(2023/02/13).
長く科学理論の根幹を支えて来た歴史的物理概念『電荷』が、現代物理学理論の基礎に置いての論理矛盾の元凶であるとの認識にある。これ程の科学論の世界でちぐはぐな思いに至ってしまった事をどう繕えばよいか?
前に、電流と哲学対話 (2017/06/18) がある。
更に、電荷と電圧の哲学 (2019/10/23) がある。
上の記事にもある、大学と基礎研究 なる記事でも述べた。決して企業研究活動として『電荷』とは何か?等と言う研究はしないだろう。それこそ、生活保障された大学の研究者が取りくむべき問題だ。今はそのような研究が許され難いかも知れない。期間限定の不安定な身分では、先の到達目標が明確でない真の基礎研究は競争的研究の審査を通過する関門で排除される。『学問の自由』という意味が、抽象的な謳い文句化してしまったのかも知れない。
科学技術とその解釈理論は隆盛を極めている。それは夫々が、狭い専門分野の最先端研究で競争を競って進められているからだ。しかし、プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』がクーロンの法則で唱えられるように、『何故、引合うのかその訳は何か?』と言う疑問を抱かないのか、抱いても考えずに無視するのか。そこに自然科学の、何処か論理的な不整合が放置される今の時代性に原因があるのかも知れない。科学技術理論はどんどん広がって行く。しかし『電圧』とはどの様な自然現象を評価した概念かと、その意味を尋ねても、明快な解説を子供達に示せない、科學技術論と基礎自然科学理論の間の断裂、その不思議さ❓
決して自然世界に存在しない『電荷』や『電子(負電荷)』の概念で解説しようとしても、『電圧』の物理的意味の理解、あるいは解説は無理なのだ。
電子の論理矛盾の具体的問題。
理論物理学あるいは電気磁気学の専門家である皆さんにお尋ねしたい。特に大学などで教育に携わっておられる先生方に。
① 電圧、電界の物理的概念。 1.5 V の乾電池に電線を繋いだ。途中にコンデンサの平板電極も繋いだ。乾電池のプラス極に繋がる電線などの金属導体はすべて同一電位にある。同様にマイナス極側の金属導体も電池の負極電位にある。金属導体内には『電界』は無い。従って、プラスとマイナスの電線の間の『電圧』はどの導体間でも1.5Vである。
〈問〉さて、そこで図のⓐ点(プラス側電線近傍空間点)とⓑ点(コンデンサ内の空間点)の『電界』は如何程か(勿論数値は分からない)。この場合の『電界』を決める要因は、どの様な物理的概念、物理量によって決まるか?
② 電子の論理矛盾。 1.5Vの乾電池を4個直列に繋いだ。その電源の電圧は6.0V となる。負荷抵抗に1kΩを繋いだ。負荷電流は I=6 mA と成ろう。
さて、この回路電圧は 6.0V で、電線路間の空間の『電界』はどの様な分布となるであろうか。マイナス側から『電子』が流れ出しても、線路電圧 6.0V の発生原因とはならない。勿論、電池のプラス側からプラスの『電荷』に対応する『何か?』が流れ出すとの解釈論理も見当たらない。
〈問〉 端子電圧を決める物理的原因は何か? それを決めるものは、電線路内の空間の物理的現象である。それが空間の『電界』と言う技術解釈概念である。と言う処で、技術解釈概念『電界』とはどの様な物理的現象を捉えた意味なのかを極めなければ、自然世界の真相を理解する事にはならないのだ。そこが、物理学理論としての学術の目指すべき道・目標であろう。
〈問〉電源電池内の『電子』はどの様に流れるか。 電池電圧 1.5V の発生原因がどの様な物理的現象として決まるかが分かって居ますか?
そんな極めて基礎的な日常生活の中の科学的論理性さえ曖昧な科学論の中で過ごしているのだ。標題に、『電荷』と哲学・・とした、「哲学」とは決して難しい事を対象にしている訳ではない。高校生でも十分に考えられる基礎的で、日常的な〈疑問〉を解き明かそうと思う事でしかないのだ。科学理論で、『電荷』が最初から絶対的な自然界の真理として『ある』と高圧的に、権威的に押し付けられているのが現状なのだ。自然は極めて純粋で、単純なのだ。人間が複雑な解釈概念を創り出して、創造して構築したのが現状の現代物理学理論なのだ。自然世界に『電荷』など実在しないのだ。原子構造理論も、その『電荷』概念によって構築された理論である。質量も『エネルギー』と言う物理学的測定法で測定不可能な空間の物理量によって局所化された結果の姿でしかないのだ。 E=mc² [J] と言う物理的意味も、空間の『エネルギー』E[J] が質量 m[kg] に局所化したからでしかないと解釈する。薪を燃焼すれば、『熱』と『光』の『エネルギー』に質量(炭素と酸素の一部)が変換される自然現象である。『炭酸ガス』になるだけではないのだ。
電気回路現象は光のような空間の分布量を測定できない『エネルギー』の空間現象なのだ。物理量『エネルギー』を意識しない限りは、『電子』論の曖昧な解釈論に留まらざるを得ないのだ。『電子』論では、『電圧』の意味も解らないのだ。