(5月25日)。先程、午後2時40分ごろ、意味の分からないヘリコプターからか『空情報』が轟音を立てて上空を行き過ぎた。
自分探しの前に、気付けば愚かな自分を知る。
『国家』や『政府』と言う意味についてさえ考えてもいなかった。全く無知であった。憲法の意義も、三権分立の意味も全く知らずに来た。昭和最後の年(1988)に、自分の居所が無いのだとようやく気付き、電気学会での、電磁界理論研究会の発表を最後に、人生の意味と自分探しの放浪の旅を始めた。それから、有斐閣の『六法全書』なども購入し、社会の意味を考え始めた。その分厚い2巻の本も何時の間にか消えて、今はない。多くの物が、何の因果か、この住処で消えて無くなった。先日も気付いた。何の意味か知らないが、有り触れた本「朝永振一郎著、物理学とは何だろう 上」が消えて、「下」だけが残っている?怪しさ取り囲まれている。とても悲しいのは、自分で半田付けした古い『テスター』も消えてしまった。それは数年前だ。相棒が消えた 。
過去を振り返れば、どの時も人生を生きる足跡が全て曖昧のまま、生きてきた証が茫洋として霞の中に消えてしまう。
舞鶴鎮守府への『戸籍転籍』 昭和14(1939)年12月1日に戸籍が転籍された。風雲が怪しくなったので、父は戦争へ行くの避けるため、「日本発送電株式会社」へ10月1日に入社した。しかしその12月に、内務省関係による『戸籍転籍』の処置が執られたのだと思う。当初は、長野県栄村志久見および新潟県中魚沼郡鹿渡の東電社宅に住む。その後舞鶴海軍住宅に。京都府舞鶴市溝尻 海軍住宅に終戦の1945年8月15日過ぎまで住む。一戸建て平屋が4戸ほどあった。その一つに住む。その前には、塀が巡らされた一戸建ての立派な住宅が並んだ、海軍住宅地。昭和16年9月召集令状、その後父は巡洋艦「香取丸」の『在役艦』となり、戸籍が「香取丸」に移動となった。昭和19(1944)年2月、香取丸は被弾沈没、同年3月31日船籍除籍となる。戦後75年間の不可解(2020/06/23) 。
その恐ろしさを今になって噛み締めている。遅まき乍ら、過去の意味を知りたいと昨年の暮れに、思い切ってお尋ねをした。20年程前の昔にも、理事長様にも確認などお手数をお掛けしたが、何処かの大学の曖昧なお便りだけで、矢張りどこの『共済組合』に加入していたかは解答が無く、意味不明に翻弄されたまま今日まで来た。
『個人情報保護法』が有るらしい。総務省主管か?
『行政機関の保有する電子計算機処理に関わる個人情報の保護に関する法律』(昭和63(1988)年12月16日 法律第96号) 施行、平成1(1989)年10月1日。
しかし、未だに正式な、理事長様からの御回答が頂けない。
如何わしい偽情報だけがある。
その訳は何故なのか?
私には、人権が保障されていないのか?
今年の春、2,3月から周りに変化が現れた。それも、怪しさの空情報が空を駆け巡るだけで、自分が関係しているらしき事を、自分が知らずに周りが知っているかの怪しさだ。自分には何十年も同じ空情報だ。今日も何かの意味あり気な『紫花❓』の壁絵に先程(pm:2.30)変わった。
情報公開請求に御回答を頂きたい。無いなら無いと、私の精神的混迷をお助け下さいますよう切にお願いいたします。