月別アーカイブ: 2022年7月

電池の機能は何か

改めて驚愕を覚えた。

「電池の機能」は?

電池は何を供給するか?

電気配線は何を供給するか?

電気とは何か?

インターネットの検索に解釈が示されていない。

原子の周りを電子が回っている・・。等と子供向きの解説が有名な企業の記事としてある。

何処にも『エネルギー』と言う物理量の認識が見えない。全ての科学理論・現代物理学理論には『エネルギー』の認識が無いからだと考えざるを得ない。

科学者は一体『エネルギー』をどの様に認識しているのか?

『電子』が電気回路電線を流れる等と頓珍漢な解釈で、日々安泰でおられるのでしょうか?

ダイオードの『オン・オフ』の意味を考えていて、不図検索してみて驚愕を覚えた。『エネルギー』の物理量が科学論には無いと!!

それは役にも立たない『電荷大明神様』の御利益に惑わされている為か❓何か宗教的な❓❓

電池の機能は『エネルギー』の供給源だ。決して『電子』など供給していません。

電磁界とは空間エネルギーの場

(2022/07/23)。電磁気学あるいは電磁場方程式などと聞いただけで逃げたくなる。それは目に見えない物の解釈を数式によって理解しようとする科学的手法であるからだろう。空間の電気現象を数学的に専門家の解釈で捉えて理解することを要求される。もっと具体的な空間現象として大まかに理解できないものだろうか。その為には、先ず空間に実在する『エネルギー』を認識すことが欠かせない。残念ながら、その空間の『エネルギー』を物理学理論では認識していないのだ。そこに現代物理学理論の論理性での矛盾を抱えた問題が在るのだ。決して自然世界に存在しない『電荷』や『電子』を論理的基礎概念とした理論物理学は未来への科学論の基礎とは成り得ない。

電磁界とは何か。

 

図 電気回路と電磁界

これ以上ない最も簡単な電気回路を示した。電線AとBの二本が空間に張られている。その電線に交流電圧vを掛ける。ただそれだけでも一応電気回路となる。その単純な電線路内の空間にも、電気磁気学と言う専門的学術理論の『電磁界』と言う空間場の状況が存在するのだ。回路内の位置 p 点によって、電磁界という科学技術概念の解釈評価の値が異なる。それはその点p によって、電界 E(p) [V/m] や磁界 H(p) [A/m] の値が決まるのだ。それはその点pにおける空間の『エネルギー』の分布状況やその流れる強さで決まると考えれば良い。単純な電気回路空間でも、その空間内は基本的に、単純な電界、磁界という意味ではないのだ。この回路に、『エネルギー』を消費する負荷を繋げば、また状況が変わる。『オームの法則』と言う電気技術論の根幹を成す、一般化電気技術理論の有用性はその簡便な解釈論で、特別の意義を持つ。その基礎科学技術概念『電圧』や『電流』が、その測定法を確立した計測器によって、技術論が完全な実用論として輝いている。しかしその『電流』とは何かと問えば、その物理現象を解説することはとても困難なものとなる。決して安易な概念『電子』などで解説できるものではないのだ。

電線導体の物理的機能。

電線とは電気現象でどのような機能を持っているか。金属導体を空間に張れば、その導体は自由空間に電気的歪を生じると観て良かろう。電気的歪とは、その導体表面がその近傍空間の『エネルギー』の分布状態を、『エネルギー』の供給源・電源などに依って規定されるように、その空間の状況を整える機能を発揮する。それは電波などが導体付近に到達すると、その導体表面に因って空間の『エネルギー』分布を均一化するように歪ませる働きをする。アンテナはその機能を利用する科学技術的装置とも言えよう。

電気回路空間の機能。

二本の導線で囲まれた空間は自由空間と異なる特殊空間だ。その空間内は導線によって造られた回路定数、容量C[F/m] および誘導L[H/m]と言う科学技術的な空間解釈手法による構造定数空間となる。真空自由空間を、物理学などの科学技術論の解釈手法として、真空透磁率μo [H/m] と真空誘電率 εo[F/m] で解釈する手法を決めた。その値によって、自由空間を伝播する電磁波や光の速度を定義でき、分かり易くなった。光速度 co = 1/√(μoεo) [m/s] と解釈できる。電線路内の空間の電気磁気状況、所謂電磁界も、基本的にはその空間の回路定数と空間の『エネルギー』分布量や、その流れる量などの状況で決まるのだ。

電源と言う『エネルギー』供給能力源によって、その技術概念量『電圧』値 v[V] が導線に掛けられる結果、空間に電気的歪を作りだす事に成る。導線形状などに依っても、その空間の『エネルギー』の分布状態が決まる。『電圧』と言う科学技術概念量が、その空間構造に因って決まる回路定数で、空間の『エネルギー』の分布状況を決めるのだ。

電磁界とは。

電線路の回路特性と印加電圧値によって、その電線路内の空間は、その位置座標p点の位置で自然に決まるのだ。単純なその線路空間内でも、位置によって常にその『エネルギー』の分布状態が変化し、異なる。その電線路内にも自由空間を伝播する電磁波と同じ意味の電磁気的状況があって当たり前なのだ。何も難しい数学式などで考えなくても、感覚的にある程度理解できる筈だ。厳密な数式など解らなくても、電気回路の物理現象の大よその正しい意味は理解できる筈だ。一般の市民的電気科学論は先ずそれで充分だろう。空間の『エネルギー』が自然現象の複雑に見える意味を創り出しているだけなのだ。そんな空間の電磁界が如何なる状況と解釈するかは相当複雑な意味を含んでいる筈だ。それは専門家の解釈の問題として良かろう。

物理学理論で認識していない空間の『エネルギー』の存在を理解できれば、基本的に未来への自然観の基礎は修得できたと言えよう。その意味が光の空間像の認識に繋がるのだ。

厳密な電磁気状況を論じようとすれば、それは単純な電気回路空間でも、微細空間的な解釈になろう。それはp点の位置が導線からの距離などで当然変わる。しかしそこまで厳密な解釈をする意味もなかろう。

白熱電球のエネルギー変換原理 (2018/02/12) やエネルギー伝播現象 (2020/06/27) 等も参考になるかも知れない。

ダイオードのオン・オフと回路条件

(2022/07/21)。半導体という電気材料はシリコン という原子Si がその基礎を成している。そこに或る元素を加えると、N型と P型と言う半導体となる。その二つの接合によって、接合面にとても不思議なスイッチング機能を発揮するダイオードとなる。その単なるオン・オフでしかない動作機能の物理現象をどの様に解釈するかが大変分かり難いのだ。ダイオードのスイッチング機能とエネルギーギャップ(訂正)として過去の勘違いとも思える間違いを訂正しなければならなくなった。しかし、それでも未だダイオードのオン・オフの動作原理が分かった訳ではない。半導体動作原理として現在の専門的学術理論の学説に『バンド理論』があり、ほぼその解釈理論が世界的科学理論の常識と成っている。だが、その理論にはとても理解でき兼ねる概念、『電子』および『正孔』というあらゆる科学論の根幹概念が『電荷』に依存している現在の科学常識の怪しさに気付いてほしい。その事は、『バンド理論と豆電球』として述べたい。

科学理論が、この自然界に存在もしない『電荷』概念に因って、人間的な社会集団化解釈の創造性で構築されて来た。『電荷』とは一体どのような物理的概念かを、現代物理学理論の専門家が真剣に立ち向かってこなかった結果、現在の極めて曖昧で不可解な物理現象解釈論が出来上がってしまった。そこには専門家という狭い学術論の領域だけから解釈する特殊な専門家集団の学術理論が社会的指導原理として幅を利かす状況を創り上げてしまったのだ。ここで取り上げた科学理論という中身については、理論物理学と言う自然世界の根源を問う学問分野を対象にしているのだ。医学・生理学や科学技術の応用分野の話ではない事をお断りさせて頂く。『電荷』という概念が自然世界に存在しないと言う一つの意味を念頭に置いた話である。だから、原子構造論やイオン結合という『電荷』概念を論拠にした科学理論全体の原理を、その意味を問うているのだ。

『電荷』概念を否定して、ダイオードのスイッチング機能をどの様に解釈するかの問題でもある。

電気回路現象の『オームの法則』の意味を深く解釈すれば、そこには決して『電子』の出る幕は無いのだ。『電子』など不要の物を何時までも、電気現象の基礎概念として利用することが如何に愚かな事かを理解して欲しいのだ。その教育に及ぼす弊害を如何に認識するかの問題でもある筈だ。

教育について。

ー-戦後、新生日本の教育制度の根幹を成す、『教育基本法』(昭和22年3月31日)が成立した。

その時の 教育刷新委員会 委員長 南原 繁の言葉 「今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようと、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しい。」が美しく今でも輝く言葉だ。

しかし、何故か改変された。その当時の世論調査が70%の賛成とあって。何故そんなに賛意の理由があったのか理解しかねた?世論調査の意義も考えた。『教育基本法』の条文を知っている人と読んだ事のない人かも、その調査に示されるべきと思った。中味も知らない人が調査結果に示した意味は、『教育基本法』と言う問題にその社会的責任という意味を調査機関は果たしていたと言えるのか。

以上は少し物理学理論とは異なる内容に触れた。ー-

科学理論の現在の常識である根拠物理概念『電荷』を否定する事が、社会的混乱を招いても、それは教育の政治的中立性からも、真剣に論議されてよい筈だ。

多寡がダイオードの動作原理でも、そこには未来への大切な意味が有る筈だ。

『電子』や『正孔』ではもう科学論の論理性は成立しない。『電圧』の物理的意味が分かれば、電気回路の『エネルギー』の重要性が分かると思う。

ダイオードのオン。

① オン動作。ダイオードのpn接合面にエネルギーギャップ(バンド理論の空乏層とは違う)がある。回路条件によってダイオードがオンする。電源電圧と負荷に掛かる電圧の関係がダイオードのスイッチング条件となる。『電圧』の物理的意味は何かが問われる。電気配線の導体の物理的意味は何かが問われる。決して導体金属内を『電子』などが流れはしないのだ。『電子』など存在もしない事でもあるが。

ダイオードのオフ。

②オフ動作。やはり電源電圧と負荷端子電圧の関係の回路条件によって決まる。

ダイオードのpn接合面に生じる『エネルギーギャップ』は電気回路の外部に電池のような『エネルギー』を放射する能力・機能はない。②のオフ動作は電源電圧Vが回路に供給する『エネルギー』の能力はその電圧Vの範囲である。負荷端に電源電圧よりダイオードの電圧分Vdだけ高く、

Vr = V + Vd

により回路分布の『エネルギー』δ=C V^2^[J/m] では不足となる。その結果ダイオードで電源と負荷側が繋がらない結果と成る。それがダイオードの回路条件に因るオン、オフ機能の原因であると観る。

 

ホームランと縦波

(2022/07/15)。

夜は途中で脳内物質が蠢く。睡眠を妨げる妄想が始まる。

昨夜は突然、野球の『ホームラン』に『エネルギー』が消費された。キット赤血球も忙しかったかもしれない。脳内活動はやはり『エネルギー』を消費する。糖分が酸化消費されて、トイレに行く機会も増える。

投手と対峙して、剛速球をバットでスカーンとかっ飛ばすのを見れば、気分も爽快になる。

ボールは質量だ。ホームランで飛んで行くボールにはどの様な物理的現象が読み取れるか。

それは理科教育で、お馴染みの『運動エネルギー』のお話になる。

弾性反射現象と『運動エネルギー』の解釈になる。

ボールは質量であるが、飛んで行くボールという媒体に乗って行く物の正体は何だろうか?

それが『エネルギー』なのだ。質量をお借りした、観測できない『エネルギー』が飛んで行くのだ。そのボールに直撃されれば、只痛い位で済まないかも知れない。その原因は『エネルギー』なのだ。

その『エネルギー』は真っすぐ飛んでゆく。それが『エネルギー』の縦波というものだ。『エネルギー』は横に振動などしないで、真っすぐ直線的に空間を伝送される。ボールという質量体をお借りした自然現象である。ボールは見えるが『エネルギー』は見えないのだ。

そんな寝ぼけ頭で妄想した夕べも、ホームランには成らなかった。

ダイオードのスイッチング機能とエネルギーギャップ(訂正)

PN接合面の『エネルギーギャップ』。

今日も、アップデートがあった。必ず、30%で停止する。その訳は何か❓極めて薄気味悪い状況が何十年も続いている。そんな中で、ブログ記事を投稿したら、社会的に役立てるのか、記事を書かないで過ごすべきなのか意味が分からない。現在の理論物理学の奇妙な『電子』概念、『電荷』概念の状況をこのまま教育で未来への指導内容として良い筈はない。だからとても悩ましい事だ。どうすれば社会に役立てるのかと思案し乍らも‥、自分の生活さえも・・。

過去の解釈が間違っていた。ここでお詫び申し上げ、訂正させて頂く。

まず初めに 整流機能要素の原理 (2022/01/04)。

何故こんな勘違いをして間違ったか不思議でもある。その解釈図を示す。

それが右の図である。真空管時代にはラジオで、その検波の整流機能を二極真空管が担っていた。K側がカソードと言って、フィラメントで陰極部を加熱し、昔は『熱電子』という空間電荷が整流機能を果たしたとの解釈であった。p側からk側に電流が流れて、ONとなる。

今は、その機能を構造的に極めて単純なダイオードが担う。その動作機能を考えれば、二極管と同じ作用をpn接合部で担うには、当然の事、n側が『エネルギー』の高密度側でなければならないと気付く筈だ。しかし、そこにも気付かなかったことが不思議なのだ。

当然、右図のエネルギーギャップVg(訂正)版でなければならなかった筈なのだ。

更に、 謎(pn接合は何故エネルギーギャップ空間か) (201705/18) である。

初めのこの図の解釈が間違っていた。n極側が『エネルギー』の高密度側でなければならなかったのだ。全てはこの間違いが、後に響いた事に成る。

エネルギーギャップ(訂正)に訂正した。

なお、直流電源の乾電池について、それも誠に不思議である。単一から単四まで、大きさに関係なく電圧が一定値の同じ値である。

乾電池の電圧が 1.5[V]  の物理的理由は何か?

その電圧になる物理的原因も説明できないと思う。内部充填物質と炭素電極と亜鉛の負極がその特性を担っている。電圧とは外部接続配線間の空間に送出する『エネルギー』が回路特性によって決まる不思議な機能を持っているのだ。決して『電荷』等で解釈できるものではないのだ。物質は必ずその接触物質との間に、その物質に特有な『エネルギー』の外部作用力とでもいえる機能差を持って対応する筈だ。乾電池は亜鉛もその意味でどの様な物理的意味を持っているかは、何時かは明らかにすべき疑問である筈だ。乾電池が外部配線の負極側の導線近傍に多くの『エネルギー』の分布状態を作り出す。それを『電圧』という科学技術概念で解釈していたのだ。

導体の物理的機能は何か。

重要な電気回路の意味が導線に在る。導体をどの様に空間に配置しようと、基本的にはその導体の表面が一様な電気的同一基準面となる。コイルに巻いた場合でも、二巻きの導体間に分布した『エネルギー』によって、1巻き分の電圧差を持った二つの基準差を示すと解釈する。回路の L 性機能として導体に誘導性の現象を持つ。それは流れる空間の『エネルギー』流に時間的変化がある場合に起きる現象である。基本的に導体はその存在空間の基準面を規定する機能を持っていると解釈すべきである。決して『電子』が導体内を流れると言うような自然現象は自然界は許さない。

導体は、基本的にその表面が空間に対して『エネルギー』の基準面となる機能を担っているのだ。

以上簡単ではあるが、過去の PN接合面の間に生じる 『エネルギーギャップ』の極性の解釈の間違いを訂正させて頂きました。誤った解釈を示した事を御容赦頂きたい。

改めて、ダイオードのスイッチング機能については、回路空間の回路特性 C L とその『エネルギー』の分布密度との関係で分かり易い説明をしたいと思っている。

絵具の色即是空

(2022/07/09)。『色』の物理学か哲学か?自然世界の色彩と教育に求める関りは、教育者の仕事とは思うが。

日常生活で、特別意識せずに見過ごしている。

愚かな者にしか気付かないことかも知れない。

社会生活の中で、人との関りに意識が向けば、生きるに生活費を気遣う中では、愚かに流される生き方はできない。

『色』等どうでも良く、そんな事には関りは御座らんとなる。

「えのぐ 筆先にのせたえのぐを 紙に刷く 色鮮やかに空に舞う その本源に秘めしもの 純な心を 如何に解くべき」

本来、絵の具に色がある訳ではない。

絵具の〈色〉の物理的解釈をしたいと心が叫ぶ。

絵具に色がある訳ではない。等と言ったら、笑われるかも知れない。しかし、その意味は光の物理的正体ぐらいは日常生活で意識していたいとの思いからである。

『色』とは何か?との問答になる。

本来、自然世界に『色』がある訳ではないのだ。

この彩り豊かな風景を目の前にして、そんな意味が通るか?と反論しても欲しい。反論や疑問の無い処に、認識、理解は進まない。

同じ風景を見ても、猫が観る色の世界と揚羽蝶が観る色の世界と同じと言えるか?確かめようがない問答になるが、恐らく違うだろう。そこに『色』の自然観が無ければならないと思う。

即ち「色即是空」に成るのだ。『姿象(スガタカタチ)』『存在』は『色(シキ)』である。その正体を突き詰めて考えた時、分からなくなると、『色(シキ)』が即ち是(コレカ)が『空(クウ)』という事に成る。『空(クウ)』とは見える現実の『姿象』の本質を見極めると、その姿象は人が観る表層の観察物であると認識するに至る。その意味はアインシュタインの『質量』と『エネルギー』の等価性に言う意味に通じる事である。ここにこそ、東洋哲学の『色即是空』がある。しかし残念ながら、空間の『エネルギー』が原子の質量になる意味で捉えられていない。光という空間を流れる『エネルギー』が即ち質量に成るのだ。それが素粒子即『エネルギー』という意味である。

『空』は空間に実在する『エネルギー』となる。その『エネルギー』は観ることも測ることも出来ない。

物理量であり乍ら、認識し難いから、現代物理学理論の基礎概念と成っていないのだ。

色彩の『色(イロ)』とは人には七色であり、見える姿である。人の色彩の色彩感覚は『比視感度曲線』と言う感度によって同じ強さの光でも、感度が異なる。赤外線も紫外線も見えない。

その色彩を生む光には、『色(イロ)』はない。光は無色透明の『エネルギー』の空間の光速度流の縦波である。

それを 純な心を如何に解くべき とした。

空間の『エネルギー』の姿の現れ方が色彩と理解して欲しい。

感覚的な捉え方でしかないが、揚羽蝶が互いに出会う機会はその『色彩』に特別の感度を持った生物的仕組みがあるだろうと思った。羽根の構造が光を波長変換する仕組みと共に。

 

『エネルギー』-それが物理量―

(2022/07/04)。『エネルギー』は空間に満ち溢れている。

エネルギー(energy)とは? (2011/09/07) が『エネルギー』の意味の理解についての自己確認の初めの記事であった。

この自然世界の基本物理量『エネルギー』を理論物理学では認識していない。この空間に満ち溢れている『エネルギー』が実在している意味を理解していない。光の空間に展開している『エネルギー』の姿を理解していない。そこに科学理論の基礎理論であるべき『理論物理学』という学問的意義が疑わしい物に陥ってしまった象徴的姿を現している。自由電子と磁束の相関性の論理性。その話をしようと思ったが、余りにも物理学が虚飾性に満ちたものである為、そんな話の価値さえ無いかと‥。

その『エネルギー』の意味を理解できないまま、現代科学理論の如何にも先進的・指導理論であるべき基礎学問としての理論物理学が人々を導いてきたのだ。その結果、現在の物理学理論が空間に満ち溢れている『エネルギー』の存在する事を理解せず、その意味を説く指導理論としての役割を失い、現代物理学理論が地に落ちてしまったのだ。自然世界に存在もしない『電荷』という仮想的物理量を自然科学論の基本概念として、その意味を理論物理学の根幹に据えてしまった。『電荷』など何の役にも立たない概念である事にも気付かずに。

単純な電気回路を取り上げて、その回路現象の中での『エネルギー』の、その意味を説こう。

物理量:エネルギー。 電源と負荷を繋ぐ配線がどの様に『エネルギー』を伝送する機能を担っているのか。その『エネルギー』の伝送に『電子』など何の役にも立たない事すら認識しない現代物理学理論、一体その学問としての意義は何処に在るのか。高等数学の式で、仮想物理量によって、如何に解釈しようとその先に未来は見えない。日常に有り触れた、電気回路の中に自然現象の極めて純粋な空間の『エネルギー』がその真相を見せている。その一端を述べて、『電荷』なる概念の意義を問う。

屋内配線のFケーブル。

その構造が下の図である。その図は2013年頃のものだ。当時は未だ『エネルギー』が幾らか+極側を戻るとの解釈で居た。しかしそれは誤りであった。現在は、マイナス極側に『エネルギー』が分布し、電圧の物理的意味を担っているとの解釈に在る。その意味で下図には、『エネルギー』の分布で修正しなければならない部分がある。

(訂正)。上の図で、w=3.3[μJ/m]と訂正する。

例えば、電線路に一般家庭の屋内配線に使われるF cable を使ったとする。Fケーブルは銅線を絶縁ビニルで被覆した堅牢な配線である。この配線の構造を見れば、如何にも絶縁被覆部分には何も通らないと思いたいだろう。だから銅線内部に『自由電子』が流れると、『電荷』の基礎概念を論拠にした理論展開を、疑問など抱く余地なくするのだろう。以上配線について付記しておく。

図(物理量:エネルギー)は単純な単相の電灯点灯回路である。電源が交流か直流かの違いが有っても、基本的に『エネルギー』の伝送回路という意味では同じだ。導線で挟まれたビニル絶縁体部分の空間を『エネルギー』は伝送される。その空間構造と絶縁体の誘電率、透磁率に因って回路定数の C[F/m] ,L[H/m]が決まる。『エネルギー』の伝送特性、伝送速度などがその定数 C およびL によって決まる。線路電圧Vは

V=√(δp/C)

で、電線路の『エネルギー』分布密度δp[J/m]が決まる。

さて、そこで次の〈問答〉となる。

〈問答〉負荷ランプは何を消費する電気製品か。

こんな基本的な意味から確認しなければならない程、物理学理論が意味不明な虚飾概念で論じられる状況と成ってしまった。さて『何』を使って、光を放射しているのか(?)など余りにも単純な質問である。単にランプから放射する光はどんな物理量と現代物理学理論では解釈するのかを尋ねているのだ。『エネルギー』以外の「物理量」だと解釈するならお答え頂きたい。プランク定数 h[Js] を使って、hγ [J] だ等と解釈するだけでは、光の空間に実在する『エネルギー』という物理量の意味など何も理解していないと言わなければならない。

電線路は、そこを通して電源から遠く離れた地点迄の負荷へ『エネルギー』を伝送する機能を持たせた、科学技術設備の筈だ。ただその『エネルギー』をどの様に電線路で伝送しているかの、最も基本的日常生活感覚からの解釈が出来ない理論物理学の矛盾を指摘するのだ。決して『自由電子』や『π電子(?)』等の『電荷』付加粒子が『エネルギー』を伝送する機能など持ち得ない事を指摘するのだ。『電子』などでの虚飾物理学理論の実体を市民に理解してもらって、未来に向けた真に自然を理解した科学論を取り戻したいのだ。インターネットに溢れかえる怪しい科学論らしき『電子』の虚飾性を暴き出したいのだ。『エネルギー』一つで良いことを。地球の磁気も周りを回る『エネルギー』の軸流でしかない事を。

『エネルギー』は空間しか伝送できないのだ。金属導体の中など光のような電気の『エネルギー』は伝送できないのだ。光が空間を流れる『エネルギー』の縦波である意味を理解しているかどうかを尋ねているのだ。

Fケーブルの電線路ではどの様に『エネルギー』が伝送されるかを示そう。それは余りにも単純な現象であり、特別の学問的意味など見えない。ただ、電気回路には『電子』など何処にも出る幕が無いと言うだけの解釈である。

F cable と銅線近傍の『エネルギー』伝送現象。

①はFケーブルの断面図。②は二本の銅線に、+、-の電圧極性が印加されている。その銅線導体近傍に流れる『エネルギー』を青色で、その概略分布を印した。この分布について、科学的にあるいは数式的に実験で示すのが科学論であろう。しかし、その空間に流れる、あるいは存在する『エネルギー』の分布を科学的に計測することは不可能である。だから殆ど誰も空間に『エネルギー』という物理量があるとは認識して居なかったのではなかろうか。光速度で流れ来る、太陽光線の到達する『エネルギー』の密度分布状況など測定できないと同じ意味である。薔薇の花弁から放射される光の『エネルギー』の密度分布など計測できない。

電線間には『電界』が電磁気学で定義されている。その『電界』とは、一般に空間の『エネルギー』に空間的分布勾配がある事を評価した概念と解釈できる。一般的に、空間に一様な『エネルギー』の分布はないと認識すべきだ。電線間に電圧が掛かれば、その空間には『エネルギー』の分布勾配が発生する。その『エネルギー』の密度は回路定数 C[F/m] という空間の技術的解釈定数の静電容量によって決まると観てよい。

もう一つの技術概念に『磁界』がある。当然負荷へ『エネルギー』の伝送があれば、その電線路空間には『磁界』は発生する。普通の電気磁気学理論では、『電流』という『電荷』の流れが無ければ、『磁界』は生じないとなる。それは電気磁気学理論の解釈法でしかない。自然界に存在しない『電荷』を存在すると解釈した原点からの解釈法であるから。普通の電圧レベルでは全く分からないが、高電圧の空間の『エネルギー』の密度が高い場合は、『電流』など流れて居なくても空間に『エネルギー』の高密度状態があれば、そこには『磁界が』存在することが分かる筈だ。原理的に、空間に『エネルギー』が存在すれば、『電界』があれば必ず『磁界』が在るのだ。その意味が『静電界は磁界を伴う』の意義である。地球空間には地磁気と言うほぼ一定の『エネルギー』の表面回転流が有るから、その磁気的影響の支配下に在り、低電圧の電気回路の負荷への『エネルギー』の流れが無ければ、『磁界』は地磁気の影響下で観測し難かろう。

『電界』と『磁界』はあくまでも人が空間に在る『エネルギー』の自然現象を解釈する解釈上の概念でしかないのだ。科学理論の根幹として捉えるべき物理量の『エネルギー』を如何に認識するかに掛かった解釈になる。

ニホンカナヘビの生態

(2022/07/06)。自然は突然その姿を示す。その時と場所と場面が驚きの世界に変身する。気付くか見過ごすかも自然のままに任されている。

突然久しぶりに『ニホンカナヘビ』に会う。

その生態の一つを見せてもらった。今、梅雨明けしたと気象庁の宣言が出たが、やはり梅雨の時期だ。今梅雨明けの大雨が降る時期でもある。

それを土の中で、土が軟らかくなるのを待っている生命体がいる。それが『日本雨蛙』だ。先日もNHKで雨蛙の放送がされていた。しかしほとんど間違っている。日本雨蛙の生態を捉えるには、水辺でなく、水の見えない場所でないとその生態は理解できない。土の中から、真夜中に生まれ出る。その誕生の時から、尾は消えて、決して人の目に尻尾の姿、その痕跡すら見せない。日本雨蛙の新生は今 (2013/06/29) 。

精霊バッタも生まれる時期だ。ニホンカナヘビが、生まれて間もない3㎝程の精霊バッタをジャンプして捕食する瞬間を見た。精霊バッタのお誕生日? (2013/06/27) 。

以前投稿した記事、日本カナヘビと竜のひげ (2011/05/10) を思い出した。その内容はとても貴重な生態解説記事になっていた。爬虫類の特徴で、卵の生態等。