(2023/05/23).
「アンペアの法則」の物理的誤解が科学理論の世界を引き摺ってきた。その「アンペアの法則」の物理的な誤解釈の意味を解説したい。その思いが今も強く残り、どの様に社会的役割を果たしたらよいかと思案の過去に‥。しかも、筆者の様な学術機関での普通の研究者としての学歴も、職歴も不可解なままにある者が唱えると言う驚くべき混迷を添えてではあるが。
ひと先ず今回は、次の記事への前段とする。
それは、ミズリー号甲板上での無条件降伏調印式。そこへの代表団(重光葵外務大臣他)送迎ボートクルーと言う戦争の悲劇に関係しているのだろう。それは昭和20(1945)年9月2日の事。戦後の日本が始まったその日は、二百十日の台風で荒れた波間の中であった。既にその日は、自分も家族も故郷に逃げ帰った後の事。
父はどの様な身分であったのか?既に9月1日限りで、日本軍は消滅した翌日の2日の事である。戸籍は❓舞鶴鎮守府の舞鶴市溝尻海軍住宅での長い生活の中の或る日、父が真っ白い軍服を着て帰る姿を覚えている。
しかし、昭和36年、父の事故死での東京電力社葬と言う取り計らいでのこと。木川田一隆社長の弔辞には、二十一年余りに亘る線路保守一筋の・・とある。海軍の履歴は全くない事に成って居た。
そんな戦争の意味も知らずに居た昔、1969年から翌1970年3月までの半年間の事。内地留学と言う制度で、新潟県立新津工業高等学校から東京工業大学の電気工学科の研究室にお世話になった。本当に皆様にはご面倒をお掛けし、感謝と御礼を申し上げたい。住居も大学近くに、全て東京工業大学のある研究室の皆さんにお世話して頂いた。
しかし、我がお粗末さを今恥じなければならない。新潟県教育委員会に採用されていれば、こんな過去の恥を晒さないで済んだかも知れないと思う。どこにも届けもなしに、東工大で半年間の研修をして帰ってきた。折角研修した心算で居たのに、新潟県教育委員会も文部省も全く無関係であったことと知った。研究室の教授に、何処からも研究補助もなく、正式な依頼も無かった事への不審をそれとなく尋ねられたことを何十年も経ってから気付いた。研修が終わるに、折角の学会発表論文の筆頭者名の自分が、電気学会加入手続きも済んでなく、発表もせずに終わった。大きな問題を抱えた、研修であった。しかも、当時の給与が手渡しであった事にも気付かずに過ぎた。どうやって、半年間過したかも不明だ。確かに一度位は何処かから現金封筒で受け取った様でもある?
そんな理解し難い、日本国憲法、労働基準法に関わる問題の研修(?)が、その後の自分の電気物理現象、電気理論への憧れを引き起こして頂いた事になった。『ロイヤーのインバーター』の回路現象が全ての基になった。変圧器の励磁電流が全く無意味であることを理解した。決して『磁束』が『電流』で発生する訳ではない事を知った。
【最大の不思議は、誰もその科学的事実、磁束と電流の関係に疑問を抱かないのかと言う科学研究者への不可解であった。】
それは電気理論の根幹への疑いを生んだ。一気に、19世紀初頭への科学理論に疑いを持ち込んだ。
学校教育で、中・高生が学習する『電流』と『磁気・磁束』の物理的意味不明が教科書の指導原理と成っている。物理学として、それで良いと言う事なんだろうか?
過去の記事。
電流と磁気と空間の哲学 (2020/04/24)。
『Electronns』の紋所と科学理論 (2020/04/07)
電気回路要素の『エネルギー』処理機能 (2020/04/12)
電磁界と空間エネルギー (2020/04/17)
更に、エネルギーについて、Friction heat and Conpass (2020/03/22) 、鋏の磁気? (2020/01/17) 、『エネルギーギャップ』の意味 (2020/05/23) 。今日、この『エネルギーギャップ』の意味 この記事が全く改竄されている事を知った。誰にどのような意味で勝手に書き換える権限が有ると言うのか?筆者には、日本国憲法の基本的人権が無いことになる。