日別アーカイブ: 2022年11月14日

鳥海山の山頂岩石を見て

今日テレビで、鳥海山の山頂が映されていた。

改めて、検索した。

鳥海山 新山山頂の岩-木めぐり像めぐり。の記事の写真。

岩石に罅(ヒビ)が入り、独特の姿を現している。その解釈に溶岩という意味が記されている。しかしそれは間違いだ。庭に一つの石がある。その石にいつの間にか罅が入り、独特の割れ目を呈してきた。

その割れ目。

(1)

石ころの全体像。花壇の仕切り石にした最初の、硬い石の面影は既にない。数十年の時で、崩壊し始めた。見える自然の姿は儚いのかも知れない。

(2)

何時頃かから、石ころに割れ筋が入り、徐々に全体に罅割れが広がった。

(3)

先端部の割れ目の拡大。

岩石の罅割れ。岩石が溶岩によって出来たという専門家の解釈が信じられない。

山の山頂の岩肌には、その姿が火山噴火による溶岩に依った過去の姿を背負っているとは考えられない。山は巨樹の化石化した姿と、その岩石の形から捉えたい例が多くみられる。

川、大河には、その川独特の石が多い筈だ。信濃川には浅葱色(葱の葉色)の硬い石が多い。川によって、そこに在る小石も独特の特徴をもっている。代表的な例は新潟県の糸魚川に流れる姫川であろう。翡翠という石も、過去に地球の歴史を秘めた物として今ある筈だ。決して火山噴火の溶岩からとは観えない。

棲む近くの山を御覧なさい。高い山も、低い丘も、その山はどの様にできたのか。長い地球の歴史を背負って、今そこに在る筈だ。決して初めから有った訳ではない。太陽光線によって成長する生命体は植物しかない。植物、巨木が岩石となり、その石、岩石が徐々に崩壊して土となり、今そこに山となって有ると観る。植物によって成長する動物も多い。その過去の長い歴史を秘めた化石が無数に、人が知らないままに在る。宝石も当然その歴史の産物だ。

庭に在った石を花壇の仕切り石に使っていた。いつの間にか気が付けば、罅割れて、間もなく石の形を保てない程に崩れて行くであろう。そんな変化を見せてくれた。

鳥海山の岩肌を見て、庭の石の変り方からの観察観の披露とする。

エネルギー その不思議な物理量

『エネルギー』それは物理量だ。

エネルギー(energy)とは?(2011/09/07)  から始まった。エネルギーその捉え難さ、その認識の難しさ。

見えるもの 見えないもの  (2015/03/12)。それは測れるもの 測れないもの、とも言い変えたい。測れるものには『電圧』、『電流』等がある。『電圧』も『電流』も科学技術理論に因って測定可能となった計測器がある。またその値が時間的に変動する場合では、オシロスコープでその波形も観測できる。だから『電圧』も『電流』も決して自然世界に存在しない物理量だ等とは思わない。しかし、『電圧』とは何か?と尋ねられた時、どの様な物理量を定義したものだと答えられるだろうか。恐らく『何』を定義したものかを説明できなかろう。『電荷』で解釈するか、『磁束』で解釈するか?それが空間の『エネルギー』の状況を解釈した科学技術用の概念量だとは余り解釈されていない。『電圧』、『電流』が自然世界の現象を利用する手法として開発し、創造した概念量であると認識しているだろうか。

測れないもの、それが『エネルギー』だ。しかし、測れる『電圧』も『電流』も、その測定技術は神業かとさえ思える程の優れた科学技術的智慧によって完成したものであり乍ら、その物理量が何を指すかは不思議にも分らなかったのだ。測れる、測定値が示せるという事で、それ等の意味を深く考えなくても済むほど優れた技術概念量となっているのだ。殆ど矛盾など感じないから、誰もその正体を解き明かそうなどとは考えないで済んだ。

しかし、全ては空間の『エネルギー』の量とその分布状況を解釈し、決めた技術概念量だったのだ。『エネルギー』一つの解釈表現量だったのだ。

コンデンサのエネルギー。

コンデンサの『電圧』とはどの様な意味か。この様な事は『電荷』という物理学理論の基礎概念が、この自然世界に実在するとの余りにも有り触れた、科学論の常識によって、世界の科学者の唱える内容になっている。従って一般の市民がその高度な科学論に異議を唱えるなどできない。学校教育も、世界の科学論も『電荷』や『電子』を否定する人は居なかったと言って良かろう。しかし筆者はその『電荷』の怪しい物理学的定義、捉え方に疑問を抱いた。その意味を『静電界は磁界を伴う』という口頭発表を昭和62(1987)年4月電気学会でした。然し様々な過去からの繫がりで、科学研究者としての身分が不可解な実状のままで、30数年間過ぎて、その科学研究結果を科学論文として残せなかった。一時期は物理学会で、10年ほど発表をして、その『電荷』矛盾の意味を総合的科学論として纏めたかったが、事情により止む無くブログでの自己問答形式による総合科学論の取りまとめに切り替えた。考えて跡から気付く。今でも不可解な事は平成3(1991)年4月に電気学会の学会費未納により電気学会の除名処分となった事に成っているが、筆者は一度も電気学会の会費を収めた事が無かったのだ。何方に収めて頂いたかも分からない。学会論文の筆頭者として掲載までして頂いた(1986.4.)など誠に有り難く感謝です。

先日、湯川秀樹 渾沌そして素粒子 で17種の素粒子の専門家の論理に何故『電荷』の『正』と『負』が入らないかと不思議が膨らんだ。陽子も電子もその基が17種の素粒子から成り立つとなれば、『電荷』も当然同じ意味で、それらの素粒子から成り立つ事に成ると筆者のような門外漢には思える。『電荷』という物理概念の不可解が膨らむ。物理学理論で『電荷』が理論の中心にある現状を見れば、少なくとも素粒子論の専門家が一般市民が分かるようにもっと具体性をもってご解説頂かなければ、専門家という不可解さが世界に混乱を残すようになって欲しくない。『エネルギー』が存在しない世界になってしまうから。

物理学理論(電荷と電圧)の論理性❓ として次に考えてみたい。

誠に申し訳ないが、『エネルギー』の意味の我田引水と非難されても、易しい誰もが納得できる、総合科学理論であって欲しい。