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原子と核分裂

(2022/06/13)。筆者は原子核理論に関しては素人である。

原子構造は原子核と電子殻から構成されていると言われる。天然のウラン鉱の0.7%しかないウラン235を3~5%まで濃縮したものを燃料とするらしい。

原子力発電には、そのウラン235の原子が燃料として利用される。

原子番号は92で、電子殻に『電子』が92個回っている事に成っている。原子核は陽子92個、中性子143個から構成されているとある。『電荷』によってその概念が定義される『電子』と『陽子』がそれぞれ92個で、『電荷』に対しては中性の『中性子』が143個からウラン235の原子構造が規定される。『電荷』間に発生する「クーロン力」でその構造が構築されると解釈する。しかしその構築力に関わりの無い『中性子』がウラン原子の質量の大半を担う意味で解釈される。その解釈がウラン原子の原子論としての論理性を説得するとは考えられない。この事から、あらゆる科学論の基本概念としての『電荷』が極めて怪しいものと考えざるを得ない。

原子核と電子殻

原子構造がどの様に成っているかは全く理解できない。一応核の周りに電子が回っていると成っている。その周回軌道の組を電子殻と言うようだ。

何故原子核の周りに『電子』が回っているかの原理が理解できない。原理は+と-の『電荷』間に起こる直線的引力、および同一極性の『電荷』間に働く排力の関係である。原子核は電子殻に比べて、原子中心の微細空間に在る。「クーロンの法則」では距離の逆2乗則で、マイナスの『電子』同士が近接していて排力が極めて大きい筈で、それに対して核と電子間に働く引力は殆ど意味を成さない筈だ。その矛盾に思える力関係も疑問視されない原子論の不思議は独特の専門理論が支配する世界のようだ。

原子核の構成。正の『電荷』の『陽子』92個と『電荷』が中性の『中性子』143個が原子の中心の核を構成している。その空間領域は極端に狭いとも解釈されているようだ。この構成力の原因として湯川 秀樹 博士の『中間子論』が認められている。筆者にはその理論を解釈するような能力は無いので、全く分らない。元々自然界に『電荷』なる物理量が存在するとは理解できないから、『電荷』概念を基にした科学理論そのものに意味が有るとは考えられない。『電荷』の必要性を唱える科学理論に有意義を感じない。

原子核とその分裂。

原子核はプラスの陽子と電荷の無い(?)中性子から構成されていると言う。

核分裂に求めるものは何か。それは単純な『熱エネルギー』だけの筈だ。水(軽水炉型)を沸騰させて、蒸気タービンを回す動力を得るだけだから。

その原子核がもし分裂したら、どの様な状況が起こるかを単純な考えで絵図にした。『電子』などの『電荷』概念の物理量など決して自然世界には実在しないとの認識で、どの様に専門的論理を理解すれば良いかと考えてみた。

核分裂理論で、論じられる内容の基本は、中性子が中心と成っている。核分裂で発生した『中性子』が、その『エネルギー』を減速材で速度低下した『熱中性子』となり、それが新たな原子核に作用し、核分裂させる。その作用が連続的に起これば、核分裂の連鎖反応に成る。中性子を吸収する制御棒により『熱中性子』の数量を制御可能となれば発電電力制御の目的に適う事に成る。

〈疑問1〉 核分裂で、論じられる意味は『中性子』 n に関してが殆どである。何故『エネルギー』が減速材(核分裂の主目的の水を加熱して速度低下させる材料の意味)で減速した熱中性子が核分裂に有効だと言う、その訳が理解できない。原子核理論では、『中性子』の核分裂に関わる量的な意味を『吸収断面積』と言う用語で捉えているようだ。しかしそれも具体的な意味が筆者には分からない。分からない者が論じる事に忸怩たる思いがある。しかし、『電荷』概念が、科学理論の曖昧さの混乱の基と言う思いから、止むを得ないとご勘弁いただきた。さて、原子核で原子構造論の基礎をなすのは『陽子』 p の筈だ。しかし、その『正電荷』の『陽子』 p は全く機能を持たないが如くに存在が、その機能が議論にも上らず、消し去られている。αはヘリュウム原子で、その中に『陽子』が微かに在るだけだ。何故『陽子』が必要か理解できない。そこにも『電荷』の存在機能、その必要性が見えない。

〈疑問2〉 軽水炉型の水を減速材とした、核分裂の発生『エネルギー』はその光と熱がその原子質量からの変換に因った結果として発生したものである。理論は殆ど分裂時の、分裂片・物質(α線、中性子線)の運動エネルギーから得られる如き解釈に思える。γ線(電磁波)以外はβ線(電子)とあるが、電子殻の負の『電荷』の『電子』の機能など全く意味もなさない。

以上二つの〈疑問〉で指摘したかったことは『電荷』が全く論理的意味を持たないという点である。

『エネルギー』。核分裂で発生する物理量は『熱』や「光」の『エネルギー』である。『核分裂』と言う現象は、19世紀末の「原子崩壊」による『放射線』を発見した事に始まる。放射性物質は人体内ではとても危険なものだ。『放射能』と言う用語が使われる。その現象の物理的意味は科学技術論として、詳しく明らかにされている筈だ。平和利用とは別に、軍用としての技術開発が『核兵器』として世界に大量に保持されている危険な状況でもある。そこには『電荷』概念など物理的には全く意味を持たない筈だ。自然世界の物理量は結局『エネルギー』一つしかないのだ。そのたった一つの『エネルギー』が空間に在っても、人はそれを科学的に観測し、計測する手法が無いから、その『エネルギー』の不思議な存在の実体を様々な観方で理解して、多くの解釈が生まれて、『概念』が創られて来たのである。その意味が雷の『電荷』説として人々の解釈に有効な感覚的意識化が為されたのであろう。〈雷〉は誰もが驚き恐れる自然の『熱エネルギー』の空間展開現象の馴染みでもあるから。熱と水に因って引き起こされる天空の自然現象である。〈雷〉は決して『電荷』など全く無関係の物理現象である。みんな『光』や『熱』の『エネルギー』の姿である。原子核分裂も自然現象としては『エネルギー』の現象でしかないのだ。質量も『エネルギー』の寝姿と思える。