月別アーカイブ: 2022年8月

電気回路の新基礎理論に向けて

思考実験としても無理の解釈で、電気信号が届かないので、削除したい記事であった。

(2022/09/01)8時過ぎに追記。暦をめくって、9月となった。朝明ける前に、記事についていろいろ気掛かりを感じた。例え思考実験としても、電線路の長さが考察対象としては長過ぎる。だから夜に訂正や追記を加えた。今日まで、電気回路現象について、新しい解釈理論を唱えてきたが、職業人として生きた実感も得られずにいる。重ねて追記する意味は、電気信号が何故届かないか、その物理的原因がある筈だと思った。

末尾に記したが、電気技術者感覚には『銅損』がある。それは銅線内を『電流』が流れる結果抵抗損が生じるという意味である。しかし、金属導体内を『電子』や『電流』等は流れられない。そもそも、『電荷』や『電子』が自然世界にある訳じゃない。それなら、『銅損』と言う熱損失はどの様な物理現象として生じるのか。電線路での伝送現象の主役は何が演じているか?決して『自由電子』などの仮想概念粒子が演じられる機能・能力など持ち得ない事に気付かない現代物理学理論の専門性が、社会的問題なのである。

空間に歪を与える金属導体がどの様な意味を持つかを考えて欲しい。金属導体は光の伝播を遮りはするが、決してその導体内で光を伝送する事は無い。みんなが毎日利用する電気の『エネルギー』は光の『エネルギー』と同じものである。その物理的単位、次元はジュールと言う [J]である。何故その取引に使う単位ジュールが、[J] が国際度量単位に入っていないのか?電流の単位 [A] 等極めて曖昧な物理量が何故世界の計測取引単位に入っているのか。 MKSAとは何か?[J] を忘れて、物理学は成り立たない。

電気回路の主役も、『銅損』の原因もみんな空間を光速度で伝送する『エネルギー』なのだ。

最近の市中電気配線で、町中で電柱配線をご覧ください。昔と違って低圧配線は全て絶縁ケーブル配線に成っている。ピン碍子配線などない。絶縁電線は導体間の寸法が小さく、絶縁体で被われているから、線路容量は大きく、電線路の単位長さ当たりの『エネルギー』分布密度が高く取れるのだ。電圧値に対して、線路の『エネルギー』容量が大きく取れる。そこには『電子』などで解釈できる余地など無いのだ。電線路の『エネルギー』伝送特性は金属導体に囲まれた、その隙間のビニル絶縁体などの誘電体などを伝送する現象なのだ。『エネルギー』の伝送する部分の熱特性が線路損失の原因なのだ。誘電体内の誘電率が『エネルギー』の伝送特性として、その伝送速度を決めるのだ。特性インピーダンスZo[Ω]も速度co[m/s]も電線路空間の金属銅線以外の空間部材の特性で決まるのだ。『エネルギー』が長い電線路で伝送できない訳は誘電体などに貯蔵されて、熱化するからと解釈する。何も無い真空空間が『エネルギー』の輝く場所である。光がその意味を示している。電気の『エネルギー』も光の『エネルギー』も同じ空間を伝播する『エネルギー』なのだ。同じ伝送特性の支配下にある自然現象なのだ。[J] を忘れたカナリヤ社会が矛盾の道に縛られているのだ。

二世紀に亘って、電気回路理論が科学技術生活の礎として、社会を支えて来た。

電圧V[V]、電流 I[A] がその電気理論の基本概念である。その有用性が電気技術社会の基盤となって、電気エネルギーの利用と言う社会のライフラインとなって来た。

『電圧』と『電流』と言う用語は誰もが何となく知っていよう。また電気現象は、その伝播速度が一秒間に地球7回り半だとも聞いているだろう。そんな高速度で伝わる不思議さも備えている事を知っている。しかし、その高速度で伝播する現象の実体は何かと尋ねられたら答えられるだろうか。この科学技術の進展した時代の中で、答えられない筈は無かろう。その高速度は光の伝播速度『光速度』の意味である。光ケーブルが海底に敷設され、大陸間の高速度通信を支えている。光ケーブルでなく、普通の電気通信ケーブルでもほぼ同じ高速度通信が出来る。その速度も光の速度に近いと見做しても良いだろう。『何が』その高速度で伝送されるかを答えて欲しいのだ。

そこで、考えて欲しい。もし、電気配線を地球一周するように敷設し、その送信端に電源を、更にもう一つの端子を受信端として、負荷抵抗でも繋いで、送信端と受信端の二つを備えて実験の準備をしたとする。電源電圧をスイッチで電線路にオンしたとする。『光速度』より少し遅くなるだろうが、6分の1秒(その時間をT1とする)後には、もう一つの受信端の抵抗に電圧の信号が到達する筈だ。しかし、その『電圧』が到達する瞬間迄は、抵抗体には『電圧』も掛からず、『電流』も流れない。『電圧』が抵抗体に掛かった瞬間に、ほぼ同時に『電流』が流れる。しかし、その『電流』は電源側の端子には未だ流れない筈だ。電源を繋いだ送信端の電気現象は、もう6分の1秒(その経過時間をT2とする)後でないと、負荷端の状況を知ることが出来ない筈だ。電源側で、『電流』を検知して初めて負荷端の負荷の状況を知ることになる。この実験時の電源電圧は、直流電圧の階段波が分かり易いだろう。この実験の意味は、電線路が短くても長くても、その電気現象の伝播状況は自然現象として変わりがないのだ。『オームの法則』もこの伝送速度に縛られた自然現象で展開される。実際の電気回路では、電源投入と同時に負荷端子に電圧が掛かり、電流が同時に電源から流れ出すと解釈する。しかし自然の真理は、「オームの法則」での送信側と受信側の間の同時性は許さないのだ。この実験の意味を御理解されれば、『何が』電気現象で伝送されるかはご推察されるでしょう。そこで改めて次に進みましょう。意識に、『電子』はどの様な機能で電気現象に関わるかを頭の片隅に置き乍ら進んで欲しい。

〈問答〉:『電圧』、『電流』とは何か。

乾電池の1.5ボルトの訳を、その物理的意味を説明して欲しい。『電流』1アンペアとはどの様な物理量ですか。と子供達に尋ねられた時、どの様に御解説なさいますか。

(2022/09/01)追記と訂正。

過渡現象で回路定数に因る反射現象が起きることを失念していた。訂正とお詫びいたします。上の記事での時間T1とT2での伝送現象で、電源端子での電流値はT1の初めから電圧対応の『エネルギー』負荷整合時の電流値で流れる。時刻経過時間T=T1+T2後の電源側で漸く反射現象の状態が、回路特性に従って起こる。その後の電流値は負荷抵抗と回路特性インピーダンスの関係に従って、暫く過渡現象が継続する。回路の伝送路空間の特性と負荷の関係によって、過渡現象が継続する。以上訂正とお詫びいたします。

その物理的意味を『オームの法則』で解釈する限り、殆ど誰も的確に説明できないのではなかろうか。そこで、一体現代理論物理学とは何なのか、とても不思議な学問に思える筈だが如何でしょうか。その訳は、『電荷』と言う自然世界に存在しない物理量を、科学理論の基礎概念として仮想してきたことが原因だからだ。

少し考える為の、ヒントだけを述べておきたい。

電気回路構成。

それは「電源」、「電線路」とその「空間」そして「負荷」の3つから構成される。

電線路。

それは電線路導体とそれによって規定される空間構造及び空間媒体の電磁気的特性。

電線路導体は、電気現象の伝送空間の特性を決める境界条件を整える物理的機能を担う。絶縁体の誘電率や磁性材料の透磁率などによって電気現象の伝送特性が決まる。伝送速度が決まる。

電線路の電気現象を担う基本物理量。

それは電線路の空間を伝播する『エネルギー』である。

『エネルギー』の特性。

それは自然世界の空間に展開される静止状態の許されない高速度流体である。光に近い速度流である。科学計測法で測定できない空間の実在物理量である。『雲』を、その物理量を測定できないような意味に近い。光の空間像と見做せる。光の振動数では決して光の空間の『エネルギー』を認識できない。

図解で示せればと願いながら。ヒントとして、決して電線路導体の中は何も伝送できない。『電子』など流れ得ない。『銅損』の意味を考えながら。

過渡現象も含めて、回路導体によって構成される電線路空間内における唯一『エネルギー』だけの伝送特性が支配する現象である。

電荷 その虚飾性・魔術性

クーロンの法則が電気物理学を支配する。

科学理論の大原則が『電荷』に支配されているからだ。

f=qQ/4πεor²  [N]
『電荷』同士はどの様な知覚機能によって相手の存在を識別できるのか。何故か、遠隔作用的に、人間的な認知機能を備えているような論理に成っている。『電子』の知覚機能と科学理論の論理 (2022/01/20) 。そこに、『電荷』と『電界』の関係で解釈される。

『電荷』は何処まで空間を支配できるのか。その機能は何が発揮するのか。

 

『電荷』 Q[C] が支配する空間領域。

『電荷』Q[C] が空間に存在するだけで、その周辺から無限の遠方まで、空間を『電界』の場に変換し、支配する事になる。

さて、『電界』とは E[V/m] の意味で定義される。空間が単位長さ 1[m] 当たり、ある値の『電圧』の掛かった場となることを意味する。ただ、その『電圧』と言う物理概念も論理的に、物理学理論では説明できない、曖昧さの不思議を引き摺っているのだ。

空間に電界が在ると、その空間場の電気的状況は、空間に『エネルギー』が存在する状況になると解釈される。その『エネルギー』は次の式での密度分布と成る筈だ。

w = ε₀ E²  = (1/2)(μ₀H² + ε₀E²)[J/m³]

空間に電界が有るという事は、その空間が『エネルギー』の場であるという意味だ。ただし、透磁率μ₀[H/m]と誘電率ε₀[F/m]での解釈になる。

さて、この『電界』はただ空間に『電荷』Q[C] が有るだけで、その空間を『電界』と言う電気的歪の空間に変えるという事で、それはその空間に『エネルギー』が存在すると言う意味になる。

特に、電荷Qの近傍、 r ≒0の空間で『エネルギー』無限大となる。それは、とても大きな矛盾に思える。電界の存在は、電気回路の線間の空間と同じ『エネルギー』の場なのだ。

『電荷』が空間に存在すれば、その『電荷』がその周りの空間の無限遠まで、『エネルギー』の存在する場に変えるという意味になる。自然単位系:MHFJ で解釈すれば、『電界』とは [(J/F)^½^/m] の電磁的空間という意味だ。電界の2乗はその空間の誘電率との関係で、場の『エネルギー』の意味になるのだ。

電磁気的概念は、『エネルギー』の単位 [ ジュール J]と関りの有る次元だ。『電荷』と言う仮想概念の単位も、[(FJ)^1/2^] と解釈すれば、一応辻褄は会う。しかしそんな『電荷』はこの広い自然世界に存在などしない。昔に仮想した間違った物理概念、それが『電荷』だ。当然『電子』と言う負の『電荷』の物理量なども世界に実在しない。それは電気回路で、『エネルギー』伝送に『電子』が全く機能しないという現実からの科学的結論だ。物理学理論で、電気回路の『エネルギー』が電線路空間を伝送すると言う、その実在物理量を認識できていない現実がある。

『電荷』が自然科学の論理を魔術的解釈論にしてしまった。人々が魔術に掛かったのだ。実在する『エネルギー』を認識できない科学抽象論にしてしまった。

日本には独特の文化がある。その一つが高座で語る『落語』だろう。そんな雰囲気に似た記事に思う、『Electrons』の紋所と科学理論 (2020/04/07) ですが、御笑いください。

 

教育の現代性

考えない教育者による教育。

考えない教育者は法則・規則にしたがう。

法則は最初に感じた人によって纏められた。

法則は考えなくても良い便利な原則になる。

法則は歴史によって完璧になる。

法則は体制を強化する。

法則は人と社会を規定する。

法則は本質から遠ざかる。

『教育』は法則によって考えない権威体制と化する。

等と『電荷』の意味を考えながら感じた。

アンペアの法則と物理学理論

(2022/08/07)。同じような事ばかりの解説恐縮であるが、お許しください。一体日本の物理学理論の専門家は、素粒子論や宇宙論など高度な内容の研究を集団的体制で成されておられる。そのような研究をなさって居られる研究者は日々接する電気回路について、『電流』、『電圧』をどの様な意味で解釈なさって居られるのか、御意見・ご見解をご披露頂けないかとお願いしたい。そのような専門的研究内容に比べて、筆者が論じる内容は、精々高等学校の物理学の教科書の内容程度のものだ。ただ基本的視点が、自然世界に『電荷』等は実在しないと言う、申し訳ない事であるが、現代物理学理論を真っ向から否定するものである。

『アンペアの法則』について。

『アンペアの法則』が基本的な電気理論の始まりと観たい。それは1820年頃である。電流と磁気との関係を捉えた解釈法である。その当時は未だ『電流』の原因が『電子』とは認識していなかっただろう。現在、検索結果には『電流』の意味について、『電子』の逆流と言う間違いが常識的な解説に成っている。『電荷』や『電子』がこの自然世界に存在しないにも拘らず。

この『電子論』が現代物理学理論の根本的混乱の原因と成っている。それを正さずに、科学論の明るい未来は来ない。それは子供達への教育の社会的責任問題である。

ITの検索記事の殆どはこの『電子』論で埋め尽くされている。それは日本だけの傾向なのか、世界中がそのような状況なのかも知らない。記事作成者は本当に自分が書いている事を心から納得しているのだろうか。過去からの伝統的科学理論を踏襲し、その権威に盲目的に従った迎合記事でしかないのではないか。

誠に乱雑な図で申し訳ないが、次の図で『電子』が『電流』の逆流だと言う事の矛盾を解説したい。その為には『電子』の空間像をそれぞれの筆者が示す責任がある筈だ。その『電子』の空間的実像をどの様に自身で解釈しているかを。科学論は抽象空間の世界を論ずる対象ではない。具体的な目の前の空間で繰り広げられる世界の現象を論ずることだから。

電子 e が磁界発生の論理矛盾。電磁エネルギー流 δi [J/m] が電線路空間を流れて居る。それが負荷抵抗などで取り込まれて、光の電磁エネルギーが熱エネルギーとして蓄えられる。それが抵抗体の接触媒体との間の『エネルギー』平衡の差によって外部に放射される。上の図は導線の中を『電子』 e が通ると仮定したら、その『電子』によって導線近傍空間にどの様な訳で磁界が発生すると言えるのか。『電子』はその周りの離れた空間に広く磁気を伴って居ると言うのだろうか。その訳をどう説明するかを問うための参考の図である。学術論には程遠い日常生活感覚からの論説である。

『電流』は電気回路と言う19世紀に始まった物理学理論の新世界を切り開いた第一歩であった。電気回路の電気導体近傍で、磁気的現象が観測された。電線内とその近傍空間の間の「何か?」の繫がりの発見であっただろう。

その後の『電流計』の測定技術開発と「陰極線」の発見とその解釈論が結び付いた。

今、『電流』と言う貴重な科学技術の賜物によって、電気回路を自由に利用できる手法を手にしている。その『電流』とその測定技術『電流計』によって支えられている。それが科学技術と言う西洋の文明として有り難く、その恩恵に浴しているのだ。しかし『電流』と言う概念が分かり難いことも間違いないのだ。筆者も最初に疑問に思ってから、『電流は流れず』また『電子は流れず』等とも述べてきた。『電流』の単位が『電荷』の時間微分値と言う定義であれば、『電荷』が実在しない事実から当然そのように言わざるを得ない。結局、『電流』が電荷の時間微分値だと言う、その定義自体が自然世界の現象を解釈するに誤ったものであったという事だ。『電流』は優れた科学技術概念である。しかしその定義が、その単位 [A]=[C/s] と言う『電荷』の単位クーロン[C]の概念を前提にした定義が間違っていたのだ。『電荷』とその単位:クーロン [C] が間違っていたのだ。自然世界にない物『電荷』で解釈しようとした原点が間違っていたのだ。

科学理論が論理的である為に、空間に実在する『エネルギー』を認識する事。

この現代物理学理論の根本的間違いは、それは『電荷』と言う自然界に存在しない物理量を仮想した事である。その『電荷』の誤った物の代表が『電子』である。その『電荷』概念が、『電圧』と『電流』の科学技術概念との関係で考えた時、如何にその論理的矛盾が大きいかを認識する事が、未来への科学論に欠かせない条件と成っているのだ。特に子供達への教育にとって、未来の科学技術の競争的観点から最も大切な事に成るのだ。

落雷とアースの物理的意味

Earthは地球であり大地の意味だ。

電気配線で、電気機器に安全のために『アース』をすると言う。

柱上変圧器で家庭用100/200ボルト電圧にする。その2次側に必ず第2種アースが施される。決して配線側で故障があっても、家庭内に高電圧などの危険が及ばない為だ。

地球は丸い一つの導体とも見做せると思う。

地表は電線路と同じく、丁度その地表面は電源の供給する電圧の陰極側と同じ意味だ。表面が基本的には、『エネルギー』分布密度が最大の状態になる。地表から離れた上空に行くとその点は、地表との間で電圧が掛かったと同じような空間になる。要するに、地表との間の『エネルギー』分布で密度差が発生する。

落雷。

雷は『電荷』と言う物理量など関係ないのだ。『電荷』等人が空間に在る『エネルギー』の意味を認識できずに、勝手に創造した解釈概念でしかない。

雲と地表の間に突然起こる現象を落雷と言う。それは怖ろしい、危険な空間に溜まった熱の『エネルギー』の放射現象だ。雷は熱爆発 (2014/0523) だ。

人は不思議なもので、雷が起きる時、どの様な状況、気象状況かを余り考えないようだ。

ほゞ最近の気象予報などでも、豪雨災害の発生予想と雷の予想が一緒に報じられる。何故豪雨と雷が一緒になるかを考えてみれば、その訳も分かるでしょう。豪雨は天からの現象ではないのだ。地球の表面の海から立ち上る『水蒸気』が天空の冷気で冷やされて、水分が落ちてくるのだ。海からの水蒸気が天から落ちてくるのだ。水蒸気は『熱エネルギー』を持っている。その『熱エネルギー』を地表面近くに残して、地表面近傍で空間の『エネルギー』密度が高くなるのだ。天空と地表間の『エネルギーギャップ』が大きくなると、空間が持ちこたえられずに、放射に転換する。それが『落雷』と言う現象である。『電荷』と言う物理量は科学理論の論理性で人々に混乱を巻き起こすだけだ。

『電荷』概念は現代物理学理論の科学的解釈で、社会的混乱を生む、科学論の罪の元凶である。猛省を望む。

 

選挙投票権と市民権と闇内地留学と給与

最近気付いた。我が愚かさを、無知を。

昭和62(1987)年の春に、選挙があったか?新潟県長岡市。

丁度その時期は、全く意味も分からず長岡工業高等専門学校から長岡技術科学大学に転勤の心算で居た問題の時期だ。

或る党の投票賛成の名簿に登録するように、お願いされた。人事問題に関わる故意の策動と今は分かる。

問題は、それ迄に選挙に関する投票権の行使を、投票券を受け取った覚えが無かった。

自分の市民権が存在しなかったのか❓

長岡市には昭和36(1961)年から住んで居た。しかし住所が無かったかも知れない。市民税・県民税も❓

矢張り、自分の存在、人権は無かったのか❓舞鶴国民学校への入学が無ければ、何時から人としての存在が日本政府に認識されたのか❓

昭和35(1960)年4月、新潟大学に入学した筈だ。然し入学式にも、昭和39(1964)年の卒業式の記憶もない。大学授業料を収めた記憶もない。昭和35年4月新潟大学の西大畑の『六花寮』で1年間過ごした。しかし寮費を収めた記憶もない。

昭和36年4月、新潟大学工学部、長岡市の住民になった筈だが、市民権もなかったのか❓そのまま卒業し、現在まで長岡市に住んでいる。

東京工業大学、電気工学科への6月間の闇内地留学。

昭和44(1969)年10月から翌年3月末日まで、東京都目黒区大岡山に6月間住む。新潟県立新津工業高等学校の勤務実態が不可解であるが、新潟県教育委員会との採用事務手続きも全く無いまま、無断で『東京工業大学、電気工学科』に半年間の内地研修をさせて頂いた。しかしその経歴はどこにも無い。当然新潟県教育委員会は無関係で関知されていない。無断欠勤6カ月の意味でもないようだ。考えてみればその間の給与も受けていないと言う誠に不可解で恐ろしい経歴結果を背負ってきた。他には、新潟県によって、平成2年12月~平成4年7月、強制的に閉鎖病棟に閉じ込められた。その間の初期の1月で、アインシュタインの特殊相対性理論が間違いであったと確信した。『光の相対性論』を完成した。

乾電池 1.5[V] の哲学

乾電池の電圧が 1.5[V] の理由を問う。

おそらく現代物理学理論では答えられない筈だ。だから哲学になるかと。

そんな事がある筈はないと誰もが思うだろう。この科学技術に支配されている現代社会で、その基礎理論と成っている理論物理学で解釈を示せないが筈はないと!

以前大学の教育の水準を保つ為に、『電気・電子工学』の基礎としての『参照基準』として『物理学』が欠かせない学習内容だと。それなら、乾電池の電圧 1.5 [V] の物理的意味位は答えられて当然の筈だ。しかし理論物理学は余り科学技術の具体的な内容に関心が無い精か、抽象理論に偏り、具体的で統合的な面で欠けているようだ。

その精か、現代理論物理学では解答できないのだ。

可笑しいと思いませんか。

その訳は簡単です。自然世界に存在もしない『電荷』や『電子』を科学理論の基礎概念として創造して、それに依存した理論を構築してきたからである。

自然界に実在しない物理概念『電子』や『正孔』等で抽象的な理論を構築してきたからである。理由・訳は極めて単純なのだ。

自然世界を支配している空間の『エネルギー』を認識していない欠陥理論だからだ。光や電磁波が『エネルギー』の縦波との理解が出来ていないからだ。ただ進行方向に光速度で伝播するだけの空間に分布した『エネルギー』の密度波だと理解していないからだ。

乾電池も交流発電機も、配線を通してその空間を伝送する『エネルギー』の供給源でしかないのだ。空間分布の『エネルギー』を認識する事が乾電池の、電圧 1.5[V] の意味を解釈できる基礎になる。それが大学の教育に欠かせないものとしての『エネルギー』が参照基準の筈だ。

自転車発電機回路の哲学

自転車発電機回路の哲学。哲学とは何だ❕とお叱りを受けそうだ。しかし、これから述べる内容は、一応科学理論の意味を理解した上ではあるが、決して科学論とは言えないものと成ろうからである。科学理論のその説く中身を少し科学理論に引き摺られずに、離れた観方でその理論の本質を抉り出してみようかと考えた。だから決して科学論文になる内容ではなく、日常生活感覚から、自然の本質を考えてみたいのだ。

自転車発電機 G 。最近は少なくなったかも知れない。自転車のタイヤの回転を利用して、発電機に回転動力を伝えて発電し、その電力で前照灯を点灯する。

発電原理。

フレミングの右手則とファラディーの誘導則。脇にー電子を捜すーと記した。その辺がこの記事の最終的な到達目標かも知れない。『電子』とはどんな物理量かと、その何かが筆者には見えないので、捜してみようかという意味だ。素粒子論の専門分野だろうが。

巻線の内側で、マグネットを回転させる。その回転速度に応じて、巻き線の端子には交流電圧が発電される。その発電原理は巻線とマグネットとの相対関係で二通りの解釈が出来る。導体と磁極の相対速度で解釈するか巻線コイル内の磁束鎖交量の時間微分で解釈するかの二通りである。発電の物理的原理はどちらもマグネットの『磁束』と言う概念に因って解釈する。この二つの発電原理の法則はマグネットの表面から『磁束』と言う空間に放射されるような線状で表現される物理量の存在を前提にしている。その中身がどの様なものかは誰もが必ずしも明確に答えられるものではない筈だ。

しかし、自然世界に『磁束』等は実在しないのだ。だが、その『磁束』の概念を存在すると、所謂科学者の「創造性」によって実在すると解釈した事によって、発電機の『電圧』の発生原理が誰でも分かり易くなった。その『磁束』の定義で、電気現象がほぼ説明できるようになった。それは科学技術理論と言う自然現象を利用する観点からの原理としてこの上なく有効で、便利な解釈概念となった。

『電圧』の発生原理と『電圧』の物理的概念。

『電圧』の単位ボルト[V]も科学者の創造力によって定義された概念量である。『電圧』と同じく『電流』も科学者の創造性の賜物として創られた有り難い概念量である。しかし、それでは『電圧』とは何か?『電流』とは何か?と皆さんは自問した時どの様にお答えなさいますか。乾電池の『電圧』が1.5ボルトである。何故1.5ボルトに成るのですか?その1.5ボルトとは何ですか?ボルト[V]と言う単位は何ですか?自然の空間にその様な物理量がありますか?『電圧』、『電流』が如何に有効で便利な科学技術概念であるかはよく分かります。しかしそのような物理量は自然の空間には無いのです。あくまでも科学技術用に創り出された創造概念なのです。そこの「創造性」が如何に自然現象を利用するに欠かせない事かも、その意味を知れば分かる訳でしょう。科学技術理論の本質もその「創造性」という意味を理解して初めて分かるものでも在りましょう。

『エネルギー』と言う物理量が目の前の空間に満ち溢れている事を物理学理論では理解していないようだ。

動力・電力・エネルギー

自転車は、そのペダルをこいで、自分を運ぶ素晴らしい科学技術製品だ。こんなエコ技術は地球温暖化に無関係な素敵な技術だ。発電エネルギーを得る為に『海』を加熱して、その水蒸気の大量な蒸発により、豪雨災害を招くことも、竜巻で屋根を吹き飛ばされることもないから。それは最早自然災害ではなく、人工災害なのだ。自然現象の物理的現象を知る事が大切と思う。

人力動力の一部を使って、前照灯を点灯する。

動力、電力。その単位はワット [W]であり、『エネルギー』の時間的消費率でもある。単位は[W]=[J/s] である。この単位『エネルギー』の ジュール[J]がどんなものかが認識されていないようだ。『電子』より『エネルギー』が先に認識されて然るべきと思うのだ。『電子』はランプから光になって放射される事は無い。やはり光は直接『エネルギー』と結ぶついた物理量と思うのだが、その物理量の認識が現代物理学理論には無いのだ。科学論とはならないから「哲学」になるかと思うのだ。空間の『エネルギー』を決して測ることが出来ないのだ。それが物理学理論として認識されない根本的障壁に成っているかと思う。『エネルギー』の速度は測れないのだ。光速度で伝播しているにも拘らずだ。電磁波の『エネルギー』も測れないのだ。

半導体と『電子』。

発電機とランプの間に(整流回路を付加)した。

発電原理で、巻線内に『電圧』が誘導される。巻線の近傍空間に『磁束』が関わると、『電圧』が発生する。その『電圧』には『電子』は関りが無いようだ。巻線内で、『自由電子』と『正孔』が分離する訳でもなかろうから。しかし、半導体のpn接合があると、そこには名高い⦅バンド理論⦆の洗礼を受けないと現代物理学理論の解釈として認知されない風潮・科学常識に在る。負荷のランプ点灯で光の放射現象は『半導体』があろうが無かろうが全く関わりない自然現象として、光(空間の『エネルギー』の縦波伝播現象効果の結果)が放射される。光とは『エネルギー』ではないのかな?『電子』にランプからの光放射現象を発揮なさる機能が有るかどうかが問われていると思う。誰もその事を問わない不思議な『電子』による科学理論である。

以上科学理論にならない、卑近な哲学の話とする。