小部屋の照度とエネルギー

(2022/04/20)。何処かで学生さんや大学の先生方に話がしたい。儚い望みかと噛み締めながら。話の内容は途方もない、科学常識理論から外れた事に成るかも知れないが。

その訳は、余りにも科学論の理論物理学や数学的記述の基礎理論解説論が専門家と言う業界の絵空事理論に成っているようで、何とかできないかと考えてしまう。余り誰もそのような意識を持っていないようだから尚更だ。解決すべき問題はただ一つ『エネルギー』の空間に実在する自然世界の基礎認識を持って欲しいだけなんだ。ここでは、少し変わった視点で、光の明るさの照度という照明の意味に絡めて、『エネルギー』を考えてみたい。日常生活に根差した科学論としての『エネルギー』の話を。

小部屋に電球40Wを点灯した。ワット[W]は電力、仕事率という1秒間当たりの『エネルギー』の消費量を評価する技術概念量だ。電灯線から電気の『エネルギー』を取り込んで、電球で光への『エネルギー』の変換をする科学技術的方法だ。科学技術としての照明学会などの部屋の明るさを評価する独特の技術概念がある。その単位が、照度はルクス[lx]で、光の量・光束はルーメン[lm]が使われる。その量的評価にも、大事な『エネルギー』量の意味は関係付けられていない。というより分からない、あるいは評価できない宿命にある。光の明るさは人が感覚的に認識する生物学的検知機能によって決まるからである。目の視感度曲線によって光の量・『エネルギー』の量に比例した強さでは感じ取れない人の感性に因っているからだ。紫外線が幾ら強くても明るさとしてはほとんど感じず、見えない。同じく「赤外線」も見えない。

この小部屋の照度で何を言いたいかというと、電球が放射する光の『エネルギー』が何処に消えるかを尋ねたいのだ。さて中学生に聞いたらどのように答えるか?大学の物理学教室の先生はどの様にお答えなさるか。電球が放射する『エネルギー』量は時間積分で無限に部屋の中に増加する訳だが、決して明るさが時間と共に明るくなることにはならず、ある一定の値の明るさに落ち着く。照明論では球形光束計という光束測定の技術で決まった定義付けで評価する量の問題ではある。無限反射の級数計算で評価する。その光束量も、光と言う空間に実在する『エネルギー』の流れ・光速度流の意識で理解して欲しいのだ。前に、布団乾しー温度の理科基礎(仮称)ー (2016/04/14) で太陽光線の意味を述べた。光は熱にも質量にも変換されると言う解釈である。小部屋の照度は放射された光の『エネルギー』が消えてなくなる訳をどの様に考えるかという、日常生活感覚論ともいえる問題の筈だ。無限の壁の面での『エネルギー』の縦波の入反射現象の解釈問題でしかない。

科学技術理論と科学基礎概念・理論の間の不協和・断裂問題。それは学校基礎教育問題である。

現在みんなが、科学技術がこのインターネットの情報化を構築し、医学のコロナウイルスの脅威から人を救うなど、その恩恵によって、理解の限界を超えた世界に生きている。しかし、その科学技術と科学基礎理論との間にポッカリと空いた断裂の暗闇が、望ましい「科学リテラシー」の基での市民による未来社会構築を進めるべき道に空恐ろしい断崖絶壁を創り上げてしっまった。何故この様な「嘘」の科学基礎理論が理論物理学者によって、正しく修正されずに来てしまったのか?どこに『電子』や『電荷』の必要があるのか?役にも立たない嘘概念で理論物理学が世界を混乱させている。太陽からの贈り物の『光』が古代の地球の巨樹を繁茂させ、植物の光の同化作用で『ブドウ糖』の『炭素』が創られ、それによって巨大な底知れぬ巨大な動物が繁茂し、燃料と言う地下資源化を引き起こして、現在の地球が有る。太陽からの『エネルギー』が基に成っている筈だ。大きな屋敷のお庭を見れば、そこには巨樹の化石化した庭石の柱状節理の姿も見える。みんな光の『エネルギー』を意識せずには科学理論は何処か大きな矛盾を抱えた怪しさの道に迷い込む筈だ。今がその時にある。

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