今日 は憲法記念日 5月3日だ。
上の資料は先日、公的機関から頂いた記録の一部だ。厚生労働省の関係機関だ。昔の厚生省は、戦後の外地からの引き上げに関わる海軍の戦後処理にも関係していた。始まりの日付(1964年4月0日)は世界に存在しない日である。しかしこの日は初めは4月末日と成っていた。しかし何時の間にか4月0日となった。
最初記録は職員の掛かりの方が、私が『公立学校共済組合』と書くのを遮って、書いてくださった。その書類が次だ。
ここには、確かに4月30日となって、確定されている。
昭和20年4月、京都府舞鶴市溝尻海軍住宅に住んで居た。舞鶴国民学校に通ったことを覚えている。しかし、2021年に入学者名簿には無いことを新舞鶴小学校(溝尻1200-4)に聞いて確認した。戸籍が舞鶴鎮守府所管(昭和14年12月1日)の為だったのか?
とても不思議な過去を思い出した。昭和35年の日銀新潟支店(新潟市西大畑町)との関係だ。新潟大学の理学部の先生のアイソトープによる山ノ下地区に地質調査のお手伝いのアルバイト代金を、日銀新潟支店からの連絡により、そこで頂戴した。どの様な予算かと不思議だ。憲法と身分 にも記した。
さらに、憲法十条:・・にも、憲法との関係で能力不足で理解できない疑問を印した。
日本国憲法の下で、今までの自分の社会的存在理由、役割をどの様に認識すれば良いか分からない。行政機関の書類が世界に無い日付から始まっている、その恥かしい人権をどの様に認識したらよいか、社会に無用な自分に見える。
新潟県教育委員会に採用事務で関わったことが無い。昭和39年4月から、昭和53年4月母が亡くなった途端に、突然仕事を言われた。その辺は、健康保険証は身分証明書か に記した。
新潟県教育委員会との関係が不明だ。
昭和55年3月31日 願いにより本職を免ずる」とある。しかし誰が発令したのか不明だ❓確かに、昭和55年3月の教員移動の新聞記事には、私が「退職」と報道されていた。しかし退職金など手続きは無い。
一応ここまでで公開。