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電磁気学の要-Axial energy flow-

1.はじめに
電気磁気学は自然科学の基礎知識として、その習得が科学技術・理科教育で求められる。力学と相まって物理的学習内容の基本となっている。その教育に基づく共通理解が社会的科学認識の基となるから極めて重要な分野である。社会的な科学常識は、お互いに科学論を展開するに、その共通理解の重要な基になる。『電荷』や『磁束』はその電気磁気学の要の基礎概念として、誰もが共通に理解していると思っているだろう。しかし、その中で『電荷』はじめ『磁束』さえもその実像は突き詰めると極めて曖昧な概念であると考えなければならなくなった。だからそのような基礎概念に論拠を置いた科学論は本質的に矛盾を含むものに見えて来る。現在の理科教育の教科書の内容では真の自然現象理解に極めて不十分な内容であることを認識しなければならない事態になったと考える。その意味を「磁気とは何か」と言う視点で考察し、その曖昧な意味を掘り下げて、電気磁気学理論の持つ不完全さを解説したい。軸性エネルギー流-Axial energy flow-を理解することが電気磁気学の眞髄に到達する要点であることを示したい。この事の持つ意味は、今までの科学常識に因って成り立ってきた専門家の意識改革を迫る極めて重大な社会的問題でもある。

2.原子構造と周回電子像の持つ意味
原子核の外殻を周回する電子に原子の周期特性で捉える役割を担わせた原子像があらゆる科学論の基盤として社会の科学常識となっている。この根源的科学常識を疑い、批判することに成らざるを得ない『電荷』概念否定の道を通って来た。その道の長い思索を通して辿りついた到達点は、あらゆる自然現象が『エネルギー』の空間に展開する姿として認識する事であったと理解した。その意味で、改めて現在の原子構造論の電子周回論はその中味を深く突き詰めなければならないと成った。

(2-1)原子像への疑念 『電荷』否定の論理の行き着く先に待っていたのが原子像への疑念であった。その疑念の具体的な点を挙げれば、次のようなことになろう。図1.で示した原子像は曖昧なまま、どのような規則で表現すれば論理的かさえ理解できないままの一つの参考にとの表現図で示した。

  • 何故電子が周回運動しなければならないか。
  • その電子の周回運動の軌道(立体角4π球面か平面か)と回転速度の方向性を何が決めるか。
  • 電子は粒子とか波動とか極めて曖昧な空間認識像で捉えられ、論理的明確さが観えないのはなぜか。
  • 実在するという電子像の、その質量と電荷の空間像が何故示されないのか。
  • 原子という空間構造体をまとめる『構成力』は何か。

原子と言う極めて極微な空間構造体が世界の構成元素として実在していることは、そのこと自体が不思議で有っても、疑いはない。その中味を解剖して明らかに示す事はおそらく無理な話であろう。だから曖昧さは残って当然と考える。1911年以降にようやく原子の構造の論議が始まったのだろう。J.J.Thomson の陰極線発見(1898)が電子として認知されたことが原子の周回電子像の基になったのであろう。その後の量子理論が決定的に電子に電磁気現象すべての舞台で、主役の役割を担わせたこととなったと思う。単純な電気回路のオームの法則さえ導体電線の中を電子が流れる解釈が決定的な電気回路常識となって、現在の科学論の基礎となっている。量子力学での電子には必ず質量が付きまとった素粒子となっている。運動エネルギーでの解釈に質量が必要だから。然し量子力学で伝導帯を自由電子として電気エネルギーの伝送の役割を担っても、電気回路になれば電子が金属導体中を流れるが、電荷だけしか必要としないから質量の意味はどこかに消え失せてしまう。電子とは質量と電荷の混合粒子と思うが、電気回路では電子流はアンペアと言う電荷の時間微分しか意味を成さない事になっている。電気回路では電気エネルギーの伝送速度は光速度に近い筈だが、電子では決してその光速度でエネルギーを伝送する役割の責任は果たせない筈だ。それでも質問が有っても難しい量子力学を勉強してから考えなさいと説明逃れがIT等の質問に多く見られる。電気回路の現象が光速度でのエネルギー伝送として説明できない事は、電磁気現象を本当に理解していることにはならないのだ。そんな単純な日常生活に関係した電気回路の意味から考えても、原子構造論の周回電子論はとても信用出来ないのだ。

(2-2)共有結合に論理性はない 高等学校の1、2年生の時に化学を習った。原子結合で共有結合と言う負の電子同士が誠に魔法のような理屈で互いに結合の担い手となることを教えられた。クーロンの法則の同じ電荷間に働く排力が、何故共有結合ではその訳が説明されずに、無視されるのかと言う疑問が消えない。何故負電荷同士の電子が結合の役割を果たし得るのか。まさか電子質量間に働く万有引力でもあるまい。基本的には電気磁気現象が原子構造体を構成する理論であると考えれば、原子間の結合を担う『力』とは何かと言う疑問になる。また、その基となる原子その物を構成する力は何かとなる。核の結合そのものも『力』が必要な筈だ。陽子と中性子の結合論には中間子論があるが、その意味を理解するだけの能力はないし、電磁気現象としての解釈では理解困難な様に思う。原子間、分子間あるいは原子等の構造体を構成するにはどんな『力』が必要なのか。

  力としてpdfで挿入した。初めて試してみたので見難いかもしれない。中に(3)式として『質量力』などと言う力を入れた。何も特別な意味ではなく、万有引力と言う意味を質量間に働く力と言う意味で表現しただけでしかない。丁度二つの電荷が空間に有れば、電場が生じ電界ベクトルと電荷間に働く力と言う空間像と同じ意味で捉えだけである。たとえば地球と言う質量が有れば、その周りには重力場と言うベクトル空間が有ると看做すだけである。ただそれは、自然現象として空間を解釈する万有引力と言う理論が『眞』であるかどうかは別問題であろう。 電荷間の力の解釈と同じ意味で(3)式は万有引力の一つのベクトル表現法でしかない。(2)式の磁荷mは物理学理論でも実在しないと成っている。(1)式の『電荷』q[C]も否定すれば、一体どんな力を世界の結合の力として捉えれば良いかとなる。もちろん(3)式の質量力などは論外であろう。 そこに「磁気とは何か」と言う事を尋ねなければならない問題が浮上する。

3.磁気とは何か それは「磁気の本質」を問うことになる。電気磁気現象の要が『磁気とは何か』に明確な認識を持つことである。2つほど問題を提起したい。

  • コンパスは何故磁界の方向を指すのか。
  • マグネットを向かい合わせると、そのギャップlの長さに因って何故磁気力が変わるのか。その物理的原因は何か。

電気磁気学では、磁束量φ[Wb]が磁界解釈の基礎概念となっている。ファラディーの法則として、電気理論の根幹を成す重要な概念でもある。アンペアーの法則として、電線導体電流との関係でも重要な磁束で、欠かせない基礎概念であるとの意識にある。インターネット検索でも専門的な解説がある。電子スピンなどと関連付けて解説される。然しその解説に因っても少しも理解できないのは筆者だけだろうか。マグネットから空間に磁束Φが放射(?)されている図で表現される。磁荷は存在しないが磁束が存在するとは、その磁束は何が創りだすのかとなる。変圧器のファラディーの法則から、そろそろ磁束が励磁電流によって発生するなどと言う間違った解釈はやめても良い筈だ。磁束はファラディーの法則の式の積分形で『電圧時間積分』で決まることを知らなければならない。然しだからと言って、それで磁束が自然界に実在する物理量だと決めつける訳にはいかない。磁束も電流と同じく、科学技術概念としての人が創りだした便利な解釈用の概念でしかないのだから。それでは本当は磁束とは何をそのように概念化して利用しているのかと言うことになる。そこが重要な点であり電気磁気学の要となるのだ。答えは空間のエネルギー流でしかない。それは軸性エネルギー流-Axial energy flow-である。巷の解説では、電子スピンと言うが電子がマグネットの表面でスピンをしてその電子から空間に磁束が伸びていると言う意味であろうか。その磁束とは空間にどのような実体を成すものと認識しているのか。コンパスが磁界の方向を向くと言う現象も、やはり力が働いたから向きが決まる訳である。この軸性エネルギー流と言う概念は物理学理論ではなかなか受け入れ難いものであろう。それはもともと物理学には空間にエネルギーが実在すると言う認識が無いように見受けられるから。物理学理論では質量が無いとエネルギーが論じられないように思う。電気コイルの磁気エネルギーと言う時、そのエネルギーは空間の何処に存在していると解釈するのだろうか。コンデンサのエネルギーと言う時、そのエネルギーはどこにどのようなものとして存在していると解釈するのだろうか。電荷はエネルギーには成れない筈だ。磁束もエネルギーではない筈だ。マグネット間のギャップ l が小さくなれば、磁石の引き合う力は強くなる。何故強くなるのかの意味を説明しなければならない筈だ。磁束が太くでもなると言うのだろうか。それでも説明には成っていない。物理学理論でも、電気技術論でもマグネットの表面の磁束密度は一様と仮定すると言う条件を設定するのが一般的である。そこが間違いである。マグネットギャップを変化させると、ギャップ内の磁気模様が全く変わってしまうのである。ギャップを狭めて行くと磁場の強い処はマグネット周辺に移動し、中心部分には磁場は無くなるのだ。磁場一様等と言う条件は成り立たない事を知らなければならない。磁場とは磁束などと言う線束が有る場ではないのだ。ハッキリ言えば磁束など無いのだ。ただエネルギーがマグネット軸に対して回転して流れている現象なのだ。それを軸性エネルギー流と名付けた。要するに空間に質量など無関係に、『エネルギー』が実在している認識がなければならないのだ。光の空間エネルギー分布流と同じ意味である。光のエネルギーを振動数で解釈している限りは、電気磁気学の眞髄には到達できない。

4.磁界の空間像 磁界とは『軸性エネルギー流』である。図に表せば次のようになる。図のマグネット棒と磁界の関係。それはマグネット近傍空間には左ねじの尖端をN極として、ネジを回して進む時の回転方向にエネルギーが流れていることを示す。この回転エネルギーが地球の表面にも流れている訳で、地磁気が具体例としての考える論題としてよかろう。地球の磁気は北極がマグネットのS極で、南極がマグネットのN極である。地球表面を自転の向きに即ち東西南北の東向きにエネルギーが流れていることを知らなければならない。地球の自転が何によって起きているかは、そのエネルギー流が何故在るかを理解することが出来れば分かった事になるのだろう。その自転の物理的意味について解釈を下す事は科学論か哲学か悩ましいこと言えよう。兎に角、このマグネット近傍空間のエネルギー回転流が磁場と言う概念が持つ空間の意味である。光が空間を光速度で伝播する空間エネルギー密度分布波と捉えることと繋がる意味でもある。この質量に関係ないエネルギーの実在性を空間に認識することが電気磁気学の要となるのである。

5.ギャップに因る磁気力の変化およびコンパスの指示の訳  (3.磁気とは何かの答)マグネットの引き合う力は不思議だ。検索すれば、その力の原理を知りたいと質問がある。然し、その解答は的確な説明とは言い難い、何か誤魔化しで逃げているようにしか思えない。残念であるが、本当は分かりませんとでも答えて欲しいのだ。解答者も教科書の解説を習得したからと言って電気磁気現象の眞髄を分かっているとは言えないのだから。決して磁束(自然世界に実在する物理量ではない)と言う科学技術概念では、マグネット間の空間にある『エネルギー』の姿は理解できないのだから、ギャップの長さで磁気力が変化する意味は分からないだろう。教科書に無い意味磁界・磁気概念の本質の記事の意味を知らなければならない。次にコンパスが磁界の方向を指す訳は何か?それも同じような原理の力の問題である。磁束がコンパスの中を通って空間の磁場の磁界と繋がるから、その方向を向く。と解釈して良いのだが、磁束が実際に実在する物理量でないと言うことを認識すれば、その解釈ではやはり正しいとは言えないだろう。試験問題でコンパスがどの方向を向くかという問題なら、磁束の考え方で正しい答えは得られる。知識としてはそれだ宜しいのだ。自然現象を理解するという意味には、この例のように答えられればそれでよいという考え方と、もっと自然世界の本質・真髄を知るべきだという考え方と多様な意見がある筈だ。それは一人ひとりの生き方の問題となるのだろう。磁気が軸性エネルギー流の目に見えない現象だと言うことを知ることに因って初めて、広い電気磁気現象の意味が矛盾なく理解でき、心から安心した納得に至れるのだと思う。それが安堵と言うものかも知れない。地磁気とコンパス(2012/09/13) が一つの解答となろう。

6. 磁気原子像と原子結合 『電荷』否定に因る原子像はどんな姿か。今年は原子周期表の記念の年らしい。8の周期性で特性が決まる原子を周期律表でまとめられた意味は驚嘆に値する知見と言えよう。その周期性から原子構造が周回電子像で解釈される結果に現在の原子構造が共通理解の基を成して来たと思う。周期性は他の原子との結合特性から認識出来るものでもあろう。原子が結合するのは原子の表面が互いに他の原子との安定した接合面を持つ事が出来るからであろう。もし周回電子が原子結合の任務を担うとすれば、その電子は立体角4πの原子表面をどのような道筋で回転運動をしながら、となりの原子と安定した接触面を保てると考えるのだろうか。その空間運動状況を原子結合に結びつけるには、原子核が周回電子の運動を可能にする何次元ものスピン運動をするか、魔術師か忍者の雲隠れ抽象空間を想定できるようでなければ、電子の運動と結合面の空間像を頭に描くことは無理じゃなかろうか。こんな論議は決して科学論の場では誰もが取り上げたくない事だろう。それは教科書の指導内容と異なる反社会的のことで、教育体制に混乱を生むから。科学論は現在の教科書の指導内容の枠からはみ出さないようにしなければならないとの意識が無意識的に思考の根幹を支えているのだろう。まさかこんな基礎の科学概念が否定される筈はないと誰もが教科書の指導内容や科学常識を信じているから。

(6-1)ダイヤモンド結合 炭素は結合手が4で、宝石のダイヤモンド共有結合や有機分子のベンゼン核など結合の代表的な論題となる元素であろう。炭素同士の強固な結合が抽象的な原子表面上の軌道周回運動電子によって生まれると言う曖昧な論理を何故信じなければならないのか。また炭素原子表面は空間的に4面体(直方体)か球面を4等分した接合面と看做すべきだろう。従って、有名なベンゼン核の亀の甲羅の平面的な六角形の構造が何故出来るかにも論理性が観えない。原子結合面は空間的な立体面から出来ている筈だから、結合手が2本と1本でのベンゼン核表記法は有り得ない。まずい記事ながら、参考に炭素結合の秘め事を挙げて置く。

(6-2)マグネット原子構造 軸性エネルギー流と言う空間のエネルギー像は『電荷』に代わる電磁結合の統一的理論構築の未来像になると考える。結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) で示したマグネット結合の図を再掲したい。マグネット同士を接合すると、接合部でのエネルギー流は隠れるように思える。砂鉄に因ってある程度は確認出来よう。このマグネット同士のN、S間での結合が原子結合の結合手になるとの解釈論を2009年に発表した。その時の図を示したい。

『電荷』否定は陽子、中性子などの素粒子の電荷概念の否定だから、当然原子核内もエネルギー粒子と捉えなければならなくなる。その核のエネルギー粒子の影響がそのまま原子表面に現れると言う考え方を取る。その結果の原子結合は当然の帰結として、図のようなマグネット結合になる。

7. むすび 2009年日本物理学会秋季大会で、“電荷棄却の電子スピン像と原子模型”の標題で関連の発表をした(日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊 p.18. )。それは丁度10年程前の解釈である。今振り返っても、その内容は現在の認識と殆ど変らないようだ。10年間の思索を通して、よりこのマグネット結合原子構造の解釈に強い確信を得ている。電気回路の電磁エネルギー伝播現象即ち電気磁気学の実像を光速度伝播特性として理解出来たからだ。『電荷』や『磁束』が科学技術解釈概念だと言う意味は、それらは自然世界に実在する物理量ではないと言うことであって、物理学と言う自然世界の真理を探究する学問で使う用語・概念としては適切でない事になる。

論文: 25pWD-13 “磁力密度 f=rot(S/v)” 日本物理学会講演概要集第63巻1号2分冊 p.310.(2008) 。これは磁気がエネルギー回転流であることを論じた論文である。このいわゆる電磁力と言う力については、長岡工業高等専門学校で、既に履歴書が『以下余白』として消されたままの1年8カ月後(?)の昭和62年3月末に、『静電界は磁界を伴う』の電気学会発表の準備中の深夜の睡眠途中で閃いた思い付きであった。その後、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会 電磁界理論研究会資料、EMT-87-106.(1987) に(29)式として記した。それは静電界と言うコンデンサ極板間に電圧に応じて、コンパスの指す磁界方向が変化すると言う電磁界現象が存在する事実の理論的解釈論として示さなければならなかったのである。コンデンサ内も電磁エネルギーの流れによってその現象・状況が決まると言う実験結果に基づく発見事実である。ここに科学基礎概念に対する意識革命の必要性が隠されている。

(付記) 関連記事。電気回路理論と電気磁気学の関係(2017/12/06) 。電磁力の本質(2017/10/17) 。

 

 

熱の物理

熱の概念
熱とは何か。熱はエネルギーの或る状態と解釈するだろう。それはどんなエネルギーか。日常の環境評価では温度と言う指標で熱の多さを捉えると言ってよかろう。例えば気体では、気体の熱エネルギー量を温度・気温として捉える。気体の熱エネルギーとは、物理学では気体分子運動エネルギー(気体分子運動論)として認識・解釈していると思う。この気体分子運動論が曲者に思える。その訳はエネルギーが質量に関係なくそれ自身で空間に実在しているものだから。光はエネルギーの伝播現象であり、質量はその光のエネルギーを論じるに必要ない筈だ。光が質量の運動エネルギーとは考えないだろう。その光の空間に実在するエネルギー像を物理学で認識していない処に問題の根源がある。

物理学理論(気体分子運動論)を斬る それでは、その気体分子運動エネルギーとはどのようなものを考えているのだろうか。気体にエネルギーが加えられると気体分子がエネルギーを吸収することになる筈だが、おそらく気体分子質量の速度の増加としてエネルギーを吸収すると物理学理論では解釈しているのだろう。何故気体分子が速度の増加を来たす事になるのか。気体を加熱したからと言って、分子の速度が上がる理由が見えない。調理用の圧力釜がある。加熱すれば、圧力釜内の水が蒸発し気体となる。加熱に因り圧力が上昇し水分子の圧力上昇としてボイルの法則の通り圧力エネルギーとして加熱エネルギーが蓄えられる。何も水分子が運動などする必要もない。蒸気機関でのピストンの仕事は水分子の運動エネルギーなど無関係で、水蒸気の圧力がその役割を果たしているだけである。水蒸気の圧力とは水分子が加熱によって体積膨張しようと内部圧力に変換されるから圧力上昇するのである。それが単純なボイルの法則による解釈である。水分子の運動速度など無関係だ。物理学理論でエネルギーと言うと、質量の運動エネルギーと位置エネルギーしか対象にしていないのではないかと誤解しそうになる。圧力エネルギーと言う概念が余り考えられていないようだ。ボイル・シャルルの法則も気体分子運動論としてボルツマン定数に因る解釈に終結している。圧力も膨張でなく分子運動速度に因る衝突力として捉えるようだ。気体の体積、水蒸気分子の体積膨張と言う現象は考慮されていないように思う。気体の発光現象も、気体に加えられたエネルギーが分子や原子に貯蔵され、その貯蔵限界を超えたエネルギーが放出されることと解釈できよう。原子の外殻電子の運動エネルギーが増減する解釈は意味がなく、間違っている。そもそも電子が回転していると考える必要など無い。電荷など無い筈だから。エネルギーと圧力の関係で一つ取り上げておきたい。海底1万メートルの水は静止状態でも途轍もない高圧に在る。その水圧も水の空間に蓄えられたエネルギーの筈である。さて、水圧だけではなく、海底の地殻深くになれば更に圧力が増していると考えられよう。その空間のエネルギーは特別の意味を持ち、日常生活での物理現象として関わることも無い異次元の世界の話であるが、圧力エネルギーであることには変わりがない。ただ、その圧力エネルギーと言う解釈が地球の中心核まで続くと解釈すべきかどうかを判断するべき根拠は不明だ。何も地殻が運動エネルギーの空間貯蔵帯とは考え難いという事からも、気体も同じように気体分子の運動エネルギーとして解釈すべきと言う論理性が見えないということである。当然気体の圧力分布に因り気体は流れて風を引き起すが、それは気体分子運動論でのエネルギーとは異なろう。温度の解釈には風は余り関係なかろう。

熱エネルギー 熱が物に蓄えられる時、物の質量の運動エネルギーの増加となるのではない。物の結晶格子等の空間に貯蔵されるエネルギーそのものの増加が熱の増加と言うことである。熱エネルギーは電気エネルギーや光エネルギーと同じく、空間に実在するエネルギーなのである。質量構造体の内部空間に貯蔵されて温度が高くなるのである。温度が高いということは、計測温度計にその物体から放射されるエネルギーが多いということであり、温度計に入射する熱エネルギーが多い準位で、温度計の出入りのエネルギーが平衡するのである。熱も電気も光もみんな同じエネルギーなのである。それは空間を占め、そこに独立した実在の空間エネルギー密度なのである。基本的に、熱とは光であれ電気であれ物に蓄えられたそのエネルギー量によって周辺空間に放射、伝導するエネルギー量が影響され、その量を計量する人の感覚や温度測定器の表示量として捉えるエネルギーの評価なのである。物のエネルギー量とその物の入射と放射のエネルギー平衡特性が比熱などの評価係数となっているのだろう。物の原子・分子の結合構造(勿論エネルギー還流のマグネット結合構造)でそれらの係数も決まると観て良かろう。

質量とエネルギー等価則

熱エネルギーとは 今常温でMo[kg]の鉄の塊がある。その鉄を加熱した。高温の鉄の塊からは熱と光が放射される。その熱い鉄の塊の重量を計ることを考えると仮定する。鉄の質量は計りに掛けると、加熱によって加えたエネルギー分だけ等価的に質量が増加する筈と考える。それが『質量・エネルギー等価則」の意味である。エネルギーは質量に等価である。しかしここまでエネルギーを実在物理量と捉える考え方は現代物理学の中に受け入れられるかどうかは分からない。高温の鉄の塊から熱放射・光放射が続く。その放射エネルギーは鉄の持つ熱エネルギーと等価な質量の一部をエネルギーとして放射するのである。『エネルギー』も質量と同じく物理的実在量なのである。と言っても、鉄の重量を計って、熱エネルギーに相当する質量・重量の増加した結果が観測など出来ることは無理であろう。熱エネルギーの増加分をほぼ光速度の2乗で除した分など計測に掛る筈はないだろうから。実験的に検証する科学的論証は無理であろう。それでも、原理的に熱エネルギーが質量と等価であるという意味は熱く加熱されたエネルギー分だけ質量が増加しているということである。同じ様に電気コイルに貯蔵される電磁エネルギーが有れば、そのコイル内に溜ったエネルギー分の質量換算量だけ質量が増加したコイルとなる。一般的な現代物理学理論で、エネルギーが質量とは無関係に実在するという認識がどの程度理解され、受け入れられるかははなはだ心許ない。化学理論でも同じく、原子構造で電子が外殻を周回運動しているとの捉え方をしている限りは受け入れ難い考え方であろうと思う。

 

負の科学技術と未来

負の科学技術 人の歴史を振り返れば、分からない事ばかりであるようだ。人の歴史と言っても、人が猿から枝分かれしたと学説にはある。そんな学説も信じられない。進化することは確かである。では猿が人より劣っているとどのように説明するのか。何処で進化した人と進化しない猿が枝分かれしたのか。その訳は何だと説明するのか。蝶や雨蛙が何故人より劣っていると言えるのか。猿は猿で人は人でそれぞれ異なった進化を遂げて来た筈だ。強いものが優れているとは限らない。海から地上に上がった時の人の姿はどのような形であったと考えるのか。何億、何十億年の地球の生命の歴史など簡単に分かる訳が無い。地球は人の為にあるのではない。すべての生命の生きる地球なのだ。地球も人の生命に関わりなく地球中心核の燃焼の為に地殻をひっくり返して生物に災害をもたらす。地震や地殻変動は地球の生きた活動だ。飛びぬけて地球の自然に逆らってきたのが人である。特に産業革命と言う時節から、科学技術の魅力に人が夢中になって、その恩恵を享受してきた。自然に手を加える術のパンドラの箱を開けてしまった。元素・原子と言う世界を操る途轍もない方法を手に入れた。それが科学技術だ。今最大の困難に人自身が翻弄されている。自分で辿って来た革新と言う世界の未来を夢見て。人が人を権力で殺害する為の兵器、原子爆弾の製造競争から抜け出せない惨めな人間性に翻弄されている。プラスチック塵の処理に悩みながらも、決してその商売の利益競争の戦いからプラスチックスを手放せないジレンマに未来に向けた人間性が問われている。地球温暖化を食い止める手立ての基本は、エネルギー消費量の抑制以外は無いのだ。しかし経済競争の人の欲望には逆らえない性に翻弄される未来が見える。

DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン) 敗戦後の日本の至る所で展開された「シラミ退治」の風景を思い出す。体中にDDTを噴霧してシラミを退治する。古く1873年頃に開発された殺虫剤らしい。現在日本では使用されていない。

PCB(ポリ塩化ビフェニル) 変圧器やコンデンサ等の電気設備機器に大量に使われた。冷却効果と絶縁性に優れた化学物質である。大気汚染、温暖化に影響があり、使用が中止されていると思う。

アスベスト(石綿) 天然の石綿がその繊維は建築材料として優れている為、建築の壁材として多く利用された。しかし現在は人の呼吸で吸い込み、中皮腫等の人体への危険材料として使用中止となっている。廃材の処理に困難もある。

有機水銀(水俣病) 化学処理工場からの排水に有機水銀が含まれていた。魚貝類に広がり、魚を食べて人が神経麻痺を来たし多くの被害者が出た。水銀は体温計などにも多く使われた液体と言う特別な特性の金属元素である。蛍光灯にも発光効率を高める水銀蒸気として使われている。現在徐々に水銀は使用が制限されてはいる。

プラスチック 2018年6月G7 シャルルボワ・サミットで「海洋プラスチック憲章」が採択され、英・仏・独・伊・加・EUが署名した。しかし、残念なことに日本と米国は署名を拒否したと新聞にあった。今日の国会開会に際して、首相演説で海洋プラスチックのごみ対策に取り組むと述べた。また今年の6月日本でG20がある。しきりに海洋プラスチックごみ対策を議題にすると総理大臣は述べている。しかし、何故シャルル・サミットでの憲章に署名しなかったのかとても不思議な事だ。科学の『電荷』の不思議と同じ。

核爆弾 これは一体どのような意味で捉えれば良いか最大の人類の謎である。決しれ世界平和にも世界の進歩にも何の貢献もしない。人類の地球汚染と人間性否定そして疑心暗鬼の恐怖の科学技術である。それが大手を振って世界に君臨している。人殺しの最悪兵器だ。それを推進する国家指導者を選ぶ世界が未来の希望を消している。

原子力発電 地球は制御不能な科学技術設備の巨大システムが原子力制御であることを知っている。人の意識の制御可能な領域を超えたところにあることを既に何度も警告して来た筈だ。それでも欲望には勝てない人の思惑に流されて政治権力が蠢く。

悪口雑言お許し願います。

地学ガイド 新潟の自然に感応して

この素晴らしい写真資料に触れて

地学ガイドとして残して下さったことに感謝する。それぞれに解釈は異なっても良い。そこに写された写真資料はすべて地球の生きた歴史と証を物語っている。それぞれにその地球の姿を自分の心に写し取って解釈すれば良いと思う。そんな意味から自由に勝手に解釈する楽しみを試みたい。
地球の謎(岩石、原油、土、水、塩)
山と岩石と土と水と塩の歴史の謎を心に留めながら地球の来し方を描きたい。今年最初のNHKの番組で、チコちゃんが地球の自転を話題にしていた。太陽系の全ての星が偶然で同じ方向の自転と公転をする筈はないと思うのだが。偶然という理屈では、何故すべての惑星が同じ方向に公転するのかの理由は何か?と問わなければならない。それも偶然として説明出来るのだろうか。専門家の解説を理解する能力が無くて悩む。それはそれとして、海底が深さ1万m以上になった訳は何だろうか。山岳の峰の高さより、海底の深さの方がより地球の活動の意味を秘めているように感じる。もし海底が深くなかったら海はどんな姿であったか。土は何から出来たのだろうか。石油はどのような動物の化石なんだろうか。何故地下に動物の化石資源が在るのだろうか。地球の直径はどのような変遷を経て来たのだろうか。そんな謎がすべて絡み合って解明されなければ本当の事など分かり様がない。地学の解釈理論に巨樹の化石の解釈が見えない。石や岩石は何から出来たと解釈するのだろうか。塩を創り出す海に動物でも居たのだろうか。岩塩も海水が蒸発した結果と考えたい。魚介類が動物の起源であるならば、海水の塩分濃度が生存環境の必須条件の筈だから。母体の羊水も生命誕生、生育、保全環境としての役割を持っている。塩の創造主が何かは最大の謎の一つとして挙げて良かろう。エネルギー地下資源の原油の生成過程も地球の歴史を理解するに欠かせない視点であろう。何故地下深くに存在するか。湖の湖底に何故泉が出来るか、その水はどこから来るか。雪解け水や雨水だけでは理解しかねる。地下で海と繋がっているのではないかと空想となる。それも巨樹の関わりとして。

島は巨樹の化石

佐渡島の尖閣湾や二ツ亀、小佐渡の小城町、白木の神小岩を見れば、巨樹の姿に見える(p.66~71,p.88)。勿論地球核からの噴火現象との関わりで形成された姿を留めている筈ではある。それは富士山にも言える筈だ。巻町越後七浦海岸(p.72)。岩船郡山北町の笹川流れの島と海岸(p.85)。さらに粟島浦村全体も巨樹の化石と観る(p.87)。県外では、福岡県の世界遺産に登録された沖の島も巨樹の化石で、人々が集い祭る神の島として相応しいのだろう。石の囁き 聞こえますかから、地球と巨樹の関係が益々濃密になって来る。

下田村の八木鼻(p.203) 説明には、“角閃石を含む石英安山岩でできていて、五十嵐川の浸食によりけずられ、切り立った岩壁になった。”とある。しかしこれも柱状節理に似た縦筋の岩壁で、川の流れで削られたとは思えない。巨木の化石と解釈した方が納得し易い。

海と魚介類の化石

小千谷市に塩殿という地名の場所がある。塩殿と言う名がどのような意味から付いたかと、その地名を知った時からとても気掛かりになっていた。小千谷市と十日町市(中魚沼郡)との道筋にある。今の信濃川の水面からはとても高い位置にある。「塩」は海の産物であるから、その地が岩塩でも産しない限り、近くの海から運んだとしか考えられなかった。その塩を取り仕切る地主が居てその者を殿と言ったかと解釈していた。しかし、このガイドブックを見て驚いた。p.138以降に、4 丘陵に産する化石と題して、多くの化石が示されている。長岡市滝谷に産した化石群、中でも中里村産のヒシナイイワシの化石(p.141)は謎の深さを膨らませてくれる。岩手県立博物館だより2015.9 No.146 にもヒシナイイワシの化石の話が載っている。新潟県中里村は清津峡、長野県境に近い信濃川上流である。そこが海のイワシの生息地であったとは、地球全体の海の状況が想像をはるかに超えた高度に広がっていたとしか考えられない。エベレスト山脈の麓のアンモナイトの化石や世界の岩塩あるは小千谷市の地名塩殿の意味とが海の姿の認識を変えるものであるかと想像を膨らませてしまう。

関連記事をまとめておく。岩石や地層は学問領域としては地学になるものであろう。新潟県六日町の巨木館を訪れてから、木の放つ何かに圧倒された。その後、石の囁き ・・の記事にある庭石の化石化した木に遭遇した。今地球の歴史に巨樹と石の関係を無視して考えることは学術的に無理だとの思いになってしまった。植物がなければ、海のプランクトンもなく、魚介類も存在しない。巨樹、巨木が如何に地球の成長と変成に欠かせない生命であったかを考える。生物学、物理学、地学あるいは化学がそれぞれ別の学問分野として独立した研究対象では未来を語れないように思う。電気工学の分野から、顰蹙を買いそうな日本雨蛙や光量子の空間概念、更に岩石にまで興味の赴くままに我儘に死んで来た。 紹介に書いたように何の結果も示されず、得られず誠に皆さんには申し訳ない。ただ、『静電界は磁界を伴う』の物理学の根本概念『電荷』の存在否定への説明責任だけは自己満足ながら貫いた。電力工学の学術分野での論説は困難であった『電荷』否定は間違いでなかった。

石の囁き 聞こえますか(2011/07/23) 化石と硯(2011/09/30) 石に宿る古代神の面影(2014/11/17) 佐渡赤玉石に連想(2014/11/20) 庭に石器か?(2014/12/10) 笠堀ダムと土器(2014/12/16) 八海山岩峰の起源?(2015/09/07 なお、八海と言う意味の由来を地元の役場に尋ねた記録がこの地学ガイドに紙片で残っていた) 柱状節理とは何か(2015/12/23) 富士の霊峰を仰ぐ(2017/11/14) 山の木霊(2018/12/20)

 

 

 

 

独楽の心

(2019/01/23)追記。ジャイロスコープの実験。

ジャイロ独楽 約32g弱の独楽。ひょっとしたら、エネルギー分の質量増加になっているかも知れない。

デジタル計測 0.1g刻みなら良いのだが、研究環境が無い哀しさ。記事末に述べた結論の『謎ときの予想 軽くなる』は確認できなかった。最初にこの実験を思い付いたのは『エネルギー・質量等価則』から質量に回転エネルギーが加算されるのではないかとの思いからであった。重くなるの結論にも至らない。(2019/02/08)追記。計りに掛る重量変化は花一匁の心の重さに等しく、計測できない事ぐらいははじめから分かっているが、自然の心を読む科学意識の問題として取り上げた。回転エネルギーを光速度の2乗で割った値を計測できない事ぐらいは誰もが知っていよう。

独楽の秘め心 その立ち居振る舞いに世界の謎が見える。謎を秘めて立っている。解らない疑問が世界の謎である。疑問が自然科学の理解への第一歩。解らないこと、不思議と思うこと、そこに心を寄せることが科学の基礎研究の姿と。

独楽は一筋 独楽は 一心に生きる 心は 不動の一筋。独楽は何故回り続けるか。独楽の全てを支えるのは不動の一筋の心だ。その心は回転もしない不動の無である。その心に対して決して重量が対称ではあり得ない。非対称性が大きければ不動の心にはならない。僅かの非対称性は殆ど影響なしに独楽は廻る。独楽の特性を科学的に論考してみようと考えた。しかしそこには謎が多過ぎる。解き明かせずに、独楽の心が重く圧し掛かる。

独楽の心を推し量る

 独楽の重量                                                                  独楽は物理的特性で際立つ評価係数に、慣性モーメントをもっている。その次元は[kg]のIまたはJで表される。慣性モーメントはその剛体の或る回転軸に対して、どのような回転角速度による回転エネルギーの貯蔵特性を持つかを示す回転体の特性を表した係数値であると言えよう。ジャイロコンパスや独楽はその代表的なものと言えよう。また、地球や太陽系銀河もそのような一つの形態と看做されるかもしれない。

独楽の謎 独楽の重量を計りたい。全く経済効果のないという観点から、役にも立たない無駄な研究と言われそうだ。しかし役に立ちそうもないが故に、それが基礎研究と言うものと思う。結果が予測出来ない、何時完成するか予測が出来ないから、隠れて愚かさと笑いを噛みしめながら、コッソリするような研究になろう。独楽を計りに乗せてその重量は計れる。難しいのは、独楽を回して回転ゴマの重量を計ったらどのような結果になるか。と言う奇想天外な計測実験である。『エネルギーと質量の等価性』と言う世界の科学認識がある。独楽の回転体は質量の他に回転エネルギーをも内蔵した物体である。さて、その合計の重量はどのような値と解釈すれば良かろうか。と言う一つの命題が生まれる。見えないエネルギーの意味をどのように観るかの世界認識の謎に思える。それは太陽系の重量が有るのか無いのかにも繋がる謎でもあろう。独楽の回転エネルギーEは慣性能率をI[m^2^kg]とすれば、

E=(1/2)Iω^2^ [J]

と言う値で科学的に認識される。この意味は運動力学の常識的質量に関わるエネルギー量である。さて、そのエネルギーと言う物理量はどのような実在量なのか。誰もがエネルギーと言う用語は良く知っていよう。化石燃料や灯油、炭など火の発熱体更に太陽光や水力等の発電用自然現象を思うだろう。しかし、エネルギーの姿を空間像で認識しているのでしょうか。エネルギーが実在するという意味は、それは必ず空間の体積を占めている筈で、エネルギーの空間像を描けなければ本当に分かるとは言えないのではないか。炭火を起こせば、発熱して熱エネルギーを放射する。その熱エネルギーは炭から空間に放射されるエネルギーと言う用語で表現される、質量に無関係の光のエネルギーなのである。しかし、元は炭と言う質量体と気体の酸素の化学反応として生まれた質量・エネルギー変換現象なのである。酸素原子と炭素原子とが燃焼により熱エネルギーに変換された前後でその質量の減少と言う変化がなければ、質量とエネルギーの等価則は成り立たない筈だ。物理と化学の理科教育に於いてエネルギーとは何かを認識すべき要として捉えるべきである。その意味での独楽の回転エネルギーはどのような実在量と認識すべきかの命題と言うことになろう。独楽の回転速度とその独楽の重量の関係はどう理解すべきか。重くなるか軽くなるかの答えが欲しい。

謎解きの予想 軽くなる。独楽の質量に回転エネルギーが付加されるから、質量・エネルギー変換等価則から解釈すれば、当然等価質量は増加すると考えるべきだろう。従って回転ゴマの重量も重い計測結果になると考えたいのが普通であろう。結果が軽くなるとすれば、回転と言う現象の持つ意味が改めて謎になる。機械的エネルギー貯蔵用のフライホイールの軸荷重の問題で、既に答は得られているかも知れない。また、北半球か南半球かでの荷重に回転方向の右向き左向きが影響するのかどうかに判断の難しい面が残る。

“軽くなる”その心は。独楽の質量に乗った、独楽空間の回転エネルギー流の単位面積密度ベクトルw[J/m^2^ s]の微分計算 rot(w/v)[N/m^3^] の軸性浮揚力(単位体積当たりの上向き力)に託して。回転角速度ベクトルω[rad/s]を回転軸ベクトルとする。 v= |v| =| [ω×r]| [m/s] は独楽の空間座標点ベクトルrの質点回転速度ベクトルvのスカラー量を意味する。竜巻の上昇気流の定常力(時間微分の過渡状態は含まない)に同じ。新しい年を迎えて思えば、ボーと生きる以外に方策のないまま時が過ぎた

(2019/01/09)追記。回転瞬時速度ベクトルv [m/s]とはどのような意味か?考えたら「ボー」としていたようで、どう確定するか分からない。1秒間じゃベクトル方向の意味を成さないから。1[μs]でも長すぎる。自動運転車が道路上に猫が倒れていたらどうするか?道路に少し陥没が有ったらどう速度調節して運転するか?「ボー」と速度を考えて記事にしていたようで誠に難しいと知った。

エネルギーの象形

エネルギーが世界 自然世界はすべてエネルギーから構成されている。そこにはエネルギーの姿容が表象されている。エネルギーは見えないが、その表れる象形は自然世界として眼前に広がる。

エネルギー像 

実在

不可視の物理量

それが エネルギー

質量

それはエネルギーの

艶姿

エネルギーはどんなものも見えない。しかし世界はその実在によってこそ存在し得る。質量はエネルギーが現れた姿である。エネルギーと質量の等価則が意味することがそのことである。質量はエネルギーになって見えなくもなるし、エネルギーが局所化して質量として眼の前に表れもする。光は光である限りそのエネルギーを見ることはできない。しかし吸収されればその空間で変換されて姿容を現し、見える質量になる。

 

哲学と科学

哲学と科学の違いは?と検索に多くの記事が出ている。それだけ違いが分かりずらい主題でもある。だからみんなはっきりと理解したいと思うのだろう。しかし、解説記事を見ても殆ど満足する人はいないのじゃなかろうか。科学とは何かと簡単には答えられないだろう。更に哲学は人の精神活動に関わる上に歴史の社会状況を踏まえた深い考察が根底に無ければならず、科学以上にとても広い分野を網羅するものであろう。最近頓に思う事がある。それは今まで考える事が自然科学についてだと思っていたが、どうも科学に対する科学界の一般の問題意識と全くかけ離れた処を自分は彷徨っているようだと思う様になった。それは科学論なのかあるいは哲学なのかと分からなくなってしまった。解らなくなったところで、その分からない中味を分析して、哲学と科学について考えてみようと思った。何の社会的評価も特別の専門的評価(博士など)も受けていない者が論じることに賛同は得られないかも知れないが。

哲学は科学も包含 哲学は科学の基盤を整える。博士・博士号はPh.D. でDoctor of Philosophy の略であるように、哲学の無い科学は無いのであろう。最近は極めて狭い専門分野で博士号を取得できる体制に成っているようで、何とも言えない状況だ。自然科学に対して自然哲学と哲学に自然を被せた使い方もある。自然哲学と言う表現でどのような意味を持たせるのかは分からない。哲学と科学を対比させながら、その違いを明らかにするのはとても難しい予感がする。それには少なくとも科学とは何かがハッキリと捉まえられていなければならない筈だ。そこの処で困難な壁に突き当たる。その科学とは何かを考えることが既に哲学に成るように思うから。『電荷』が実在し、しかもそれには『正』と『負』の違いがある事を誰が観測し、証明したのか。正と負の『電荷』をどのような空間像と認識するのか。自然科学の根本原則まで問わなければならなくなる。科学論の根本を解剖する論証は哲学であろう。放電管の放電現象を観測しても、陰極線は観測されるが、陽極線(正極線)が観測されたという報告は無いのじゃないか。それなのになぜ『正電荷』が存在すると成っているのか。誰が『正電荷』の存在を確認し、証明したのか。今でも電気回路の『電流』に関しては『負電荷』の電子のみしか解釈に関わっていない。しかも電子は『電荷』と『質量』の両方で構成された複合素粒子概念で解釈されている。このように科学論の根本原理になる程曖昧性が色濃く成る。

科学と哲学の違い 科学論の根本・原理を科学論の論理性を持って解剖する分析法は哲学になると考える。科学と哲学を論じるには、科学の本質を暴きだす作務がなければならなかろう。そこには科学の本質をよく知り、それを洞察する眼力が欲しい。それは東洋哲学の特徴的な『削ぎ落とし』の思考になるのではなかろうか。『不立文字』への覚悟。捉え難い『エネルギー』の何たるかを問う必要があろう。

消えた本?『発見と創造』

手に取って見ようと思って、本箱を探した。どうも見当たらない?

発見と創造 科学のすすめ

長い間いつも手元に於いて、読んでいた本だ。以前量子力学とは何か?で取上げた事がある。何故消えてしまったのか哀しい。W.I.B.ビヴァリッジ 著/松永俊男・鞠子英雄 共訳。著者の深い科学的造詣と訳者の名訳が奏でる名著と思っている。

(2018/05/10)追記。先日ネットを通して、再び手に入れることが出来た。嬉しかった。

光の正体

光とは何か? 光ほど日常に関わる物理量は無かろう。しかしその正体は何かと問わずにいられない程理解困難なものも無いかも知れない。検索で、光とは何かと尋ねると多くの記事がある。光を見ているのに、その正体を見ることはできないからであろう。光は眼の前の空間に満ち溢れている。しかし光は直進するから、眼に入る光は眼と対象の各点とを結ぶ直線の一筋の光路の光のみである。対象の各点からは四方へ光が放射されている。しかし各点からの一筋の光のみを受け入れるから、景色の全風景を見る事が出来る。光の基本の特性は直進性である。ただし光の進行を妨げる様な障害物が無い限りにおいて。衝立の端に掛れば光の分布エネルギーに作用して、光の直進性が影響を受け回折する。

光の空間概念 簡略な表現で表せば、エネルギーの衝撃波と看做せる。雷の衝撃波が指数関数形状として捉えられている。自然は基本的に単純な統一性で捉えられよう。雷は空間の貯蔵エネルギーの爆発現象と観る。光の放射もエネルギーの放射現象に因る。初めに光の基本概念を提示し、以下で論じたい。

光の基本的特徴 1.粒子性と波動性 2.光の色調の意味 3.光の振動数と空間像 4.偏光性 5. 空間定数と相対光速度 の五つを話題にしたい。

  1. 粒子性と波動性 光の特徴はその正体を確認するに、粒子としての性質と波としての性質の二つが現れる。しかし、それはどこかで解釈の仕方あるいは観測の手法に因る観方に表面的な捉え方で満足しているからと思わなければならない。二つの異なる性質で解釈しなければならないのは、解釈する側の考え方に不十分な点があるからであろう。同じ光を粒子か波動かで観方を変えなければならないのは、その観方の解釈の根本に深い考察の不十分な点があるからではなかろうか。即ち粒子性とか波動性とかの一方の特性で捉える観方に解釈上の混乱があるのではなかろうか。光は常に両方の特性を持っているとしたらどのような物と考えるべきかの問題ではなかろうか。粒子とは質量の特徴的な運動エネルギーを持つ性質が見られるからとなろうか。波動とは電磁波の横波と看做す解釈に似た特徴的な現象・作用を持っているからであろう。電磁現象の波動を物理学では縦波としては見ないようだ。その粒子性と波動性の両方の特性を兼ね備えた光とはどのような物理量か、どのような観方が出来るかと考えることが必要ではなかろうか。以上がこの問題点であろう。
  2. 光の色調の意味 光は周波数でその特性を比較する解釈法が常識であろう。光に本来色がある訳ではないが、風景や物には異なった色があるように観察される。それは観測する主体と観測される対象との間の世界の仕組みに因るからだと簡単には考えて置いて良かろう。光には基本的に決まった色など無いと考えるべきだ。一つの光もそのまま変わらない訳でなく、どのようにも変化するのである。光はその周波数が変化する本性を備えている。光の周波数は放射源とその環境条件で変化するのだ。光と対象との相互干渉で周波数は決まる。一つの具体例を挙げておこう。白熱電球を考えてみよう。タングステンフィラメントで50,60ヘルツの商用電気から可視光線の光の周波数領域に変換をして利用しているではありませんか。これがこの問題点である。
  3. 光の振動数と空間像 プランクの定数が光の物理的評価・解釈に欠かせない。それは光の振動数・周波数によって評価する手法の基本になっている。先ずプランクの定数の意味をどのように理解するかであろう。その次元がエネルギー量と時間の積であると言う意味をどのような物理概念として捉えるかではなかろうか。h[Js]である。このエネルギー量のジュール[J]とは何を指すと考えるか。更に時間[s]はどんな時間を含意していると考えるか。そのエネルギーと時間の積が定数であるとはどんな意味と解釈するか。その辺が重要な物理的意味合いを知る手掛かりとなろう。
  4. 偏光性 光を薄膜に通すと入射光と透過光の間に特徴的な変化が見られる。場合によっては入射光が透過できない光遮断現象も起こる。それらの現象は偏光と言われる。何故光に偏光が起こるかは光の正体を解釈する大事な性質と看做せよう。光の空間像の捉え方に影響する意味と看做す。
  5. 空間定数と相対光速度 光の伝播特性の認識の問題がある。光が伝播するのは空間である。光の速度は世界の最高速度で、光速度一定で理解している。その光速度一定とはどの空間に対して定義するのかが明確でなければならない。その光が一定で伝播する空間が規定・定義されれば、その空間に対して運動する光の観測者にとっては、必ず光との間に相対性が存在する。『特殊相対性理論』はその光と観測者の間の相対性を否定する理論である。その問題の考察が必要であろう。光速度一定であるが故に相対光速度に成る。

光の正体 上に挙げた五つの観点から光の正体を解剖しよう。見ているが見えない物の代表が光のエネルギーである。ものの姿容は光を通して認識出来る。世界を理解する事は必ずその世界の中からエネルギーを取り込むことで初めて可能になる。青空に一つの白い雲が浮かんでいる。白い雲から光が放射されている。その光は雲の各点から無限の光エネルギーが放射されている。その内の各点からの一筋の光路のエネルギーの波の総体像が眼に入る。その眼への入射光のエネルギーを取り込むから雲の姿容が認識出来る。電気回路に電圧計を繋いでその電圧値を知る事は電気回路から電圧計に線路のエネルギーの一部を取り込む事によってはじめて電圧を計る事が出来る。見る雲の色が白いと分かるのは、その色を白い色と学習して色彩の評価の常識に従って理解しているからでしかない。それは何も考える必要の無い、自然と人の感覚に因る世界認識の「生命の機能」である。光を自然科学的解釈で捉えるかあるいは日常生活感覚で捉えるかで観方も変わって来るのではなかろうか。自然科学論的理解が優れていると一概に言えるかどうかも分からない。それでもその訳を知りたいと思えば、それは無理だと青空に笑われる。青と白から一先ず青空と白い雲に退散する(青空の色は太陽光線の紫外線、γ線など遠紫外線が原因と観る)。さて、光とは何かと尋ねても余りにも日常的な生活そのものにまつわるものであるから捉えようがない。光の正体を突き止めようとすれば、光の呈する色の違いの訳は何かと考える事から始めるしかないのかも知れない。光はすべて太陽が有っての事から始まる。発電で電気エネルギーを得るにも太陽のエネルギーが地球に蓄えられたから使えるのだ。石油資源や核燃料としてすべて太陽によって育てられた地球の辿り尋ねるも困難な古い昔の生命・動植物が元に成っている。光が世界の全ての基であると言う意味で。光の基本的特徴を五つの観点からまとめようと思うが、過去の記事の整理とかねて追記として順次論じたい(2018/01/26 公開)。

粒子性と波動性 光の基本認識で、粒子性と波動性と言う二つの観方でなく、一つの捉え方でなければならない。満足する光の基本特性は空間エネルギー密度分布波の縦波以外なかろう。しかし、物理学理論に「空間エネルギー」と言う物理量や概念があるかと言う誠に困った問題がある。考えてみると粒子と言うが、粒子性と言う意味はどのような光の性質を捉えた用語なのかわ分からない。コンプトン散乱現象がその論拠には挙がっている。誠に特殊な物理学実験室での特殊性に注目した実験結果をその論拠にしているように思える。デジタルカメラの撮像理論に応用されていると解説がある。カメラ技術はそんな理論などには無関係に技術開発されている筈だ。光電子が飛び出して云々と言う解釈も、それはそれで一つの理論と言えば理論に成るが、光電子がどのような物かは誰も証明も観察できない。光電子の質量と電荷がどのような物理量として認識するかは意味不明で、曖昧な筈である。光電子などでなくて、エネルギー即ち空間エネルギーであっても何ら困らない筈だ。光電子でなくて光エネルギーの散乱現象で少しも困らない筈だ。光が当たって光が放射される現象でしかない筈だ。この世界に電荷は無くてもエネルギーは実在する。太陽光線はエネルギーである。そこに電荷など必要が無い。光が空間エネルギーの縦波の波動であることは間違いないが、粒子である必要は全く無いのだ。この光の話に『電荷』概念を持ち込む事は論点を曖昧にするから止そう。しかし、空間エネルギーの存在を認識しないでは話が進まない。質量に無関係なエネルギー即ち空間エネルギーを物理学では認識しているかと言う根本的問題がある。

光の色調の意味 色の鮮やかさは動物・植物に際立っているように思う。雉、孔雀の羽根や玉虫、黄金虫更に揚羽蝶などに見る色合いはとても微妙な光を放っているようだ。日本の伝統工芸で、玉虫の厨子や螺鈿細工がある。玉虫の羽は厨子の細工模様に使われてもその輝きを失うことなく不思議な輝きを保っている。夜光貝や阿古屋貝の微妙な輝きは螺鈿細工にそのまま残っている。薄暗い中でも微かな光で輝くのだ。その輝く光はどんな波形の光の合成から作り出されるのだろうか。すべてその輝く対象からの放射光が奏でる色合いである。光の波長範囲でも可視光線は1000分の0.38mmから0.76mmの範囲である。1万分の数ミリと言う長さの光の空間寸法で光を捉える。その空間寸法と言う概念は空間エネルギーの寸法と言う解釈から来るものである。1万分の4ミリの波長の光は紫色であろう。1万分の7ミリの波長の光は赤色を呈するだろう。その光の長さと言う空間寸法は振動数と言う概念だけでは捉え切らない筈だ。光がエネルギーの空間分布波と言う捉え方をしなければならない。その一波長分でも光はエネルギーの塊である。その光に質量は必要がない。さて光の呈する色合いは、上の螺鈿細工に見る姿がどのような訳で演色されるかの解釈に負う事が出来よう。それは単純な波長では捉え切れないものであろう。複雑な波形が周期性を持って繰り返されることで創りだされているのだろう。合成波形の演色効果とでも言えよう。それは観測対象の物質の分子構造に因る空間格子模様が、その空間構造内でのエネルギー共振を生じ、そのエネルギー放射現象として造り出される光の合成波と言う感じがする。エネルギーの共振現象は電子レンジマグネトロンの空洞共振現象に似たものと言えよう。光エネルギーの共振空間をColor Cell と呼ぶ。過去の記事色の世界を尋ねてを整理せずに挙げたい。いつか書き換えたいが。

光の振動数と空間像 先ず光の振動数と言う用語の概念をどのように認識するかの問題があろう。何が振動すると言う意味なのか?エネルギーの縦波と捉えれば何も振動する実体は無い筈だ。光の特徴を振動数で捉える考え方が科学常識である。紫外線などのように、光の振動数が高くなれば作用力が強まる。その訳をどのように理解しているのだろうか。振動数が高いとは光のどのような働きとして作用すると考えるか。何か実体が分からないが、質量的な物が振動して対象物体に強く働くような想定で解釈しているように思える。しかも実験的には計測可能な振動数しか評価法がないから、光の振動数と言う概念が科学的論証には欠かせない訳である。そこにプランクの定数が光の量子性を表現するに極めて有効な概念を提示している訳である。その定数h[Js]と振動数ν[1/s]の積と言う極めて簡便な表現式 hν[J] が光の作用性の強いか弱いかを判断する実験的証明を果たしているからなのだろう。この式の意味をどのように解釈するか。振動数が何故光の作用性に効くのか。振動数νの逆数1/ν[s]は光の一波の波長分の時間である。光が対象に作用する時間t[s]はその作用性に対してどのような意味で捉えれば良いのか。時間の長さは作用性に影響するのか。長い時間光を照射してもその作用性には影響がないはずだ。エネルギーの照射量ではないと言うのが基本的特性であろう。おそらく光の一波長の分でも作用力が発揮される場合もあろう。振動数で評価する光の特性は1秒間の振動回数が意味を持っている訳ではなく、光の一波長分のエネルギー空間密度分布波形がその作用性の鍵を握っている。光量子とプランク定数の意味を図に表すと次のようになろう。

光量子空間像と概念(プランク定数の物理的意味) 光の作用性を振動数(1秒間に何個の光量子列の放射をするかの意味を振動数と言う用語で表現している)で評価する意味を図に示した。光量子1つが空間エネルギーの塊である。それが光量子のエネルギーε[J]である。その波長λ[m]の長さの空間に衝撃性のエネルギー密度分布を持っている。プランク定数h[Js]がどんな光に対しても定数の意味を持つと言う事は光量子一つのエネルギーεとその周期τ[s]の積が一定であると言う意味である。図の振動数が高い光量子ε2が空間領域の狭い範囲で高エネルギー密度の粒子性を持っていると言うことである。丁度弾丸のように破壊力・作用性が高いと解釈する。しかしこの解釈を実験的に証明する事は難しかろう。科学論と言うより哲学的と非難されるかもしれない。この光量子のエネルギーεの算出法は大よその意味を光とは何か?ー光量子像ー に示した。エネルギー波の波頭値H[J/m^3^]がその光量子の作用性に影響する。

偏光性 この偏光性も光の空間エネルギー分布波形に関係している。偏光板が伸展される薄膜の方向性に関係しているようでもある。光が透過する薄膜の分子の格子構造と光エネルギーの極性の関係が直交するか平行かで左右されるのではないかと思う。後日図で示したい。

空間定数と相対光速度 現代物理学が抱えた重い課題がある。『光速度一定』と言う意味は明確であるか?光速度と言うが、それはどのような伝播空間座標に対して定義したものであるか。光の観測者と光の伝播速度を定義する空間との間には常に相対関係が存在する。観測者が光の伝播空間と定義する空間座標に対して運動していない場合以外は、光の観測は必ず相対関係にある。その立場はレーマーの光速度算定実験の解釈を正しいとして理解する立場である。アインシュタインの『特殊相対性理論』の立場に立つか、レーマーの立場に立つかのどちらかで、光の光速度一定と言う認識がまるで違ってくる。まず、光の伝播する空間の媒体特性が光の速度を決めると観て良かろう。真空、水中、空気中あるいはガラスとその伝播媒体の特性で光の速度は決まる。電気回路でも同軸ケーブルなどではその充填される絶縁体で電気エネルギーの伝播速度は殆ど決まろう。さらに光でもその周波数で光速度一定ではない。プリズムの原理はそのガラスの特性が光の周波数に対して異なる事が基になっている。光速度が周波数で異なるのだ。地球の表面での光伝播特性は地表や上空の電離層の影響を受けやすいだろう。それでもある基準の周波数を決めて、その伝播速度・光速度を光の速度を定義できる基準空間でどうであるかを論議する事は出来よう。地球の運動と光の光速度の関係をマイケルソン・モリーの着眼点に立って論議する必要がある。『光速度一定』と言う意味は、その定義する空間が明確でなければ論議できない筈だ。光は放射源から放射された場合に、その放射源の運動の影響を受けると考えるか否かも明確にしておかなければならない。放射源の運動速度の影響は全く受けない事を前提にしなければ、議論は不可能だ。『光速度一定』と『光速度不変』の意味から明確にしなければならない。光の速度は一般的には変化するものと解釈しなければならない。決して速度不変ではない。それは光速度一定と言う事にも同じことである。伝播媒体の空間定数に従って光は伝播する掟にある。厳密に論議するには真空空間しか論議する場は無い。(a)『光速度一定』、『光速度不変』の定義空間。(b)光のドップラー効果。(c)光の伝達時間。(d)空間・時間概念。に分けて考えてみようか。

(a)『光速度一定』、『光速度不変』の定義空間 一般に速度と言えば必ずその基準が明確である。100m競争の記録が9秒幾らと注目される。その時は地球がどの方向に回転していようが全く無関係に競技のトラックが基準である。しかし光の速度と言えば、そう簡単には行かない。どのような空間基準に対して光速度が秒速30万キロメートルと言うかが明確でなければならない。光の速度はその伝播空間の掟に従う筈だ。すべての物には速度が幾らと言う意味が付いている。地球は太陽に対して相対的な回転速度を持っている。星空の観測をする時、そこには少なくとも3つの速度が関係している。観測対象の星の速度、光の速度そして観測者の速度である。『光速度一定』と定義基準空間 星空を見上げれば、有名な星座はその形に時が経っても変わりは無いようだ。億年単位でも変わりないとは信じられないのだが。図に描いた星からの光を観測する。今観測する光はどのような空間を辿って来たのかその一筋の光路が描く筋道を認識できるかの問題がある。見ている星は既にその位置には無い筈だ。光が直進すると言う意味をどう解釈するか。その光の辿った一筋の直線を描く空間が実在する。その空間は光がどのような方向に伝播しようと直線が描かれる。そのように定義する空間が存在すると考えるかどうかの問題であろう。その空間に対して、星やその観測者は速度を持つ。その空間ベクトルをVsVe とした。その速度を定義する空間の存在を認識するかどうかに掛ってこよう。その空間が認識出来れば、その空間こそ光の伝播する定義基準空間となる。星から放射されて観測者に届くまでの時間の長さは、その定義空間で過去の星の位置と今観測している観測点間の直線距離の長さを光速度で除した長さの時間となる。この空間と時間の関係には空間歪みも無ければ、時間の短縮も無い。空間に対する光の速度が極めて高速であると言うだけのことで、普通の運動力学のままで『特殊相対性』など全く無いのである。ただ問題は観測者自身が如何なる速度であるかを知り得ないというジレンマにある。我々は太陽に対しての相対的回転、自転の運動速度である。しかし太陽の速度が光規定空間に対して如何なるかを知り得ないから結局自分の速度を明確には知り得ない。更にもう一つ指摘して置かなければならない事がある。それは観測する光の周波数・波長は一般的に変化する事である。観測者が定義基準空間に対して速度を持って居れば、必ず光の速度との間で相対速度の観測になるからである。(b)光のドップラー効果および(c) (d)については過去の記事 光の速度と空間特性 (2011/05/22)で例題も挙げて述べてあるので、ここで一先ず区切りとする。

生命と酸素

生命を見つめる長い人類史で、東洋哲学の到達点の一つの言葉に『輪廻転生』がある。全て世界の存在は、始まりも無ければ、終わりも無い。生命もその世界の一つの存在形態である。星の生成、消滅もその輪廻転生の宇宙の法典の姿と見る。そこには『ビックバン』も否定される。人の生命の誕生もその法典に従った或る過程でしかない。今(この今と言う時は2014年の話であるが、再び今またとても有意義な時にある2018/01/09記)NHKで生命の不思議のスペシャル番組が放送される。医学・生理学の最先端は細胞の分子構造の微細な解明が基になる極めて高度な内容が対象となっている。素人には理解できない難しさに満ちている。『細胞分裂』が基本原理のように解説されている。確かに、『細胞分裂』現象は重要な鍵ではあろう。しかしそれだけではなかろう。(2014/11/03 に標題「生命の法典」等と大それた表現で記したままに保存してあった。酸素に変えた)。現在、昨年から新しいスペシャル番組が放送されている。今回の内容はとても高度な医学の話でありながら、驚くべき神秘な内容を分かり易く解説されていてとても有り難い。それにつけても理科教育の内容が心配だ。(2018/01/09記)。

生命現象は細胞や臓器の機能が生理・医学の研究によって、その謎が解きほぐされている。高度な医学の学問内容をとても理解できる能力は無い。しかし、日常生活で考えるような卑近な基本的な知識は身に付けたいと思う。学問内容は難しく、高校生の生物学を理解するのも困難である。不図思う、生命現象には『酸素』が必要だ。ヘモグロビンが酸素を血流で運ぶ。しかしその『酸素』がどのように細胞内での反応に役立っているかの基本的な意味を知りたい。活性酸素と言われても、具体性が何処にも解説されていない。高校生の学習する基礎的内容が解明されていないようだ。エネルギーを必要として生化学反応が起きるのだろうと思うが、そのエネルギーがどのように何処に必要なのかが分からないように思える。細胞と酸素の関係およびエネルギーが何処にどのように必要かは高校生の「理科基礎(仮称)」に求められる基礎的内容ではないかと思った。若い方に挑戦して解明して欲しい。疑問を持ったら、それが道の始まりである事を知って欲しい。自然現象の本質は身の周りにある卑近な事の中に謎のまま隠れている。その本質を見抜くには学んで学んで、その総体の知識を感得して僅かな違和感や疑問を大切にして答を自分で解き明かす過程に、自然の神が微笑んで答えを届けてくれるように思う。酸素原子には燃焼と言う特別な役割が与えられている。本当にその意味は化学反応が分かったとしても、何も「何故か」と言う問答の答には成っていない。感覚的に納得するにはまだまだ分からない事ばかりだ。自然科学は現象が利用出来ればそれで済むと言う学問ではない筈だ。不思議に思いませんか。元素周期表の酸素と窒素は隣同士だ。窒素より酸素は質量数が2多く、周回すると言う電子が1多い。その違いが何故その元素の特性の違いを産むかが分かりますか。自然科学の学問としての意味は、そんな基礎的なところを納得出来るように説き明かす事にその大切な役割もあると思う。検索の中には『電圧』とは何ですかと質問がある。そんな素直な質問に、解答が水圧などで説かれているが、質問者には腑に落ちないままであろうと。何とか線路電圧の意味は空間の『エネルギー』の分布であると自分なりに納得する答えを見つけた。生命活動の中で、ヘモグロビンと酸素と炭酸ガスの大よその解説はあるが、細胞内でどのように酸素がその燃焼特性を発揮しているかは分かっていないのじゃないかと思う。焚火の燃焼現象の中にある本質が解明されていないように感じる。エネルギーと質量の関係が「理科教育」でされていないからと思う。エネルギーと質量の等価性の意味が。