プリズムと光量子の分散

日本物理学会での発表欠席の論文がある。第64回年次大会の事。

28aYE-2  プリズムと光量子の分散 p.405. (2009)

および、

30pSF-11  エネルギーが質量の基 p.20.  (2009)

「予稿集の  p.20.  の内容で、訂正がある。

次の部分で、衝撃波の波頭値H=chλ⁻⁴e  [Jm⁻³] とすべきところ、 eが落ちていた。

δ(λ)=H(x/λーt/τ)…[Jm⁻³]      (1)

ただし、衝撃波の波頭値H=chλ⁻⁴ [Jm⁻³]         」

の2報である。誠に関係者にはご迷惑をお掛けしたことをお詫びしなければならない。

参加・発表を無断で欠席した。発表内容は極めて獨想的で、重要な意味を持っていると今でも大切に思っている内容だ。しかしその頃、東京と言う近隣であり乍ら故意に参加もせず、地元のプールで泳いでいたと思う。参加もしなかった訳は、所属も排除された者が発表する意味が有るのかとの思いが強く、臍を曲げての所業だったように思う。🙇。

今日検索で、『プリズムの原理』を見たら、その解説には『原理』等どこにも見当たらなかった。それは光の空間像が理解されていないから当然と思う。波長が短いと媒質で速度が遅くなるとの解説でしかない。所謂現象の説明である。意味は分からないけれども覚えなさいと言う学校教育。

量子コンピュータと言う科学技術の未来が近い中で、科学基礎理論の物理概念が極めて曖昧である現状は異常な科学技術論の世界と言わなければならない。理科基礎の教育の現在が問われなければならない事態の筈だ。先には、日本学術会議で、教育の基礎的目標をどう捉えて進むべきかと『参照基準』が報告されたが、筆者には「理科」や「電気工学」については、その報告内容は、未来への視点としては全く過去の踏襲・停滞のままの物に思える。

矛盾の『電子』、『電荷』問題は教育を受ける子供達の為にどうすべきかが問われている筈だ。光の『エネルギー』の認識無くして、未来の理科教育は有り得ない。

光の空間像認識電荷の否定は科学的発見か (2013/09/27)。やはり物理概念の『電荷』をもう一度、その意味を問う必要があると思った。何故『電荷』を否定するまでになったかの過去の過程を。『科学法則』と言う一見有効に思える科学論の社会的な影響の意味も。何時までも何か期待に応えられずにいるようで❓

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