神経伝達信号。指先が沸騰したお湯の容器に触れた。あッ!と指を離す。その時、体の危険を察知し、瞬間に反射神経とやらで体が動く。神経細胞を何かが伝達する。指先に皮膚から何かの信号が侵入する筈だ。体温との差が、その刺激の信号の基になる筈だ。身体全体からは、常時外部空間に熱の『エネルギー』が放射されている。それは基礎代謝の量を決める意味にも成っている筈だ。物理学では電磁気学、電波などの『エネルギー』になる。生体では、血管などを通して体全体に供給される熱の『エネルギー』である。『エネルギー』とは何かと問えば、物理学では「仕事をする能力」等ととても理解し難い定義が飛び出す。光の空間を伝播する『エネルギー』をそのような定義で唱える理科が有ってはならない。気体分子運動論などその部類だ。神経伝達信号の波形も『エネルギー』の縦波なのだ。基準は体温の『エネルギー』分布が基に成り、それに対する『エネルギー』の差が『エネルギーギャップ』となり危険信号波の f 波形となる。この信号波はスマホで放射する信号波と基本的には同じものと見做して良かろう。神経の専門的学説では、『シナプス』という神経伝達経路の空間ギャップが「電気信号」は伝送できないから、神経伝達物質によって、神経情報が伝達されると成っているようだ。空間ギャップは電磁波信号の最も伝送し易い空間の筈と理解している。少し専門的学説と祖語の思いがある。
味覚や聴覚あるいは色覚なども神経を伝わる信号波にその特徴がある筈だ。「波はエネルギー流」という物理学会での発表に都合で参加できずに終わった。2011年秋の事。NHKの番組「ためしてガッテン」でそのころ放送して頂いた内容が良かった。応援実験だったと勝手に解釈している。パラボラアンテナの反射現象をよく実験で示して貰った。電磁波は横波では解釈できない筈だ。
専門的でない万事屋みたいな記事で、科学論とはならないでしょうが。これが『日常生活科学論』かと御勘弁いただきたい。経済性追求の競争社会を目指す教育体制には誠に具合が悪いかも知れない。しかし、高等学校の「理科教育」の内容としては、こんな日常生活に不図疑問を抱く身の周りの現象を考えることが一番子供達には大事な事と思う。科学技術用の理科教育ではなく、日常生活上の自然現象の本質を捉える教育内容でなければならない。
余り誰も意識しない『電圧』と『体温』の相似性と言う面での解釈を示そう。そんな『電圧』と『体温』の相似性等という事の意識は無い筈だ。しかし、そこにはとても大事な意味が隠れているのだ。それが『エネルギー』という自然世界を創り上げている、この世界の根本要素の話なのだ。『光』という目の前に満ちている、空間に展開する『エネルギー』の姿を認識していますか。『光』の空間像を認識していますか。その光の意味を、物理的意味を理解するに欠かせないのが『プランク定数』の空間的概念認識なのだ。その次元は『エネルギー』と『時間』の積である。次元がh[Js]の[Js]の空間的意味を理解していますか。その『エネルギー』の次元が[J]である。電気回路を通して、取り入れて使っているものは、『電圧』でも『電流』でもなく『エネルギー』なのだ。使っているのは『エネルギー』の量なのだ。利用する側にすれば、『電圧』が幾らであろうと一切気にせずに電気使用量金額に示された電気の『エネルギー』量、[kWH]の数値なのである。それは電気回路の電線で挟まれた線路空間を流れる、光速度で流れる目に見えないが光と同じ『エネルギー』なのだ。決して『電子』など何処にも流れていないのだ。何故科学者は『電子』など自然世界に存在もしない概念を創り上げて、訳の分からない複雑な物理学理論を創り上げて来たのか。『電圧』や『電流』は科学技術用に、自然を利用するための自然空間に存在しない科学技術用概念でしかないのだ。それは自然科学論の基礎学問となるべき物理学と言う自然の真髄を解明しようとする学問の解釈概念としてはならない『量』なのだ。『電圧』や『電流』は科学技術用方便概念でしかないのだ。それを物理学の基礎概念と誤解してきたところに、『電荷』なる奇妙なものを創り上げてしまったのだ。
『電圧』と『体温』。
『電圧』は電気の『エネルギー』を利用するために、皆の処に在る『エネルギー』のレベルを安全な値で配分する基準値に決めている。家に引き込む「電圧」は100ボルトか200ボルト(三相動力用電源)である。ただ電灯用でも、200ボルトは使える。しかしそれは危険性から観れば、100ボルトと同じ値なのだ。地球のアースに対して100ボルトしかないから。市内配電電源の電圧は変電所から高電圧(6300ボルト)で配電し、柱上変圧器で低電圧の安全値に下げて供給している。その『電圧』値は100ボルトなら、電線の形状、配置をどの様にしようと100ボルトのままだ。それは電線路に合わせて自動的に、その電線路の空間に供給する『エネルギー』の分布密度が変化しているのだ。電線路空間形状、即ち電線路の空間の静電容量値[F(ファラッド)]によって『エネルギー』の分布が決まるのだ。『電子』など全く意味が無いのだ。『電荷』などこの自然世界には存在しないのだ。それでも学校で学習する理科、物理学では『電荷』や『電子』が後生大事に教えられ、先生方もその指導法に従わなければならない事に成っているのだ。
『体温』も体全体の形状や構成要素によって、そこに分布する『エネルギー』の量が自動的に決まる事に成っている。血液が隅々まで『エネルギー』を行き渡らせるのだ。この程度の事は難しい生物学を学習しなくても分かるだろう。アデノシン三リン酸はとても理解できないが。体温と呼吸 (2022/03/26) に日常生活感覚から記事を書いた。