月別アーカイブ: 2022年4月

放射光の発生原因の不可解?

部屋の照明は白熱電球で、最近はLED照明灯具で得られる。

雷の稲妻光は天空の自然現象だ。本当は海水から蒸発した水蒸気の空間への放射熱エネルギーなのだ。『電荷』が何故光になるか、その説明が全くないのだ。科学者の解説が筆者には全くの『嘘』にしか思えないのだ。皆さんが何故『電荷』を信じるか理解できない。プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』がどの様な反応によって『光』に変換されるかの解釈が全く示されていないにも拘らず、専門家の学説をいとも簡単に信じる事の不思議な社会現象が理解できない。殆ど考えない科学者集団の専門的複雑な権威に完敗の社会現象だ。

( +Q[C] ) *( -Q[C])    =    光『エネルギー』

上の式の『等号 :=』の数学的定義解釈の不可解。

何故、電荷が結合すると、どの様な物理的原理で『光』になると言うのですか。

『電荷』論者はどの様な解釈論を展開なさるか。『電荷』否定の私には理解できないのだ。

発光例。

白熱電球 (2013/02/28) の画像だ。エジソンの発明によって、蠟燭や燈油ランプから白熱電球の明るい照明技術の恩恵を受けてきた。こんな電燈の光放射現象についてもどれだけ論理的な物理学理論に因る解釈が示されているだろうか。電球フィラメントが2000度か3000度の高温度になると、光が放射される。『エネルギー』は熱であろうと光であろうと、どちらも同じ物理量のジュール[J]と言う実在空間量なのである。光の『エネルギー』をどの様な空間の量と認識するかが問われている筈だ。光も壁に入射すればそのある分が『熱エネルギー』に変換され光から熱に変わる『エネルギー変換現象』の経過を辿るのだ。『電子』論者は電源からどのように『エネルギー』を負荷に伝送するかを示さなければ成らない筈だ。『電子』には全くその機能を発揮するだけの論理性を担うことが出来ないのだ。

 雷の正体 (2012/11/13)で示した絵だ。送電線の鉄塔電線保持碍子に、碍子保護用具としてアークホーンが取り付けられている。雷の衝撃電圧が電線路に侵入した時、碍子の表面から火花を離す機能を発揮する。その火花をアーク放電と言う。当然発光と熱現象を伴う。

雷から光量子像へ (2021/08/27)の絵図である。雷の正体が何かを知ることは大事な自然現象の認識に欠かせない。この絵図は、その雷が空間に光の『エネルギー』の衝撃波を放射させる現象であり、その発生の瞬間の空間像の認識に役立つかとの思いで表現したものである。自然の世界は、その本質が極めて単純、純粋であるからこそ人が複雑に解釈したくなるほど理解が困難なものと思う。結局『電荷』なる虚構概念を仮想して、自然現象の『雷』を理解しようとした訳である。科学理論は人が自然現象を解釈する手段として創り上げたものである。だから物理学理論も、その原理を詳細に吟味すれば、その解釈論理には、とても曖昧で「こう解釈したら良いのではないか」程度の思惑論が多いのだ。『雷』はその観測に必ず放射光の稲妻が観測される。その光とは何かと本当に理解して『電荷』との論理性を捉えたかと言う問題なのである。

元々、雷撃の衝撃波形を、送電線路での保護対策の電気技術として研究される過程で、その電圧波形が基準波形として決められていた。その衝撃波形は『電圧波形』でオッシロスコープなどで観測され、その2乗に依り空間の『エネルギー波形』の伝播現象と当然の事として見做していた。

光の作用性の強さが『周波数』に依存すると言う科学的知見(プランク定数)で理解されていた。光の粒子性と波動性と言う二つの見方の統一が必要との思いから、雷撃波の空間『エネルギー』分布波との結び付き以外光の空間像は捉えきれないとの認識から、光量子空間像を提起した。その最初が、 28aYW9 プランク定数の次元と実在概念 第56年次大会 日本物理学会講演概要集 p.310. (2001)  である。『雷』が空間の熱エネルギーの飽和現象の爆発であるとの見方で、指数関数形に表現したのである。

結局、海の温度と上空の寒気団との関係から、地表の水蒸気が保有する『熱エネルギー』の水分子の膨張・収縮現象との兼ね合いで空間に『エネルギー』が滞留するのである。その『エネルギー』が保有限界を超えた時、突然の『エネルギー』放射爆発となるのだ。それが『雷』の本質である。決して『電荷』等の創作概念は無関係である。

光は、焚火の光も白熱電球の光も、稲妻の光も全て同じ自然の本質の姿、『エネルギー』の姿なのである。空間を光速度で伝播する『エネルギー』の縦波である。光は『エネルギー』である。熱も『エネルギー』である。電気回路を流れるのも『エネルギー』である。質量も『エネルギー』である。自然の本質は『エネルギー』なのである。

法則は思考停止の‥(オームの法則)

自然現象を解釈する、あるいは科学技術理論を繙くとき、その意味を理解するためのとても有効なものが『何何の法則』と言う形式の解釈論である。

その『‥の法則』と言うだけで、いちいち細かい条件や、状況を言わなくても大よその科学論の内容が伝えられる。

その御蔭で、科学論が論じ易くなっていることも確かだ。『‥法則』と言う解釈論法の有効な点だ。しかし、それはまた、その『‥の法則』と言うだけで、その内容の意味を深く考える習慣を失わせる欠点にも成り易いのも事実である。

『‥の法則』と言えば、それが過去の科学理論を支えてきて、現在まで教科書などの記述の内容を支えていれば、其れだけで科学論の常識と成って、深く考える、疑問を抱く事は無い。

全て思考停止の安穏御殿で安んじて過ごせる。

その意味を有名な『オームの法則』を例に取り上げてみよう。

法則とその回路。

1820年の『アンペア―の法則』。

1826年の『オームの法則』。

1831年の『ファラデーの法則』。

中でも、『オームの法則』は誰でも知っていて、電気回路を考える時に欠かせない、基礎的科学技術理論の『法則』と言えよう。

図は電球の点灯回路だ。『電圧』 V[V]、『電流』I[A]、『抵抗』 R[Ω]そして負荷の『消費電力 』P[W]の4つの電気技術概念量の関係で、電気現象を解釈する『法則』を考える意味を表現した回路である。

この法則の御蔭で、電気回路現象の利用は誰でも可能になって、現在の電力『エネルギー』の生活を支える基盤技術文化を構築できた訳である。

しかし、それでも『電圧』および『電流』の物理的意味をどれだけの人が分かっているだろうか。それは技術法則が、それ以上考える必要もなく完璧で、その自然の真髄を考えても経済的利益にはつながらない宿命に在るからなのかも知れない。

『電流』、『電圧』の物理的意味。その意味は空間を流れる『エネルギー』で電気回路現象を理解する必要があるのだ。

やめて欲しい教科書や巷のIT検索場の解説。特に中学生の、まだ理解できない子供達に対する押し付けの、考えない人の解説が横行している現状が悲しくも怖ろしい。

それは『電流』が『電子』の逆の流れだと言う、自然の世界を理解していない、自然世界に『電荷』など実在しないにも拘らず、『電子』と言う『真赤な嘘』の『創り概念』に因る解説である。

その責任は大学の教育者や物理学研究者の専門家にお考え頂かなければならない社会的課題でもあると思う。社会の仕組みや体制、社会制度を考える一般市民の科学的認識による未来社会への希望が生かされて、未来を構築する道に成るものと思う。その意味で少し、『電荷』による解釈の具体的な問答を提起し、皆さんからも教育に意見を反映して欲しいと思う。

〈問答〉

『電荷』概念による解釈理論。特に『電子』が『電流』の逆に流れると言う解釈理論の意味を考えて、その『電子』が論理的な科学理論となるかを確認して欲しい。

回路条件。

回路条件を右図のように仮定する。電気回路の分布静電容量を、一例としてC=1[pF/m]と仮定した。電球の電力をP=1[W]。勿論『エネルギー』の電気回路内の伝送速度は光速度である。この空間を流れる『エネルギー』の概念が重要と解釈するが、物理学理論ではほとんど意識されていないようではあります。

「問1」 電線路電圧3[V]は何によって決まるでしょうか?その『電圧』の原因が『電荷』ならその分布はどうなるでしょう。またその『電荷』の内、プラス側の『電荷』はどの様な『物(元素、イオンあるいは素粒子)』が担うのでしょうか。

「問2」 電流 I=0.33[A] となる。『電子』が流れるとすれば、その電線内の分布量[C/m]または[個/m]は幾らでしょうか。また『電子』の流速は何によって決まるのでしょうか。ただし、『電子』の電荷は1.602×10⁻¹⁹ [C]とします。

「問3」 特に重要な問題が『電子』はどの様な機能によって、ランプに消費する『エネルギー』を伝送するか。という事である。『電子』の運動エネルギーかそれとも他の機能で負荷に届けるのかの『電子』論に対する『エネルギー』伝送の根本的疑問である。届けた後の帰りの『電子』の保有『エネルギー』はどの様になるか。それが『エネルギー保存則』の意味を考えて、欠かせない基本である。電源から負荷に『エネルギー』を伝送するのが電気回路の役割であるから。過去の記事電子は流れずがある。

「問4」 上の『電子』の分布の場合に、その流れが『電圧』の電荷分布に影響を及ぼすことはないのでしょうか。

以上、物理学理論の根源概念『電荷』が電灯点灯回路に果たすだろう機能を仮想して、その意味を考えてみた。その場合の疑問を『問答』にした。全く専門的学説に疎い者の解釈ですが、基本的な疑問を取り上げました。余りにも幼稚な疑問であるとは思いますが、大学理学部の教育関係者や理論物理学の専門家の視点で解釈を頂ければ有り難いです。

 

 

プリズムと光量子の分散

日本物理学会での発表欠席の論文がある。第64回年次大会の事。

28aYE-2  プリズムと光量子の分散 p.405. (2009)

および、

30pSF-11  エネルギーが質量の基 p.20.  (2009)

「予稿集の  p.20.  の内容で、訂正がある。

次の部分で、衝撃波の波頭値H=chλ⁻⁴e  [Jm⁻³] とすべきところ、 eが落ちていた。

δ(λ)=H(x/λーt/τ)…[Jm⁻³]      (1)

ただし、衝撃波の波頭値H=chλ⁻⁴ [Jm⁻³]         」

の2報である。誠に関係者にはご迷惑をお掛けしたことをお詫びしなければならない。

参加・発表を無断で欠席した。発表内容は極めて獨想的で、重要な意味を持っていると今でも大切に思っている内容だ。しかしその頃、東京と言う近隣であり乍ら故意に参加もせず、地元のプールで泳いでいたと思う。参加もしなかった訳は、所属も排除された者が発表する意味が有るのかとの思いが強く、臍を曲げての所業だったように思う。🙇。

今日検索で、『プリズムの原理』を見たら、その解説には『原理』等どこにも見当たらなかった。それは光の空間像が理解されていないから当然と思う。波長が短いと媒質で速度が遅くなるとの解説でしかない。所謂現象の説明である。意味は分からないけれども覚えなさいと言う学校教育。

量子コンピュータと言う科学技術の未来が近い中で、科学基礎理論の物理概念が極めて曖昧である現状は異常な科学技術論の世界と言わなければならない。理科基礎の教育の現在が問われなければならない事態の筈だ。先には、日本学術会議で、教育の基礎的目標をどう捉えて進むべきかと『参照基準』が報告されたが、筆者には「理科」や「電気工学」については、その報告内容は、未来への視点としては全く過去の踏襲・停滞のままの物に思える。

矛盾の『電子』、『電荷』問題は教育を受ける子供達の為にどうすべきかが問われている筈だ。光の『エネルギー』の認識無くして、未来の理科教育は有り得ない。

光の空間像認識電荷の否定は科学的発見か (2013/09/27)。やはり物理概念の『電荷』をもう一度、その意味を問う必要があると思った。何故『電荷』を否定するまでになったかの過去の過程を。『科学法則』と言う一見有効に思える科学論の社会的な影響の意味も。何時までも何か期待に応えられずにいるようで❓

小部屋の照度とエネルギー

(2022/04/20)。何処かで学生さんや大学の先生方に話がしたい。儚い望みかと噛み締めながら。話の内容は途方もない、科学常識理論から外れた事に成るかも知れないが。

その訳は、余りにも科学論の理論物理学や数学的記述の基礎理論解説論が専門家と言う業界の絵空事理論に成っているようで、何とかできないかと考えてしまう。余り誰もそのような意識を持っていないようだから尚更だ。解決すべき問題はただ一つ『エネルギー』の空間に実在する自然世界の基礎認識を持って欲しいだけなんだ。ここでは、少し変わった視点で、光の明るさの照度という照明の意味に絡めて、『エネルギー』を考えてみたい。日常生活に根差した科学論としての『エネルギー』の話を。

小部屋に電球40Wを点灯した。ワット[W]は電力、仕事率という1秒間当たりの『エネルギー』の消費量を評価する技術概念量だ。電灯線から電気の『エネルギー』を取り込んで、電球で光への『エネルギー』の変換をする科学技術的方法だ。科学技術としての照明学会などの部屋の明るさを評価する独特の技術概念がある。その単位が、照度はルクス[lx]で、光の量・光束はルーメン[lm]が使われる。その量的評価にも、大事な『エネルギー』量の意味は関係付けられていない。というより分からない、あるいは評価できない宿命にある。光の明るさは人が感覚的に認識する生物学的検知機能によって決まるからである。目の視感度曲線によって光の量・『エネルギー』の量に比例した強さでは感じ取れない人の感性に因っているからだ。紫外線が幾ら強くても明るさとしてはほとんど感じず、見えない。同じく「赤外線」も見えない。

この小部屋の照度で何を言いたいかというと、電球が放射する光の『エネルギー』が何処に消えるかを尋ねたいのだ。さて中学生に聞いたらどのように答えるか?大学の物理学教室の先生はどの様にお答えなさるか。電球が放射する『エネルギー』量は時間積分で無限に部屋の中に増加する訳だが、決して明るさが時間と共に明るくなることにはならず、ある一定の値の明るさに落ち着く。照明論では球形光束計という光束測定の技術で決まった定義付けで評価する量の問題ではある。無限反射の級数計算で評価する。その光束量も、光と言う空間に実在する『エネルギー』の流れ・光速度流の意識で理解して欲しいのだ。前に、布団乾しー温度の理科基礎(仮称)ー (2016/04/14) で太陽光線の意味を述べた。光は熱にも質量にも変換されると言う解釈である。小部屋の照度は放射された光の『エネルギー』が消えてなくなる訳をどの様に考えるかという、日常生活感覚論ともいえる問題の筈だ。無限の壁の面での『エネルギー』の縦波の入反射現象の解釈問題でしかない。

科学技術理論と科学基礎概念・理論の間の不協和・断裂問題。それは学校基礎教育問題である。

現在みんなが、科学技術がこのインターネットの情報化を構築し、医学のコロナウイルスの脅威から人を救うなど、その恩恵によって、理解の限界を超えた世界に生きている。しかし、その科学技術と科学基礎理論との間にポッカリと空いた断裂の暗闇が、望ましい「科学リテラシー」の基での市民による未来社会構築を進めるべき道に空恐ろしい断崖絶壁を創り上げてしっまった。何故この様な「嘘」の科学基礎理論が理論物理学者によって、正しく修正されずに来てしまったのか?どこに『電子』や『電荷』の必要があるのか?役にも立たない嘘概念で理論物理学が世界を混乱させている。太陽からの贈り物の『光』が古代の地球の巨樹を繁茂させ、植物の光の同化作用で『ブドウ糖』の『炭素』が創られ、それによって巨大な底知れぬ巨大な動物が繁茂し、燃料と言う地下資源化を引き起こして、現在の地球が有る。太陽からの『エネルギー』が基に成っている筈だ。大きな屋敷のお庭を見れば、そこには巨樹の化石化した庭石の柱状節理の姿も見える。みんな光の『エネルギー』を意識せずには科学理論は何処か大きな矛盾を抱えた怪しさの道に迷い込む筈だ。今がその時にある。

光の空間像認識

(2022/04/16)。自然科学という意味は、自然が示す諸現象をどの様に解釈し、その真相をどう理解するかを考究する学問分野を指すと思う。普通は、共通な科学的手法によって認識する、伝統的解釈法によって得られた結果の体系を指そう。それがその時代の「科学パラダイム」と言うものに成ろう。科学的と言えば、科学的手法での実験結果が誰でも共通に検証可能である内容であってこそ認められる。その意味で「光」という自然世界に満ち溢れる物理量をどの様に科学論として捉えるかは、とても難しい。それは空間を伝播する光の『エネルギー [J] 』の空間像を決して測定できないからだ。その空間を『光速度』で伝播する光の『エネルギー』の分布密度など実験的に測定などできないだろう。だから科学的に光の空間像を理解することも難しいことなのかも知れない。それは夫々の人の自然に対する感覚的な認識に負うより外に無いかも知れない。『津波』現象の物理的認識も、専門家の解釈では『エネルギー [J] 』(水の運動エネルギーではない)の海洋伝播現象という認識が無いようだから、理解に到達できないかも知れない。物理学教育で、『エネルギー』の空間に実在する自然世界の根本的真理を認識し、取り上げていないからだろう。空間の『エネルギー』の実在を認識していない事は大きな教育上の欠陥である。それは光の空間像を認識する事が一つの具体的な解決法に成ろう。この記事の前提として、光の速度を取り上げた。

光の実験的測定法。筆者は光を物理的計測法で測定したことも無い。大学の物理実験で『ニュートンリング』の学生実験リポートに結果を報告した程度だ。だから、このブログの内容も、物理学会で発表した内容も全て、「こうなのではないか?」という感覚的認識に基づいたものでしかない。そんな内容を物理学理論として認知されるには、従来の科学的手法の限界を超えた、別次元の解釈でなければ意味はないのかも知れない。そこには、自然科学にもたらした数学の功罪 (2020/08/04)の記事も一つの視点となるかも知れない。

別次元解釈。それは空間に実在する『エネルギー』を認識するかどうかになる筈だ。物理学理論が『電子』論で解釈する手法である限り、自然の真相を捉える感覚には到達できないだろうと言う確信にある。その具体的論証の対象が「光」であろう。

光はエネルギーの縦波である。

電磁波も『エネルギー』の光速度伝播現象である。それが『静電界は磁界を伴う』の単純な実験結果なのである。『電界』も『磁界』も空間に実在する『エネルギー』の科学的手法での解釈概念でしかないのだ。自然世界を構成する根源要素は全て『エネルギー』なのである。素粒子と言う物もその構成原は『エネルギー』である。だから質量も、E=mc² [J] 、m=E/c² の様に『エネルギー』E[J] が局所的に集合して質量m[kg]となるという意味で解釈する。

光には物理的な性質で、「粒子性」と「波動性」の二つが備わっていると言われている。その意味をどの様に統合して解釈するかが大事な考究の視点である筈だ。その統合解釈には『エネルギー』の空間像以外ない筈だ。電磁波も光と同じ波動である。

一粒の光量子 (2021/08/12)にその空間像を示した。この空間を伝播する『エネルギー』の測定が困難であるから、物理概念、物理量と単位 [J] を取り扱い難いのだろう。単位系で、MKSJ となり難い意味でもあろう。

光の速度

(2022/04/15)。光は自然現象を解釈するに欠くことの出来ない科学的基準の物理現象である。光は何から構成されているかと言えば、それは『エネルギー』である。自然空間を伝送する『光速度』の『エネルギー』の流れである。

広い宇宙の中で、満ち溢れて伝播しているのが光である。無限の星から、宇宙空間をそれぞれの速度で、それぞれの方向に運航している星から、宇宙空間に光が放射されている。全ての星はその速度ベクトル、それは無限に異なる速度で運行している。

『光の速度』それは『光速度』という一定の速度で伝播する。しかし、その伝播空間の空間媒体が全宇宙空間で同じくは無かろう。一応「真空空間」という空間媒体の条件を規定して考えてはいる事が一般的であると言えよう。光の伝播する空間媒体中に障壁があれば、近傍を通過する光はその近傍で伝播方向が変る屈折も起きる。空間媒体密度に変化があれば減速もする。しかし、一般的には無条件で真空空間中の伝播速度で解釈する。

そのような一般的な真空空間と見做す伝播空間では、どの様な速度の星から放射されようと、光が一旦その空間に放射された瞬間から、その速度は『一定光速度』という基準で空間を伝播すると解釈する。

我々が光の速度を観測する時、どの様な星から放射された光であろうと、必ず『相対速度』でしか光の速度を観測する事は出来ないのが一般的である。ただ、地球上で地球上から放射された光を観測すれば、基本的に所謂一定の『光速度』で観測される―この意味について追記して置くー距離と時間の比という意味で、速度を定義するが、厳密には地球上の観測点も移動しているからその分の距離だけ光速度の定義からすれば異なる事に成る。だから、ここでの意味は寧ろ光の『波長』に観測上変化は生じないという意味で解釈すべきではある。即ち光源からの放射光の光としての特性である『波長』に影響はないという意味で、相対速度が原因としてのドップラー効果は生じない。それは光の放射源と観測者が一定の空間距離を保っているからだ。月からの放射光も地球上で観測すれば、厳密には『相対速度』での観測になる。その訳は、観測者である我々が、光が『光速度』で伝播している空間に対して如何なる相対速度ベクトルであるかを知ることが出来ないからだ。

光の速度が一定の『光速度』で伝播する『エネルギー』の縦波であると認識すべき物理現象を、その観測する対象の光の速度という意味を捉えようとすれば、その『エネルギー』がどの空間基準をどの方向に伝播しているかを観測者は基本的に知る事は出来ないのだ。だから測定する光の『波長』を厳密に本来の値を知る事は出来ないのだ。この意味はアインシュタインの「特殊相対性理論」が間違ったものであるという意味での解釈である。

星から放射された光を観測した時、その観測波長は基本的に『相対速度』での観測結果による波長評価である事になる。光とは空間分布密度の『エネルギー』の縦波であるからだ。

光の空間像認識の必要性を、物理学教育において、物理学理論の根底に捉えておく必要があるとの意味で先に、光の観測「相対速度」の意味を印した。

コンデンサと ❓(+電荷)

(2022/04/12)。分からないのは自分だけか?誰も疑問を抱かないのか?『電荷』と言う不可解な物理量。何世紀もそれは物理学理論の、自然科学理論の、理論物理学者が異論を唱えない基礎概念として厳然と権威の砦と成っている。

筆者の確信。決して自然世界に『電荷』など存在しない。もう一度教育に関わる行政機関の関係者、教育担当者全てに問いたい。

何か「浦島村の秘密基地竜宮城の住人」の如く、科学理論の別世界から眺め続けている様な気分だ。「俺の出番はきっと来る」等と歌の文句に合わせてここまで来た。しかし『電荷』が自然世界に実在しない真理を伝えるに、何処に人を相手に説得する道があるのか、観えない。

今日も子供達が、教科書と言う権威の基で、『電荷』の怪しい世界を学習して居ると思うと、一人悲しみに耽る。

電気理論の『電荷』について、もう一度筆者が理解できないその基礎論理の易しい不可解解剖論を展開して置きたいと念じて。実は、電荷と科学リテラシー (2021/02/10)でも述べた。もう少し具体的に『電荷』の論理矛盾を述べたい。

コンデンサに電圧を印加する。コンデンサにはプラス側とマイナス側の電極版に『電荷』が貯蔵されると学校で教えられる。プラス側には『+電荷』が集まると言われる。

『電荷』の(+)と(-)の違いはその空間像にどのような違いが有るのか?自然世界の空間に実在すると専門家が唱える『電荷』の姿を明確に示すことが科学者の社会的責任だあろう。科学理論に『曖昧さ』が有ってはならない。教育に学説に従うだけの考えない姿勢は許されない筈だ。そのような意味で、もう一度『電荷』の意味をコンデンサの充電現象を例として問い質したい。

『+電荷』とはどの様なものか?

今上の電気回路で、電源にコンデンサ C[F] をスイッチで繋いだ。電気理論では電流が流れてコンデンサが電源電圧によって充電される。

① この時『電流』とは何が流れるか?

(解答)決して『電子』が電線金属内を流れる訳はない。しかし、巷の専門家らしき人の解説では、『電子』が『電流』の向きと逆向きに電線内を流れるとの解説が溢れている。電線金属内を『電子』が流れるには、電気理論に因れば、その電線金属内に『電界』が掛からなければ、『-電荷(電子)』には力が掛からないから動けない。即ち『電子』には流れる力が働かない。ところが、以前日本物理学会で同じ話を発表したら、座長さんが金属内にも電界は在りますよと仰った。それには、じっくり1時間程かけて、公開の場で議論をしなければ伝わらないと、ただただ驚いてしまった。その電界で『電子』が金属内を加速されるのかと。

② (+電荷)を担うものは何か。

コンデンサの正電極側に(+電荷)が集合すると言う、その『電荷』は何が担うと考えるのか。実に不可解な事は、『電荷』は自由に(+)も(-)も幾らでも、教科書によれば、質量など無関係にただ『電荷』だけがコンデンサには貯蔵できると解説される。(+電荷)は原子核の『陽子』か、素粒子加速実験で、『陽電子』等にも対象が広がるようだ。それ以外(+電荷)は思い付かない。(+電荷)とは何かを示さなければならない筈だ。『電子』が『電流』と逆向きに流れると言う論理で、コンデンサの『電荷』貯蔵の解説が何故出来るのか、理解できない。

③ (-電荷)は『電子』なのか。

論理的には、『電荷』だけで質量は不用の意味と考える。質量に無関係な(-電荷)だけが欲しいのだと思う。しかし、質量なしには力の論理は成り立たない。結局『電荷』概念での論理そのものが矛盾なのだ。

むすび。 余りにも専門家の解説、教科書の論理と異なる、素人解釈と見做される内容を基に科学理論の基礎概念の矛盾を取り上げた心算だ。昨年の記事、2021年(1)-電子・電荷論と教育危機 (2022/01/10) にも関連した内容だ。『電荷』否定は科学理論の根幹を否定する科学革命のようで、とても気が重い事であるが、自然の真理と思えば教育の未来に議論が欠かせないと思っている。『静電界は磁界を伴う』の実験結果が現在の科学理論の意味・論理性を問うのである。

単位系 MKSA と MKSJ

科学技術の世界では経済活動との関係で商業取引が公正でなければならない。計量が世界で統一された測量基準に則らなければならない。その測量基準の基本量が [MKSA] 等である。そこには電流値のアンペア [A] が組み込まれている。不思議に思っていたが、『エネルギー』という空間を流れる物理量の単位ジュール [J] が入っていない。

何故かと考えた。電流[A]は電気回路現象の解釈の基本概念として、19世紀初めのアンペアの法則で最初に認識された物理学の基本量になったと思う。しかし、その電流の現在の物理学での認識は『電子』の逆流として一般的に解釈されている。その『電子』とは負の『電荷』の粒子という認識にあるようだ。その『電荷』概念が何時頃から物理学の解釈基礎概念として定着したかが良く分からない。計量法の基準がどの様に決まって来たかを少し調べた。

1874年。英国科学振興協会(BAAS) でボルト[V]とオーム[Ω]の二つが実用単位に導入された。

1881年。国際電気会議 で上に加えて、アンペア(A)クーロン(C)、ファラッド(F)、ヘンリー(H)、ワット(W)ジュール(J)も加えられたとある。ここで殆どが取り上げられた事に成る。

1893年。シカゴの国際電気会議。電力のワット(W)と熱量のジュール(J)が

W=AV=10⁷abW  J=VAs=10⁷ abJ

と定義された。abの意味理解できず? cgs単位系での関係かもしれない。

cgs系からMKS系へ。

1901年。MKS単位系で、 W=kg m²/s³  J=kgm²/s² と統合。

1948年。 国際電気会議(CGPM)、

1950年。 国際電気標準会議(IEC)

で MKSA が採択された。

1960年。国際単位系(SI)もそれを引き継いだ。

電流アンペア [A] が選ばれたのは、1948年のCGPMで採用され、簡便だから2019年のSI基本単位の再定義まで使われた。とある。

結局、1881年に『電流』アンペア[A] と『電荷』クーロン[C]が採用されたようだ。当時はキューリー夫妻の元素の放射性現象で漸く原子の謎に研究が向き出したころである。原子構造は勿論、『電子』も不明の頃である。第二次大戦後に、MKSA単位系がさいたくされて、今日まで [A] が電流計で測定可能という事で使われている訳であろう。

エネルギー [J] の世界。

『エネルギー』が物理学理論で、空間に分布した物理量だと認識されていない。東洋哲学の一つの至言「色即是空」がある。この意味を『エネルギー』との関係として自然世界に観照してみる。

自然世界は目の前に溢れる生命の天然模様を見せている。その姿に触れて人は心ときめかす。森羅万象の『色』である。『電流』という概念も電流計で認識できる。しかし、それは自然とは違う。寧ろ電流計で測定できる技術量の『電流』が見えることが、『色』と人が勘違いする原因となる。

mc² =E [J]  (式)

で、質量m[kg]は見える『色』の自然である。しかしその質量は、その根源は質量ではない。光の『エネルギー』が局所化した姿である。例えば、水素のその構成の基も光の『エネルギー』である。

だから原子はすべて、『エネルギー』に究極で分解してしまう。だから質量mと『エネルギー』Eは(式)のように等価となる。

『エネルギー』になった時、それは『色』の有ると思う状態から『空』の何もない状態になる。

「色即是空」はその意味と解釈する。東洋哲学の自然観だ。

空間に実在する『エネルギー』を科学的手法で測定できない。だから物理学理論で、科学的物理量と認識できない事に成っている。

しかし、[MKSJ] の[J]を認識しない度量衡は人の自然観を誤りに導く。それは教育における『学問の自由』の意義に繋がる。

不可解な国際単位系-[A]-  何故[J]が無いか?

(2022/04/07)。国際単位系に MKSA が長く使われていた。

SI基本単位の再定義_(2019年) が新しく示されて決まったようだ。

2019年に決まった単位系にも『エネルギー』の最も基本となるべき単位-ジュール[J]- が無いのだ。

世界の気候変動危機の根源たる『エネルギー』の過剰使用の危機意識がない。気象災害の基本的原因は海水温度の上昇による地球表面の『水蒸気』含有量である。竜巻の原因でもあろう。水蒸気はアボガドロ数による解釈不可能の分子だ。

日々電気を使用して、社会生活をしている。毎月電気料金として経済生活の基本物理量の『エネルギー』に対して支払っている。

1[kWH]= 1000[J/s]×3600[s]= 3.6×10⁶ [J]

1キロワットアワー[KWH]は3600キロジュール=3600[kJ] である。

この『エネルギー』という基本的物理量の単位・次元 [J] が誠に不思議な事に科学理論では主たる実用単位に成っていないのだ。

商業的取引量でありながら、実用単位として認識していない国際度量衡の科学的認識が筆者にはとても理解困難な事である。

代わりに後生大事に組み込まれている単位、それが電流の単位 [A] である。それは電線金属導体中を流れるという『電子』概念の「嘘」によって支配された奇妙奇天烈な世界観である。

『電子』がどの様に電線路を電気料金を払って使う『エネルギー』を伝送するかの最も基本的で、考えれば当たり前の解釈が示せない不思議な科学理論の非論理性に人々を迷い込ませている『科学パラダイム』の科学者集団の学識の世界なのだ。

自然世界に存在もしない『電荷』を仮想して!

あーあ?抽象的論理の世界、具象的空間の世界しか見えない筆者にはとても付き合い切れない科学者の世界だ。

 

あッ!-体温と電圧-

神経伝達信号。指先が沸騰したお湯の容器に触れた。あッ!と指を離す。その時、体の危険を察知し、瞬間に反射神経とやらで体が動く。神経細胞を何かが伝達する。指先に皮膚から何かの信号が侵入する筈だ。体温との差が、その刺激の信号の基になる筈だ。身体全体からは、常時外部空間に熱の『エネルギー』が放射されている。それは基礎代謝の量を決める意味にも成っている筈だ。物理学では電磁気学、電波などの『エネルギー』になる。生体では、血管などを通して体全体に供給される熱の『エネルギー』である。『エネルギー』とは何かと問えば、物理学では「仕事をする能力」等ととても理解し難い定義が飛び出す。光の空間を伝播する『エネルギー』をそのような定義で唱える理科が有ってはならない。気体分子運動論などその部類だ。神経伝達信号の波形も『エネルギー』の縦波なのだ。基準は体温の『エネルギー』分布が基に成り、それに対する『エネルギー』の差が『エネルギーギャップ』となり危険信号波の f 波形となる。この信号波はスマホで放射する信号波と基本的には同じものと見做して良かろう。神経の専門的学説では、『シナプス』という神経伝達経路の空間ギャップが「電気信号」は伝送できないから、神経伝達物質によって、神経情報が伝達されると成っているようだ。空間ギャップは電磁波信号の最も伝送し易い空間の筈と理解している。少し専門的学説と祖語の思いがある。

味覚や聴覚あるいは色覚なども神経を伝わる信号波にその特徴がある筈だ。「波はエネルギー流」という物理学会での発表に都合で参加できずに終わった。2011年秋の事。NHKの番組「ためしてガッテン」でそのころ放送して頂いた内容が良かった。応援実験だったと勝手に解釈している。パラボラアンテナの反射現象をよく実験で示して貰った。電磁波は横波では解釈できない筈だ。

専門的でない万事屋みたいな記事で、科学論とはならないでしょうが。これが『日常生活科学論』かと御勘弁いただきたい。経済性追求の競争社会を目指す教育体制には誠に具合が悪いかも知れない。しかし、高等学校の「理科教育」の内容としては、こんな日常生活に不図疑問を抱く身の周りの現象を考えることが一番子供達には大事な事と思う。科学技術用の理科教育ではなく、日常生活上の自然現象の本質を捉える教育内容でなければならない。

余り誰も意識しない『電圧』と『体温』の相似性と言う面での解釈を示そう。そんな『電圧』と『体温』の相似性等という事の意識は無い筈だ。しかし、そこにはとても大事な意味が隠れているのだ。それが『エネルギー』という自然世界を創り上げている、この世界の根本要素の話なのだ。『光』という目の前に満ちている、空間に展開する『エネルギー』の姿を認識していますか。『光』の空間像を認識していますか。その光の意味を、物理的意味を理解するに欠かせないのが『プランク定数』の空間的概念認識なのだ。その次元は『エネルギー』と『時間』の積である。次元がh[Js]の[Js]の空間的意味を理解していますか。その『エネルギー』の次元が[J]である。電気回路を通して、取り入れて使っているものは、『電圧』でも『電流』でもなく『エネルギー』なのだ。使っているのは『エネルギー』の量なのだ。利用する側にすれば、『電圧』が幾らであろうと一切気にせずに電気使用量金額に示された電気の『エネルギー』量、[kWH]の数値なのである。それは電気回路の電線で挟まれた線路空間を流れる、光速度で流れる目に見えないが光と同じ『エネルギー』なのだ。決して『電子』など何処にも流れていないのだ。何故科学者は『電子』など自然世界に存在もしない概念を創り上げて、訳の分からない複雑な物理学理論を創り上げて来たのか。『電圧』や『電流』は科学技術用に、自然を利用するための自然空間に存在しない科学技術用概念でしかないのだ。それは自然科学論の基礎学問となるべき物理学と言う自然の真髄を解明しようとする学問の解釈概念としてはならない『量』なのだ。『電圧』や『電流』は科学技術用方便概念でしかないのだ。それを物理学の基礎概念と誤解してきたところに、『電荷』なる奇妙なものを創り上げてしまったのだ。

『電圧』と『体温』。

『電圧』は電気の『エネルギー』を利用するために、皆の処に在る『エネルギー』のレベルを安全な値で配分する基準値に決めている。家に引き込む「電圧」は100ボルトか200ボルト(三相動力用電源)である。ただ電灯用でも、200ボルトは使える。しかしそれは危険性から観れば、100ボルトと同じ値なのだ。地球のアースに対して100ボルトしかないから。市内配電電源の電圧は変電所から高電圧(6300ボルト)で配電し、柱上変圧器で低電圧の安全値に下げて供給している。その『電圧』値は100ボルトなら、電線の形状、配置をどの様にしようと100ボルトのままだ。それは電線路に合わせて自動的に、その電線路の空間に供給する『エネルギー』の分布密度が変化しているのだ。電線路空間形状、即ち電線路の空間の静電容量値[F(ファラッド)]によって『エネルギー』の分布が決まるのだ。『電子』など全く意味が無いのだ。『電荷』などこの自然世界には存在しないのだ。それでも学校で学習する理科、物理学では『電荷』や『電子』が後生大事に教えられ、先生方もその指導法に従わなければならない事に成っているのだ。

『体温』も体全体の形状や構成要素によって、そこに分布する『エネルギー』の量が自動的に決まる事に成っている。血液が隅々まで『エネルギー』を行き渡らせるのだ。この程度の事は難しい生物学を学習しなくても分かるだろう。アデノシン三リン酸はとても理解できないが。体温と呼吸 (2022/03/26) に日常生活感覚から記事を書いた。