月別アーカイブ: 2023年1月

技術用語『電圧』および『電界』の物理概念は❓

(2023/01/31).

昔、筆者には研究室が無かった。それでも、解決すべき研究課題があった。止むなく非常識な、一つの働き方改革と言いたい方法で、研究を重ねて来た。無学文盲とも言える、学術論には疎く、英語も使えない者が科学研究など烏滸(オコ)がましい事だ。しかし、その研究内容が余りにも科学理論から懸け離れた、常識外れの内容であったこともあって、殆ど先行きの予測も出来ない、ただ感覚的な自然観での無っ鉄砲の船出だった。しかし、そうしなかったら、社会常識に疎い理解不能から、恐らく生きてはいなかったかとも。もちろん舞鶴鎮守府など気付かなかっただろう。共済組合無加入(健康保険証は身分証明書か)なども知る余地もなく。

2000年の新潟大学の大会が『プランクの記念大会』であった機会から、光の粒子性と波動性の統合的解釈に自分なりの解釈法を見つけた。翌年の、 28a YW 9  プランク定数の次元と実在概念 になった。この事が一つの、エネルギー論への道標ともなった。その前に、1998年の 2p-D-11 物理的概念とその次元 で、 JHFM 自然単位系の次元解析法を報告した。それは次元の根幹に、『エネルギー』の次元[J (ジュール) ] を据えた手法(平成2年完成)を提案した。

すべて空間に実在する『エネルギー』の形象として捉える解釈法を追究してきた。その中で、やはり『電荷』や『電子』を物理学理論での論拠とした解釈法に大きな矛盾があるとの確信に至った。それらは全て電気回路の基礎理論を考える過程で、誰もが学習した経験を持つような基礎的で、科学常識と成っている解釈の意味を、改めてその論理性を確認する事によって、大きな矛盾が潜んでいたことを知る。端的な表現として、電気回路の導線内には『電荷』や『電子』など流れ得ない事を『電流は流れず』と言う簡便な表現によって唱えても来た。

その後、ブログを書く自己確認の中で、『変圧器の奇想天外診断』 の実験的検証を得た。この実験結果は、電気回路の物理的現象は金属導体によって囲まれた空間内の材質が『エネルギー』の伝送を担う事を示した。電線被覆の絶縁材料の『誘電体』がその意味を示した。その記事にある『テスター』紛失事件や多くの『住所録』や過去の履歴類(医療関係も含む)の紛失(?捜査機関?)等の中で、耐えてきた。

大学教育に求められる「電気磁気学」 を唱えた。この記事の末尾に関連記事として、エネルギー その見えざる正体(2018/11/06)、瞬時電磁気学と概念 (2018/10/23) およびエネルギーで観る線路電圧 (2015/04/19) の三記事がある。然しその記事の解釈は、現在とは少し異なる。

『電気磁気学』で知って欲しいこと、それは電線路空間の『電圧』や『電界』と言う電気技術用語がどの様な空間の物理的意味を表現した概念かという事である。その物理的意味が分かり難かったから、誰もが『電荷』と言う仮想概念での解釈に甘んじて居たのだ。エネルギー その見えざる正体 と言う通り、『エネルギー』の空間に存在する空間像を認識できなかったのがその原因だ。

『電圧』とは、空間の二点間に存在する『エネルギー』の量(平方根)の、その分布ギャップを表現した技術概念である。

『電界』とは、その空間の『エネルギー』の分布密度(平方根)の勾配に関係した技術概念である。だから、『電界』を認識する空間には必ず『エネルギー』が存在するという意味を含んでいる。従って、空間に『点電荷』が一つあっても、その周りに『電界』が存在すると解釈するのは、二重の矛盾論である。

空間の『エネルギー』の存在を、その解釈法として、『電界』と『磁界』と言う二つの解釈概念で捉えたのがマックスウエルの電磁場方程式になる。その『エネルギー』に着目したのが『静電界は磁界を伴う』と言う意味である。

熱と光の科学論

(2022/12/29)。長く書きだしのままにあった。熱と光の科学論 とは何かと思うだろう。それは物理学理論で、それぞれ『熱』も『光』も別の専門分野の論述内容になるのだろうから。この様な標題にした訳は、特別何も目新しい事を述べようとした訳でない。いつも乍ら、学校教育で取り上げる電気回路の負荷が『白熱電球』の時、どんな教え方をすべきかの基礎理論の話である。

 白熱電球の発光原理。

 最近は科学技術が高度な物理現象を使えるため、LEDなるとても難しい発光原理の電灯が使われる。その電灯は熱エネルギーを極力抑え、エネルギー効率の高い発光原理に成っている。そんな電球の物理現象では、自然の仕組みの理解から益々程遠くなった理科教育に成ってしまう。科学技術だけが進展し、経済的競争の世界状況が現在の気象災害や海の魚介資源の消失など、人類の食糧危機などの生存限界に向かう恐れが高くなる。技術が進展しても、物理学理論の根幹の矛盾を気付きもしないでここまで来た、それは哲学の欠落と言う人類の社会問題でもある。

 熱と光の物理現象の理解には、白熱電球が教育上とても良い教材である。と言っても未だに、エジソンが発明した白熱電球の発光原理の解説が満足に教育で成されていないのだ。それは電気回路の『オームの法則』で、全ての解釈が可能になったとの科学常識が世界の認識に成っている。しかし、少し考えれば、『電圧』と『電流』と言う用語とその物理的意味を殆どの人が理解していないのだ。

 『電圧』、『電流』とはどんな物理量ですか❓
 こんな〈問〉にどの様に解説しますか。決して『電荷』や『電子』では解答できない事を考えれば分かる筈なのに、何世紀もその矛盾に気付かないで来たのだ。便利な『電圧』も『電流』も、それは極めて有用な科学技術概念であり乍ら、物理概念としては極めて曖昧な、論理的に矛盾の概念なのである。

 その矛盾を認識するには、白熱電球の発光原理を理解することが有効なのだ。そんな日常生活の中の日用品の物理現象が世界の物理学理論の矛盾を認識するに大切なのだ。

 白熱電球が発光する原理を、世界の物理学理論の根源概念『電子』でどのように解説できるかの問題なのだ。

 『熱』と『光』の物理量をどの様に理解しているかの単純な問題でしかないのだ。

 その解決は、空間に実在する『エネルギー』をどの様に認識するかの基本問題なのだ。『熱』も『光』も同じ『エネルギー』の姿なのだ。

結局、教育問題なのだ。空間を流れる『エネルギー』を取り上げない限りは物理学理論の矛盾解消、教育矛盾の解消の解決にはならない。

エネルギー と その道

(2023/01/24). 『エネルギー』にはその流れる 空間の道 がある。

 『エネルギー』と言う物理量がある。それはこの目の前の空間に溢れ返って、実在している。その物理量を認識できないとすれば、何も自然を知らないと同じ事にさえ思える。

 その『エネルギー』は実在しているにも拘らず、見ることが出来ない。見えないから、人は認識できないのかも知れない。その『エネルギー』の存在を、人が認識出来ないという事を、筆者はとても大きな社会問題と考える。それは教育上の重大問題と思う。

 取引用単位系がある。 MKSA である。M は空間の長さの単位メートル [m]である。K は質量の単位の重量キログラム [Kg] の [K] である。S は時間の単位秒の [s] である。更にA は不思議な事に電流の単位アンペアの [A]である。この [A] は取引用単位としては、たいへん問題のある単位である。電荷量の単位クーロン [C] の時間微分で 電流[A]=[C/s] と言うような意味である。自然世界に実在もしていない『電荷』を物理量基本概念とした誤りに論拠を置いたから。電流値の量[A]を取引量とは使用していない筈だ。
 
 『エネルギー』その物理量 [J (ジュール)] の取引量認識❓
 
 現代社会で、生活する限り『電気エネルギー』を使わずには済まない。気象災害、暴風雪によって停電にも見舞われる。ここまで、生活のライフラインとなった『電気エネルギー』を意識せずには済まなくなった。しかし、皆様はその『電気エネルギー』をどの様な物と理解しているのだろうか。
 最近は世界情勢がとても危険な様相の中で、エネルギー源の燃料が高騰して、身近な生活に関わる状況に現れている。『電気エネルギー』に対しては電気料金を毎月電力会社に支払っているから。その『エネルギー』と言う意味をどの様に認識しているのかがとても重要な社会的問題に思える。人の物理量認識の現代的社会問題として、子供たちの教育上の基本的課題として根底に関わる認識問題である筈だ。余りにも人が『エネルギー』と言う物理量に無意識過ぎると言わなければならない。
 1[KWH]=1000[J/s]×3600[s]=36×10⁵ [J]に対する倍数に対して電気料金を支払って経済活動の仕組みに組み込まれている。電気量の支払伝票をご覧いただければ、○○[円/KWH] でお支払されている筈だ。
 
 使用電力P[kW]を何時間 [H] 使ったかで『エネルギー量』何 [J]使ったかとなる。その『エネルギー』は何処を伝送された物理量かという事になる。その物理量『エネルギー』は様々な空間を伝送する。光や電波の『エネルギー』は広い空間をその指向性によってある方向に伝播する。津波災害の『エネルギー』は海洋の水面から海底までの断面積を陸に向かって伝送する。電気量の『エネルギー』は電線路導線で囲まれた空間を伝送する。

 その『エネルギー』の流れる物理現象を物理学理論できちんと教育に取り入れなければならないのだ。

 その事を問うたのが前の記事 エネルギー認識の物理学である。

 
発電技術とエネルギー伝送空間 (2022/05/01) の図である。

上の発電所から送電線路までの「電気エネルギー」、『エネルギー』はどの空間を伝送されるかをお答え頂きたいと思って、エネルギー認識の物理学の記事になった。
 上の図で、特にタービンと発電機を繋ぐ『軸接手』の の部分は金属体の軸の空間しか『エネルギー』の伝送する空間は無いのだ。
 それが 機械的軸動力 p=ωΤ[J/s] と言う断面積を通過する時間当たりの『エネルギー』になる。ただし回転角速度 ω[rad/s] 、負荷力に逆らって回転させるトルク T[Nm] である。
 その意味を理解するように、専門的学術理論を学ぶ前に、自然現象として教育すべきである。

 発電所の最初は、ボイラーで燃料の燃焼によって発生する『エネルギー』は『熱エネルギー [J]』である。その『熱エネルギー』を水の過熱で、『水蒸気の気体エネルギー』に変える。その水蒸気の体積と圧力の積の『気体エネルギー』をタービン羽に衝突させて、タービンの機械的『回転動力エネルギー』を通して、『軸動力』の『エネルギー』に変える。発電機では、磁極の回転子と電機子巻線の固定子のギャップ空間を通して、『電気エネルギー』の伝送変換を生む。その『電気エネルギー』は発電機から三相電線路の導体で囲まれて空間内を『エネルギー』が伝送されるのだ。その『電気エネルギー』は光と同じ『エネルギー』が電線で決められた道の空間を、ほぼ光速度で伝送されるのである。

 『熱エネルギー』も『機械エネルギー』も『電気エネルギー』も、みんな空間を進行方向に『縦に』流れる、本質として同じ『エネルギー』と言う物理量 [J] である。
その『エネルギー』を伝送する機能は、『電子』には決して有り得ないのだ。

 光の空間像認識 (2022/04/17) には『電気エネルギー』の物理量を考える意味が有る筈だ。そこには、光には空間像として『振動数』とは何かを考える根拠がある筈だ。少し考えるべき問題があるように思う。それは「一粒の光量子」と言う表現について、如何にも粒子状の物体と言う感覚的捉え方をされる可能性がある点が問題かと。

 

エネルギー認識の物理学

(2023/01/25).

光と熱の物理学理論の矛盾に翻弄されながら、『理屈』一つで学術理論に挑戦してきたような気分だ。お恥かしい乍ら、学術理論、特に物理学理論について専門的学習もあまり経験がない。電力工学(パワーエレクトロニクス)関係で少しは基礎的な学習をした。変圧器の作成からペンチと金槌による実験装置の自作での実験を通して感覚的に身に付けた。その他は電気磁気学の授業担当を2年間、ある機会に恵まれた事で、科学理論の根源に疑問が膨らんだ。
 物理学理論には空間の『エネルギー』に対する、その実在認識が無いようだ。この問題は幾ら論じても論じ足りない問題だ。この数年で、漸く科学理論の根幹と成っている原子論、その原子構造論にトンデモナイ間違いを犯していたのだと言う確信に至った。自然世界の『電荷』なる概念を持った物理的実体など存在しないという事である。だから原子核の『陽子』が正の『電荷』を持ち、『電子』が負の『電荷』を持つ等と言う、『電荷』に因るクーロンの法則的結合論は根本から矛盾の科学論であったのだ。
 自然界に溢れている、自然世界を構築する根源の『エネルギー』を、科学理論で認識していなかったと言う怖ろしい間違いで科学論が構築されてきてしまった事になる。それは科学者と物理学基礎理論を唱えてきた全ての方々の社会的責任でもある。
 誰に対する責任かと言えば、将来を担う子供達に対する教育の社会問題という意味でだ。子供達への理科教育と言う点で、とても大きな社会的課題と成っている。
その『エネルギー』と言う物理量・物理概念をどの様に認識すれば良いかと言う点である。現代物理学理論はとても高度で、一般市民が取り付くことが出来ない程、多くの狭い専門分野の集大成として茫洋とした全体像に隠れてしまっている。
 その矛盾した科学論の実体を端的に、具体的に示せば、簡単な電気回路の中に示せる。電気回路で『電子』など全く役にも立たない概念だと言う一点で良かろう。  
 懐中電燈の回路で良かろう。
 
 上の回路ほど単純な回路は無かろう。図の負荷ランプで、電力p₁[W]は放射光の電力で、p₂ [W] は放射・伝導熱の電力である。電池の供給電力がps[W] である。なお少し、標準的な解釈と異なるものがある。それは電線路の負側に青く記した部分のδ[J/m] であろう。また回路空間に示した、C[F/m](線路静電容量)と L[H/m] (線路インダクタンス)であろう。

〈問題〉 この回路で、電源から負荷ランプに供給するものは何でしょうか。負荷ランプの目的は何でしょうか。

こんな簡単な〈問題〉もなかろう。しかしどの様に皆さんがお答えなさるか❓

【回答欄】
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後日追記で回答を示したい。

訂正 知っている と 分かる

知っている と 分かる の記事を訂正した。
今日のダッシュボードにこの記事が挙がっていたので見たら間違いがあった。
電流の向きが逆であった。図を訂正した。
今日も、午後3時頃、上空を轟音を挙げてヘリコプターらしきものが行き過ぎた。まるで筆者に浴びせるかの如き轟音である。
何か、筆者に止めを刺すが如き轟音に思える。自動販売機で100円投入で電源が切られる数回の事件と同じく、関係者間だけで知る不可解な何方かの業務❓の如きに思える。精神的混乱を受ける我慢が何年も続いている。

科学技術と基礎理論

(2023/01/22).
 最近の数年間は、コロナウイルスに翻弄される異常な生活に追い込まれた。過去にも世界的な疫病に苛まれ、何度もその危機を乗り越えてきた。過去のその様な状況は、実際に知らずに経験せずに過ごした。この目に見えない『ウイルス』と言う強敵に、如何に科学者が立ち向かい、その科学的知見によって人々の危機を救うかと言う現実の状況を目の当たりにした。如何にその科学的叡智が有能な力であるかを見せ付けられた。日々の医学関係者の解説を聞いて、成程、成程と頷きながら、専門家のお話を傾聴させて頂いた。『ワクチン』と言う極めて専門的な医学的、科学研究の成果が人々を救ってきた状況は誠に、科学技術による社会的危機対応の成果として、その現実の姿に感謝した。その医学的科学技術の研究内容を、自分のような素人は理解仕様がない程、高度な専門性に救われていたのだと改めて感謝しなければならない。
 それなのに、それ程の専門的科学技術の恩恵によって救われているにも拘らず、科学理論の基礎分野を概観すれば、余りにもお粗末ではないか。物理学理論の基礎概念が『電荷』や『電子』あるいは『磁束』、そしてそれらの概念に依存した科学理論が多くの矛盾を抱えたままである現実を、如何に解釈すれば良いのか、とてもその社会状況を観護、黙認できない思いに駆られる。
 そんな思いから、多くの方々、特に教育関係者には不快な思いをさせる、反感を抱かせるような記事ばかりを書いてきた。物理学理論批判の記事は、誠に自分の力不足での不甲斐なさを思えば、忸怩たる思いに在る。
 そんな思いからも、書いた前の記事 光電効果とは❓ がある。量子力学に齧り付いて (2013/04/22)にも関わる。
 それらの記事を書く基には、工業高等学校での実習での蛍光灯についての経験がある。
 160[MHz]の高周波の分布定数回路実験である。40ワットの直管蛍光灯を電線路の間に挿入した。すると蛍光灯のその電線路に挟まれた部分だけが明るく光るのである。当時は筆者も量子力学などの理論が在ることも知らなかった。その蛍光灯の点灯に、『おや?』とその不思議、不可解に気付いたのは相当後になっての事である。蛍光灯の点灯現象の物理学理論の原理は、蛍光灯内の水銀の蒸発時の放射紫外線が蛍光灯管の内面の蛍光物質に所謂「光電効果」にょって外郭電子の軌道変遷を生み、その電子が基の軌道に落ちる時、その軌道の『エネルギー』の差分が可視光線となると言う、蛍光物質からの可視光放射現象が起きると言うような解釈である。しかるにこの実験の現象は、とても量子力学論によるものと解釈する事を許さない結果と考える。波長が2[m] の電磁波の中で、蛍光灯が点灯するのだ。蛍光物質分子に比べることも出来ない光・電磁波の空間分布『エネルギー』に因った放射光現象である。この時の疑問が、ずーと後まで頭の中で醗酵して、他の電気理論の原理・法則における疑念とが互いに関連して、結局最後の『電荷』概念否定への確信に昇華したように思う。『静電界は磁界を伴う』の実験結果発表は、インバーターの鉄心内の『電圧時間積分』による磁束量解釈による「アンペア―の法則」原理の否定など、全ての物理学基礎概念への疑いが消せないところに追い込まれた。その後の『磁場』空間の軸性エネルギー流解釈が最終的な、あらゆる科学理論の基礎概念の変革への確信となった。

光電効果とは❓

(2023/01/21).
光電効果と言えば、光に関する物理的現象の代表的なもので、誰もが理解して居よう。太陽光発電もその現象の応用技術だ。
 しかし筆者にはその物理現象の意味が理解できないのだ。その訳は、皆さんは光と言う物理的現象の実相をどの様に認識されているかが分からないからだ。筆者の解釈の光の空間像と異なるような捉え方に思えるから。『光の振動数』と言う物理的表現の意味をどの様に捉えているかが分からないからだ。
 光の寸法。

光の寸法

 光の振動数と言う用語はどの様な意味かを考えてしまう。学術理論は、とても難しい解釈理論に思えてしまう。それは、その解釈論がとても抽象的な概念に因っている事に原因があるように思える。
 
 光の振動数よりも光の空間寸法。
 
 筆者は余り専門的な学術理論を学習したこともなく、目の前にその物理現象の具体像を描けば、どの様になるかを先ず考えて理解しようとする。その為にはその概念の『次元』が如何なるかを確認する。だから光と言えば、その空間的像はどの様な物かと考える。上に、紫外線に近い光の波長の意味を示す。人の可視光線の波長λ[m]は最大波長7600Åから、その半分の3800Åの範囲らしい。その波長と言う長さは光の空間に占める寸法だと解釈する。光は空間を光速度 co[m/s] で伝播する。その光の基本単位の空間的に占める体積が λ³ [m³] ではないかと思う。光がその空間を占めるとすれば、その占める物理的実体は何かという疑問である。
 光は『エネルギー』の空間分布波である。光の物理的実体がエネルギーであると言う単純な捉え方である。その基本波の連続分布波の繰返しの到達波列を『振動数』と言う捉え方をした訳であろう。だから光は本質的に何も振動などしている訳ではないのだ。光は、ただ『エネルギー』の分布波が光速度で進行方向に伝播している『縦の流れ、即ち縦波』でしかないのだ。光も電磁波も同じ『エネルギー』の空間分布波でしかないのだ。自然は単純であり、純粋である。

 『光量子』という意味は、何も質量のような物が振動などしていると言う概念ではなく、単純に光の基本単位、波長の立方体空間のエネルギー分布波の繰返し、連続波列の一波長分を指すものと解釈する。

 光電効果、その意味不明。

 光の波長と原子寸法。光が原子の寸法 1 [Å] に作用して、その外殻周回の『電子』を弾き出すなど考えられない。原子寸法の数千倍の光の空間構造波がどの様な原理で、『電子』なる不可解な物体を弾き出せると言うのか?空間に繰り広げられる、『エネルギー』の遣り取りがどの様な具体的論理性で、可能かを解説されなければならない筈だ。余りにも、抽象的な解釈論で、具体的空間展開の論理性が欠落した物理学理論に成っている。光電効果論と言う解釈概念には、光の実体をどの様な空間像で捉えているかの具体性が全く見えない。その光の『振動数』と言う曖昧概念が全ての物理学理論の根源的、論理不明の原因と成っているのだ。空間の『エネルギー』の認識に欠けた物理学が『電荷』、『電子』概念を創り上げたのだ。

 『電子』が太陽光の『エネルギー』をどの様に電気回路の『負荷』に伝送できると考えるのか?その電気回路原理が全く解釈されていない。その現象の意味を全く考えていない。「考えない物理学理論」だ。無用の『電子』が物理学理論の矛盾を現在まで引き摺ってきたのだ。

大学入学共通テスト 物理

(2023/01/18)。
今年の物理の試験問題を見させて頂いた。問題作成の御苦労は如何ばかりかと頭が下がります。
第1問 は基礎問題と思う。その第1問の中で、問4と問5が目に止まった。その基礎問題であり乍らも、とても難しいもので、受験生も問題作成の先生方も本当にご苦労様と思わずに居られなかった。
その2問を見ただけではあるが、学習するという意味、教育するという意味を考えてしまう。光の振動数 その意味不明が試験の翌日から急に読まれてされている。それは光がどの様な物理量かを考えての結果と思う。問5.に関係したものだ。しかし、光の問題だけでなく、電気磁気学の論理そのものが矛盾を抱えたものだからだ。科学理論の根本から新しく構築し直さなければならないのだ。それは自然界に『電荷』など存在しない事実を基本認識に置かなければ成らない事になる。

 理科系の学問分野は自然と科学理論および科学技術理論との関わりに関するものである。その中でも物理学は特に自然現象を如何に解釈するかの学問である。しかし、入学試験問題は教科書の内容を如何に修得しているかを問うものになる。その事は教科書の内容が、自然現象を正しく解釈したものであると言う事が前提でなければならない。その点が重要な条件になる。学術理論が、物理学理論が自然を正しく解釈しているかどうかの社会的問題と認識して考えなければならない。
 しかし、物理学理論の殆どは、科学技術理論の解釈概念を踏襲したものであり、真に自然現象を説く論理性は担保されていないのだ。

 問4.
 今回の問4も、教科書の内容を理解しているかを試す問題だ。
ここで問題は、『磁場の向き』という意味である。『磁場』とは何か?電気現象、電気磁気学を学習した人は、誰もが『磁場』と言えば殆ど共通な解釈で理解していることになる。電磁石はコイルに流す電流によって発生する磁極近傍の空間に発生する磁気現象という意味で知っている。電流の流れるコイル近傍が強いと知っている筈だが、この問題のように磁場空間の磁気の強度は均一だと無意識に解釈しているか、伝統的解釈理論を鵜呑みにした科学リテラシーの意識化された専門的学習習熟論では、均一との条件で解釈する。マグネットの場合にはコイル電流という意味はない。だから無意識に磁場空間の磁界の強度は均一と条件を付けやすい。
しかし、実際にそのような均一と言う条件を満足する『磁場』は無いのだ。マグネットであれば、マグネットの周辺部に強く磁場が生じ、中心部は殆ど磁界は無い。
 また、コイル電流による電磁石であれば、やはり周辺部に巻いたコイルの近傍が強い磁気空間となる。
 ただ、電磁石で鉄屑などを吸い付けると複雑に鉄同士が磁気の空間を構成するから、中心部も強い磁場空間の様相を示す事になる。
 問4 の磁場の空間強度は、均一との条件を暗黙で設定したものである。
だから、残念ながら、実際に問題のような磁場空間での実験で、図のような自然現象は決して起きないのだ。それはあくまでも、教科書の解釈を、教育内容を覚えているかを問う問題であるから止むを得ないかも知れない。
 この問題のような状況が実験的に示されれば、それは正しいと言える。しかしそんな状況を実際には実験できないし、決して問題のような結果には成らないのだ。あくまでも教科書の解釈の内容の意味を理解ではなく(理解などできない自然現象の解釈論だから)、覚えているかを問う問題でしかなのだ。殆ど、『磁界』とはどの様な物理的状況かに疑問を抱かないようだ。『磁束』など自然世界に存在などしないのだ。みんな人間が一つの解釈用に創造した仮想概念でしかないのだ。

 問5.それは有名なプランク定数と言う、とても貴重な発見に負う光に関する問題だ。光を光量子と言う概念で捉えた理論に関する問題だ。全ての光が、その物理的特性として、一つの定数即ちプランク定数によって解釈出来る不思議な性質を持っているという事である。単位が[Js]の定数 h で表現された物理概念である。物理概念量の表示する意味を理解するには、その次元の物理的意味を理解することが欠かせない。単位がエネルギー量の単位ジュール [J] と時間 [s] の積で評価される定数とは一体どのような物理的概念であるかを理解することが大切である。その意味を感覚的に捉えるための苦しみを経て、初めて光の意味が分かる筈だ。そこには、光がどの様な物理量かを認識する必要がある筈だ。光は空間を伝播するのだから、空間を占めるその空間像がある筈だ。その像をどの様に捉えるかに掛かっている。空間の質量のない『エネルギー』を認識できるかどうかだ。光に振動するようなものは何も無いのだ。水面波も何も振動などしていないのだ。電磁波も何も振動などしていないのだ。『波』とは何が伝播する現象かを理解しなければならない。抽象的で、曖昧な解釈ではいけないのだ。光の同じ物理現象だ。

 大学入試問題は、教科書の内容、授業指導内容を記憶しているかを試す問題に思える。決して自然現象に興味を持ち、その不思議を理解しているかを問う問題ではない。疑問を抱かず、不思議な現象と理解出来ない事に悩んだりすることを否定され、只教科書の内容を記憶することが求められる。苦しくても、その我慢に耐えて記憶する事が大切な勉強と言う事で有るかの如くに思える現状の教育。考えない、疑問を抱かない教育の制度に思える。

アーク放電と理論物理学

(2022/08/13)。

雷は強烈な発光現象を呈する。

太古から天空の自然現象として、その意味に神懸かり的な虞を抱いてきた筈だ。

右は、人がそんな不可解な思いを抱くものを、一つの形で表現して見たものだ。2011年の作図だ。

 

 

電力工学とアーク放電。

アーク放電現象は電力技術では送配電系統への雷撃の障害を避ける事を対象にした研究対象でもある。右は「アーク放電(火花放電)」の様子を示す例である。

 

 

アーク放電。図ではフラッシュオーバーと表した。電力工学ではこの火花放射現象は全て『電荷』に因ると解釈されている。

その火花放電現象がどの様な物理的作用で起こるのか?

雷は決して『電荷』と言う仮想物理量などに依るものでない。水蒸気の『熱エネルギー』がその原因である。落雷とアースの物理的意味 (前の記事)で述べた。放電が起こる前、その空間に『エネルギー(熱)』が貯まり、貯蔵限界を越えて起こる熱爆発現象だ。

しかし、普通の熱現象、例えば白熱電球の発光現象と違い、全く熱輻射が見えないまま、突然空間が発光源としての爆発現象を呈する。

寒い乾季の中で、突然見舞わられるショックがある。電荷による放電と言うが、『電荷』など自然界には存在しないのだ。この火花放電現象は一体何が原因で起こるのだろうか。ドアと人の指との間で、何が大きな違いかと言えば、それは『温度』差である。『温度』差を生む原因は何かと言えば、『熱エネルギー』の差である。丁度電気回路の電源である電池の陰極側が高い『エネルギー』の分布側に成っていると同じ状況である。その『エネルギーギャップ』が原因のギャップ解消現象である。

焚火による光も蝋燭の光も、どちらも光の物理的本質に違いが有る訳ではない。光は光である。
自然世界は『電荷』等と言う特別のものを保有する程複雑ではない。極めて本質は単純で、純粋である。質量も『エネルギー』の局所化現象の結果でしかないのだ。
物理学理論の最大の誤謬が『電荷』の概念を創造して作り上げられた事である。