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yoshihira について

金澤 喜平。昭和20年4月、京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅(戸籍は巡洋艦:香取丸?)に住んで居た。舞鶴国民学校に4月、7歳で入学したが、入学者名簿には残っていないと回答を得た。新潟教育委員会での採用事務手続きが一切なし?

アンペアの法則と物理学理論

(2022/08/07)。同じような事ばかりの解説恐縮であるが、お許しください。一体日本の物理学理論の専門家は、素粒子論や宇宙論など高度な内容の研究を集団的体制で成されておられる。そのような研究をなさって居られる研究者は日々接する電気回路について、『電流』、『電圧』をどの様な意味で解釈なさって居られるのか、御意見・ご見解をご披露頂けないかとお願いしたい。そのような専門的研究内容に比べて、筆者が論じる内容は、精々高等学校の物理学の教科書の内容程度のものだ。ただ基本的視点が、自然世界に『電荷』等は実在しないと言う、申し訳ない事であるが、現代物理学理論を真っ向から否定するものである。

『アンペアの法則』について。

『アンペアの法則』が基本的な電気理論の始まりと観たい。それは1820年頃である。電流と磁気との関係を捉えた解釈法である。その当時は未だ『電流』の原因が『電子』とは認識していなかっただろう。現在、検索結果には『電流』の意味について、『電子』の逆流と言う間違いが常識的な解説に成っている。『電荷』や『電子』がこの自然世界に存在しないにも拘らず。

この『電子論』が現代物理学理論の根本的混乱の原因と成っている。それを正さずに、科学論の明るい未来は来ない。それは子供達への教育の社会的責任問題である。

ITの検索記事の殆どはこの『電子』論で埋め尽くされている。それは日本だけの傾向なのか、世界中がそのような状況なのかも知らない。記事作成者は本当に自分が書いている事を心から納得しているのだろうか。過去からの伝統的科学理論を踏襲し、その権威に盲目的に従った迎合記事でしかないのではないか。

誠に乱雑な図で申し訳ないが、次の図で『電子』が『電流』の逆流だと言う事の矛盾を解説したい。その為には『電子』の空間像をそれぞれの筆者が示す責任がある筈だ。その『電子』の空間的実像をどの様に自身で解釈しているかを。科学論は抽象空間の世界を論ずる対象ではない。具体的な目の前の空間で繰り広げられる世界の現象を論ずることだから。

電子 e が磁界発生の論理矛盾。電磁エネルギー流 δi [J/m] が電線路空間を流れて居る。それが負荷抵抗などで取り込まれて、光の電磁エネルギーが熱エネルギーとして蓄えられる。それが抵抗体の接触媒体との間の『エネルギー』平衡の差によって外部に放射される。上の図は導線の中を『電子』 e が通ると仮定したら、その『電子』によって導線近傍空間にどの様な訳で磁界が発生すると言えるのか。『電子』はその周りの離れた空間に広く磁気を伴って居ると言うのだろうか。その訳をどう説明するかを問うための参考の図である。学術論には程遠い日常生活感覚からの論説である。

『電流』は電気回路と言う19世紀に始まった物理学理論の新世界を切り開いた第一歩であった。電気回路の電気導体近傍で、磁気的現象が観測された。電線内とその近傍空間の間の「何か?」の繫がりの発見であっただろう。

その後の『電流計』の測定技術開発と「陰極線」の発見とその解釈論が結び付いた。

今、『電流』と言う貴重な科学技術の賜物によって、電気回路を自由に利用できる手法を手にしている。その『電流』とその測定技術『電流計』によって支えられている。それが科学技術と言う西洋の文明として有り難く、その恩恵に浴しているのだ。しかし『電流』と言う概念が分かり難いことも間違いないのだ。筆者も最初に疑問に思ってから、『電流は流れず』また『電子は流れず』等とも述べてきた。『電流』の単位が『電荷』の時間微分値と言う定義であれば、『電荷』が実在しない事実から当然そのように言わざるを得ない。結局、『電流』が電荷の時間微分値だと言う、その定義自体が自然世界の現象を解釈するに誤ったものであったという事だ。『電流』は優れた科学技術概念である。しかしその定義が、その単位 [A]=[C/s] と言う『電荷』の単位クーロン[C]の概念を前提にした定義が間違っていたのだ。『電荷』とその単位:クーロン [C] が間違っていたのだ。自然世界にない物『電荷』で解釈しようとした原点が間違っていたのだ。

科学理論が論理的である為に、空間に実在する『エネルギー』を認識する事。

この現代物理学理論の根本的間違いは、それは『電荷』と言う自然界に存在しない物理量を仮想した事である。その『電荷』の誤った物の代表が『電子』である。その『電荷』概念が、『電圧』と『電流』の科学技術概念との関係で考えた時、如何にその論理的矛盾が大きいかを認識する事が、未来への科学論に欠かせない条件と成っているのだ。特に子供達への教育にとって、未来の科学技術の競争的観点から最も大切な事に成るのだ。

落雷とアースの物理的意味

Earthは地球であり大地の意味だ。

電気配線で、電気機器に安全のために『アース』をすると言う。

柱上変圧器で家庭用100/200ボルト電圧にする。その2次側に必ず第2種アースが施される。決して配線側で故障があっても、家庭内に高電圧などの危険が及ばない為だ。

地球は丸い一つの導体とも見做せると思う。

地表は電線路と同じく、丁度その地表面は電源の供給する電圧の陰極側と同じ意味だ。表面が基本的には、『エネルギー』分布密度が最大の状態になる。地表から離れた上空に行くとその点は、地表との間で電圧が掛かったと同じような空間になる。要するに、地表との間の『エネルギー』分布で密度差が発生する。

落雷。

雷は『電荷』と言う物理量など関係ないのだ。『電荷』等人が空間に在る『エネルギー』の意味を認識できずに、勝手に創造した解釈概念でしかない。

雲と地表の間に突然起こる現象を落雷と言う。それは怖ろしい、危険な空間に溜まった熱の『エネルギー』の放射現象だ。雷は熱爆発 (2014/0523) だ。

人は不思議なもので、雷が起きる時、どの様な状況、気象状況かを余り考えないようだ。

ほゞ最近の気象予報などでも、豪雨災害の発生予想と雷の予想が一緒に報じられる。何故豪雨と雷が一緒になるかを考えてみれば、その訳も分かるでしょう。豪雨は天からの現象ではないのだ。地球の表面の海から立ち上る『水蒸気』が天空の冷気で冷やされて、水分が落ちてくるのだ。海からの水蒸気が天から落ちてくるのだ。水蒸気は『熱エネルギー』を持っている。その『熱エネルギー』を地表面近くに残して、地表面近傍で空間の『エネルギー』密度が高くなるのだ。天空と地表間の『エネルギーギャップ』が大きくなると、空間が持ちこたえられずに、放射に転換する。それが『落雷』と言う現象である。『電荷』と言う物理量は科学理論の論理性で人々に混乱を巻き起こすだけだ。

『電荷』概念は現代物理学理論の科学的解釈で、社会的混乱を生む、科学論の罪の元凶である。猛省を望む。

 

選挙投票権と市民権と闇内地留学と給与

最近気付いた。我が愚かさを、無知を。

昭和62(1987)年の春に、選挙があったか?新潟県長岡市。

丁度その時期は、全く意味も分からず長岡工業高等専門学校から長岡技術科学大学に転勤の心算で居た問題の時期だ。

或る党の投票賛成の名簿に登録するように、お願いされた。人事問題に関わる故意の策動と今は分かる。

問題は、それ迄に選挙に関する投票権の行使を、投票券を受け取った覚えが無かった。

自分の市民権が存在しなかったのか❓

長岡市には昭和36(1961)年から住んで居た。しかし住所が無かったかも知れない。市民税・県民税も❓

矢張り、自分の存在、人権は無かったのか❓舞鶴国民学校への入学が無ければ、何時から人としての存在が日本政府に認識されたのか❓

昭和35(1960)年4月、新潟大学に入学した筈だ。然し入学式にも、昭和39(1964)年の卒業式の記憶もない。大学授業料を収めた記憶もない。昭和35年4月新潟大学の西大畑の『六花寮』で1年間過ごした。しかし寮費を収めた記憶もない。

昭和36年4月、新潟大学工学部、長岡市の住民になった筈だが、市民権もなかったのか❓そのまま卒業し、現在まで長岡市に住んでいる。

東京工業大学、電気工学科への6月間の闇内地留学。

昭和44(1969)年10月から翌年3月末日まで、東京都目黒区大岡山に6月間住む。新潟県立新津工業高等学校の勤務実態が不可解であるが、新潟県教育委員会との採用事務手続きも全く無いまま、無断で『東京工業大学、電気工学科』に半年間の内地研修をさせて頂いた。しかしその経歴はどこにも無い。当然新潟県教育委員会は無関係で関知されていない。無断欠勤6カ月の意味でもないようだ。考えてみればその間の給与も受けていないと言う誠に不可解で恐ろしい経歴結果を背負ってきた。他には、新潟県によって、平成2年12月~平成4年7月、強制的に閉鎖病棟に閉じ込められた。その間の初期の1月で、アインシュタインの特殊相対性理論が間違いであったと確信した。『光の相対性論』を完成した。

乾電池 1.5[V] の哲学

乾電池の電圧が 1.5[V] の理由を問う。

おそらく現代物理学理論では答えられない筈だ。だから哲学になるかと。

そんな事がある筈はないと誰もが思うだろう。この科学技術に支配されている現代社会で、その基礎理論と成っている理論物理学で解釈を示せないが筈はないと!

以前大学の教育の水準を保つ為に、『電気・電子工学』の基礎としての『参照基準』として『物理学』が欠かせない学習内容だと。それなら、乾電池の電圧 1.5 [V] の物理的意味位は答えられて当然の筈だ。しかし理論物理学は余り科学技術の具体的な内容に関心が無い精か、抽象理論に偏り、具体的で統合的な面で欠けているようだ。

その精か、現代理論物理学では解答できないのだ。

可笑しいと思いませんか。

その訳は簡単です。自然世界に存在もしない『電荷』や『電子』を科学理論の基礎概念として創造して、それに依存した理論を構築してきたからである。

自然界に実在しない物理概念『電子』や『正孔』等で抽象的な理論を構築してきたからである。理由・訳は極めて単純なのだ。

自然世界を支配している空間の『エネルギー』を認識していない欠陥理論だからだ。光や電磁波が『エネルギー』の縦波との理解が出来ていないからだ。ただ進行方向に光速度で伝播するだけの空間に分布した『エネルギー』の密度波だと理解していないからだ。

乾電池も交流発電機も、配線を通してその空間を伝送する『エネルギー』の供給源でしかないのだ。空間分布の『エネルギー』を認識する事が乾電池の、電圧 1.5[V] の意味を解釈できる基礎になる。それが大学の教育に欠かせないものとしての『エネルギー』が参照基準の筈だ。

自転車発電機回路の哲学

自転車発電機回路の哲学。哲学とは何だ❕とお叱りを受けそうだ。しかし、これから述べる内容は、一応科学理論の意味を理解した上ではあるが、決して科学論とは言えないものと成ろうからである。科学理論のその説く中身を少し科学理論に引き摺られずに、離れた観方でその理論の本質を抉り出してみようかと考えた。だから決して科学論文になる内容ではなく、日常生活感覚から、自然の本質を考えてみたいのだ。

自転車発電機 G 。最近は少なくなったかも知れない。自転車のタイヤの回転を利用して、発電機に回転動力を伝えて発電し、その電力で前照灯を点灯する。

発電原理。

フレミングの右手則とファラディーの誘導則。脇にー電子を捜すーと記した。その辺がこの記事の最終的な到達目標かも知れない。『電子』とはどんな物理量かと、その何かが筆者には見えないので、捜してみようかという意味だ。素粒子論の専門分野だろうが。

巻線の内側で、マグネットを回転させる。その回転速度に応じて、巻き線の端子には交流電圧が発電される。その発電原理は巻線とマグネットとの相対関係で二通りの解釈が出来る。導体と磁極の相対速度で解釈するか巻線コイル内の磁束鎖交量の時間微分で解釈するかの二通りである。発電の物理的原理はどちらもマグネットの『磁束』と言う概念に因って解釈する。この二つの発電原理の法則はマグネットの表面から『磁束』と言う空間に放射されるような線状で表現される物理量の存在を前提にしている。その中身がどの様なものかは誰もが必ずしも明確に答えられるものではない筈だ。

しかし、自然世界に『磁束』等は実在しないのだ。だが、その『磁束』の概念を存在すると、所謂科学者の「創造性」によって実在すると解釈した事によって、発電機の『電圧』の発生原理が誰でも分かり易くなった。その『磁束』の定義で、電気現象がほぼ説明できるようになった。それは科学技術理論と言う自然現象を利用する観点からの原理としてこの上なく有効で、便利な解釈概念となった。

『電圧』の発生原理と『電圧』の物理的概念。

『電圧』の単位ボルト[V]も科学者の創造力によって定義された概念量である。『電圧』と同じく『電流』も科学者の創造性の賜物として創られた有り難い概念量である。しかし、それでは『電圧』とは何か?『電流』とは何か?と皆さんは自問した時どの様にお答えなさいますか。乾電池の『電圧』が1.5ボルトである。何故1.5ボルトに成るのですか?その1.5ボルトとは何ですか?ボルト[V]と言う単位は何ですか?自然の空間にその様な物理量がありますか?『電圧』、『電流』が如何に有効で便利な科学技術概念であるかはよく分かります。しかしそのような物理量は自然の空間には無いのです。あくまでも科学技術用に創り出された創造概念なのです。そこの「創造性」が如何に自然現象を利用するに欠かせない事かも、その意味を知れば分かる訳でしょう。科学技術理論の本質もその「創造性」という意味を理解して初めて分かるものでも在りましょう。

『エネルギー』と言う物理量が目の前の空間に満ち溢れている事を物理学理論では理解していないようだ。

動力・電力・エネルギー

自転車は、そのペダルをこいで、自分を運ぶ素晴らしい科学技術製品だ。こんなエコ技術は地球温暖化に無関係な素敵な技術だ。発電エネルギーを得る為に『海』を加熱して、その水蒸気の大量な蒸発により、豪雨災害を招くことも、竜巻で屋根を吹き飛ばされることもないから。それは最早自然災害ではなく、人工災害なのだ。自然現象の物理的現象を知る事が大切と思う。

人力動力の一部を使って、前照灯を点灯する。

動力、電力。その単位はワット [W]であり、『エネルギー』の時間的消費率でもある。単位は[W]=[J/s] である。この単位『エネルギー』の ジュール[J]がどんなものかが認識されていないようだ。『電子』より『エネルギー』が先に認識されて然るべきと思うのだ。『電子』はランプから光になって放射される事は無い。やはり光は直接『エネルギー』と結ぶついた物理量と思うのだが、その物理量の認識が現代物理学理論には無いのだ。科学論とはならないから「哲学」になるかと思うのだ。空間の『エネルギー』を決して測ることが出来ないのだ。それが物理学理論として認識されない根本的障壁に成っているかと思う。『エネルギー』の速度は測れないのだ。光速度で伝播しているにも拘らずだ。電磁波の『エネルギー』も測れないのだ。

半導体と『電子』。

発電機とランプの間に(整流回路を付加)した。

発電原理で、巻線内に『電圧』が誘導される。巻線の近傍空間に『磁束』が関わると、『電圧』が発生する。その『電圧』には『電子』は関りが無いようだ。巻線内で、『自由電子』と『正孔』が分離する訳でもなかろうから。しかし、半導体のpn接合があると、そこには名高い⦅バンド理論⦆の洗礼を受けないと現代物理学理論の解釈として認知されない風潮・科学常識に在る。負荷のランプ点灯で光の放射現象は『半導体』があろうが無かろうが全く関わりない自然現象として、光(空間の『エネルギー』の縦波伝播現象効果の結果)が放射される。光とは『エネルギー』ではないのかな?『電子』にランプからの光放射現象を発揮なさる機能が有るかどうかが問われていると思う。誰もその事を問わない不思議な『電子』による科学理論である。

以上科学理論にならない、卑近な哲学の話とする。

 

電池の機能は何か

改めて驚愕を覚えた。

「電池の機能」は?

電池は何を供給するか?

電気配線は何を供給するか?

電気とは何か?

インターネットの検索に解釈が示されていない。

原子の周りを電子が回っている・・。等と子供向きの解説が有名な企業の記事としてある。

何処にも『エネルギー』と言う物理量の認識が見えない。全ての科学理論・現代物理学理論には『エネルギー』の認識が無いからだと考えざるを得ない。

科学者は一体『エネルギー』をどの様に認識しているのか?

『電子』が電気回路電線を流れる等と頓珍漢な解釈で、日々安泰でおられるのでしょうか?

ダイオードの『オン・オフ』の意味を考えていて、不図検索してみて驚愕を覚えた。『エネルギー』の物理量が科学論には無いと!!

それは役にも立たない『電荷大明神様』の御利益に惑わされている為か❓何か宗教的な❓❓

電池の機能は『エネルギー』の供給源だ。決して『電子』など供給していません。

電磁界とは空間エネルギーの場

(2022/07/23)。電磁気学あるいは電磁場方程式などと聞いただけで逃げたくなる。それは目に見えない物の解釈を数式によって理解しようとする科学的手法であるからだろう。空間の電気現象を数学的に専門家の解釈で捉えて理解することを要求される。もっと具体的な空間現象として大まかに理解できないものだろうか。その為には、先ず空間に実在する『エネルギー』を認識すことが欠かせない。残念ながら、その空間の『エネルギー』を物理学理論では認識していないのだ。そこに現代物理学理論の論理性での矛盾を抱えた問題が在るのだ。決して自然世界に存在しない『電荷』や『電子』を論理的基礎概念とした理論物理学は未来への科学論の基礎とは成り得ない。

電磁界とは何か。

 

図 電気回路と電磁界

これ以上ない最も簡単な電気回路を示した。電線AとBの二本が空間に張られている。その電線に交流電圧vを掛ける。ただそれだけでも一応電気回路となる。その単純な電線路内の空間にも、電気磁気学と言う専門的学術理論の『電磁界』と言う空間場の状況が存在するのだ。回路内の位置 p 点によって、電磁界という科学技術概念の解釈評価の値が異なる。それはその点p によって、電界 E(p) [V/m] や磁界 H(p) [A/m] の値が決まるのだ。それはその点pにおける空間の『エネルギー』の分布状況やその流れる強さで決まると考えれば良い。単純な電気回路空間でも、その空間内は基本的に、単純な電界、磁界という意味ではないのだ。この回路に、『エネルギー』を消費する負荷を繋げば、また状況が変わる。『オームの法則』と言う電気技術論の根幹を成す、一般化電気技術理論の有用性はその簡便な解釈論で、特別の意義を持つ。その基礎科学技術概念『電圧』や『電流』が、その測定法を確立した計測器によって、技術論が完全な実用論として輝いている。しかしその『電流』とは何かと問えば、その物理現象を解説することはとても困難なものとなる。決して安易な概念『電子』などで解説できるものではないのだ。

電線導体の物理的機能。

電線とは電気現象でどのような機能を持っているか。金属導体を空間に張れば、その導体は自由空間に電気的歪を生じると観て良かろう。電気的歪とは、その導体表面がその近傍空間の『エネルギー』の分布状態を、『エネルギー』の供給源・電源などに依って規定されるように、その空間の状況を整える機能を発揮する。それは電波などが導体付近に到達すると、その導体表面に因って空間の『エネルギー』分布を均一化するように歪ませる働きをする。アンテナはその機能を利用する科学技術的装置とも言えよう。

電気回路空間の機能。

二本の導線で囲まれた空間は自由空間と異なる特殊空間だ。その空間内は導線によって造られた回路定数、容量C[F/m] および誘導L[H/m]と言う科学技術的な空間解釈手法による構造定数空間となる。真空自由空間を、物理学などの科学技術論の解釈手法として、真空透磁率μo [H/m] と真空誘電率 εo[F/m] で解釈する手法を決めた。その値によって、自由空間を伝播する電磁波や光の速度を定義でき、分かり易くなった。光速度 co = 1/√(μoεo) [m/s] と解釈できる。電線路内の空間の電気磁気状況、所謂電磁界も、基本的にはその空間の回路定数と空間の『エネルギー』分布量や、その流れる量などの状況で決まるのだ。

電源と言う『エネルギー』供給能力源によって、その技術概念量『電圧』値 v[V] が導線に掛けられる結果、空間に電気的歪を作りだす事に成る。導線形状などに依っても、その空間の『エネルギー』の分布状態が決まる。『電圧』と言う科学技術概念量が、その空間構造に因って決まる回路定数で、空間の『エネルギー』の分布状況を決めるのだ。

電磁界とは。

電線路の回路特性と印加電圧値によって、その電線路内の空間は、その位置座標p点の位置で自然に決まるのだ。単純なその線路空間内でも、位置によって常にその『エネルギー』の分布状態が変化し、異なる。その電線路内にも自由空間を伝播する電磁波と同じ意味の電磁気的状況があって当たり前なのだ。何も難しい数学式などで考えなくても、感覚的にある程度理解できる筈だ。厳密な数式など解らなくても、電気回路の物理現象の大よその正しい意味は理解できる筈だ。一般の市民的電気科学論は先ずそれで充分だろう。空間の『エネルギー』が自然現象の複雑に見える意味を創り出しているだけなのだ。そんな空間の電磁界が如何なる状況と解釈するかは相当複雑な意味を含んでいる筈だ。それは専門家の解釈の問題として良かろう。

物理学理論で認識していない空間の『エネルギー』の存在を理解できれば、基本的に未来への自然観の基礎は修得できたと言えよう。その意味が光の空間像の認識に繋がるのだ。

厳密な電磁気状況を論じようとすれば、それは単純な電気回路空間でも、微細空間的な解釈になろう。それはp点の位置が導線からの距離などで当然変わる。しかしそこまで厳密な解釈をする意味もなかろう。

白熱電球のエネルギー変換原理 (2018/02/12) やエネルギー伝播現象 (2020/06/27) 等も参考になるかも知れない。

ダイオードのオン・オフと回路条件

(2022/07/21)。半導体という電気材料はシリコン という原子Si がその基礎を成している。そこに或る元素を加えると、N型と P型と言う半導体となる。その二つの接合によって、接合面にとても不思議なスイッチング機能を発揮するダイオードとなる。その単なるオン・オフでしかない動作機能の物理現象をどの様に解釈するかが大変分かり難いのだ。ダイオードのスイッチング機能とエネルギーギャップ(訂正)として過去の勘違いとも思える間違いを訂正しなければならなくなった。しかし、それでも未だダイオードのオン・オフの動作原理が分かった訳ではない。半導体動作原理として現在の専門的学術理論の学説に『バンド理論』があり、ほぼその解釈理論が世界的科学理論の常識と成っている。だが、その理論にはとても理解でき兼ねる概念、『電子』および『正孔』というあらゆる科学論の根幹概念が『電荷』に依存している現在の科学常識の怪しさに気付いてほしい。その事は、『バンド理論と豆電球』として述べたい。

科学理論が、この自然界に存在もしない『電荷』概念に因って、人間的な社会集団化解釈の創造性で構築されて来た。『電荷』とは一体どのような物理的概念かを、現代物理学理論の専門家が真剣に立ち向かってこなかった結果、現在の極めて曖昧で不可解な物理現象解釈論が出来上がってしまった。そこには専門家という狭い学術論の領域だけから解釈する特殊な専門家集団の学術理論が社会的指導原理として幅を利かす状況を創り上げてしまったのだ。ここで取り上げた科学理論という中身については、理論物理学と言う自然世界の根源を問う学問分野を対象にしているのだ。医学・生理学や科学技術の応用分野の話ではない事をお断りさせて頂く。『電荷』という概念が自然世界に存在しないと言う一つの意味を念頭に置いた話である。だから、原子構造論やイオン結合という『電荷』概念を論拠にした科学理論全体の原理を、その意味を問うているのだ。

『電荷』概念を否定して、ダイオードのスイッチング機能をどの様に解釈するかの問題でもある。

電気回路現象の『オームの法則』の意味を深く解釈すれば、そこには決して『電子』の出る幕は無いのだ。『電子』など不要の物を何時までも、電気現象の基礎概念として利用することが如何に愚かな事かを理解して欲しいのだ。その教育に及ぼす弊害を如何に認識するかの問題でもある筈だ。

教育について。

ー-戦後、新生日本の教育制度の根幹を成す、『教育基本法』(昭和22年3月31日)が成立した。

その時の 教育刷新委員会 委員長 南原 繁の言葉 「今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようと、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しい。」が美しく今でも輝く言葉だ。

しかし、何故か改変された。その当時の世論調査が70%の賛成とあって。何故そんなに賛意の理由があったのか理解しかねた?世論調査の意義も考えた。『教育基本法』の条文を知っている人と読んだ事のない人かも、その調査に示されるべきと思った。中味も知らない人が調査結果に示した意味は、『教育基本法』と言う問題にその社会的責任という意味を調査機関は果たしていたと言えるのか。

以上は少し物理学理論とは異なる内容に触れた。ー-

科学理論の現在の常識である根拠物理概念『電荷』を否定する事が、社会的混乱を招いても、それは教育の政治的中立性からも、真剣に論議されてよい筈だ。

多寡がダイオードの動作原理でも、そこには未来への大切な意味が有る筈だ。

『電子』や『正孔』ではもう科学論の論理性は成立しない。『電圧』の物理的意味が分かれば、電気回路の『エネルギー』の重要性が分かると思う。

ダイオードのオン。

① オン動作。ダイオードのpn接合面にエネルギーギャップ(バンド理論の空乏層とは違う)がある。回路条件によってダイオードがオンする。電源電圧と負荷に掛かる電圧の関係がダイオードのスイッチング条件となる。『電圧』の物理的意味は何かが問われる。電気配線の導体の物理的意味は何かが問われる。決して導体金属内を『電子』などが流れはしないのだ。『電子』など存在もしない事でもあるが。

ダイオードのオフ。

②オフ動作。やはり電源電圧と負荷端子電圧の関係の回路条件によって決まる。

ダイオードのpn接合面に生じる『エネルギーギャップ』は電気回路の外部に電池のような『エネルギー』を放射する能力・機能はない。②のオフ動作は電源電圧Vが回路に供給する『エネルギー』の能力はその電圧Vの範囲である。負荷端に電源電圧よりダイオードの電圧分Vdだけ高く、

Vr = V + Vd

により回路分布の『エネルギー』δ=C V^2^[J/m] では不足となる。その結果ダイオードで電源と負荷側が繋がらない結果と成る。それがダイオードの回路条件に因るオン、オフ機能の原因であると観る。

 

ホームランと縦波

(2022/07/15)。

夜は途中で脳内物質が蠢く。睡眠を妨げる妄想が始まる。

昨夜は突然、野球の『ホームラン』に『エネルギー』が消費された。キット赤血球も忙しかったかもしれない。脳内活動はやはり『エネルギー』を消費する。糖分が酸化消費されて、トイレに行く機会も増える。

投手と対峙して、剛速球をバットでスカーンとかっ飛ばすのを見れば、気分も爽快になる。

ボールは質量だ。ホームランで飛んで行くボールにはどの様な物理的現象が読み取れるか。

それは理科教育で、お馴染みの『運動エネルギー』のお話になる。

弾性反射現象と『運動エネルギー』の解釈になる。

ボールは質量であるが、飛んで行くボールという媒体に乗って行く物の正体は何だろうか?

それが『エネルギー』なのだ。質量をお借りした、観測できない『エネルギー』が飛んで行くのだ。そのボールに直撃されれば、只痛い位で済まないかも知れない。その原因は『エネルギー』なのだ。

その『エネルギー』は真っすぐ飛んでゆく。それが『エネルギー』の縦波というものだ。『エネルギー』は横に振動などしないで、真っすぐ直線的に空間を伝送される。ボールという質量体をお借りした自然現象である。ボールは見えるが『エネルギー』は見えないのだ。

そんな寝ぼけ頭で妄想した夕べも、ホームランには成らなかった。

ダイオードのスイッチング機能とエネルギーギャップ(訂正)

PN接合面の『エネルギーギャップ』。

今日も、アップデートがあった。必ず、30%で停止する。その訳は何か❓極めて薄気味悪い状況が何十年も続いている。そんな中で、ブログ記事を投稿したら、社会的に役立てるのか、記事を書かないで過ごすべきなのか意味が分からない。現在の理論物理学の奇妙な『電子』概念、『電荷』概念の状況をこのまま教育で未来への指導内容として良い筈はない。だからとても悩ましい事だ。どうすれば社会に役立てるのかと思案し乍らも‥、自分の生活さえも・・。

過去の解釈が間違っていた。ここでお詫び申し上げ、訂正させて頂く。

まず初めに 整流機能要素の原理 (2022/01/04)。

何故こんな勘違いをして間違ったか不思議でもある。その解釈図を示す。

それが右の図である。真空管時代にはラジオで、その検波の整流機能を二極真空管が担っていた。K側がカソードと言って、フィラメントで陰極部を加熱し、昔は『熱電子』という空間電荷が整流機能を果たしたとの解釈であった。p側からk側に電流が流れて、ONとなる。

今は、その機能を構造的に極めて単純なダイオードが担う。その動作機能を考えれば、二極管と同じ作用をpn接合部で担うには、当然の事、n側が『エネルギー』の高密度側でなければならないと気付く筈だ。しかし、そこにも気付かなかったことが不思議なのだ。

当然、右図のエネルギーギャップVg(訂正)版でなければならなかった筈なのだ。

 

更に、 謎(pn接合は何故エネルギーギャップ空間か) (201705/18) である。

初めのこの図の解釈が間違っていた。n極側が『エネルギー』の高密度側でなければならなかったのだ。全てはこの間違いが、後に響いた事に成る。

エネルギーギャップ(訂正)に訂正した。

なお、直流電源の乾電池について、それも誠に不思議である。単一から単四まで、大きさに関係なく電圧が一定値の同じ値である。

乾電池の電圧が 1.5[V]  の物理的理由は何か?

その電圧になる物理的原因も説明できないと思う。内部充填物質と炭素電極と亜鉛の負極がその特性を担っている。電圧とは外部接続配線間の空間に送出する『エネルギー』が回路特性によって決まる不思議な機能を持っているのだ。決して『電荷』等で解釈できるものではないのだ。物質は必ずその接触物質との間に、その物質に特有な『エネルギー』の外部作用力とでもいえる機能差を持って対応する筈だ。乾電池は亜鉛もその意味でどの様な物理的意味を持っているかは、何時かは明らかにすべき疑問である筈だ。乾電池が外部配線の負極側の導線近傍に多くの『エネルギー』の分布状態を作り出す。それを『電圧』という科学技術概念で解釈していたのだ。

導体の物理的機能は何か。

重要な電気回路の意味が導線に在る。導体をどの様に空間には位置しようと、基本的にはその導体の表面が一様な電気的同一基準面となる意味が有る。コイルに巻いた場合でも、二巻きの導体間に分布した『エネルギー』によって、1巻き分の電圧差を持った二つの基準差を示すと解釈する。回路の L 性機能として導体に誘導性の現象を持つ。それは流れる空間の『エネルギー』流に時間的変化がある場合に起きる現象である。基本的に導体はその存在空間の基準面を規定する機能を持っていると解釈すべきである。決して『電子』が導体内を流れると言うような自然現象は自然界は許さない。

導体は、基本的にその表面が空間に対して『エネルギー』の基準面となる機能を担っているのだ。

以上簡単ではあるが、過去の PN接合面の間に生じる 『エネルギーギャップ』の極性の解釈の間違いを訂正させて頂きました。誤った解釈を示した事を御容赦頂きたい。

改めて、ダイオードのスイッチング機能については、回路空間の回路特性 C L とその『エネルギー』の分布密度との関係で分かり易い説明をしたいと思っている。