重力と言う不思議な力。
1987年の冬の事、他人の名前(自分の名前の研究室はない)の表札が掛かった研究室から窓の外を見る。其処に映る、降りしきる雪が不思議に寂しさを呼び込む。『静電界は磁界を伴う』の電磁気学から物理学理論の根幹を問う電気学会の年次大会の『予稿』を投稿して。
愚かながら、その2年前の昭和60(1985)年4月。突然「電気磁気学」の講義を仰せ付かって、その授業担当と成った。能力不足の者の授業で、学生には不満であっただろうと申し訳なく思っている。長く電力半導体制御工学の研究しかなかったから、教えた事もない突然の「電気磁気学」の授業担当だった。しかも、初めから「アンペア―の法則」は嘘だと確信していた始末だから、そんな思いは心に秘めて授業をしなければならない。-(トランジスターインバーターの回路動作を電気理論で取り上げて教えれば、磁束は電圧時間積分値で決まると分かるのだが。伝統的教育手法が技術理論のそれを許さないだろう。)ーその思いを抱いた2年間の授業での研究の総括として、論文予稿『静電界は磁界を伴う』の提出に成った。しかし、2年間が過ぎれば、また元の木阿弥に戻る約束であったから、全く先の事など考えもしなかった。そこが世間知らずの、幼稚さだった。
雪は真っすぐに等距離を保って降り落ちる。決してその雪片の間には引力は働かない。その当時は、先の事など全く知る由もなく、只成り行き任せにボート生きていた。
その時から17年後に、 29pWD-1 ニュートンの万有引力則の矛盾 日本物理学会 第59回年次大会。2004年。
この予稿の扱いには不思議なこと(?)がある。この2004年は申年であった。万有引力を思って、年賀状に刷った。秋には、10月23日(土)の夕刻6時前、中越地震に襲われた。12月24日頃と思うが、スマトラ島沖での大津波が発生して、大きな災害が起きた。地球内部の息遣いと、そこに生きる者には逆らえない宿命かも知れない。
等と思い乍らの版画にして。
こんな版画を刷るから、地球が怒ったのじゃあるまいが?
それにしても申年は恐ろしい。
17年も前に思った窓の景色。不図不思議だと思ったことを引き摺って、投稿するなど何の因果か不思議な事があるもんだ。
万有引力則の矛盾と言っても、誰も重力や引力に疑問など抱かない。「万有引力」と言う重力理論が人の感覚を支配していると言った方が良いのかも知れない。それは感覚的に誰でも納得できる自然法則だから。リンゴが落ちる現象から偉大な法則が唱えられたと成っている。この大地に生きて、そこで経験する日常の身体に感じる感覚が引力を疑うなど許さない。
2004年当時の矛盾と言った矛盾の意味と今の想いはまた別の意味に成っている。それは科学理論としての意味を考えた時、確かに現象は引力、重力であるが、何故『質量』の間に『引力』が働くのかと疑問を抱けば、その訳を説明できるだろうか。『電荷』間の『引力』や『排力』の論理性と同じく、自分を納得させるだけの、その訳を説明できないのだ。
『質量』と『質量』との間にどの様な論理的な原理で『引力』が働くと解説できるのか。地球の『質量』を計れる訳でもなし、この『万有引力』が働くという法則の真偽を、重力の発生するその値の訳を実験的に証明が出来る訳ではないだろう。ただこの『重力』の意味の解釈論として「万有引力説」がとても感覚的に納得し易いという点で、皆がその説で解釈することが有効であることは間違いない。
だが、宇宙の『重力』等と言う話になると、そこには『質量』と『質量』の間に『引力』が働くという原理的な意味を説明するに、論理性が必要になると思う。『電荷』間の「クーロン力」と同じ意味での科学的な論理性が必要になる。長く自然科学の根源的『電荷』概念の支配論が、今怪しくなっていると言わなければならない事を思えば。何故『質量』間に引力が働くと言えるのかも考えれば分からなくなる。
最近日本の😋蜜入りリンゴがあまり食べられなくなって寂しい。それは美味しいリンゴは輸出に回る所為で、資本主義の本質的に持つ宿命の仕組みに因るからと諦めてはいるが。
長岡工業高等専門学校電気工学科、助教授。「電圧型PWM変換器を用いた瞬時無効電力補償装置の動作解析と設計法」 が 電気学会 106 巻 4 号 p.323-330. 昭和61(1986)年4月号 (61-B39) に掲載。しかし、その先の見通しは全く見えなかった。文部省共済組合の組合員かどうかなど全く意識にも無かった。