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科学理論と専門家

2023/04/26.

科学理論が多くの専門家によって構築されてきた。その為、そのそれぞれの専門家が唱える自然現象の解釈法と教科書の理論との間にはとても大きな亀裂、矛盾が存在する。それらは殆ど誰も指摘して来なかった分野である。それは専門家が余り子供達に教える学校教育、その教科書の理論について余り考えない事の結果であると思える。その矛盾の代表的なものが自然世界に『電荷』は実在しないという事である。その意味を『バーコード』の科学技術を『電荷』論による電気理論の論理的矛盾として取り上げて解説する。

 バーコードと電気回路現象。このバーコードは商品管理に欠かせない技術だ。マーケットのレジでの商品代金の計算に欠かせない。バーコードは[1]と[0]の二値のデジタル信号の組み合わせで構成された回路信号である。

 バーコードとデジタル信号。

 バーコードは黑い線の組み合わせで、数字の組み合わせデータと成って居ると勝手に解釈する。具体的にどのような仕組みかは知らない。黒い線の幅の太いか細いかの何本かの組み合わせで、数字を表現していると。その配列を検出器で掃引して検出し、数列としているのだろう。さて、その検出信号は必ず電気回路を通して利用される。電気信号としては、二値の在るか無いかの、所謂デジタル信号となる。

 電気回路と信号。

 

デジタル信号はある一定の電圧が有るか無いかの信号である。

図では少し一般的な表現とは異なるだろう。電気回路現象は『電荷』などでの解釈法は間違っているのだ。ただ電源から『エネルギー』が流れ出る現象なのだ。そのエネルギーの量は電線路による空間構造とその空間媒体の物理的特性によって決まるのだ。だから、電源電圧値(エネルギー供給能力の強さ)と電線路空間の特性から、その空間のエネルギー分布密度 δ[J/m] が自動的に決まるのだ。その意味を図の青色の模様で表現した。プラス側より負極側の電線近傍により多くのエネルギーの高密度分布を形成する。このような解釈は、科学論としての実験的検証を求めれば、それは不可能な事なのだ。空間に分布する『エネルギー』の密度を科学的な測定で観照する事など出来ないのだ。それは、それぞれの人の自然感覚に従った総合的認識に基づくことであろうから。

 さて、ここでは科学理論という意味を一般的な理科の教科書の理論で先ず考えよう。その意味でのデジタル信号は図のように一定電圧の電源に電気配線をスイッチで、オン・オフすることで得られる。オンしている間は電気回路配線に電源からエネルギーが放出される。この電源が『エネルギー』の供給源だと言う認識は、教科書の解釈論とは少し異なることになるが、その事がとても重要な電気回路現象の本質・真理なのだ。スイッチのオンで電線路に供給されるエネルギーはほぼ光速度で回路の終端側に広がって行く。電線路の特性インピーダンスと負荷が整合していれば、負荷でのエネルギー伝播に反射は起こらない。その場合の電線路のエネルギー分布波形はスイッチの動作通りのデジタル信号波形となる。

 表題を科学理論と専門家とした。科学技術はそれぞれの専門家の研究の結果として完成してきた。その専門家が創り上げる科学技術理論は極めて特有の解釈論となる傾向がある。科学理論全体の統合的な整合性が失われる傾向がある。具体的な技術概念として、その代表の電圧と電流を取り上げてみよう。電気磁気学で『電圧』と言えば、その理論的発生原因を電荷に因ると成っている。しかし自然世界に電荷など存在しないのだ。だから、『電流』も電荷の流れなどと言う技術概念での解釈法も、自然現象の解釈論としては間違っているのだ。

 デジタル信号は図の様な電源電圧を電線路へのスイッチでの断続によって得られる現象の波形である。この波形は、何方もよく知っている筈だ。そこで、それではこの電圧波形に対して、電流はどの様に流れる物理量かと考えてみれば、決して電気理論、オームの法則などに依って解釈できるような『電流』が流れる解釈が出来る理屈は無い筈なのだ。バーコードの科学技術はとても便利なもので、有効に生活を支えている。その科学技術の理論はその専門家にとっては、その有効性から矛盾など感じない筈だ。しかし、学校教育での電気理論との関係を殆ど専門家は考えない。このデンジタル信号の電圧と電流の基礎的な意味を考えれば、その『電荷』との関係で矛盾に気付く筈だろう。電圧を電線路導体のプラスとマイナスの『電荷』の分布などで解釈しようと意識すれば、そこで気付くであろうが、そのような理論全体の整合性を専門家はほとんど意識しない。だから、科学技術はそれぞれの専門家の特有な解釈論で完成している。

憲法第十条:日本国民たる要件と労働基準法

1986(昭和61)年4月下旬の健康診断。

長岡工業高等専門学校 電気工学科に所属?時の健康診断を受けた。

今日、また愚かなる己に気付いた。今まで、定期健康診断と言う事に関わった記憶が無かった事に。

労働基準法 (昭和22年 法律第49号)から昭和47年に派生した 労働安全衛生法(昭和四十七年 法律第五十七号) がある事を。

 筆者は今思い返せば、冒頭の健康診断を受けたこと以外記憶にない。

 新潟県立新津工業高等学校に勤務(?)していた16年間に、健康診断と言う医師による診断を一度も受けた事が無い。勿論長岡技術科学大学においても同じく、高専との勤務を挟んで、一度も健康診断の対象者としての扱いを受けた事が、経験が無い。

 厚生労働省の労働基準法にも関わる話であることになる。更に、昭和20年4月、舞鶴鎮守府所管に戸籍転籍されたまま、舞鶴国民学校の入学者名簿に無いことから、何処で義務教育を受けたかも定かでない身分からか(?)。日本国憲法第十条 国民の要件に関わる事件か。

 「国民の要件」という意味は法律で定めるとある。誠に不思議な事であるが、法例(明治31年6月21日 法律第10号)の改正が、何か関わるようだ。1.昭和39年【池田勇人 法223号】。2.昭和61年【中曽根康弘 法82号】 および、3.平成1年【竹下登 法27号】の3回の改正の訳はどの様な意味か。

 冒頭の健康診断について。

 とても不思議な事があった。4月は、電気学会の論文誌に筆者の「論文 61ーB39」が掲載された。職員の所属との関係で、今まで無かった職員の定期健康診断の対象に成ったか?その健康診断の結果、庶務課長から精密検査(胃の内視鏡検査)を受けるようにと、日時が指定されて、要請の文書がレターボックスに入っていた。5月のその時は論文執筆で忙しく、指定日時を先に延ばして、内視鏡検査を受けた。しかし、その後更に再び庶務課長から再検査の要請が来た。しかし、最初から胃の異常も感じていなかったので、危険を感じて、2度目の要請は完全に無視した。

 その後は、9月1日の持参の飲み物の味の異常の感じから、吐き出しの事件があった。その日から半年間、極秘に毎日の飲み物には、工具箱を用意し、鍵掛の対策を採って、黙って過ごした。ただ如何に逃げ切るかを考えた。

年度末に向けて、事件となったようだ。『暴れ太鼓』の歌にも成ったか?

長岡技術科学大学も新潟県教育委員会も労働基準法との関係を説明してもらわなければ、とても『特許』等関わることはできない。『電流』は流れず、『電子』の物理学的矛盾論。所属歴が何も無かった事になる。文部省の中曽根臨教審の意味は?

物理学理論は自然現象を説明出来ない

 物理学者は物理学理論が自然現象解釈に欠かせない学問だと言う。本当だろうか?日常生活で誰もが経験的に知っていて、感じる事がある。

 日向ぼっこ。それは冬を過ぎた春先や、暑い夏が過ぎて涼しい風の吹く秋にお日様の光を浴びるととても暖かくて気持ちが良い。それは陽の光を浴びることが原因でもある。では太陽光線の陽を浴びると何故暖かくなると思うか。そんな余りにも簡単な筈の自然現象の意味について、現代物理学理論では、その解説をする物理学者あるいは先生方はどの様に子供達に説明するだろうか。

 一方、光の物理学理論での解釈はプランク定数での光の振動数との関係表式での捉え方が基本に成っている。

 e = hν [ J ]

と言う表現での捉え方である。

 この式で表現される光の意味はどの様な物理量であろうか。

 日向ぼっこで温かくて気持ちが良くなる訳を、その物理学理論での捉え方で『振動数』という意味との関係を、具体的に分かるように説明して欲しい。

 巷の検索情報記事から拾うと、それも大学の研究室からの解説でも、光は波であるからとの解説から始まる。波は水面波のように波打ち、その波が広がる性質を持っているものである。と当たり前の説明がされる。しかし、そのような波を打つ現象の性質を持つ光を浴びる、日向ぼっこが何故気持ち良く暖かくなるかの説明に成っているだろうか。子供はそんな説明を聞いても決して納得できない筈だ。偉い学者が説明するのだから、それが理解できないのは自分が利口でないからだと諦めて先生の言う事を『ふーん』と聞き流してしまう。少しも子供の心に響く解説には成って居ない筈だ。

 學者が解説する内容は殆どそのような、曖昧模糊とした不可解なもので終わっている。学者は子供達が納得しているとも考えていない事が分かっている筈なんだ。それでもそれ以上具体的に子供達が納得できるように、どう説明すれば良いかを自分自身が考えていないのである。

 それは光が振動すると言う、その振動の物理的解釈法の意味を恐らく理解できていない筈だ。『何』がどの様に『振動』する物理的実体なのかの、具体的空間現象像を頭の中に描き切っていないのではないかと思う。『振動数』は科学的検査器具、実験装置とその手法によって共通に解釈する検出結果量の専門的測定結果法の測定概念量を指しているだけであろう。

 そんな曖昧な専門的科学的と言う手法の解釈法的結果の評価量を『振動数』と言う概念に置換えているだけだと思う。だからそんな科学的手法による決まった概念量を子供達に説明しても分かる訳など無いのだ。その分かる訳が無いという事さえ理解できない程専門的常識概念化した用語が光の『振動数』なのではないか。同じく光の『波長』という科学概念用語も同様の具体的な意味不明の筈だ。

 水面波を見て、そこに『エネルギー』の空間像を理解、認識できないようでは、子供達が納得できて嬉しいと思うような教育結果を決して示せない筈だ。光の『エネルギー』の空間像など認識できていない筈だ。

 要するに物理学理論は空間に実在する『エネルギー』を認識できていない学問なのだ。日常生活との結び付かない学術用の理論なのだ。経済的競争や生活の利便性の為の科学技術に役立つ解釈理論ではあるが、自然現象の理解に役立つ訳ではない理論体系なのだ。

 そこには余りにも有名な「マックスウエル電磁場方程式」と言う『電磁波』の『電界』と『磁界』と言う横波解釈手法の概念が在るからでもあろう。決して『電界』や『磁界』などの特別の概念など不要なのだが、とても数学的表現形式が高等数学を理解しないと及び付けない高度な専門的領域の理論体系で、専門家としての優位性を誇示できるからに精神的余裕を与えられるからかも知れない。『電磁波』も空間を縦に流れる、光速度で伝送する『エネルギー』の流れでしかないのだ。この電磁波理論の数学式的解釈理論とその手法が『波』の解釈に利用することで、とても高度な専門性の味付けになる点で大切なのかも知れない。専門性の為に!

 理科教育は高等教育の為の基礎学術論であってはいけないのだ。日頃、身の周りの景色を見て、これはこのような意味なのではないかなと不図不思議に思う事の助けになるような卑近な現象を解釈する助けになる事を目指すべきものだと思う。/

憲法と身分(新潟大学生の身分と選挙権)

1960年4月より1年間、新潟県新潟市西大畑町 新潟大学の六花寮に住居。

 新潟大学工学部電気工学科。幸い大学入学試験に合格した。年齢は半年以上前に二十を過ぎて、既に成人である

4月に何故か自動的に決められた住居、大学の寮『六花寮』に入寮した。

しかし、大学の入学式への参列も無かった。通知も無かったからだ。父も確かにその日には新潟大学近辺に来ていたが、何処に居たかは分からない。恐らく大学の事務局関係で話をしていたかと思う。

私は、入学式典への参加もなく、大学入学関連行事の「小泉信三氏の講演会」を聴講した。

  第一の不可解。新潟大学入学式典への参加要請が無かった。大学入学手続きが何も無かった。大学入学金の請求も無かった。六花寮の入寮、寮費の支払いも1年間一切無かった。大学関係への学費など一切の払い込みは、大学卒業まで何も無かった。同じく1939年3月の大学卒業式典への連絡もなく、参加しないで過ぎた。

 第二の不可解。日銀新潟支店でのアルバイト料の受取。夏の大学理学部の先生の山の下地区でのお手伝いをした。そのアルバイト料金の受取。西大畑町の日銀西大畑支店からの支払い連絡により、日銀で直接受け取る。

 第三の不可解。新潟市での住民登録が無かった?1960(昭和35)年11月24日、第29回衆議院総選挙(第一次池田内閣、安保解散、10月20日に因る)。初めての選挙と言う仕組み、行事を知り、小学校での講演会に参加して聴講した。 しかし、選挙投票権が無かった(投票券が来なかった)。全く憲法や市民権あるいは選挙権などの社会的意味を無知で知らなかったから、特別何も意識して居なく、急に数日前に、その不可解に思いついた。

 1939年12月1日。舞鶴鎮守府の所管へ戸籍転籍。新潟県中魚沼郡貝野村役場。南雲村長。法的な違法行政に根本原因か。小野田少尉の事件に似た?

 学歴の不可解。

 1945(昭和40)年4月、舞鶴国民学校に通った。8月終戦となる。しかし、その舞鶴市立新舞鶴小学校 (舞鶴市溝尻1200‐4)の入学者名簿には筆者の名前が無かった事を、2021年6月に知った。終戦まで溝尻海軍住宅に住んで居た。戸籍が舞鶴鎮守府、香取丸に移動では市民権が無かったのか。入学者名簿には軍籍の為入らなかったか?

 1954年春の貝野村村会議員選挙の関係で、とうとう1955年9月30日の貝野村分裂による廃村となる。翌年3月新潟県立十日町高等学校卒業時点で、筆者の住所は水沢村に在ったか。半年間での行政事務移管は❓

 職歴の不可解。

 1955年度は1年間故郷の家で、浪人生活。翌年1956年の冬、練炭炬燵で亜硫酸ガスによる頭痛に襲われ、大学受験を諦め病院入院となる。

理科教育過去からの思い

一度公開して、下書きにしたままに成って居たので戻す。

/二年ほど前の記事を見て思う。

https://hokakebune.blog/2021/02/10/電荷と科学リテラシー 

https://hokakebune.blog/2021/02/24/『エネルギー』一筋の道/

https://hokakebune.blog/2021/02/27/科学教育の未来を問う

https://hokakebune.blog/2021/03/03/エネルギー流と定在波

https://hokakebune.blog/2021/03/11/摩擦とエネルギーギャップ

https://hokakebune.blog/2021/03/14/心 鬼灯に遊ぶ

https://hokakebune.blog/2021/03/16/科学と哲学

<a href="https://hokakebune.blog/2021/03/19/科学理論に危機感を❕

https://hokakebune.blog/2021/03/23/自然と言う世界

過去の記事ながら、この頃にほぼ纏まった内容と成っている。

光をはじめ空間のエネルギーを自然界の物理的実在量と捉えずに、未来の物理学理論の基になる自然観とは成り得ない。それが学術理論を学ぶ以前の、市民の科学リテラシーとしての自然観であるべきと。

如何に教育、教科書に反映するか喫緊の課題と思う。『電荷』では理学理論の基礎概念とはなり難いから。/

https://hokakebune.blog/2021/04/09/物理学理論は役立つのか

2020年秋の事

気が付けば驚き。

エネルギーが電圧・電流https://wp.me/p19wiU-3tF

学問の自由https://wp.me/p19wiU-3oK

電磁誘導現象の真相 https://wp.me/p19wiU-3up

電荷の論理性 https://wp.me/p19wiU-3vk

科学技術概念の世界 https://wp.me/p19wiU-3uK

電気回路と妙珍ベクトル https://wp.me/p19wiU-3v9

この年の10月には既に電気回路のエネルギー流が。/