(2023/01/18)。
今年の物理の試験問題を見させて頂いた。問題作成の御苦労は如何ばかりかと頭が下がります。
第1問 は基礎問題と思う。その第1問の中で、問4と問5が目に止まった。その基礎問題であり乍らも、とても難しいもので、受験生も問題作成の先生方も本当にご苦労様と思わずに居られなかった。
その2問を見ただけではあるが、学習するという意味、教育するという意味を考えてしまう。光の振動数 その意味不明が試験の翌日から急に読まれてされている。それは光がどの様な物理量かを考えての結果と思う。問5.に関係したものだ。しかし、光の問題だけでなく、電気磁気学の論理そのものが矛盾を抱えたものだからだ。科学理論の根本から新しく構築し直さなければならないのだ。それは自然界に『電荷』など存在しない事実を基本認識に置かなければ成らない事になる。
理科系の学問分野は自然と科学理論および科学技術理論との関わりに関するものである。その中でも物理学は特に自然現象を如何に解釈するかの学問である。しかし、入学試験問題は教科書の内容を如何に修得しているかを問うものになる。その事は教科書の内容が、自然現象を正しく解釈したものであると言う事が前提でなければならない。その点が重要な条件になる。学術理論が、物理学理論が自然を正しく解釈しているかどうかの社会的問題と認識して考えなければならない。
しかし、物理学理論の殆どは、科学技術理論の解釈概念を踏襲したものであり、真に自然現象を説く論理性は担保されていないのだ。
問4.
今回の問4も、教科書の内容を理解しているかを試す問題だ。
ここで問題は、『磁場の向き』という意味である。『磁場』とは何か?電気現象、電気磁気学を学習した人は、誰もが『磁場』と言えば殆ど共通な解釈で理解していることになる。電磁石はコイルに流す電流によって発生する磁極近傍の空間に発生する磁気現象という意味で知っている。電流の流れるコイル近傍が強いと知っている筈だが、この問題のように磁場空間の磁気の強度は均一だと無意識に解釈しているか、伝統的解釈理論を鵜呑みにした科学リテラシーの意識化された専門的学習習熟論では、均一との条件で解釈する。マグネットの場合にはコイル電流という意味はない。だから無意識に磁場空間の磁界の強度は均一と条件を付けやすい。
しかし、実際にそのような均一と言う条件を満足する『磁場』は無いのだ。マグネットであれば、マグネットの周辺部に強く磁場が生じ、中心部は殆ど磁界は無い。
また、コイル電流による電磁石であれば、やはり周辺部に巻いたコイルの近傍が強い磁気空間となる。
ただ、電磁石で鉄屑などを吸い付けると複雑に鉄同士が磁気の空間を構成するから、中心部も強い磁場空間の様相を示す事になる。
問4 の磁場の空間強度は、均一との条件を暗黙で設定したものである。
だから、残念ながら、実際に問題のような磁場空間での実験で、図のような自然現象は決して起きないのだ。それはあくまでも、教科書の解釈を、教育内容を覚えているかを問う問題であるから止むを得ないかも知れない。
この問題のような状況が実験的に示されれば、それは正しいと言える。しかしそんな状況を実際には実験できないし、決して問題のような結果には成らないのだ。あくまでも教科書の解釈の内容の意味を理解ではなく(理解などできない自然現象の解釈論だから)、覚えているかを問う問題でしかなのだ。殆ど、『磁界』とはどの様な物理的状況かに疑問を抱かないようだ。『磁束』など自然世界に存在などしないのだ。みんな人間が一つの解釈用に創造した仮想概念でしかないのだ。
問5.それは有名なプランク定数と言う、とても貴重な発見に負う光に関する問題だ。光を光量子と言う概念で捉えた理論に関する問題だ。全ての光が、その物理的特性として、一つの定数即ちプランク定数によって解釈出来る不思議な性質を持っているという事である。単位が[Js]の定数 h で表現された物理概念である。物理概念量の表示する意味を理解するには、その次元の物理的意味を理解することが欠かせない。単位がエネルギー量の単位ジュール [J] と時間 [s] の積で評価される定数とは一体どのような物理的概念であるかを理解することが大切である。その意味を感覚的に捉えるための苦しみを経て、初めて光の意味が分かる筈だ。そこには、光がどの様な物理量かを認識する必要がある筈だ。光は空間を伝播するのだから、空間を占めるその空間像がある筈だ。その像をどの様に捉えるかに掛かっている。空間の質量のない『エネルギー』を認識できるかどうかだ。光に振動するようなものは何も無いのだ。水面波も何も振動などしていないのだ。電磁波も何も振動などしていないのだ。『波』とは何が伝播する現象かを理解しなければならない。抽象的で、曖昧な解釈ではいけないのだ。光の同じ物理現象だ。
大学入試問題は、教科書の内容、授業指導内容を記憶しているかを試す問題に思える。決して自然現象に興味を持ち、その不思議を理解しているかを問う問題ではない。疑問を抱かず、不思議な現象と理解出来ない事に悩んだりすることを否定され、只教科書の内容を記憶することが求められる。苦しくても、その我慢に耐えて記憶する事が大切な勉強と言う事で有るかの如くに思える現状の教育。考えない、疑問を抱かない教育の制度に思える。