「物理学とは何だろうか」。この標題は誰でも気になる事を言い表している。本棚に片割れの(下)が残っていたのに気付いた。有名な科学者:朝永振一郎の著書だ。
折角だから、一応興味を持って読んだ。しかし、自分のような学識論に無学の者には理解できない内容と直ぐ分かった。
その一部が3頁にはじまる冒頭にある。
第Ⅲ章 1 近代原子論の成立
・・・、物理学者が原子の世界に足を踏み入れたのは、熱を単にエネルギーの一形態だとする考えではこの不十分さは除去できないと分かったからです。もっと具体的に言えば、熱エネルギーは原子の運動による力学的エネルギーだ、という考えに彼らが取りくみはじめた‥
と読んで直ぐ、感覚的に×を印したくなる。確かに内容は現代物理学理論の意味を解いている。しかし小生にはそれが受け付けられない内容なのだ。小生には、この論理『質量』の運動論的熱理論が受け入れ難い基本点である。
そこで、本棚から気掛かりな読んだこともない本 :カントの『純粋理性批判』篠田英雄訳 岩波文庫 を探し出した。しかしこの本も、(上)巻だけで、(下)巻が無い。昭和38(1963)年6月30日 第三刷とあり、古く紙質が茶色にくすんでいる。
57頁
緒言 Ⅰ 純粋認識と経験的認識との区別について
我々の認識がすべて経験をもって始まるということについては、いささかの疑いも存しない。我々の認知能力が、対象によって喚びさまされて初めてその活動を始めるのでないとしたら、・・
と言う部分を読んで、感覚的に共感した。自分も近い思いの解釈だと。
物理学は自然との心の共感を基に在るべきと思いたい。
もう一冊見つけた。『科学と方法』ポアンカレ著 吉田洋一訳 岩波文庫。
第一遍 學者と科學
第一章 事實の選擇
トルストイから見れば、「科學のための科學」とは不合理な概念であるという。・・・。
溢れる話題を深く、鋭く論じていて読みたいと思うが、さてどうかな・・。
熱と光と温度 の標題を選んだ訳は、熱現象の科学理論がとても複雑で、感覚的に自然現象の解釈としては基本的に方向音痴の理論に思える。『質量』とその運動エネルギーに意識が強く偏った理論に成っている。空間に実在し、しかも『質量』に関わりない『エネルギー』の存在に気付いていない論理は基本的に間違っている。原子や分子の運動エネルギーで解釈する「気体分子運動論」は間違った自然現象解釈論である。その点を意識した標題である。
『熱』とは何か?『温度』とは何か?それらと『エネルギー』との関係をどの様に捉えるか。光の『エネルギー』をどの様な空間認識で捉えるか。
光も熱も、その自然の実体は基本的に同じものであり、それは空間に雲のような物に似た姿で、科学的計測法で捉えられない『エネルギー』の流れなのである。ただ違いは『光』は光速度で流れる『エネルギー』の密度分布波であり、『熱』は質量体、物体の内部空間に留まった『エネルギー』の局所密度分布流である。花の花弁内の分子構造空間内で変換されて放射される前の状態の直線的な流れで無いから、状態としては『熱』に近い『エネルギー』である。花弁の表面から周波数変換されて外部に放射されれば『光』となる。植物の細胞内で『同化作用』という現象を経れば『光』は『質量』となる。その植物の木が枯れて焚火に成れば、また『光』や『熱』と転変万化の自然の仕組みの中に流れる。『質量』の運動エネルギーによる『気体分子運動論』は自然の真相を見ない滑稽な現代物理学理論の認識だ。そこには『温度』の意味も見えない筈だ。
光がどの様な物理的実体かは、目の前の自然の色彩、風景の色あるいは揚羽蝶の羽根の色を見れば、何となく感覚的にその本質が感じ取られるのではないか。図は紫外線が物の表面に入射し、内部空間構造内で共振現象などによって、周波数変換後波長が変換されて、放射される意味を描いてみた。みんな空間の『エネルギー』の密度分布波だから、自由を謳歌する自然の姿と解釈する。
熱力学で『エントロピー』や『エンタルピー』という概念がある。それらの意味はとても不可解である。
例えば、1気圧で、水1[kg]の0[℃]と20[℃] における『エントロピー』、『エンタルピー』の値はそれぞれ幾らでしょうか?
また、『温度計』は何を計るのだろうか。天気の良い日向に『アルコール温度計』を置いた。その指示値は何を計った事に成るのだろうか。『温度』とは何か?
『温度とは何か』が問うもの (2011/05/07) はそんな意味を問う心算であった。
結局、原子構造論が小生には理解できないのだ。『電荷』がどんな理由で『引力』や『排力』の原因となるかの論理性が無いから。
『論理性』をもった、哲学的な考える物理学理論であって欲しい。