネルギー』の科学論には成れないのかも知れない。精神・心が物で測れない訳だから。

考えてみれば、電気回路現象の『エネルギー』伝播の解釈も基本的には、殆ど実験データによる裏付けが有った訳でもない。ただ、直覚的な思いを元に世間の常識を無視して、勝手な解釈を展開していると見做されるかも知れない。しかし、どう考えても自然界に『電荷』など有り様がない。そこだけは科学の常識が間違っている。常識で「在る」と言う『電子』などを「無い」と言う論拠を示すことが如何に困難かを知った。『静電界は磁界を伴う』の実験的データを発表してから。科学理論と不立文字の関り論だったかもしれない。

雷と科学論

雷様と呼ぶ。様付の自然現象・天空の光と音の饗宴。

誰もが知っている。ベンジャミン・フランクリンの名前も雷とのつながりで知っている。

恐ろしくて、恐怖も不思議な、知りたい科学論。しかし世界は存在もしない『電荷』で覆い尽くされているこの怪奇な科学理論の世界?そんな如何わしい科学理論の世界が許せない思いで再び取り上げる。

雷と電荷の物理 (2021/06/22) でも取り上げた。いつまでも未練を残して、専門家の科学論に抵抗する。電荷と科学リテラシー (2021/02/10)。

先日も「雷の正体」とgoogle で検索した。そこには子供たち向けの多くの解説記事が昇る。殆どが、上空の雲の中で、水蒸気から出来た氷が上昇時に、摩擦で電気が発生するとある。古くから研究所などの専門家がそのように話し、そのような解説をテレビで取り上げて放送している。筆者も雷の正体として記事を投稿している。7ページ目に検索に現れた。

日本の電力中央研究所の解説記事もそうだ。

何処でも、誰でも、特に科学者と言う研究者が『電荷』が自然界の基本物理量として唱え、主張して社会的専門家として敬われ、尊敬されている現実の世界の科学常識だ。

そんな中で、おそらくただ一人筆者は『電荷』など自然世界には存在しないと30年以上前から唱えてきた。

『雷』は自然科学理論の真相を解剖するに最適な論題である。

希望がある。

市民討論会で、論壇で有名な科学者と討論して、市民が視聴して判断する機会が在ればと。何処で、誰が、どの様な訳で、『電荷』が物理学理論の根幹を支える基礎概念となったのか。その真相を明らかにすることが科学教育、市民科学リテラシーの為に今こそ考える課題だ。子供たちに「嘘」の教育が為されてはいけないから。科学者の社会的責任の為にも。考えない科学理論は良くないよ!専門家と言う狭量科学理論からの開放の為に。

科学の市民による民主主義の論壇となれば。民主主義の科学論の土俵が欲しい。

コイルの電圧とエネルギー

電気回路現象はそのエネルギー伝送空間のインダクタンスL[H/m]とキャパシタンスC[F/m]の機能が司る。

その特異な回路に共振回路がある。その回路現象を解釈するにコイルの端子電圧の意味が中々分かり難い。

今までの解釈で、変圧器のエネルギー伝送現象 (2020/11/14)。および電磁誘導現象の真相 (2020/10/25)等の認識に辿り着いた。『電流』や『電圧』による解釈はあくまでも電気技術的な解釈手法である。自然現象の本質は『エネルギー』が握っている。『電圧』と『電流』の意味も『エネルギー』の空間現象として理解しなければならないことが分かった。そこで回路共振現象を理解しようとすると、どうしてもコイルの端子電圧の意味を捉えなければ困難との認識に至った。それが『エネルギー』による解釈になる。コイルとコンデンサ間の『エネルギー』の遣り取りになる。

上の記事で、『エネルギー』による解釈の基本はある程度示した。それでも共振現象でのコイルとコンデンサ間の『エネルギー』の遣り取りやその周期 Tと(LC)^1/2^[s] 間の関係式の問題は解決に至っていない。

それは『エネルギー』がコイル内でどのような空間分布状態かに関わる解釈の問題でもある。そこにコイルからコンデンサへの『エネルギー』転送とコイル端子電圧の関係が明らかにならなければならない筈だ。コイルは電圧に対して他力本願的機能に思える。自己で端子電圧を決める機能を持っていないようだ。コイル電圧は端子に掛かる外部のエネルギー供給源によって決まる量である。コイル端子への線路静電容量と分布エネルギー量から決まる。

端子電圧とエネルギー。

コイルに図のような電圧を掛けた。コイル端子電圧は外部回路との電気エネルギーのコイルへの入射あるいは放出を伴う。『電圧』とは回路端子の電線間の『エネルギー』分布量と静電容量によって決まる概念量だ。コイルに正の電圧が印加されれば、それは負側電線空間を通して、コイルに『エネルギー』が流入する現象である。その端子電圧に対抗する現象がコイル内に起こらなければならない。電圧に対してコイルは受け身である。印加電圧が零の区間で、コイル端子電圧はどの様な現象になるか。電気物理(コイルの電圧) (2019/03/17) はコイルの『エネルギー』による解釈を始めた頃のものだ。しかし、誘導エネルギーに観る技術と物理 (2019/04/03)はやはり技術論であり、空間に実在する『エネルギー』の認識より技術概念での誘導エネルギー論である。コイル内空間に実在する『エネルギー』は、技術的な『電流』によるコイル内の『エネルギー』(1/2)Li² のような、コイル空間のどこに在るかが理解できないものとは、その意味が異なる。質量に付帯する運動エネルギーとは全く次元が異なり、光と同じ空間の光速度流の『エネルギー』なのだ。

コイルの芯に磁性体があるとする。コイル端子に電圧が印加されている限りは、コイル周辺空間に『エネルギー』が流れ続けなければならない。『エネルギー』の入射が受け付けられなく、内部空間が『エネルギー』の飽和状態になれば、コイル端子の電圧は零の短絡状態となる。その基本的意味を理解した上で、端子電圧とコイル周辺の『エネルギー』分布の関係の解釈を示そう。

電源電圧一定値の①の区間では、コイル間の分布静電容量に対する『エネルギーギャップ』の分布量が一定に保たれている。1ターン当たりの電圧がvuで、その巻数倍が端子電圧となる。その間は電源側から『エネルギー』が流入し続ける。その貯蔵容量が中心空間に要求される条件となる。

②の区間。突然電圧値がゼロとなる。その時コイル巻き線周辺の『エネルギー』の分布は①と異なり、エネルギーギャップも零となる。しかし既に貯蔵した『エネルギー』はコイル内部に蓄えられている訳だ。その『エネルギー』の分布様態はコイル巻線部の内側の空間内を還流する図のようなものとなる。この状態は、鉄心部に記したように、その磁極 S と Nが決まった向きの軸性のエネルギー流となる。

以上によって、観えないコイル内の『エネルギー』の分布とコイル端子電圧の関係を解釈する。

あくまでもコイル端子電圧は、『エネルギー』貯蔵機能要素を発揮しながら、その外部への現れ方は他力本願である。外部回路の『エネルギー』分布によってそれに対応する不思議な機能を備えていると解釈した。

この結論をもって、漸くL C の共振現象の解釈に進める。

科学が科学であるとは

今日カレンダー(新潟日報社)の新しいページを見た。9月は佐渡の尖閣湾の美しい風景が迫るものだ。

何方も、この尖った岩を見て何かを感じるだろうか。もし『何故』このような岩なのか?と疑問を抱かれれば、それが科学の心と思う。地球がどの様にして、ここまで大きくなったか、その訳など分かりようが無い。初めから地球が有った訳ではない筈だ。多寡が海に飛び出した尖った岩の意味など生活の足しにはならないけれども。これも科学だろう。

以前からその岩は古代の巨樹の化石と解釈している。海底の地下迄調査できればなあ!

科学は単純な疑問がその基本と思う。電気回路現象を考えても、疑問が尽きることはない。いつ迄も理解不可能な我が能力の無さを噛み締めながら。コイル・インダクタンスは自発的電圧発生の機能が無いと気付いた。他力本願回路要素か。

佐渡金山が何故金の鉱脈の山となったのか。決して『金』も初めから『金』である訳はないのだ。その回答は地質学の答える科学論の分野だろう。

古からの疑問を一つ。原子核分裂の燃料はウラン原子・ウラン鉱脈から採取される。とても高度な核物理学理論の学問分野だ。なぜ、ウラン238がウランの99%も占めるのに、単に0.7%しか無いウラン235だけが利用できるのか?おそらく核物理学理論では明確にその訳が分かっているのだろうと思う。まさか分からない事など無いと思うが、誰もが理解しておくべき日常生活の生存に関わる問題の理論的根拠でもあろうから。専門家は率先して情報発信すべき問題と思う。科学が科学であるために。

先月の8月12日と思う。NHKの朝のニュースを見て感じた。はやぶさで採集して持ち帰った岩石の分析に関する話であった。岩石の科学的分析で、その過去の歴史が分かるのかととても興味がある。地球の岩石もいとも簡単にその古代の成分分析が可能なのだろうと期待している。柱状節理の岩石分析も可能の筈だから。しかし、良く理解できなかったのだが、何か岩石内に存在する『水』の成分が科学的調査で明らかにする意味が有ると言うような話と理解した。『ソリャ―一体どういう意味か?』水は酸素と水素の化合物で、水素や酸素がそれほど分析する価値があるのかと、その科学論の意味が分からずに驚いた。それも科学が科学であるための話題なのかと。早く岩石の古代の歴史の分析方法を知りたいものだ。『金』の古代の歴史も解るのかと?『金』は初めから『金』ではなかった筈だから。地球物理学や地質学の分野だろう。