カテゴリー別アーカイブ: 哲学

摩擦熱とコンパス

追記(3月23日)。少し説明不足が有った。電気クラゲが浮遊する現象の主張したい点は反発力かと思う。静電気ではクーロンの法則での同じ電荷同士の間に生じる反発力になろう。電気クラゲの浮遊現象はクラゲがマイナスの『電荷』即ち『電子』なら、風船も同じく『電子』でないと反発力の意味には成らない。その点に関して、以下の記事での摩擦による『熱エネルギー』とコンパスの関係は反発力の説明には成っていない。以前から摩擦の熱エネルギーと電気エネルギーは同じものとの解釈に立っていたので、電気クラゲの話についコンパスとの実験を思い立って試みた。しかし電気クラゲの反発力の実験としては説得力がなかった。そこで、少し追記にて説明したい。電気クラゲはビニル片を通して、『熱エネルギー』を放射するであろう。そこに摩擦した風船も『熱エネルギー』を周りの空間に放射すると考える。電気クラゲの放射が強くその反発力と解釈して良かろう。

はじめに 「電気クラゲ」の記事が 新潟日報 (2020/03/21 土曜) に載っていた。楽しく拝見させて頂いた。記事の通り「かぎは静電気」である。それが世界の科学理論・電気磁気学の伝統的科学常識である。今も、「科学革命の構造」トーマス・クーン 中山 茂 訳(みすず書房) の第九章 科学革命の本質と必然性 を少し読みながら、正しくその通りと『パラダイム』の意味を考えさせられて居る。

『エネルギー』の不思議
『エネルギー』は様々な姿で世界に現れる。それをそれぞれ自分好みの観方で捉える。『電気エネルギー』も『光エネルギー』も『熱エネルギー』も質量から解放された独立の単なる空間に存在する『エネルギー』なのである。
『電荷』『磁束』も空間に存在する『エネルギー』を自分好みの捉え方で、自然世界を見る便法でしかないのである。『電荷』や『磁束』が自然界に実在すると考える捉え方が、今まさに問われているのだ。

摩擦と摩擦熱。
物を摩擦すれば、そこには仕事に相当する『熱エネルギー』が発生する。それは触れば熱くなるから、その存在を理解できる。その『熱エネルギー』はより温度の低いところに放射されて、空間分布『エネルギー』の平準化に向かう。所謂放射現象や伝導現象によって熱は流れる。

摩擦熱に磁気コンパスの反応。

動画の投稿が出来ないので残念。ブログでは「セキュリティ上の理由によりこのファイル形式は許可されません。」となる。You Tube でも「無効なソース」の為投稿不可。結局、摩擦エネルギーの意味を示す動画での解説、検証説明ができない。

その実験内容。アクリル系の樹脂の物を指や紙で擦る。理科実験用の方位磁石のコンパスを備える。そのコンパスに摩擦したものを近付ける。コンパスが強く反応して指示方向が回転する。

科学論のパラダイム。伝統的科学論は『電荷』が電気現象の根本にある。『電荷』は、『電子』は『エネルギー』とは観ない。まさか空間の『熱エネルギー』の現象が『電気クラゲ』の姿とは誰も考えないだろう。それ『電気クラゲ』の静電気が伝統的科学理論の世界標準論に基づく解釈であるから。しかし誰でも何か絶縁材料を摩擦して、コンパスに近付けてごらんなさい。コンパスの指示方向が変わりますから。ただし、大事な条件が有ります。コンパスは空間に支持されていなければならない。オリエンテーリング用の油の中の磁針や周辺に閉鎖さた磁針でないことが必要である。空間の光エネルギー流を検出する確認実験であるから。『静電界は磁界を伴う』の電磁界解釈の検証実験結果を発表してから33年経った。

右の写真は、直流電圧+30kV、⁻30kVを平行版の金属電極に掛けた。これは電極に伝統的電気磁気学論に依れば『電荷』のプラスとマイナスが金属板に集まる。しかも直流であるば、電荷は一定値で、変動しない。その空間は一定の静電気による静電界の場の筈である。決して磁界は存在しない筈である。図は、円形のコンパスをその空間に吊るした状況である。電圧がゼロの時はコンパスは地磁気の方向を向いている。直流電圧を高くすると、コンパスの向きはその方向を変える。ある角度だけ回転して、地磁気の方向と異なる方向を向いて停止する。さて、『電荷』でどのように解釈するか?の問題である。

追記(2020/3/28)。上のロゴウスキー静電界内の磁気コンパスの方位について基準となる「地磁気」を示す。

 

 

磁気コンパスも示そう。

 

 

 

 

マグネット 摩訶不思議-ハルバッハ配列-

はじめに(2020/02/21) 久しぶりに楽しい時間を過ごさせて頂いた。ものづくり・科学フェアinアオーレ長岡、2月1日。普段は全く科学や伝統技術に触れる機会がなく、ひきこもりのブログ投稿で過ごす。今回の催しに参加し、科学の雰囲気に触れられ、話ができる満足を楽しませて頂いた。その科学技術で、少し勝手に質問等させて頂いた展示部門に「ハルバッハ磁場」がある。お相手頂いた方(学生さん?)にはありがとう。久しぶりに『磁気』の専門的な部門の不思議を味わった。展示された先生には感謝です。改めて、今回もう一度「磁力」の物理的現象の意味を考えてみたくなった。自然現象、物理現象の解釈を学問とした物理学は、ややもすると簡便な伝統的解釈手法に拘泥したまま、その理論に不思議とか疑問とかを抱かなくなっている。所謂「考えない」伝統論が支配してしまった。筆者が取り上げる内容は、それらの伝統論の矛盾を拾い出し、新たな市民が理解できる易しい科学論(数式を使わない日常用語あるいは空間図形表現で解説する科学論)を目指すため、専門家の皆さんからは顰蹙を買う内容となろう。教科書批判ともなる訳だからなお更ややこしいことになる。ご容赦の程お願い仕ります。今日ダッシュボードに、関連した古い記事が読まれて、コイルの電圧時間積分と角周波数 (2016/03/21) が挙がっていた。この記事を書きながら、もう一度磁束の意味を、その概念に自然現象としての物理的な論理性が有るかどうかと自身で確認した。それが電流と磁気と空間の哲学 (2020/02/24) である。

摩訶不思議(2020/02/20) 非常に不思議だという意味で魔訶が付く。解けそうもない永遠の謎に思えるのがマグネットの磁気エネルギーの保存原理だ。電気器具の電池が切れるような、マグネットのエネルギーが切れることに遭遇する経験がない。何故マグネットは幾ら力によってエネルギー消費の物理現象を辿ってもマグネットの機能がなくなることが無いのか。エネルギーの永久保存則など有るのだろうか。それは地球が自転・公転する原理が理解できないと同じ位不思議だ。

マグネット 

今回会場で頂いたマグネットの寸法と形状を示す。

「ハルバッハ配列」と言うマグネットの利用技術が有ることを教えて頂いた。リニアモーターカーの浮揚磁石として使われるとか?のお話であった。

そのマグネットを磁気力で、側面接合させたら、図のようにズレて接合した。このマグネットの磁極は赤丸のN極と青色のS極が図のような側面にある。図のように接合面がズレた珍しい向きになっている。図のように半分ずれた位置で安定する。その位置で安定する訳は何故か?マグネットの一つの現象の表れである。その意味をどう解釈するかが物理学の意味であろう。磁束や磁界の物理学概念でどう解釈するかである。このズレを無理に押し付けて平板型の一体マグネット構造にすると、下側のマグネット面が NSSSN の磁気の並びの磁場構造面となり、この下側面が「ハルバッハ配列磁場」となる。上面は NSNSN の磁気配列で、「ハルバッハ」とは無関係だ。「ハルバッハ配列磁場」は強烈な磁場面となる。何故そのような磁場となるのか?「磁束」概念で解釈できるのかを論じてみたい。それは電気磁気学の全貌に関わる内容になる筈だ。『静電界は磁界を伴う』の実験結果が示した『磁針・マグネット』の静電界中の磁界検出の意味の確認ともなるから。

マグネットが呈する現象は電気磁気学の神髄を秘めている。マグネットのことが理解できれば、それは電気磁気学の学理を習得したと見做してもよかろう。こう断言する訳をここで論じてみようというのである。それは『電荷』と同じく『磁荷』及び『磁束』も自然世界にはないという基本的立脚点に立っている事からの断言でもある。電気磁気学という科学技術に欠かせない科学論の根幹が、今こそその深い基本で検証されなければならないところにある。

磁気・磁束とは
マグネットの解釈では、必ず磁束や磁界が専門用語として使われる。磁気、磁束の関係した科学技術の代表は変圧器であろう。二つのコイルを鉄心と言う構造体に巻き付けると、その巻き数の比率に従って、二つのコイルの電圧が決まる。その電圧は鉄心内の磁束によって決まる。ファラディーの法則の式には励磁電流など一つもない。電圧と磁束の関係しかないのだ。励磁電流など流れなくても、理想の変圧器は立派に動作する。鉄心の物理的特性に依るのであり、励磁電流など不要なのだ。理科教育・物理学はもっと技術の意味を学習し、考えてほしい。旧い伝統踏襲の「考えない教育」から脱却してほしい。教える方も法則や基礎概念のその意味に疑問を抱く程深く認識し、自己問答をしてほしい。と『磁束』の概念が電圧時間積分によると言いながら、その『磁束』はこの自然世界にある訳ではなく、それも科学技術の一つの解釈概念でしかないと言わなければならない切ない論法になる。

磁力、その解説。
マグネット間には「磁気のクーロン力」と言う式で表される力があると解説される。式は磁束φでなく、存在しない磁荷+m 、-m[Wb] で表現されている。その理論式に論理性があるとは考えられないにも拘わらず、見過ごされている。実際にはマグネットの磁力の特徴、意味を図解では磁束φで表現される。そこには残念ながら、磁束で磁力を納得させる説得力は見当たらないからであろう。

上のマグネット接合の訳。それはマグネットがエネルギー流による現象だから。

図3.エネルギー流と反発力 図のような配置にマグネットを持ってくると、平板状に並ばず、図のようにズレる。それはマグネット間に力が働くからである。マグネットの不思議な磁力は磁極近傍の空間のエネルギー流の為せる業であるからだ。エネルギー流が接合面で、逆流によって反発の近接作用力となるからである。実験的な証明ができない解釈である。空間に実在する『エネルギー流』など計測できない物理量であるから。それは光と同じものである。

ハルバッハ配列の磁場 図3.のマグネットのズレを強く押して、平板状にすると磁極がNSSSNのハルバッハ配列面が得られる。裏面は磁極配列がNSNSNとなり、その面はハルバッハ配列ではない。その磁場の磁力は強くはない。

図4.ハルバッハ磁場 とても強力な磁場が発生する。その訳は何故か?(1)磁束描像 と(2)エネルギー流描像で表した。磁束描像では特に磁力が強くなる物理的意味が説明できない。磁力発生原理になる磁束量の式が無いから。

(2)エネルギー流描像 中心の広いS極面のエネルギー流が存在し、その側面配列のS磁極とのエネルギー流が強め合う方向に合流すると解釈できる。残念ながら、この解釈も空間エネルギー流を観測する実験的手法を筆者は知らない。表式化するだけの科学的根拠を示せない。

磁場の砂鉄模様

図5.砂鉄模様。磁場の様子は砂鉄では観測できる。マグネットの上に紙を載せ、そこに砂鉄を振りかけた。(1)はハルバッハ配列面の模様。(2)はその裏面の模様。

(1)ハルバッハ面。砂鉄模様からは特別磁場が強いという様子が見える訳ではない。ただ、全体が一つの磁極の磁場模様を呈していると見える。(2)ハルバッハの裏面模様。明らかに磁気N極とS極の間に断裂が有る。

図6.ハルバッハ配列砂鉄模様。もう一度砂鉄量を増やして、模様を取った。指で砂鉄表面を均した結果の模様である。この模様は磁極S面の大きな磁場模様で、周辺部に強い磁気が集中した広い磁場の様子を呈しているとみられる。単独の磁極の磁場ではこのような広い模様は得にくいと思う。

むすび。

側面に張り付けたマグネットの磁気エネルギー流も中心の磁場と同じ方向の流れとして、それを強める方向に流れる。図6.はその結果によって生まれた磁場模様と解釈する。それが「ハルバッハ配列」の磁気の強度をなす原因と解釈する。

 f = rot S/c [N/㎥] の磁気力の意味について。模様の外周部が広く一様であるので、磁気周辺部におけるエネルギー流の急峻な分布模様とは異なる。しかし、中心のS極周辺部ではゼロから急峻なエネルギー分布量に立ち上がっているとも観られることから、そこにおいて表式の意味が成り立つと解釈することは出来よう。

【附】ハルバッハ裏面砂鉄模様。

①の模様は砂鉄を撫でた結果のもので、砂鉄の分布が4列にハッキリと分かれている。中心の2列は磁極Nの幅の模様である。また、両端の2列は側面のSN磁極の幅に模様である。中心の磁場Nと隣の磁極Sの間は磁束表現で捉えれば、砂鉄模様に断裂が発生する理由はない筈で、ここにも磁束評価解釈の矛盾が表されていると考える。電磁界解釈の基本理論で、磁場はNS極間では磁束を通して強くつながる筈である。この付図のような磁極間に断裂は発生しない筈だ。どのように解釈すべきか付議したい。

参考記事。磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16) 。から始まって、既に9年が過ぎた。新世界―科学の要ー (2015/03/05) に磁界とか電界とかの概念も一つの『エネルギー流』の下で理解したいとしてまとめた。

電流と磁気と空間の哲学

哲学とは(2020/02/23)。「明解 国語辞典 改訂版 金田一京助監修 (三省堂)昭和29年4月5日。これは高校1年生の時から、今でも大切に使っている大事な辞書だ。そこに哲学:あらゆる仮定を排して根本原理を扱う学。とある。

電流とは何か?『電荷』とは何か?電子とは何か?磁気とは何か?その空間事象は如何なるものと解釈すべきか?それは自然科学の最も根源的即ち哲学的課題だ。電気工学理論では自然の真相は説明できないのだ。電子は流れず (2019/06/06) 。

科学への不信。 最近こんな言葉が有るようだ。誠に我ながら情けない。初めは電気工学の勉学の役に立てればとの思いもあって、己の認識を確認しながら時を重ねてきた。日本物理学会に参画させていただき、日頃の思いも発表させて頂いた。しかし辿り着いてみたら、そこには初めの思いと異なる結果に次々と遭遇し、己自身を題材にして知らず知らずに「哲学」の深みにはまってしまったかも知れない。何か深く考究を積み重ねているうちに、科学への不信などと言う風潮を生み出すような結果になってしまったのかと申し訳ない思いもする。筆者本人が信じられない程、物理学理論の矛盾の多さに困惑している。それも電気回路現象の本質が見えた結果としての結末でもあった。実は今ある磁場の意味を考えて、新しい磁気現象・マグネット磁場の記事を書き始めた。しかしどうしても、電気磁気学理論の根本法則である「アンペアの法則」についてもう一度その根本原理の意味をかみ砕いで自身で整理しておこうと思った。科学への真の信頼を取り戻すためにも。

アンペアの法則と磁気の概念

図1.直線電流と磁界 アンペアの法則を直線電流 I[A] によって表現してみた。電流ベクトルを直交座標 r = xi+yj+zk  で表現する。単位ベクトルをそれぞれ ij および k とした。p 点の座標 r の方向単位ベクトルは r/r となる。無限長直線電流による電流周辺空間に磁場が生じる現象を数式によって評価する基本概念として、アンペアの法則を捉えて良かろう。実際の技術的認識には極めて理解しやすい表現の法則である。その現象の物理的意味を考えるとき、何故電流の位置から離れた空間に磁界が発生するのかと言う疑問が浮かぶ。なお、電流は少なくとも往復2本の電線で囲まれた空間回路でなければ、電流概念も成り立たないことを付け加えておく。実はまたこの電流と磁界のことを考えると昔を思い起こす。昭和61年春のこと、高専の電気科4年生の電気磁気学の授業中に、電流の磁界Hの空間磁場模様を rot H [A/㎡] = J の電流密度空間として計算例題に選んでいた。と記憶している。その時廊下の窓から黒板の板書内容を写真に撮って行かれた。それは中曽根臨教審の関係の出来事と後で理解した。

電流はアンペアで、電荷の時間微分の概念である。それはあくまでも『電荷』の流れが離れた空間点の『磁束』即ち磁束密度(μH[Wb/㎡])の発生原因となる意味である。「クーロン[C]」が「ウエーバー[Wb]」を発生することになる、基本的に「次元変換」の自然現象解釈となる。『電荷』が『磁束』の意味を内包しているとは定義されていない。『電荷』は、その存在空間に如何なる物理的空間像で表現されるのかと言う疑問に答えていない。それは空間に描く『磁束』の空間像と結び付く『電荷』概念像でなければならない筈だ。物理的な基本概念で、その理解し易い物理的空間像が明示されなければならない筈である。それが論理性を基礎にした科学論を展開する場合の基本姿勢でなければならない。離れた空間座標点に何故『電荷』の運動で、『磁束』が発生するのか?磁束密度B=μH[Wb/㎡] は電流が磁界を発生すれば、自動的にそれは磁束と解釈する。空間は透磁率μ[H/m]の場と捉えている。何故か?と疑問を抱くこと、その疑問を子供たちに伝えることが教育の姿勢であるべきだろう。そんなに自然のことが解っている事ばかりではない筈だ。殆ど分からないと考えるべきじゃなかろうか。

電子と磁気。 

図2.電子と磁気 いろいろの解説記事で磁束の発生に電子スピンと言う用語が現れる。磁束の発生原因に電子スピンを唱える方は、電子のスピンと言う現象をどの様な空間像で捉えておられるのか?電子がスピンすると何故磁気が生じるのか。電子は空間的にどのような像で捉えているのか?電子は『電荷』と『質量』を備えた基本粒子となっている。『電荷』がどのような速度 v[m/s] の運動をするとそれが『磁束』に変換されると言うのか。

マグネット磁気。

図3.マグネット。マグネットの機能は磁束で解釈される。磁束は磁力の機能を何故発揮できると考えるか。実際マグネットはとても強力な磁力を発揮する。

 

図4.磁束と磁力 F(φ)?

何故磁束が磁力の基になると考えるのか?磁気のクーロン力には磁束は関係していない。磁気のクーロン力に表現される変数の『磁荷』は存在しないことで一般に解釈されている。マグネットは近付けると磁力が増す。磁束が変化するのか?磁束が磁力の機能を発揮するとの解釈はどこにも示されていない。それなのに何故磁束が磁力の重要な基の如くに考えるのか。

磁力の原因は何か?

何故マグネットは磁気を保持したまま、その磁力が弱まらないのか?磁性材料の代表が鉄である。何故鉄が強磁性体の特性を持っているのか。周期律表で、傍の銅は磁気特性を持っていない。原子構造の違いは電子の配列で解釈する。そんな違いが鉄と銅で生れる訳を、周回電子が発揮する程の物理的役割を持っていると考えられるだろうか?図2.の(2)鉄の磁気とは?で示したのは、鉄の電子スピンが磁束発生源だというような解説が有る。マグネットの磁気は本当に電子スピンによると解釈できるのだろうか。磁束が発生しても、何故その磁束が磁力を生じると考えるのか。昨年の記事 物理学理論と磁束 (2019/04/22) に重ねて、電子スピンを唱える方が、その具象像を御提示をされることを願い、求めて取り上げた。

『エネルギー』はどこにある。

図5.エネルギー流と磁力

マグネットや磁針の磁極 N 、Sの近傍空間にはエネルギーが流れている。そのエネルギーの回転流の方向は図5.の磁極間のようになる。この空間のエネルギー流の流速がどの様であるかは検証できない。空間のエネルギーは光速度に近いと考えるしかない。電線路の伝送エネルギー流からの推測である。そのエネルギー流が磁極NとS間で接近すると近接作用力として、周辺部に高密度の急勾配分布をきたす。磁力 f = rot (S/c) [N/㎥]はギャップ空間の周辺部単位体積当たりの力密度の解釈である。電気学会 電磁界理論研究会資料「資料番号 EMT-87-106」(1982) p.152 の(29)式である。

むすび

二つのマグネット間の砂鉄模様を観測すれば、ギャップを狭くするにつれ、砂鉄はマグネットの外周辺に集中し、マグネット中心部には砂鉄は無くなる。マグネットの磁力は周辺部のエネルギー流分布勾配の空間微分によって決まると解釈する。 電気磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03) がある。また、コンパスと砂鉄の心 (2015/12/03) で砂鉄模様からエネルギー流を調べる意味を述べた。

質量とMassの間に

はじめに(2019/12/22)
文字は心の表現文化だ。世界を知り、その意味を読み解き、その捉えた象形・認識を広く共通理解するための表現手段が文字になる。科学の世界を語ろうとすれば、そこにはその専門用語が揃っている。電気工学から電気磁気学の『エネルギー』概念に思いが移り、その中に見え隠れする自然の神髄に辿り着こうとしても、『エネルギー』からの隔たりに長く戸惑いを覚えてきた。電気と言えば、『エネルギー』より大昔から『電荷』がその中心に居座っていたように思うが、最近はその『電荷』での科学論が虚しくさえ思える。伝統的科学理論を支えて来た基礎概念と用語が余りにも狭い専門領域内でしかその役割を果たせなくなっていると思うようになった。質量も科学論・物理学はじめすべての分野の基礎概念と理解されている。しかしその質量と言う用語で捉える物も、原子、分子あるいは電子から構成されていると言われまたそこから光が放射される現象を考えれば、質量から光のエネルギーが何故放射されるかと考えてしまう。天空にきらめく星の光は何故放たれるのか。質量から放射されるのかと?そんなとりとめもない不思議から質量とMassに思いが移った。

自然と科学概念

自然はそこに表現する姿象が余りにも豊穣で、科学論で語り掛けて近付こうとしても、なかなか寄せ付けてくれない。数式でその意味を表現しようと試みても、きっと巨像の尻尾程度しか理解できないのだろう。

質量(Situryou)とMass 質量と言う日本語訳の原語はMassであろう。日本語と言っても、それは中国文明の恩恵を受けたものである。Massを質量と翻訳した明治時代(?)の先人の叡智には感嘆せざるを得ない。この点について筆者は、この訳語『質量』が元々中国で翻訳されていたのか、あるいは中国では他の訳語が使われているのかどうかも知らない。さて、科学技術文明は基本的には西洋思想の叡智が育んだものであると言えよう。あらゆる科学技術用語もその思想の中から生まれたものである。その西洋世界の文明の姿の基本はやはりその表現用語の文字に在ろう。アルファベットと言う26文字の組み合わせから表現され、構築された概念である。古代中国の生み出した漢字文化とは大きく異なったものである。グローバル化の時代に取り残された筆者には、過去の宝探しに現を抜かせば『質量とMass』の関係性の不思議に思い当たる。やはり漢字の『質量』にその意味を尋ねてみたくなる。そこには東洋思想の匂いがする。物には言葉が付きそう。言葉は人の心を表す。心は人の日常意識の在処である。文字は心の表現手段。中国文明の流れる東洋思想には物の空間における具象認識がその根底に在ると観る。象形で理解する。それは具象性を求める。それに対してMass には具象性に変わって抽象性の心が見える。26文字での表現には、科学技術文明を生み育てた抽象概念構築の途轍もない叡智が感じられる。『エネルギー』の流れる現象を『電圧・電流』と言うとても高度な抽象概念に依って捉える手法を生み出したのだから。

漢字の意味に遊び心を重ねてみよう。古代の隷書体には漢字に込めた中国の哲人の思いが観える。物・世界を見る人の認識の象が表れている。

『質』の字:貝に鉞(マサカリ)が二つ。この隷書体と遊び心を繋げれば、貝塚までもなく、巨大な貝を食料としていた遥か彼方の人類の営みが想像されて来る。とても固くて巨大な貝との格闘が見えてくる。切り開く困難に鉞の字が当てはめられた心が読み取れる。

『量』の字:計る道具の現代のバネ秤の構造に似ている。量るという意味が良く表されている。

『質量』に翻訳した心。『質』と『量』の二文字を組み合わせた『Mass』の訳語をどのように決めたかを考えれば、その先人の文明開化への情熱の高まりまでも読み取れる気がする。道端の石ころ一つにも、その石は初めから石ではなかった。地上の石は遥か昔の太陽の光が創り上げた遺跡ともみられる。どんな変遷を経て石になったか知ることも出来ない。質量と言う用語の如何にも固い形の物の概念を言い表しているかを思えば、そこに有っただろう具象性が心に響く。

鉞。この漢字は鉄金属で出来た比較的新しい(紀元前の話であるが)マサカリ。右の旁(ツクリ)がマサカリの意味だ。「新」の字の偏(ヘン)は多分巨木の梢に立って新たな道を切り開く程度の意味で、その時には必ず「マサカリ」で邪魔な物を切り捨てる必要があり、それが旁の「マサカリ」であるのだろう。そして初めて漢字に込めた「新」の新しい意味となると考えて観たい。「断」の字も複雑に繋がる糸の偏の字を何かやはり「マサカリ」で絶つような意味なのかと考えたい。このように『質量』の用語を考えても、そこに込められた先人の思い、世界に対する心構えを思い描けるような気がする。その思想にはやはり世界観の特徴として「具象性」の際立ちが観える。それに対して『Mass』には「具象性」は見えない。

言語と東西文化。

日本語と西洋言語では同じ対象を表現するとき、当然その意識の根底には幾らかの対象への異なる心象が有るのだろう。西洋思想と文明に際立っていると思えることは、やはり26文字によって世界を理解する言語感覚にあり、その表現能力に抽象的な認識において卓越性が有ると言えよう。そこに観えるものは対象に具体的な漢字一文字を当てて認識する具象的な東洋との違いであろう。具象性より抽象性において優れた象形認識力が強いと考えたい。そこに科学技術による世界の自然開拓・開発の論理構築力が発揮されたのかと思えば、世界認識手法における文字の意味さえ不思議な対象となる。自然科学理論が自然を利用する活用技術の統一的構築に西洋思想の意識の基でこそ初めて成されたのかという思いがする。それに対して、無限の漢字数によって自然世界を具象的に認識する思想の中に『無』とか『道』あるいは『空』の概念で捉える統一的自然認識との意識の融合が東洋思想の特徴かもしれない。自然との一体感に「老子」の自然哲学が大きく影響してきたとも思える。

質量とエネルギー

質量が如何にも固い物に思えても、質量が世界構成の根源でないことはみんな知っていよう。また質量が原子・分子から構成されているという意味も理解し、みんな納得しているだろう。その原子は周期律表にまとめられているように、とても多くの特徴を持ったものに分類されている。原子には核と言う中心領域がその周辺とは異なる存在になっているようでもある。周りが電子で取り囲まれているように言われている。原子の特性は核分裂以外はその周辺の電子が担っているような原子構造論で常識化されているような印象を受けている。そこで、『質量』や『電子』あるいは『電荷』と日本語によって認識する科学基礎概念は西洋思想によって構築された概念であることを再確認したとき、その概念に対峙する対象の捉え方が同じものなのだろうかと考えさせられるものがある。そう思うのは筆者だけなのだろうか。今まで科学概念は世界共通の理解にあった。『電子』や『電荷』の物理概念や物理量が何故具象性によって認識する東洋思想の中にすんなりと受け入れられてきたのか不思議である。それ等の空間像をどのように描くのか。空間に存在するものならば、その空間の占有像が描かれなければ存在するとは認識できないのが東洋的具象意識ではなかったのか。其処に欠けていたのが『エネルギー』だったのではないか。熱も光も『質量』もみんな『エネルギー』の具象像ではないか。『エネルギー』を構成する、それ以上の根源量はない。物理学理論における『エネルギー』が的確に認識されていると思えないところに現代的科学論の課題が有ると思う。水の波を『エネルギー』で理解することが日常生活に根差した理科教育の要である。

 

水の電気分解

はじめに(2019/11/19)

有名な本「ロウソクの科学」を読んだ(まだ最初の何章かであるが)。なかなか理解するのに基礎知識がなく、困難である。年代は1860年ごろの出版書である。現代科学論と比べれば相当昔の話の内容である。しかし乍ら、有名なファラディーの公開実験講座の講演記録で、とても内容は高度なものに思える。実験器具や化学薬品など基礎的なものでありながら、深い内容として筆者には有意義な著書になる。その中に水の電気分解の実験記事がある。J.J.トムソンの陰極線より前の話である。『電子』概念がない頃の実験である。それでも直流電源は立派に働いていた。その本を読んで、水の電気分解がよく理解できない筆者自身を自覚させて頂いた意味でも貴重な内容の本である。電気分解は化学の話になるかと思うが、電気との関係で『電子』の意味を考える話としてとても重要な物理的内容を含んでいると思う。今取り上げている、電池とイオン化傾向そして『エネルギー』との関係の物理現象が物理学基礎理論として大変意味が有ると考える。そんな筆者の理解できない内容を自己問答として取り上げてみる。その取り上げる内容が科学知識としては本当に基礎的な知識であるから、専門家がどのように評価されるかにも関心がある。読者にも参考になろうから、ご指導をコメント頂ければ有り難い。理科教育の科学常識に関わる意味であり、特に『電子』概念の論理性の問題でもある。なお時代として「ロウソクの科学」ではまだ電子論は採られていない。

水の電気分解

現象と意味。 水の電気分解の現象を考えると、とても難しいことに思える。幾つかの場合に分けて、分からない意味をハッキリさせてみたい。自分の分からない事を明らかにするには、その分からないという意味の内容を明確に認識し、自覚することが先ず大事である。そこから研究の第一歩が始まり、より深い理解に辿り着く可能性が見えてくるかもしれない。と考える。

水とは何か?

検索すれば簡単に解説がされているが、筆者にはとても理解できない事ばかりである。水の分子一つを取り上げても、何故酸素と水素が結合して命の水に形態変化をするのか。朝露を観れば、踏み付ける草の命に愛おしさを覚える。目立たない草が水を作っているように見えるから。コンクリートの中に居ては決して見えない世界であるかも知れない。天然の精水 (2012/06/14) 。化学結合論として H2O を学習しても、何故そのように結合するかの原理は原子物理学の解明するべき内容である。自然界に存在しない電子で結合論を論じても、一般の市民が真に納得するだけの解説にならないだろうと思う(?)。クーロンの法則を電荷論の基礎に据えながら、負の電荷同士の電子が手を繋ぎあう共有結合等と言う結合力を認める合理的解釈が生まれる訳などどこにもない。そんな基本的矛盾を抱えたまま、科学コミュニケーションなど採れる訳がないと思うが如何でしょうか。

実験回路

回路①。 基本的な実験回路は①の場合である。まず図の直流電源の電池をエネルギー源としてみた時、エネルギーは電池の負極から電線近傍を伝播して、負荷対象に届く。この場合の負荷対象は水で、 H2O という分子の集合空間である。今の教科書の解釈は電子で説明されている。筆者は、その『電子』が実在するなどとは考えられない。「ロウソクの科学」でも未だ電子での解釈はない。電気のプラスとマイナスという説明もなされてはいないで、電気の力という言い方である。水に電圧を掛けると、酸素と水素に電気分解されるという実験的事実である。その実験的水の電気分解はさて、この①の場合で、筆者はここでも電池から『エネルギー』E[J]が水分子一つ H2O に供給されると解釈する。その時水の空間が負荷インピーダンスとなる。水分子に『エネルギー』がどのように印加されるかという問答になる。水中に?マークを印した。しかし、その水の空間にどのように電圧が印加されると考えればよいか良く分からない。分子式で書き表せば、次のようになろう。電源からの供給エネルギーをE[J]とする。なお、水の電気分解と水素燃料電池は丁度逆の化学反応になっている。ついでに、燃料電池の場合も併せて示す。

電気分解    H2O + E[J](電気エネルギー) =(1/2) O2 + H2

燃料電池   (1/2)O2 + H2 = H2O + E[J](発電エネルギー)

電気分解は水(実際は純水ではなく、不純物が含まれている)に電気エネルギーを供給して、金属電極と水分子の間に掛かる電圧(エネルギーギャップ)に因って分子分解をすると考えたい。電子、電荷を物理量から排除すれば、残るはエネルギーによって解釈する以外ない。その『エネルギー』と言う概念が物理学理論で明確に捉えられていないと、残念ながら考えざるを得ない。それは『電荷』や『電子』が水の電気分解はじめ、電気現象の基本的論拠となっているのが現実であるから。『電子』での解釈は原子構造論からの『イオン』と『電子』の関係で如何にも分かり易いように思えて、科学常識として受け入れられてきたものであろうが、そこには『エネルギー』の意識が抜けた、大きな矛盾を抱えたものとなっている。電源からの供給エネルギーと言う解釈が無い。『電子』では『エネルギー』の役割を担えない。そこに物理学理論の基本的欠陥が隠されている。

針状電極

『電荷』を否定すれば、イオンと言う解釈が採れない。しかし電極には確かにプラス、マイナスという違いがある。(プラス、マイナス)という表現自体が『電荷』を否定したら使えないのであるが、エネルギー供給側(マイナス側)とその対称極側(プラス)などと区別しても、もっと分かり難くなるから,やむなくプラス、マイナスで表現する。さてそのプラス側とマイナス側の電極と水の接触点で、どの様な電気的ストレスが発生するのか?一つ電極が針状の尖ったものの場合を考えてみたい。電極が尖った場合は、空気中では明らかに火花、グローコロナの形状が異なる。負極側では勢いよくコロナビームが放射するように発生するが、プラス極側では先端に固まった小さなコロナとなる違いがある。それは水の中でもおそらく同じ傾向の現象に成ると考えて良かろう。電極が針状の場合は分解効率が良くなるのではないかと考えたい。

印加電圧の極性が両電極で異なる。水と電極金属の間の極性(エネルギーギャップの電圧極性)が逆になる。電源のエネルギー供給は負極側からなされる。負電極と水の間のエネルギーギャップは電極金属側がエネルギー密度の高い状態を呈する。それに対して、陽極側の電極と水の間のエネルギーギャップは水が高エネルギー密度分布となると考えられる。陽極電極にはエネルギーはない。

プラスとマイナスの電極間にエネルギーギャップが掛かる。水分子と電極金属面間に大きな電圧(エネルギーギャップ)が分担されて印加される。学術的解釈論は水分子のイオン化が基本になっている。『電荷』が存在しないから、残念ながらイオン化論以外の解釈で理解したい。解釈の基準に、エネルギーと結合 (2018/10/10) および水の妖精七変化 (2017/11/02) さらに結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) を参照したい。水素分子と酸素分子が2対1の体積比に水が分離される。この実験的事実は科学論の基本として、紛れもなく自然の本質を表している。この科学的常識が『電荷』に因る、あるいは『電子』に因るイオンの解釈になると途端に論理性が欠落してしまう。

回路②。

①の集気は酸素と水素が別々の試験官に採取される。だから酸素と水素が別々にプラス電極とマイナス電極で分解分離されると分かる。「ロウソクの科学」でも、この②のように一つの試験管内にプラスとマイナスの電極によって、酸素と水素を電気分解しながら混合気体として採集している。その混合気体がやはり酸素と水素から成り立っていることを実験的に証明して見せているところが素晴らしいと感じた。その混合気体を燃焼させれば元の水になることを実験で示している。ファラディーのその実験では「電荷」も『電子』も説明には出ていない。ファラディーは“電気の力”や“エネルギー”と言う用語で解説している。そこには違和感はない。ー強力なヴォルタの電池、その二つの電極ーなどと表現しているが。20世紀初頭からの数理的理論偏重の構築された物理学によって、生活科学からの乖離が始まったのが原因ではないかと危惧する。そこに分かり難い曖昧さが忍び込んできた。

回路③。

この回路は①の回路の水(?)の部分を分離したらどうなるかと不図疑問に思ったものである。実験してみないと分からない。回路①の水(?)で繋がった部分の、所謂イオン(?)の移動ができない場合に水が電気分解されるだろうかと試したくなった。この回路はただそれだけの意味を示した。

水素爆発現象が有る。福島原子力発電所崩壊での実際の様子にもあった。大気圧の7倍の高圧破壊になるという。太陽の原理は水素の連続定常核融合現象と専門家は指摘している。水素核融合は水素がヘリウムに変換する現象で、その時エネルギーを放射する核融合反応と言う。ウラン原子の核分裂と逆の核反応現象であると。素人の感覚からすると、太陽の水素原子核融合反応が継続的にほぼ定常の水素原子消費で起きるという状況が信じられない理解力の無さを抱え込んでいる。クーロンの法則との関係で、原子共有結合原理の理解ができない悩みと同じく。「ロウソクの科学」で水素の燃焼実験を公開している。筆者は残念ながらそのような水素燃焼実験を見たことが無い。高圧水素ボンベでの燃料電池の発電方式は水の電気分解と丁度逆の化学反応だ。水とエネルギーの間の有り触れた不思議が考える一コマを運ぶ。

 

 

 

燃料はエネルギーに非ず

科学者に『エネルギー』の定義を問う。
『エネルギー』を検索すると、化石燃料や原子力発電所あるいは再生エネルギーなど様々な内容が挙がる。
『エネルギー』の定義を述べてください。
何故燃料がエネルギーなのか?石油も石炭も決して『エネルギー』ではない。それは『エネルギー』を作り出す原料でしかない。

(2020/01/08)追記。『エネルギー』とは物理的に単位はジュール[J]であろう。燃料の単位はキログラム[kg]や体積ガロン[gal]で計量するものであれば、それは『エネルギー』ではない筈だ。あくまでも『エネルギー』を生み出す化石燃料である。ウラン鉱石も同じである。化石燃料を消費して、熱エネルギーを発生させ、その熱エネルギー量で過熱水蒸気の保有エネルギー量に変換して、次に発電機の回転動力源として蒸気タービンの回転エネルギーに変換する。その蒸気タービンで断熱膨張をして仕事をした残りの水蒸気はまだとても多くの熱エネルギーを保有したまま蒸気タービンから放出される。その蒸気タービンを効率よく回すには、タービン出口の水蒸気圧力を低気圧状態にする必要が有る。そのためタービン出口に水蒸気体積を急激に圧縮するための冷却装置が必要である。その冷却装置を『復水器』と呼ぶ。その『復水器』は海水を冷却材として水蒸気の熱エネルギーを吸収しなければならない。その冷却装置の『復水器』が吸収する熱エネルギー量がボイラーで燃料を燃焼して得た熱エネルギー量の半分以上となる。それは結局海を加熱するために無駄に放出しなければならない発電の熱エネルギーサイクルの宿命なのである。結局発電熱効率は40数%にしかならないのである。核ウランや重油、石炭を燃焼して得た熱エネルギー量ジュール[J]の40数%しか有効に利用できないのである。燃焼熱エネルギー量の50%以上は海の加熱エネルギー量となっているのである。水蒸気の熱サイクルの技術的発電機能は電力エネルギーを消費する我々が知っていなければならない基本知識なのである。水蒸気機関による発電システムの宿命なのである。燃料の保有する熱エネルギー量の40数%しか有効な電力エネルギーを作れないことが科学リテラシーとしての現代社会に生きる人の基本的認識に無ければならないことである。地球温暖化に果たす悪い基本的原因が海水温の上昇であることを知らなければ地球温暖化の論議ができない筈である。『エネルギー』の何たるかを知らなければならない。地球温暖化の原因が海を加熱する発電システムにあることを知らなければならない。『エネルギー』は物理的単位がジュール[J]の意味である。またよくエネルギー研究所などと使われているから、それも誤解の原因かもしれない。エネルギー源材料とか資源とかの意味に『エネルギー』と言う用語が使われているのは物理的『エネルギー』の意味が曖昧になっている原因かもしれない。そんなことでエネルギー像(物理学基礎論)も参考にしていただければ。更に追記。丁度発電所蒸気機関の『復水器』の働きは、気象の上空の寒気が地上の水蒸気の熱エネルギーを冷却して、水蒸気体積を減縮させ急激な地上低気圧を発生させ、竜巻や台風を起こす機構と同じ意味で解釈すればよかろう。

(2020/01/23)追記。地球温暖化原因が海水温度にあると考える。関連記事、地球温暖化と海水温 (2015/05/21) および、地球温暖化原因・CO2説は嘘だ (2014/07/29) 。

『エネルギー』の物理的概念がないから世界の認識が曖昧なのだ。
地球温暖化を論議するに、『エネルギー』の物理的定義が無くて、そこにどのような有意義な未来構想を構築することが可能だと言えるのか。
0.04%の二酸化炭素が何故この異常気象の温暖化の原因だなどと言っておられるのか?海水温度の上昇の地球規模の熱エネルギー量・ジュール量を計算してほしい。太陽熱が云々などという非科学的業界論に支配されてはいけない。

『エネルギー』の物理学的定義を明確にすることから始めてください。決して燃料は『エネルギー』ではありません。『エネルギー』の発生源材料でしかありません。

電荷方程式

電荷方程式とは何か?
初めて聞く言葉であろう。先日突然思いついた方程式であるから。『電荷』とは何か?と聞いても誰も答えられないと思う。その『電荷』の意味を方程式の中でどう解釈するかを問答とする。素粒子論の専門家がどのようにお答え頂くか御聞きしたいものだ。

電荷方程式  電荷 X,YおよびZ の間に次のような関係の電荷方程式が成り立つとする。
X[C]+Y[C]=Z[C]   (1)

[問] 次の場合についてお答えください。
(1)今、X= -3 , Y= +2 とする。 Zは幾らになりなすか。
(2)(1)の場合で、方程式には負の電荷 X と正の電荷 Y がある。正の電荷と負の電荷が統合されると、電荷はどうなるのですか。電荷保存則は成り立つのですか。

正数と負数 数学の方程式では負の数は当たり前の概念である。しかし自然世界に[負]の物は実在しない。[虚数]も存在しない。磁気だけは物理学でも+m[Wb],-m[Wb]などの[正][負]の磁気の物理量は存在するとは考えていない。自然世界で『電荷』だけが特別に[負]のものが存在することになっている。世界の認識で『電荷』以外に[負]の物があるでしょうか?『電荷量』を測定することができない。実験的に測定できなければ哲学になるかも知れない。サヨウナラ『電荷』に関係して。

電池(エネルギー)の不思議

乾電池 1.5V の謎。電池の『エネルギー』とは何か?

乾電池なしには生活できない程使っている。電圧―物理学解剖論― (2011/12/14) が電池について疑問を呈した最初の記事だ。その後、電圧とは何か?電流とは何か?などと、電気の基礎概念に疑問を呈し、電気回路現象の物理的原理は何かと自己問答を繰り返してきた。現在の電池の基本的認識は従来の教科書での解釈理論(電子論)は筆者にとっては全く本源的には無意味な論理となってしまった。どんな電気回路も、その本質的動作原理はすべて、電線路導体で囲まれた線路空間を光速度で伝送する空間エネルギーの現象であると分かった。電流や電圧は優れた科学技術概念で、長い伝統を通して培われた技術文明の賜物である。その優れた英知にはどれほど感謝しても、感謝し足りない思いだ。しかし、自然現象の本質をその技術の中に求めると、それは不可能なことを知ることに辿り着く。自然の本源は極めて単純、純粋であるが故に、人が理解しえない程千変万化の多様性の姿を現すものと知る。結局最初の疑問、乾電池の電圧は何故1.5Vか?に説明が付かないまま、今だにその不思議が解けない。人が創り上げた科学技術の持つ謎(電池)がその心を読み解く為の自然の宝物のよう思える。

電池の原理(専門家の電子解釈論について)。

電池の原理を検索すれば、多くの解説がされている。すべて電池の専門的知識や経験を持った技術者か教育者の解説と思う。しかし、筆者は電池について特別の技術も経験もないが、その解説の内容が理解できない。納得できない。電池の専門家ではないが、電気回路現象に関しては深く思索を積んできた経験を基に、その理解できない訳を解説しようと思う。このまま意味不明の解説が社会に通用している現状を放置して良い訳がない。

電池の種類は多い。マンガン乾電池(1.5Vの単1~単4)、アルカリ電池(1.5V、9V)、ボタン電池、リチュウム電池(二次電池)、燃料電池、太陽電池あるいは鉛蓄電池など。それ等のすべての動作原理の解説は、電子をマイナス電極から外部の負荷を通してプラス電極に流す仕組みで解説されている。こんな解説がまかり通る科学論の社会でよいのか。電子が通ると何故エネルギーが使われる事になるかの一番大切な意味が示されていない。電子は電池のエネルギーをどのように負荷に供給すると考えるのか。どこにも科学論が見えない。『電子』がどのようなものかを誰も考えていないとしか思えない。電池における電子の役割を問う (2018/05/24)

電池の原理(電子否定とエネルギー貯蔵源)。

決して電子が電池のマイナス極側から負荷を通ってプラス極電極に戻る電気現象は存在しない。電線導体の中を電子が流れる物理現象はない。いくら解説に便利な伝統理論だからと言っても、質量と電荷の構成粒子であるという電子を理論に乗せようとしてもそこには矛盾に堪えない欠陥がある。自然界には『電荷』など実在しないから。『電荷』の実在を唱えるなら、そのプラスとマイナスの電荷の空間像の違いを説明できなければならない。電池に求められる解釈理論は『エネルギー』と言う物理的実在量の認識に掛かっている。その『エネルギー』が電池内部のどこにどのような形で貯えられているかを解き明かすことである。電池内部に電子(イオン)などのプラスとマイナスの『電荷』が貯えられている訳では決してない。電池内部にプラスとマイナスの電荷が貯えられているなら、わざわざ逆2乗則に反して、負荷抵抗の離れた外部を通って電子がプラス極に戻る理屈が成り立たない。電池内部で『電荷』を分離した化学物質を組み合わせても、クーロン力と言う理論力で、即ち逆2乗則の距離により中和して電池の役目が果たせない筈だ。しかしそのクーロン力自体が論理的に矛盾論である。 クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で電荷に基づく力学の矛盾を論じた。結局現代物理学理論で、『エネルギー』の認識が曖昧であるところにその根本的原因がある。もし『電子』を空間に仮想したとき、その周りの空間の『エネルギー』をどのように考えるのか?どこまでその電界エネルギー分布、空間エネルギーのジュール量[J]を想定するのか?その答えを述べてほしい。空間に対する『電荷』とは何か?その易しい物理的理屈の通る科学論でなければならない。

『エネルギー』による電池の描像。

 

電池とは、簡単に表現すればエネルギー貯蔵庫である。電子も電荷も不要だ。ただ『エネルギー』だけで解釈した描像を示す。易しいという事はとても難しい事でもある。禅問答のようで恐縮であるが、単純明快とはそうだと考える。豆電球一つを取り上げて、その物理的現象を解説することが如何に困難であるかを知ってほしい。高が抵抗の電力消費の話でしかない。しかしその中の物理現象が明確に理解できるかと言えばとても複雑である。要するに電池の負極側から導線近傍を伝わってほぼ光速度で伝送される電池の『エネルギー』が豆電球の中のフィラメントと言う真空内の抵抗体に入射し、抵抗体の物理的構造内で冷たい伝送電気エネルギーが高エネルギー密度に貯蔵され、熱化によって光放射現象となる。抵抗体の分子構造がそのエネルギー変換の物理的動作機能を握っているのである。空間的には静電容量とインダクタンスの組み合わせによる現象である。特別難しい原理ではない筈だが、抵抗一つでもその解釈には自然の深い意味が隠されているのだ。揚羽蝶の羽の光変換作用と同じく、その空間構造が成すエネルギー変換作用とみれば基本的には同じ意味を含んでいると考えられる。なお、電圧の正側である導線にはエネルギー流はないことを付け加えておく。当然「電子」が戻るなどと言う現象はない。ただ電池から『エネルギー』が負側電線近傍を伝送されるだけで、正側はその伝送空間を決める基準線の役目しかない。ただプラス側に電流計を挿入すれば、電流が測れる訳は何故かとご質問が出よう。電流計もその内部構造は回路の挿入された一つの抵抗素子と同じ電気機能である。その抵抗体にも電池『エネルギー』が入射するから、その電圧降下と言う量を計るのである。

電池の物理・化学的課題。

『電荷』概念から離れて観て欲しい。化学物質、二酸化マンガンとは何か。負極の亜鉛の役割は何か。それらはすべて『エネルギー』に因って解釈し直さなければならない時にある。物質の接合面に生じる『エネルギーギャップ』の問題として考えるべきである。ダイオードのスイッチングにおける『エネルギーギャップ』の問題と通じないかと考える。

謎(pn接合は何故エネルギーギャップ空間か) (2017/05/18)

電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08)

大学と基礎研究

はじめに

大学の研究は如何にあるべきか。基礎研究とは本来経済的利益を目指すものばかりではない筈だ。経済的競争に有効に働く結果に結びつくこともあろう。失敗の連続で終わり、有効な結果を得られなくても、失敗の訳を明らかにできれば、それも立派な基礎研究だ。新しい視点で研究をするため、常に疑問や不思議を感じ取る感性を磨いていることが研究者には求められよう。忙しさに紛れて、研究ができないこともあろう。しかし研究の芽は、道を歩いていても、ボーと空を眺めて居ても、突然閃くものでもあろう。それは日ごろ考えていることの証でもある結果として生まれるものであろう。今でも不思議に思えることがある。以前「参照基準の何々」という教育の指針の報告があった。本当にそれが教育者が参照にして教育をするというのだろうか。「過去の伝統を守って云々」とはいったい基礎研究をどのように理解しているのだろうかと疑わざるを得ない。『電荷』とはどの様な物理的実在か?と疑問にも思わないのだろうか。電流とは電子の逆流と言って納得しているのだろうか。今年になって、分布定数回路を取り上げ、自分と問答をした結果、疑問への答えの一部を得た。教科書の中身であれば、何も経済競争に役立つものとは言えないであろう。科研の競争に挑むようなテーマでもなかろう。そんな地道な研究こそ、企業では投資の対象としないから、大学で取り組むべき重要な基礎研究であるはずだ。高度な最先端の研究においても、理屈に合わない結果に悩むこともある筈で、その時に電荷に縛られては、折角の研究をも捨ててしまう危険がある。そのような場面で役立つ筈の研究課題ならいくらでもある筈だ。電荷を否定すれば、『イオン』とは何か?も大きな意味を持っているはずだ。今回も一つの電気回路の思考実験として課題を取り上げて提示したい。

電源は何故負荷状態を知りうるか。(まだ確たる結論に到達できていない。問答の「問」だけである。)

決して電流概念では解答を得られない問題である。50Hzの2線式の送電線路があると仮定する。その亘長を1500㎞とする。その亘長は正弦波波長のちょうど4分の1で、位相角90度分に相当する。電源電圧値が立ち上がりの丁度零の時、負荷端の電圧値は幾らでしょうか。その時の電圧値はちょうど負の最大値になっているはずです。電源電圧と負荷端電圧が同じくない訳である。これはオームの法則で解釈できない電気回路状態である。これも電気回路現象である。所謂分布定数回路として考えるべき問題となる。こんな問題も教育としては重要な基礎理論の問題なのである。実際は正弦波交流でなくても、直流送電であっても交流と変わりない同じ原理による基礎理論(それが未だ教科書にはない新しい認識)で解釈しなければならない現象なのである。こんな日常的な思考問題も、経済競争に何の役立つように見えなくても教育上は極めて重要な基礎研究の筈だ。電源と負荷端の電流は同じ値にはならないことがお分かりと思う。電力、電気エネルギーを供給する電源では負荷に応じて制御しなければならない。どのような制御対象の電気量・負荷状態を検知するのだろうか。実際の電力系統制御は問題なく現実に有効に成されている。何も問題は無かろう。しかし、その基礎理論が技術理論で、短距離の問題としては不都合は無かろうが、自然現象の本質を捉えていないと、教育上は誤ったことになる。電子が導線金属内を流れるなどの誤りになる。この教育上の問題は科学技術教育と自然現象の理科教育で、その取り組み方を明確に区別したものとしなければならない課題となる。電気物理現象としては、線路空間を伝送されるエネルギーの光速度伝播現象しかない。電源での制御対象は電圧値と周波数しかない。電流は監視量ではあっても制御対象にはならない。供給エネルギーが負荷の要求するエネルギーに対して不足すれば、発電機の回転数が低下し、周波数や電圧が下がる。電圧、周波数を一定に保つため、供給燃料や供給動力を制御する。制御するものは『エネルギー量』一つである。(2020/01/05)追記。この『エネルギー量』一つであるという意味で、単位のジュール[J]は物理学的定義に基づく量の概念であるが、良く燃料の量キログラム[kg]などと捉えるかも知れない。燃料はエネルギーに非ずで、認識していただきたい。

図1.電圧(エネルギー)の分布と伝播

電線路が長くなると、電圧も時間遅れを伴って、線路に沿って分布する。電源電圧vsに対して、位置 l ではγl[s]だけ遅れた波形となる。この意味は電線路が短いか長いかには関係なく、基本的に起きている現象である。そこに、電流がどのように流れるものかという問答が含まれていることでもある。電線に電流が流れるのか?という物理現象を問うことでもある。すべての電気現象の本質は空間を伝播するエネルギーの流れに基づく現象である。3kmの配電線路で、その送受電端間には裸電線でも、 10[μs] の時間遅れがある。電気物理としての現象は電源と負荷で同じ電流になるという理屈は成り立たないのだ。だから電源では負荷状態を如何なる訳で知りうるかとなる。このような考究は決して経済的競争の利益を伴うものではない。だからこそ大学での基礎研究として取り組まなければならないであろう。

電源と負荷間のエネルギー伝播・反射現象。

電気エネルギーは電線路空間を光速度で伝送される。電源は電圧と周波数を監視制御する。電圧は線路定数の静電容量C[F/m]によって、その伝送エネルギー流の線路長さ当たりの密度[J/m]は決まる。そこに光速度流によるエネルギーの往復・反射現象が隠れているのである。ここに辿り着くまでに電圧―その意味と正体―などで電圧の物理的真相を探った過程がある。電気回路の現象は電線路の特性インピーダンスと言う線路固有の定数が空間伝播エネルギー量を決め、電源は反復反射によるエネルギー分布の電圧を規定値になるべく制御するだけである。

負荷端エネルギー反射現象。

エネルギー反射はどのような仕組みで起こるか。電線路がC[F/m]と L[H/m]の間での繰り返しによってエネルギーが伝送されて負荷端に到達する。負荷が持つ電気的構造による特性値と電線路との特性値との間の伝送エネルギーの挙動が決まった或る関係によって引き起こされる筈だ。そこで例えば負荷抵抗の物理的構造特性をどのように解釈するかに掛かってこよう。抵抗の次元は[(H/F)^1/2^]=[Ω]で、基本的には抵抗内部構造も静電容量[F/m]と誘導容量[H/m]の組み合わせと見做さなければならない。これは予測としてのこれからの考察によって決まる内容ではある。抵抗値が大きいか小さいかはLとCの比率と見做せる可能性がある。それは科学的検証が得られる結果になれば、成功となる。『エネルギーの物理的特性』としての解明の課題と思う。大学の基礎研究として。それほど経費は要しない筈だ。

むすび

しばらく考えてみた。しかし負荷の純抵抗の意味さえまだその物理的特性を捉えきれない。止むなくこのまま未解決の基礎研究課題として筆を置く。抵抗と言う電気材料がエネルギーをどのような機能によって熱化し、さらに光として放射するか。そのエネルギー変換機能の物理的解明が課題である。本当の基礎とは難しいものと認識した。

電荷と電圧の哲学

科学哲学という分野がある。前からその意味がはっきり捉えられないでいた。科学と哲学はそれなりの異なる対象を考える学問分野に思える。科学は自然の世界を対象とし、物理学や科学技術論になるのだろう。哲学は人生の意義や神の存在など明確な結論を示し得ないような深い混沌とした内容を対象にした学問分野のように思える。その中で、科学哲学と言うとやはり科学論の中身をかみ砕いて、その意味や概念の論理性、論理的矛盾など論じる分野のように思う。

哲学者の科学論 哲学者は科学論や科学概念に疑問を抱いても、その内容に深く切り込むには具体的に論理を展開するにはなかなか困難であろう。科学論に広く精通していることが欠かせないから。

科学者の哲学 一方科学者は、その理論、基礎概念に対して矛盾は唱えにくい。広い分野の中で、自分の専門に異を唱えることは自分の存在を否定する危険があり、その分野での生活権を失うことになる。また他の分野の事に異を唱えるべき必然性は何もないし、社会的摩擦を被る危険がある異論をわざわざ唱えるのは慎むため、哲学にはなりにくいだろう。

科学論の伝統と哲学 何百年に亘り築いてきた積み重ねの基礎概念と理論、法則はほとんど哲学的検証の対象にはなりにくい。そのため科学理論の伝統的思考形式は強固に守られ、哲学的検証の対象にはなりにくい。その意味を電子で考えてみよう。

電子像 電子像とその概念は科学理論の根幹をなす基礎の岩盤となっている。

電子 Wikipedia によると次のような詳細な数値で定義されている。

負の電荷 e=-1.602176634×10^-19 [C]

静止質量 m=9.1093837015×10^-31 [kg]

原子物理学の原子構造も電子が欠かせない主役になって理論づけされている。エレクトロニクス全盛期の科学技術社会である。その中に、上に示したような電子の物理量の定義が示されれば、それ程精密な桁数の数値に対して、異論など誰も唱えようがない。その定義過程を知り得ないから。10桁の数値がどれ程の信ぴょう性を持つというのだろうか。その結果科学理論は哲学的な検討課題にはなり難く、その古い伝統は強固に守られる。そこに科学論、基礎概念の社会的安全圏が確立する。専門領域と言う踏み込めない壁の構築に寄与する新しい理論が幾重にも複雑化して、それに依って保証される業界が完成する。その一つに電子像の10桁がある意味証拠となろう。

『電荷』とその概念否定。

1987年4月、『静電界は磁界を伴う』の発表で科学冒険が始まった。それは自分が研究の拠り所とした科学技術概念を切り捨てる危険な道であったと今に知った。ただ『電荷』は実在しないという確信だけが頼りであった。どんな世界かを考えるゆとりもなく翻弄される無知の道だった。静電界は静止電荷の周辺に生じる電気的ストレスの状態を意味する。そのストレスは静的な状態の事を言う。電気理論によれば、磁界は電荷が運動する事で起きる電流によって発生するその近傍空間の磁気的ストレスを評価する技術概念である。電気理論によれば、移動しない電荷の周辺空間には決して磁界は発生しない筈である。その『電荷』が静止している空間に電界は発生しても、発生しない筈の磁界が存在すれば、電気理論の論説とは相容れない現象となる。電気理論の根幹をなす『電荷』概念の否定を、電気技術感覚からの予測に基づいて証明した実験結果である。既に32年前の事である。『電荷』の存在を否定することは、科学理論のほとんどを否定するに等しい。それは同時に、電子の存在を否定することでもある。それは、上のWikipediaの電子概念を否定することになる。それはもう科学論の範疇を超えて、いわゆる哲学の内容となると考える。イオンとは何か?の哲学論にもなる。決して科学的実験での証明はできない領域である。電子の発見は1897年、J.J.Thomson が陰極線として発見したことで始まった概念と思う。放電管の陰極側から放射される何かがあると確認される。それがエネルギーの流れとみれば、説明がつくと考える。その陰極線のビームがプラスの電極に流れ込んで電源まで戻るとは考え難い。放電管内の放電現象として、エネルギーが光などの放射現象で消散すると考える。

電荷とエネルギーと電圧。

電線路間には電圧がある。確かに電圧計で電圧値を計測できる。しかし電圧計で計測している意味は決して電荷量を測定している訳ではない。

電圧の負電圧は意味があるか?突然脳の片隅に浮かぶ。考えれば分からない。自己問答の始まりだ。今まで意識にもなかった疑問だ。

電圧波形を描けば、時間軸に対して正と負に振れた波形となる。当たり前の伝統的電気現象解釈法だ。電線路は何を伝送する設備だろうか。電気回路では電圧と電流及びその波形で回路現象を理解する。電気概念には様々な技術量がある。しかし、電線路で伝送しているのは結局『エネルギー』だけである。電圧でも電流でもない。『エネルギー』は電圧・電流とエネルギーと時空で電圧の2乗にその意味が隠されていると分かった。そこに、分布定数回路の中に繰り広げられるエネルギー伝送現象を考えれば、電気回路は『エネルギー』一つの伝送空間であると言える。『エネルギー』の流れる現象を電圧・電流の技術概念量で解釈している訳である。そこで、何故電圧は正と負で波形を表現するのか?という疑問が沸いた。電線路に『電荷』が分布している訳では決してない。伝送される『エネルギー』の流れる方向を電圧の正や負で表す訳ではない。基本的には電源から負荷に向って、同じ方向に流れている「エネルギー」を電圧の正、負で描く意味はない筈だ。電圧の正と負は何を表現するものか。『エネルギー量』を観測できれば良いのだが、それは不可能なのである。現実に世界に存在している『エネルギー』のその姿を観測する術がないのだ。電圧はエネルギーの空間静電容量に蓄えられた電線路単位長さ当たりの量の平方根を評価した概念と解釈できる。即ち Cv^2^ [J/m](最近2分の1の係数は意味が有るのか?とわざわざ書くのを控えている。) のエネルギーが電線路の静電容量 C[F/m] に分布している意味を電圧 v[V] で評価するのが技術の優れた現代科学技術文明と言えよう。その時、電圧の負に意味があるかと問答になる。それが哲学であろう。科学概念の自然現象の中でその真の姿を解き明かすのが本当は理論物理学の役割と考える。しかし、物理学理論は電圧、電流の科学技術概念をそのまま自然界の姿の真理と捉えているようで、信用できない。だから物理学理論では、自然の真理を深く考究している学問分野と言えるかという疑問を抱かざるを得ない。そこに、哲学あるいは科学哲学という意味が必要になってくるものと考える。

問答の答え。答えに辿り着けば、問答の価値があったのかと笑いたくもなる。

『エネルギー流』の極性が電圧の極性である。電線路の伝送エネルギーの流れる空間は電圧極性によってその負側を流れる。電線路の空間の中央を流れるのではない。負の極性側の電線路導体の近傍空間(絶縁体導線なら、その絶縁体内の空間に比重が係ろう)を流れるのだ。その意味は、32年前には不確かさとして決めかねて来た疑念であった。マグネットやコンパスの磁極近傍空間の空間エネルギーの軸流の方向を確信するまでの長い問答があった。ロゴウスキー電極内のエネルギー流の模様の確定に長い時間を要した。地磁気の物理概念もすべて統一した解釈に到達できた。それもコンパスの磁極近傍空間の軸性エネルギー流が確信できたからである。その事と今回の分布定数回路空間のエネルギー流との関係を整合しただけの事で答えになった。磁界・磁気概念の本質に磁場空間の電磁場の意味をエネルギー流として解釈して示した。

エネルギーに静止はない。

光の空間エネルギーのように、光速度が標準的と見做せよう。エネルギーが静止したときは質量になった時。地球座標での位置エネルギーは質量に付帯したエネルギーであり、定義では静止のごとく見えるが、地球が回転している限り静止ではない。分布定数回路におけるエネルギー伝送現象で、受電端でのエネルギー反射は基本的には必ず生じる。特性インピーダンスとの負荷整合でなければ。伝播定数に従ったエネルギー往復振動現象が基本的である。そのエネルギー線路分布が線路電圧の意味である。その電圧制御を電源が基本的に採る。電源は負荷からの反射エネルギーを総合的に監視していることになる。<問答>負荷と特性インピーダンスの関係がエネルギー反射現象を決めると解釈するが、その詳細は今後の問題だ。大学と基礎研究  記事で考察中。