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電流 1[A] の論理性 -考える理科教育への科学者の社会的責任‐

花1匁の心の重さ。有るようなな無いような重さを計ってどうする心算かと自分に問うても詮無い乍ら、やっぱり問わずにいられない。自分が納得できない。電流1[A]の社会的意味もそれに近いかも知れない。現実は実用単位としてMKSAの[A]が世界を繋いでいる。科学理論もその1[A] によってすべてが組み立てられている。糠に釘を打つ様なことはしたくないが。

電流 1[A] の意味。1秒間に1クーロンの電荷が通過する。電線を流れる電流1アンペアの意味はそのように理解してきた。今各種電線路(三相回路、単相回路及び同軸ケーブル)の特性インピーダンスの算定法の論理を考察している。教科書では「電荷」と「電流」によって算定される。しかしその論理はエネルギーとの関係で整合性が取れていなければならない筈だ。電界、磁界あるいは電荷、磁束が決まればそれはエネルギーの空間分布に換算できるはずだ。その課題が解決できない矛盾に困惑している。そこにどうしても電流と電荷の物理的概念の論理性が壁になる。

1[A]の電流の電線の電荷分布は如何にあるか? 1[A] の電流が流れている電線には 1[m] 当たり何[C] の電荷が分布しているか?その問いに答えられないからと言って、他の人に責任を擦り付ける訳ではないが、電荷の流れる速度が決まらないと答えようがないのだ。信号やエネルギーは光速度で伝播するのに、電荷はおっちら、こっちらと超低速では論理のギャップが大きすぎて決まりが付かない。科学の論理性からも世界の科学者の社会的責任として、子供達に分かる説明がなければならない筈だ。

1[A] の電流によるインダクタンス算定とその時の電荷による静電容量算定及びそのエネルギー分布とが、その論理性でうまく合致できればと願いながら。

既に、電流は電子の逆流か?ということを電子とエネルギーと質量に述べてあった。そこに載せた図で、電線路に電子が満ちて

電流は電子の逆流か?流れるとすれば電圧は、負の電荷だけで線路電圧となる理屈が見えない。電荷論での、電流が電子流だとの解説は電圧の発生源の正の電荷をどう説明するのか。前の記事を振り返って改めて追記した。

『エネルギー』それが世界の根源

エネルギー

それは目の前の空間に実在する。

それは身の回りを囲んでいる。

しかし、決して見ることはできない。

現代科学技術でも捉えられない。

風もエネルギーの流れだ。光もエネルギーの流れだ。

しかし。そのエネルギーを人は決して観測できない。

原子もエネルギーによって構成されている。

しかしそのエネルギーを捉えることはできない。

電気もエネルギーの流れだ。

そのエネルギーを見ることもできない。

『電荷』否定の旅に出て、今思う。

見えない世界に深入りしたのか。

旅の終わりに観えるもの。

それは、見えないもの それが大事。                  (2019/09/05)

『静電界は磁界を伴う』を基点として、当てもない「電荷」否定の旅に出て、辿り着いた世界に観えるもの。それは物理量でありながら、物理量として観測できない。これぞジレンマと言うのか。

光エネルギーと速度と時空

光の速度は何故決まる?

光は空間のエネルギー分布密度波の縦波である。その速度が何故、秒速30万キロメートルなのか?それも『疑問』の宝物。空間には空間定数という真空透磁率と真空誘電率の二つが定義されている。

単位系・JHFM自然系 も光と空間定数の関係から導き出したものである。光速度 c[m/s] は

c=(μo εo)^-1/2^ [m/s]

と真空透磁率μo[H/m]と真空誘電率εo[F/m]の空間定数との関係で捉えられる。そこに時間の次元秒[s]とヘンリー[H]とファラッド[F]の関係が生まれる。[(HF)^1/2^] = [s] と関係付けられる。その訳が理解できた。

人はモノの速度を目で追うことで感覚的に理解する。それが視覚感覚の機能でもあるのだろう。同じ現象でも、1[m] を通過する時間何[s]という捉え方はしない。しない訳ではない。100mの競争で10秒切るかどうかが注目される。それでも1mの距離の通過時間を気にかけることは普段はない。

エネルギーの伝播実験 光速度を超える信号伝送手段はないから、伝送速度を計ることは困難なため無理ではあるが。(次の実験で、電源スイッチを投入した時刻を負荷端で瞬時に知ることは無理であるから。)

エネルギー伝播 電気回路のエネルギー伝播現象を考えてみよう。電気回路の伝送路は基本的にインダクタンスと静電容量の分布定数回路になっている。その様子を図に示した。実際には2本の電線が張ってあるだけで、外見的にはそこにインダクタンスやコンデンサがつながっている訳ではない。図では単位長さ当たりL[H/m](一区間に上下二つのLが有るが、等価的には一つのLと考えてほしい)とC[F/m]の分布定数回路となっている。実験的にエネルギー伝送現象を確認するには、実際にある値の LやCを変化させた分布回路として、原理的には可能であろう。負荷終端には電線路の特性インピーダンスと等価な抵抗負荷とする。負荷で到来波のエネルギーを消費し、反射波を防ぐための条件である。電源は十分大きなエネルギー量を貯蔵したコンデンサとする。スイッチSをオンする。瞬時にエネルギーは伝送路に流れ込む。そのエネルギー波が負荷に到達する、その波形を電圧vで観測する。恐らくその波形は雷の衝撃波形に似たものになろう。負荷端のエネルギーは電圧vの2乗で波形を理解できる。その電源からのエネルギー伝送現象は回路定数を大きくすれば、エネルギー伝送時間は長くかかる。定数が小さければ伝送速度は速くなる。その意味は誰もが理解できよう。電線路の静電容量やインダクタンスが大きければ、エネルギーが静電容量に貯蔵される余裕が大きく、インダクタンスが大きければ、そこを通過するのを阻止する反発が強くなる。だから分布定数が大きい程エネルギーの伝送に長い時間がかかることになる。即ち回路定数によって、エネルギーの伝播速度、光エネルギーの速度が変化する訳である。この辺の現象は電力系統の管理技術者には当たり前の感覚的認識になっていることであろう。電気エネルギーはエネルギーの空間分布波としてみれば、光のエネルギー分布波と同じ訳で、光の真空空間の伝播速度即ち光速度がその空間定数で決まるのが当たり前と理解できよう。空間の長さ1m当たりの静電容量とインダクタンスがその空間を通過する光エネルギーの「時間」を規定する訳である。だから、JHFM自然単位系で、時間の秒[s]が空間定数の[√(HF)]になる訳である。ここには速度という見方と逆の、1mを通過する時間は幾らかという [s/m]の見方になっている。それも速度と意味は同じである。

エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系

不思議の極み 空間定数の「真空透磁率」を誰が何時決めたかが分からない。μo=4π×10^-7^ [H/m] はあらゆる計量単位の基準として定められた筈だ。誠に不思議な数値である。4πは球の全立体角 ステラジアン [㏛]と解釈する。すべての実用計量単位MKSAがこの空間定数の真空透磁率μo[H/m] が基準になった事によって決まる。そこに選ばれた単位が電気回路のコイルが持つ電気的空間構造の特性機能の評価量を表す意味のインダクタンスの単位ヘンリー[H]である。この定数を決めた時点で、真空空間が持つ空間のエネルギーに対する誘導性という物理的定数だという認識の下で決めたのだろうか。空間が誘導性のインダクタンスの機能を備えていると認識して確定したのだろうか。この基準を決めたことに因って、空間にはもう一つの真空誘電率εoという定数が確定されたと考える。その単位もやはり電気回路の静電容量という機能要素の物理的評価量の単位ファラッド[F] で示される。それがεo[F/m] である。この意味もまことに不思議な単位である。決めた時点で、空間が電気回路の静電容量の次元を持っていると認識して決定したのだろうか。それなら誠にその確定については慧眼の至りと驚かざるを得ない。しかし、それらの空間定数が何処で、どのような機関又は人に決められたかが分からない。しかしその空間定数があった事のお陰で、現在幸運であったと確信して使っている、自然単位系JHFMを闇の中で、1990年春に見つけた。

その夏7月に何の説明もなしに、大学職員が大勢で我が家に御出でになられて、玄関で白紙に拇印を押させてお帰りになられた。後でそれは筆者に対する分限免職の承認と見做す捺印のようだった。その拇印も誠に不鮮明であったようで、後には他の機会の、たぶん庶務課での茶碗から採取の鮮明なものに変わっていたようだ。誠に国家公務員の人事行政の意味も知らない筆者の無知のために、多くの皆さまに御迷惑をお掛けし、それが原因で招いた当時の過ぎてしまいましたが、失礼をお詫びいたします。と言っても今でも全く理解不可のまま、無知の上塗りでぼーっと日々が過ぎ、流され続けております。

真空誘電率 εo=(1/36π)×10^-9^[F/m] とこれまた誠に気持ち良い数値である。そこに自然空間における光のエネルギーの伝播速度が決め手となっていることが、これまた自然の美を意識せざるを得ない。

光速度をc[m/s]とすれば、

c^2^μoεo=1

である。不思議は美しさでもあるのか。

おまえはどこから生まれ

どこに向って行くのか

その行方も見えない

だが確実なこと

それは

おまえが世界を

創っているということ

目に見えない現実の中に

ずっとひそやかに

その世界を

支えて来たのだと

光によって世界を見る。しかしその光の本質を知っているだろうか。光の本質と言えば、その物理的空間像の意味で捉えたい。光は空間を光速度で伝播する物理的実体である。プランクの理論によって観測上の評価法が確立された。観測の基準は振動数である。振動数によってその光の物理的特性が評価できる。可視光線なら、その色によっても目で大まかな波長(振動数)は理解できる。それでも光は振動する実体を持ってはいない。しかもその光の一波長のエネルギー量は測れない。空間を光速度で伝播するエネルギーの縦波を計測することなど不可能であろうから。光の本質を知ることは電気磁気学の本質を知ることにつながる要でもある。電界や磁界の意味を知ることにつながる。『エネルギー』の意味を知ることにつながる。

 

 

エネルギー変換物語(炭火とエジソン電球)

はじめに  火は人類の生活基盤を成す。人類の文明の始まりにも関わる生活科学であろう。炭火や囲炉裏火は生活そのものであった昔に思いを馳せる。それはエネルギーと科学論の懸け橋にもなる深い意味を含んでいる。そんな日常生活の古い姿を振り返って、誰もが思い描ける生活の中にとても深い科学の視点が残されていることを拾い上げてみたい。難しい数式も要らない、しかし現代物理学理論が疎かにしてきた『エネルギー変換論』を展開しようと思う。物理学理論が『エネルギー』の意味を認識していない事を考えてみたいと。

炭と光熱 木炭がいつ頃、何処で使われたかははっきりしなかろう。木を燃やし、残り火を灰で覆えば炭が残る。火の扱いは生きる技術として必須の知識であった筈だ。図1.炭と光熱 科学の知識や科学理論を知らなくても、生活の中心に在った囲炉裏の火や火鉢の炭火が人の繋がりに欠かせない居場所を作っていた。ただ燃える火の揺らめきが心にぬくもりを与えてくれた。ゆっくりとした人の生業が穏やかで、効率で監視される現代の心の歪みなど有りようがなかった。寒い雪国には、行火(アンカ)が有った。夜の就寝時に布団の中に入れる個人用移動炬燵である。朝までに炭はすべて灰に成り、熱源としてのエネルギー変換作用を応用した生活道具であった。図2.行火がそれである。

炭火や焚火にはとても不思議な意味が隠されているように思える。今までも、その不思議に誘われて幾つか記して来た。焚き火と蝋燭 (2013/02/01) 、焚火の科学 (2018/05/26) など。しかし、それでもまだ肝心なことに気付かずにいた。それは炭や炭素原子のエネルギー変換作用についてである。それは不図した気付きでしかないがとても大きな意味に思える。最近は年の所為か夜中に目が覚めて、詰まらぬことを思い巡らす。なぜ炭素や抵抗体は熱エネルギーに変換する機能を持っているのかと、不図思い付く。それが記事の基だ。

図3.mc^2とエネルギー変換 図に①電池エネルギーと②燃焼エネルギーの場合を取上げた。①の電池エネルギーで電池のエネルギーとはどのようなエネルギーなのかと不図疑問が浮かんだ。すでに電子は破棄してしまったから、科学論を展開しようとすれば、電池に蓄えられているエネルギーとは何かを明らかにしなければならないことに成った。たとえ電子論を展開するとしても、電池の陰極側の化学物質に電子を負荷に供給するだけの電子が蓄えられていることを前提にしなければならないとなろう。その電子論では電子は負荷を通って電池の正極に戻ることに成っているようだから、電池内から供給したエネルギーはどのようなものと解釈すれば良いのだろうか。電池の質量が減少する理屈にはなっていないようだ。エネルギーと言うものが電池内に蓄えられていて、それが負荷で消費されると考えるのだが、電子論ではそのエネルギーをどのような理屈で消費すると解釈するのか。図①で表現した電池の陰極側からのエネルギーが電線路空間にどのように分布するかの見極めがまだ付いている訳でなく、疑問符?を書き込まなければならない不明は残る。ただ、電線路空間に表れる電圧とは空間のエネルギー分布によって生じる電気技術量・概念であることだけは間違いのないことである。だから如何なるエネルギー分布かを明らかにすることも自然現象の解明の学問として物理学の究める研究対象である筈だ。ランプから放射される光や輻射熱は紛れもないエネルギーである。『エネルギー保存則』とはどのような意味と解釈するのか。電池にエネルギーが有ったからそれがランプを通して高熱のエネルギーに変換されて放射されたと考えなければ、『エネルギー保存則』の意味までも曖昧になってしまうだろう。これはエジソンが工夫した木綿糸のフィラメントにどんな思い入れで取り組んだかにもつながろう。

①エネルギー変換原理は?   エネルギーとは誠に不思議なものである。ランプ・白熱電球は抵抗体の中で元々電池などの冷たいエネルギーを高温度の熱エネルギーに変換する機能が有っての結果に因って利用できる現象である。電線路空間に分布するエネルギーの大きさは電線路電力送電量の規模を規定する電気技術量・電圧の大きさで認識、評価できる。その電線路の負荷端に抵抗体が繋がった時、その負荷端子空間には光と同じ冷たい電気エネルギーが分布しているだけである。光も光速度伝播するエネルギー密度分布波では何も熱くはない。皮膚や吸収体で受け止めたとき熱エネルギーに変換されて熱くなる。光の速度が零に成る現象と看做せる。電気負荷抵抗の物理的機能は光エネルギーを吸収し、抵抗体の構造格子の中にエネルギーを速度ゼロの状態にして、吸収する熱化現象とも見做せよう。その詳細な物理機構は炭素などの結合格子構造に原因が有ると観なければならなかろう。マグネットの磁極近傍空間に在る軸性エネルギー回転流もおそらく電磁現象としての速度流で有り、光速度に近いと見做せれば、そのエネルギーも冷たいエネルギーである。それらの光的エネルギーは熱はないが抵抗体内に吸収された時、エネルギーの熱化現象が起き、新たな光エネルギー化に因る生まれ変わりの輪廻転生の一コマを演じることと見られよう。物理学として極めなければならないことは、抵抗体内で何故冷たいエネルギー・光エネルギーが熱い熱エネルギーに変換するかのその訳を解くことであろう。それには光エネルギーの正体を空間エネルギー分布として捉えない限り困難であろう。なかなか電子の逆流では解けそうもない事だろう。

②化学式の意味は? 炭火の話に成るが、炭素の炭と空気が混ざっても火は起きない。煙草の吸いがらでも、マッチ一本の火でもある条件が整えば、発火・燃焼に成る。化学式では炭素記号Cと酸素分子記号O2が有れば炭酸ガスCO2と熱・光エネルギーに成る様な意味で表現される。先ずこの両辺を結ぶ等号はどのような意味を結び付けているのか。勿論エネルギーのジュールでもないし、質量でもない。化学式に使われる原子、分子に込めた意味は何か?図3.のように炭には炭素だけでなく燃え残る残差物も含まれていて、燃焼後に灰が残る。その燃焼で発生する熱と光エネルギーは『無』からは生じない筈だ。それでは何がその光熱エネルギーに成ったのか。等号はその何がを意識に含んだ意味でなければ自然科学論としては肝心要が抜けているように思う。光熱エネルギーを含むからには、科学論としての等号にはエネルギーの次元で成り立つ意味でなければならないだろう。何が言いたいかと言えば、質量とエネルギーはその本質で等価であると言うことである。両辺の炭素原子記号と酸素原子記号の持つ意味で、質量が同じではない筈だ。炭素原子と酸素原子が結合して炭酸ガスに成ったとすれば、その原子質量が両辺で等しいならば光熱エネルギーなど発生する訳がない。無からエネルギーは発生しない事ぐらいは、高度な科学理論を学ぶまでもなく分かる筈だ。そんな日常生活上で感覚的に感じる科学常識を身につける為の理科教育でなければならないと思う。如何でしょうか?教育専門家の皆さん。塾の教育関係者もどのようにお考えですか。mc^2=E[J]と言う式をどのような意味で捉えていますか。特別素粒子など無くても質量とエネルギーは相互変換を通して等価なのです。

mc^2^から物理学を問う (2019/04/29) でも述べた。その意味を具体例として、独楽の心 (2019/01/05) や 熱の物理 (2019/02/07) でも考えた。

エネルギーとは何か

科学論としては『エネルギー論』が核となっている。ようやくその意味の全体像が捉えられるような心境に在る。そこで、改めて『エネルギーとは何か』と検索してみた。とても有益なエネルギー論考に出会った。少し古い(2009年)が、とても論理的で、よく考えられた記事の小人さんの妄想である。今まで、エネルギー(ENERUGY)とは? (2011/09/07) などをはじめとして電磁気現象の自然世界を『エネルギー』一つによって捉える論理的世界を捉えたかと思いたい心境に在る。それでも、『エネルギーとは何か』に答える助けになれればと論考を重ねる。(2019/06/15追記)また、EMANの物理学・力学・エネルギーとは何かと言う記事が有る。136万件の検索のトップに在る。この記事は所謂物理学教科書の解説に成っている標準的内容であろう。「エネルギーとは仕事をする能力」と言う定義に因って、「力×移動距離=仕事(エネルギー)」の解説に成っている。しかし、ここで考える内容はその解釈では通らないものに成っている。重力場(加速度g[m/s^2])での持ち上げる力も必ずしもf=mg[N] とは限らない。

小人さんの妄想の論考に応えたい。位置エネルギーを主題にして、重力加速度g[m/s^2]と力の関係を論じている。そこで論じられていることはその通りである。考える拠り所として、図に表した。m[kg]の質量が有る。基準からh[m]の高い位置に有れば、その物は位置エネルギー E=mgh[J] を保有していると解釈する。小人さんが論じていることは、物体を持ち上げる時重力 f1 と 持ち上げる力f2 の間に力が釣り合っていて、物体に掛る力は常にゼロではないか。それなら位置エネルギーは増加しないだろうと言うことの論理的矛盾を問うものと理解する。しかしそこのところは少し違うだろう。物 m[kg] に掛る力 f [N] はその物に生じる加速度によって捉えることが力学論の定義であろう。もし加速度  α[m/s^2^] で運動するなら、それが力の意味になる。その時は力 f [N] はゼロではない。だからと言って、小人さんが指摘した力の関係の問題に納得出来る訳ではなかろう。そこで更に問題となることが図の(※)の場合だろう。上昇速度が一定なら加速度はゼロである。従って、加速度ゼロなら力の定義からやはり力はゼロとなる。エレベーターを一定速度で上昇させた時、加速度ゼロだから力学論の定義によれば、エレベーターに掛る力はゼロとなる。力と距離の積で解釈するエネルギー即ち位置エネルギーはゼロと言うことになる。幾らなんでも、それは理屈に合わない。エレベーターを上昇させれば運転動力を使いエネルギーを消費する。エレベーターが高く上がれば、それだけエレベータは位置エネルギーを増加して保有することになる。少し付け加えて置くが、エレベーターの場合は平衡重りが掛けれれているので、重力あるいは位置エネルギー量には注意しなければならないことが有る。 それにしても加速度ゼロでの運転では、位置エネルギーの問題は小人さんの仰る通り、運動力学の理屈に合わないことは事実である。それを『力と位置エネルギーのパラドックス〈理屈と実際の間の矛盾〉問題』としておこう。

力と位置エネルギーのパラドックス問題。この問題の解釈の仕方について筆者の考え方を述べよう。地上から高くなれば、そこに在る物体は地上に落ちる時そのエネルギーを利用できることは間違いない。その物理現象は十分エネルギーの意味を説明するに役立ち、正しい。それが力学理論の『エネルギー』とは仕事をする能力として定義したことに対応した正にその意味でもある。しかし、重力に基づく位置エネルギーの増加の意味の力の概念は一般的力学理論による解釈に因る理屈で素直に受け入れられない矛盾が残る。

追加されるパラドックス。人が重い荷物をじっと持ち上げて居るとする。荷物を動かさないで、静止状態とする。それは仕事をしていることに成るのか?運動力学の問題になるか。力学が人の日常生活に結びついた、生きた学問となるにはどうしても『エネルギー』に視点を置いて納得できるものでなければならない筈だ。子供を負んぶしているだけで、人はエネルギーを消費し、仕事をしていることに成る。力と移動距離の積が零でもエネルギーのジュール[J]の消費に成る。この場合の力は、速度ゼロであるが、正しく重力に等しい値だ。エレベーターで、モーターに電源を繋いで回転停止の途中階で静止した状態の運転に等しかろう。モーターをロックしていないから重力に平衡した上向きの力で、運転エネルギーは消費している。法則は解釈の手法としては便利である。科学的な一律の解釈法が実際の世界の真理を示しているとは限らないことも有ると言う事を意識の片隅に認識しておくべきであろう。

結論と解答。 以上、小人さんの妄想の論考に応えたい で考えを述べた。しかし何も答えに成っていない。如何にも尤もらしい解釈をしたが、加速度と力の関係で間違いが有った。多分気付かれた方も多いと思う。何が間違っていたかの問題としてそのまま残しておく。図で再び訂正する。それは『加速度とは何か』の問題であった。重力場で、上昇力ベクトル fo  の加速度ベクトル αo [m/s^2] とする。今、質量m[kg]が地表面に対する加速度α [m/s^2] で上昇しているとする。その場の重力加速度 g [m/s^2] が高さに関係なく一定と仮定すれば、上昇力 fo [N] の加速度 αoα と更に重力加速度 g の合成加速度となる。静止した質量mを支えるだけで、重力加速度に対抗した力を掛けることに成る。その時位置エネルギーは増加しないが、力を掛けるだけでエネルギーは消費する可能性がある。mを荷台に乗せたとする、その時は荷台がエネルギーを消費するとは考えない。エレベータのモーターを機械的にロックしておけばエネルギーは消費しない。さて、速度が如何なる値でも、加速度α=0 ならfo=mg[N]で上昇するから、その力 fo と上昇距離との積の分だけ位置エネルギーは増加することに成る。従って、位置エネルギーは E= mgh [J] となる解釈に矛盾はなかった。しかし、α≠0 の時にE=mgh が成り立つかは分からない。そこには、位置エネルギーと言う概念が規準面からの高さh [m] だけで決まり、過程の状況には無関係に決まると言う意味にみえる。一つ簡単な例で確認してみよう。質量 1 [kg] の物体を1秒間だけ加速度α=0.2{m/s^2] で上昇したとする。その時の力の加速度はαo=10[m/s^2] となるから、力はfo=10[N]となる。この1秒間の上昇距離⊿hは0.1[m] だから、力との積は10[N]×0.1[m]=1[J] となる。しかし、位置エネルギーの算定は E=mg⊿h=0.98[J]となる。これは 1≠0.98[J] で等しくないから、力と距離の積に因るエネルギー量[J]の関係は成立しないことが検証される。そこに、位置エネルギーの高さ h[m] とは何か?と言う意味が持ち上がる。暗中模索式導水路。暗中模索さんに水力発電所の導水路の設計をお願いした。誠に穿った設計をなさった。途中の水流速度が複雑に変化する。速度v1の位置は水流が加速度の有る状態で、速度v2の位置では低速度の定常流に成る。ベルヌーイの定理で解釈するが、位置エネルギーはすべて規準面からの高さ h[m] だけで捉える。水の加速度や速度が如何なるかには関わりなく、ただ高さのみで位置エネルギーだけは決まることに成っている。速度エネルギーや圧力エネルギーのような相互間の変換は考慮されていない。位置エネルギーと言う物理概念も、考えればその論理性で単なる科学技術概念でしかないのかも知れないと。規準面を何処の位置とすればよいかは論理的に厳密ではない筈だ。地上5mの高さに10kgの重りのハンマーを設置し、地表から100mの深い穴に楔を打ち込むハンマーに利用する。利用するエネルギーは幾らか?しかしそのハンマーを地表面に戻すにはエネルギーがいる。差引科学技術利用エネルギーはやはり地表面を基準とした解釈に成る。さて、自然現象としての位置エネルギーを物理学理論として定義付けるには、本質的な意味で納得出来るかと言う疑問が残る。地表面に居るだけで、我々は地球の自転・公転の運動エネルギーの支配する自然環境に居ることに違いはない。折角回転運動エネルギーの意味を物理学で学んでいながら、地上高さがその回転運動エネルギーとは関わりのないものだとは解釈出来なかろう。位置エネルギーの『位置』と言う意味は、エネルギー利用技術からの量と看做したい。結論としては、地表面での重力加速度概念の場での位置エネルギーは、上昇力や消費エネルギーがどの様であろうと、過程には関わりなく、ただ高さ h[m] に在る質量 m[kg] の地表面で利用できるエネルギーは E=mgh [J] であると言う科学技術概念でしかないのだ。

 

電磁気学の要-Axial energy flow-

1.はじめに
電気磁気学は自然科学の基礎知識として、その習得が科学技術・理科教育で求められる。力学と相まって物理的学習内容の基本となっている。その教育に基づく共通理解が社会的科学認識の基となるから極めて重要な分野である。社会的な科学常識は、お互いに科学論を展開するに、その共通理解の重要な基になる。『電荷』や『磁束』はその電気磁気学の要の基礎概念として、誰もが共通に理解していると思っているだろう。しかし、その中で『電荷』はじめ『磁束』さえもその実像は突き詰めると極めて曖昧な概念であると考えなければならなくなった。だからそのような基礎概念に論拠を置いた科学論は本質的に矛盾を含むものに見えて来る。現在の理科教育の教科書の内容では真の自然現象理解に極めて不十分な内容であることを認識しなければならない事態になったと考える。その意味を「磁気とは何か」と言う視点で考察し、その曖昧な意味を掘り下げて、電気磁気学理論の持つ不完全さを解説したい。軸性エネルギー流-Axial energy flow-を理解することが電気磁気学の眞髄に到達する要点であることを示したい。この事の持つ意味は、今までの科学常識に因って成り立ってきた専門家の意識改革を迫る極めて重大な社会的問題でもある。

2.原子構造と周回電子像の持つ意味
原子核の外殻を周回する電子に原子の周期特性で捉える役割を担わせた原子像があらゆる科学論の基盤として社会の科学常識となっている。この根源的科学常識を疑い、批判することに成らざるを得ない『電荷』概念否定の道を通って来た。その道の長い思索を通して辿りついた到達点は、あらゆる自然現象が『エネルギー』の空間に展開する姿として認識する事であったと理解した。その意味で、改めて現在の原子構造論の電子周回論はその中味を深く突き詰めなければならないと成った。

(2-1)原子像への疑念 『電荷』否定の論理の行き着く先に待っていたのが原子像への疑念であった。その疑念の具体的な点を挙げれば、次のようなことになろう。図1.で示した原子像は曖昧なまま、どのような規則で表現すれば論理的かさえ理解できないままの一つの参考にとの表現図で示した。

  • 何故電子が周回運動しなければならないか。
  • その電子の周回運動の軌道(立体角4π球面か平面か)と回転速度の方向性を何が決めるか。
  • 電子は粒子とか波動とか極めて曖昧な空間認識像で捉えられ、論理的明確さが観えないのはなぜか。
  • 実在するという電子像の、その質量と電荷の空間像が何故示されないのか。
  • 原子という空間構造体をまとめる『構成力』は何か。

原子と言う極めて極微な空間構造体が世界の構成元素として実在していることは、そのこと自体が不思議で有っても、疑いはない。その中味を解剖して明らかに示す事はおそらく無理な話であろう。だから曖昧さは残って当然と考える。1911年以降にようやく原子の構造の論議が始まったのだろう。J.J.Thomson の陰極線発見(1898)が電子として認知されたことが原子の周回電子像の基になったのであろう。その後の量子理論が決定的に電子に電磁気現象すべての舞台で、主役の役割を担わせたこととなったと思う。単純な電気回路のオームの法則さえ導体電線の中を電子が流れる解釈が決定的な電気回路常識となって、現在の科学論の基礎となっている。量子力学での電子には必ず質量が付きまとった素粒子となっている。運動エネルギーでの解釈に質量が必要だから。然し量子力学で伝導帯を自由電子として電気エネルギーの伝送の役割を担っても、電気回路になれば電子が金属導体中を流れるが、電荷だけしか必要としないから質量の意味はどこかに消え失せてしまう。電子とは質量と電荷の混合粒子と思うが、電気回路では電子流はアンペアと言う電荷の時間微分しか意味を成さない事になっている。電気回路では電気エネルギーの伝送速度は光速度に近い筈だが、電子では決してその光速度でエネルギーを伝送する役割の責任は果たせない筈だ。それでも質問が有っても難しい量子力学を勉強してから考えなさいと説明逃れがIT等の質問に多く見られる。電気回路の現象が光速度でのエネルギー伝送として説明できない事は、電磁気現象を本当に理解していることにはならないのだ。そんな単純な日常生活に関係した電気回路の意味から考えても、原子構造論の周回電子論はとても信用出来ないのだ。

(2-2)共有結合に論理性はない 高等学校の1、2年生の時に化学を習った。原子結合で共有結合と言う負の電子同士が誠に魔法のような理屈で互いに結合の担い手となることを教えられた。クーロンの法則の同じ電荷間に働く排力が、何故共有結合ではその訳が説明されずに、無視されるのかと言う疑問が消えない。何故負電荷同士の電子が結合の役割を果たし得るのか。まさか電子質量間に働く万有引力でもあるまい。基本的には電気磁気現象が原子構造体を構成する理論であると考えれば、原子間の結合を担う『力』とは何かと言う疑問になる。また、その基となる原子その物を構成する力は何かとなる。核の結合そのものも『力』が必要な筈だ。陽子と中性子の結合論には中間子論があるが、その意味を理解するだけの能力はないし、電磁気現象としての解釈では理解困難な様に思う。原子間、分子間あるいは原子等の構造体を構成するにはどんな『力』が必要なのか。

  力としてpdfで挿入した。初めて試してみたので見難いかもしれない。中に(3)式として『質量力』などと言う力を入れた。何も特別な意味ではなく、万有引力と言う意味を質量間に働く力と言う意味で表現しただけでしかない。丁度二つの電荷が空間に有れば、電場が生じ電界ベクトルと電荷間に働く力と言う空間像と同じ意味で捉えだけである。たとえば地球と言う質量が有れば、その周りには重力場と言うベクトル空間が有ると看做すだけである。ただそれは、自然現象として空間を解釈する万有引力と言う理論が『眞』であるかどうかは別問題であろう。 電荷間の力の解釈と同じ意味で(3)式は万有引力の一つのベクトル表現法でしかない。(2)式の磁荷mは物理学理論でも実在しないと成っている。(1)式の『電荷』q[C]も否定すれば、一体どんな力を世界の結合の力として捉えれば良いかとなる。もちろん(3)式の質量力などは論外であろう。 そこに「磁気とは何か」と言う事を尋ねなければならない問題が浮上する。

3.磁気とは何か それは「磁気の本質」を問うことになる。電気磁気現象の要が『磁気とは何か』に明確な認識を持つことである。2つほど問題を提起したい。

  • コンパスは何故磁界の方向を指すのか。
  • マグネットを向かい合わせると、そのギャップlの長さに因って何故磁気力が変わるのか。その物理的原因は何か。

電気磁気学では、磁束量φ[Wb]が磁界解釈の基礎概念となっている。ファラディーの法則として、電気理論の根幹を成す重要な概念でもある。アンペアーの法則として、電線導体電流との関係でも重要な磁束で、欠かせない基礎概念であるとの意識にある。インターネット検索でも専門的な解説がある。電子スピンなどと関連付けて解説される。然しその解説に因っても少しも理解できないのは筆者だけだろうか。マグネットから空間に磁束Φが放射(?)されている図で表現される。磁荷は存在しないが磁束が存在するとは、その磁束は何が創りだすのかとなる。変圧器のファラディーの法則から、そろそろ磁束が励磁電流によって発生するなどと言う間違った解釈はやめても良い筈だ。磁束はファラディーの法則の式の積分形で『電圧時間積分』で決まることを知らなければならない。然しだからと言って、それで磁束が自然界に実在する物理量だと決めつける訳にはいかない。磁束も電流と同じく、科学技術概念としての人が創りだした便利な解釈用の概念でしかないのだから。それでは本当は磁束とは何をそのように概念化して利用しているのかと言うことになる。そこが重要な点であり電気磁気学の要となるのだ。答えは空間のエネルギー流でしかない。それは軸性エネルギー流-Axial energy flow-である。巷の解説では、電子スピンと言うが電子がマグネットの表面でスピンをしてその電子から空間に磁束が伸びていると言う意味であろうか。その磁束とは空間にどのような実体を成すものと認識しているのか。コンパスが磁界の方向を向くと言う現象も、やはり力が働いたから向きが決まる訳である。この軸性エネルギー流と言う概念は物理学理論ではなかなか受け入れ難いものであろう。それはもともと物理学には空間にエネルギーが実在すると言う認識が無いように見受けられるから。物理学理論では質量が無いとエネルギーが論じられないように思う。電気コイルの磁気エネルギーと言う時、そのエネルギーは空間の何処に存在していると解釈するのだろうか。コンデンサのエネルギーと言う時、そのエネルギーはどこにどのようなものとして存在していると解釈するのだろうか。電荷はエネルギーには成れない筈だ。磁束もエネルギーではない筈だ。マグネット間のギャップ l が小さくなれば、磁石の引き合う力は強くなる。何故強くなるのかの意味を説明しなければならない筈だ。磁束が太くでもなると言うのだろうか。それでも説明には成っていない。物理学理論でも、電気技術論でもマグネットの表面の磁束密度は一様と仮定すると言う条件を設定するのが一般的である。そこが間違いである。マグネットギャップを変化させると、ギャップ内の磁気模様が全く変わってしまうのである。ギャップを狭めて行くと磁場の強い処はマグネット周辺に移動し、中心部分には磁場は無くなるのだ。磁場一様等と言う条件は成り立たない事を知らなければならない。磁場とは磁束などと言う線束が有る場ではないのだ。ハッキリ言えば磁束など無いのだ。ただエネルギーがマグネット軸に対して回転して流れている現象なのだ。それを軸性エネルギー流と名付けた。要するに空間に質量など無関係に、『エネルギー』が実在している認識がなければならないのだ。光の空間エネルギー分布流と同じ意味である。光のエネルギーを振動数で解釈している限りは、電気磁気学の眞髄には到達できない。

4.磁界の空間像 磁界とは『軸性エネルギー流』である。図に表せば次のようになる。図のマグネット棒と磁界の関係。それはマグネット近傍空間には左ねじの尖端をN極として、ネジを回して進む時の回転方向にエネルギーが流れていることを示す。この回転エネルギーが地球の表面にも流れている訳で、地磁気が具体例としての考える論題としてよかろう。地球の磁気は北極がマグネットのS極で、南極がマグネットのN極である。地球表面を自転の向きに即ち東西南北の東向きにエネルギーが流れていることを知らなければならない。地球の自転が何によって起きているかは、そのエネルギー流が何故在るかを理解することが出来れば分かった事になるのだろう。その自転の物理的意味について解釈を下す事は科学論か哲学か悩ましいこと言えよう。兎に角、このマグネット近傍空間のエネルギー回転流が磁場と言う概念が持つ空間の意味である。光が空間を光速度で伝播する空間エネルギー密度分布波と捉えることと繋がる意味でもある。この質量に関係ないエネルギーの実在性を空間に認識することが電気磁気学の要となるのである。

5.ギャップに因る磁気力の変化およびコンパスの指示の訳  (3.磁気とは何かの答)マグネットの引き合う力は不思議だ。検索すれば、その力の原理を知りたいと質問がある。然し、その解答は的確な説明とは言い難い、何か誤魔化しで逃げているようにしか思えない。残念であるが、本当は分かりませんとでも答えて欲しいのだ。解答者も教科書の解説を習得したからと言って電気磁気現象の眞髄を分かっているとは言えないのだから。決して磁束(自然世界に実在する物理量ではない)と言う科学技術概念では、マグネット間の空間にある『エネルギー』の姿は理解できないのだから、ギャップの長さで磁気力が変化する意味は分からないだろう。教科書に無い意味磁界・磁気概念の本質の記事の意味を知らなければならない。次にコンパスが磁界の方向を指す訳は何か?それも同じような原理の力の問題である。磁束がコンパスの中を通って空間の磁場の磁界と繋がるから、その方向を向く。と解釈して良いのだが、磁束が実際に実在する物理量でないと言うことを認識すれば、その解釈ではやはり正しいとは言えないだろう。試験問題でコンパスがどの方向を向くかという問題なら、磁束の考え方で正しい答えは得られる。知識としてはそれだ宜しいのだ。自然現象を理解するという意味には、この例のように答えられればそれでよいという考え方と、もっと自然世界の本質・真髄を知るべきだという考え方と多様な意見がある筈だ。それは一人ひとりの生き方の問題となるのだろう。磁気が軸性エネルギー流の目に見えない現象だと言うことを知ることに因って初めて、広い電気磁気現象の意味が矛盾なく理解でき、心から安心した納得に至れるのだと思う。それが安堵と言うものかも知れない。地磁気とコンパス(2012/09/13) が一つの解答となろう。

6. 磁気原子像と原子結合 『電荷』否定に因る原子像はどんな姿か。今年は原子周期表の記念の年らしい。8の周期性で特性が決まる原子を周期律表でまとめられた意味は驚嘆に値する知見と言えよう。その周期性から原子構造が周回電子像で解釈される結果に現在の原子構造が共通理解の基を成して来たと思う。周期性は他の原子との結合特性から認識出来るものでもあろう。原子が結合するのは原子の表面が互いに他の原子との安定した接合面を持つ事が出来るからであろう。もし周回電子が原子結合の任務を担うとすれば、その電子は立体角4πの原子表面をどのような道筋で回転運動をしながら、となりの原子と安定した接触面を保てると考えるのだろうか。その空間運動状況を原子結合に結びつけるには、原子核が周回電子の運動を可能にする何次元ものスピン運動をするか、魔術師か忍者の雲隠れ抽象空間を想定できるようでなければ、電子の運動と結合面の空間像を頭に描くことは無理じゃなかろうか。こんな論議は決して科学論の場では誰もが取り上げたくない事だろう。それは教科書の指導内容と異なる反社会的のことで、教育体制に混乱を生むから。科学論は現在の教科書の指導内容の枠からはみ出さないようにしなければならないとの意識が無意識的に思考の根幹を支えているのだろう。まさかこんな基礎の科学概念が否定される筈はないと誰もが教科書の指導内容や科学常識を信じているから。

(6-1)ダイヤモンド結合 炭素は結合手が4で、宝石のダイヤモンド共有結合や有機分子のベンゼン核など結合の代表的な論題となる元素であろう。炭素同士の強固な結合が抽象的な原子表面上の軌道周回運動電子によって生まれると言う曖昧な論理を何故信じなければならないのか。また炭素原子表面は空間的に4面体(直方体)か球面を4等分した接合面と看做すべきだろう。従って、有名なベンゼン核の亀の甲羅の平面的な六角形の構造が何故出来るかにも論理性が観えない。原子結合面は空間的な立体面から出来ている筈だから、結合手が2本と1本でのベンゼン核表記法は有り得ない。まずい記事ながら、参考に炭素結合の秘め事を挙げて置く。

(6-2)マグネット原子構造 軸性エネルギー流と言う空間のエネルギー像は『電荷』に代わる電磁結合の統一的理論構築の未来像になると考える。結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) で示したマグネット結合の図を再掲したい。マグネット同士を接合すると、接合部でのエネルギー流は隠れるように思える。砂鉄に因ってある程度は確認出来よう。このマグネット同士のN、S間での結合が原子結合の結合手になるとの解釈論を2009年に発表した。その時の図を示したい。

『電荷』否定は陽子、中性子などの素粒子の電荷概念の否定だから、当然原子核内もエネルギー粒子と捉えなければならなくなる。その核のエネルギー粒子の影響がそのまま原子表面に現れると言う考え方を取る。その結果の原子結合は当然の帰結として、図のようなマグネット結合になる。

7. むすび 2009年日本物理学会秋季大会で、“電荷棄却の電子スピン像と原子模型”の標題で関連の発表をした(日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊 p.18. )。それは丁度10年程前の解釈である。今振り返っても、その内容は現在の認識と殆ど変らないようだ。10年間の思索を通して、よりこのマグネット結合原子構造の解釈に強い確信を得ている。電気回路の電磁エネルギー伝播現象即ち電気磁気学の実像を光速度伝播特性として理解出来たからだ。『電荷』や『磁束』が科学技術解釈概念だと言う意味は、それらは自然世界に実在する物理量ではないと言うことであって、物理学と言う自然世界の真理を探究する学問で使う用語・概念としては適切でない事になる。

論文: 25pWD-13 “磁力密度 f=rot(S/v)” 日本物理学会講演概要集第63巻1号2分冊 p.310.(2008) 。これは磁気がエネルギー回転流であることを論じた論文である。このいわゆる電磁力と言う力については、長岡工業高等専門学校で、既に履歴書が『以下余白』として消されたままの1年8カ月後(?)の昭和62年3月末に、『静電界は磁界を伴う』の電気学会発表の準備中の深夜の睡眠途中で閃いた思い付きであった。その後、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会 電磁界理論研究会資料、EMT-87-106.(1987) に(29)式として記した。それは静電界と言うコンデンサ極板間に電圧に応じて、コンパスの指す磁界方向が変化すると言う電磁界現象が存在する事実の理論的解釈論として示さなければならなかったのである。コンデンサ内も電磁エネルギーの流れによってその現象・状況が決まると言う実験結果に基づく発見事実である。ここに科学基礎概念に対する意識革命の必要性が隠されている。

(付記) 関連記事。電気回路理論と電気磁気学の関係(2017/12/06) 。電磁力の本質(2017/10/17) 。

 

 

熱の物理

熱の概念
熱とは何か。熱はエネルギーの或る状態と解釈するだろう。それはどんなエネルギーか。日常の環境評価では温度と言う指標で熱の多さを捉えると言ってよかろう。例えば気体では、気体の熱エネルギー量を温度・気温として捉える。気体の熱エネルギーとは、物理学では気体分子運動エネルギー(気体分子運動論)として認識・解釈していると思う。この気体分子運動論が曲者に思える。その訳はエネルギーが質量に関係なくそれ自身で空間に実在しているものだから。光はエネルギーの伝播現象であり、質量はその光のエネルギーを論じるに必要ない筈だ。光が質量の運動エネルギーとは考えないだろう。その光の空間に実在するエネルギー像を物理学で認識していない処に問題の根源がある。

物理学理論(気体分子運動論)を斬る それでは、その気体分子運動エネルギーとはどのようなものを考えているのだろうか。気体にエネルギーが加えられると気体分子がエネルギーを吸収することになる筈だが、おそらく気体分子質量の速度の増加としてエネルギーを吸収すると物理学理論では解釈しているのだろう。何故気体分子が速度の増加を来たす事になるのか。気体を加熱したからと言って、分子の速度が上がる理由が見えない。調理用の圧力釜がある。加熱すれば、圧力釜内の水が蒸発し気体となる。加熱に因り圧力が上昇し水分子の圧力上昇としてボイルの法則の通り圧力エネルギーとして加熱エネルギーが蓄えられる。何も水分子が運動などする必要もない。蒸気機関でのピストンの仕事は水分子の運動エネルギーなど無関係で、水蒸気の圧力がその役割を果たしているだけである。水蒸気の圧力とは水分子が加熱によって体積膨張しようと内部圧力に変換されるから圧力上昇するのである。それが単純なボイルの法則による解釈である。水分子の運動速度など無関係だ。物理学理論でエネルギーと言うと、質量の運動エネルギーと位置エネルギーしか対象にしていないのではないかと誤解しそうになる。圧力エネルギーと言う概念が余り考えられていないようだ。ボイル・シャルルの法則も気体分子運動論としてボルツマン定数に因る解釈に終結している。圧力も膨張でなく分子運動速度に因る衝突力として捉えるようだ。気体の体積、水蒸気分子の体積膨張と言う現象は考慮されていないように思う。気体の発光現象も、気体に加えられたエネルギーが分子や原子に貯蔵され、その貯蔵限界を超えたエネルギーが放出されることと解釈できよう。原子の外殻電子の運動エネルギーが増減する解釈は意味がなく、間違っている。そもそも電子が回転していると考える必要など無い。電荷など無い筈だから。エネルギーと圧力の関係で一つ取り上げておきたい。海底1万メートルの水は静止状態でも途轍もない高圧に在る。その水圧も水の空間に蓄えられたエネルギーの筈である。さて、水圧だけではなく、海底の地殻深くになれば更に圧力が増していると考えられよう。その空間のエネルギーは特別の意味を持ち、日常生活での物理現象として関わることも無い異次元の世界の話であるが、圧力エネルギーであることには変わりがない。ただ、その圧力エネルギーと言う解釈が地球の中心核まで続くと解釈すべきかどうかを判断するべき根拠は不明だ。何も地殻が運動エネルギーの空間貯蔵帯とは考え難いという事からも、気体も同じように気体分子の運動エネルギーとして解釈すべきと言う論理性が見えないということである。当然気体の圧力分布に因り気体は流れて風を引き起すが、それは気体分子運動論でのエネルギーとは異なろう。温度の解釈には風は余り関係なかろう。

熱エネルギー 熱が物に蓄えられる時、物の質量の運動エネルギーの増加となるのではない。物の結晶格子等の空間に貯蔵されるエネルギーそのものの増加が熱の増加と言うことである。熱エネルギーは電気エネルギーや光エネルギーと同じく、空間に実在するエネルギーなのである。質量構造体の内部空間に貯蔵されて温度が高くなるのである。温度が高いということは、計測温度計にその物体から放射されるエネルギーが多いということであり、温度計に入射する熱エネルギーが多い準位で、温度計の出入りのエネルギーが平衡するのである。熱も電気も光もみんな同じエネルギーなのである。それは空間を占め、そこに独立した実在の空間エネルギー密度なのである。基本的に、熱とは光であれ電気であれ物に蓄えられたそのエネルギー量によって周辺空間に放射、伝導するエネルギー量が影響され、その量を計量する人の感覚や温度測定器の表示量として捉えるエネルギーの評価なのである。物のエネルギー量とその物の入射と放射のエネルギー平衡特性が比熱などの評価係数となっているのだろう。物の原子・分子の結合構造(勿論エネルギー還流のマグネット結合構造)でそれらの係数も決まると観て良かろう。

質量とエネルギー等価則

熱エネルギーとは 今常温でMo[kg]の鉄の塊がある。その鉄を加熱した。高温の鉄の塊からは熱と光が放射される。その熱い鉄の塊の重量を計ることを考えると仮定する。鉄の質量は計りに掛けると、加熱によって加えたエネルギー分だけ等価的に質量が増加する筈と考える。それが『質量・エネルギー等価則」の意味である。エネルギーは質量に等価である。しかしここまでエネルギーを実在物理量と捉える考え方は現代物理学の中に受け入れられるかどうかは分からない。高温の鉄の塊から熱放射・光放射が続く。その放射エネルギーは鉄の持つ熱エネルギーと等価な質量の一部をエネルギーとして放射するのである。『エネルギー』も質量と同じく物理的実在量なのである。と言っても、鉄の重量を計って、熱エネルギーに相当する質量・重量の増加した結果が観測など出来ることは無理であろう。熱エネルギーの増加分をほぼ光速度の2乗で除した分など計測に掛る筈はないだろうから。実験的に検証する科学的論証は無理であろう。それでも、原理的に熱エネルギーが質量と等価であるという意味は熱く加熱されたエネルギー分だけ質量が増加しているということである。同じ様に電気コイルに貯蔵される電磁エネルギーが有れば、そのコイル内に溜ったエネルギー分の質量換算量だけ質量が増加したコイルとなる。一般的な現代物理学理論で、エネルギーが質量とは無関係に実在するという認識がどの程度理解され、受け入れられるかははなはだ心許ない。化学理論でも同じく、原子構造で電子が外殻を周回運動しているとの捉え方をしている限りは受け入れ難い考え方であろうと思う。

 

負の科学技術と未来

負の科学技術 人の歴史を振り返れば、分からない事ばかりであるようだ。人の歴史と言っても、人が猿から枝分かれしたと学説にはある。そんな学説も信じられない。進化することは確かである。では猿が人より劣っているとどのように説明するのか。何処で進化した人と進化しない猿が枝分かれしたのか。その訳は何だと説明するのか。蝶や雨蛙が何故人より劣っていると言えるのか。猿は猿で人は人でそれぞれ異なった進化を遂げて来た筈だ。強いものが優れているとは限らない。海から地上に上がった時の人の姿はどのような形であったと考えるのか。何億、何十億年の地球の生命の歴史など簡単に分かる訳が無い。地球は人の為にあるのではない。すべての生命の生きる地球なのだ。地球も人の生命に関わりなく地球中心核の燃焼の為に地殻をひっくり返して生物に災害をもたらす。地震や地殻変動は地球の生きた活動だ。飛びぬけて地球の自然に逆らってきたのが人である。特に産業革命と言う時節から、科学技術の魅力に人が夢中になって、その恩恵を享受してきた。自然に手を加える術のパンドラの箱を開けてしまった。元素・原子と言う世界を操る途轍もない方法を手に入れた。それが科学技術だ。今最大の困難に人自身が翻弄されている。自分で辿って来た革新と言う世界の未来を夢見て。人が人を権力で殺害する為の兵器、原子爆弾の製造競争から抜け出せない惨めな人間性に翻弄されている。プラスチック塵の処理に悩みながらも、決してその商売の利益競争の戦いからプラスチックスを手放せないジレンマに未来に向けた人間性が問われている。地球温暖化を食い止める手立ての基本は、エネルギー消費量の抑制以外は無いのだ。しかし経済競争の人の欲望には逆らえない性に翻弄される未来が見える。

DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン) 敗戦後の日本の至る所で展開された「シラミ退治」の風景を思い出す。体中にDDTを噴霧してシラミを退治する。古く1873年頃に開発された殺虫剤らしい。現在日本では使用されていない。

PCB(ポリ塩化ビフェニル) 変圧器やコンデンサ等の電気設備機器に大量に使われた。冷却効果と絶縁性に優れた化学物質である。大気汚染、温暖化に影響があり、使用が中止されていると思う。

アスベスト(石綿) 天然の石綿がその繊維は建築材料として優れている為、建築の壁材として多く利用された。しかし現在は人の呼吸で吸い込み、中皮腫等の人体への危険材料として使用中止となっている。廃材の処理に困難もある。

有機水銀(水俣病) 化学処理工場からの排水に有機水銀が含まれていた。魚貝類に広がり、魚を食べて人が神経麻痺を来たし多くの被害者が出た。水銀は体温計などにも多く使われた液体と言う特別な特性の金属元素である。蛍光灯にも発光効率を高める水銀蒸気として使われている。現在徐々に水銀は使用が制限されてはいる。

プラスチック 2018年6月G7 シャルルボワ・サミットで「海洋プラスチック憲章」が採択され、英・仏・独・伊・加・EUが署名した。しかし、残念なことに日本と米国は署名を拒否したと新聞にあった。今日の国会開会に際して、首相演説で海洋プラスチックのごみ対策に取り組むと述べた。また今年の6月日本でG20がある。しきりに海洋プラスチックごみ対策を議題にすると総理大臣は述べている。しかし、何故シャルル・サミットでの憲章に署名しなかったのかとても不思議な事だ。科学の『電荷』の不思議と同じ。

核爆弾 これは一体どのような意味で捉えれば良いか最大の人類の謎である。決しれ世界平和にも世界の進歩にも何の貢献もしない。人類の地球汚染と人間性否定そして疑心暗鬼の恐怖の科学技術である。それが大手を振って世界に君臨している。人殺しの最悪兵器だ。それを推進する国家指導者を選ぶ世界が未来の希望を消している。

原子力発電 地球は制御不能な科学技術設備の巨大システムが原子力制御であることを知っている。人の意識の制御可能な領域を超えたところにあることを既に何度も警告して来た筈だ。それでも欲望には勝てない人の思惑に流されて政治権力が蠢く。

悪口雑言お許し願います。