カテゴリー別アーカイブ: 哲学

観自在菩薩

魔訶般若波羅蜜多心経の最初の五文字である。それは経文全体の本源となるべき最も大切な意味が込められていると観る。ここに述べる事は、全く門外漢の解釈であり、一般の解釈とは相容れないものであることを先にお断りしておきたい。

この心経と言う経文全体が漢字の羅列に思えるほど、内容を理解することなど筆者には土台無理な事である。だがしかし、一つだけ『色即是空。空即是色。』の意味については筆者にも強く共感できる思いがある。それは物理学理論の欠陥を指摘していると思われる深い自然界の実相を洞察した真理の標言と考える点である。それが空間の『エネルギー』である。

『質量』は『色』の一つである。それはよく見える世界の姿である。その『質量』が光となって空間に放射されると、その光の『エネルギー』を見ることも測ることも出来ない『空』となる。物理学理論の対象とできない実験的検証不可能の自然世界の実相が『空』の『エネルギー』と理解した。

大昔、理論など何もなく、ただ自然の事象を己の心に照らし合わせて、納得できる結果として辿り着いた悟りの言葉と解釈したい。心経の言葉としてまとめられる迄には長い伝承を通して受け継がれ、その結実の花となった東洋思想と理解したい。

経文の漢字で気掛かりが二つある。

一つ目は『波羅蜜』の『蜜』の字である。これは『密』の字の間違いではないか。真言宗でもある密教の『密』の字の筈だ。なんで心経の中に甘い蜂蜜の『蜜』の字が入るのか、それは場違いだ。

二つ目は最後の『ギャー諦ギャー諦』の『ギャー』の漢字(変換されない)は無意味である。『諦』の字義はとても深い意味を持っていて、不明な事柄や事象を分かる様に明らかにするという意味である。諦観などと使う。経文の最後のまとめとして、『掲諦』の文字によって、明らかになった道標を掲げて、みんなで前に進みましょう。という意味と解釈する。それが経文の最後の言葉に相応しかろうと。

さてそこで、『観自在菩薩』の意味はどの様なものと考えるかである。その意味として、これは『菩薩様がこう述べた』などの意味では全く納得できない。『禪』の根本原理は民主主義と解釈する。権威によって自由を妨げる事はしない筈。権威を作らない。全体主義を嫌う。その禅的な捉え方からすれば、菩薩様とはならない筈だ。これから述べる筆者の解釈はとても今までの標準的な論説とは全く異なり、常識外れであろう。『自在』と言う用語は自在鉤等、囲炉裏の鍋を自由に上げ下げできる吊り具を言うことから「自由に」と言う意味を込めて使われる。それが一般的かと思う。しかし、それでは大切な生きる指針を伝える『心経』の冒頭言としての『自在』の意味としては無意味に思える。『菩薩』は『菩提薩埵』の『菩提』と『薩埵(サッタ)』を合わせた言葉とも採られているようでそちらを採りたい。『菩提樹』などと使われる『菩提』は迷いから目覚めること。悟りの智慧等と解説される。『薩埵』は衆生と言う悟りに至らない人の意味かと考える。このように考えた時、「観自在菩薩」の意味は最後の⦅掲諦⦆と合わせて、『物事の本質を己の中に観つけるように進んでゆきましょう。』位の意味と勝手な解釈をしたい。

『波羅多』の意味を自然は災害の波も、また柔らかい絹織物の穏やかさ「羅」も多い。とまた勝手な解釈をしたい。だから「三密」ではないが『密』の漢字を当てたい。

Is Coulomb force between charges logical?

What is the principle of the force that the same charge collects? How much charge can be collected? Is it possible with Coulomb force ? What other principle of collective force is there? (訳)同じ電荷が集合する力の原理は何か?どれ程の電荷集合量迄可能か?クーロン力で可能か?他にどんな集合力の原理があるか?

Coulomb force is the basic of charge theory. The mystery in the theory of charge is “whether there is no contradiction in why they are discussed on the assumption that the same charge are collected.” (訳)電荷論の基本にはクーロン力が在る。その電荷の理論での不思議は『何故同一電荷が集合することを前提に論議されるのかに矛盾はないのか』という事である。

There is no “concept of force” for no object that cannot assume acceleration. “Charge” cannot define acceleration. Therefore, there is no logic in charge theory to discuss “force” in dynamics. (訳)加速度を伴わない物に『力の概念』は有り得ない。『電荷』には加速度を定義できない。だから、電荷論には力学上の『力』を論じる論理性がない。

Coulomb’s law does not include the underlying mass of the concept force. So it cannot be a formula that expresses the “force” in dynamics.  (訳)クーロンの法則は力の概念の基となる質量を含まない。だから“力”を表明する式とは成り得ない。

 

What is energy?

Energy exists  in space and its visualization is mass.

エネルギーが空間に実在する。そのように表現する『エネルギー』は運動エネルギーや位置エネルギーとは異なる『エネルギー』である。光も空間に実在し、その半波長も、4分の一波長も空間の体積を占める。言い換えれば、光の何分の1波長の長さの空間でも、空間を占めて実在する『エネルギーの空間占有体』である。だから振動数は光の『エネルギー』を定義できない。振動数での評価エネルギー e=hν [J] は決してエネルギー量を定義できない。光子が何万個あっても同じ評価数量の概念であり、エネルギー量のジュール[J]を定量できない。それは科学論の手法の限界でもある。1波長の光のエネルギー量を計測しようとしても、振動数は測れても、決してその光の『エネルギー』量を計ることはできない。太陽光線の到来する単位面積当たりでも、その『エネルギー』量が何ジュール [J] かを計れない。空間を流れてくる光の『エネルギー』ジュール [J] を計れない。電気コイルの中の空間に流れている『エネルギー』[J] を計ることが出来ないことと同じ意味だ。

『エネルギー』は観えないし、測れない物理的実在量だ。だから『エネルギー』とは何かを明らかにする事が自然世界の哲学論になる。

『質量』は『エネルギー』と等価である。

この意味をどのように理解しているか?『質量』が『エネルギー』に変換されたとき、『質量』は無くなり、空間の観えない『エネルギー』にすべて変わると理解しているか。それは『熱』でも見えない空間に実在する『エネルギー』だ。物体の中の構造空間内に貯蔵された『エネルギー』で、それが熱だ。電気抵抗体が熱の『エネルギー』を貯蔵して、高温になるのがその例だ。決して熱の『エネルギー』を見る事はできない。そこに在るのに見えないのだ。しかし存在している事は輻射によって理解できる。

物理学理論で認識していない、捉えきれない空間の『エネルギー』が実在している。代わりに『電子』や『電荷』を仮想して理論を構築している。気体分子運動論的な『エネルギー』による理論構築が物理学理論となっている。其れでは『エネルギー』の空間像を理解できない。

『質量』は光の空間『エネルギー』が質量化した姿でもあると理解すべきだ。だから『質量』が光に変化されれば、質量は消え、光だけにもなる。薪が燃えれば熱が出る。酸素と結合しただけで、何の質量も減少しないで、熱『エネルギー』が発生する訳がない。その質量の意味が化学方程式には認識されて示されていない。『エネルギー保存則』とは、どの様な意味か?電線路空間を流れる『エネルギー』も同じ自然の姿だ。『電荷』の矛盾を理解すべきだ。

What determines the battery voltage?

基礎研究とは何か? (2020/07/11)。

『何が電池電圧を決めるか?』と検索してみた。電池は『エネルギー』を貯蔵する電気用品で、あらゆる可搬型電気器具の『エネルギー』源として欠かせない技術用品だ。古くから使われている乾電池は電圧 1.5[V] だ。鉛蓄電池は電圧 2.0[V] の単位cellである。ボタン電池は 3.0[V] 等である。それぞれの電池は特有の一定電圧である。そのような一定電圧になる訳を説明できるでしょうか?これだけ情報化社会でも、こんな身近な電気用品の「電池電圧」が何故一定値になるのかの解説がどこにも無い。検索すれば、『電子』が解説の主役として論説されるが、そこに『エネルギー』がどのように負荷に供給されるかの意味が示されていない。科学理論は「論理性」がその根本をなしていると思われている。しかしそこで解かれる解説には、論理的で説得力のあるものが見えない。科学論を述べる解説者が、一般の市民の疑問を受け付けない『専門性』の閉鎖障壁となる『門』で塞がれているように思える。『学問』と言う疑問を大切にする、問う事で学ぶ『問』から離れてしまったようだ。

大学で成されるべき基礎研究とはどんなものか。技術開発だけではない筈だ。例えば、『電荷』とはどの様なものかを問う『学問』の府でもなければならない筈だ。それが多様性を重んじる豊かな基礎学問の府となる筈だ。それは科学技術の競争とは異なって、「経済的利益」を求める事に役に立つものではない。税金を使ったら利益を生めという事では『学問』は消えてしまう。生きるに日金を稼がなければならない労働(労働の平等を破壊する派遣労働制)を虜にする社会構造では、未来の理想社会の姿を考えるゆとりが奪われ、政治批判能力が育たず、選挙権を行使する民主主義の基盤が崩れ去る。独裁政治が生まれる。

科研費を稼ぐために競争的資金獲得に汲々とするところには本当の基礎研究はない。多寡が乾電池の電圧の事であるが、何故『エネルギー』を使っても一定値を保つのか?に答えて欲しいだけなのだが、それに答えられないのでは問題ではないか。安心して取り組める環境でない任期制の研究者体制で、どこに基礎研究体制が採れるというのか?研究費獲得のために、汲々とするところに乾電池の端子電圧の意味を考える基礎研究は決して為されない。

乾電池の電圧が何故 1.5[V] かを説明できる訳を求めるような、本当に日常感覚で疑問に思うような問題が基礎研究の基になるのではないのか?教科書の理屈では、誰でも答えられない問題なのだ。

過去の思考記事。電池の原理を問う (2014/11/27) 。電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08) 。謎(pn接合は何故エネルギー空間か) (2017/05/18) 。電池における電子の役割を問う (2018/05/24)。

『電圧』という意味

電気理論の基礎概念は『電圧』と『電流』である。

電気の話をするには『電圧』が基になっている。電圧計で測れば針が電圧値何ボルトと表示する。電気回路に示される自然界の真理は電圧計に示されている。と誰もが分かり、疑問を抱かない。

交流電圧。

交流電圧は正弦波も一つの標準であり、それは図のように示される。このような波形を見て、その意味をどのように解釈するだろうか。

物理的実在量『エネルギー』の空間分布量を評価する技術概念量が『電圧』である。

電圧波形は時間で正弦波状に変化することを示している。その電圧値は何処の値と理解するでしょう。電気常識に依れば、電源端子の電圧が電線と負荷の電圧の総和に等しいと解釈する。しかしその解釈には、電線路空間内の『エネルギー』など何処にも意識する事はない。この常識的解釈法には負荷に『エネルギー』を供給する伝播現象の意味が見えない。

電線に電圧を掛ける事は、水路に水圧を掛けると同じ意味で、水の流れと同じく『電流』が流れる必要の論理展開にならざるを得ないことになる。そこで『エネルギー』が電源からどのように負荷に伝送されるかと尋ねれば、物理概念に空間に独立した『エネルギー』が存在するという認識が無いから、答えが出来ない。結局『電子』が『電流』と逆向きに流れると解説するだけで、『エネルギー』の伝播現象を解説しない。

電線路の『電圧』とは電源から負荷まで、すべて電圧位相が異なるのだ。電源から負荷まで電線路『電圧』の値は同じくないのだ。電線路空間を光速度で流れる『エネルギー』の分布量を評価する技術概念であるから。要するに、空間の『エネルギー』を意識しない限り、電気回路現象の本当の姿は理解できないのだ。

易しいと思う事の中にも、とても難しい事が隠されていると思う。分かるという事は、分からないと疑問に思う事から初めて辿り着ける事のように思う。

『電圧』と『エネルギー』の関係を記す前に。

分かるという事

何にも知らないで過ごしてきた。

自分のことが最大の謎になった。

知らないという事に気付かないで過ごした。

ただ電気現象だけに意識が向いていた。

分からないと気付いた多くは電気現象であった。

分からないことに気付いて初めて分かるのか。

『電荷』が存在しないと分かるとは、

それは余りにも大き過ぎる分かるという事だった。

分からないとは気付かない事だったんだ。

気付かないことが最大の恐怖になった。

電気現象の哲学的課題

1990年(平成2年)に『JHFM』単位系-エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) ーを作った。自然現象は『エネルギー』がその根源をなすとの認識である。その時の課題が真空透磁率μo[h/m]と真空誘電率εo[F/m]の『エネルギー』の伝播現象に果たす空間構造の哲学的解釈であった。

伝播定数γ=√(CL)  [s/m] 。それは『エネルギー』の単位長さを伝播するに要する時間。光速度と同じ物理的意味であるが、光速度の逆数で評価するものでもある。記事、空間定数とエネルギー伝播現象 (2019/09/14) が参考になるでしょう。

電線路空間は線路定数によって統一的にその特性を評価できる。その電線路空間を伝播する『エネルギー』の特性を特徴付けるのは電線路単位長当たりの C[F/m] およびL[H/m] そして伝播定数γ[s/m]である。線路定数は分布定数回路空間の世界 (2019/10/14) に示した。

電線路の電気現象についてまとめるにあたって、今も自然の時空構造をどう解釈すれば良いかと疑問のままであるので、最終的課題として提起しておきたい。

光の相対速度と空間

Light never makes its way for the observer.It’s just a matter of nature. (2020/06/04)

光とは世界の不思議を背負っている。道端に咲く花をみれば、その鮮やかな色彩も光の姿だ。不思議が故に、その科学論も不可解な世界を生み出す。1675年の昔、レーマーが光の速度の測定をして、毎秒22万kmの有限な速度であることを発見した。それは観測者と光の関係が相対性であることをも示している。素敵な感性に基づく実験による業績だ。しかし1905年、アインシュタインが「特殊相対性理論」を発表した。アインシュタインは光の速度測定の実験はしていない筈だ。光速度はほぼ30万km毎秒と今は理解している。空間定数とエネルギー伝播現象 (2019/09/14) 光はその伝播する空間媒体によってその速度が決まる。金属導体があればそれは障害となり、回析現象も起きる。光は空間エネルギー分布波であるから。電磁波とアンテナ導体との関係と同じ性質を示す。その上で、『光速度一定』とはどの様な空間座標に対しての意味かをハッキリさせなければならない。

光はいつも『相対速度』で観測される。光は厳正な世界創造の役割を担っているから、決して観測者に対して光速度一定にはならない。空間と時間を司っているから。光は基本的に一定の光速度で空間を伝播するエネルギーの縦波である。その基準空間は光の光速度によって規定される世界の標準であるから。一定の光速度の光の観測者が、その基準空間座標に対して静止していない限り相対速度で観測することになる。天体からの光となれば、観測者との相対運動によって、それは『相対速度』になる。しかも地球上での観測となれば、地球の運動体の速度の影響がない筈はない。光は魔術師ではないから、規定の光速度であれば必ず相対性の基に在る。朝日と夕日の太陽光線は何故違うか。当たり前の現象を素直に観測して考えてほしい。光も空間に分布したエネルギーの周期波でしかないのだから。何も振動する物理量など無いのだから。観測上直交成分で観測できたとしても、観測技術の問題でしかないのだ。電気回路のエネルギー伝播現象と基本は同じものだから。電気回路のエネルギー流を電圧と電流で解釈する技術概念と同じものでしかないのだ。古い投稿記事に、光の速度と空間特性 (2011/5/22) がある。その記事は分かり難い。改めて、大切な内容なので、ここに再度書き直す。電気現象の解釈で、光エネルギーの伝播現象の理解なくしては困難であるから、『電荷』否定と同じく統一的な基本に光の解釈が重要であるから。

光規定空間

光が空間と時間を司る。その意味で、光の速度と言う解釈の基本に、その空間の定義が明確でなければならない。図は地球での観測になっているから、回転体の空気層に包まれた観測環境は理想的ではない。光の伝播に障害となる地球であることは間違いない。しかし、天体からの光がどのような空間で光速度一定という意味を認識できるかを考える意味で取り上げる。星から光が放射されたとする。その速度はどの様な空間に対して時間と空間長さを規定して伝播するのだろうか。決して地球上の観測者の運動に合わせて速度を決める訳ではない。光が伝播する直線状の伝播距離と時間は決まった光の速度によって規定される筈である。その軌跡によって光の速度を規定する空間座標を想定することが出来よう。その光が障害のない空間に付けた道が直線で規定する空間座標が定まる空間を『光規定空間』と定義する。その空間に於いて光は『光速度一定』と言える。

光相対速度のベクトル図

光の伝播を空間ベクトルで解釈する。光規定空間を直交座標 Xi, Yj and Zk で規定する。この座標上で、光の軌跡は直線となり、速度は光速度の一定値となる。光源S(t) が座標原点O(時刻t=0 )で、単位ベクトル nc の方向に光パルスを放射した。光源 S(t) は単位ベクトル ns の方向に速度 V で運動している。

時間 t で光と光源の位置ベクトルは(1)式で示される。

光と光源の空間軌跡の間には単位ベクトルのスカラー積によって、 θ=cos^-1^(nc・ns) の角度がある。さて、光源からの光パルスは光速度で時刻tでは P(t) 点に到達している。さて光源に観測者が居て、その放射パルスの位置 P(t) 点をどのように認識するか。その空間距離は r となる。

その距離は(2)式となる。その距離 r は光源から見た光の時間 t で進んだ距離と見做される。時間で割ればそれは光の相対速度となり。

(3)式となる。この式の意味は、光源から光が放射された瞬間から光源の運動や、観測者の運動には一切関わりなく光規定空間で光速度一定の速度で伝播することを示す。その光と時間と距離の関係は全く普通の相対関係にあることを意味したものであり、決して特殊な関係は無いという意味である。

そこには運動体上の観測者と光の速度の認識の基本問題が存在する。もし角度が、θ=π とすれば、観測者と光のパルス間の距離は相対的に光速度と観測者の速度との加算となる。

光の相対速度 cr

相対速度 cr (3)式。光が相対速度に関して、特殊な意味など持っていない。

むすび

光はすべてのものに平等である事をその基準としている筈だ。科学理論においても特権階級の席は作らない。

 

 

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電流とその測定
電気回路の電線路に電流計を繋げば、その電線の中に如何にも『電流』が流れているが如くに針の振れで示すから、決して誰も『電流』を疑わない。電線導体の中を流れる『電流』を自然現象の真理と考えて疑わない。そこには超電導現象という新たな発見もある。電線導体内を流れる『電荷』があるとして、それが自然の真理と捉えられてきた。電流計で計測しているものは何かを知らなければ、『電流』の意味は分からない。

Ampere meter  電流計の内部は右図のようにその基本計測量は可動コイルと言うコイル内に貯蔵された『エネルギー』の量である。そのコイルに流せる『電流』の最大値は大よそ100[mA]程度という事である。測定電流 I[A] のほとんどはコイルと並列に小さな値のシャント抵抗 r [Ω]に流す。だから電流計で測っているものはその抵抗に掛かる僅かな『電圧』分に相当する『エネルギー』分布を並列のコイルに取り入れて、そのコイル貯蔵『エネルギー』の量を磁気的な力によって測定しているのだ。決して『電荷』が電線の中に流れている『電流』と言う概念の「自然に実在する物理量」がある訳ではなく、コイルの電線周りに貯蔵された空間に実在する(光と同じ)『エネルギー』の回転流を計っているのだ。電気回路の電線はその電線で囲まれた空間を電気と言う『エネルギー』が光速度で流れて負荷に『エネルギー』を供給する役割の、その導きの道路の機能なのだ。だから『電流』の逆向きに『電子』が電線導体内を流れる等と言う解釈もハッキリ言わせてもらえば、それは『嘘』の科学論なのだ。光が何処(何もない空間)を通るかを考えれば、光と同じ速度で伝播する電気の『エネルギー』はやはり電線の中など通れる訳が無いと分かる筈だ。そこに大きな科学理論の混乱が現在の哲学的課題としてすべての地球の人に課せられているのだ。電流計で測っているものが何かを知るには、科学技術の中の姿をきちんと理解すること以外に自然の姿を知る方法は無いのだ。その事は高等数学の式では理解できない、例えば『電荷』の存否を数学の式では説明できないことも知らなければならない。

電流計則の式。電流計が何を計量しているかを式でも考えておこう。電流計の内部合成抵抗 rA からコイル電流 IA は(1)式となる。ただし、負荷電流が I[A] である。その電流計のコイル貯蔵『エネルギー』 WA は(2)式となる。ただし2分の1の係数は省略する。さて、この貯蔵『エネルギー』 WA[J] は負荷電力 P[W] と次の関係にある。

この(4)式から、結局コイルの『エネルギー』WA は電流計の内部定数 KA によって、次の(5)式のように負荷を計測していると見做せる。

(5)式の WA は負荷電力 P[W] と負荷抵抗 R[Ω]の比を計量していると見做せることを示している。次元はKA[H]よりP/R [(J/s)/(H/F)^1/2^]=[J/H]である。

電力の測定

電力測定 P=VI(W)       電気回路の『エネルギー』の測定法。その第一歩が電力測定であろう。それは電気の『エネルギー』を如何にも電気商品のごとくに商品として販売するに欠かせない技術である。しかし、『電圧』と『電流』の積では商品としての『エネルギー』量の計量には成らない。しかし乍らまず第一歩として、『電圧』と『電流』の積が何故負荷の電力値 P[W] となるかを図のコイルの貯蔵『エネルギー』 WA[J] とWV[J] からその意味を算定してみよう。電力測定法で、何故『電圧』と『電流』の積が「電力」になるかの分かり易い解説が見えない。科学技術の優れた英知の結晶を、噛み砕いて理解することの大切さを忘れないで欲しい。

コイルの貯蔵『エネルギー』 Wv を電圧 V として計測している。この意味について、先に電気エネルギーの測定法(電圧)に示した。その電圧値は負荷との関係で、『電流』の測定値の意味(4)式から、次の(9)式の意味を計測していることになる。

電流計の並列内部抵抗値 rA に対して負荷抵抗値 R は大きいから、端子電圧に対する電流計の電圧降下は無視できよう。従って、

負荷電力 P[W] は『電圧』 V と『電流』 I の積となる訳の意味である。以上のすべての解析は『オームの法則』一つによって解釈できた訳である。如何に『オームの法則』が簡便で、優れているかには驚嘆せざるを得ない。結局技術概念の『電流』と『電圧』と言う二つの測量技術が電線路空間を光速度で伝播する空間の『エネルギー』を捉えた手法である事に、如何に現代科学技術社会がその恩恵に預かっているかを知らなければならない。その法則の深い意義を知らなければならない。しかし同時に、電線導体の中には『電荷』など流れていない意味も計測技術を通して知らなければならない。

『エネルギー』の測定法。
電力量計として現在『エネルギー』の取引メーターとして使われているものが積算電力計[kWh]メーターである。どこの家庭にも玄関の外に取り付けられている計量器である。使用電気『エネルギー』量に応じて、アラゴの円盤の回転量で計測する優れた計量法である。電気技術の優れた結晶がこの積算電力計であろう。アルミの回転円盤に使用電気『エネルギー』の量に相当する電磁力を働かせて、円盤の回転回数として『エネルギー』の量を計量する『エネルギー』計量法の電気技術利用の優れた計量器具である。『エネルギー』は人がそれを物理量として決して目に捉えることの出来ない自然の姿であり乍ら、それを見事に計量している。科学技術に乾杯。科学技術のその深い意味を捉えることが、その奥に隠れている自然の姿を理解するに欠かせない筈だ。空間に展開する物理量の『エネルギー』の姿を理解することが自然を知るに欠かせないのだ。『質量』とは何か?『電荷』とは何か?『エネルギー』を知らずには、自然の深い真相を知ることのできない自然科学の道である。マックスウエル電磁場方程式が何を表現した式であるか?スマホの電波も電気『エネルギー』の空間への放射と消費である。直流電気回路も電線路の空間を電気『エネルギー』が伝播する現象である。その直流回路の電気『エネルギー』も線路空間を『光速度』で伝播する『エネルギー』の伝播現象である。図のように電源の負側の導線に沿った空間を負荷まで『エネルギー』がほぼ光速度で伝播するのである。電線内を『電子』などが光速度で流れることなど決してできる訳がない。しかも『電子』には『エネルギー』を伝送する機能・能力など、その物理的定義として付与されてはいない。『電子』のエネルギーは原子周回運動の運動エネルギー論で、質量に依存した概念しか仮想的な付与でしか定義されていない筈だ。その運動エネルギーを負荷に届ける、『電子』の往路と帰路の『エネルギー』の増減論は聞かない。『電子論』には『エネルギー』伝送の論理性が全くないのだ。だから『電子』が電気回路で役立つ論理性などどこにも無いのだ。

おわりに
『エネルギー』の姿の一端でも空間に展開する姿を御理解して頂けるかと述べた。自然の本源が『エネルギー』であることを唱えた。

(関連記事)何度も同じような事を述べた。筆者が論じる科学論は所謂科学常識からかけ離れて、しかも高度な数学的記述でないことから「文学論」だと言われもしたが。しかしITネット空間の解説にはこれが科学論かと思える論理矛盾の内容が満ち溢れている現状は間違っているからである。「電子と電気エネルギー」などと検索すると、少し古い記事で「電圧と電子と電気エネルギーの関係は? 」に当たり前と思える質問がある。それに対する回答者の余りにも陳腐で、何も考えていない姿が観え、悲しい。科学常識のひどさが『電子』に現れている。現代物理学理論に『エネルギー』の空間像の認識が無い点が最大の現代的教育の課題となっている。マックスウエル電磁場方程式の解釈に『エネルギー』の認識が欠けている事が原因かもしれない。

技術概念「電流」とその測定 (2018/9/24) 。電子は流れず (2019/6/6) 。電流は流れず (2010/12/22) 。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。また、「電流は流れず」の確信に至った訳を少し述べた、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/8/11) 。

摩擦熱とコンパス (2020/3/22) に『静電界は磁界を伴う』の実験写真を示した。電界と磁界は『エネルギー』から見れば、同じことを知ってほしい。

The magnetic force and energy flow   

『電流』が磁気を発生すると言う。『電流』の流れる回路にコンパスを近付けると、確かにコンパスは力を受けて決まった方向を向く。しかし、『電流』は電線内の『電荷』の流れる時間微分と定義されている。それがアンペア[A]である。同じことが『電子』が電線内を流れると解釈しても、同じように電線近傍の空間に磁気の力が及ぶという。現代物理学理論の論理性として、電線内から離れた線路空間に磁気力を及ぼす原因としての力の真相は何なのかを明確に解説しなければならない筈だ。電線内部の『電荷』の移動が、電線内全体に同一の『電子』密度で分布しながら移動すると、磁気を帯びたコンパスに力を及ぼすことになる訳は何か。『電子』が流れるという論理には、電線導体の負側だけでなく、正側も同じく『電子』が充満して流れる事をも含んでいることになる。『電荷』の分布による『電圧』の原因解釈も、正側電線内のプラス『電荷』と『電子』の負『電荷』との兼ね合いで、どの様にその論理性を解釈できるのか?もう一つ重大な論理矛盾がある。それは力の物理学的解釈では質量に働く以外『慣性』の無い対象に「力」の概念は成り立たない筈だ。力の概念と電気物理 (2019/5/21) 。「クーロン力」の概念適用は根本的に論理に反した『力』の概念矛盾である。さて、『電子』がどの様な力をコンパスの動きに作用力を及ぼすと物理学理論では解釈するのか?筆者がマグネットの近傍空間に観えない『エネルギー』の流れとして確信したその方向は、十数年前にこの図の Energy flow の方向に依って決定した。

Friction heat and Compass

追記(3月23日)。少し説明不足が有った。電気クラゲが浮遊する現象の主張したい点は反発力かと思う。静電気ではクーロンの法則での同じ電荷同士の間に生じる反発力になろう。電気クラゲの浮遊現象はクラゲがマイナスの『電荷』即ち『電子』なら、風船も同じく『電子』でないと反発力の意味には成らない。その点に関して、以下の記事での摩擦による『熱エネルギー』とコンパスの関係は反発力の説明には成っていない。以前から摩擦の熱エネルギーと電気エネルギーは同じものとの解釈に立っていたので、電気クラゲの話についコンパスとの実験を思い立って試みた。しかし電気クラゲの反発力の実験としては説得力がなかった。そこで、少し追記にて説明したい。電気クラゲはビニル片を通して、『熱エネルギー』を放射するであろう。そこに摩擦した風船も『熱エネルギー』を周りの空間に放射すると考える。電気クラゲの放射が強くその反発力と解釈して良かろう。

はじめに 「電気クラゲ」の記事が 新潟日報 (2020/03/21 土曜) に載っていた。楽しく拝見させて頂いた。記事の通り「かぎは静電気」である。それが世界の科学理論・電気磁気学の伝統的科学常識である。今も、「科学革命の構造」トーマス・クーン 中山 茂 訳(みすず書房) の第九章 科学革命の本質と必然性 を少し読みながら、正しくその通りと『パラダイム』の意味を考えさせられて居る。

『エネルギー』の不思議
『エネルギー』は様々な姿で世界に現れる。それをそれぞれ自分好みの観方で捉える。『電気エネルギー』も『光エネルギー』も『熱エネルギー』も質量から解放された独立の単なる空間に存在する『エネルギー』なのである。
『電荷』『磁束』も空間に存在する『エネルギー』を自分好みの捉え方で、自然世界を見る便法でしかないのである。『電荷』や『磁束』が自然界に実在すると考える捉え方が、今まさに問われているのだ。

摩擦と摩擦熱。
物を摩擦すれば、そこには仕事に相当する『熱エネルギー』が発生する。それは触れば熱くなるから、その存在を理解できる。その『熱エネルギー』はより温度の低いところに放射されて、空間分布『エネルギー』の平準化に向かう。所謂放射現象や伝導現象によって熱は流れる。

摩擦熱に磁気コンパスの反応。

動画の投稿が出来ないので残念。ブログでは「セキュリティ上の理由によりこのファイル形式は許可されません。」となる。You Tube でも「無効なソース」の為投稿不可。結局、摩擦エネルギーの意味を示す動画での解説、検証説明ができない。

その実験内容。アクリル系の樹脂の物を指や紙で擦る。理科実験用の方位磁石のコンパスを備える。そのコンパスに摩擦したものを近付ける。コンパスが強く反応して指示方向が回転する。

科学論のパラダイム。伝統的科学論は『電荷』が電気現象の根本にある。『電荷』は、『電子』は『エネルギー』とは観ない。まさか空間の『熱エネルギー』の現象が『電気クラゲ』の姿とは誰も考えないだろう。それは『電気クラゲ』の静電気が伝統的科学理論の世界標準論に基づく解釈であるから。しかし誰でも何か絶縁材料を摩擦して、コンパスに近付けてごらんなさい。コンパスの指示方向が変わりますから。ただし、大事な条件が有ります。コンパスは空間に支持されていなければならない。オリエンテーリング用の油の中の磁針や周辺に閉鎖さた磁針でないことが必要である。空間の光エネルギー流を検出する確認実験であるから。『静電界は磁界を伴う』の電磁界解釈の検証実験結果を発表してから33年経った。

図3.直流電界とマグネットの回転

Above are photographs of the experimental results when DC voltages of +15kV,+30kV and -30kV were applied to the Rogowski electrode.

The schematic diagram of the experimental device is shown on the right. This experimental result is impossible according to the traditional theory of electromagnetism. That is, the concept that “the magnetic field exists in the space of the electrostatic field” should not exist in the theory of electricity. However, the results showed that “the electrostatic field is accompanied by a magnetic field “as based on the theoretical prediction. the basis of the theoretical prediction was that “the magnetic flux should be considered to be generated by voltage-time integration”. That is 33 years ago.

The results of this experimental have completely undermined my understanding of the theory of electromagnetism. Finally,” charge” does not exist in this natural world.  Therefore, “electronic theory” does not hold. I reached the point of that conviction.

上の写真は、直流電圧 +15kV  、+30kV、⁻30kVをそれぞれ平行版の金属電極に掛けたものである。これは電極に伝統的電気磁気学論に依れば『電荷』のプラスとマイナスが金属板に集まる。しかも直流であれば、電荷は一定値で、変動しない。その空間は一定の静電気による静電界の場の筈である。決して磁界は存在しない筈である。図は、円形のコンパスをその空間に吊るした状況である。電圧がゼロの時はコンパスは地磁気の方向を向いている。直流電圧を高くすると、コンパスの向きはその方向を変える。ある角度だけ回転して、地磁気の方向と異なる方向を向いて停止する。さて、『電荷』でどのように解釈するか?の問題である。

追記(2020/3/28)。The geomagnetic direction that is the reference for the compass in the Rogowski electrode is shown.

上のロゴウスキー静電界内の磁気コンパスの方位について基準となる「地磁気」を示す。

 

 

磁気コンパスも示そう。支持はベークライトの円柱棒。マグネットはフェライトコアで、掲示用品に木綿糸の留め支持リングを接着剤で付けた。