月別アーカイブ: 2022年11月

マックスウエル方程式と エネルギー波

1864年に発表されたマックスウエル電磁場方程式は電気磁気学のまとめとなる理論方程式と見做されよう。

偏微分方程式で表記される電磁界の解釈論とも見做されていよう。

その空間伝播する電磁波がその方程式の解釈波形として示される。

しかし、その波形は電波の波形としては間違っている。電界と磁界が交互に、電波の進行方向に空間的に分布しているように表現される。

それは電界による変位電流によって、アンペア―の法則による磁界が発生するとの解釈に因るからである。

電波は『エネルギー』『光』の縦波伝播現象波である。空間を流れる『エネルギー』の空間密度分布を電界とも磁界とも、解釈していると観なければならないのだ。決して電界(変位電流)が磁界を作り、磁界が電界を発生させるのではないのだ。電波は空間を伝播する『エネルギー』の縦波(進行方向に光速度で伝播する波)でしかないのだ。人が、マックスウエルが、その空間分布の『エネルギー』を電界と磁界で解釈し、相互に原因と結果として捉えた解釈法で、そこが間違っていたのだ。

それが、『静電界は磁界を伴う』の実験が示した事だ。電界とか磁界という別の電気量がある訳ではないのだ。

危うい原発運転期間の算定

大変気掛かりな最近の原子力発電所運転延長政策。

運転停止期間を発電所経過年数に計算しないと言う政府方針が唱えられているようだ。

原子力発電所に限らず、科学技術設備・製品の「運転停止期間」は様々な意味を持っている。

その中でも、原子力発電設備は技術の総合巨大制御技術設備だ。隅々まで、一つとして欠陥があれば、一穴の欠陥がどの様に制御系全体に影響するか計り知れない危険性を含んだ状態になる。

『運転継続』と『運転停止期間後の再運転』の巨大制御システムの安全性には、大きな差が潜んでいると見做さなければならない。

『運転停止期間』の設備については、日常の点検も、設備の動作監視も停止していた。運転中より気付かない設備の腐食も発生し易い筈だ。そこに気付かない『一穴』がとても大きな安全性を損う可能性となっている筈だ。

長い期間の『運転停止原子力発電所』の運転再開は大きなリスクを抱えていると思えば恐ろしい。

逆に『運転停止期間』は通常の運転期間の数倍に考えるべきと思う。

『力』の概念

『力』という概念は物理学理論でも、その根本を成す重要なものであろう。

『力』には、遠隔作用力と近接作用力の二つがあることになっている。

近接作用力。

その例には、人や機械が仕事で『力』を発揮するような場合が挙げられよう。物を持ち上げる。最近は自動車が運ぶから、重量物を人が運ぶことも少ないが。暴風の風圧に飛ばされる。川の合流点での水流間の加圧力。摩擦力。津波の水圧。ロケットの打ち上げ推力。電気洗濯機の攪拌力。蒸気発電所のタービン駆動力等限りなくある。『力』を発生する原因と、『力』を受ける対象が明確だ。一般的に日常生活に関係深く認識可能なものが多い。この『力』は科学技術力としての具体的研究対象として重要な意味を持っているようだ。この近接作用力は学校理科教育での対象として、余り取り上げない。飛行機の揚力。これは理科教育でも重要な近接作用力として取り上げられる。

遠隔作用力。

物理学理論での対象となり、学校理科教育の学習対象となる様だ。重力運動。クーロン力。万有引力。

運動方程式で、質量m[kg]が加速度α[m/s²]を受ければ、その質量に『力』 f=mα [N]  が掛かることになる。質量は速度が変化しないように慣性を以って抵抗する機能を持っている。だから、質量のない物理概念体には『力』は掛からない。

〈クーロンの法則〉はその意味で、『電荷』間には『力』は生じない。それがクーロンの法則の矛盾点だ。質量のない物理概念体に、もし『力』が掛かれば、速度の変化を妨げる慣性が無いから、直ちに加速度概念のない、論理矛盾のままに無限速度となってしまう非現実世界の物理学理論となる。

〈万有引力〉はニュートンがリンゴの落下と関係付けて発見したとのお話で語られてもいる。それは余りにも有名な『力』の概念の物理法則である。〈万有引力〉の法則は、『力』の原因が、力による速度の変化に抵抗する慣性体の質量同士間だという意味だ。『力』による速度の変化を妨げる慣性の機能体である質量が、逆に遠隔作用の引力の発生源であると言う誠に奇妙な力学理論である。質量と言う慣性体間に『力』が発生すると言う、そんな事があり得るのかと疑問に思う。確かに、日常感覚として地球上で落下運動の加速度現象を解釈するには〈万有引力則〉は感覚的に納得し易く、深く考えないならば、現象の解釈論として分かり易い。しかしその解釈に、力学理論としての論理性があるかとの疑問を打ち消すだけの論拠が観えない。

『磁力』。

『力』という概念で、身近に経験する『磁力』を取り挙げなければならない。その『磁力』にはとても深い『力』についての自然現象の意味が含まれているのだ。

この『磁力』は近接作用力か、あるいは遠隔作用力かと考えてみる。さてどの作用力と解釈しますか?

『磁力』は誰もが実際の生活上実感できる筈だ。しかし、その『力』の物理的原理、あるいは解釈法をどの様になさいますか?『磁力』はマグネットに現れる力であるから誰でも知っていよう。しかし、その物理的空間の状況をどの様に解釈しているだろうか。先ず、『磁界』とは何か?更にその空間に現れる『磁束』の物理的意味をどの様に解釈するか。そんな基本的な事から考えなければならない筈だ。初めに結論を述べれば、元々電流と言う電磁気概念さえ自然世界にある訳ではなかったのだ。それは電気現象を人が利用するに便利だからという捉え方で、定義した科学技術用概念でしかなかったのだ。だから、『磁束』も自然世界に、この空間に存在する物ではないのだ。然し人類の自然利用解釈の知恵で、優れた解釈法として編み出した叡智の賜物でもある。だからと言って。『磁束』が実在する自然界の物理量では決してない事を理解すべきなのだ。その上で、科学技術概念として如何なるものかを知らなければならない。

磁界ベクトル Hとは何か?

磁界と言う物理的空間の状況をどの様に説明するか。磁界の単位・次元は物理学では [A/m] とする。[A]は電流の単位で、その電流の流れる導体の中心から垂直の離隔距離の空間点に発生すると解釈する空間の状況を磁界 H [A/m] (= I[r/r]/(2πr²)と定義する。磁界に対して、その点で磁束が空間に生じるとする。その磁束密度をB =μoH[Wb/m²]とする。ただしμo[H/m] はその空間の透磁率として定義する。

以上の磁界の概念を理解した上で、『磁力』の物理的現象をどの様に解釈するか?という事になる。

『磁力』の強さとその状況。

マグネットを向き合わせれば、強い『力』が働く。N極と S極の二つの磁極で、同極同士を向き合わせれば、強く反発して突合せられない。異なる磁極同士を向き合わせて近付ければ、その距離が小さい程強烈に引き付けられる。

マグネット間の『磁力』の状況を『磁束』で説明できるだろうか。マグネットを近付ければ、『磁力』が急激に強くなる。その物理的原理は何だろうか?『磁束』で説明が付くだろうか。マグネットを近付けた時『磁束』がどの様に変化して『磁力』が変化すると解釈できるか❓その『何故か?』という疑問に真剣の向き合う事が物理学の在るべき姿勢だ。

『磁力』は軸性回転エネルギー流がその本源である。

  • コンパスは何故北を向くか。
  • ハリケーン、台風は何故回転するか。
  • 太陽系は何故軸性回転流か。
  • 渦潮の物理現象。
  • 地磁気は地球表面のエネルギー流が原因だ。
  • 独楽は軸性エネルギー流の姿だ。

『力』は近接作用力に在る。

『負』という概念

身の周りに在るもの、それは全て『実在』という概念の範疇に入る。それは在るか無いかによって意義付けられる。

しかし、科学理論の根幹を支える一つの実在するが如くに、科学者によって唱えられてきたもの、それが『電子』だ。

世界で、『電子』以外に『負』の実体と見做されるものがあるだろうか。

物理学理論で、『電子』という物理学的実体が存在して、それが原子論の原子核周りの電子周回構造解釈はじめあらゆる自然世界の物理学的解釈の原理となっている。それが『負』の物理量だという。

『負』という存在が一世紀以上に亘って、この世界でただ一つ『電子』として、人類の解釈概念で認められてきた。

それ程の不可解❕それが科学論理の矛盾の原点だ。哲学の欠けた科学論に論理性は担保されない実例となった。

炭素結合の秘め事 (2012/04/15) で原子間の結合も原理が分からない事を書いた。

不可解に驚いて❓

11月18日に、次の二つに記事を投稿した。

1.物理学理論(電荷と電圧)の論理性❓

2.温故知新も観点一つで (電磁誘導電圧と電荷)

記事を投稿するのが筆者や誰かに悪い事なのか?と思うぐらい状況に変化が起こる。

表示数の急減の不可解。

記事を御覧くださる数:「表示数」が最近は少し多くなった。しかし、18日以降、急に三分の一に急減した。何が原因でそのように成るのか投稿者が知らない不気味さ❓

しかし、上の記事の内容は今までの長い年数を掛けた科学理論、現代物理学理論に対する、本当の基礎的認識の到達点の具体的論点でもある。

『電荷』の物理学基礎概念としての科学常識の根本的過ちを放置しておく訳にはいかない。こんな誤った物理学を、未来の世界を託す子供達に教育で続ける過ちは許せない。

その記事がどの様な意味で『検索制限』が欠けられるような事態に成るのか?誰か、何機関?かが何らかの関りを以って『検索制限』を掛けているとしか理解できない事態だ。

取り上げた科学論問題の具体例。

電気回路現象で、コンデンサに溜まる物理量は何か。

こんな回路で『電荷』が本当に存在すると物理学の専門家は解釈するのか?世界に問う。

11月18日以降下書き。 2022年11月30日に投稿。今も閲覧制限か?シンクロスコープで波形観測したい回路現象(変圧器の奇想天外診断 に関係した)の確認もあるのだが、研究室も持った経験がなく、不可か❓意味不明のままに在る。

温故知新も観点一つで (電磁誘導電圧と電荷)

自然科学理論とは?

自然世界は余りにも深く複雑だ。身の周りの景色に見える姿、動植物の多様な営み、どれも不思議に満ちて、理解などできない。

その不思議を読み解く科学が自然科学であろう。

しかし、自然を読み解こうとする思いと同時に、人はその利用に思いが強く向く。そこに人の想いと自然世界の間に大きな隔たりも出来た。それが自然科学という人の解釈理論の自然から離れた誤った姿を創造してしまった。

科学技術用の解釈理論と、自然解釈の純粋であるべき理論物理学の間に、論理的な矛盾と不可解な統合失調症の理論体系を生んでしまった。

人類が自然解釈の切り札として多くの解釈概念を創造してきた。しかし、その概念は人の特殊な専門という狭い分野から観た、その分野用の解釈簡便概念であった場合が多かったのだ。人の一生も短いから、自然の特殊な分野に限る対象に成らざるを得ない宿命でもあろう。そこに、全体から自然現象を捉える観点が欠けても止むを得なかったのかも知れない。

科学理論の最大の過ちは、自然界に存在しない『電荷』概念を創り上げてしまった事である。それは科学的に測定できない、観測できない、空間の『エネルギー』の存在を見忘れて来た結果である。自然界を支配するが、それは人に見えない『エネルギー』であれば止むを得なかったという事にもなろう。空間に流れる『水蒸気』の量が計れないように。その『熱エネルギー』も科学的測定法で測れない筈だから。光の空間の『エネルギー』の量が計れないように。

単純な電気回路で、その解釈理論である『電磁誘導現象』と創造概念『電荷』の間の関係を考えてみた。

電気磁気概念には多くの定義された概念の物理量がある。19世紀初めに、ファラディーが唱えた『電磁誘導現象』がある。それは現在の変圧器の科学技術理論として欠かせない法則である。変圧器は交流電源の電力設備として必須な機能機器である。電力エネルギーの送配電網構築に欠かせない。変圧器機能は『電圧』という電気概念量の値を自由に変換できることである。交流電圧と言えば、変圧器の誘導電圧が連想される。

電気回路要素コンデンサと『電荷』。

一方、電気回路にはコンデンサという特徴的な機能要素がある。その機能は何か?コンデンサはどの様な機能で特徴を捉えるか?おそらく『電荷』を貯める機能要素と思うのではないか。自然法則としては、『電荷』など存在しないのだから、コンデンサに貯蔵するのは『エネルギー』以外無い筈なのだ。そこが現在の教育用「教科書」の解説と全く異なる事に成る。自然世界の解釈として教科書の『電荷』解釈論が間違っているのだが、その社会的問題をどの様に解決するか?その事のために、陰ながら長い生き方改革の実践を通して、研究を積んで来た。1987年4月の『静電界は磁界を伴う』の発表は、この誤った『電荷』概念否定のためであった。その余りにも途方もない、反科学論で受け入れ難い筈だっただろう。30数年という長い年月を通して、具体的な回路現象について多くの事例でを解説しながら、自己確認を通してここまで来た。過去の貴重な科学理論も、観点一つで観方が変る、その具体例として上の回路図を挙げる。

図の電圧の概念と解釈。

変圧器二次電圧:v[V]。

v = n(dφ/dt) [V]             (1)

負荷コンデンサ電圧: vo[V]。

恐らく、コンデンサ電圧の意味としては、教科書に依れば『電荷』概念を取り入れて解釈する以外ないだろう。本当は『エネルギー』を貯める機能要素なんだが、電気理論ではその『エネルギー』が流れる回路という認識が無いから、止むを得ない。+と-の『電荷』が両電極版の表面に集電すると解釈する。その『電荷』量をQ[C(クーロン)]とする。

vo = Q/Co [V]                   (2)

さて、電源電圧vもコンデンサ電圧voも同じ電圧値である。

その電圧値の単位ボルト[V]で、同じであり乍ら図に示したようにその『次元』は、磁束φの[Wb] と電荷Qの[C] によって評価する。従って、同じ二本の電線間の電圧の意味も違った解釈概念となる。

[Wb/s]  と  [C/F] と中身が違う。

教育での理科あるいは物理学では、その磁束φという物理量と電荷Qという物理量の概念を当然突き合わせて、その概念の表現する中身を考えるべき学問に対する責任がある筈だ。しかし『何故?』という自己問答もせず、その事を考えずにここまで来てしまったのか?

その根本原因は、学問という学術機関の研究における『専門性』『専門家』という狭い特殊な研究対象と環境が為せる業であったと考える。

変圧器巻線は銅などの金属導体である。導線は、その内部は何処までも同一状態である。基本的に導体内には『電界』という『エネルギー』の分布差はない。ほぼ同じ導体温度の『エネルギー』レベルにある。電気現象はその導体によって囲まれた空間内の『エネルギー』の分布によって決まるのである。変圧器巻線内部で、『電荷』が正と負に分離するような現象が起きる筈はないのだ。変圧器の二次電圧はその端子から、『エネルギー』を電線路空間内に供給するだけである。決して、『電荷』など変圧器巻線には無関係である。だから変圧器電圧をコンデンサに印加しても、決してコンデンサに『電荷』を供給するようなことはできないのだ。

物理学理論(電荷と電圧)の論理性❓

〈まえがき〉大学でも高専でも、自分の名前の研究室に入った経験がない。今でも周りに異常な様子が見て取れるが、自分の研究室が無くて、正規の研究活動が出来ない。舞鶴鎮守府への戸籍転籍(1939.12.1)。先日、新潟県十日町市の故郷の除籍謄本を取り寄せた。前戸主:金澤喜代治。そこの筆者の関係事項の印鑑が全て削り取られて村長(南雲)印が判明できなくなっている。法務省、内務省(今の総務省)?不可解は山のように有り、全ての原因がそこに在るか?研究者としての活動の場がないようだ。

昭和63年3月。『静電界は磁界を伴う』を論文誌へ投稿した。しかし、どうも所属機関としての身分が無かったようだ?今、自己分析すれば、初め(新潟県立新津工業高等学校)から職歴不明のアルバイトだったのかと?当然、それ以上頑張り様が無かった。4月初めに、イブ・モンタン氏が来日されたのが印象に残っている。しかし、科学論における『電荷』の概念は全ての基本的論拠となる根源的概念として絶対的なものであった。その根源的な概念の真偽に挑戦できるのは残念ながら他に、解決される方は居ないと思っていた。それから30数年間、壁に向かって自己問答を繰り返してきた。今、ハッキリと分かった。『電荷』概念に基づく科学理論の過ちを正す時だと。自然は純粋であるからこそ人が解釈しようとすれば途方もなく複雑に見えるのだと。素粒子は渾沌、『エネルギー』に如かず。

『電圧』と言う技術電気量が何を意味しているか?

『電圧』と言えば、誰でもその用語の意味位は分かる筈だ。乾電池も1.5ボルトと知っている。誰でも知っている筈のその『電圧』の物理的概念は何ですか?と科学論として問答にすると、理論物理学の専門家さえその物理的概念を的確に解説できないのではないか。それ程科学技術用語、科学理論には不可解な、分かり難さが溢れかえっているのだ。

科学理論の社会的課題。

『電圧』や『電流』のような科学論の基本的常用用語の意味の分析。その意味を考える事が現代物理学理論の社会的意義を考える事に繋がる。自然世界に『電荷』などは存在しない事を認識する事である。何世紀にも亘って、科学理論の論理の根拠としてきた『電荷』が存在しないと言う科学論理の革命に直面しているのだ。その意味を、電気回路要素の『コンデンサ』を具体的な考察対象として取り挙げて論じる。コンデンサに『エネルギー』を貯蔵すると言う。そのように言葉で表現した時のその内容をどの様な意味と解釈するか。コンデンサは二枚の金属導体版で構成される空間が示す電気的機能を指す。『何』をその空間に蓄えると考えるか。恐らく科学理論に精通している、あるいは電気回路理論を学習した、ある程度の電気現象を知っている人は、先ず電極版に『電荷』が集電された状況を思うだろう。それが教科書の解説であるから。その『電荷』による解釈の矛盾をここで解説したい。矛盾という事。それはITで⦅コンデンサで充放電するものは何か?⦆と尋ねると、その回答は必ず『電荷』での解説となる。それは充放電すると言う『電』の語が入っているから止むを得ないかも知れない。しかし、『電』の字は決して『エネルギー』と結び付かない。この『電荷』の問題は大学入試問題にも関わる事であろう。大学入試問題例(エネルギー問題) 2021/05/25) にも取り上げた。

コンデンサの機能考察回路例。

コンデンサに方形波電圧を印加した回路現象を考える。具体的な考察内容を電気回路現象での『電荷』解釈論の矛盾を対象とする。物理学理論は、ややもすると理論に偏り易く、具体的な現象を踏まえない傾向がある。そこで、具体性を加味して、電源電圧を変圧器を通した方形波電圧とする。それが次の図①である。

コンデンサはエネルギーの貯蔵機能要素。 決して『電荷』等貯蔵しない。
コンデンサ電圧とエネルギー

コンデンサのエネルギー貯蔵現象。

コンデンサと言う電気回路要素はインダクタンスと共に、電気回路現象を解釈する基本要素である。そのコンデンサは『エネルギー』を貯蔵する機能でその特徴を発揮する。

コンデンサの『エネルギー』。

コンデンサに貯蔵する物理量は『エネルギー』である。決して『電荷』など貯蔵しない。自然世界に『電荷』は存在しないから。その意味で電源電圧が変圧器を通した方形波電圧とした。物理学は総合的な理論体系である為には、多くの具体的な回路現象に、広く矛盾なく適応できなければならない。

変圧器を通したコイル内で発生する電圧に、『電荷』がどの様に発生し得るか。

変圧器のコイル内で『電荷』が発生できなければ、コンデンサに『電荷』は貯蔵できない筈だ。変圧器の発生電圧はインバーターでは方形波となる。その変圧器発生二次電圧が方形波の時、その電圧の発生物理現象をどの様な原因と解釈するか?

図の②で、電源電圧に対する回路の動作はコンデンサ負荷を伴う回路全体の回路定数で決まる事を示した。その空間の『エネルギー』の回路共振を伴いながら、負荷コンデンサCo[F]の貯蔵『エネルギー』δoが電圧極性に従って、電極内の空間で何方側かに移動するだけである。電源との間での『エネルギー』の移動も必要がない。勿論『電流』概念に因る自然界に存在しない『電荷』の移動など考える必要もない。当然『電子』などの解釈は間違った電気理論の教育による弊害でしかない。電源電圧が方形波である場合は、図③のようには頭部で僅かな振動現象が現れる。

電圧発生電源と電圧の物理概念は❓

コンデンサに貯蔵するのは『電荷』でなく『エネルギー』である。しかし電気理論は、教科書は『電荷』による科学論である。上の回路例は電源電圧が変圧器によって発生する場合を取り上げた。その訳は変圧器巻線内で『電荷』が発生し、外部回路に送出できるかを考えて欲しいからである。変圧器巻線内で、『電荷』のプラスとマイナスがどの様に分離できるかを考えて欲しいからである。更に普段あまり経験しない電圧波形が方形波の場合を採り挙げた。電源が正弦波の普通の変圧器の波形の場合が分かり易いかと、次の記事、温故知新も観点一つで (電磁誘導電圧と電荷) で別に述べる。

鳥海山の山頂岩石を見て

今日テレビで、鳥海山の山頂が映されていた。

改めて、検索した。

鳥海山 新山山頂の岩-木めぐり像めぐり。の記事の写真。

岩石に罅(ヒビ)が入り、独特の姿を現している。その解釈に溶岩という意味が記されている。しかしそれは間違いだ。庭に一つの石がある。その石にいつの間にか罅が入り、独特の割れ目を呈してきた。

その割れ目。

(1)

石ころの全体像。花壇の仕切り石にした最初の、硬い石の面影は既にない。数十年の時で、崩壊し始めた。見える自然の姿は儚いのかも知れない。

(2)

何時頃かから、石ころに割れ筋が入り、徐々に全体に罅割れが広がった。

(3)

先端部の割れ目の拡大。

岩石の罅割れ。岩石が溶岩によって出来たという専門家の解釈が信じられない。

山の山頂の岩肌には、その姿が火山噴火による溶岩に依った過去の姿を背負っているとは考えられない。山は巨樹の化石化した姿と、その岩石の形から捉えたい例が多くみられる。

川、大河には、その川独特の石が多い筈だ。信濃川には浅葱色(葱の葉色)の硬い石が多い。川によって、そこに在る小石も独特の特徴をもっている。代表的な例は新潟県の糸魚川に流れる姫川であろう。翡翠という石も、過去に地球の歴史を秘めた物として今ある筈だ。決して火山噴火の溶岩からとは観えない。

棲む近くの山を御覧なさい。高い山も、低い丘も、その山はどの様にできたのか。長い地球の歴史を背負って、今そこに在る筈だ。決して初めから有った訳ではない。太陽光線によって成長する生命体は植物しかない。植物、巨木が岩石となり、その石、岩石が徐々に崩壊して土となり、今そこに山となって有ると観る。植物によって成長する動物も多い。その過去の長い歴史を秘めた化石が無数に、人が知らないままに在る。宝石も当然その歴史の産物だ。

庭に在った石を花壇の仕切り石に使っていた。いつの間にか気が付けば、罅割れて、間もなく石の形を保てない程に崩れて行くであろう。そんな変化を見せてくれた。

鳥海山の岩肌を見て、庭の石の変り方からの観察観の披露とする。

エネルギー その不思議な物理量

『エネルギー』それは物理量だ。

エネルギー(energy)とは?(2011/09/07)  から始まった。エネルギーその捉え難さ、その認識の難しさ。

見えるもの 見えないもの  (2015/03/12)。それは測れるもの 測れないもの、とも言い変えたい。測れるものには『電圧』、『電流』等がある。『電圧』も『電流』も科学技術理論に因って測定可能となった計測器がある。またその値が時間的に変動する場合では、オシロスコープでその波形も観測できる。だから『電圧』も『電流』も決して自然世界に存在しない物理量だ等とは思わない。しかし、『電圧』とは何か?と尋ねられた時、どの様な物理量を定義したものだと答えられるだろうか。恐らく『何』を定義したものかを説明できなかろう。『電荷』で解釈するか、『磁束』で解釈するか?それが空間の『エネルギー』の状況を解釈した科学技術用の概念量だとは余り解釈されていない。『電圧』、『電流』が自然世界の現象を利用する手法として開発し、創造した概念量であると認識しているだろうか。

測れないもの、それが『エネルギー』だ。しかし、測れる『電圧』も『電流』も、その測定技術は神業かとさえ思える程の優れた科学技術的智慧によって完成したものであり乍ら、その物理量が何を指すかは不思議にも分らなかったのだ。測れる、測定値が示せるという事で、それ等の意味を深く考えなくても済むほど優れた技術概念量となっているのだ。殆ど矛盾など感じないから、誰もその正体を解き明かそうなどとは考えないで済んだ。

しかし、全ては空間の『エネルギー』の量とその分布状況を解釈し、決めた技術概念量だったのだ。『エネルギー』一つの解釈表現量だったのだ。

コンデンサのエネルギー。

コンデンサの『電圧』とはどの様な意味か。この様な事は『電荷』という物理学理論の基礎概念が、この自然世界に実在するとの余りにも有り触れた、科学論の常識によって、世界の科学者の唱える内容になっている。従って一般の市民がその高度な科学論に異議を唱えるなどできない。学校教育も、世界の科学論も『電荷』や『電子』を否定する人は居なかったと言って良かろう。しかし筆者はその『電荷』の怪しい物理学的定義、捉え方に疑問を抱いた。その意味を『静電界は磁界を伴う』という口頭発表を昭和62(1987)年4月電気学会でした。然し様々な過去からの繫がりで、科学研究者としての身分が不可解な実状のままで、30数年間過ぎて、その科学研究結果を科学論文として残せなかった。一時期は物理学会で、10年ほど発表をして、その『電荷』矛盾の意味を総合的科学論として纏めたかったが、事情により止む無くブログでの自己問答形式による総合科学論の取りまとめに切り替えた。考えて跡から気付く。今でも不可解な事は平成3(1991)年4月に電気学会の学会費未納により電気学会の除名処分となった事に成っているが、筆者は一度も電気学会の会費を収めた事が無かったのだ。何方に収めて頂いたかも分からない。学会論文の筆頭者として掲載までして頂いた(1986.4.)など誠に有り難く感謝です。

先日、湯川秀樹 渾沌そして素粒子 で17種の素粒子の専門家の論理に何故『電荷』の『正』と『負』が入らないかと不思議が膨らんだ。陽子も電子もその基が17種の素粒子から成り立つとなれば、『電荷』も当然同じ意味で、それらの素粒子から成り立つ事に成ると筆者のような門外漢には思える。『電荷』という物理概念の不可解が膨らむ。物理学理論で『電荷』が理論の中心にある現状を見れば、少なくとも素粒子論の専門家が一般市民が分かるようにもっと具体性をもってご解説頂かなければ、専門家という不可解さが世界に混乱を残すようになって欲しくない。『エネルギー』が存在しない世界になってしまうから。

物理学理論(電荷と電圧)の論理性❓ として次に考えてみたい。

誠に申し訳ないが、『エネルギー』の意味の我田引水と非難されても、易しい誰もが納得できる、総合科学理論であって欲しい。