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yoshihira について

金澤 喜平。昭和20年4月、京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅(戸籍は巡洋艦:香取丸?)に住んで居た。舞鶴国民学校に4月、7歳で入学したが、入学者名簿には残っていないと回答を得た。新潟教育委員会での採用事務手続きが一切なし?

温度計が計る物理量❓

何処に行って研究すれば良いか?行くべき所属が不明だ。昔、家族の者に―馬鹿と利巧は紙一重―と非難もされた。『静電界は磁界を伴う』の意味一つを掲げて、生き恥をかきながら。理論物理学に、空間の『エネルギー』の認識が無い矛盾を唱えて。

『温度』とは、科学技術計測量の一つだ。

自然世界の状態を解釈する、人が定義した一つの評価量だ。

『温度』と『熱』は密接な関りの有る関係だ。

『熱』は昔『熱素』とも言ったが、『熱エネルギー』と同じものであろう。しかし、その熱エネルギーでも光エネルギーでも、それが空間に在る『エネルギー』即ち物理量と言う認識が、物理学理論には無いように思う。

『温度とは何か』が問うもの (2011/05/07) で疑問を呈し、自己問答の始まりともなった。

この『温度』と気体分子運動論について、物理学理論で解く解釈法の論説を学習しても、全く理解できないのだ。

気体分子運動論。原子や分子の運動エネルギーを『温度』の定義量と関係付けているようだ。気体の中に温度計を備える。気体が運動するとすれば、その気体分子は運動エネルギーを保有するという事には成る。それは運動力学のエネルギー論として理解はできる。しかし、空気中の気体分子がどの様な運動をしているかは、それを理解することが出来ないのだ。例えば、気温20度の時、酸素分子はどの様な速度で、どの程度の距離を移動すると言うのか、その論理的な、具体的な説明、条件が何も論じられないのだ。その運動エネルギーが例え決まったとしても、温度計の指示値に、アルコールなどの膨張による指示値にどの様にその運動エネルギーが作用すると言うのかが全く説明されていないのだ。そんな曖昧論が、分かって欲しい思惑論が、理論物理学と言う分野での常套手段になっている状況が多くある。残念ながら、少しも論理的ではないのだ。

上の図で、温度計の指示値はどの様な物理量の測定値か。

光とエネルギー

光はエネルギーの流れである。

光、その表現式は

e=hν [J]    (表式)

で表される。

その特性を、振動数 ν[Hz] で捉える。

プランクの定数 h[Js] によって、光の意味を解釈する。

光は自然科学理論の根幹を成す物理量である。プランクの定数によってその光の意味を統一的に捉えることが出来た。

さて、その光のエネルギーを、上の(表式)で解釈するが、その『エネルギー』をどの様な意味で、どの様な空間像として捉えているかが曖昧に思える。

空間の『エネルギー』を、光の『振動数』との関係でどの様な空間像として捉えているかが分からないのだ。

結局『エネルギー』の空間像を認識しているか?という事だ。

電気回路にはタンク回路(L,C)の共振現象が有る。エネルギーの共振現象 (2013/07/02) で『エネルギー』の意味を取り上げた。

光りも上の共振回路空間の『エネルギー』と同じ、『エネルギー』の光速度流なのだ。だから、光も『振動』するものなど無いのだ。光の物理学理論に因る解釈は、電磁波と同じく直交した電界と磁界での捉え方が一般的に思える。しかし、光の『エネルギー』は進行方向に一直線に縦に流れるだけなのである。電磁波が空間の『エネルギー』波が縦に流れると同じく、光に『振動数』と言う横に振動する物理的実体は無いのだ。勿論電磁波も横に振動する現象など無いのだ。電界と磁界で、『エネルギー』の分布波を解釈するから、必要もない横波で解釈するだけなのである。

光の波長λ[m]は、電磁波での波形の波長で認識するか、『エネルギー』の波長で解釈するかで、波長の長さが2倍の長さの違いになるので、重要な点となる。

関連記事にプランク定数を解剖する (2014/09/23) がある。

静電気とエネルギー

(2022/09/17)。自然現象は全て『エネルギー』の千変万化の実相なのだ。『エネルギー』を『電荷』とも『光』とも『熱』とも科学的専門解釈で捉えるのだ。

科学論で使う用語は数限りなくある。その中でも、比較的誰もが知っている用語に『静電気』と『エネルギー』を挙げて良かろう。

『静電気』とは何か?『電気』とは何か?

殆ど誰も、答えられないだろう。それはこの自然世界に『静電気』等と言う物理量は存在しないからだ。その『静』の対称用語を考えれば、『動電気』とでもなろうか。日本語の『静』と言う感じの意味は「静かで、動かない」程度の意味だ。『静電気』の意味は、乾電池にコンデンサを繋いだ時、そのコンデンサの二枚の向き合った金属板に、プラス側には『正電荷』がマイナス側の金属板には『負電荷』が貯まり、その『電荷』が静かに向き合って金属板間には何も無い程の静かな空間となる程度の意味から、感覚的な意味で『静電気』と名付けたものと解釈したい。

しかし、その『電荷』と言う物はとても恐ろしい危害を人に及ぼすと考えられている。〈雷〉がその代表例に挙げられよう。また、熟練の電気技術者でさえ、高電圧配電線の作業中に、誤って恐ろしい感電事故を起こす事もある。しかし、そんな恐ろしい物でありながら、その『電気』と言う物を、その正体を誰も見た事が無いのだ。昔から、誰も疑わずに、恐ろしい「電気」が現実に何処にでもあると信じて来たのだ。

『電気』と言う用語が指し示す対象の実体が何かを明らかに示すことが、本来の物理学の役割の筈である。しかし、『正電荷』と『負電荷』と言う二つの対称的物理概念で表現した事によって、『+』と『-』と言う数学的な相反する意味の概念で捉える事の感覚的な納得し易さに依存した解釈法だったのであろう。

電気現象で、目にするのは〈雷〉の強烈な稲妻の『光』である。高電圧回路の「アーク放電」の『光』である。電気回路の電灯の『光』である。電気回路に繋いだアイロンの『熱』である。電気ヒーターの赤く光放射される『熱』である。クーラーの熱交換機から放出される『熱風』である。特別な電気現象で、人が感電して、心臓が心室細動現象を起こし、命の危険にさらされる。この現象は光でも熱でもない、意味の分かり難い事ではあり、そこにより『電気』の見えない恐ろしさが、特別の不可解ながらの『存在』を意識化させるのだろう。

『エネルギー』とは何か?

この用語の意味も、中々的確に答えられる人も少ない部類になろう。自然世界は、殆どこの『エネルギー』で構成されていると考えれば、それが正解であろう。検索の解説記事には、しかも物理学の解説として、その定義として「仕事をする能力」という意味で示されている。確かに、電燈の放射エネルギーは人の生活空間を明るくする意味で仕事をすることになるだろう。クーラーで冷房による生活環境を制御する仕事と言えば、それも確かだ。電気の『エネルギー』で薪の代わりに炊飯の仕事をもする。だから『エネルギー』の物理的定義概念として、仕事をする能力などと、とても滑稽な意味付がなされるのだろう。

『熱』、『光』など日常生活で消費するものが『エネルギー』そのものである。『エネルギー』が『光』や『熱』の形から変換・局所化して『質量』にもなる。

『摩擦電気』と『静電気』。

物を摩擦すると、『静電気』が発生すると「バンデグラフ発電機」を持ち出すまでもなく、それらしき実験でその科学的検証が示される。静電気クラゲなどが浮遊する現象で示される。決して『正』や『負』の『電荷』がこの自然世界に存在しなくても、科学パラダイムの専門的検証実験で、如何にも論理的らしき解釈理論が完成する。その『静電気クラゲ』の問題も、『摩擦電気』と言う不思議な現象も、『熱エネルギー』の問題でしかないのだ。摩擦熱とコンパス (2020/03/22)。

乾電池は何故陰極側に『エネルギー』が分布するか?陽極側と陰極側の間の空間に『エネルギー』の不均等分布(エネルギーギャップ)が生じる訳は何か?その空間の『エネルギー』の分布勾配を電気磁気学では『電界』と解釈した。

物質を摩擦すれば、その組み合わせの物質により、片方により『エネルギー』が多く分布する現象が一般的な自然現象なのだ。『熱エネルギー』が片側に多く偏る特性を、一般的な物質の空間構造の機能として保有していると解釈する。乾電池が何故『エネルギー』源の機能を発揮するかは、その内部の化学物質の組み合わせにより、その特性が決まるからである。物質の組み合わせの発見で新たな『エネルギー』源の電池となる筈だ。

下敷きを擦れば、頭の髪を引き寄せる現象が起きても不思議ではないのだ。物質には、片側に『エネルギー』が偏る性質が一般的にある筈なのだ。その一つの化学的特性が、『イオン化傾向』であろう。

 

陰極線の物理的実体

(2022/09/13)。陰極線がJ.J.Thomson (英)によって 1897年に、電場で曲がることが発見されたとある。そこから、『電子』論が始まったと言って良かろう。電気回路現象はじめ、原子論など、すべての科学理論の論拠概念として、『電子』がその基本となって来た。

陰極線とは何だ? (2022/02/25)に疑問を呈した。

陰極線は何故緑色か? 陰極線とエネルギー

再び取り上げる。真空管内の電極に電圧を掛けると、緑色の放射光線が現れる。それを陰極線と言うようだ。前の記事、陰極線とは何だ?でも論じたが、放射光を光の『エネルギー』と認識すれば、その『エネルギー』がどの様に電源から放電管に供給されるかを考える筈だ。J.J.Thomson の当時の解釈をそのまま踏襲している。陰極線が『電子』の流れと言うなら、当時から1世紀以上経って、現代物理学理論が自然現象の解釈論として論理的に深く究められたなら、少しは疑問を抱いて、『電子』がどの様に『エネルギー』を光放射現象に変換する機能を担っているか位は考えて当然と思う。『電子』の流れと、その物理現象に疑問も抱かないで過ごせば、みんな仲間で安泰に、物議もなく過ごせるだろう。光が『振動数』と言う意味不明な抽象論で、専門家の専門家論理の世界から空間を縦に流れる『エネルギー』に気付かないで済む訳は無かろう。光は何も振動などしていません。振動する物理的実体など光にはありません。陰極線と言う専門論の解釈概念の中における、放射光の『エネルギー』を考えて欲しい。また電源の負側から放出される『エネルギー』は全て放電管内で光として放射され、+極側など何も戻るものは無い。緑色に光る放射エネルギーは、丁度高電圧のマイナス極の『コロナ放電』と同じ現象でしかないのだ。空気圧が低ければ、その絶縁機能が低下して、気体が絶縁破壊される現象でしかない。電磁気学での電界と言う物理的空間歪で、供給『エネルギー』分布密度が気体を光放射させる現象である。

陰極線と言う『エネルギー』の流れはマグネットや電界で曲がる。

その訳は、マグネットとはその磁極近傍空間が『エネルギー』の軸流空間なのだ。電界と言う電極間の空間も『電荷』などに依る電気力線などで解釈する場ではないのだ。そこも『エネルギー』の流れる空間なのだ。陰極線が『エネルギー』の流れであり、マグネットも『エネルギー』の流れる空間であり、電界も『エネルギー』の流れる空間である。みんな『エネルギー』の流れる空間の現象なのだ。だから。フレミングの法則の物理的意味は『エネルギー』の流れ同士の『近接作用力』の現象なのだ。

市民が分かる電気理論へ

科学理論・学術理論を一般の市民が理解するには、そこに立ちはだかる、大きな日常生活感覚から懸け離れた近寄り難い『専門』と言う障壁が聳え立っている。科学・学術理論と言う対象は広い。ここで取り上げる意味は、科学技術の具体的技術理論でなく、寧ろその基礎となる物理学理論の対象分野が其れになる。

『専門』と言う特殊性。

論理展開の論説の基本的言葉が『専門用語』によって組み立てられる。その『専門用語』は専門家集団社会での、特殊な定義に依った特殊な意味を特徴付けている概念である。そこに日常生活からは推し量れない専門家的、複雑性で飾られた内容の世界観が展開される。

その意味を『電気理論』の技術概念の中で、具体的な状況を拾い上げてみたい。

『電気理論』での専門用語を挙げれば、『電圧』、『電流』そして『電力』がその代表例となろう。これらは、誰もが知っていて、日常生活でも関りの深い用語である。宇宙論の⦅ブラックホール⦆などの途轍もない別世界の話ではない。『電圧』や『電力』等の有り触れた基本的用語でさえ、その物理的本質を捉えていなかったのだ。

『瞬時電力』の物理的意味 (2018/03/15) や瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03) で電力の意味を考えた経緯がある。改めてその内容を見た。如何にも素人的に、具体的に、只『電力』と言う技術用語の意味する内容を、その物理的(物理学的と言う意味でなく)自然世界の現象の本質は何かと考えた跡が読み取れる。理論的な解釈は何も『専門用語』を使うばかりではなくても、日常生活で使う用語でも十分その科学理論の意味を理解できると、その内容を見て思った。寧ろ『専門用語』が何を説く概念なのかと噛み砕くことで、より深い自然世界の現象を理解できると思った。自然現象の本質を理解するには究極として、その空間に展開される『エネルギー』の意味を感覚的に捉えることであると理解した。物理学理論で、目の前の空間に実在する『エネルギー』を認識しない限りは、いつまでも抽象的な曖昧な世界の論理に惑わされ続ける事に成ると思った。その結果が『電荷』や『電子』と言うこの自然世界に存在しない概念を編み出して、科学理論を構築してきたことになったのだ。自然世界に無い物を如何にも、自然現象を理解するに欠かせない基本物理量だと決めつけて来た結果、市民が理解できない障壁構築の専門性と絶壁で理論を混乱に陥れてきた事に成る。

『エネルギー』から新電気回路理論へ。

余りにも簡単すぎる電気理論になってしまった。

新電気回路理論

電気現象は全て電気導体によって構成された空間特性で決まる。ここに書く内容はしばらく温めて置いたものである。8月、辞令交付の連絡でも有るかと期待しながら、過してもいた。科学技術者としての意地と誇りの公開内容である。

電気伝送回路系統。

それは電源と電気回路と負荷の三つで構成される。

電気回路と科学技術概念。

電気回路。

負荷と電源間を繋ぐものが電気回路である。その配線路が電気伝送現象特性の全てを決定する。その金属導体の形状や寸法で電気現象の特性を決める空間の特性値が決まる。電気回路の特性は金属導体材料(アルミや銅あるいは銀、金など)によって決まる訳ではなくて、その導体によって規定される空間構造が伝送特性を決める主体となる。然し鉄も同じ金属だが、それを導線に使うことはできない。『エネルギー』が鉄の中に入り込み、鉄損となって、空間伝送できないだろうから。

電気回路の特性は、その空間の伝送断面積や絶縁体などの誘電率が決め手となる。

基本的には、科学技術的な空間解釈手法概念に、真空透磁率μ₀[H/m]と真空誘電率ε₀[F/m]が有る。空間の光の特性を評価する『光速度』の定義解釈概念でもある。自然現象を解釈する空間の科学的解釈手法の基準となる。

電気回路の空間構造による、回路特性に静電容量C[F/m] および誘導インダクタンスL[H/m]がある。その技術解釈定数に因る手法を採る。この二つの回路定数で、電気回路の伝送特性は決まる。

『電圧』と『電流』。

『電圧』と『電流』が電気回路現象の解釈基本概念だ。しかし本当の電気現象の主役は空間の『エネルギー』なんだ。然し伝統的解釈理論では、空間の『エネルギー』の実在を認識していない。その結果、二世紀以上に亘って便利な『電圧』と『電流』の技術概念量が伝統的科学技術論理を導いて来て、科学常識・科学リテラシーとなっている。

その単位ボルト[V]とアンペア[A]が電気回路現象と言う身近な生活文化となって、その物理的意味を厳密な論理性で、生活感覚で、疑問を以って解明する必要が無い程、堅固な社会的科学常識となって来てしまったのだ。曖昧な論理でも、『電荷』と言う自然世界に実在しない仮想科学概念で、曖昧に納得する社会的文化概念となったのだ。

真の自然感覚に因る自然観では、自然は極めて純粋であると観える筈だ。複雑に思える人間的解釈感覚とは異なる姿を秘めているのだ。科学研究室的観測法では、人間の創造的・伝統的解釈手法に陥り易い。一度その門の中に入ると、折角身に付けた努力の結晶から抜け出せなくなるように思える。最近それが『地獄の門』に思える。昭和62(1987)年8月、電磁界理論研究会への投稿資料を書きながら、電気技術者としての基本概念『電流』を棄却した当時を思い出す。その時の決断する精神的葛藤・苦痛・開放感を思い出す。

科学論理の『地獄の門』から抜け出しては見たものの、逆に人間社会の社会常識の『地獄の門』に苦しむ事に成った。とそんな思い出だ!

『電圧』と『電流』の真の物理的意味。

それは『電荷』概念の仮想的解釈論の間違いに気付くことが未来の科学論の基本になる。『エネルギー』の空間的実在に気付くことだ。

電気回路の特性の図で、青色の色付け模様分布がその『エネルギー』の空間像認識の様子の表現だ。こんな空間を流れる雲のような『エネルギー』を科学的手法で測定できる訳は無かろう。光の空間像など認識し難い筈だ。その光と同じ空間の姿が電気の『エネルギー』なのだ。

『電圧』および『電流』の物理的真相。

その解釈図。簡便に電気回路現象を取りまとめた。真の自然科学論の純粋な空間の『エネルギー』に観点を絞った解釈図である。他に何も要らない筈だ。当然『電荷』や『電子』は無用の間違い概念となろう。電源の直流も交流も同じ解釈の基本になる筈だ。交流電源の場合は、伝送空間の極性が周期変動するから、その空間の『エネルギー』分布の極性が周期的に入れ替わる事での複雑性が生じる。負荷の『エネルギー』貯蔵と印加電圧の線路の『エネルギー』分布の周期変動が、回路線路長全体に変化を引き起こす複雑性を生むが、基本的現象は同じだ。

 

 

銅損の物理

又も常識外れの科学者魂に心を込めて。

電気技術者の基本常識に鉄損や銅損の知識が詰まっている。

『銅損』は巻線などの素材が「銅」金属であり、その銅線に『電流』が流れれば、必ずその銅線内部に熱が発生して、損失が生じる。その熱の発生源が『銅損』と言う電気常識である。この程度の意味は理解している。しかし、『何故?』導線内部で熱が発生するかと疑問に思ったら、その物理的現象を理解できなくなった。『熱』も光と同じ『エネルギー』の一つの形態だ。その『エネルギー』と言う空間に実在する物理量の自然界での変換現象でしかないと思うと、『熱』への『エネルギー変換過程』をどの様な物理的現象による結果かと考えてしまう。何がどの様に金属導体の『銅元素』に作用して、『銅』の何に『エネルギー』を譲渡して、銅金属を熱くするのか?と迷い道に、『地獄の門』に這入りそうになる。

『電流』は流れずと、科学理論の常識に逆らってきた手前、今更引き下がる訳にも行かず、頑として逆らう。その誠に申し訳なき事、この上なきと思えど御勘弁の程願い候。

(2022/09/01)追記。等と思案する事事態が『地獄の門』に入るという事に思える。過去の理論に縛られて、常識と言う間違いの門に入り易いのだ。『電荷』や『電子』そして『電流』と言う自然現象の科学技術的解釈手法に引き摺りこまれ易いという事だ。前の記事の訂正・追記でもう『銅損』の電気技術者的常識から離れた解釈で漸く安堵できた。常識を離れて『地獄の門』に入らずに済む。

電気回路の新基礎理論に向けて

思考実験としても無理の解釈で、電気信号が届かないので、削除したい記事であった。

(2022/09/01)8時過ぎに追記。暦をめくって、9月となった。朝明ける前に、記事についていろいろ気掛かりを感じた。例え思考実験としても、電線路の長さが考察対象としては長過ぎる。だから夜に訂正や追記を加えた。今日まで、電気回路現象について、新しい解釈理論を唱えてきたが、職業人として生きた実感も得られずにいる。重ねて追記する意味は、電気信号が何故届かないか、その物理的原因がある筈だと思った。

末尾に記したが、電気技術者感覚には『銅損』がある。それは銅線内を『電流』が流れる結果抵抗損が生じるという意味である。しかし、金属導体内を『電子』や『電流』等は流れられない。そもそも、『電荷』や『電子』が自然世界にある訳じゃない。それなら、『銅損』と言う熱損失はどの様な物理現象として生じるのか。電線路での伝送現象の主役は何が演じているか?決して『自由電子』などの仮想概念粒子が演じられる機能・能力など持ち得ない事に気付かない現代物理学理論の専門性が、社会的問題なのである。

空間に歪を与える金属導体がどの様な意味を持つかを考えて欲しい。金属導体は光の伝播を遮りはするが、決してその導体内で光を伝送する事は無い。みんなが毎日利用する電気の『エネルギー』は光の『エネルギー』と同じものである。その物理的単位、次元はジュールと言う [J]である。何故その取引に使う単位ジュールが、[J] が国際度量単位に入っていないのか?電流の単位 [A] 等極めて曖昧な物理量が何故世界の計測取引単位に入っているのか。 MKSAとは何か?[J] を忘れて、物理学は成り立たない。

電気回路の主役も、『銅損』の原因もみんな空間を光速度で伝送する『エネルギー』なのだ。

最近の市中電気配線で、町中で電柱配線をご覧ください。昔と違って低圧配線は全て絶縁ケーブル配線に成っている。ピン碍子配線などない。絶縁電線は導体間の寸法が小さく、絶縁体で被われているから、線路容量は大きく、電線路の単位長さ当たりの『エネルギー』分布密度が高く取れるのだ。電圧値に対して、線路の『エネルギー』容量が大きく取れる。そこには『電子』などで解釈できる余地など無いのだ。電線路の『エネルギー』伝送特性は金属導体に囲まれた、その隙間のビニル絶縁体などの誘電体などを伝送する現象なのだ。『エネルギー』の伝送する部分の熱特性が線路損失の原因なのだ。誘電体内の誘電率が『エネルギー』の伝送特性として、その伝送速度を決めるのだ。特性インピーダンスZo[Ω]も速度co[m/s]も電線路空間の金属銅線以外の空間部材の特性で決まるのだ。『エネルギー』が長い電線路で伝送できない訳は誘電体などに貯蔵されて、熱化するからと解釈する。何も無い真空空間が『エネルギー』の輝く場所である。光がその意味を示している。電気の『エネルギー』も光の『エネルギー』も同じ空間を伝播する『エネルギー』なのだ。同じ伝送特性の支配下にある自然現象なのだ。[J] を忘れたカナリヤ社会が矛盾の道に縛られているのだ。

二世紀に亘って、電気回路理論が科学技術生活の礎として、社会を支えて来た。

電圧V[V]、電流 I[A] がその電気理論の基本概念である。その有用性が電気技術社会の基盤となって、電気エネルギーの利用と言う社会のライフラインとなって来た。

『電圧』と『電流』と言う用語は誰もが何となく知っていよう。また電気現象は、その伝播速度が一秒間に地球7回り半だとも聞いているだろう。そんな高速度で伝わる不思議さも備えている事を知っている。しかし、その高速度で伝播する現象の実体は何かと尋ねられたら答えられるだろうか。この科学技術の進展した時代の中で、答えられない筈は無かろう。その高速度は光の伝播速度『光速度』の意味である。光ケーブルが海底に敷設され、大陸間の高速度通信を支えている。光ケーブルでなく、普通の電気通信ケーブルでもほぼ同じ高速度通信が出来る。その速度も光の速度に近いと見做しても良いだろう。『何が』その高速度で伝送されるかを答えて欲しいのだ。

そこで、考えて欲しい。もし、電気配線を地球一周するように敷設し、その送信端に電源を、更にもう一つの端子を受信端として、負荷抵抗でも繋いで、送信端と受信端の二つを備えて実験の準備をしたとする。電源電圧をスイッチで電線路にオンしたとする。『光速度』より少し遅くなるだろうが、6分の1秒(その時間をT1とする)後には、もう一つの受信端の抵抗に電圧の信号が到達する筈だ。しかし、その『電圧』が到達する瞬間迄は、抵抗体には『電圧』も掛からず、『電流』も流れない。『電圧』が抵抗体に掛かった瞬間に、ほぼ同時に『電流』が流れる。しかし、その『電流』は電源側の端子には未だ流れない筈だ。電源を繋いだ送信端の電気現象は、もう6分の1秒(その経過時間をT2とする)後でないと、負荷端の状況を知ることが出来ない筈だ。電源側で、『電流』を検知して初めて負荷端の負荷の状況を知ることになる。この実験時の電源電圧は、直流電圧の階段波が分かり易いだろう。この実験の意味は、電線路が短くても長くても、その電気現象の伝播状況は自然現象として変わりがないのだ。『オームの法則』もこの伝送速度に縛られた自然現象で展開される。実際の電気回路では、電源投入と同時に負荷端子に電圧が掛かり、電流が同時に電源から流れ出すと解釈する。しかし自然の真理は、「オームの法則」での送信側と受信側の間の同時性は許さないのだ。この実験の意味を御理解されれば、『何が』電気現象で伝送されるかはご推察されるでしょう。そこで改めて次に進みましょう。意識に、『電子』はどの様な機能で電気現象に関わるかを頭の片隅に置き乍ら進んで欲しい。

〈問答〉:『電圧』、『電流』とは何か。

乾電池の1.5ボルトの訳を、その物理的意味を説明して欲しい。『電流』1アンペアとはどの様な物理量ですか。と子供達に尋ねられた時、どの様に御解説なさいますか。

(2022/09/01)追記と訂正。

過渡現象で回路定数に因る反射現象が起きることを失念していた。訂正とお詫びいたします。上の記事での時間T1とT2での伝送現象で、電源端子での電流値はT1の初めから電圧対応の『エネルギー』負荷整合時の電流値で流れる。時刻経過時間T=T1+T2後の電源側で漸く反射現象の状態が、回路特性に従って起こる。その後の電流値は負荷抵抗と回路特性インピーダンスの関係に従って、暫く過渡現象が継続する。回路の伝送路空間の特性と負荷の関係によって、過渡現象が継続する。以上訂正とお詫びいたします。

その物理的意味を『オームの法則』で解釈する限り、殆ど誰も的確に説明できないのではなかろうか。そこで、一体現代理論物理学とは何なのか、とても不思議な学問に思える筈だが如何でしょうか。その訳は、『電荷』と言う自然世界に存在しない物理量を、科学理論の基礎概念として仮想してきたことが原因だからだ。

少し考える為の、ヒントだけを述べておきたい。

電気回路構成。

それは「電源」、「電線路」とその「空間」そして「負荷」の3つから構成される。

電線路。

それは電線路導体とそれによって規定される空間構造及び空間媒体の電磁気的特性。

電線路導体は、電気現象の伝送空間の特性を決める境界条件を整える物理的機能を担う。絶縁体の誘電率や磁性材料の透磁率などによって電気現象の伝送特性が決まる。伝送速度が決まる。

電線路の電気現象を担う基本物理量。

それは電線路の空間を伝播する『エネルギー』である。

『エネルギー』の特性。

それは自然世界の空間に展開される静止状態の許されない高速度流体である。光に近い速度流である。科学計測法で測定できない空間の実在物理量である。『雲』を、その物理量を測定できないような意味に近い。光の空間像と見做せる。光の振動数では決して光の空間の『エネルギー』を認識できない。

図解で示せればと願いながら。ヒントとして、決して電線路導体の中は何も伝送できない。『電子』など流れ得ない。『銅損』の意味を考えながら。

過渡現象も含めて、回路導体によって構成される電線路空間内における唯一『エネルギー』だけの伝送特性が支配する現象である。

電荷 その虚飾性・魔術性

クーロンの法則が電気物理学を支配する。

科学理論の大原則が『電荷』に支配されているからだ。

f=qQ/4πεor²  [N]
『電荷』同士はどの様な知覚機能によって相手の存在を識別できるのか。何故か、遠隔作用的に、人間的な認知機能を備えているような論理に成っている。『電子』の知覚機能と科学理論の論理 (2022/01/20) 。そこに、『電荷』と『電界』の関係で解釈される。

『電荷』は何処まで空間を支配できるのか。その機能は何が発揮するのか。

 

『電荷』 Q[C] が支配する空間領域。

『電荷』Q[C] が空間に存在するだけで、その周辺から無限の遠方まで、空間を『電界』の場に変換し、支配する事になる。

さて、『電界』とは E[V/m] の意味で定義される。空間が単位長さ 1[m] 当たり、ある値の『電圧』の掛かった場となることを意味する。ただ、その『電圧』と言う物理概念も論理的に、物理学理論では説明できない、曖昧さの不思議を引き摺っているのだ。

空間に電界が在ると、その空間場の電気的状況は、空間に『エネルギー』が存在する状況になると解釈される。その『エネルギー』は次の式での密度分布と成る筈だ。

w = ε₀ E²  = (1/2)(μ₀H² + ε₀E²)[J/m³]

空間に電界が有るという事は、その空間が『エネルギー』の場であるという意味だ。ただし、透磁率μ₀[H/m]と誘電率ε₀[F/m]での解釈になる。

さて、この『電界』はただ空間に『電荷』Q[C] が有るだけで、その空間を『電界』と言う電気的歪の空間に変えるという事で、それはその空間に『エネルギー』が存在すると言う意味になる。

特に、電荷Qの近傍、 r ≒0の空間で『エネルギー』無限大となる。それは、とても大きな矛盾に思える。電界の存在は、電気回路の線間の空間と同じ『エネルギー』の場なのだ。

『電荷』が空間に存在すれば、その『電荷』がその周りの空間の無限遠まで、『エネルギー』の存在する場に変えるという意味になる。自然単位系:MHFJ で解釈すれば、『電界』とは [(J/F)^½^/m] の電磁的空間という意味だ。電界の2乗はその空間の誘電率との関係で、場の『エネルギー』の意味になるのだ。

電磁気的概念は、『エネルギー』の単位 [ ジュール J]と関りの有る次元だ。『電荷』と言う仮想概念の単位も、[(FJ)^1/2^] と解釈すれば、一応辻褄は会う。しかしそんな『電荷』はこの広い自然世界に存在などしない。昔に仮想した間違った物理概念、それが『電荷』だ。当然『電子』と言う負の『電荷』の物理量なども世界に実在しない。それは電気回路で、『エネルギー』伝送に『電子』が全く機能しないという現実からの科学的結論だ。物理学理論で、電気回路の『エネルギー』が電線路空間を伝送すると言う、その実在物理量を認識できていない現実がある。

『電荷』が自然科学の論理を魔術的解釈論にしてしまった。人々が魔術に掛かったのだ。実在する『エネルギー』を認識できない科学抽象論にしてしまった。

日本には独特の文化がある。その一つが高座で語る『落語』だろう。そんな雰囲気に似た記事に思う、『Electrons』の紋所と科学理論 (2020/04/07) ですが、御笑いください。

 

教育の現代性

考えない教育者による教育。

考えない教育者は法則・規則にしたがう。

法則は最初に感じた人によって纏められた。

法則は考えなくても良い便利な原則になる。

法則は歴史によって完璧になる。

法則は体制を強化する。

法則は人と社会を規定する。

法則は本質から遠ざかる。

『教育』は法則によって考えない権威体制と化する。

等と『電荷』の意味を考えながら感じた。