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原子力発電と住民の覚悟

2011年3月11日 東日本大災害が発生した。それは地球の自然活動によっておこる人が制御出来ない、避けることの出来ない災害だ。特に海底を源として起きる津波は想像を絶する災害をもたらす。人は地球の命の上に生き、その恩恵の上にしか生きられない。海の幸が人を豊かにし、喜びの糧を与えてもくれる。海と共に生きる、それが生活でもある。

海は恐ろしい牙をむくこともある。避けることの出来ない津波災害が起きる。それでもそれは地球の自然の姿と、覚悟を持って海と共に生きなければならない。

福島第一原子力発電所の崩壊事故に遭遇した。決して有ってはならない人間が起こした悲惨な災害である。想定外と言う責任逃れの人間の起こした災害であり、許されない事件である。人は自然災害に合う事は有りうる。しかし原子力発電所の事故は、人が住む権利を奪う人権の否定を前提とした事件である。

柏崎刈羽原発は世界最大容量の発電だ。『避難訓練』と言う許されない事件を想定した行為が如何にも当然のごとくに執り行われる不可解な集団訓練。そんな避難をしなければならない危険な科学技術が人の権利を奪う町中にある事が許される筈はないのだ。傍の住人は原発事故で、そこの生活を奪われても良いと覚悟をして避難訓練を受け入れるのか。その覚悟を住人は持って原子力発電所の運転を認めているのか。一人一人にその覚悟を聞きたい。

原子力発電所は人が制御して、安全に運転できる保証などどこにも無いことを知るべきだ。本当にちょっとした過ちがとんでもない原発崩壊事故につながる可能性を含んでいる。次の事故が何処に起きるか全くわからず、一瞬の偶然が原子力発電崩壊の原因となるのだ。その事を認めたうえで、原子力発電所の稼働を許容するのか?

福島第一原発事故の事後処理の目途も立たない現実に目をつむって、またその避けられない危険を住民は受け入れるのか。『カーボンニュートラル』と言う政策で、地球温暖化は決して防げない。原子力発電や火力発電での海水加熱による水蒸気冷却システム、その仕組み『復水器』の科学技術の本質を理解することが皆に課せられた事だ。事故による街崩壊への住民の覚悟が問われる。熱効率40%以下の発電システムだ。

 

2020年まとめ[4]自然と災害と哲学

(1/23)  無為自然

(3/18)  クロッカスと太陽

(3/27) 津波とその速度

(3/29) 津波とそのエネルギー

(5/7) 巡る季節の花

(5/10) 自然と科学理論の懸け橋はいずこに

(5/14) 度胸と可憐さ

(5/15) The electron did not exist in the world.

(5/22) エネルギーの虹

(7/4) 分かるという事

(8/14) 観自在菩薩

(9/9) 信濃川

(11/13) 植物二題

(11/18) お日様と日向ぼっこ

(12/16) 山が呼ぶ 謎が囁く

(12/25) 自然は『エネルギー』の象形

 

2020年まとめ[3]物理・数学・科学論

(1/6) エネルギー像(物理学基礎論)

(1/31) 周期関数(方形波)

(4/7) 『Electrons』の紋所と科学理論

(5/11)  I think now Between nature and scientific theory.

(6/8) 光の相対速度と空間

(7/14) What is energy?

(7/15) Is Coulomb force between charges logical?

(7/17) 電池とエネルギー

(7/29) Electrons for the battery.

(8/4) 自然科学にもたらす数学の功罪

(8/18) 熱の正体と不明

(8/24) 『電圧と電流』すべて逆だった

(8/26) ダイオード電圧

(8/30) 太陽電池の機能

(9/17) 原子構造と8面磁極

(10/26) 電荷の論理性

(10/26) 科学技術概念の世界

(11/20) ペルチエ効果と熱エネルギー

 

 

理解の限界を超え

記事『理解の限界』が削除されて思う。

新潟県教育委員会の管理外に居て。

1980年3月31日「願いにより職を免ずる」新潟県教育委員会「辞令」がある事に成っている。

限界超えの意味。上の給与表の写しは、新潟県立新津工業高等学校のものだ。私は1980年4月何処に所属していたのか。上の表に因れば、名前(カナザワ ヨシヒラ)だけであっても、主任手当てが4月に支給されている事に成っている。長らく気になっていたので昨年、新潟県知事様宛にその意味を尋ねました。しかしその回答は頂けませんでした。新潟県教育委員会の関りで、その給与は支払われたものと推察する。『免職処分』後に何故予算が執行されるのか?その訳は余りにも当然の事であるが、それを御回答頂けないかと今も念じている。私は1964年4月から勤務したのだが、採用事務に関して新潟県教育委員会との関りは一切今までなかった。何故、許可願などの事務手続きもなしに、『県外内地留学』6月間の文部省との関りがあるべき研修が出来たのか。東京工業大学の研究室でご指導を受けさせて頂いた。その経費は何らかのところから研究室に支払われると思う。先生からその事らしい意味で尋ねられたことを覚えている。しかしよくお聞きしないで話の意味を理解せず過ごした。多分何も経費が支払われなかったのだ。と今は理解できた。その研修の実績も新潟県立新津工業高等学校に尋ねたが何も無いと回答された。幽霊人材以外の解釈のしようがない。

採用事務手続きを受けていない者が何故どの様な仕組みによって、新潟県教育委員会の管理教職員に成るのか理解できない。しかも、昭和54年の夏文部省の『工業科教員指導者講習会』に一週間も参加する意味が理解できない。『公立学校共済組合』にも登録されていない私が!!?

下の記事が削除された訳も怪しく不可解。

記事が削除されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年まとめ[2] 電気回路現象とエネルギー

(1/29) 電力p[J/s]の意味と解析法(2)解析法

関連記事:(2019/09/16) 同上(1)意味

(4/22) 電気エネルギーの測定法(電圧)

(5/3) 電気エネルギーの測定法(電流と電力)

(5/15) The electron did not exist in the world.

(6/21) 電気現象の哲学的課題

(6/27) エネルギー伝播現象

(7/4) 『電圧』と言う意味

(8/24) 『電圧と電流』すべてが逆だった

(9/23) 定在波の発生原理

(10/1) エネルギー流が電圧・電流

関連記事:(2021/01/25) 懐中電灯の特性

(10/30) 電気回路と妙珍ベクトル

(11/19) 変圧器のエネルギー伝送現象

(11/27) 電気回路の電圧と電流

(12/1) 電流の世界

 

2020年のまとめ[1] 電気・磁気とエネルギー

(2月24日) 電流と磁気と哲学

(2月/26日) マグネット 摩訶不思議‐ハルバッハ配列‐

(3/07) 鋏の磁気

(3/22) 摩擦熱とコンパス

(4/12) 電気回路要素の『エネルギー』処理機能

(4/17) 電磁界と空間エネルギー

(5/23) 『エネルギーギャップ』の意味

(5/29) 電気磁気学とエネルギー

(6/18) ロゴウスキー電極空間の磁界

(7/10) 電圧とエネルギー

(7/11) What determines the battery voltage?

(10/25) 電磁誘導現象の真相

(11/8) 導体と空間とエネルギー

 

懐中電灯の特性

(2021/01/18)。懐中電灯

右は少しクラシックの高級懐中電灯だ。電源は単一乾電池4個直列に成っている。白熱豆電球が負荷だ。

 

 

電池の放電特性。

右は単一型乾電池のある会社の放電特性の試験結果だ。乾電池と花一匁 (2021/01/13)のデータの意味が不思議で再び取り上げた。放電条件で、電池容量が大きく異なる結果を示す理由が分からない。

実際の懐中電灯がどの様なものかを調べてみたいと思った。懐中電灯の電気回路現象はオームの法則で誰もがよく知っている。しかし、それは回路に電流が流れるという科学技術概念に因った理解だ。電線に『電流』や『電子』が流れていないとの認識に立てば、そう簡単に分かったとは言えない。懐中電灯回路の日常に有り触れた製品でも、科学技術的解釈理論とその中の自然現象の本質とは違う。本当の物理現象は『電流』や『電圧』と言う科学技術概念ではその真相は分からない。自然現象の本質を理解するには『エネルギー』の流れで捉えなければいけない。それは既に教科書の解説理論と異なる内容になる。教科書は『エネルギー』の流れと言う認識では解説されていない。最近分かったと思ってまとめた記事がある。エネルギー流が電圧・電流 (2020/10/01)。その末尾に、【実験的課題】α<1の時。として疑問を残しておいた。今回その点で新たな認識に至った。 

実際の負荷条件は殆どα<1の場合である事に気付いた。その為、右の図を修正しなければならなくなった。ビニル絶縁電線が屋外配電線路並びに屋内配線のFコード等として使われている。その特性インピーダンスZoの値が500Ωに近いように思う。ビニル絶縁体の比誘電率が2~2.8程度となればそんな値に近いかと思う。乾電池の回路での配線は普通往復の単線回路だ。冒頭に示した製品の内部を見た。そこに観える回路には何か電気技術感覚の優れた直感からの誇りが隠されているように思えた。電気回路の回路定数はその電線路の空間構造によって決まる。分布定数回路空間の世界 (2019/10/14) に算定式をまとめた。

ここには電線は使われていない。金属導体板で回路が構成されている。直流回路の導線がどの様な意味を持っているかが示されているように思えた。この回路構造で、導体が平板で伝送空間が広く、電線より回路容量 C[F/m] が大きくなり、その為『エネルギー』の伝送容量の増加が見込まれる。以前平板コンデンサ配線回路等と言う記事を書いたこと思い出した。今はもう懐中電灯は新技術やらで、LEDが使われこのような電気現象の原理を考える古き良きものが消えてしまった。ブラウン管テレビが消えたように。

回路構成。

ランプ定格。4.8V,0.5Aと豆電球に記されている。電源電圧を計ると無負荷時 6.4[V] ある。ランプ抵抗は 0.9[Ω]のテスターでの測定結果を示す。ランプ負荷時はフィラメントが高熱になって抵抗が 9.6[Ω]程度に成る。それは500Ωに比べればとても小さい抵抗値だ。負荷は定格容量 P=2.4[W]以上 となろう。

回路現象解釈。

(教科書)。教科書では、当然のごとく、『オームの法則』で解く。電源電圧V=4.8[V] 、抵抗R=9.6[Ω]なら、電流I= o.5[A] と『電流』が求まる。それだけで、負荷電力も直ちに計算できる。科学技術論としてはそれで充分で、それ以上の事は考える必要もない。直流回路では、電気回路の回路定数は考慮しない。実際には特性インピーダンス Zo[Ω]が負荷抵抗R[Ω]との関係で重要な意味を持っている。

(自然現象)。『電流』と言う貴重な科学技術概念の御蔭で、すべてが数式での論理性を持って解析でき、すべて教科書によって理解できる。この科学技術以上の事は世界の電気理論には取り上げられていない。ほぼ『電子』が『電流』と逆向きに電線の中を流れるとの解釈で専門的論理が完結している。そこには負荷にどのように『エネルギー』が電源から伝送され、消費されるかの意味が不明のままである。この単純な懐中電灯の電気回路で、『エネルギー』がどのように振舞うかをまとめた。

(1)α=1の場合。

δp1(α=1の時の伝送エネルギー)を回路整合時の基準値と定義する。負荷抵抗がR=Zoの場合は、電線路伝送の『エネルギー』の分布量δp[J/m]がそのまま負荷に供給され、負荷反射なども起きない。この状態を回路動作の基準と定義し、その値をδp=δp1とする。

(2) α<1の場合。

この場合が通常の回路状態と考えられる。負荷抵抗値Rが回路特性インピーダンスZoより小さい場合である。この1より小さいαの場合が通常の負荷状態であると気付くのに時間が掛かった。オームの法則での解釈と異なる、『エネルギー』流によってどのように認識するかの決断にも時間が掛かった。すべて実験で確認できる内容ではない。従って『エネルギー』と言う物理量がどの様な特性を持っているかを己の感覚に照らし合わせて、決断をしなければならない。これは科学論とは言えないかも知れない。

決断点。『電圧』は電線間のエネルギーギャップ δg[J/m]の技術概念である。そして自然界には決して『電荷』は実在しないという強い確信がその決断の原点となった。その事を纏めれば、電池のプラス側の電線近傍にエネルギー分布のδo[J/m]の滞留分を付け加えるしかないと判断した。その『エネルギー』は負荷への流れには関わらない。反射でもない。その分が負荷増分の『エネルギー』となり、マイナス側を伝送する増加『エネルギー』流となる。

    伝送エネルギー δp = δp1+δo [J/m]

    線路電圧    v=  (δg/C)^1/2^ ={(δp-δo)/C}^1/2^ [V]

 電流      I= ( δp/L)^1/2^ [A]

 電力      P= VI = δp/(LC)^1/2^ = (1/α)δp1/(LC)^1/2^ [W]

となる。以上が決断内容である。

(3)α>1の場合。

消費『エネルギー』が微弱の場合は、電源電圧保持『エネルギー』より少ない伝送『エネルギー』で十分である。負荷が要求する電力P[W]に対する伝送『エネルギー』分δp[J/m] では電圧保持には不足である。そこに流れない滞留『エネルギー』分布δo[J/m]が生じる事に成る。

  伝送『エネルギー』 δp=αP(LC)^1/2^ [J/m]

  電圧         v={(δp+δo)/C}^1/2^ [V]

電池放電特性。冒頭に掲げた放電条件で電池の『エネルギー』量が異なる訳が分かったとは言えないが、負荷が重くなるとプラス側導体周辺の滞留『エネルギー』が増加する。そのプラス側の分は負荷によって増加するから、その分の外部への放射損失が増えると考えたい。

直流回路の電気現象について。教育とオームの法則 (2020/09/06) で指摘した。その疑問の一部について、漸く満足の出来る『エネルギー』による解釈に到達できた。この自然現象を理解するのも、一般の方には難しいかも知れない。しかし、『電子』と言う科学常識論が誤りである事だけは間違いない。これからの理科教育と言う面で、とても大きな課題がある事を明らかにできた。それはみんなが『学問の自由』と教育いう意味を考える課題でもあると思う。

 

危険運転に動転

危険な自動車運転。昨日、買い物で店の駐車場に停車しようと『ブレーキ』を踏んだ。しかし突然加速した。危なかったが運よく停止して無事に済んだ。

『ブレーキとアクセルの踏み間違え』と言う事故に成る寸前であった。

少し気が緩んでいたかも知れない、履物に『ゴム長靴』を使用していた。

足は確かに【ブレーキ】も踏んでいた。しかし同時に【アクセルペダル】にも掛かっていたようだ。もし【ブレーキ】を踏んでいなかったら車は止まらず事故となっていた筈だ。心臓が止まる思いをし、昨日は一日気が委縮して正常でなかった。

【ブレーキ】と【アクセル】のペダルについて。

【ブレーキ】のペダルは大きくて安全に効果的と思う。【アクセル】のペダルも小さくて安全性が考慮されて居て良いと思う。しかし今回の経験を振り返って、思うことが一つある。

【アクセル】ペダルは自動車走行と言う危険につながる状態に踏むものだ。もっと小さくても良いかと思う。

【ブレーキ】ペダルは、停止する意識で踏むから、突然意識と逆に加速したら完全にパニックになる。慌てて、止めようと意識して更に強く踏む可能性が有る。その結果【アクセル】ペダルに少しでも足が掛かっていたら、止まらずに事故となる。

【アクセルとブレーキの踏み間違え】と言う多くの事故がある。普通なら車を停止しようとする時、足は今までの位置から左側に移動して、必ず【ブレーキ】ペダルを踏む筈だ。停止しようと考えた時、今まで走行運転していた足を【ブレーキ】ペダル側に移動しないで、そのまま【アクセル】ペダルを強く踏むとは考えられない。

【踏み間違え】と言う事故は【ブレーキ】と【アクセル】のペダルの位置間隔 “D” をもっと大きく離すことで幾らか防げるように思う。恐ろしい経験から【ブレーキ】の踏み方を反省し、気を付けようと思いつつ感じた。

自然界の基本量と科学技術概念量

自然は決して人類の為だけに存在する訳ではない(2021/01/18)。
ただ自ずから然る。人類が今ここに居て、その自然世界の構成員となっている事さえ不思議に思える。この地球の自然の中で、存在するための歴史を、どの様に格闘して辿って来たかは全く分からない。山のような巨木が育ち、巨大な生物が繁茂し、その為の水や空気がどのように地球上に生まれたかも全く分からない。現在の地下資源、化石燃料を積み上げながら地球が大きくなってきた。みんな太陽の光によって作られてきた。地球の質量全てが太陽光線と言う『エネルギー』によって作られてきた。すべての自然世界の基本料は『エネルギー』一つからの千変万化の姿である。人類が自然の恵みを獲得する術を得てきた。それが現在の科学技術にある。殺虫剤、殺菌剤、消毒液そして医薬品などは自然界で生き残るために、人類が自然を征服して都合よい環境を作ってきた。何処までも限りない、欲望を満たすためともいえる諸行無常の人間界に入ってしまったようだ。

この自然の本性。

この自然の捉えどころのない深さを知る事は永遠に不可能な事であろう。知り得ないからこそその先に何が待ち受けているかも分からず、ただその限りない欲望による発展と言う道を歩み続けざるを得ない。人類同士も、その強欲が故に相手を打ち負かし、消し去ろうとする憎しみの対象にさえしてしまう。『核兵器』がその意味を如実に表している。その存在に人類と言う自然の地球上の生態の意味を問う営みが続いている。決して人間が平和を求めている訳でないと思わざるを得ない状況が続いている。生活の豊かさを求めて、自然を利用するために科学技術が大きな存在となっている。自然の神秘はその根源に隠されていると、その根源の姿を原子、水、酸素、電子などと微細な領域に知的探求を深めて、そこに自然科学としての共通認識を整えてきた。ほぼ原子構造の核子や電子によって科学理論の全体像が科学パラダイムとして完成したかに見える。殆どその領域は科学的発見の余地が無く、その研究によって科学者としての業績を上げる事はない程になっている。と思えるから誰も取り組まない基礎領域となって、教科書の世界が科学理論を支配している。学校教育もその科学常識路線で固められてしまった。

『エネルギー』、『空間』そして『時間』。
科学論は実験的検証をその科学論の必須条件として、共通な理解を基本にしている。科学的計測法で観測できない物は理解されない。そこで、空間に実在する『エネルギー』など、計測できない自然界のものは科学論の対象とならなかった。太陽から降り注ぐ光が『エネルギー』である事は誰もが分かっていると思う。しかしその『エネルギー』量を計測できない。どの様な空間分布密度の『エネルギー』であるかは計測できなかろう。結局それは空間の『エネルギー』が測れないことを意味する。到来粒子の運動エネルギーで解釈しようとする科学手法では空間を光速度で伝播する『エネルギー』など測れる訳が無い。結局取り残された自然の本質はその光のような空間に実在する『エネルギー』を如何に認識するかに掛かっていると言える。その『エネルギー』を現代物理学理論では認識していなかった。質量はその『エネルギー』によって構築された構造体である。それが『質量とエネルギーの等価則』という意味であろう。エネルギーと空間と質量 (2013/11/07)。

科学技術概念。
電気磁気学と言う一つの物理学領域がある。そこでは『電荷』と『磁束』がその科学論の根源的基礎概念に成っている。確かに科学的自然探求の過程で、それらしき解釈の概念を創造する必要があった筈だ。その意味では『電荷』も『磁束』も有効な基礎概念であった。しかし、それらはやはりこの自然世界に実在する自然量・物理量ではない。あくまでも人が仮に唱えて理論構築用に創造した仮想概念でしかない。それらは自然世界が本性として持つ実在量ではない。それらも『エネルギー』の或る解釈量でしかない。『エネルギー』が世界に実在すると考えるか、そう考えないかが『電荷』、『磁束』の存否、その判断の分水領となろう。

[MJs]の世界観。空間次元[m]、『エネルギー』次元[J]そして時間次元[s =(HF)^1/2^]の世界。その意味を『電荷』に対して磁束と対応させるために、電束密度の概念で表現した。『電荷』と『磁束』の次元を『エネルギー』のジュールに依って空間との関係で表現した。

電荷と磁束の次元

磁束の単位 φ[Wb]=[(HJ)^1/2^]であり、電荷の単位 Q[C]=[(FJ)^1/2^] である。この単位系[JHFM]に纏めたのが丁度 1990年春であった。初めての日本物理学会での発表が:物理的概念とその次元 講演概要集第53巻第1号第1分冊。p.13, (1998.4.2).であった。エネルギー[J]と JHFM単位系 (2010/12/18)。

磁界と電子

電気や物理学の話は『電子』無しには出来ないようだ。しかし、その『電子』がどの様なものかを誰も解説できないのではないか。マイナスの『電荷』と質量からなる素粒子・レプトンであるとの解説がある。そのような認識である限り、『電子』の事に関しては教科書は殆ど間違いである。先日NHKで、「世界は教科書で出来ている」と言うような番組が放送されていた。教科書に書かれている内容は、確かに皆がそのように理解するような仕組みに創り上げれば、社会的に共通の常識に統一できるから、教育体制としては都合が良かろう。しかし科学理論がそんないい加減な曖昧性で纏められて、その未来が安全な社会に成ると安心できるのか。科学者への不信が拭えないことが増幅するだけに悩みが尽きない。科学論を展開しながら忌み嫌われなければならない悲しみに居る。単純な疑問から膨らむ感覚的、病的とさえ見られるかも知れない、執念深い科学理論否定、科学パラダイム批判となる科学基礎概念の矛盾を暴き出す科学異端論である。教育上の教科書の拠り所を批判すれば、ウザイ存在となるだろうが、忌み嫌われても未来への希望に掛けたい。

「電子の空間像とは」と検索すると見た事のある記事に当たる。本当に皆さんは『電子』がどの様なものと理解していて、それで満足しているのでしょうか。

磁界中の運動電子と電子顕微鏡。

「フレミングの左手の法則」と言う電気力学を解釈するに極めて簡便にして有効な法則がある。磁場中にある電線の電流が流れると、電線は力を受ける。それが「モーター」の回転の原理としての理論となっている。その法則で『電動機』の原理は良く分かる。それは科学技術法則として重要な法則である。

フレミングの法則。

この法則は磁界ベクトル B[Wb/㎡]に直交方向に流れる電流ベクトル I[A]との間で、電磁力ベクトル [N]が次式のように空間ベクトルのベクトル積の方向に生じると言うものだ。

f = [I × B] l [N]

ただし磁界中の作用を受ける電線の長さ l[m] である。

さて、『電子』 が電流と逆向きに流れるとなれば、上の図のようにやはり磁界に直交の方向に『電子』e が運動する事で解釈できる事に成ろう。『電子』は手前の方に力を受けるとなる。フレミングの法則で解釈するように、間違いなく『電流』の流れる電線は力を受ける。しかしその物理現象としての意味を考えると、『電子』と言う素粒子は磁界の空間で何が原因で力を受けるのかと言う自然の真理が全く理解できないのである。それは『電子』と言う実態が、その空間像が全く不明である事に掛かっている。空間に在るもの同士の間に力が働くという事は、そこに空間的な関りが有って初めて起こる自然現象である。『電子』が保有するという『電荷』がどの様に空間分布を形成しているかが分かって、初めて磁界の磁束との間での『力』の関係を考えることが可能になるのだ。それが理学の論理性である。ただ法則があるから『電子』が力を受けるのだと言われてもそれは物理学としての自然現象解釈の説得性には無理な話だ。そこに科学技術と自然現象の哲学的真相を明らかにする理学との意味の違いがあるのだ。

電線の中を『電流』が流れているとの前提を認めたうえでの話である。『電流』も科学技術概念でしかないので、決して電線の中など何も流れてはいないのだが。その事に関して、実際は『電子』が『電流』の向きと逆方向に流れているのだ、と言うような解説が主流になっている。しかし、そんな『電子』も電線の中など流れる筈がないのだ。何故こんな科学論に反逆するような論を書くのかと言うと、最近『電子顕微鏡』の事を調べた。磁石で『電子』を制御する基礎原理が示されている。しかし「電子」が磁界で制御される科学理論など見当たらない。『フレミングの法則』との関係で教科書の解釈を詳しく検証して、その真相を誰もが納得できるように、その専門的解説の曖昧性を明らかにしなければならないと考えたのが原因である。

電子顕微鏡における『電子』と磁界の関係。

電子顕微鏡の磁界と『電子』の運動方向。電子顕微鏡の磁界の構造はマグネットの磁極中心に穴をあけて、その軸方向に『電子』が運動するようだ。磁界とは『磁束』などで解釈するようなものではないのだ。右図のように、マグネットの中心に穴をあける。N極側はその磁極周辺を時計回りに『エネルギー』が流れているのだ。中心の穴は逆の反時計回りに『エネルギー』が流れている。砂鉄による磁界分析 (2017/10/13) に示した。電子顕微鏡の『電子』はこのマグネットの中心を通過することになる。その方向は磁界に対して横切る事による『力』の発生の解釈には全くなっていない。実際の電子顕微鏡の磁気レンズはこの穴あきマグネットを二つ向き合わせてそのギャップで『電子』の通過中に流れる方向を制御する構造に成っている。磁場とは空間の『エネルギー』の流れであるから、『電子』もその空間像を『軸性エネルギー流』として捉えなければ、電子顕微鏡の『電子』制御の論理は成り立たない。マグネット空間の磁気エネルギー流と『電子』の軸性エネルギー流との間の『流れ』と『流れ』の間に力が発生する現象を利用しているのが磁界レンズの『電子』制御の本質である。このような解釈は教科書には全くない。磁束無しに磁場を描く理論が無いから。磁場とは何かと問えば、磁束などで表現できるほど現在の科学パラダイムによる解釈で矛盾が解消できる筈はない。

過去の『電子』の像に関する記事を挙げる。 電子スピンとは?-その空間像- (2011/02/09) 。『電子』とは何者か (2015/12/23) 。

(2021/01/19)追記。さらに関連記事として、電気磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03) 。水の妖精七変化 (2017/11/02) を挙げる。