この自然の心

(2022/06/29)。庭に展開される自然という営みをどの様に解釈すれば良いかと、己の想いは自然の心に届かないのかと、自然に脱帽だ。

昨日食べたスイカの皮(?)を地面に置いた。今朝のその姿だ。何時も予想しては居るがこの表面を土や砂で被う意味。

 

これは2日前のスイカの皮だ。

 

 

 

これは1週間ほど前のメロンの食べ後の姿だ。

 

 

 

 

必ず表面が土などで被われる。ダンゴ虫や蛞蝓が必死に食べている。初めに遣って来るのは小さな蟻だ。何処からともなく無数の蟻が表面を覆い尽くす。いつの間にか蟻は消える。その後が土等で被われる。その後、蟻は消える。翌日に成るとご覧のように覆われている。

その訳に思案する。蟻は何の為に膨大な作業をするのか。自然の世界を理解することは物理学理論の誤りを解く以上に難しい。『電荷』など存在しないのに、物理学理論ではその存在に基礎をおいて構築されている誤りを思いながら。物理学での光の波長とは具体的にどのような意味で捉えているかが誠に不可解と思いながら。

そんな、自然の今朝の営みに思う。

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