雷に感応して

雷に『電荷』は無関係だ。しかし、学術論は『雷』と『電荷』の二つの間の関係を欠くことの出来ない科学的論拠として関連付けられる。少し諄い(シツコイ)と反感を抱かれるだろう。しかし同じ事であっても、繰り返し、視点を変えて伝統的科学論の誤りを指摘したいから御勘弁ください。

何故こんな事に成ったのか?『電荷』概念無しの科学論は教科書には無い。

原子論も『電子』と『陽子』の『電荷』による「クーロン力」でその構造構成原理の解釈がなされる。『電子ちゃん』と『陽子ちゃん』がお互いにどんな力で惹きつけ合うかの科学論の論理性等どこにも無いにも拘らず、只こう解釈したら良かろう位の科学者の権威ある御意見が支配する世界論に染まってきたように思う。

『電荷』概念の科学基礎概念化の論拠。そこに、やはり『雷』の不思議が『電荷』概念を科学理論の根幹に据える決定的な役割を果たして来たように思う。

雷の正体で取り上げた図だ。その記事でも述べた。この雷の『ピカッ』と光る落雷時の光を誰もが見て知っている。自然科学はこのような自然現象に遭遇した時、おそらく誰もがその現象の意味を深く理解する事は出来ないだろう。最初に、何処かでその解説や専門家の記事を読んで、その意味を知る事に成ろう。しかしその時点で、それ程考える科学的批判力や現象を考えるだけの基礎理解力を持ってはいないだろう。やはり知識として身に付けるのは学校教育の場ではなかろうか。学校教育での教科書の記事内容によって皆がその通りに共通解釈を強要される。テストでその通りに答えなければ、成績評価が悪くなる。

もう一つ『雷』に特有な現象が有る。それは光の稲妻の跡、『ゴロ、ゴロ・・』と言う怖ろしく大きな轟音が響くことである。

『稲妻』と『轟音』の二つが、『雷』の特徴であろう。

図の稲妻の光の筋を見て、何がその光の放射『エネルギー』に成ったかを学術理論は論理的にその発生原因の解釈を示しているだろうか。その一筋の光が四方に光速度で円筒の筒状に拡散しているという意味を認識しているだろうか。その光が観測者の目に到達したから稲妻が見えた訳です。観測者の目の角膜内に入射した僅かな分の『エネルギー』を認識して、稲妻の姿を知った訳です。目に入射した光の『エネルギー』分が如何に僅かな量でしかないかは理解できよう。その僅かな『エネルギー』波の分の全空間の積分量が稲妻の全放射『エネルギー』分になる。

次に『ゴロ、ゴロ』と響く、恐れ慄かせる轟音が稲光の後から押し寄せる。稲妻の光よりその轟音に恐れおののく。その『ゴロ、ゴロ』の音の意味は何だと考えますか。

花火が上がると、『ドーン』と一つの音がする。火花の爆発には、その爆発の時間経過は結構長い筈だ。だから周辺からの反射音があっても一つの『ドーン』と言う音に成って聞こえる。花火の爆発と雷の放射現象の時間的長さが全く違う。雷の火花放電は⦅ビシッ!⦆と時間的に極めて短い瞬間に終了してしまう。光は強く見えるが、時間は極めて瞬時だ。光が量子性と言う意味は、光も『物』と同じように縦波のような壁に衝突現象を及ぼす。その稲妻光の周辺への衝撃が極めて短い瞬時波だから、同心円状に周辺への衝撃が繰返しの反射音として響き渡るのだ。だから衝撃反射音として音の連続の『ゴロ ゴロ』の繫がりとして聞こえると解釈する。科学論としての検証が可能ならば良いのだが、如何であろうか、無理のように思う。

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